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虫の蠢く街で

大橋賢一

 がたがた。
 ぎしぎしぎし。
 がしがしがしがし。
 げきげきげきょがきょがこがこがこ。
「……えーっとぉ……」
「今日もちょっと、ローラさんの力じゃ開きませんねぇ」
 セント・ウィンザー教会の礼拝堂の扉に手を掛けながら困り果てる居候のローラ・ニューフィールドを、付属孤児院の保母セリーヌ・ホワイトスノウは困った様子で見詰めていた。なにしろこの扉、王国時代の文化遺産であるために政府の許可を得ないとあれこれ手を加える事もままならないのだ。しかもローラは百年間眠り続けるより前には見慣れていたため、文化的価値など考えずについ乱暴に扱ってしまうときている。
「……それじゃあ、もう一度!」
 息をついたローラは意地になり、再度扉に取り付いて全体重を掛けて引っ張ろうと見上げた。扉自体は全体が青銅製で、全体を古い様式の図柄が飾っている。経典の一幕から題材を取っているらしいが、以前神父から説明を受けたにもかかわらずローラは全然覚えていない。扉がどうやって大戦による破壊を免れたかは知らないが、故国を蹂躙された復讐に来襲した北方人にとっても、宗派が違うとはいえ神聖な物を破壊するのは抵抗があったのだろう。かつての教会を破壊したのが魔法体系も違えば宗教も違う南方南部人でなかったのは、不幸中の幸いだったかもしれない。
 なおこの二人にも扉をある意味上回る経歴があるのだが、それについてはここでは言及しない。言及していては小説のシリーズが二つ三つ簡単にできてしまうので。
 がしげしげしがしがしがしがし。
「うー……セリーヌさんパス」
 しばらく悪戦苦闘するが、結局ローラは開けるのを諦め、セリーヌに扉の取っ手を引き渡す。
 ぐぎ……がごっ、ぎいいいいいい……。
「ふぅ。もうちょっとという所ですね」
「もーっ。どうしてこんなに開け辛いのよぉ」
「すみません、修理を頼もうにも手元が不如意で」
「いや、だからセリーヌさんを責めてるわけじゃないんだけど……」
 身長の格差がそんなにないにも関わらず、ローラはセリーヌと話していると見上げるような感覚を味わう事もしばしばであった。百年ぶりに目覚めて教会に引き取られてから一緒に暮らしている相手でもあり、年上という事でつい頼りにもしがちである。
 なお戸籍上ではローラの方が九十六歳年上だという事は、とりあえず黙っておく事にしよう。
「誰が百年蝉よ誰がぁっ!?」
「……はい?」
「……いや、つい空耳が。多分寝不足だと思うんだけど」
「あんまり夜更かししないで下さいね。……よいしょっと」
 セリーヌが手にしていた扉の握りからがちりと金属音が立ち、人の背丈の倍はある大きな扉にいささか鈍い光の筋が入る。一日二回しか開け閉めしない上に近頃は(いや、昔から)修理も滞っているが、扉その物はほとんど痛んでいない。
「さあ、今日も気持ちの良い一日の始まりですね」
 そう言うセリーヌを照らしている光はあまりにも鈍く、爽快感よりけだるさを感じさせる存在でしかないようにローラには見えた。
「あのぉ、セリーヌさん」
「はい?」
 目を丸く――しておらず相変わらずの糸目のままだが、ともかく振り向くセリーヌ。
「……『気持ちの良い一日の始まり』にしてはさ、何か外が暗くない?」
「おかしいですね。曇ってるんでしょうか?」
「ちょっと待ってねセリーヌさん。あたしが外を覗いてみるか……ら……」
 ローラは視線を外にやったその直後、いきなり翠の瞳が虚ろに転ずる。
「あ……え……あはっ……あはははは……」
「…………ローラさん?」
 そしてローラが凝視したモノは、忘れたくても忘れられないおぞましい姿。
 教会の庭先に、門に、外の通りに、街中に、そして見渡す限りの空と地上に、暁の赤を遮って。
 ――数百万、もしくは数千万匹の虫達が、所狭しと蠢いていた。

「……………………………………………………………………………………どえええええ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?!?」
 十数秒間、いやもしかすると数十秒間かもしれないが主観時間としては永遠に等しく感じてから、ローラは反射的に礼拝堂の扉を閉めた。リオに腕相撲で勝てるのが自慢になるほど非力なローラにしては非常に素早く。
 そしてぜえはあぜえはあと息を荒くして、回復したらすぐさま女の子の本能を発揮して大声で叫ぶ。
「いや〜〜〜〜んっ!! 虫ぃぃ〜〜〜〜っ!!」
「はあ。確かにそうですね」
 セリーヌはいつもの如く、飛び交っていた虫の群れを全くもって意に介していない。
「何を冷静にしてんのよ! あれが何だか分かってるの!?」
「虫ですよね。カゲロウにガガンボにコガネムシにハエに羽アリに」
「そーじゃなくて数がよ。ちょっと多いなー、くらいに感じないの?」
「まあ、そう言われるとそうかもしれませんねぇ」
「あう〜っ……」
 ひたすら噛み合わない会話にローラはへたり込んで頭を抱えるが、とりあえず気を取り直して立ち上がる。
「最初は熱波、その次は寒波、その次は大風、この街は一体何なのよっ!?」
「それはともかく、このままだとまた洗濯物を干せませんよね」
「『ともかく』じゃなーい!」
 その程度にしか異常気象を把握していないあたり、達観しているのか事態をなめているのか判然としないセリーヌである。
 しかしこのままではまともに買い物にも行けない上に、――世知辛い話であるが――参拝客の賽銭(いや、教会だから寄付か)を貰えないと孤児院の経営自体が傾いてしまうのだ。以前は二人とも自警団の隊員として外で稼いでいたが、今はそのような収入もほとんどない。ネーナやシスターまで働かせては子供の面倒を見きれないし、もちろん大武闘会に足繁く報奨金目当てで通い詰めるケビンも、気持ちは有難いものの論外である(以前不戦勝で優勝してしまい、実力不相応に高い報奨金が対戦相手を全力発揮させるとか……)。
「……とゆー事なのよねぇ。だいたい小学校も教会任せにしておいてなにが役所よ」
 ぶつぶつと呟きながら、目付きを険しくするローラ。元々王家の血を引く貴族のお嬢様であるせいか、政治の無策に対しては評価が厳しい。
「……特にエンフィールドの評議会ってちゃんとした責任者がいないから、テイラー評議員みたいなアレが公安局なんか作って第三部隊のお兄ちゃんに迷惑掛けるし」
 ついでに私情をぶちまけながら、拳を握り締めてばん、と床を踏み締める。強固な意志を瞳に込めて、無目的に蠢いていた怒りへベクトルをとりあえず付け加えて。
「よし、あたし決めた!」
「という事は、虫さんが増えた原因を突き止めるんですか?」
「そうよ! 街の迷惑はほっとけないわ!」
 そう言ってローラは、白く小さな拳をぎゅっと力強く握り締める。
「……でも、どうやってですか?」
「無闇に歩き回ったりしないってば。いつだか猫ちゃん達とメロディちゃんが暴発した猫寄せの呪文で集まった時、みんな魔術師組合を目指してたでしょ?」
「はぁ。確かに」
 ローラの熱弁に、素直に頷くセリーヌ。集中力散漫極まるセリーヌに内容が分かっているかはさておき(「さておくなー!」とローラなら言うだろうが)。
「その時と多分一緒で、虫達も原因の何かを目指してエンフィールドに集まったんじゃない? この数からすると、よっぽど魔法力の強い誰かの呪文だと思うんだけど」
 実際、以前の熱波も寒波も大風もそれぞれ人為的な理由が絡んでいた。この異変も同類と考えていいだろう。
「偉いですねえ。さすがローラさん」
 ぱちぱち、というよりぺちぺちといった感じで気の抜けたセリーヌの拍手を聞きながら、心の中でローラは愚痴る。
(……ホントはほっといて、お布団の中で一日中寝ていたいところなんだけど)
 毎度の事ながら、異常気象の度に物凄く理不尽な物を感じる。しかしローラはその中にも、一抹の希望を見出していた。
 この異常気象が人為的で責任者さえいれば、腹立ちを紛らわすために制裁できるのだ。――多分。
「それじゃ行くわよ、セリーヌさんっ!」
「はい〜」
「返事は短くっ!」
 いら立ち紛れに扉を勢い良く開け――
 そこには相変わらず、飛び回り歩き回り這い回りする虫の群れ。
「……………………」
「……………………」
「……ねぇ、やっぱり明日にしない?」
「ダメです」
 怖気付くローラを打ち据えるように、ちょっと怒ったセリーヌの返事が帰って来た。

>>>

 ――結局虫にたかられるのは抵抗感があり、毒を持つ虫が紛れている危険もあるため、重装備に着替えてから二人は教会の外に出た。
 今のローラとセリーヌは教会の儀式用のローブとベールに全身をすっぽりと包み、長袖と長ズボンと長手袋と長靴で全身防備を取っている。まるで秘密の儀式の参加者か、もしくは養蜂家みたいな格好だ。
 これなら空中を埋め尽くす虫達も、路上や建物の表面に蠢く虫達も怖くは無い。足を踏み締める度に硬い殻に覆われた柔らかい物を「ぶちり」「ぐちゃり」と踏み付ける感触さえ伝わらなければ完璧だが、そこまで贅沢は言えないだろう。
 その怖気の走る感触を振り切るように視線を前方固定したまま、虫が集まって行く方向を二人は大雑把に追って行く。
 他の人影は全く見当たらない街角で、役人が消しに回れずに灯ったままのガス灯に羽虫が飛び込みジジ……と灼かれる鈍い音を立てた。
「……やっぱ気持ち悪……」
「そうですねぇ。虫さんも可哀想に」
 吐き気をこらえるようなローラの言葉に、律儀にセリーヌが回答を返す。もっとも表情はまるっきり見えないので、お互いに想像の範囲を出ない。
「可哀想?」
「えーとですね」
 そしてセリーヌは、視界を遮る虫の塊をふよふよと手で払う。ただし動きが遅過ぎてほとんど意味がないため、何回か手を振るが大人しく諦めた。
「虫さん達を誰かが操っているのでしたら、好きで集まっている訳ではないですからね」
「……うん」
 視線を足元に下ろさないようにしながら、ローラは心の中で納得する。
 まだ物心も付かない捨て子だった時から教会のモラルを血肉として育ったセリーヌにとって、理由なく命を奪う事はたとえ虫とはいえ抵抗感は強いのだろう。そもそも、よほど鈍い虫でもない限り命を奪えっこないとはいえ。
 ふと視界に入ったムーンリバーの水面には、虫の死骸らしきゴミのような物がふよふよと漂っていた。
「どうしましょう。こんな事ならせめて一思いにヴァニシング……」
「やめてセリーヌさん。街を壊すと第三部隊のお兄ちゃんから苦情が来るし」
「はい。では我慢します」
 この時密かにローラは思った。思い切りが良すぎだと。
「ふぅ……ってちょっとぉ! そっちは方向が逆よ逆ーっ!!」

>>>

 何度も迷子になりかけたセリーヌを引きずって、ローラは西の山の奥に足を踏み入れ……そして数時間。
 二人の辿り着いた先は、虫が所狭しと飛び交っている森の木立ちの間の広場だった。羽ばたく運動だけで気温は急上昇し、熱に弱い虫が死んで草の上やせせらぎの中を埋め尽くしている。
「え、えぐい光景……」
「……ですね」
 吐き気をこらえるようなローラの声に続いて、さすがに疲れたようなセリーヌの声が帰って来る。肝心の表情は、やはり完全にフードに隠れて外からは見えない。
「とにかく……」
 ローラは気力を振り絞りながら、苦虫を噛み潰したような声をベールの奥から洩らす。「苦虫ってどんな虫だろう」というどーでもいい疑問が一瞬ローラの頭の中をよぎったが、どーでもよかったのでその直後にはすっぱり忘れ去られた。
「……追い払わなきゃダメよね、あれを。そーしないとこれ以上奥に進むのは無理っぽいし」
「ええ。でもどうやって?」
「〜〜〜〜っ!」
 思わず転倒しそうになるが、ローブを虫の体液まみれにするのが嫌で踏み止まり体勢を立て直す。
「物理魔法があるでしょ? 特にセリーヌさんはさっき使いたがっていたアレが!」
「すみません――」
「『アレって何ですか』と言われてプッツンと切れちゃう前に言っておくけど、ヴァニシング・ノヴァの事を言ってるのあたしは!」
「はい。では……」
 謝りながらセリーヌは、ヴァニシング・ノヴァの準備に入った。やや長めの初動加充時間を終えて、両手の間にプラズマを伴う青白い光が湧き上がりパリパリ……と音を立てる。
「ヴァニシング……ノヴァ?」
 声と共にセリーヌの魔法が生み出した対消滅による光と爆音が荒れ狂い、虫を叩き潰し焼き払い粉砕して炭化させ蒸発させ、一瞬で視界を一掃した。
 後に残るのは表面がくすぶり、炭を焼いたような香りをたなびかせる木の幹だけ。
「……疑問形で魔法攻撃する人なんてセリーヌさんくらいだけど、それでもちゃんと全滅させるのが魔法のすごい所よねー」
「……まだ残ってますよ、ローラさん」
 珍しく緊迫した声を上げ、服の中に隠し持っていた剣をセリーヌが取り出す。ついでに視界を妨げるフードを跳ね除け、普段の和やかな糸目を険しく細めた――やはり糸目である事には変わりないが。
「虫……だよね?」
 ローラの目に映った物は、殻に包まれた六本脚の生き物。ちょっと細めの体格は見た感じコガネムシやカブトムシよりカミキリムシやコメツキムシに似ているが、それも全長二メートル半といういかにも人間やエルフを襲いそうな大きさが、左右に開いた顎の動きをとても嫌な代物にさせていた。キチン質の甲殻は結構頑丈そうなのだが、体が大きいので小さな虫ほどの素早さは望めない。そもそもガス交換せずに気門から直接酸素を取り入れている虫の場合、大きな身体で激しく動くと身体の中が窒息状態になる危険も高い。エンフィールドが属する大陸南方ならともかく、もし寒い北方でこんな図体をしていては存在するだけで窒息死するのが関の山である。
 要約すると、見た目ほど怖くはないが油断は禁物といった所だろう。
「……護身用に剣を持ってきて助かりましたね、ローラさん」
「どこが護身用なのよ一体……」
 セリーヌの剣は背の低い彼女の腰に差せるギリギリの長さと分厚い刀身を持ち、自警団で対魔物用に用いる純然たる戦闘用の代物である。間違っても女の子が護身用に持ち歩くサイズではない。そもそも拳でライオンを沈め、ヴァニシング・ノヴァで無差別に敵を灼き払うセリーヌに護身用武器が必要なのかも問題ではあるが。
(ちなみに剣は打撃部分が広いため、魔物の持つ防御結界を魔法力で貫通するのに最も適している。逆に最も向かないのが、弾丸に魔法力を込められない銃器)
 巨大甲虫は牙を左右に開き、じわじわと間合いを詰めて来る。一定距離を突破した瞬間、少女達の柔らかい肉を食い破らんとばかりに襲い掛かって来るだろう。
(……セリーヌさんの方を襲ったら、あたしはちょっぴり屈辱的かも)
 そういう事を考えている場合ではないはずだが、余計な事をつい考えてしまうローラだった。
 唸り声も発さずに――そもそも鳴けない可能性も高いが――、じりじりと接近する巨大甲虫。転んで頭を打ちあっさり絶命してくれないか一瞬期待するが、それはちょっと虫が良すぎるというものだろう。以前そういう事があったとさくら亭のパティから聞いているのは、蝦と蟹を合成したような怪物で虫ではなかったが。
 一瞬空気が止まり――
「エーテル・バースト」
 セリーヌが静かな声で精霊魔法を使い、全身に虹色の光を帯びた。警戒して巨大甲虫はやや体を引くが、その程度で逃げたりする様子はない。やはり空腹気味らしい。
 緊迫感に満ちた一瞬にも永遠にも思える『間』を体感した刹那、二人と一匹が弾かれたように行動を起こす!
「行くわよっ! ソニック・ブレイク!」
「ジ・エンド・オブ・スレッド!」
 ローラが錬金魔法による超音波で虫の甲殻を劣化させたその瞬間、虹色の光に包まれたセリーヌが体内の「気」を爆発させる。
 そして。
 セリーヌの剣が虫の外骨格を突き破り、ずたずたに引き裂いて体液と肉片を飛散させた。そのまま剣の軌跡は虫を両断……というよりはいびつな形に引き千切り、原型を留めない頭部をぐしゃぐしゃに潰して地面に叩き付ける。虫の生命力はそれでも、理不尽な運命に抗うように足を振り下ろしてセリーヌに一矢を報わんとするが、ほとんど動かずにかわされて空しく爪で空気を掻いた。
 地面に散らばった虫の一部も動き続けたが、しばらくしてゼンマイの切れた人形のように動かなくなっていく。びちびちと撥ねる黄色い体液は、セリーヌを包む虹色の光に弾かれた。
 唖然として凍り付くローラの前で、セリーヌが振り返ってにっこりと微笑み……。
「…………」
「……どうしました、ローラさん?」
 あれこれとローラの頭の中に言いたい事が溢れ返り、そしてありったけを一まとめにして心の底から叫んだ声は――
「セリーヌさん強過ぎー!」
「そうよ! セリーヌがこんなにしちゃうから標本作れないじゃない!」
「ボクの宿題はどうなるのさー!」
 ……………………。
「……で、マリアさんとトリーシャさんはここで何をしてるんでしょうか?」
 ぎぎぃ、と糸目を鋭く細めてセリーヌが体液と肉片にまみれた剣を構えると、まるで自分達が虫であるかのように諸悪の元凶(ローラ断定)は凍り付いた。

>>>

「へえ。学校の宿題で魔法をですか」
 虫の数が減ったおかげで、セリーヌは暑苦しいフードを外していた。まだ汗を拭いて喘いでいるローラとは違い、あまり暑さがこたえない性質らしい。
 なお巨大甲虫は既に複眼も色褪せて、生命力を流失した肉とキチン質の残骸が生暖かい空気を放っていた。虫の大群だった黒焦げの残骸も、空気に苦い味を漂わせている。当然ながらその居心地の悪さに、セリーヌを除く三人――ローラ、そしてローラたちの知り合いであるマリア・ショートとトリーシャ・フォスターは必死に耐えていた。
「うん……マリアじゃなくてボクの宿題だけど」
「へ〜、ほんとーにマリアちゃんは何もしてないの?」
 現行犯の言い訳を聞くようなローラの目は、言葉以上にその内心を雄弁に語りきっていた。
 つまり。
「ぶー☆ ローラは『マリアちゃんがトリーシャちゃんに無理やり協力させて何か変な魔法使ったに決まってる』とでも言いたいんでしょ!」
「自覚症状あるんだったらちゃんと認めて! 泣くわよママが!」
「自覚症状ってどういう事よ! それにママなんて知らないわよマリアは!」
「ふーん、それじゃマリアちゃんはどこから生まれたのよ?」
「そんな事はどうでもいいー! マリアはパパがいれば満足だもん!」
「そーいう事を言っておいて、いっつもモーリスさんに迷惑掛けてばっかりじゃないの!」
「あのぅ、つまりどういう事ですかローラさん?」
 『話の腰を折る』を体現するようなタイミングで、ぼそりとセリーヌが口を挟む。当然マリアの不機嫌度は上昇するが、構わずローラはセリーヌの相手をした。
「騒ぎに魔法が絡めばそれはイコール、マリアちゃんの仕業だってゆー事なんだけど」
「変な公式を作らないでローラっ!」
 思いきり心外らしく、額に青筋を立ててローラに詰め寄ったマリア。ローラより九十六歳年下――もとい四歳年上というより、同い年のようにしか見えない。
「でもねぇ、ジョートショップのゴキブリ退治に失敗して数を十倍に増やしたのも黄金魔術に失敗して山を焼いたのも学食のおばさんのために作ったヨーグルトが無限に吹き出して街中を埋め尽くしたのもシェリルちゃんが小悪魔に憑かれたのも惚れられ薬であたしやアリサおばさまやアルベルトさんやドクターがジョートショップのお兄ちゃんを誘惑したのも亜空間に捨てたゴミで店中散らかしたのも火炎地獄の呪文で雷落とした上に爆炎地獄の呪文で美術館を水浸しにしたのも移動動物園の檻を軟らかくして動物逃がしたのも眠りの魔法で孤児院の子供が永遠に眠り続ける寸前だったのも逆治癒魔法でクラウド医院の怪我人を増やしているのも、みーんなマリアちゃんの仕業じゃない」
「そーゆーつまらない事ばかり覚えないでよ! マリアもやる時はちゃんとやるんだから!」
「あと、ルーさんのタロットを机の中から無断で拝借したのと禁帯出の魔導書を図書館から勝手に持ち出すのは窃盗罪になるのも覚えておいてね。ちなみに窃盗罪の最高刑は神器・魔法戦略兵器・邪術器窃盗に適用される霊魂破滅刑なんだけど、実際に行われたケース第一号になっちゃダメよマリアちゃん」
「うるさーい!」
 そう口では言うものの、三年近く前に美術館からタナトスの魔法書を盗み出した事がばれていなかった事にマリアは安心して溜め息をついた。未だに自警団に籍を置いているローラには、当然マリアを逮捕する権利も義務も存在する。
「……話を元に戻すけど、それじゃどーしてマリアちゃんがここにいるのよ」
「今ここにいるのは、トリーシャに頼まれてなの!」
 とマリアが口にした途端、ローラとセリーヌがトリーシャの手をぎゅっと握り締める。
「トリーシャちゃん、人生捨てちゃダメよ!」
「そうですよ。危険な真似をなさらなくても私が相談に乗って差し上げますから」
「あたしが力になれなくても、エルちゃんとかシーラちゃんとかパティちゃんとかメロディちゃんとかイヴちゃんとかディアーナちゃんとか由羅さんとか、他にももっと大勢いるでしょ?」
「友達というのは大事な時に助け合うためにいるんですから、遠慮なさらないで下さいね」
「そうだね。ボクもう少し考え直すよ」
 何の躊躇も無く、薄情にもあっさり納得するトリーシャ。
「裏切らないでッ!!」
「というのはさておき、トリーシャさんは何をマリアさんに頼んだんですか?」
「昆虫採集に使える呪文を教えてもらったんだ。難易度は専門家的に言うと低いんだけど、専門家じゃないと構成がややこしくてちょっと無理かもしれないレベルの物」
「う〜っ!」
 やはり無視されて頬を膨らませているマリアを気にしながら、トリーシャはセリーヌに正直に白状する。
「珍しい虫を取りたくて虫寄せの呪文を使ったんだけど、妙な具合に暴走しちゃって……」
「ぶ〜☆ せっかくマリアが手伝ってあげると言ったのに!」
「でもマリアって高い魔法力を中途半端な構成に注ぎ込む上に、勝手にアレンジ加えて暴走起こしやすいパターンに勝手にしちゃうし」
「それで成功するはずだから大丈夫☆ だってマリアだし♪」
「へぇ」
 そこで一瞬空気が冷えて、引きつった笑顔のトリーシャがマリアに向き直った。
「隊長さんに教わったおしおきフルコースをするよ。ジョートショップのあの人とどっちがきついかなー」
「う……隊長も女の人みたいな見掛けして、あいつ以上に鬼畜なトコあるし」
「そーそー。せっかく精力――じゃなくて栄養の付く食事を作りに行ったのに、日記に『なに期待してるんだかトリーシャは』なんて書いてるもんねぇ」
「……………………てゆーかトリーシャちゃん……日記を覗き見しちゃダメでしょ」
 思わず呻き声を洩らすローラだが、そこで一番肝心な事にやっと気付いた。
「とゆー事は……本当にマリアちゃんだけの責任じゃなくて……」
「……この騒ぎはそもそも、トリーシャさんの仕業だったんですね〜?」
「え〜と……」
 ローラと――特にセリーヌにぎごちなく視線を向けられて、顔が蒼白になるトリーシャ。
「あれはさほら、よく世に言う不可抗力ってやつなんだ」
「責任逃れをするのは悪い子ですよ」
「でもさ、ボクも十八でもう大人だし……」
「責任逃れをするのは悪い子ですよ」
「ほら言うじゃない。『過ちは人の常、赦すは神に近く――』なんたらかんたらってね」
「続きは『――押し通すは悪魔の性』ですけど。それはさておき責任逃れをするのは悪い子ですよ」
 虫と枝葉で遮られた鈍い陽光が、身動き一つしないセリーヌとトリーシャを照らしている。
 先ほど倒した巨大昆虫の嫌な臭いを含んだ風が、ぱたぱたとマリアのケープとローラのマントをはためかせ……。
「……ごめんなさいもうしません許して下さい」
「では許しましょう」
 声と共に、あっさり緊張感が霧散する。
「まったくもう。マリアは天才なのにトリーシャが足を引っ張るからいけないのよ!」
「ボクはマリアみたいな無茶しないってば! そりゃまあ注意力散漫だってお父さんや隊長さんにしょっちゅう注意されるけど!」
「……二人とも虫の群れに放り込んだ方が、エンフィールドの未来のためになるかもね……」
 ローラは呆れながら、『もうどうにでもして』と言わんばかりに肩をすくめる。このまま放っておいてもそのうち虫寄せの魔法は切れるだろうが、むしろ余計な事をして状況を悪化させる方が怖い。
(……特にこの場合はマリアちゃんがいるし)
 ではトリーシャはどうなのか、と聞かれても答えに困るが。ジョートショップの青年にローラ共々初恋していた頃はトラブルを収拾する側だったはずなのに、第三部隊の隊長に揃って好意を抱くようになってからは週刊の新聞さながらの頻度でトラブルを発生させ続けている。それも隊長が関連せざるを得ないように。ディアーナとトーヤの関係に似ているようだとローラは直感的に思ったが、あながち間違いでもないだろう。
「さ、もー帰ろうセリーヌさん」
「はい〜」
 ローブの裾をぱんぱんとはたいて、ローラとセリーヌは立ち上がる。
 とその時、不意にトリーシャが元気に――そう、後のローラにとって恨めしいほど元気に声を上げた。
「その前にさ、みんなで虫寄せの魔法の解除を試してみない?」
「ちょっと……!」
 甚だしくまずい予感がローラの背筋をよぎるが、他の三人は既に行動に移っていた。
「それじゃ、マリアのフルパワーで解除呪文いっくよー☆」
「オッケー! ボクも全力で行くよ!」
「それは良い考えですねぇ。及ばずながら私も協力させて頂きます〜」
「待てぇぇぇ〜っ!!」
 その数秒後、逃げ出したローラを後に、この事件の元凶約二名とついでにセリーヌは反作用を起こした解除呪文に引き寄せられ数百倍の密度で群がる虫の群れに飲み込まれて酸素不足と高温、それに虫にたかられるおぞましい感触の前に気絶した。
 気絶と同時に呪文が解けて、一命を取りとめたのは僥倖としか言いようがない。

>>>

 結局、トリーシャの虫呼びの呪文はそれから五日後に効果が切れた。
 害虫が全滅して感謝した食料関係店(客足が減ったさくら亭や夜鳴鳥雑貨店、ラ・ルナを除く)及び農家を除いてエンフィールドの産業活動は百万ゴールド前後に及ぶ莫大な金額的損害を受け、自警団(第三部隊含む)も虫の死骸処理に一週間を費やす羽目となる。ジョートショップにも多大な臨時収入が入ったが、その分の過労で従業員が倒れたため結果的には損をした。
 この時からトリーシャはマリアと並び、魔法トラブルメーカー二号と呼ばれるようになったそうな。
「何でそーなるのさぁっ!?」
 もちろん、本人だけは自覚がない。

〈終〉


後書き

 えー、こんな話ですが読んで下さって有難うございます。まさか後書きだけ読むような人はいないと思いますが(汗)。
 この話は浅桐静人さんの「悠久交差点」に掲載された異常気象シリーズ「灼熱の街を行け」「氷点下の街の中で」「暴風の街に飛ばされて」の続編のつもりですが、内容はあんまり繋がっていません。しかし雰囲気的には共通した物を志向していますので、併せてお読みになっても損は無いはずです。
 細かいネタもあちこちに挟んでありますので、そちらにも注目してみて下さい。特にマリアの前科録、とてもお嬢様の物とは思えません(笑)。

 なお、「虫のどこが異常気象なんだ」と思われるかもしれませんが、地球上でもイナゴやバッタが大量発生して農作物を食い荒らす「飛蝗」という現象があります。日本でイナゴを佃煮にしたり旧約聖書申命記で虫では唯一イナゴだけを食用として認めたりしているのも、飛蝗対策としての意味合いがあるとされているほどです。シミュレーションゲーム「三国志」をプレイしている方なら、飛蝗の恐ろしさは身に染みている事でしょう。

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