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灼熱の街を行け

浅桐静人

 灼熱の陽射しを浴びて、エンフィールドはますます夏真っ盛り。往年の最高気温の記録も一気に打ち破り、炎天下の日々が続いていた。
「あっつーーーーーーーーーーーーい!」
 この暑さの中、果敢にも大声を上げたのは、リボン風のカチューシャの女の子、ローラだった。
 そうとは言えど、叫びたくなるのも無理はない。最高気温の記録を一気に打ち破るというのが比喩でもなんでもなく、疑いようのない事実なのだから。
 むしろ、夏真っ盛りというほうが比喩なのだ。例年の今ごろは夏に差しかかったあたり、気温が上がり始めたなあと皆が思い始めるころのはずだ。しかし、今やここ数年の最高気温を10度ほども上回っているという状態。異常気象もいいところである。
 ローラも声を上げたところで力尽き、ぐったりと横になって少しでも涼しくなるようにしようとしていた。もはや不快どころの騒ぎではない。
 既に街の子供たちには日中の外出禁止令が出されている。その中で、大人たちは必死になってこの気象の原因解明にあたっていた。
「セリーヌさん、お水ちょうだい……」
「はあい、わかりましたあ」
 セリーヌはすっくと立ち上がって水を汲むために歩き出す。彼女がぼーっとした口調なのは、暑さのせいというよりはもともとの性格だろう。
 いつも子供じゃないと言い張るローラだが、今ばかりは自分より体力のあるセリーヌに頼るのが正解だと判断した。水を汲むだけですら体力を消耗する。無駄な体力の消費は避けるべきだ、それほどまでに暑い。
「暑い暑いあついあついあつい……」
 机に突っ伏して愚痴を洩らす。それも長くは続かない。
「はああ、いったいぜんたいどうなっちゃってるんだろう」
 稀に見る超高気温。いや、今を除けば稀にだって見ないだろう。そういえばここ最近、一滴の雨も降っていない。今はまだ暑さに倒れた人はいないようだが、そのうち被害者が出るだろう。一刻も速く原因が究明されなければ大変なことになる。
「ローラさん、はい、お水ですよ」
「ありがと、セリーヌさん」
 渡されたコップを手に取ると、一気に中の水を飲み干す。朝からかなり多く水を飲んでいるが、それでも足りないくらいだ。
「ねえ、セリーヌさん」
「なんですかあ?」
 いまさら何ですかもないとは思うが、彼女の性格では仕方ないか。……話題など、暑さのことに決まっている。あるいは暑さを紛らわせるための御託かもしれないが。当然、ローラは前者だ。
「やっぱり変だよね」
「はい? なあんのことですか?」
 この状態でよく本気でそんなことが訊ねられると思ったが、思ったところで何にもなりはしなかった。彼女にはしつこいほどに説明を重ねるしかないようだ。
「この暑さ、変だよね」
「はあい、とっても暑いですよねえ」
 この期に及んで笑顔で答えるセリーヌは、実は並々ならぬ精神の持ち主なのかもしれない。ここからさらに暑くなっても、彼女の表情は変わらないのだろうか。本当に変わらないような気もする。
 とにかく暑くて気を紛らわせたい一心で、ローラは頭を上げた。その目に映ったのはこの教会の扉の前で佇むクリスの姿だった。
「あれ、クリス君じゃない、どうしたの?」
「あの、その……。とりあえず、お水いただけませんか」
 クリスはしどろもどろになって答えた。
「セリーヌさん、おねがい。クリス君、とりあえず座ってて」
「あ、はい」
「はあい、わかりましたあ」
 セリーヌと入れ替わるようにしてクリスが椅子に座る。やはり体力を消耗しているようだ。
「で、何の用なの。こんなに暑いのにここまで来るなんて」
 学生寮からここまで、歩いて数分。しかし、それがどれだけ辛いかくらいローラは知っている。屋内で座っているだけでも辛いのだから。
「あの、実はですね。この暑さの原因を探っていたんですが……」
「何か分かったの!?」
 暑さの原因と聞いて、とっさにローラは立ち上がった。原因はいったい何? クリスが出てきたのだから魔法が関わっている? どうすれば元の気温に戻る? 次から次へと疑問が並べられる。
「えと、その……。まだはっきりしたことは分からないんですが……」
「それでもいい。今分かってること全部話して!」
 ローラはクリスの真正面に立って責めたてた。暑さで苛立ち、半分混乱している状態だということに本人は気付いていない。
「とりあえず、魔法じゃないみたいなんです。もしそうだったら魔術師組合が動いてますから、これはほぼ確実です。それで他の線でいろいろと調べてみたんですが……」
「で、どうだったの?」
「ええ。どうもエンフィールドの南西部あたりに何かあるみたいなんです。詳しい場所とかは分からないんですけど」
 エンフィールドの南西。それならそこへ行って調べるしかない。ローラの思考はそこへ直結した。
「じゃあ、今から行こっ。行ったら何か分かるでしょ」
 さっとクリスの手を引いて、ローラは教会を後にしようとした。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
「なによ、暑くて困ってるのはあたしだけじゃないんでしょ。何か手がかりがあるんだったらすぐに行動しなきゃ」
「落ちついてください、ローラさん。ここからエレイン橋まででも歩いて10分ですよ。この暑さなんですから水を持っていかないと大変ですよ。
「あ……」
 すっとクリスの手が自由を取り戻した。その手に透明なグラスが差し出された。そのグラスを持つ手に沿って視線をずらすと、セリーヌの顔に行き当たった。
「はい、クリスさん、お水ですよ」
「あ、どうも」
 急にのどの渇きを思い出したクリスは、差し出されたグラスの中の水を一気に飲み下した。
「セリーヌさん、ありったけの水筒に水を入れて。でかけるから」
「はあい、分かりました」
 これで3度目、何度も教会の奥へと往復させられてもセリーヌは嫌な顔一つしなかった。それは我慢などではなくて、本当に何とも思っていないのだろう。ローラはそういう彼女を、少しだけ尊敬した。自分がそうなりたいかどうかは別として、それも本音ではあるのだが。
 この際、そんなことはどうだっていい。暑さの悩みを解消できればそれだけでいい。

 いくつかの水筒に満タンの水を入れて、南西へ向かっていざ出発。……したまではよかったが、
「あーーーーっ、なんとかならないのこの暑さーーーーっ!」
 当然ながら屋外は強烈を通り越して凶悪な陽射しで、室内を遥かに上回る激烈な暑さだった。
「だから、今からなんとかしに行くんですよ」
「そうなんだけど、でも暑い、暑い暑いあついーーーーっ!」
「はあ、僕はどうすればいいんですか……」
 絶叫するローラをなだめようとするも、自分も暑さで嫌になり、クリスは結局困り果ててしまうのだった。
「あのー、おふたりとも、こんなところで叫んでいても、仕方ありませんよ」
「そうでございます。余計に暑苦しいだけでございますよ」
 妙なしゃべり方を聞いて、ローラは沈黙した。前者はセリーヌとして、この声は……。というか、こんなしゃべり方の人間は、ローラの知るかぎりひとりしかいない。
「って、なんでこんなところに妙な言葉遣いでいつも怪しい仮面をかぶってて、しかもアリサさんたちにすっごく酷いことをしておきながら、被害者であるアリサさんの言葉ひとつで逮捕されずに済んで、そのあとボランティア活動してるかと思えば、こんなところでサボってる変人がいるのよっ」
 ローラは振り返りながら、ここぞとばかりに文句を並べた。
「むむむっ、妙な言葉(中略)サボってる変人とはなんですか! もう私の名前をお忘れになったのでございますか? なんとも記憶力のないお方ですねえ。それに、今日はボランティアはお休みなのでございますっ!」
 いきなりあびせかけられた罵詈雑言に激怒して『妙な言葉(中略)サボってる変人』は眉を吊り上げた。だが仮面の中の眉ではなく、仮面そのものの眉が吊り上がるあたり、やっぱり怪しい。
「人のことばっかり暑苦しいって言うけどね、そのスーツ、そのネクタイ、その仮面、そのしゃべり方、そっちのほうが暑苦しいわよっ!」
「最後のほうは関係ないんじゃないですかね」
「僕もそう思います」
 ハメットの妙に冷静な反論、クリスのこっそりと呟く同意。ともかく、ローラの発言の最初のほうは2人とも認めているらしい。
「それで、ハメットさん、今日はなんのご用なのですか?」
 セリーヌの発言は、ことごとく雰囲気を玉砕するのだった。まあ、彼女が罵詈雑言の応酬に加わるというのも想像できないが。何にせよ、ハメットだけがこの発言に敏感に反応した。
「よくぞ聞いてくださいました。実はですね、このスーツはショート科学研究所の全精力をあげて開発した素材でできているのでございます。たとえ暑苦しく見えようとも、実際はものすごーーく涼しいのでございます」
 ハメットはローラのほうに視線を向けて言った。その言葉には、嫌みをたっぷりと含めている。
「で、それを自慢したいだけなの?」
 対するローラは上目遣いにハメットを見ながら冷たく言い放った。
「とんでもございません。私めはこれを皆々様にお安くご提供しようと思って出向いたまででございます。この素材で作られた服を着ればこの猛暑もなんのその、気になるお値段は2着分でなんと十万G! 今ならこの表情の変わるハメットちゃんの仮面キーホルダーもお付けしますよ」
「ああ、それください」
 即座に反応するセリーヌ。ここまできても人を怪しむことはないのか。ついでに金銭感覚もない。そして本人は何も考えていない。
 それとは裏腹に、ハメットには強力な蹴りが炸裂した。もちろんローラである。
「やめときなさい。○香千○くんのパクリだってバレバレじゃない!」
「いったい誰なんですか、その淺○○寿くんっていうのは」
 蹴飛ばされて吹っ飛び、地面に倒れているハメットの必死のツッコミはあっさりと、そして完全に無視された。
「とにかく、ちゃんとした値段を言いなさいよ」
「って、買うつもりなんですか!?」
 クリスにそう言われて、ローラは一度よく考えた。そしてハメットに人差し指をびしっと向けて言い放った。
「あたしたちはこれから暑さの原因を探りに行くのよ。だから変な商売なんかに付き合ってられないの。分かった?」
 ローラの人差し指の先にいるハメットは、なぜかこの言葉に反論しなかった。それだけではなく、
「はい? もう暑さの原因が分かってしまわれたのですか?」
「そうそう、クリス君がね、エンフィールドの南西のほうに原因があるんじゃないかだって。ね、クリス君」
「ええ、この暑さがいつまでも続いていると困りますからね。いろいろと調べてみたんですよ」
「そうなんですよ。それで、これから私たちは南西のほうへ行くんです。ところで、南西ってどちらの方向でしたっけ?」
「セリーヌさんはあたしたちにちゃんとついてくればいいの。いい?」
「はあい、わかりました」
 セリーヌはにこやかな笑顔で了解した。その笑顔とは対照的に、ハメットの顔は曇っていた。
「ハメットさん、どうかしたの?」
 なにやら真剣な顔つき(もちろん仮面)で悩んでいるハメットを、ローラは訝しげに見つめた。
「え? いえ、なんでもございませんよ。なんでもございませんとも」
「んーー、なーんか怪しいなあ」
 ローラはハメットの周りをうろちょろして、怪しげに見つめていた。
「失礼ですね。なんでもございませんったらございません! ただ……」
 最後のハメットの小さな呟きを、ローラは聞き逃さなかった。
「ただ、なんなの?」
「しつこいでございますね! なんでもございません!」
「なによー、そんなに怒ることないじゃない」
「ふん、不愉快でございます。失礼させていただきます!」
 ハメットは急に不機嫌になってすたすたと歩いていってしまった。3人は突然の豹変ぶりに唖然として、引き止める言葉も出せなかった。もっとも、引き止めようともしなかったのかもしれないが。
「ま、とりあえず行こっか」
 真っ先に口を開いたのはローラだった。そうして、皆の頭からハメットのことなど簡単に忘れ去られてしまうのだった。
「そうですね」
「はあい」
 少し空白な時間はあったものの、また3人は南西に向かって歩き出した。

(ふう、あぶないところでございました)
(暑くなくなってしまったら、この特製の服が無駄になってしまう……なんて言ったらただでは済まなかったでしょうねえ)
(はて、何か重大なことを忘れているような気も、少々するのですが……)
(まあ、いいですか……いや、やっぱり気になりますね。こっそりと後をつけるといたしましょう)
 妙な言葉(中略)サボってる変人(ハメット)は、物陰に隠れながら3人の後を追っていた。

「それにしても気になりますね」
「なにがですか? クリスさん」
「さっきのハメットさん、“暑さの原因を探りに行く”っていう言葉を聞いた途端に様子がおかしくなったような気がして」
 クリスはそれは間違いないと思っていた。決して「気がした」程度のものではない。
「そうですか? あんまり人を疑うのはよくありませんよ」
 が、話す相手がセリーヌでは意味がなかった。彼女は世の中に悪人はいないという信念のもとに成り立っているのだ。
 そんなセリーヌに感化されて、考えがうやむやになっていくクリス。そこに助け船を出したのはローラだった。
「あ、そういえば、セリーヌさんが“私たちは南西のほうへ行くんです”って言ったときも真剣な表情してたわよ、ハメットさん」
「そう言われてみれば……」
 その節はもちろんクリスにも覚えがある。後ろでセリーヌが首をかしげているのは、この際放っておこう。
「南西と、ハメットさんの接点というと……」
「うーん……」
 とりあえずセリーヌは無視して、クリスとローラは思案顔になった。が、2人ともすぐにしらけた表情に変わった。
「ショート科学研究所!」
 2人は顔を見合わせて、全く同時に叫んだ。そして互いに頷くや否や、目標に向かって走り出した。
「ああっ、待ってくださいよー」
 1人取り残されたセリーヌは、彼女なりに一生懸命追いかけるのだった。しかし、後ろ姿は遠ざかっていくばかりだったのは言うまでもない。

 その頃、
(おやっ?)
(何かあったのでしょうか、向き合って頷いたと思ったら急に走り出しましたが)
 ちなみに、見つからないように距離を空けていたため、ローラたちの声はここまで届いてはいない。
(とりあえず私も走って追いかけることにしましょう)

 がたんっ、と威勢のいい音をたててショート科学研究所の扉は開かれた。
「クリス君」
 ローラが真剣な面持ちでクリスに向かって手を伸ばした。
「……って、なんですか?」
 ローラは手を握る、開くを2回ほど繰り返し、
「お水、ちょうだい」
「あれ? 水筒ならローラさんも持ってませんでした?」
 水筒は各自1つずつ持ってきたはずだった。が、ローラは持っている水筒のふたを開け、逆さまにした。そこから水は一適もこぼれ落ちはしなかった。結局のところ、ローラは常に水を飲みながら移動していたわけだ。
 クリスのほうは、水を飲むのを忘れるほど思考に集中していたわけだ。実際、クリスの水筒の中身はまだ半分以上残っている。
 セリーヌは……まだここにたどり着いていない。
 ローラは水を分けてもらうと、やっと落ち着いた。ローラが落ち着けるほど、なぜか研究所の中は涼しかった。まあ、外と比較しての話だが。
「誰もいませんね。勝手に入っていいのかな」
「いいのいいの、さっさと調べよ」
 罪悪感を感じているクリスを尻目に、ローラは遠慮なく奥へと進んでいく。
「まあ、こういう事態だから、仕方ないですよね。……えっと、これはハメットさんの言ってた素材かな、何でできてるんだろう。ホントに涼しそうだったし」
 ローラはさっさと奥のほうに行ってしまったが、クリスは近くのものからつぶさに観察していった。
「クリス君、ちょっとこっち来て!」
「何かあったんですか?」
「とりあえず、これ見て」
 ローラが発見したものは、いかにも怪しげな装置だった。もともとはシートがかぶせられていたようだが、それはご丁寧に取り除かれている。もちろんローラによって。
「クリス君、使い方分かる?」
「ちょっと調べてみます」
 クリスは丹念にその装置を調べていった。
 それはいいのだが、ローラにはもう1つ気になることがあった。
「セリーヌさん、遅いなあ。もうそろそろ追いついてもいい頃なのに」
 そう言ってからあることに気付くまで、数秒。
「あーっ、もしかして道に……」
 ローラの頭は道に迷っているセリーヌの姿でいっぱいになった。
「とりあえず、これをこうすればいいのかな」
 頭を抱えているローラの横で、クリスは冷静に装置をいじっていた。
 刹那、ローラもクリスも、それだけでなく街にいる誰もが気付いた。汗がすうっと引いていく。2人はこの装置がこの暑さの元凶と確信した。

(ん? だんだん涼しくなってきましたよ)
(はっ、そういえば研究所に私が開発した装置が……。もしかしてあの方たちはあれを操作したのでは)
(このままではいずれ私のしたことが街中に知れ渡ってしまいますよ。ここはどうにかしなくてはなり……ま……せ?)
 ハメットの顔に影が差した。その影になにやら嫌な予感を感じつつ、ハメットは恐る恐る頭を上げた。
「話は聞かせてもらったぜ」
「だあっ、アルベルトさんっ!?」
 その人影を見て、ハメットは驚きの声を上げた。
「隊長、どうします?」
「のわああっ、リカルドさんまでっ!?」
 アルベルトの背後には、自警団第一部隊隊長リカルドの姿もあった。その表情は、怒りというよりは、むしろ蔑みの色があった。
「アル、しょっぴけ」
「はい、分かりました、隊長。オラ、ついて来い!」
「とほほ、私という者はどうしてこうも運がないのでしょう」
「自業自得ってやつだ。ウダウダ言ってねえでとっとと歩け!」
 こうして、ハメットは連れられていくのだった。誰が考えても、処分は軽くない。今度ばかりはアリサさんが優しい言葉を投げかけたところで、どうにもならないだろう。
「はあ……」
 アルベルトとハメットの数歩後を歩きながら、リカルドは人知れず、しかし深いため息をついた。

 ローラとクリスはこのあと、災害対策センターに、激暑からエンフィールドを救ったという功績を大いに称えられた。暑さに関係なかった者などいるはずもなく、彼女たちは街の誰からもちょっとした英雄扱いされる、というのがスジというものだろうが、そうはいかなかった。
 なぜなら……
「くしゅん……ううう……」
 通常の気温に戻ったということは、すなわち超高気温から15度以上のも温度変化があったというわけで、エンフィールドには風邪をひく人が続出した。英雄たちも例に洩れず、休養生活を余儀なくされたのだった。
「単なる風邪だ。まあ、ゆっくり休んでいればすぐにでもよくなるだろう」
「はーい。それにしても、暑さから救った、クリスくんもだけど、っていうのに、誰もあたしのお見舞いに来てくれないの? 寂しいなあ」
「来たくても、みんな今ごろはふとんの中だ」
「あ、そっか……くしゅん……」
「まあ、今は何も考えずに休んでいればいい。さて、私はまだたくさんの患者を診なければならないから、まあ、みんな単なる風邪だろうがな、そろそろ失礼するよ」
「はーい」
 心なしか、トーヤの口調が優しく感じられるのは、彼自身もローラに感謝している気持ちがあるからだろう。
「気温が一気に下がったとはいえ、こうも街中が風邪にやられるものか。第一、単なる風邪でいちいち往診しなくてはいけないとはな」
 教会の外へ出たあとのトーヤは、いつもに増して不機嫌だった。これからエンフィールドを一回りである、無理はない。

「いったい、ここはどこなのですかあ?」
 風邪の大流行もいざ知らず、セリーヌはどことも知れない場所を1人で歩いていた。エンフィールドは風邪騒ぎに気を取られ、セリーヌのことなどすっかり忘れ去られていたのだ。教会でふとんにくるまっているローラにさえもである。
 そのことに誰かが気付くのは、何日か後、ローラが元気になってからなのだろう。


あとがき

 9作目です。ひさびさにキャラがたくさん登場しています。(ちょっとしか出てないキャラが多いですが)
 この作品は、暑い部屋(午前0時でたまに30度を超える、しかも7月の始め)をどうにかして精神面で涼しく感じようというコンセプトをもって書きました。(どういうコンセプトなのやら……)
 そういうわけで、最初に思いついたのはローラの叫び(笑)と気温の劇的な下降による風邪の流行でした。そこにハメットを入れて笑い要素を足し、クリスを入れて軌道修正。そしてセリーヌでオチを付ける。なかなか書いてて楽しかったです。
 次はいよいよ10作目。どういう作品を書こうかなあ。


History

1999/07/09 書き始める。
1999/07/14 書き終える。
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