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いつも流行最先端

浅桐静人

 トリーシャが残り少ないお小遣いをはたいて買い求めたのは、ウサギのブローチだった。流行の水先案内人の異名を持つトリーシャの読みでは、間違いなく次の流行はウサギグッズだった。そしておそらく、それは的中する。トリーシャは今や、流行をいち早く見抜くだけでなく、無意識に自分で流行を創り出してしまうことすらあるカリスマ的存在でもあった。
 だが、トリーシャがそういった流行アイテムを手に入れるための資金は、普段の生活費の無駄を削って、うまいことやりくりして貯めたお金だったりする。それもまたトリーシャの一面なのだ。そのせいで、食事の量や質が少しだけ落ちたりして、リカルドが密かな被害を受けているのだが、知られてはいない。もし知ったとしても、家庭ではトリーシャのほうが立場が上で、叱ろうにも後が怖くて叱れない。
 それはそうと、トリーシャが思い立ったときにはたいてい、夜鳴鳥雑貨店には平然とそれが並んでいる。しかも、さりげなく。ある意味、雑貨店の店主が流行を生んでいるとも言えるかもしれないが、それはトリーシャの気にするところではなかった。
「さてと、これでボクが一番かな」
 家に帰るまで、すれ違う人たちの姿を、悟られないように観察して、誰もまだウサギに関連するようなアクセサリーは付けていないことを確認していた。
 だが、1人、例外がいた。
「ねえねえ、もしかしてルーさんって意外と流行に敏感なほう?」
「……は?」
 いきなり声を掛けられたルーは、もともと不機嫌そうな顔を、さらに不機嫌そうにしかめた。ルーの服には、真っ白なラビット・フットがつり下げられていた。
「それ、ウサギの足でしょ」
「そうだが、それがどうした?」
 そう聞きながら、ルーはだいたいどういうことか分かりかけていた。
「ボクの読みでは、もうすぐウサギが流行りそうな感じなんだ」
「ずっと昔からラビット・フットは魔除けのシンボルだ。流行ろうが廃れようが俺には関係ないな。じゃあな、俺は用があるんだ」
 すたすたと歩いていくルーを見ながら、トリーシャは少しほっとした。分かりきったことではあるが、とりあえずルーは流行とは無関係の世界にいるようだ。
 そしてまた、すれ違う人たちを観察しながら家に向かっていた。
「あら、トリーシャちゃん」
 背後――正確には斜め後ろ――から声を掛けられ、瞬時に振り向いた。エンフィールド学園での友達エレナだった。つい最近知り合ったばかりなのだが、流行の話題で話が噛み合い、すぐに意気投合してしまった。
 そのエレナを見て、トリーシャは目を点にした。
「……うさぎ」
 エレナの服には、たくさんの飛び跳ねるウサギの絵。さすがと言うべきなのだろうか。流行に対する敏感さは、トリーシャとためを張るようだ。エレナはトリーシャのブローチを見つけると、にっこり笑ってみせた。
「やっぱり時代はうさぎよねっ」
「う、うん」
 トリーシャは今からまた買い物に出かけて、もっと目立つようなウサギグッズを手に入れようかとも思ったが、手持ちを考えるとそういうわけにもいかない。
 ひととおりエレナのおしゃべりに相づちを打ちつつ、流行とはいえどそこまでするもんじゃない、と自分を納得させた。
「それじゃ、また明日ねー」

 翌日、エンフィールド学園は妙なざわめきに包まれていた。着いたばかりのトリーシャは、すぐにその中心に向かっていった。
「ねえねえ、どうしたの?」
 いつもの調子で言ったのだが、誰かの答えを待つまでもなく原因は判明した。
「って、エレナ……」
「あ、おはよ、トリーシャちゃん」
 エレナのほうもいつもの調子、何気ない笑顔。しかしその顔の上にピンクのウサギが乗っているとなれば、さすがに「いつもの」ではない。
「ねえ、それってもしかして飼育小屋の?」
「そんなわけないでしょ? 私のよ。ほら、飼育小屋にいるのは白と茶色が二匹ずつと緑が一匹だけでしょ」
「あ、そういえば……」
 トリーシャは休みの日の飼育当番をやっていたことがある。その時のことを思い出せば確かにエレナの言ったのと同じだった。それ以来、増えたというニュースは聞いていない。
「それはともかく、そのまま授業受けるの?」
「できればそうしたいけど、できるわけないじゃない」
 ピンクのウサギは一時的に飼育小屋に入れられることになった。エレナは少しだけためらいを見せたが、もともと覚悟の上だったらしく、すぐに諦めた。
 それからは普通の一日だった。
 そんなエレナだが、学校の成績はそこそこよかった。抜きんでたものはないが、おおよそ悪いところが見当たらなく、何でもそつなくこなすオールラウンダーぶりを発揮していた。仲のいいトリーシャとしては、少しばかり悔しいところだ。ただし運動と家事と交渉に関しては絶対に負けない自信がある。
 しかし、何よりも『流行』の分野においては、負けるものかと常々闘志を燃やしているトリーシャだった。

 トリーシャは次なる流行アイテムを探していた。流行というのはいつ現れてもおかしくないし、広まった頃にはもう終わりの気配を漂わせているものだ。
 身の回りからウサギグッズが少しずつなくなりはじめていた。もうすぐ一気に消滅しそうな勢いだ。そろそろ次のものがちらほらと姿を見せはじめるだろうと見当をつけていた。いつ出てくるかということに関しては、さすがのトリーシャでも的中率はあまりよくない。早いうちから目を光らせておいて、根気よく待ち続けるのが一番と心得ている。
 ふと学校の帰りに飼育小屋を見ていくと、ピンクのウサギがいた。様子を見ていると、今やすっかり飼育小屋の住民と化しているようだった。この前エレナに聞いたら、「学園に譲った」と、明快な答えが返ってきた。エレナにしてみればそれで満足なのだろう。
「次は……風邪の流行とかじゃないといいけど」
 流行の水先案内人たるトリーシャが花粉症シーズンには真っ先にかかるというのは、有名な話だった。流行と名の付くものはなんでも吸収してこその称号、というわけでもあるまいに。
「★○……」
 不意に微かな、しかし聴いたことのない声、というか音を感知し、トリーシャは辺りを見渡した。
「何これ」
「◇−?◎●☆!」
 既存の音声学では分類不可能な音で、何やらしゃべっているようなのはなんとなく察したが、それ以上推察できるほどの能力はなかった。
 オレンジ色したほぼ球形の謎の生命体は、トリーシャの周りを飛び跳ねていた。なつかれてしまったものをどうすべきかも分からず、とりあえず動きを観察してみる。
 跳ぶ。跳ねる。回る。転がる。止まる。伸びる。ねじれる。その単純極まりない体から想像つく限りのあらゆる動作と、想像しえない幾つかの動きをランダムに繰り返している。
 なんかおもしろそう、トリーシャの抱いた第一印象はそうだった。
「あら、トリーシャちゃん。なに、その丸いヤツ?」
 エレナの声でやっとそれから目を離したトリーシャは、もう一度その丸いヤツをじろじろと眺めた。
「さあ」
 結局、出てくるの言葉はそれだけだった。
「それ、トリーシャちゃんの?」
「いや、別にそういうわけじゃなかったはずなんだけど……」
 トリーシャを中心にした疑似円運動を、伸びたり縮んだりしながら繰り返す丸いヤツ。放っておこうにもついてきそうな勢いだし、何よりこれが何なのか気になる。
「とりあえずそういうことにしといてもいいんじゃないかな」
「ふうん」
 意味不明な行動を、何を考えているのかさっぱり分からない表情で続ける丸いヤツを見ていると、そもそも自分が何をしようとして何を考えていたのか忘れてしまいそうだった。
「なんかとんでもない秘密を抱えてそうにも見えるわね」
「うーん」
 肯定もできず、否定もできず。
「−○!!」
 とんでもないくらい変なことだけは確かだったが。
「とりあえずがんばって飼い慣らしてみようかな」
「そう、それじゃあがんばってね」
 二人とも、どうなるのかは全く分からない。飼い慣らすということが可能かどうかすら。実際は、飼い慣らすどころか『育てる』ことまでできるのだが。トリーシャは無駄な推察を重ねはしたが、それが無意味になりそうなことも充分に承知していた。
 その後、この丸いヤツがどうなっていったのかは、また別の話だ。

 増えに増えた丸いヤツ。一種の騒動とでも言うべき流行の終わりをいち早く嗅ぎ取ったトリーシャは、まだ次なる流行アイテムの気配は察していなかった。
 時間を掛けて育てるものの流行は、当然、普通よりはかなり長い期間に及んだ。
「次の流行は、ちっちゃくてお手軽なものだと思うんだけどなあ」
 とはいえ、その予想が当たる確信などどこにもない。流行は時にはじっくり腰を据えて待つ事も大切だ。数ヶ月も先の流行を先読みしたところで、トリーシャにとってはあまり有意義ではない。流行が出始めた頃か、直前ぐらいがちょうどいい。
 そんな日々が過ぎていったが……。
 ある時、とあることが、エンフィールド学園全体に伝わっていた。グラウンドのど真ん中に、クレーターができていたのである。原因もはっきりしていた。
 マリアの魔法失敗。
 グラウンド中央で“どかん”ではさすがに証拠を隠すことも不可能だったようだ。さらに、その被害を修復しようと、さらにマリアが魔法を使おうとして周囲に止められたようだ。
 ここまでくると、誰に「ねえねえ、知ってる?」と話しかけたところで、「知らないわけねーだろ」と叩かれるのがオチなわけで、トリーシャの出番ではなかった。
「もうちょっとこっそりやってくれてもいいのになあ」
 ふてくされて、密かにひどいことを呟く。本音は本音だろうが、マリアの悪口を言っているつもりはてんでない。
 そんなトリーシャに向かって、廊下の向こうから走ってくる人影がひとつ。同じように噂が広まりすぎてつまらなく思っている一人なのかもしれない。トリーシャと適度な間合いまで詰め寄ったエレナは開口一番、
「ね、トリーシャちゃん、お料理教えてくれない?」
 そう言った。
「そりゃあ、別にいいけど……。なんでまたいきなり料理だなんて」
 突拍子もない頼みとまではいかないものの、全く予期せぬ内容ではあった。
「だってほら……いえいえ、ですから、お料理のできる女性のほうが人気らしいそうで」
 律義に口調まで変えるエレナ。これもある種の流行らしい。こういった類のものについては、トリーシャはあまり関心はない。ファッションや芸術、食べ物あたりがトリーシャの専門分野なのだ。もっとも、発展して色恋沙汰までいくと、関心の的になるのだが。
「それでは、夕方頃伺いますわ」
 去り際まできっちり口調を整えたままだった。エレナを包む不思議な雰囲気。
「ってぇ、今日!?」
 周囲の視線がトリーシャに集まる。困惑しながらも照れ笑いを浮かべるトリーシャから、視線は次第に逸れていった。
(うーん、そんなにいい材料もないし……)
 ひとり夕食のメニューを考えるトリーシャ。エレナに教えられるようなもの。エレナの料理の腕は未知数……できれば失敗してもどうにかなるものがいい。そして、家にある食材を検討。それほど大したものは作れそうにない。

 エレナを迎えての夕食作り。
 どうなるものかと思ってはいたが、案外どうにかなるものだ。というより、どうかしてもなんとか取り戻せるようにトリーシャが仕組んだのだが。
「どうもうまくいきませんねえ」
 器用でもないが、それほど危なっかしくもない手つきで、包丁を操るエレナ。にんじんの切り口が不揃いだが、まあ、それほど問題ではない。
「大丈夫大丈夫、きれいに切ったってどうせ煮込むんだから」
「それもそうですね」
 両手の動きが加速する。
「大胆に切るのはいいんだけど、薄ーく切るのはちょっとまずいと思うよ。カレーなんだし」
 動きがゆっくりになる。とす、とす、とす……
 その間に、他の準備を進めるトリーシャ。実はエレナが、料理にかかる時間を考えずに来たため、急いで作っているのだった。それでいて時間のかかるカレーなんてメニューにしてしまったのだから。
「これくらいでいいかしら」
「うん、いいんじゃないかな」
 いくつか輪切りや千切りもどきのにんじんがあるが、そこはもう見逃すことにしよう。
「それじゃあ、後はちょっと炒めて煮込んで終わりっ」
「え? でもまだ始めたばかりでは?」
「最初はそんなもんだって」
「はあ……」
 にんじんを切る作業しか手に覚えのないエレナ。それで終わり、ではやっぱり物足りないだろう。
「じっくり待つのも重要なんだから」
「なるほど。そうなのかもしれませんね」
 あっさりと引き下がる。そう言う細かいところにも、エレナの“流行”が見え隠れしている。ともかく残りの工程を手っ取り早く済ませるのが先決だ。
「あとはじっくり待つだけだね」
 ふたを閉めて火にかける。エレナは鍋をじーっと見つめている。あとどのくらいかかるのか、全く分かっていないらしい。
 そのうち気づくだろうと放っておいて、トリーシャはごちゃごちゃと洗濯やら掃除やら、暇つぶしを兼ねていろいろとしはじめた。
 だが、エレナはとりあえずのカレーの完成まで、じっくりと待ち続けていたのだった。

 そんなことがあって、しばらくの後……。
 学園の正面玄関で、トリーシャはエレナに呼び止められた。学科の違う二人は、あまり校内でばったり会うこともない。
「あれ? ボクに用事?」
「ローレンシュタインに行くことになったんだ」
 内緒話モードで言う。エレナの口調はとっくの昔に元に戻ってしまっている。
「ええーっ! なんでまたそんな急に」
「そんなに驚かなくてもいいと思うんだけど……。んー、いろいろあってね。あ、でもいいニュースもあるのよ」
 エレナはそっとトリーシャに耳打ちして、お得意の笑みを浮かべた。
 そして、次の瞬間にはもうトリーシャに手を振っていた。
「じゃあねー」
「う、うん。じゃあね」
 何が起こったのか分からない。そんな表情でトリーシャは手を振り返した。エレナの背中を遠くまで眺めたあとで、もう会うことも――少なくとも当分の間は――ないんだと初めて本当に理解した。
 最後にトリーシャに残したセリフは、こうだった。
「なんか、転校生の女の子ってのが最近の人気なんだって」
 まさかそんな理由で転校したわけじゃないだろうけど、と思いつつ、トリーシャはエレナのすごさにしばし言葉を失っていたのだった。
 それ以来、エンフィールドでエレナを見かけた人はいないが、時々トリーシャには「こっちじゃ新種の病気が流行してて、みんな大慌てなんだよ」とか、「ピアノができる子が人気っていうから、ちょっと友達に教えてもらってるんだけど、思ったより難しいんだよねー」とか、そんな手紙が舞い込むらしい。


あとがき

 お久しぶりの悠久SSです。一言で言い切ってしまえば、ストーリーとしての流れのない作品。うーむ。
 とりあえず何ヶ所かに遊び要素(?)が入ってます。分かる人は分かってください。分からない人は過去のSS読むとか、悠久シリーズをまたやってみるとか、ドラマCDに手を伸ばすとか、いろいろやってれば分かるかもしれません。
 ああ、待たせたかもしれないわりには完成度の低い作品(当社比)だ……。


History

2001/07/15 書き始める。
2001/08/31 書き終える。

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