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思いは前向きに

浅桐静人

「なあ、シーラ知らない?」
「あっち」
 さくら亭に入ってすぐに質問を浴びせかけたアレフに、用意していたように返事をしたあと、パティはため息をついた。アレフは言葉のひとかけらも疑わずにパティの人差し指のほうに走っていってしまって、彼女のため息など知りもしない。
 パティが足を踏み鳴らして合図を送ると、カウンターの下のほうから、何かがもぞもぞと這い出てきた。それは窮屈そうに顔をしかめたシーラだった。
「まったく、アレフもしつこいわねー」
「うん……」
 あきれてパティが言うと、シーラはためらいながらもうなずいてみせた。ここ最近、ずっとこの調子。シーラでなくとも気が滅入る。いつかは心が傾くとアレフは信じているのだろうが、そのきざしは全く見受けられない。
「シーラもたまにはがつんと言ってやらないと、いつまでたってもあきらめないわよ、あいつは」
「うーん。そうは思うんだけど……」
 パティの目が危険を察知した。文字通りの「danger」ではないが、今のパティ、それにシーラにとっては同じことだった。
 パティの小さな反応に感づいて、あわててシーラは身をかがめ、パティの足元にすべりこんだ。もはや慣れてしまった動作である。良家のお嬢様の行いではないが、近頃は咎めることもなくなった。
「どこにもいなかったぞ、シーラ。なあパティ、またかくまったりしてないか、あの日みたいにさ」
「してないわよ。なんなら、確かめてみる?」
 疑いの目を向けたアレフに対して、パティは平常心を装って答えた。さらに身を引いて、相手が望めば足元が見える隙間を作った。
 もちろん、そこには探している人物――シーラ――がいたわけだが、強気なパティを見て、「いない」との判断を下した。もともと猜疑心の強くないアレフは、まんまとパティの手玉に取られた格好となった。もちろん、それを知っているのは手玉に取った張本人のパティと、その足元でうずくまっているシーラだけである。
「シーラを探してるのは分かったけど、何も注文する気ないんなら出てってくれない? これから忙しいんだから」
 昼飯どきまで時間はあるが、忙しいと理由を付ければ納得してくれるだろう。足元を気にしながらパティは語気を強めた。
「あー、そうだな。じゃあ、まだ朝も食べてなかったことだし、何かもらうよ」
 あっちゃー。意図していた方向とは違うところへいってしまった。だが、もう手立てはなかった。
 ごめん、シーラ。もうちょっと我慢しててね。
 心の中で謝って、パティはすぐに作れてすぐに食べ終われるメニューを考えた。数分後、パティの胸中など何も分かっていないアレフの前に、特製パティサンド――つまり単なるサンドイッチ――とコーヒーが差し出された。

「ごめんっ。まさかアレフがまだ朝ご飯食べてないとは思わなかったから」
 窮屈で不自然な姿勢を強いられていたシーラに許しを願った。シーラは首を左右に振った。
「ううん、パティちゃんは全然悪くないわ」
 自分が押しかけてパティに気を使わせている私のほうが悪い、とシーラは続けた。
「まあまあ、そんなに自分を責めなくたって……」
「う、うん。ごめん」
 パティはあまり暗い場面が得意なほうではない。必死で話を逸らそうとする。
「しっかし、もう四日連続よね。そろそろ感づかれるわよ、ここ」
「う、うーん……」

 そして次の日。

「あんたも毎日大変ね」
 皮肉をたっぷり込めてパティが言った。
「そのセリフ、もう何度も聞いたよ。言っとくが、俺はあきらめないぜ」
「それも何度も聞いたわよ。少しはシーラ本人のことも考えてあげなさいよ」
 忠告を入れるが、
「シーラ……」
 なにやらアレフは自分の世界に入りこんでしまった。
「だめだわ、これは」
 両手を広げて、お決まりのオーバーリアクションをとる。それだけでは終わらず、カップに手をぶつけて中身をぶちまけてしまう。
「あっ、いけない」
 ジュースがアレフの服にかかったりしているが、本人は全く気付かず、避けようともしない。
「完全にあっちの世界にいっちゃってるわね」
 ひとまずアレフは無視して、こぼれたジュースを拭いていた。

「はっ」
 アレフが元の世界に戻ってきたのは、
「約30分」
 後だった。冷水のように冷静にパティが言った。
「それよりパティ、なんで俺の服が濡れてんだ?」
 半時間タイムスリップしたことは気にもせず、ジュースの匂いのする自分の服について訊ねる。やはり、ジュースをこぼしたときに意識はここになかったようだ。
「ああ、ごめん」
 パティは一言で済まし、アレフは一言で了解した。
「普通なら文句をいうところだが……その代わりに、これ、シーラに渡しといてくれないか?」
「こ、これって?」
 パティの言葉はぎこちなくなった。シーラがよくここに来ることをアレフは知っているのかもしれないと思ったからだ。アレフの言葉があまりに自然なので、すぐに落ちついたが。
「明後日の演奏会のチケットだ」
 そう言って、二枚のチケットのうち、片方だけをパティに渡した。
 まったく、あきらめの悪いヤツだ。パティは「あんたねえ!」と怒鳴りたくなったが、怒鳴ってもアレフの性格は変わらない。とりあえず、受け取ってしまったチケットに目を落とす。
(あら? これって……)
 あまり聞き慣れない(名は売れているらしい)管弦楽団の名前。会場はお決まりのリヴェティス劇場、B−4とは席の番号、もちろん明後日の日付も書いてある。
「とりあえず渡しておけばいいのね。言っとくけど、シーラが行きたくないって言っても、説得はしないからね。あたしはあんたの知り合いだけど、それ以上にシーラの友達なんだから」
「分かってるって。それじゃあな、頼んだぞ」
「はいはい」
 能天気に元気よくカウベルを鳴らすアレフが見えなくなるのを確認して、パティは足元に声をかけた。
「もういいわよ」
「あー、苦しかった。でもパティちゃん、そのチケットどうするの?」
 予想に反してチケットを受け取ってしまったパティを、不安そうにシーラが見る。
「シーラ。管弦楽コンサート、行きたい?」
 訊ねられて、ますますシーラは困惑する。
「え? え?」
「アレフのことは抜きにして考えて。純粋に、コンサートを聞きたいか、聞きたくないか、答えて」
 なおも質問を突き通すパティの意図が分からず、戸惑いながら、
「うーん、興味はある、かな」
「じゃ、行こ」
「えええっ!? そんな、だって、アレフ君が……」
 混乱して取り乱すシーラを片目に、パティはにやりと笑った。なおも混沌に陥っているシーラの横を通りすぎて、おもむろに引き出しを開けた。そして、何かを取り出した。
「じゃじゃーん」
 取り出したものを、パティは自慢げにシーラに見せる。シーラは首をかしげながら、それをじっくり観察し、あっと声を挙げた。
「明後日が楽しみね、シーラ」
「あ、あははは……」
 魔性の笑顔を浮かべるパティに、シーラはただただ笑うしかなかった。

 コンサート当日。

「シーラ、やっぱり来てくれたんだね」
 アレフがわざとらしい(だが、本気で)歓喜に満ち溢れた声で出迎えた。
「う、うん……」
 おおかた予想していた反応とは言え、戸惑いは隠せない。しかも、アレフは全く気にしていない。
 手放しで喜んでいるアレフに、ちょっとだけ罪悪感を感じつつ、シーラは劇場の指定席へ足を向けた。前から二列目、けっこういい位置だ。
 シーラ、アレフの順で進んでいく。シーラはもとからそのつもりだったし、アレフはレディ・ファーストのつもりなのだろう。
 シナリオ通り。シーラもアレフも密かにそう思っていた。お互い、それは知らない。
「おまたせ」
 招待したアレフより先に席に着いて、シーラは打ち合わせていたセリフを口に出した。目論見通り、心から幸せそうなアレフの表情は崩れはじめた。
「おまたせ、って?」
 訊ねながら、アレフは様々な可能性を探した。シーラが来てくれたことも、不思議でないと言えば嘘になる。そういえば、チケットを渡したのはパティだ。昨日は、やけにあっさりと受け取ってくれた。
 嫌な予感がする。
「あ、やっと来たのね。座って座って、そっちのアレフも」
 やっぱり。ひとときの幸せを潰された気分になったアレフは、頭を抱えこんだ。そしてシーラの隣に座る彼女に向かって叫ぶ。
「なんでパティがいるんだよ!」
「あら、あたしがいちゃ不満かしら?」
 シーラの右隣に静かに座っているパティは軽く笑いながら言った。思っていた通りのアレフの反応がおもしろくて仕方ない。
「よりにもよって、なんでその席なんだよ……」
 ぶつぶつとアレフは独り言を言った。つもりだろうが、半径一メートル、誰にでも聞こえている。隣、さらに隣のシーラやパティにも、声は筒抜けだ。
 パティはB−5と書かれたチケットをちらつかせて笑った。
「あたしも音楽は大好きなの。席は偶然、たまたま。ま、シーラが来てくれたことだけでも喜ぶことね」
「くっそー、パティを信用した俺が馬鹿だった……」
「ま、まあ、アレフ君。誘ってくれたのはうれしいと思ってるんだから、ね」
 隣から優しい声が聞こえた。アレフにとっては天使の囁きすら二の次と言ってしまえるシーラの声だ。パティがひとつ向こうにいるとはいえ、シーラは紛れもなくアレフの隣の席に座っている。
 そこから言葉もなく、演奏が始まる。
 アレフはろくに音楽も聴かず、隣に座っているシーラを見ていた。シーラのほうはと言うと、アレフの視線には目もくれず、音楽に聴き入っていた。
「シーラは喜んでくれてるようだし、ま、いいか」
 どこまでも前向きなアレフだった。


あとがき

 アレフ&シーラのSS。だいぶ前から書こうと思っていた組み合わせです。が、言い案が思い浮かばずに今に至ります。
 DJものという手もあったかなとは思いますが、それはまた次の機会に。

 PS.ちょっと短かったかなあ。(今までで一番短い)

 このSSは電玩社社長さんのHPに投稿したものなんですが、わけあって両方のページで公開することにしました。
 サクセス・アンド・リングみたいに改訂もしていないので、両者に内容に差はありません。レイアウトは違うでしょうけど。(笑)

↓電玩社社長さんから、イメージイラストいただきました。
その1 その2 その3


history

1999/09/20 書き始める。
1999/10/11 書き終える。

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