趣味のワード・サーフィン wordsurfing (その1)

言語学や国語学が専門ではないが、言葉というものが好きである。少年時代にテレビや本もなく、国語辞典を読んでいたせいかも知れない。趣味とも言える。気になる言葉に、できるだけこだわって調べたい。と言っても、専門的な文献はないので、岩波の広辞苑や古語辞典程度の手掛かりで、言葉と言葉のつながり(リンク)を見つけるワード・サーフィン(脇田の造語)を楽しみたい。子どもの頃の「辞書引き遊び」のインターネット版といったところ。そんな中で、いま関心をもっている韓国・朝鮮語と日本語の深いつながりに改めて驚くことが多い。(脇田滋)



眷属・眷族(けんぞく)から

 最近、社会保障と家族の問題を考える機会が多い。高齢者の介護や遺産相続をめぐって、親族の意味を考えている。
 母がときどき、「けんぞく」という用語を使う。若い世代はほとんど使わない言葉である。広辞苑では、「(1)一族。親族。身うち。うから。やから。(2)従者。家子いえのこ。腹心のもの。(3)仏・菩薩につき従うもの。薬師如来の十二神将、千手観音の二十八部衆など。」を意味すると言う。眷というのは、「かえりみる。目をかける。」という意味での「眷顧」「眷愛」、「思い慕う。愛着の念にひかれる」という意味での「眷恋」(けんれん)という言葉もある。眷属というのは、「親しく目をかけるみうち」という意味になる。
 「妻子眷属」といえば、中世や古代の用法で、家族と家来など一門全体を意味している。「六親眷族」(ろくしんけんぞく)という言葉もある。一切の血族・姻族を意味するという。「六親」というのは、民法が定める六親等の親族のように広くなく、「父・子・兄・弟・夫・婦」(また、父・母・兄・弟・妻・子)を指すという。これは、現代の社会保険での、同居が要件となっていない「被扶養者」の範囲に近い。そうすると民法の六親等の親族というのは六親眷族よりかなり広いことになる。
 「うから」というのは、余り聞いたことがない。奈良時代はウガラといい、「カラkala」はモンゴル語族では血縁集団を意味するらしい。「やから」や「はらから」という言葉は知っている。たしか「不逞のやから」と暴言を吐いて物議をかもした首相がいた。これらも「カラ」を含んでいる。「つづきがら(続柄)」というが、これも「カラ」に関係があるのだろうか。
 カラには、韓や唐の意味もある。古代の日本からみた外国のことだが、語源としては「同じ血族のもの」という意味の「カラ」と同根という。そう言えば、韓国・朝鮮語では、「はらから。同胞」を意味する「キョレkyore」という言葉がある。「一つ」という意味の「ハンhan」と合わせて「一つの民族」=「ハンギョレhangyore」という言葉は、現在も使われていて、韓国で著名な新聞の名前(ハンギョレ新聞)になっている。日本語で「からkara」がモンゴル語や満州語では「カラkala」、韓国語では「キョレkyore」とつながっているという。
 介護保険は、基本的に家族介護の限界を踏まえて公的介護サービスを充実させようとすることを建て前にしている。しかし、実際には、狭い家族「うから」「眷属」だけの介護の限界を体験している。助詞の「から」も、本来の血縁集団という意味から転じて、出発点や原因を意味する助詞になったという。身近な介護「から」出発して、家族の意味や、さらには韓国・朝鮮とのつながりへと色々と考えさせられている。ワード・サーフィンは本当に楽しい。
〔2000.09.28 Wakita 参考文献:広辞苑、古語辞典(岩波)、朝鮮語辞典(小学館)〕 



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