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動物の絵の時間制限タイムリミット

浅桐静人

「いらっしゃい、宙に絵が描けるペンだよーっ」
 陽のあたる丘公園に、行商人の声が駆け渡った。
「今日こそは本物ですよーっ」
「今日“こそ”ってどういう意味だーっ、ヤスっ」
 見るからに怪しい営業スマイルでジョンはヤスにげんこつをお見舞いした。
「あ、兄貴、痛いです……」
「おっ、そこの人、見ていかない?」
 ヤスの抗議を無視して道歩く人に声を掛ける。
「へっ? あたし?」
「そうそう、お嬢ちゃんのこと」
「お嬢ちゃんじゃないもん。立派なレディーだもん」
 ローラは訂正した。
 商売上、こういうときは言いなおすなりなんなりするべきなのだが、ジョンは笑顔のまま黙り込んだ。
「兄貴、こういうときは“そうですね”とか“ごめんなさい”とか言うべきんじゃないスか? どう見たってレディーには見えませんけど……あっ」
 ちらっとローラの様子を窺って、ヤスは口をつぐんだ。
「そうか、ヤス。さすがはわが弟分。そうだな、お嬢ちゃ……いや、お嬢さ……」
「むっかーっ、何よ何よ、2人でよってたかって、どうせ大人には見えませんよーだ」
 ジョンの言葉は途中で遮られた。
 ジョンといいヤスといい、人の機嫌を取るのは苦手らしい。
「で、今日は何? またどー見ても怪しい商品売ってるの?」
 機嫌を損ねたローラは、さりげなく罵詈雑言を浴びせかけた。ただ、言っていることは紛れもない真実ではあるが。
「“また”って……まあいいや、今日はこの」
 と言ってジョンはどこから見ても普通のものにしか見えないペンを掲げた。
「これは宙に絵が描けるという珍しいシロモノ。今ならお値打ち価格の200G!」
 パチパチと、わびしい拍手が起こった。手を叩いているのはヤスだけだ。
「ふーん、そう言ってただのペンを売りつけるって寸法なの?」
 じとっとした疑いの眼差しを向ける。普段なら、『ただじゃないよ、これはれっきとした雑貨店で20Gで買った……』と言って、ヤスにつっこまれるのがオチなのだが。
「今日は本物ですよ。ねえ、兄貴」
「おう、当然だとも、ヤス」
 ヤスの言葉に、ローラは疑いの眼差しを解いた。
「うーん、ジョンさんの言葉は信じられないけど、ヤスさんは嘘をつくような人じゃないし……」
「あれは、俺は嘘つきだってことなのか、ヤス?」
「そうでしょうね、兄貴」
 スマイルを浮かべたまま落ちこむジョンを、ヤスは慰めようともせずにきっぱりと言い切った。
「うん、なんかおもしろそうだし、100Gでちょうだいっ」
 ローラはやっと明るい口調になった。が、
「おい、ヤス」
「何ですか、兄貴」
「俺、確か200Gって言ったよな」
「ええ」
「今、この娘は100Gって言ったよな。間違いないよな」
「ええ」
 ジョンはローラのほうを向いてひとつ咳払いをして、
「180G!」
 きょとんとなるローラ。しかし負けてはいない。
「101G!」
「ええい、160!」
「102!」
「ならば150!」
「103!」
 ヤスは兄貴を情けなく思いながら、それでも何も言わずにこの交渉を聞いていた。
「仕方ない、140!」
「104!」
「くう、なかなかしつこいな、125でどうだ!」
「ジョンさんもしつこいわよ、105!」
 この場合、ジョンの言い分のほうが正しいように思える。
「こっちだって商売なんだ、120!」
「もういいじゃない、106!」
 ペンの値段をめぐっての、熾烈な争いだった。2人にとっては。ヤスは傍観を決め込んでいる。こういうときは黙って見ているのが最善だと知っている。
「ならば、110!」
「んーと、108!」
 どう考えても自分のほうが不利だというのに、ジョンは気付いていないらしい。
「……109」
「……それでいいわよ」
 さすがに疲れたのか、二人は肩で息をしている。勝負はローラに軍配が上がった。まあ、勝負は目に見えていたのだが。
 ローラは財布から109G取り出して、ペンを持って駆け出していった。
 一方のジョンたちは、
「って、なんでこんなに少なくなっちまったんだ?」
 ジョンの問いに、ヤスは答えなかった。あるいは、答えられなかった。

「あおーい空にー、絵を描こうーっ」
 ローラは宙にペンを走らせていた。106Gまで値切って買ったペンは、想像以上のものだったようで、自然と歌を口ずさみたくなる。
「ねえ、なにやってるの?」
「るん、るーん」
 話しかけたトリーシャには全く気付かず、鼻歌混じりにペンを上下左右に動かす。
「るん? って、ローラっ、なにやってるのーっ?」
「へっ? あたし?」
「そーそー、なんか変なのが浮いてるけど」
 空に描かれた不思議な模様を見ながら、トリーシャ。
「変なのって……。絵、描いてるんだけど」
「ふうん、どうしたの、そのペン」
 空に絵を描くということに疑問を感じないのか、トリーシャはあっさりと納得した。空に絵が描けるくらいで驚いていては身が持たないというのも正論か。
「あっちでジョンさんが売ってたの」
「ふうん、今日はまともに商売やってるんだ」
 ジョンの悪徳商売ぶりを、うわさ話に敏感なトリーシャが知らないはずはない。当然ながら、その失敗ぶりも。
「なんか楽しそうだね。よし、ボクも買ってこよっと」
 思い立ったら即、行動。トリーシャは公園へ向かった。
 ローラはさっきの絵の続きを描き始めた。
「変なの……猫なのに……」
 自分の書いた幾何学模様を見つめながら、ローラは独りごちた

「ジョンさん、ボクにもあのペンちょうだい」
 公園に着くなり、トリーシャは唐突に言い出した。
「あのペンって、なんだっけ、ヤス」
「ほら、あのローラって子に値切られたやつですよ、兄貴」
「おお、そうか」
 ジョンは袋を探り始めた。
「おっと、最後の1個だ」
「で、いくらなの?」
「294G」
 即答した。ローラに値切られた分を取り返そうとしているのがバレバレだ。
「……なんか半端な値段だね」
「ま、まあいいじゃないか、なあ、ヤス」
「ええ、兄貴」
「うーん……もうちょっと安くならない?」
 トリーシャの言葉に、ヤスは嫌な予感を感じた。
 嫌な予感は的中。ジョンはあっさりとトリーシャのペースに巻きこまれた。
「なら、287G」
「うーん、どうしよっかなあ」
「275G」
「もうちょっと安くならない?」
「うーん、253G」
 ジョンはでたらめな値段を並べていく。
「えーと……」
 トリーシャとの交渉は長々と続いた。
「うん、その値段でいいよ」
 トリーシャが首を縦に振ったのは、5分後だった。
 最終的な値は、104G。ローラよりもトリーシャのほうがしつこかった。
 トリーシャは嬉々としてローラのいる場所に向かった。
「……」
 一方、ジョンはまたしても値切り倒され、落ちこんでいた。
「俺って、商売に向いてないのか、ヤス」
 弟分からの返事はなかった。

 トリーシャが帰ってきた頃には、ローラの絵はいくつか描きあがっていた。
「えっと、これは……ねずみ?」
「……それ、猫なんだけど」
「あっと、じゃあ、こっちは……牛?」
「……羊」
「んーと、これは……馬だね」
「犬」
 ことごとく描かれているものを外すトリーシャ。ローラはためいきをつく。
「ふーん、分かんなくてもいいもーん」
 さっとトリーシャから視線をそらして、また絵を描く。
 気まずい雰囲気を作ってしまったトリーシャは、とりあえず自分も絵を描いてしゃべりかけるタイミングを作ろうとした。
「えっと、こういう場合、やっぱり動物を描くのがいいかな」
 ささっと慣れた手つきで絵を書き始めた。瞬く間にウサギの絵が出来あがる。
「あれ? トリーシャちゃんのペンって白色なんだ」
 自分の描いたピンク色の動物を見ながらローラが話し掛けた。
「あ、そういえば」
 そのことに今気付いたトリーシャ。
「気にしてなかったけど、ウサギはもともと白色のつもりだったからいいや。次は何を書こっかなあ」
「あたしも違うの書こうっと」
 ローラはもう何を書くか決めてあるようで、すぐにペンを動かしていった。トリーシャはいろいろ考えた結果、象を書くことにした。
 一本、線を引いたところで、
「あ、れ? ねえねえ、ローラ」
 首を傾げて呼ぶ。
 振り返ったローラもその線を見て首をひねった。
「黄色い、よね」
「うん」
 さっきの白色と、この黄色とでは明らかに色が違う。
「もしかして……」
 トリーシャは何かを思いつき、ペンでぐるぐると円を描いた。
「やっぱり……」
「えっ、これってどういうこと?」
 トリーシャの描いた円は赤、青、黄、緑などが入り混じり、まさに虹色と言うべき色彩だった。
「なんか、思ったとおりの色になるみたいだよ」
「えーっ! あたしも試してみるね」
 言うが早いがローラはペンを一直線に振った。ペンの軌跡がラインで示される。淡いピンクではなく、はっきりとしたブルーのラインだった。
「おもしろーい」
 ローラは歓喜の声をあげて、さらに絵を描くペースを速めた。トリーシャもそれに負けじと次の絵にとりかかる。
 ものの数分で、絵の動物園が出来あがった。
「ふう、ボクもう疲れちゃった」
「あ、あたしも」
 無我夢中で絵を描いていた2人は、くたくたになっていた。
「よく見たら、すごくたくさん描いたね」
 ローラの言葉を聞き、トリーシャは一面を見渡した。かなりの数の動物の絵がある。よくこれだけ描けたものだ。
「う、うん」
 約半分は自分が書いたとはいえ、この数にトリーシャは圧倒された。
「こうして見てると、今にも動き出しそうな気がするね」
「うんうん、この鷲なんて、今にも飛び立ちそう」
「それ、ハトなんだけど……」
「あ、あははは」
 トリーシャは引きつった笑いを浮かべた。
 そのとき、不意にがさっという音がした。見ると、ハトの羽の形が変わっていた。
 2人は顔を見合わせた。
「こ、これって……」
「う、動くの!?」
 指示を与えれば、その通りに動く。描いた者の意志に従うらしい。
 ハトが地を駆け、犬が空を飛び、羊が宙返りをする。滅茶苦茶だが、まるで本当に生きているかのようだ。
 しかし、ずっと見ていたいのはやまやまだが、もう日が暮れてきた。楽しく過ごす時間は短く感じる。
「そろそろ帰ろっか」
「そうだね、暗くなってきたし」
「でさ、これ、どうする?」
 ローラは動物たちを指差して言った。どちらも消し方を知らない。
「どうしよう?」
 ふたりしてその場で首をかしげた。不意にトリーシャが両手を叩いて叫んだ。
「みんな、自由に飛んでいけ!」
 トリーシャの描いた動物がみんな、大空に向かって翔び立った。
 ローラは、鮮やかなピンク色の小鳥を描いた。そして叫んだ。
「あたしのも、みんな、飛んでけーっ!」

 その夜、自警団事務所に一つの仕事依頼が舞い込んだ。
――変な物体が暴れているので押さえて欲しい。
「はあ? なんなんだよ、一体」
 勤務時間外の依頼に、アルベルトは不機嫌そうだった。
「まあ、実際に見ていただければ……」
「分かった分かった」
 しぶしぶ、アルベルトはグラシオコロシアムに向かった。

「こ、これは一体……」
 コロシアムに入ったアルベルト。状況を目にして絶句した。
 得体の知れない、骨組みだけの動物が暴れている。
 アルベルトは頭をかかえた。目の前で起こっている事態を理解できない。
「アルベルトさん、どうします?」
 第一部隊の隊員の1人の呼びかけに、アルベルトはやっと意識を取り戻した。
「あ、ああ。とりあえず……」
「とりあえず?」
「突撃だーっ、オレに続けーっ!」
「や、やっぱり」
 コロシアムのど真ん中に向かって突っ込んでいくアルベルトを見ながら、悲鳴を上げる隊員たち。仕方なく、アルベルトを追いかけて走り出した。
「とりゃあーっ、覚悟ーっ!」
 アルベルトは長槍を突き出した。槍は動物に見事命中して、空を切る。確かに当たったはずなのに。
「ならばもう一度っ!」
 またまた命中。しかし、そのまま通りぬけるだけ。埒があかない。
「あ、アルベルトさん。これは一体……」
「オレが知るか! そんなこと!」
 やけになって槍を振り回すアルベルト。なにをどうしようとも状況は変わらない。
「アルベルトさん、何度やっても同じだと思いますが」
「はあ、はあ。何なんだ、一体!?」
 突いても全く手応えのない相手に、アルベルトは覇気をだんだんと失いつつあった。
 しかし……
「ん? 数が減ってないか?」
 心なしか、そんな気がする。
「た、確かに減ってますね」
 隊員たちは口を揃えた。何がいくつ減ったかは知らないが、はじめ見たよりも少ないことは明らかだった。
 そんな彼らの目の前で、馬か犬か分からないような物体が姿を消した。
「消えましたね」
「ああ、消えたな」
「どうなってんだ?」
 この状況を説明できる人間はいなかった。ただただ首を傾げるばかり。
「それにしても、これ、何なんでしょう?」
 動物だけだと思っていたら、虹色の輪と青色の線も動き回っていた。もう全体の数は数えようと思えば数えられるほどに減っていた。多いには多いが。
 その中で、輪と線は妙に目立っていた。あとは全部、動物だ。
「せやっ!」
 アルベルトは槍を突き立てた。案の定、すり抜けるだけで何も変わらない。
「ちっ、これが元凶かと思ったんだが」
「それは、ちょっと単純すぎませんか?」
「オレもそうは思う」
「まあ、アルベルトさんの予想が当たってても驚きはしませんが」
「同感だ」
 いつの間にか、第一部隊の面々は、ただ動物たちを見ているだけになっていた。
 皆の視線の中で、動物はひとつ、またひとつと姿を消していった。虹色の輪も青色の線も、すでになくなっていた。
「一体、なんだったんだろうな」
「さあ」
 動物たちは、もう指折り数えられるほどに減っていた。
「オレたち、何しに来たんだか」
 アルベルトは誰にともなく呟いた。
「何しに来たんでしょうね」
 隊員のうちの誰かが、アルベルトに答えるように言った。
 目の前で、最後に桃色の小鳥がが消えた。
 ローラとトリーシャが分かれて、ちょうど6時間後のことだった。


あとがき

 悠久SS6作目。そして、悠久SS投稿の旅の2作目です。  今回は、会話中心を心掛けて書いてみました。ネタが会話中心に不向きだったと途中で後悔したりもしましたが、なんとか書き終えました。
 実は、このSSは7作目になる予定だったんですが、同時進行していたシーラSSが途中で停滞したため、こっちのほうが先に書きあがってしまいました。もちろん、シーラSSは現在進行形で書き進めています。
 気に入ったHPや、気まぐれにたどり着いたHPにSSを投稿していくという「悠久SS投稿の旅」は、これからもやっていきます(たぶん)
 あと、感想や今後のSSのリクエストなど、お待ちしています!

 このSSはらいむさんのHPに投稿したものですが、SSコーナー封鎖に伴い、こちらで掲載することになりました。内容の変更はありません。


History

1999/05/25 ICQで送る約束をする。
1999/05/26 書き始める。
1999/05/30 書き終える。

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