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見つけだせ、行方不明のみかん箱

浅桐静人

「ご主人様ーっ!」
 朝早くのジョートショップに、テディの叫び声が響いた。
「まあテディ、そんなにあわててどうしたの?」
 こちらは落ちついた声。ジョートショップの女主人、アリサ・アスティアだ。なりふり構わず、テディは続ける。
「大変っス、大変っス、ボクのみかん箱が無くなったっス!」
「そんなに大事なのか、それは」
 居候のが隣の部屋からやってきた。つい先日、逆転の無罪判決を受けたばかりで疲れているのに、テディが騒いで何事かと思って聞いてみれば、この程度の問題だ。
「大事っス、一大事っス、事件っス!」
 テディは今にも泣きだしそうな様子で喚いた。どうして事件なのか不思議だが、あえて突っ込みは入れないでおいた。こういうことは無視するに限る。
「あらあら、テディ。……クン、よかったら探してもらえませんか」
「……」
 だが、は立場上、アリサさんの頼みには弱かった。内容が内容だけに少し考える素振りも見せるが、
「テディ、探しに行くぞ」
 結局は承諾してしまうのが悲しい命運だった。
「ありがとうっス。この恩は一生忘れないっス!」
 テディはにもたれかかった。なんてオーバーな奴なんだと思いながら、優しく語りかける。
「なあテディ……。泣くな、喚くな、すりよるな!」
 と思わせておいて、片手でテディをつまみ上げた。しかし、置く場所(=みかん箱)がなかったのでとりあえず肩に乗せておいた。
「とりあえず行ってきますね、アリサさん」
「ええ、いってらっしゃい」
 何事もなかったようにふたりを送り出すアリサさん。何事もなかったように扉を開ける。何事もなかったようにその肩に鎮座するテディ。
 そんなわけで、無くなったみかん箱を探すため、街へ繰り出した。
「こんなのが一大事とは情けない……」
「何か言ったっスか?」
「いいや」
 アリサさんの頼みとはいえ、いまいちやる気が起こらなかったのは言うまでもなかった。テディは本気らしいが。

 しかしと言うか何と言うか、ジョートショップを出て早々、根本的な大問題にぶつかった。
「だけどなあ、どう探したらいいのやら」
 はとりあえず、道端にみかん箱が落ちている風景を想像した。落ちているというより置いてあると言ったほうが正しいか。橋のど真ん中に、ぽつんとみかん箱。目立つ。あまりに目立ちすぎている。いや、橋のど真ん中を想像しているから悪いんだ。
 軒先にぽつりとひとつみかん箱。やっぱり目立つ。
 公園の砂場の中にみかん箱。言うまでもなく目立つ。
 ラ・ルナの屋根の上にはみかん箱。思いっきり目立つ。
 空中に漂っているみかん箱。絶対に目立つ。
 トリーシャの頭の上にみかん箱。どうしようもないってくらい目立つ。
「なあテディ、みかん箱って目立つよな」
「あのさあ、なんでボクの頭の上にみかん箱が?」
 突っ込みを入れたのは、テディではなくトリーシャだった。だから『トリーシャの頭の上に』なんていうのが浮かんだのか。……ではなくて、
「うおっ、トリーシャ。いつからそこに」
「5分前。だいたいそんなところかな」
 つまり、5分以上、変な想像を続けていたわけだ。
「トリーシャさん、頭の上にのせてるんなら返してほしいっス」
 半分泣きそうな切実な顔でテディが訴えるが、言われたトリーシャのほうが泣きたい気分だった。
「なんでボクの頭の上にみかん箱があるのさ!」
「そういえばそうっスね。さん、変なこと言っちゃだめっスよ」
 トリーシャが当然のごとく指摘するが、テディは開き直っていた。
「……」(トリーシャ)
「……」(
 トリーシャは訝しげにテディを見下ろし、は怒りマークを浮かべてテディを凝視した。ふたりとも無言だった。
 テディの背筋に冷たいものが走った。さっきのセリフを口に出したことを後悔しても、時すでに遅し。
「ふたりともどうしたっスか? そんな目で……」
 必死の声も虚しく、の鉄拳制裁が強かに打ちこまれた。
「痛いっス。泣けてくるっス。ひどいっス」
「それはそうとトリーシャ。みかん箱見なかった? こいつがいっつも乗ってるやつ」
 テディの呻き声は無視して、思い出したかのようにトリーシャに訊ねる。トリーシャはちらっとテディを見て、少しかわいそうだなとは思ったが、結局は無視することにした。
「見てないよ」
「本当に見てないっスか?」
 テディはいきなり復活した。
「見てないって」
「本当に本当っスか?」
「だから、見てないってば」
「本当に本当に本当っスか?」
「見てない」
「本当に本当に本当に本当に……」
「しつこいよ。見てないったら見てないの!」
 お決まりのトリーシャチョップが炸裂した。
「痛いっス。チョップはやめてほしいっス」
 もちろん、トリーシャもも無視を決め込んだ。

「今までの調査結果から事態を推測するっス」
 突然、テディがわけの分からないことを言い出した。世間話に花を咲かせていたふたりは、やっとテディの存在を思い出した。
「調査結果ってなんだよ。まだ何にも分かってないだろ?」
 というのもっともな(というか普通の)意見はテディの耳には届かなかった。
「つまり……(ぶつぶつ)」
 なにやらぶつぶつと考え込んだ挙げ句、どこへか歩きだした。
「テディの奴、どうしたんだ?」
「何か思いついたのかな。こっちの方向だと……自警団事務所?」
 先を行くテディにもトリーシャの呟きは聞こえたようで、立ち止まって、回れ右をした。もっとも、回れ右には見えないのだが。
「当たりっス。盗難届け出すっスよ」
 あまりに単純明解な返答に、トリーシャとは顔を見合わせた。馬鹿馬鹿しいといった表情で。
「テディ、自警団が“たかが”みかん箱を探してくれるわけないだろ」
「うん、確かにそれは言えてる」
 が自警団に対して敵意を持っているが、もし持っていなくても考えは同じだろう。みかん箱を真剣に捜索する自警団員の姿など考えられるはずもない。
「そうっスか?」
「第一な、盗まれたとは思えない」
「ええっ!?」
 テディが素っ頓狂な声を上げる。もはやトリーシャの声はなかった。というか、ふたりから離れた場所にいた。
「そこまで驚くか?」
「驚くっスよ。いったい何を根拠にそんなこと言うんスか?」
「じゃあ、どう考えたら盗まれたなんていう結論に達するんだよ!?」
「うううぅぅ、それ聞かれると辛いっス」
 あっさりと負けを認めるテディ。は虚しさを感じたが、それを声に出すとさらに虚しくなるだけなのでやめた。
 そして、テディとはようやく、みかん箱捜索が全く前進していないことに気付いた。
「結局のところ、俺たちって何やってたんだろ?」
「さあ、よく分からないっス」
 両者沈黙。
「まあここは最初に戻って考えよう」
「ういっス。考えるっス」
 また両者沈黙。
「とりあえず、ここはやっぱり聞き込みだ」
「ういっス。聞きこみっス」
 と意気込んだそのとき、トリーシャがの背中をつんつんと突っついた。
「そういえば、さっきトリーシャ何してた?」
「そのことなんだけど……」
 トリーシャは少し言いづらそうにしていたが、覚悟を決めて(というよりは情けないと思いながら)、
「みかん箱、あっちのほうにあったって」
「……」(テディ)
「……」(
「ボクたち、今までいったい何やってたんスかねえ」
「さあ」
 ふたりはそれっきり言葉を失った。ひとまず、みかん箱があるという場所へ行ってみようと、トリーシャは促した。

 そして、話題のみかん箱はそこにあった。横倒しになって、汚れてはいるものの、とりあえず健在している。そういう感じだった。
「水洗いすればどうにかなるだろう」
 が呟いた。すかさずテディのハリセンが顔面を直撃する。
「ダンボール、水で洗っちゃまずいっス」
「うん、まずいよね」
「うくく……」
 は呻いていたが、すっくと立ち上がってテディの背後に回りこんだ。
「なあテディ、覚悟くらいはできてるな?」
 テディは冷静を装いつつも、首をすくめて、うわずった声をあげた。
「いったいボクが何をしたって言うんスか?」
「……」
 はすっと手を引いた。テディが疑うこともなく肩をなでおろすのを見計らって、
「それを言うか、それを!?」
「ツッコミを入れるときにハリセンでたたくのは常識っス……ひーっ、ごめんなさいっス、ボクが悪かったっスーっ」
 は3往復ほどハリセンを入れた。パパパパパパンッと威勢のいい音がして、ううう……と威勢の悪い声がした。
「ハリセンは頭の上に入れるんだ!」
「ういっス、おっしゃるとおりっス」
 控えめに言いながら、頭の上からハリセンを勢いよく落とそうとしたが、ににらまれたのでとっさに身を引いた。
「ところで、どっからハリセンなんて持ち出してきたんだ?」
 とりあえずこの件は大目に見てもらえたらしいことに安堵した。テディはくるくると辺りを見まわして、目的のものを見つけると、
「トリーシャさん、これ返すっス」
「あ……うん」
 トリーシャはちらっとの様子を盗み見た。
「お前のかあっ!」
「えへへ……」
 ハリセンの持ち主トリーシャは冷めた笑いを浮かべながら肩をすくめた。予想より軽い罰――ハリセンの(普通の使用法で)一撃だけ――で済んだのだが、
「あぐぐぐぐ、あぐぐぐぐぐーぐーぐっぐ(いたたたた、あわてて舌を噛んじゃった)」
 トリーシャは口を押さえて飛び跳ねながら、ちらっと舌を出してウインクする癖を後悔するのだった。
 それを完全に無視して、テディはてくてくとみかん箱に近寄った。が、すぐに戻ってきた。
「あの中に何かいるっス、怖いっス」
「はあ?」(
「ぐー?」(トリーシャ)
「……普通にしゃべれよ、トリーシャ」
 トリーシャはもごもごと口ごもったあと、
「それもそうだね。それじゃあさん、見てきて」
「分かった」
 は数歩、何かが入っているらしいその箱に近づいた。
「ちょっと待て、いったいなんで俺なわけ?」
「気にしない気にしない」
「そうっス、気にしないっス」
 納得がいかないながらも、特に訝る理由もない。深く考えずにみかん箱の中を覗き込んだ。そこには、
「ねえねえ、何がいたの?」
「何がいたっスか?」
「まあ、見てみろよ」
 の反応を見るかぎり、おぞましいものではなさそうなので、トリーシャとテディはふたりそろって(テディはトリーシャに抱えられて)箱の中身を見た。
「捨て犬っスか?」
 2匹の子犬だった。眺めていると、その親らしい犬もやってきた。
「うーん、捨て犬って言うより……」
「野良犬だな」
 箱に入れて捨てられたというよりは、箱を見つけてそこに住みついてしまったようだ。
「どうするの?」
 トリーシャが訊ねた。
「取り戻すか?」
 も訊いた。
「……いいっスよ、あきらめるっス、潔く」
 とても潔くは聞こえない。が、
さんとは違うっス。取り返すなんてかわいそうっス」
 そう断言した。当然、は黙っちゃいない。
「トリーシャ!」
 突然の名指し。しかしトリーシャは、
「はいっ!」
 即座に手に持っているものを手渡した。そして両手で耳をふさいだ。
 スパーン、と快音が轟いた。
「ふぎゅーっス」
 テディは情けない声を上げていた。
「ところでさあ、トリーシャ」
「なになに?」
「なんでお前がこんなもの持ってるんだ?」
 テディを叩くのに使ったハリセンを返して言った。トリーシャは腰に手を当て胸を反らせて、当然のように言い放った。
「漫才が流行ったときに買ったんだ」
「……まあ、どうでもいいんだが」
 つくづく、流行ってのは解からないと思うだった。

 帰り道。
 テディはみかん箱を失って意気消沈していた。
「まあ、そう落ちこむなよ。箱ぐらい俺が作ってやるって」
「本当っスか?」
 すると一転して、目をきらきら輝かせた。は内心、ため息をついた。
「本当だ。豪華なやつは無理だけど」
「そこまで期待してないっスよ」
 テディは明るい声で、冷ややかに言い切った。次の瞬間、は拳を握りしめ、テディの頭の上にぐりぐりと力を込めた。
「痛いっス。冗談抜きで痛いっス」

「ただいまー」
「ただいまっス」
 ジョートショップのベルを鳴らして、アリサさんに帰りを告げた。間もなくしてアリサさんが奥から出てくる。
「あらテディ、そのたんこぶはどうしたの?」
 目が不自由なわりには、なぜかこういう細かいことには気付いてくれる。
「ご主人さまぁ、これは……」
 の名を出そうとしたが、すんでのところでに口をつぐまれた。
「はは、今日はいろいろあって……なあテディ」
「あら、クンも鼻が赤いわよ」
「いや、これは……」
「えと、それは……今日はいろいろあったっス」
 テディはしみじみとうなずいてみせた。一瞬、2人の間に火花が散ったが、アリサさんの手前、殴り合いには至らなかった。
「そうだ、この前の補修に使った材木、残ってる?」
「ええ、私はさわっていないから、まだあると思うわ」
「余った木で作るんスか?」
 テディが訝しげな抗議の声を上げた。
「まあそう言うな、屋根の補修に使えるほど丈夫ってことだ」
 思いつきで口走ったことだったが、意外と説得力はあったし、紛れもない事実でもあった。
「……それもそうっスね」
 テディもすぐに納得した。あとはの腕次第……まあ、この際、気にしないでおこう。出来が悪かったらそのときに文句を言えばいい。
「心配か? それならやめておこうかな」
「そ、そんなことないっス。断じてないっス。信じてるっス」
「ま、いいや。さあて、一仕事するか」
 は裏口に向かった。しばらくして、釘を打つ音が聞こえ出した。
「……ちょっとだけ心配っスけど」
「大丈夫、そんなに心配しなくても」
 不意にアリサさんの手ががテディの頭をなでた。
「そうっスね。ご主人様の言うとおり。っス」

 翌日、テディが起きると、目の前に木箱が置いてあった。
「意外っス、思ってたよりまともっス」
 試しに乗ってみると、案外乗り心地がいい。飛び跳ねてみても、びくともしない。塗装はしていないが、それでも充分だ。
 それ以来、この木箱はテディの定位置になった。


あとがき

  初めて主人公を登場させてみました。というのも、テディのお話を書こうとしたら、どうしても登場させざるを得なくなってしまったからなんですが。
 あと、遊び心から「五七五」になるセリフを多数入れてみました。(当初はもっと少ない予定だったのに、かなり多くなりましたね)
 しかし、3週間もかけてしまった。これまでのペースを考えるとだいぶ遅いです。夏休みの宿題に追われたり、文化祭の仕事で疲れたり、いろいろ理由もありますが、残暑でぐったりしていたのがいちばん大きいです。(^_^;)
 さあ、早いところ次作に取りかかろう。


History

1999/08/25 書き始める。
1999/09/13 書き終える。

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