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− 轍 ・ 03/09/16 (1) −

小さな湾を仕切った堤防 薄曇で明けきらないような空の下を走り始める。なるべく海に近い道を選んでいくと、小さな湾を仕切った堤防の上を渡る。山をひとつ廻り込むと中道湾に出た。ここは日本の車エビ養殖の発祥の地で、毎年8月には「エビ狩り世界選手権」と銘打った車エビの手掴み取り放題のイベントが行われているらしい。
中道湾の向こうに見える山は公園になっていて、山頂には草山埼灯台が見えた。公園入口にあった案内板には、桜の広場まで7分、そこから灯台まで5分となっていたので、サクサク歩けば10分ぐらいで着くかと思ったら13分かかった。不動産広告じゃないんだから、もっとのんびりペースで書きなさい。灯台は小高い山の上にあり周囲の芝生にベンチが置かれているが、ここまで来る人はどのぐらいいるんでしょうか。
山口市を流れる椹野川の河口近くに架かる周防大橋を渡って宇部へと向かう。周防大橋は支柱から斜めのケーブルで橋桁を吊った斜張橋で、1992年にできた綺麗な橋である。中央が高くなっているので自転車で渡るのはちょっとタルイが、橋の上からの眺めは良くて、遠く小郡の街まで見渡せる。 周防大橋からの風景
山口宇部飛行場灯台 空が晴れてきて暑くなってきたので、JR宇部線の阿知須駅で休憩する。阿知須は「あじす」と読むのだが、本州としてはかなりの難読地名ではないだろうか。山口宇部空港の横にも灯台マークがあるので探してみると、駐車場と道路の間にひょろ長い柱が見つかった。やはりというか、飛行場灯台と書かれたプレートが付けられていた。存在は知っていたのだが、実物を見るのは初めてだったりする。空港の前を右に折れて丘を越えると、すぐに宇部の市街へと入っていく。
次なる獲物である宇部港にある灯台マークを探していると、食品加工らしき工場の裏手に日通のマークが描かれたディーゼル機関車を見つけた。セントラル硝子専用線の支線らしいのだが、3方がフェンスで囲まれた線路敷には草が伸びて、DLにもかなり錆が浮いている。 放置されたDL
セントラル硝子専用線 DLが放置された線路は暫く使われていないようで、赤錆びたレールを覆ったオオイヌノフグリの茂みには小さな青い花が咲いていた。支線が続く先には2両のDLと数両の貨車が置かれているのが見えた。本線は現在でも使われているようだ。線路敷きは工場の敷地内にあり不法侵入しているようなので、ここら辺で引き返す。
灯台の方は指向灯かと思っていたのだが、頭標の付けられた宇部港第二号導燈だった。前燈は海際に立てられているが、やはり工場の敷地内だ。到達するには、かなり高いフェンスを2つ乗り越えなければならない。海を眺めると、緩やかな航跡を残して船が出ていくところだった。第二号導燈というからには第一号導燈もどこかにあるはずだが、わからなかったから気にするのは止めよう。
後灯はどこだろうと地形図を見たら、すぐ近くの街中にもうひとつの灯台マークがあるのを見落としていた。道路まで戻ると背の高い後灯はすぐに見つかり、パチンコ屋の駐車場の隅に立っていた。すぐ近くには、宇部岬駅へと続くセントラル硝子専用線の本線を渡る踏切があった。やはり現役で使われている貨物線のようで、レールの表面は輝いていた。 セントラル硝子専用線本線
立ち並ぶ場内信号機 宇部市街を海側に向かっていくと、宇部港駅跡が見つかった。広い構内には分岐した貨物ヤード線が伸びて、その先は終端になっている。貨物輸送の主役が鉄道だった時代には、多くの貨車が行き交い活気に溢れていたことであろう。草の伸びた廃線跡に残された場内信号機が、まるで墓標のように立ち尽くしている。二度と列車の通ることのない真赤に錆びついた鉄路は、今、ゆっくりと茂みに呑み込まれていく。
人気のない建物の出入り口には『宇部港駅運転本部』と記された看板が掛けられていた。この宇部港駅は宇部電気鉄道の沖ノ山旧鉱駅として1929年に開業したが、最後にはJR貨物の貨物駅になったようだ。宇部周辺の鉄道は何度も合併や買収で路線変更があったようで、幾つか参考文献を読んでもよく分からん。
宇部電気鉄道は市街地と工場地帯の境界線になっていて、廃線跡の向こう側には延々と工場が広がっているのを望むことができる。踏切跡には警報機が残っているが、カバーが掛けられていた。ガードレールで封鎖された線路敷には綺麗に草が生えて、まるで緑の絨毯を敷き詰めたようだ。 カバーが掛けられた警報機
工業地帯に残る踏切跡 沖ノ山新鉱までは宇部興産専用線として使われていた。工場横の廃線跡は駐車場になっていたが、工場が途切れたあたりで広い道路と交叉する所に踏切跡があった。レールを撤去した後にアスファルトで埋められている。居能への線路は単線だったのに、行止まりになる沖ノ山新鉱へは複線であったことが分かる。
線路がないのに踏切がある。というか、遮断機のある交叉点がある。いったい何だろうと思って様子を伺っていたら遮断機が下り始めて、やって来たのはUBEマークを付けた巨大なトレーラであった。これが噂に聞いていた宇部興産専用道路のようだ。 興産道路との踏切
鉄道からトレーラーへ 宇部興産専用線は石灰の輸送がトラックに切り替わったことによって1998年に廃止となった。廃線跡は興産道路と並行していて、僅かに残された踏切跡だけが、ここに鉄路が存在していたことを伝えている。その横を、美祢からの石灰輸送を引き継いだトレーラーが、悠然と走り去って行った。
終着の沖ノ山新鉱駅跡と思われる場所にあった沖の山バス停。炭坑時代は旅客駅だったが、現在は宇部興産と関連会社の工場ばかりで、人影は全く見えない。実は私の勤務先も京葉工業地帯のコンビナートなのだが、それに劣らず、とにかく凄いところだ。 沖ノ山新鉱駅跡
西沖ノ山駅跡付近 宇部港駅西側の踏切跡まで戻り、居能へと向かう。この区間は休線扱いらしく踏切跡にもレールがそのまま残されているのだが、良く見るとコンクリートで埋められているので、もはや再開する気は無いのだろう。晴れ渡った青空の下、廃線跡を埋めて繁った夏草が眩しく感じる。線路脇に残された信号機は明後日の方向を向けられている。このあたりに西沖ノ山駅があったらしいが、旅客営業が休止になってから取り壊されたようで、痕跡は残っていなかった。隣の助田駅跡には石積みのプラットホームが残されていた。宇部電気鉄道の旅客輸送を物語る貴重な遺構だ。
居能駅の手前で、現宇部線が近づいてくる。居能駅と宇部新川駅を接続する線区は、宇部線と小野田線を接続するために1952年に敷設され、現在の路線網が完成した。線路脇には沿線電話のスピーカーや文字が剥がれて全く読めないキロポストが遺されていた。 現在の宇部線との合流点
居能駅南側の鉄橋 宇部線の新線と並んだまま、居能駅の直前で運河を渡る。これは居能駅側の踏切から写した。居能駅からは別の貨物専用線も分岐していたようだ。宇部電気鉄道はその名が示すように当初から電化されていたはずなのだが、なぜか架線は一切残っていなかった。
漸くJR宇部線の居能駅に着いた。宇部線が藤曲経由から居能経由に路線変更されたことによって生き残った宇部電気鉄道の駅である。JR小野田線との分岐駅であるが、駅前にはロータリーどころか駐車場も無く、そのまま素通りしてしまいそうな小さな駅舎だ。アイスを食べようと思っていたのに無人駅で売店もなく、コンクリートの待合室は閑散としていた。 JR宇部線 居能駅


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