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時の境界線

浅桐静人

 とある日、ショート科学研究所に奇妙な声が響いた。
「ふっふっふ……」
 彼の仮面の下に隠された顔を見た人は今のところいない。仮面を取ったときの“後ろ姿”だけは何度か目撃されたらしいが、それ以上踏み込んだという報告はない。
 この場に子供がいれば、怖くて逃げ出すかうずくまってしまうか、あるいは好奇心を煽られて大胆にも近づいてくるか。どちらにしても彼にとって利益はなさそうである。
 彼にとって幸運だったのは、この場に彼以外の誰もいないとことであろうか。
「遂に完成しましたよ。ふふっ……」
 笑いが止まらない。仮面の口の辺りが不自然に曲がったまま動かない。
「長年科学の課題とされてきた時間を超える装置。名付けて、小型タイムマシン! ……って、そのままでございますねえ。むむむ……私めは世紀の発明に相応しいネーミングをしなければならないのでございましょう。ふっふふふ、それもまた私に与えられた権限でもあるのでございますよ」
 小型。そう呼ぶだけあって、相当なミニサイズである。手乗り文鳥サイズの平行六面体。表面に刻まれているのは様々なリサージュ曲線。それらに意味があるのかどうかは不明だ。描かれた模様はともかく、形は立方体か直方体にでもしたほうが効率はよさそうだ。
 ハメットは満足げに黒光りする平行六面体を持って、よさそうな名前を考えながらうろうろと研究所内を歩き回っていた。そして、足下に散らかった研究機材のひとつにつまずいて盛大にすっ転んだ。
「かーっ! 誰ですか、こんなところに酢酸水溶液の空き瓶をほったらかしにしておいたのはっ! ……はて、この瓶は……」
 ぴた、と動きが止まる。
「おーっほほほ、私でございましたか。はあ、自分で散らかして自分で転ぶなんて情けない話でございます」
 周囲に誰もいないのが救いだった。ちなみにその空き瓶の他にも『ホルムアルデヒド水溶液』やら『白金王水溶液』やらの瓶がそこらじゅうに散りばめられている。それらが小型タイムマシン(仮)に必要な薬品だったかどうかは謎である。
「そんなことよりですねえ、この世紀の発明に素晴らしい呼び名を……はて?」
 虫眼鏡無しで手相を見るように手のひらをまじまじと見つめるハメット。
「はっ、どこにいってしまったのでございますかーっ?」
 ハメットは慌てに慌てて、転がる瓶やら機材やらに何度も躓き、時には踏みつぶしたりもしながら特徴のある平行六面体を探し続けた。
 必死の探索の甲斐もなく、その日、謎の黒い発明品は彼の前に姿を現すことはなかった。

 とある日、マリアが暇を持て余して意味の分からない呪文を唱えながら歩いていると、
「あたっ!」
 頭上から予期せぬ落とし物が降ってきた。
「何なのよ、この……」
 言いかけて、その形をどう表現していいのか分からず、しばし沈黙する。
「妙な物体はぁーっ!」
 気に入らないことでもあったのか、マリアは何も考えずそれを蹴り飛ばした。鮮やかな放物線を描いて飛んでいく小さな黒い物体は、マリアの想像の上にしか存在しなかった。撃力を加えられた物体は、足から離れた直後に忽然と消えてしまったのである。
「……なんだったんだろ、あれ。ま、いっか、ちょっとだけすっきりしたし☆」
 魔法でヤシの実を頭上に落としたり、炎の呪文で吹雪を起こしたりする彼女には、些細なことだったのかもしれない。
 特に気に止めずにまた歩き出してしばらくすると、今度は後頭部に打撃を受けた。以前に受けたトリーシャチョップは想像以上に痛くなかったが、それよりも緩い攻撃だった。
「マリアに恨みでもあるのっ!? このサイコロもどき!」
 さっきと同じ黒光りする物体に向かって怒鳴りつける。直方体を傾けたような、妙なデザイン。平行六面体などという言葉はマリアの頭の辞書にはなかった。
 何の変化もない。一度ならず二度までも襲ってきた箱は、冷静に見ている限り、ただの怪しい箱でしかない。そう、怪しい。睨んでいるのもばかばかしくなってくる。
「ルーン・バレットぉ☆」
 マリアは前触れもなく呪文を唱えた。蹴ってダメなら魔法攻撃。
「……あれ?」
 へなへなっと火の粉が黒い箱に乗る。
「ええいっ、アイシクル・スピアーっ☆」
 氷柱が黒い箱の上に勢いよく落ちる。氷は花火のように粉々に砕け散ったが、肝心の謎のサイコロもどきは存命だった。魔法はやや失敗とはいえ、氷塊の衝撃を受けて無傷とは、かなりの耐久性だった。
 別に壊れても得はないが、魔法至上主義のマリアとしては、どうにも納得がいかない。
「こうなったら必殺、ヴァニシンぐああああ」
 本日三度目の攻撃も、予期せぬ所からやってきた。
「エンフィールドを壊滅させる気か?」
「そんなわけないでしょっ!」
 マリアは自分を突き飛ばしたアレフに抗議の叫びをあげた。当然の反応だが、アレフは自分の正当性を主張する。
「いや、今までも何度マリアのはた迷惑な魔法のせいでエンフィールドが滅びそうになったことか……」
「そんなの一回もなったことないでしょっ!」
「いいや。街をヨーグルトで埋め尽くしそうになったり、大洪水引き起こしたり……って今さらながら、お前って無茶苦茶やってるよな。自警団に捕まったりしないのが不思議だ。いやー、実に不思議だ」
 終いには感心するところまでいってしまったアレフに反論する気を削がれたマリアは、アレフへの反撃準備を完全に整えていた。
「いやー、実に……」
「しつこいっ、てなわけでヴァニシングノヴァっ☆」
 百に一つくらいの低確率で稀に発動する“普通の効果”がアレフを襲撃する。爆風に包まれたアレフは、文字どおり振り向く間もなく吹っ飛ばされていった。
 ちょっとやりすぎた感はがなくはなかったが、どっちみち威力のコントロールなどできるはずもないのであまり気にしすぎないようにする。
 そしてそこに残ったのはマリアと黒い謎の物体だけになった。
「で、結局これってなんなんだろ?」
 謎の解決に向けての第一歩は、まだ踏み出されていなかった。

 おかしいでございますねえ、というセリフが何度飛び交ったことか。しかし一度たりともその発信源である人物以外の耳には入っていない。
 ハメットは誰もいない――というのもまた奇妙なことではあったが――ショート科学研究所の隅から隅まで探り回って歩いていた。玄関も、そのとき完全に密室だった部屋も、おおよそ探し物がそんなところにはあるわけないと断定してもよさそうな場所でさえも念入りに。カギの掛かった引き出し、薬品棚、靴箱の下、それらも例外ではない。しかし見つからない。
「どこにもないでございますでございますねえ」
 今にも泣き出しそうな声で、二重に丁寧語を使っていることにも気づかずに嘆く。
 仮面の所々を歪ませながら、ハメットの無駄な努力は続く。

 マリアはやっとその一歩を踏み出した。自分の屋敷へと。大量に魔法書を抱え込んだ自分の部屋へと。その大半が、読むことすらできないものであるのはこの際、どうでもいい。もしかしたらどうでもよくなかったりするかもしれないが、今はこの謎の物体と同じものが挿し絵にないか確かめるだから、今は関係ない。
「ない」
 二冊目を手に取ったとき、すでにマリアの諦めモードに首を突っ込みかけていた。
「こうなったマリアの魔法でっ」
 手早く紋章を組んで、意味不明の呪文を唱える。本人が理解しているかどうか、それは誰も知らない。
「やーっ☆」
 マリアの部屋の魔法書が一斉に光を放ち、マリアを包み……
 マリアはどこか知らない場所にいた。隣にあるのは一冊の本と、サイコロもどき。
「えっと、ここがどこかは分からないんだけど……」
 髪を指でぐるぐるいじりながら、一冊だけ手元に残った本の開かれたページを覗き込む。そこには、色や模様こそ違えど、どことなくサイコロもどきに似通ったところのある物体が記載されていた。
 説明文に目を通す。
「平行六面体。三組の相対する面がそれぞれ平行な六面体」
 棒読みだった。
「なにが“へいこうろくめんたい”よっ!」
 分厚い本は辞書か数学の参考書か、そういうものだったのだろう。なぜそんなものがそこにあったのか知る由はないが、大方、豪華な装飾を見たマリアが魔法書と勘違いして手に入れたといったところだろう。
 その本がマリアの興味の範疇外だったことだけは確かだ。そして、とりあえず一単語、マリアに覚えさせた。平行六面体。だからどうだと言われても困る。せいぜいサイコロもどき、サイコロもどきと繰り返して馬鹿にされることがなくなったくらいだ。
「ところで、ここどこ?」
 四方八方、天も地も仰ぐ。マリアの記憶の中にこんな風景はない。閉ざされた空間。狭い部屋。とりあえず目の前にあった扉を開いてみる。
「……こうなったらもう一度開発してやるのでございます。こんなことでへこたれていてはハメットの名が廃るでございますよっ」
 マリアは無言だった。思いっきり聞き覚えのある声だったが、今は馬鹿にする言葉のひとつでも残していく以前に、この場から立ち去ろうと思った。
 モーリス・ショートの愛娘であるマリアに、そうそう強気な言動は取れない、冷静に考えればそうなのだが。
 抜き足差し足忍び足を心がけるほど、うまくいかないもので、何度もドタドタと床が鳴ったが、ハメットが気づいた様子は全くなかった。音も耳に入らないほど何かに熱中しているのだろう。
 マリアは平行六面体を抱えてショート科学研究所の扉を抜けた。当たり前と言えばそれまでだが、見慣れたエンフィールドの街並みが広がっていた。
 黒い謎の物体だけが、マリアに現実離れした世界を見せている。それさえなければ何気ない日常なのに。
「マジックアイテムか何かかな」
 結晶型のマジックアイテムは世の中に有り余るほど存在する。デザインも特に決められたものではなく、作製者のセンスに委ねられる。
 作った人はまともな感性してる人じゃないな、とマリアは思った。
「で、そいつは結局何なんだ?」
「だから今それを考えて……って、なんでアレフがここにいるのよ」
「そりゃ、散歩だろ」
 ムーンリバー沿いの小道。確かに絶好の散歩コースだ。
「……ていうか、その前に言うことがあるだろうが」
「……何を?」
 マリアの頭脳は、あまり多くの物事を同時に考えるようにはできていなかった。
「でさ、アレフ、これ何か知ってる?」
「さりげなく話題を変えようとするなっ。いや待てよ、これと似たようなデザインの何かが……」
 マリアはアレフの次のセリフに耳を傾けた。神経を集中させて、聞き逃すまいと。
「あった記憶はないな」
「ヴォーテックスっ☆」
 感情に任せて放った突風の魔法は、爆発を伴った強烈な衝撃波となってアレフを空の彼方へと吹っ飛ばした。
「あ、そういえばヴァニシング・ノヴァ撃ったっけ」
 今さらのように、悪びれもなく思い出した。
「ま、いいや」
 マリアにとってはどうでもいいことだった。それよりも、今はこのサイコロもどき改め平行六面体の……
「って、あれ?」
 なくなっていた。しばらく探してみたが、どこにもなかった。
 結局、お決まりの「ま、いいや」でこの日は終わりを告げた。

 数日後の真夜中、ショート科学研究所に奇妙な声が響いた。
「ふっふっふ……」
 彼の仮面の下に隠された顔を見た人はやっぱりいないらしい。
「ご覧下さい、この素晴らしき小型タイムマシン二号。……もちろん仮称でございますよ」
 いいネーミングはまだできていないらしい。そんな補足を丁寧に聞いている人などいるはずもない。そもそも、ショート科学研究所にはハメット以外の人間は皆無である。
 ハメットが握っているのは、深い青紫で、怪しげな金属光沢を放つ正十二面体。言うまでもなく面はすべて正五角形。おそらく正多面体の中で一番作りにくい形状である。そんな形にする必要はどこにもない。平面で球に近づけたいのなら、正二十面体のほうがいいし、そのほうが作りやすいのをハメットが知らないわけがない。知らないとしたら、よほど偏った知識の持ち主である。……あるいはそれこそが的を射た表現なのかもしれないが。
 その12個の面には、数値を微妙に変えた12個の正葉曲線がひとつずつ刻まれている。
 しかし、一号から数日、あっさりと二号を作り終えてしまったのである。
「これに秒速約40メートル、すなわちおよそ時速144キロの速度を持たせたら、なんと時間軸を超えてしまうのでございます!」
 越えるべきハードルは時速144キロ。人が走ってこのスピードを出すのは無理だが、小さな物体にこのスピードを与えるのは、大したことはない。蹴飛ばすなり、長い棒で打つなり、爆風に巻き込むなりすれば、あっさり必要条件を満たす。
 で、時の境界を突き破ってどこかに行ってしまうのは、かなりの初速度を与えられた妙な物体だけ。
 その後、ハメットの発明が実用化されたという情報はない。


あとがき

 なんとも久しぶりになってしまった。前回の「気晴らしミッション」が9月。これが2月。悠久ミニストーリーはいつの間にか投稿作が増えていた。で、僕はこの調子。まあ、いいのか悪いのかはともかくとして……。
 やはりオリジナルの長編なんぞを書いていると、こっちにはなかなか手が回らない。そもそも僕は受験生。受験勉強をネタにすればHP更新なしでも言い訳ができる。(爆) とか言いつつ、更新周期きっちり守ってたりする僕。
 そんなわけで(?)、悠久SSのほうはかなり書く量減ります。いや、減ってます。これからも少なめでしょう。
 少なめどころか、これがラストになったりしないことを祈りつつ……あとがき、終わります。


History

2001/01/09 書き始める。
2001/02/08 書き終える。

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