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クラウド医院の魔法戦争マジカルウォーズ

浅桐静人

 ある日の昼下がり。
 がっしゃーーん。
 クラウド医院の騒音が、のんびりとしたエンフィールドの雰囲気をぶち壊した。
 ぶち壊したのは事実だが、誰かが聞いていたと言うわけではない。もしも聞かれていても、「またか」の一言で済ませられるような出来事だ。
 騒音の原因であるディアーナの足元には、当然ながら、カルテや薬品などが散乱していた。
 こんな状況、クラウド医院に立ち寄れば、かなりの高確率で見ることができるだろう。たとえ見たくなくても。いや、見たいと言う人はまずいないだろうが。
「大変っ、速く片付けないと! あっ!」
 がっしゃーーん。
 慌てて片付けようとしたディアーナが、つまずいてさらに状況を悪化させる。
「あ、あはは……すぐに片付けます」
「……」
 トーヤが無言で見つめている中、ディアーナは必死に片付けようとする。が、意気込みはいつも裏目に出る。
 がっしゃーーん。
 今日3度目の、持ち物を引っくり返す音。
「ふえええん、ごめんなさあい」
「まったく、いつもいつも……」
 トーヤが、怒る気すら失くしたように、あきれた声を出す。それほど、ディアーナの失敗は見飽きているのだ。毎日と言ってもいいだろう。
 ディアーナが初めて押しかけてきたときは、
「まあ、時にはこんなこともあるだろう」
 などと言ってはいたのだが、今ではそんなセリフはとても言えそうにない。
「きゃあっ」
 がっしゃーーん。
 ディアーナの、悪意のない破壊行為は、飽くこともなく続く。
「もういいから、買い出しにでも行ってこい」
 トーヤの決めぜりふだった。できれば、言わなくてもいいほうがいいのだが、それは叶わぬ夢のようだ。
 とまあ、これが普段の様子。
 しかし、今日はそういう展開は繰り広げられなかった。
 だからと言って、ディアーナが無難に(無事に)仕事をこなしていたわけではもちろんない。カルテ・薬品・その他の品々をぶちまけるまではいつもの展開だった。
 違うのはその後だ。とは言え、単に、トーヤが隣街まで往診に出かけていて、5日ほど医院を空けているだけだった。
 トーヤがいないという状況の中、ディアーナがどうしているかというと、壮絶にぶちまけられた物の数々を、ぼーっと眺めているだけだった。
 唖然とした表情といえばいいのか、焦ることも慌てることもなく、足元を静かに眺めているだけだった。様々な物が落ちる豪快な音とは一転し、クラウド医院は沈黙していた。
 クラウド医院の空気が動いたのは、数秒後。
「こんなとき、魔法が使えたら便利かなあ」
 誰かが聞いたら「お前、どっかに頭ぶつけたか?」とでも言われそうなディアーナの発言が、沈黙を終わらせた。先ほど、本当に頭をぶつけていたりもするのだが。
 ディアーナは良くも悪くも、有言実行の人間だった。言うが早いが、ディアーナはクラウド医院を飛び出した。
 散乱したカルテや薬品や医療器具や食料や皿などを置き去りにして。

 どんどんどん。
 魔術師組合の扉を叩く音は、今日も元気いっぱいだった。
「まったく、いつもいつも……」
 この音は、クラウド医院の騒音や、セリーヌが道に迷うことと比べても、ひけを取らないほど日常的だ。
 騒音の主は、もちろんあの魔法好きのマリア。何度追い返しても、性懲りもなく毎日やってきては、
「開けなさーいっ」
 と喚きながら扉を叩きに来る。たまに、扉に向かって呪文を唱えたりしてトラブルを巻き起こすので、無視したくてもできない存在だ。当然、ブラックリストに記載されている人物の中でも、不動の第一位の座を得ている。
「いい加減にしないか!」
 中から1人の魔術師が出てきて怒鳴った。
 言うまでもなく、金髪の魔法少女を想定していた彼だったが、扉の前に立っていたのはマリアではなかった。
 ディアーナだった。
「いったい、ここに何しに来たんです?」
 意表をつかれると、ふいに丁寧語でしゃべってしまうのは誰でも同じようだ。
 怒鳴られるとは思ってもいなかったディアーナは、その場に立ちつくしていたが、すぐに我に帰った。
 羞恥心よりも好奇心のほうが遥かに大きいディアーナは、
「あたしに魔法を教えてください!」
 聞いている者がめまいを起こすような大声で言い放った。
 ディアーナの言葉に魔術師は思考をめぐらせた。
 トーヤがディアーナに魔法医学を勉強するように言っていたのは知っているが、果たしてどう対応したらいいのだろう。無論、魔術師組合に入れるつもりは全くないのだが。
「お願いしますっ、あたし、頑張りますから」
 意欲はあるようだが、偉大なトラブルメーカーぶりは周知の事実だ。
「あきらめて帰ってくれ」
 ディアーナの意気もむなしく、魔術師組合の扉はがっちりと閉ざされた。
 ……
「えっ? ちょっとお、開けてくださいよーっ!」
 ディアーナの声に応えるものは、誰もいなかった。

 そして、2時間後。
 どんどんどん。
 ディアーナはまだ扉を叩き続けていた。
 何事にもめげない性格も、ここまでくると迷惑なだけだ。
「ディアーナ、なにしてるの?」
 懸命に扉を叩くディアーナを見かけて、マリアが話しかけた。
 異様な光景を見かけたからか、自分も魔術師組合の扉を叩きに来たのか、おそらく両方だろう。
「聞いてくださいよ。あたしが『魔法を教えてください』って言ったら、『あきらめて帰ってくれ』って言うんですよ。あんまりです」
 ディアーナが涙目に言った。
 唐突にそんなことを口走ったら、追い返されるに決まっているとは思わなかったのだろうか。と、自分のことは棚に上げて、マリアは思っていたが、
「ここは、マリアみたいな超一流の魔術師じゃないと開けてくれないの!」
 そう言いながら、自分も扉を叩き始めた。どこから見ても、超一流の魔術師がとる行動ではないし、そもそもマリアが超一流の魔術師なはずはない。
 扉を叩く人数に比例して、騒音が倍になった。中にいるものにとっては当然、うるさくて迷惑だ。
 間もなく、たまりかねた魔術師の1人が出てきて、
「いい加減にしないか!」
 前回を凌駕する声で怒鳴り、2人が言葉を発する前に扉の向こうに消えていった。
 それであきらめるような2人ではない。また扉を叩きに行こうとしたが……扉に触れる直前で弾かれた。
「ぶーっ、なにも結界まで張らなくたっていいじゃない!」
「そうですよ、ひどいです!」
 マリアとディアーナの怒声が、通りかかる人たちを魔術師組合に寄せ付けなかった。

「どうしますか?」
「ああ、やはりこういうことは厳しくしておかないと」
 このあと、魔術師組合でとある会議が行われた。
「要注意人物、というところか」
 それは、ブラックリストにディアーナを加えるかどうかというものだった。
「しかし、あの娘がねえ。やはりこの前の事件が……」
「おそらく、そうでしょうね。しかし、はた迷惑なものだな」
「少しは常識ってものを……」
 異議もなく、結論はその日じゅうに出た。
 次の日から、ディアーナはブラックリストのナンバー2に位置付けられた。

 そんなことは知る由もなく、ディアーナはマーシャル武器店にいた。
 エルとけんかになるといけないので、マリアは一緒ではない。
「エルさん、あたしに魔法を教えて下さいっ!」
「はあ?」
 いきなりそう言われても、そうとしか答えられない。
 邪竜の封印が解けて、思うように魔法が使えるようになったとは言え、エルに魔法を教えてくれと言うような人はいなかった。おそらく、この先もずっと。
「何があったかは知らないが、アタシには教えられないよ」
「エルさんも頑固アルねえ、少しぐらい教えてあげてもいいじゃないアルか」
「あんたは黙ってな」
「はいアル……」
 口を挟んだマーシャルを一言のもとに黙らせ、エルは話を続けた。
「アタシは魔法ってのはあんまり好きじゃないんだ」
「好きじゃないって、どうしてですか? 便利なのに」
 数ヶ月前に「魔法医学は邪道」などと言っていたとはとても思えない発言だ。
 トーヤが魔法を使えるようになった途端、魔法に対する偏見は霧散したらしい。
「便利でも、危険が付きまとうからな。マリアみたいに。例えマリアみたいにそういう自覚なしに使わなくたって、マリアみたいに失敗して、マリアみたいにトラブルを引き起こすのも嫌だ」
 一言ごとにマリアの名前を出して強調するあたり、マリアとの仲の悪さを感じさせる。マリアを連れてこなかったのは正解だった。
「つまり、エルさんは失敗するのが怖いアルね」
「だから、あんたは黙ってな」
「承知したアル……」
 性懲りもなくマーシャルが口を挟むが、やはりエルの一言で撃退された。
「ま、そういうわけだ。他を当たってくれ」
 ディアーナは、エルから魔法を教わるのは無理だと判断し、そのまま何も言わず外に出た。
 と、そこに、待ってましたとでも言うかのようにマリアがいた。エルの反応を覗き見していたらしい。
「ほら、やっぱりダメだったでしょ。エルってば頭が堅いんだから」
 魔法を使えるようになっても、エルを見る目は変わらないようだ。魔法が使えないからとからかえなくなった程度か。
「それより、なんで急に魔法を使いたいなんて言い出したの? ディアーナ」
 今ごろ気付いたのか、マリアが訊ねた。
「えっと、それは……」
 そんなことを質問されるとは思っていなかった。どう説明したものかと考えて、すぐに結論に至った。
「とりあえず、クラウド医院まで来てください」

 クラウド医院の扉を開けて、まずマリアが感じた印象は、
「すごい」
 この一言だった。
 何者かに荒らされたような惨状だ。が、マリアはすぐに全てを悟った。マリアも、こんな状況は幾度となく目にしている。
「で、これをもとに戻したいっていうこと?」
「そうです」
 なんのためらいもなく、ディアーナが答えた。
 情けなく思い、マリアはひとつため息をついたが、
「これくらい、マリアが何とかしてあげるよ」
 ディアーナが魔法に興味を持ったのがうれしいらしく、上機嫌で言った。しかし、マリアが魔法を使うとどうなるかくらい、ディアーナは知っている。
「だいじょうぶなんですか?」
 それでもディアーナは、正面向かって「失敗するに決まってます」とは言えなかった。
「物を動かす魔法なんて、基本中の基本じゃない。楽勝楽勝っ☆」
 確かに基本中の基本であることは間違いないが、それですらことごとく失敗させるマリアに言われても、手放しで安心などできはしない。
「失敗して、物を壊さないでくださいよ……」
 正直な意見だった。それ以前に、ディアーナ自身がかなり壊しているとは思うが。
「大丈夫、大丈夫。てやっ」
 マリアが手を掲げると同時に、医療器具が浮き上がり……そのまま天井にぶつかって落下した。
「あわわわっ」
 途中までは成功したように見えたので、ディアーナは少し安心していたのだが、きっちりオチはついていた。
「ふう、あぶない……って、きゃあああ」
 医療器具をつかんでも、足の踏み場もないところへ踏み込んだのだから、つまずくのは当たり前だ。
 さらに、広いとは言えないクラウド医院で転ぶということは、つまりはどこかにぶつかるということだ。
 がんっ。
「いたたた……」
 案の定、ディアーナは机に頭をぶつけた。
「あれ? おっかしいなあ」
 ディアーナのことは完全に忘れて、マリアは魔法をやりなおす。
 青い薬品の入ったビンが宙を舞い、もとあった場所に並べられた。
「よし、成功っ☆」
 そう思って気を緩めた瞬間、ビンはぐらっと傾いた。
「危ないっ」
 さっきの出来事のあと、ディアーナは神経を張り詰めていた。即座に反応してビンを押さえた。見事な反射神経だったが、そのまま勢いあまって棚に激突した。
 バランスを失った棚は、ぐらっと傾いた。
「ルーン・バレットっ」
 マリアは、魔法の威力で棚を向こう側に押し戻そうとして、呪文を唱えた。
 マリアの指先から放たれた魔法は、マリアの思惑どおりに棚を押し戻した。しかし、必要以上に力を加えられた棚は、反対側に転倒した。
 無事に済んだのは、ディアーナの手にあったビンだけだった。
「だ、大丈夫。時を戻せば……」
 時間逆行は、もちろん超強力な魔法だ。
 それすらも使えると思いこんでいる(実際に出きるわけはないのだが)マリアは、構成を編みはじめた。
「これ以上、被害を広げないでください!」
「えーいっ、★※▽◎!☆…●」
 ディアーナの悲鳴は届かず、マリアは呪文を詠唱した。
 魔法が発動して、医院の時はゆっくりと逆行していった……。そして、棚がこっち側に倒れてくる直前というところで、時間の流れは元に戻った。
「へっ?」
 さらに時間が逆行していくと思っていたマリアは、情けない声をあげたが、自分のほうに倒れてくる棚に気付いてとっさに跳び退いた。
 ばったーん。
 棚は周囲の器具を巻きこんで倒れ、足元に隙間なく散りばめられたカルテと薬品を下敷きにした。
 ばたん。
 それと同時に、やけに現実的な音が、クラウド医院全体に響いた。
 遅れること、数秒。2人の視線が、同時に扉のほうを向いた。
 クラウド医院は、長い沈黙に包まれた。

「まったく、派手にやったものだな」
 状況とつりあわない冷静な声が、2人に突き刺さった。
「トーヤ先生」
「なんだ、ディアーナ」
「お帰りは明後日のはずでは……?」
 ディアーナが恐る恐る訊ねた。
「ああ、予定より早く用事が済んだんでな」
 そしてまた沈黙。
「トーヤ先生」
「どうした、ディアーナ」
「この2日間は、怪我人も病人もいませんでしたよ」
 ディアーナは、トーヤの様子を探るように――探る必要はないのだが――報告した。
「……そのようだな」
 再度、長い沈黙。
「トーヤ先生」
「……他に何かあるのか、ディアーナ」
「マリアちゃんが……」
 見ると、マリアがそろりそろりと、扉のほうに向かっていた。
 トーヤが視線を向けると、マリアの動きが止まった。マリアは、あきらめとも恐怖ともいえる笑みを浮かべていた。引きつった笑みのまま、マリアの表情は凍りついた。
 トーヤは無表情のままだったが、視線はマリアを捉えて離さない。
「トーヤ先生」
「……」
 無言のまま、トーヤはディアーナのほうへ向き直る。
「……」
「……」
 この世で一番長い沈黙が訪れた。
「トーヤ先生」
「……言いたいことがあるのなら、今のうちに言ったほうがいいんじゃないか、ディアーナ。」
 トーヤの表情には、全く感情はなかった。状況が状況だけに、こういう表情は激怒をあらわにするよりも数倍恐ろしい。
「……ごめんなさいっ!」
 ディアーナの一言は、この場に一番ふさわしいと言える言葉だろう。
 それを聞いて、トーヤはひとつ息を吸った。

 その夜、クラウド医院で何が起こったかは……想像にお任せしよう。
 以降、ディアーナが魔法嫌いになったのは……言うまでもない。


あとがき

 完成順に4作目、そして「悠久SS投稿の旅」の始まりを告げる作品です。
 次はどこのサイトに進入しようかな(笑)

 命題「お医者のネタとはちょっと離れたディアーナのお話」
 このリクエストなくして、この作品はありえなかったですね。
 前回、ルーの一人称でまとも(?)なストーリーを書いたこともあってか、突拍子もない考え(散らかった物を片付けるために魔法を教わろうとする)を、「もういいや、このネタで行こう」と、採用してしまったわけです(笑)
 こんな無茶苦茶な展開、苦労するだろうなあと思いつつ……改訂入れて3日。
 この異様に短い所要時間に一番驚いているのは、僕自身でしょう。なんてったって、前回が、今までの半分の時間(11日)で書き上げたと喜んでいたのに、今度はさらに3分の1未満だったんですから。
 クラウド医院の魔法戦争、しかし魔法を使ってるのはマリアだけ。でも言葉の響きが好きだからよしとしましょう(笑)

 追記(2001/09/01)
 このSSは、はりやあゆゆさんのHP「時雨猫暇つぶしの宿」に投稿したものですが、悠久コーナーがなくなったため、こちらに再掲載することになりました。
 なお、内容の改訂はありません。


History

1999/05/15 ICQでSSを送る約束をする。
1999/05/16 書き始める。
1999/05/17 書き終える。
1999/05/18 改訂。

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