君主論の世界

マキャベッリの書斎

ゴチャゴチャと私が解説するより、『君主論』をまず読んでいただくのが一番。
書籍案内でも紹介したとおり、文庫本がたくさん出版されている。長くないし、いろんな意味で読みやすい古典と思う。
とは言っても、電車の中で読んでいると、何だか白い目で見られそうだし、家で一人で読むには暗すぎる感じがするし…。まあ、モノがモノであるだけに、いろいろと障害はありそうである。
そこで、このホームページでは、10分以内で読み切れる一章分の翻訳を提供することにした。

その章は、第8章。ある意味、最も過激な部分で、タイトルも「極悪非道によって君主の地位にたどり着いた者どもについて」と、いかにもマキャベッリっぽい。
一章だけ紹介するなら、本当は第18章あたりが適切なのかも知れない。君主は愛されるよりも畏れられる方がよい、といった最も有名な一節が書かれている章である。この章あたりが『君主論』のハイライトとも言える。けれど、ここではあえて第8章を選んだ。

理由は、歴史上の”マキャベリズム”の実例が、マキャベッリ自身の筆によって紹介されていること。この章では、マキャベッリ自身の”マキャベリズム”に対する態度を知ることができる、と思われるからである。
マキャベッリは、歴史上のマキャベリストたちを決して評価してはいない。何しろ、マキャベッリもまた、彼らを極悪非道な奴らと言っているのだから。けれど、マキャベッリは単なる評論家ではない。彼らに非難の言葉を浴びせる、という誰でもできる論評はさておき、マキャベッリはその先へと突き進む。マキャベリストたちが政治的に成功した理由を分析し、彼らが用いた政治的技術を抽出しようとするのである。それがマキャベッリの態度だ。
極悪非道の奴らを登場させ、そこから政治学の領域に入ってゆくという、何とも危険な手法。マキャベッリは、普通の人なら目をそむけるであろう彼らの行動を熱い眼差しで見つめ、その行動における究極の合理性に迫ろうとする。その冷徹さが、マキャベッリの著作の凄みだと思う。

なお、この翻訳では、読みやすくするため、原文の記述の順番を入れ替えたり、原文の表現から離れた表現を用いたりしている。原文に忠実な翻訳を読みたい方は、書籍案内で紹介した『君主論』河島英昭・訳(岩波文庫)方を読まれたし。