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氷点下の街の中で

浅桐静人

 初夏の陽射しの強い日。そう、蒸し暑く、歩く人は汗を流しながら、少しだらけた感じになってしまうような季節のはずだった。
 部屋の中では、さほど暑さを感じなかったため、外の気温も全く考慮しないで、ピンク色の髪に赤いリボンのカチューシャを付けた少女、ローラ・ニューフィールドは、元気よく扉を開けて、街に繰り出した。
 外は、夏なのにあまり暑いとは思わなかった。いや、暑さなんて、これっぽっちも感じなかった。それどころか、ちょっとばかり寒いとすら思った。
(寒い?)
 いやいや、それでは表現が物足りない。当然ながら薄着だったローラの全身の皮膚に、刺すような痛み。原因が、この恐ろしいまでの低温だと判るまで、頭脳をフルに、十数回転から数十回転ほどさせた。
 時間が経つに連れ、回転がかなり悪くなってきて、はっきり言ってやばいと思い始めてきた。
 我に返ったときには、さっき開けた扉に向かって、全速力で走っていた。
 教会の中は、外界の気温とは全く無関係に、暖かみが感じられた。晩春の、まだあまり暑くなっていない頃なら、これでしっくりくるかもしれない。
 ローラは自分のかじかんだ手の、指の一本一本に息を吹きかけた。正確には、吹きかけようとしたら重心の移動がうまくいかなくて、不様にもこけた。
 あらためて、手も足も冷え切って、うまく動かせないことを知った。起きあがることすらなかなかできなかった。仕方なく、ローラは横になったまま、吐息で手を温めるのだった。

「兄様、早くなさらないと遅れてしまいますわ」
「わかってるって。だいたいな、お前が食事はよく噛んで食べろとか、準備がどうのとかいちいちうるさいから……、ああ、もういい。行ってくるぞ」
 ごたごたと文句を付ける時間の余裕などない。アルベルトは愛用の長槍を掴んで、急いで外に飛び出た。
「ぐおっ!?」
 慌てて舞い戻ってきた兄に向かって、クレアは怒鳴りつけた。
「兄様! 仕事に遅れます!」
 アルベルトが反論する暇も与えず、強引に送り出す。
「うおぉ、この程度の寒さに負けるかあっ!」
 絶叫にも似た雄叫びをあげて、自警団事務所へと全速力でダッシュした。団員寮から事務所までの長い距離は、過酷だった。
 一方、
(寒い?)
 現状を知らなかったクレアは、叫びの意味を不思議に思いながら、扉をくぐる。
 外は、もうすぐ訪れる本格的な夏を感じさせる暖かさ、の欠片も感じさせてはくれなかった。寒さの極みに達したような超低気温が、初夏の意識をまっさらに消し去っていった。
 この中を、果敢にも走り抜けていった兄を心配し、気の毒に思ったが、さすがに追いかけていくわけにもいかなかった。

 珍しくローラより遅れて起きてきたセリーヌは、ローラが足下にいるのにも気付かず、窓の外を眺めた。
 まさか、テーブルの下で誰かが眠っているとは思いもしない。いびきでも聞こえてくれば気付くだろうが、静かな寝息に敏感に反応するセリーヌではない。
 セリーヌ・ホワイトスノウ。その名前を彷彿とさせるような、雪だるまの絵が描かれたエプロンを着用している。夏場でも然り、季節はずれでも、気にする様子は全く見受けられない。
「今日もいいお天気ですねえ」
 まるで忍者が歩くように、微小な足音すらたてずに、しかも何気ない表情で歩いて、外に出ようとする。
 何が起こしたかは不明だが、同時にローラも眠りから覚めた。こちらからなら、セリーヌの後ろ姿ははっきりと見える。
「セリーヌさん、外に出るとホントに、寒いよ」
 と、声に出したつもりだったが、声を出す機能も、まだ完全回復には至っていなかった。必死の警告も虚しく、セリーヌは扉を豪快に開け放った。
 と同時に、流れ込む街の空気。言うまでもなく、部屋の中との温度差は著しい。見た目からは絶対に想像できない冷気が、セリーヌを攻撃する。
 と、ローラは思っていた。が、予想に反してセリーヌはびくともしない。それどころか、寒い空気が入ってきて自分も被害を被ることもなかった。ただ、温度差のない風がローラの髪を揺れ動かすにとどまった。
 あの恐ろしいまでの寒さは、夢か幻か。確かにあれは現実離れしてた。そう思い直した頃に、セリーヌはあわてて、それでもゆったりとした動作で、教会に舞い戻ってきた。
「おかしいですねえ。まだ冬ではないと思ったのですが……。今年はいつもより早く冬が来たのでしょうか」
 ローラはひどい脱力感に見舞われた。
「夏が来る前に冬が来るわけないと思うよ、セリーヌさん」
「あら、ローラさん。おはようございます。外はとっても寒いですよ」
 どうしてこう不可解な現実を、いとも簡単に甘受できるのか不思議でたまらなくなったが、行きつく先は、“セリーヌさんだから”という、分かったような分からないような答えにしかならなかった。
 そういうわけで、ローラもセリーヌも教会から一歩も外に出ることはできなかった。

 意識が半分消えかかった状態で、アルベルトは呆然と事務所の扉の前に立ちつくした。
 いつもなら開いているはずの扉には、無情にも鍵がかけられている。アルベルトの他に、この異常気象のさなかに、事務所まで来ようなどと思う人がいるだろうか?
 低下した思考能力をフルに活用して、次にすべきことを考える。当然、この寒さを凌ぐのが先決に決まっている。災害対策センター、いや、閉まっているはずだ。グラシオコロシアム、これも同じ。ショート科学研究所、開いている可能性はなくもないが、希望は薄い。とすると……。
 アルベルトはためらいもなく、フォスター家への最短距離を急いだ。寒さは、体の熱を容赦なく奪っていく。

 ローラとセリーヌに、ネーナを加えた三人は、季節はずれの暖かいスープを飲んでいた。教会の中は、晩春ぐらいの気温だった。朝と比べて、少し温度は上がっただろうか。
 だが、窓や扉を越えると、一転して壮絶な寒さが待ちかまえている。なぜか外の冷気が壁越しに伝わってこないのが、せめてもの救いだった。
 本来はもうすぐ夏なので、暖房の用意などない。もし寒さが室内まで押し寄せたなら、毛布にくるまってじっとしているか、あるいは闇雲に走り回ってでも暖まるかする以外の対処はないと言ってもいい。
 ついでに言うと、そんなことでしのげる寒さではない。
 なにしろ、風もないのに窓がギシギシと音を立てるほどに、中と外の温度差は激しいのだ。
「とにかく、このめったやたらに異常な寒さの原因を探し当てないと」
「ですがあ、外には出られませんよお」
 ローラの第一声は、セリーヌの正論に掻き消されて敢えなく散った。
「そんなに寒いんですか? にわかには信じられないんですけど」
 ひとりだけ、今日まだ外に出ていないネーナが呟く。すぐに、身をもって寒さの恐ろしさを体験したふたりが力説する。
「もう、あれは寒いって言葉じゃ全然足りないよ」
「とおっても寒いんですよ。困りましたねえ、とうぶん外には出られません」
 室内では屋外の気温を伺い知ることはできない。未知のものに対する議論は、いやが上にもシスターの好奇心をくすぐった。
「私も一度、外に出てみましょうか」
 と、言った途端に、強い反論が飛び交った。
「だめ、絶対だめ。命が惜しかったらやめたほうがいいよ」
「そうですよ。自分の命は大切にしてください」
 そんな大げさな、と反論に反論しかけたが、ふたりの表情が並々ならず真剣だったので、すんでのところで口をつぐんだ。
「そこまで言うのでしたら、私も押し切るつもりはありませんが」
 うんうんとうなずくローラとセリーヌ。
 することも、できることも何もなく、ガラス越しに街を眺めると、少しだけ雪が舞っていた。
「ゆ、雪ぃ!?」
 ローラは信じられないという表情だ。
 隣で、セリーヌは「きれいですねえ」と、気楽に落ちてくる雪を観賞している。
 もし、冬の寒い時季に降ってきたのなら、ローラも喜んで外に飛び出しただろう。なにしろ、エンフィールドで雪が降るのはごく稀なことなのだから。気温が氷点下になるのも、年に一度あるかないか、その程度でしかない。
 冬でも見られない冬の風物詩が、少し早いとは言えども、対局の夏に見られるなんて、季違いもいいところだ。
「そりゃあ、こんな気温でいまさら驚きはしないけど」
 さっきまで大いに驚いていたローラがうめく。
「もう、本当にもうすぐ夏なわけ?」

 大きなくしゃみが、空気を揺るがすほどに響いた。余韻が消えたのが確認できるまで両耳を手で押さえていたトリーシャが、珍しいものを見るかのように、毛布にくるまって体を温めているアルベルトを見やった。
「こんな寒い中を出歩いてるなんて、気違いじみてるね」
「う、うるぜい」
 気分は、雪山で遭難しかかったところを助けられた登山家だ。声が震えて、叫び声にもならない。凍えているせいもあるが、差し出された熱いコーヒーを一気に流し込み、舌を火傷したことによってさらに声はひどくなっている。
「仕事熱心なのはいいけどさ、もうちょっと周りも見なくちゃだめだよ。ここまで、ほとんど街の端から端まで移動しても、誰も見かけなかったでしょ。
 そりゃそうだよ、こんな中、誰も外に出ようなんて思わないって」
 反論されないのをいいことに、トリーシャは一方的にやりこめた。
 寝坊してクレアに押し出されたという理由もあったが、それを言うとさらに追求されそうなので、アルベルトは黙って体力回復に専念した。
「アル、仕事熱心なのは感心だが、状況を見定めるのも大切だぞ」
 あまりの寒さに出勤を断念し、二度寝していたリカルドが忠告する。こちらにも、また違った意味で反抗できない。
『ったくよ、こういうところだけは似てるんだからなあ』
「何か言ったか、アル」
「いえっ、何でもありあぜん」
 舌をもつれさせるアルベルトを見て、トリーシャは隠す様子もなく笑った。
『勝手に笑ってろ』
 心の中で悪態をつきつつ、凍える体を温めるのに専念した。
 外は冷たい風が吹き、雪も混ざり、知らぬ間に吹雪にまで発達していた。がたがたと窓が揺れ、寒さを演出する。だが、家の中に寒気が押し寄せてくる様子はない。
 不思議だと考える余裕はアルベルトにはなく、考える理由がトリーシャにはなく、考える様子はリカルドにもない。
 確信を持って言えることはふたつ。家の中にいる限りは安心だということ。そして、街は異常気象の真っ只中であること。
 当分、これ以上の進展はなさそうだ。

 一日中室内の生活は、退屈なこと極まりない。
「これだけ積もれば、雪だるまもつくれますねぇ」
 外は、人の背より高い雪だるまの二、三十個は優に作れそうなほど雪が積もっている。だが、外へ出たが最後、数十秒もしないうちに意識を無くし、数分で凍死してしまいそうだ。それが冗談ではないから、街は静まりかえっている。
 何か策でもあるなら、すぐにでも飛びついていきたいが、あいにく、手がかりすらない。
「雪、雪、雪ぃ」
 ローラは恨めしそうに、降りやまない雪を眺めていた。
 ふと、無表情に立ち上がって、
「この猛烈な寒さの原因を突き止めて、絶対に雪だるまを作る!」
 怒りの炎を燃やして、高らかに宣言する。
「そうは言いましても、どうするんですか?」
「今から考える!」
 セリーヌの一言も、妙に勢いのある声に掻き消された。が、前進しているとは、とてもじゃないが言えない。
「外があんなに寒いのに、家の中があんまり冷えないなんて、普通じゃ絶対あり得ない。ってことは、誰かが故意にやってることのはずよね。
 でも、こんなに寒くして、どうするっていうんだろう。やってるほうも外に出られなくなっちゃうわけでしょ。
 もしかして、少しだけ寒くしようとしたら失敗して、ものすごく寒くなっちゃったとか?」
 そこまで理論立てると、マリアという名前が頭に浮かんだ。彼女ならやりかねない、と。だが、マリアが例のごとく魔法でトラブルを引き起こし、街全体に多大なる影響(被害)をもたらしたとすれば、魔術師組合が動いているはずだ。
 少なくとも、今朝、ローラが起きてきたときから極寒状態が続いている。組合が処理に手間取っていたとしても、これだけの時間で対処できないとは思えない。
 と、すると……
「結局のところ、なーんにも分かってないってことなのよねー」
 ふりだしに戻り、事態は全く進展しない。
 情報を仕入れようにも、外に出ることは無理。まずは移動方法を考えなくてはならない。重ね着に重ね着を重ねても、外の寒さに耐えれるか。答えは、無理。絶対、無理。
「ねえねえ、ルーン・バレット連発してあったかくしながらなら、出歩けるかも」
 初歩の魔法でどれだけ暖まるか。そもそも、どれだけ連発できるか。不安はあるにせよ、なんとかなる可能性はある。
「ぐっど、あいでぃあ、ですねえ」
 セリーヌも賛同する。
「ですが、どこへ行くんですか?」
 ネーナの問いに、
「さあ」
 としかローラは答えられなかった。

 この無茶苦茶な寒さは、魔法によるだろうと決めつけ、フォスター親子とアルベルトは魔術師組合に向かっていた。理不尽なことは魔法のせい、あながち間違ってもいないのだが。この場合、他に説明のしようもなさそうだ。
「ルーン・バレット! はー、ルーン・バレット! つ、ルーン・バレット! かれ、ルーン・バレット! たーっ、ルーン・バレット!」
 炎の魔法を連呼しながら、トリーシャが交代を乞う。
「うむ。ルーン・バレット!」
 やっとのことで、リカルドが詠唱を引き継いだ。
「もー、全然代わってくれないんだもん、ボクもう疲れたよ……」
 文句を並べ立てる気力もなく、トリーシャは炎の恩恵を受けられる範囲を外れないように、けれどなるべくゆっくりと歩いた。
 同じ魔法でも、さすがにトリーシャとリカルドでは威力が違い、リカルドのほうは呪文と呪文の間隔を少し広げることを許されていた。
「毎日歩いてる距離だが、さすがに遠く感じるな」
「なーにが“さすがに”だよ。そのセリフはルーン・バレットの大変さを身をもって感じてから言いなよ。すっごく大変なんだから」
 トリーシャの呼吸は、だいぶ整ってきた。
「なあ、あれってもしかしてローラたちか?」
「えっ?」
 アルベルトの指さす方を向くと、確かにローラらしきピンクの髪と、セリーヌらしきスカイブルーの髪と、ネーナらしき紫っぽい髪が見える。
 トリーシャは寒気を感じ、あわててリカルドが中心となる直径三メートルほどの円の中に身を寄せる。
「危ない危ない……。確かにローラみたいだけど」
 ローラたち三人は、少しずつ近づいてきた。一方、リカルド一行は立ち止まっていた。
「もしかして、トリーシャさんたちも魔術師組合へおでかけですか?」
「あ、セリーヌさんたちも?」
 目的地は同じだった。ついでに、考えたことも同じらしく、ローラが必死でルーン・バレットを連呼していた。かなり切羽詰まった表情をしているローラを見て、交代すればいいのに、とトリーシャは言いかけた。
 が、交代できない確固たる理由がそこにはあった。ネーナは魔法が使えるわけでもなく、論外。セリーヌはそこそこ魔法が使えるのだが……。
 セリーヌのペースで呪文を唱えていては、次の詠唱までに寒さが押し寄せてしまうだろう。命懸けの戦いに、負けは断じて許されない。
 合流するや否や、六人が半径一メートル五十センチに密集した。
「つかれたぁ。はあはあ、こんなに、はあ、きついなんて、はあ、おもわなかった」
 息を荒らげながらローラ。涙で目も潤んでいる。
「簡単な魔法でも、ひたすら連発だと思ったより辛いんだよね」
 トリーシャの発言に、こくこくと首を縦に振って同意を示す。ローラと意気投合するトリーシャの肩が、数度叩かれる。
「え? なに?」
 振り返ってみると、ルーン・バレットを連呼しているリカルドが、詠唱の合間に肩を叩いていた。
「え? もう交代なの?」
 と、トリーシャは呆れたが、先ほどのトリーシャの二倍は経過していた。
 トリーシャはさっきの仕返しとばかりに、くるりとそっぽを向いて、セリーヌたちに話しかけた。
「これだけめちゃくちゃなことになってるのに、魔術師組合ってなにしてるんだろうね」
「どうしているのでしょう。でも、がんばっていらっしゃるのではないですか」
「けど、なんでこんなに寒くなっちゃったんだろうね。もうすぐ夏だっていうのにさ」
 そうこうしているうちに、呪文を唱える声が入れ替わっていた。
 さっきまで“ルーン・バレット”以外の言葉を失っていたリカルドが、冷静に端的な指示を出す。
「行くぞ」
 アルベルトが生み出す炎の下、総勢六名は魔術師組合に向けて動き出した。
 ちなみに、暖かい範囲はかなり狭まっていたので、アルベルトの周りに密集していた。

 ローラが組合の扉を叩く(このときの詠唱者はトリーシャ、アルベルトはいつになくぐったりしている)と、予想に反して、「すぐに入れ」と招かれた。
「非常事態ですから」
 と、下っ端らしい若い魔術師が、個室まで案内してくれた。
「ねえ、何か対策してないの? 朝からずっとこんなだけど」
「これだけ街に影響を与えているのだからな、無関係な話ではないだろう」
 フォスター親子の抗議。残りの者も、異口同音に声を上げる。セリーヌを除いて。
「努力はしているんです。ですが、原因が魔法ではないようでして」
 困った顔で、魔術師。
「原因がどうであれ、気温を上げて相殺しちまえばいいんじゃねえのか?」
 アルベルトの提案に、皆、うんうんと同意したが、魔術師は首を横に振る。
「試しました。そうしたら、さらに気温の低下が激しくなってしまいまして。原因を究明しない限りはうかつに手を出せない状況なんです。これ以上寒くなっては困るでしょう?」
「うーん、これ以上寒くって言われても、いまさらって感じ。でも、なんでか知らないけど、家の中だと寒くもないんだよね。ここまで寒くなっちゃうと……」
 洒落にならない、と、誰もが心の中で呟く。
「そういうわけなんです。それではお引き取りを。
 というわけにもいきませんので、ここに残られるか、転移魔法で帰るか、どちらかお選びください。ただ、転移魔法は成功率に難がありますので……」
「残ります」
 当然、即答された。誰ひとりとしてそれに反論などしない。
 失敗を自覚していないのは怖いが、自信を持って不安だと言われたら、それはそれで非常に恐ろしい。

 皆、暇を持て余していた。外には出れないし、特にすることもない。
 そんなとき、ふっと思い立って窓から外を眺めた。
 ローラはあまりの街の風景に絶句した。もとからしゃべっていないといえばそれまでだが。
 隣でごろごろと寝そべっていたトリーシャも、ローラの様子に気付いて、
「どしたの、ローラ」
 と声をかけて、自分も窓の外を見る。
 エンフィールドで雪は稀だ。それだけでも十分すぎるほどの絶景になる。それが吹雪ならどうか、言葉では言い表せないほどだ。
 なら、今の状況にいたってはどう表現すればいいのだろうか。
 空気中の水蒸気が細かい氷に、瞬時に昇華して、雪と入り交じって宙を舞っている。俗に言う細氷、つまりダイヤモンドダストである。いったい外はどこまで気温が下がっているのだろうか。そして、どこまで下がるのだろうか。
 トリーシャもローラも、もう気温が上がることはないんじゃないかと思い始めていた。
「すごいですねえ」
 遅れて、セリーヌがやってきたが、彼女はいつものごとくのんびりした口調で、驚いたようにはどうしても見えない。
 一生に一度も見れるはずの無かった風景を、何時間も呆然と見据えながら、長かった一日を終えた。

 科学者らしき男が、玄関の扉を開けて、雪と氷の降る街へ一歩踏み出した。
 むろん、その一瞬後には飛び跳ねて帰ってきた。だが、それだけではなく、何か思いついて部屋の奥の方へ入っていった。
「やはり」
 ショート科学研究所の奥にある、巨大な装置。いろいろな部品がある中に、180という数値を指した目盛りがあった。約273が、いわゆるゼロ度を意味する。つまり、現在この目盛りが示しているのはマイナス93度。
 ことわっておくが、この装置は巨大な温度計ではない。
 男は緑色のスイッチを押した。すると赤色になって、ぷしゅー、と風船から空気が抜けるような間抜けな音がした。
「さて、出かけるとしようか」
 男は初夏の、陽射しの強い、歩く人は汗を流しながら、少しだらけた感じになってしまうような街へ出かけていった。


あとがき

Q:これで終わりなんですか?
A:ときにはこういう終わり方もありです。
Q:前回より待たせた上に、前回より短いのでは?
A:確かに。要は文章量じゃなくて内容です。SSだし。
Q:これって「灼熱の街を行け」をちょっといじっただけなのでは?
A:あの作品は意識しました。でも書く大変さは普段と同じです。
Q:これってあとがきなんですか?
A:ときにはこういうあとがきもありです。
Q:次回作は?
A:今から書きます。気長にお待ちください。
Q:そういえば「Nothing can be」はどこへ?
A:ボツ。「Rejected items」ってコーナー作ってそっちへ入れました。
Q:ひさびさのボツですな。
A:それって質問ですか? なら、はいと答えておきましょう。
Q:自問自答って虚しくないですか?
A:最初はいいんだけどね。後のほうになると、ちょっとね。
Q:そろそろやめにしませんか?
A:やめましょう。


History

2000/01/31 書き始める。
2000/02/24 書き終える。

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