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Good Night 第壱章

ダカヲ

『オレ、将来絶対に街の自警団に入るんだ』
 アルベルトがそう志しはじめたのは四歳の時だった。
 ちょうど彼の母親が妊娠して五ヶ月くらいの時。
 正確には五月上旬。
 彼がそう志しはじめたのには理由があった。
 別に街の自警団に憧れた訳じゃない。
 彼はそれまでは、ハンターになりたがっていた。
 森に遊びに行った時、彼の目の前に出現したモンスターを、槍一本で倒したハンターを見たのがきっかけだった。
 大したモンスターじゃない。
 ただのオオグモだ。
 少し武道や魔法に長けた者なら、5分と言わずに倒せるだろう。
 しかし、そんな事は問題ではなかった。
 彼の、その淡いブラウンの瞳には、長槍を振るい、一撃でモンスターを真っ二つにしたハンターしか映っていなかった。
 彼の中には、助けてもらった恩義よりも、彼への憧れが強く残ったに違いない。
 ありふれた、子供なら一度は夢見る事がある、自分の眼に『カッコイイ』と映った者への憧れ。
 構成されるのも、消え失せるのも早い、無茶な憧れ。
 そんな憧れを抱いたのが、彼が三歳くらいの頃。
 それからと言うもの、彼は毎日飽きもせずに家の近くの公園で、自分の身長の三倍近くある長い木の棒を振り回すようになった。
 彼曰く、槍の練習らしい。
 両親は、危険だからやめろと何度も言って聞かせたが、彼がそれをやめる事は無かった。
 そんな彼の練習が続いて、何ヶ月かで彼の母が妊娠した。
 彼は兄弟が出来るという事にこの上なく喜んだ。
 しかし、そんな事件があっても、彼が槍の練習をやめる事は無かったのだ。
 両親も半分あきらめたようで、やめろという注意が、ため息へと変わって、そのため息に「危険じゃない所で…」を付け加えるようになっていた。
 そして、四月中旬。
 母親のお腹も順調に大きくなっていき、兄弟の出生の事実が眼に見えてきた事でアルベルトの期待が日に日に大きくなっていっていた頃。
 その頃だった。
 彼が『自警団に入る』という志しを持つきっかけとなった事件が起こったのは。

 四月十三日。
 朝。
 彼は、今日も例外なく自分の身長の三倍近くある木の棒を持って公園へ出かけようとしていた。
 外へと通じる扉を開こうとして、彼は何かを思い出した様に立ち止まった。
「ああ、布、忘れてた」
 そう呟き、部屋へときびすを返す。
 部屋のドアを開き、中を見回す。
「あ、あったあった」
 彼はデスクの上にそれを見つけた。
 木の棒に巻く為の布だ。
「昨日、棒を掴んだ時トゲが刺さったからな」
 それをわしづかみ、また扉の方へ向き直る。
 そして、今度は本当に外に出たのだった。

 公園には誰もいなかった。
 この時間は誰もいない事を彼は知っていたのだ。
 それを考慮して、いつもこの時間に来ている。
 今の時間は、皆、起きて来て朝食を摂る準備をしている頃なわけだ。
 今日も存分に振り回せる。
 そう思うと、自然と笑みがこぼれる。
 他人に怪我でもさせれば、それこそ今度は本当に、力ずくでもやめさせられる。
 そんな事は絶対にしたくは無いからこそ、笑みがこぼれる。
「よし、やるか!」
 その誰に掛けた訳でなく、ただ自分に掛けた掛け声で気合を入れ、棒を構える。
 布は公園に来る道で巻いてある。
 今日はこれでトゲに刺さり、練習が出来なくなる事も無いだろう。
「一!二!三!一!二!三!」
 そんな掛け声と共に、アルベルトは目の前の何も無い空間に向かって三拍子で棒を突き出す。
 一、二でリズムを取り、三で大きく振りかぶり、本気で突き出す。
 この三拍子の素振りはいくつかの種類がある。
 今のように普通に突き出すだけの素振り。
 一で普通に突き、二で横になぎ払い、三で垂直に振り下ろす素振り。
 一で普通に突き、二で槍の後ろ側で横になぎ払い、三で今度は前側でなぎ払う素振り。
 などなど……。
 これら素振りを、一種につき二十回行うのだ。
 はっきり言ってこれでかなりの体力を消耗する。
 しかし、彼はこの後すぐに公園の周りを五周走る。
 公園の外周は距離にして、約200メートル。
 さすがに、これが終わると彼は二十分ほど動けなくなるが。
「……一!二!三!一!二!」
 これで二十回目。
 次の「三!」で、この三回連続突きだけの練習も終わりだ。
 次が最後の一突きとなる。
 そう思って、アルベルトは思いっきり振りかぶった。
 腰のひねりを大きく加えて、腕を出来る限り後ろに引く。
 そしてそこから、目の前の空間に敵を連想し、それにめがけて思いっきり……。
「きゃっ!?」
 思いっきり……、きゃっ?
「きゃっ……?」
 アルベルトは首を傾げながら、声のした方向を見た。
 すぐに目に入ってきたのは、およそ後ろ2メートル半くらいにあった大木の幹。
 この木の大きさは公園のシンボルにもなっているほどだ。
 大量に枝の隅々までつけた緑の葉っぱによって、大きな木陰が出来ていた。
 ここなら涼む時最適だろう。
 きっと春の風が、練習で火照った身体を優しく包み込んでくれる。
「あ、ごめんなさい。邪魔をしてしまったかしら……?不自然な風がこっちに向かってくるものだから、つい声を上げちゃって……」
 アルベルトが長々と悦に入っていると、木陰からそんな物腰のやわらかそうな、やんわりとした声が聞こえた。
 あ、木陰に人がいたんだな。
 声の主は、読んでいた本をパタンと閉じ、ゆっくりと腰を上げた。
 声の主は淡いピンクのワンピースを着た、すらっと痩せた女性だった。
 髪は艶やかな栗色で、後ろで結わえてポニーテールにしている。
 少し垂れ目がちな鈍色の瞳は、優しさをたたえていた。
 歳は16くらいだろうか?
 何にせよ、アルベルトより二倍近くありそうな背丈を見ても、年上なのは明確だ。
「貴方……いつもこの時間に、ここにいる?」
 不意に声を掛けられ、彼女に見とれるように見つめていたアルベルトは、しどろもどろに口を開いた。
「え?あ……。えっと……」
 そこで初めて気が付く。
 彼女の言った言葉。
 いつもこの時間に、ここにいる?
 と、言う事は、彼女もいつもこの時間にここにいる事になる。
「えっと……。そうだけど……。貴方はいつもここにいるんですか?」
 慣れない敬語を口にしている事もあったが、何より彼女の大人びた態度が、彼を戸惑わせていた。
「ええ。いつもいるのだけれど、貴方がいつも熱心に体操みたいな事をしているみたいだから、声を掛けにくくて……」
 体操みたいな事……?
 棒を振り回しているだけではあるのだが、体操と言われると複雑だ。
 彼自身は、槍術の練習のつもりなのだから。
「あ、はは……」
 ここで練習を始めて、半月余り。
 ずっと気付かなかった事が、なんだか気恥ずかしかった。
「それで、ここで何をしているんですか?」
「え?あ、実は槍の練習なんだ」
「へぇ。貴方、槍が使えるんですか?」
 アルベルトは首を横に振る。
「でも使いたいから練習しているんだ」
「でも……?」
 そう呟きながら、彼女は怪訝な顔をした。
「え?」
 そしてすぐに、何かに気付いたように笑みに変える。
「ああ、首を横に振ったんですんね。だから、『でも』なんだ」
「?」
 彼女は一人で納得したような顔をしているが、アルベルトには何の事かさっぱり判らない。
 彼は首を傾げるだけだ。
「とりあえず、立ち話もなんだし座って話しませんか?」
「え?ああ、うん」
 彼は奨められるまま、木陰に入る。
 すると、予想通り、心地良い風が頬を撫でた。
 そのまま、彼女と共に腰を下ろす。
「ここは好きなんです。だからいつもここで本を読んでいるんです」
 そう言って彼女は、微笑みながら本を見せてくれた。
 赤い表紙の分厚い本。
 しかし、表紙には一文字も文字は無く、ただ、ぶつぶつとした小さな突起が連なって記号のようなものを形成している。
 ぺらぺらとページをめくると、中もまた然りだった。
 中も一ページとて、文字の書かれたページは無く、表紙と同じ様にぶつぶつが連なっている。
「……何だ、この本?」
 言ってから、アルベルトは心底後悔した。
 たとえそれが何であったとしても、その本を貶すような言い方は、その持ち主をも貶す事になる。
 しかし、彼女の返答は笑顔交じりだった。
 それでも、その返答は彼を別の意味で驚かせる事になる。
「それ、点字って言います。目が見えない人のために、その点の連なりを頼りに読んでいく字」
「え!?目が……?」
「ええ、見えないんです。小さい時、ちょっと……」
 だんだん彼女の声が沈んでいくのを感じ、アルベルトは話題を変えた。
「えっと、貴方の名前は……?」
 すると、すぐに沈んでいた彼女の表情が微笑みに変わった。
「アティス・アーシィラです。貴方は?」
「アルベルト・コーレイン」
「そう。よろしくお願いしますね、アルベルトさん」
 彼女は、そう言って笑った。

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