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ゲーテ大先生が見たパレルモ


ゲーテの滞在地 シチリアなしのイタリアというものは、われわれの心中に何らの表象も作らない。シチリアにこそすべてに対する鍵があるのだ。
(『イタリア紀行』ゲーテ著・相良守峯訳/岩波文庫)

世界的大文豪から発せられたこの言葉ほど、シチリアへの旅心を誘うものはない。このゲーテ先生のお言葉は、後世、あらゆる紀行文に、ガイドブックに、果てはシチリア料理の本に引用されてきた。まさに名文句! 日めくりの大安吉日あたりに書き込んでおくべき名言! この言葉を聞いてしまったが最後、何度イタリアに行こうとも、シチリアの大地を踏みしめて来ない限り、イタリアに行った気がしなくなるのである。
今回のシチリア旅行に向けて、私はこの言葉の真意を確かめたいと思った。
シチリアはそんなに凄かったのか、過去のイタリア体験を吹き飛ばすほどの何かがあるのだろうか。まずは『イタリア紀行』を読んでおかなければ…。

で、実際に大先生の『イタリア紀行』を読んでみた。そして、驚いた。驚きのあまり、私はのけぞってしまった。のけぞったのは、シチリアにでもなく、大文豪の文章にでもない。大先生の行動に驚いたのである。これは『東海道中膝栗毛』のような珍道中の物語ではないのか?
ゲーテ先生は、このシチリアの地で、「旅先の恥は…」とばかりに大いにはしゃぎまくっていたのである。この大先生にとって、シチリア旅行はとにかく楽しかったのだ。シチリアなしのイタリアなんて考えられないわけだ。

パレルモでとりわけ思い出深かったのは、”カリオストロ伯爵”の親族と面会だったようだ。
ゲーテがパレルモを訪れた当時、パリで起きた”カリオストロ伯爵”の一件がヨーロッパ中で話題になっていた。フランス王室をも巻き込み、後にフランス革命の一因ともなったと言われる一大スキャンダルだ。この渦中の人物である詐欺師、自称”カリオストロ伯爵”は、本名ジュゼッペ・バルサモといってパレルモ出身。当時、まだパレルモには母親と妹が住んでいた。
ゲーテ先生は、この親族がパレルモに住んでいることを知り、会ってみたくてたまらない。仲介人を通して、面会を申し込む。何と、自分はカリオストロの友人で、イギリス人ウィルトンだと偽って。
ゲーテ自身は、こうした偽りを、けっこうドキドキしながら楽しんでいたのである。
一方、ゲーテを息子の友人だと信じ込んだカリオストロの母親は、涙を流して喜び、ゲーテに息子宛の手紙を託す。代書人に頼んだ手紙だから、費用もかかったはずである。この母親は、貧しい暮らしをしているというのに、ゲーテに騙されて無駄なお金を遣ったことになる。
さすがにゲーテ先生も良心がとがめたらしい。自分の名前を伏せたまま、かわりに借金を返済しておいてやろう、なんて殊勝な考えが浮かぶ。
ところが、宿で予想外の宿泊代を請求され、あっさりと借金返済の考えを捨ててしまう。大先生は逃げるようにパレルモを出発するのであった。

ゲーテのパレルモ滞在は17日に及ぶのだが、現代の観光客が目指す主要な観光スポットにはほとんど興味を示さなかった。
「建築様式は、大体ナポリのそれと似ているが、公共の記念物、例えば噴水などはどうもよい趣味とはいわれない。」という具合で、とくにプレトリーア広場あたりはお気に召さなかったようだ。私がやってきたような今日的な観光は「いろいろな寺院を訪ねたり…」の一言でお終い。モンレアーレに出かけても、モンレアーレの大聖堂を観ないで帰ってきてしまうし、カッテドラーレも祭り見物のついでに寄っただけだった。
では、この大先生、パレルモで何をやっていたのか?
河原で小石を拾っては、シチリアの地質に思いを馳せ、植物園に行っては、「原型植物」とかいうものに関する考えを深めちゃったりしていた。そんな自然に対する興味の方が大きかったのだ。
要するに、科学者としてのゲーテにとって、シチリアはわくわくするような島だったのである。
この「原型植物」というのは、ゲーテの思想を云々するにあたって重要な概念らしい。ゲーテ先生が言うには「そんな植物が存在しないとしても、存在し得る」そうで、何とも難しい。平たく言えば、植物の本質そのもの、あらゆる植物に共通する要素をもった植物というところだろうか。
『イタリア紀行』を読んでみると、イタズラ好きなゲーテ、怪しい”科学”にのめり込むゲーテ像が浮かび上がってくる。

フェリーチェ門の近くには、その場所にゲーテが滞在したことを記念するパネルが壁に貼り付けてある(写真)。
この場所には、ゲーテが宿泊した宿があった。初日、彼が宿泊費の交渉をしようとしたら「何も別に取り決めることはございません。」と言われ、チェックアウト時に予想外の請求をされたという宿である。
歴史的名著によって紹介され、大先生をぼったくった(と思われる)この宿は、今はもうない。