労働者派遣法案改悪のポイント「トロイの木馬」遂に本性を現わす

民主法律協会の機関紙『民主法律』（1999年2月）に掲載した私の論稿です。

労働者派遣法案改悪のポイント　－「トロイの木馬」、遂に本性を現わす－

龍谷大学　脇田　滋　　　　　　　　　　

　一　派遣自由化をめざす労働者派遣法見直し案

　労働者派遣の対象業務（現行二六）を原則自由化し、例外的に禁止業務を示すという派遣法見直し法案が、一九九八年一〇月、国会に上程された。従来の限定された業務だけが派遣の対象とできるという「ポジティブ・リスト」に代えて「ネガティブ・リスト」方式を採用するものである。労働団体や中央職業安定審議会での労働側委員の強い反対にもかかわらず、政府・経営側の意向に基づいて規制緩和を進め、通常国会での本格審議を経て立法化をめぐる山場はこの五月頃と予想される。

　労働者派遣は、派遣会社（派遣元）との間に雇用関係がある派遣労働者が派遣先の指揮命令を受けて働く間接雇用である。職業安定法や労働基準法はこうした間接雇用を排除して、実際に労働者を利用している者が使用者責任を負うという「直接雇用の原則」を定めていた。労働者派遣法は、この間接雇用禁止の規制を一部緩和して営利的労働者派遣事業制度を創設した。同法は、派遣労働者の適正な就業条件の確保も建て前とする法律として一九八六年に施行された。

　施行一二年間を経過した労働者派遣法の実際上の意義は次の三点にあると言える。つまり、（１）当時、蔓延していた職業安定法違反の業務処理請負業をサービス業に限って追認すること（違法追認型規制緩和）、（２）情報処理サービスの増加が予想されるなか関連労働者を雇用調整可能な形で安上がりに利用すること（中間労働市場論）、（３）男女雇用機会均等法制定にともない女性労働者を正社員ではなく派遣労働者として利用する道を開くこと（性差別の雇用形態差別へのすり替え）である。

　二　労働法規制緩和の重要項目としての派遣の自由化

　労働者派遣法の制定は、「国家的不当労働行為」によって国鉄解体を進めた中曽根内閣がこれを進めたことを想起する必要がある。労働組合は、この一二年間、派遣労働問題への取り組みにきわめて動きが鈍く、派遣の拡大について警戒心が欠けていたのとは対照的に、経団連・日経連をはじめ経済団体や政府の各種審議会は、異口同音に雇用分野における規制緩和項目のなかで「労働者派遣事業と民営職業紹介事業の自由化」を最重要項目と位置づけてきた。

　とくに現在進められている雇用分野全体の規制緩和から見て、労働者派遣法は戦後の民主的労働法の基本原則を内部から崩壊させるという意味で、いわば「トロイの木馬」という役割を担ってきたと考えられる。

　労働者派遣法制定時は、派遣の建前は一六の専門的業務に限定し、一般事務や単純労務には広げないというものであった。専門職であるから一般の労働者とは区別できるので、例外的規制をしても雇用全体に大きな弊害は生まないという説明がされてきた。

　しかし、職業安定行政をはじめ労働行政は、労働者派遣についての法規制を徹底する姿勢をとってこなかった。労働監督行政も、労働基準法違反などの弊害が労働相談を通じて数多く報告されているのに、この一二年間にわたって、派遣労働者を独自の対象とした監督を一度も実施してこなかった。その結果、製造業をはじめ対象業務外違法派遣が無秩序に広がることが事実上黙認されてきた。

　むしろ、労働者派遣法制定直後に外国人労働者がアジアや南アメリカから日本に大量に流入したが、違法なリクルーターが暗躍したのに、警察や入国管理からの治安政策てきな取締りによる違反摘発は見られたが、労働者保護の視点からの労働行政の取締りはほとんど見られなかったのである。取締りのないなかで請負を偽装した事実上の派遣が広がっている。

　三　派遣の自由化と「正規雇用の劇的破壊」

　ＥＵ諸国では、厳しい法規制を反映して労働者派遣事業や派遣労働者が日本のように急増していない。行政や労働組合が違法派遣を監視し、無権利な派遣労働の拡大を自らの役割として位置づけてきたからである。

　ところが、今回の日本の派遣法案にはＥＵ諸国や韓国のような規制は含まれていない。派遣労働者が、無権利で差別的雇用であり、しかも未組織であるということでは、日本の派遣労働は世界のなかでも類例がない。「派遣に切り替えれば人件費が半分で済む」という派遣業者や経営者の言い分は、派遣＝無権利・差別的雇用を前提にするものである。

　とくに、使用者（派遣先）はリストラを目的に、人件費が安くて何時でも雇用調整可能という派遣の自由な導入を強く望んでいる。日経連は、一九九五年の提言で「雇用三分論」を提起しているし、最近の雇用情勢からは、派遣が雇用調整手段として利用され、正社員の派遣への切り替えの動きが強まっている。右の状況を前提に派遣の原則自由化が進められれば、従来の日本的雇用が激変することが容易に予測できる。正社員が原則で派遣は例外という建て前が逆転する危険性も少なくない。

　現在、全労働者人口のなかで派遣労働者にできる対象は全体の八分の一である。自由化されれば、当面は三分の二へと一挙に五倍にも拡大することになり、単純に計算しても、現在約七〇万人の派遣労働者が四〇〇万人に急増することになる。さらに、製造業務などへの派遣が自由化されれば、いっそうの増加が予測される。

　派遣自由化によって、まず、契約社員、嘱託社員、パートタイマー、アルバイトなど期限付きの直接雇用がより雇用調整可能で、使用者としての責任を負わなくてすむ派遣に切り替えられると予測される。

　次に、常用雇用（正社員）が派遣に切り替えられる。昨年一月、日興証券は正社員を系列子会社の派遣会社に移籍して、そこから派遣で受入れる人事政策を示した。当時はまだ派遣が自由化されていないので挫折したが、派遣の自由化でこれが合法的に実施可能となる。

　公務の職場でも例外ではない。現在、非正規雇用が公務員職場にも増加しており、期限付き雇用や派遣や類似の「業務委託」が職場に急速に広がっている。行政改革の名目で定員削減が進められており、派遣の拡大は同時に正規公務員の削減に直結することになる。

　四　労働者派遣法見直しの問題点

　今回の労働者派遣法見直し案には、いくつかの問題点がある。以下、その主なものを要約して指摘することにしたい。

　（１）対象業務の原則自由化

　こうした法規制を徹底して遵守させるという点で労働行政の怠慢が際立っていたにもかかわらず、一九九六年には、労働者派遣法の規制をいっそう緩和する方向で対象業務を一六から一挙に二六業務へと大幅に拡大することになったのである。

　法案では、建設、港湾運送、警備業務については引き続き派遣の対象外とし、また、一番の焦点であった製造業務については付則で当面の間の対象業務としないとしている（労働省は、これを三年間としていると伝えられている）。しかし、他の禁止業務は、政令での具体化が予定されており、労働省は労務、医療などが禁止されると示唆している。

　しかし、経営者団体は、このネガティブ・リストの拡大に強く反対している。昨年一二月には、政府の行政改革推進本部の規制緩和委員会が小渕首相に当面の規制緩和の重点項目を提出しているが、そこには既に労働者派遣事業の対象拡大が含まれている。政令での対象業務限定については経営側の強い抵抗が予想されるので、労働者派遣自由化反対の運動が大きくならなければほとんどが自由化される危険性もあり、予断を許さない。

　（２）原則一年の短期派遣と派遣先の直用努力義務

　法案では、現行法の二六業務以外に新たに派遣対象となる業務については派遣期間の上限を一年に限定している。労働側の意見を反映して、派遣を臨時業務に限定して正社員を派遣で代替しないことがその理由と考えられる。しかし、ＥＵ諸国での労働者派遣法は、共通して派遣期間を超えたときには自動的に派遣先に直用されるとしているのに対して、法案では法的強制力のない直用の努力義務が派遣先にあるとするにとどまっている。

　とくに、日本では派遣労働者については同一業務に従事していても派遣労働者に同一待遇が保障されていない。この点でも諸外国の労働者派遣法の規制とは大きな違いがある。この同一労働同一賃金という点での改善がないままで、しかも直用について「努力義務」しか定めないのであれば、ザル法としか言えない。

　むしろ、派遣労働者の立場に立てば、雇用期間も上限が一年と限定されることになってしまい、いまでも不安定な雇用が一層不安定になる危険性が大きくなる。

　（３）形だけの労働者保護

　派遣労働関係では、（１）使用者責任が派遣元と派遣先に分裂し、（２）短期の登録型が支配的であることから雇用が不安定で、（３）次の派遣先の紹介を得るために労働者としての権利行使が難しく、（４）労働組合への加入や支援も皆無に近いのが実情である。

　一言で要約すれば「派遣労働者は事実上労働法がない世界で働いている」のである。ところが、世界の労働者派遣法のなかでも、労働者保護という点で日本の派遣法ほど内容のない、遅れた派遣法をもつ国は他には見られない。

　法案では、たしかに、いくつかの「労働者保護等の措置」を定めている。適正就業の確保として、（１）社会保険不適用で処罰されたこと等を労働者派遣事業許可の欠格事由への追加、（２）派遣先の就業環境維持、診療所等の利用の便宜の努力義務、また、苦情処理等として（１）違法事案に係る申告制度の創設・申告を理由とする不利益取扱いの禁止、（２）公共職業安定所による派遣労働者等に対する相談・援助、（３）労働者派遣事業適正運営協力員による専門的な助言を挙げている。しかし、これらは従来の行政指導のガイドラインで挙げられ、ほとんど実効性がなかったものを法規定で明確化するにすぎない。

　他方、派遣元事業主等は、派遣労働者の個人情報など業務上知り得た秘密の漏洩を禁止されている。しかし、これも民営職業紹介事業者にあった秘密保護の義務（職業安定法第五一条）を労働者派遣事業者にようやく課すに過ぎない。現在ではＩＬＯなど労働者の個人情報について労働者自身の権利が明確化されているのに、本人の情報へのアクセスや訂正の権利なども明確でなく、テンプスタッフの情報漏れなど実際の弊害をチェックする内容を含んでいない。

　むしろ、労働者自身に派遣就労で知り得た秘密の守秘義務を課すようにという経営側の主張もあるなかで、本来の労働者の個人情報保護を目的とした規制であることを明らかにすることが必要である。

　また、労働者派遣法で労働者保護の規制が盛り込まれたとしても、労働行政がまともに法規制の徹底をしない現在の状況を改めないと、派遣よりも無権利な「事実上の派遣」が広がる危険性が大きい。現実にも、労働者派遣法の規制さえ嫌って「偽装請負の形式での労働者利用」が広がっているからである。こうした偽装請負に対する実効的な規制が日本では特別に必要である。

　五　世界でも最も遅れた日本の派遣法

　日本の労働者派遣法は、世界の労働者派遣法のなかでも労働者保護の点では最も内容の乏しい、遅れた労働者派遣法である。

　ＥＵ諸国では派遣を例外とするために、労働者派遣法で、①派遣を臨時的業務へ限定、②派遣期間を超えれば派遣先が自動的に直用、③派遣先従業員と派遣労働者の同一待遇などの基本原則を共通して定めている。

　とくにドイツでは、派遣労働者は派遣元で「期間の定めのない労働契約」を結ぶことを強制して、弊害の多い短期契約を前提とする登録型労働者派遣を厳しく禁止している。さらに、期間を超えたときには派遣先へ自動的に直用されるという法規制によって、派遣労働者の三分の一が派遣先で直用されるという実態があると報告されている。つまり、労働者派遣が「試用期間」という機能を果しており、とくに若年者に多い失業者にとっては雇用拡大の一つの機会となっている。その限りで、労働組合も労働者派遣については警戒をしつつ一定の意味を認めている。他のＥＵ諸国でもほぼ事情は共通している。

　また、九七年二月制定の韓国の労働者派遣法も、期間を超えた派遣労働者についての直用義務、同一待遇、直近の過去に整理解雇があった事業所での派遣導入制限など、ＥＵ諸国に近い法規制を含んでいる。ところが、日本政府や経済団体は、派遣の自由化によって雇用の拡大ができるとして派遣労働の拡大を推進することを公言している。

　他方、一九九七年にＩＬＯ「民間職業紹介所」条約（一八一号）が採択された。この条約は、ＥＵ諸国の労働者派遣法の内容を反映するもので、派遣労働者にも団結権・団体交渉権を保障し、集団的に労働条件を決定することが基本であるとしている。また、個人情報保護、労働条件、社会保障などの権利を具体的に保障すること、派遣元・派遣先の使用者責任の明確化を要請している。

　日本では現時点で労働者派遣法を見直す以上は、このＩＬＯやＥＵ諸国などの労働者派遣規制を踏まえた労働者保護の規制内容に抜本的に拡充することが不可欠である。ところが、政府は、ＩＬＯ一八一号条約が「対象業務の自由化」を求める規制緩和の方向にあると一面的に歪曲している。同条約の趣旨を正確に伝えず、都合の悪いところの紹介を意識的に怠っている。こうした欺瞞的なＩＬＯ条約の紹介は、日本国民だけでなく、派遣労働者の権利を各国で実効的に保障しようとするＩＬＯの期待を大きく裏切るものである。

　国際社会における信義を尊重し、ＩＬＯ条約の趣旨にそった誠実な労働者派遣法の見直しこそが求められているのである。

　六　派遣法見直しと労働組合の責務

　派遣法見直しは、多くの労働者の派遣化に道を開くもので、労働組合にとってもその存在にかかわる、きわめて重大な問題を提起している。労働組合は、今回の労働者派遣法のもつ危険なねらいを正確に理解し、労働者派遣の自由化を何としても阻止する取り組みを強めなければならない。

　最も弱い立場で孤立している派遣労働者は、本来、相対的に恵まれた正社員よりもより団結を必要とする存在である。労働組合は、孤立して泣き寝入りすることの多い派遣労働者の悩みや悔しさに理解をもって、相談に応じるなど連帯の活動を進めることが切実に求めれている。労働組合は、派遣労働者の組織化に取り組み、団結活動や団体交渉によって得られた労働条件の改善結果を拡張適用するべきである。

　ＥＵ諸国では、産業別の全国労働協約が企業を超えた最低の労働条件を定めていている。派遣労働者も労働協約の適用を受ける点では一般の労働者と変わりがない。同一労働同一賃金の原則は、労働協約所定の労働条件を享受することを通じて派遣労働者にも適用されることになっている。

　これに対して日本では、派遣労働者の労働組合加入はきわめて例外的である。さらに、労働組合が締結する労働協約は、企業別でしかも正規従業員だけを対象とすることがほとんどであって、外部企業の所属者である派遣労働者に拡張適用される例は皆無である。
残念ながら、派遣労働者の労働組合加入はこの一二年間ほとんど意識的に追求されてこなかった。

　たしかに、日本でも派遣労働者が労働組合を結成したり、加入する可能性が制限されることはない。しかし、派遣労働者の組織化は実際にはきわめて困難である。派遣労働者がどれくらい労働組合に加入しているのか、組織率についての統計調査も行われていないのが現実である。派遣労働者など非正規雇用労働者への連帯活動を通じてはじめて、労働組合への社会的支持が広がり、道徳的な権威が維持できるのである。

　労働者派遣法見直しは、労働組合にとって、その存在意義を問われる試金石でもあることを理解しなければならない。

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