やりなおしたいことだって、たくさんある。だけど叶わなくて、それはそれでいいとあきらめて、でも心のどこかに引っかかって、でもどうにもならなくて……その繰り返し。
そんな毎日でもそれなりに楽しんではいるし、それなりに幸せだ。言葉には出さないが、みんなのことが好きで、不器用な自分でも親しくしてくれるみんなに感謝している。
……ただし、マリアは除く。と、ついでのようにエルは胸中で付け足した。
「なあんてな」
店内の武器の整理をしながら、エルはふとそんなことを考えていた。
「エルさん、どうかしたアルか?」
不思議そうにエルを見つめるマーシャル。マーシャル武器店の名が語るように、この店のとりあえず店長だ。
「なんでもないよ」
心配するなと言うかのように軽く流して、ダンボール箱を利き手に三つ、もう片方に二つ、計五つ同時に軽々と持ち上げた。
「それよりマーシャル」
エルはマーシャルのことを呼び捨てにする。居候の身ならば、さん付け、さもなければ店長とでも呼ぶのが普通だろうが、エルのプライドはそれを許さなかった。一度だけマーシャル自身が「さん付けで……」と言ったことはあるが、一喝の下に却下された。
「どうしたアルか?」
上半身裸でヌンチャクを携えるマーシャルは、エルの心中を知らずに何気なく聞き返した。
反省の色の全く見えない素振りに苛立ち、エルは掲げていたダンボール箱をまとめてマーシャルに向けて投げつけた。
「おわーっ、いったいなにするアルかっ!」
「毎回毎回、いかにも怪しい商売人に騙されて、しょうもないガラクタばっかり買ってくるんじゃないよ! クズの処分するアタシの身にもなってみろ!」
抗議の声を受け入れる気はさらさらない。一気に普段の文句をまくしたてる。
「ごめんなさいアルーっ、次はきっと本物を手に入れるアルっ」
「それが余計だと言ってるんだ!」
「クロノス・ハート!」
疾風の刃が詠唱者を襲う。無論、クロノス・ハートはこんな魔法ではない。合っている部分があるとすれば、対象が自分自身であることだけだ。
「リバース・クロック!」
失敗も気に留めず、オリジナルの時魔法を詠唱する。
やりなおしたいことは、魔法を使って強引にやりなおしてしまえ。そういう信念の下、マリアは詠唱をし続けた。彼女の前では、魔法はすなわち絶対だった。
時を戻すなんていう超高位魔法がそんなマリアの手によって成功させられるはずもないのだが、行場をなくした魔力が巻き起こす現象は小さいものではない。
魔法の失敗など微塵も考えていないマリアの周囲に火柱が起こり、高さ十メートルぐらいまで勢いを強めて、消えた。見た目には凄かったが、幸運にも被害はマリアの腕が軽い火傷を負った以外にはゼロに等しかった。
「ううっ、うまくいかないよお。どうしよう」
マーシャル武器店の窓から、ガラクタ処理をしていたエルは立ち上る炎を眺めていた。
「マリアか」
即座に、黄色の髪の魔法バカ、マリアのせいだと決めつけた。
「マーシャルはマーシャルで懲りないが、マリアはマリアで、また懲りないヤツだ。何かあったらすぐ魔法、まったく嫌になる。おい、マーシャル、終わったか?」
「もう少しで終わるアル」
店長と従業員(?)の関係は、逆になりつつあった。
「それじゃあ、こっちも頼んだぞ、アタシは出かける」
「どこへ行くアルか?」
「そんなのアタシの勝手だろ。お前はガラクタを整理する、分かったな」
呼び捨てどころかお前呼ばわりされても、マーシャルは反論する権限を持ってはいなかった。エルの身勝手には泣き寝入りするか、喜んで受け入れるかしか選択肢はない。
「じゃあな、夕方には帰るから」
「分かったアル」
「タイム・レトログレス!」
火傷とかすり傷に目を涙ぐませているマリアは、それでも飽くことなく超上級の時空魔法を詠唱しまくっていた。
必死なマリアが魔法に望むのは、時間を少しだけ戻すことだった。少しくらいなら簡単だろうと踏んでいたのだが、何十回やっても成功はなし。だんだんと自信がなくなってきて、諦めてしまいそうだった。
それでも諦めずにがんばっていた甲斐あってか、満身創痍のマリアの周囲の景色が歪み出した。
「や、やった?」
マリアは歪んでいく時空間をぼんやりと見つめながら、魔法の成功を祈った。成功したのかどうかは分からないが、マリアの周りの景色はコーヒーに入れたミルクのようなマーブル模様を描いて、空に溶けていく。そして、回転の中央にいたマリアは、
「う、うえええ……。目が回る……。気分悪い……」
目を閉じればいいことに気付かず、ふらふらと意識を失っていくのだった。
気を失ったマリアは、詠唱の30分前のエンフィールドに到着した。
「おい、マリア」
後ろのほうからマリアを呼ぶ声が聞こえた。マリアが意識を取り戻すと、目の前は真っ白だった。マリア、死んじゃったの? と馬鹿なことを一瞬、本気で思ったりもしたが、白いものが地面だと判るや否や、勢いよく立ち上がった。
ずっとうつ伏せで倒れていたのだ。着慣れた服も汚れてしまっている。しかし、地面に倒れていただけで、ここまで汚れるわけはない。
「はー、いたたた……」
まだ自分は生きているんだと安心したマリアは、露出している部分全体のかすり傷と、少し焼け焦げた服を見て顔を赤らめた。そして、何を思ったか、ぶつぶつと独り言を言い始めた。
「やめろぉーーっ!」
「うわああっ」
いきなり後頭部を殴打され、マリアは抵抗しようと思う間もなく、また地面に突っ伏した。
マリアを殴って魔法の詠唱を止めたエルは、はあはあと荒く息をしながら、倒れているマリアを睨みつけた。
「少しは周りの迷惑も考えろ!」
「ぶーっ、迷惑ってどういうことよ!」
「意味の通りだ。ちったあ自覚しろ。爆発するわ、火柱はあがるわ、まだほとんど被害がでていないのが不思議なくらいだろう」
もっともなことを指摘され、さすがのマリアも唇を噛んだ。
「み、見てたの?」
「あれだけ派手にやっといて、“見てたの?”はないだろ。第一な……」
「あー、うるさいうるさーい」
エルの説教など聞いていられないとでも言うかのように、マリアは言葉を遮った。
「マリアはこんなところでこんなことしてる場合じゃないの。えっと、本は、と。……ううぅ」
目の前のエルのことなど一瞬で忘れ去り、自分の世界に入りこむマリア。なにやら魔術書を取り出してはぶつぶつ言っている。
本の表紙には魔術、時間、時空間などという言葉がある。もちろん、文章になっているのだろうが、そこまではエルには読み取れなかった。上級の魔術書は日常使う文字で書かれてはいないのだ。だが、時間、つまり時魔術に関する本だというのは明らかだ。
「やっぱり破れてる……。それじゃあ、もう一回……」
指で紋章みたいなものを形取ろうとするマリアを放っておくはずもなく、エルは無言でマリアを殴り倒した。
「で、つまりは魔術書を破って怒られるのが怖いから時間を逆行させて元に戻そうとしたってわけだな」
エルはマリアを見下ろしていた。
「まったく、魔術書一冊直すために街を破壊されたんじゃあ、たまったもんじゃないよ。いい加減、自分の実力のなさを自覚したらどうなんだ」
「うう……」
失敗の連発を見られているので、嘘やいいわけは通用しない。何か言い返したいが、返す言葉はすぐには思いつかなかった。
「どうしたアルか?」
「あ?」
よく聞き知った間抜けな声が割って入った。いつの間にか、そこには例によって上半身裸でヌンチャクを携えたマーシャルの姿があった。
ひとまず、エルはだいたいの状況を適当に説明した。
「つまり、魔術書を直すために街を破壊しようとしていたアルね」
「なーんかそれって思いっきり誤解を招く表現だと思うんだけど……。それじゃあ思いっきりマリアが悪者じゃない」
誤解を招きそうな言い方だが、マリアは悪者だろうとひとりで納得し、
「ま、そうだな」
とエルは意味深に呟く。ところで、と切り出そうとしたが、その前にマーシャルがやけに嬉しそうにしゃべりだした。
「そういうときにはこのアイテム、“修ふくん”を使うアル」
「おい、何なんだ、そのめちゃくちゃ胡散臭いアイテムは!」
「どんなにひどく破れた本でもたちまち新品同様の美しさにしてしまうという、それはもうとてもとてもすばらしいアイテムアル。とにかく使ってみるアル」
エルが怒る隙もなく、マーシャルはアイテムをマリアの魔術書に取りつける。
「ね、ねえ。ものすごーく不安なんだけど」
ふと魔術書を手渡してしまったマリアは、それでもマーシャルのアイテムを眺めていた。あんなので本当に修復できるんだろうか。
「今までの経験から言うと、問題なく修復される可能性は0.01パーセント、問題が起こってもとりあえず修復はされる可能性は0.02パーセントってとこだな」
やけに冷静にエルが言う。失敗しようと成功しようと、責任が自分になくて、怒られるのがマリアとマーシャルだけなら完全に他人事だ。
「それってさあ、つまり大失敗は確実ってことじゃないの?」
「だろうな」
マリアの顔から表情と色が消えていく。マーシャルを止めに行くことも思いつかないほどパニックに陥っていた。
「よし、これで準備はOKアル」
修ふくんを取りつけ終わったマーシャルだけは自信たっぷりだった。そしてもう一度、魔術書に手を伸ばす。
「さて、次はどうすればよかったアルか?」
「アタシが知るわけないだろ!」
「あ、そうそう、たしかこうだったアルね」
口をぱくぱくさせているマリアを無視して、作業は続けられた。最後の合図はマーシャルの
「できたアル。いざ、スイッチ・オン」
という掛け声だった。
……
沈黙、静寂。何も起こらない。
マリアのため息。何も起こらなくてがっかりしたのか、それとも安心したのだろうか。
マーシャルの冷や汗。視線はエルに向かう。
「結局、こういうことなんだな」
エルは静かにマーシャルに視線を移した。
「またこういうガラクタを買いやがって、どうしてそう次から次へとだまされるんだよ、お前は!」
「申し訳ないアル」
か細いマーシャルの謝罪を聞きながら、エルはそのうち武器店が本当につぶれてしまうんじゃないかと思った。
マリアにとって、魔法はすなわち絶対。だが、自身はそのほんのひとかけらしか扱えない。それは悔しい。図書館でイヴの説教を聞きながらマリアは独白した。
「あー、こういうときに時間を戻せたらなあ……」
成功しなかった魔法のことを悔やんでいるだけで、反省はしていない。
結局、破れた魔術書については、マリアの父モーリスが弁償するという形で決着がついた。
やりなおしたいことは、たくさんある。だけどやりなおさせたいことは、もっとたくさん、それはもうエルの手には有り余るほどある。
店内のガラクタの山、そしてそれを片付けているマーシャルを見ながらエルは独りごちた。
「もっとてきぱき片付けろ!」
「こ、これでもう限界アルよ」
「自業自得だ! これくらいで根を上げるんだったら、最初っから、商品の入荷はアタシが作ったリストに書いてあるものだけにしろ!」
「わ、分かったアル」
マーシャルは片付けるスピードを上げた。
「こういうときこそ時間を戻せたらいいアルのに」
「こら、マリアみたいなこと言ってるんじゃない!」
「ひいぃ……」
ガラクタが崩れる音や、足をぶつけたマーシャルの呻き声を聞きながら、エルは幾度となくため息を繰り返した。
思ったより時間がかかってしまった。なぜこんなに時間をかけてしまったのだろう。
というわけで、ハンドルネーム変更後、初のSSです。(いや、書き始めたときは前のハンドルネームだったけど)
ちょっとずつ、自分の書きたいものに近づいていっている気がするのが嬉しい。感想をもらったときは、それが誤字訂正だけだったりしてももっと嬉しいです。感想、待ってます。
1999/09/18 書き始める。
1999/10/09 書き終える。