時評:労働行政と「過労自殺」
【時評】1998年12月13日 労働行政と「過労自殺」

 本日朝の討論番組(司会島田紳介氏)で、過労自殺事件の増加について、ジャーナリストの大谷昭宏氏のレポートに引きつけられた。

 過労自殺が増加している。しかし、それに反して、労災保険の遺族補償給付の不支給決定が多い。日立造船の下中さんの事例をはじめ、自殺について遺書が残っているなどの事実があるときには、不支給決定が多い。これまで過労自殺で労災保険の給付が支給されたのは3件しかないというのには改めて驚かされる。

 この番組が秀逸であったのは、単に過労自殺が本人の意思を介しているために業務との相当因果関係が切断される、という労働省の公式見解を伝えるだけでなかったことである。

 まず、労働省出身でも井上浩さんを登場させ、労働省の現在の狭い考え方ではなく、労災保険の支給が必要だとする見解を紹介した。
 さらに、過労自殺に対する不支給が、労災保険の財政的な理由によるのではないことを労働福祉事業の拡大に注目して批判的に紹介したことである。
 労災保険の会計から、「労働福祉事業」への支出が法制化され、それに基づいて多くの労働省官僚の天下り先が増えた。その筆頭は「労働福祉事業団」である。その幹部の多くは天下りで、現在のトップは元の労働事務次官の若林氏である。
 高額の報酬を受け取る高級官僚が運営する労働福祉事業の各団体は、豪華絢爛としたビルに本部を構え、立派過ぎる施設を建設している。1日に4、5人しか来ない健康診断の施設などに、驚くばかりである。
 労働省は、労働者の保護をはかる行政庁であったのに、一方では、自殺するほどに過労に追込まれた労働者に労災保険を不支給にしておきながら、他方では、労災保険の財政を「食い物」にする高級官僚たちが大きな顔をして横行している。画面は、輝くばかりの労働福祉事業施設の空虚さ、そして、労働行政の道徳的頽廃を示していた。

 大谷氏は、こうした労働行政の実態にジャーナリストとして目を向けなかったことを反省しておられた。
 しかし、私は労働法研究者として、労働行政の実情に気づき、それを批判的な目で研究対象として位置づけてきた一人として忸怩たるものがある。
 むしろ、労働法の研究者のなかには、労働省の各種審議会の委員として、また、労働大臣や各機関の私的諮問機関の委員として、労働省に身近に苦言を呈する機会の多い人も少なくない。しかし、学界で、労働福祉事業の問題点が詳しく指摘されたことはないし、批判的な研究業績もほとんど見られない。

 「過労自殺」の増加そのものが、労働基準法が実効的に機能していないこと、労働者の無権利化を示している。法違反の国際的にも遅れた労働実態を放置してきた労働行政の責任はきわめて大きい。しかし、学界としても、そうした労働行政に追随し、協力してきたのではないだろうか。労働省の側にたって無批判に法技術的助言をするだけでは、官僚の思惑のなかで動かされるだけではないか。研究者であれば行政から独立した批判的視点が必要である。

 私も、労働行政について、その変質を強く感じてきたが、今朝のこの番組は改めて労働者の現実から掛け離れた行政の後退ぶり、率直に言えば堕落ぶりを痛感させるものであった。今後、労働基準法や労働者派遣法の見直しに見られるように、日本の労働行政は、労働者の保護や権利実現から遠ざかり、国際労働基準にも背を向ける姿勢を強めると予想される。
 労働法を研究する者として、社会的・道義的責任を強く自覚しなければならない。そうでなければ、ごく近い将来、労働法研究者も、高級官僚の頽廃を容認し、追随した点で、同様な社会的・道義的責任を鋭く問われる日が必ず来ることになるであろう。


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