グリム編『ヴァイステューマー』の世界




 
グリムの『ヴァイステューマー』は中世ドイツの村落裁判史料集で、中世
 ドイツ農村社会を知るうえで第一級の史料としてよく知られていますが、
 その大部分は中世ドイツ語で書かれているため、その重要性にもかかわらず
 その内容はわが国ではほとんど知られていないのが実情です。そこで、
 Weisthümer,gesammelt von Jacob Grimm, 7 Bde., Göttingen 1840
 -1878. の一部を邦訳してその内容を紹介したいとおもいます。 ただし、
 原文は 非常に難解であり、訳者の未熟さゆえに少なからず誤訳があるかも
 しれないことを、おことわりしておかなければなりません.
 
訳者:藤田幸一郎

             
イメージ01  ヤーコプ・グリム(1785-1863)マールブルク大学で法学を学び
   ゲッティンゲン大学、ベルリン大学教授
             

    

I. 高地ドイツ語圏『ヴァイステューマー』

1. スイス

 1-1 チューリッヒ Zürich

18世紀の都市邦チューリッヒの行政区分

 

 1-1-1 キーブルク Kyburg


(キーブルクは都市チューリッヒの北東に位置する旧伯爵領で、領邦資格を有する都市チューリッヒの代官の統治下に置かれていた。)

  1. いかなる事犯であれ、キーブルク伯領の上級裁判管区に住み、死罪に相当する罪をおかした者が捕えられれば、処刑される。あるいは捕えられずに逃亡した場合、そうした逃亡は死を免れることはできない。そうした者の財産は、不動産も動産も、例外なく領主に没収される。
 2. いかなる者であれ、伯領において人を殺せば、その者の財産は上述のようにキーブルクの領主に没収される。
 3. 他人の生命を暴力によって死にいたらしめる者は、捕えられたら、即座に処刑されるべきであり、その財産は規定にしたがって領主のものとなる。
 4. しかし殺人犯が捕まえられないときは、死者に手をさしのべるその親族に遺体が渡され、財産は規定にしたがいキーブルクの領主に付与される。
 5. 互いに平和な関係でいる他人の生命をみずからの暴力で死にいたらしめた者も、殺人の罪を問われるべきであり、そのような事件を起こした者の財産は、規定にしたがいキーブルクの領主のものとなる。
 6. 他の男または女に対して、身体または手足にかかわる罪を咎める者は、その罪の責任が彼ら自身にないない場合、そうした責任を追求されている者が我慢しなければならなかったことを見習って、万事許容し我慢すべきである
 7. 平時に武器をもって他人を傷つけたり流血させる者は、殺人として裁かれ、罪を償わせられる。
 8. そのほか平和を破る者は、キーブルクの領主に18 フントを納めるべきである。
 9. キーブルクの領主の廷吏に不法行為をなす者は、3倍の贖罪金を科される。
 10. 他人を襲って強奪または不当な要求をする者は、キーブルクの領主に18 フントの贖罪金を科される。
 11. 境界石を取りはずしたり動かす者、越境して他人の作物を切り取ったり草を刈り取ったり侵入する者、夜盗をおこなう者は、事情に応じてキーブルクの領主に刑罰が科されるべきである。
 12. 他人を地上に倒す者は、キーブルクの領主に8 フントを科される。危険で異常な倒し方をした場合は当然もっと高い罰金が科され、キーブルクの領主によってさらにきびしい罰が科され、彼はそれぞれの事情に応じて罰し、それは領主の意向と調査によるべきである。
 13. 他人にその所有と相続財産を請求しながら、正当に受け取らないか、その貸与または利用を困難にする者は、キーブルクの領主に10 フント を贖罪金として納めるべきである。
 14. 男であれ女であれ他人に求婚しながら、それを正しく守らない者は、彼自身キーブルクの領主に10 フントを納めるべきである。
 15. キーブルクの領主は、人々が互いに中傷しあうのを尋問し、それが結婚にかかわるものであれば、なだめる態度をとるべきであり、なだめても無駄であれば、互いに法によって誓約をおこなわせるべきであり、彼によって定められた贖罪金が徴収される。
 16. 他人に対して不法に石を手にもちながら投石しなかった者は、18 フントを科されるが、投石した者は、投石をおこなおうとしたのと同様に、不法行為の贖罪金を納めるべきである。
 17. 平和を尊重しない者は、10 フントを科される。
 18. 他人を武器で襲ったり流血の傷を負わせた者は、キーブルクの領主に8 フント を科される。
 19. その他軽微な不法行為をおこなう者には、キーブルクの領主は3 フントの罰金を科すことができ、科すべきである。
 20. その他不法行為と不埒な行為がキーブルク伯領でおこなわれたら、キーブルクの領主は状況に応じて、それぞれの事情を考慮して罰することができる。これに反抗しようとする者がいれば、それについて報告がおこなわれるべきである。
 21. キーブルク伯領で下級裁判をうける者は、9フント より多くを用意しなくてもよい。
 22. そうした下級裁判において決められた金額は、キーブルクの領主のものとなる。ただし、そうした下級裁判をうけて多額を用意した者が、領主とキーブルク荘園による御慈悲を賜った場合は、そのかぎりではない。
 23. キーブルク伯領に住む自由民、キーブルク荘園に隷属する身分の者、教会領のすべての領民、移住者、婚外出生児、およびこれらの家系の出身者は、キーブルクの領主とその荘園の支配をうけ、伯爵領の上級および下級裁判所に属する。 
 24. ライン川とアーレ川を超え、ヴァレン湖を超えてキーブルク伯領に来る者は、移住者および外来者といい、キーブルク荘園に属する。
 25. 伯領で亡くなった移住者が、キーブルク荘園に属する妻をもち、彼女のもとに子どもを残すなら、キーブルクの領主は、馬、雄牛または雌牛であれ彼が残した家畜の相続税を徴収し、彼が家畜を残していない場合は、まずもって住居の雄鶏とともにいる雌鳥を徴収すべきである。代官補佐は、祝日に教会や集いに出かけるために着る最良の衣服を取得し、廷吏は帯を取得する。他人とともに共同で持ち合う家に住む者が死亡したら、長子のみに相続されるべきであり、相続は長子から長子へとおこなわれ、キーブルクの領主は子どもに父親の相続をさせるべきである。しかし、彼の妻が教会または貴族の隷属民であり、キーブルクの荘園に属していないなら、彼に子どもがいるかいないかにかかわらず、キーブルクの領主が彼を相続する。だが、そのような場合、死亡した夫の子どもがキーブルクの領主に相続財産を買いとることを申し出たなら、彼に買い取らせるべきであり、思慮深い扱いが求められる。また妻が移住者の場合も、同様である。彼女の夫がキーブルク荘園に属し、彼女の死後子どもを残せば、キーブルクの領主は彼女が残した最良のベッドを取得し、代官補佐は彼女が教会や集いに出かけるときに着た最良の衣服を取得し、廷吏は帯を得る。しかし彼女が未婚の娘を残したら、領主は相続税としてのベッドを取得してはならず、未婚の娘にそれを相続させるべきであり、相続税としての衣服を残して、子どもたちが母親の財産を相続すべきである。しかし夫が教会または領主の隷属民である場合は、子どもの有無にかかわらず、キーブルクの領主は妻の財産を相続し、子どもは母親の財産を規定にしたがって買い取る。しかし移住者だと称する者が移住の自由をもつなら、キーブルクの領主にわずらわされることなく、伯領の外に移住できる。そのような人々が河川を超えて伯領に来て、彼らの領主が早晩彼らを追跡して、その領主の隷属民だった彼らが伯領の法にしたがって定住し、これらの移住者が死亡した場合、キーブルクの領主は彼らの財産を相続してはならない。
 26. 前述の移住者と同じように、キーブルクの領主はキーブルク荘園に隷属する領民、婚外出生児、および当地キーブルク領域のテス川沿いに住んでいるあらゆる教会領の領民の財産を相続し、彼らに対しても移住者に対するのと同じ権利を有する。またそれらの人々は、移住者と同じように移動の自由をもっている。
 27. 隷属民がキーブルク伯領に移住し、そこに1年と1日彼の領主から告発されることなく住めば、彼はキーブルク荘園に属する他人と同様に、キーブルクの領主に属する。
 28. キーブルクの領主が相続権をもつ上述の人々が、キーブルク伯領に住んでいるなら、彼らの不動産および動産をキーブルクの領主の許可、意志および承諾なしに譲渡も処分もしてはならず、彼らはそのようなことをする能力も権限ももってはならない。
 29. しかし他郷の人々がキーブルク伯領に住もうとして、その生活に必要なものを入手することができ、彼らが住む家の屋根から雨だれがしたたり落ちる軒下から杖をついて約3歩離れることができるなら、彼らと同じ誠実な人々の世話をし働くことができる。しかし、彼らが彼らの領主のもとに帰ると誓ったのであれば、それは守られるべきであり、キーブルクの領主はそのことにはかかわりをもたない。
 30.キーブルク伯領に住む者が、男であれ女であれ、キーブルク荘園に属するべきだとキーブルクの領主に対して訴えられたら、キーブルクの領主はそれらの者を荘園に連れてくるべきであり、教会または貴族がその者を荘園に所属させるべきと考えるなら、キーブルク伯領の法にしたがって彼らを譲渡する。父親と母方の親族2人、あるいは母方の親族1人と父方の親族2人が、それらの者は教会または貴族の隷属民であることを認めるならば、それらの者はそのまま隷属民の地位にに留まるべきである。しかし、そうでない場合は、それらの者はキーブルク荘園に残り、キーブルク荘園はそれらの者を譲ってはならない。特別の慈悲によって譲渡をおこなおうとするつもりなら、キーブルク荘園は彼を譲渡すべきだが、多くの援助と協力があれば、彼らはそこから生じる困難を克服することができる。
 31. キーブルク荘園に属し、当荘園と協同関係にある7つの教会、すなわちコステンツ、ザンクトガレン、ライヘナウ、チューリッヒのフェリックス・ウント・レグーラ、ゼッキンゲン、アインジーデルンおよびシェーニスの女子修道院の領民と結婚した者全員を、キーブルクの領主は罰してはならない。しかし、男女いずれであれ、そうした協同関係にない教会の領民を夫または妻として結婚すれば、キーブルクの領主は彼らに10 フントの罰金を科すべきであり、科すことができる。荘園と協同関係にある教会が後からそれ以外の領域を買い足した場合は、慎重に扱われるべきである。
 32. 兄弟姉妹がいっしょに他の荘園に住んでおり、キーブルク荘園に属する財産を共同でもっている場合、彼らは共有しあう財産をともに相続すべきである。しかし彼らが互いに分割した後、結婚により生まれた相続人が死亡したら、キーブルクの領主は上述のように相続すべきである。彼らが結婚によって生まれた子どもを残し、その子どもたちがキーブルク荘園に属さない場合、キーブルクの領主が彼らの財産を相続する。
 33. キーブルク伯領は古来次のように伝えられてきた。すなわち、その上下級裁判官区に住む者、キーブルクに属し、そこで採草地と放牧地を利用する者はすべて、貢納と賦役によってキーブルクに奉仕すべきであり、彼らのもとに住み、採草地と放牧地を利用する者も、隷属民か否かかにかかわりなく、キーブルクに属する。自由民、外来民、移住者、明白な教会保護民、婚外出生者は、伯領の上級裁判官区に住んでいるなら、採草地と放牧地を利用し、他の者たち同様キーブルク伯領に属するか否かにかかわりなく、他の者たちとともに貢納と賦役によってキーブルクに奉仕すべきであり、そうすればキーブルクに属する。 
 34. キーブルク伯領の上級裁判官区でいかなる種類の家畜であれ、6週と3日の間道に迷ったら、キーブルクの領主のものとなるので、その後そうした家畜をを追い求める者に、キーブルクの領主は何も答えなくてよい。
 35. 自由民、隷属身分としてキーブルク荘園に属する領民、明白な教会保護民、移住者、婚外出生者で、キーブルクの上級裁判官区に住んでいる者、またキーブルク伯領の上下級裁判官区に住む者全員は、隷属民であるか否かにかかわりなく、キーブルクの領主に毎年謝肉祭の鶏を納めるべきである。
 36. キーブルク荘園に属し上述のように奉仕する者は、毎年賦役のたびに穀物2束を納め、半賦役には一束を納め、そのうち半分は流血裁判をおこなうキーブルクの領主に、他の半分は代官補佐に納められるべきである。


 1-1-2 ウスター Usterbach (15世紀末


(ウスターはグライフェン湖に面する)

  グライフェンゼーの代官とロレン・フォン・ボンシュテッティン氏との間で友好的で賢明な申し合わせがなされた。
 第一に、ロレン・フォン・ボンシュテッティン氏とその相続人ならびに後継者はウスターの小川における漁場を保持し、船と境界内の漁業権は、土地授封書に記されており、グライフェンゼーの代官とその後継者などによるいかなる登録がなくても、彼らに属するべきである。
 第二に、グライフェンゼーの代官とその後継者は、年に4日以上都合のよいときに同上の川で漁をして、食用の魚を獲ることができる。彼らが4日間で必要な魚を十分とれず、必要とする漁を続行したいなら、ボンシュテッティンとその相続人ならびに後継者の厚意と同意を得ておこなうべきであり、ボンシュテッティンも彼らの要請を断っても斥けてもならない。
 さらにグライフェンゼーの代官は1年のうちあまりにも来客が多いとき、上述の小川で魚やザリガニをとらえようとするなら、フォン・ボンシュテッティンとその相続人ならびに後継者にも魚やザリガニを持参し、その了解を得るべきである。フォン・ボンシュテッティンはその要請を断っても拒んでもならない。
 同じくグライフェンゼーの代官は毎年秋に14日間上記の小川でマスを捕獲するため10個の籠を設置することができる。ただしヴィル川までの下流までは籠を設置することによって魚をとってもよいが、それを越えてはならない。
 いかなる代官も、彼に好意的に遺贈されたものを、みずから、あるいはその奉公人や使用人によって利用する場合は、他人に譲渡も貸与もしてはならない。
 他方、グライフェンゼーの代官は上述のフォン・ボッテンシュテッティンの漁場と彼の権利をチューリッヒのわが領主にかわって保護し取り扱うべきである。
 この協定はチューリッヒの市役所で正確に記され、市長ハインリヒ・ロイスト、ヨハンス・マイス、ラセルス・ゲルドリおよびイエルク・グレーベルの4名の諸氏およびその他の尊敬すべき人々により、グライフェンゼーの現代官オスヴァルト・シュミットと騎士アンドレス・フォン・ボンシュテットとの間で合意されたこの協定を裁判所におけるすべての発言と聴取にもとづき裁判所で作成された書類でもある。
 1534年聖マルティノの日(11月11日)の前の土曜日、両氏はウスターの小川における上述の彼らの自由と権利を確認し、グライフェンゼーの新土地台帳に記載することが認められた。


 1-1-3 ノシコン Nossikon (1431年)


(ノシコンはグライフェン湖畔の町ウスターに属する一地区である。)

 
 裁判をおこなう廷吏は、その任務ゆえに廷吏の採草地を保有し利用すべきである。当裁判所に属する農地も、裁判官の正式な協力者としての7人の自由民参審員が占めるべきである。かれらは、所有と相続について、いかなる者もその必要に応じて、過不足なく得られるよう、聡明かつ賢明な態度をとるべきである。
 しかし彼らのなかに参審員となることができない者がいる場合、そのことを正直に申し出れば、裁判官または荘園民の判断によって彼を公正に保護すべきである。あるいは誰かに参審員席を約束した者は、そのことにかんして裁判所に訴えられなければ、罰せられるべきではない。ただし、この場合裁判官は農地に損害を及ぼすことのないように参審員を任命すべきである。
 参審員のなかに、自由民ではないといううわさをたてられたか、今なおたてられている者、あるいはその嫌疑をかけられている者がいれば、いかなる荘園民もそうした疑いをもたれている者を訴えて、陪審員席が自由民によって占められるまで、彼に席を立つように求めて彼を拒否することができる。また押印された文書が裁判と判決によって交付され、この文書を代官が荘園民の手に渡すまでは、彼に席を立つよう求める者がいても、不当行為とはみなされない。また裁判所で陪審員の席を占めていた者が自由民の席を占められない場合、領主または代官は彼を罰することができ、検定された貨幣18フントが領主および代官の思し召しにより科され、その金額の3分の2は領主に、3分の1は荘園民のものとなる。
 当荘園の荘園民は毎年グライフェンゼーの領主または代官に40ミュットの穀物と20フントの金額を納め、いかなる世帯も謝肉祭の鶏を納めるべきであり、これによって領主に対して裁判管区のための勤めをはたしたことになり、領主も裁判管区の農地についてこれ以上要求してはならない。またこれによって、荘園民の身体と財産に危険が及んだ場合、領主はいかなる危険からも荘園民を特別に保護し、処遇すべきである。また領主は廷吏に上述の地代からチューリッヒ枡で6フィアテルの穀物を与えるべきである等々。
  当裁判管区では7名の自由民参審員以外いかなる者も判決を告げてもくだしてもならず、参審員が全員一致でくだす判決は、裁判管区に属する農地の所有あるいは相続にかんするものであれ、今後とも効力をもち続けるとみなすべきである。しかし参審員の間で意見の違いがある場合、裁判官は参審員以外の自由民に問うべきであり、そこで告げられた判断はグライフェンゼーのロスガルテン裁判所に送られ、領主がこれを決裁し、次の裁判に再び判決をおこなうために裁判官区の参審員に送るべきであり、しかる後に法として執行されるべきである。
 荘園民が裁判管区に属する農地を多少とも売りたいとおもう者は、いかなる者も売る権限をもっており、まず最初に最も近い土地共有者に売るべきであるが、彼が買おうとしなければ、荘園民に売るべきである。そこで誰も買おうとする者がいなければ、グライフェンゼーの領主に売るべきであり、領主は農地をいかなる者にもよそ者より5シリング安い額で提供すべきである。しかし誰も買おうとする者がいないなら、荘園から離れた分農場の者に売ることができ、最も高値をつけた、きちんとした者に提供すべきである。そして農地が売れたら、いかなる者もそれを中止したりやめさせてはならない。しかしこうした方法で農地を売ることができなければ、農地を権利とともに買い取り購入額を支払うよそ者に、非荘園民が買う場合にきめられている額より5シリング安く提供することができる。
 こうした農地を売って譲渡する者は、売却で得た金で飲み食いし、彼の身体の必要、欲望および気まぐれによって思うままに浪費することができ、彼が裁判管区内で、たとえばグライフェンゼー方面や、裁判管区に属する家の中、耕地、垣根の奥などで金を浪費すれば、三分の一税を納めなくてもよいが、裁判管区外に、あるいは他の裁判管区にその金をもっていく者は、三分の一税を領主に残していくべきである。だが、農地を買う者は、土地の共有者、荘園民、領主または非荘園民に支払うべきである。だが、荘園民が農地を買う場合、領主は三分の一税について慈悲深い態度をとるべきである。
 湖の彼岸にあるかそこで認可された農地が売買された場合、三分の一税を納めない者は、その代金を裁判管区の内外で使うべきである。
 農地を買った領内の住民は3年間、領内に居住していない者は9年間これを保持すれば、権利を否認されることなく、裁判所によって保護され、それ以後も保護されるべきである。
 そのような裁判集会が規定どおり、廷吏によって口頭または文書で告知されるなら、裁判官は3シリングで裁判を命じるべきであり、それ以外の金額では裁判をおこなわない。裁判官は判決をいいわたし、あるいは訴えを斥けるべきである。女性が裁判を求め、必要とするなら、最初に女性に対して裁判をおこなうべきである。その後、外来者がいれば、外来者に対して裁判をおこない、その後に荘園民に対して裁判をおこなうべきである。しかし、外来者が荘園民に対する裁判を望むなら、彼は裁判官に5シリングを納めるべきであり、裁判と判決が彼に与えるものをその後も遵守すると約束すべきである。彼がそうしない場合は、彼の裁判をおこなってはならず、外来者は訴えをおこしてはならず、彼を裁くこともないだろう。
 判決に不服があり、規定により判決が領主のロスガルテン裁判所にまかせられる場合、判決は3人以上の参審員によって作成されるべきであり、参審員は口頭または文書で作成することができ、そうした文書の作成を必要とする者は、参審員に報酬を払い、彼らにしかるべき利益を提供すべきである。
 1人または複数の荘園民が廷吏による簡単な審理を求める場合、彼が自由民で、将来彼に対してその代償を払う義務がなければ、廷吏はそうした簡単な審理をおこなうべきである。しかし、それ以外の訴えのために弁護が必要であれば、そのための弁護をすべきである。とはいえ、そのために不当な報酬を取ろうとしたり要求したりする者がいれば、当事者双方は裁判官に報酬の決定を求める。
 当裁判所管区に属するすべての農地は、当管区外の裁判所で審理することはできない。そうしたことがなされた場合、それは有効性をもちえない。しかし次の裁判集会まで前述の領主の法廷で審理することはできる。
当裁判所において裁判と判決がなされたことについて書状を求める者は、その書状を交付されるべきであり、領主または代官が押印し、2名の参審員と裁判官がこの書状を承認し、印章のために代官には些少を与えるべきである。
 上述の裁判所管区の規定の裁判がすべての荘園民の出席のもとに公開裁判所であらためて聴取され、移住した者もすべての規定された法と条項を守り、それ以外に何も知らないことを認め、誓約した。これは1431年聖12使徒の聖シモンと聖ユダの日(10月28日)の次の月曜日におこなわれた。


 1-1-4 フェランデン Fellanden


(フェランデンはグライフェン湖畔の集落)

  荘官を除くいかなる世帯も2羽の秋のにわとりと2羽の謝肉祭のにわとりを差し出し、プファフハウゼンの農圃は2羽の秋のにわとりだけを差し出す。
 グライフェンゼーの領主は、聖ステファノの日(12月26日)に法の指示のために来る権利をもち、法の指示をおこなわない者、あるいは法の指示を自分の意志によって主張する者は、常に3シリングを失う。
 荘園民は次のような法をもつことを告げる。すなわち、グライフェンゼーの領主は年4回、五月と秋、また彼らが必要とするとき、裁判をおこなうべきである。
 しかしその場合、荘園民は次のように告げる。すなわち、グライフェンゼーの領主は、訴えがあれば、何よりもまず荘園民の所有と相続財産について裁判をおこなうべきである。
 また荘園民は次のように告げる。すなわち、荘園に縦横7シューの所有地と相続財産をもつ者は、それを分割してはならない。
 荘園民は次のように告げる。すなわち、訴えをおこそうとする者がいるなら、まず外来者について裁判をおこない、その後に荘園民について裁判をおこなうべきである。
 荘園民は次のような法をもつことを告げる。すなわち、彼らが売買をするとき、わが女修道院長は彼らを取引税や貢租から保護すべきであり、彼女が病気のときは、グライフェンゼーの領主に彼女を助けるように呼びかけるべきである。
 荘園民は次のような法をもつことを告げる。すなわち、1年と1日追及を免れた者は、土地保有権を認められてない者を除き、チューリッヒのザンクト・フェリックス・ウント・ザンクト・レグーラ教会に属すべきであり、グライフェンゼーの領主が代官にかわって彼を保護すべきである。しかし領主から逃れようとする者が、ヴィスバッハ川を越えたら、彼が借りを返すべき者以外、誰も彼を追跡することができない。
 荘園民は次のような法をもつことを告げる。すなわち、彼らはその子どもを他郷へ行かせることができ、彼らが荘園民として属する7つの教会領に迎え入れることができる。
 荘園民は、次のような法をもつことを告げる。すなわ、彼ら自身の間で死亡について意見の相違がある場合は、それが訴えられる前に、彼らが相互に協議することができ、グライフェンゼーの領主はこれを訴えても尋問してもならない。
 荘園民は次のような法をもつことを告げる。すなわち、グライフェンゼーの領主が旅に出ようとする場合、荘園民は1日自費負担で領主に奉仕するが、領主がさらに旅を続ける場合は、われわれは領主の費用負担により奉仕する。費用がかさむなら、旅費はわれわれの負担とすべきである。
 荘園民は次のような法をもつことをわが女修道院長に告げる。すなわち、彼女は荘園民に負担をかけたり命令したりしてはならない。もし彼女に対する支払いが1年間なされなければ、彼女は収穫の3分の1を期待して、それを入手することができ、それでも支払いがなされない場合は、彼女はさらに担保を取ることができ、担保を納屋に取り入れ、損傷することなく8日間差し押さえておくことができる。
 荘園民は次のように告げる。すなわち、女修道院長は縦横7シューの5フーフェをもつ者はわが女領主に死亡税を納めるべきである。しかし2-3人で土地を共有する場合は、その最年少者ではなく、最年長者が死亡した場合に、納めるべきである。
 しかしフーフェ保有農民は次のように告げる。すなわち、フーフェ保有農民の一人が死ねば、わが女領主はその役人を送る権利をもち、彼に死亡税を提示すべきであり、相続人が最良の家畜を徴収される場合、役人は自分の判断でそれをうけとり、相続人が死亡税を納める場合、役人は他所者より5シリングだけ安くすべきであり、家畜をもっていない者からは役人は最良の衣服をうけ取ることができ、彼は夏の日に荷馬車で運ぶ。
 出納官はフーフェ保有農民に対して次のような法を告げる。すなわち、フーフェ保有農民が地代を馬で出納官に送る準備ができている場合、彼に馬を提供する者は、エン麦を納めなくてもよい。
 しかし、フーフェ保有農民は出納官に対して次のような法を告げる。すなわち、フーフェ保有農民は少なくとも年間に農圃で収穫される15グルデン分のエン麦を納めるべきであり、エン麦の籾をふるう際に外套につく多くのもみ殻を3シリング分のエン麦で償うべきである。
 荘園民は出納官に対して次のような法をもつことを告げる。すなわち、彼は荘園民のために雌牛の番人を探し、彼に荘園民の雌牛を預けて、この番人に報酬を与え、出納官は代官にかわって彼に担保を与えるべきであり、彼に担保を提供しなければ、贖罪金を科される。
 荘園民は荘官農場に次のような法を告げる。すなわち、荘官農場は年中利用できる種豚をもつべきである。
 しかし荘官は次のように告げる。すなわち、その種豚を自分の家畜のなかに入れて放牧しようとする者には、種豚を放牧する権利がある。
 荘園民は次のように告げる。すなわち、荘官は聖ゲオルギウスの日(4月23日)から聖ヨハネの日(12月27日)まで有益な種牛をもつべきであり、その種牛が誰かに損害を与えたら、彼は法によって種牛を追い出すべきであるが、それ以上のことをしてはならず、これを守らなければ、贖罪金を負わされる。
 しかし荘園民は、荘官に対して次のような法を告げる。すなわち、荘官は豚の番人を募り、彼の意志で雇うべきである。そして彼に豚を預けて見張らせ、報酬を支払おうとする場合、荘官は彼に担保を与え、これに反対する者は贖罪金を科される。だが番人が見つからず、番人なしに放牧をしなければならない場合は、種豚を見張る番人を置かず、他の豚を番人なしに放牧すべきである。
 荘園民は次のような法を告げる。すなわち、いかなる者も村域外に家畜を駆り立ててはならないが、そうしたことをする者は、その先頭に立って、右腕を左腕の下に伸ばして、髪を右手に取り、大鎌の先端を左手に取り、それを投げ、それが届く範囲内にかぎりにわとりを放し飼いしてもよい。にわとりがその範囲を超えて誰かに損害を与えたら、彼はそのたびに3シリングを償うべきである。
 荘園民は次のような法を告げる。すなわち、彼らのなかで誰も所有または相続財産を売ろうとしない場合、最初に彼の持ち分を売りに出す者は、他人より5シリング安く与えるべきであり、それでも買う者がいない場合は、彼が売りたいと望む者に与えることができる。
 荘園民は次のように告げる。すなわち、ビンツの農民フーフェはことごとくフェランデンの荘園に属し、ヘルミコンまでの通り道に沿って放牧権を有し、また放牧地の片隅の土地もフーフェに属するので、そこでは草木を伐採することはできない。
 荘園民は次のように告げる。すなわち、フーフェ保有農民は毎年村域の監視人をもつが、監視人が見つからない年には、フーフェ保有農民たちが集まり、彼らのなかから一人を選ぶか、そうしようとしないのであれば、できるだけ代官が1年間の奉仕を命じるべきであり、さもなくば彼らみずからひきうけるべきである。


 1-1-5 ビルメンスドルフとウアドルフ Birmensdorf und     Urdorf(1347年)



(ビルメンスドルフとウアドルフはチューリッヒ市の西側に位置する)

 ビルメンスドルフとウアドルフの裁判、法および慣習の協定

 われわれ、すなわちシュヴァルツヴァルトにあるザンクト・ブラージエンの教会、コンスタンツ司教領のザンクト・ベネディクト会の神の恩寵を賜る修道院長ペーター、その教区に属するビルメンスドルフの教会の修道士会、またビルメンスドルフとウアドルフの村落、チューリッヒ市民で前述のビルメンスドルフとウアドルフの村代官および荘園に属する財産の代官を勤めるミュンスターホーフのエーベルハルト、ヤーコプおよびルドルフ・ミュラー、さらにこれら諸村落の村民も、この書状を見聞きし読む者全員につぎのことを知らせる。すなわち、われわれは平和と名誉の共同の利益によって個別かつ一般に、慎重な勇気と熟慮のうえで、互いに親愛の情をもって合意し、われわれもわが相続人も後継者も、言葉でも行動でも変えてはならない永遠の法律のために、万人に対して法を文書にすべきであり、実際に文書にしたためたのである。その法は、ザンクト・ブラージエンのわが教会のためにわれわれ修道院長と修道士会に対して、上述の諸村落と荘園に属する人々と財産についての強制と禁令を定めた法であり、当荘園に属する人々と財産の法である。さらにわれわれは、上述の代官管区にかんして、また上述のビルメンドルフとウアドルフの荘園の人々と財産並びに荘園に属するものにかんして法と裁判権をもつ。さらにわれわれは、どのような異論があろうとも、後述のあらゆる法を実行し、守り、遂行し、またその法を言葉でも行動でも決して変えることなく、宗教裁判でも世俗裁判でも裁判なしに変えることはないことを誠意をもって誓った。われわれは上述の代官たちを前述の修道院長のみの手で掌握し、教会と修道士会のために、すべての法、すべての命令と要求を、一般にも個別にも決して教会の代官所にはまかせず、アルプスの向こう側、ウアドルフとカンティコンの間、レプティッシュの傍にあるビルメンスドルフ村の代官所には、まかせなかったし、まかせることはできない。そしてわれわれはみずから、またわれわれが義務を負うわが相続人と後継者に対して、上述の修道院長とその教会、その後継者を言葉でも行動でも悩ませたり困らせたりすることは決してなく、上述のビルメンスドルフの代官所と教会の貨幣も利益も失われるようなことは決してありえないことを誓った。われわれは相互に次のように申しあわせる。すなわち、われわれ、上述の修道院長、わが修道士会、さらにわが後継者も、ビルメンスドルフの教会役職の収入、ビルメンスドルフとウアドルフの荘園および村落、さらにこれらの村落と荘園の人々と農地、それらに属するものを売ったり、移転したり、交換したりすることは決してない。これ以前およびこれ以後のすべての法によって、われわれ、上述の代官エアハルト、ヤーコプおよびルドルフ・ミュラーは、次のことを誓った。すなわち、われわれビルメンスドルフとウアドルフの代官所は、それに属するものすべてを決して売却、移転、交換などしたりしてはならない。たとえこれ以前とこれ以後の法に書かれていても、決してそのようなことをしてはならない。シュタリコンとレープシュタールの二つの教会にかんして前述の代官たちがいかなる裁判をおこなうのか、われわれ修道院長も修道士会も承知していないので、この法を毎年五月には五月裁判集会で、秋には秋季裁判集会で、ここに書かれているとおり、前述の荘園に公示されるべきである。まず、年2回五月と秋に、五月と秋の前後いずれの裁判管区(dinghof)においても、裁判集会がおこなわれるべきである。森林はバーデンから上、シュタインハウゼンから下の地域で、相異なる裁判集会を命じ、住民たちは4回の裁判集会に参加する義務を負い、1年をとおしてそれ以上の義務はないが、これら4回の裁判に参加しなければ、いかなる者も3シリングの贖罪金を納めるべきである。そうすれば、彼らは彼らを煩わせていた厄介を法的に免れる。シュタンフバッハの財産管理人は代官に、上述の裁判集会に参加するように告げるべきである。彼がその同伴者とともにやって来たら、教会は彼らに食事を出し、代官がオオタカを連れて来たら、それにニワトリを1羽与え、代官が求めれば、2頭の猟犬にはパンを一つ与え、それ以上は必要ない。これらすべてが荘官に損失をもたらすことのないように、ビルメンスドルフとウアドルフの荘園裁判管区に課税がなされるべきである。かくして代官はこれらの荘官も荘園に住む他の人々も保護し、ビルメンスドルフ、ウアドルフ、カンティコン、フークリスタル、ヴェティシュヴィルにある農地を保護し、シュタリコンの寡婦保有財産、ボンシュテッテンの荘園、森林と耕地を保護すべきであり、ザンクト・ブラージエンの教会は、もちろん農地があるところでは強制権と罰令権をもつ。これら4回の裁判集会では、教会に代って裁く者に並んで、代官が席を占め、彼には権力が備わっている。それゆえ、代官は 4回の集会の贖罪金の3分の1を取得するが、1年間にそれ以上取得してはならない。あらかじめ贖罪金が徴集されている場合は、代官は贖罪金の裁判をおこなわなくてもよい。これら4回の裁判集会を裁く者は、所有、相続財産および地代について裁くべきであり、戦闘の問題について裁いてはならない。ザンクト・ブラージエンの教会に隷属し、教会に恭順の意を表した荘園民、また土地保有のために教会に誓約した荘園民以外は判決をおこなってはならず、これらすべての荘園民は、他の荘園民と同様に、判決をおこない、ある裁判所から他の裁判所へ控訴することができる。判決に異論があれば、五月であれ秋であれ、ビルメンスドルフとウアドルフで、あるいは両荘園の臨時裁判集会において、最初にビルメンスドルフで判決が下された場合、ウアドルフの裁判所に控訴することができ、両者の間で対立が生じたら、リュッツェルハルトの裁判所に控訴し、そこでも見解の違いがあれば、ライムボルツシュヴィレ裁判所に控訴し、そこでも対立があれば、ザンクト・ブラージエンの教会の領主と修道院長の官房に上訴し、そこで決着をつけるべきである。また最初にウアドルフで判決が下され、それに異論があれば、ビルメンスドルフの裁判所に控訴し、そこで対立があれば、リュッツェルハルトの裁判所に控訴し、そこでも見解が分かれたら、ライムヴォルツシュヴィレ裁判所に控訴し、そこでも対立があれば、ザンクト・ブラージエンの領主と修道院長の官房に上訴し、そこで何らかの決着をつけるべきである。1年のうち4裁判集会のない他の時期には、他のすべての誠実な人々が、裁判所に出廷するか出廷を命じられた荘園民とともに誓約をおこない、金銭債務その他の問題をめぐる判決について上記裁判所へ訴えることができ、教会領の財産管理人がその裁判をおこなわなければならない。上述の荘園裁判所で判決がくだされても、そのあとに少なくとも3つの裁判所があり、2裁判所からそこに控訴することができ、2裁判所はそれを見守ることが慣わしとなっている。1年をとおしてこれら4裁判集会後は、遅かれ早かれ法が領民と荘園民に応じるべく、上述の裁判所で裁判をおこなうべきである。荘官は1年をとおして教会の財産管理人の代わりに裁くことができ、教会の財産管理人は贖罪金を多少にかかわらず得る権限をもつ。教会の財産管理人がみずから裁こうとするなら、荘官は彼を妨害してはならない。金銭の負債を訴えられた者に対して、裁判官は負債を原告に7日以内に返済するように命じ、そうしない場合、彼は金銭を納めた後に3シリングの贖罪金を科される。しかし、7日間以内に贖罪金とともに負債の返済を命じられ、こうして負債と贖罪金の支払いに13日間が認められ、それぞれについて7日間の期限が切れて認められる3日の猶予が過ぎたら、彼は教会に9シリングの不従順の贖罪金を納め、原告に対しても同額を納める義務を負う。そして代官は原告には負債金額と贖罪金を、教会には贖罪金を彼から徴収し、さらに代官が欲するなら、9シリングの贖罪金を自分自身のために徴収すべきである。誰かが差し押さえをうけたら、担保物件を8日間上記裁判所に保管し、8日間が終わったら、担保を原告に渡し、それを公的市場で売るべきである。そこから多くの収入を得たら、担保の所有者に返却すべきだが、原告にとって負債額に足りなければ、完全にその価値どおりになるまで、不満のないようにもっと多くの担保を与えるべきである。担保がえさを食べる家畜の場合は、荘官は慣わし通り、小屋の家畜にえさを与えて、十分な体重にすべきである。外来者が禁制区の住民を訴えようとする場合、彼は夕方森林番人とともに住民を召喚すべきであり、そうしない場合は、彼は朝裁判所で彼と会って、彼の裁判をおこなわないことを認めることになる。教会領の領民が死亡したら、彼は彼がもつ最良の家畜を相続税として納めることによって、彼が教会から得た彼の相続財産を彼の正式な相続人に譲渡したことになる。しかし最良の家畜がとっておかれて、悪い家畜が納められた場合は、ザンクト・ブラージエンの教会の財産管理人が指示することができる法が適用されるべきであり、良い家畜と悪い家畜の両方が法によって教会のものとされるべきである。しかし、彼が生きた家畜をもってない場合は、彼は最良の衣服を相続税としてたしかに納めるべきである。ある教会領の領民が肉親の相続人のないままに死亡したため、ザンクト・ブラージエンの教会に相続税が納められない場合は、荘園民である近親相続人が、残された不動産と動産を相続すべきである。当荘園に属する未婚者は、相続税を納めてはならない。荘園に属する3人または4人以上の兄弟が生計をともにしており、その長兄が死亡した場合、彼が結婚していても、彼の財産はザンクト・ブラージエンの教会のものとなる。しかし、その後彼らが生計をともにしつつも、その年長者が結婚すれば、財産は彼のものとなる。いかなる者もザンクト・ブラージエンの教会領の木を、教会と村民の了解なしに誰かに与えたり売ったりしてはならない。また他人の家畜を飼ってはならない。ただし、耕地ではなく休閑地なら、他人の大小の家畜を放牧してもよい。しかし、当代官管区に住む住民が管区外の他の代官管区に行けば、当管区の代官は彼を尋問したり、法的に正当と認めたり、罰したりしてはならず、代官はザンクト・ブラージエンの教会領の領民を追求してはならず、代官管区に住む他の領民も追求してはならない。裁判所に召喚された者が森林番人を保証人とし、禁制区に住んでいれば、出廷しなくても、彼がおちいった法的な苦境を免じられるか、さもなくば3シリングの贖罪金を納めるべきである。ザンクト・ブラージエンの教会から相続地を得た者が、土地そのものには問題ないのに、彼がその相続地から教会に納めるべき地代を3年間滞納したら、相続地は教会に完全に没収されるが、彼が彼の相続地から納めるべきものを3年で納めることができたら、いかなる者も彼を責めてはならない。教会から相続地を得た者が、9年間邦外におり、彼が教会から得た相続地の地代を納めなければ、相続地は教会に没収されるが、彼は9年度に帰国して相続地から納めるべきものを納めたら、誰も彼を責めてはならない。当荘園に属する相続地を要求しようとする者が、3年間邦内にいたのに相続地を一度も要求しなかったのであれば、彼はその権利も手放したことになる。当荘園に属する相続地を要求しようとする者が、9年間邦外に出て相続地を要求しなかった者も、その権利を手放したことになる。ザンクト・ブラージエンの教会から土地を授かった者が、修道院長、教会と話し合えば、その慈悲を得ることができる。すべての教会の地代は、租税、貢租その他あらゆるものに優先すべきである。当荘園に属するすべての相続地はその地代を、聖アンデレの日( 11月30日)の前夜、チューリッヒ尺度の穀物とチューリッヒ貨幣で納めるべきであり、同日前夜に納めない場合、聖アンデレの日に3シリングの贖罪金とともに地代を納めるべきであり、教会の財産管理人は当荘園でチューリッヒ尺度の1フィアテルの正確な目盛りをつくるべきである。
フュークリスタールの領民も聖アンデレの日の前夜に地代を納め、また上述のように、聖ヒラリウスの日(1月13日)に債務とワインを贖罪金とともに納めるべきである。教会がその地代を納めるべき期限までに確保できない場合は、教会へ地代が完済されるまで、教会の財産管理人は相続地と農地の保有を取り消すことができる。しかし、教会の財産管理人がそれを防止しようとするなら、彼は代官に訴えるべきであり、代官は彼を助け、教会に窮状が生じる前に躊躇なく土地保有の解消をおこなうべきである。しかし土地保有を取り消された者が同意しようとしなければ、教会の財産管理人は、彼と教会が地代を確保できないことを聖人に宣誓すべきである。荘園外の女性と結婚する者に対して、荘官が反対意見を聴取した場合、教会の財産管理人はその領主たる修道院長の恩赦を拒否し、8日間この異論について裁判をおこなうことを命じるべきである。そうしない場合、代官に訴えれば、代官は彼の身体と財産に対する強制力をもつべきである。彼が代官管区に住んでいれば、彼の窮状は教会の責任となり、彼が代官管区に住んでいなければ、教会はすべて彼自身で責任をひきうけるように求めるべきである。また荘園外の女性と結婚した者が代官に訴えられて、教会の命令に8日間したがわなかった者は、代官の恩赦と教会の恩赦を得るべきである。非荘園民と結婚した者が、教会と合意していたか否かにかかわらず、死亡して動産を残した場合は、あらかじめ死亡税を納めたうえで、教会と折半される。しかし彼が子どもをもち、不動産を残した場合は、その相続地は本来教会のものであり、子どもたちはその農地を取得することができ、教会の修道院長が有する農地は彼らのものとなる。ただし子どもたちがそれを取得できなければ、荘園民の次の近親相続人に付与され、彼は修道院長の同意によりその農地を保有すべきである。五月と秋の裁判集会で、次のことを宣誓により心得るべきである。すなわち、教会領の領民がその娘を荘園外の者に嫁にやっても、あるいは彼女自身が荘園外の者をむこに迎えても、教会によって罰せられることはない。教会にそむいて非荘園民と結婚した者、あるいは教会に忠実でなかった者は、教会と代官によって規定にしたがい罰せられる。当荘園の裁判集会に出席した者は全員、また荘園外にいる者でもザンクト・ブラージエンの教会の農奴である者も全員、いかなる新しい首席司祭にも忠誠を誓うべきである。森林番人には報酬として1年に4回の裁判集会のうち最初の集会に3シリングをを与えたら、それ以上与えてはならない。しかし聖アンデレの日( 11月30日)の前夜、どの森林番人にも2 バッツェンのかわりに1シリングを与えるべきである。ザンクト・ブラージエンの教会から相続地を得て荘園に住む者が、その屋敷に家をもってない場合、彼に裁判所に召喚しても、森林番人が彼の屋敷で彼を見つけたら、彼に召喚を告げるべきだが、屋敷で見つからなければ、手か足で屋敷の石をひっくり返すことによって、彼に召喚を知らせるべきである。そして彼が来なければ、彼は3シリングの罰金を納めるべきである。荘園は特別森林をもち、そのなかで木を伐る者は、教会に2倍の贖罪金を償うべきである。ビルメンスドルフには9人の小農がおり、彼らはいずれも荘官に1人の草刈り夫を毎年提供するが、彼には食事しか与えられない。また9人の小農はいずれも荘官農場に1人の刈り入れ夫を提供し、荘官はスペルト小麦を収獲するいかなる刈り入れ夫にも他所と同じように賃金を払い、エン麦の収穫の際には彼はいかなる刈り入れ夫にもエン麦の束しか与えない。荘官がスペルト小麦の収穫に刈り入れ夫を求めない場合は、刈り入れ夫はエン麦の収穫を免れるが、荘官がスペルト小麦の収穫に刈り入れ夫を要求する場合は、彼らはエン麦の収穫も手伝わなければならず、いかなる刈り入れ夫にもエン麦の束だけが与えられる。毎年クリスマスに森林番人を選び、荘官は教会にかわって、村民の助言と意志により、森林番人役所を設置すべきである。森林番人は荘官に地元産ワインを2コッフ、村民には4 コッフ提供し、荘官は、森林番人とともに森林に入る者2人を選び、彼らは無害な木を見つけ、森林番人が有害とおもう木だけを売るべきである。荘官と村民が森林番人について意見の一致をみなければ、誓約によって森林番人について問い、過半数が賛成した者が森林番人となるべきである。しかし意見が分かれれば、森林番人に与える報酬について同意するまで、荘官が森林番人となるべきである。森林番人の報酬として、当荘園ではいかなる世帯も森林番人にスペルト麦の束を与え、荘官農場は4束を与え、森林の風と雪による倒木、長い間森林で朽ちて役に立たなくなった木も森林番人のものである。正規の屋敷を建築しようとする者に対して、荘官も村民も拒否してはならない。しかし彼が建築に必要とするだけの木を森で採取したら、それ以外の木を彼に与えてはならない。また、建築をおろそかにした者は裁判所に償いをすべきである。正規の屋敷をもつ者は、囲いをつくり、常に農地を囲って、聖マルティノの日(11月11日)の7日前、5月の7日前に耕地番人に囲いを命じるべきであり、違反すればその翌日贖罪金を科す。相続地を売りたいとおもう者は、まずその兄弟に、次にその相続人に、次いで教会に、次いで荘園民に、次いで分農場に売却すべきである。そして最も高値を付ける者に、譲渡すべきである。農地が売られたなら、教会の修道院長またはその財産管理人は、教会への地代に損失のないように相続地を処理すべきである。荘官は約2マンヴェルクの面積の草地を刈り取り、教区司祭のために刈り取る十分の一税を指示べきであり、また教区司祭が刈ってもよい干草の割り当て分を告げることによって、荘官農場はその年の干草十分の一税を納めたことになる。荘官は、製粉の必要があるときは、製粉所に対する権利をもち、いかなる製粉所に行っても、ただちに製粉すべきである。すなわち、穀物をじょうごの桟の上まで一杯に満たして製粉させ、荘官は彼の望みに応じて粉を盛り上げるべきである。製粉屋は荘園民に1マルターの穀物の殻を粗びきして、穀粒を取り出すべきである。そのかわりに製粉所は荘園民の農地をとおる川に堰をつくり、製粉屋は害を与えない堰を強制的に設けるべきである。製粉所は、製粉所林と呼ばれる森林をもち、製粉屋はそこで製粉所に必要な木を伐るべきであるが、製粉所に適した木がみつからない場合は、村民の森林で伐るべきであり、そこでもみつからなければ、荘官の特別林でそれを探し、そこにもなければ、適当な木を買うべきである。エンゲルベルクの教会は森林に3分の1の禁制林を保有し、他の3分の2の森林はザンクト・ブラージエンが所有するウアドルフの荘園のものである。すべての地代が納められる期限が過ぎ、期限が守られなかった場合、教会の財産管理人は滞納地代のかわりに担保を取るべきであり、それが彼にとって負担であれば、代官に訴えるべきであり、代官は躊躇することなく彼に担保を与え、地代と裁判所への贖罪金のかわりとすべきである。ユーティンコンの住民はその家畜をビルメンスドルフの森林に放牧すべきであるが、他所の家畜を放牧してはならない。またビルメンスドルフの村民が承諾するなら、その住民は森林囲いに反対してはならない。そのかわり、いかなるユーティンコンの住民もビルメンスドルフの森林番人にディンケル小麦の束を与え、クリスマスには自分の家で焼いたパンを与えるべきである。一つの世帯に3-4人がおり、その誰もが自分のパンを食べる場合、どの世帯も規定どおり森林番人にディンケル小麦の束とクリスマスのためのパンを与えるべきである。リーラの住民はアルテンフルーに属する草地からベルクホルツハイムの草地まで、イバラと柳以外の木を伐ってはならず、各世帯ごとにビルメンスドルフの森林番人にディンケル小麦の束とクリスマス用のパンを与えるべきである。リングリンコンの村はビルメンスドルフの森林の囲いの外に家畜を放牧し、いかなる世帯もビルメンスドルフの森林番人にディンケル小麦の束とクリスマスのパンを与えるべきである。また3-4人からなる世帯について、ユーテンコンの村で定められていることは、他の上述の村々でも法として妥当する。これらは、前述および後述のように、代官の法である。ビルメンスドルフ代官管区はヘルミ通りからゲムリンコンまでの道を経てシュピッツ山にいたる。そこで司教座聖堂の代官を勤めるのは、ミュンスターホーフのチューリッヒ市民エーベルハルト、ヤーコプおよびルドルフ・ミュラーとその相続人である。上述の管区内で起きたすべての不法行為は、不法行為とみなされれば、代官に贖罪金を納めるべきである。屋外で他人を打つか傷つけた者は、代官に9シリングを罰金として納めるべきである。さらに彼が相手に損害を与えたなら、生じた損害について昼間に相手と和解をおこなう。あるいは夜間で代官がそれに対処できない場合は、代官の役人がその処理に当たる。他の不法行為者を強引に捕まえたり、境界石を取りさったり、ある者の行為を非難する者は、代官に1フント7シリングの贖罪金を納め、原告にも同額を納めるべきである。代官は、殺人をおかした者だけを除き、すべての不法行為を裁くべきである。古くからの慣わしどおり、年一回秋に代官が要求すれば、代官税を納めるべきである。代官が特別に目をかけた部下たちと馬で行軍に出ようとするなら、部下たちはできるだけ代官に同行し、代官は自分一人で出かける以外、部下たちを他の場所へ向かわせてはならない。いかなる世帯も代官に秋のにわとりと謝肉祭のにわとりを納め、一つの家に7人がそれぞれ自分のパンをもっているなら、誰もが代官に秋のにわとりと謝肉祭のにわとりを納めるべきである。不法行為についての判決に争いが生じたら、代官のもとに行って結論を得るべきである。代官またはその役人が、その代官管区に住む者に、代官または領民の必要のために命じたのに、彼らがそれをなしえない場合、彼らは代官に9シリングを償うべきである。そうすれば、彼はその問題を片づけ、彼らを公正に赦免してもよいだろう。公的文書のために定められているものすべてを、われわれは上述の修道院長ペーターとザンクト・ブラージエン修道院の修道士会に提出し、われわれ上述の代官、ミュンスターホーフのチューリッヒ市民エーベルハルト、ヤーコプおよびルドルフ・ミュラーは、われわれの印章を用いてこの文書に公的に2度押印したので、上述の諸村落の村民も、自分の印章をもっていなくても、これに満足した。これは1347年聖カタリナの日(11月25日)におこなわれ、この文書がチューリッヒにおくられた。われわれ、ビルメンスドルフのルドルフ・マイアーとハインリッヒ・フィンコ、ウアドルフのウルリッヒ・ミュラーとヨハンス・マイアー、ボンシュテッテンのヨハンスおよびコンラーート・ビュラー、フュークリスタールのヨハンスおよび上述の諸村落の村民は、われわれとわが裁判について書かれているこの文書で、実際に起きたことを、われわれおよびわれわれが義務を負うわが後継者に対して、われわれの知識と意志をもって明確に告げる。そしてわれわれが自分の印章をもってない場合、修道院長と修道士会、わが代官の上記の印章により、われわれは上記の年月日に、われわれにかかわるすべてのことをおこなう義務を負っている。そこに招聘され特別な要請をうけて出席していたのは、クリングノーヴェの教会保護者ペーター・フォン・グリューニンゲン、チューリッヒの司教座聖堂区ザンクト・ミヒャエルの助任司祭ヨハンス・シュペングラー、ズーネンのヨハンス・クリーク、ハインリッヒ・リトゴ、コンラート・ヴァラセレン、ザンクト・リーンハルトのルドルフ・レープマン、コンラート・フォン・シュタイン、前述の代官の役人やその他名誉ある人々である。



 1-1-6 エルリコン Örlikon


(エルリコンは現在チューリッヒ市に属する一地区である。)

 これはエルリコンの荘園法である。まず最初に、荘官は代官にかわり五月と秋の2回裁判所に行くべきであり、1年をとおしてというわけではない。荘官は告訴された窃盗または不法行為について責任を負い、代官のかわりに判断をくだすことができる。しかし、金銭の負債その他については、彼は教区の役人以外に対して責任を負うわけではない。
 代官は次のような権利をもつ。すなわち、エルリコン村の10人の半フーフェ保有農民は彼に毎年聖マルティノの日(11月11日)に3ミュットの穀物と3ミュットのエン麦を差し出すべきであり、荘官を除くいかなる世帯も謝肉祭のにわとりを差し出すべきであり、さらに代官は荘官に対してにわとりを提供すべきであるが、規定以上のわとりを提供しなくてもよい。エルリコンの村で家庭用普段着を着て住む者は荘官とシュヴァーベンディンゲンに属するフーフェをもつフーフェ保有農民に限らず、代官の前でしかるべき地位を占めるべきである。レステルベルクにはフーフェがあり、エルリコンの干し草十分の一税はそのフーフェに属している。そこには荘園と村落の法があって、そこで干し草を刈ろうとする場合は、それらのフーフェをもつ者は無事に草地へ行って、その十分の一税を共同で負担し、フーフェを耕す家畜を連れて行き、くびきをはずし、家畜に損害が生じないように見張りをして、無事に戻り、その後家畜にふたたびくびきをつけて移動し、ひきつづき誰にも迷惑をかけないようにすべきである。エルリコンの村外に住んでいるが、村内に耕地と採草地をもつ者は、村内に住む者の耕地または採草地で家畜の害が生じないようにして、自分の土地に家畜を見つけた者は、村内の隣家に家畜を連れていき、そこにその家畜を留めおくべきである。そうすれば生じた被害のすべてが危害のないように除去される。その家畜を留めおこうとせず、第三の家へ連れていくなら、3人のいずれも代官に3フントを賠償すべきである。こうして家から家へ家畜を連れていき、誰も家畜を留めおこうとしないなら、上述の規定のように損害が除去されるまで、その家畜を自分で連れていき留めおくことができる。しかしその家畜を自分で連れていき、村民に対して上記の規定どおりそれを留めておくよう要求しない場合、彼は代官に3フントを賠償すべきであり、村民も同じように賠償すべきである。その場合、代官は裁判所の彼の帳簿にこの賠償金を彼の考えにしたがって記載すべきである。また、チューリッヒの市民は誰もその家畜をさらに遠くまで放牧して、スヴェンツの囲い込み地に接する放牧場に連れていってはならない。また荘官と村落は、次のような法をもつ。すなわち、彼ら全員はその耕圃、垣根および溝にかんする協定を自分たちでつくり採用すべきであり、とくに、代官はそれにかんして何もしてはならない。しかしわが村民たちの誰かがそうした協定をつくろうと主張する場合は、代官はわれわれがそれを獲得できるように助けるべきであり、われわれの意見に賛同すべきであり、協定を破棄したり廃止したりしてはならない。また肥沃な採草地を毎年四月半ばに立ち入り禁止とし、やせた採草地を毎年五月の夜間に立ち入り禁止とすべきである。また荘園法によれば、村民たちが草刈りをおこなうという協議をするまでは、誰も刈り取りをしてはならず、荘官は首席司祭に対して、教区の誰もがが草刈りをした日を報告すべきである。しかし、村民たちが協議をする前に草刈りを始めた者は、代官に償いをすべきである。荘園民であれ、よそ者であれ、わが荘園と村落のこの法に異議をとなえようとしても、2人のわが荘園民によってなされた誓いをわれわれが守るかぎり、誰もそのことについてわれわれに指図してはならない。また、次のことをとくにわきまえるべきである。すなわち、いかなる者も干し草の採草地においてレッチェン川のこちら側のわが領主の採草地を通って干し草を運んではならない。全員がこの法を慣わしとしてきた。
 採草地に灌漑すべきときが来たら、荘官は最初の3日と3夜の間荘園の採草地に水をやり、その後村民は3日と3夜の間すべてを無事に過ごし、荘官は、村民にとってできるだけ無難に水を利用すべきである。
 

 1-1-7 ネフテンバッハ Neftenbach



(ネフテンバッハはライン川方面のヴィンタートゥーア地区に属する集落)


 時間のなかにあるものは、時間とともに終わる。時間において人間は永遠ではない。それゆえ、多くの法と良き習慣は都市や農村でしばしば記憶され、誰もおもいだせなければ、他の人々が注意を促すのである。そのようなことを防ぐため、現在生きている若者にも老人にも、これから生まれる者にも永遠に、後述の法に定められた慣習、自由、風習と伝統はネフテンバッハ村のものであることを知らせ、これらを年2回秋と5月に知らせ、述べるべきである。 1. 罰令圏は聖プリミニウスの泉からヴァルトベルクへ昇り、そしてシュライフェンタールの上の丘にいたる。さらに丘からカーラの低地の荘園へ、そこからラインスベルクにいたる。さらにラインスベルクからアッシュのシュムックビュッヘルへ、シュムックビュッヘルから吊り格子戸のそばのオークの木の下を流れるリートバッハ川にいたる。オークの木からハレンビュッヘルまで、さらにハレンビュッヘルからタッケンベルクまで、タッケンベルクからロッテンフルーまで、ロッテンフルーからヴァルデンラインまで、ヴァルデンラインから古い泉まで、古い泉から赤い木のそばの製粉所へいたる。 2. 当地域に住む者は、農奴であれ、領民であれ、古くからの風習と習慣にしたがって、ネフテンバッハの小裁判所が属する領主と代官に奉仕すべきである。 3. わが領主と代官の裁判管区において他人を自分の保有地に置いていることが知られた者は、5フント・ペニッヒの贖罪金を容赦なく科され、さらにその土地を再び有益な保有地に戻すべきである。 4. 上述の領主と代官の裁判所管区に住み、その身体を彼らに束縛されている者は、ぶどう園に行き、2日間日雇い労働をおこない、謝肉祭のにわとりを納めるべきであり、彼が日雇い労働または収穫に必要とされる場合、彼は文句を言わずに出かけるべきであるが、夜には無事に帰宅してよい。 5. 上述の領主および代官の裁判所管区に住み、その身体を彼らに束縛されていない者は、ぶどう園に行き、1日の日雇い労働をおこない、謝肉祭のにわとりを納め、彼が日雇い労働または収穫に必要とされる場合、彼は文句を言わずに出かけるべきであるが、夜には無事に帰宅してよい。 6. いかなる農家も上述の領主と代官に毎年、5つの農地区画に1回で施肥できる荷車1台分の堆肥を提供すべきであり、またぶどう園には荷車2台分の厩肥を提供し、いかなる農家もぶどうまたは杭の運搬を事情に応じてなすべきである。 7. 上述の領主と代官の領民のなかで、家長が死亡したら、死亡税を徴収すべきである。代官補佐は教会と森に出かけるときの外出着を徴収すべきである。 8. 賃仕事をおこなう手工業に属し、領主に従属する人々は、毎年手工業に4フント、教会に10シリングを納めるべきである。これは4フント・ハラ―の金額に相当する。9. 兄弟が互いに分かれて、誰もが自分で生計を立てている者のうち、誰かが亡くなれば、領主に上述のような死亡税を貢納し、妻が亡くなって彼女に未婚の娘がいれば、娘はベッドを相続するが、未婚の娘がいなければ、領主がベッドを相続する。また彼女に夫がいるなら、この夫は他の女性と結婚しないかぎり、そのベッドを使用すべきである。妻が夫より早く死に、夫も死亡したら、領主がそのベッドを取得する。 10. これらは古くから伝えられてきたネッフェンバッハの村落と村民の裁判と法であり、法は年2回秋と五月に告げられる。 11. ネフテンバッハの代官が最初の秋の裁判集会に出席するとき、彼はまず何が法であるか問うべきである。そこで荘園民は廷吏について判断をくだし、彼を選任すべきであり、複数の人々によって選ぶべきである。しかし廷吏がしてはならないことをするなら、いかなるときであれ、好きなように何度でも彼を交代させることができる。 いかなる廷吏もまず領主に対しては彼の法を守り、村民に対してはこれまでの風習と慣わしのとおり森林と農地を見張ることを誓うべきである。12. 廷吏は、贖罪金を納めるべきことを見聞したら、宣誓にもとづいてそれを代官に証言すべきであり、このことをよく自覚すべきである。しかし、彼は自分が聞いたことについて、彼の上司に届けるべきであり、そのことについて聞いていた他の人より遅れをとってはならない。13. 廷吏は領主あるいはネフテンバッハの住民から聞いたことを、彼に勧められたとおりに命じ実行すべきである。14. 代官が五月と秋に裁判を開きたい場合には、廷吏は彼に従い、代官は彼にいかなる裁判でも食事を与えるべきである。15. 廷吏には昔からの慣わしどおりに報酬を与えるべきである。16. ネフテンバッハで裁判を五月と秋におこなおうとするなら、その8日前に告示し、日中に裁判をおこなうべきである。そして人々は裁判に次々に参集して、鐘の音が聞こえない間に農場を出てネフテンバッハの裁判所へ来ることができるが、代官が出席する前に裁判所に来なければ、代官の要求により贖罪金3シリングを科される。17. ネフテンバッハで7シューの長さまたは幅の土地を耕作する者は、毎年の定例裁判にしたがうべきである。18. わが村へ移住し、わが村に居住する者は、われわれとともに放牧地をもって利用し、古くからの慣わしどおりわれわれとともに奉仕することが、わが村の法と自由である。19. いかなる者も、豊かさまたは貧しさゆえに、領主や領民にわずらわされることなく、望みどおりわが村から移住することができる。しかし、彼が領主に贖罪金を、またはその他の人々に金銭を支払うべきであるなら、彼が支払いを済ませるまで、彼らは彼をおし留めて移住を禁じることができる。支払いをすませば、彼は彼の望む所へわずらわされることなく移住することができる。 20. 賦役農場を耕作する者は、村民に役立ち、信頼しうる種牛をもつべきである。それをもってないければ、彼がそれを求められた場合、彼はその8日後には、求められるたびに役に立つ種牛を提供すべきである。もし彼が それを無視すれば、そのたびに3シリングの贖罪金を負うべきである。 21. 司祭館の土地を保有する者は、上述のような種牛のかわりに種豚を村民のためにもつべきであり、これら種牛と種豚を自分の負担で飼う者は次のような自由をもつ。すなわち、彼は自分の負担でそれらを見つけて、それを確保し、こうして自分の若い豚のなかからしかるべく種豚を選んで他を残しておくべきであり、誰もそれを殺してはならない。22. 荘官農場をもつ者は、必要なら雄羊をもつべきであり、それは上述の種牛や種豚と同じように飼われるべきである。23. ネフテンバッハに居酒屋をもつ者は、常に販売用のパンとワインを用意すべきであり、普通のワインを現金または担保で提供し、いかなる担保をとってもよいが、血を出す担保や液体の担保をとってはならない。だが彼が担保をとろうとしない場合は、担保をもつ者は店主に対してワインの値段より3分の1上回る担保を樽の上に置けば、自分でワインをとることができる。24. 樽の上に置かれた担保が十分足りるならば、いかなる店主も村の法にしたがって担保を売ることができる。店主がパンをもっていないか、パンにかわるものを提供することを怠るなら、彼はそのたびに責任をとって、3シリング・ハラーの贖罪金を科される。彼はワインを適切に提供すべきであり、そうしない場合は、村役人は彼とともにワインにどれほどの費用がかかっているかを計算し、1マースごとに2ハラ―を彼の利益として与えられる。25. ワインが濾過の前の澱になり、自分で栽培したワインが熟成した者は、ワインを販売することができ、居酒屋には供給しなくてもよい。しかし、誰もワインを買わず、ネフテンバッハでは売れない場合には、居酒屋にそれを1ザウムあたり8ハラーで供給すべきであり、パンとワイン以外何も提供してはならない。また誰も飲食店主以外からパンを取得してはならない。しかし彼がパンをもってない場合は、上述のように贖罪金を徴収すべきである。26. ネフテンバッハで所有地または世襲地をめぐる訴えをおこしたい者は、五月または秋の最初の裁判集会で訴えるべきである。27. 農地を保有する者は、その告発人が3年間領域内にいる場合、武器で守られるべきである。また告発人が9年間領域外にいる場合は,武器で彼を守るべきである。28. ネフテンバッハで動産をめぐる訴えをおこそうとする者は、彼が領域内にいる1年間はそれをおこなってはならず、武器による保護がなされるべきであり、領域外ではその期間は3年間とする。29. ネフテンバッハで損害をこうむった者は、村役人にそれを見積もるよう求めるか、それを見積もる者を送るよう求めるべきである。そして彼らが見積もる損害額は、尊重されるべきである。30. 村役人が命じたら、すべての垣根が閉じられるべきであり、これを無視する者には3シリングの贖罪金を科すべきである。それを守らない者がいれば、捕えて6シリングの贖罪金を命じるべきであり、彼が従うまで、その都度捕えて命じるべきである。31. すべての農圃と一時的囲い込み地は、冬であれ夏であれ常に、他者との間に垣根を設けるべきであり、またそれを命じることができ、命令の際の贖罪金は代官のものとなる。32. 自分の農圃を特別に垣根で囲おうとする者は、他人の土地への境界から垣根をつくるべきである。33. ネフテンバッハの住民は、森林であれ農地であれ、刈り後畑の放牧地について協議することができ、過半数が賛成しておこなうことに少数者がしたがい、協議に違反する者は贖罪金を科され、その3分の1は代官、3分の2は村民のものとなる。村民が代官を呼び、代官が贖罪金を得る際、彼は村民に3分の2を与えた後に3分の1を取得すべきである。 34. 村民が休閑地を柵で囲うように求め、過半数がそれに賛成するなら、少数もそれにしたがうべきであり、囲い込んだ土地の周囲に柵を設けるべきであり、そうすれば誰もがその外で自分の思い通りにすることができる。35. いかなる者も他者の権利を尊重し、他者の権利を守るべきであり、法によって正当に獲得するまで、他者のものを差し押さえてはならない。36. いかなる外来者に対しても日々裁判をおこない、必要なら強制護送し、また罪を自白したら、ただちに逮捕すべきである。いかなる外来者も他者を取り押さえてはならない。しかし、二人が相互に自分の意志をとおそうとするなら、裁判をおこなうべきである。37. 他者を取り押さえようとおもい、それを必要だと考える者が、廷吏も代官も見つけられなければ、最寄りの隣人を連れてきて、廷吏または代官を見つけられるまで、日々命令をなすべきである。38 他者に対する代官の命令は1年間、廷吏の命令は8日間、荘園民の命令は1日有効とすべきである。39. 外来者の世襲財産と所有財産については荘園民の前に裁判をおこない、その後荘園民の不動産について裁判をおこなうべきである。また上級裁判所の管轄に属することは、上級裁判所に割り当てるべきであるが、動産にかんしてはまず外来者の裁判、その後に荘園民の裁判が相次いでおこなわれ、必要ならばまとめておこなわれる。40. 誰かがネフテンバッハに財産をもつ他者と通路、水路、小橋、道または境界などをめぐって衝突したら、両者は村役人に訴え、村役人は誓約と指示をおこない、どちらにも加担することなく、それについて決定をくだすべきである。しかし村役人が処理できないときは、代官が彼らに命じるべきである。41. ネフテンバッハで判決をめぐって二つの意見の対立が生じたら、上級審に行き、その判決に従うべきである。42. ネフテンバッハの領主と代官が授与すべき農地をもっていたら、その土地を望み求める息子や娘に平等に授与すべきである。43. 上述の領主と代官のもとにいる隷民あるいは保護民の息子には2カレンの木材、娘には1カレンの木材を与えるべきである。44. ネフテンバッハに家を建てたい者は、彼の気にいった敷地を求めることができる。敷地をもつ者が彼に公正な価格で貸そうとしないなら、村役人はそれを公正に評価し、敷地をもつ者がみずから家を建てるつもりなら、おおよその期限内におこなうことを約束すべきである。 45. ネフテンバッハで家をつくりたい者には建築材、4本の垂木を与えるべきであるが、将来も与えるわけではない。46. ネフテンバッハに住む者は、古くからの慣習にしたがい、ネフテンバッハの共有地の沼沢地の木を次々と伐ることができ、放牧地を利用することができる。
 

 1-1-8 ブライティ Breiti (1439年)



(ブライティは都市チューリッヒとヴィンタートゥーアの中間に位置する)

 以下は裁判にかんする記述である。貴公子ハンス・シュヴェントはブライティの荘園の長であり、この荘園の裁判管区と領域がおよぶ限り、裁判権を有する。
 まず、ブライティ裁判管区はエンブラッハ方面へアーデルバッハ川まで下り、イルノウ方面へアーデルバッハ川まで上り、また裁判管区は耕地と森林を上下して、その向こう側もブライティ荘園に属し、その裁判権は流血裁判にいたるまですべて貴公子ハンス・シュヴェントのものである。
 貴公子シュヴェントは上述の彼の裁判管区において次のような法をもつ。すなわち、誰かが財産を売るとき、たとえ1日に9回売った場合でも、家であれ不動産であれ、売るたびに3分の1ペニッヒを納める。また、それらの財産を所在地と異なる場所へ移してはならない。
 ブライティ裁判管区で有害な人間が捕らえられたら、モスブルクの貴公子ハンス・シュヴェントに引き渡し、彼はキーブルクの上級裁判所代官に引き渡し、彼を引き取った代官は、今後いかなる損害や心配も生じないように処分すべきである。
 ブライティ荘園で不法行為をなす者がいれば、大小にかかわりなく、貴公子ハンス・シュヴェントはそれを裁かなければならず、流血裁判にいたるまで、彼以外の者は裁いてはならない。キーブルク上級裁判管区がすべての不法行為を裁くのと同様に、貴公子ハンス・シュヴェントも不法行為を裁く。
 ブライティとニューレンスドルフの住民は次のような森林と森林開墾地を共同で利用する。すなわち、それらは共同草地にあり、まずハナスパー森林、ハーゲンリューティ耕地、高地の森林開墾地、低地の森林開墾地および開墾地にあり、森林、禁令区およびバーデルスベルクにあり、村民はを禁令区の正面の森まで入れる。
 いかなる村落の垣根も他人の農地に対して破れないように丈夫につくるべきであり、有害だとうわさされる家畜がいれば、損害が生じないように見張るか、遠ざけるべきである。
 外来者がブライティの荘園に来て、そこで死亡し、肉親の法的相続人がいなければ、彼の隣人が相続する。
 誰かの隷属民である外来者がブライティ荘園に移住して1年間彼の領主から請求されることなく当荘園に滞在すれば、ひき続き隷属から自由であり、当裁判管区にいるかぎり、もはや彼の領主に束縛されることはない。
 ブライティ荘園に縦横3シューの所有地または授与地をもち、当地に住む者は、森林と農地において彼の隣人たちとともに放牧仲間をなす。
 後述のエンブラッハの教会の裁判は、ブライティの荘園でも妥当する。
 まずブライティ荘園で五月または秋の裁判をおこなおうするときは、貴公子ハンス・シュヴェントがエンブラッハの首席司祭に、裁判で彼と同席することを知らせるべきである。
 エンブラッハの教会は教会の地代帳簿に記載されたいくつかの農地で年額16シリング8.5ペニッヒの地代を得る。首席司祭がブライティに彼の使者を送ったらr、その地代は聖アンドレの日(11月30日)の夕刻までに支払われるべきである。しかしその支払いをせず、滞納する者は、貴公子ハンス・シュヴェント代官により3シリングを科され、代官が不可欠と思うなら、それを徴収することができる。
 エンブラッハの教会の領民でブライティ荘園に住む者が、所有地または世襲地の法を必要とするなら、それを裁くのはエンブラッハの首席司祭であり、教会領の領民や自由民に裁判を認めてはならない。
 エンブラッハの首席司祭は9シリング以下の罪しか裁いてはならないのに、9シリングを超える裁判をおこなう場合には、彼はその杖を貴公子ハンス・シュヴェント代官に渡し、必要なかぎり、代官は引き続き裁判をおこなうべきである。
 ブライティ荘園に住むエンブラッハ教会領の領民が非荘園民をうけいれた場合、彼がブライティ裁判管区にいるかぎり、首席司祭は彼を罰してはならない。しかし彼がフーツバッハ川とアーデルバッハ川を超えて出ていけば、首席司祭は彼を罰することができる。
 1439年、聖パウロが改宗した日(6月29日)の前の日曜日、この裁判集会と法はブライティの裁判所の後述の名誉ある人々の前で記録され、古くからの慣習どおり、いずれの箇条も宣誓にもとづいて告示された。




 1-1-9 アルト・レーゲンスベルク Alt-Regensberg (1456年)


(アルト・レーゲンスベルクはチューリッヒ市近郊の集落で、今日は廃墟となっている)


 これは、ランデンベルクのわが領主の法の告知であり、彼は昔からアルト・レーゲンスブルクに属してきた裁判管区において強制と禁令の権力を有する。またこの法の告知は宣誓によってうけいれられ、ランデンベルクのいかなる住民も今後異論なくこれに同意し、領主ハンス・シュヴェントとキーブルクの旧代官ハイニ・マイアー、レーゲンスブルク在住の代官、レーゲンスブルクの代官補佐グネスゲルン、ゲルハルト・フォン・ヘングが、都市チューリッヒの市長と市参事会の要求によりこれに同席し、またバーデンの首長、ガンドルフ・フォン・ヴェティンゲンが平民の誓約共同体員のために、そこの代官キュニー・フス・フォン・ヴィニンゲンもペーター・シェーネンのために、またその他多くの人々も出席し、この文書が確認され作成された。これはキリスト生誕から数えて1426年のことである。
 第一に、わが領主の裁判管区はヴィニゲンおよびエンストリンゲン裁判管区の方向へ進み、その境界はヴィニンゲンとエンストリンゲンの裁判管区の間にあり、山を下ってヒュッティコンの森の端まで行き、そこからオッテルフィンゲン橋まで行き、オッテルフィンゲンの村域から区分される採草地と耕地は共有地にぶつかり、ネニコンの農場まで行き、この農場から曲がりくねった藪に沿ってAという名の小川の中に入り、そしてアドリコンとレーゲンスドルフの村域から区分される採草地と耕地は互いにぶつかり合って、 ? のestturlyまで、そこからアイゲンタールまで、そこからシルドリスの泉まで、そこからカッツェンルッティのツー・デム・ヴァッセンという名のオークの木まで、そこからレッケンホルツへ、そこからグロットの背後のアルスベルという渓谷へ、さらにヘングとアフホルトレンの森林と耕地がぶつかるところまで、さらに外畑という名の農地まで、わが領主フォン・ランデンベルクの裁判管区は及ぶ。
 裁判管区においてわが領主はすべての贖罪金について、例外なく、死にいたるまで裁かなければならない。裁判管区において有害な人間が捕らえられたら、クライエンシュタインに引き渡し、レーゲンスベルクの代官にこの人間を引き取るように知らせるべきである。そうしなければ、彼は撚糸で犯人を縛るべきであり、そうすれば代官に対して、彼と裁判所に対しても十分なことをしたことになる。
 男女いずれの外来者も1年6週3日間裁判管区に住めば、あらゆる領主や教会から逃れて、わが領主に仕え、彼の隷属民となるべきである。
 上述のように外来者が裁判管区に移住して死亡したら、領主または代官は彼から遺産をその多少にかかわりなく受け取り、1年6週3日間保管すべきである。彼の親族や正式な相続人が現れなければ、ランデンベルクのわが領主は相続財産に対する権利をもつ。
 わが領主の裁判管区で子どもが発見されたら、子どもを城の領主または代官に引き渡し、子どもが自分で生活できるようになるまで、領主または代官は子どもを養育すべきである。
 わが領主の裁判管区で騒動が起きたら、それを見聞きした者は誰でも義務をはたすべきであり、そうしない者はわが領主に対して10フントを科される。
 ある者がAという名の川の中で不法行為をした場合、それが船べりのこちら側で起きれば、わが領主が裁かなければならず、船べりの向こう側で起きれば、レーゲンスブルクの代官が裁かなければならず、川の真ん中で起きれば、わが領主とレーゲンスブルクの代官が裁かなければならない。
 アインジーデルンの教会とザンクト・ブラージエンの教会がわが領主の裁判管区でその所有財産を売ったら、わが領主にその価格の3分の1を納めるべきである。
 堆肥がオーバードルフにあり、それがヴスリコンに属しているなら、わが領主にそこから代官税として1シリングを納め、堆肥を売る場合は、わが領主に代金の3分の1を納める。
 ザンクト・ガレンの教会からわが領主の裁判管区に来る者は、男女いずれであれ、他の隷属民と同様に奉仕すべきである。
 ランデンンベルクのわが領主が渓谷に飲食店をもっていたら、領主から飲食店を貸与され授けられた者はそこでは酒類を売ってはならない。
 自分の農地を他人に譲渡したことが発覚した者は、わが領主に10フントを納め、再度農地を確保すべきである。
 男女いずれにせよ、他人に求婚し、婚姻関係を結んだら、わが領主に10フントを納めなければならない。
 ファール女子修道院は、授封地から徴収される代官税2シリングを納め、それは裁判所のものとなり、そこで不正がおこなわれたら、ランデンベルクの裁判所はこれを裁かなければならない。
 牧草湿地から徴収される3シリングは裁判所に属し、裁判管区に住む者以外誰にも、その農地を購入することを認めてはならない。聖母マリアの被昇天の日(8月15日)の前夜になれば、レーゲンスドルフの荘官屋敷に住む荘官はそこに入ることができ、彼の隣人たちも全員、いかなる者にも妨げられることなくそこに入ることができる。
 他人から買った者がその代金を払わなかったら、買手は債権者に対する代金を裁判所に納め、領主に10フントを贖罪金として差し出すべきである。
裁判管区内で他人に不動産を売る場合、領主またはその代官の承認を得ておこなうべきである。そうしない場合は、10フントを科される。
 木材の伐採に制限があり、それ以上に伐採する者は、1フーダーにつき5シリング、1台の荷馬車につきシリングの贖罪金を科される。
 許可されてないのに、もみの木を伐ったら10シリング、オークの木を伐ったら1フントの贖罪金を科される。
 アップホルトレン川の水路に水が流れない場合、他人にそれを知らせるべきである。そうしない者は、領主に1フントを納めるべきである。
 裁判所の間違いに対して6週と3日の間異論がなければ、領主はそれをわがものとみなすことができる。
 他人の所有と相続財産に請求をおこない、その証明をしない者は、領主に10フントを納め、彼に損害を賠償すべきである。
こぶしでなぐる者は、訴えた者に3シリング、領主にその2倍の償いをする。
 酒樽、枡、壺、その他の容器でなぐる者は、訴え出た者に9シリング、領主に18シリングを償う。
 武器を取って使用しない者は、罰金3フントを領主に納める。しかし、彼が攻撃する場合は、訴え出た者に3フント、領主に6フントを納め、訴え出た者は完全に保護される。しかし彼が相手を倒した場合は、訴え出た者に9フント、領主に14フントを納める。
 不当行為をする者を家屋敷のなかに追い込み、家の中で襲う者は、暴行のたびに9フントを償う。
 自分の家屋敷への出入りを禁じながら、それを守らない者は、10フントを償う。
平和を乱し、平和を破り、争いをなす者は、10フントを償う。
 レーゲンスドルフ、フェリコンおよびブフスの間の湿地の共有地においてイバラやハシバミの切り株を伐るのではなく、垣根の上を伐っ者は、レーゲンスブルクの代官に5フントを賠償する。ブフスの共有地の垣根の下の部分を伐った者は、古い城の領主に5フントを賠償する。受け取った賠償金で酒をふるまってはならない。
 テリコン、ブフスおよびフェニコンの三か村のハンノキが共有地にあり、そこで木を伐って、共有地のために使わない者は、イバラとハシバミの切り株一本あたり5フントを賠償する。代償として領主に1シュトゥックのバター、従者には1アイマーのワインが差し出される。
 ヴルヘンロスからわが領主の裁判権がおよぶ管区内で、 わが領主はから飲食店の営業権をもち、領主が飲食店の営業権を授与した者以外は誰も酒類を売ってはならない。
飲食店をもつ者はワインとパンを用意すべきであり、彼が要求に応じてワインを提供する場合、彼がそれにかけた費用を計算し、1人当たり2チューリッヒ・アングスター以上の利益を得てはならない。また彼は飲食店にいる客にワインとパンを出し、客は彼がワインをふるまうまで待つべきであり、そこで彼は担保をとるか、代金を請求することができる。客が代金を出さなければ、彼は廷吏や代官がいなくても自分で担保をとることができ、誰もそれを妨げはならない。彼に負債を払おうとする者がいなければ、彼は30シリングまで手元に留め置くべきである。彼が自分の店でパンをもつことが必要であるならば、彼はパンを入手すべきである。彼がパンを得るため使いの者を出しているところなら、パンをもってなくてもよい。しかし彼が使いの者もパンももっておらず、代官にパンが必要であると訴える者がいれば、訴えられるたびに彼は代官に3シリングを納めるべきである。飲食店に産褥の床につく女性がいなければ、彼はワインとパンを提供すべきである。産褥の床につく女性がいる店では、産後6週間経てば、彼女のベッドを取り去ることができ、違反のない営業をすべきであり、誰もこれを妨げてはならない。飲食店主が誰かと敵対しているわけではないが、殺人の罪の嫌疑がかかっている者に、殺人による敵対を理由にワインとパンを提供しようとしないなら、この者はみずから店に入っていってワインとパンを取ることができ、3分の1だけ多くの代金または担保を樽の上に置いて、ワインがなくなるまで、その担保をそこに残しておくべきである。彼が代金を渡さなければ、店主は代金または担保を取ることができ、そうすれば困らないですむ。店主が正規に定められた価格よりも高く酒類を売った場合は、彼は他の支払い債務より多くの金額を徴収すべきである。
 1456年


 

 1-1-10 レーゲンスベルク Regensberg (1501年)



(レーゲンスベルクはチューリッヒ近郊の小都市)

  都市チューリッヒのわれわれ市長と参事会はこの文書をもって、わが城塞レーゲンスベルクの誉れ高く敬愛すべきわが一般市民がわれわれに次のような法を提示したことを告げる。
従来行われてきた旧領主とわれわれの自由と法を放棄した後、われわれはとくに一般市民にそれにかんする文書を与えたが、それは失われてしまったため、彼らは自由と法の複製または写し以外に信頼すべき証書または文書しかもたなくなり、それは彼らと彼らの子孫に損害と断絶をもたらしうる。そこで彼らは彼らの主人と支配者たるわれわれに恭順な態度で、そうした彼らの法、自由および慣習を更新し保証するように懇願した。彼らがわれわれに提示し傾聴するように求めた上述の下書きと写しによれば、逐語的に次のような指示がなされている。
所有と相続財産を請求しようとする者は、市民に10フントの納入を約束すべきである。他人に結婚を求める者は、妻あるいは夫のいずれであれ、法を守らなければ、市民に対して10フントの納入を科される。他人に対してその購入地または貸付け地を妨害する者は、市民に10フントの納入を科される。しかし空いている農圃に入る者は、6週と3日の間自由にふるまうことができる。
家内使用人から悪いうわさが出ていないのに、他人が悪いうわさをたてる合は、1ジルバー・マルクを科される。
 女、子ども、少女あるいは少年を、親方の承諾により買い取る者が、告訴されたら、10フントを失う。市壁の内側にあるすべての家は不動産である。買われたすべての耕地と採草地は不動産である。
二人の男女がレーゲンスベルクで結婚して、不動産を一つに合わせ、肉親の相続人を残して亡くなったら、彼らは不動産を一つに合わせていたので、いかなる相続人もそれらの不動産を完全に自分のおもいどおりに相続し、どの不動産も正当な相続人のものとなるが、生存者に必要が生じたら、最初の相続人が不動産に手をつけ、その後に他の相続人が手をつけるべきである。しかし、彼らがともに子どもをもっており、夫が死んで、その妻が子どもから別れようとするなら、あるいは子どもが彼女から別れようとするなら、妻は動産の3分の1、妻の婚資および夫から妻への贈与を取得すべきであり、3分の1は負債とみなされる。しかし子どもをもつ妻が死んで、夫が再婚して子どもから別れようとするなら、子どもには彼らの母親の財産が与えられるべきである。しかし父親が子どもと同居するなら、彼はその意志によって母親の財産を享受すべきであり、子どもには彼の相続財産が与えられるべきである。しかし、夫が死亡して、再婚または再再婚の子どもがいるなら、すべて平等に相続人となる。
 二人がレーゲンスベルクで結婚し、互いに相続地を共有したら、領主はレーゲンスベルクの市壁内で貢租を取ってはならないし、相続もしてはならない。
われわれは次のような法をもつ。すなわち、われわれの門は開放しておくべきであり、いかなる者の出入りも妨げてはならない。その際通行人は支払いをすべきであり、そのために通行人を拘束または差し止めることができる。
 所有地または相続地を6週と3日間もち、国内の者から権利の請求が1年間おこなわれなかった者は、それ以後保有が保護される。国内にいない者からの権利の請求が9年間なければ、その後保有が保護される。
われわれの強制と禁制が及ぶ範囲内では、市長以外の何者も裁判をしてはならない。ただし、流血裁判は除外され、これは代官によっておこなわれる。
市民が地区内で不法行為をしてレーゲンスベルクで逮捕されなければ、彼は一方の門に入って他方の門から出て行くことができ、その後代官とかかわりをもつことはない。
 給水管に適した木が成長したら、伐採してはならない。
 ボッペンゾルの住民は木材を切り株の上で、木の実に定められた罰令区で、ベッテンロッホおよびザンクト・ニクラウス・ブルにおいて木材を売ってはならない。
 われわれはすべての住民とともに放牧地をもつべきである。代官は製粉所の入り口と車道の門を管理し、門の上にあるすべてのバルコニー、市壁に付属すべきものを整備し、屋敷への往来を可能にし、そこに住んでいる者が道をつくるべきである。しかし建物がない所には、代官みずから道をつくるべきである。代官はすべての市壁を補修すべきである。
 領主林では切り株の値段は1フント、禁制林ではオークの木は2フント、切り株は1フントである。市壁内に住み、信頼しうる者を脅かしてはならない。それは人命にかかわることである。
市民は木管用の木を伐採し、代官がそれを製作すべきである。
 われわれは上述のような自由と法の記録と内容に耳を傾け、信頼しうると考え、その内容も公正で適切だと認める。そこでわれわれはレーゲンスブルクの市民にわれわれのそうした自由と法を更新し承認したうえで、この文書の効力をすべて更新し承認する。すなわち、彼らと彼らの子孫はいかなる異論があろうとそれを用い、尊重し、享受すべきであるが、われわれ、われわれの子孫およびわが都市チューリッヒの平民に対してわれわれの栄光、統治者と法をそこなうようなことがあってはならない。認証のために、われわれはこの文書にわが都市の印章を掛ける。この文書は1501年聖パウロの改宗の日(1月25日)の後の地代納入日に記された。


 1-1-11 ヴィンケル Winkel (1417年)



(ヴィンケルはチューリッヒの北にあるビューラッハ教区に属する集落)


  後述されている文書はヴィンケル荘園の裁判集会と法であり、古くから伝えられている同荘園の慣習と法がここに記され把握されており、この文書はキーブルクの代官の慈悲と意志によって改められ作成され、全権をもつ全村の名誉ある人々、すなわち当裁判管区の代官補佐コンラート・ボッペンゾル、ヘルマン・アプブル・フォン・ルーティ、ウルリヒ・ルッガースベルガー、ハンス・バッハマン、マイアー・フォン・ヴィンケル、ハイニ・ビーゲルおよびハイニ・コーフェル・フォン・オプグラットによって提示され、記された。その後この文書はヴィンケル荘園の全村民によって読まれ、キリスト生誕後数えて1417年に有効であることを確認された。
 ヴィンケル荘園が及ぶ範囲は、次のように記される。すなわちそれはオプハスレで始まり、そこからメットメンハスレへ、メットメンハスレからニーダーグラットとネシコンへ、ネシコンからdrei hörinenへ、さらにホッホフェルデンへ、フォッホフェルデンからバッヘンビュラッハへ、そこからビュラッハの境界石にいたる。荘園はそれらの間にある。
 五つの教会、すなわち敬愛するわがアインジーデルンの女子修道院、チューリッヒのザンクト・フェリックス・ウント・レグーラ教会、ゼッキンゲンのザンクト・フリドリン教会、ザンクト・ガレンの教会、ライヘナウの教会に属する教会領の領民で、上記の裁判管区内に住み、ヴィンケル荘園に属する領民は、租税と用益を差し出し、キーブルクの上級代官に軍役とあらゆる賦役で従順に奉仕し、毎年謝肉祭のにわとりを差し出すべきである。
 エッシュメースおよびそこに土地保有者として住む者は、上下級すべての裁判所とともにヴィンケルの荘園に属しており、上述のように万事キーブルクに奉仕すべきである。
 レーゲンスベルクの荘園もヴィンケル荘園に対して奉仕をおこなう。
 ヴィンケル荘園の裁判管区内に住むすべての移住者、未婚の子どもおよび領民は、その身体、財産ともにキーブルクの上級代官に従属し、結婚によって生まれた嫡出相続人なしに死亡した者がいれば、キーブルクの上級代官がその財産を相続する。しかし死亡者に嫡出子がおり、それが荘園民であれば、上級代官は相続税を徴収する。しかし彼に荘園民の相続人がいなければ、上級代官が子どもにかわって相続する。その場合、妻は動産の3分の1を相続し、この3分の1には地代、鍛冶屋賃金および日雇い賃金が含まれる。
 移住者、未婚の子どもまたは領民だといううわさを上級代官に対して告げられた者は、身体、財産ともに上級代官に属する夫婦を離婚させることができるほど相互に近親関係にある母方の親族2人と父方の親族1人の証言によっても、このうわさを取り消すことはできない。
あらゆる自由民は上級代官に従順な態度をとるべきである。
 上述のヴィンケル荘園に住み、チューリッヒのザンクト・フェリックス・ウント・レグーラ教会に属する者の財産を、領主は取得も相続もしてはならない。彼が嫡出の相続人なしに死亡し、彼を公正に相続する近親の親族がいない場合、ザンクト・フェリックス・ウント・レグーラ教会に属する最寄りの近親者が彼を相続すべきである。しかし彼の近親者たちが争えば、誰が最も近いか、息子の妻とともに検討したうえで、相続をおこなうべきである。
 チューリッヒのザンクト・フェリックス・ウント・レグーラ教会に属するいかなる教会領民も年2回、五月と秋の裁判集会を、希望によって予約するか、固定することができ、誰もそれを妨げてはならない。非荘園民と結婚する者がいれば、彼は上級代官の思し召しにより10フントの贖罪金を科される。
 他人の土地に負担を負わせたり、さもなくば取り去ったりしたことが分かれば、上級代官の思し召しで10フントの贖罪金を科され、彼が欲していた土地を再び元の権利に戻してその利用を保障すべきである。ある男がある女に、ある女がある男に求婚し、正当な証明をしなければ、上級代官の思し召しで10フントを償うべきであり、相手に損害補償をすべきである。
 葦原の共有地の周辺では、いかなる者もその家畜を家畜の通路に安全に放牧すべきであり、古くからの慣わしにしたがって、他人の放牧を妨げてはならない。
この共有地とその葦原に、何かがぶつかるなら、採草地であれ耕地であれ、争いをおこしてはならない。溝や垣根が役立たなければ、壁をつくるべきであり、そこで損害が生じたら、他人が満足しないようなことはやめるべきであり、家畜の評判が悪ければ、別の場所に移すべきである。家畜を移そうとしないで、刺し殺す者は、悪徳行為をしてはならない。
 住民の誰かが、裕福によるものであれ貧困によるものであれ、移住したいとおもえば、代官は馬車を引く馬を彼に提供すべきである。だが、彼が贖罪金を科されているなら、代官は彼をひきとめることができる。また彼が誰かに負債を負っているなら、支払うまで彼をひきとめることができる。彼が再び戻りたいとおもうのであれば、代官に依頼すれば、代官は彼に再び馬を提供すべきである。


 1-1-12 ローアバス Rorbas (1605年)



(ローアバスはビュラッハ地区の集落)

  フライエンシュタインに隣接するローアバス村にはこれまで裁判集会もその法の記述もなかったので、その要望にもとづき、わが慈悲深き領主、都市チューリッヒの市長および参事会の承認により、またテュッフェンの高貴で堅固な土地領主ハンス・マイセン、村役人のフェリックス・バッハマン、コンラート・シュルター、グロスハンス・レルリ、ウルリッヒ・ガンツ、クラインハンス・シュルターおよびコンラート・ボクスラー、同じくチューリッヒのわが慈悲深き領主のロールバス裁判所廷吏ハインリッヒ・テュンキス、裁判所代官のヘンシ・テュンキスの了解を得て、チューリッヒの都市書記によるロールバス村の教区裁判集会の視察により文書に編纂され、この法書にまとめられた。これはキリスト生誕から数えて1605年10月30日、水曜日におこなわれた。
 まず、強制および罰令区はテュッフェンバッハ川のそばの草地で始まり、そこから道路がテス川まで伸び、そこからクーダーヴァークシュタインまで、そこから石灰場まで、さらにテートリッコムの農場まで、その農場からメーダーブルンネンのもみの木まで、さらに峡谷をブーヘムの罰令区まで登り、そこから境界はイルヒェルの丘の上をテュッフェン城のブーヘム罰令区にいたる。さらにそこをとおってテュッフェン城の放牧地まで、そこからロウバーの溝に向かい、エルツィンガー農場と呼ばれるテュッフェン城の領主の農場の下を再びテユッフェンバッハ川のそばの草地に戻る。そしてこれらの目標となる地域の圏内で起きることは、フライエンシュタインに隣接するローアバス村の放牧地にかんするすべての不法行為について、テュッフェンの領主が古くからの慣わしのとおり裁かなければならない。
 これに続いて次のような慣習や法がある。
 村内に住むいかなる住民も毎年テュッフェンの領主に謝肉祭の鶏を納め、2日間の日雇い仕事をおこなう義務を負い、そのかわり領主は住民を保護すべきである。
 不法行為をおこなう者は代官に対して2倍の贖罪金、その告発者に対して3フントを科される。
 裁判所を軽んじる者は、代官に対して3シリングを科され、代官は彼らを公正に保護する訴訟を優先することができる。
 テュッフェンの代官と領主は、村に属する垣根の設置について命じなければならない。
 飲食店はそのすべての付属設備とともに、テュッフェンに属する。また村に飲食店が許可されたら、ワイン酒場はどのようにワインを買ったのか、村役人に言うべきであり、村役人はワイン酒場がワインをどのように売るべきかを、指示すべきである。けんかその他により酒を浪費する者は、高価な担保を樽の上に置き、ワインを自分で飲むべきであり、ワインがなくなれば、その担保を売ればよい。
 贖罪金を請求すべき場合、第三土曜日までにはその差し押さえをおこなうべきである。
村は森の番人一名と家畜の番人一名を選ぶべきである。
 村が盟約、罰令、森林と耕地について申し合わせをおこなう場合、領主に対して3分の1税を納める。
自分で育てたワインをもち、それを売りたい者は、4ヘラーを飲食店に提供し、飲食店で白パンを取得すべきである。
 ここには小径、道路のほかに橋がある。
 農道と牧道はホルベルク山と並行して山道を登って牧羊場まで行き、さらにメーデンブルン耕地から共有地のクーゲルホフまで行く。牧羊場のそばで道はリープベルク山へ登り、そこから共有地まで行く。ブッフヴェークと呼ばれる道はクルリの間をイルヒェルにおける村の共有地へ登る。さらに道は広場を通りヘーゲラーまで行き、そこから街道へ入る。この道はウルリッヒ・ガンツとその相続人がしっかりと維持すべきである。そのかわり彼らは果物を得て、そこで何かを栽培することができるが、村に損害を与えてはならない。道はヘーゲラーからラーメナッヒャーへ、そこからイルヒェルの共有地へ向かう。耕地は囲われており、道は歩道のみである。ハンス・ウルバンスのそばの道はハンゼリ・ガンツェンの方へ向かい、ラーメナヒャーまで城への道を登る。
 ゼーゲト堀と呼ばれる堀は、ゼーゲトで始まる。それはゼーゲンから耕地をとおり牧羊場まで幅2シュー、深さ1.5シューとすべきである。牧羊場をとおる堀は幅3シュー、深さ2シューとすべきである。ケーアまでのゼルテングラーベンは幅6シュー、深さ3シューとすべきである。ケーアのあたりで、水がリッベルクガス川からこのゼルテングラーベンへ流れ込む。グリュートホーフは囲い込まれた農場であり、村に損害のないように、柵で囲まれている。この農場の持ち主は柵を自分の責任で伐るべきである。そうしない場合は、損害を自分でひきうけるべきであり、グリュートホーフと同じような法はホルベルクももっている。ホルベルクの持ち主も、グリュートホーフとまったく同じように、柵で農場を囲い、柵を自己責任で伐るべきである。
 垣根が安全でなければ、村役人はそれを検査し、不注意から損害が生じたのであれば、おろそかにした者は生じた損害を弁償する義務を負うべきである。イルヒェルからハインリッヒ・マイアーのブドウ園があるクルリ通りに流れ下る堀は、フランツ・シュルターの至福のブドウ園にも導かれ、さらにフンダッハー川まで流入する。この堀は幅2シュー、深さ1シューとすべきである。ブッフブライティの堀はボルの方向へ斜めにギュルテン堀に導かれる。ブッフヴェークから流れる水は、草地をボルの背後のギュルテン堀へ導かれるべきである。庭園、菜園あるいはぶどう園のいずれであれ、損害を生じないように慎重に経営すべきであるが、そこから損害が生じたら、経営者は損害を支払うべきである。穀物とエン麦の耕地が村外にあれば、慎重に耕作すべきであり、そうしない場合は、耕地を共有地として休閑すべきである。また彼の隣人には、慎重に耕作するように命じなければならない。

 1-2 シュヴィ—ツ Schwytz

 1-2-1 アインジーデルン Einsiedeln

  (アインジーデルンはチューリッヒ市の南方に位置する)

 これはアインジーデルンの修道院の法であり、プフェヒコン、アインジーデルン、ヌヘム、エルリバッハ、シュテフェン、カルトブルーネンの荘園民が修道院に宣誓して告げ知らせ、また昔から伝えられた法であり、以下に書かれているとおりである。
最初の法として、修道院長の裁判官は年2回所有と相続財産にかんする裁判をおこなうべきである。それにしたがって修道院の強制と禁制、協定、保証およびエレ尺度の裁判がおこなわれ、法への不従順や違反があれば、代官が正すべきである。
5月と秋の2回、修道院の縦横7シューの農地をもち、荘園に属する者は全員裁判官の前に出廷すべきだが、そうしない者は、裁判官に7シリングの罰金を納め、判決にしたがうべきである。修道院長の裁判官は、必要があるたびに、金銭について裁判をおこなう。地代を納めるべきときに、納めなければ、3シリングを罰金として納めるべきである。わが領主・修道院長は、告訴しようとする場合は、地代を差し押さえるべきである。修道院の飲食店がその強制のもとにあって、領主がワインの店を開いても、領主が権限を与えた者以外はいかなる者もワインを売ってはならない。しかしそれに違反する者は、栓を抜くたびに、3シリングの罰金を科せられ、ワインを売らなければ、処罰は領主の慈悲しだいである
 古い計量器によって計量すべきであり、小さすぎる計量器をもつ者は、アインジーデルンの領主に許可を得るべきであり、アインジーデルンの領主は、彼の考えによって罰する権限をもつ。アインジーデルンの領主は、パン屋も飲食店主も穀物を間違いなく買った後にペニッヒを払うに値するパンを焼くように強制する権限をもち、小さすぎるパンを焼く違反者がいれば、アインジーデルンの領主は彼を罰する権限をもち、そのたびに5シリングを科し、彼がパンをつくり終えたなら、彼はそれを神に託すべきである。
荘園民を告発する者は自分が正当であることを、彼が修道院長の裁判官に訴えた被告に、証人を示すべきである。修道院の隷属民が死亡したら、彼がもっている最良の家畜を死亡の際に納めるべきである。修道院の領民が非領民の女性と結婚する場合は、修道院長に彼女と迎えられるように許しを得るべきであり、彼の妻に子どもができたら、修道院は彼が修道院から所有または相続財産として得ているものを相続する。しかし、アインジーデルンの修道院領民は、チューリッヒのザンクト・レークレンの修道院領民、リッヒェナウの修道院領民、ザンクト・ガレンの修道院領民、シェニスとゼッキンゲンの修道院領民の同僚である。
 ある荘園から他の荘園へ移る者を、代官は追ってはならない。その者は男女を問わず、その荘園を支配する領主に奉仕すべきである。何らかの判決が修道院の裁判官に求められ、それが所有や相続財産または裁判官が裁かねばならない問題にかかわる判決でなければ、それは荘園から荘園裁判集会へ移されるべきであり、そこで決着がつかなければ、最後は修道院長の高等裁判院に移され、それでも決着がつかなければ、相互の和解がはかられる。修道院の所有について荘園裁判集会で裁判をおこなう場合、修道院の領民以外いかなる者も判してはならない。修道院長の裁判官が金銭問題について任務をはたさなかったら、代官は裁判官の身体と財産に対して、まず原告への支払いを強制し、さらに修道院に罰金を納めさせ、しかる後に代官への罰金を徴収する。代官は5月と秋に修道院長の裁判官のそばに座り、裁判官の裁判を妨げてはならず、裁判官を不当行為から守るべきである。代官が裁くべき訴えがなされ、代官が期限内にそれを裁くことができなければ、荘園法にしたがってそれを荘園に戻すべきである。領主の役人は彼が関知していることを裁くべきであり、不法行為について訴えがなされたら、修道院長の裁判官がそれを受理し、それが不法行為であれば、領主の裁判官が彼の杖を与えて、代官が荘園法にしたがって裁くべきである。代官が不法行為について裁く権限をもつ場合、原告には3シリング、代官には6シリングが支払われるべきである。ただし、次の3つの場合、すなわち境界石がこわされた場合、あるいは誹謗されたという訴えが宣誓によってなされた場合、武器をもった手で乱暴に襲撃された場合、原告に対して3フント、代官に6フントの償いがなされる。   
アインジーデルンのわが領主に、次のことが告げられた。すなわち、アインジーデルンのいかなる者もわが領主・修道院長の許しなく、地代を納めないで、囲い込み地や未開の森林を保有してはならない。農地をもつ者が3年間わが領主に地代を納めなければ、わが領主に没収される。白髪になるまで農地を長年無事にもち続ける者は、修道院から地代を免除される。荘園で婚外出生児が肉親の相続人なしに死亡したら、わが領主・修道院長が支障なく相続すべきである。
 アインジーデルンの領主は聖職者に対して代官および領主であり、彼らの財産を相続すべきである。長年修道院の強制および禁制圏内に住む者は、いかなる修道院の領民の法もそうであるように、修道院に奉仕する義務を負い、彼が修道院の保護をうけているかぎり、いかなる者にも縛られることはない。食用油脂を修道院に地代として納める者は、精製された油脂を納めるべきである。そうしないことがわかったら、彼は他のものを同じ量だけ納めるべきであり、前に納めたものは失われる。彼が過少に納めれば、罰金を科される。またチーズを納める際にも、少なすぎれば、その分の罰金を科される。

 1-2-2 アインジーデルン Einsiedeln (1493年)

 後述の条項はアインジーデルンの尊敬に値する修道院といかなる領主・修道院長の条項であり、アインジーデルンの森林地区が把握する範囲で、当森林地区に住む森林住民と修道院領民が毎年5月と秋に彼らの宣誓にもとづいてこれまで与えてきた自由、法およ正義が、一語一語以下のようにそのまま記された。
 1. アインジーデルンのいかなる代官も5月と秋の年2回開催することになっている年次裁判集会で、他人に対して不当なことをおこなおうとする者がいれば、そうした不埒な行為からいかなる領主・修道院長および彼の役人をも保護すべきである。
 2. 前記のアインジーデルン森林地区に住み、前記修道院の裁判管区の強制および禁制圏内にある当森林地区に縦横7シューの所有地または相続地を自分のために、あるいは自分の保護のもとにもつ者は全員、五月と秋の2回の定例裁判集会に出席し、そこで決定された修道院の正義、自由および法に従うべきである。しかし一つの家で、また一つの賄いで多くの兄弟が分かれていない場合は、長兄が裁判に行き、家に残っている他の兄弟を代表することができる。ただし、次の場合はその限りではない。すなわち、1人または複数の子どものために法にしたがって家にとどまっていた者が望むなら、彼らは法を正しく知らされたかどうか、答えるべきであり、前記の裁判集会に出席していなかった場合、いかなる者も領主・修道院長に文句なく3シリング・ヘラーの罰金を科せられる。
 3. 裁判所の強制・罰令圏およびすべての統治圏は、アインジーデルンの森林地区が及ぶ限りの範囲で、領主・修道院長および上記アインジーデルン修道院に属する。また同修道院のいかなる領主・修道院長も、アインジーデルンの代官の権限に属する窃盗および不法行為だけでなく、すべての問題について裁く権限をもつ。
 4. アインジーデルンの領主・修道院長に世襲地または放牧地の地代を毎年納める義務を負う者は、聖ミカエルの日(9月29日)に放牧地の地代を、聖マルティノの日(11月11日)に世襲地の地代をアインジーデルンの荘園に納め、地代減額のいかなる弁解もすることなく支払いをすませるべきであり、食用油の貢租は別に納められる。6ベッヒャー以下の食用油を持参する者には、容器を返却すべきであるが、6ベッヒャーより多くを持参する者は、容器に入れて持参すべきであり、6ベッヒャーより多くの食用油が入っている容器にはその代金を支払い、容器を返却してはならず、悪い食用油または少なすぎる食用油を持参する者は、領主または彼の役人、あるいは領主に命じられた者が、彼の貢租が十分なものとなるまで、もっと多くて良質なものを差し押さえることを要求できる。同様に良くないチーズについても、領主または彼の役人、あるいは彼によって命じられた者が、バターについて規定されているのと同じように要求してもさしつかえない。
 5. 領主または彼の役人に地代を支払わない者がいれば、領主の役人は差し押さえることができるか、あるいは地代が支払われ、領主にとって十分に法が執行されるまで、地代が課されている農地を押収することができる。
 6. 地代義務を負っている1人または複数の者が、規定の期限までに地代を納めず、土地を差し押さえられたら、3シリングの罰金を徴収され、差押えられた土地を売って領主に十分に地代の支払いがおこなわれるなら、領主の役人または彼の下吏は何も言わず引き返してもよい。
 7. エックの放牧地にとどまる酪農牛について調べられる放牧の期間や面積は、いかなる者も他人から訴えられることがないように作成された古い土地台帳によって、放牧地の雌牛頭数ともいわれる。アインジーデルンの領主もこれと同じだけの頭数の雌牛をひき取るように役人に命じることができる。アインジーデルンの領主と森林地区住民はその妥当性について合意に達し、以下に述べるような形式で意見の一致をみた。すなわち、放牧地の借地期限が過ぎたら、牛飼いが死亡したか生存しているかにかかわらず、領主は彼から放牧地を受け取る。領主の役人は各地の牛飼いを呼び寄せる権限をもっており、彼が死亡していなければ放牧地から来る牛飼いととともに雌牛を受け取り、その領主放牧地に属すべき借地牛の頭数に達するまで、雌牛を受け取るべきである。しかし役人および彼に呼び寄せられた牛飼いが牧場にその頭数を見出さなければ、あるいは領主放牧地から来た雌牛の数が、想定どおりの頭数に達してなければ、彼らは彼らの想定どおりの頭数をに無事に得られるように命令する権限をもつ。
 8. アインジーデルンの森林地区には、森林地区住民、修道院領民のほかにも、修道院農地をもちながら地代を納めない者が住んでおり、彼は修道院農地をもつ他の領民と同じく、地代を払うべきなのに、逆らってそうしようとすることなく、領主または領主の命令をうけた者に対して反抗しているが、領主は地代を納めない農地を没収して、彼の法が十分におこなわれるまで、慈悲により手元に保持しすることができる。
 9. いかなる者も焼き畑と共有地をアインジーデルンの領主、代官および森林地区住民の慈悲深い承諾を得ることなく囲い込んではならない。それに違反したことが知られて、森林地区住民によって訴えられた者は、そのたびに毎回文句なく3フントを罰金として科せられる。
 10. アインジーデルンの領主・修道院長は聖職者の婚外出生児に対する領主および代官である。彼は彼らの死後その相続人となる。ただし、婚外出生児が結婚によって生まれた子どもをその死後に残したら、彼らの子どもはアインジーデルンの領主に妨げられることなく相続人となることができる。またアインジーデルンの領主・修道院長は婚外出生児に対して、彼らの結婚によって生まれた子どもを修道院領民とみなすことができる。
 11. 修道院領民または森林地区住民が死亡したら、アインジーデルンの領主と彼の修道院には相続税が納められる。もしアインジーデルンの前記森林地区において死亡者がいる家に中にで父親が1人または複数の息子をもつか、あるいは父親がいなくて多くの兄弟が互いに共同で暮らしている場合、農圃は父親のものとなるか、あるいは父親がいない場合は長兄のものになり、この場合長兄が死亡すれば、次の長兄のものとなり、いかなる場合でも相続税はアインジーデルンの領主と修道院長に文句なく納められる。しかし農圃が末子または資産のない兄弟に相続されて彼らが死亡した場合は、相続税を納める義務はない。しかし一族が互いに分散して、もはや一つの世帯で暮らさなくなり、彼らがその後死亡すれば、領主と修道院長に各人から相続税が徴収されるべきである。
 12. 長期間にわたりアインジーデルンの領主・修道院長の保護の下に修道院裁判管区の強制および禁制圏内に住んでいる者が死亡したら、修道院の法にしたがって 文句なく領主と修道院長に相続税を徴収されるべきである。
 13. 夫が死亡して領主に相続税を徴収される場合、妻が彼女の3分の1の相続分を分け与えられる前に、他の相続分が徴収され、領主はそこから彼の相続税をあらかじめ取得し、しかる後に妻が3分の1の相続分を受け取るべきである。
 14. 領主の役人が領主に代って相続税を要求し、取得しようとする場合、死亡した者が家畜を残していれば、役人、あるいは領主またはその役人の代理として相続税を要求する者は、躊躇なく督促をおこない、役人は家畜のなかで最良の家畜を取得するべきである。しかし死亡した者が家畜をもっていなかったら、彼が残した家財を役人に提示し、役人はそのなかで最良のものを取得すべきである。その場合よろい、干草、夜具は、ほかに納めるものあれば、相続税として納めることを提案しなくともさしsつかえない。役人に家畜その他をさし出せば、役人はそれを受け取り、領主の思し召しなく、さらに良い相続税を求めることはない。
 15. ある修道院領民が修道院外の女性と結婚して、アインジーデルンの領主・修道院長とその問題について合意することなく死亡し、ほかにもそうしたことをする領民がいれば、アインジーデルンの領主・修道院長は、死亡した修道院領民または同様なことをした領民が死後残した農地を取得して、彼と修道院の手中に入れても誰もさからうことはできない。ただし、アインジーデルンの領主が、彼らが残した遺児とともに慈悲と哀れみを分かち合おうとする場合は、その限りではない。修道院領民が次の7つの修道院、すなわちチューリッヒ、ザンクト・レグレン、ゼッキンゲン、ライヘナウ、ザンクト・ガレン、シェニス、プフェッファースおよびアインジーデルンの女性と結婚した場合は、いかなる修道院領民もそうした行為についてアインジーデルンの領主によって罰せられることはなく、これらの修道院は同胞であり、他の修道院領民を奪ってもよい。修道院領民が、いかなる者にも追われず、いかなる者の農奴でもない自由民女性と結婚しても、アインジーデルンの領主によって罰せられることはない。彼らが結婚によって子どもを得れば、アインジーデルンの領主はこれらの子どもを修道院領民として支障なくうけいれることができる。
 16. アインジーデルンの森林地区ではいかなる者も、飲食店主もその他の者も、アインジーデルンの領主の役人によって開栓を許可されなければ、ワインを小売りしてはならない。それに違反する者は、ワインの小売り違反のたびに、または彼の使用人が栓を引き抜くたびに、アインジーデルンの領主・修道院長に3シリングの罰金を科せられる。また領主の役人によって開栓されたワインをもっと高い値段で売る者も、そのたびに、あるいは彼の使用人が栓を引き抜くたびに、領主・修道院長に3シリング・ヘラーの罰金を科せられる。さらにワインを渡したか提供した相手に迷惑をかけないように配慮すべきである。ただし、客が来て、しかも領主の役人がワインをすぐには開栓できないほど多人数が来たら、ワインが領主の役人によって開栓されるまで、1-2杯のワインををふるまってもよく、外国産ワインをもっていれば、領主の役人によって開栓されなくとも、小売りしても支障ない。
そして長い時間が経過して、1493年聖トーマスの日(12月21日)の前の月曜日の秋の裁判集会で一般の森林地区住民は領主および代官とともに、外国産ワインにかんして、外国産ワインは粗布で濾して沈殿物を除去したワインにほかならないことを承認し受け入れた。領主の役人はロマン語地域のワイン、エルザス、ブライスガウ、オーバーブルクおよびいかなる外国産のワインであれ、他のワインと同じく開栓して評価することができ、そうすべきでもある。上記のワインを売り、領主の役人が開栓するたびに彼に評価させなかった者は、上述の国産ワインにかんする規定と同じく、罰金を科されるべきである。ワインが開栓される際に、宣誓して開栓したときのワインを、自分自身あるいは家の召使によって別のものに取り換えたり、別のものを注いでそのまま放置してはならない。
 17. アインジーデルンのいかなる領主・修道院長も、修道士の異論や反対がなければ、1年の適当な時期に14日間禁制ワインを売ることができ、いかなる者もいつでもワインを取引してさしつかえない。
 18. アインジーデルンで販売用のパンを焼こうとするいかなるパン屋も、その価格が穀物価格にふさわしいパンをつくるべきである。しかし、穀物価格より小さなパンを焼いた者は、領主の役人と領主の命令をうけた者が、教会の前または店で小さすぎるパンを焼いて売った者から、パンを奪って引き裂き、貧しい者たちに与えるべきである。領主の思し召しによってパン焼きを禁止するまで、彼はその小さすぎるパンを焼いてもかまわない。
 19. いかなる者であれ、アインジーデルンの森林地区においてアインジーデルンの領主、代官および一般森林住民の三者にかかわる協定をつくっても結んでもならない。これら三者にかんして、一者が他者との同意なしに何かを企てたり廃止しても、そうしたことは他者との協議や承諾がなければ、いかなる効力ももたず、進めることもできない。
 20. いかなる者であれ、アインジーデルンの領主・修道院長の許可、慈悲および承諾なく彼と修道院の河川湖沼で魚をとる者は、そのたびに領主・修道院長に罰金としてkuoを容赦なく徴収される。ただし、優雅に羽根飾りの釣り糸で釣る場合は、その限りではなく、また彼が疑似餌と網以外のもので魚を捕えるなら、アインジーデルンの領主・修道院長によって罰せられずにすむ。
 21. いかなる者も領主から猛禽もアカシカも捕らえて持ち去ってはならず、アインジーデルンの領主は、そういうことをする者を裁判にかけて、何が正しいか、法を認めさせることができる。
22. 漁師は上述のように罰せられるが、猟師は狩猟禁制圏に属する獣を捕えたら、領主の慈悲にゆだねるべきであり、領主はすべての一般森林住民と協議して、それを秋の裁判集会でとりあげ、その年度は上記のとおり領主の裁判集会の再招集まで自分で処分をひきうけ、漁師と猟師は同じように罰せられ、漁師が上述とは異なった方法で漁をするたびに、あるいは猟師がアカシカを捕えるたびに、領主に納める罰金として2ヘラーを科せられる。
 23. アインジーデルンのいかなる領主・修道院長も放牧地を1-2回、あるいはその年度に必要となるたびに、修道士に妨げられることなく、またそれについて与えられる彼らの書状の指示をうけることなく、占有し、占有から開放することができる。
 24. いかなる者も林道では、いしゆみで射つことができる範囲内の木を伐ってはならない。しかしこれに違反する者は、そのたびに罰金を科せられ、1本について3シリング・ヘラーを徴収される。
 25. いかなる者も利用を終わらないまま農地を保持してはならず、利用を済ませないまま長く農地を保持している者は、土地領主から農地を受け取ってはならない。そうした農地が判決と法によって封鎖されないかぎり、アインジーデルンの領主・修道院長またはその代理の役人はその慈悲により没収してもさしつかえない。
 26. アインジーデルンの領主・修道院長の前で判決が争われたら、争う当事者はアインジーデルンの領主に引き渡され、領主はそこで決定すべきであり、彼がどのように決定しようとも、拒否することなく受け入れるべきである。アインジーデルンの領主・修道院長と争う者がおり、判決が下され、その判決は裁判権をもつ7つの荘園でなされるべきであり、それらの荘園で複数の判決が作成されたら、それらはともにアインジーデルンの領主の法院に渡され、領主が所与の法を言い渡すべきである。
 27. アインジーデルンの上記修道院のいかなる領主・修道院長も、あるいは領主から命令権を委任された者は、家の前の通りに邪魔な木を置いた者にとり除くように命じても、命令にしたがわず、不従順である場合は、3シリングの罰金を科せられ、アインジーデルンの領主はその木を彼の屋敷または適切な場所へ運ばせることができる。同じく、溝や建物にかんして領主が上述の木と同様に除去させてもかまわない。
 28. アインジーデルンの領主の採草地または放牧地と境界を争う者は、垣根によって採草地と放牧地との争いを避けるべきである。しかし領主また彼の部下が採草地または放牧地に彼のものでない家畜が勝手に入るのを発見したら、領主またはその部下は家畜を追い出し、もし領主が屋敷に連れて行かせることを望むなら、1頭あたり3シリング・ヘラーの罰金を科して、放免してもよい。
 29. いかなる者もアインジーデルンの領主の許可と諒解なく、彼と修道院の山で1ゲルトルートより大きな木を伐ってはならない。しかし違反する者があれば、そのたびに1本につき3シリング・ヘラーの罰金を納めなけれならない。
 30. 修道院の農地をもち、それを売ろうとする者は、ここアインジーデルンの教会で3週続けて日曜日ごとに売却することを広く知らせ、同じくフライエンバッハの教会でも日曜日に一度知らせ、しかる後彼はアインジーデルンの修道院参事会員に売却を申し出ることができ、彼らが買おうとしなければ、アインジーデルンの領主・修道院長に売却の申し出をおこない、彼が買おうとしなければ、森林地区に住んでいる者、あるいは森林地区に移住してその農地にとどまる者には農地を提供して買わせることはできるが、それ以外の者にはできない。
 31. 上述のように森林地区で農地を申し出によることなく売った場合は、最寄りの近親者はその買い手から農地を次の裁判集会までに引き取ることができる。しかしいかなる森林住民も1年6週と3日の期限内に他者から農地を自分の手に移さなければならない。
 32. アインジーデルンのいかなる領主・修道院長もいかなる年次裁判集会でも、彼が彼と修道院の問題について忘れていることがあったら、さらに集会を通知して、森林地区住民または修道院領民は正規の年次裁判集会と同様にそれに出席すべきである。あるいはその裁判集会で問題が忘れられていた場合、修道士の異論や妨害はなければ、修道院に損害のないように次回の年次裁判集会まで延期してもよい。
 33. 修道院の所有や相続財産についていかなる者も判決をおこなってはならない。ただし、修道院領民と森林地区住民として生まれた者は、森林地区にあるすべての農地について判決をおこなうべきである。
 34. 農地を10年間、9年の時効後も、放置していた者は、その後共有地を要求しえず、資格が問われる。
 35. 10年間、9年の時効後も、借金を請求されることなく、誰かとともに教会や通りへ出かけていた者は、もはや負債を負わない。
 36. 森林地区で領主の役人が開栓したワインを小売りする者は、ワインを提供することを拒んではならない。現金をもたない者が、現金に相当する価値の担保を樽の上に置いて、その担保が血の流れる担保でなければ、彼にワインの提供を拒んではならない。担保とひきかえにワインを提供したくない者は、その飲食店の家の前に看板を出すことができる。
 37. 1493年聖トーマスの日(12月21日)の直前の月曜日、アインジーデルンのわが慈悲深き領主は秋の裁判集会を成員のために招集して開催し、エックのバターのバター税が徴収され、その場合彼らは半フィアテルのバター税として32フント以上のバターを納める義務を負わないと考えた。そこで修道院と森林地区住民は宣誓して問い、森林地区に住む者全員が税を修道院またはプフェフィコンに引き渡し、半フィアテルの量のバターに相当する7シュタインの重さのバターを納めるべきであると、荘園法にしたがって一致して認めた。しかしそうしようとしない者は、半フィアテルについて12杯の 望まれたバターを納めるべきであり、それによって半フィアテルのバターと評価され、さらなる要求はされない。こうして規則はどの条項も有効であり、エックの住民が不満におもうなら、彼らには法の適用が保留される。
 

 1-2-3 ヴォラーラウとプフェフィコン Wollerrau und Pfäffikon (1484年)


 抜粋

 3. 荘園民は次のように告げる。すなわち、他人と争う場合、いかなる者も法を必要と思うなら、宣誓して平和をうけいれるべきである。
 4. 荘園民はまた次のように告げる。すなわち、3度平和を忌避する者は、シュヴィッツのわが領主に10ヘラーの罰金を納めることを求められる。
 5. 平和を申し出る者とその仲間にはその問題にかんして彼が申し出たのと同じ平和をうけとるべきである。
 8. 刀を抜く者は、相手が和解する前に、代官がそれを見るか、彼に訴えがなされれるなら、シュヴィッツのわれらが領主に5ヘラーの罰金を科せられる。
 10.平和を乱して他人を殺すか生命を奪う者は、殺人者として刑車で処刑されるべきである。
 12. 荘園民は次のように告げる。すなわち、相互に平和を申し出た者の間で、相互に和解するか、相互に酒盃を酌み交わして相手からワインを受け入れ、相手と友好の酒盃を酌み交わすことを願い出て、いかなる者も告訴せず、あるいはそのとき荘園にいる代官が自分の眼で争いを目撃しなかったら、代官はわれらが領主に代ってそれ以上彼らを問いただしてはならず、わが領主に引き渡してはならない。これが、彼らの古きしきたりであり法である。ただし、平和を破る者は除外され、そのような者を赦してはならない。
 13. とんでもないことだが、荘園民が他人を殺害するかその生命を奪ったら、殺害者はシュヴィッツのわれらが領主に50フントを納め、殺された者の親族から自衛すべきである。      
 14. 荘園民が来訪者の生命を奪ったら、その荘園民は50フントの罰金を納め、殺された者の親族から自衛すべきである。
 15. 来訪者が荘園民を殺害し、捕らえられたら、仕返しをすべきである。同じく、来訪者が他人の生命を奪った捕まったら、仕返しをすべきである。
 20. ある者が争ったら、できるだけ生まれながらの親族の仲裁に入り、流血の惨事が予想されたら、考えうる最善を尽くすべきである。
 23. 死亡した者が罰金の義務を負っていても、罰金は免除されるべきである。
 24. 2つの罰金を科せられたら、シュヴィッツのわれらが領主に大きな罰金を徴収すべきであり、小さな罰金は拒否すべきである。

 1-2-4 プフェフィコン Pfäffikon (1427年頃)


  抜粋

 2. われわれは次のように告げる。すなわち、領主は五月と秋の2回の裁判集会を命じ、荘園に縦横の長さ7シューの土地をもつ者は全員出席すべきである。しかし出席しない者は、領主が3シリングを徴収し、一つの世帯の長老は3シリングで他の世帯員を代表すべきである。
 6. われわれは上流と下流に2つの製粉所があることを告げる。いかなる者も荘園の中を流れる水を利用する製粉所を建て損じてはならない。領主は荘園に住む者全員にそこで粉をひくように命じる権限をもち、これに違反する者には3シリング以下の罰金を科す。また製粉屋は、彼ら全員が製粉を終えるまで、いかなる者にも製粉をおこなうべきである。自分の財産が公正に保護されていないと多数の者が訴えたら、わが領主は製粉屋の任免権をもつことができる。
 11. われわれは次のように告げる。すなわち、男女が結婚して、妻が夫のもとへ嫁ぎ、、妻が死亡して、夫婦の所帯がもてなくなれば、彼女がもっていた動産は、ほかに条件が付けられてなければ、夫のものとなる。また夫が死亡して、前述のように世帯がもてなくなれば、妻は裁断された布、彼女が持参したもの、夫婦の夜具、動産の3分の1を相続する権利をもち、許可されなければ、それらを換金してはならない。
 15.われわれは次のように告げる。すなわちわれわれは、誰か要求する者がいないかぎり、領主や代官のための抵当とされてはならない。われわれはまた次のように告げる。すなわち、自分の土地を耕したい者は、道路に沿って最寄りの農地まで行き、そこから次の農地へ行き、最後に目的の農地へ到達し、できるだけ損害のないないように配慮すべきである。われわれはまた次のように告げる。すなわち、穀物または干草や花など何かを利用しようとするなら、最も近い道を進むべきである。穀物または干草を通り抜けなければならない場合は、それら刈り取って通路をつくり、穀物であれ干草であれ気にかけてはならない。他人の土地に迷惑をかけて通ってはならず、通行には彼の承諾を得るべきである。
 22. われわれは次のように告げる。すなわち、われわれの古くからのしきたりとして、われわれの共同耕地を自然界から分けて語るなら、われわれはそれをわれわれ自身の手で保守すべきである。
 23. われわれは次のように告げる。すなわち、われわれの荘園内にある農地が売られるとき、身近な親族に譲渡すべきであり。彼が買えない場合は、わが荘園に住む荘園民に提供すべきであり、彼らが買おうとしなければ、アインジーデルンの荘園民に提供すべきである。彼らはわれわれと同じ法をもち、われわれもまた彼らと同じ法をもつからである。
 24. われわれは次のように告げる。すなわち、大十分の一税を得る者は、荘園民のために種牛と種豚をもつべきである。

 1-2-5 アインジーデルン Einsiedeln (1449年)


  マルクにおいて農地と相続税のための法にかんする判断は、年次裁判集会でいかに保留されているか。
 私ヨーハン・ファーダーはマルクにおける現職の役人として、シュヴィッツのわが敬愛する領主の尊敬すべき指示により、この文書を見たり読むのを聞いたりする者全員に次のことを公けに認める。すなわち、私はマルクにおいて古い村の開かれた屋外の年次裁判集会で通常の裁判席に座り、裁判集会の私の傍らには、アインジーデルンのわが慈悲深き領主・修道院長と彼の尊敬に値する修道院の現職役人である尊敬すべきで謙虚なヨース・グーゲルベルクが座り、彼は裁判集会で上記のアインジーデルンの修道院がマルクにもつ法が正当に承認されたことを告げるように私に求め、彼の願いにより、また裁判集会の承諾によって、アウの謙虚なルドルフ・シヴェンディビュールは慎重に尊敬すべき領民の助言を得て、次のように告げた。
1. 彼は、かつてわれわれの年次裁判集会において何度も次のように聞いたと告げた。すなわち、われらが邦の公法と前記のアインジーデルン修道院の法によれば、役人または裁判官はわが邦の地方官または裁判官と並んで座るべきである。前記修道院の農地にかんしては、邦の裁判官は修道院の裁判官の手に杖を渡し、そこで彼は荘園農地をめぐる諸問題が確認されるまで裁判をおこない、邦の裁判官は彼を他者の暴力から守り、邦の地方官は6 フィアテルの穀物が毎年上記修道院から得る。
2. われらが邦にある修道院の農地を買う者は、以前からの領民であれば、前記の修道院の役人からそれを受け取り、そのかわり2 ヴァイスヘンチェンまたは18ヘラーを納め、修道院の役人は彼に農地を授与すべきである。しかし彼が不興その他により農地を与えず、彼から取り上げようとするなら、そのことを年度内に通知した後に年度内に撤回すれば、彼は授与しなかったことになる。他方彼が従順にふるまえば、没収されずに済み、責任をはたしたことになる。それまで領民でなかった者が修道院農地を買えば、修道院の役人に1フントにつき1シリングの土地取得税を納め、購入が適正になされるかぎり、より良い恩恵をうけることができ、修道院の役人は彼に農地を与えるべきである。しかしこれに違反して、土地取得税が受領されなかったり、修道院の役人に不従順なふるまいをしたり、長い時間かかてやっと最初の地代が3分の1しか納められないようなようなことがあれば、修道院はその農地を他の所有地と同じく容赦なく占有して没収し、それは修道院のものとされるべきである。
 3. ニーダーマルクにおいて、(何が保留されていたのか、彼は明らかにしなかったが、上記の年次裁判集会で明らかにされうる。) 修道院領民が死亡したら、彼または彼の相続人は修道院に相続税を納めるべきであり、彼が残した馬、牛ないし雌牛など家畜のうち最良のもの、あるいは彼がこの世でもつ最良の衣服を修道院役人は取得するべきである。しかしそれをめぐって争いがあり、修道院の役人は、死亡者が修道院領民だったと考えるのに対して、相続人はそうは考えないなら、われらが邦の裁判官にその問題を提起し、尊敬すべき領民とともに次のことを検討すべきである。すなわち、死亡者の母の家系が修道院領民であったか、また彼が来たとき修道院領民だったのか、また修道院領民の女または娘が来たときアインジーデルン、ヘーフェン、リーヒェンブルから来たのか、彼女はどこの出身で、その子は修道院領民となるべきなのか、彼女の娘の子はその跡を継ぐべきなのか。常に母方の家系にしたがって検討すべきであり、母系にしたがって修道院領民と相続税は決まり、父系にしたがって決まるのではない。母の血筋により修道院領民となり、修道院領民である3人の息子をもつ男は、生計をともにする息子たちのうち長男が亡くなれば、そのたびに、相続税を徴収されるが、彼らのうち若い息子が亡くなり年長の息子が生きており、生計をともしていれば、相続税は徴収されない。しかし兄弟が互いに生計を別にすれば、いかなる者も自分自身の相続税を徴収されるべきである。
 このように裁判所で私に告げられたので、私は上記の裁判官に、誰かそれに反対する者がいるか、3回問いかけた。私が問いかけた後、誰も反対しなかったので、上記の修道院の役人ヨース・グーゲルベルクは修道院に1通の文書を作成し、彼にもその文書を渡してもらい、裁判官が裁判所のために署名するように要望した。

 1-2-6 ライヒェンブルク Reichenburg (1464年)


  抜粋
 
 2. アインジーデルンのいかなる領主もライヒェンブルク荘園から大小3つの罰金を得る。最大の罰金は9フントであり、その3分の2はわが領主、3分の1は告訴人に属する。
 3. 第2の罰金は18シリングであり、領主にはその3分の2、告訴人には3分の1が属する。
 4, 第3の罰金は9シリングであり、3分の2は領主に、3分の1は告訴人に属する。
 9. 自分の子どもまたは被後見人が結婚によって生まれ、男女を問わず、出生が貞節、後悔、暴力いずれによるものであれ、父、母、その保護者または近親者の承諾を得ることなくおこなわれ、それが申告された場合は、アインジーデルンの領主に10フントの罰金を法的に科せられる。
 15. わが領主の法によれば、修道院領民だった男が亡くなり、何も動産を残さなければ、修道院領民だったという証拠としてほかに何もない場合、彼は相続税として右足の靴を徴収される。
 16.ライヒェンブルクの領民はアインジーデルンの領主に正式な貢租として32フントを納める義務を負う。
 18. 所有地と相続財産をもつ者は、それを買ったか相続したかにかかわりなく、彼と同居し、彼とともに教会や市場に行く男女のために、また9年間および時効10年の期間邦を離れている男のために、長い間つつましくその権利を保持していれば、それを所有地としてもち、その農圃の装備を守るべきである。
 24. 修道院領民が農奴身分の女を妻としたら、領主は彼を罰するべきだが、それは領主の慈悲しだいである。
 25. 領主の法によれば、地代または租税を負担する土地を、領主または彼の役人は一方の手で没収し、他方の手で売ることができる。
 29. 領民が互いに生計を分かち合わない場合は、最も年長の男子が相続税を負担するが、生計が別個に分かれていれば、各人が自分の相続税を負担する。
 30. アインジーデルンの強制および罰令圏は、リントに入り、レッテンバッハからライセン泉の方向へ登って行き、ズンベルクを越えてラッヒェンシュトックの背後を登り、ラッヒェンのあたりを登って来て、ゲルヴェンベルクを越えて行き、グッガース・ロッホを下り、・・・・・リントの中に入り、そころ登って、わが領主の強制・罰令圏が及ぶ範囲で、ロッテンバッハの中まで至る。

 1-2-7 ヴァンゲン Wangen


  抜粋

 3. われらが荘園法では、われらが荘園民が結婚して、敵対その他の理由で出かけて行き、死亡するか殺害されれば、彼の妻は彼の傍らに横たわろうとしてベッドの前で帯を解いたことがあれば、彼女は彼に束縛されず、前述のごとく彼がいなくなれば、彼女の夫婦相続権は彼女のものとなる。その夫婦相続権は彼女がもつすべての動産の二つの部分からなり、裁断された布と、彼女が初夜に彼の傍らに横になったときの夜具または最後に残されたものであり、彼女が望めば、それらのいずれも受け取ることができる。妻が夫に対してもつのと同じ相続権を、彼女の夫も妻にもつ。それに対して妻は夫よりも多くの権利をもち、彼女は裁判集会と法によってあらゆる借金から免除される。ただし、彼女がその権利ををすすんで放棄したり、口と手で放棄を約束した場合は、その限りではない。
 6. われらが荘園法によれば、ヴァンガーの3つの耕圃における強制および罰令圏はヴァンガー荘園に属し、アウスプリートの強制および罰令圏はマイアースバッハ川の中からレーテンバッハ川の中まで、さらにリントの中へと及ぶ。五月半ばからクリスマス前夜まで荘園民はアウスプリートの御料林で家畜を見つけたら、1頭につき3シリングで目的地へ連れて行き、ヴァンガー荘園の中へ追い込むことができる。ただし、誰かが予定どおり森から離すつもりでいる場合は、その限りではない。しかし前記の家畜をヴァンガー荘園に追い込まなければならない場合は、勝手にそこから離さず、家畜に桶のえさを食べさせ、バケツの水を飲ませ、家畜が死んだら、いさぎよく罰金を納めて償うべきである。
 14. われらが荘園と邦の法によれば、争いで何事かをなした者は、法に望みを託すことができるので、彼を邦外へ連れ出したり、監獄に閉じ込めたり逮捕してはならない。
 18. われらが荘園と邦の法によれば、所有および相続財産を保有する者は、彼とともに教会と市場に行く者から、1年と6週と3日の間何も権利の請求がなければ、その後彼から自由になり、もはや何も彼に引き渡してはならず、将来われらが邦の防衛軍が保護すべきである。ただし、邦外にいる者については、その期間を3年と6週と3日とする。
 19. われらが荘園と邦の法によれば、わが子を自分の父母の諒解を得ることなく他人と結婚させる者は、領主に10フントの罰金を納め、わが子を再び元どおりに領主の便益と防衛に供すべきである。
 20. 渡し船の船頭にかんするわれらが荘園法によれば、船頭は16人乗りの小舟をもち、貨物船ももち、ブイももつべきであり、これら3艘の船を年中役立てるべきであり、しかもすべての年市で人々と荷物をラッペンスヴィルに輸送できるだけの多数の船をもつべきである。また厚板は14シューの長さで、台架の上に置かれ、人々はその上を通って船内に入るべきである。厚板の上を船内に運び込まれるものは、1ペニッヒの年賃金で運ばれる。しかし重荷を多く運ばなければならない場合は、その分の報酬を与えるべきである。船頭は聖マルティノの日(11月11日)の14日前からクリスマスまで人と荷物を運べるだけの数の船をもつべきである。大きな船では3回の休憩を(漕ぎと交代に)とり、漕ぐように要求された者は、そのとおりにすべきである。しかし漕ごうとしなければ、船頭は担保を没収して、彼に代って運航する他の人にそれを与えてもよい。そして船がラッペンスヴィルにから出ると、あわれな船員は他人たとえば靴屋が交替要員として配置されているのに気づくのである。われらが荘園民である農民はいかなる船頭にも毎年ディンケル麦を納め、1フィアテルのエン麦を納めるべきであるが、栽培していなければ1シリングを納め、寡婦は6ペニッヒ、寡夫は6ペニッヒを納めるべきである。船内で船頭を罵った者は船頭に罰金を払い、彼の怒りに対する償いをすべきである。
 21. われらが荘園と船頭の法によれば、彼または彼の使用人に航行を求めて叫ぶ者がいれば、彼はできるだけ速やかに船を出すべきであり、乗客が金をもってなければ、液体または血の出る物件を除いて担保を取るべきである。敵に追われて逃れる者がすぐにも航行しようとするなら、できるだけ速やかに船を出すべきであり、陸に着いたら彼を船首にやり、逃走させるべきであり、まず何よりもできるだけ再び元へ帰って来るべきである。そこで彼を追って航行したがっている者がいると知らされれば、できるだけ速やかに運航し、船を陸に向けるべきであり、彼が降りることを望めば、追跡者を船尾から降ろし、彼が望む方向へ追わせるべきである。その場合、邦人からは2ヘラー、異邦人からは4ヘラーを運賃として取るべきである。
 22. われらが荘園の法によれば、妻は誓ったことを宣誓とともに与えるかぎり、初夜の翌朝の贈り物を要求すべきであり、要求できる。彼女は花嫁道具を自分の手に入れることができるが、彼女が尋常ならざるものを求める場合は、2人の正直者によって通知させるべきである。

 1-2-8 ヴァンゲン教区 Kilchgenossenschaft Wangen (1436年以後)


 これはヴァンゲンの教会成員が教会保護主に対してもつ規則と法であり、古くからわれわれに伝わっているように、トッゲンブルクのわれらが慈悲深き領主は昔も今もみずから教会保護主であり、またその代行者は教会保護主のかわりに教会を担ってきた。
 1. まず最初にわれわれは次のような法をもつ。すなわち、教区司祭がわれわれの所へ来たら、教区臣民の多くが彼に要請して、彼の気にいるなら、教会保護主みずからすすんで、あらゆる反対を斥け、教会を彼に託すべきである。
 2. われわれの法では、ヴァンゲンの教会保護主は、教区臣民に損害のないように、教会の合唱団の費用を負担し、教区臣民は鐘楼と教会の費用を、教会保護主に損害のないように負担すべきである。
 また古くからのわれわれの法によれば、ヴァンゲンの教会保護主は立派な司祭館をもつべきであり、司祭がそこで快適に暮らせるように、立派な屋根と部屋付きの司祭館をもつべきである。とんでもないことに司祭館が燃えたり壊れたりしたら、教会保護主は、教区臣民の損害がないように、良い司祭館を作り直すべきである。
 3. われわれの法によれば、教会保護主は年間をとおしてわれわれにschälen、雄牛、種豚、おんどりと、1 ムットのエン麦を煮ることができる鍋を用意すべきである。その鍋は必要ならいかなる臣民にも文句なしに貸与されるべきであり、また上記の種畜が使用されてないときは、通りや共有地など、どこでも好きな場所へ行かせるべきであり、いかなる者も邪魔をしてはならないが、誰かの農地に入って損害を及ぼした場合は、穏やかに優しく追い払い、放して、囲い込んだり厩舎に入れてはならない。
 4. 前述の法と条項にかんしてヴァンゲンの教会保護主は彼の教区臣民に十分な働きをなし、それゆえすべての十分の一税を得るべきであり、それらは教会に属する小または大十分の一税であり、チーズその他の物は省かれることなく、法によって十分の一税として納めるべきである。いかなる者も決してそれを滞納したり妨げたりしてはならない。ヴァンゲンの教会保護主はこれら上述の十分の一税を毎年日曜日にヴァンゲンの教会の前で、誰かそれを受領してくれる者がいるか、公けに呼びかけるべきである。つまり彼が前述の十分の一税の徴収権を貸与しようとするなら、ヴァンゲンでそのことを予告しておくべきである。彼が貸与できるなら、それでよいが、できないときは、彼または彼の従者がみずから徴集すべきである。われわれの法と慣わしでは、教会保護主が十分の一税の徴集権を貸与する場合、十分の一税を集める者に1マルターのvesanを飲ませるべきである。
 5. ヴァンゲンの教区臣民のわれわれの法と慣わしでは、教会保護主が上述の条項の一つまたはすべてを十分に実行しない場合、規定とおり完全に遂行されるまで、教区臣民は規定の十分の一税を取り扱わず、法としては認めることができない。
 6. われわれヴァンゲンの教区臣民はリュティのわれらが慈悲深き修道院長、同修道院の修道士会、およびヴァンゲンの現職の教会保護主と、われわれが教区司祭の俸禄について対立し争う場合、われわれは次のような権限をもつ。すなわち、われらが教区司祭には規定の俸禄が通知され、しかもそれは毎年ローマのわれらが神聖なる教皇の助力と助言をもっておこなわれ、われわれはそれを告知する封印文書をもっており、 われわれ双方はともにその文書を分かち合っている。われわれはそれを守り、公正に徹したい。
 この現在の規則に書かれてある上述の法の作成には後記の尊敬すべき人々が参加し、さらに選ばれた一般臣民も加わり、上述の法にかんして、たとえその一部は最古のものであり、ほとんどすべてが周知のことであるにしても、彼らの先人から聞き、また彼ら自身も見聞したとおりにこの規則を書くように申告した。それらの人々の氏名は・・・・であり、これら尊敬すべき人々は、彼らの年長者や先人たちから聞き、彼ら自身も他に知るべくもない規則を、そのまま書くように申告した。したがってそれはヴァンゲンの前記の一般臣民の規則であり、古くから伝わる法と慣わしががこの規則に書かれている。そのように思わない者がいても、あるいはそれが不十分なものであっても、われわれは尊敬すべき人々とともにそれを忠実に告知する。

 1-2-9 ヴェギタール Wäggithal (1496年)


  マルクの旧代官ヴェルンヘア・ヴォルリッヒ、シュヴィッツの旗手ハンス・ヴァグナー、ヘッフェンの旧代官ハンス・ゲルプレヒト、これらシュヴィッツの参事会の3名全員は、この文書をもって、われわれが一般の渓谷住民への呼びかけのために、またわれらが敬愛するシュヴィッツの領主の勧告と要求のために、マルクとヴェックの渓谷に来たことを告げる。そして尊敬すべきハイニ・ツューガー、コンラート・グーゲルベルク、ルディ・ホニッセン、ハンス・シュヴィッター・フォン・シュヴェンディ・ウント・フリドリおよびハイニ・オーバーリーが出席して、多数の渓谷民の同席のもとで、われわれ一般渓谷民のために、シュヴィッツのわれらが敬愛する領主の上述の使者のために、彼らの先人から聞き、これまで彼らに伝えられてきたことは、渓谷の法であり、その共同体にかんする法であることを伝えた。
 渓谷外に住む者は、男女いずれもその共有地に権利をもってはならない。ただし、そこに所有地をもっている場合は、その限りではない。渓谷から転出した者が生まれながらの渓谷民であれば、共有地をただちに放棄すべきであるが、所有地をもつ場合はその限りではない。さらに彼の娘は共有地を相続してはならないが。彼女が所有地を相続する場合はその限りではない。またわれわれの祖先は次のような慣わしをわれわれに伝えた。すなわち、いかなる者も共有地を売ったり贈与することはできないが、他の共同体員に贈与したり売ることができる権限をもち、共同体員でない者に譲渡したり贈与することはできない。
 また、われわれがそれらを常に確認し、われらが領主の名において守り運用することは、われわれにとって非常に有益である。われわれがわが領主についてこのように語るのは、渓谷法はいつのときも存在し、昔から一般に守られてきたものの一つだからでもある。こうしてわれわれは、上述のような渓谷法をシュヴィッツのわれらが領主に代って、また領主の名において守り運用するように、汝らに告げる。

 1-2-10 キュスナハト Küsznacht (15世紀)


  これらはキュスナハトのわれわれの裁判所および荘園法の規約である。
 1, これは配偶者相続法にかんする規約である。夫婦2人のうち一方が他方より長生きすれば、動産のすべての価値の半分を所有として取得する。内縁関係にある妻が財産を望むなら、彼女がいくら払うかは、公正な人々の判断による
 2. pluomasなことが家の中で起きたら、夫婦のいずれであれ、配偶者相続法を適用することができる。居宅または不動産については、配偶者相続法を適用することはできず、あるいは債務を償却しなくてもよい貨幣の場合も、配偶者相続法を適用してはならない。
 3. しかし妻の財産が所有と相続財産であれば、夫は妻の財産を限定すべきである。親族と意見が一致しなければ、役人と公正な人々に委任すべきである。妻の財産は彼らの諒解なしに増減してはならず、彼女の財産が限定されれば、配偶者相続法は適用されない。
 4. 妻の財産が限定されず、削減され、彼女が夫のもとへ持参したものが白日のもとに公開され周知のものとなれば、夫の死後整理するか、限定して、彼らの意見が一致しない場合は、役人か裁判所に委任すべきである。相続人たちがそれから免れるまで、限定財産を利用し享受でき、彼らに権利が認められれば、早晩それを売ることができる。
 5. 妻は夫に結婚式翌朝の贈り物を、森や畑の中であれ死の床であれ、返すことができる。しかし夫婦が協力し合うことができれば、結局彼らが望むのはいずれも財産だということになる。夫婦が協力し合えば、結婚式翌朝の贈り物と配偶者相続権はなくなる。いかなる者も相手の財産を尊重し、十分に利用すべきである。
 6. ある人が死の床につけば、神によっても配偶者によっても、相続人の了解なしに10フントより多くを贈与することはできない。あるいは法的に正当とはみなされない財産をもつ人は、聴罪司祭の助言を得れば彼の親族とともにそれをもつことができる。
 7. 所有と相続財産と請求権を9年と10回の落葉季節の間要求されることなく法的に正当に秘匿し続けた者は、今後彼に引き渡すべきものがないなら、それを白日のもとに公開して周知のものとする。
 8. 人は他の相続人の諒解なしに相続権を奪ってはならない。ただし自由に手放したものがある場合はその限りではない。息子たちにささやかで適正な荷物桶を与えてもよいが、その際それが適正であることを、公正な人々が判断する。
 9. 禁止されているにもかかわらず、これにそむく者は、罰金5フントを科され、その3分の1は役人のものとなり、3分の2は教会保護主のものとなる。
 10. 死の床についた者が債務を負っているのに、邦内にいる者から請求されなければ、債務をもはや負わなくてもよいが、そのことが白日のもとにさらされ知られてしまえば、その限りではない。
 11. 訴えられて教会にも行けなくなった者は、救済を求め、役人と裁判所が救済を認めたら、債権者は救済を求めた者にまる1年猶予を与えるべきである。動産の担保をもたず、居宅や不動産ももってない者は、長期間債務を免れる。
 12. 領民でない者に商品を売る者は、教会保護主が許容する期限を超えて売ってはならない。教会保護主が領内で許しても、領内で期限を超えて売ることは認められない。領民であれば、1年の期限内に購入することができる。
 13. 領民でない者が領民の娘と結婚したら、親族が認めないかぎり、彼は彼女の保護者となってはならない。

 1-2-11 キュスナハト Küsznacht (1561年) 


 これはキュスナハト荘園におけるルツェルンの法であり、古来の裁判集会において古来の法と慣わについて告げるべきである。
 1. まず最初に告げるべきは、ルツェルンの教会または首席司祭が出席し、キュスナハトの荘官が14日以上3週間以下の裁判集会を命じるべきであり、裁判集会にはルツェルンの首席司祭、キュスナハトの荘官とキュスナハトの代官がが裁判に出席し、3名のうちいかなる者もそこでは弁護人になってはならず、会計管理人が荘園法、最初にキュスナハトの荘園の境界を告げる。 2. その境界はシュトゥンフェンの切り株から始まり、そこからルームバッハ川の中へ、さらにそこからフルーの最低位まで、そこからアルトバッハ川まで、そこから湖へ、湖を渡ってハイルベヒリへ、そこからレディブルンネンへ、そこからマールバッハ川へ、そこからベナルツバッハ川へ、さらにヴィトルフィンゲンへ、古いリッケンバッハ川へ、さらにリグミンの最高位へ、そこを下ってシュトゥンフェンの切り株まで、そして水がその間を流れ出るとき、心の内の目的を導くもの、それはルツェルンの教会の法の所有であり、荘園民の相続財産または所有であり、その間にはルツェルン教会の命令・強制権と罰令権があり、授与し相続すべきものがある。
 3. 荘園境界の内部では、たとえ大公の諒解を得たとしても、いかなる者も移動耕作をしてはならず、リスを撃ってはならず、野獣を捕獲したり狩猟をしてはならない。 4. 境界内部に住むか、境界内部に所有地または相続地をもつ者は、求められるたびにいかなる者もキュスナハトのすべての公的裁判集会に出席すべきである。 5. 境界内部には、家畜を放牧しても草を食べに出してもならず、柵の内部にとどめるべき個別所領があり、それらはルンボルトシュヴィレ、アルノン、リッファーシュヴィレ、ベディ・タル、アフス、ミューリハルテン、ガトメン、フェルナおよびクンボンという名の2所領である。 6. そして前記の境界の間にあるのは、ルツェルンの相続地と所有地であり、その間には共同広場もあり、これはルツェルン教会の所有地であり、荘園民の所有地と相続地に属する。 7. 境界内には共有地はないが、グリントリンに一部がある。    
 8. 集会が開催されるとき、次のような判決が知らされるべきである。すなわち、荘園民は一日のうち3分の1は集会に出かけ、3分の1はそこにとどまり、3分の1はそこから帰る時間にあてるべきである。集会に出席しない荘園民は、重大な用件で欠席する場合を除き、6シリングを罰金として科せられ、出席を怠った者は、罰金の半分は廷吏、他の半分は教会保護主のものとなるべきである。教会保護主が会議の書記となるか、または教区司祭が彼の代理を務めるべきである。 9. 教会の地代として何をどれほど納めるかを告げるべきである。またこの荘園ではルツェルンの教会に普通の荘園穀物枡で30マルターの穀物を納め、そのほかに首席司祭には特別に2マルターのエン麦を納めるべきである。10.  首席司祭はアルノンの所領から彼の御料林も得るべきである。 11. 教会の穀物地代は両イミゼーでは16マルター、ハルティコンでは10マルター、キュスナハトでは4マルターであり、地代を聖マルティノの日(11月11日)に納め、不平を言えば罰金を科せられる。キュスナハトの渡し船の乗り場には船があり、穀物地代を納める者は船で荘園に運び、穀物倉庫への納入以外に渡し船の船主に10ミュットのシュペルト小麦を納めるべきである。 12. 両イミゼーでは教会に運搬賦役代納金を納めるべきであり、1年目は4フント、2年目は2フント、毎年4シリングのmarder 乳製品を納めるべきである。両イミゼーはわれらが大公に1200の禁制パンと1000尾の魚を納め、魚は聖クレリスの日(9月14日)の朝会計管理人の屋敷に納め、不平を言う者は罰金を徴収される。 13. 前記の地代貢納民がその魚を会計管理人の屋敷に運び込むとき、食事をふるまわれ、焼いたパンとソラマメをbällibonnから与えられ、最も良いパンは廷吏に与え、彼らに食事を与えない場合は、彼らは魚を家にもち帰るべきである。 14. 両イミゼーの住民はわれらが大公に忙しくない金曜日に600個の卵を納めるべきであり、卵を会計管理人の屋敷に届けたら罰金を科せられるべきである。
 15. 前記の荘園境界内の相続地はルツェルンの教会のものであり、首席司祭はそれを授与し、それから生じる土地取得税や土地保有移転税は彼以外のいかなる者にも属さない。 16. 教会の農地をもつ者が死亡すれば、彼がもつ最良の家畜を相続税として納めるべきであり、会計管理人の屋敷にそれを引き渡すべきである。彼が死亡したら、彼が最良とみなしていた家畜が失われていても、現在もっている最良の家畜を相続税として納めるべきである。 17. 相続人に相続地が授与されたら、会計管理人に1シリングを納め、荘官に1シリングを納め、廷吏に4シリングを納めるべきであり、そこで息子たちはその相続地から教会に地代を完済したと言うべきである。死亡者が生きている家畜を残さなければ、彼の相続人は彼が受け取ろうとする相続地の土地保有移転税を首席司祭に納めるべきであり、1年間の地代納入期限を超えてはならない。教会の土地を入手する者は、首席司祭が通常の教会の法によりそれを授与すべきである。 18. 相続地を1年の期限内に受け取らない場合は、会計管理人によって没収され、その土地は教会に明け渡される。彼が会計管理人から聞かされていた年限が過ぎたら、そのたびに彼は3シリングの罰金を科せられる。
 19. 地代を3年間滞納し、会計管理人が毎年彼を訴えたら、彼の相続地はその分の地代を徴収されて教会に明け渡される。しかし彼がそれを買い戻そうとすれば、他の者より有利な条件で彼に与えるべきである。
 20. 教会の農地にかんして首席司祭または会計管理人の手でいかなる手書き文書が作成されようとも、古来の法の力をもつわけではない。 21.荘官は当荘園で農耕と繁殖のための牡牛を飼うべきであり、牡牛はゲルンゲンのtritlyまで行き、いかなる者も放牧にあたっては今後害のないように、若木または上着の袖で牛を追うべきである。会計管理人は荘園民のために雄豚を飼うべきである。 22. 首席司祭は廷吏の職務を、荘園管理人と荘園民が選ぶ者に授けるべきである。 23. 多くの子どもをもつ者が死亡したら、首席司祭は長子に相続地を授けるべきであり、末子は母親から相続財産を受け取る。
 24. こうして法が告げられ・・・・

 1-2-12 メルリッシャーヒェン Merlischachen (16世紀)


  これはすべて古来より伝えられてきたメルリッシャーェンの法である。
1. まず最初にあるのは強制と罰令、メルリッシャーヒェンの代官および領主の裁判所であり、また彼が貸与する権限をもつもののうち森林と耕地、さらにメルリッシャーヒェンの城と村落に属するものがそこにあり、ルツェルンの教会の農地とその漁業権に属するものは除かれる。これらの農地に住む者は、彼らがその農地のために必要とする建築材であれ、燃料であれ、その必要を森林で伐採できる権利をもち、そこに住む他の住民と同様に、森林を傷つけないように注意して、また彼らの網を掛ける柵や杭、彼らの船の中の操舵輪を作るための柳、彼らの船の上のrorbertterを伐採して、荘園の領主に奉仕すべきであり、それより多くを伐採してはならない。これらの荘園民は身体と財産および謝肉祭の鶏を代官にささげ、そこに住む他の住民と同様に従順たるべきである。
 2. 村内に2農圃があり、これらの農圃を貸与された者は、その身体も農地も従属身分の地位に置かれる。死亡するか転出する場合、彼がもつものの3分の2は代官に徴収され、3分の1は彼または彼の相続人のものとして残される。
 3. これらの農圃に住む妻は配偶者相続権をもたないが、彼女の遺産は代官の諒解を得れば、それから除外される。
 4. 協定がなされたのに、それを破る者がいれば、その協定は代官に召し上げられる。
 5. 不法行為をなす者は、告発者に3フント、代官に9フントを納める義務を負うが、彼が教会の領民である証拠を示すことができるなら、告発者に9シリング、代官に1フント7シリングを納めるべきである。 6.強欲によって他人に不法行為をおこなう者は、告発者に9フント、代官に27フントを納めなければならない。 7.  他人に名誉にかかわることをしゃべったため、その生命に影響がおよぶかねない場合、それを知られたくなければ、宣誓をして彼に許しを請うべきである。彼が他人のことについて名誉や良きことを知らずにしゃべったことは、真実ではなく、立腹のゆえに語った場合は、次の日曜日に教会で、またその後の2度の日曜日にも教会で最大の償いをするべきである。しかしそうしないで、知られたくない話を知らせてしまったら、彼がしゃべったことすべてについて責任を負わねばならない。
 8. 判決をめぐって2人が争い、弁護人が代官の所へ行くことを望んだら、彼らはその判決にしたがわなければならない。
 9. 他人を説得したため、次のクリスマス前に訴えない者は、その後彼を裁判にかけることはできない。 10. 他人の木を伐採すれば、その木が森であれ畑であれ、裁判管区のどこにあるかにかかわらず、またいかなる木であっても、木の本数にかかわりなく、木1本について3シリングを告発者に賠償すべきであり、代官にも全額を支払うべきである。それが不法におこなわれたのであれば、不法行為の罰金が科せられる。
11. 裁判管区内にもつすべての家畜を自分の所で冬越しさせることができるなら、いかなる者も休閑地や共同耕地に放牧してはならない。 12. いかなる者も木も牧草も麦わらも代官の許可なく村から贈与したり売ったり自分で運んだりしてはならず、それに違反する者は、違反のたびに、彼が運んだか入手したすべてのものについて、代官に1フントを徴収される。 13. 荘園に住む者は、開墾をしてはならず、開墾のために木を伐採してはならない。ただし、代官から特別に許可を得ていれば、その限りではない。 14. 高所に属する地域に住む漁師、またはそこに居住する他の住民は、彼らの必要物を、他の人々と同様に森林を傷つけることなく、伐採することができ、そのかわり代官には従順に奉仕し、他の人々と同様に謝肉祭の鶏をささげるべきである。
 16. 代官は1年のうち何度か境界を見回るべきである。
 17. 代官はできるかぎり不法者から荘園民の身体、財産を無事に保護すべきであり、その費用は裁判管区内では彼が負担し、管区外では荘園民が負担する。

 1-3 ツーク Zug


 1-3-1 エゲリ Egeri (14世紀)


  これはエゲリの荘園法であり、オ-ストリアのわれらが君主は五月と秋にエゲリの渓谷裁判集会をもつべきである。エゲリの荘園に縦横7シューの農地をもつ者は五月と秋の3回の裁判集会に出席し、裁判集会で裁判と判決が与えるものを、裁判管区に住む者の1人として、受け入れるべきである。彼が裁判集会に出席しなければ、わが領主の役人に3シリングを徴収され、役人は彼を差し押さえることができる。また3回の裁判集会に出席しなかった者は、ツークの次の第4回の裁判集会でそこに出席しているわが領主の役人に罰金を納める。その場合、差し押さえられた者が身体または農地の権利を再び取り戻すまで、役人は差し押さえた農地を裁判集会における告発者の手に移管すべきである。オーストリアのわれらが君主は強制・罰令圏をもち、強制・罰令圏はゲニッペンに始まり、ゲニッペンからロスベルクを超えてカイザーシュトックへ至り、そこを出てトロンバッハ川へ、そこからエンギへ、エンギからビーバーへ、ビーバーを下ってフーレンシュタインへ、そこからシュテルネックへ、さらにホーエネックに至る。そして雪ばかり現れるようになると、強制・罰令圏もそこで終わる。 オーストリアのわれらが君主はそこに強制・罰令圏をもち、すべての裁判管区ををもつ。
 われわれの荘園内にある農地を売ろうとする者は、それを共有者に申し出て、彼らが他の人びと同じ値段でその土地を買うなら、彼らに売るべきであ。彼らが買わない場合は、荘園民仲間に農地を優先的に提供すべきである。彼らが他の人々と同じ値段で買うなら、彼らに土地を提供すべきであるが、彼らが買わないなら、遠方の人に提供すべきである。荘園内の不動産を買う者は、1フント以上高く買えば、ツークで売られている最良のワインを1フィアテルを役人に納めるべきである。彼が1フント安く買えば、彼はその分を誰にも納めてはならず、役人または裁判所に納めたうえで、彼の妻に終身給付また結婚式翌朝の贈り物を与えるべきである。
 われわれは次のような慣わしをもつ。すなわち、人は道路に沿っていかなる者にも自分の物を自分の好きなように譲渡することができ、彼が望む相手にひき渡すことができる。しかし、われわれは次のようなことを慣わしとする。すなわち、われわれはヴィールの製粉所の公道をもち、その道幅はHoubtseの門まで14シューとすべきである。またヴィールから美しいバッハゼックに至る公道もある。真夏に馬車で行くつもりなら、その道を進むことができる。また湖には渡し船の航路もあるが、税関吏が湖をめぐる荷物の航路を管理する。
 われわれはバネックという名の共有林をもつことを慣わしとする。われわれはそこで木を伐り、自分で湖まで運んで行き、いかなる者もわれわれを邪魔してはならない。
 われわれはヴィールに製粉所をもち、それは優先製粉所であるべきで、ヴィールの住民のために最初に製粉し、彼らが必要とする他のものを製粉し。次いでわれわれ他所の住民にも製粉をおこなう。
 われわれは村の中央からマールローゼンへの公道をもつ。
 しかしわれわれはグルーベンを経て尾根を越える公道をもち、その道幅は荷物を背に負う2頭の馬が互いに行き交うことができるほどの広さとすべきである。
 われわれは次のような慣わしをもつ。すなわち、われわれはオーストリアの君主の農奴ではなく、われわれは盟約者団の成員となる前は代官にしたがう自由民だった。しかしわれわれはチューリッヒ、ザンクト・フェリックスおよびザンクト・レグレンの週僧院の農奴であり、敬虔な農奴であるという証として、毎年チューリッヒの女子修道院長に30尾のウグイを納め、チューリッヒ市で買うものすべての関税を納める。
 われわれは次のような慣わしをもつ。すなわち、親しい者にわがことのように助言する気があるなら、われわれは仲間であり、アインジーデルンの荘園、アルトの荘園、ツークの荘園、カームの荘園における兄弟仲間であり、相互に荘園仲間であり、相互に法的に結ばれ、いかなる者もそれを妨げてはならず、オーストリアの君主も妨げてはならない。
 ヴィールの住民はツークの住民とともに共有地をもつことが、慣わしとなっている。共有地に属する住民が相互に対立したら、共同で囲うことを妨げられてはならず、ヴィールの住民は彼らの囲い込み地を放牧地として、われわれの住民も囲い込み地に放牧し、家畜を共同で放牧すべきであるが、彼らが反対するなら、共同放牧をしてはならない。
 オーストリアのわが君主も当地に法をもってきた。われわれは彼の代官にしたがう領民であり、それは4つの点、すなわちエン麦地代、貨幣地代、漁獲貢租および租税に存する。われわれはこれら貢租の全体および個別をともに用意すべきであり、そのためわれわれは御料林の貢租も用意すべきであり、これはわが君主への狩猟貢租である。

 1-3-2 ヌーハイン Nuhein


  これらはザンクト・ブラージエンの修道院とヌーハイン荘園に住む荘園民の法である。まず最初に、宣誓にもとづいて次のことが告げられる。すなわち、ザンクト・ブラージエンのわが領主は2回の裁判集会を五月に1回、秋に1回開催し、また必要があるたびに開催する。これら2回の裁判集会は先にヌーハイムの教会の前で、さらにエーゲリの教会の前で7夜開かれ、それが知らされたら、縦横それぞれ7シューの修道院の農地をもつ者は全員出席すべきであり、出席しない者は、わが領主に3シリングを償うべきであり、代官がわが領主の役人と並んで出席し、彼を不法行為から守り、わが領主や彼の役人が裁判をおろそかにしたり間違えたりしないように注意すべきであり、裁判のための集会を開き、裁判をおこなえるなら、実行すべきであり、裁判集会をおこなえないなら、荘園内で再度集会を開き、荘園法にしたがって裁判をおこなうべきである。そしてわが領主のすべての裁判管区は、森林と畑地に対する強制および罰令圏であり、窃盗や不法行為があれば、それについて代官は裁判をおこなう。まず最初に、わが領主のために彼の地代について裁判をおこない、次いで必要に応じて所有と相続財産について裁判をおこなうべきである。その次に来訪者の裁判がおこなわれる。さらにその後に荘園民の裁判がおこなわれ、この裁判集会に他人を告発する者は、3回の裁判集会で告発すべきであり、被告が出頭せず、告発者を正当と認めれば、被告に対して法が執行されるまで、わが領主の役人は彼の財産を裁判所で強制的に差押える。われわれの慣わしによれば、いかなる者も修道院の所有や相続財産について発言してはならない。ただし、両者の安全をはかりたいとおもう場合は別である。われわれの慣わしによれば、修道院領民を訴えようとする者は、彼が相手に対して法的に正当な立場にあり、裁判所の判決を受け入れることを相手に保証すべきである。われわれの慣わしによれば、この修道院の農地を売ろうとする者は、まず最初に共有者に売ることを申し出て、彼が他の人々と同じ価格で買うなら、彼に売り、その後に荘園民に、次いで他所の者に売るべきである。われわれの慣わしによれば、。修道院のいかなる者も、修道院の農奴であれば、修道院から失われてはならない。彼が死亡しても、農地は失われることなく、相続税として彼がもつすべての家畜のなかで最良の家畜を納め、彼が家畜をもっていない場合は、彼がもつすべての衣服のなかで最良の衣服または甲冑を納め、兄弟姉妹が多くて、彼らが別居せずに一緒に暮らしていれば、長子が相続税を納める。われわれの慣わしによれば、外来民が修道院の農地に転入して、長年定住していれば、彼がもつ農地の大きさに応じて、相続地であれ、所有地であれ借地であれ、に修道院領民が受容するのと同じものすべてを、指定とおりに受容すべきである。われわれの慣わしによれば、修道院領民が転出しようとして、わが領主が彼の転出を認めるなら、彼が行きたい所へ自由に行かせるべきである。われわれの慣わしによれば、荘園内に修道院の農地をもつ者は、われわれが領主に対して負担するすべての用益と貢納につとめるべきであり、修道院領民が受容するものすべてを、彼がもつ農地の大きさに応じて、指定どおりに受容すべきである。われわれの慣わしによれば、当地で修道院の農地を買う者は、わが領主または彼の役人からそれを受け取るべきであり、知られているとおりに土地保有移転税を納めるべきである。そうしないで、農地を長い間受け取らずに住んでいる者は、わが領主に農地を没収され、農地は彼からひき離される。われわれの慣わしによれば、われわれはザンクト・ブラージエン修道院の農奴身分であり、わが領主たるザンクト・ブラージエンの修道院長に地代、相続税を納め、保有している農圃から鶏を納め、その鶏は代官のものとなるべきであり、そうすることによってわれわれは将来のことを心配しなくて済む。われわれの慣わしによれば、わが領主はわれわれに一人の修道院領民を役人として与え、1人の廷吏の任免をおこない、彼が代官のもとに来れば、代官は彼を採用し、来なければ、他の者を任命することができ、彼に裁判集会の世話をさせる。われわれの慣わしによれば、アインジーデルンの修道院領民はチューリッヒ修道院、ゼッキンゲン修道院、ライヒェナウ修道院、ザンクト・ガレン修道院、シェニス修道院およびプフェッファー修道院の領民であり、これらの修道院領民から妻を迎える者は、アインジーデルンのわが領主に忠誠を誓い、夫婦が子どもを得て、夫が死亡したら、アインジーデルン修道院のわが領主は子どもに残された農地を相続する。 われわれの慣わしによれば、わが領主の役人は彼に提示されるすべての案件を裁くべきであり、誰かが来て、不法行為を訴えたら、それが不法行為であれば彼の裁判をおこなうべきかどうか、わが領主の役人によって判断がなされるべきであり、それが不法行為であると判断されたときは、わが領主の役人は彼に対して裁判をおこなうべきであり、そうすれば代官は荘園法にしたがって裁くべきである。われわれの慣わしによれば、有罪とされた者に対しては、代官は荘園の慣わしと荘園法にしたがって法を適用すべきである。われわれの慣わしによれば、当荘園では罰金として告発者に3シリング、わが領主の役人にも3シリング、代官には6シリングより多くが納められる。第1に宣誓を罵る者、第2に境界石をずらす者、第3に不法な強奪のために襲う者は告発者に3フント、代官に6フント償うべきである。われわれの慣わしによれば、修道院領民に流血の傷害をなす者は、通常の流血事件のとおりに、代官に恭順の態度を示し、告発者に3シリングを償い、告発者が医者に行ったら、その費用を払い、ほかに彼の身体にかかる費用も弁済すべきである。また彼の身体に麻痺があれば、それも弁償すべきであり、彼の仕事や時間に支障があれば、それも償うべきである。しかし告発者が異常な損害とみなせば、彼は彼の同僚村民または他の2名の誠実な人とともにそれを通知すべきである。われわれの慣わしによれば、われわれはオーストリアのわが君主に上述の租税を納めるべきであり、それによってわれわれは奉仕をはたしたことになり、将来もわれわれがすすんでおこなう限り、行軍その他の問題について心配することはない。前述のように、修道院領民から妻を迎える者がいれば、代官は彼を罰するべきである。3つの裁判集会を欠席する荘園民を訴える者がおり、被告が出席することなく自分を正当であると主張する場合は、彼を代官に訴えるべきであり、訴えられた者は代官に18シリングの罰金を負い、代官は彼の身体と財産を差し押さえるべきであり、それによって告発者に正当性が認められ、役人には賠償金が支払われるなら、裁判所はそれぞれ3シリングの罰金を認める。

 1-3-3 ヴァルヒヴァイル Walchweil (1398年)


  われわれヴァルヒヴァイルおよびエンメッテン両村落の荘園民は共同で、この文書を見たり読むのを聞いたりする者全員に次のことを知らせる。すなわち、われわれは老いも若きも、貧しき者も富める者も、ともにわれらが荘園に属し、われらが長老の良き相談と助言を得て一致団結し、われらが荘園の法を告げ、とくにわれわれが属するツークのわれわれの監督者としての役人、参事会および村民のわれらが敬愛する方々の承諾と恩恵を得て、次のように告げる。すなわち、われわれは戦闘装備として鎧、兜、湯沸かし、背嚢、henschen, 腕甲をもつが、甲冑といわれる戦闘装備は、われわれの荘園ではわれわれに強制されたり要求されるべき動産ではない。農奴が働く農地に甲冑を持ち込む場合、夫婦ともに、配偶者相続権や債権のために、甲冑をあたかも動産であるかのように受け取ったり持ち込んではならない。正当な相続財産である不動産を受け取って相続したら、他の不動産と区別することなく管理すべきである。これにかんして両村落のわれらが荘園におけるわれわれ一同は、ツークの役人、参事会の方々に次のようにお願いする。すなわち、今後ともツーク市と市民に損害をかけないように、この文書に公的にわが印章を添えて、租税、地代、強制、罰令および法令などすべての法のもとに、われわれ一同は前述のことを今後ともわれわれ自身とわれわれの後継者に対して証言と確認の義務を負う。この文書は1398年復活祭の次の日曜日に付与された。

  1-3-4 ブリッゲンストルフ Bliggenstorf (1381, 1394年)

 ブリッゲンストルフの強制、罰令および裁判、並びに村民の共同体にかんする文書は、一語一語次のように述べている。
 われわれ、コンスタンツ司教領にあるザンクト・ベルンハルト修道会のカペルの修道院と修道院長ハインリッヒは、この文書によって、これを見たり読むのを聞いたりするすべての者に対して、公的に次のことを知らせ約束する。すなわち、われわれは1394年使徒マタイの日(9月21日)の直前の木曜日、金銭問題や要求にかんしてブリッゲンストルフの一般農民と村民自身が出席し、前記のわれらが修道院から修道院長ルドルフ・ヴェリッコン・フォン・ルツェルン、カペルの大財務官で司祭兼修道士のハインリッヒェン・フォン・ウーレ、われらが俗人修道士で家畜管理人で、カペルの従順なる教会禄保有者の修道士ハインリッヒェンが出席した。彼らはわれわれにブリッゲンストルフで公的裁判集会をを開催することを要請し、彼らはわれわれに先んじて集会の開催に努めていたので、われわれは彼らに上記の日に公的集会の開催を認め、そこに出席し、カペルの修道院長、修道会および修道院の名において上記の修道士ハインリッヒェンを裁判官に推薦し、われわれに代って彼に裁判の杖を与え、公的裁判集会の裁判官の前にブリッゲンストルフのハインリッヒ・シューラーが彼の全村民と農民を代表して出席して代弁を求め、許可されたので、彼はヴェルンヘア・ヤンス・フォン・バルに要請して、裁判官に助言の提案を許可するように求めてもらい、それが許可されたので、彼らは退席して再び戻って来て次のように語った。すなわち、カペルの修道院がブリッゲンストルフに強制・罰令圏をもち、規則をもって以来、荘園法が存在し、規則を遵守することが求められ、法が執行されている。それについて法が問われると、規則を裁判集会で読み上げるべきであるという総合判断が与えられた。それは以下に述べられているように、一語一語読み上げられた。
1381年聖パウロの改宗の日(1月25日)の次の日曜日、この規則は書かれ、ブリッゲンストルフの荘園法はそれに則している。農民たちはこの法が慣わしとして彼らに伝えられてきたこををかつて宣誓によって誓ったおぼえがあると告げた。その農民たちの名は後述のとおりであり、この法が告げられるのを見た者は、以下のように一語一語書くことを求めた。 1. まず最初に、強制・罰令圏はカペルのわが領主のものであり、強制・罰令圏はフリューアーシュテークからローレンツェングルントを下ってブリッゲンストルフの小径までの範囲である。 2. カペルの領主は今年度およそ12日後に裁判集会を開くことを農民たちに知らせ、それに先立ってわれわれにそれを知らせ、いかなる日とするか、村長が8日前にそれを知らせ、ブリッゲンストルフに住宅をつ住民全員が集会に出席すべきであり、出席しない者は3シリングの罰金を科せられ、ロルツェ川の向こう岸に住む者または当地に住んでいるが、村長がいない場合は、われわれに知らせるように彼らの使者に命じてもよい。 3. その日、裁判集会の初日にカペルの領主は村民たちの多数とともに四人衆を任命して、彼らが合意できない場合、これまでの慣わしどおりに、最良かつ最重要なことをなす者を不可欠とするなら、彼らは村落の役に立と誓った者を選出することができる。こうして彼らは強制し命令する完全な権限を得て、その命令にしたがわず断ろうとする者がいる場合は、彼を差押える権限も得た。四人衆が裁判集会で任命されたら、科すべき罰金が告げられる。それは村長がおこなうべきであるが、村長がいなければ、村落の名誉と利益を誓ったその年度の四人衆がおこない、誰もがが承諾した場合に限って、宣誓と名誉にかけてそれを告げる。そして罰金が科せられたら、四人衆がそれを評価し、罰金の3分の2は農民たち、3分の1はわれらが領主のものとなり、3分の1が領主に払われたら、3分の2は農民たちが受領する。4.裁判においてはまず最初に村民がすべてについて裁くべきであり、上記のカペレルのわれらが領主は窃盗と不法行為以外は裁いてはならない。それらの裁判がおこなわれるときは、彼らは裁判の杖を手放して、いかなる者も裁判を傾聴すべきである。5. 外来者が村民を告発しようとするなら、外来者は、村民を軽んじるつもりでなければ、裁判の前後に村民を安心させるべきである。 6. その場合われらが領主は3日間裁判をおこなわなければならず、しかも年間をとおして罰令圏が裁判を必要とし、誰かが要求するたびに裁判をおこなわなければならない。7. 慣わしによれば、カペルのわれらが領主がもつ法によれば、ブリッゲンストルフに住むいかなる者もその地代と負債について差し押さえられるが、罰せられることはない。8.、ブリッゲンストルフの住民が納得しない負債について差し押さえ執行人を要求する者がいるなら、領主はこれまでの慣わしどおり、彼に差押え執行人を送り、8日後には損失をこうむる怖れがあることに注意を喚起するように命令しなければならない。9. われわれの慣わしによれば、ブリッゲンストルフに住む者は干草と放牧地をもつべきであり、そこに住んでない者は、そこに農地をもっていても、干草も放牧地ももってはならないが、住宅をもって住んでいる場合は、その限りではない。10. 農民は森林と畑、その他のものを強制圏領主とともに罰令圏とすることができ、必要となるたびに、強制圏領主とともに罰令圏を解除することもできる。11. 彼らが慣わしとして祖先から受け継いできた他の法や慣習がここに書かれていなくとも、それを告げようと思う者は、自分たち自身と後継者、村落その他に対して彼らの法と慣習を損じることなくそれを保持する。
こうしたことがおこなわれ、この規則が裁判集会で読み上げられ、上記の代弁者はすべての村民に助言を求め、裁判官の問いかけの後それが許可されたので、彼らは一旦退出した後再び戻って来て、上記の代弁者は全員のために答えて、彼らは全員が村民であり、いかなる者も伝えられた規則の文言以外のことを知らないと述べた。また彼らの一部はかつて宣誓して村落共同体の利益と名誉を熟慮し、7名の誠実で申し分のない者を村民仲間のなかかから裁判集会に選出した。7名は宣誓して、魂と名誉を守ることを聖人に手を挙げて誓い、裁判集会で手を挙げて宣誓し、規則にあることすべてを守ることを誓った。こうしてすべてがおこなわれたが、上記の代弁者は全村民のために、裁判集会で公正のため文書を彼らに確認させるべく回覧することを彼らが望んでいるか、法を問うたところ、裁判官の問いの後に全体の判断によってその文書が法として告げられた

 1-4 ルツェルン Luzern


 1-4-1 ヴェギス Weggis (14世紀初)


  (ヴェギスはルツェルン湖の東岸に位置する)

 これは裁判集会で秋と五月に告げられるヴェギスの荘園法である。
 まず最初に裁判管区の境界はシルトリto
シベルンに至る。この境界はシルトリとシベルンからグレッペンを超えてヘンネンシュタインに至り、その低地の道はヴェギスの荘園に属し、荘園は修道院の所有地であり、この荘園に属する領民の相続地でもある。境界はヘンネンシュタインから切り株まで登り、切り株からクーンに沿ってエッガへ下る。エッガからチンゲルンに登り、・・・・・シルトリのシベルンに至る。
 高地の森林と低地の道の間にあるのはプフェファースの修道院の所有地と、ヴェギスの荘園に属する領民の相続地の強制・罰令圏である。この荘園には自由農地もあり、古くからの慣わしによってその自由が認められている。
 これが修道院に法として告げられて以来、古くからの慣わしによって誰が当荘園で所有地および相続地について法を告げるべきか、荘園の法が問われ、この荘園では相続地と所有地をもついかなる者も法を告げてははならないとされた。
 ヴェギス荘園では代官はいかなる権利をもつか、法が問われると、古くから次のような法が告げられている。すなわち、1フィアテルのエン麦と1羽の鶏が代官所に納められ、窃盗と不法行為を裁く彼の裁判所では、罰金の3分の1は小裁判所のもの、3分の2は修道院長のものとなる。
荘園では次のような法が告げられる。すなわち、修道院の農地を相続する者は、相続をおこなうことによって彼の相続財産を受け取ったら、割れたひずめをもつ家畜のなかで1頭をを除き最良の家畜を納めるべきである。1頭以外の家畜を譲渡した者は、修道院にそれを納められないので、他の家畜を支障なく納めなければならない。死亡者が家畜をもっていない場合は、地代と同じ額を相続税として納めるべきである。
 同荘園の法によれば、相続地を売って、荘園内にもはや修道院の農地をもたなくなった者は、彼が死亡した場合の相続税に等しいものを納めるべきである。
 ヴェギス荘園では次のような法が告げられる。すなわち、風で移動したり、雨にうたれたものについて、修道院に十分の一税を納めるべきである。同修道院には毎年聖アンデレの日( 11月30日)に地代を納めるべきであり、その日に納めない者は、3シリングを罰金として徴収され、その後彼が地代を納めるまで毎日3シリングを徴収される。
 上記の荘園法によれば、修道院の農地を買ったのに、その後1年の満期が過ぎても受け取らない者は、修道院の役人に農地を受け取るように催促され、その農地を没収されてしまう。またウェギス荘園では、いかなる者も修道院の農地を修道院の手を経ることなく売ったり譲渡したりしてはならない。
 上記の荘園法では、修道院の役人はロートミトリの山岳放牧地に彼の家畜を一般に8日間放牧することができる。
前記荘園で告げられる法によれば、修道院領民も代官も修道院の役人の承諾なしに罰金の申し合わせをしてはならない。

 1-4-2 アートリゲンスヴィル Adligenswil (14-15世紀?)


  (アートリゲンスヴィルはルツェルン湖の北に位置する)

     I.

 これはアートリゲンスヴィルの住民が荘官に告げる法であり、彼らの荘園法に属する。
 荘官は祭壇の灯をもち、それは太陽が出ている夕刻から夜間をとおして夜明けまで灯っており、罰令によって定められた祝日には昼夜絶え間なく礼拝がおこなわれ、公爵の役人は荘官がアートリゲンスヴィルの役所から非常に多くの利益を得るように命じ、灯をわれらが聖体の前に永遠に灯し続けるべきである。それがすべての荘官の古くからの慣わしであり、これが荘園法である。
荘官は教会を屋根で覆い、教会成員や教会は欠陥のない屋根を受け取るべきである。
 荘官は教区付き司祭に130束のスペルト小麦と150束のエン麦を提供し、領主直営地ではまず最初に10分の1税を納め、その次に直営地で育つ穀物の4分の1を納めるべきである。不足があれば、大十分の1税について、前記の穀物束を完全に提供すべきである。司祭がいいかげんである場合は、われわれが礼拝を怠りなくおこなえる保証を彼から得るべきである。領主直営地は穀倉係が正しく耕作して、しかるべき法を実行すべきであり、これが荘園の法である。
 アートリゲンスヴィルの荘園民は、彼らの教会の財産を管理する教会用務員を選ぶべきである。彼が彼らのあ同僚荘園民であれば、教区付き司祭は法にしたがって彼に教会用務員職務を委任すべきである。これは荘園の法である。
 アートリゲンスヴィルの荘園民は、村域監視人を選ぶべきであり、彼に彼らの森林と耕地をまかせ、召喚は彼に法にしたがって職務を委任すべきである。これは荘園の法である。
アートリゲンスヴィルの地代負担農民は聖マルティノの日(11月11日)に荘官に地代を納めるべきであり、箕とから竿で穀物を精製すべきであり、きわめて誠実におこなうことができたら、穀倉係がそれを受け取るべきであり、穀倉係にはその日食事を提供すべきである。これは荘園の法である。
アートリゲンスヴィルの地代負担農民は聖ヒラリウスの日(1月13日)に荘園に地代を納め、彼らがその日法を実行する前に、荘官は彼らの食事に1マルターのエン麦を与えるべきである。これは荘園の法である。荘官はアートリゲンスヴィルで雄豚1頭、雄牛1頭、雄馬1頭、製粉所をもつべきであり、3フィアテルのエン麦から1イミのエン麦を、3フィアテルの大麦から1イミの大麦を取得し、1ムットのもみ殻付き穀物から1イミの穀物をを彼の畜舎の賃料として得る。雄豚、雄牛および雄馬が荘園民の家に損害をかけたら、彼は、その年に生育したハシバミの若木を用いて追い出すべきである。彼がこれをもっていなければ、衣服の袖を用いて彼の農地から隣へ追い出すべきである。

     II

 アートリゲンスヴィルの荘園では荘園民および高い身分の荘園民以外のいかなる者も所有地と相続地について法を告げてはならない。
 所有地と相続地について訴えをおこす者は、法を不当のようにおもうなら、次の五月の裁判集会また秋の裁判集会に控訴することができる。荘園に判決を控訴しようとする者は、同僚荘園民とともに判決やり直しの裁判を求めて、2名の同僚荘園民とともに宣誓と名誉にかけて、判決に従うべきである。
 判決をめぐる争いが起きたら、代官に控訴し、代官がそれについて判決をおこなうべきである。それができないときは、さらに上級審に控訴し、14日後に再度判決をやり直すべきである。
 荘園では法にしたがえば、他人と裁判をおこなう者に対して、代官は一度は召喚をおこなうべきである。代官は3度召喚すれば、召喚のたびに3シリングを徴収すべきであり、彼を公正に保護すべき必要に充てる。3日目には、彼の意向にかかわりなく、訴訟は終わる。
 アートリゲンスヴィルの周辺には8つの圃場があり、それらは個別分散し、農圃には放牧地も家畜飼料もない。圃場はシェーディンゲン、ベルクマット、ビュッテネン、ゲレスベルク、ティーチベルク、シュトゥーベン、マイントレヒティンゲン、ゲッセンタールにあり、これらはアートリゲンスヴィル荘園における採草地でも放牧地でもない。
 シュトゥーベンの圃場は、その休閑地がアートリゲンスヴィルの休閑地にぶつかる場合は、彼らは家畜を共同で放牧することができる。その間には柵と出入口を設けるべきである。ターテンベルクの休閑地についても同様である。
 前記の圃場に耕地か放牧地をもつ者が、それを利用しようとおもうときは、耕作と収獲の妨げにならないように柵や道路を設け、荘園外の者が1年間家畜を農地で冬越しさせる場合、彼は同数の家畜を翌年同じ農地で夏を過ごさせることができる。
 アートリゲンスヴィルの荘園で穀物や草を刈り取れない耕地または採草地をもつ荘園民は、家畜を共同で囲い込む以前に、家畜を放牧してはならない。
 荘園に住宅をもつ荘園民または非荘園民が住宅を建てたいとおもうなら、荘園の共有地で木を伐採すべきであるが、必要以上に伐採してはならない。
 非荘園民が荘園民に家畜の放牧をしてもらおうとおもうなら、荘園民は家畜を柵の中に入れることができる。彼が家畜を放牧することを望まないときは、荘園民はそのかわりに、水を出入口に置き、干草を梁の上に置いて、もみ殻まで食べさせるべきである。
 荘園民の家畜が他人に迷惑をかけたら、隣人に彼が家畜を放したことを伝え、家畜を放した日数に応じて1日あたり3シリングを代官と他人に損害賠償すべきである。
 荘官は穀倉係に2頭の雄牛を買い、領主直営地を耕せるように提供すべきであり、彼は2頭立ての雄牛で耕耘すべきである。
 荘官は回廊を覆う木を3軒分まかなうために荘園の森林で伐るべきであり、荘園民は彼らの住宅を建てるために木を伐らせてほしいと荘官に頼み、許されなくとも、伐ってもよい。しかしこれとは別に伐採をする者がいれば、荘官は彼を追跡し、馬が帰ってくるまで馬から鞍を降ろしてはならない。
 (次いでいくつかの村道の名が続く)
 われらが荘園法によれば、荘園で所有地と相続地を売ろうとする者は、彼の共有者に売却を申し込むべきであり、彼が買おうとしなければ、荘園民に提供すべきであり、荘園民が買おうとしなければ、可能な範囲で遠方の者に売ることができる。
 (再び若干の村道名が続く)
 これがアートリゲンスヴィルの荘園法であり、彼らの宣誓に続いて、彼らの先人から決してこれ以外の法を聴いたことはないと彼らは告げた。

 1-4-3 メッゲン Meggen (14世紀半ば)


  (メッゲンはルツェルン湖の北岸に位置する)

 ハプスブルク家に属するメッゲン荘園においてオーストリアのわが君主は森林と耕地に対する強制と罰令の権限。窃盗とすべての不法行為に対するすべての裁判所をもつ。判決に不服があれば、2名と代弁者が代官に控訴することができる。罰金の3分の1は代官、3分の2は荘園民のものとなる。当荘園内で所有地または相続地を売る者は、まず最初に正規の相続人に売却を申し出るべきであり、次いで共有者に、その次に荘園民に提供し、誰も買おうとしなければ、遠方の者に譲渡してもよい。われわれが当荘園外に農地を売り、それが共同地だった場合は、内周に柵をしてその外では家畜に飼料を与えず、放牧もせず、干草も得てはならなし。われわれが売ったこれらの農地は、エッペンスヴァント農地、ベンツェンホルツ地、さらにハインツ・フォン・ゲップナウが耕すクリスタンの開墾地であり、われわれの共同地はエッペンスヴァント農地とバルデックの農地との間の開墾地である。またメッゲンの荘園に共同地を保有していた者は、代官と荘園民の合意によって、それを放置し、もはやその権利をもってはならない。垣根の外で開墾する者は、3 回の収穫をおこなうべきであり、その後それを放置すべきである。当荘園に農地をもつ者は、森林と耕地の権利をもち、住宅地の外でそれを享受するが、代官の管轄域外では享受してはならない。ヴァルトフルーの両農地、エッペンスヴァルトの農地、ヴェギスのヴァルターの農地、ウルツリコンのメルクリンの農地、シュテーベンクの農地、ウルリンス・ブラムベルクの農地、ゴッホシュタインにある農地、メッゲンボルンにある農地が売られたが、これらの農地の垣根の外ではわれわれは耕地も放牧地も家畜飼料も干草も得られない。農地の根幹をなす耕地はその垣根の外には権利をもたず、エッゲン、ブルティネン、シェーディンゲンの農地では、家畜の飼料を得たり放牧してはならない。ルッゲスヴィレの農地はその内部に川が流れており、垣根の外ではいかなる者も家畜の飼料も牧地も干草も得てはならない。ウリ・ブットメンがもっているディートリッヒの草地も、垣根の外では飼料も放牧地も干草も得られない。ベルヒテンビュルンの住民は、村民の承諾を得て、森林や耕地で彼らの慈悲に頼らなければならない。荘園法により、また古くからの慣わしによって、メッゲンの教会に属し、家をもってそこに住む者はすべて、干草十分の一税が新しい税であれば、それを納めなくてもよいが、教区の外に農地を売る者は、教区司祭に十分の一税を納めるべきである。シェーディングを通って、オプキルヒェンと教会前の草地を通って湖まで正しい道を下って行くメッゲンの全住民と、メッゲンの森から木を運ぶために道を必要とする者には、その道が得られた。それが古来の慣わしである。メッゲンの教会に属するわれわれ荘園民と臣民は教会用務員の任免権をもち、われわれは彼によって調達することができる。それが古来の慣わしである。当荘園では自分の農地で冬越しできる家畜は、夏もそこで無事に過ごすべきである。荘園内にいるかぎり、所有地も相続地も失ってはならない。代官は年2回五月と秋に荘園内で耕地境界を検査すべきである。オーストリアのわが君主は当荘園に窃盗と不法行為の裁判所をもつ。共同地とぶつかる農地をもつ者は、公共地または共同地の人々と農地を分離をはかるべきである。

 1-4-4 エメン Emmen (1303年 ?)


 
 荘官は14日間以上3週間以下の裁判と裁判集会を開く時間をもつべきであり、それと同じ日に代官も裁判をおこなうべきである。
まず最初に彼は村落法の境界と村域がどこまで及ぶか示すべきである。その間にあるのは荘官がオーストリア大公から授かった強制罰令圏である。これらの境界内ではいかなる者も短期の耕作をしてはならず、角笛を吹き鳴らしてはならず、獣を殺してもならない。そこには大公の土地と埋蔵物、領民の所有地と相続地が属している。
 これらの境界内に住む者は、招集されるたびにエメンの公的裁判集会に出席すべきである。
 裁判を始める前に、今その時期かどうかを知るべきである。荘園民は1日のうち3分の1はそこへ行き、3分の1はそこにとどまり、3分の1はそこから去るべきである。正当な必要もないのに欠席する者は3シリングの罰金を負う。罰金の最初の3分の1は教区司祭に属し、そのかわり彼はその日の書記をつとめ、罰金を記帳すべきである。次の3分の1は荘官に属し、3番目の3分の1は耕地監視人に属する。
 ルツェルン荘園の修道院には常に死亡した荘園民の相続税の権利が留保され、相続税を納めるときは、穀倉係、荘官および耕地監視人が同席し、修道院にその相続地から地代が差し出されるかを検証すべきであり、そこから2シリング4ペニッヒが彼らのものとなるべきである。しかし死亡した者が生きた家畜財産を残さなければ、普通の土地保有移転税を納めるか、その相続地の1年分の地代と同額を納め、首席司祭が相続人に対してその額では土地を授与しようとしなければ、相続人は大祭壇に生きた家畜を置き、それによって土地を受け取るべきである。修道院の農地が買われても土地保有移転税が納められず、首席司祭からその農地を受け取らない場合は、穀倉係と荘官には、命じられるたびに3シリングの罰金が納められべきであり、首席司祭は、自分の農地と同じように、そこへ彼の犂を入れることができる。
 修道院の農地にかんして首席司祭の荘官または穀倉係の手を経ることなく、贈与または譲渡がおこなわれた場合は、古来の慣わしによっても法によってもそれは効力をもたない。子どもの相続についても荘園の規則が適用される。
 教区司祭は荘園民のために1頭の種牡馬をもつべきであり、荘官は1頭の雄牛と1頭の雄豚をもつべきであり、それらをどの範囲まで損害なく放牧すべきかという荘園ぼ規則もある。
 代官は上級領主の裁判官であり、年2回五月と秋に所有地と相続地について裁判をおこない、修道院の荘官は代官と並んで座り、彼の裁判を見守り、代官に罰金が納められれば、その3分の2は荘官、3分の1は代官のものとなる。
 村域の裁判集会についても規則がある。エメンの裁判集会で判決をめぐる対立があれば、ルツェルンの法廷に控訴すべきであり、そこでも対立があれば、再度エメンに差し戻し、そこにとどまるべきである。
 農地の売却や譲渡についても定めがある。ルツェルンの荘園における領主はそのワインをベリッコンから雄牛に運ばせ、エニではなくヴァルトヴィルに向けて、とくにエメンの荘園に送付するときは、穀倉係は宿舎を与え、どの雄牛にもエン麦を1束与え、腹まで届くほどの麦わらを支給し、運送夫の雄牛が疲れて、彼の気に入らなければ、彼は別の雄牛を穀倉係から引き取り、彼の雄牛を置いていくことができる。だが、運送夫の雄牛が穀倉係の気にいれば、彼はそれを取得して、他の雄牛を彼に譲るべきである。
 穀倉係は穀物十分の一税を徴集すべきであり、彼がもつ多数の使用人一人一人に1束の穀物を夜間に与え、その他を自分のもとに残すべきである。しかし耕地監視人には山積みの穀物から15束を与えるべきである。穀物を畑から運んだら、穀倉係はどの荷馬車からも1束を取るべきである。またそこから取ったスペルト麦のパンを食べ、チーズを食べるべきであり、打穀をしたら、そこからも食事を与え、いかなる使用人にも正当な報酬を与え、穀物を打穀して、中間の大きさのふるいにかけ、それを通過したものは穀倉係のものとなり、そこに残ったものはキビやソラマメとともに領主のものとなり、それ以外は彼のものとはならない。穀物作業が終ったら、穀倉係はそれを運送人に渡し、運送夫はそれを受け取り、ルツェルンの荘園に運ぶべきである。しかし彼が酔っぱらうようなことがあれば、穀倉係は運搬を成し遂げられない。荘園の貯蔵庫に届けば、穀倉係は彼の使用人または賦役を得て、穀物を保管すべきである。穀倉係はその使用人にチーズとひし形パンを支給し、彼はそれらを膝の上に広げて食べられるだけ食べ、残りはもち帰るべきであるが、そのかわりに2シリングを与えてもよい。しかし彼にこうした法が適用されない場合は、そのかわりに彼は荷馬車から最後の積み荷の袋をもっていってもよい。
荘園民はその所有地と相続地、道路と堆肥置き場について権利をもつ。彼らは農耕具、屋根ふきおよび必要とするもののための木を伐採する自由をもつ。しかし当強制圏の外へ荘官の許可なく木を搬出してはならない。
 荘園民が強制圏外へ転出しようとするとき、代官は次の裁判管区まで人と家財に付き添っていくべきである。また当地に転入する者があれば、荘園民として迎え保護すべきである。
 荘園民のなかで多数が決議することに、少数者も参加すべきである。
 共有林の伐採については、まず荘官に、次いで荘園民に伐採の申請をすべきであり、必要なものの伐採は拒否されてはならない。
 当村では窃盗と不法行為を除いて、荘官がすべての命令と裁判をおこなう権限をもつ。そこではいかなる者も荘官の許可をうけなければ、飲食店を営んではならない。
 領主がみずから荘園で耕作しようとする場合は、領主直営地に行って耕すことができる。
 所有地と相続地をもつ者は、当裁判所に従順でなければならない。
 身体に犯罪行為をおこなった者をこの強制圏内で捕らえようとするなら、代官が彼を捕えて拘留すべきである。彼が裁判をおこなおうとする場合、求めに応じて裁判所の荘官に引渡し、荘官は彼を保護下に置き、最初に攻撃した者は4-5シリングを罰金として荘官に徴収される。彼の次に捕らえられ、身体と財産について有罪の判決をうけた者は、その財産の3分の2を荘官に、3分の1を代官に没収される。

 1-4-5 ルークスヴィレ Lukswile (1299年)


  これはバインヴィラーの修道院と修道院長に属するエアゲーヴェにおけるルークスヴィレの荘園法である。第1の法によれば、修道院の農奴が死亡したら、彼がもつ家畜のうち1頭を除き最良の家畜を修道院に納めるべきである。第2の法によれば、修道院の農奴が修道院の農奴ではない非荘園民の女性と結婚して、彼が死亡すれば、修道院が彼の財産を相続する。第3の法によれば、非荘園民の女性と結婚した者は、修道院長の恩恵をうけたいと心からおもうなら、修道院長の恩恵を得るべく努めるべきである。第4の法によれば、修道院に正規の地代を聖アンデレの日( 11月30日)に納めなかった者は、翌日3シリングとともに納めるべきである。第5の法によれば、修道院長が亡くなり、他の修道院長が就任したら、荘園に属する者全員が彼から所有地と相続地を受け取り、彼に地代に相当する額の土地保有移転税を納めるべきである。バルデックの領主は前記荘園に対する代官であり、年3回裁判集会を開き、修道院長は裁判に出席し、あるいは彼の代理が出席し、代官は彼の傍に座り、代官とその日の廷吏におよび犬には食事または18ペニッヒを提供し、徴収された罰金の3分の2は修道院長、3分の1は代官のものとなる。第6の法によれば、荘園の農地に住む者は代官に4ペニッヒ、1フィアテルのエン麦および1羽の鶏を納めるべきであり、これら3種を納めれば、1年にそれ以上納めなくてもよい。第7の法によれば、成年に達した者は修道院長に忠誠を誓い、修道院長は彼に妻をめとるように強制すべきである。第8の法によれば、修道院の農地に住む者が農地を荒廃させたら、彼が邦内にいるなら、6週と3日以内に修道院長と調整をおこなうか、さもなくば修道院長は彼に農地を保有させるか没収べきである。第9の法によれば、修道院の農地に住む者は、3回の裁判集会に出席すべきであり、それに欠席するするたびに、3シリングを納める。しかし修道院の農地に住んでない者は、五月半ばに出席すべきか、3シリングを納める。
(これに続いてルークスヴィレの荘園の貨幣地代の目録が他の奉仕とともに記載されている。文書の最後にアレンジーデルンの修道院長と恐らくバインヴィラーの修道院長の2つの印章が添えられている。1299年荘園はバインヴィラー修道院からアインジーデルン修道院に譲渡され、文書はそれより新しくはない。)

 1-4-6 タークマーゼレン Dagmersellen


 
 まず最初にわが領主または彼の使者はタークマーゼレンと他の荘園で年2回五月と秋に所有地と相続地について、またリュスとアーレンの間にあって修道院の所有地または相続地である農地についても、裁判をおこなうべきである。
 修道院のいかなる農奴は所有地についても相続地についても証人となってはならない。ただし修道院から貸与地または相続地を得ている場合は、いかなる者も証言することができる。
 修道院に忠誠を誓ったいかなる修道院領民も宣誓のうえで意見を述べるべきであり、彼が所有地と相続地について修道院に対してそうしたことをすれば、修道院に所属するものが彼にとって身近なものとなる。
 いかなる修道院領民も代官に対して1年に1フィアテルのエン麦と1羽の鶏を納め、賦役をすれば、それより多くを貢納しなくてもよく、それで十分なことをなしたことになる。
 判決についてタークマーゼレンで紛糾したら、まず最初にビュクシュヴィルに控訴し、さらにエールリバッハの法廷に控訴し、そこでも紛糾したら、わが領主の法院に控訴し、そこでわが領主がみずから何が法であるか判断し、判決が書かれるべきである。そしてタークマーゼレンの彼の役人に送り、何が法であるか告げるべきである。
 いかなる修道院領民も修道院領民同士で神聖な結婚をおこなうべきだが、修道院領民のなかに適当な相手が見出せなければ、ザンクト・ガレンの修道院領民のなかに探すことができ、そこで適切な相手が見つからなければ、ザンクト・フェリックスとザンクト・レーゲレン、チューリッヒの修道院で探し、そこで見つかれば、いかなる領主も彼を罰することはない。しかし、それを看過しない者がいれば、アインジーデルンのわが領主が彼の思し召しによって罰すべきであり、それを代官に命じて、しかるべき罰を科すことができる。
 廷吏の農地を保有するいかなる者も、その農地ゆえに製粉所への道を提供すべきであり、それは修道院に所属し、その道を通ろうとする者は、よろこんで通るべきである。
いかなる修道院領民も14歳になれば修道院に忠誠を誓い、修道院に忠実でないとみなされる者をすべて糾弾することを宣誓すべきである。
 穀倉係の屋敷に住み、タークマーゼレンの荘園を管理するいかなる者も、家畜番人と耕地監視人の職務をアインジーデルンとトロクスベルクの役人の承認を得て任命すべきである。
 いかなる修道院領民も死亡すれば、わが領主たる修道院長に彼がもつ最良の家畜を相続税として徴収されるが、彼が家畜をもってない場合は最良の甲冑を、彼が甲冑をもってない場合は最良の衣服を徴収される。
 寡婦が死亡すれば、相続税を納めなくてもよいが、寡婦となって10年後に死亡すれば。彼女は相続税を納める義務を負う。
 修道院領民は彼らが望む所へ移動する自由と権利をもち、代官は彼らを追跡せず、彼らをわずらわせてもならない。ただし租税がすでに徴収されていた場合にのみ、護衛をつける。また領主は相続税の徴集権をもつ。
 修道院領民が修道院の農地を売るか寄贈し、あるいはその期限外に売る場合は、わが領主または彼の役人の前で手続きを済ませるべきであり、期限内にそうしない場合は、それらの農地はアインジーデルンのわが領主に没収され、いかなる者もそれに反対してはならない。

 1-5 アールガウ Aargau


 1-5-1 ルセック Ruseck (1423年)


  (ルセックはツーク湖の北に位置する)

 神の名において、次のことを告げる。すなわち、1423年5月1日の次の月曜日ルセックの農奴制とともに所領を有する敬虔で堅実なる貴族領主ヘルマン・フォン・ルセックはジンスに来て、彼とともに尊敬と信頼に値するアントニー・ルスが彼の妻アネン・キュッセンベルク夫人に代って、またルツェルンの市民で代官のヴェルンヘア・ケラーがバルバラ・フォン・ハイデック夫人に代って、やって来て、彼らはルセックの所領をその法および所属物とともに貴族領主ヘルマン・フォン・ルセックから抵当証券によって抵当とした。その一部はルセック強制・罰令管区に属し居住する一般荘園民であり、他の一部はそのなかで代官に統治される住民である。これら両者はジンスの公的裁判所で五月の裁判集会を開催させ、ルセックの所領と強制・罰令管区およびそこに住む荘園民のすべての法を告げさせ、その見解は以下のような言葉でに書かれている。
 まず最初に所領と強制・罰令管区それそれを保有するルセックの領主は、毎年五月と秋に裁判集会を開催し、そうした裁判集会をあらかじめ8日前に荘園または目前のすべての荘園民にとどこおおりなく通知すべきである。しかし五月と秋の裁判集会が開かれない年には、荘園民は鶏を納める義務も賦役をおこなう義務も負わない。ルセックの代官管区と強制・罰令管区に属する住民は、毎年領主に賦役をおこない、1羽の鶏を納めるべきである。そうしない者には、彼は3シリングを差し押さえるべきであるが、その場合命令に従わなければ罰金を科すことができる。罰金を科せられるまで裁判を欠席し、最初から審問を軽んじる者は3シリングを徴収される。裁判が中止されたら、裁判領主は荘園民に1フィアテルのワインをふるまうべきである。追加の裁判を求める者がいれば、裁判領主はそれに応じて必要とされる費用を負担すべきである。とはいえ領主は最初の追加裁判を彼の負担でおこなうべきである。所有と相続について訴えようとする者は8日間相手を裁判所に召喚し、判決をめぐって紛糾すれば、ルセックの裁判領主が決定すべきであるが、領主が決定しようとしない場合は、裁判領主の負担でバッセルの城に控訴することができる。裁判領主がいかなる判決を言いわたそうとも、裁判に負けた者は1フィアテルのワインを領主に納めなければならない。いかなる者も荘園民以外の者と判決をめぐる控訴や手続きをおこなうことはできない。
 父親はその子に、子はその父親に、また兄弟姉妹は他の兄弟姉妹に、代官税を負う農地を裁判領主または彼の部下の手を経て譲渡することができる。農地を譲渡しようとする者は、彼がその際に得る正当な金額を損することがないようにするべきである。それが裁判所でおこなわれるなら、問題ないが、裁判所でおこなわれない場合は、教会でそのことを人々に知らせるべきである。代官税を納めるべき者は、聖マルティノの日(11月11日)またはその8日後に納めるべきである。しかし損害を避けるためにはその8日間の期限より前に納税をを要求すべきであり、納めないときは、差押えて罰金を科すべきであり、罰金は常に領主の思し召しにより3シリングとする。マイエンベルクの住民、ジンスの住民およびエクティスヴィレの住民は火災において協力し、マイエンベルクの代官はマイエンベルクの2人の住民を、裁判領主もジンスの2人の住民をを任命して、古くからの慣わしどおりに火災を防ぐべきである。ファルの荘園とネーティストルフの荘園は両方とも柵で囲い込まれるべきである。しかし荘園民がそれぞれの柵に損害をうけても、それを除去してはならない。前記荘園にいる荘園民に損害がおきたら、損害を無難に除去すべきである。領主は種豚を自分でその費用を負担してもつべきである。そうしない場合は、荘園民が豚十分の一税を納めてはならない。代官税の納税義務を負う農地を売る者は、まず最初に彼の共同保有者に申し出るべきであり、彼らがそれを買わなければ、次に荘園民に申し出て、彼らも買わなければ、遠くの者に提供すべきである。いかなる者も代官税の義務を負う農地を裁判管区外では取得することも失うこともできない。またいかなる者も裁判領主または彼の部下の前以外では農地譲渡の手続きをしてはならない。代官税の納税義務を負う農地を9年間保有し、10回の落葉季節を経ても何も請求されない者は、代官、荘園民および土地保有権が守ってくれる。ただし彼が邦内にいない場合は、彼の権利は温存され、権利として認められる。いつか水が原因で災害や価格高騰が起きるようなことがあれば、エクティスヴィレの住民は家畜を連れて水を飲ませにロイス川に行くことが古くからの慣わしである。
 これら上述の諸問題よ諸条項をルセックの所領の領主としての貴族領主ヘルマン・フォン・ルセックとその荘園民の両者はジンスの公的裁判所で互いに認め合い、今後ともそれを守ることを約束した。われわれヘルマン・フォン・ルセックとアントニー・ルスはそれを認め、とくい私アントニーはわが妻アネンも代わりに、またバルベラ・フォン・ハウデックと彼らの代官に代って、この文書にわれわれ自身の印章をこれらの事柄の永遠の証拠として添え、この規約を上記の荘園民に与え、彼らもまた改悛と友情のためにわれわれに同じものを与えた。当文書を上述の年月日に与える。

 1-6 ウンターヴァルデン Unterwalden


 1-6-1 シュタンス stans


  シュタンスの荘園法
 1. まず最初に、裁判官は聖ヴェレーナの日(9月1日)の直前の日曜日に3つのすべての教会で裁判集会の開催を知らせるべきであり、これに欠席する者は3シリングの罰金を科せられる。彼は8日間の集会を命じ、それにしたがわなければ、法的に正当な必要が認められないかぎり、いかなる者も尋問されるべきであり、庇護されてはならない。 2.裁判が開かれたら、裁判官は荘園法とはいかなるものかを告げるべきであり、裁判官がそれを告げられないときは、荘園民の長老の一人がそれを告げるべきである。3. 首席司祭は裁判集会に出席し、裁判官が彼のそばに同席し、首席司祭が出席できないとき、彼は裁判官または荘園監視人に代りに裁くように勧めることができる。4.荘園法によれば、日中に判決を知るべきであり、また荘園民は1日の3分の1を裁判集会へ出かける時間に当て、3分の1をその出席時間に当て、3分の1を帰宅の時間に当てるべきである。その時間を守らない荘園民は3シリングの罰金を科せられる。ただし彼が法的に正当な必要によってそこから退場した場合は、その限りではない。
5. 荘園法によれば、首席司祭または彼の代理は荘園民に地代を告げて要求し、期日に彼の地代を納めない者がいれば、彼が地代を納めなくなって以来、彼を差し押さえるべきか、荘園監人が判断すべきであり、このような荘園法にしたがって実行すべきであり、また実行可能である。
 6. 荘園法によれば、死亡によるものであれ、あるいは売買によるものであれ、農地保有者がいなくなるたびに、首席司祭から荘園農地が受領され、首席司祭以外の者の手によって農地のいかなる貢租も決して変更されてはならない。そのような農地は、いかなる者も侵害することができない自由をもち、その保有者不法行為または殺人などをおこなっても、彼が修道院に毎年地代を納めているなら、農地が他人の手に奪われることはありえない。農地が自由であれば、国王であれ皇帝であれいかなる者にも租税を納めなくてもよい。自由である農地をもち、それを修道院から受け取った者が、罰金を科せられるか不法行為をおこなった場合でも、農地をもってない他の者より、常に3ペニッヒ少ない罰金を科せられるべきである。
 8 荘園には18の貸与地があり、家畜管理場、穀倉管理人屋敷、荘官屋敷もあり、それらすべてを首席司祭と荘園管理役所が貸与しなければならない。貸与地はいずれも首席司祭に毎年20 個の復活祭の卵を納めるべきである。9. 秋の裁判集会があれば、貸与地をもつ者は2人の保有者で十分成熟した雄羊の肉1リート、ベルゲンシュヴァンダー乳清1片、ビール2シュトッフ、バーゼルヴェック・パン2つを納め、それらが納められたら、家畜管理場、穀倉管理人屋敷、荘官屋敷に属する農地がそれらを得る。10. 上記の肉、乳清およびビールを片方の手で受け取る者は、法にしたがってこれらを納める者たちに他方の手で2シリング3ペニッヒを返すべきである。11. しかし秋の裁判集会の日に上記の農地をもつ者たちから、家畜管理場、穀倉管理人屋敷および荘官屋敷にそれらが納められず、2人1組の貸与地保有者から貢納が十分におこなわれなければ、彼らは2シリング3ペニッヒを首席司祭に供与してもよく、首席司祭は法にしたがわないこれらの農地を彼らに貸与すべきであり、そうすれば首席司祭司は彼の地代も法的権利も損害をうけなくて済む。12. 貸与地をもつ者、または地代納入義務を負う者、あるいは荘園農地をもつ者は、相続税の義務を負う。
 13, 死亡したら相続税として、常に馬、牛、雌牛またはもっている家畜のいずれかのなかで最良の家畜を納めるべきである。14. 荘園監視人は相続税を引き渡されたら、自分の費用でルツェルンにあるアルプスの牧場へ引渡しに行くべきである。しかし彼には相続税から5シリングが、法ではなく好意により与えられると、通常考えられている。15. 最良の家畜以外の家畜を引き渡したら、修道院と荘園の法にしたがってそれを正当化したり受け取ったりしてはならない。最良の家畜以外の劣った家畜が引き渡されたことが発覚したら、死亡した者と彼の相続人から劣った家畜が没収され、しかも最良の家畜は、それがアルプスの牧場に到着したとき、首席司祭に引き渡されるべきである。
 16 古くからの慣わしとして、荘園民が捕らえられたら、首席司祭は彼を捕えた人々に働きかけて、彼が救出されるように、捕らえられた者の費用を負担して、最善を尽くすべきであり、捕らえられている者のために馬や徒歩で行くことを求められたら、首席司祭はその費用を先払いすべきである。17. 判決をめぐる争いがあれば、首席司祭に控訴し、彼の決定に従うか、ルツェルンの裁判所に控訴すべきである。

 1-6-2 ブオクス Buochs (1433年)


 (ブオクスはルツェルン湖の南岸にある)

この文書を見るか読むのを聞く者全員に告げる。すなわち、われわれブオクス村の一般村民はこの文書によって、われわれが下記のような条項すべてとそれぞれをわれらが村法としてその時々にもち、古くからわれわれに伝えられ、記憶されている限りでは、それは常にわれらが村の法であり、われらが古き良き慣わしと伝承とみなし、われわれはそれをこの文書において堅く結束するわれわれと後継者のために記した。
 1. まず最初にわれらが集落に家を建てる場合に切妻屋根が取り付けられるなら、その家屋は当村からもわれらが集落からも決して失われてはならない。また他所者であっても当集落に農地をもち、家屋の改修を必要とする者は、われわれの山の木で彼の家屋を改修することができる。村民に対して家屋の回収をさせてくれるように願い出るに者は、橋、飼葉桶、梁材、垂木、木摺、切妻の一部または全部がこわれたら、修繕を許すべきである。さらに建築し、納屋を取り壊しすか新しい納屋をつくろうとする者は、ここに書かれているわれらが村の法にしたがい、村民に2フントを納め、われらが集落における家屋を保存することを誓うべきである。
 2. われらの山で木を伐る場合、事前に村民に願い出るべきであり、他所者が当地にもつ家屋の屋根板を村民から買うか、自分でわれらが山の木からつくるべきであり、こうして彼は彼の家屋をつつましい屋根で覆うべきであり、それ以上のことをしてはならない。
 3. いかなる村民もわれらが山から板材を運び出してはならない。1枚の板材から3枚の屋根板材をつくるべきである。
 4. 山の木を伐ったら、聖ヨハネの日(6月24日)の夏至から翌年の聖ヨハネの日まで横たえておいた後、ブオクスのいかなる村民も望みどおり取得することができる。
 5. いかなる者もわれらが山からモミの若木をとってはならず、モミの細木やモミの若木を柵に使用してはならない。また山でブナにくさびを打ち込んだり打ち割ったりして、焚き木として伐ってはならない。
 6. いかなる者も村民以外の者にわれらが山の木を与えても調達してもならない。
 7. 山を超えて流れ込んで来る水を、われわれこれまでわれらが共有地のために利用してきたが、その共有地はシュタルデン・ローヴィまで、さらにファッセン・ローヴィまで及び、そこにはベッケリートの住民とともにわれわれがもっていた共同利用地がある。
  8. ブナの木にかんする法として、いかなる者も、ブオクスに村民ではなく村内に住んでない者には、木を与えても贈ってもならない。
 9. 村内に家を建てようとする者はブナの木の利用を許され、村民に願い出た者は新築の家1軒について24本、半軒について12本の木を認められ、それ以上は認められない。家を改修したいとおもう者は、家の一部分または張り出し部分または下支えの梁に6本を認められ、それ以上は認められない。あるいは村民がさほど必要ではないと考えるなら、妥当かつ正当と考えられるより少ない本数が認められ、倉庫には3本が認められる。また、他の木をもっている場合、あるいは屋敷において家屋より大きな敷地のためにブナの木を伐ってはならない。
10. ブナ林には古くからの慣わしにより、次のような罰令が定められている。すなわち、そこで許可なく伐採する者は、切株の大小にかかわりなく、1本につき30シリングの罰金を科せられる。
 11. 他所の家畜が草地に来て、その家畜が草地に属していない場合、1頭当たり3シリンを差し押さえるべきであり、同じことは山にも当てはまる。冬越し家畜をもつ村民は聖ゲオルギオスの日(4月23日)まで草地に放牧できるが、それ以後は放牧できない。またいかなる者も草地のわらを売ったり供与してはならないが、ブオクスの村民とその住民、またはビュルゲンの山岳民には売ってもよい。
 12. エンゲルベルク修道院がわれわれに対してもつ法、およびわれわれが修道院に対してもつ法は、われわれが相互に古くからの慣わしにしたがってもつ法については、この文書では完全に除外し、留保した。
 (13. ヒースの荒れ地について。そこにはシースバッハと水車との間に道路がないので、われわれは共有地までの道路を設ければ、われわれと家畜はそこを通っても損害をこうむることはない。しかしそうしないと、われわれにはそのような道路をもてないので、われわれはわれわれの家畜を連れてヒースの荒れ地を通れるように、上述のような道路が再度つくられるべきである。)
 14. われわれはわれわれのために次のような法をもつ。すなわち、われわれはある者を村民として受け入れるなら、彼は村民たちに2グルデンを納めるべきか、または保証人を提示すべきである。7歳以下の子どもをもつ場合、子どもたちも彼とともに村民となる。だが7歳を超える子どもをもつ場合は、子どもは父親からも母親からも決して村民権を得れないが、村民たちから買うことはできる。また村民になりたい者は、村民として受け入れられる前に、彼の年長の子どもと同様に、信頼しうる身分証明書を提出すべきである。
 15. しかし村民権をもつ女性または娘が村民でない他所者と結婚するなら、その夫は村民権を享受できない。ただし、妻が彼女の財産または生計のために必要とするものを彼が買うなら、村民権を得られる。
 16. 囲い込み農地は古くからあり、われわれの集落でそれらが垣根で囲われていても、法によってそれを開放すべきと考えられるなら、開放されるべきである。
 17. 村民権のない子どもをもつ村民がいる場合、その子どもは村民権を享受してはならないが、将来父親また母親がその農地にこどもを必要とするなら、子どもは将来村民権を享受し、その場合は村民ではない他所者と同様、彼らに罰を科すべきである。
 18. われわれとわれわれの後継者はわれらが村法を10年間常に全体として忠実にこれまでどおり守るべきであり、いかなる村民も村法をこれまでおり扱うべきである。
 19. これらすべてはわれわれとわれわれの後継者によっておこなわれ、われわれ全員は誰もが記載されたこれらの条項すべてをいずれも実行し、これらの法に忠実に互いに取り扱い助け合い助言し合うことを、われわれとわれわれの後継者に対して誓い約束し、われわれはできるかぎり忠実にこれに反する言動をつつしみ、すべての悪しき危険や悪だくみは完全に排除される。

 1-7 ザンクト・ガレン St. Gallen


 1-7-1  ブールガウ Burgau (1469年)

 

  (ブールガウはザンクト・ガレン市の西方に位置する)

 1469年聖ラウレンティスの日(8月10日)一方のグラットブルクの高貴で堅実なる貴族領主でヴィルの現職の村長ルドルフ・ギール、他方のブールガウの一般荘園民である荘官が、後述のように、これからブールガウで裁判集会を開くことに合意し、そこには学識高く堅実で尊敬に値する賢明な師であるコンラッテン・レッシャー、ザンクト・ガレンのわが慈悲深き領主の従者である貴族領主・官房長ルドルフ・フォン・シュタイナッハ、ヴィルの国家書記アントニエン・シェンクリスが同席した。
まず最初に、前記の貴族領主ルドルフ・ギールとその相続人と後継者の手中にはブールガウの権力が常に帰属し、そこでは市民に対してまた製粉屋の営業区において代官および領主であり、裁判管区の領域では上級裁判権を除いて、強制と罰令およびすべての統治の全権をもつ。
 ブールガウの上記の代官管区または製粉屋の営業区で不法行為、命令あるいは罰金が科せられたり責任を問われたりしたら、上級裁判所の権限に属する事柄や罰金を除いて、すべては裁判所の代官の権限に属する。
製粉屋の営業区は下流のブールガウに向かって定例裁判管区に属し、ブールガウの住民と同様にすべての法的権限をもつ。
上記の代官管区と裁判管区の境界内に住む住民は、貴族領主ルドルフ・ギールとその相続人および後継者に対して上記の代官管区の領主および代官として、代官管区に法によって負う責任をはたすことを誓い、彼らと彼らの役人に代官管区と裁判管区にかんして従順であるべきで、代官に代官管区と裁判管区について公正と法について負う義務を忠実かつ無難にはたすつもりである。
上記の代官管区と裁判管区の境界内に住み、奉公する者が、裁判所に従順でなく、代官とその役人または彼らに代って命令する者、彼らがおこなう命令に従順でなければ、自由民であれ農奴であれ、何であれ、代官またはその役人はこれら不従順な者たちを罰し、捕らえ、彼らを従順にさせるべきであり、そうすることができる。
いかなる代官もブールガウと製粉屋の営業区で、誰かから帝国道路の道幅が狭すぎるという苦情が彼に寄せられるか、そうでなくても必要とおもわれるなら、彼は次のような権限をもつ。すなわち、従者を馬に乗せて、騎乗用の槍を鞍に対して斜めにもたせて、道を進み、8日後に彼が必要に応じて適当な高さの所で通行の邪魔となるものを取り払うように要求し命令することができる。
上記のグラットブルクのギール家がブールガウの住民に対して恩恵を与えて、後述のような自由を認めた。
 すなわち、ギール家が戦いをおこし、その荘園を保護するための助けを必要とするときは、ギール家は代官管区に住み特別の槍をもつ荘園民全員および各人またはその一部に、応援を催促し命令することができ、とくに必要であれば、いかなる者も代官の荘園を保護するための応援をおこない、14日間の昼夜従順であるべきだが、その間代官からは食事を提供される。こうして代官に14日間荘園で奉仕した者は、その戦いの後の半年間、その年に他の代官管区の住民が納めなければならないものを免除され、もはや納めなくてもよい。その年に新しい戦いが起きたら、彼らは上述のような14日間の義務を負い、従順であるべきだが、戦いは1年で終わる。
 上記の代官管区の住民に法によって文書が与えられ、知らされる場合は、その管区のいかなる代官も彼らに支障のないようにそれらの文書すべてを蝋以外のもので封印すべきである。
 代官は上記の代官管区の住民に1人の役人または公吏を与えようとするなら。彼は彼らの承諾を得て与えるべきであり、彼らが彼らのなかから選出したい場合は、彼らは代官に2-3人の誠実な者を提案し、代官がそのうちの1人を選ぼうとするなら、提案された3人のなかで気にいった者を1人選ぶべきである。しかし彼らが同等なら、代官は6人衆から1人を選び、役に立つと考える者を1年おきに役人を留任または退任させることができる。代官管区住民または外来民が法的権限をもつか、獲得しているなら、彼らは権利を失うことはなく、提案された者のなかから役人が常に推奨されるべきである。
 役人または廷吏は村民に定期裁判集会または臨時裁判集会への出席を命じ、欠席には3シリングの罰金を科すべきである。裁判集会に対する不法行為または不服従には1フントの罰金を命じるべきである。
 役人または廷吏に選ばれ、代官によって任命された者は、決してこれにさからってはならず、さからえば、代官は彼に1フントの罰金を命じ、次にはさらに5フント、その次には10フントと、彼が従うまで罰金を増やしていく。
 その役人または公吏が彼の領主と代官に忠誠と真実を尽くし、彼の利益を促進し、損害を避け、代官と村民の利益と名誉にしたがって職務を忠実にはたし、統治に属するすべてのことに協力し、望まれれば公的に明瞭な裁きをおこない、貧しき者にも富める者にも、富める者にも貧しき者にも、外来民にも地元民にも公共の裁判官として、利益のためではなく、友情や懇意によらず、何らかの収賄や贈賄によらず、金銀その他の物品によらず、ただ神と法そのものによって裁くことを誓う。
代官または彼の代理は彼の名において毎年ブールガウで3回の定期裁判集会を開き、五月に2回と秋に1回、あるいは代官または彼の代理に都合がよければ、秋に2回、五月に1回開く。
 代官、役人または公吏はいかなる裁判集会でも、定例裁判集会であれ臨時裁判集会であれ、裁判官に判決を問い、裁判官が宣誓によって判決を告げるべきである。
 役人または公吏は定例裁判集会を常に8日前に村民に命じ、通知すべきであり、それ以外の者には荘園民にも外来民にも定例裁判集会を通知する必要はない。ただし、不法行為、罰金および不従順について提訴しようとする者は除かれ、彼らには裁判集会を通知して、1フントの罰金を命じるべきであるが、定例裁判集会で他の問題を提訴することは予告なしには不可能であり、それについては定例裁判集会で提起される。
 定例裁判集会でまず最初に裁かれるのは相続と所有であり、次いで寡婦と孤児、その次に女性、さらにその後に裁かれるのは外来民、荘園民、代官または彼が必要とすれば彼の代理の問題の順番である。
 代官菅区民の順番は定例裁判集会の9番目と10番目の間に来るべきであり、時間がない者は3シリングを納めれば、臨時裁判集会では11番目に位置し、代官または彼の代理の後にまわされ、都合によって朝か夕方に臨時裁判集会を開く。
 1人か2人またはもっと多くの人が裁判集会で弁護をすれば、裁判官は裁判を3シリングの罰金を科して中止すべきであるが、そこで不法行為をなす者、あるいは裁判当事者同士で互いに強く反目し合う者には、もっと高額の1フントの罰金を命じることができる。さらに状況に応じて必要となれば、さらに高額の罰金を命じることもできる。
 代官または彼の代理は、必要であれば、いかなる者も、外来民であれ地元民であれ、いしゆみ、槍または鉾槍、刀、ナイフ、その他憂慮すべき武器を裁判の場に持ち込んだり、裁判所の屋内に持ち込んではならないと命じ、持ち込めば1フント、またア5フント、10フントの罰金を状況に応じて科すことができる。ただし、裁判所の領主、代官およびその役人と裁判所廷吏、そして代官または彼の役人によって裁判所に来て、平和を実現するように命じられた者は、除外される。
 裁判で悪しき言葉で他人を罵り、そうした悪行をなし、正しい振る舞いをしない者は、5フントの罰金を科せられるので、いかなる者も裁判所では他人にふとどきなことを言ってはならない。だがふとどきな行為をした者は、損害と状況に応じて罰せられるべきである。
 役人はいかなる荘園民からも1ペニッヒを徴収することを命じ、さらに1ペニッヒを担保として加え、外来訪問者には2ペニッヒを命じ、彼が裁判所から去らねばならないときは、彼が去った後に、彼に返報すべきである。
 役人は外来訪問者が来れば毎日彼に対して裁判をおこなうべきである。祝日、日曜日、十二使徒の日(7月15日)を除いて、裁判所は適時開廷される。
 陪審裁判でない場合は、代官または彼の代理人によって任命されるか要求された者以外は、いかなる者も判決を告げてはならない。誰かそれ以外の者が判決を告げれば、5フントの罰金を科せられる。裁判官が彼に判決を問うべき場合、彼が判決を告げれば、罰金は5フントにとどまるが、判決を告げなければ、10フントの罰金を科せられる。
 裁判官が裁判所で十分な働きをしないため、親密さや猜疑心によって何事かがなされたり、あるいは互いに分裂した党派が敵対したり、あるいはまた他の事情によって暴力的になったりした場合、代官はこれらの党派または猜疑心を抱く人々に何もせず落ち着くように求め、他の裁判所または他の人々からの応援を加えて、これら応援に来た人々が代官に役立つように配慮してくれれば、裁判所は再び十分な責務をはたせるようになる。これらの人々は荘園法と裁判集会参加者にしたがって法を告げるべきであり、敵対者たちは。応援に参加したこれらの裁判官に食事をふるまうべきでる。
 農地の地代を払う者には、彼の証書の内容にしたがって裁きをおこなうべきだが、彼が証書をもたず、長い間農地を保有しているならば、彼の保有権にもとづいて裁き、彼の長期間の収入に対して地代法にしたがって正しく地代を課すことを許すべきである。
 他人に対して貸与地の権利を認定するにあたっては、裁判所で法を告げてはならず、貸与地の領主に法として告げるべきである。
 外来民が荘園民と裁判で争うか、2人の外来民が互いに裁判で争ったら、外来民は法によって認められている金額を保証し、常に裁判官にしたがい、十分に協力すべきであり、10フント以上を保証すべきであり、その後彼らが裁判をおこなったら、外来民は代官が満足する保証金を代官管区住民に納めるべきだが、彼がそうすることができない場合は、彼はできるだけ代官またはその代理人が満足する保証金を納めるように努めるべきである。彼がそれさえ用意できなければ、彼は法と判決にしたがい、裁判官と当局にしたがうことを神と聖人に宣誓するか、あるいはそれにしたがうという証書と印章を提出すべきである。
 上記の代官管区にある農地が売買されたり、共有されたり、代官管区で農地をめぐる規則がつくられたり、あるいは代官管区にある農地の何らかの抵当化がおこなわれたりすれば、これらすべては裁判所でとり扱われ認証されるべきである。あるいはそれが有効でなく、領主貸与地であれば、領主の前で文書が作成されるべきであり、裁判官が法を告げる6人の陪審員と同席するなら、文書作成には十分であるが、陪審員がそれより少数であってはならない。
 いかなる文書作成、抵当の設定がおこなわれ、いかなる文書が裁判所で通知されようとも、裁判所に出廷する者は裁判官にいかなる文書作成についても1シリングを納めるべきである。
 上記の代官管区において判決について控訴しようとする者は、彼の控訴に賛同する者が3名いるなら、裁判官と陪審員の判決を不服として裁判所の代官に控訴することができる。
 上記の代官管区における裁判所で判決を不服としつつも、彼の控訴に賛同する者が十分な人数に足りない場合、彼は控訴の法としきたりにしたがって、最初の裁判所の代官に控訴することができる。
 いかなる者も宗教問題を除いて他人を他所の裁判所に召喚してはならない。ただし、法的権利を喪失したことが発覚した者は、その限りではない。
 他人に対して資本の請求権を法によって主張する者には、かなりの損害が認められるべきであり、それについて彼に対する裁判がおこなわれたなら、書類に書かれているか契約によって義務付けられている場合を除き、彼はそれを支払うべきである。それに加えて彼は相手方に1日3シリングを報酬および飲食費として支払うべきである。しかし彼が書類をもっているなら、それにしたがって彼に支払うか、彼が負った金額にしたがって支払うべきである。
 裁判所に代金の請求書を求める者には8日後はにそれを認めるべきであるが、彼が請求書によって負債を負う金額をただちに告訴人に支払いををするように命令すべきである。しかし彼らが請求書について争う場合には、再度裁判所に来て、法によって決定してもらうべきである。
 負債または地代の支払いを求められるいかなる地代農地も、まず最初に農作物を屋内に取り込む刈り取り人の賃金、家畜賃貸料が支払われるべきである。農作物を得ようとすれば、耕作をおこなって、農地から収穫を終えた後に、地代または十分の一税が産み出されたら、1-2年から数年かけてそれらを支払うべきである。しかし3年を過ぎるともはや地代は産出されず、負債が産まれる。ただし領主の地代は例外であり、裁判所や代官所がその保証人となり、裁判管区内で何らかの利益を得られるのは領主の地代である。上述のようにまず最初に負債の抵当または債権を要求しうる者は、上述の条項にしたがってまず最初に負債について優先権をもつ。ただし裁判所の代官は例外であり、すべての抵当と負債に対して優先権をもち、彼より先に抵当を設定している者がすべてを抵当としていても、代官の権利に損失のないようにするほかない。その場合彼に何かが生じようとも、たとえば地代であれ、不法行為であれ、命令であれ、罰金であれ、あるいは負債であれ、何がなされようとも、上述の条項にしたがうべきであり、すべての抵当において地元民が代官の後に置かれ、外来民 に対しては優先権をもつ。
役人が上記の代官管区で差し押さえをしようとするときは、争う余地のない負債について差押えるべきであり、他人に認められていない負債であれば、裁判所に行くべきであり、まず負債に相当する動産を取得すべきである。しかし負債に相当する動産がなければ、不動産抵当を差し押さえるべきであり、動産の抵当は7夜の間裁判所に保管し、抵当物件の持主だった者には抵当の損失が予告され、予告後7夜経過すれば、抵当物件を3日間競売に付して売却すべきである。不動産も同じように取り扱い、15夜の間裁判所で保管し、抵当の持主だった者に予告し、3日間競売に付して、3日目に売却すべきである。こうして昼間の時間が進み、夜に鐘が鳴らされたら、抵当は競売されるべきである。抵当を3日間より長く保管しておくことなく売却すべきであり、3日後にはその金額を告発人に支払うことを命じ、抵当として差し押さえることはできない。
 抵当を売ったら、債権者に負債を負う者は、役人または公吏に支払うべき報酬を納めるべきである。抵当があり、裁判所内のその抵当を買おうとする者がいなければ、役人は代官の他の裁判所に持ち込んで売ることができ、そこで耕作する荘園民が外来民から買うなら、外来民は荘園民より著しく多くを提供し、役人もそこから彼の報酬を受け取り、その額は1フントからは6ペニッヒ、10シリングからは4ペニッヒ、5シリングからは3シリングが要求されえうが、多少それより少ないこともありうる。
 疑う余地のない負債の抵当を代官の代理人に対して拒む者は6シリングの罰金を科せられ、告訴人に3シリングを納めるべきであり、代官の代理人は他の代官管区民を彼の所へ連れて来て、不従順な者による損害を十分に裁判所あるいは廷吏によって調べ、資本と廷吏その他にかかったあらゆる費用の損害について差押えるべきである。しかし彼がこれに逆らおうとしたら、彼に10フントの抵当をさし出すように命じるべきであり、その後も彼が不法な言動をなすなら、彼を捕えて、代官に引き渡し、資本とすべての損害の抵当をさらに多く差し押さえるべきである。
 上記の代官管区で代官の権限や代官またはその役人の許可なく他人をみずから差し押さえる者は、代官に1フントの罰金、彼が差し押さえた相手に1シリングの罰金を納める義務を負う。
 与えるべき抵当も現金も代官管区内にもっていない者には、告訴人が望むなら、8日後に10フントを払って裁判管区から転出するように命じるべきである。8日後に彼が告訴人が望む裁判所に行けば、彼を捕えて代官に引き渡すべきである。そうした者が半年間裁判管区外にいる場合でも、告訴人は代官や裁判所の意向にかかわらず、他所の裁判所によって彼を告発することができる。
 上記の代官管区や裁判管区の域内に居住する者は、いかなる世帯も、男であれ女であれ、毎年代官に賦役をおこなうことが、古くからのしきたりであり、家畜をもつ者は、代官または彼の役人から催促されたら、家畜を連れて賦役をおこなうべきである。
 いかなる世帯主も各世帯の名において、男女いずれであれ、上記裁判管区とその域内において毎年代官に謝肉祭の鶏を納めるべきである。その授受は謝肉祭の14日前か14日後に裁判管区でおこなわれる。
 上記の代官管区内で居酒屋または飲食店を営もうとする者は、あらかじめ代官から飲食店の鑑札を受け取るべきであり、通常その価格は1フントまたは慣例による。
 代官管区民が代官の許可なく、あらかじめ鑑札を受け取ることなく、飲食店を多少とも営むなら、5フントの罰金を徴収され、外来民の場合は10フントを徴収される。
 裁判管区に居住するか勤務する者は、彼が何をしようとするにしても、代官または彼の代理と裁判所に忠実に従うべきである。
役人またはその代弁人は裁判所において代官のためにどれほどの価値があるとしても、また彼に対する待遇がどれほど不当に高いものであっても、役人または彼の代弁人は提示された金額に不満を言うことができ、それを無視して、提示額を引き上げることができるが、どれほど提示額が高くなっても止められないほど彼が代官に不従順である場合は、罰金を科せられる。
 代官管区民が裁判管区を去って行こうとするなら、それは可能であるが、代官に地代を納めていないか、他の荘園民に何らかの負債を負っているなら、それを完済すべきである。しかし彼がそうした負債の償却を拒むなら、役人または彼が不在の場合は他の同僚が、まず1フント、その後10フントの罰金を彼に命じることができる。彼がそうした負債を完済しても、罰金は免れない。
ブールガウではいかなる者も裁判管区から外へ木材を決して売っても贈ってもならない。
 ブールガウの住民はフラヴィルのエルプノットという名の共同耕地の耕作地と休閑地に役畜による犂返し耕作権をもち、フラヴィル住民も共同耕地に同様な権利をもち、ブールガウの住民はさらに文書によってドゥードリネン・エックに犂返し耕作権をもつ。
 エントツィシュヴィル、沼沢地およびドゥートリネンの土地はブールガウの住民に対して柵囲いがなされるべきである。ただし、彼らが家畜による犂返し耕作権をもつ後背地、ヘルフェンベルク、リュトリン・ニーダードルフのランベルクとアルターシュヴィルの土地は除かれる。またグラットもブールガウの住民に対しても柵囲いがなされる。ただし低地の斜面は除かれる。そこの土地はブールガウの住民が有害な家畜に対して柵囲いをしている。
 役人は毎年、雄牛を共同耕地の耕作地の境界まで放牧した者には、1頭について3シリングの罰金を科すべきである。ある場所で牛の番人が家畜を見張り、別の場所で雌牛の番人が家畜を見張っている場合、共同耕地の栽培地はそれらから完全に切り離される。しかしある者が自分の耕地で自分の牛を見張り、他の者が自分の耕地で馬を見張っている場合、それを毎日無難にこなせず、家畜の見張りで損害をかけてしまったら、損害の見積もりをしてもらって、損害をうけた人にただちに賠償するか、担保から金銭を支払うべきである。
 ブールガウに適切な農地を見つけ、そこに家を建てたいとおもう者には、少ない地代でそれを貸与すべきであり、農地の地代として納めるべきであると裁判所が認めるものについて同意がなされない場合は、両者は地代にを保留すべきである。
ブールガウの居住者は、彼の家族とともに代官のもと所属する。
 代官は悪弊、踊りや遊び、カード遊びを禁じさせることができ、不快、損害または不親切には注意を払い、親族が亡くなった場合には事情に応じて非常に大きな配慮が必要となる。
 代官管区で誰のものでもない物件が発見されたら、あるいは持主の氏名不詳の場合は、それは裁判所の代官のものとなる。
 役人は秋に2人の村民を連れて村内のいたる所で、いろりであれ、パン焼き釜であれ、炉を検査すべきである。無防備であれば、だらしない習性によって財産も命も相次いで失うことがないように、14日間で改善することを命じるべきである。
代官管区において危険なことをする者がいる場合、役人がそこにいあわせなければ、いかなる者も法を行使して彼らを役人に引き渡し、役人は彼らを代官に引き渡すべきである。
 そのような、またはその他の疑わしい者たちを代官または彼の役人は、必要とおもえば、裁判管区から追放することができる。
 ハイニ・モスブルクはレルヒェンビュールと呼ばれる約3ユーハルトの面積の耕地からブールガウの泉に毎年8ペニッヒを納める。
 ハンスリ・エクハルトは家の前にあるニーダーホムガルトと呼ばれる彼の果樹園から泉に毎年6ペニッヒを納める。
 ハイニ・ヘッゲンはフーゲン・ビュックリと呼ばれる石灰採掘場から泉に毎年1シリングを納めるか、そのかわりに賦役をおこなう。それは石灰採掘場の持主の意向による。

 1-7-2 キルヒベルク Kilchberg (1515年)


 (キルヒベルクはチューリッヒ湖の西岸に位置する)

 まず最初に、裁判所、強制と罰令、すべての領主権と権力、上級および下級裁判所、他のすべての支配権と裁判権はザンクト・ガレンの領主とその修道院のものであり、またキルヒベルクの裁判管区に住む者は、裁判所とザンクト・ガレンの領主または彼の役人に忠実かつ従順であるべきで、彼が望んでいるのは誰であろうとも、すべての命令と禁令は名目上ザンンクト・ガレンの領主に属する。
 領主はキルヒベルクで定例裁判集会を毎年3回、すなわち五月に2回と秋に1回、あるいは五月に1回と秋に2回開催すべきであり、これらの裁判集会は金銀を費やすことなく開かれ、会計管理人は定例裁判集会の用意をして、荘園民は領主に常に3種の賄い、すなわち領主には食物と飲物、馬には1フィアテルのエン麦を提供し、領主がオオタカをもっていれば、それに1羽の鶏を与え、犬を連れてくれば、自家製チーズを与えるべきである。
 夫婦相続権にかんして、公けに結婚して、二人が夫婦として互いにベッドの前で衣服を脱ぎ、嵐、火事、死亡またはその他の非常事態が起き、どちらか一方が亡くなったら、生き残った者には夫婦相続権が帰属すべきであり、荘園法および領邦の法によれば、夫婦が一緒になった事情に応じて、彼らが動産を持ち寄り、多少にかかわらず、それがどこから来たものであれ、一方が他方より早く死に、親族相続人がいなければ、両者がもっていたすべての動産を生き残った者が自分の財産として相続し、夫から新婦への贈り物については古くからのしきたりを守り、持参した不動産については隠居持分と同様に相続され、良い状態に保持され、譲渡や売却をしてはならず、用途を変更したり浪費してもならず、それを生計や生活の必要に手をつけなければならないようなことに利用するならば、そのように生活の必要のために隠居持分に手をつけるたびに5シリング以下の罰金を科せられる。
 夫婦に子どもが産まれなければ、夫婦は互いに何をどれほど獲得して相続するのか、あるいは買うのか。夫婦の一方が死ねば、他方は自由な所有に相当するものを相続する。しかし夫婦に子どもが産まれれば、子どもの多少にかかわらず、夫婦の一方が亡くなったとき、子どもたちは夫婦がもっていた全財産の半分を相続する。ただし不動産と動産の利用は除かれ、財産の半分は生存者に残される。荘園法によれば、父母が以前隠居持分をもっていた場合は、古くからの慣わしどおり、そのまま残されるものとする。
 親族の相続について、親族を調べることができる場合、最も近親の相続人が他の相続人よりも優先的に相続すべきであるが、婚外出生による近親男子または女子が死亡して、結婚によって生まれた近親相続人がいない場合は、当局がその相続権を得る。
 不動産の購入または貸与にかんして、最初に農地を買った者は、その農地を最後まで分割して、他の一般購入者に対して優先的に受け取ることができる。その農地に共有権をもつ者やその相続人は、それが最初に買って受け取ることができる農地であれば、彼のものとすることができる。
 相続地、所有地および購入地について告訴または控訴しようとする男女は、公的な定例裁判集会でおこなうべきであり、権利が認められている裁判集会以外でおこなってはならない。
 不動産を買う者は、それが自由地または所有地であれ、代官の課税地であれ、3年6週3日の間邦内の領民からいかなる請求もうけることなくその土地を保有しているなら、時効によってそれ以前の時期については法的権利が保護されるべきである。しかし領主によって貸与された土地を買う者は、領主の許可と恩恵によって邦内の領民から請求をうけることなく1年6週3日の間それを保持しているなら、時効によって保護される。またそうした土地をもつ異邦人については、所有地であれ、代官の課税地であれ、領主からの貸与地であれ、領主の承諾を得れば、そうした土地も時効を認められ、それ以前については法によって保護される。
 農圃囲いと垣根にかんして、農圃囲いと垣根は常にどこでも五月の神聖な祈願行列の日、同じく秋の神聖な祈願行列の日につくられ、農地を囲む垣根がつくられ、囲いが正しくつくられてないという苦情があれば、公吏はそれをつくる者たちに、8日でつくらなければ3シリングの罰金を科すと命じ、そうしない場合には、領主の役人または公吏は彼らが従順に従うまで、その都度同額の罰金を徴収し、罰金はザンクト・ガレンの領主と修道院のものとなる。
垣根について二人の間で争いが起きたときは、互いに助け合って垣根をつくるべきである。ただし、一方が自分のために垣根をつくらなければならないときは、その限りではない。また一方が囲い込まれた農地をもつときも、自分で垣根をつくるべきである。自分の家畜が損害をかけた者は、損害を償うべきであるが、囲い垣根によって損害をかけた場合も、その損害を償うべきである。しかし垣根で囲われてなければ、その責任を負わなくてよい。
農地の間を通る道路は、農地の持主がつくるべきであり、囲いや垣根のように道路もつくるべきであるが、道路に土砂くずれが起きたら、村民共同で助け合うべきである。
農地の間に道路が通る場合、道路を分散させることができ、隣り合わせた農地をもつ者は誰もが1年をとおしてて平等に農地に行けるように互いに道路を共有することがきる。
農圃囲いと垣根がうまく家畜の侵入を防げるようにつくられたのに、それを破る者がいたり、家畜がそれを飛び越えたり、その他馬であれ、他の家畜であれ、他人がもつ家畜ではなく自分の家畜による騒ぎが起きたら、公吏は3シリングの罰金を科し、8日間以内に退去するように命じ、退去しなければ6シリングの罰金を命じ、従順になるまでその都度命じる。この罰金は役人が修道院のために徴収することができる。
 牛の共同保有の分割について、牛を他人に提供する者がおり、他人から家畜を受け入れようとする者は聖ヴィトスの日(6月15日)に牛を得て、聖マルティノの日(11月11日)に返して、家畜を分けるべきである。彼らがヴィトスの日に分けようとするなら、分割を望む者は、その年授乳された子牛が家畜のなかにいれば、これらの子牛は彼のものとなるべきであり、それは彼の持分として冬を越す。しかし彼らが聖マルティノの日に分けて自分の家畜持分を得る場合は、2頭の雌牛について1頭の子牛を厩舎に置き、それが彼の気にいれば、それで彼は責任を十分はたしたことになる。しかし彼の気にいらなければ、彼は賃貸用の雌牛1頭について2フィアテルの穀物を納めるべきでる。しかし家畜を厩舎で飼う共同保有者は子牛を厩舎で飼い、子牛1頭が食べる干草の量は1フスであるが、2頭で食べれば、1頭あたりの干草は半フスである。
 他人に家畜を提供し、他人と家畜を分かち合おうとする者は、互いに提供し合った家畜を分け合うが、自分の厩舎で家畜を育てた共同保有者は相手よりも優先的に分配を受けるべきである。
 牛については五月と聖マルティノの日(11月11日)に分割をおこなって共同保有を解消し、馬については干草収穫期と8月を除き、いつでも任意に分割することができる。やがて子馬が産まれる馬をもっている場合は、その子馬は両者が折半する。
 四旬節に犂が耕地に入ったら、豚を家畜番に見張らせるか、厩舎に入れるべきである。しかし他人に損害をかける者は、3シリングの罰金を負う。
 がちょうは農圃の垣根の背後にとどまらせるべきであるが、がちょうが飛び出して迷惑をかけたら、がちょうを元の場所に戻し、迷惑をかけないように要請することができ、さもなくばがちょうが迷惑をかけるのを見つけたら、垣根越しにがちょうのくちばしをつつき、追い払い、垣根にぶら下げても、不法行為とはみなされない。
 鶏について、正規の古い農圃では、古くからの慣わしどおり、鶏を放し飼いにしてもよいが、古くない農圃では自分の家に鶏を飼おうとしても、女性が屋根の上に立ち、草刈り鎌を手に取り、その手で投げた所まで、鶏は行くことはできるが、それより遠くの他人の所へ行かせてはならない。
山羊について、常に山羊を垣根で囲んではならず、山羊をもつ者およびもとうとする者は自分の土地にもつべきであり、いかなる者にも損害をかけてはならない。しかし被害をうけそうな者は持主の所へ行き、損害を防止するように彼に申し込むべきであるが、彼が防止しようとしなければ、被害がないように山羊を背後に移し、山羊の角を土に突かせて、そのまま放置しても不法とはみなされない。
 ある者の家畜が他人に迷惑をかけ、その家畜が損害をひきおこすなら、被害者は家畜を閉じ込めてもよく、家畜の持主にそれを告げるべきだが、家畜の持主が来て、2ペニッヒの価値がある担保を与えたら、被害者は担保を取って家畜を放すべきである。彼が担保を被害に見合わないとおもうなら、1-2人の誠実な人に依頼して、家畜の持主の所へ行き、家畜の持主も1-2人の誠実な人依頼して被害額を評価してもらうように要求することができる。しかし家畜の持主が誰にもそのようなことを依頼しなければ、家畜の被害者によって依頼された人々は被害額がどれくらいのものか評価し、家畜の持主は被害額を弁償し支払うべきである。しかし自分の家畜が迷惑をかけた相手に担保を与えず、家畜を手放すことを知らされた場合は、被害者は家畜を厩舎に入れて、家畜の前に石を入れた桶と水を入れたふるいを与え、それ以上飼料を与える義務を負わず、もし家畜が死んだら、家畜の持主は費用も損害も負わずに、死んだ家畜を厩舎から無償でもち出すべきである。
 家畜放牧権にかんして、常に牛同士、雌牛同士を放牧すべきであり、放牧権をもち、冬越しさせた家畜より多くを放牧してはならない。しかし干草が足りなくて、1フーダーの干草を買うようなことがあっても、あまりあわてず落ち着いて対処すべきである。馬を畑地に放牧してはならないが、その日に馬を犂につなげば、問題はない。
 休閑地に水飲み場を作ろうとする場合は、1ユーハルトの耕地をそれに当ててもよいが、放牧権をもち耕作しようとする者は、耕地間に境界地を設けて、水飲み場を柵で管理し、耕地が隣接している場所では互いの境界に余地を残すべきだが、相手に余地を残さない者からは、余地を奪い取ってもよい。
 森林伐採について、古くからの慣わしを無難に守るべきであるが、他人の地代貢納義務を負う森林も森林開墾地も荒廃させてはならない。開墾地をもつ者は、互いに有用な豆類やエン麦を収穫するまで、たとえ善意によるものであっても、他人から切り株を取ってはならず、そうした違反をなす者は、訴えられたら、事情に応じて、また損害に応じて罰せられるべきである。
 キルヒベルクに住もうとするいかなる者も、馬であれ、牛または雌牛であれ、家畜による損害を起こさないように、彼の家畜を夜間厩舎で飼うべきであり、夜間彼の厩舎の扉をを壁にしっかりと掛けておけば、損害なく済ませられる。
 家の建築を望むキルヒベルクの住民が、屋敷をもっていなければ、領主または彼の代理の所へ行き、住宅を求めるべきであり、そうすれば領主または彼の代理はキルヒベルクの荘園民の誰かに命じ、同僚の荘園民とともに屋敷をつくる手伝いをさせるべきであり、領主の農地にも、同じく同僚荘園民の農地にも通行の邪魔にならないようにすべきである。またその屋敷は毎年2羽以下のめんどりを納め、いかなる種類の家畜でも4頭以下の家畜をもつべきであり、荘園の会計管理人の家畜とともに休閑地と草地に彼の家畜を放牧することができる。
 キルヒベルクに農地を所有し、家をつくる必要がある者は、自分の所有農地に建てるべきであり、人は彼の宅地を探してやる義務を負わない。
 この後に続くのは、罰金をいかに判断すべきかということである。
 この後に規定される罰金と不法行為はすべて領主の慈悲によって判断される。
 他人に対して武器をもち出し、こぶしで殴りかかれば、罰金12シリングを科される。
 他人対して嘘をつくように不法な要求をする者は、1フントの罰金を科される。 
 他人に対して不法に惑わす者は、6シリングの罰金を科せられる。
 他人を不法に悪しき言葉で攻撃する者は、裁判所の判断によって罰せられるが、敢えて他人にそのような言葉を投げかける場合は、それについての正義が示されるべきである。
 剣、ほこ槍、槍、棒、竿、石、いしゆみなど、いかなる武器であれ、他人に不法にもち出す者は、3フントの罰金を科せられる。
 他人に流血の傷を負わせる者は、6フントの罰金を科せられる。
 他人を地上に倒す者は、10フントの罰金を科せられる。
 言葉によって平和を乱す者は、10フントの罰金を科せられる。
 行いによって平和を乱す者は、上級裁判所で裁きをうける。
 平和を軽視する者は10フントの罰金を科せられる。
信仰を守らず、それが法によって発覚したら、10フントの罰金を科せられる。
 偽証する者は、上級裁判の判断によって罰せられ、上級裁判所の裁判をうけるべきである。
 誰かに対して不法に投げたり撃ったり、落としたりする者は、10フントの罰金を科せられるが、命中した場合は損害に応じて裁かれる。
日常的に支払われる経常負債のかわりに担保を他人に与える者は、法の判断によって罰せられるべきである。
 しかし担保の提供者にそれを売らせようとおもい、それ以外に理由もないのに、あえて担保を力づくで保管する場合は、10フントの罰金を科せられる。
 他人から自分のものとして奪い取ったものを、秘匿して手放さない者は、10フントの罰金を科せられる。
 共有地を所有地として取り込むか、道路を囲い込む者は領主に 10フントを罰金として徴収され、それをただちに開放すべきである。
 夜襲は、どのようなものであれ、10フントの罰金を科せられる。
 他人の家または宿所に不法に行き、何かを彼に要求する者は、10フントの罰金を科せられ、それが夜間におこなわれたたら、上級裁判所で裁判をうけるべきである。
 他人の家または城館に不法に侵入する者は、上級裁判所で裁判をうけるべきである。
 公的境界を越えて他人の土地に越境し、刈り取りをおこない、垣根をつくり、それが法によって発覚した者は、10フントを科せられるが、公的境界を除去すれば、上級裁判所で裁判をうけるべきである。
 上級裁判所で10フントの罰金を科せられるべき不法行為であれば、常に上級裁判所で裁判をうけるべきである。
裁判集会の決定がなされ、必要となれば、この裁判集会で増減される期間の長短に行き過ぎがあろうとも、ザンクト・ガレンの領主は住民たちとともに集会に出席して、どのようになすべきかを決めるべきである。

 1-7-3 リッケンバッハ Rickenbach (1495年)


  (リッケンバッハはザンクト・ガレンとチューリッヒの間に位置する)

まず、ザンクト・ガレン修道院の領主と修道院長はリッケンバッハの裁判所、強制および罰令に対する正規の領主である。
 リッケンバッハとその裁判管区の領域内に住む住民は、いかなる世帯であれ、男も女も、毎年ザンクト・ガレンの領主またはシュヴァルツェンバッハの代官に古くからのしきたりにしたがって賦役をおこなうべきである。すなわち、シュヴァルツェンバッハの代官によって催促されたら、馬または雄牛の役畜をもつ者はそれによって賦役をおこない、家畜をもたない者は身体で賦役をおこなうべきである。
 すべての不法行為に科せられる罰金は、大小にかかわらず、ザンクト・ガレンの領主に属し、リッケンバッハまたはその農地では、どのような辺境にあろうとも、罰金を負う義務と科す権利は領主の慈悲による。。
 リッケンバッハのいかなる家も、大小にかかわらず、ザンクト・ガレンの領主に毎年2シリングの現金と2羽のめんどりを森林権のために納めるべきである。
 ザンクト・ガレンの領主のシュヴァルツェンバッハの代官は、リッケンバッハで毎年3回の裁判集会を、すなわち秋に2回と五月に1回か、または五月に2回と秋に1回、開催すべきである。代官にとって最も都合のよいときに裁判集会を開きたいとおもえば、廷吏は常に夕方にリッケンバッハの住民と、リッケンバッハの裁判管区に属する外部居住者に対して、欠席者には3シリングの罰金を科すという命令を伝え、定例裁判集会を開く日の朝、定例裁判集会を告げる大きな鐘の音を3回鳴らし、もし外来民が定例裁判集会でなすべき用件がある場合には、定例裁判集会の8日前に通知すべきである。
領主または彼の代官が前記の3回の定例裁判集会に来たら、彼は穀倉管理人の屋敷に馬を乗り入れ、馬を屋外につなぎ、会計管理人は馬が食べられるだけのエン麦を馬の前に置いて与えるべきである。
 他人に対して自分の所有権を主張する者が、3年6週3日の間異議を申し立てられることなくその所有財産を保持する場合は、同邦人に対しては公的裁判所で訴訟にわずらわされることはなく、異邦人に対しては9年の時効を認められる、その場合所有権を主張する者はあらかじめ10フントをザンクト・ガレンの領主に保証し、彼が所有地を法によって得られなければ、彼は領主に10フントを徴収され、告訴人にはすべての費用と損害を徴収され、こうして彼が取得して受け取っていたものを償還しなければならない。
 所有地を法にしたがって入手し相続しようとする者は、あらかじめ次のことを法にしたがって明らかにしておくべきである。すなわち、何故に、いかなる法と事情のゆえに、彼はこれを入手し相続すべきなのか、リッケンバッハで所有地を入手する父方の次の子孫はどこにいるのか、同じ血統の父方と母方の子孫は互いに同じ割合の不動産と動産を相続するのか、そのほかに夫婦相続権と相続税にかかわりがあるものは何か、誰がどのように相互に相続し合うのか、これらの点が明らかにならないと、相続はおこなわれない。またそれらはあらゆる条項と考えにおいて守られ継承されるべきであり、それは相続と相続財産にかかわる法として一般の修道院領民に明示され、認められており、それに含まれるのはリッケンバッハにあるすべての家と農地、貨幣地代を納める農圃、村域法によるすべての不動産である。
 ザンクト・ガレンの領主と村民の承諾なく、いかなる者もリッケンバッハの村落と裁判管区に移住して家をもってはならず、リッケンバッハに住む者はいかなる男女も住居に受け入れてはならない。これに違反してリッケンバッハで領主または荘園民の許可なく外来民を住まわせた者は、男女を問わず、領主に1フントの罰金を徴収される。また領主はそれにとどまらず、これらの転入者を再度裁判管区から追放すべきであり、追放してもよい。。
 リッケンバッハでは誓約裁判官以外いかなる者も、不法行為について判断したり非難してはならない。
 裁判所の命令により財産を担保として差し押さえられた者は、次の裁判で訴えることができ、訴えない場合は、裁判所は次の裁判を訴えがなかったものとして進め、命令は完了する。
 ある者が廷吏に他人をリッケンバッハの裁判所に召喚させたら、召喚したい相手の眼の前で召喚の命令が遂行されるべきである。
 来訪者がリッケンバッハに来て、裁判を望めば、そのたびに裁判をおこなうべきである。ただし、祝日、日曜日、12使徒の日および裁判所が開廷されれているときは、除かれる。
 来訪者は他の来訪者をリッケンバッハの裁判所で拘束する権限をもたない。ただし、彼が嫌疑にもとづいて拘束しようとする場合は、その限りではない。
ヴィル、リヒテンシュタイクおよびウツナッハの住民は、リッケンバッハ裁判管区の出身者を拘束する権限をもってないので、リッケンバッハの住民は上記の諸地域の住民を彼らの裁判管区で拘束してはならない。
 リッケンバッハ裁判管区から他の地域へ移住して家をもとうとする者は、昼夜を問わず、いかなる道をとろうとも、自由に移住させるべきである。ただし彼は領主またはリッケンバッハの誰かに負債を負っている場合は、彼が負債を償却するまで、彼とその財産を拘束することができ、それまでは彼に転出を認めてはならない。
 リッケンバッハに領主と村民の承諾を得て家をもって住むことが受け入れられた者が、家を建てる敷地を望むなら、まず最初に敷地をもち彼に敷地を売ってくれる持ち主を探し、この持ち主が態度を保留して、そこに家を建てさせようとしなければ、彼は村民たちが認める1年の期限内にそこに自分で家を建てることを約束すべきである。しかし彼がそうすることなく、屋敷に門戸を取り付け、家を建てようとするなら、村民2人を連れていくべきであり、他方の敷地の持主も2人の村民を連れていき、これら4人は屋敷の取引について検討し、その際異論が出ないように注意をはらうべきであり、家を建てようとする者はそのために必要な木をリッケンバッハに属する禁制林で伐採することができ、屋敷には家を建て、納屋を建ててはならない。
 リッケンバッハで日雇い賃金について訴えられた者は、ザンクト・ガレンの領主に3シリングを徴収される。
 慣わしとして、常に領主の代官と全村民は彼らのなかで4名を任命し、毎年選び、彼ら4名はすべての境界の垣根を検査し、すべての査定をおこない、いかなる領民および村民当事者にも、村民の利益に応じて査定をこない、領主または代官を守るべきである。
 リッケンバッハの裁判管区内に住み、荷車と馬をもつ者は、毎年シュヴァルツェンバッハの代官に1フーダーの干草と1フーダーの2番干草を採草地からシュヴァルテンバッハのドゥロウに運び、どの荷車運送夫にも自家製のパンを支給すべきである。
 他人を代官または四人衆に訴える者は、訴えの根拠を示せなければ、彼が訴えた者の立場に置かれるべきである。
 ザンクト・ガレンの領主はシュヴァルツェンバッハの彼の代官をつうじて毎年リッケンバッハで垣根や道路、また街道沿いの垣根も同様に、必要に応じて刈り取ったり作るように命令し、これに違反すれば3シリングの罰金を科すべきである。そして命令後8日経ったら、代官と村民によって選ばれ任命された四人衆は、これやその他の事柄について宣誓をおこなって、垣根と道路を検査すべきである。そして垣根が丈夫で、道路も良く作られていれば、命令の遂行は完了するが、垣根が丈夫でなく、道路も良くなければ、6シリングの罰金でやり直しを命令すべきであり、それでも良くなければ、9シリングの罰金でやり直しを命令すべきである。そして8日後に検査して、垣根が丈夫で道路が良ければ、命令の遂行は終わるが、丈夫でも良くもなければ、これら不従順な者は命令された金銭をすべて罰金として領主に徴収され、彼らにはあらためて18シリングが科され、これはその後も継続され、命令を軽んじ者がいれば、10フントまで引き上げられる。
 リッケンバッハで不法行為をおこなう者は、男女を問わず、不法行為を始めたことが法によって発覚すれば、男女とも法によって罰せられ、ザンクト・ガレンの領主にさからわず罰金を支払うべきである。
 リッケンバッハで売買されるものを、誰が購入したのか、あるいはいかなる者が互に共同して購入したのか、あるいはいかなる抵当が設定されたのか、これらはすべて裁判所で処理され、そうしなければ効力をもたない。ただし借地は常にその持ち手に対して法が告げられ、処理され、持ち手に渡されるので、上記の所有地にかかわる裁判からは除外される。裁判官が7名出廷すれば、手続き上十分であるが、7名より少なくてはならない。
 他人に対してリッケンバッハの裁判所で不動産または永代穀物地代を処理する者は、代官に3シリング、廷吏に6ペニッヒを納めるべきである。
 他人に対して借地にかかわる請求をする者がいる場合、請求を変更してはならず、地主に法として告げるべきであり、境界であれ、垣根であれ、垣根による境界であれ、それらについて法を告げることはできる。
ザンクト・ガレンの領主には地代、十分の一税および穀物貢租を納める義務を負い、定められた期日に納めなければ、領主の役人は彼の農地を没収し、競売にかけて売ることができる。
 リッケンバッハではいかなる者も居酒屋を営んではならない。ザンクト・ガレンの領主から許可を得て居酒屋の営業権を付与されれば、1年中genden 居酒屋をもつが、違反すれば、領主に10フントの罰金を科せられ、1ザームのワインまたは果実酒を売るたびに4ペニッヒを納める。
 穀倉管理人は毎年領主にトゥーロウの採草地から1フーダーの干草を納めるべきである。
ザンクト・ガレンの領主に対して向けられた騒動が起き、誰もが駆けつけ、忠実に救助に向かうべきであり、そうしない者は、領主と村民の判断によって罰せられる。
住民が来訪者によって攻撃されたら、誰もが駆けつけて彼を守るべきである。来ない者は事情に応じて罰金を科せられる。
村民が集合して多数決がおこなわれたら、少数派は多数派に従うべきである。
 家の中に侵入された者が、彼または彼の同居人が他の人々より早く叫べば、彼は罰金を納めなくてすむが、彼または彼の同居人より早く他の人々が叫べば、彼はザンクト・ガレンの領主に10フントの罰金を科せられる。
火が広がったら、誰もが駆けつけて鎮火する手助けをおこなうべきである。これに違反する者は4名の査定人が認める罰金を納める。 
 火をある家から別の家へ運び込むときは粘土製または鉄製の容器以外のものに入れて運んではならず、その他の方法で運ぶ者は領主に3シリングの罰金を科される。
 いかなる者もカンテラ以外の露出した火をもって厩舎に入ってはならず、違反した者は領主に3シリングの罰金を科せられる。
 いかなる者もヴューレン、フェッツおよびセーデルベルクの3森林で樹木とモミの木を伐ってはならない。ただし、リッケンバッハで家を建てようとして、領主の代官と任命された誓約四人衆によって許可された木は、それから除外される。これに違反した者は、実をつけるいかなる木にも1フント、いかなるモミの木の切株についても3シリングの罰金を科せられる。
 リッケンバッハの住民が建築のために建材を伐採しようとおもえば、彼はまず代官と四人衆の所へ行き、建築の必要があるか否かを検査するように願い出て、必要であれば、上述のように建築のために伐採してもよいという許可が通知され、そうすれば彼は木を伐って運んでいくことができる。
 自分で囲いをしなければならない森林内の耕地があれば、損害のないように木を伐るべきであり、これに違反する者はどの切株についても3シリングの罰金を科せられる。
 領主とシュヴァルツェンバッハの代官はリッケンバッハの森林番人を1年任期で任命する権限をもち、森林番人が村民の気にいらなければ、彼らはやめさせることができ、領主に4人の誠実な奉公人を領主に提案し、領主はそのなかから別の森林番人を選ぶが、彼らのなかの誰も領主の気にいらなければ、領主も4人の誠実な奉公人を提案し、そこで村民たちは1人の森林番人を1年任期で採用することができる。しかし領主と村民が森林番人について同意できなければ、領主は森林番人を1年任期で任命する権限をもつ。
 どの土地保有農も森林番人に豆2束とエン麦2束を与え、零細農は豆1束とエン麦1束、およびトゥーロウの1マンマートの面積の採草地の草を与えるべきである。
 リッケンバッハの耕作地に属するいかなる者も、正規の農地囲いと現在導入されている囲いを除いて、囲いをしても垣根をつくってもならない。自分勝手にそれに違反する者は1フントの罰金を徴収される。ヴューレン、タングノウ、エーネト、フェッツ、ゼーデルベルク、アロットの耕作地、他の諸森林、リッケンバッハの共同村域、すなわちリッケンバッハの裁判管区から木材を譲渡または売却する者は、多少にかかわず、発覚すれば罰金としてわが慈悲深き領主に10フントを科されるべきである。

 リッケンバッハでは罰金をどのように認定すべきか。
 
 他人に対して不動産の権利を請求しても、法によってその権利を認められなければ、ザンクト・ガレンの領主に10フントの罰金をを科せられ、彼が請求した相手に費用を弁済しなければならない。
 他人に対して嘘をつくように不法に要求し、あるいは手に武器をもってそのような要求をすれば、3ペニッヒの罰金を科せられる。そのような行為は、裁きによって、また事情に応じて、さらなる罰が科せられる。
 こぶしまたは武器をもった手やこん棒で打ち、流血にいたらなければ、30シリングの罰金、傷害が大きければ、被害に応じて裁くべきである。
 他人に刀を抜く者は、30フントの罰金を負う。
 他人に刀で流血の傷害を負わせ、あるいはそうしたことが起きたら、6フントの罰金を科す。
 他人を地上に倒した者は、10フントの罰金を科せられる。
夜襲には10フントの罰金を科す。
 他人にものを投げたり、落とす者は10フントの罰金、それが当たれば、被害に応じて裁き、射撃についても、人が倒れたか否かにかかわりなく、同様に裁く。しかし争いのなかでおこなわれた場合は、常に被害の大きさによって裁くべきである。
 領主の役人や公吏に乱暴し、同じく他人に公的裁判で乱暴な行為をする者は、常に2倍の罰金を負う。
 平和の要求を無視する者は10フントの罰金を科せられ、平和を守ることを軽んじる者は村民が捕えてシュヴァルツェンバッハの領主の代官に引き渡し、代官はそのような者を従順かつ恭順にさせるべきである。
 他人の家の中または前で不法行為を仕掛けたり、その中で乱暴したり、あるいは不法な要求をする者は、10フントの罰金を科せられる。
 他人の家または宿所の中に不法に追いかける者は、10フントの罰金を科せられ、さもなくばいかなる者も彼の権利を守るべきである。
 他人のものを不法に力づくで奪う者は、それがどのようなものであれ、10フントの罰金を科せられ、彼から奪ったものを返却すべきである。
 ある土地で不法に稼ぐことも商売をすることも廷吏または四人衆によって禁じられた者は、それに従わす立ち去らなければ、10フントの罰金を科せられる。
 リッケンバッハの裁判管区内で他人の命を失わせる者は、市民であれ来訪者であれ、30フントの罰金を科せられ、それにとどまらず犯人と目撃者に対する法が上級裁判所に留保されるべきであり、その場合ザンクト・ガレン修道院の他の裁判所でも自由と文書に指摘されているように、彼は処刑のために留置されるべきである。
 ある事犯について無実を要求していた者が、彼が求めるような無実ではないことが証明されたら、領主に10フントの罰金を科せられる。
 罰金を科せられる不法行為をおこなった者は、ただちに裁判所で住民と不法行為を償う約束をすべきである。彼が不法行為をなした相手との裁判を望むなら、それを受けて裁判をおこなうべきである。しかし彼が裁判を回避するなら、不法行為をおこなった者は、領主にその償いをすべきである。しかし彼が不法行為をなした相手方とともに裁判所に来るなら、彼の依頼によって不法行為を裁判で取り扱うべきである。
 他人の土地に公的境界をを越えて侵入し、垣根をつくり、刈り取りをおこない、家畜を放しだことが法によって発覚したら、10フントの罰金を科せられる。
 裁判を弁護で終わらせるか、あるいは彼の役に立つ判決で終わらせる者は、領主に罰せられ、10フントの罰金を科せられるべきである。そのような行為によって裁判の相手方に対する判決数を損ってはならない。
 二つ以上の判決が問われたのに、二つの判決で終わらせる者は、10フントの罰金を科せられる。
 法によっておこなわれた担保を他人に不法に設定する者は、在宅のまま裁判がおこなうべきであり、10フントの罰金を科せられる。
 過度な休閑地には3シリングの罰金を科せられる。
 警告をうけて公示され者は、10フントの罰金を科せられる。
 他人の物を取って、競売や担保に付す者は、10フントの罰金を科せられる。
 他人に自分の家畜で損害を与え、その家畜が森林番人によって捕えられた者は、fremdeには3シリングの罰金を負い、八月に村民の家畜によって損害があれば、家畜の持主は被害をうけた者に弁償する義務を負う。
他人の土地に自分の家畜が不法に侵入したことが法によって発覚したら、10フントの追加の罰金を科せられる。
 他人の庭に入り、彼から果物を取り、切り取り、折り取り、あるいは悪だくみをする者は3シリングの罰金を科せられる。ただし危険をおかして夜陰にまぎれておこなえば、事情に応じて罰せられるべきである。同じく他人の豆畑に入り、摘み取り持ち去れば、3シリングの罰金を科せられる。
打たれていない麻を部屋の中で打つのを廷吏や四人衆が見ていない場合の伝聞による罰金は3シリングである。
他人の借地に介入したことが法によって発覚したら、10フントの罰金を科せられる。
 訴訟にかんしては、古くからの慣わしにしたがう。
 上述のように罰金と不法行為ついてそれぞれ別個に説明されているように、すべて文字通り銘記すべきである。それらの条項で女性が罪を犯し罰金を負う場合があれば、女性は常に規定の半分の罰金と罰を科せられ、必要であれば法によって判断されるべきである。
 短期または長期にわたりこの裁判集会を改善したり削減する必要があれば、ザンクト・ガレンの領主とリッケンバッハの村民の承諾を得ておこなわれるべきである。

 1-7-4 シュヴァルツェンバッハ Schwarzenbach


  (シュヴァルツェンバッハは上記リッケンバッハの近傍)

 まず最初に、いかなる村でも定例裁判集会を開いたら、通例誠実な4名を四人衆に選び任命すべきであり、彼らは古くからおこなわれているように、彼らの村で利益と名誉を重んじ、彼らの損害を警告にて回避し、垣根や道路であれ、火や水路であれ、囲われてない家畜や馬であれ、何であれすべて村に重要で必要なもの、村と住民、正直な人々にとって有害なものを、四人衆に選ばれた人物は常にしっかりと見張り、調査し、不法なものがあれば、3シリングの罰金を科して、村と正直な人々に被害の及ばないようにすべきである。
 第2に、上記の条項に不従順で、最初の3シリングの罰金を科せられても納めようとしない者には、四人衆はさらに6シリングを科すべきであり、6シリングを納めなければ、9シリングを科し、18シリングまで相次いで科して、必要であれば、従順になるまで2-3倍の罰金を科し、それでも罰金を納めようとしなければ。不従順な者を裁判領主と裁判所にゆだねてその罪状に応じて罰するべきだが、最大の罰金でも常に効果は小さい。
 囲い垣根を四人衆の許可なくこじ開ける者は、それによって損害が生じれば、領主に10フントの罰金を科せられる。
 境界を越えて刈り取ったり、垣根をつくったり、耕作したり、草を刈ったりした場合に、とくに損害をこうむった者と損害を与えた者が互いに同意し合うなら、四人衆は可能なら損害について和解させ、和解が不可能なら、領主に訴えて、損害を与えた者は10フントの罰金を徴収される。しかし訴えの前に、四人衆が和解させたなら、領主は彼らを罰する権限をもたない。
 採草地または耕地で自分の馬や家畜が損害を与えたら、四人衆がその損害を見積って、損害を与えた者はそれを弁償する義務を負う。
 シュヴァルツェンバッハの当裁判所で、いかなる村にあるいかなる借地であれ、他人の借地にstellenしてはならない。そうしたことをする者は、領主に罰金10フントを徴収されるべきである。ただし、そのような権限をもっている場合は、その限りではない。
 シュヴァルツェンバッハの当裁判所で、村の子どもとして生まれたいかなる者も、たとえ不動産を所有していなくても、雌牛または豚を農地の家畜番人に預けることができる。
村の四つの境界の外に家をもつか、外に家を建てた者は、その家に住む妻が屋根の棟の上に立って伸ばした手で草刈鎌の先をつかみ、右脚の下に投げることができる距離を越えて、鶏が家から遠くへ行ってはならない。そうすれば誰にも被害がなくてすむ。
 自分の木が他人の耕地に垂れ下がって、畑を耕すことができなくなったり、穀物やエン麦に被害があるなら、耕地で農機具を動かし、犂の車輪の上に立って高く手を伸ばして木の枝に届けば、それらを伐る権限をもつべきであり、彼がそうしても不法行為には当たらない。

 1-7-5 ニーダービューレン Niederbüren (1469年)


 (ニーダービューレンはザンクト・ガレン市の西にある)

 まず最初に、裁判所、強制と罰令、すべての領主統治権、禁漁地と御料林は、あらゆる統治権、権力および裁判権とともに、領主と修道院のものである。
 ニーダービューレンの住民と農地に対する代官所の支配権は、代官への鶏とエン麦の貢納とともに、ザンクト・ガレンの領主と修道院のものであるが、生死にかかわる重罪は除外される。
 ニーダービューレンの荘園はその裁判権とともにザンクト・ガレンの修道院の所有財産である。
 ニーダービューレンの荘園穀倉管理人農地とすべての農民保有地は、地代台帳にあるように、すべてザンクト・ガレンの修道院に地代貢納義務を負う。
 ニーダービューレンの荘園穀倉管理人農地を保有する者は、恒久的にザンクト・ガレンの領主とその役人に、年次裁判集会の際に自分を含む3人で食事をふるまい、飲食物を提供し、彼らの損失にならぬように、馬には1フィアテルのエン麦を与え、彼がオオタカを連れて来たら、1羽の鶏を与え、2頭の猟犬とともに走れば、自家製のチーズを与えるべきである。
 ニーダービューレンの裁判管区で徴収される罰金はすべてザンクト・ガレンの領主とその修道院に属する。
 自由な定期小作地のすべての小作関係、修道院領民のすべての相続税およびすべての謝肉祭の鶏はザンクト・ガレンの領主とその修道院に属し、その自由な小作地はザンクト・ガレンの領主が授ける。
 ニーダービューレンの裁判管区に住む者は、領主またはその役人に対してどう思おうとも、従順であるべきである。
 ニーダービューレンの役人は裁判所において領主に代って要求し、その要求がいかに高くついても、要求された者が不従順であれば、役人は要求を重くすることができる。彼がそれを無視すれば、役人は要求を引き上げることができ、それがどれほど高くなっても、それを守らなければ、不従順な者は領主にその分を徴収される。
 荘園民が非荘園民に農地を売る場合、売買の意思が表示されて7夜の間に荘園民はその売却を約束することができるが、7夜の間に約束がなされなければ、、彼は売買を保留すべきである。
 村民がニーダービューレンの裁判管区で森林や畑に禁制区や境界垣根を設置し、これに違反する者は、領主によって命じられる罰金を科せられる。
 ニーダービューレンの修道院領民は他の修道院領民と同様に移動と往来の自由をもち、裁判管区から移住したいとおもえば、夕方彼の家財道具を積んで、いかなる帝国都市あるいは帝国荘園であれ彼が行きたい所へ車の轅をひいていくことができ、いかなる者からも妨害されることなく移住できる。とはいえ、彼は領主に地代、罰金その他を負い、ニーダービューレンの裁判所の他の住民に負債を負っていれば、それを支払って弁済すべきである。しかし彼は農奴となる場所へは決して移住してはならない。
 しかしそうした負債を支払おうとしない場合は、役人が、あるいは役人がいないときは村民が彼にまず1フントを命じ、彼が最初の命令を無視して守らなければ、次いで3フント、さらに10フントを命じ。彼がすべての命令を無視したら、彼を捕えて彼の身柄を領主に引き渡し、彼が負債を支払い、前述の命令が領主に対して十分に遂行されるか、もはや負債が何もなくなるまで、彼の財産は裁判所に差押えられる。
他人と不和になり争う者には役人が、あるいは役人がいなければ、いかなる土地保有民もまず平和を命じ、従わなければ10フントの罰金を科し、それでも命令に反すれば、役人と村民が、あるいはそこに同席している者が、宣誓して、彼を捕え、領主と彼の役人に引き渡すべきであるが、そうしたことをしないで、そうした従順な助けをおこなわない者を、ザンクト・ガレンの領主は罰することができる。
 ニーダービューレンの裁判所に法を求める者は、外来民であれ在住民であれ、裁判による助けをうけるべきであり、裁判所以外にゆだねてはならない。ただし、ザンクト・ガレンの領主または彼の役人が捕えたら、村民はそれに協力すべきであり、それをためらったり邪魔してはならない。
 外来民はニーダービューレンの裁判管区で他人を拘束してはならない。
 荘園民またはニーダービューレンの裁判管区の住民たちの誰かが、他所の裁判所に召喚された場合、彼がザンクト・ガレンの自由を返還する約束で取得すれば、領主は彼に自由を授けるべきである。
 毎年年次裁判集会を3回、すなわち五月に2回と秋に1回、あるいは秋に2回と五月に1回開き、裁判集会を開いて法を読み上げさせ、役人はいかなる者にも出席を命じ、違反者には3シリングの罰金を科す。
 ザンクト・ガレンの領主または彼の慈悲をうけた役人はニーダービューレンの3名の誠実な人物を提案し、3名のなかから1名の村長を採用し、この村長は、12名の裁判官が選ばれるまで、領主の役人とともに裁判官を呼びよせる。
 この村長と裁判官は通知をうけたら裁判所に出廷して、彼らの前に提示された問題について、貧しい者にも富める者にも、富める者にも貧しい者にも、賃貸や贈与のためでもなく、金銀のためでもなく、味方や敵のためでもなく、法そのもののために、すべて忠実かつ無難に裁くことを宣誓する。ただし法の弁護は除外される。
 冬季には冬の通り道があり、いかなる者も他人に森林や畑からそうした通り道を経て、障害や損害のないように、運送させるべきである。

 罰金や違反についてどのように判断すべきか。

 他人に対して不動産の権利を請求しても、法によってその権利を認められなければ、彼が請求した相手に3フントを徴収され、ザンクト・ガレンの領主に6フントを徴収される。ただし、相続のためになされた請求は除かれ、境界の確定を求める場合も除外される。
 共同耕地を自分の所有地に取り込もうとする者は、領主に10フントの罰金を科せられ、ただちに元に戻すべきである。
他人に不法に嘘をつくように要求する者は、領主に18シリングの罰金を科せられ、女性については罰金9シリングが科させられる。
不法に刀を抜いても、損害を与えなければ、罰金は1フントである。
こぶしで他人をなぐるか、暴行をした者は、流血させなければ、16シリングの罰金を科せられ、告発人に3シリングの罰金を負う。地上に倒したら、被害に応じて、事情を考慮して裁くべきである。
他人の血を流させたら、領主に罰金6フントを負い、告発人には3フントを負い、いかなる者もそれを相手に届けるべき金額を法によって手元にとって置くべきだが、損害が非常に大きければ、領主と告発人のために裁判をおこなうべきである。
他人に不法に投げつけたり撃ったりして、相手が倒れたら、いかなる投下と射撃についても罰金10フントを科せられる。しかし相手が倒れなければ、被害に応じて裁くべきである。
 裁判所に労賃について他人を訴える者は、領主に3シリングを徴収される。
裁判所で和解をおこなう者は3シリングを徴収される。
村長が担保を差し出すように命令して自宅に来たら、領主に9シリングの罰金を徴収される。
 武器を手にして他人を襲い、刺殺するか一撃をくらわせようとした者は、ザンクト・ガレンの領主に2フント、告発人に1フントを負うが、損害をかけなければ、事情に応じて裁きをおこなう。
 夜襲は10フントの罰金を科せられる。
言葉によって平和を乱す者は12フントの罰金を科せられ、告発人は彼の権利を守られる。
他人の家または宿所に押しかけ、彼を不法にそこから突き出す者は、10フントの罰金を科せられ、これを夜間におこなえば、罰金は20フントとなる。
警告をうけて、それが公示された者は、領主に25フントの罰金を科せられる。
抵当に設定されている他人のものを取ることは禁じられており、違反すれば領主に10フントを科せられ、告発人はその権利を守られる。
他人に家畜による損害を及ぼすことは領主によって禁じられており、訴えられれば、裁判所の判断にしたがって損害の弁償をおこなうべきであり、それが夜間の場合は罰金は2倍となる。
 他人の所有地でオークまたは実をつける木を伐って訴えられたら、ザンクト・ガレンの領主に30シリングの罰金を科せられるが、斧で木の一部を伐ったら3シリングの罰金を科せられ、小刀で伐れば6ペニッヒを科せられ、被害を告発人に弁償すべきである。
 耕地境界の垣根と囲い垣根をつくる必要があるとき、ammanは垣根作りを命じて、違反すれば初犯の罰金として3シリングが科せられ、ammanは命令の後に2-3人の村民を連れて垣根を検査して、作られてなければ、再度命じ、違反すれば4シリングの罰金を科すべきである。しかし検査のときに、2度目の命令がしっかり遂行されれば、2度の命令は完了する。しかし2度目の命令が遂行されなければ、垣根作りが命じられ、違反には9シリングの罰金が科せられる。これらすべての罰金は徴収され、格子垣根についても同様である。
ニーダービューレンの裁判管区に属する農地で、不法行為がおこなれたら、いかなる場所であれ、不法行為はニーダービューレン村と同じように領主に罰金を科せられる。
 道路が農地の間をとおる所では、隣接地の所有者が道路をつくり、大切にして、必要に応じて提供すべきであり、他人と協力しようとしない隣接地所有者には耕地境界垣根の場合と同様に協力を命じるべきである。協力をしなければ、彼の農地を人が通って農地が壊れ、彼自身が損害をこうむるからである。
 しかし大きな犂が道路に入ってくるときは、村民はその道をつくる助けをおこなうべきである。
 修道院の領民の命を奪った者は、50フントの罰金を科せられる。しかし修道院領民ではない者が裁判管区で命を失えば、罰金は25フントであり、その敵対者は死者の親族によって裁かれるべきである。
 四旬節に犂が畑に入ったら、豚を家畜番人に託し、家畜番人が来たら、誰もが彼に豚を託し、もしそうしないで豚による被害が生じれば、村長は村民に罰金の設定について告げて、これに従うべきである。
 無罪を申し出ていた者が罪を証明されたら、3ペニッヒの罰金を科せられる。
 法を告げられた者が、それに従わなければ、以下のように罰金を科せられる。
ち、法によって罰金を科せられた者は、弁解の余地なく支払うか、一定の期間に支払う約束をすべきであるが、彼が法によって罰金を他の人に届けるつもりなら、そうしてもよい。
 これらの罰金を科せられた者がその一部または幾つかを納めないか、または納める約束をしない場合、領主は彼を牢に入れて、彼が領主を納得させるまで、そこに拘留することができる。
 いかなる者も、裁判所で告げられた罰金を判断して、彼の気に入らなければ、ザンクト・ガレンの領主に控訴することができる。
 領主に納めるべき地代を期日どおりに納めなければ、領主または彼の役人または下吏は滞納地代分を、滞納期間の長短にかかわりなく、いかなる担保であれ差し押さえ、荘園法によって担保を運んでいくことができる。
 公的境界を越えて他人の土地に侵入するか垣根をつくる者が訴えられ、越境が発覚したら、10フントの罰金を科せられるが、公的境界から退いた者に対しては、法にしたがって裁くべきである。
 自分の意志に反して果実が他人の土地に落下したら、5シリングの罰金を支払うべきでる。
 法によって尺度、容量、重量などをそこなったことが発覚した者は、10フントの罰金を科せられる。
 村長または裁判官は小作地にかんして裁判をおこない、不動産であれ、その地代であれ、すべての自由小作地は、売られる場合には地主の前で処理されるべきである。しかし、自由小作地でない所有地は村長と裁判官の前で処理され、それ以外の取引は無効である。
 そうしたことが必要となれば、ザンクト・ガレンの領主と修道院長はニーダービューレンの裁判所に他の修道院の住民を加えることができる。
 ニーダービューレン裁判管区における居酒屋はいたるところでザンクト・ガレン修道院のものであり、1ザウムのワインについて4ペニッヒを納め、1年をとおして営業しようとする者以外、いかなる者も居酒屋を営んではならない。
 ザンクト・ガレンの領主または役人は不適切な罵りと誹謗をすべて禁じ、これに違反すれば、禁止されている行為に罰金が科せられる。
 ザンクト・ガレンの領主または彼の役人は娯楽やカード遊びを禁止することができ、これに違反する者は、禁止されたことについて罰金を科せられる。
 必要となれば、期間の長短にかかわらず、この裁判集会で増やしたり減らしたりすることが可能であれば、あるいはニーダービューレンの荘園が何らかの正当性をもつなら、ここに書かれていなくとも、ザンクト・ガレンの領主は村民たちとともに法を定めたり、作成したるすることができる。

 1-7-6 ツーツヴィル Zuozwi (1488年)


 (ツーツヴィルはザンクト・ガレン市の西に位置する)
 
 以下に記されているのは、ツーツヴィルの年次裁判集会で明らかにすべきツーツヴィルの領主と荘園法の裁判記録である。
 §1. まず最初にツーツヴィルの代官および領主の裁判管区、強制・罰令区は、上級裁判管区を離れて、ツーベルヴァンゲンまで行き、大クリースボーム方面の小川に至り、そしてリンゲンヴィル方面へヒンデルパッハ川まで行き、オーバーハイムに向かってライムベルクハルデンまで行き、さらにヴィーガーに向かって街道沿いにカッツェンシュタイクまで行き、ロスリュッティ方面へメルリスバッハに至る。
§2. 裁判で争いが起きたら、邦人であれ外来民であれ、女であれ男であれ、いかなる者もできるだけ裁判所で平和な解決を申し出るべきである。そして廷吏または荘園民によって命令がなされて、これを無視すれば、罰金が科せられる。しかし外来民がそれに違反し、裁判においてそうした命令を守らなければ、いかなる者も彼が法の遵守を約束するように努めるべきであり、彼がそうすることができないか、そうしようとしなければ、彼を領主に引き渡すべきである。
 §3. 裁判に出席する者は、古くからの慣わしどおり、そこで従順にすべきであり、領主はそこに出席する者を、できるだけ法によって扱うべきである。
 §4. 裁判で徴収される罰金はすべて、後述のように、ことごとく領主のものとなる。
 §5. 他人を不法に彼の家の中まで追いかけ、言動において暴行をはたらいたことが露見した者は、領主に6フントの罰金を負い、告発人に3フントの罰金を負う。
§6. 法を求める者は、荘園民であれ外来民であれ、裁判集会において法による助けを得られる。
 §7. 他人に流血の傷を負わせた者は、告発人に3フントの罰金、領主にも同額の罰金を負う。
 §8. 他人にものを投げたり落したりする者は、それが相手に当たらない場合でも、告発人に3フント、領主に6フントの罰金を負う。
§9. 怒りにかられて不法に他人を刺したり打撃を加えて地上に倒す者は、告発人に3フント、領主にその倍額の罰金を負う。とはいえ、そうした罰金を負う告発人にその罰金の減額を乞うなら、3フントから割り引かれる。
 §10. 怒りにかられて刀を抜く者は、3シリングの罰金を科せられる。
 §11. こぶし等で殴り、地上に倒しても、流血にいたらなければ、3シリングの罰金を科せられる。
 §12. 他人に不法に嘘をつかせる者は3シリングの罰金を科せられる。
 §13. 公的な境界石を越えて刈り取ったり、収穫したり、草刈りをする者は、告発されたら、告発人に3フント、領主にその倍額の罰金を負う。
 §14. 他人の森林で許可なく伐採し、廷吏あるいは被害をうけた者が彼を捕えて告発すれば、彼は領主に3シリング、彼が被害を与えた告発人に切り取ったオークその他の木1本あたり5シリングを負う。
 §15. 村長の命令で他人のぶどう園に侵入した者は、告発されれば、10フントの罰金を科せられるが、さもなくば古来の慣わしによって、身体から片手を切り取られる。
 §16. 他人の土地で彼の家畜を奪い彼に損害をかかけた者、または廷吏がそれを見つけたた者は、被害をうけた家畜の所有者に損害を弁償すべきである。しかし彼が暴力で家畜を奪い返そうとしたら、彼は領主に9フントの罰金を科せられ、被害をうけた者に弁償すべきである。
§17. 裁判管区において他人を外部のの裁判所に喚問したり、他人にかんする文書を外部の裁判所に提出する者は、領主に1フントの罰金を科せられる。
 §18. 当裁判管区内にある農地をめぐって争う者は、裁判所に出廷するか、所有をめぐって裁判所で相互に裁きをうけるべきである。
 §19. 当裁判管区内にある他人の農地またはその地代の問題を処理しようとする者は、裁判所の代官の前で公的におこなうべきである。そうしない場合は、それは効力をもたない。だが村長または代官が同時に裁判に出席しない場合は、法によって彼が裁判に出席したかのように、また両者がそれを要請したかのように、それは効力をもつ。ただし、彼らはその農地に対する発言権をもたない。
 §20. 越境して村内に入ってきた外部の家畜を捕えたら、荘園民の家畜と同様に罰金を科すが、家畜の所有者は廷吏に1頭につき2ペニッヒを納めるべきである。
 §21. 領主が五月に8日間、あるいは必要であれば14日間、垣根の出入り口を通って小川のグロッサース・ホイザーの背後の草地に馬を放牧することができるが、出入り口の両側には垣根を設けるべきであり、いかなる者も彼の草地から他人の草地への馬の移動を防ぐべきであり、そうすれば馬をどこでも好む場所へ行かせてもよい。
§22. 代官税を課税された農地をもつ者が、それを売れば、領主に3分の1を納めるべきである。ただし、彼が代官税を課税される別の農地を保有すれば、領主に3分の1を納めなくてもよい。
§23. 低地の代官管区は領主のために毎年2回ぶどう園で農作業をおこない、それに対して領主は食事を与えるべきである。しかし刈り取り作業をおこなう年度には、それ以上何もなすべき義務を負わない。
§24.ヴェッツエルの農地保有者はマックヴィルの鍬による農作業の手伝いを2日間おこない、ギュッファーの諸農地保有者はマックウィルの2日間の農作業、シュテュツェルの諸農地保有者は2日間の作業をおこなう。
§25. 低地の代官管区の領民は領主のためにぶどう園のぶどうを収穫し、堆肥をを運び、ぶどうの支柱を納めるべきである。領主はそうした作業に対して常に食事を支給すべきである。
§26. いかなる者も、領主に納めるワインと地代を、ツッツヴィルから2マイルの道を領主が望む場所へ運ぶべきである。
§27. いかなる者も領主の村長なしに取り決めをしたり、村民集会を開いてはならない。ただし、村長が不在の場合は除かれ、村民によって任命された村役人が任務をはたすべく、村民集会を招集したら、村民集会で多数が同意したことに、少数派もしたがうべきである。
§28. 森林番人は領主に100の落穂を納めるべきである。

§29. 領主は村落における村長と廷吏をもつべきであり、領主は村長を、村民たちは廷吏を任命し、そうした廷吏の選任にあたって2-3人の候補に対する村民の支持が同じで、彼らのなかで多数の支持を得る者がいなければ、領主は彼らのなかで彼にとって望ましい者を採用することができる。雌牛の番人についても同様である。
§30. 村民は2名の検査役を選ぶべきであり、彼ら2名は村の利益と損失を調べ、廷吏に対して、小川、溝、垣根、路地、道などをつくることや、その他のことを廷吏に命じ、命令にしたがわなければ最初は3シリングの罰金を科すと告げる。その後8日間にわたって廷吏および検査役による検査がおこなわれる。そして廷吏が命令に反していたら、領主に3シリングの罰金を科せられる。そして廷吏は前回と同じように命じられ、これに違反すれば6シリングの罰金を科せられる。しかし彼が命令に違反すれば、6シリングの罰金を負い、その後同じような命令がなされ、これに反すれば9シリングの罰金が科せられる。この命令が実行されなければ、彼は罰金すべてを徴収される。しかしこれらすべての命令を無視すれば、1フントの罰金による命令がなされ、その後も罰金は3フント、6フント、9フントと加算される。そしていかなる命令を無視しても、領主にすべての命令を無視したのと同じ額の罰金を科せられ、領主にそれを差し出さすべきである。すべて前述のように、検査薬は共同刈り株畑と採草地も維持するように命じるべきである。
§31. 領主は年3回の定例裁判集会を、五月に2回と秋に1回、または秋に2回と五月に1回開催すべきである。
§32. 高地代官管区の修道院農地を売るか貸与することを望む者がおり、それを買うか受け取ることを望む修道院領民がいるなら、それを求める修道院領民の農地のためにさおでその農地を測量し、近親者が農地を買うか借地として取得すべきである。また村内にそうした農地を買うか受け取ることを望む修道院領民がいるなら、農地を売りたい者は教会の扉の下に立ち、誰か修道院領民で農地を買うか受け取りたい者がいるかどうか、声をかけるべきである。そしてそれを望む修道院領民が来れば、その希望者に貸与することができるが、その修道院農地を保有する者が死亡したら、ザンクト・ガレンのわれらが慈悲深き領主と彼の修道院に相続税が死亡した保有者とズーツヴィルの村長のために納められるべきであり、彼が教会と林園に行ったときの衣服が納められるべきである。
§33 まず最初に裁くのは相続と所有であり、次いで寡婦と孤児、次に女性、その次に外来民、その後に荘園民、最後に領主がなすべきことを、不法行為であれその他であれ、裁くべきである。
 §34.村の放牧権の境界はリンゲンヴィル方面のブリュンバッハ川の浅瀬に至り、ツッケリート方面の小川のschwinmosに至り、さらにオーバーハイム方面のキュンホルツとシュトリックハルデンに至り、さらにホスルック方面のハーゲンブッフまで、そしてブルンリートを登り、製粉屋の入口に至り、さらにチベルヴァンゲン方面の教会に至り、ロスリュティ方面のメルリスバッハリンまで行き、さらにヴィーガー方面の街道まで行き、uszerowでトゥーアへ、さらにカッツェンシュタイクの入口に到達する。
§35. ヴィーガーの住民は、その家畜がツーツヴィルの住民に迷惑をかけないように、家畜番人に見張ってもらうべきである。
 §36. 農圃の神聖な屋敷は囲われた農地であり、注意深く垣根で囲われるべきである。ツッツヴィルの住民に彼らの家畜による被害があれば、彼らは住民に支払うべきであり、ツーツヴィルの住民による被害があれば、彼らが補償を得るべきである。
 §37. ヒンダーガムペンの荘園はツーツヴィルの裁判管区に含まれるべきである。
 §38. シュネッツァーのうさぎの農場は村の前で垣根で囲われるべきである。
 §39. 領主は村民のそうした権利を保護して取り扱うべきである。

 1488年
 §40. いかなる者も裁判管区において酒類を売ってはならない。居酒屋営業権が領主によって貸与されるか、あるいは裁判管区内で自分の土地でぶどうを栽培する者は、ワインを売ってもよい。
 

 1-7-7 ゲルハルツヴィル、ウフホーフェン、ルフトレン Gerhardswil, Ufhofen,
     Ruftlen (1466年)



 (これら3集落は今日のオーバービューレンに属する地域である)

 1466年ここに名を記されるハンス・ドゥートリン・フォン・ヴァット、コンラート・ツァーナー・フォン・ニーダーグラット、ベルチ・ヴァーグナー・フォン・フラヴィル、貴族領主ルドルフ・ギール・フォン・グラットブルクとゲルハルツヴィルの住民と代官管区に属する者は、彼らの寄進について報告し、彼らと彼らのすべての子孫に対して後述の条項について提起した。
 §1. 最初にギール・フォン・グラットブルク家は、同家がゲルハルツヴィル、ウフホーフェン、ルフトレンに保有する・・・住民にとって代官および領主であり、上記の代官管区において代官に対してなすべきすべてのことについて、代官管区領民は代官所と裁判所のために彼らの代官になすべき義務を常に負っており、放置してはならない。
 §2. 上記の代官菅区民は代官に対して水車の濠をウフホーフェンの取水口から水車まで荒廃させないように必要に応じて保つべきである。
 §3. 上記の代官菅区民は今後くりかえしグラットブルクの代官の水車に行き、製粉屋が彼らに世間の慣わしどおりのことをせず、声望を得ない場合、代官管区民は代官にそれを告げ、代官はそれを防止し、すべとを無難に処理すべきである。
 §4. 代官または彼の代理は裁判をおこない、グラットブルクまたはゲルハルツヴィルに裁判所をもつべきであり、あるいは代官管区でとくに都合がよく、代官または彼の役人が裁判をおこなおうとするときには、代官管区民に裁判をまかせるべきであり、違反があれば罰金3シリングでまかせてもよい。
§5. 代官、役人または廷吏はいかなる裁判でも、定例裁判であれ臨時裁判であれ、裁判官が法をどのように考えるか、宣誓して判決を言い渡すように裁判官に問いかけるべきである。
§6. 役人または廷吏は常に定例裁判集会を8日前に命令し知らせるべきであり、それ以外いかなる者も定例裁判集会の他の者に、荘園民であれ外来民であれ、知らせる必要はない。
 §7. 定例裁判集会ではまず最初に相続と所有について裁判をおこない、次いで寡婦と孤児、その次に女性、次に外来民、次いで荘園民について裁判をおこない、さらに、定例裁判であれ臨時裁判であれ、必要があるかぎり、代官について裁判をおこなうべきである。
 §8. 代官菅区民は定例裁判集会に9-10時の間に出席すべきであり、そうしなければ3シリングの罰金を科せられる。臨時裁判集会では11時に出席しなければ罰金を科せられる。臨時裁判集会を朝または夕方に開きたいと代官または当局に申し出れば、そのとおりに容認されるべきである。
 §9.1人、2人あるいはもっと多数の者が、定例裁判であれ臨時裁判であれ、裁判の弁護を申し出れば、裁判長はいかなる者にも裁判を開き、いかなる者も他人の言葉をさえぎれば3シリングの罰金を科せられるべきである。裁判庁が判決または案決の取り消しを述べるように望んだら、全員が退出するが、不法な犯罪者や裁判当事者はそこにとどまり、事情に応じて彼らは高い罰金を科せられることもある。またいかなる者もいしゆみ、投げ槍などの武器を裁判所や法廷内に持ち込めば、10フントの罰金を命じられる。ただし、代官と彼の従者はこれから除かれ、代官または彼の弁護人によって和解と保護をを推奨された者も除外される。
 §10. 他人を裁判で侮辱や悪しき言葉で罵り、裁判に満足しない者は、5フントの罰金を科せられる。いかなる者も裁判で他人に不徳な申し出をしてはならない。しかし不徳なおこないをする者は、損害と事情に応じて罰せられるべきである。また事情に応じて2倍の罰金を科して、いかなる者も不法や不徳な行為を裁判でおこなわないように、すべきである。
 §11. 役人は、外来民が来ればいつでも裁判をおこなうべきである。ただし、祝祭日、日曜日および12使徒の日は除かれる。裁判の開廷の時期は公正に決められるれる。
 §12. 参審員裁判でない場合は、代官または彼の代理人によって任命された者以外、、いかなる者も判決を言いわたしたり反対したりしてはならない。しかし誰かが別の判決を言いわたしたり反対したりすれば、その判決における賛否の数にかかわりなく、彼は10フントの罰金を科せらるべきである。


S.149
 §13. 農地から地代を得る者に対しては、その証書によって裁判をおこなうべきだが、彼が証書をもたず、長い間地代を得ていた場合、、彼の保有する物権と収入にもとづいて裁判をおこない、地代法と彼の証書の内容にしたがって法を適用することを許すべきである。
 §14. いかなる地代農場または農地もまず最初に支払うべきは刈り取り人夫の賃金と厩肥であり、そうすれば着手しようとする収穫高が明らかになり、それに建物を加えれば、ほかには何もない。そこで農場から農地が差し引かれると、その後に残るのは農地に対する地代であり、新旧の地代、とくに代官地代が支払われるべきであり、残るは物権であり、まず抵当および負債に対する債権を求める者は、上述の諸条項にしたがって、彼の負債について優先権をもつ。ただし例外として、裁判管区の代官と領主はすべての抵当とすべての負債に優先権をもつ。しかし抵当に優先権をもつ者がおり、すべての抵当が彼の権利をそこなわないことが保証されているなら、彼は負債と地代について優先権をもつ。
§15. 裁判管区で売買がなされる場合、それが不動産であれ動産であれ、いかなる人による購買や取引がおこなわれようとうも、あるいはそれが村民相互でおこなわれようとも、あるいはいかなる抵当が設定されようとも、貸主の前で処理されるべきであり、さもなくばそれは効力をもたない。裁判官が出席し、6名の参審員が彼と同席すれば、手続きには十分であるが、それより人数が少なくてはならない。
 §16. 裁判で法によって邦の信認をうけるにふさわしい証書と認められるには、代官に印章料金として1シリングを納めるべきである。
 §17. 判決を不服として代官所に控訴しようとおもう者は、自分を含めて3名で裁判官および参審員の判決を不服として代官へ控訴することができる。
 §18. 代官所と裁判所において判決を不服とする者は、自分を含めて3名で控訴できない者は、10日後に代官に裁判の形式にについて控訴することができる。
 §19. 外来民が荘園民と裁判をおこなうか、あるいは外来民2人が互いに裁判をおこなう場合、外来民は法によって遵守すべきと認められることを約束し、また事態の成り行きしだいでは10フント以上を納めることを約束すべきである。そして外来民は、抵当が十分であることを認める地元住民を保証人とすべきであるが、保証人はいなければ、代官または彼の代理はその保証人に満足する裁判管区外の者を保証人とすべきである。そのような保証人さえもてない者は、神と聖人に誓って、法が彼に命じることにただちにしたがい、弁解なしに実行すべきである。
§20. いかなる者も他人を他所の裁判所に召喚してはならない。ただし、宗教問題にかんしてはその限りではない。これに違反する者は罰金10フントを科せられる。
§21. 他人の資本に対して法による請求をする者は、裁判において生じたしかるべき損害が経費として認められるべきである。ただし、自分のために書類に記してもらったり、雇用をしてもらった場合は、その費用を支払うべきである。また裁判にかかった費用も、1日あたり2シリングを賃金および食費として支払う。しかし彼が書類をもっていれば、それにしたがって支払われるべきであり、彼が雇った労働者についても同様である。
 §22. 裁判所に請求書を求める者にはそれを認めるべきだが、彼が請求書によって告訴人にただちにその支払いをなす義務を負うことを命じるべきである。
 §23. 彼らが請求書について争うならば、その不一致について法が決定をくだすべきである。
 §24. 代官管区において明白な負債について代官の代理人が差し押さえようとする場合、もし疑問があれば、裁判所に移管して、まず最初にそれ相応の動産を取得するべきであり、しかし相応の動産がなければ、不動産を取得してもよい。そして動産の担保を7夜の間裁判所に寝かせ、担保に傷があればそれを知らせ、3日間売りに出すべきである。不動産についても同じようにして、6週と3日の間裁判所に寝かせ、告知して3日間売りに出すべきである。3日目に日が沈んだら、担保の売り出しは終わる。しかし利子や地代をとって農地や金銭を貸す者は、担保を3日間だけ寝かして、売るべきであり、彼は3日で請求者に対する支払いをすませるように命じられる。債権者に負っている負債と役人に支払う労賃より多くの金額が担保の売却から得られれば、担保の持主だった者に残金を返すべきである。また裁判管区内に誰も担保を買おうとする者がいなければ、代官の他の裁判管区にもっていき、そこで売ることができ、そこで耕作する荘園民は同じ金額で外来民から買える。役人は売り出しの報酬をあらかじめ取得すべきであり、それは1フントの売却金について6ペニッヒであり、10シリングについて4ペニッヒ、5シリングについて3ペニッヒ、5シリング未満について2ペニッヒである。
 §25. 地元住民が外来民のものを担保に取る場合は、その担保には飲食費も含まれるかもしれないこことを目前の外来民に知らせるべきである。しかし担保が飲食費をまかないきれない場合は、外来民が現在飲み食いしている、あるいは最近滞在していた宿の外来民にそれを知らせ、担保を7夜の間寝かせて、上述のように売るべきである。しかし、食費の担保を宿の店主に提供することができるなら、7夜後に上述のように知らせて担保を売却してもよい。
 §26. 明白な負債の担保を代官の代理人に差し出さない者は、男であれ女であれ、垣根の場合と同様に9シリングの罰金を科せられる。彼が逆らえば、代官代理人は彼の使用人を奪い、不従順な者に損害を与えるべきである。彼がそれにもさからおうとすれば、彼に10フントの罰金を命じ、さらに彼を捕えてもよい。彼が不従順な態度をとれば、彼を代官に引き渡すことができる。
 §27. 代官管区において他人を代官や彼の役人の許可なく自分勝手に差し押さえる者は、代官に罰金6フント、彼が差し押さえた者に6シリングを納める。
 §28. 代官管区において他人に与えるべき抵当も現金ももっていない者は、告発人が望むなら、8日後に裁判管区から転出しなければ10フントの罰金を命じられる。彼が告発人の要求に応じる前に裁判管区に戻れば、彼を捕えて代官に引き渡して投獄することができ、また投獄するべきである。そのような者が半年間裁判管区の外にいれば、告発人は彼を外部の裁判所に召喚できる。
 §29. 提供または差し押さえられたものを他人から奪えば、10フントの罰金を科せられる。
 §30. 禁じられているか差し押さえられているものを、代官または彼の代理人の許可なく授受する者は、代官に10フントの罰金を徴収される。
 §31 荘園民が裁判管区から転出しようとするなら、彼が債務を負う代官と村民を満足させるべきであり、そうしなければ、荘園の法にしたがって彼のものを差し押さえて持ち去ってもよい。
§32. 2人が垣根をめぐって争ったり、境界がどこにあるかわからなくなり、あるいは屋敷、耕地、採草地、放牧地、森林または野原の間の境界が争われ、あるいは樹木や道路、家畜の通路、歩道をめぐる争いが起これば、罰金1フントで信頼関係を命じるべきである。しかし一方が他方に家、屋敷、耕地、採草地、森林または野原の権利を要求すれば、信頼関係ではなく、法によって決着をはかるべきである。
 §33. 代官または彼の役人が裁判において信頼関係の根拠を述べることは、誓約によって正当化されるべきであり、裁判所の7名の人員にとってその陳述が良しとされれば十分とみなされるべきである。
 §34. 他人について信頼関係を法の前で述べようとする者は、事実から知られること、、またそれにもとづいて証言され、そこに居合わせて見聞きしたことの正しい認識にしたがって陳述すべきであり、いかなる者からも伝聞にもとづいて彼のものを奪ってはならず、事実を知るべきである。
 §35. 役人を召喚しようとする者は、代官の許へ行き、1人の裁判官を要請すべきであり、代官は彼に裁判官を与え、この裁判官はその問題にかんして村長または廷吏を召喚して、荘園法と裁判集会にしたがって問題の決着にいたるまで彼らについて裁判をおこなう期限つき権限をもつ。
§36. 教会堂開基祭、祝祭日や舞踏会その他の領民の集まりで役人と廷吏は、いかなるる者も群をなしてはならず、争いや宴会をくりかえしてはならないことを、10フントの罰金で命令すべきである。しかしこれに違反する者がいれば、村民を捕えて、荘園法にしたがうことを約束するように要求し、あるいは代官に引き渡して投獄すべきである。
 §37. 代官管区内にある不動産を売買する者の手続きは代官の裁判所でおこなわれ、その領主支配権に属する他のすべての権限によって手続きがおこなわれるべきであり、同じく村民にも損害がないように、彼らの法により手続きがおこなわれるべきである。
 §38. 裁判管区内に縦横7シューの農地をもつ者は、すべての定例裁判集会に出席し、他の代官菅区民と同様に裁判集会の内容に従順にしたがうべきである。しかし農地に家をもって住む者は、すべてのことに従順で、裁判集会の指示にすたがって行動すべきである。
 §39. 有害な家畜をもつ者がいれば、雄牛、雌牛、馬、豚、犬、どのような名の家畜であれ、代官または彼の役人は家畜をとり去るか農場内に留め置くことを命じ、1頭あたり3シリングの罰金を科し、世間に被害がなくなるまで、罰金をひき上げるべきである。
 §40. 農場で冬越しさせることができる数より多くの家畜を夏季に代官管区の共同休閑地または森林に放牧する者が、裁判管区内で耕作するなら、役人は多すぎる家畜を3日で処分することを命じ、1頭あたり3シリングの罰金を科し、彼の命令ににしたがうまで罰金をひき上げるべきである。
 §41. 代官管区内に共同耕地を導入する者は、時によってまたは年間をとおして、耕地、採草地、放牧地、森林または野原を開放すべきであり、代官または彼の役人は、すべての者に8日間で開放することを命じ、これに違反すれば10フントの罰金を科し、命令にしたがうまで罰金をひき上げるべきである。
 §42, 昼間、他人に対して自分の家畜が損害を与えれば、村民の証言によって1頭あたり3シリングの罰金を代官と被害者に弁済する。しかしそれが夜間に起これば、夜襲として10フントの罰金が科せられる。
 §43. 代官は代官管区内で野うさぎ、鹿、山うずら、あなぐま等いかなる名の動物であれ、あらゆる野生動物を捕えることを罰金10フントで禁じることができる。それに違反する者はさらに高い罰金が科せられる。編み細工のわな、狩猟わな等も同じく禁止され、それらによって他人の犬や猫を捕えてはならない。
 §44. 農地を仕切いまたは垣根を代官とその役人および村民たちの許可なく時折または年中切り取ったり荒らすことによって破壊する者は、10フントの罰金を科せられる。
 §45. 8月に共同耕地で刈り取りをがおこなわれたら、共同耕地の穀物の刈り取りが済むまで、代官は彼の役人に耕地への家畜放牧を1頭あたり3シリングで禁止させ、刈り取りが終るまで、いかなる者も他人を性急に急がせたり、他人の穀物が家畜に食べられたり荒らされりしないようにすべきである。その際、放牧地をもつ者はいずれも家畜をそこに放牧してもよい。しかし穀物を搬入した者は、彼の牛馬を彼の農場で見張ることができるが、他人に損害を与えてはならない。
 §46. 代官が村民の集会を多少とも必要とするときは、彼らにそれを命じることができ、これに違反すれば3シリングの罰金を科し、罰金額は違反のたびにひき上げられる。それ以外はいかなる者も代官の了承なく集会をもってはならず、違反すれば10フントの罰金を科せられる。
 §47. 代官管区内の土地の地上と地下で発見された物件は代官の支配領域のゆえに代官と代官所のものである。あるいは誰も欲しがらない物件、または裁判で争うか寄贈した物件で誰も欲しがらない物、さもなくば誰も所有せず、所有主がいない物件はすべて代官のもとなり、彼に引き渡されるべきである。
 §48. 代官は代官管区においてすべての不適切な誓いを禁じ罰することができる。
 §49. 代官は代官管区において踊り、遊び、カード遊び、冒険などの名称をもつものを次のような場合に10フント以上の罰金で禁止させることができる。ずなわちそのようなことをする者の役に立とうとはおもわない場合、あるいは家や屋敷にうけいれようとは
おもわない場合、神聖なとき、あるいは彼が不愉快なことや不和が起きることを心配したり、代官にとって生来の友が死亡するなどの不慮の事故が起きた場合は、禁止してもよい。
 §50. がちょうが種子に害を与えたりしたら、役人はがちょうを中に取り込むか見張るように命じることができ、がちょう1羽あたり3シリングの罰金を科す。害を与えた場合は、支払うべきであり、さらに罰金をひき上げるべきである。
 §51. 代官は代官管区において、いかなる者も代官の許可なく徒歩や馬で、領主の領地や諸邦へ戦に出かけることを10フントの罰金で禁じる。ただし、いかなる者もその上官とともに、あるいは当局の許へ派遣された場合は別である。
 §52. すべての戦の非常時や戦乱において代官管区民は代官とその代理人を忠実に補助し、助言を与えるべきである。ただし、彼らの本来の領主に対しては別である。
 §53. 代官は代官管区において、いかなる者も火を炉の中でもかまどでも慎重に扱うことを罰金1フントで命じるべきである。また役人は境界垣根の様子を見て、それが命令に従わず高すぎる場合は、そのいい加減な態度が他の村民を堕落させないように律するべきである。
 §54. いかなる者も代官管区において公的に追放された者を承知のうえで家や屋敷にかくまえば、6フントの罰金を科せられる。
 §55. 代官管区内のいかなる場所に移住しても、村はずれであっても、家または屋敷をもつか、家を受け取る者は、雌牛1頭、子牛1頭、めんどり4羽、おんどり1羽および豚1頭を夏に共同休閑地または放牧地に行かせるべきであり、そのため共同耕地と放牧地も代官所によって調べられ設定され提供される。また休閑地を囲い込んではならない。それゆえ貧しい者が代官管区に移住して来て、従順にふるまえば、他の代官管区民と同じような権利をもつが、彼があまり望まない場合でも、それらを守り、他の代官菅区民と同様にふるまうべきである。
 §56. ゲルハルツヴィルとウフホーフの放牧地について。ゲルハルツヴィルとウフホーフの住民はルフトレンにおいてドルルッツ方面の共同耕地のなかに放牧地をもち、リューもまた共同耕地に放牧地をもつ。シュヴァルツェンバッハ方面の共同耕地はファルナビュールの窪地のそばに放牧地をもつ。小屋の方向の共同耕地は囲い込み地の方向の共同耕地のなかに、グラットブルクに向かって放牧地をもつ。またグラットブルクも小屋の方向の共同耕地に放牧地をもつ。
 §57. これらは代官管区の共同地である。ゲープハルツヴィルとウフホーフの共同耕地は古くから維持されてきた。教会道の上方に接する森林は真正の共同地であり、古い時代から常に維持され利用されてきた。シュヴァルツェンバッハは真正の共同地であり、グラットまで及び、古くから維持され享有されており、マクノウ修道院の所有であり、それは共同地間の境界でもある。池のこちら側の耕地は修道院の池とぶつかり、われわれの真正の共同地と対立し、修道院はそれを池に溺死させたが、永久にわれわれの共同地として維持されるべきである。
 §58. いかなる者も上述の放牧地と共同地はを貸し付けても売っても譲渡してもならず、決して変更を加えてはならず、囲ったり耕作したり森林を伐採してはならない。代官の代官管区に移住してきた者は、従順にふるまうなら、慈悲と承諾を得れば、代官所によって設定され、与えることを認められた権利をもつ。
 §59. 代官管区において他人と危険な交際をしたり危険なふるまいをする者、あるいは中傷する管区民は、互いに警告しあい、そのような者を捕えて代官に引き渡すべきであり、代官はそのような不従順な者や中傷する者を彼の裁判管区から追放することができる。
 §60. そうした村落と代官管区の裁判集会と規則と古いしきあたりに反して不法な態度をとる者は、代官にに10フントの罰金、裁判官に10シリングの罰金を負い、さらに不従順な者には10フント以上が命じられ、8日後に裁判管区から去るか裁判集会を守るかを命じられる。これに違反すれば、捕らえられ、代官所に投獄される。
 §61. すべてのことを一度に考えることができない場合は、早晩この裁判集会を増やすことになり、そうすることができれば、この裁判集会で定められない問題や罰金がたまたまあっても、代官所と裁判所を有するザンクト・ガレンのわが領主やその他の人々がこれらの条項を守るように、それらは守られ、この裁判集会で定められるべきである。
 §62. 役人や廷吏はすべての命令、不法行為および罰金を裁判で報告し、代官に告げ、彼らが訴えられるか否かにかかわらず、彼らの考え方を法的に正当化すべきである。
 §63. いかなる者も徒歩や馬で、領主の領地にも盟約者団の他邦にも、代官o許可なく戦に行ってはならず、許可なくそうしたことをする者は10フントの罰金を科せられる。
 §64. 代官は長い靴のつま先や短い衣服を罰金5シリングで禁止させるべきであり、衣服の袖の長さは関節の2倍より長くて伸ばしてはならず、衣服の丈は手を下におろして届く範囲にとどめるべきである。
 §65. 代官は、いかなる者も自分の子を結婚のために他人に与えたり婚約させることを10フントの罰金で禁じることができる。また父母が居合わせない場合、父母、子どもの代理人あるいは保護者の意向や了解なしに、そのようなことと助言したりおこなうことも禁止させるべきである。
 §66. いかなる者も他人に自分の妻を遣ってはならず、そうしたことをする者は10フントの罰金を代官に徴収される。
 §67. 夫がその娘の意志を無視して他人に遣れば、代官に10フントの罰金を科せられる。
 §68. 代官が必要と考えるときには、誰もが甲冑、武器、軍靴その他必要なもので武装することを裁判管区で命じることができ、違反すれば10フントの罰金を科す。
 §69. 裁判管区に居住するか勤務する14歳の男子は、毎年代官に規定のとおり宣誓をおこなうべきである。
 
 代官管区に属するゲルハルツヴィルの裁判集会による罰金

 §70. 代官の使者と役人に悪事と不法をなす者は、2倍の罰金を科せられる。
 §71. 他人のものを不法に奪う者は、それが誰の所有財産であれ、10フントの罰金を科せられ、奪われた彼のものを返却すべきである。
 §72.裁判で自分の弁護人を非難する者あるいは自分に有利となりうる判決を非難する者は、いずれも10フントの罰金を科せられる。またいかなる者も彼の支援者を害してはならない。
 §73. 裁判において二つの判決が出され、両方の判決を非難する者は10フントの罰金を科せられる。
 §74. 裁判にもかかわらずその判決を非難する者は、10フントの罰金を科せられる。いかなる者も判決を与えたり非難してはならない場合は、代官によって命じられる。
 §75. 1476年聖ニコラウスの日(12月6日)の後の日曜日に村長ブルークマンは代官の命令により、いかなる者も代官管区で伐採したか成長した森林の木を代官の裁判管区の外へ売ったり贈ったりもち出してはならないと命じ、違反者は10フントの罰金を科せられる。そうすれば森林が荒らされることないだろう。



2. シュヴァルツヴァルト Schwarzwald


 


 2-1 ザンクト・ブラージエン ST. Blasien



  1467年のザンクト・ブラージエンの修道院の法 第11条
廷吏が裁判集会を知らせる場合、彼は家から家へと馬で巡回して、裁判集会に属するいかなる者にも呼びかけ、裁判集会への出席を命令すべきである。家にいない者には、家の前で石をひっくり返すことによって、彼が来たことのしるしとすべきである。彼が巡回しているとき、誰かのところに宿泊したら、この者は彼とその馬に夕食を提供すべきであり、そうすれば彼は客人としてのもてなしをうけなくても、巡回に困ることはない。


 2-2 メッテンベルク Mettenberg



  これらは古い法であり、われらがザンクト・ブラージエン修道院が昔からもっている古来の慣習であり、メッテンベルク荘園の裁判集会で示された。最初に、メッテンベルクの荘園では年2回の裁判集会が5月と秋に開かれ、首席司祭が裁判集会を開きたいとおもったら、裁判官にあらかじめ14日前に、領民とユーリンゲンとヒュルリンゲンの裁判官にそれぞれ個別に知らせるように伝えるべきである。彼らはさらに修道院の領民に通知および命令して、その同じ日に代官にも通知がなされ、代官は自分と彼の下吏および猟犬の三者で来て、メッテンベルクの荘園で首席司祭とともに食事をとり、裁判官にはいかなる損害もかけないようにすべきである。当日、廷吏はそこに出席して、裁判官が彼に命じたものを買うべきであり、裁判官はさらに命令をおこなうべきである。廷吏を必要とするとき、宣誓によって任命するのが古くからの決まりであり、その場合特別に首席司祭と農民が、彼らにとってふさわしく、領主に仕える誠実な廷吏について協議する。代官は首席司祭とともに二つの裁判集会に出席し、他の権力から首席司祭を守り、さらに寡婦を保護し、いかなる者にも法が適用されることを指示するべきである。彼はそれゆえ裁判官に罰金として納められる金額の3分の1を2つの裁判集会で保持すべきであり、それ以上はもたなくてよい。当日は所有と相続財産以外の問題について裁判をおこなってはならず、また修道院の領民以外の者についても裁判をおこなってはならない。裁判が開かれたら、いかなる者も自分の食事を荘園に持参すべきである。裁判官はすべての裁判集会で法を開示すべきである。裁判官が法に精通してなければ、首席司祭は法に詳しい他のしかるべき人物が、、判決をおこない法を告げるように命じるべきである。ザンクト・ブラージエンのわが領主のすべての裁判所は流血の傷害、家宅押し入りおよび窃盗の3つまでの犯罪を扱う。またメッテンベルク、ゲロルツホーフシュテッテン、リッポルツリートおよびベッテンベルクでは強制と罰令、家畜番人と家畜、パン屋、日雇い、安全は、すべてザンクト・ブラージエンのわが領主の法である。メッテンベルクの荘官は、必要とあらば、厩舎で2頭の最良の馬を彼の犂につなぐべきであり、もっと多くを必要とするなら、最良でも最悪でもない馬をそつなくつなぐべきである。しかし荘官が領民を集めて、彼らが苦情を言わず、2-3頭の馬が残っていれば、荘官が犂による最初のわだちをつけ、次の犂がその後に順番に続くべきである。メッテンベルクの荘園はすべての作物の3分の1を納め、ザンクト・ブラージエンのわが領主は荘園と賦役地で1日3時間働かせる法と権力をもつことができる。荘官と首席司祭との意見が一致しなければ、首席司祭は下吏に命じて、3分の1の穀物束を確保し、村の最寄りの1ユーハルトの面積の穀物畑を刈り取らせるべきである。彼がもっと多くを必要とするなら、刈り取れるまで、もっと多く刈り取っても何の支障もない。荘官夫人は食事を終えたら、穀物束を村民から受け取り、家に持ち帰って荷をおろすべきである。そこで荘官は穀物束を搬入し、打穀場に着いたら、荷馬車に積んである穀物束をうけとり、それを最後尾の馬に載せるか、彼が望むなら、そのままにしておくべきである。40束より少ない穀物束を運んではならず、打穀場の落穂や屑は荘官のものとして残すべきである。修道院の領民が土地を保有することなく居住している場合は、彼の農奴身分により謝肉祭の鶏を納めるべきである。修道院の領民が非荘園民の妻をめとるときは、わが領主の慈愛である恩寵により彼と相談して決めるべきである。メッテンベルク、リッポルツリート、レッテンベルクおよびセークヴァンゲン荘園の代官には、24ムットのライ麦、2マルターのエン麦、16頭の子羊が与えられ、卵は1個あたり4シリングと2シリングの価値があるものが納められ、家庭用衣服をもつ者は、謝肉祭に毎年鶏1羽と日雇い労働1日分を納め、さらに納めねばならないものがあるとすれば、それはすべてぶどう税である。荘園で法による換算をおこなう場合、村落での3シリングは、荘園における9シリングに妥当する。


 2-3 ヴァイテナウ Weitnau (1344年)



(ヴァイテナウは今日自治体シュタイネンの1地区)

  さらに非荘園民に対する課税が宣告され、修道院または首席司祭に対して非荘園民へのい課税その他について反対する修道院領民がいたら、首席司祭は彼に対する修道院と首席司祭の恩恵を拒否すべきである。また修道院領民は死亡税にかんする修道院と首席司祭がなしうる最良の恩恵を求めるべきであり、修道院の恩恵を得られるまで、納屋に家畜をつないでおくべきである。領民がこれに従わなければ、首席司祭は家畜を家のなかに置いて、彼の財産として処分すべきである。
首席司祭は次のように命じる。すなわち、いかなる者も、法により存在する農地に家をもつべきである。
・・・修道院領民が1-2人の息子をもち、息子が賃奉公する場合、首席司祭が彼らを必要とするなら、彼らは修道院のために普通の賃金で働くべきである
 首席司祭は、20歳ないし18歳のいかなる修道院領民も妻と結婚する場合、1フントの納入を命じるべきである。首席司祭は。いかなる女性も40歳の夫と結婚する場合、1フントの納入を命じるべきである。いかなる修道院領民の女性も、首席司祭の許可なく、彼の保護をうけることなく、宗教的または世俗的業務にたずさわる修道女となってはならない。
寡婦が修道院から土地を授けられる場合、首席司祭は彼女に男と結婚し、男には寡婦と結婚することを強制すべきであり、結婚は首席司祭の同意を得てなされる。
首席司祭は各村ごとに修道院領民に安全を保障すべきである。村に余分な牛がいれば、それを飼葉桶で飼うなら耕地に役立てるべきである。
 首席司祭は、修道院の領民が支障なく彼らの農地へ行く道を提供すべきである。
首席司祭は彼が望む者に高く授与すべきであり、彼が望むなら、修道院領民に授与すべきである。・・・・修道院領民は、eht wein を除き、すべてのものを売るべきである。首席司祭が必要とする禁制ワインは上述の諸村落でもってはならない。
 代官は首席司祭の許しと修道院領民の同意なしに、代官の下吏を雇ってはならない。また、この下吏は修道院領民でなければならない。
 これは控訴である、・・・・裁判をやめるのでなければ。ザンクト・ブラージエンのわが修道院長の官庁に控訴すべきである。
 修道院から完全に移住する修道院の領民は転出民といい、ザンクト・ブラージエンの修道院は彼らの人身から徴税すべきである。ヴァイテナウの修道院は次のような法をもつ。すなわち、ザンクト・ブラージエンの修道院領民がヴァイテナウの領域に移住して年月が経ち、ザンクト・ブラージエンの相続財産をもっていなければ、ヴァイテナウの首席司祭は彼の人身から徴税し、転出民はザンクト・ブラージエンの修道院とウィットナウの修道院にとっては保護民を意味する。しかし、彼がザンクト・ブラージエンの財産をもっていれば、ザンクト・ブラージエンのわれらが領主は人身と財産から徴税すべきである。しかし彼がヴァイテナウの修道院から土地を授かり、住宅をもっていれば、ヴァイテナウ修道院が徴税において優先する。ヴァイテナウの修道院領民が領域外に住んでいることになっているのに、その住居はヴァイテナウの修道院の所有地にあれば、住宅はヴァイテナウのわが領域内にあり、住居は常に人身より優先的に徴税されるので、ヴァイテナウの修道院の住居の徴税が優先すべきである。ヴァイテナウの修道院から土地を授かっているヴァイテナウの修道院領民が、ヴァイテナウの教区外に住んでいるなら、ザンクト・ブラージエンの修道院は先に人身から徴税すべきであり、ヴァイテナウの修道院はその後で農地から徴税すべきである。ヴァイテナウの修道院領民はその娘に、納税義務を負った農地を、彼と彼女が納税を免れるような危険をおかすようなことをさせてはならない。
ヴァイテナウの修道院領の領民は転身して、聖職活動に移ることも聖職禄を得る地位に身分になることもできない。彼はヴァイテナウ修道院において身体と財産の提供を申し出ても、首席司祭が彼をうけいれようとしなければ、彼は他の修道院領に行くべきであり、その修道会が首席司祭の恩恵と意志により彼をうけいれるならば、彼は首席司祭の恩恵を得て、首席司祭は彼を動産とともに移転させ、彼が死亡したら、協議によってその不動産から、彼が納められる最良の家畜を死亡税として納めるべきである。
....... 修道院領民がヴァイテナウ修道院から新たに農地を得たら、農地すべては土地移転税によって彼に帰属する。修道院領民が10人の息子をもち、父が死亡したら、長男が父を継いで、..... 長男が順番に父の死後相続税を納める。しかし彼らが共同相続人となり、互いに別れて農地を分割したら、それぞれが納税を分担する。
 修道院領民が長患いして、良い遺産や家畜をもっているなら、彼は最悪の家畜に手をつけ、遺産を節約すべきである。修道院領民が自由民の妻と結婚すれば、こどもは父親の身分を受け継ぎ、妻の自由は失われる。自由民の夫が修道院領の妻をめとれば、彼は自由を失い、子どもは妻の身分に移る・・・・・・
彼らは全員修道院の日雇い労働をおこない、休閑期に彼らの牛で犂耕をおこなう。牛をもたない者は、つるはしや手斧をもって修道院を手伝うべきであり、四人衆にはチーズを支給すべきである。
第3の日雇い労働は、ヴァイテナウの領民全員がおこなうべきである。彼らは全員大鎌をもって修道院を手伝い、大鎌で刈り取りできない者は、彼らの手斧をもって手伝うことができる・・・・・。そして賦役にかんして、首席司祭は修道院領の四人衆または五人衆とともに領民の世帯を視察し、彼らに賦役を提案すべきである。彼らは2頭の最良の家畜を選び、そのうち1頭を最も無害な家畜として修道院に納めるべきである。彼らからそれを受け取ったら、野外または台所で彼らのためにそれを料理し、見張り番には赤ワインを与えるべきである。夕方にはいかなる者にも夕食のパンを与え、それを家に持ち帰り、翌朝彼らが集まったら、首席司祭がすすんでおこなわなくても、四人衆にはチーズまたは粥をふるまう。
 もし修道院領民の意見が分かれて、代官税を納めようとしない場合、代官ではなく首席司祭がそれを強制すべきである:・・・。代官は修道院領民の所へ馬で行く場合、馬のあぶみを使うかぎり、自費で行くべきである・・・。
 これはヴァイテナウ修道院の小十分の一税にかかわる法である・・・。
 これは菜園十分の一税である。貧しい者の菜園にぶどう、玉ねぎ、にんにく、キャベツ、けしの実、麻、麻の実があれば、十分の一税を納めるべきである。
 これは果実十分の一税にかんする法である。木の実を採集する者が果実をもっていれば、野生か栽培かを問わず、風が実を落としたか揺すって落としたかにかかわらず、十分の一税を納めるべきである。野生の果実の十分の一税を納めようとしない者は、野生の果樹を伐りはらうべきである。穀物、干草、その他のものが土地に成長すれば、その十分の一税が修道院のものとなることは、法にほかならない。果実を採集する者は、自分で木を揺さぶり、大声で3度十分の一税徴収者に呼びかけるべきであり、そうしない場合は、十分の一税は失われ、彼はそれを償わなければならない・・・。これは家畜十分の一税にかんする法である。め牛多数につき1ペニッヒ、子牛をもつめ牛1頭につき2ペニッヒ、子馬1頭につき4ペニッヒを納める。
これは結婚法である。修道院領民が最初の結婚の際に定住し、息子と娘をもてば、子どもたちは彼らの相続分に平等な権利をもつ。しかし父親と母親はその子どもたちに対して、1人の子が彼らに責任を負っていれば、この子には他のすべての子どもたちより多くの動産を与えるという権利をもつ。しかし父親または母親が死亡すれば、子どもたちには財産の半分が帰属し、生きている父親または母親にも、不動産であれ動産であれ、財産の半分が帰属する。父親が他の女性と結婚すれば、彼は彼のものとなった半分の財産以上を彼女に与えることはできない。子どもたちのためにもそうするのがよい。そして後妻が先妻の子どもの父親より長く生きたら、彼女は夫の相続分を完全に相続するが、後妻の肉親が異論を唱えたら、彼らは父親の相続分の半分を相続する。しかし、後妻が肉親相続人なしに死亡すれば、相続財産は再び先妻の子どもたちのものとなる。そして先妻の子どもたち全員が死ねば、相続財産は再び先妻のこどもたちの相続人のものとなる。また子どもたちの父親と後妻が相互に異論を唱えあえば、父親と母親が最初に相続して得られた財産は、子どもたちと後妻の間で平等に分割されるべきである。しかし、先妻の子どもたちの父親が第3の妻と結婚することは、子どもたちの同意なしにはできない。これは、妻の再婚または3度目の結婚をめぐる法である。不動産と動産をもつ妻と結婚した夫は、財産をもっていなくても、妻が死ねば、不動産と動産をすべて彼のものとして相続する。しかし彼が他の女性と結婚しようとしても、不動産を妻に持参しない場合は、再婚できないし、動産も相続できない。これは財産なしに結婚した妻にかかわる法である。修道院領民が肉親相続人、息子および娘をもっており、共同相続人がいなくなるか、不動産または動産をもっていれば、子どもは貪欲な兄弟姉妹の承諾を得なくても、彼の財産を他の子どもに与えるか、あるいは彼を農奴とする修道院に与える。息子が父親の承諾なく妻と結婚するなら、それによって彼の相続分を失うことはなくても、父親は彼が死ぬまでその相続分を息子に与えようとはしないだろう。これはある男が彼女の父親の許しを得て結婚する娘にかんする法である。貧しい者が多くの子どもをもち、貧乏になれば、その子は彼の所から他人の土地へ行き、別れるにせよ相談するにせよ、共同相続人にはならない。子どもが貧しい地域やその他の地域に大きな農地を得たら、他のこどもたちはその農地に良い権利をもち、分ちあわなければならない。しかし、共同相続人の子どもたちが、去っていったり、別れたり、協議して、農地を分ちあわないのであれば、彼はすすんでそうすればよい。彼らが、できるだけ農地の取得について話し合うという条件で、互いに別れて、ある者が「私は父の農地を相続できない」と言い、その子どもが大きな農地を得れば、他の子どもとそれを分かち合うことはない。夫婦が大きな農地を譲渡する場合、彼らはその肉親相続人の同意なしに売ることはできない。


 2-4 ガレンヴァイラー Gallenwiler (1417年)



(ガレンヴァイラーは今日の自治体ハイタースハイムに属する一地域である。)

 これはガレンヴァイラー荘園で1417年に作成された修道院の法である。
 これは、ザンクト・ブラージエン修道院がガレンヴァイラーの荘園とそれに属する領民と財産にかかわってもつ法であり、毎年同荘園でこの法を公示すべきである。
 最初に、修道院がブッギンゲンからフライブルク方面まで、ブリッツナからブライザッハ方面までの間に所有する農奴と農地は、すべてガレンヴァイラー荘園の裁判権に属する。
 修道院の役人は毎年同荘園で5月と秋2回の裁判集会をもち、その間に必要に応じて開催することができる。修道院の農奴および同荘園の裁判権に属する者は全員それに参加を命じられ、違反は3シリングの贖罪金を科される。
 小贖罪金が徴収されたら、修道院はその3分の2、代官は3分の1を取得し、大贖罪金の3分の2は代官が、3分の1は修道院の役人が取得する。
 修道院の役人が裁判集会または裁判所をもとうとする場合、代官は彼と同席し、彼に対して上位の権限を占める。
 代官のもとに定住する修道院領民は、毎年1ムートのエン麦と1羽の謝肉祭のにわとりを奉仕し、彼ら自身の領主以外のいかなる者に対する担保とはならないことを、手と口をもって約束する。修道院領民はいかなる代官にも追跡されることはない。彼らがいかなる領主のもとに住んでいようが、彼が移住しようとおもったら、代官に申し出て、8頭だての馬車に彼が望むものを積み、代官は彼自身の手で馬車の連結棒を握り、それを持ち上げることができれば、彼は留まるべきであり、持上げられなければ、彼を行かせるべきであり、その際彼を助けて、同伴を続けるべきである。
 修道院領民が非荘園民を妻としたら、修道院に償いをおこない、修道院の慈悲を得るべきである。
 もし修道院領民が死亡したら、修道院は死亡税として彼が残した最良の家畜を取得する。
 ガレンヴァイラ―の修道院のすべての地代は、修道院の荘園における中小農民経営とその他の農地が納め、荘官はそれを修道院のためにとっておき、役人にそれにかんする返答と計算書を渡すべきである。誰かが地代または他の負債のゆえに差し押さえをうけたら、荘官は差し押さえ物件を7夜の間損傷なく保管すべきである。差し押さえ物件が届けられても、7夜が過ぎるまで、売却されてはならず、それがザンクト・ブラージエン修道院の差し押さえ物件であるなら、荘官は、それをクロチンゲンの修道院役人に引渡し、その役人は差し押さえ物件と引き換えに地代または他の負債を得る。それが食べられるものであれば、荘官は、それが差し押さえられている間に生じた損害を清算すべきである。
 荘官は農民のためにに耕地監視人を得て、農民は耕地監視人に報酬を支払うべきである。
 荘官は、古くからの慣わしどおり、農民のために種牛とおす豚を得るべきである。


 2-5 ニーダーエッゲンハイム Niedereggenheim


(ニーダーエッゲンハイムは今日ライン河畔の自治体シュリーンゲンに属するNiedereggenenである)


  これはわれらがザンクト・ブラージエンの修道院が昔からもつ法と慣習であり、ニーデルンエッゲンハイムの裁判集会で示される。第一にザンクト・ブラージエンの修道院は3つの裁判集会をもち、その一は聖マルティノの日(11月11日)、第二は聖ヒラリウスの日(1月13日)、第三は夏至の聖ヨハネの日(6月24日)に開かれ、その間に修道院またはその領民が必要とすれば裁判集会が開かれる。強制と罰令、森林と耕地、牧草地と放牧地の3分の1はエッゲンハイムの低地の荘園、3分の2は高地の荘園に属し、高地の荘園の代官は低地の荘園を管理し、高地の荘園は14ユーハルトのぶどう園をもつが、禁制ワインをつくらない。低地の荘園は4ユーハルトのぶどう園をもつが、禁制ワインはつくらない。修道院は聖マルティノの日(11月11日)にワイン、穀物、森林と耕地の3分の1に対する監視人を任命し、そこから1フィアテルのワイン、3つのパン、1イミの木の実を領民に与えるべきである。修道院の領民は代官に1シェッフェルのエン麦と謝肉祭のにわとり1羽をささげ、代官およびいかなる者にも身体を拘束されることはないが、彼らの農奴領主に対しては口と手をもって誓うべきである。修道院領民が立ち去りたいとおもったら、それを代官に言うべきであり、家畜8頭立ての荷馬車に彼が望むものを積んだら、代官は自分の手で馬車の連結棒を握り、それを持ち上げられたら、彼はとどまるべきであり、持上げられなければ、彼がのぞむどおり立ち去らせべきであり、代官に追跡されることはない。
 修道院には荘園に属する8人の農民がおり、いかなる農民も夕陽のように赤いワイン、1マルターのライ麦、1シェッフェルのエン麦、30個の卵、1羽の成鶏または2羽の若鶏および1シリング貨幣を納める。これらの地代は修道院に損失を与えないように荘園に引渡し、にわとりは聖ヴェレーナの日(9月1日)に、ワインと穀物は聖マルティノの日(11月11日)に、貨幣は聖ヒラリウスの日(1月13日)に渡し、ゲンギバッハの農民は1マルターのエン麦を納め、これは1シェッフェル多いが、貨幣は納めなくてもよい。これらの地代を期日どおり荘園に納めない者は、期日後、償いとともに納めるべきである。農民は全員相続税をを課税される。しかし農民が大小にかかわりなく一片の土地を買い、首席司祭またはその役人、修道院から受け取ったら、彼は相続税を納めるべきであり、彼は多くの農地を受け取れば、それだけ多くを納税することになる。エツレンフルトの水辺とジルニッツの水辺との間に居住し、ザンクト・ブラージエンの修道院の領民であるか、またはビュルクロンに属する者は、ザンクト・ヨハンの農地に住む者を除いて、ニーデルンエッゲンハイムの荘園に納税義務を負う。納税義務を負う者が死んだら、彼の最良家畜を納めるべきであり、それをもっていなければ、彼の最良の衣服を納めるべきであり、さらに納税義務ある最良の財産を納めるべきである。さらに納税すべき財産をもつ者は、男であれ女であれ、彼が受け取った財産から納税すべきである。相続税が公正であれば、相続人は財産を受け取り、土地保有交替税を納めなくてもよい。修道院領民が荘園民でない女性と結婚すれば、修道院の慈悲により修道院に身体と財産の償いをおこなう。
 修道院のぶどうを正しく栽培しなかった者が、聖ヨハネの日(6月24日)にぶどうの検査をうけ、正しく栽培してなかったら、彼は修道院に償いをおこない、損害を証明すべきである。
 慣習にしたがえば、修道院は初日に低地のぶどう園でぶどうを摘み取り、あるいは農民が摘み取るべきだと助言したら、そこでぶどうを栽培している領民が摘み取る。荘園は相続地であり、修道院に3ムットのライ麦を納めており、製粉屋と車大工および修道院の使者が来るたびに、知らせに応じて、荘園とそれに属する耕地および草地から干草を提供すべきである。また荘官が死亡するか、いなくなったら、荘園はそこにいる最良の家畜を納めるべきであり、家畜がいなければ、最良の衣服を納めるべきである。荘官の法によれば、慶賀の使者の来訪が知らされたら、荘官は最初の夜使者を歓待し、使者はそこにいる間、荘官とその妻に好意を示すべきである。農民たちが相談して森林を禁制林としたら、木を伐採するときは、上級荘官が自分で4分の1を伐り、次に下級荘官が自分で1日だけ木を伐り、その後農民たちが伐採すべきである。
 荘園内でおこなわれる小さな賠償は3シリングであり、そのうち2シリングは首席司祭に、1シリングは代官に支払われる。荘園内の不法行為には9シリングの賠償がなされ、首席司祭は3シリング、代官は6シリングを受け取るが、荘園内でもっと多くの不法行為がなされたら、首席司祭は3分の1を、代官は3分の2を受け取る。代官は修道院を保護し、修道院が必要とする地代と賠償を保証する。しかしそれが首席司祭に合わず、領民が異なった考えをもてば、代官は聖俗いずれかの裁判をおこなうことができる。
 修道院は荘園で所有、相続財産、土地授与および地代、さらに荘園に属するものについて裁判をおこなう。そして首席司祭が裁くときは、彼は手に杖をもつべきであり、代官は杖をもたずに彼のそばに座り、彼に対して優先的権力をもつ。
 修道院領民であれそれ以外の者であれ、荘園に逃げ込んだ者は、いかなることをしようとも、6週と3日の間平和を得て、首席司祭は荘園から1マイル半の範囲内で彼に付き添うべきである。再犯者は身体と財産の3分の2を代官に、3分の1を首席司祭にさしだし、そのかわり代官は彼を荘園内で保護し付き添うべきである。


 2-6 ファルナウ Farnau



(ファルナウはツェルとショッフハイムの間に位置する集落)

 
 これらは毎年ファルナウの荘園で示すべき法と古き慣習である。ファルナウの裁判集会ではザンクト・ブラージエンの修道院は年3回の裁判集会をもつ。第1回は聖ヒラリウスの日(1月13日)の後の月曜日、第2回は復活祭が終る週の月曜日、第3回は聖ヨハネの日(6月24日)におこなわれ、いかなる修道院領民または修道院から土地を授けられた者も、裁判集会に出席するように指示されたら、召喚されなくても出席すべきであり、命令をうけて親切に呼びかけてくれる者がいなくても、出席すべきである。裁判集会で他人を訴え、告訴をおこなおうとする者は、それが実際に起きたことなのかそれとも裁判集会で審理が始められたのかにかかわりなく、彼らが何者で彼らの領主が誰であるかにかかわりなく、彼らが外来者かそれとも在住者なのかにかかわわりなく、農村民かそれとも都市民なのかにかかわりなく、彼らは裁判集会では他人の法にしたがう。裁判集会であれ1年の他の裁判であれ、いかなる者も修道院の領民または土地を授かっている者に対して恩恵をほどこしてはならず、所有についても授与地についても、相続税、地代あるいは相続地についても、修道院の法についても、恩恵を与えてはならない。多少にかかわらず修道院の農地をもつ者は、修道院から農地を受け取ったら、修道院領民が自由民か農奴かにかかわりなく、相続税を納めるべきであり、従順でない者がいれば、修道院は農地を没収すべきである。誰かが最良の家畜を相続税のために束縛すれば、彼が家の内外どこにいても、修道院は彼を見つければ、より良い相続税を取得することができ、修道院は最初の相続税から9番目の相続税まで、荘園内で領民に分配し、相続人は村民に知らされる。地代は聖マルティノの日(11月11日)に修道院に納めるべきであり、聖ヒラリウスの日(1月13日)になっても納めていない者は、役人に3シリングの償いをすべきである。修道院領民は彼の修道院以外に身柄を押さえられることはなく、ザンクト・ブラージエンの彼の領主以外、いかなる代官にも追跡されることはない。いかなる者も、修道院とその法にとって無害であれば、領邦において彼が望む所へ移住することができる。いかなる修道院領民の男女も、ザンクト。ブラージエンの領主の許可と慈悲を得なければ、聖職者にも市民にもなってはならない。非荘園民を妻とする者は生存中に修道院と調整がつかなければ、修道院は相続税をあらかじめ徴収し、動産の3分の2を取得する。修道院領民が捕らえられたら、ザンクト・ブラージエンの領主は一昼夜自費で馬に乗って救出に努め、代官は彼の足元のあぶみが裂けるまで費用を自分で負担すべきである。そのかわり、いかなる修道院領民も代官に1シェッフェルのエン麦と4ペニッヒの謝肉祭のにわとりを納めるべきであり、法によりそれ以上は納めなくてもよい。役人に支払われる罰金のうち、3分の1は代官が取得し、修道院の役人がその罰金を断念する場合は、代官も3分の1を断念すべきである。役人は代官にかわって修道院のために地代と権利を差押えるべきである。修道院はファルナウで強制と罰令、保護と利益、大きな不法行為にかかわるすべての法を有する。修道院はファルノーに2つの製粉所をもち、それらは修道院に地代を納め、修道院から保有権を授かっている。土地保有民がその権利を売ろうとする場合、修道院に申し出て、最初に買い取に供すべきである。誰か別の者が買うなら、修道院は法によってそれを取り消すことができる。ファルナウの飲食店は修道院によって保有権を授けられ、ファルナウの修道院に納税する。しかし村民が酒の販売を望むなら、ファルナウの村民は酒を販売すべきであり、リンフェルト枡を用意し、それに首席司祭の印を付けるべきである。そして毎年、あるいは必要があるたびに、首席司祭の前で村民の協議によりそれらを律するべきである。修道院は森林をもち、それは罰令林と称し、修道院の農奴には保有が認められず、それに属する村民は修道院にachillenと伐採林の2種類の藪地を差し出し、いかなる者もそれ以外の権利をもたない


 2-7 フィッシンゲン Fischingen (1352, 1415年)


(フィッシンゲンはレラッハ市の西側に位置する)

  神の名においてアーメン。この公文書によって、・・・・1352年・・・・フィッシンゲン村にある教会または礼拝堂で皇帝権力のわが公的書記のもとに・・・・・コンラート・シュテッレ、ゴットフリート・レーヴェ、ディートリッヒの息子。コンラート・ホルツハイム、ヨーハンス・クーニヒ、ゴットフリート・スリーンガー、コンラート・ジギス・フォン・フィッシンゲン、ヨハネス・フークス、ヨハネス・ケトフリート・フォン・シャールバッハ、ハインリッヒ・ヘルプリング、ヨーハンス・ハウスマン・フォン・ヴィトリッケン、コンラート・ゾンナー、ヴェルンヘア・ロイプリ、ヴァルパッハの荒蕪地のヨハネス兄弟、ヨハネス・カウフマンとヨハネス・リンダ―・フォン・エクリンゲン、その他フィッシュリンゲンの荘園の人々が出席し、それぞれが当荘園の法について問われ、荘園に宣誓をおこなったうえで異口同音に、当荘園とそのフーフェ保有農民は同じ法をもつと告げた。
 そのときどきのザンクト・ガレンの首席司祭は、毎年五月初めフィッシンゲン村に、11頭の馬、1頭のラバと多数の下僕、2頭の犬と1羽のオオタカを連れてやって来て、彼が望むなら、夜まで荘園の財産について裁判をすることができる。すなわち、彼が望むなら、わら束に火をつけ、遅くまで裁判をすることができ、荘園から持ち去られ盗まれた財産は再び荘園に戻されて支払われる。彼とその下僕と馬の夕食をとる際、これに奉仕するのは、バーゼルのドイツ騎士団の管区長と修道士たちである。もし首席司祭が五月初めに来ない場合、彼が望めば、その同じ月に来ることができるが、彼のフィッシンゲン村への到着を当裁判所の裁判官に十分な時間的余裕をもって知らせるべきである。そして、上述の月を過ぎても、当村に首席司祭が来ない場合は、上述のドイツ騎士団の管区長と修道士はその年の夕食の奉仕を完全に免除される。
 これとのかかわりで、同村のフーフェ保有農民たちはザンクト・ガレン修道院の上述の首席司祭に対して、次のような法を認める。すなわち、彼は毎年ザンクト・ガレンの祭日にフィッシンゲン村に来てその地代を集め、荘園の前述のフーフェ保有農民たちは彼のために地代とともに夕食費も支払う義務を負う。そしてこれを怠り、その地代を払わない者は、義務を負う地代を十分に支払うまで、首席司祭の飲食費を支払うべきである。
 上述の村落のフーフェ保有農民によって彼の必要をみたせるかどうかは、当荘園の授封地の管理しだいである。
 さらに上記のフーフェ保有農民たちは、宣誓して次のように告げた。すなわち、強制と罰令はバーゼルのドイツ騎士団の管区長と修道士たちのものであり、有益な支配にしたがって彼らに所属し、彼らは当村落における裁判官を任命する権限をもち、前述の荘園のすべての裁判は前述の領主権に属する。ただし窃盗と流血の傷害はそこから除かれ、これらついては、レッテルンとザウゼンベルクの辺境伯が裁くべきである。
 これらのフーフェ保有農民たちは、宣誓して次のように述べた。すなわち、上述のドイツ騎士団の管区長と修道士たちは、前述のフィッシンゲン村の計量器、容量および重量をラインフェルト市の形式にしたがって設定すべきである。計量器、容量および重量を不誠実にまたは誤って使用する者がいれば、上述の管区長はこれについて裁かなければならず、彼とその裁判官がその点をおろそかにすれば、被告は辺境伯に提訴し、辺境伯はこれについて裁かなければならない。
 さらに彼らは宣誓して次のように告げる。すなわち、上述のドイツ騎士団の地代農民は8月と秋のわが聖母の二つのミサの間に穀物地代、ザンクト・ガレンの日(10月16日)に貨幣地代を納め、地代農民がそのときから毎週月曜日に滞納していることが裁判官によって証明されるたびに、地代を払うまで3シリングを罰金として科される。罰金のかわりにドイツ騎士団は地代を納める彼らの農地を没収することができる。
 彼らは宣誓して次のように述べた。すなわち、ドイツ騎士団のいかなる領民も租税として1ゼスターのエン麦と4ペニッヒのバーゼル鋳貨を納めるべきである。フィッシンゲン村に家をもつ者は。上述のドイツ騎士団管区長と上述の騎士団に謝肉祭のにわとりを納めるべきであり、フィッシンゲン村に来て1年以上異議を申し立てられることなく、領主に追跡されることもなくとどまっている者は、荘園にとどまるかぎり、ドイツ騎士団の管区長と上述の騎士団に、荘園に属する他の領民と同じ法と奉仕の責務を負う。
 さらに彼らは問いに対して、宣誓して次のように告げた。すなわち、上述のドイツ騎士団の管区長と修道士は前述の村と罰令区において、橋、道、罰令区とそれを監督する監視人を管理し、大きな罰金のうち3分の1を取得し、村民は3分の2を取得する。彼らは、村民が刈り取りまたは採集する1日前に、先駆けて採集または先刈りをすることができる。
 さらに彼らは次のように告げる。すなわち、フィッシンゲン村ではドイツ騎士団以外いかなる者も飲食店をもってはならず、あるいは騎士団からそれを受け取った者以外、飲食店をもってはならない。
荘園のフーフェ保有農民以外、いかなる者も法を告げてはならない。ドイツ騎士団は、上述のザンクト・ガレンの首席司祭と同様に、盗まれ持ち去られた荘園の財産をあらゆる方法で取り戻すことができる。
フーフェ保有農民は、村民がドイツ騎士団に次のような権利をもつと告げる。すなわち、騎士団は自分の費用で、それぞれ3頭または4頭からなる種牛と種豚を村民のためにもつべきである。それらがいかなる耕地に来ても、追い出してはならず、黒い帽子をかぶり杖をついて付き添い、その耕地からどこにも出してはならない。種牛または種豚がフィッシンゲンの家に入って来たら、それが領主の下僕に再度引き渡されるまで、留めおくべきである。
 彼らは次のように告げる。すなわち、フィッシンゲン村のいかなる住民も、フィッシンゲンの罰令区で育てる彼のワインをドイツ騎士団の承諾なしに売ることができる。しかし上述のドイツ騎士団、荘園の村民と上述のフーフェ保有農民は、彼らの法をフィッシンゲンの荘園からエプリンゲンへ、そこからマートバッハへ、そこからエプリンゲンへ、そこからキルヒツァールトへ移管することができる。そして荘園に属する農地を子どもたちに譲ることができるが、長男が荘園の農地を担い手となり、その農地から地代を納め、農地を正しく耕すべきである。また村民はドイツ騎士団から得るいかなる穀物農圃についても土地保有交替税として5バーゼル・シリングを納め、持ち手が交替したら、土地保有交替税と同じ地代を納めれば、古い農地の権利が更新される。
 だが、彼らは次のように告げる。すなわち、管区長とドイツ騎士団は、彼らから得た村落の農地を奪ったり、地代を重くしたりすることはできない。
 さらに彼らは次のように告げる。すなわち、上述のフィッシンゲンの荘園では年3回裁判集会を開き、第1回は聖ヒラリウスの日(1月13日)に、すなわちクリスマスの20日後に、次に五月初め、さらにザンクト・ガレンの日(10月16日)の頃に開かれる。
 さらに、彼らは次のように言う。すなわち、フィッシンゲン村のいかなる家もドイツ騎士団の館に3日の賦役をおこない、干草づくりの月に1日、収穫に1日、秋に1日の賦役をおこなう。そして領主は賦役民に対して赤ワイン、牛肉およびパンをふるまうべきである。


 2-8 クラインケムス Kleinkembs (1350年)



 (クラインケムスはライン右岸の村)

  これはケムスの荘園で毎年告示されるべき法と古き慣習であり、とくに1350年に村民の判断と宣誓によって告示された。第一に、クラインケムスのザンクト・ブラージエン荘園は正規の賦役荘園および裁判集会が開かれる荘園であり、ザンクト・ブラージエンの修道院長またはその役人が望むなら、毎年3回、聖ヒラリウスの日(1月13日)、復活祭の終わりの週、聖ヨハネの日(6月24日)に荘園で裁判集会が開かれる。さらに同荘園における荘官はザンクト・ブラージエンの修道院の農奴または土地を授かっている領民に裁判集会を命じるべきであり、同領民はそこで所有、相続財産、授封地、地代および農地にかかわる法を告げ、修道院または領民相互がもつその他の障害にかんする法を告げるべきである。ザンクト・ブラージエンの修道院の役人は毎年規定の3回の裁判集会を、荘園に属する領民に命じ、必要があれば、ザンクト・ブラージエンの修道院の修道院またはその領民に対して、所有、相続財産、地代、非荘園民の貢租、恩恵、修道院がもつ他の障害にかんする裁判を、彼の望みに応じておこなうべきである。そして裁判集会が開かれるか、ザンクト・ブラージエンの役人が規定の問題にかんする裁判をおこなおうとするなら、同荘園の荘官は代官か彼の下僕に知らせるべきであり、代官はザンクト・ブラージエンの役人とともに出席して、裁判を保護すべきである。そして支払らわれた罰金の3分の2はザンクト・ブラージエン修道院の役人が取得し、代官が3分の1を取得する。もしザンクト・ブラージエンの役人が裁判所を去る前に、罰金の3分の2を残したら、代官も彼の3分の1を残すべきである。命令されたのに規定の裁判集会に来ない者は、荘官の命令が宣誓にもとづいてなされたものであるなら、償いの罰金として3シリングを支払うべきである。ザンクト・ブラージエンの荘園において荘官と村民の意見が一致して、秋に適切にぶどうを摘み取ることになったら、同荘園に属する24ユックの面積のぶどう園で、荘官が望むなら、彼は他の多くの荘園民より2日早く摘み取るべきである。あるいは、誰か他の者が摘み取る前に、彼は収穫することができ、いかなる者もその点で荘官を軽んじてはならない。同荘官はザンクト・ブラージエンの修道院のワイン搾り所に損害を与えないようにそのワインの3分の1を引き渡すべきである。


 2-9 ティーンゲン Thiengen (1301年)


(ティーンゲンは今日のヴァルツフート-ティーンゲン市の一部)

  ティーンゲンの法と首席司祭の裁判権

 これらはブライスガウのティーンゲンの荘園に古くからそのときどきに属している法である。
 1.第一に教会の保護、罰令および規約は荘園に属する。
 2.バーゼルの首席司祭が法にしたがって選ばれ、いかなる異論も唱えられなければ、彼は荘園に属する荘官、耕地監視人、その他の役人を、彼の考えどおりに任命する権限をもつ。だが彼は、次のことに注意すべきである。すなわち首席司祭に属する領民のうち、職務に適するとみなされる領民がいれば、彼らに職務を授け、さもなければ、彼は荘園に役立つ他の領民を選ぶべきである。
 3.首席司祭が望むなら、彼は年2回の裁判集会を、五月に1回、秋に1回もつことができる。裁判集会はすべての荘園民と荘園から土地を授けられているすべての者に、14夜前に予告されるべきである。出席しようとしない者は、いずれも首席司祭にのみ3フントと1ヘルプリンクの贖罪金を納めるべきである。しかし出席できないことを申し出た者は、贖罪金を免除される。この裁判集会は荘園内でおこなわれるべきであり、首席司祭が裁判に出席する場合は、代官が彼のそばに座るか、首席司祭が認めれば、代官の代理が座るべきである。
 4.裁判集会でおこなわれる贖罪の金額は9シリングであり、その3分の2は首席司祭のものとなり、3分の1は代官のものとなる。代官が望むなら、この3分の1の金額を食費にあてられるが、領民には何も与えられない。そのかわり、領民には1マルターの差し押さえ物件を与え、1年をとおしてその3分の2は荘園のものとなり、3分の1は代官のものとなる。窃盗と不法行為はすべて代官の権限に属する。代官が出席すべきでない場合は、首席司祭が彼を招く。
 5.こうした裁判集会が開かれたら、首席司祭は12頭半の馬とともに来るべきであり、荘官はその夜食事の用意をして、フーフェ保有農民たちは飼料と干草を用意すべきである。首席司祭が来る前日には、荘官とフーフェ保有農民たちは他のフーフェ保有農民や土地保有者たちに彼らの気にいるまで準備させておくべきである。首席司祭が裁判集会以外に荘園に来たら、領民は出席すべきであり、出席を怠った場合は、9シリングの罰金を納めるべきである。しかし首席司祭が荘園以外の場所で裁判をおこなう場合、これに従わないな者は新たに3シリングを罰金として納めるべきであり、不従順な者が納める罰金はすべて首席司祭のみのものとなる。首席司祭が荘園に来れば、フーフェ保有農民たちは寝床と麦わらを準備すべきである。首席司祭から保有地とフーフェを受け取った者は、火の番と首席司祭の身体と財産および彼に同伴している者の警護をすべきである。そうした警護者は、必要であれば、武装すべきである。
 6.土地保有者が保有地のすべて、半分または一部を売ったり、移転したり、譲渡したら、彼はその保有地を失い、身体と財産は首席司祭の権力に掌握される。保有地が空地となり耕作されなければ、首席司祭は彼の領民のうち誰かに、法にしたがってその土地を受け取り、耕すように強制することができる。保有地をひきうける者は、常に完全な耕作をおこなえるように、そこに住むべきである。
 7.土地保有者が亡くなったら、その相続人は土地保有交替税を納めるべきであるが、修道院領民が亡くなったら、彼は自分の身体から死亡税を納めるべきである。首席司祭はフーフェから貢租と地代を徴収する。土地保有者が地代を正しい時期に納めなければ、彼は罰金として3シリングを納めるべきであり、それは首席司祭のみのものとなる。荘官は首席司祭の地代を土地保有者の家の内外で差し押さえる権限をもち、7昼夜の間その差し押さえ物件を留め置いた後、売ることができる。恐れ多くも土地保有者が荘官またはその使者に対して担保の価値をそこなう者は、3シリングと1ヘルプリンクを罰金として納めるべきである。
 8.農地を耕作したい住民のいかなるフーフェにも、荘園に属する森林から1フーダーの木材が与えられるべきである。そのかわりいかなるフーフェ保有農民も年2回、復活祭の直前の日曜日の後に1回、聖ガルスの日( 10月16日)の後に1回、犂で耕すべきである。賦役に行かない者は、荘官に3シリングを罰金として納め、荘官が要求しても賦役をしなければ、そのたびに罰金を納めるべきである。荘官の許可なく森林で伐採する者を森林で捕らえれば、荘官は9シリング分の担保を差し押さえ、森林の外で捕らえれば、3シリング分の担保を差し押さえるべきである。彼が荘官またはその使者に対して担保の価値をそこなえば、彼は3フントと1ヘルプリンクを罰金として納めるべきである。
 9.首席司祭と代官が裁判に出席し、流血事件の裁判になったら、首席司祭は立ち上がって退出すべきであり、代官に彼が裁くように告げるべきである。
 10.代官殿、われわれバーゼルの首席司祭と修道士会は、古くより書かれているこの文書によって首席司祭の法を貴殿に知らせ、貴殿または貴殿の使者がバーゼルに来る際に、この文書を見せたら、それがわれわれから来たものではないかのように扱われる恐れがあるので、われわれは貴殿が首席司祭の文書の正しさを認め、つくり直したり、領民が法について不満をもつことがないようにしてもらいたい。


 2-10 シュタイネン Steinen (1413年)



(シュタイネンはヴィーゼ川沿いの集落)



  これらはシュタイネンの裁判集会におけるザンクト・ブラージエン修道院の法と古い慣である。
 1.第一にザンクト・ブラージエン修道院は当村落で毎年3回の裁判集会を開き、第1回
は聖ヒラリウスの日(1月13日)に、第2回は復活祭の終りの週の後、第3回は洗礼者ヨハネ(バプテスマのヨハネ)の日(6月24日)の後に開かれる。2. 裁判集会には修道院のバーゼルの役人またはその代理人が出席し、それと並んで辺境伯の代官が同席し、彼に裁判権がある。そして3シリングの罰金が払われたら、その3分の2は役人のものとなり、3分の1は代官のものとなる。しかし役人が彼の取り分を放棄したら、代官も彼の取り分を放棄すべきである。3. これら3つの裁判集会では、役人は修道院領民と修道院から土地を授かった者、また荘園に属し、その集会に来た者全員に告知をおこなうべきである。しかし修道院に従順の意を表さなかった者には、役人は彼が修道院領の者であれば、彼が従順の意を表すよう指示すべきである。しかしこの指示に従おうとしない者について、役人が領主に申し出れば、領主は彼が役人に従うように指示すべきである。しかし領主と代官がそれを怠るなら、修道院とその役人は不従順な者を、彼が従順になるときまで、聖俗の裁判所あるいは彼らが頼りとするものによって咎めることができる。 4. 裁判が開かれ、領民が集まり、裁判の時刻となると、村落から来たか村落に属する荘園民に、役人は、次のことについて、ともに熟慮し調べるように命じるべきである。すなわち、出席すべき者全員が出席しているか。また彼らは、修道院の意に従い、地代を納め、死亡税を納めるべき者は誰か、荘園民の女性と結婚したのは誰かについて、また修道院にかかかわるすべての不足について、荘園民は知っているか。そして彼らはこれを熟慮したうえで進み出て、修道院に宣誓をおこない、彼らが知っていることおよび熟慮したことをきちんと明らかにして申し出るべきである。 5. 3回の裁判集会に一度も来ない者は、贖罪金として3シリングを納めることを命じられ、そうすれば彼は許される。 6. いかなる者も、14歳になったら、修道院に従順の意を表すべきである。 7.規定の3回の裁判集会のほか、修道院のためにさらに裁判の必要がある場合には、それぞれ2回の補充裁判をおこなう。8. 裁判が開かれたら、修道院は裁判に必要なことを手配しなければならず、万人の前で裁きがおこなわれるべきである。どのような修道院領民であれ、修道院に従順な態度をとってきた者以外は、何者も判決にくわわってはならない。 9. 修道院の問題を裁く場合、役人が移動を必要とすると考える場合、彼は修道院の問題すべてにかんして移動することができる。その場合、彼はファルナウの修道院荘園へ行き、そこからシェーナウの修道院荘園に行き、さらにザンクト・ブラージエンの修道院長の庁舎におもむく。そこ承認されたことは、証明書とともに再びシュタイネンの荘園の裁判所へもち帰られるべきである。その後、裁判がなされ、問題の決着がはかられるべきである。。10, 最初に修道院の問題について審理した後、寡婦、孤児および法を要求するいかなる者についても裁判をおこない、遅い時刻になったため麦わらを燃やして裁判をしなければならない場合でも、いかなる者も法なしに済ませてはならない。 11.他人を裁判集会で捕らえる者は、それがどのように起き、彼らがいかなる者であろうとも、彼に対する裁判に従うべきである。これにさからおうおとする者がいれば、法が執行されるように役人が求めていることを、代官は彼に指示すべきである。12.不法行為がなされたという訴えがあったら、役人は裁判の杖を、彼のそばに座っている代官に手渡し、代官は不法行為を裁くべきである。不法行為が裁かれたら、代官は役人に杖を返し、彼に以前と同様に裁判をおこなわせるべきである。13. いかなる修道院領民も、死亡したら、修道院に死亡税を欠損なく納めるべきであり、彼が家畜をもっているなら、最良の家畜を納め、家畜をもっていないなら、彼の身に着けている最良の衣服を納めるべきである。しかし修道院の領民ではなくとも、修道院の農地をもつなら、いかなる者も死亡税を納めるべきである。修道院領民または修道院の土地を保有する者は、最良の家畜を家の中や野外にひそかに隠している場合、修道院またはその役人は9頭目まで家畜を押さえることができ、最良の家畜が得られるまで、家畜は順番に失わていく。 14. 土地を保有する者が他の領主の領民である場合、身体の領主は修道院に対して優先権をもつ。しかし彼が帰属する領主の農奴でない場合は、修道院が優先権をもつ。 15. 修道院領民が彼と生計をともにする息子たちをもっている場合、彼は荘園に行き相続税を納めるべきであり、彼が死亡すれば、その跡を継ぐのは長男である。しかし父が修道院領民ではなく、修道院の土地も保有していないが、息子たちをもっており、彼の息子が修道院の領民で父と生計をともにしている場合、長男は父の死後、あるいは父の存命にも、荘園に行って相続税を納める。 16. 修道院の農奴ではないが、修道院の土地を保有している者が、修道院の農奴である息子たちと生計をともにしており、息子たちが修道院に従順の意を表していたなら、父は土地保有のゆえに荘園に行き、その死後相続税を納めるべきである。しかし息子たちの一人が父より早く死んだら、父はなお生存して息子たちと生計をともにしている限り、相続税を納めてはならない。 17. 相続税が単一の保有によるものでなければ、役人に対してあらかじめ分割しておくべきであり、相続人はそれを財産の共同保有者に前もって知らせておくべきである。さらに、財産の共同保有者または相続人が相続税を分けることを怠ったら、役人または彼が推薦する者は、4日後に共同保有者の費用負担により相続税をザンクト・ブラージエンの修道院またはバーゼルあるいは彼が望む場所へ運ぶことができる。
18. 修道院領民が自由身分の妻と結婚し、彼女のベッドに行き、服を脱いだら、彼女はその自由を失い、彼らから生まれる子どもは修道院の農奴である。19. 修道院の地代はすべて聖マルティノの日(11月11日)を期限として納められ、その後役人は地代を収納し、地代の担保を差し押さえることができる。しかし動産の担保を渡そうとしない者がいれば、役人は代官を呼び、代官がそれを怠れば、役人は不従順な者を聖俗裁判で咎めることができる。 20. 3回の裁判集会で地代その他の負債のゆえに差し押さえられた者がいれば、これに続く2回の補充裁判集会で担保を処分すべきである。バーゼルの修道院の役人は地代その他の負債にかんして担保を差し押さえ、彼が望み必要とするなら、その年度に裁判をおこなうことができる。21. ある者の農地から納めるべき地代が少し足りず、地代が十分ではないため、修道院に地代の不足が生じ、しかもそれが農地の分割その他のために起きた場合は、修道院とその役人は、修道院にその地代を納めるべき者が誰なのかか、合意がなされるまで、裁判によって農地を自分の手に移すことができる。22.しかしそれを再び妨げようとする者がいれば、修道院の役人は代官を呼び、彼に助けてもらうべきであり、代官がそれを怠るなら、修道院の役人は、農地を共有し修道院にその地代全額を納めようとはしない者たちを、彼らが従順になるまで、聖俗裁判によって咎めることができる。23. 修道院の農地をもち、修道院に地代を納めない者がいれば、それは修道院から盗まれた農地であり、修道院は裁判によってその手に農地を取り戻し、公正を実現するようつとめることができる。24.修道院の農奴が非荘園民の女性と結婚したら、非荘園民の妻にかんして修道院と協議すべきである。だが彼がそれを怠ったら、役人は、それが十分におこなわれるように協力することを、代官に求めるべきである。しかし代官がそれを怠り、彼に協力しないまま、農奴が非荘園民の妻のもとで死亡したら、彼のすべての動産の3分の2と死亡税は優先的に修道院のものとなる。25. 修道院の農地をもち、それを他人の手に移そうとする者は、修道院の役人の前でそれをおこなうべきであり、そうすれば彼は地代やその他の修道院の権利をどうすべきか知ることになろう。26. 修道院領民が捕らえられたら、ザンクト・ブラージエンの領主は一昼夜自費で馬で駆けつけ彼を取り戻すべきであり、代官も足元の馬のあぶみがこわれるまで費用を自分で負担すべきである。27. 修道院の領民は男女とも聖職者にも市民にもなってはならない。彼らの子もザンクト・ブラージエンの領主とその役人の許可と約束がなければ、修道院でも都市ても何かをなしてはならない。
28. 法と古くからの慣習にしたがえば、他人を荘園内の不動産にかんして訴える者には、慣わしによる法を告げるべきである。裁判官またはその使者は、法を告げようとする者とともに草地へ行き、彼に法によらざる道を与えるべきである。裁判官がそうしたことを主張したくないのであれば、代官が彼に助言すべきである。彼らが草地で争うときは、裁判官またはその使者が争いを裁判所に提起すべきである。29. 所有地であれ相続地であれ、不動産をめぐって、他人を裁判集会で訴え、その一部を取り戻したいとおもう者は、修道院によって規定されたとおりに、彼の権利を受け取るべきであり、受け取ることができる。30. 修道院領民でもなく、修道院から土地を授かってもない者が、息子たちをもち、息子たちが修道院領民である場合、彼ら全員が生計をともにしたいと望むなら、その長男が荘園に行き、彼の死後修道院に死亡税を納めるべきである。31. シュタイネン、ヘクニベルク、フジコン、ラッパースヴィラー、ヴィトナウ、ホーヴィンゲン、ブラムバッハの村々の強制・罰令区内にある修道院の所有財産は、不動産であれ動産であれ流動資産であれ、あるいはどのように呼ばれていようとも、すべてシュタイネンの荘園に属する財産であり、荘園内にとどめるべきであり、その外へ移転して法的に処分してはならない。しかし財産が属する荘園以外の場所で財産の法的処分がなされるようなことがあれば、それは無効であり、いかなる者にも損害をもたらしてはならず、財産が属する荘園の裁判所に戻されるべきである。
 32. 修道院はシュタイネンの村に強制製粉所をもつ。その製粉所では修道院のすべての土地保有民が製粉すべきである。修道院の農地の領民にとって製粉料がいくらになるか、法による定めはないが、製粉屋が誰かに不正をはたらいたことが発覚したら、彼は自分が望む所で製粉することができる。33. 古くからの慣わしによれば、製粉屋はザンクト・ブラージエンの修道院の印の付いたリントフェルト枡と秤をもち、修道院の役人はシュタイネン、ヘクニベルク、フジコンの強制・罰令区においてすべての秤を検査し、ザンクト・ブラージエンの領主の印をそれらに打ち付ける権限をもつ。34. 製粉屋は罰令林とザンクト・ペーター森林で木を伐るべきだが、役人の許可なしに伐ってはならない。また森林の見張りをする番人には、そこから彼の権利を与えるべきである。35. シュタイネン、ヘクニベルクおよびフジコンの農民に対して、彼らの家畜の繁殖用の雄牛と雄豚をシュタイネン村で飼うべきである。36. 修道院の農地をもつ者は、それが修道院の所有か否かにかかわりなく、修道院の農地を耕すか改良しようとする場合、修道院の森林に木がれば、彼に木が与えられるべきである。また修道院の森林の見張りをする番人には、1本の木について4ペニッヒを与えるべきであり、役人にそのことを要請すべきである。37. 古くからの慣わしとして、木の幹以外の枝葉はザンクト・ブラージエンの領主またはその許可を得た者が伐採権をもち、枝葉はあれこれの村民に与えられるべきである。38. 古くからの慣わしとして、シュタイネンの住民が耕地監視人をもとうとするなら、修道院の下吏に対して耕地監視人を見つけるように求めるべきである。そこで、彼は監視人を見つけるべきである。そこで彼は、住民たちが監視人を雇えることを、教会の前で彼らに告げるべきである。


 2-11 ザンクト・ブラージエン森林地区 St. Blasisches Waldamt
(1383年)


(ザンクト・ブラージエン森林地区はザンクト・ブラージエン修道院領の一地方行政区)


  キリスト生誕後1383年、修道院法が書かれた。
 1 すべての裁判は修道院の強制・罰令区内でおこなわれるが、窃盗と致命傷は除かれ、これらは代官が強制・罰令区外へ移し、管区内で裁判をおこなってはならない。同じく、殺人を裁くすべての裁判についても、司教と修道院長、聖職裁判所は権限をもたない。2.上述のように、代官に属する裁判権にかんして、そうした罪で捕らえた者を、修道院が裁判をおこなってはならない。同様に、捕えた者を修道院に連行してはならない。3. 修道院には多くの召使がおり、これらの俗人の召使のなかに罪をおかす者がいれば、代官がその裁判をおこなうべきである。代官は彼を捕らえることができるが、修道院長、修道士会や聖別された官庁の罰令が侵犯されてはならない。それに違反した場合は、修道院に不法行為をしたことになる。4. 修道院の召使が雇用契約を結んでいるか否かにかかわりなく、修道院長以外は、いかなる者も召使に命令してはならない。代官または森林地区領民が召使を必要とする場合は、修道院長に要請すべきである。5. 出納役、教会の厨房料理人、床屋、製粉親方および番人が、ホーヴェンシュタイン代官管区に家をもっているなら、彼らは税金と賦役を免除されて居住すべきである。6. ザンクト・ブラージエン修道院のレメンツヴィラー荘園裁判所は最高位の荘園裁判所であり、その荘園裁判所には修道院に属するすべての荘園と裁判所から控訴することができる。いかなる荘園裁判所で判決と控訴がおこなわれようとも、ある荘園裁判所から他の荘園裁判所へと、修道院に属する次の荘園裁判所へと、レメンツヴィラー荘園裁判所まで控訴すべきであり、そして修道院の本庁に訴え、修道院長がそれについて発言するまで、そこにとどまるべきである。いかなる控訴においても、控訴または保留のいずれの場合でも、人員は複数とすべきであり、いかなる荘園法でも、人員数は全体で3-5人より少なくてはならない。
 7.年2回の裁判集会がレメンツヴィラー荘園で五月と秋におこなわれ、修道院長は集会の日程が彼の気にいるか、知らせるように要求すべきである。そうすれば修道院にワインの運送賦役が知らされる。また裁判集会は開始の14日前に知らされるべきである。14日経ったら、代官はつぎのことを知らされる。すなわち、代官はみずから出席するか、あるいは彼の使者を送り、その場合彼は収入の3分の1を受け取ることがでる。なぜなら、収入の3分の2は修道院に、3分の1は代官に属するからである。同荘園裁判所では、修道院の農奴であり、修道院に従順の意を表し、修道院に居住する権利ををもち、ザンクト・ブラージエンの修道院長が許可する者以外、いかなる者も判決にくわわってはならない。火曜日に裁判集会を開くのが適切であれば、そうするのが慣わしである。レメンツヴィラーで裁判集会が開催される場合、森林管区首席司祭はいかなる日にアドリスベルクで裁判集会を開き、その後ヴォルパスティンゲンで開くつもりか、同時に知らせるべきである。8. 廷吏が裁判集会を知らせるとき、彼は家から家へと廻り、裁判集会に属するとみなされるいかなる者にも呼びかけ、裁判への出席を命じるべきである。不在のときは、家の前の石を裏返して、彼が来たことのしるしとするべきである。廷吏が巡回して、誰かの家に宿泊する場合、彼はその夜廷吏とその馬の食事を用意すべきだが、廷吏が食事をもっているなら、客人としてもてなしをうけてはならない。9. 1年のうち、レメンツヴィラーで裁判集会が開催されない時期に、修道院領民によって控訴がなされたら、修道院長は控訴を延期するか、彼の希望に応じた人数が荘園裁判所に来るように命じるべきである。そして彼らがそこに来ることを認めるべきである。常に来訪者よりも何よりもまず修道院の 問題を先に処理すべきである。10. レメンツヴィラーの荘園に属する荘園民の間で相互にかかわりあり、相互に処理をすべき問題について、荘園民以外いかなる者も、ザンクト・ブラージエンの修道院の裁判所で判決にくわわってはならない。 11.レメンツヴィラーに修道院領民の控訴がなされ、控訴する者が修道院の農奴で、修道院に従順の意を表し、法にしたがって修道院に定住しているなら、彼は同案件について判決にくわわることができる。 12. ザンクト・ブラージエン修道院に属するいずれかの荘園で、修道院の法にかんして紛争があれば、修道院長は他の荘園から彼が望むだけ多くの修道院領民をその荘園へ呼びよせ、修道院にその法を維持することができる。ただし、彼は外来者を見分けるべきである。13. 裁判集会を知らせる場合、首席司祭であれ廷吏であれ、最寄りの代官に知らせれば、そrで十分であり、代官はそこに出席するか、彼の代理を送ることができる。しかし彼も彼の代理も来ない場合は、裁判集会も裁判も彼のために変更するわけにはいかず、同日に裁判がおこなわれるべきである。14. 荘園民たちに裁判集会が命じられ、出席しない者は3シリングを罰金として支払い、その3分の2は首席司祭、3分の1は代官のものとなる。裁判集会に支払われる最初の3シリングは、修道院の廷吏のものとなる。15. 裁判集会が開かれ、代官が出席したら、彼は森林管区首席司祭のそばに座り、裁判を助け守るべきである。 16.レメンツヴィラーの裁判官は法廷を玄関広間に設け、裁判集会を開くとき、最初に法廷の中にさおを持ち込んで、裁判の場を確保すべくこのさおを置き、いかなる者も、命じられるか許されないかぎり、このさおをまたいで中に入ってはならない。これに違反したら、法廷の法の定めるとおりの罰金を納めるべきである。 17. 裁判集会がレメンツヴィラー、アドリスベルクおよびヴォルパディンゲンで開かれ、三つの裁判集会で裁判が終結しないときは、ヘッヒェンスヴァントまたはウアベルクの後続裁判所で裁判をおこなうべきである。18. 後続裁判がおこなわれる場合、ヘッヒェンスヴァントとウアベルクでは半ユーハルト以上の不動産について裁判をおこなってはならず、それを超える不動産については、再度荘園裁判所に戻るべきであり、当事者双方が望むなら、前述の村々で裁判をすることができる。19. 強制・罰令区で起きることは、前記のことがらを除いて、すべてヘッヒェンスヴァルトとウアベルクで裁判をおこなうべきである。20. これらの裁判所に不動産にかんする訴えがあり、その農地へおもむいて、農地を検分するべきだという判決が出され、それが必要であり、それに人々が納得するなら、首席司祭はその農地に腰を降ろし、裁判をおこない、そこで裁判をすることができ、そこで出される判は遵守され、効力をもつべきである。 21. 修道院の農奴は外部の裁判所とかかわりをもってはならず、修道院の裁判所で相互に法の適用をうけ、それ以外の所では法は適用されない。特別に宗教上の問題に属する事柄は、司教の管轄に属し、また大裁判所は代官の管轄に属する。同様に、修道院の農奴でない保護民も、修道院に従順の態度を示すべきである。そして彼らが死亡したら、法にしたがって死亡税を納めるべきである。
 22. 強制・罰令区外の二つの境界石の上と垣根の背後で不法行為が起きたら、罰金は9シリングであり、修道院の役人がこれについて裁く。しかし9シリングを超える場合は、代官が判決をおこない、ヘッヒェンシュヴァントとウアベルクの裁判所で判決が告げられるべきである。罰金が代官のものとなる場合、代官はブルンナーデルンまたはハッピンゲンでその裁判をおこなうべきである。なぜなら、これら両村落とニーダー・クトロウは修道院裁判所に属していないからである。代官は垣根の背後に住む者を、裁判で垣根の前へ移動させたり、いずれかの境界石から離させたりしてはならない。23. 修道院領民は、荘園裁判所であれ、その他の裁判所であれ、非荘園民について、修道院への従順について、逃亡について、相互に知らせあい、修道院の農地の相続税あるいは相続人について、損害が生じるかもしれないことを知らせるべく、修道院にひそかにあるいは公然と警告すべきである。 24. すべての修道院領民は、男であれ女であれ、いかなる年齢であれ、修道院に忠誠と真実を尽くすべきである。これに反する者がいれば、修道院はその役人によって身体または財産をとり押さえて罰するべきである。不従順で都市に逃れようとするいかなる者も、修道院の役に立たないので、身体と財産をとり押さえるべきである。男、女、子どものいずれであれ、これを妨げてはならない。 25. 少年が12歳または14歳になったら、修道院に従順の意を表すべきであり、彼はこれを神の法によりおこなう。やがて子どもが生まれたら、聖遺物と修道院に忠誠と真実の義務を負い、これに反する者を、修道院は意のままに罰することができる。
 26. 修道院はみずからその役人によって全シュヴァルツヴァルトに対して、地代であれ、債務であれ、損害であれ、相続税であれ、相続財産その他の法のゆえに、差し押さえをおこなうべきであり、いかなる者もこれにさからってはならず、さからう者がいれば、修道院はその思し召しにより、罰するべきである。 27. 修道院の領域で債務を負えば、荘園民相互であれ、他の領民に対してであれ、担保を与えるべきであり、修道院の役人以外には担保をさし出してはならず、これに反した者は、法にしたがって罰金を科されるべきである。28. 新修道院長が就任したら、全修道院領ですべての領民が、敬意の有無にかかわらず、彼に恭順の意を表すべきである。29. 修道院に属する子どもを保護すべき場合、修道院はその都度、慣習によって、その子の親戚ではなくとも、その子に有益であるような人々とともに、その子を保護すべきである。彼らは修道院の役人にその費用を請求すべきである。30. 修道院長の許しなく、修道院領民は聖別されて聖職者の地位についてはならず、聖職者の証明書が与えられてもならない。これに反する者を修道院はその役人によって罰しなければならない。同様に、いかなる修道院領民も聖職受給者になってはならず、修道院領民が生きてる間も、死亡しても、すべての権利は修道院に保持される。31. 修道院領民の男性または女性が、修道院に属さない農地に住み、修道院に忘れられがちな場所に住んでいるなら、毎年修道院に謝肉祭のにわとりを奉納すべきである。 32. 修道院領民が非荘園民女性を妻とすれば、修道院はその思し召しにより彼を罰し、彼らはその農地を決して遺産とすることはできず、修道院はあらかじめ相続税を徴収し、その後彼の農地の3分の2を取得すべきであり、彼の持ち分から何も得てはならない。またある女性が非荘園民の夫をもち、死亡し、彼女が子どもを残さなかったら、修道院は彼女の身体に属するものをまず取得した後、彼女とその夫がもつものの3分の1を取得し、夫の持ち分からは何も取得してはならない。 33. 修道院の男女が一緒になり、世帯をともにする子どもをもたなければ、修道院は彼らがもつものを取得すべきであり、いかなる者もそれを妨げてはならない。 34.修道院が必要とする場合、修道院領民はその身体と財産によって修道院の名誉と必要のために協力すべきであり、修道院長と彼の使者は宣誓して彼らにそれを催促しなければならない。
 35. いかなる者も修道院長の承諾なしに修道院の領民と農地について協定をしてはならない。36. 修道院の領民と保護民は、ザンクト・ブラージエンの修道院長と修道院に反対する協定を相互に結んではならず、いかなる者とも結んではならない。彼らは聖遺物、修道院長および修道院に従順、忠実で、恭順の態度をとるべきである。
 37. 修道院は、その農奴がどこへ行こうとも、その法のために彼らを追跡すべきである。修道院領民がいかなる年齢であれ、修道院の法にしたがわないような場所に移住しようとするなら、修道院はその役人と助手によって身体と財産を安全のために確保することができる。修道院から逃れて、修道院にとって無益で、修道院の法にしたがわないような場所へ行く者がいれば、修道院は不動産であれ動産であれ、財産を押さえることができる。修道院が財産を見つけだすか調べることを、誰も妨げてはならない。38. 修道院領民は代官の追跡をうけてはならない。彼らが代官から去って行くなら、代官は彼らの身体と財産を、不動産であれ動産であれ、躊躇なく手放すべきである。彼らがいかなる領主または代官のもとに移住しようとも、彼はまず第一に修道院の法に彼らを従わせ、彼らを決してわがものとしてはならず、彼らは他の領民と同じく修道院に素直に奉仕すべきである。移住したい者がいるなら、躊躇なくうけいれられるべきである。 39. 修道院の領民は自分自身の領主以外、代官にもいかなる者にも捕らえられてはならない。代官も裁判所も修道院の領民を修道院に対して守ったり保護してはならない。 40. 修道院領民が修道院によってと捕らえられるのではなく、それ以外の者によって捕らえられたら、彼がいかなる領主または代官のもとに居住していようとも、放免されるように、彼はできるかぎり最善を尽くすべきである。 41. 修道院は次のような法をもつ。すなわち、修道院に捕らえらるか不従順な者がいれば、修道院長が望むなら、彼は代官を呼ぶことができ、代官を呼んだら、代官は修道院に十分な援助をなすべきである。また代官は、警備人の任務が、修道院に不従順な態度をとるような者について、できるだけ適切なときに見返りの報酬を受けられるように、手配すべきである。
 42.修道院は賦役義務を負う農地にかんする次のような法をもつ。すなわち、賦役義務を負う農地の保有者がいなくなれば、他所に居住する修道院領民がその農地に役立ち、有能であると修道院が判断するなら、彼に賦役義務を負う農地を強制することができる。彼がそれにさからい、14日間以内にそこに行かなければ、彼に2回、3回と命令し、彼が命令に従わなければ、罰金として彼がもつ最良の家畜を納めるべきであり、そうすればその年は免除される。第2年度、第3年度も規定通りそうした罰金を科され、修道院は彼にひき続き強制してはならない。その農地の後継者が他所の居住者のなかに見つからなければ、修道院は、自分の気にいる他の領民を見つけて、その農地を強制的にひきうけさせることができる。  43. 荘官が賦役義務を負う農地から任意に輸送をおこなう場合、彼は自分がもつ最良の家畜をそこに残すべきであり、その際修道院は彼を妨げてはならない。 44. 修道院は1日に9回まで賦役義務を負う農地の保有者を意のままに交替させることができ、いかなる者もそれを妨げてはならない。 45. 荘官が賦役義務を負う農地の負担を重くして、その被害が知られて、彼が咎められたら、そうした罪が知られるたびに、彼は修道院に罰金として60シリングの償いをすべきである。 46. 修道院が必要により賦役義務を負う農地またはその他の農地を非荘園民に貸し、修道院領民がそうしたことを阻止しようとするなら、まず最初に修道院長に、彼が農地に役立ち有能であるかどうかを、調べてもらうべきであり、そのうえで修道院長はかつて農地をもっていた者の被害を減らすべきであり、そうすれば彼は農地に戻ることができ、変更はおこなわれない。 47. 男女いずれであれ、修道院領民が所有地または世襲地をもち、売りたい場合、まず最寄りの親族に最初に売りに出すべきであり、彼らが買おうとしないなら、修道院に提供すべきであり、修道院が買おうとしなければ、荘園民に提供すべきであり、彼らも買おうとしないのであれば、外来者に売ることができ、法により船乗りに売ってもよい。48. 修道院の荘園に属するか、修道院に地代を納める農地は、多少にかかわらず、修道院の所有であり、修道院によって許可されなければ、いかなる者もそれを売ってはならず、余分な地代を課してもならない。49. 非荘園民と結婚する者は、修道院の許しを得なければならず、身体と財産を修道院にとって好ましい状態に保つように努めるべきである。そうしない場合、修道院はその者を思うがままに懲らしめ矯正することができる。50. 修道院領民が死亡し、彼が息子を残さなければ、修道院は通常の死亡税、衣服および武器を徴収すべきである。彼の妻が子どもを身ごもっているなら、役人の諒解を得て衣服と武器をとっておくべきである。そして彼女が男児を産めば、修道院はとくに得るものはないが、女児を産めば、修道院はすべてを取る権利をもつ。 51.修道院領民の妻が亡くなったら、修道院は彼女が年4回の祝日に教会に着て行った衣類とベッドを徴収すべきである。しかし、彼がその年に再婚しなければ、ベッドを彼に残すべきである。しかし彼が年内に再婚すれば、それがいつおこなわれようとも、修道院の役人はベッドを文句なしに取り上げるべきである。しかし彼女が未婚の娘を残したら、ベッドは残されるべきである。なぜなら、困窮し患っている外来者、役人、修道院使用人が多数おり、病院であれその他の場所であれ、修道院に収容しなければならないからである。上述のように男女からその衣類を取るのは、困窮している貧しい領民に修道院で衣服を着せるためである。しかし、堡塁に属する武器を取るのは、修道院の必要のために使うからである。堡塁に属する甲冑と武器を取るのは、修道院が必要とするならいつでもそれをもつためである。森林を外来者の奪取から守るべき必要があれば、森林の民に森林を貸したら、彼らは修道院にそれを返却するのを名誉とすべきである。しかし、そうしなければ、甲冑を納めて、修道院にその損害を償うべきである。52. 夫または妻が死亡したら、修道院に納められる死亡税のうち、廷吏に与えられるべきものは定められている。53. 夫または妻が修道院の農奴でないのに、修道院の農地をもっているなら、相続税法にしたがって相続税を納めるべきである。54. 結婚していない独身の子に対して、修道院は他の領民と同じくすべての権利をもつ。55. 修道院領民が自由民の女性と結婚し、その子どもが修道院領にとどまるなら、夫は罰せられてはならない。同じように、修道院領民の女性が自由民の男性と結婚し、死亡し、彼女の娘を残さなければ、修道院は他の修道院女性と同様に彼女から死亡税等を徴収する。また修道院領民の男性が死んで、未婚の息子を残さなければ、修道院は優先的に衣類、武器および死亡税を徴収すべきである。これはホーヴェンシュタインの代官管区内に限られるが、他の修道院の農奴が自由民と結婚したとき、その修道院領主が徴収するのと同じようなものを、修道院は代官管区から相続財産の取り分として徴収すべきである。
 56. 修道院の荘園と裁判所に不従順な修道院領民がいれば、修道院は彼らの処分に取り組み、存分に彼らを糾弾することができる。57. 修道院領民が代官に身体と財産をとりおさえられ、裁判集会が開かれ、彼が代官と取り決めを協議した後に、死亡しても、修道院の法を損なうようなことがあってはならない。 58. 修道院領民が死刑の有罪判決をうけ、他の裁判所に控訴しても、修道院はその法を及ぼすことができる。59.修道院領民が笛吹きその他の旅芸人になったら、修道院にはそうした領民に対しても、他の修道院領民と同様な法を保持する。60. 修道院領民が結婚してその子どもを領民とし、子どもは修道院にその財産と自分自身をさしだそうとするなら、修道院は彼をうけいれることができる。しかし子どもがそれを望まなければ、彼は自分が望む所へ財産をもって行くことができ、修道院はそれを妨げてはならない。その者が死ねば、修道院は彼から通常の死亡税を徴収すべきである。しかし、これが適用されるのは、修道院がその領民から相続財産の取り分を徴収する所に住む者だけである。 61. 非荘園民の夫をもつ修道院領民女性が亡くなり、子どもを残したら、夫は子どもを修道院領の外へ出してはならない。そうしたことをする者がいれば、修道院は存分に懲らしめることができる。
 62. レメンツヴィラーで裁判集会を開く際に、森林地区首席司祭はアデドリスベルクとヴォルパティンゲンでいつ裁判集会を開く予定か、知らせるべきである。法廷で誰かに不法行為をなす者は、法に定めるとおり、罪を償うべきである。レメンツヴィラーの荘園裁判所に出席しない者には、アルプスを越えてアドリスベルクの荘園裁判所に行くように命令することができる。同じようにヴァルパティンゲンの荘園裁判所に出席することも命令できる。しかしレメンツヴィラーに住む者は、彼が住む荘園の裁判所以外に出席することを命じられてはならない。そしてこの裁判所に出席しない者は、法にしたがって罪を償うべきである。 63. アルプスとシュヴァルツヴァルトとの間のライン川沿岸まで住む修道院の農奴または保護民、さらに荘園農地をもつシュルフゼーの住民、フーレンフィルストとシェーネンバッハの住民とその間にあるすべての農地もレメンツヴィラーとアドリスベルクの荘園裁判所に属する。 64. アルプスとイーバッハとの間のライン川沿岸まで住む修道院の農奴または保護民、さらに修道院の農奴または保護民で森林地区の同じ一角に住むリュスヴィラ―とニーダーヴィルのその他の住民も、レメンツヴィラーとアドリスベルクの荘園裁判所に属する。 65. 修道院は、アドリスベルクに酒場をうけいれる領民がいるなら、そこに酒場をもつべきである。 66. 修道院から保有地を得た者は、それを尊重し、その保有地に森林があるなら、それを保有地の必要のために荒廃させることなく利用すべきである。森林を開墾すれば、保有地はそれだけ良くなるので、修道院長の許可と承諾なく森林から何かを売ってはならない。
 67. 修道院の法によれば、修道院は聖ヒラリウスの日(1月13日)の次の火曜日にアドリスベルクで尋問裁判をおこない、その開廷が告知されることはないが、裁判所に属する荘園民は全員躊躇なく出席すべきである。裁判は毎年おこなわれ、それ属する者が出席しなければ、3シリングの贖罪金を科される。また地代を納めなかった者はすべて、それぞれ3シリングを贖罪金として科される。同様に聖ヒラリウスの次の水曜日のヴォルパティンゲンの裁判にも出席すべきである。それに属する者は全員、知らされなくても出席すべきである。また出席者のうち地代を納めなかった者は、それぞれ3シリングを贖罪金として科される。これら二つの裁判は裁判集会とはかかわりない。森林地区首席司祭はこれら2つの荘園裁判所に従順な者を今年の地代について、聖ヒラリウスの日以前に差押えてはならない。68. 代官は代官の子羊を集めたければ、それを修道院の吏員に知らせ、吏員は彼とともに出かけ、子羊を集める助けをすべきであり、そのかわり代官は彼に子羊1頭を与えるべきである。69. 修道院の農民が農地に課せられたワイン輸送賦役をする場合、彼らのなかで紛争が起きたら、ザンクト・ブラージエンの修道院で仲裁をおこなうべきである。修道院に支障がなければ、修道院内で仲裁をすべきである。彼らがワインをもって修道院内に入って来たら、裁判が完了し、十分な審理がなされ、判決が下されるまで扉を閉めるべきである。こうして領民と財産を良い状態に保つべきである。70. ワイン輸送賦役を負う農地保有者が修道院に来たら、ブリスゴウの修道院に年2回秋と五月にワインが得られるときに、いかなる農地保有者も規定どおりの奉仕をすべきである。彼らは修道院に対して他の日雇仕事も、年間に定められていりとおり、おこなうべきである。彼らはまた修道院の家畜を規定通り冬越しさせるべきである。彼らはまた、規定どおり修道院のために糸を紡ぎ、修道院に織物を引き渡すべきである。しかし、彼らが紡ぐべき麻または羊毛の素材は、彼らに与えられるべきであり、そのために貸与される。彼らが賦役をするときに、修道院がワインをもってない場合は、馬車によるワインの輸送1回につき12シリングが与えられるべきである。しかし修道院がワインをもっている場合は、そのワインを輸送すべきである。たまたま争いが起きて、彼らが輸送する気をなくせば、輸送を延期して、後から修道院にワインをもって来るべきである。農民たち自身に支障があって、輸送できない場合は、修道院長に輸送の延期を願い出るか、彼との協議で彼の気にいる金額を申し出ることができる。 71. ワイン運送賦役をおこなうとき、修道院の荷馬車が先行し、その他の荷馬車はその後を進むべきである。また帰るときは、修道院の荷馬車は後から進むべきである森林地区首席司祭とその下男は、運送夫たちが彼らの助け必要とするなら、運送夫たちと同行すべきである。彼らがバーゼルに行く際、必要であれば、バーゼルの首席司祭は彼らと同行すべきである。また彼らがたまたまクロッツィンゲンの行政地区に行くときは、クロッツィンゲンの首席司祭はエツレンフルトで彼らに会って、彼らが荷を積んで再度エツレンフルトに来るまで、彼らと同行すべきである。そして彼らがヴィーゼ川の向こう岸にいる間は、バーゼルの首席司祭が彼らと同行すべきである。
 72. 必要なら、修道院の役人は垣根の背後の二つの境界石の上に領民を集め、ブルンアドレン、ハッピンゲンおよびニーダークートロウに限らず、家畜番人の法や森林・耕地の境界の囲いにかんする事柄を、修道院に属する問題として、あれこれと命令することができ、違反者から罰金を取ることもできる。 73. 農地が強制・罰令区内にあり、修道院の所有である場合、ザンクト・ブラージエンの修道院を除いて何者もそれから十分の一税を徴収してはならない。貢租についても同様である。 74. 強制・罰令区内にある自由農地は、それを有する者が見守る。 75. 修道院が所有し、強制・罰令区外にある農地の十分の一税は修道院に属する。またその農地に住む領民は、スラーゲトンの住民がウアベルク、シェーネンバッハの住民がヘッヒェンスヴァントの教会領に属するのと同じように、修道院領に属する。。


 2-12 シェーナウとトットナウ Schönau und Todtnau (1321年)


(シェーナウとトットナウはヴィーゼ川上流の渓谷にある)

  この文書を読むのを見聞きしている全員に対して、余、すなわちシュヴァルツヴァルトのザンクト・ブラージエン修道院の修道院長ウルリヒは神のために次のように知らせる。すなわち、余がシェーナウとトットナウの渓谷でもつ若干の問題と必要を高貴なディートヘルム・フォン・シュトッフェン殿と少しばかり協議して、毎回渓谷の領民からとりわけわわれにとって重大な問題について、余と余の修道院が渓谷でもち、古くから伝えられている法にしたがい、シェーナウとトットナウの渓谷の領民の法、および上述の代官ディートヘルム・フォン・シュトッフェン殿の法にしたがうように求められた。というのは、それまで告げられた法に決してしたがわない若い領民が渓谷に多いからである。かくして余がシェーナウとトットナウの渓谷でもつ若干の問題について、ある日のことシェーナウで尊敬すべき領邦代官ヴァルター・ファゾルトが同席して、すすんで任務をはたそうと申し出たため、余とシュトッフェン殿は、意見の一致に達した。当日、余と領邦代官、バーゼル、ノイエンブルク、ブライザッハ、フライブルクおよびヴァルツフートの敬愛すべき市民が参集し、余は正午過ぎにシェーナウに到着し、シュトッフェン殿は来ないという予定だったが、余の前にシェーナウとトットナウの渓谷民がこぞって出席し、前述したとおり、彼らがしばしば要求してきた修道院、渓谷民および代官の法の裁判集会と文書作成を要求した。そして彼ら全員のなかから、宣誓にもとづき、伝承されてきた法を審理すべき36名の長老および選良を指名した。これら36名は一致して、以下に記されている修道院、渓谷民および代官の法について、彼らの宣誓をおこなった。
 1 第一に彼らは、領民と農地、強制罰令権は、水が浅く流れるフェルベルクからプファッフェンヴァーゲまで、本来ザンクト・ブラージエン修道院に属することを告げ知らせた。2. 渓谷で死亡者がいれば、修道院は死亡税、彼がもつ最良の家畜を徴収すべきである。彼がそれをもっていなければ、最良の甲冑を徴収し、甲冑をもっていなければ、最良の衣服を徴収する。3. ザンクト・ブラージエン修道院の領民でない者が渓谷に来て、1年と1日渓谷に住み、神が彼に死ぬように命じたら、修道院は前述のとおり、農奴から徴収する死亡税を徴収すべきである。修道院は死亡税以上のものをさらに要求してはならない。4. 修道院は渓谷に修道院の農奴である地方役人を置き、彼は修道院に代って所有、相続財産、地代、通路、道路、持ち分、共同体、共同用益、家畜の見張り、漁獲、野鳥の捕獲、狩猟およびすべての生計について裁判をおこなう。5. 修道院が渓谷にもつ地代が納入されるときは、地方役人または彼の使者が家から家へ巡回し、修道院の地代を要求し、担保を取り、担保を8日間保持し、8日後に地代を得られなければ、それを売るべきである。担保が地代より多ければ、彼は相応する担保の分を返すべきである。しかし担保が地代の額に足りないなら、彼は残りの分を徴収に行き、修道院に地代が納められるまで、さらに担保を取るべきである。彼に担保を差し出そうとする者がいれば、地方役人またはその使者は代官を彼のところへ連れて行き、担保を取るべきであり、代官は彼の法を守るべきである。6. 渓谷には代官も参事菅も裁判所または命令または訴訟によって処理することができない特別な領民と特別な農地がある。修道院の地方役人がすべての案件を処理すべきであり、この特別な領民が不法行為をおかさなければ、地方役人が取り扱い、窃盗または不法行為の場合は、代官は地方役人と並んで同席すべきである。判決によって有罪とされれば、代官は法を守るべきである。7. 渓谷で相続財産を売りたくない者は、彼がもつ最初の相続人にそれを最初の相続人に提供し、彼が買おうとしなければ、修道院に提供すべきであり、修道院が買おうとしなければ、渓谷民に提供し、その後修道院領民に、さらにその後非荘園民に提供すべきであり、荘園法にしたがって地方役人とともに処理すべきである。8.いかなる者も修道院の所有にかんする契約を結んではならない。ただし、地方役人の助言によって、修道院および相続人である農民とは契約を結んでもよい。9. 渓谷の領民は漁獲、野鳥の捕獲および狩猟を禁止されない。売ろうとおもうほど多くなければ、修道院が適量とみなすものを受け取るべきである。 10. 宗教裁判所の管轄に属するような問題を除いて、渓谷外からの外来者を修道院から追放したり招来してはならない。。11. 修道院がその名誉と必要のために求めるなら、渓谷の領民は督促に応じて、宣誓して彼らの身体と財産をもって修道院を助けるべきである。しかし渓谷の領民がその窮状に助けを必要とする場合は、修道院はそれと同じように彼らを助けるべきである。12. シェーナウとトットナウの渓谷のいかなる領民も代官に身体を拘束されてはならず、いかなる領民も代官に追跡されてはならない。
 13. シェーナウとトットナウの代官である前述の無敵のシュトッフェンは、窃盗、不法行為、法による債務について、フェルベルクからプファッフェンヴァークまで、修道院の特別な領民の出席なしに裁判をこなうべきであり、彼らの出席を得て裁判をおこなう必要はない。 14. 同上のシュトッフェン殿は、渓谷の領民の同意と助言を得ることなく、修道院の農奴以外の者をシェーナウとトットナウの代官に任命してはならない。 15. 彼は、渓谷領民が選任した者以外参事官を任命してはならない。彼は、修道院、代官および渓谷領民に対して役立ち、法を守ることを聖人に誓うよう、参事官に命じるべきである。16. 彼がシェーナウとトットナウに置く代官は、参事官の諒解と同意なしに、渓谷の領民にみずから命令し要求する権限をもたない。17. 渓谷で悪行と不法行為の罰金を科された者が、家または屋敷をもたないか、あるいは裁判所に出頭しうる保証人がいない場合、代官は彼を捕らえてはならず、裁判所で彼に知らされた罰金を彼から徴収すべきである。18. 貧しい下僕が貢租にかんして差し押さえされても、彼を捕らえてはならない。19. 代官は参事官が作成した契約に加わってはならない。 20. 渓谷に参事官が不在で、すべての使者が外出している場合は、代官も参事官も命令を出してはならない。21.渓谷では代官もいかなる者も、参事官が許可した者以外、刀も武器も身につけてはならない。22. シェーナウとトットナウの前述の領民は上記の勇猛なるディートヘルム・フォン・シュトッフェン殿に毎年しかるべき代官税25フントの金額を、シェーナウに行って納める。シェーネンベルクの住民は五月に2.5フントを、シェーナウとトットナウの渓谷民は10フントを納め、またシェーナウとトットナウの領民は、シェーネンベルクの住民を除いて、毎年聖マルティノの日(11月11日)のミサに代官税としシェーナウ枡で52ムッテのエン麦を納める。23. 勇猛なるディートヘルム・フォン・シュトッフェン殿は彼の名誉と財産を守る必要がある場合、シェーナウとトットナウの渓谷民は,修道院の特別領民を除いて、彼らの身体、彼らの財産によって、彼を一昼夜自費で助けるべきであり、ここに定められていない租税や賦役の義務を負ってはならない。24. 代官が代官の領民を公平に保護する必要ある場合は、勇猛なるフォン・シュトッフェン殿は、渓谷民を助けるべきである。 25. 租税を集める場合、シェーナウとトットナウの両代官に五月に1フント、両下吏に10シリングを納めるべきである。秋に租税を集める場合、2人の代官に1フント、両下吏に10シリングを納めるべきである。26. 代官は渓谷民に対して、渓谷民の助言なしに、廷吏を任命してはならない。
 この裁判集会と文書作成はキリスト生誕後1321年聖シモンおよびユダの日(10月28日におこなわれた。


 2-13 ドルンシュテッテン Dornstetten

 

(ドルンシュテッテンはシュトットガルト市の南西の都市)

  森林裁判集会の告知

 主の名においてアーメン。後述の文書は領主支配権、自由および法である。毎年2回の森林裁判で裁判官の宣誓により、彼らのすべての先人から彼らに受け継がれたことが、次のように告げられる。
第一に、高貴な生まれのわれらが慈悲深き領主、ヴュルテンベルクおよびメンペルガルトのルードヴィッヒ伯は、ドルンシュテッテンの聴取をおこなう場合、ドルンシュテッテンの地方官とともに裁判に出席すべきであり、年2回アーエにおいてバイゲンンシュン・ハウスと庁舎で裁判をおこない、それ以外の場所では裁判はおこなわれない。悪天候の場合、地方官は屋根の下に移ってもよい。最初の裁判はだいたい五月一日の前後8日間、他の裁判は聖ガルスの日(10月16日)の前後8日間におこなわれ、その頃地方官に最も都合の良いときに、彼は所有地と相続地の裁判をおこない、森林裁判管区に属する後述の村落や小集落に属する農地の裁判をおこなうべきである。それらは村域内かその近辺にあり、所有地と相続地も、それ以外の地域にはない そしてそこに属する村落や小集落の名称は、ディータースヴァイラー、ベンツィンゲン、アーエ、ヴィットリスヴァーラー、グレンデル、ウンターミュスバッハおよびホルヴァンゲンであり、これらはともに、ドルンシュテッテン市よりも長く古く裁判管区に属する。
これら前述の村落および小集落から12名の裁判官が選出され、彼らはドルンシュテッテンの地方官に従順であり、二つの裁判所でわれらが慈悲深き領主には彼の支配権を知らせ、ドルンシュテッテンの市民と裁判所に属する領民には法と自由を知らせ、二つの裁判所で法を告知すべきである。
 この森林裁判所における法によれば、領民はアーエにおける裁判所で裁判をすることができなければ、地方官がアーエの裁判所ですべての裁判をおこなった9日目後に臨時裁判集会をドルンシュテッテンのクローバーの草地でおこなうよう命じなければならず、12名の裁判官はそれに従って判決を告げなければならない。しかし争いや悪天候のためにクローバーの草地にとどまりたくなけれれば、そこに強く執着すると裁判が中断してしまうので、鐘を鳴らして裁判所を移動し、いかなる者も満足して裁判ができる場所で、裁判をおこなうべきである。
 法によれば、他人をアーエにおける森林裁判所に召喚した者は、アーエでは裁判をおこなうことができず、臨時裁判集会への出廷を命じることができる。そこで彼に対する裁判がおこなわれるべきである。しかし他人を森林裁判所に召喚しない者は、彼に臨時裁判集会への出廷を命じてはならない。ただし、初めて告訴される不法行為はその限りではなく、この場合は他人を訴えることができ、臨時裁判所に出廷を命じることができる。
 前述の村落と小集落の領民は全員、ドルンシュテッテンの地方官に従順にアーエの二つの裁判所に出廷し、長老たちに告訴可能なことを、森林であれ、農地であれ、河川湖沼であれ、放牧地であれ、不法行為であれ、宣誓にもとづき、ドルンシュテッテンを有する領主がもつべき裁判所に属する支配領域と権力が及ぶかぎり、すべてを告訴すべきである。この権力と支配領域はビッテルブルンの下から始まり、石の多いグリュッツのそばの森に登り、次にグラットハイムの下のディーアシュタインから始まりデュレンバッハまで行き、二つのミュスバッハの間にいたる。その間に起きることは告訴可能であり、アーエの二つの裁判所でドルンシュテッテンの地方官に告訴すべきであり、それ以外告訴は不可能である。
不法行為が告発され、支配領域内で刀剣、ナイフその他の武器を引き抜いて、それで誰かを襲い、放免されれば、3チュービンゲン・シリングをを失い、放免されなければ、5チュービンゲン・シリングを失う。武器を引っ込めて再び不法に引き抜くたびに、彼は罰金を失う。
 当裁判所の法によれば、ドルンシュテッテンの市民に敵対する者がおり、家畜が奪われたり、市民が捕らわれたり、強奪されたりして、追跡しようと、攻撃の知らせが告げられたら、、上述の村々の領民は宣誓して都市の戦いに出陣すべきである。もし彼らが催促されたら、あるいは催促されていると感じたら、出陣したくなくとも、都市へ行軍すべきである。しかし捕虜が城塞または都市の中に連行され、市民がその捕虜を収容しようとするなら、領民は帰宅して、市民が望む捕虜の監督をするために、いかなる村からもその能力に応じて2人、4人、6人などの人員を送り、都市の民家に行き、飲食をして、市民が出征して必要となれば、市壁に登り、都市を自分の所有財産のごとく防衛の援護をすべきである。
 法によれば、ドルンシュテッテンの市民がその城を囲いによって改良しようと、1日または2日かけて囲いをおこなうことが、前述の村々に知らされたら、村々の領民は市民の囲いを援助すべきである.
 法によれば、前述の村々で一人または数人がが家畜を奪われ、、あるいは領民が1人または数人捕らわれ、領民が追跡しようとして、市長と市民が催促されたら、あるいは催促されたと感じたら、領民による追跡を支援することを軍旗をもって宣誓すべきであり、あたかも彼ら自身の所有財産であるかのごとく、彼らの救出を援護すべきである。
 当裁判所の法によれば、前述の村々に住む領民は森林裁判管区内に農地をもち、その農地が自由な所有地であるなら、領民にとって必要な場合は、それを売ることができ、彼の思い通りに処分することができ、彼の気にいれば、リン川を越えても処分することができ、定められた税をそこから納めるかぎり、誰も彼を妨げられない。
当裁判所の法によれば、領民が村内に家を建てようとして、四つの敷居を設けたら、たたちにドルンシュテッテンを有する領主に、毎年2フィアテルのエン麦を納めるべきであり、それは森林エン麦といわれる。彼はそのかわり牧草地、放牧地、森林、耕地、水を利用し、できるだけそこからの収穫で生計を立てる権利をもつ。彼は可能なら森からの収入で生計を立ててもよい。、ドルンシュテッテンの地方官の承諾を得なければ、川沿いで伐採してはならないが、川沿いで伐採したいとおもう者は、フォルトバッハ川から雪橇が登れる範囲に限って伐採すべきであり、それ以外は許されない。
 裁判管区に属さない者が森で木を伐るか、役畜によってもち帰ったら、裁判管区に属する者がこれを目撃した場合、地方官に告訴し、二つの裁判所の一つで、チュービンゲン貨幣で1ヘルプリングと3フントが科される。しかし、裁判管区に属する者が森の木をもち帰ったなら、彼は任意の者にそれを与えることができる。それを得た者はその見返りに何もしなくてよい。
 領民が裁判管区に属する村落に家をもち、彼が欲するなら、それをこわして、他の家に移ることができる。そして彼はそこにすべてを運び込む。そこがいやになったら、都市に移ることができ、その場合彼は市内にとどまるべきである。
 漁獲にかんする法によれば、森林裁判管区に属するいかなる者も、前述の支配領域にある河川湖沼に行き、彼の家で食べる魚を獲る権利をもつ。。彼はドルンシュテッテンの地方官の許可なく、いかなる者にも魚を売ってはならない。地方官の許可なく魚を売った者は訴えられ、チュービンゲン貨幣1ヘルプリングと3フントを科される。森林裁判所の管轄に属さない河川湖沼で魚を獲ろうとした者を、裁判所に属するものが見たら、2つの裁判所に告訴し、1ヘルブングと3フントのチュービンゲン貨幣をを科される。
 水の流れを変えようようとする者は、その中で魚を獲る権利をもつ場合を除いて、彼は片足で水の流れを堰き止め、適正な長さの柄の付いた鍬が届く範囲内の草地で芝土を掘る権利をもつ。
河川湖沼には幾つかの罰令区があり、そこでドルンシュテッテンの地方官の許可なく漁をした者は、告訴され、チュービンゲン貨幣1ヘルプリングと3フントのを科される。以下に挙げるのは河川湖沼の罰令区である。すなわち、ヴェルプリスミューレンにいたるエティバッハ川下流、ギチスにいたる下るリュッター川下流。またグラットには4つの道があり、一つはグラットハイムへの教会道、第2はゲスリスヴェルトへの道、第3はヴィーゼンミューレへの道、第4は日光道という名の道である。
村落のいかなる者もワインを、ドルンシュテッテンの地方官の承認なしに、アーエにあるメヒリの製粉所の傍のニデックと称する屋敷以外では、裁判管区に属する者に売ってはならない。そこには居酒屋がおり、彼はワインを売る権利をもち、彼はワインを運ぶ1頭の馬、1頭のめ牛、1羽のおんどり、1羽のめんどりより多くの家畜を飼ってはならない。
 村落で結婚式または聖別式があり、村に住む領民がワイン樽をもってこようとおもえば、樽の大小にかかわりな、運送中にワインをふるまってもよい。そしてワインがなくなってしまわなければ、家に持ち帰って、樽が空になるまで提供することができ、それをいかなる者も妨げてはらず、ワインが尽きれば、ドルンシュテッテンの地方官の許可なくワインをもはや提供してはならない。しかし、許可なくワインを提供すれば、栓を抜くたびに、彼が自由民であれば、チュービンゲン鋳貨3シリングを失い、不自由民であれば、5シリングを失う。
 法によれば、ドルンシュテッテンの市民および森林裁判管区に属する者全員は、共同で家畜放牧をおこない、都市と各村落は共同で放牧することができ、いかなる者も他人を拒絶してはならず、市民は家畜放牧を周辺地域に許容し、周辺地域は市民に許容し、各村落は他村に必要に応じて許容すべきである。
 当裁判所における狩猟にかんする法によれば、裁判所に属する者は、あらゆる鳥獣を、鳥、リス、豚、熊、キツネ、オオカミなど狩猟する権利をもつ。ただし、鹿、ノロジカ、雌ジカなどアカシカ類は、ドルンシュテッテンの地方官の承諾なく獲ってはならない。だが長年犬を飼っている者は、ウサギを獲ってもよい。彼は家で食べる分には、いくらウサギを獲ってもよいが、売ってはならない。
 裁判所に属する者は、上述のような森林裁判所の支配領域と自由地において鳥獣によって暮らしを立てる権利をもち、狩猟の権利をもち、昼間鳥獣を追いかけ、再び帰宅することができる。彼らが上述の支配領域から出たら、追跡してはならないが、支配領域内に鳥獣が現れたら、翌朝まで再度追ってもよい。しかし仲間が望むなら隣の村に宿営することができ、翌朝も追うことができ、それでも帰還しなければ、彼らの気のすむだけ3、4、5日間追いかけることができる。彼らがいかなる領主の保護下に入ろうとも、彼らは領主に次のような獲物を提供すべきである。すなわち、熊については頭と手、豚については肩とあばら骨2本、また鳥獣のうち雌豚については頭を差し出し、若豚については何も差し出さなくてもよい。狩猟仲間が鳥獣を倒したら、それがいかなる領主のもとであろうとも、彼らは最寄りの地方官に獲物を持参すれば、義務をはたすが、彼らがあまりに多くの鳥獣を倒して、獲物を持ち運べないなら、最寄りの地方官に伝えて、獲物を木にかけておいて、彼に取りに来るよう求めてもよく、そうすることによって義務をはたすべきである。
 狩猟仲間が鳥獣を上述の支配領域内で倒したら、獲物をドルンシュテッテンの地方官に
渡すべきである。
 当裁判所の法として、犯罪人が上述の地域で捕らえられたら、ドルンシュテッテンの地方官に引き渡すべきであり、地方官が不在なら、市長に引き渡すべきである。そしてそうした犯罪人が有罪判決をうけるまで、領民はそれとかかわりをもってはならないそうした。地方官は領民に対して、違法行為がおこなわれることがないように命じなければならない。領民を違法行為から遠ざけるまでは、刑吏が来ることはない。したがって刑吏が任務を終える以前に、彼には毎年3シェッフェルのエン麦を支給すべきであり、これは刑吏エン麦と呼ばれ、毎年ディータ―スヴァイラーにあるヘーエンリート農場という名の農場から支払われる。
 当裁判所における法として、屋敷をもつ者は、それに農地があれば、他人に迷惑をかけないように製材所をそこに立てることができる。二つの製材所があって、一つはウェルプリス製材所、もう一つは炭焼き人の製材所である。ドルンシュテッテンに住むか、裁判管区に属する村に住む者が建築をしようとしたら、製材所をもつ者は彼にしたがうべきであり、角材を半分または公平な労賃で切り、、最も適切に組み合わせるべきである。
 上述の村々に住む者は、原野で草を刈ろうとするなら、イリスベルクの教会の湿地まで原野の草を刈る権利をもち、誰もこれを妨げではならない。
 これは自由裁判所であり、当裁判管区のいかなる者も法によることなく他の裁判管区に移住してはならない。
 森林裁判集会にかんするオーバーミュスバッハの住民のための判決
われらが領主、辺境伯が、オーバーミュスバッハの住民にかんして訴え、定めた諸事項にかんして、ライヒェンバッハの住民に対してミュスバッハで彼らの法を知らせないことが命じられる。われわれは住民の多数を代表する6名を承認し、両者の訴えと返答を聴取した後、23年に与えられた決定文書も承認した。そこには、いかに森林裁判集会が開かれるべきかが書かれており、森林裁判集会は以前決定されたとおり維持されるべきであるという点も書かれている。また、前述の森林裁判集会の内容にかかわることを、オーバーミュスバッハの住民に知らせるようなことはやめるべきである。
 狩猟のための領域の決定
 これは次のように分けられる。すなわち、グレスバッハの教会から上へドルンシュテッテンの小道まで登り、ドゥーアヴァイラーからドルンシュテッテンへ向かい、そしてまっすぐヘーヴェークへ登って行き、ヘーヴェークから同じようにまっすぐ二つのミュスバッハの間を通りデユレンバッハ川へ向かう。そしてドルンシュテッテンに向かう部分は、ヴュルテムベルクのわが慈悲深き領主とドルンシュテッテンの住民に属するべきである。また橋の方向の他の部分はヴァイラー森林に属するべきである。
 六人衆は森林裁判集会の狩猟区と狩猟の道について次のように決定した。すなわち、湖のぞばを登り、ビッテルブルンネンのそばの湖の斜面を通り、湖からザルツシュテッテンののこちら側をッシェレムベルクへ至る最も高い道を登り、この道を下ってルッツェンハルトにある菩提樹林に入り、さらにブライテンバッハ川の浅瀬へ、浅瀬からエッセルシュティークを通ってグラットブリュンエインへ、そこから二つのミュスバッハの間を不毛地へいたる。不毛地からエールミュッセへ、エールミュッセから境界地に入り、境界地を通りロッセンベルクへ、さらにネットリストレーフを下り、トゥーンバッハ川がムルク川に流れ込む所まで行く。ムルク川はフォアバッハ川に合流し、フォアバッハ川にある領主採草地まで行き、そこからロスブルクへ、ロスブルクから溝を通り右の道を下って来て、水車から焼畑へ、焼畑の前から丘を越えてグラット川へ、グラット川からチューエルシュタイン、シュラットバッハを経て右の街道へ入り、ショッフロッホから再びビッテルブルンの湖までいたる。
上述の圏内でわが慈悲深き辺境伯の狩猟区は、ドルンシュテッテンの住民と森林裁判菅区に属する住民は、上述の圏内で高地に住み、豚や熊やウサギ、鳥、キツネ、リス、その他彼らが望むものを捕まえることができるが、アカシカは除外される。しかしイノシシやノロシカの囲い地をつくってはならず、熊や豚を捕まえたら、熊の頭を、また豚と雌豚の頭を提供すべきであり、若い豚は何も提供しなくてよい。豚の耳をうしろに曲げて、耳のうしろで頭を切断すべきである。こうして豚と熊を前述の圏内で捕らえたら、上述の獲物を常にリッッヒェンバッハの修道院のわが慈悲深き辺境伯に引き渡すべきである。しかし、彼らが上述の圏内で熊と豚の追跡をやめ、その圏外でわが辺境伯のものとなったら、彼らはその捕獲物を最寄りの村長またはわが辺境伯の地方官に都市または村落で引き渡すべきである。
 わがヴュルテムベルクの領主、彼の領民で森林裁判集会に属するドルンシュテッテンの住民は、古来のしきたりにより、彼らの属性である森林、慣習、森林伐採と鳥獣の追跡、どんぐり、水およびすべての法、しきたりおよび習慣を守るべきである。また森林裁判集会では、定められているように、わが領主、辺境伯の狩猟区に害をもたしてはならないことが告げられる。ヴュルテムベルクのわが領主または彼の地方官とその下吏は、古来のしきたりによって、上述の圏内で鷹狩用の猛禽を捕え飼育すべきである。
ドルンシュテッテンの住民は、5名の領主が文書で提言したように、ヴァイラーの森では思慮深さを保つべきである。
 領主の領民双方が越境して木を伐り、どちら側であれ、そのため誰かが捕らえられた場合は、両者は完全に分かれて、捕らえられた者は釈放されるべきである。

 2-14 ユーバーリンゲン Ueberlingen (15世紀)


 
(ユーバーリンゲンはボーデン湖畔の町)

 農村における療養院の裁判所の規則

 §1. まず最初に地方官は、裁判を開き、貧しい者にも富める者にも平等な裁判官であることを誓い、いかなる者にも、親愛や敵視、貸与や贈与によって愛情や同情をもつことなく、正しいことを優先する。§2. いかがわしいことが起きたら、訴えられる否かにかかわらず、そこから不法行為が療養院でおこなわれるかもしれないので、それが正されるか除去されるまで、提訴し処罰すべきであり、宣誓していかなる者もそれを放置してはならない。 §3. 裁判官は、貧しい者にも富める者にも平等に接し、いかなる者にも貸与や贈与、利益によって愛情や同情をもつことなく、正しいことのみを優先して、その判断にしたがって、法の支えとなるべきである。§4. 裁判官は助言と判決のすべての秘密を守り、わが領主以外の者に助言をしてはならない。 §5. いかなる者もいかなる療養院長の恩恵や承諾なく、療養院の裁判管区、強制および罰令圏、村落、小村および荘園に転入してはならず、そのような転入は3フントの罰金を科せられる。§6. これらの地域に宿泊する者も、許可なく宿泊するたびに、3フントを納めるべきである。 §7. 自分の同居人を他の裁判管区または他所へ移住させる者も、そのたびに10フントの罰金を科せられる。 §8. 2回移住する者が、最初の移住の後、2度目の移住が開始されなければ、罰金10フントが科せられる。§9. 移住する者が、彼自身移住しない場合は、わが領主の判断によって罰せられる。§10. 不動産または動産について他人に約束した者が、あるいは期限内に要求に応じるべき者が、約束の相手に対して約束をはたさず、引き渡す義務をもはやはたさず、相手が土地を得られなければ、1フントの罰金を科せられる。
 §11. 追放処分をうける者は、裁判管区から出て行くべきであり、そうしない場合は、彼がそこで見つかるたびに、3フントの罰金を科せられる。また裁判管区に住む者が、損害をもたらした場合は、彼は損害を償うべきであり、裁判管区にはもはやいられない。その場合彼は追放処分によって書かれた真正の身分証明書を所持する。§ 12. 罰令圏に来る者を教会が拒むなら、その人物は裁判管区から出て行くべきであり、罰金1フントを科せられる。
 §13. 賭け事で借金をする者、あるいは金を貸す者は、3フントの罰金を科せられる。 §14. 物を賭けたり、机上の現金ではなく、担保や支払い期限の設定, 信用または宣誓によって相互に貸し借りする者は、3フントの罰金を科せられる。§15.家の中で夕べのアヴェ・マリアから翌朝のアヴェ・マリアまでの賭け事は1フントの罰金を科せられる。§16 . 他人に貸し付けて地代を取る者は、1フントの罰金を科せられる。
 §17. 結婚について。相手が求婚したと思っていたのに、相手が結婚しようとしない場合、療養院長に相談すべきであり、療養院長は両者に対して一定期間で決着するように調停し、両者のどちらかがそうしようとしなければ、10フントの罰金を科せられる。 §18. 相手に結婚の約束をしても、相手方が正当な理由で結婚しない場合、約束した者は10フントを失い、療養院長の承諾をを得て問題を上述のように処理すべきである。§19. 近親者の同意なく相手を拘束したり結婚させる者は、10フントの罰金を科せられる。
 §20. 男女を問わず、成人が他人に対して横になって臥せるを求めれば、10シリングの罰金を科せられる。あるいは羽根布団の中への逃避や横臥求めたら、男女を問わず、10シリングの罰金を科せられる。§21. 他人に悪事を強要すれば、3フントの罰金を科せられる。§22. 他人の家の中へ夜間に入ったり、挑発したり、または夜間に欺いたり、騒ぎをおこす者は、10フントの罰金を科せられる。§23. 他人に石を投げて、石が当たれば、罰金3フントを科せられる。彼が倒れたら、罰金10フントを科せられる。§24. 手に武器をもつ者は、それで襲うか否かにかかわらず、罰金3フントを科せられる。 § 25. 武器をもたない手で他人を襲う者は、罰金1フントを科せられる。§26. 事前に名誉なき者であることを知らないで、他人の名誉を救ったり、わざと悪事を要求する者は、罰金10フントを科せられる。§27. 開放共同地を犂で耕し、種子をまき、刈り取り、垣根で囲い、草刈りする者は、10フントの罰金を科せられる。§28. いかなる者も無許可で森林を開墾したり開墾させてはならず、違反は罰金3フントを科せられる。
§29. 下男を雇いたい者は、彼を地方官の所へ連れて行き、被保護民と同様に宣誓して忠誠を誓うべきであり、そうしない場合は3フントの罰金を科せられる。
 §30. 混乱と不和が起きたら、いかなる参審員も和解を申し出て、必要と考えられる最少額から最大額までの金額を提示すべきである。それによって損害が生じたら、そうした和解金を申し出た者は、そうした申し出が必要だと考えて、そうした金額を提示したと主張しても、罰せられるべきである。 §31. いかなる参審員が和解の申し出をおこなっても、全員がそれに反対して、誓ってそのような損害を防ぐために助けるように警告する場合は、彼らに従わない者は3フントの罰金を科せられる。§32. そのような申し出をする者、または警告をする者は、罰せられることを、いかなる地方官にも宣誓して申告すべきであり、そうすれば彼の申告は褒められるべきである。§33. 裁判所の裁判官に命令が出されたのに、彼は家にいて、最初の審問がおこなわれるまでに出廷しない場合、その法的必要性を示すことができなければ、3シリングの罰金を科せられる。法。§34. 裁判官が出廷している裁判所で他人を罵り言葉で侮辱する者は、男女を問わず、1フントの罰金を科せられる。§35. 裁判所によって責任を問われたら、それに従うべきであり、訴えられれば10シリングの罰金を科せられる。§36. 裁判所への出頭を命じられた者が出頭して、彼の領主に証人を求め、彼は領主なしにはそうしたことに責任を負えないと主張するなら、彼に証人が与えられ、彼はそれゆえ裁判の杖を手にすることができなくとも、彼には証人が与えられるべきである。§37. 領主によって証人が与えられる者が、彼の領主にそれを求めなかったことがわかれば、罰 金1フントが科せられる。
 §38. 疑う余地のない負債のために地方官あによって許可された担保を設定される者は、1フントの科料を納める。§39. 疑わしい負債かそうでない負債かにかかわりなく、他人から不法に担保を取る者は、3グロッシェンの罰金を科せられる。§40. 担保を療養院の強制罰令区から無断で持ち出す者は、3フントの罰金を科せられる。
 §41. 賃金にかんして。裁判所に賃金にかんする訴えをおこす者は、10シリングの罰金を科せられる。 §42. 賃金について訴えた者が、それが賃金でないとわかった場合は。3シリングの罰金を科せられる。§43. いかなる者も賃金について役に立たない担保を提供してはならない。訴えがなされ、そこから賃金を払えない場合は、3シリングの罰金を科せられる。§44. いかなる者も種子を担保にしてはならない。その場合彼はそのほかに動産をもってないと誓うことができるなら、種子を動産とみなすべきだが、領主の権利が侵害されてはならず、これに違反する者は1フントの罰金を科せられる。
§45. 他人の果物、他人の穀物または草を夜間不法に切り取ったり奪う者は、3フントの罰金、昼間に勝手に取る者は15シリングの罰金を科せられる。§46. 境界監視人が境界監視をおこなうとき、その中に馬を乗り入れる者は、男女を問わず、10フントの罰金を科せられる。§47. いかなる者も、教会の関係者に属する農地を貸与したり交換すれば、3フントの罰金を科せられる。§48. いかなる者も道路や共同地を通って許可なく溝や水路をつくってはならず、違反すれば罰金10フントを科せられる。§49. 自分の所有地以外でオークの木を伐ってはならず、許可なく伐るたびに罰金10シリングを科せられ、モミの木を伐れば、罰金5シリングを科せられる。§50. 他人の森林から自分の森林へ許可なく木を運ぶ者は、夜間の場合伐った木の切り株の数に応じて10シリングの罰金、昼間の場合は切株ごとに3シリングの罰金を科せられ、その半分は療養院に、残りは損害を被った者に属する。
 §51. 農奴について。教会の療養院にかかわりをもつ農奴は、できるだけ教会に利益をもたらし、その損失を警告し、命令と禁令にしたがい、教会の管理者と療養院長の恩恵と承諾なしに身体と財産に決して変更を加えたり、負担を負わせたりしないことを誓い、同じく管理者と療養院長の諒解なしに領主から護衛、保護を奪わず、代官も城塞権も奪わないことを誓う。§52. 被保護民について。農奴領主と代官領主がもつ被保護民はできるだけ教会に利益をもたらし、忠実に損害を警告して回避し、彼らの領主と代官の農奴制と代官所の権利をそこなわず、被保護民であるかぎり、命令と禁令にしたがい、時間とともに過ぎ去ったものすべてを正しく保持し、療養院の裁判所と違うやり方で決して彼らを困らせたり圧迫してはならない。
 §53. 下級裁判権にかんして。われわれはユーバーリンゲンの療養院はその裁判所において命令と禁令をもつことができ、村落域内ですべての不法行為、流血傷害を、上級裁判権に属する犯罪を除いて、罰することができると述べた。§54, 村落域内ではその強制罰令区が及ぶ範囲内で、ユーバーリンゲンの療養院は、流血傷害と上級裁判権に属する犯罪を除いて、すべての不法行為を罰することができ、われらが慈悲深き領主ハンス伯とその後継者と代官は村域外で罰することができる。

 2-15 キュッセンベルク Küssenberg (1497年)


  (キュッセンべルクはヴァルツフートの東に位置する)

 これはキュッセンベルクと渓谷のしきたりと慣習の告示であり、毎年穀倉管理人の屋敷の裁判集会で告げられるべきである。
§1. まず最初に、これらは荘園と城に属する渓谷の住民の賦役と法である。 §2. グッゲンブーラーにあるぶどう園は面積3ユーハルトであり、城に属するカイザーステューラーの小さなぶどう園の面積は半ユーハルトであり、キュスアハ、ダングシュテッテ、リンハインおよびレッコウの住民たちが大桶に到達するまであらゆる作業をおこない、2回耕作すべきである。 彼らは三つの採草地、すなわち一つの果樹園と二つの荘園採草地の干草と二番草を刈り取るべきである。§4. 彼らはこれらの市場町、各家から一人が木を伐る2日分の労働をおこなうべきである。 §5. レッコウを除く上記の市場町は毎年干草の山を二つ作り、廷吏が馬と荷車をもたない者たちと一緒にそれらを運搬すべきである。その後彼らはこちらへ運んで来るべきでである。§6. 領主がそれを不可欠とするなら、いかなる世帯も、レッコウの住民を除いて、クリスマスに二つのledman hotzを彼にもち帰るべきであり、馬をもたない者は運送を助けるべきである。§7. 彼らは城から農具や肥料を耕地または三つの採草地に運ぶべきである。§8. 上記のことや賦役のために領主または代官は領民に食事を与えるべきであり、彼らが木を伐るときは、森の中にいる彼らにパンを支給する。
 §9. キュッセンベルクの領主または代官は年2回五月と秋に穀倉管理人屋敷の裁判集会を開くべきである。 §10. それらの裁判集会には領主の一行3名が馬に乗って来るべきであり、穀倉管理人は彼らに食事を提供し、彼の馬には1フィアテルのエン麦を、彼のオオタカには1羽のにわとりを、彼の犬には小型パンを与えるべきである。彼が十分に食べたら、食物を分けるべきである。§11. その裁判集会は、次のような自由が認められる。すなわち裁判集会に属するいかなる者も、あらゆる事柄にかんして前触れなしに他人に答えるべきであり、そうすれば彼には法によって猶予が認められる。§12. ヴァスタールヒンゲン、ギュンツコン、シュテッテン、オ-バーホーフェン等の全住民およびリーンハインの一部住民は山からharinを得て、城に地代を多少なりとも納める者は、この裁判集会に10シリングを提供する。
 §13. 穀倉管理人は村民のために夏季の聖ヨハネの日(6月24日)まで家畜の群れのなかに種牛を飼い、1年をとおして種豚を飼い、聖ヨハネの日が来たら、牡牛を取り出して、他の牛とともに森の中に放牧すべきである。彼が耕地へ行くとき、彼は牡牛を彼と一緒に連れて行き、耕地から離れるまで一緒に同行させて、犂に牛をつないで3時間耕すことができる。牡牛が来るときは、牡牛を他の牛とともに森に放牧し、牡牛が来なければ、牛たちをそのままにしておいてもよい。§14. 種牛と豚はどこでも自由に出かけて、損害をもたらすとき、損害が見つかれば、そこから追い払うことができる。種牛や豚がそこから離れたら、立ち去らせてそれ以上の被害を防ぐべきである。§15. 穀倉管理人は、在宅しているてときであれ、村へ出かけるときであれ、戸締りと世話の両者をおこなう。 §16. 穀倉管理人は前日の適当な時刻に草刈り、木の伐採、二番草の刈り入れをおこなってもらう権利をもつ。
 §17. その穀倉管理人屋敷の裁判集会ではベルヒテスポールの住民に、誰か垣根を伐ったりこわしたりするのを見たか、宣誓して問うべきである。§18. その裁判集会では戦争、火事、水害その他の非常事態においてためらった者を知っている者がいるか、それはどういう様子だったかを、全村民に尋ねて法を告げるべきであり、そのような者を届け出れば、彼は罰せられるべきである。 §19. その裁判集会では村民の強制・罰令区、放牧地と森林が告げられ、それによって若い者たちはそれらの範囲がどこまで及ぶのかを教えられる。
§20. その裁判集会ではリンハインの航行の法と慣習が告げられるべきである。すなわち、リンハインには船頭がおり、外来民と地元民の航行を見張り、船や川船の装備をおこない、彼は良し悪しにかかわtあらゆる必要に応じて航行を適宜手配する。 §21. それゆえ彼には毎年城から4フィアテルのワインを支給し、渓谷全体でどの家も1フィアテルのワイン納め、耕作をする農民は自分で束ねた穀物束を1束と1フィアテルのワインを納めるが、レッコウの住民は家ごとに1フィアテルのライ麦とクリスマスのパンと復活祭の卵を納める。§22. このような報酬の代償に彼は渓谷から1年をとおして教会、市場および物資を供給すべき場所へ運搬しなければならないが、馬または荷車などが往復するときには、古いしきたりによって彼は特別の報酬を得る。 §23. 外来者であれ地元民であれ、船着場に来たら、3回呼んで。船頭が来なければ、飲食店に行って、船頭の負担で1マースのワインを飲むことができ、そこで再び行き、呼んで、船頭が来なければ、同じようにすることができ、彼が飲み食いしている間にかかった費用は、船頭が支払うべきである。§24. 2人以上の者が来て、一方が他方より急ぐか先行するなら、その態度の強弱にかかわらず、彼は先行する者を最初に乗船させ、後から続く者を次に乗せ、両者の間に立って、先行者を陸に上げたら、船を反転して、後続者を降ろすべきである。§25, これは運送賃金にかんする法である。一人当たり1ペニッヒの硬貨を与え、当地へ来る者には同じ硬貨または小銭1ペニッヒを与える。彼が馬をもっている場合は、2ペニッヒを与え、彼が荷物を積んでない馬をもっている場合も2ペニッヒを与え、荷馬車に荷物を積んでいれば4シリング、手押し車に荷物を積んでいれば2シリング、何も積んでなければその半額を与
える。 
 §26. 穀倉管理人屋敷の裁判集会が秋に開かれるときは、8名の旧参事会員、すなわちキュスアッハから2名、ダングシュテッテンから2名、ロインハインから2名、レッコウから2名の旧参事会員が宣誓して彼らに代わる他の8名を選び、領主がさらに4名の裁判官を選任すべきである。これら12名は、指示されたとおりに、いかなる者にも、ことの良し悪しにかかわらず、仕え、裁くことを裁判集会に誓うべきである。§27. 前記の8名の参事会は市場町と渓谷の領主支配としきたりおよび良き慣習を守り、最良の理性によって、それらを利用し、弊害を避ける義務を負うことを宣誓する。 §28. この参事会はキュッセンベルクの領主と代官に次のような義務を負うことを宣誓する。すなわち、不和、騒動あるいは争いが起きたことを彼らが見たり、その場に居合わせたら、平和を実現する義務を負い、これに違反して平和が守られない場合は、届け出て摘発すべきである。しかし参事会が不在か、役人または廷吏が不在であれば、そこにいる村民全体が前述のようになすべきである。
 §29. 領主制のしきたりおよび慣わしとして、コステンツの領主または代官はいかなる者も捕らえて連行したり、閉じ込めたりしてはならず、命令の代償に法を許容すべきである。
 §30. これらは古来より伝わる古い罰金と刑罰である。 §31.罰金を払うときは、3フントを払い、しかる後に9フントを払う。しかし、これに違反すれば、償いをおこなうべきであり、さらに支払いをおこなう場合は、領主の慈悲と意思にしたがう。§32. 不法な手で不法に打ち、刺し、または切りつけ、あるいはナイフ、武器、棒、さお等を使うなどの不法な振る舞いをする者は、領主に3フントを償う。§33. 石その他を投げようとして投げなかった者は、3フントを賠償し、投げて当たったら10フントを賠償する。 §34. ある者を地上に倒せば、領主に10フントを賠償する。 §35. 代官、廷吏または参審員に訴えられたことは、法によって正しく処理されるべきである。 §36, 村民のだれかが生垣の木を伐ったら、宣誓して彼を告発すべきであり、生垣の木を伐って訴えられた者は、いかなる切株についても10フントを賠償する。
 §37. 穀倉管理人屋敷の裁判集会が終る日に、旧参事会は新参事会に席を譲り、実際におこなわれた収入と支出について計算をして、必要であれば、彼らは全村民からさらに2-3名を採用すべきである。

 2-16 ザンクト・ブラージエン森林管区 St. Blasisches Waldsamt (1467年)


  §1. 森林首席司祭と廷吏は修道院に帰属すべきである。 §2. われらが慈悲深き領主たる大修道院長と彼の管区役人はすべての公正かつ平等な命令を実行すべきであり、実行することができるが、彼にとって公正とは考えられない命令がなされた場合は、彼はそれをわれらが慈悲深き領主、すなわち現職の大修道院長に相談して、その結果彼らが合意すれば、そのままでもよいが、彼らが合意しなければ、その命令が公正であろうとなかろうと、命じられた者が属する地域と裁判所で上記の大修道院長と修道院の裁定によって正当に決定されるべきである。§3.大修道院長と彼の管区役人は、生命の危機に際して必要とあらば、オーストリアの政府と同様に、平和を命じることができる。 §4. 修道院領民は聖なるもの、修道院および現職の大修道院長に誓って、すべての公正なることに忠実にしたがい、誠実かつ支障なくその利益を促進し損失を回避する。 §5. 修道院の農奴ではない修道院の被保護民も聖なるものに敬意を表して誓い、現職の大修道院長、すべての公正なことに忠実で従順であり、誠実かつ支障なくその利益を促進し損失を回避する。 §6.大修道院長と彼の役人は、邦に誓った者を捕えてはならず、彼は安心を得ることができるし、安心を与える意志をもっている。
 § 7. 高貴な生まれの君主および領主のアルプレヒト公の賞賛すべき記念の文書において次のような言葉で記された条項がある。すなわち、われわれの特別な決定によって、修道院の農奴は修道院の保護下の森林にとどまり、大修道院長の許可なく移動してはならないという決定を守らせる権限を現職の大修道院長はもっている。そこで大修道院長と修道院と森林の領民は次の点で互いに合意した。すなわち、修道院の農奴は、男女を問わず、トットナウまたはシェーネンに妨げられることなく移住することができるが、そこから先へ出てはならず、その終点からどこかへ移住を望む者は、再度ホーエンシュタイン代官管区の森林へ引き返すべきであり、どこへ行くにしても、常に修道院の保護のもとにとどまるべきである。
 §8. 修道院の農奴である男が農奴でない女と結婚するとき、現職の大修道院長は平等かつ公正にこの点について彼と協議すべきである。しかし両者が合意できないなら、そのたびに管区役人は彼らが合意するように試みるべきである。だがそれができなければ、ホーエンシタインの代官はその問題を決定する権限をもち、これにしたがって両者はこれを守るべきだが、彼らがこれにそむいて、意見の一致をみなければ、古来のしきたりどおり、大修道院長は彼の死後に遺産を取り上げることはできない。§9. 修道院の農奴で、修道院に地代を納める義務を負い、シュヴァルツヴァルトに属する農地を保有し、かつて謝肉祭の鶏を納めたことのない者は、毎年聖ヴェレーナの日(9月1日)に1シリングの価値の鶏をそのかわりに納めることによって、農地の相続税を済ませるべきである。 §10. 修道院の農奴でない者が、修道院の地代義務を負う農地をシュヴァルツヴァルトで保有する場合、彼が死ねば、農奴が死亡税を納めるのとほぼ同様に、彼も農地から死亡税を徴収されるべきである。 §11. 妻が夫より長生きすれば、彼女が修道院の農奴であろうとなかろうと、修道院の地代義務を負う農地を保有し、結婚によって生まれた子どもを彼女の死後に残せば、彼女は死亡税を徴収されることはない。しかし彼女が結婚によって生まれた子どもを残さなければ、農地から死亡税として、彼女が結婚式に着ていた着物またはschleiger または帯から最良の品物を徴収すべきである。修道院はそのなかから選ぶべきであるが、妻が夫と離婚した場合は、死亡税の義務を負わない。 §12. 修道院のあ妻がホーエンシュタインの代官管区に住んでおり、死亡して結婚によって生まれた男子をもたず、子どもも残さなかったら、修道院は上記のように死亡税を徴収すべきである。 §13, 修道院の教会禄受領者の相続がおこなわれたら、教会禄を受けてない他の領民と同様に、彼らはそれを相続してもさしつかえない。§14. 甲冑その他にかんして、それに属するものはすべて男子の相続財産として、家を保有してシュヴァルツヴァルトにとどまっている者同士の間で相続されていくべきであるが、彼らはそれを売ったり、譲渡したり、減らしたり、抵当に入れたりしてはならない。しかし相続人なしに死亡した者は、アルプレヒトの文書にしたがって甲冑を修道院に譲渡すべきである。

 2-17 シュヴァルツヴァルト Schwarzwald (1484年)


  (これはシュヴァルツヴァルトのうちオーストリア領に属する地域である)

 シュヴァルツヴァルトの自由、法による裁きおよび慣習

 これらは、シュヴァルツヴァルトの自由、法による裁き、古きしきたり、慣習および規則であり、われわれはそれらによってシュヴァルツヴァルトの住民を賞賛すべきものとしてきた。§1. 最初に、これはわれわれがいかなる領邦君主にもおこなう宣誓である。最初にわれわれはわれらが正しき自然の領邦君主および世襲君主としてのオーストリアのわれらが慈悲深き領主に、彼と彼の相続人と賞賛すべきオーストリア家の支配者のために誓う。§2. さらに14歳以上の者全員が、同上の慈悲深き領主と共同の領邦に対して、その利益を促進し、損失を避け、以下に記される盟約を守るべき忠誠を誓う。§3. われらが慈悲深き領主の人的交代があれば、われわれはこれまでと違う領邦君主と領主に上記の宣誓をおこない、恭順の意を表し、今やそのときからシュヴァルツヴァルトのすべての管区役人が、上級代官であれ下級代官であれ、交代すべきであり、さらにすべてが過去のものとなり、正当性を失い、無効となり、罰金も刑罰も消えてなくなり、領主にも管区役人にもなすべき責任も義務ももはやまったく負わなくなる。ただし、正当であろうとなかろうと、名誉、身体および生命にかかわることであれば、なくしてはならず、また新しい罰金や刑罰が科せられたら、古くからのしきたりどおり、正当化され、受け入れられる。§4. 前述のようにおこなわれ、われらが盟約団体の首長と参事会が管区役人にそれを告げると、われらが法による裁きとしきたりは以下のような規則にしたがって把握される。
§5. われわれは毎年聖ゲオルギオスの日(4月23日)に、われらが統治者とその邦にとって最も有益で、最も名誉あり、最も適切と思われるわれらが最良の考え方にしたがって、われらが慈悲深き統治者の管区役人の干渉と妨害なく、われわれのeinungsmeisterと参事会を新たに選出する。 §6. 盟約団体の首長と参事会がおこなう宣誓について。こうして選ばれた盟約団体の首長と参事会はすべての重要で、真剣かつ必要な諸問題について、必要に応じて最善を尽くして、審問をおこない、彼らの前で審理をおこなうことを、邦に誓う。そして何らかの問題と判決が彼らの前に提示されたら、いかなる者も、貧しい者にも富める者にも、富める者にも貧しい者にも、平等かつ公正な態度をとり、最良の考えによって、これらの諸問題を長びかせず、できる限り速やかに決着すべきである。 §7, einungsmeisterと参事会が選ばれたら、1年のうちいつでも参事会を必要と思うときにて開催することができ、代官や管区役人が出席してもしなくても、また彼らが望むなら、われらが慈悲深き統治者とその管区役人の干渉をうけることなく開催できる。 §8. これはいかなるwaldvogtもなすべき宣誓である。森林地区代官は邦一般に対して忠実にその利益を促進し、その損失を回避し、われわれのいかなる自由、法による裁き、慣習および古きしきたりもすべて守り、彼の最善を尽くして保護し取り扱い、外部の裁判所からも保護し、その代わりに領主には謝肉祭の鶏を納める。
 §9. 男女の邦民を突き飛ばしたり殴りつけたりしてはならず、名誉、身体および生命にかかわる問題を除き、法が許す範囲内で、領民は盟約団体の首長の助言を得て管区に属する者として行動することができる。§10. 盟約団体の首長に訴えられた問題について彼が裁判をおこなおうとするなら、彼は裁判所に出廷して、耳を傾け。男女の領民が相手に対しておこした訴えを審理し、それによって法が告げられ、われらが慈悲深き領主に帰属する金額が徴収されたら、古きしきたりのとおり、彼はそのうち慈悲深き領主から正当な権利をとして彼への帰属分を取得すべきである。
§11. 森林地区代官はいかなる者をも彼の裁判管区から他の裁判管区へ追放してはならない。また男女の邦民をある裁判管区から他の裁判管区へ移してはならない。§12. 男または女の邦民が 法によって罰せられたら、waldvogtは彼との協議をおこなわせて、事態のさらなる悪化を抑制すべきであり、領主なしにそのような権限をもつ。§13, waltvogtに使者または手紙が来たら、彼は日を置かずに早めに最寄りの盟約団体の首長たちのうち2-3名を召集して、彼らとどうすべきか相談すべきである。
§14. 森林地区代官とともに戦場に出征し、宿営が襲われるようなことがあれば、waltvogtはわれらの隊長として、われわれ領民と同じ飲食をともにすべきだが、彼がそれ以上のものを望むなら、彼が自分で費用を負担すべきである、また彼は馬をもち、その費用はわれらが慈悲深き領主が負担すべきである。 §15, 軍旗をもつ邦防衛隊では、森林地区代官は盟約団体の首長その他の者の同意なしに誰かを邦の防衛隊から去らせる権限をもたない。
§ 16. 森林地区代官はわれわれに上記の所項目を守らせることは、それだけわれわれのためにも良いことではあるが、しかし彼が著しくわれわれに干渉をするなら、われわれは慈悲により彼の圧迫から免れるべきでる。
 §17. これはわれわれが誓って守るべき盟約である。誓いをおこなう者は全員,われらが統治者と賞賛すべきオーストリア家および邦一般に忠実かつ誠実に、その利益を促進し損失を回避し、またあらゆる公正で法にかかわる重要問題において、われらが慈悲深き統治者その管区役人と盟約団体の首長に従順にしたがうことを誓うべきである。 
§18. ある者が他人に主張すべきことがあるか、あるいはいかなる問題であれ、彼が住んでいる邦で法をめぐる交渉があり、それによって何らかの法の判断が示され告げられれば、いかなる者もこれに満足すべきである。もし判決を告げられた者がそれに不満を感じれば、彼は費用を自己負担して代官と盟約団体の首長に訴えることができ、代官と盟約団体の首長がそれについて判断を示せば、彼はこれを守るべきであり、それ以上さらに控訴してはならない。
§19. 邦に戦争であれ、捕虜であれ、収奪、略奪または放火であれ、そうしたことが起これば、急いで追跡し、そうしたことを聞きつけた者は誰でもできるだけ長く、多く、遠く救援をおこない、正しい秩序を守るべきである。壁や水に障害が起こり、人が途中で立ち往生して、先に進めなくなったら、道端に横たわってもよく、誰かが後からやって来たら、どこか脱出する場所を尋ね、もし彼がしゃべれないときは、手と足で指示すべきである。
 §20. 誓約団体の管区に移住する者が盟約団体に誓おうとする場合、古い規則が排除し斥けているのとは異なる仕方で彼を受け入れてはならない。それについて彼を助けたり彼に義務を負ってはならない。
 §21. われわれは古くからのしきたりとして、狩猟をして捕獲した獲物を妨害なく保持する。家畜の群れを襲い、木に登るすべての動物、すなわち熊、狼、大山猫、狐、猪、穴熊、テン、イタチ、リス、エゾ雷鳥、クロ雷鳥、その他はすべて統治者のものである。 §22. 水と漁場はシュヴァルツヴァルトでは古くからのしきたりとして、アルプ川、ムルク川およびイーバッハ川は統治者とそれらの権利をもつ者に属する。 §23. 他の河川は古くからのしきたりとして、いかなる盟約団体の首長もそこに属する彼の隣人や臣民とともに組合と漁場をもち、魚を捕えるたびに組合で魚を享受しても何らさしつかえない。 §24. 妻が妊娠している夫は、それらの河川から1-2回報酬を獲てもよい。病気の者は1-2回魚をとって報酬を得ることができる。それ以上河川で魚をとれば、法による罰金を容赦なく科せられ、昼間は1フント、夜間は3フントを科せられ、その半分をわれらが領主に、半分を邦に納める。
§ 25. 古くからのしきたりによって、いかなる森林地区代官もシュヴァルツヴァルトのあらゆる場所ですべての問題について裁判をおこなわなければならず、上級裁判所でも下級裁判所でも不法行為をなした者を召喚し、判決と法を告げ、われらが慈悲深き統治者といかなる者の妨害もうけることなく、それを守り、それにしたがうべきである。
 上記の自由、法による裁き、古きしきたりおよび規則はシュヴァルツヴァルトの永遠、正当かつ固有の土地台帳から、それに何も加えられることなく、引用されて記された。





3.シュヴァーベン Schwaben


 3-1 オーバーシュナイトハイム Ober-Schneidheim (1568年)


(オーバーシュナイトハイムは今日バーデン・ヴュルテンベルク州のウンターシュナイトハイムの一地区で、バイエルン州との洲境に位置する)


  1568年に更新されたシュナイトハイムの法の写し

 リース盆地のゼヒタ川沿いにある集落オーバーシュナイトハイムのわれわれ全村民は、この集落のわれわれと後継者住民全員に対して、この文書によって次のことを告げ知らせる。すなわち、わが全集落はさまざまな領主に服従した後、われわれにとって多くの不利益と不法が生じる法令をもちたいとは思わなかったが、神は秩序ある暮らしをするように求め、思慮と協調を愛でるので、三位一体における全能の神、天の女王マリアに永遠の賞賛と畏敬の念をもって、われわれとわが後継者たちに役立つように、いかなる領主であれ、領主が異なっても例外なく、誰もが服従するように、われわれ自身に対して法令を定めたが、そうした法令がなくなったり妨げられたりすることのないように、われわれ村民は全員、相互の命令と禁令によってそれを永遠に守らなければならない。そのかわり、わわわれを保護したり、かくまったり、護衛して、言い逃れを許すなど、もってのほかである。
 §1.まず第一に、われわれは村の森林をもち、それを村で利用し、道をつくり修理し、共同の利用を促進できるようにそれを育て、全集落のいかなる住民も、村の了解なくそのなかで伐採したり、損害をもたらすなら、1グルデンの罰金を科し、捕らえられた者はそのたびに容赦なく1グルデンを村に納める義務を負うものとする。§2. 第二に、われわれの村にはこれまで家畜が飼われ、特別に家畜の番をおこなってきたが、一部の者の家畜が共同放牧地を他の村民より早く食べ尽くし、最良の放牧地を食べてしまうことは、公正ではないので、われわれはいかなるに者もそうしたことを禁じ、違反者は捕らえられるたびに4ベーメン・グロッシェンを容赦なく納めなければならない。§3. 第三に、これまでわれわれの妻、娘や女使用人が小麦その他の作物を不当に刈り取ったら、われわれはそうした刈り取りを避けるために、いかなる者にも4ベーメン・グロッシェンを命じ、違反者またはその家内使用人が捕らえられたびに、容赦なく罰金を科される。§4. これまでわれわれの多くの場所で麻による大きな損害が起きたので、われわれは、いかなる者もその家内使用人とともに麻を室内に運びこんで、炉端その他の場所で乾燥することを禁じ、そうしたことが見つかるたびに、4ベーメン・グロッシェンを容赦なく科される。
 §5. そのようなわれわれの法令、規則および命令がいつまでも遵守されるように、われわれは毎年われわれの村から4人の誠実な者を選ぶことを定めた。われわれはそのために彼らをじっくりと選考し、彼らをその年度に書き記されたすべての規則の遂行者および統治者として四人衆を指名する。彼らはできるかぎり全村民に有益なことを促進し、他の有益で必要な命令もおこなって自ら遵守し、そうした条項に違反したいかなる者も罰金わが村に納め、あるいは自分の金銭を差し出し、不平をいったり悪しき言い訳をすることなく、そうした規則がしっかりと遵守されるべきである。いかなる規則も遵守し、どの規則もおろそかにせず、えこひいきすることなく、敵味方にかかわりなく規則を遵守し、われわれのなかからそうした職務に選ばれた者は、不平を言ったり拒否することなく、その年の職務を引き受けるべきである。ただし、彼が村に対してしかるべき理由を示し、その理由が十分納得できると村が考える場合は、そのかぎりではない。しかし、後からその職務を拒もうとしても、許されてはならず、そこから村に飲食費、冗費、廷吏の賃金、費用と損失が生じたら、ふとどきな者はさからうことなく支払うべきであることを、われわれはわれわれ自身とわが後継者住民のために全員一致で承認した。上述の四人衆が選ばれたら、彼らは村に忠誠を誓い、すべての上述の規則に忠実にしたがい、わが村のいかなる規則も遵守すべきである。こうしてわれわれは最初の指導者および四人衆に謙虚なアンドレアス・ヴェッツシュタイン、ハンス・クネヒト、クラウス・シュヴァイクヘルンおよびクラウス・キリンゲルンを選出し、彼らはすべての規則とともに彼らの職務を無事に遂行し、守り、従うことをわれわれに誓い、われわれ全村民は上述の四人衆と彼らのすべての後継者に対して、そうした規則とすべての上記の規則の遵守に協力することを約束する。§6. しかし、われわれと集落のわれわれの後継者住民のなかから共同用益にかんして上記の規則やその他必要な命令にさからい、これを不当に破って、上述の罰金を納めようとしない者がいれば、彼がそうした罰金を、こうむったすべての費用と損害も含めて、村に完済するまで、誉れ高い村は、ふとどきな者のすべての家畜に対して水と放牧地の利用、村のすべての用益権を禁止する権限と法をもつ。それに対して、聖俗領主のいかなる裁判所も法も、都市も、領邦裁判所も、君主も領主も貴族も、その他の者も、誰かを保護したり、かくまったり、護衛したり、放免して、言い逃れを許すなどもってのほかであり、あらゆる危険や悪だくみは完全にとりさられ、克服されるべきである。
 §7. さらに、毎年上述の規則の違反の罰則や罰金に加えて新たな禁止がその後おこなわれたら、四人衆は、上述のようにそれらを熱心に徴収するか自分で納付し、その半分を自分のもとに留保し、村のために必要であれば、彼らが使ってしまってもよい。彼らは残りの半分を村に忠実にひき渡し、村はそれを使用し、共同の利用に付すか、さもなくば村民全員の意志にゆだねるべきである。§8. 同じく四人衆は村の多数の者とともに、彼らが良いと考えることすべてにおいてそうした命令と禁止を増やし、共同の利益を求め促す良き法と完全な権限をもつ。また四人衆は何らかの罰金を命じることが村に必要と考えるなら、そのたびにいかなるふとどき者も罰金を納めるべきであり、それは彼の生活の困窮させるか、あるいは領主の命令がなされるか、われわれが誰も捕らえようとしない場合は、領主の支配と正義に不利をもたらさないよう、何らかの処分がおこなわれる。
 そのような規則が永遠に強化・確認され、力と権限をもつように、われわれオーバーシュナイトハイムの村落全体は、今年任命された現職の四人衆、オーバーシュナイトハイムに住むペーター・シュネレ、メルキオール・ナークラーの両名をつうじて、ホーエンドリューディンゲンの現職の辺境伯領地方官で、高貴かつ堅実なヴィルヘルム・フォン・タンハウゼンに対して、そうした文書の印章が戦争や火災によって損傷をうけたので、すべての上述の事柄を公的に証明するために彼自身の印章を文書に押印するように懇願した。
 それゆえ、私、上述のヴィルヘルム・フォン・タンハウゼンは、これがおこなわれたことを認める。すなわち、彼らは私の所へ来て、私にそのことを懇願したので、私は彼らの懇願を正当と考え、とくにわ私の先人によって考えられた文書が保証されれば、彼らは上述の規則書を冷静に記憶にとどめて、いかなる異論に対しても用いられる。そこで私は彼らの熱心な懇願に応えて、村全体に対してそれを拒否するつもりはなく、わが相続人と印章を傷つけることのないように、この文書に私自身の印章によって押印した。これは1568年5月1日におこなわれた。


 3-2 イッツリンゲン Itzlingen (1625年)



(これは1625年の村落規約であり、村落共同体における農民相互の関係を定めた規約として、非常に珍しい。他地域の慣習法は領主・農民関係にかかわるものが大半を占めているからである。)

 

 われわれは、村長ペトルス・レンプ、参事会員で現村役人ゼバスティアン・ライヒャルトとヒエロニムス・ヴェルシュ、ネルトリンゲンの療養院の管理人M・シュテファヌス・アイバースバッヒャーの名で、われわれおよびわれわれの後継者のためのこの文書によって、いかなる者にも次のように告知する。すなわち、すでに何年も前に、とくに1588年にゼヒトアッハ川沿いにあるわが村落イッツリンゲンの住民と名誉ある全共同体は、直接の正規の村落支配者および当局としての上述の療養院のわが敬愛する先人、村役人、管理人に、以下のことをいま一度謹んでお願い申し上げた。すなわち、役職、四人衆、境界監視人、耕地監視人および家畜番人の任命と彼らの報酬、家畜の放牧と放牧地、およびとくに垣根の隙間の通り道、村と耕地のための道や通路にかんする村の古い法と慣行は、守られるべきであり、いかなる農地や隣接地保有者も古くよりそれらの法と慣行を認める責任を負い、将来いつまでも忌避することなく実行する義務を負い続けるべきであり、正しい法令を定めて、われわれが当局の公正な企図と願いを尊重し、将来も村全体がすべての不都合な弊害を防止し、労苦と費用を削減し、村民の良き団結と公正を最良の利益のために達成することを、当局に対して確証すべきである。われわれは富める者も貧しい者も、老いも若きも、全員に対してそうした古き伝承や慣習を教え、次のような条項を将来も変わることなく守り、すべてのいかなる住民も農地保有者もそれに従順に、平和に、融和的に、現実的ににさからうことなくしたがい、違反には刑罰が科されることを、当局に対して固く誓い確証する。法は一語一語次のように定めている。

  I
 §1. イッツリンゲン村はあらゆる官憲、権力、罰令、代官区、神聖な農地にかんする裁判権、教会祝祭の守護、さらに役職、四人衆、境界監視人、耕地番人、家畜番人の保有地、居酒屋、貢租、鍛冶場の貸与と任命のすべてとともに、村落と耕地における命令と禁令、不法行為の取り締まり、判決、刑罰および罰金も、例外なく、ネルトリンゲンの誉れ高い市参事会と療養院のみに属し、他の領主は村落と耕地にも道路にも同じ権利と支配力を昔からもったことはなく、今なおもっていないことは、すべて人の記憶に留められている。§2. ネルトリンゲン療養院は当地に裁判所をもっていないにしても、その裁判所は古くから常にゴールトブルクハウゼンに設置されており、毎日裁判がおこなわれている。§3. まず毎年聖ゲオルギオスの日(4月23日)の頃古からのまたは昨年度の四人衆が会計検査のために療養院で会議を開き、彼らの1人に命じられると、療養院書記または領主によって命じられた者が、派遣使者および全村民とともに飲食店に集まり、会計報告を聞き、問題の所見が採択され、署名がなされ、文書に記載され、あるいはそれに何らかの疑念が生じた場合は、われわれ上級領主に提出され、続いて古い慣わしどおり新しい四人衆が村民のなかから選ばれ、領主代理人によって同意と認証を得る。§4. イッツリンゲンには誓約による耕地の境界監視がおこなわれ、7人の境界監視人が有益な領民全員のなかから採用される。彼らの1人または数人が死亡したり、集落からいなくなったり、あるいは自分の家と農地をもはやもたなくなった場合、残りの境界監視人は欠員となった者のかわりに他の者を選ぶ。それは通常、四人衆の会計検査の集まりの後におこなわれ、彼らは療養院で境界監視の宣誓をおこない、古くからの慣わしどおり認証されなければならない。
 §5. 村や耕地で境界監視が必要になり、7バッツェンを求められたとき、これを与えるために、1年をとおしていつでもそれを療養院に用意しておかなければならない。また領主により使者または村長が当局のために立ち会うように命じられたら、できるだけ毎年共同の境界監視をおこなうべきである。§6. 境界石税にかんしては、いかなる境界耕地保有者も今年から境界石一つについて2クロイツァー、持ち上げられた境界石一つについては、領主が認めれば、その2倍の額を納めるべきである。
 §7. 四人衆と全村民が不可欠とみなすなら、損害を避けるために、ただでさえ厳しく危険なこの時期、近隣の集落や村落と同様に正規の馬の検査をおこなわなければならない。そこで1624年と25年の四人衆の会計報告の際に村民のなかから3名が選ばれ、新旧の四人衆によってネルトリンゲンの両名、鍛冶屋ヴォルフ・シュヴァイツァーとペーター・グラフ、さらにドイツ騎士団に属する臣民のカスパー・グリムが選ばれ、領主のためにその代理人の療養院書記ゲオルク・ヴェンゲンによってしかるべき同意と認証がおこなわれただけでなく、これは次のような法的条項として定められた。すなわち、第一に、この選ばれ認証された馬の現職検査役および将来のすべての検査役も、そのうち誰かが死亡するか、集落からいなくなるまで、常にその職にとどまり、在職者が他の役立つ村民を新任役員とすることができ、彼は療養院に紹介され、誓いをおこなうべきである。また、馬の検査それ自体にかんしては、毎年村内のすべての馬が、放牧される前に、丹念に検査され、馬1頭につき、馬齢にかかわりなく、1クロイツァーを納めるべきである。さらにいかなる村民または住民も、彼の領主が誰であれ、1頭または数頭の馬を、馬齢にかかわらず、購入または交換によって集落に連れてきた場合は、放牧する前に、正規の馬の検査役によって、馬が適正かどうか検査してもらうべきであり、規定の報酬として12クロイツァーを支払う義務を負うべきである。しかし、馬が不適格あるいは不正と判断されたのに、わざと放牧したことがわかった者は、いかなる馬についても検査役に1ターラーを罰金としてとどこおりなく納めるべきであり、同時に馬を厩舎に入れるように命じられる。また外来の馬を見せないか検査してもらわないで、勝手に放牧し、禁令に反して放牧地を利用した者も、同じ罰金を覚悟しなければならない。
 §8. 現在バルタス・プロマーの未亡人が有する飲食店と居酒屋はネルトリンゲンの領主に通常の酒税を納め、1年をとおしてワインとビールが村民に日夜提供され、彼らが満足するように、過剰や詐欺なしに適度な価格に保たれるべきである。しかしワインもビールも売らなくとも、いかなる飲食店主も、毎年教会の祭の頃に屋外で検定がおこなわれるネルトリンゲンの度量衡検査を利用するか、あるいはその前の土曜日に検査のために酒の容器を持ち込み、療養院で検査をうければ、領主の意志にかなう。

  II. イッツリンゲンの共同体

 §1. 第一に、他人の倉庫や採草地で騒ぐ者は、昼夜いずれも32グロッシェンを納めるべきである。§ 2. 第二に、昼間に他人の庭を不法に通る者は、彼が成年に達していれば、2フントを納め、夜間に通る者は4フントを納める。§ 3. 第三に、他人の垣根を破った者は、村落であれ耕地であれ、昼間の場合は贖罪金として1 フント、夜間の場合は4フントを納める。§4. 休耕している農地の草を刈ってはならず、そのようなことをした者に対しては、彼の村落耕地境界を破り、家畜をそこに放牧しても、違法行為にはならない。§5. いかなる農民または小屋住もその耕地を春まで休閑することができるが、農民は耕地の5モルゲンを、また小屋住は、農民とともに、その所有地の半分を精霊降臨祭まで休閑しないでおくべきである。ただし、それは二つの耕区にかぎられ、レッテンフェルトの耕区では決してそのようなことをしてはならず、これに違反すれば32ペニッヒの罰金が科される。§ 6. 休閑していない耕地に厩肥を散布する場合、精霊降臨祭まで散布してはならず、違反すれば罰金32ペニッヒを科される。§7. 不可分の耕区に耕地をもつ者は、とくに耕地を播種のために速やかに耕す必要がなければ、正しく厩肥をほどこすべきである。§8. キルヒハイムのメーダ―およびゲオルク・レープジンガースは、バッヒェンマートという名の耕地を洗礼者ヨハネの日(6月24日)の後に空けるべきであり、そこに放牧する者がいても、不法行為にはならないと指示した。§9. いかなる者も囲いをつくり、村と耕地に役立ち、誰にも損害が生じない良い垣根をつくるべきである。そのなかに家畜が見つかったら、家畜の持ち主は共同体に罰金を納めなくてもよいが、垣根の持ち主は共同体に32ペニッヒを納める義務を負う。§10. 秋の採草地をもついかなる者も、聖ミカエルの日(9月29日)まで草を残しておいても、罰せられることはない。§11. 家畜の放牧によって損害が起きないように、聖ゲオルギオスの日(4月23日)までにゼヒトアッハハウゼンとレーリン方面の二つの耕区におけるすべての休耕地の草を刈り、その時期以前にはそこに家畜を放牧してはならず、二番草の生育のために作物を刈り取るだけでなく、作物の刈り後畑を空けるべきであり、耕地の収穫が始まったら、収獲物をすべて集めるべきであり、これに違反したら32ペニッヒの罰金を科される。
 (この後、レッテンフェルトの肥料の搬入路の描写が続く。ゼヒトアッハハウゼン方面のエン麦畑とレーリン方面の休閑地における放牧および運送路のうち、それぞれの放牧および運送路がとりあげられる。続いて村落における小路の一覧。)


  III. 家畜番人の報酬にかんして

 §1.第一に、聖ペトロの日(6月29日)が来たら、家畜番人は下僕、犬および雄牛を用意すべきである。聖ゲオルギオスの日(4月23日)以前に家畜を放牧する週については、家畜3頭をもつ者は毎週家畜番人にパン1ライプを与え、2頭をもつ者は2週間に1ライプのパンを与え、1頭しかもってない者は聖ペトロの日から聖ゲオルギオスの日まで4週間に1ライプのパンを与えるべきである。§2. 家畜をもつ者は、1頭であれ、複数頭であれ、いかなる家も家畜番人に週賃金分のパンを納める義務を負う。§3. 聖ゲオルギオスの日以後聖マルティノの日(11月11日)まで、め牛であれめ豚であれ、家畜が出産したら、それを放牧するかしないかにかかわらず、週賃金分のパンを納め、生まれた多くの子牛または子豚を放牧する場合は、あるいは購入した場合も、週賃金分のパンを納める義務を負う。§4. 聖ゲオルギオスの日を過ぎたら、家畜の数を数えて、聖ヨハネの日(12月27日)までに森林の伐採をおこない、聖ヨハネの日までエン麦俸給を支払う。め牛、め豚、羊、生後6週間の子豚のいずれであれ、聖ヨハネの日を期限として3マルターのエン麦を支給し、家畜が聖ヨハネの日より前に帰されたら、穀物束を支給せず、家畜が聖ヨハネの日の後に家畜番人から帰って来たら、聖ヨハネの日から聖ラウレンティスの日(8月10日)まで穀物束の義務を負う。そして聖ラウレンティスの日から聖ミカエルの日(9月29日)まで子羊と子牛を除くいかなる家畜もエン麦束の義務を負い、聖ミカエルの日から聖マルティノの日までに(9月29日?11月11日)家畜番人に対して森林伐採の報酬として3マルターのエン麦が支給される。§5. さらに、聖ゲオルギオスの日から聖マルティノの日まで(4月23日?11月11日)森林への家畜放牧がおこなわれるなら、週賃金分のパンが与えられるが、森林伐採はおこなわれない。しかし森林伐採がおこなわれるなら、週賃金のパンは支給されず、エン麦束とエン麦俸給は支給される。§6. 森林の伐採をしなくてもよい者は、冬穀物束に1クロイツァーを、夏穀物束に3ペニッヒを納めるが、森林伐採をしなくてはならない者は、穀物束を納める義務を負う。§7. 1-2頭の家畜しか放牧せず、1年間に2-3回しか自分でパンを焼くことができない貧しい者には、家畜番人は1個のパンまたは1 プラッパルトを残してやるべきである。§8. 家畜番人は聖マルティノの日(11月11日)まで家畜を見張るべきであり、また聖マルティノの日から聖カタリナの日まで(11月11日?4月29日)家畜を放牧するときは、彼はいかなる厩舎からもパン1個を得るが、聖カタリナの日以後は、聖ペトロの日(6月29日)まで天候のゆえに放牧できるなら、家畜の群れ全体について毎日1プラッパルトの現金を得るべきであり、それ以上得てはならない。§9.1歳の子馬を放牧する者は、3日経ったら、週賃金分のパンと1フィアテルのディンケル麦を納めるが、そのかわり家畜番人は1年中見張りをしなければならない。§10. 家畜番人は農民と小屋住に14日間の収穫期と14日間の草刈り期に余分な馬を見張る義務を負い、これに対していかなる農民も家畜番人に木材運搬をおこなうべきであり、そのかわり彼はどの農民にも12ペニッヒを支払う義務を負うが、村民が木材を得る場合、家畜番人も木材を得るべきである。しかし小屋住はいかなる馬についても1 フィアテルのディンケル麦を納める義務を負う。§11. 10羽以上のがちょうを放牧し、3日間家畜番人のもとに置く者は、パン1ライプと1フントの食用油を納めるが、5羽しか放牧しない者は2分の1フントの食用油と2分の1個のパンを納め、それらすべてをまとめて菓子としてを納めてもよい。聖ヤコブの日(7月25日)になったら、ガチョウ1羽について3 ペニッヒを納め、2回で分納する場合は毎回3ヘラーを納める義務を負う。§12. 皮はぎ人は死んだ馬またはめ牛1頭について1バッツェン、1歳馬またはめ牛1頭について2分の1バッツェン、羊または豚1頭について1クロイツァー、子羊1頭について2ペニッヒの報酬と定められている。
(これに続いて隣接するイッツリンゲン、オーバードルフ、ゼヒトアッハハウゼン、ケルキンゲンおよびヴェッシンゲン諸村の1624年10月8日の共同放牧と放牧地の境界の叙述)
上述のすべての諸条項、法令、慣習、古い伝承および近隣放牧地協定は、確実におこなわれており、賞賛に値し、有益で、必要であり、上述のように、平和、安寧および良き協調のために役立つので、われわれはイッツリンゲン村の現在と将来の住民と村民全員に対して、彼らが詳述された法令や条項を忠実に実行しそれらに従い、常に遵守するように、制定し命令する。このため全村民への願いにかんして、われわれは彼らと彼らの後継者にこの確認された法または放牧地文書を療養院書記局の印章によって証明する。これがおこなわれたのは、主キリストの生誕後1625年5月11日、水曜日のことである。


 3-3 イッツリンゲン Itzlingen (1353年)



 私、コンラート・イッツリンゲンとすべてのわが相続人はこの文書で、これを見聞きし読む者全員に対して、イッツリンゲン村にある療養院の農地、すなわち荘官ウルリッヒが保有する圃場、荘官フリッツェが保有する圃場、ネルトリンゲンの療養院の農地、仕立て屋ヒンツェが保有するハウヒェルスブルンネンの領主の農地に手を着け。法とともに行動することを告示する。われわれはその法が語った日付と 5 名の者の名前を正しく挙げることができる。すでにそうした法が存在するので、私も私の相続人も農地について何も語らなくてもよく、差押えたり裁いたりする必要もなく、上述の農地に住む者が私とわが相続人の裁判所に出頭しなくてもよいと定められていることは間違いない。上述の農地を保有する領民が一般に誓約の義務を負う場合は、私も私の相続人も彼らの農地を差し押さえたり手を着けたりしてはならない。しかしわれわれが彼らから誓約を得るまでは、耕地や叢林を差し押さえ、手を着けることができる。イッツリンゲンの城の上方にあって、上述の農地に属する採草地にかんしては、私または私の相続人は、城の上方にある他の採草地と同じように、われわれの慣習とわれわれの法を尊重すべきである。これは騎士ゲールング・フォン・エメルシュオーフェン、ドゥルゲンハイムに住むコンラート・フォン・ツップリンゲン、隊長のコンラート・デア・スライセ、老役人と呼ばれるコンラート・デア・アインキュルンの諸氏の証言であり、彼らはこのたび法による判断をくだした。そこにはヤックスハイナーとその息子ゴットポルト・フォン・コルキンゲン、フリードリッヒ・シェーメ、ハインリヒ・デア・デヒリンガーその他名誉ある領民が多数出席した。私は私の公文書に真実の文書であることを証するため、わが印章を添えた。これはキリスト生誕後1353年の聖カタリナの日(11月25日)の前の水曜日におこなわれた。


 3-4 ゼヒトアッハハウゼン Sechtachhausen (1546年)



  1546年復活祭後の第6日曜日の後の木曜日に、ハンス・ラウギンガーとハンス・オスタータークの旧参事会員両名は現職の地方官として、またネルトリンゲン女子療養院の管理者カスパー・バイルも、ゼヒトアッハハウゼンの全村民の了解を得て、一致して次のように決議して村落規約を取り決めた。
§1. 第一に新しい四人衆と境界監視人を選び、同じく家畜番人職について語るとき、彼らは昔どおり療養院管理者に誓約をおこない、旧四人衆は新しく選ばれた四人衆とともに、彼らのすべての行為について、支出入、村落共同体のための会計を共同でおこなうべきである。四人衆はさらに共同体のために、集落外で何かを調達して支払わなければならないとき、共同体の財政から12ペニッヒを超える額を消費してはならない。§2. 第二に、四人衆が共同採草地を閉じて保護しようとする場合、彼らは村民に共同草地を集めるよう命じるべきでり、幾つかがまとまったらそれを閉じて保護することができ、家畜に草を食べさせたり、その他の方法で、保護された採草地に損害を与える者は、違反するたびに32ペニッヒを罰金として納めるべきである。その共同草地のまわりに潅水したい者は、村民以外の者に潅水させてはならない。§3. 第三に、四人衆はいつでも耕地のどこであれ必要に応じて禁止をおこない、禁止に違反するたびに4ベーメン・ペニッヒの罰金を科す権限をもつべきである。§4. 第四に垣根の隙間にかんして、境界監視人の監視のもとに置かれるべきであり、彼らが垣根の隙間について判断をすれば、それが守られるべきであり、年長の人々もそれに耳を傾けることができる。§5. 第五に羊にかんして、次のことが守られるべきである。すなわち、農民一人当たり18頭の羊および1頭の雄羊、小屋住一人あたり12頭の羊と1頭の雄羊より多くを飼い放牧してはならず、それを超えたら1グルデンを罰金として納めるべきであり、その数を超過する他の羊は共同体に没収される。§ 6. 第六に、耕地境界を越えて耕したり溝をつくる者は、そうした違反をするたびに、1グルデンの罰金を納めるべきである。§7. 四人衆は、休耕したい場合、各人が精霊降臨祭のほぼ8日前まで、どれくらいを休耕地とすべきか、命令する権限をもつべきである。§8. 第八に、休耕地保有者は作物が耕地にあれば、耕地権をもつべきであり、穀物が耕地からなくなれば、休耕地も空けられるべきである。


 3-5 ホルツキルヘン Holzkirchen (1450年)



(ホルツキルヘンはバイエルン州エッティンゲン市の南に位置する)

  §1. ホルツキルヘンの住民はエッテインゲンの支配から解放され、市場権をもち、刑事裁判権を守り、アルルハイムの領域で有害とみなされる者は、ホルツキルヘンの裁判所の管轄に属する。§2. ホルツキルヘンの住民はエッテインゲンの支配下で3つの罰金をもっていた。最小は10シリング、次は3フント、最高は10フントであり、常に慈悲にもとづいて科された。§3. すべての命令はホルツキルヘンとムートナウの支配が及ぶ管区内の耕地と村落でなされ、郡代官はそこでは何も罰する権限をもたない。§4. 支配領地に出征が命じられたら、ムートナウの領民はホルツキルヘンの領民とともに任務を遂行し、ホルツキルヘンの領民がムートナウの領民に要求することがあれば、彼らはそれを実行すべきであり、ムートナウの領民はホルツキルヘンの領民とともに、浴場、教会、道路および小橋を危険のないように維持する義務を負う。§5. ムートナウの領民は関心事についてアルルハイムの彼らの裁判官に要請すべきであり、彼らが他人を訴えたい場合は、裁判官が罰しなければならず、彼がさらに彼らを上級審に送ろうとしても、ネルトリンゲンの療養院は領主の貢租以外の問題でムートナウの領民を呼び寄せてはならない。§6. ホルツキルヘンの領民は次のような自由をもつ。すなわち、他所の者がホルツキルヘンの領民を法によって訴えようとするなら、彼は、領主以外の者に対しては、反訴すべきである。彼は騎士の拍車を身につけているのだから。§7. ホルツキルヘンの領民はは次のような自由をもつ。すなわち、領地と集落に有用とおもわれる廷吏を雇おうとするなら、彼を裁判官に引き渡し、廷吏は裁判官に誓約をおこなうべきである。また彼らが廷吏を雇えなくなって再び解雇しようとしても、廷吏はそれを訴えてはならない。§8. ホルツキルヘンの領民は、次のような自由をもつ。すなわち、その裁判所では、結婚の仲人、野次馬、仲裁人、仲裁裁判官および商人を除いて、外来者は証人となれる。§ 9. 彼らは次のような自由をもつ。すなわち、村落共同体員は裁判所で証人となれる。ただし、領主だけに責任を負う彼らの誓約した廷吏は、除かれる。§10. 彼らは次のような自由をもつ。すなわち、死亡する者がいたら、彼は死亡税として最良の家畜を納め、衣服を納めなくてもよい。ただし、妻は衣服だけを納める。§11. 彼らは次のような自由をもつ。すなわち、定住民を負債のゆえに捕らえてはならず、彼らを法にゆだねるべきである。§12. 彼らは土地保有交替税とひきかえに自由をもつ。§13. ホルツキルヘンの領民はネルトリンエンの重量、ネルトリンゲンの容量、ネルトリンゲンの長さ、ネルトリンゲンの中位の度量衡をもつべきである。§14. ホルツキルヘンで税を払って営業している飲食店主が、ワインまたはパンを売りたくない客がいる場合、この客は彼に代金または担保を樽の上に置いて、ワインまたはパンを取っても、不正には当たらない。§15. いかなる者も税金を払えば、旅行中の客に正午から翌日の正午まで酒類を売ることができる。§16. ホルツキルヘンの領民が荘官の耕地に溝をもち、この耕地が囲い込み地のなかを通る場合、その溝も囲い込み地のなかにあるが、荘官がそこに家畜の放牧を望まなくても、領民が望むなら、家畜を放牧することができる。そこで損害が生じた場合には、それは荘官がひきうける。§17. 荘官耕地が囲い込み地の中になければ、荘官は家畜を荘官耕地に放牧し、村落や水辺に垣根の抜け道をつくるべきである。§18. 寄進農地に住むか、それを保有する者は、共同地の雄牛や雄豚を見張るべきであり、家畜が利用できないことに苦情があれば、その家畜を垣根につないで、家畜を利用できるよう要求すべきであり、そうしなければ、違反のたびに5シリングの罰金を彼に科さなければならない。§19. いかなる者もその家畜を共同の家畜番人のもとに放牧することなく、個別に放牧してはならない。またいかなる者も家畜を冬越しさせる際に放牧してはならない。§20. 聖ヴァルプルギスの日(4月30日)が来たら、すべての罰金が徴収される。廷吏が罰金を数えようとしているとき、家畜が損害をもたらすのを見たら、彼は3度「防げ」と叫び、誰かが来て防いだら、被害は些少なので、罰金は3ヘラーである。しかし誰も来ず防ぎもしなければ、彼は家畜を連れ出し、損害をこうむった者に、その損害を賠償して、家畜の持ち主の家へ行き、罰金として17ペニッヒを請求すべきであるが、これはホルツキルヘンにのみ妥当する。§21. 廷吏は何者かが夜間に不法に騒ぐのを見つけたら、彼に5シリングを請求すべきである。§22. 小川の土手で草を刈る者は罰金5シリングを科される。§23. ホルツキルヘンのいかなる住民も精進日と金曜日ごとに魚を食べ、あるいは怠惰な妻を持つ者や客人をもつ者も魚を味わう自由をもち、水辺に行き、鉢一杯の魚を捕まえても、自分で利用する限り、不正行為には当たらない。§24. 漁師が船に乗り、堆積物の山の中に間違って入ってしまったら, 彼はそれを取り除いてもよいが、船の中で片足で立てるなら、それ以上除去しなくてよい。§25. 馬の放牧地と呼ばれる草地は復活祭から聖ミカエルの日(9月29日)まで垣根で囲い込まれた土地の中にあり、入ることが許されるが、その垣根をなおざりにして他人に損害をもたらすなら、損害をこうむった者は家畜の侵入した所から家畜を追い出し、垣根がある場所で生じた損害を弁償し、そこを閉じるように要求すべきである。そうしない場合は、5シリングを請求し、垣根を閉じるのを怠けたら、彼に毎日5シリングを請求し、キルヒアイム草地の垣根の隙間から出て行こうとする者は、それを再度閉じるべきである。§26. 聖ヴァルプルギスの日(4月30日)が来たら、聖ヨハネの日(12月27日)までムットナウの領民はグラーベン耕地の前のヘルトヴェークに放牧してはならない。そこに放牧する者には、5シリングを請求すべきである。またヴェルニッツ川で家畜に水を飲ませなければならない場合は、放牧したらそこから再び出すべきであり、そこにとどめてはならない。§27. ムートナウに教会寄進地をもつ者は、それが囲い込み地の中になければ、隣接する放牧地に家畜の抜け道をつくるべきであり、そうしない場合は、ホルツキルヘンの領民はその家畜のために自分で抜け道をつくっても、違反にはならない。§28. 聖ヴァルプルギスの日(4月30日)が来たら、いかなる者も使徒聖ヨハネの日(12月27日)までラウバーラッハに家畜を放牧してはならない。ただし、ホルツキルヘンの3人がそこに家畜を放牧していれば、ムットナウの領民は同じように家畜を放牧してもよい。またホルツキルヘンの領民が放牧しているところでは、ムートナウの領民も放牧すべきである。ムートナウの家畜番人がホルツキルヘンの家畜番人のもとで働きたくなければ、彼の後を追い、彼の前を行ったり、彼と並んではならず、これを守らなければ、5シリングの罰金を彼に請求すべきであり、領主がこれを徴収する。もし番人が罰金を支払わなければ、ホルツキルヘンの村役人が罰金を払ってもよい。§29. マウルメートとエルツグループもラウバーラッハと同じような自由をもつ。現在ネルトリンゲンのわが領主とエッティンゲンの領主の地方官がわれわれと異なる見解をもっており、ムートナウの領民が望むなら、決着にいたるまでは、彼らはホルキルヘンの領民と同じように放牧すべきである。§30. ムートナウの領民がその耕地に家畜を放牧するなら、ホルツキルヘンの領民も同じように放牧することができる。聖ヨハネの日(12月27日)が来たら、ムートナウの領民はホルツキルヘンの水路の向こうの放牧地のすべてに再度放牧することができる。§31. 聖ゲオルギオスの日(4月23日)から聖ヨハネの日(12月27日)まで馬の放牧地は、領主賦役をおこない貢租を納める者にとって、夜間放牧地用の垣根で囲われており、そこに放牧する者は、他の囲い込み地と同額の罰金を科される。§32. 家畜放牧地の域内では。ホルツキルヘンの領民はその割り当て地を自由に享受することができ、漁をしても草木を切っても不法には当たらない。§33. 古い慣わしと法において、ムートナウの領民は常にホルツキルヘンの領民と法を共有してきた。裁判官が一人欠けたら、有能な考えをするもう一人の裁判官をホルツキルヘンまたはムットナウから補充するために裁判集会を開き、異論なくこれを実行すべきである。§34. ホルツキルヘンの領民は、古い慣わしにより彼らが市場権と刑事裁判権をもつがゆえに、前述の条項の適用を免除されてきた。§35. これによって上述のホルツキルヘン市場はさらに良くなり存続可能となり、われわれは、ホルツキルヘンのいかなる者もその管区内にある草地も耕地も他所者に売ってはならず、ホルツキルヘンの他の領民にのみ売るべきであると定める。毎年利用すれば平年に1グルデンの収益を生むことができる採草地と耕地が、毎年なおざりにされ耕作されてないため、かなりの価値で、たとえば20グルデンの購入金で、他所者が採草地または耕地を彼らの管区内で相続するか、結婚によって入手したら、彼はそれらを他村で享受してはならず、結婚後半年でホルツキルヘンに移住するか、それらの採草地または耕地をホルツキルヘンの何者かに売るべきであり、これには、上述のようにいかなる異論、反対、侵害も認められない。

 3-6 アラーハイム Allerheim (1353、1374年)



  1353年から昨年の1374年にエッティンゲンの領主庁とネルトリンゲンの誉れ高い参事会から回答されたアラーハイムの村法の覚書
 §1. すべての命令はネルトリンゲンの命令であり、われわれはそれを法として告げ、以下に記述される。§2. いかなる領主の保護をうける者であれ、ネルトリンゲンのわれらが領主に杖を差し出すべきであり、そうしようとしない者には、三度命令がなされ、彼がどう思おうとも、領主は彼を法によって正しいことをおこなうよう強いることができる。§3. ズューレンホーフェンの司教座聖堂首席司祭にかんして、首席司祭はアラーハイムの彼の領民と保護民をネルトリンゲンの領主の杖のもとで法により裁くべきであり、首席司祭は裁判官と並んで座り、杖を手に取り、裁判をおこなわなければならないが、首席司祭は任意に杖を裁判官の手に渡すことができる。§4. 不法行為の罰金は常にネルトリンゲンの領主のものとなる。§5.しかし首席司祭がそのように勧めなければ、彼はその金額を正当に彼のものとすることができるが、それは領主の慈悲による。§6. 法は次のように定める。すなわち、いかなる領主の保護をうけようとも、例外なく、全員がわれわれとともに任務をはたし、必要とあれば、彼ら全員がわれわれとともに出征に加わるべきであり、そのことは彼らの宣誓で正式に告げられる。§7. 荘官の農圃にかんして、荘官は1頭の種馬をもち、村に連れて行くべきである。それが役に立つという者がいれば、それを保持すべきであるが、その馬が役立たないという者がいれば、他の馬を得るべきであり、村は馬を見張り、働かせないで、馬を日中できるだけ飛び跳ねさせるべきである。§8. 荘官は焼き印と十分に役に立つ雄豚をもつべきである。§9. 彼は村の役に立つ雄牛を十分にもち、聖ゲオルギオスの日(4月23日)の頃まで冬畑に放牧させるべきである。§10.彼は聖ゲオルギオスの日以後夏至の頃まで雄牛を夏畑に放牧すべきである。§11. 彼は役に立つ完全な雄羊をもつべきである。§12. 役に立つ確かな雄やぎ、雄がちょう、雄鶏、雄鴨をもつべきである。§13. 荘官屋敷で全部で9回の裁判集会が開かれるべきであり、村落を見張り、村落共同体が開催しようとしなければ、領主の下吏が行って、8日後に開催するよう申し出て、これを守らなければ、1フントを科され、その後毎日同じ1フントをsich drispilenすべきであり、これは宣誓によって法として告げられる。§ 14. 首席司祭は、彼の下吏が彼の領民に特権を1度、2度、3度与える自由をもつ。彼に従順でない者は、領主は従順にさせることができる。§15. 首席司祭の保護民を四人衆、耕地境界監視人に採用することができ、彼らはこれにさからってはならない。ただし、裁判官に採用することはできない。§16. 古くからアラーハイムでは慣わしにより司祭の保護民は代官と裁判所に完全に従属し、租税義務を負い、従来どおりすべての出征に参加し、命令にしたがい、任務についてなければ、彼らを裁判所の四人衆、耕地境界監視人に採用することができる。日頃その用意があり、免除をうけていない者は、指示によってみずからある地位から他の地位に選ばれ任命されたら、それを遂行する義務を負い、他のアラーハイムに住む者と同様に、アラーハイムの領民とともに任務につくべきであり、そうしようとしない者は、それをおこなうように領主に強制されるが、司祭の保護民とともに法を守ろうとする者には、司祭は法にしたがうよう命じるべきである。§17. 敬虔な保護民は常にこれまでもアラーハイムの他の領民と同じであり、任務をはたし、出征し、租税を納め、代官と裁判所と命令に服し、アラーハイムの他の領民と同じく、耕地境界監視人、四人衆になる。彼らがそれを拒否しなければ、首席司祭はそれを受け入れ、領主の規律のもとに置いて、わがままによって、よそよそしく不当で、法にしたがわない者を斥けるべきである。§18. 大きな不法行為は10フント5シリング、中間の不法行為は3フント5シリング、小さな不法行為は5シリングを科され、不正は21ヘラーを科される。§19. 当管区に住んでない外来者が来て、当地に住む者と裁判をしようとしても、当地住民にとってそれは法に反する行為である。彼が礼節を重んじ、名誉を傷つけられたくなければ、外来者は彼にそれを保証しなければならない。§20. 村落の支払い命令は5シリングより高くはないが、従順でない者には5シリングより高く命じられることがあり、日中はそれを上まわる。§21. しかし夜間は支払い命令は1フントであり、下男の場合はその半分である。§22. 当管区に住む者は外来者を廷吏によって裁判所に召喚することができるが、外来者は廷吏を得ることができなくても、訴訟をおこない、宣誓した裁判官を得ることはできる。§23. 外来者は他人を廷吏によって裁判所に召喚するか、または宣誓した裁判官をもつことはできる。§24. 夜間は裁判所に召喚することができる。日中の場合は金銭の支払いを選ぶこともできるが、そうしない場合、要求すれば裁判をすることができる。§25. いかなる者も、1アイマーにつき4 マースの納税により、酒類を売ることができる。§26. 罰金の半分は領主、半分は市民のものである。§27. 外来者の権利を得ようとする者が正式な裁判の日まで待ちたくなければ、彼は市民には4マースのワイン、下男には1マースを与えて、市民たちを集められる。§28. 罰金を徴収したら、代官はいかなる廷吏にも5シリングをそこから与えるべきである。§29.飲食店主は代金を請求することなく差し押さえることができる。しかし請求する場合は、廷吏を連れて彼の家へ行く。さらに請求する場合は、宣誓をおこなった廷吏の前でだらしない人間に対してそのための法を執行すべきである。§ 30. 男女いずれであれ、病気になってワインを必要とし、金がない場合、自分の担保を取って飲食店主の桶の上に置けば、担保の価値と同じワインを取ってよい。§31. すべての債務の第一の保証人は常に領主であり、次いで聖人、次いで管区内に住む最初の原告である。§32. 管区内に土地を保有するいかなる者も、村落から一つまたは複数の耕地を囲うべきである。§33. ボッフィンゲンの尺度と重量を用いるべきである。
 §34. 村落の慣習と法によれば、いかなる領主であれ、放牧地と水を利用する村落の9名を指名して、彼らは村落と耕地における耕地境界監視人および報告者を勤めるべきであり、彼らが宣誓して決定することに、いかなる者も反対してはならず、それを守るべきであるが、領主の宣誓した地方官または下吏が常に立ち会うべきである。§35. 首席司祭の荘園の荘官は、必要があれば、馬を厩舎の飼葉桶で飼うべきであるが、彼が最初に戦場におもむくようなことはおこらない。
 §36. 首席司祭の荘園の荘官は、必要があれば、馬を厩舎の飼葉桶で飼うべきであり、最初に戦場におもむくようなことがあれば、手に軍旗をもつことになる。
 前述の法と慣習は、これまでさまざまに拡大され、エーテインゲンの高貴な生まれの領主ヴォルフガング伯が、アラーハイムでアラーハイムの現地方官の高貴かつ堅実なゲオルク・フォン・エメルスホーフェンおよび彼の書記官であるわがレオンハルト・エマースホフェンの同席のもとで命令し、当時アラーハイムの裁判所全体が全員一致で宣誓してこれを法と認めた、彼らは前述の法の内容をその両親から聞き、それが守られるべきであり、将来も存続し、遵守されるべきであることを認め、賛同した。荘官が最初に戦場におもむくべきか否かは彼以外誰も知らないが、彼が常に戦場にいたことはたしかであり、すべての遠征に加わり、荘官またはその代理人が軍旗を担った。こうした判断と認識は、アラーハイムでキリスト生誕後1485年聖ミカエルの日(9月29日)の前の月曜日におこなわれ終了した。
 当日、上述のわが慈悲深き領主ルードヴィッヒ・フォン・エーティンゲン伯は、上述のゲオルク・フォン・エメルスホーフェンおよび私レオンハルト・カイマン書記を通じて、アラーハイムの領民に、いかに彼らの両親がエーティンゲン伯のために、アラーハイムで土地に課税し、ズルンホーフェンの首席司祭の保護民と領民に対してそれを確保したのか、宣誓による報告を求めた。これに応えて、彼ら全員はともに宣誓して、首席司祭の権限に属する農地に課税したわけではなく、そのほかにある者が持っていた農地に、首席司祭が彼の意向にしたがって課税したのだと、報告した。私レオンハルト・カイマンはこの法と判決を、自分の手で、真実の証拠として1507年聖ウルスラの日(10月21日)の後の金曜日にここに記した。
 いかなる領主であれ、放牧地と水を利用する村落の9名を指名することができ、彼らは村落と耕地の境界監視人および報告者を勤め、彼らが宣誓によって決めたことには、いかなる者もさからってはならず、それを守り、領主の宣誓した地方官または下吏も常にそれを守るべきである。



 3-7 ヒュスハイム Huisheim



(ヒュスハイムはネルトリンゲン市近郊の村落)


 私、ヒュスハイムのイェリッヒ・フォン・ヴェルノウ(父)は、われらが敬愛する主キリスト生誕後1505年聖使徒マタイの日(9月21日)の後の火曜日、古来の慣習のすべてを、ヒュスハイムの領主裁判管区の四人衆および同地の他の村民11名、ヒュスハイムの現職代官ハンス・フォイトの同席により、次のように何度も村民に朗読し、これに対する異論はなかった。
 神の名においてアーメン。まず最初に、領地の四人衆が保証すべきヒュスハイム領主裁判管区の法と支配は、次のような文言で始まる。
 §1. 3種の家畜番人職、すなわちめ牛の番人、豚の番人、がちょうの番人は、すべてヒュスハイムの領主が授ける。§2. 風呂屋、誓約した下吏も、同様である。ハンノキの庭園と垣根の通路にかんしては、すべて特別に後述する。§3. 四人衆が選ばれたら、彼は領主に誓って、彼の忠誠を宣誓すべきであり、あるいは領主が命令したら、ヒュスハイムの領主の損害を避け、その利益を促進し、村落と耕地のために共同体に誠実を尽くし、誠実かつそつなくすべて古来の慣習にしたがうべきである。§4. め牛番人。ヒュスハイムの領主は毎年め牛番人に4マルターの良質小麦、2マルターの下級品質小麦、3マルターの大麦、4マルターのエン麦を与える義務を負い、それぞれ1マルターの穀物について7メッツェンとする。§5. ヒュスハイムの領主は共同体に1頭のお牛を置き、誓約した下吏がこれを飼い、古来の慣わしにしたがって、それは下吏の保有家畜頭数に数えられる。§6. いかなるめ牛も冬至の頃の聖ヨハネの日(12月27日)に放牧料は2ペニッヒであり、他の草地に放牧されるいかなるもめ牛も1ペニッヒである。しかし子牛が第一草地に放牧され、その母牛が厩舎にいないなら、放牧料は1ヘラーであり、母牛が牛舎にいるなら、放牧料は不要である。聖マルティノの日(11月11日)にはいかなるめ牛も3ペニッヒを納め、他の草地に放牧されるいかなるめ牛も聖マルティノの日に3ヘラーを納め、第一草地に放牧され、その母牛が厩舎にいないいかなる小牛も1ペニッヒを納める。しかし、2頭の子牛をもつ場合は、3ヘラーを納める。§7. め牛または子牛の放牧料を払う者が、家畜頭数の多少を申告しなければ、牛の放牧料を徴収しようとする領主は、放牧頭数を申告しない者の厩舎に行って、そのたびに最良の牛を取る権限をもち、これに対するいかなる反対も許されない。それゆえ、家畜番人は放牧頭数を隠してないことを保証しなければならない。とはいえ、家畜番人は2-3日から8日までの間は申告を猶予される。§8. 聖ゲオルギオスの日(4月23日)の前にめ牛番人が死亡した場合。聖ゲオルギオスの日の前に雌牛番人に放牧してもらうか、特別に放牧する者は、め牛番人に週賃金より少なく払ってはならない。家畜を厩舎に留めている者は、何も支払わなくてもよい。聖ゲオルギオスの日以後聖マルティノの日(11月11日)までにめ牛が出産したら、その週賃金をめ牛番人に払う義務を負う。§9.ヒュスハイムの領民はめ牛を売る場合、いかなる者の保護をうけていようとも、領主の許可なしに、買い手も売り手もめ牛を家畜番人に放牧させてはならない。§10. 農民が家畜番人のもとで1-2頭の馬を放牧したら、2回であれ3回であれ木材の輸送か、1ベーメン・ペニッヒにつき8ペニッヒに換算して4ベーメン・ペニッヒの貨幣の納入の義務を負う。輸送か4ベーメン・ペニッヒのどちらを選ぶかは、農民の意志しだいである。§11. しかし、馬車のながえをもたない家畜番人のもとで、1-2頭の馬を放牧する者は、家畜番人に馬1頭につき1フィアテルの穀物を与える。§12. 収穫期に馬を家畜番人のもとで放牧しようとする者は、家畜番人を危険な目にあわせてはならない。§13. 1カ月間家畜番人のもとではなく、彼の前後に放牧する者は、危険のないようにすべきである。しかし危険だとおもわれるときは、下吏が彼に30ペニッヒを罰金として納めるよう指示すべきである。§14. 1歳未満の家畜について。1歳未満の家畜をもつ農民は、彼が特別に放牧するか否かにかかわりなく、家畜番人に子馬1頭につき1フィアテルの穀物と放牧料を支払う。§15. 共同の家畜番人が放牧している場合、特別の番人をもちたいと望む者は聖マルティノの日(11月11日)以前に放牧してはならず、これに違反したら、廷吏が彼を捕らえるたびに、領主に30ペニッヒの罰金を科される。しかし、橋より上方ではいかなる者もめ牛、め豚、馬、がちょうを見張ることができ、すべての家畜を連れて移動することができる。§16. 馬か子馬をもつ者が、家畜に害虫がついたり鼻水を流したりその他悪い所があって、そうしたことが家畜に被害をもたらしたら、家畜番人はそれを知らせるべき宣誓義務を四人衆に負い、それが誰の子馬や馬であれ、四人衆が有害であると判断した場合、他のいかなる者もそれによって被害をうけないように、禁止すべきである。§17. 子馬を第一草地に放牧する者は、多少とも放牧料を支払う。§18. め牛番人がめ豚番人とともにナーゲルスバッハを利用し、それが休耕地となり、め牛およびめ豚番人に家畜放牧地として与えられるなら、彼らは互いに譲り合い、毎年放牧地を管理すべきである。§19. め牛番人をいかに誓約させるべきか?め牛番人が領主によって任命され、上述の諸条項が彼に次々と朗読されたら、その番人は領主または領主によって命じられた者に、手を差し伸べてて宣誓をおこない、彼は上述のすべての条項にしたがい、貧しい者にも富んだ者にも、たとえそのなかに放牧料を払わない者がいても、好意も敵意ももつことなく、誠実かつそつなくふるまうことを誓うべきである。§20. め豚番人について。ヒュスハイムの領民はめ豚番人をもち、番人は領主に2羽のがちょうを差し出し、番人には次に述べるような報酬が与えられるべきである。§21. 俸給を受け取りたいと思う場合、聖ヴァルプルギスの日(4月30日)であれ、聖マルティノの日(11月11日)であれ、その8日前に教会に知らせ、いかなる者もその俸給を四人衆が指示する場所へ持参し、四人衆が立ち会って俸給を受け取り、め豚番人に俸給を渡すべきであり、俸給が届けられたら、誰もそれをなおざりにしたり放置してはならない。夕方の礼拝の時刻の鐘を鳴らすまでなおざりにしたり放置した者には、誓約廷吏がその家まで行って知らせるか、家に立ち入った場合は、彼に罰金を請求すべきである。すなわち翌日には1ペニッヒを加えて、2ペニッヒ請求し、その額が10フントに達するまでずっと請求が続けられる。しかし彼が誰かの保護を求めれば、その金はヒュスハイムの領主のものとなる。§22. め豚番人をいかに任命するか。め豚番人は聖ペトロの日(6月29日)に彼の番人杖を片手に、鞭を他方の手に取るべきである。番人に2-3頭のめ豚を申し出る者は、多少にかかわらず、彼に放牧料を支払う義務を負う。しかし1頭のめ豚しか申し出ない者は、1ペニッヒを片手に、1ペニッヒの値段のパンを他方の手に取り、番人は1ペニッヒを取るか、パンを取るかを選ぶ。まため豚を放牧する者は、番人に復活祭放牧料を払う義務を負う。しかし聖ヤコブの日(7月25日)の前にめ豚を申し込む者は、番人に刈り株畑放牧料を支払う義務を負う。しかし聖ヤコブの日の後にめ豚を買う者は、番人に刈り株畑放牧料を支払う義務を負わない。§23. め豚、羊、め山羊、子羊またはがちょうをもち、厩舎で飼い、放牧しない者は、家畜番人に俸給の義務を負うが放牧料の義務を負わない。§24. 聖ヴァルプルギスの日(4月30日)の最初の俸給後に入って来て、聖ヤコブの日(7月25日)以後までとどまる家畜は、2倍の俸給を支払うが、聖ヤコブの日の前に出て行く場合は、普通の俸給を支払う。§25. 出産した母豚を放牧する者は、放牧するたびに放牧料の義務を負い、子豚が生後12週を迎え、放牧可能となったら、番人に預けられ、放牧料の支払い義務が生じる。§26. 小家畜が聖マルティノの日の8-14日前に来たら、俸給であれ報酬であれ家畜番人にいかなる義務を負うべきか、四人衆が判断する。§27. 肥育前の小家畜を入手したら、め豚、羊、子羊または山羊のいずれであれ、麦束を納めるべきであり、冬麦束が得られた場合も同様である。§28. め豚を購入して、誰もその年齢を知らず、その責任は家畜番人にはないと考えるなら、四人衆の判断にまかせるべきである。§29. 次に記す農圃は、麦束を納める。すなわち、ハイン・ユーリンの農圃、ベルクホーフの農民、ヴィーデムホーフ、ウォッツェン・クォンツェンの農圃、ケンヴォルツ・シュテファンの農圃、メルリンの農圃。§30. 小家畜が肥育後に農民のものとなったら、麦束を納める義務はなく、いかなるめ豚番人も毎年2羽のガチョウを納める。§31. 冬麦束を納める者の家畜が聖ヤコブの日の前にいなくなれば、夏麦束を納めなくてもよい。家畜が聖ヤコブの日以後1日だけ厩舎内にとどまっているならば、冬麦と夏麦束を納める。§32. 小家畜が聖ヤコブの日の前にいなくなれば、家畜の夏至放牧料と聖マルティノの日の放牧料を納める。しかし、聖ヤコブの日以後1日家畜が家に残っているなら、聖マルティノの日の放牧料を払い、農民であれ小屋住であれ、いかなる家畜も麦束ではなく、聖マルティノの日の放牧料を支払う。§33. 聖マルティノの日の後小家畜が入ってきたら、聖マルティノの日の放牧料の支払い義務を負う。§34. め豚番人は疫病で死んだすべての家畜を除去すべきであり、それゆえ彼には疫病の家畜とその飼料を渡し、疫病で死んだ家畜は村内ではなく、四人衆が指定する場所に運び去るべきであり、いかなる者も疫病で死んだ家畜を番人に渡して、四人衆が指定する場所へ運ぶべきである。§35. め豚番人がいないために損害が生じる場合には、番人がいなくなったら、番人を任命すべきである。§36. め豚番人とめ牛番人はナーゲルスバッハ耕区を共同で利用し、第三年度にそれが休閑したら、四人衆の承認により彼らに家畜放牧地を与え、両番人は共同で利用し、土地を空け、良好に管理すべきである。§37. め豚番人には、垣根の隙間の背後にある採草地も属する。この採草地はその共同保有者ハイン・ウォルの農圃とマイアリンの農圃の土地に属する。§38. まため牛番人は領主によって任命され、上述の条項が順番に朗読され、番人は領主または領主の命令をうけた者に手をさしのべて宣誓による誓いを立てるべきであり、彼は上述のすべてにしたがい、貧しい者にも富める者にも、たとえそのなかに放牧料を払わない者がいても、好意も敵意ももつことなく、誠実かつ手落ちのないおこないをすることを誓う。§39. 領主はがちょう番人も他の番人と同様に任命しなければならず、がちょう番人は女たちに彼をうけいれるように命じ、領主に損害を与えず、損害には毎年2 羽のにわとりを納める。
 §40. 浴場について。風呂屋に浴場を貸与し、家と納屋、浴場に付属する採草地も貸与する。この採草地は浴場採草地と呼ばれ、マルコヴェーアの耕地に接し、下方で家畜放牧地に接する。これらすべてについて、いかなる風呂屋も領主に毎年7フントの貨幣、謝肉祭のめんどり1羽、秋のにわとり2羽、100個の卵を納める。風呂屋は4日間のaufzuchtのために、浴場に比べて小さすぎないボイラーを備えるべきである。彼はまたミサに行くように、いかなる人にも三角巾と湯、および男性用、女性用のいずれであれ、浴用帽子を与え、男性には浴場への必要経費を指示し、女性には衣服の着脱を指示すべきである。いかなる風呂屋も瀉血について、男性であれ女性であれ、1-2回の瀉血を1ヘラー、3-4回を1ペニッヒとすべきである。いかなる風呂屋も適時に木材を供給され、浴場を清潔に良好に管理し、排水溝を清掃し、入浴前後に浴場を洗い流すべきである。彼はglöserをうけとり、両浴場に来たときと同じように、glöserをそのまま残すべきであり、彼がそこから去ろうとするときは、すべて受け取ったままに残すべきである。彼は領民の髭剃り、洗浄、あかすり、瀉血に努めるべきである。またいかなる浴場も石鹸水とともに利用できる羊のための浴室を特別に指定し、領民が利用したいとおもうときに、利用できるようにすべきである。また、農民が都合のよいときに木材を運搬できるように、風呂屋は木材を次のように取り扱うべきである。すなわち、荷馬車をもついかなる者も、風呂屋に1メッツェンの穀物を与え、彼に木材を運搬し、その場合通常1ベーメン・ペニッヒあたり8ペニッヒと計算して、4ベーメン・ペニッヒが支払われる。小屋住は風呂屋に前述のような通貨で4ベーメン・ペニッヒを支払い、1日だけ木を伐らなければならない。そして第一浴場に行ったら、彼は風呂屋と協議して、金銭か穀物を払う。さもなければ、風呂屋は穀物か金銭のどちらか気にいった方を選ぶことができる。祭壇を訪れるいかなる者も、年3回の教会記念日ごとに1ペニッヒを支払うが、追加料金としていかなる者もさらに2ペニッヒを支払い、こうして計3ペニッヒが支払われる。われわれは新しいあるいは上等な風呂屋を雇って、採用することもできる。浴場と納屋が破損したら、浴場とそれに付属するものすべてはヒュスハイムの共同体がその費用を負担して、ヒュスハイムの領主の損失とならないように、補修し作り直させるべきである。申し合わせた報酬を払っで入浴したくない者は、女であれ男であれ、規定料金で入浴できる。しかし2-3人の子どもをもつ者については、それより多かったり少なかったりしても、風呂屋は無料で子どもを入浴させるか否かを選ぶことができる。入浴するいかなる者も、聖ヤコブの日(7月25日)に風呂屋に報酬の半額を払う義務を負う。ヒュルスハイム領主裁判管区の村落領主が風呂屋に浴場をその付属物とともに貸与しようとする場合、風呂屋は領主に誓い、忠誠を宣誓すべきである。あるいは村落領主の損害を避け、彼の利益を促し増やすように、裁判管区の領主が命令したときは、ヒュスハイム裁判管区の他の保護民と同様に杖と命令に従順にしたがうべきである。
また浴場のために貸与されたものを良好に管理し、さらに提示され読み上げられた条項のいかなる言葉も内容もすべて、いかなる者に対しても実行する義務を彼は負う。しかし当然なすべき義務以上のことを、風呂屋のために実行してくくれる者がいれば、風呂屋は彼に謝礼または好意を示し、また風呂屋が彼に対して権限をもつなら、彼の誠実と誓いを損なわず、すべて落ち度のないようにふるまうべきである。
§41. 誓約した廷吏について。誓約した廷吏は聖ヴァルプルギスの日(4月30日)に勤務につくべきであり、彼はまたお牛を飼うべきであり、聖ヴァルプルギスの日まで職にあるなら、お牛を十分に飼育すべきである。§42.ヒュルスハイムの領主裁判管区の村落領主も含めて、村民は廷吏に勤務と耕地を約束すべきである。領主は誓約廷吏に、彼が気に入る場所に、耕地を授与する。§43. 誓約廷吏は貧しい者にも富める者のためにも聖ヴァルプルギスの日までお牛を冬畑へ手落ちなく移すべきであり、お牛が冬畑に損害をもたらすのではないかと、村民が憂慮するなら、誓約廷吏はお牛をディンケル小麦畑へ移し、十分とおもわれるまでお牛を綱につなぎとめるべきである。しかし聖ヴァルプルギスの日が来る前に、お牛が害をもたらすようなことがあれば、村民はそのことを廷吏に知らせ、彼の農地がほかにあるとおもわれるときは、廷吏はお牛を冬畑に移し、ライ麦栽培が始まるまで、お牛を抑制し、犂につないではならない。雄牛がそこで害をもたらすようなら、彼は雄牛をディンケル小麦畑に移すべきである。上述のように、お牛は聖ヴァルプルギスの日に、聖ヨハネの日(12月27日)の頃まで冬畑に放牧され、誰もそこに入ってはならない。お牛は牧草地の草を食べてもよいが、廷吏はお牛を夏畑から牧草地へ移し、ある日は草地へ、翌日は高地の草地へ、3日目は放牧地へ移動し、聖ヤコブの日までは毎日他の草地へ移り、その後お牛は他の家畜のなかに入れられる。§44. 自分の農地から他人の農地へお牛を移す者は、誓約廷吏が告発すれば、領主に30ペニヒの罰金を科される。§45. 誓約廷吏はお牛により耕地を、勤務の報酬として共同地に二つの土地区画をもち、その一つはゴッサムの夜間放牧地に接し、この土地区画が3年に1度休閑する場合、四人衆の検査による承認を得て家畜放牧地にその代替地を彼に与え、それによって彼はお牛を十分に飼育し、廷吏が飼料を少し売りたい場合は、四人衆の許可なしにはその権限をもたない。しかし、お牛に飼料不足があれば、誓約廷吏は全体で次のような麦束を得られる。すなわち、教会農圃は12束の冬麦、12束の夏麦を与えるべきである。(さらにこれに続いて廷吏が各村民から受け取る束は全体で200と3/4束。)§46. 男であれ女であれ、禁じられた耕地で、他人の耕地から作物を刈り取った者は、耕地であれ菜園であれ、訴えられるたびに、領主への罰金として30ペニッヒを科される。§47. 耕地または土地区画で他人の穀物や草への水をせき止める者は、領主への罰金として30ペニッヒを科される。§48. 廷吏が耕地に行こうとして、家畜が害をおよぼすのを見たら、3度「止めろ」と叫ぶべきである。誰かが止めに来たら、廷吏はおとなしく他人に止めさせるべきである。しかし誰も止めに来なければ、廷吏が止めて、害をおよぼした家畜をその家に帰すべきである。しかし帰すことができなければ、家畜をもつ家に言って、8.5ペニッヒを請求すべきであり、これは共同体のものとなる。§49. 耕地で刈り取ろうとするとき、子馬を彼の後に走らせてはならず、違反した者は罰金30ペニッヒを領主に科される。§50. 他人の穀物やエン麦の耕地を刈り取り人とともに横切ってはならず、違反した者は罰金を科される。§51. 彼は開放耕地または耕地間の草地の上を通るべきであり、罰金は8.5ペニッヒと定められており、共同体のものとなる。§52. 耕地へ行こうとする者は、刈り後畑に入ることは禁じられている。そこに放牧しようとする場合、30ペニッヒを請求されるが、彼は馬に食べさせ、馬を飼いならすことができる。しかし彼は馬を荷馬車のながえから放してはならず、彼がそこに連れて入るまで、つなぎとめておかねばならない。§53. 廷吏は日雇い賃金で働いてはならない。彼はまた耕地に入ってはならず、耕地を忠実に見張るべきである。耕地で出来高払いの仕事をする約束をした廷吏が耕地に行こうとするなら、領主の了解を得る必要がある。§54. 耕地と夜間放牧地への共同体の家畜番人の立ち入りが一般に禁止されているのに、夜間にそこに放牧する男女がいれば、領主への罰金6フントを科される。これは夜間の罰金であり、廷吏が彼らに出て行くように要求し、これに応じない者がおり、廷吏が再度来て、いま一度彼らを見つけたら、廷吏は彼らを退去させるまで、くりかえし6フントを請求する。§55. 家畜をもち、共同体の家畜番人による放牧をしない者が、家畜による損害を与えたら、廷吏はその家畜を一度そのまま帰宅させ、それでも家畜番人に放牧させない場合、番人はすべての家畜について彼に領主への罰金30ペニッヒを請求すべきである。しかし、番人から離れて行ったがちようの場合は、古いがちょう1羽について1ペニッヒ以上徴収されることはない。そして廷吏に対して前述のようなことすべてが読み上げられ、その廷吏は前述のことすべてに忠実かつ無難に最善を尽くして従い、気まぐれや賄賂、友好や敵対によってそうしたことを怠ることなく、領主とヒュスハイムの全村民のいかなる者にも、とくに貧しい者にも富める者にも、彼らの利益を促進し、損害を避け、すべてを忠実かつ万全におこなうことを、領主あるいは領主が命じた者に対して、手をさしのべて誓うべきである。その後、廷吏は右手の3本指を出し、次のように彼への宣誓がなされるべきである。すなわち、「私に今朗読され、言葉で示されたとおり、私はそれに忠実に最善を尽くして従うつもりであり、神とそのすべての聖人は私を助けたまえ。」彼はこうして初めてヒュスハイムの領主裁判管区と領主の誓約廷吏とみなされる。§56. 罰金が徴収されるたびに、誓約廷吏はそうした宣誓にもとづいて1人または複数人に対して罰金を30 ペニッヒと認定すれば、彼の裁定を尊重して、廷吏にさらなる宣誓を迫るべきではない。しかし誓約廷吏に疑問や誤ちがあり、彼の裁定を認めたくない場合は、金額を30ペニッヒあるいは8.5ペニッヒのどちらにすべきか、罰金裁定者とその考えを尊重すべきである。
 この後、ヒュスハイムの領主裁判管区で裁判と法、および不法行為その他をどのように扱うべきか、述べられる。§57. ある者が他人を負債で裁判所に訴えたら、被告は原告に対して負債を認めても、それと同時に負債を支払わなくてもよい。原告が負債を放置しておきたくなければ、被告は担保のしるしとしてペニッヒ、クロイツアーなどの鋳貨、ナイフまたは何かの利益、あるいは彼が望むものを差し出すことができる。被告が提案を受け入れる前に、そうすることができ、彼が担保を差し出すなら、裁判官は担保をうけとり、次の裁判までそれを保持し、原告が再び裁判所に来て、彼が裁判官に申し出た提案によって、彼がひき続き担保を保持すべきか、裁判官は質問する。かつては、担保を8日間置いておくべきであるということが法として認められており、彼が担保を8日たって取り消せば、彼は元の状態を取り戻す。しかし、8日経っても解消しなければ、再び裁判がおこなわれる。そして原告に対して負債に相当する十分な担保が設定されなければならない。またその十分な担保は再び8日間置かれ、両者は提示された調停案について裁判所に出廷し、裁判所に対して5マースのワインを納める義務を負う。担保がそこに実在し、原告が最近8日間にこの担保を買い戻せば、それで十分である。しかし彼が買い戻さなければ、法にしたがって担保を換金すべきである。そこで原告は担保を取り、公開裁判で売却すべきである。そこに担保を買いたいとおもう者がいれば、彼は被告が返済する義務を負う金額を購入額として与えるべきである。しかし彼が担保をもっと高く売ることができる場合は、その負債額を留保して、担保を設定した者に残余の部分を返却すべきである。しかし誰も買おうとしないなら、原告は両者の調停により担保を取って、領主裁判管区内のヒュスハイムの鍛冶屋の周辺で3度担保を担いで大声で公売にかけるべきである。担保を買いたい者が来たら、できるだけ高く提供して、彼の負債額を超える金額を、担保を設定した者に返すべきである。当裁判所の法による担保が売れない場合、原告は両者の調停により担保をハールブルクにもっていき、担保を裁判所に提出し、ハールブルクの裁判所で担保を再度売りに出すべきである。それを売って金を得られれば、それで良いが、彼の負債額より高く売れれば、残金は担保を設定した者に返すべきである。しかし担保がハールブルクの裁判所で売れなければ。担保を再びヒュスハイムに持ち帰り、そこで裁判所は担保を今後どのように扱うべきか、彼に指示すべきである。
 不法行為にかんして。§58. 祝日に、また祝日でなくても、他人に不当行為をなす者、他人をキリスト教から排斥する者は、領主への罰金10フントを科される。§59. 祝日に、また祝日でなくても、平和を乱す者は、言葉であれ行動であれ、どのように、いかなる時におこなうかにかかわりなく、領主への罰金10フント を科される。§60. 祝日に他人を負傷させる者は、領主への罰金10 フントを科される。§61. 平日に他人を負傷させる者は、領主への罰金6フントを科される。§62. 祝日に不法をなす者は15ペニッヒ、平日に不法をなす者は8.5ペニッヒを科される。§63. 他人の身体に不法行為をはたらき、さげすんだり辱めたり殴ったり、あるいは不当な要求をする者は、領主への罰金10フントを科される。§64. 他人の窓、店舗、扉あるいは壁などに不法行為をはたらく者は、村民に責任を負い、彼が望むなら、そのたびに領主への罰金10フントを科される。§65. 他人に不法に嘘をつくことを要求する者は、そのたびに領主に3フントの罰金を科される。§66. 他人に真実を言わないように要求する者は、領主に30ペニッヒの罰金を納める。§67. ハールブルクの住民は、ヒュスハイムの2人の少年が教会の礼拝に行って互いに不法行為をおこなったため、両人が領主への罰金10フントを科されるという判決をくだした。9-10歳の少年がそうしたことをするのはよくあることであり、しばしばそうした少年は領主に3フントの罰金を科される。§68. 立ち入り禁止されていない他人の庭園を通ったことを訴える者がいるか、あるいは誓約廷吏がこれを咎めるなら、この者は領主に30 ペニッヒの罰金を科される。§69. 庭園の通行が禁止されているのに、他人の庭園を通ったり立ち入る者は、彼が訴えることを望むか、誓約廷吏がこれを咎めれば、領主に1グルデンの罰金を科される。§70. 村に溝をつくったり垣根を設置して、それに6フントでつくる場合、彼はそれを片付けるべきである。さもなくば、領主に6フントを徴収される。また10フントでつくる場合、それをまたも無視したら、をれを終えるまで、領主に10フントを徴収される。§71. 村域内に領主の許可なく溝を掘ったら、領主に10フントの罰金を科される。それはかつてより禁止され、今なお禁止されている。§72. 飲食店以外の場所でカード遊びをさせる者は、金銭、便益その他いかなる名のものを賭けるのであれ、領主に10フントの罰金を科される。そうしたカード遊びをさせる者とカード遊びをするいかなる者も、領主への罰金10フントを科される。§73. 飲食店以外の自分の家で一人または複数の人々に飲食を提供し、その対価として金銭を得る者は、領主に10フントの罰金を科される。彼が他の村からワインを取り寄せさせる場合には、ワインの対価を取ることができる。§74.裁判所に3回出廷した女性が、もう一度裁判所に来たら、男性と同様に不法行為をなしたことになり、そのたびに他の男性とともに不法行為として扱われ、男性と同様に罰金を科される。§75. 1年のいかなる時期であれ、ヒュッセンの領主裁判管区内を巡回し、世帯その他を家から家へ点検して回り、家の中や暖炉のまわりに是正すべきことが見つかったら、四人衆全体によって変更が命じられ、そうした命令を無視する者は、それがが発覚した場合、領主に命令されたのと同額の罰金を科される。§76. 四人衆または廷吏が室内で乾燥している麻を見つけ、麻を室内ではなく室外で乾燥するように命じ、それが再度無視されたら、命令された者は領主への罰金を科される。§77. あつかましくも農地の灌漑によって村の道路をふさいだり損傷した者は、それによって通行の中断が起きるなら、領主に6フントの罰金を科される。§78. 彼がそうしたことをもう一度やめようとしなければ、誓約廷吏は彼に2回目には10フントを命じることができる。やめるべきなのに、彼がそうしない場合は、領主に10フントの罰金を科される。§79. 自分の家、屋敷、納屋、屋敷の空地から水その他不潔なものを他人に持ち出して、隣人や村民に損害をおよぼした者は、領主に6フントの罰金を科される。§80. 再犯の場合10フントを科すとして禁止したにもかかわらず、それを無視してやめない場合、無視するたびに、領主への不従順のゆえに10フントを科される。§81. 他人の土地に越境して草刈りをおこない、不当にもそれを続ける者は、領主に30ペニッヒの罰金を科される。
 領邦の地方代官ハッゲンをつうじて、ノイブルクの参事会長老である私イエルク・ヴェルトナウは、ある時期について基本的な報告をうけ、当時後述のような条項が私に告げられた。同じく、私はヒュスハイムの領主裁判管区および領主たる私にかんして、その条項に従うことを彼に告げ、ヒュスハイムの領主裁判管区はそれを保持した。
 §82. 犯罪人が重罪行為をおこない、ヒュスハイムの領主裁判管区で領邦の地方代官またはその下吏によって取り押さえられた場合、彼らは犯罪人を領主裁判管区内で逮捕する権限をもつべきではなく、領主、またはその時のヒュスハイムの権力を拝命した者のところへ行き、その犯罪人を訴え、身柄を求めるべきである。そのうえで領主またはそのときの権力は、この犯罪人がどのような理由で訴えられ、拘留されようとも、例外なく犯罪人をひきとり、領主裁判管区から連行して裁判管区外の第三の垣根の杭に縄で縛るべきである。そうすれば犯罪人は領邦の地方代官またはその下吏から逃れることができ、ヒュスハイムの領主にゆだねられる。§83. ヒュスハイムの領主裁判管区に(聖俗いずれであれ)領主の保護のもとに住んでいる者が、領主裁判管区外の領邦地方行政区内で不法行為をはたらいた場合、領邦の地方代官もその下吏もヒュスハイムまたはその他の地域で彼を捕らえる権限をもつべきではない。私は不法行為をはたらいた者を、領邦の地方代官の求めと願望に応じて、グライスバッハで裁くように命じさせ、彼らをできるかぎりそこに留めて、そこでの法によって、彼らが望む責任をとらせるべきである。§84.領邦の地方行政区内に住み、領邦の地方代官の管轄下にある者が、ヒュスハイムの領主裁判管区で不法行為をはたらいた場合は、ヒュスハイムの領主は領邦地方代官に対して、彼をヒュスハイムで裁く権限を私に認めるよう要求しても、私が領邦地方代官に対してとった態度と同様に、領邦地方代官は、私がヒュスハイムで彼を裁くことに反対するだろう。§85. グライスバッハの領邦地方代官もその下吏も、ヒュスハイムの領主裁判管区でエン麦や飼料を集める権限も要求する権限ももたない。


II. 1487年

 下記の年におこなわれ、この頃およびその他の時期にも更新されたヒュルスハイムの耕地境界視察

 われらが主キリスト生誕後1487年、ヒュスハイムの村と領主裁判管区の四人衆によるヒュスハイム裁判管区の村落裁判領主の高貴で堅実なヴォルフガング・フォン・ホッピンゲンへの申請によれば、またその後、財産や収入をそこにもつすべての領主によっておこなわれた申請と同意によれば、当地の共同体全体に道路、家畜放牧地、垣根の通路、溝、耕地その他の大きな混乱と重大問題が生じ、これによってヒュスハイムの領主裁判管区の上述の領主8名は、村落と耕地の境界視察とすべての混乱を知ることとなった。彼ら8名全員は、上述のごとく道路、放牧地、垣根の通路などすべての境界視察と指示を保証し、上記8名は四人衆にそうしたことを記述するように命令と指示を与えた。そこで四人衆によって(4人の名で)そうした教会視察と指示が、以下のように記録された。(1505年の垣根と道路の条令とともに、以下の事柄はあまり面白いものではない。)


 3-8 アペッツホーフェン Appetzhoffen (1603年)



(アペッツホーフェンはネルトリンゲン市の東南に位置し、今日では自治体メッテインゲンに属する)


  アペッツホーフェンの耕地規則と農民首長

 第一に、ささやかな集落でも立派な都市でも良い法律と規則が定められ、その後も維持され、一般に尊重されれば、すばらしく賞賛に値するだけでなく、多くの点で有益であり、無秩序から多くの混乱と不安が生まれるのとは逆に、有益な法律、定款および規則からは良い平和、団結およびあらゆる賞賛すべき制度が成長する。それにかんして、当地のアペッツホーフェンの集落では有益な規則が幾年も前からエッティンゲンの伯爵、高貴な領主ゴットフリート様によって、われらが慈悲深き領邦君主とアラーハイムの慈悲深きわれらが地方行政官を含む官憲に対する承認と同意がなされ、人の記憶をはるかに超える昔からそれまで普通の慣行として維持され、諸君はその内容をすべて次の報告と諸項目から真剣に耳を傾けて聞いてもらいたい。
 I 農民の新任にかんする規則。§1.第一に、当地アペッツホーフェンまたはリーアハイムで購入、交換、相続または結婚のいずれによるものであれ、農民保有地を証明する者は、謝肉祭後の月曜日に上述の農民首長とその仲間によって、農民として指名され、新任され、確証されるべきである。§2. そうした行為は決して飲食なしにはすませられないので、新任された農民はすべての出席者とその一族にスープ、鶏肉、クッキーをパンとともに無償でふるまう義務を負う。しかし飲み物にかんしては、いかなる者も平等に過ちや悪意なくあてがわれるべきである。§3. 新しい農民が新任されたら、農民首長は装飾された馬にみずから乗って旗をもち、そこに居合わせる全員のまわりを優美に廻り、そうした演技とふるまいに対して彼らから1グルデンの課金を調達し、一人または数人が大した理由もなく勘定の分離を望む場合、彼らはいっさいの値引きなしに飲食費の応分の割り当てを含めて1グルデンを完全に承認されるべきである。§4. 第4に、全村のいかなる農民も、この新任農民の困窮の際には、半日無料で耕地を犂で耕し、運搬する等、彼に奉仕する義務を負う。

 II 耕地規則。§1. 第1に、いかなる者も耕地について謙虚な態度をとり、村や他人に対して良心、法および公正に反する勝手な耕作や責任逃れをしてはならない。§2. 第2に、いかなる者も春の播種には黒いエン麦を、秋には耕地境界近辺にライ麦を播き、収穫を早く終えて他人に支障がないようにはからうべきである。§3. 第3に隣接地に水の被害を与えてはならず、排水しようとして隣接地に水を導かなければならないときは、常に予告すべきであり、少なくとも隣人に知らせることなくそうしたことをおこなってはならない。§4. 第4に、耕地に播種する場合、2人が道で互いによけられるように、狭い道沿いに溝をつくってはならない。§5. 第5に、わわわれの村では放牧地が乏しいうえに、4月の放牧は不要でなおさら家畜放牧はおこなわれないので、4月にはいかなる者も5モルゲンを超える放牧地は認められない。§6. 第6に、厩肥の施肥においてしばしば自分の耕地を通らず、他人の耕地を頻繁に通行する者は、自分の耕地にとどまり、それ以外に施肥したいとおもう耕地には通行のために立ち入るべきであり、そうすることによって彼の耕地と他人の耕地をそれぞれ半分ずつ通るようにすべきである。§7. 第7に、秋に耕地へ施肥しようとする者は、遠くの耕地へ荷馬車で行き他人に損害を加えないように、できるだけ道の近くに位置するよう心掛けるべきである。§8. 第8に、垣根の木を運ぶときは、馬の馬具をはずして馬の勝手にさせず、誰にも損害を与えないように、道に立ち止まらせるべきである。§9. 第9に、耕地が完璧に空くまで、垣根を取り除いてはならない。§10. 第10に、エン麦の種まきではできるだけまとめて播種をおこない、家畜番人にとって播種が放牧の妨げにならないように注意すべきである。§11. 第11に、亜麻の種まきにおいてはいかなる者も、彼の隣接地保有者が犂を反転するのに支障がないだけの余地を境界に残しておくべきである。§12. 第12に、いかなる者も甜菜畑を道のそばにつくり、後の甜菜収獲の際に他人の耕地を通って損害を与えないように、はからうべきである。§13. 第13に、収穫においていかなる者も自分勝手に通るのではなく、破れている垣根の通路を通るべきである。§14. 第14に、いかなる者も上記の通路を開けてそこを通り抜けてもよいが、同じ日にそれを必要としないか、それを最後に通り抜ける場合は、それを再び閉じるという条件のもとで認められる。§15. 第15に、いかなる者も、耕地が空いて、支障がなくなるまで、垣根の通路の木を持ち去ってはならない。§16. 第16に、いかなる者も、出入りいずれの場合であれ、自由な放牧路を通り、そこから離れてはならず、近いからといって、他人の耕地、採草地または土手の草地を通って損害を与えてはならない。§17. 第17に、土手の草地またはその一部を家畜のために草刈りしようとする者は、他人に損害を与えることなく草を家に持ち帰るべきである。§18. 第18に、土手の草地を家畜に食べさせ始めたら、そこから草を刈り取ることはもはや許されず、休閑中は聖ヤコブの日(7月25日)以前に土手の草地に施肥してはならない。§19. 第19に、村で自分用の水路をつくってはならず、あらかじめ届け出て、農民首長と代官に申告すべきである。
 これら複合的な諸条項に反したふるまいやその他不法な有害行為をおこなう者は、損害を償う義務を負うだけでなく、犯罪に応じて深刻な処罰をうけるべきであり、それゆえいかなる者も損害を防いでほしい。
 これは1603年3月7日、ゲオルク・アメルバッハーを新任した際に、おこなわれ、更新された。


 3-9 グロッセルフィンゲン Grosselfingen



(グロッセルフィンゲンはネルトリンゲン市の東に位置し、エーガー川河畔の集落である。この史料は17世紀の写しとされる。)


  役職の任命について§1. 第1に、白衣の日曜日(復活祭の次の日曜日)に共同体は役職を次のように任命する。すなわち、農民は小屋住のなかから四人衆の1人を、小屋住は農民のなかから四人衆の新人1人を選び、毎年2人が四人衆となり、四人衆は2年間でその職を去る。その際、同じく耕地監視人と草地監視人も農民によって選ばれる。しかし選挙は、ネルトリンゲンの療養院の同意を得なければならない。このとき四人衆と共同体によって馬とめ牛の番人も選ばれ、続いて上述の選出された役職すべては療養院に届け出られ、療養院長によって認証される。
  村と耕地の溝と用水路の清掃と管理について。§2. 春と四旬節の中頃、いかなる者も屋敷のまわりの溝を掃除し、互いに助け合って排水し、四人衆は村内のすべての橋を調べるべきである。ただし村落の真中の小農民および教会農地の保有者を除き、屋敷のそばの橋をみずから調べて、溝を掃除して保全する義務を負う。そうしたことをしない者はいずれも犯罪者として、一般村民も四人衆も同様に代官に1フントの罰金を徴収される。§3. クレヴィッツから下流の溝は、クレヴィッツ泉から落し戸までの上方のすべての隣接耕地の保有者によって共同で掃除され保全されるべきであり、また四人衆はこの地区の橋を調べて掃除すべきであり、そうすれば水は流れ続けて、エーガー川に流れ込む。§4. 同じく上から下へ流れる耕地の水はこのクレヴィッツ排水路へ導かれるべきであり、隣接耕地の保有者が1人であれ複数であれ、きちんと管理しなければ、代官に1フントの罰金を徴収される。§5. シュランク排水路は復活祭と精霊降臨祭の間に同じように排水され、村のぬかるみは除去されるべきであり、四人衆にその報酬を支払い、隣接耕地の保有者は彼らに3分の1ペニッヒを納める義務を負い、罰金の場合1フントを代官に納める。
  村落の一般条例、古い慣習と法。§6. 春に菜園に播種したとき、代官は四人衆とともに、教会の下吏を通じて、いかなる住民も放牧の見張りができない豚を厩舎で飼うように命じ、違反した場合、1フントの罰金を代官に納めさせるべきである。§7. 四人衆が春に柳の木を伐るとき、彼らは教会の代官とともに下吏を通じて、村では代官と四人衆の承諾なしに柳の伐採をおこなってはならないことを命じ、違反した者はネルトリンゲンの領主に1グルデン、代官に1フントの罰金を徴収される。§8. 村の穴で粘土を掘る者は、穴から出てそれを埋めもどさなければ、代官がそうしたことを彼について聞き知った合、彼は代官に1フントの罰金を徴収される。§9. 四人衆が石を必要とするとき、聖職者の管理人は毎年8フーダーの石を運搬する義務を負うが、聖職者自身がそれを必要とする年は、その義務を負わないですむ。§10. 村の聖職者の管理人が2つの砂箱を保全し、それらを十分の一税倉庫に備えるべきであるが、それを必要とする者は、それを求めてもよいが、夜間手元に置かないなら、罰金として代官に1フントを徴収される。§11. 消防はしごを借りて、夜間手元に置いて、その通常の場所に返さない者は、代官に1フントの罰金を徴収される。
§12. 結婚式を迎える者は、墓地を除き、村のすべての農地、屋敷および菜園を通り、誰にも制止されることなく、花嫁を教会に連れていくことができる。§13. 村や畑で垣根のとげが村民にささった場合、垣根の持ち主は代官に1フントの罰金を徴収される。§14. いかなる者も共同体の飼料を村の外へ売ってはならず、あらかじめ代官に届け出て、代官は3日間の祝日に教会で知らせ、村内で買おうとする者がいなければ、彼は村外で売る権限をもつが、これに違反した者は。代官に1フントの罰金を徴収される。
村と耕地の仲裁と告訴について。§15. 石その他によって耕地に紛争が起きても、領主にその解決を求めてはならない。しかし、ネルトリンゲンの領主は、グロッセルフィンゲンの村域と耕区にかんするかぎり、そうした問題を処理することができる。§16. グロッセルフィンゲンの住民が他人に対する告訴をおこなおうとする場合、あらかじめ代官に届け出るべきであり、そこで代官は被告のところへ行き、彼に告訴を示し、8日後に2人の仲裁人とともに役に立つ案を作成し、原告も同じことをする。そこで両者がその仲裁人を選んだら、彼らはそれを代官に届け出るべきであり、代官は設定された日を期して次のようなことをおこなう。すなわち彼は、4人が正当で対等な仲裁人となることを彼らの義務とする。§17. その同じ日に他の当事者が相互に調停をおこなわなければならない場合、彼らは代官と仲裁人のところへ行き、彼らの間で調停をおこなうよう申し入れ、仲裁にいたるまで続ける。§18. 共同体の四人衆が村と耕地にかんして道路の境界石の取外しその他の問題で仲裁をしなければならないとき、彼らはあらかじめ8日前に隣接耕地の保有者に対して教会においてこれを予告させ、仲裁人と協議したうえで、四人衆も隣接耕地の保有者も、とりあえず上述のように、彼らの仲裁人を受け入れる。§19. 仲裁が告示され、共同体の四人衆が仲裁しなければならない者たちが、正しい時刻に現れないときは、仲裁人は、それ以上仲裁を続けなくてもよい。§20. 村落または耕地にかんする上述の法的事件その他において、違反行為をする者がいれば、代官に法的にしかるべき罰を要求するか、法的な判断を請求すべきである。
  家畜番人の俸給について。§21. 村民がクリスマスの頃に2人のめ牛番人に家畜を預けるとき、村民は法にもとづいて彼らと話し合うことができるが、常に穀物3マルター以下の俸給を与えてはならず、ネルトリンゲンの領主には毎年家畜番人について3マルターの穀物を税として納めなければならない。§22. 聖ゲオルギオスの日(4月23日)の前の日曜日、代官と村の四人衆は廷吏を通じて教会で、次のように知らせるべきである。すなわち、放牧可能な家畜をもつ者はそのことを四人衆に届け出て、決して黙っていてはならない。その場合、もっている家畜数より少なく申告した者は、彼が黙っていたすべての家畜頭数について、ネルトリンゲンの領主に対して1グルデンの罰金を科される。§23. このことは聖ミカエルの日(9月29日)の前の日曜日に村民に告示される。§24. 1種類の家畜を放牧する者は、3ライブのパンを支払い、2-3種類の家畜を放牧する者は、6ライプのパン、幼いまたは購入した家畜を家畜番人のもとで放牧する者は、番人に1週間分のパンを払う義務を負う。§25. いかなる豚も、聖ゲオルギオスの日(4月23日)に生後12週たっていれば、四人衆にゲオルギウスの俸給を納め、家畜番人には冬麦束をを納める。しかし聖ゲオルギオスの日に生後12週たっていない豚は、家畜番人には夏麦束を納め、四人衆には秋の俸給を納める。§26. 母豚をその子豚とともに放牧する者は、家畜番人に1週間分のパンを支払う義務を負う。しかし母豚だけが単独で放牧され、その後子豚が単独で放牧される場合は、家畜番人に2週間分のパンを支払う義務を負う。§27. 聖ヨハネの日(6月24日)の前に集落から売られたいかなる家畜も、家畜番人に夏麦束、四人衆には秋の俸給を納める。§28. 春に家畜番人に預けられるめ牛または1歳の若牛について、同じ報酬、すなわち規定どおりのパンが与えられる。いかなる家畜1頭についても4種類の穀物半束ずつ、計2束が与えられる。しかし、麦束の刈り取りをしない場合は、冬麦束には3ペニッヒ、夏麦束には5ヘラー、1ライプのパンには4ペニッヒが与えられる。§29.聖マルティノの日(11月11日)の前に入手し冬を越した子羊は、春に家畜番人に預けられ、最初述べられた他の家畜と同じパンと麦束による報酬が与えられる。§30. しかし聖マルティノの日以後に入手した子羊は、それら全体を集めても家畜番人に3 ヘラー以上納める必要はない。§31.聖ミカエルの日(9月29日)から聖ヨハネの日(12月27日)までの間に集落から来る家畜は、秋の俸給の支払いを決して減らすようなことがあってはならないが、聖ミカエルの日の日の出からわずか1日で集落から家畜を売った者は、家畜番人に秋の報酬を支払う義務を負わない。§32. 家畜番人が四人衆の鑑定にもとづいて聖マルティノの日の後1日、2日あるいはそれ以上、・・・・すれば、いかなる厩舎も彼にさらに1ライプのパンを与え、それは1年で7ライプとなる。§33. 遅れて来たか、外来のがちょうは、3日間しか預けられていないか、まだ放牧されていないなら、聖ヤコブの日(7月25日)に支払いがおこなわれ、森に放され、早期に放牧されているがちょうと同じ報酬を支払わなければならない。§34. 子馬または若駒が3日間夜間の家畜番のもとにあれば、彼に1 ライプのパンを支払う義務を負う。§35. 農民の半分はめ牛番人のために、農民の他の半分は馬の番人のために、毎年彼らが購入した木を森林から運搬する。
  垣根と耕地への立ち入り禁止ついて。§36. 3年に一度聖ゲオルギオスの日(4月23日)の頃、礼拝堂からクリンゲンまで垣根がつくられるべきであり、それをおろそかにして参加しない者は、男女とも代官に1フントの罰金を徴収される。§37. 秋に耕地に播種した者は垣根をつくる義務を負い、グロッセルフィンゲン教会の開基祭の前につくらなければ、代官に1フントの罰金を徴収される。§38. 聖ゲオルギオスの日の頃耕地は立ち入りが禁止されるが、代官と四人衆が耕地に有害とみなせば、8日前にそれを禁止する権限をもつ。しかしそれに違反する者は、代官に罰金1フントを徴収される。§39. 聖ゲオルギオスの日の頃の冬畑と同じく、聖ヨハネの日(12月27日)の頃夏畑は立ち入り禁止される。§40. 耕地と草地が囲われており、耕区や草地に家畜が害を与える場合は、3度「防げ!」と叫ぶべきであり、誰も防ごうとしなければ、家畜の所有者に協議を提案し、これが耕地の縁で起きたら、代官に1フントを納めるが、草地では代官と四人衆に相互の協議によりそれぞれ半分を支払う。§41. 春に代官は四人衆とともに古くからの慣行にしたがい、適時教会ですなわち休閑地への立ち入りを禁止し、古くからの慣習にしたがい、精霊降臨祭の3日前まで堆肥を散布してはならず、その後の火曜日まで休閑地を一般に開放する。しかし、それ以前にそうしたことをおこなう者やそれに反する者は、外来者であれ村落住民であれ、代官に1フントを罰金として徴収される。§42. 休閑地にレンズ豆を播種する者は、代官に1フントの罰金を徴収される。
荘園民にかんして。§43. 集落の外来者が荘園民として集落に定住することを望むなら、まず代官に申し出て、代官によって村民に提案され、村民が同意し承認すれば、彼は荘園民として受け入れられ、療養院に登録されるとともに誓約がなされるべきである。
家畜放牧と草刈り、家畜の草食について。§44. 聖ゲオルギオスの日(4月23日)の前に四人衆は草がかなり成長しているのを見たら、家畜番人に家畜を放牧し、昼には厩舎に戻すように命令すべきである。その後領民は出て行き、聖ゲオルギオスの日の3日後まで乳を搾り、草地から家畜を出したら、聖バルトロマイの日(8月24日)まで毎日昼に草地に入れ、聖バルトロマイの日の後ダイニングの教会開基祭まで再度厩舎に戻す。しかし、放牧地が良ければ、もっと長くそこに放牧してもよい。§45. 家畜に自分の草地の草を食べさせ、隣人に迷惑をかけるようなことがあれば、自分の土地に放牧するだけでなく、耕地囲いをつくり、隣人に彼の家畜による害をおよぼすことがないようにする義務を負う。§46. 聖ヴィトスの日(6月15日)の頃、低地の製粉所の前の草刈りをおこない、草地が空いたら、まず最初にグロッセルフィンゲンとエンクヒンゲンの住民が同時に彼らの家畜を共同放牧し、それまではいかなる者もそこに立ち入ってはならない。しかし放牧は最初だけ一時的であり、その後は放牧権を認められない。家畜番人と同様に、いつでもそこで家畜を放牧することはできるが、上述のように、両村の家畜番人が共同で放牧をおこなう以前に、そこに立ち入った者は、ネルトリンゲンの領主に1.5グルデン、代官に1フントの罰金を徴収される。§47. 聖ヨハネの日(6月24日)に高地の採草地で草刈りを始めるとき、代官は教会で下吏をつうじて、古くからの慣わしどおり、刈り株畑への立ち入りを禁止させるべきであり、まず村の家畜番人がそこに放牧するまで、いかなる者も放牧してはならず、そうした禁止に違反する者は、1人であれ複数であれ、代官に1フントの罰金を徴収される。§48. 聖ヨハネの日(6月24日)の後の月曜日、川下の草刈りが始まるべきである。§49. その8日後、葦の刈り取りが先刈りとともに着手される。§50. ゲルム、小川の草地と聖職者の草地および耕地囲いも、聖ヤコブの日(7月25日)を期して空けられるべきであり、隣接する前述の6つの草地とともに、高地の草地と同様、放牧のために管理され、共同家畜番人の放牧でこれに反する行いをする者は、いかなる地区であれ、代官に1フントを徴収される。§51. 聖ヴィトスの日(6月15日)を期して、共同およびめ牛番人は、午前中は荘園に、午後は後続放牧地に放牧すべきである。§52. 同じく、すべての新しい放牧地では彼らは共同で同時に放牧すべきである。§53. 聖ヨハネの日(12月27日)の後、馬をもつ農民その他が、夜間放牧地をもちたいとおもえば、それを領主に願い出るべきである。しかしそれを認められても、ダイニングの教会開基祭までに限られ、それより長くは認められない。その場合共同家畜番人はその期日まで放牧できるが、秋が暖かく、放牧地の状態が良ければ、さらに延長してもよい。§54. 家畜番人のもとにある家畜を、代官と四人衆の許可なく分離する者は、教会でそれを公表し、め牛、羊、豚のいずれであれ、代官に1フントの罰金を徴収される。§55. 同じく、代官の了承なくがちょうを分離して売る者は、代官に1フントを徴収される。§56. 川下で家畜の放牧をする場合は、橋から橋へ、夕方の礼拝時刻まで、がちょうの放し飼いをしてはならない。それ以後番人はがちょうを川下へ放してもよいが、それ以前は放し飼いをしてはならない、夕方の礼拝時刻以前に放し飼いをしたら、番人はその罰金を納める義務を負う。§57. がちょうは下方の泉までは溝のなかに放してもよいが、それより上方へ放したら、番人は代官に不法行為をなしたと認められる。§58. がちょうを放し飼いする場合、緑地に住む者はそのがちょうをエーガー川に泳がせることができ、番人は毎朝がちょうをつれ帰るべきである。がちょうの羽毛をむしり取るときは、泳がせる場所に元気が回復するまで3日間行かせ、その後他のがちょうに取り掛かるべきである。四人衆ががちょうを村中に放すよう求めるまで、緑地の住人もその他の人々も代官の承諾なしにエーガー川にがちょうを放してはならず、違反した者には1フントの罰金を代官が科す。§59. ベンツェン集落で放牧したい者は、馬を垣根の中に入れ、め牛を綱でつないで垣根を出入りすべきであり、違反したら1フントを代官に徴収される。§60. 自分の草地で馬に草を食べさせようとして、生えている草の上を馬が歩くなら、彼は垣根で囲まれている草地について常に罰金6ペニッヒを科されるべきである。
次の法はとくに収穫期にかかわる。§61. 夏に村民が冬作に着手し、刈り取り作業をおこなうのを適当とみなせば、代官と四人衆は日曜に教会で、四人衆が共同家畜番人に放牧を要求するまで、4週間そこに放牧することを禁止すべきである。§62. 穀物を搬入しようとする者は、誰にも迷惑をかけないように、自分の耕地で搬出をおこない、迷惑をかけた場合は、それがどのようなものか、代官は両者を調べることができる。§63. 収穫において囲いを破って穴を開け、なお多くの作物が耕地に残っているなら、その穴を再び閉じるか、耕地の作物がなくなるまで、家畜番人を置く義務を負う。しかし耕地の作物がなくなる前に、囲いを取り去ったら、代官に1フントの罰金を徴収される。§64. 自分の耕区ではなく、隣の耕区を通る者がおり、代官が来てこれを知ったら、1フントの罰金を徴収される。§65. 耕地の立ち入り禁止の4週間が過ぎても、なお期限外の作物が耕地に残っていたら、四人衆は、誰にも損害のないように、耕地の立ち入り禁止期間を延長すべきである。§66. 刈り取り中の夏作物について、冬作物にかんする放牧と立ち入り禁止のあらゆる条項が同じように守られるべきであり、違反は罰せられる。§67. ある者が家畜を放牧し、家畜を使って移動し、掘り起こし、方向転換または反転することによって他人の耕地に損害を与え、損害をこうむった者がそれを代官に訴えれば、代官は被害を調べるために、2人の裁判官を任意に任命し、 当事者が相互に示談で折り合わなければ、代官は2人の裁判官とともに損害と罰金を告げ、罰金の半分は被害者、他の半分は代官のものとなるが、裁判官が損害の検証をおこなう前に、原告は損害を調べる裁判官に2マースのワインを提供する義務を負う。§68. 朝6時前に落穂ひろいに出かけてはならず、作物が残っている耕地で落穂ひろいをしてはならず、夕方6時以後も落穂ひろいのためにそこにとどまってはならない。§69. 冬畑では聖ゲオルギオスの日(4月23日)以後、夏畑では聖ヨハネの日(6月24日)以後、家畜に食べさせる草を取ってはならず、あるいは草刈りをしてはならず、違反すれば代官に罰せられる。
  垣根の通路、農道、家畜放牧および農地内で垣根で囲われた草地について。§70. 中央の耕地(ミッテルフェルト)と小川の耕地(バッハフェルト)に農作物があり、土手の草刈りが始まったら、礼拝堂のそばの農地の保有者は垣根の通路を開けて、そこから出て来られるようにすべきだが、家畜番人はそこで通路の開閉ができるようにして、閉めない者は代官に罰せられる。§71. ハーネンガルテンで土手の草を刈り始めたら、ハーネンガルテンのそばの農地の保有者は垣根の通路を提供するが、土手のこちら側と他所の者には提供しない。その際、外へ出て来ることはできる。 §72.、それ以外には垣根の通路を開けてはならない。ただし彼らがその問題について代官を迎え、通路を出て来た後に家畜番人を置くことに、双方が合意する場合には、通路を開けてもよい。§73. ティーフェンゼーで草刈りを始めたら、その農地の保有者はすべての農地から村落へ通じる道を提供すべきである。§74. 中央の耕地(ミッテルフェルト)にエン麦を播種するとき、聖ヨハネの日(6月24日)までエーゲルゼーにおける放牧は袋小路を通っておこなわれるべきである。§75. 農地保有者はロパッハへの冬の小径を提供しなければならない。§76. 手放された耕地は低地の耕地への小径を小川の小橋まで提供しなければならない。§77. 囲われた耕地に損害を与える者は、代官に1フントの罰金を徴収される。§78.自分の耕地への荷馬車の出入りを望まない者は、一つの農地だけに負担がかからないように、耕区への往復に際して、1農地あたり車1台を通すべきであり、いかなる違反も代官に1フントの罰金を徴収される。§79. 隣接耕地の保有者に対して耕地の端の犂残し地をふさいではならず、違反した場合代官に1フントを徴収される。
  菜園。§80. 共同菜園がつくられ、どの家にも一つの菜園が割り当てられ、そのなかで4か所の菜園が除かれ、囲いのための場所が他と同じ分だけ割り当てられる。その際、まだ建築されていない屋敷がいくつかあって、将来それらが建築される場合には、それらにも他の一般領民と同様に、菜園が割り当てられるべきである。§81. 自分の家畜を菜園で飼う者は、代官に1フントを罰金として徴収される。§82. 菜園をいい加減に耕作する者は、代官に1フントの罰金を徴収される。§83.1週間のうち火曜日と金曜日の2日、2-4時に菜園に従事するという定めを超える者は、代官に1フントの罰金を徴収される。


 3-10 トロホテルフィンゲン Trochtelfingen



(トロホテルフィンゲンはネルトリンゲン市とボッフィンゲン市との間にに位置する。)

 I. トロホテルフィンゲン村の法 

(これは15世紀の史料といわれる。)

  トロホテルフィンゲンの村落法は古くから伝えられており、次のようにに書かれている。§1. 第一にトロホテルフィンゲンに住み、そこに炉をもつ貴族身分の人々はラテン語でカテードラと呼ばれる聖ペトロの日(6月29日)村落の五人衆を彼らの誠実さにもとづいて選ぶべきであり、3人は農民、2人は小屋住からなるのが普通である。しかし、聖ペトロの日の14日前か後のころに貴族身分の人々が不在か、選挙を怠った場合、その年度は旧五人衆が彼らの宣誓にもとづいて五人衆を選び、任命する権限をもつ。しかし、貴族身分の人々の誰かが居合わせば、彼は前述のように五人衆を選ぶ権限をもつ。五人衆を選ぼうとするとき、村民全体に命じて、その忠誠を受け入れるべきである。それに選ばれた者は、さからうことなく実行し、村民も彼らの命令を従順にうけいれるべきである。五人衆が選ばれたら、五人衆はトロホテルフィンゲンの貴族身分で家を持つ者を六番目の役員に採用し、古くからの慣わしどおり、彼はその年六人衆に加わる。§2. 五人衆が命じたら、馬で出かけたい者は、耕地監視人にどこへ行きたいかを告げるべきであり、彼が言ったことが確認できなければ、彼は1フントを科される。また彼を有害とみなせば、彼は1フントを科される。どこへ馬で出かけたいかを言わない者は、1フントを科される。§3. 日常的罰金は古くからの慣わしであり、家畜が駆け出したら、1ペニッヒを科され、耕地監視人がそれを叱責したり制止したら、5シリングを科される。§4. 垣根から編み垣を伐ったり破ったりする者は、耕地監視人が訴えれば、1ペニッヒを科される。 連結編み垣を伐ったり破る者は5シリングを科され、そうしたことをするたびに、上述のとおりの罰金を科され、五人衆はこれを守るように命じるべきである。§5. 耕地にしかるべき垣根の場所があれば、垣根で囲うべきであり、そのうえで耕作がなされる。囲いをしない者は、そのたびに1フントを科される。§6. 五人衆は、貧しい者と富める者の必要に応じて、休閑地において夜間放牧地を監視する権限をもつとみなされる。§7. 収穫期に耕地が家畜の立ち入りを禁止されている場合、自分の馬車で刈り取り人の所へ出かけ、穀物の刈り取り準備が整ったら、1フーダーの穀物の刈り取りの準備がほぼ終わるまでに、刈り取り人とともに食事をして、耕地または土手の草地で馬にも食べさせることができる。しかし、耕地監視人が彼らを叱責するなら、叱責のたびに、上述のように5シリングを納めるべきである。§8. 耕地監視人または家畜番人を任命するにあたって、五人衆は村民が望む者は誰かと尋ねるべきである。村民が五人衆にそのなかから採用する権限を与えたら、五人衆はそのようにすべきであり、さもなくば、村民またはその幾人かがそれに参加するのであれば、それでもよい。§9. 耕地の中にある採草地にかんして、それを一度に刈り取る場合、その年はもはや採草地を利用してはならないなら、村民はその年は待機すべきである。§10. 古くからの慣わしとして、トロホテルフィンゲンの村落耕地が休閑地となる場合、貴族身分の人々であれ誰であれ、その年は五人衆が村の利益のためにそれを監視する完全な権限をもつ。§11. ある者が損害を与え、五人衆によって賠償させられたら、それ以上の責任を負わなくてもよい。§12. 五人衆が耕地への立ち入りを禁止したら、彼らが開放しない耕地はすべて、五人衆が再度開放するまで、いかなる者もそこに放牧したり、馬を乗り入れたり、何かを入手してはならない。これに違反する者は、五人衆が定めた罰金を科される。§13. 古くからの慣習として、いかなる者も、その一部を共有する家畜であっても、他村の家畜を村内に受け入れてはならない。§14. 聖ゲオルギオスの日(4月23日)の後または聖ミカエルの日(9月29日)の前、特別に放牧したいいかなる者も、レーレンバッハまたはジュッシン以外に放牧してはならない。さもなくば、五人衆が定めた罰金を、違反のたびに科される。五人衆はそれについて命令すべきである。§15. 聖なるクリスマスの日の前に家畜を取得したら、それを放牧するときはいつでも、家畜保有者はその数を報告するのが、古くからの慣わしである。§16. 村内に家畜を買い入れる者は、家畜の老若にかかわらず、またいかなる時期であれ、1年にどのくらいの数になるか報告し、購入された家畜について家畜番人に1ライプのパンを納めるべきである。§17. 家畜は聖ヨハネの日(6月24日)に厩舎に入れられ、冬麦束を番人に納め、村外または村内で売られる。同じく聖ヤコブの日(7月25日)と聖ミカエルの日(9月29日)には家畜番人に俸給を給付する。§18. 古くからの慣わしとして、草地と葦原は聖ヨハネの日に空けられ、耕地の前の土手の草地は他の耕地ど同様に監視すべきである。§19. 耕地監視人は、五人衆が彼らに宣誓させたことをそのとおりに実行しなければ、五人衆は彼らと六番目の役員の判断にしたがって、耕地監視人を罰することができ、家畜番人も同じように罰することができる。§20. 古くからの慣わしとして、五人衆の意見が一致すれば、彼らはそれを六番目の役員に提案すべきである。六番目の役員が同意すれば、それで良いが、同意が得られなければ、全村民にその問題を提示し、多数の意見にしたがうべきである。§21.五人衆は、罰金がいくらで、誰が罰金を納めたのか、それはどのくらいの回数で、毎年どれほど村落の利益になっているのか、あるいは草地を村落の利益のためにどれほど売るべきか、新任の六人衆と新任の五人衆に提示し、それらについて計算すべきであり、そのために村民のなかから4人を選び、彼らによって計算が間違いなくおこなわれるべきである。§22. 五人衆は、彼らが監視していたものを売ろうとするなら、耕地監視人に墓地で公然とそのことを叫ばせ、それを売り出すを日を告げさせ、最も高い値段をつける者にそれを譲渡すべきであり、その年に草地を買いたい者がいれば、他の者より彼に優先的に譲渡すべきである。§23. 五人衆は差し押さえをおこなわせようとする場合、トロホテルフィンゲンに住む貴族身分の人々は彼らの使用人の1人を貸し、この使用人が今回差し押さえに行けば、彼には1マースのワインを与えるべきである。§24. とくに古くからの慣わしとして、五人衆の了解による差し押さえをさせようとしない者がいれば、貴族身分の人々は五人衆および全村民とともに彼の家に行くべきであり、彼が貴族身分かそうでないかにかかわらず、彼から差し押さえ物件を取ることができ、不法行為をしたことにはならない。§25. その年に五人衆が提示した金額では提供したくない者は、その提示額または罰金を五人衆の諒解を得て引き上げることができる。§26. 手放された荒蕪地の耕作または囲い込みをおこなう者は、その都度1フントの罰金を科される。§27. 古くからの慣わしとして、五人衆の諒解と宣誓のもとに彼らに陳述した者は、本当のことが判明したら、彼が貴族身分の人々か、そうではなく農民または小屋住であるかによって支払い額が異なり、貴族身分の人々は10フント、農民は5フント、小屋住は3フントを納める。§28. 五人衆の1人、複数またはその全員が、公文書とその判断にしたがおうとしなければ、彼または彼らを、他の五人衆と貴族身分の人々および全村民は、その過半数の判断にしたがって罰することができる。
 §29. 注1) トロホテルフィンゲンの村落法の朗読にしたがって、そこに家をもち居住する者全員は、貴族身分の人々のために3軒の住宅を保持することを誓う義務を負う。また五人衆が六番目の役員とともに村落の共同の利益のために命令したり禁じたりすることを、共同体に住むいかなる者も守るべきであり、公然あるいはひそかにそれに異論を唱えたり、反対行動をしてはならない。貴族身分の人々に対して誓いがなされたら、これら貴族身分の人々は農民と小屋住のなかから新しい五人衆を指名し、新任の五人衆は貴族身分の人々と全村民の同席のもとで次のように誓約をおこなうべきである。すなわち、次のような朗読がなされる。「君たち選ばれた五人衆はトロホテルフィンゲンの村落法の古き伝統の効力と慣わしにおいて、今年度在職中の六番目の役員にこの宣誓をおこない、トロホテルフィンゲンの村落共同体のために、君たちはトロホテルフィンゲンの村落の忠実な五人衆として行動し、村落の名誉、尊厳、必要および共同利益をいかなるときにも促進し、決していつわることのないように努めてもらいたい。またトロホテルフィンゲン村の賞賛すべき自由、古き良き伝統、慣わし、規約、規則、平和、法および正義、その他あらゆる共同の問題を、君たち五人衆は、誠実な選ばれた五人衆として、古き賞賛すべき伝統にしたがって吟味し、できるかぎり勤勉なふるまい、調整、処理にいそしみ、いかなる好意や敵意も抱くことなく、決して収賄などしてはならず、誠実で健全な態度をとるべきである。」このように五人衆に朗読がなされたら、いかなる五人衆も3本の指を立てて、自分自身の口で次のように言うべきできある。「私は忠誠を誓い、朗読された言葉をうけとめてしっかりと守るつもりなので、全能の神よ、私を助けたまえ。」

  注1)これは原史料ではなく、Nördlingenのアルヒーフの1525年の写しである

 
 1668年

 (これは1668年のトロホテルフィンゲンの法の追加部分である)

 誓約と五人衆の選挙について。§30. 最初に、五人衆の選挙と村落会計が聖ペトロの日(6月29日)に古くからの慣わしどおりおこなわれる場合、誉れある村民は耕地監視人の命令により一定の場所と時刻に参集しなければならず、全員が集まったら一般報告として法が公に読み上げられなければならない。こうしたことがおこなわれたら、第六の村役員としての3名の貴族身分の家柄の人々に対して、いかなる村民もそうした法と村落令をしっかりと守ることを、手をさし出して忠誠を誓い、次いで次のような形で五人衆の選挙がおこなわれるべきである。すなわち、3名の貴族的身分の家柄の人々が村民のなかから5名を、3名の農民と2人の小屋住を誠実に選ぶべきである。しかし、退任する旧五人衆は数日前に貴族身分の人々に5名の農民と4名の小屋住からなる9名の有能な人物の名簿をひそかに提案して指名をおこなうべきである。貴族身分の人々は第六役員として、新任五人衆に3名の農民と2名の小屋住を選ぶことができる。しかし思慮深い第六役員がよく考えて、旧五人衆が渡した名簿ににはない他の村民を五人衆に採用したら、彼らは反対されることなく、そうした権限を行使すべきである。そして五人衆に選ばれた者は、異論なくそのままとどまり、村民全体は貴族身分の第六の役員と五人衆の命令と禁令に従順にしたがい、3名の貴族身分の家柄の人々も古くからの慣わしにしたがって1年おきに第六役員の任務をすすんでひきうけるべきである。高貴な身分の人々が聖ペトロの日の14日前か後に、地元にいるにもかかわらず選出を怠れば、旧五人衆は新五人衆を彼らの宣誓により選び、法にしたがって進む権限をもち、その後新しく選ばれた五人衆は一度部屋から退出して、再入室の際、新しい貴族身分の第六役員が五人衆の職務を補佐することを求め、新しく選ばれた六番目の役職の約束の後、最後におこなわれる宣誓によってそれが義務付けられるべきである。
 手工業者の規則について。§31. この村落の自由は古くから伝えられており、その名をもちうるようなすべての手工業者は、親方作品なしに、ツンフトに加入することなしに、この村落に住み、その手工業者はいかなる妨げもうけることなく営業してもよい。しかし、あれこれの手工業者は徒弟の採用のために領地においてツンフトに加入すべきであり、彼は村に損害や不利益を与えなければそうしたことをおこなうことができ、近隣の手工業者がツンフトに加入しなければ、彼と同じような仕事をしてはならないなどと思わせてはならない。当地の住民である肉屋、パン屋とその他多くのあらゆる種類の手工業者は、外来者が村に食料を運び込んで営業をおこなうことに対して、あつかましくも罰金を科して妨害するようなことを決してしてはならず、その場合すべての村民は外来者からも在住者からも任意に購入すべきであり、あらゆる場合に外来の親方と職人に対して必要な仕事を与え、彼らを家の中に入れてもよい。
 自由な営業および取引の規則について。 §32. このトロホテルフィンゲン村では家をもついかなる村民も太古よりあらゆる種類の取引と営業、とくに飲食店をいとなみ、課税されることなくワインとビールをを開栓し、自分で醸造し、自分の家に任意に客を迎え、祝宴をおこなっても、誰からも文句もいわれず妨害されることもない。
 住宅の住人規則について。§33. 第一に、村落の子弟その他の住民が困窮その他の原因でその家を売らなければならない場合、村民が保護をうける領主と村落で指名された第六役員および五人衆の事前の承諾を得て知らせたうえで、外来者を住人としてうけいれるべきである。第二に、しかしながら村落の子弟またはその他の誠実な知人が住んでおらず、借家が空いている場合は、いかなる村民も。その転出証を提示しうる誠実な人々を住人として受け入れる権限をもつことが認められる。しかし、そうした転出証は選出された五人衆および第六役員に上述のように事前に提示されるべきである。第三に、住宅に住人を受け入れる村民は、10グルデンの現金、またはそれが不足する場合、保証人によって同額を保証させるべきであり、領主と村落は、罰金がそうした住人に科されることがあれば、それによって取り戻すことができる。第四に、転出証または保証金を提示しない無害な者を、第六の貴族的役員と五人衆の諒解なしに受け入れるようとする村民がいれば、彼はかならず1グルデンを罰金として科され、住人となることは許されず、再び村落外へ追放されるべきである。
 紛争の調停について。§34. ローマ法の30年間の戦争の過程で、また当村落の貴族的身分の家柄の人々と誉れ高い村民との間に締結された平和の後に、さまざまな争いと混乱が生じた。それらは今や外見上処理しえない村落の最もやっかいな不祥事と、それによってひきおこされる多大な冗費をもたらしかねないので、幾人かの誠実な平和を愛する方々によって、13項目にわたるそうした紛争が1655年4月1日に調停され、相互に口と手によってそれを守ることが全面的に約束され、それにかんして捺印された詳細な協定書が作成され、紛争の当事者それぞれに保証された原本1通が渡された。それを五人衆の箱のなかに入れ、常にそこにとどめることは、忘れがたい記憶と多くの情報によりこの法を数行で思い出し、また最後に逐語的に書写されたものをわがものとするために、必要であると評価された。しかし、貴族身分の家柄の土地保有者と五人衆および誠実な全村民との間に誤解と紛争が生じ、彼ら自身の間で和解できないようなことが再び起きたら、そうした紛争を誠実でかたよらない人々の仲裁によって和解させるよう全面的に努力すべきであり、そうすれば貴族身分の人々にとっても誠実な村民にとっても、多大な費用の浪費によって厄介で面倒なことがひきおこされることがなくてすむ。


 II 1416年の耕地境界監視文書

 本日1416年聖ペトロの日(6月29日)の後の日曜日、トロホテルフィンゲンの領主によって耕地境界監視がおこなわれ、次のように確認された。§1. すなわち、キルヒハイムのわれらが慈悲深き女領主とエッティンゲンのわれらが慈悲深き領主、彼らを信奉する司祭と助任司祭のなかから2名がそうした耕地境界監視のために選ばれるべきであり、またネルトリンゲンとザンクト・ブラージエン聖霊療養院から、ボッフィンゲンの農地とハルスブルンネンとカイサームの農地のについても2名が選ばれ、同じくトロホテルフィンゲンの貴族身分の人々の農地にも2名が選ばれるべきであり、第7の耕地監視人は輪番制であり、第7の監視人が退任するたびに、、上述の三者の領主層から他の監視人が採用されることになっている。§2. 6名の耕地監視人のうち1名または数名が退任したら、常にトロホテルフィンゲンの五人衆と第六役員によって、領地の同じ部分から代わりの者が選ばれるべきである。彼は五人衆と第六役員にしかるべき誓約をおこなうべきである。§3. そうした耕地境界監視によって得失が生じた場合、それは拒否されることなく保持されるべきである。§4. 五人衆が耕地監視人に対して、望ましいとおもわれる適切な期間耕地境界の監視をおこなうように命じる権限を有するべきである。§5. 耕地境界石のどこかに抵触して、境界の監視がおこなわれ、境界石を指定する場合、一つの境界石について3ペニッヒを納めるべきである。§6. 耕地境界監視人の忠誠と誓いに不当な言いがかりをつける者は、五人衆に異論を唱える者と同様に、村落文書に定められている罰を五人衆と第六役員によって科されるべきである。しかし、耕地監視人に対して非常に不法かつふとどきなふるまいをする者に対する刑罰は、彼が保護を受ける領主に留保される。§7. 耕地境界監視人は五人衆の任務に選ばれてはならない。
 キルヒハイムのわが慈悲深き女領主とその従者から選ばれたジーモン・ベック、レオンハルト・フォーゲルヴァイト、またネルトリンゲン聖霊療養院とその従者から選ばれたシュナイダー・ハンス、ペッター・ブルン、また貴族身分の人々から選ばれたブラジ・ハインリンとミヒェル・ヘル、さらにキルヒハイムのわが慈悲深き女領主と彼女の従者から第七耕地監視人に選ばれたクラス・バルクハイマーによって、上述のような耕地境界監視規則が守られるべきである。

 III すべての領主に共同で雇われるトロホテルフィンゲンの耕地境界監視人の古い規則の写し

 次のことを一般に知らせ公示する。すなわち、近隣の領主たちはトロホテルフィンゲン村に臣民または領民を有し、そこの村民と住民の従順で熱心な呼びかけと申請に応じて、彼らの個別の了承を得たうえで、次に挙げる人々は彼らの指定した役人をつうじて、また一部はみずから、耕地境界監視のための規則を提案し定める。それらの人々とは、高貴で、堅固で、誉れ高く、気高く、賢明な荘園管理人クリシュトフ・フォン・デマンシュタイン、トロホテルフィンゲン村のクリシュトフ・フォン・ヘルクハムとヴォルフ・フォン・ハウゼン弟、フロッケンベルクの地方官ゼバスティアン・アドラー、キルヒハイムの地方官マルティン・ドナー、ゲオルゲン・レヒター・カイスハイマー、ネルトリンゲンのドイツ騎士団管区長ヨーハン・ヒルガー・ハイルスブロンナー、ネルトリンゲン療養院長ハンゼン・ヒルパート、市長ウルリッヒ・ゲオルク、ボッフィンゲンの参事会員メルキオール・ローザーであり、、彼らはしかるべき理由により、次のような耕地境界監視のための規則を提案し、満場一致の決議により次のような考えにもとづいて規則を定める。
 §1. 最初に7名の有能で誓約した人々をトロホテルフィンゲン居住する臣民のなかから選ぶべきである。すなわち、エッティンゲン伯領とカイザーハイム、ハイルスブルンおよびキルヒハイム修道院の臣民のなかから2名、次いでクリシュトフ・フォン・デマンシュタインス。クリシュトフ・フォン。ヘルクハイムスおよびヴォルフ・フォン・ハウゼンの臣民のなかかから同じように2名、さらに第3番目にネルトリンゲン療養院とボッフィンゲン聖療養院の臣民のなかから2名が任命される。こうして任命された6名、すなわち上述の3つに分けられた諸領地の臣民から任命された6名に加えて、第7の監視人を選ぶべきであり、先任の第7の監視人の退任後、最初に説明したように、常に先任者の領地の後に順番が来る次の領地が第7の監視人をその臣民のなかから選出し、この順番にしたがって選出をおこなうべきである。§2. しかし6名の監視人のなかで1名または数名が死亡するか転出したら、他の残った者が死亡した者のかわりに他の監視人を、死亡した者が属していた臣民のなかから選出する権限をもつべきである。§3. 同上の7名の耕地監視人は、村落と耕地のための呼びかけと要請に応じて、い必要な場合はつでも、彼らがおこなった宣誓に忠実に、耕地を監視し、正しい共同の慣習にしたがって公正になすべき決定をくだし実行すべきである。§4. 耕地境界の監視を必要とするいかなる者も、あらかじめ村内の五人衆に申し出るべきであり、五人衆は、それを必要と認めたら、6名の耕地監視人に、同じく、最初はくじ引きで、さもなくば上述のように規則によって定められている第7番目の監視人にも、一件あたり1フントの金額で、耕地境界の監視を実施するように命じ、告げるべきである。§5. 7名の耕地監視人には、耕地境界の監視がおこなわれるたびに、3ペニッヒが与えられ、これに異論を唱えてはならない。§6. トロホテルフィンゲンの共同の耕地と農地に不利益、損害および危険をもたらす馬の越境を注意深く防止するために、村落の五人衆は耕地に馬で乗り入れて損害をもたらすいかなる住民にも、毎回外来者より2フントを下回らない金額を、そうした違反者が属する村と領主のために、罰金として支払わせる全権をもつべきである。
こうして、上述のように幾つも作成された耕地境界視察の規約と規則を将来も確実に守り実行し、これに反する取り扱いがロホテルフィンゲンの上述の領主や村落によってなされないように、われわれカール・ヴォルフガング伯爵、エーティングのルードウィッヒ兄伯爵、カイザーハイムのコンラート修道院長、ハイルスブルンのヨーハン修道院長、同じくエッティンゲンの伯爵家に生まれたキルヒハイムのアンナ女子修道院長、クリシュトフ・フォン・デマンシュタイン、クリシュトフ・フォン・ヘルクハム、ヴォルフ・フォン・ハウゼン、さらにネルトリンゲンとボッフィンゲン両市の市長と市参事会は、わが領民と臣民のためにこれに押印し、上述の領主はわれわれとわれわれの後継者、トロホテルフィンゲン村の村民と住民に対して、ここに記述されたことすべてに忠実にかつさからうことなくしたがい、策略や危害のないように心がけることをきびしく義務づけられている。


 3-11 プフラウンロッホ Pflaunloch (1480年)


(プフラウンロッホはネルトリンゲン市近傍の村)

  聖なる不可分の三位一体の名においてアーメン。いろいろな時代に人間によって生み出され、設定され、つくられたものはとかく忘れられがちだが、文書によって記憶されたことは、いかなる時代にも熱心に実行に移され、執行され、守られ、日を追ってますます促進され改良されるので、弱められることはない。したがって、富める者も貧しい者も全村民あげて、プフラウンロッホの村に継続的に家をもって居住する者は、この文書の日付である本日参集して、現在プフラウンロッホに住む者と、将来そこに継続的に定住する彼らの後継者に対して、富める者も貧しい者もその心のなかで一致して次のように考えた。すなわち、人間によってそのときどきに定められ、設定され、つくられたものは長くは存続しえないし維持もされえず、創造主すなわちわれわれの主、神によってつくられたもののみが長く保護されるので、彼らは今や彼らの企図を実現させるために、もっと多くの良き団結を得るために、彼らと彼らの後継者の共同の利益、評判および名誉のために、常に相互の調和を増進して生計を維持することができるように、彼らの企図と団結を立派に保たなければならず、その点においていかなる者をも欺いてはならない。以下に記されているように、一致した共同の規則と法律がつくられ、決議され、全村民によって承認され、今後彼らとプフラウンロッホ村に家をもって住む彼らの後継者全員によって永遠に遵守されるべきである。
§1. 第一に、かつてはプフラウンロッホ村の住民共同体から四人衆が選ばれてきたが、それは長年の領民の増減、とくにその不一致と不和によってこれまで減退をきたし、いかなる者にもあれこれと勝手気ままが増大し、それによって共同の損失が発生した。そこで彼らは共同の利益、より良い平和と団結のために、今後毎年永久に年1回だけとくに聖ゲオルギオスの日(4月23日)にプフラウンロッハ全村の富める者も貧しい者も、共同の利益を考慮してそれに取り組むために、有益、良好で役に立つとみなされる尊敬すべき4名を彼らの良心にもとづいて四人衆に選ぶことを最良とかんがえた。この四人衆はいつでも、村落と村域農地の必要のために、道路および通路をつくり、負債の請求を引き受ける完全な権限をもち、富める者も貧しい者も、人も家畜も、村全体の必要に役立つには、いかに家畜を放牧し、見張り、警備し、溝を掘るべきか、またその他あらゆることをいかに協議し、企て、実行すべきか、四人衆は共同の利益のために決める権限をもつべきである。こうして今後とも永久に四人衆に選ばれる者は、全員でまたはそのなかの多数で、ほとんどの当面の案件に取り組み、処理し、要求し、命令し、禁じ、実行し、いかなる者もこれにしたがい、さからってはならず、これに反対する議論や行動をおこなってはならず。決してこれから逃れたり保護を求めたりしてはならない。§2. 村民がともに、またはその多数が聖ゲオルギオスの日に村落の四人衆に選んだ者または四人衆として留任している者に対しては、異議をとなえても反対してもならず、4人はいかなる年度にも一緒に四人衆の任務を解かれてはならず、3人、2人または最低1人が、新任者に共同の利益を教えるために、その任務にとどまるるべきである。§3. 四人衆は毎年聖ゲオルギウスの日に、できるかぎり村民の利益増進のために取り組み、四人衆としてふさわしい行動をとり、この文書を手中に保持し、何事も忠実に支障なくふるまうことを誓うべきである。4. 村落共同体は四人衆とともに毎年聖ゲオルギウスの日に共同体の下吏を選ぶべきでありこの下吏は四人衆の命令にもとづいて、命令し禁止する権限ををもち、共同の必要と利益に役立つことを、四人衆が彼とともに要求し処理したら、それを実行する権限をもつべきである。この下吏は、できるだけ共同体の利益を促進し、損害を警告し、四人衆によって命令され要求されたことに十分忠実に取り組むことを、手を挙げて宣誓所で誓うべきである。この下吏には、共同体の仕事による彼の貢献に対して、四人衆が適当とみなす報酬が与えられるべきであり、下吏はこれに十分満足すべきである。§5. 四人衆は毎年聖ゲオルギウスの日に誓約した下吏を通じて全村民を彼らの気にいった一軒の家に召集して、四人衆と共同体の下吏の選挙をおこなうべきである。共同体によって解任された旧四人衆は、全共同体の協議のために、収入、支出、負債にかんして、新四人衆に会計と報告をおこない、新四人衆のなすべきことがわかるように教えるべきである。§6. 金銭その他が罰金またはその他の方法で取得されたら、四人衆は村民と相談して、彼らが良いとおもう共同の利益のために、富める者にも貧しい者にも役立つようにこころがけ、私用または自自分自身の利益のために決して使ってはならない。§7. プフラウンロッホの村域と農地には現在採草地があり、これは以前一部が耕地であり、この採草地は3年目に休閑地となり、共同で利用されるときは、聖ヤコブの日(7月25日)の頃刈り取られるべきだと決められており、他の草地はそのときどきに、通常古くからのしきたりにしたがって利用される。しかし、耕地の前にある土手には耕地法が妥当し、トリュムリンからラッハ川に下っていく4つの土手を除いて、古くからのしきたりどおり、耕地法が守られるべきである。§8. プフラウンロッホのいかなる住民も、富める者も貧しい者も、専用の菜園をもっていない場合は、採草地の4分の1に菜園をつくり、そこに自分の家に必要な野菜を栽培することができる。§9. 精霊降臨祭の8日前までは休閑してはならないが、その後は休閑を始めてもよい。しかし旱魃や大雨が起きた場合は、四人衆は、時期や天候が良く、必要とみなせば、時期を延長したり短縮する権限をもつ。§10. 甜菜と亜麻以外は休閑地に前もって播種してはならないが、それ以外の作物を播種すれば、規定以外の播種をおこなった者が妨害、阻止および反対しても、容赦なくそれは共同体のものとして没収されなければならない。§11. 家畜番については次のように提案され決議された。すなわち、共同体は家畜番人に報酬の羊のかわりに毎年10グルデンをを与え、家畜番人は報酬として今後決して羊をうけとってはならない。家畜番人は他の小屋住と同様に、小屋住より先であれ後であれ、自分の財産として羊をもつことはできる。§12. プフラウンロッホ村のいかなる農民も14頭の羊をもち、いかなる小屋住も8頭以下の羊をもつべきであり、通常の放牧地で羊飼いに羊を預けて放牧させてもよい。§13. 聖ゲオルギウスの日以後に産まれた1頭のめ牛をもついかなる村落住民も、また同じく聖ゲオルギウスの日以後に出産した母豚をもち者も、め牛または母豚の番人に対して週賃金分のパンを与え、また夏至の聖ヨハネの日(6月24日)に生後12週を超えない子豚、聖ヨハネの日に生後12週に達した子豚をもついかなる住民も、番人に夏穀物、秋俸給および週賃金分のパンを与え、それらすべてをいかなる遅滞もなく番人に届ける義務を負う。§14. 住民が夏至の聖ヨハネの日以前にプフラウンロッホの村外から村内へ家畜を買って、家畜番人にその家畜を預けようとしたら、いかなる者も番人に家畜数に応じて週賃金のパンと家畜番報酬を払う義務を負う。しかし夏至の聖ヨハネの日以前に村外へ売られ、村外へ出た家畜の場合は、家畜番人に何も払わなくてもよい。§15. プフラウンロッホの住民が貧乏ゆえに地代のために1頭または数頭のめ牛を飼う場合でも、家畜番人に週賃金分のパンを支払うべきである。§16. プフラウンロッホの住民は聖マルティノの日(11月11日)の前後8日間は羊を、家畜番報酬とひきかえに、たとえ半額の報酬とひきかえでも、飼ってはならない。§17.家畜を家畜番人に預けるプフラウンロッホの住民は、自分で畑の麦を刈り取らない場合は、夏麦であれ冬麦であれ、麦束の代金3ペニッヒを家畜番人に支払うべきである。しかし自分で刈り取りもせずパンも焼かない場合は、家畜番人にパンの代金4ペニッヒを支払うべきである。毎年一度、聖ゲオルギオスの日(4月23日)の前後8日間に、穀物が育たなかったものの、家畜番人に家畜を預けたいかなる住民も、1フィアテルの穀物代金を支払う義務を負う。その場合、1フィアテルの穀物価格はその頃のネルトリンゲンの裁判所でほぼ妥当する価格とする。しかし、穀物を栽培せず、もってない者は、聖ミカエルの日(9月29日)の上述のような穀物の価格にしたがって、家畜番人に穀物代金を支払うべきである。§18.自分の馬をもつ者は。毎年家畜番人のために木材輸送を支障なくおこなうべきであるが、家畜番人に聖ミカエルの日に彼の俸給を支給する責任を負わない。その場合家畜番人は、彼の役畜で4フーダーの厩肥を運ぶか、運んでもらう。19. さらに次のように決議がなされた。すなわち、プフラウンロッホの住民が、貧富にかかわりなく、若干の家畜を隠しもって、家畜番にその報酬を与えなかったら、前述のような麦束またはパンであれ、その代金または俸給であれ、その家畜は容赦なく共同体に没収され、四人衆はそれを引き取って、彼らの見解とはからいによって、共同利益のために使用すべきであり、家畜をもっていた者とその相続人およびいかなる者も、妨害や反対をしてはならない。§20. それは常に放牧地とともに、良き習慣として古くからしきたりとなっているように、十分に守られるべきである。§21. プフラウンロッホ村の住民共同体のいかなる者であれ、貧富にかかわりなく、四人衆の命令と要求にもとづく四人衆または共同体の誓約下吏の命令と禁令が、共同の利益と必要のためにいかなるときにおこなわれても、これににしたがわず、さからい、それを無視しようとするなら、そしたことがいつ、いかなる者により、何度起きようとも、四人衆または共同体の誓約下吏は、命令にもとづき、さからう者から容赦なく罰金を取る権限をもち、罰金またはそれに代わるものを差し押さえ、そうした罰金を共同体の利益のために使用し、よく考慮したうえで転用すれば、共同体の役に立ち、その助けとなり、不従順な者について誰かが異議を申し立ててはならず、これに対していかなる反対も企てられてはならず、いかなる援助も保護も決して求められてはならない。§22. 共同体の住民が、貧富にかかわらず、四人衆の命令にもとづいて共同体の利益と必要のために四人衆自身または誓約下吏によってなされた企図、命令および禁令に不当な異議申し立てをおこない、反対し、従わなければ、法的には、いかなる者も、貧しければ60ペニッヒを、富裕であれば3フントを、容赦なく罰金として科される。しかし、四人衆が誰かをかくまったという不当な言いがかりをつけ、彼の適合性をとりあげた場合は、彼の適合性をを非難した者に対する四人衆の判決を適用することは、必要に応じて留保すべきである。共同体の利益と善行にかんして四人衆に対するそのような不当な非難がなされたら、共同体は法とあらゆる公正のために四人衆を支持し援助すべきであり、この規約や定めを処理するうえで可能な限り助けるべきである。しかし、四人衆の1人または数人が共同体の利益にかかわりのない問題について言葉その他で共同体の住民と軋轢をおこしたら、反抗的な者たちはその問題を自分たちの間で解決すべきであり、共同体はそれとかかわりをもたず、これにわずらわされてはならない。ただし、この当事者たちが親族関係にある場合は、。彼らは法と正当性のために相互に助け合うことができるが、それ以はできない。§23. 全村の貧しい者も富める者も、次のような禁止に同意し承諾した。すなわち、今後永久にプフラウンロッホ村のいかなる住民も、当村の公道に穴を掘ったり何かを取り付けたりしてはならず、そうした危険行為をした者は1ライン・グルデン容赦なく罰金として科され、期限内に払わなければならない。しかし村内の他の一角に何かを取り付ける必要がある者は、公道のどこでそれをおこなっても、他にいかなる被害もなければ、上述の罰金を免れることができる。
 ここまで書かれていることはすべて、現在生きているプフラウンロッホ村の住民によって、貧富にかかわりなく、またそのすべての後継者によって、未来永劫忠実に守られ維持されることを、現在プフラウンロッホ村に継続して家をもつ貧しき者も富める者も、彼らと彼らの相続人および後継者全員に対して、宣誓として手を挙げて忠誠の誓いを立てることにより、相互に永遠に遵守する義務を負った。したがって、さまざまな聖俗領主がプフラウンロッホ村に農地をもっているが、こうした趣旨、規約、さらにいかなる領主にとっても、貢租、支配権、法および権利にかんしてこれまで書かれていることは、今後とも永久に無償で損なわれることなく維持されるべきである。この協定、規約、定めおよび上述のすべては、不変かつ不滅の性質を保ち続け、将来も維持される。こうしてこの文書は作成され、全村民によって決議され、プフラウンロッホの教区教会の手さげ箱の特別に密封された容器に入れられ、四人衆がその鍵をもち、プフラウンロッホに居住する貴族が、もし居住貴族がいない場合は、そこに住む2人の農民が全村民のために鍵をもつべきである。この文書または鑑定されたその写しは、毎年聖ゲオルギオスの日(4月23日)に全村民が集まったときに、読み上げられ、いかなる住民も彼がなすべきことを知り、文書が読み上げられたら、再び容器に無難に納められる。
前述の規約と協定をつくり、検討し、提案するために、富める者も貧しい者も、プフラウンロッホの全村民によって選ばれ、熱心に働いたのは、当時プフラウンロッホ在住の高貴かつ堅実な貴族ハンス・フォン・ヴァイプリンゲン、尊敬すべきゲオルク・トロイプラー、マルティン・リュフ、ハンス・ホルおよびハンス・ヴォルスハント、当時の四人衆ハインツ・ホル、パウルス・フリッツおよびハンス・バウアーであり、7名は当時そこに同席して、全村民に読み上げ、前述のように誓約と義務の遂行に同意した。その後富める者も貧しい者も、全村民が熱心かつ真剣に申し出た願いにより、この文書はネルトリンゲンの神聖帝国都市地方官である高貴かつ堅実な貴族ハンス・フォン・ネニンゲン、ゲオルク・ヘーレン(父)、ディーマー・フォン・ローデンの所有する印章による証明として、これらの問題の確証のために押印されたが、それによってこれら3名全員とその相続人に損害を与えることはないことが決められた。また神聖帝国都市ネルトリンゲンの当時の尊敬すべき書記ヨハン・シャーフリュッツェルにより公的な形式に作成、記述され、聖母マリアの被昇天の日の前の日曜日、主の生誕後1480年8月13日に全村民に朗読された。



 3-12 ゲルストホーフェン Gersthofen (1511年以前)



( ゲルストホーフェンはアウクスブルク市の北側に位置する集落)

 ゲルストホーフェンの村法

 §1. ゲルストホーフェンの代官は毎年3回の代官裁判集会をおこない、第一集会は四旬節に、第二集会は五月に、第三集会は聖ミカエルの日(9月29日)の8日後におこなわれ、その際代官は彼に訴えられた問題について裁かなければならない。しかしその問題でもっと長い期間裁判をおこないたいとおもう者は、村落に迷惑をかけないように、代官に申し込むべきである。§2. 代官が裁判集会をおこない、杖をもっていかなる法を得るかは、彼の判断による。彼が裁判集会を3回召集し、もはや裁判の必要がなくなれば、彼は杖を荘官に渡し、3回の代官裁判集会以外には裁判集会をおこなわなくてもよい。ただし、窃盗、骨まで届くほど深い流血の傷害、強姦と近親相姦が起きたら、彼は1年に4回の裁判をおこなうことができ、それは都市代官の判断にゆだねられるべきである。§3. 荘官は2回の代官裁判集会でビールと白パンを彼を含む3人分の食事として代官に提供すべきであり、教会財産の土地保有者は秋の第三裁判集会で同じことをすべきである。§4. 身体を動かせなくなった男が荘官屋敷の中に追われて、代官がここにやって来たら、代官は3度呼びかけて、彼を引き渡すように求めるべきである。これに応じなければ、代官は馬をつないで、荘官屋敷に入り、彼を捕縛して、連行してもよい、荘官も彼の財産を同じように扱ってもよい。
 §5. 代官が支配する農地は代官が責任を負い、神聖ローマ皇帝または国王がアウクスブルクに来たら、いかなる者も1フーダーの木材を搬入し、夜間帰宅するときは、奉仕しなくてもよく、代官はみずから木材を注文しなければならない。§6.代官が支配する18の農地はいずれも1フントまたは60アウクスブルク・フント、秋のにわとりおよび謝肉祭のにわとりを納める。§7. 荘園の7つの広い農地はそれぞれ2シェッフェルのエン麦を刈り取って納め、代官が支配する他の11の農地はいずれも領主の枡で2シェッフェルのエン麦を納めるが、アウクスブルクより遠くに運送する義務はない。戦争などのためにエン麦が要求されない年には、アウクスブルクの木材市場へ代官エン麦を運び、そこで、「代官エン麦を家に持ち帰りたい者はいるか?」と3回叫ばなければならず、誰も来なければ、代官エン麦を山積みにして、1シェッフェルあたり6 アウクスブルク・ペニッヒで売ることができる。領民たちがそうしたら、代官は彼らにビールと白パンを食事として与え、彼がそうしない場合は、領民は金銭を手元に留保し、その一部をある程度飲食店で消費し、残金をエン麦の代金とすることができる。
 §8. 代官は支配下の者の裁判を手助けしてやりたいと思うなら、そうすべきである。§9. ゲルストホーフェンのいかなる農圃も修道院の代官またはその役人であるいかなる村落代官にも冬穀4束と夏穀4束を提供し、そのかわり代官はわれわれのために耕地監視をおこなうべきであり、アウクスブルクに対して村が負担しなければならない任務をおこなうべきである。彼がわが村に家をもっているなら、彼は租税と橋の修理を免除される。§10. 村落共同体は家畜番人を雇うべきであり、番人頭にはいかなる荘官も毎年15のライプのパンを支給し、彼といかなる番人にも普通の焼き菓子を与えるべきである。§11. 洪水によってゲルストホーフェンとラングヴァイトの間の橋の木材が流れ去ったら、荘官はそれを取り戻すべきだが、それを実現して積み上げるためには、荘官は杭と縄を十分に支給すべきである。§12. 荘官は共有林で伐採してはならない。これに違反した場合、その損失分を補うまで彼の森林で伐採すべきである。
注:鍛冶屋、製粉屋、飲食店主および風呂屋にかんして、村落共同体はある協定を結んだ。


 3-13 グレッゲンホーフェン Greggenhofen (1387年)


(グレッゲンホ-フェンはアルゴイのケンプテン市の南に位置する)


  1387年聖ゲルトルートの日(3月17日).これらは領主とザンクト・ウルリッヒおよびザンクト・アフレン修道院がアルゴイのグレッゲンホーフェンの自由農民集落で有する法である。
 §1. まず裁判集会は毎年3月半ばの聖ゲルトルートの日(3月17日)の直前の木曜日にグレッゲンホーフェン荘園でおこなわれ、そこには領主自身または彼の使者が来るべきだが、領主または彼の使者が来なければ、彼らが委任するザンクト・ウルリッヒおよびザンクト・アフレン修道院の役人が裁判に出席すべきであり、領主にかわって全権を有するべきである。裁判にはローテンフェルスの代官とホッヒェンネックの代官が同席し、誰かが修道院長と領主に襲いかかろうとしたり、彼らに反対したりしようとしたら、彼らを守るべきである。また修道院長が荘園民に対して何か尋常ならざることを始めようとしたら、思いとどまるように請うべきである。§2. 荘園民は次のように告げる。すなわち、領主は前述の木曜日の直前の水曜日の夜にグレッゲンホーフェンに自分自身を含めて7人で来るべきであり、ヘルツェンとイェックを耕す下方の諸農圃は菓子、食事、ワインおよびパンを提供すべきであり、領主はみずから食事をとるべきである。§3.領主は次のように彼の法を告げる。すなわち、彼は自分自身を含めて12人でやって来るべきであり、13人目は料理人とすべきであり、彼が油を上手に使うなら1シリングを与えるべきである。§4. グレッゲンホーフェンの諸農圃は干草を納めるべきである。グレッゲンホーフェンの上方に位置する農圃はクレッツェンの農圃であり、1フィアテルのエン麦を納めるべきである。ヘルツェンのウッツェン農場とクリスターラーのウッツェン農場も1フィアテルを納めるべきである。ヴィーガーにあるヴィーガー農場も1フィアテルを納めるべきである。ヴァイアーのイーベルク農場も1フィアテルを納めるべきである。ヘルマン。シュミットが耕作するミッヒェル農場と呼ばれるマイセシュタインにある農場も1フィアテルを納める。§5. 領主がここに来て、もっと多くの飼料を要求したら、シュテルクリスの4農場とカルケンバッハの2農場はいずれも1フィアテルのエン麦を納めるべきである。ウメンの2農場とシュヴァンデンの4農場は、領主が必要としたら、適宜飼料を納めるべきである。§6. ザンクト・ウルリッヒ修道院領で死亡した者は、彼がもつ動産のなかで最良かつ最も高価な財産を死亡税として納めるべきである。彼が妻子をザンクト・ウルリッヒ領民として残したら、領民は彼らには馬を他人よりも3シリング安く、牛を2シリング安く売るべきである。しかし肉親の相続人がザンクト・ブラージエンの領民でなければ、領民は他人よりも安く譲る義務はなく、修道院にとって便利で都合のよい所へ放牧すべきである。役人はサンクト・ブラージエンに役立つ以外は、誰の衣服も取ってはならない。女性が死亡したら、彼女が肉親の相続人を明らかにせず、彼女が親族と別居している場合は、彼女がもっている最良の衣服を納めるべきである。§7. 地代にかかわるザンクト・ウルリッヒの法によれば、自由農民集落が二つあり、その一つはケムナート自由農民集落といい、それはシュテルクリスにある4農場、カルケンバッハの2農場、ヴェルタッハにあるウッツエルの農場、ブールベルクにあるタッヒャーの農場、ランゲンヴァンゲンにある4農場、ランゲンヴァンゲンから離れた山の上にある1農場からなる。さらにシーゲスヴァングの荘官農場、オフテルシュヴァングにあるズスターの農場、ウメンにある2農場、エティスベルクにあるヴィザーの農場とシュワンデンにある4農場は、聖ガルスの日( 10月16日)の前に役人が地代を請求する法をもつ。彼らが地代を差し出したら、彼はそれを受け取るべきである。さもなければ、役人は聖ガルスの日の後の次の水曜日にケンプテンで宿をとり、そこへ行って、地代徴収をすませる。さもなければ、役人と修道院長の使者はケンプテンで8日間飲食し、8日間が過ぎても、彼らが宿で彼らから地代を得られなければ、役人とその助手は損失と地代を負う農場を差し押さえ、彼らにとって手強すぎるときは、代官に催促して、代官が差し押さえようとする者に対して、差し押さえを助けるべきである。§8. もう一つはグレッゲンホーフェン自由農民集落といい、それはグレッゲンホーフェンの農場、ヴィーガー、マイセルシュタイン、ルボステンおよびイーベルクの農場であり、ケムナート自由農民集落で聖ガルスの日とされる地代納入期限を、グレッゲンホーフェン自由農民集落は聖マルティノの日(11月11日)とし、聖マルティノの日の前に地代納入を要求すべきである。彼らが地代を納めなければ、代官は彼らに次の水曜日に告知し、ケムナートと同様に処理すべきである。§9. ザンクト・ウルリッヒの法によれば、ザンクト。ウルリッヒ修道院領の領民が荘園民の女性と結婚したら、ザンクト・ウルリッヒの領主にその償いをすべきである。§10. 前述の裁判集会は告知された裁判集会であり、前述のフーフェに住む荘園民が参加すべきであり、相互に農地にかんする紛争があるときは、法による裁定がおこなわれるべきであり、他者から権利を奪おうとしてはならない。農地が付与されている者はその農地を保有し、一年中それを利用し、裁判集会まで安心してそこにとどまるべきであり、代官はそれを保護すべきである。§11. 荘園民は次のような法をもつ。すなわち、貧困または敵対のゆえにその土地を去らなければならない者は、彼の保有地を彼の親族の1人に残し、彼の親族は修道院のために働くべきである。21年が過ぎて、彼が修道院長に帽子一杯の金額を納め、この保証金が修道院長に損害ももたらさなければ、彼は帰還して再びその農地に戻るべきであある。§12. ザンクト・ウルリッヒ修道院は次のような法をもつ。すなわち、裁判集会に出席しない荘園民は31ペニッヒを納めるべきである。また裁判集会に地代を納めなかった者は、その農地を領主の慈悲にゆだねられる。§13. 修道院と領主は次のような法をもつ。すなわち、ザンクト・ウルリッヒの領主の慈悲と承諾なしに農地からの収穫物を売っても譲渡してもならない。荘園民はサンクト・ウルリッヒの農地を領主に損害をかけなければ、他人に農地を譲渡したり売ることができる。農地を分割しなければならないときは、修道院長の承諾を得ておこなうべきである。§14. 第2に、グレッゲンホーフェンの修道院長の荘園では荘園民に土地を貸与すべきであり、それ以上のことを彼にさせてはならない。§15. 第3に、荘園民が他人に対して3月半ば直前の木曜日を期日とする権利を保持していても、その日に権利を失いたくなければ、1年を超えてもその権利を保持すべきであり、その期日まで彼を保護すべきである。しかし、荘園民が正午前に権利を失っても、彼は馬に乗っている修道院長に会って、修道院長の馬のあぶみをつかまえれば、修道院長またはその地方官は彼の完全な権利を認めるべきである。§16. 第4に、ザンクト・ウルリッヒの荘園民は、屋根を共有するなら、動産と不動産を相互に相続することができる。しかしザンクト・ウルリッヒの領民とわれらが女子修道院の領民とザンクト・ミヒャエル修道院の領民とザンクト・マンゲン修道院の領民が土地を共同で保有するなら、彼らは相互に動産を相続すべきである。§17. 第5に、役人がザンクト・ウルリッヒの修道院または領民に公正になすべきことをなさなければ、彼を拒否することができる


 3-14 プフロンテン Pfronten (1459年)


(プフロンテンはオーストリアとの国境に位置する)

  ここではプフロンテン教区の古き慣習と文書が法へと高められる。§1. フュッセンにおける権利について。プフロンテンの住民はフユッセンの裏門すなわち城門からフュッセン市内に入り、フュッセンのいかなる定住市民ももつすべての権利をもつことができる。もてないときは、彼らは裁判官の門に行くことができ、慈悲深きわれらが領主アウクスブルク侯は彼らにも他の修道院領民や農地と同じく、修道院の農地を保有させるべきである。しかし彼らがそうできない場合、あるいは農地を得られない場合、慈悲深きわれらが領主アウクスブルク侯とその代官と役人は、われわれが行きたい邦への4マイルの道のりを付き添うべきであり、われわれは30年と1日国を離れることができる。とはいえ、彼らの農地が彼らの祖先が未開の森林から開墾した自由農地であるなら、彼らは彼らの農地の利用を誰に対しても妨げたり制限したりしてはならない。§2. フュッセンでの売買について。われわれはプフロンテンの住民はフュッセン市でフュッセンの定住市民とまったく同じように、何の異論もなく、売買することができる。§3. 結婚について。プフロンテンの住民はフュッセンの住民と同じように結婚できる。§4. 所有農地について。プフロンテン住民の自由な所有農地を、農奴は買うことができない。§5. 3つの貢納について。われわれプフロンテンの住民は毎年われわれの農地から後述のような3つの貢納をはたす義務を負い、それによってわれわれの農地保有が認められ、すべての領主に3つの貢納をはたすべきである。§6. 第1の貢納。われわれは慈悲深きわれらが領主アウクスブルク侯に毎年精霊降臨祭に6フントより3ペニッヒ少ない国防税を納めるべきであり、この税金は精霊降臨祭税といわれる。§7. 第2の貢納。われわれは慈悲深きわれらが領主アウクスブルク侯の代官に毎年3シェッフェルのエン麦を納めるべきであり、1シェッフェルは16メッツェンに相当し、廷吏が聖トーマスの日(12月21日 )に徴集し、彼がこれを集めたら、われわれは彼に損害をかけないように都市フュッセンに行くべきである。§8. 代官裁判集会と第3の貢納。慈悲深きわれらが領主アウクスブルク侯とその代官は当地プフロンテンで年2回代官裁判集会をもつが、わが領主が忙しくて来られない場合、慈悲深きわれらが領主アウクスブルクク侯またはその役人は、われわれの3-4人にフュッセンの荘官屋敷に来て、われわれの教区の費用負担を公表するように命じなければならない。それにしたがって、自分のパンをもっている者は、貧しい者も富める者も、代官裁判集会のおよそ8日後に1ペニッヒを納める義務を負う。ただし年2回代官裁判集会が開かれるべきであれば、われわれはすべての領主に上述の3つの貢納をはたすべきであり、3つの貢納がはたされるかぎり、農村でも都市でもいかなる者もわれわれを捕らえたり責めたりしてはならない。§9. 代官裁判集会について。年2回開かれる代官裁判集会を除いて、いかなる者も他人の不動産を差し押さえることはできない。また上述の3つの貢納のために、われわれの農地を売ってはならない。ただし当地に不在の者の埋葬や火災の場合には、農地を売るべきである。§10. 所有農地について。当地のプフロンテン以外の場所にあるわれわれの所有農地にかんして他者の権利を認めてはならない。またわれわれプフロンテン住民とネッセルヴァングの住民以外、いかなる者もわれわれの所有農地にかんする法に関与することはできない。なぜなら、われわれプフロンテンの住民とネッセルヴァングの住民の法は同じだからである。§11. 買い物について。他人の所へ買い物に行き、買い物を済ませて1年と1日経てば、人々との関係も、彼自身の所有も安泰である。。§12. 代官裁判集会について。われわれプフロンテンの住民は代官裁判集会でわれわれえの所有農地を入手し、われわれが同意した者に譲渡することができ、彼はその農地を譲渡した証として、代官に1シリングを納めるべきである。しかし彼が、男女いずれであれ、代官裁判集会に出席しない場合は、彼は教会の門前に行くべきであり、そうすれば彼の農地取得者に、代官裁判集会の場合とまったく同様に、その農地を譲渡することができる。しかし彼が病気のために来られず、死の床に臥すなら、一方の手にろうそくを取り、他方の手で農地を、農地取得者に与えるべきである。§13. 負債を負った者が死亡したら。ある人が死亡したら、保護下の家畜の最良の家畜を垣根につなぐべきであり、彼が負債を負っている場合は、それを貨幣で支払うべきであるが、最良の家畜を除いて換金することができ、慈悲深きわれらが領主のアウクスブルク侯の首席司祭がそれを自分の役に立てるべきである。§14. 飲食店と買い物。フィルスとナッセルヴァンクとの間には農地があるので、飲食店を置いてはならない。またいかなる者も、彼自身が欲しいとおもうものを買うべきであり、買うことができる。§15.四つの行為について。慈悲深きわれらが領主アウクスブルク侯またはその役人は窃盗、強姦、平和の破壊、殺人の4事案を裁かなければならず、われわれ隣人の間で裁くことができ、訴訟にいたらない問題については、われらが領主はわれわれにその裁判をゆだねるべきであり、そうした問題についてわれわを罰するべきではない。§16. 不動産の相続財産について。プフロンテンに不動産の相続財産をもつ者がおり、それに対する権利をもちたいとおもう者が来て、1年と1日経った正当な時期に権利を要求し、彼が審査すべき証書をもっているなら、正しく処理されるべきである。しかしそれが1年と1日後におこなわれず、相続財産1年と1日保有している者がおり、彼のそばを通って教会に通い通りを往来しているのに、1年と1日後に権利の請求を開始しない場合は、1年と1日相続財産を保有している者は、安泰でいられる。§17. 結婚について。夫婦がおり、そのうち夫婦のどちらか一方が不動産をもち、死亡し、他方が生き残れば、その相続財産を単独で利用すべきであり、彼らがが肉親の相続人をもっていない場合は、慣習にしたがって、正当な相続人に譲渡すべきである。しかし、正当な相続人に相続させたくない場合は、それにかんする確かな証書を調べ、証書が確かであることがわかれば、その財産は再び正当な相続人のものとなる。§18. 夫婦二人で買うもの。われわれが一緒に買い、夫婦二人で一緒に買えば、次の正当な相続人はいずれも半分をもち、夫婦二人で一緒に買った農地を等分に分けるべきである。§19. われわれの農地から得られるものを屋根の下に取り込んだ者は、夏と冬には外へ持ち出すべきであり、彼はそこで生計をいとなむ。9人の息子をもつ者がいれば、彼は息子たちに採草地や耕地を割り当て、他人に損害を与えることなく、そこへ行き来することができ、これらすべてを彼のために規則として定めることができ、いかなる者もそれを妨害してはならない。§20. 夫が死んで妻子を残したら。夫が死亡し妻子を残したら、彼らに話し合いまたは法が求められ、子どもがまだ成人していない場合、わが慈悲深き首席司祭殿は法において子どもに助力をおこない、彼らに借地人を置くようにとりはからうべきである。§21. フュッセン市について。われわれプフロンテンの住民はフユッセンの住民と法を共有する。すなわち、都市が戦争のゆえに苦境に見舞われたら、苦境のゆえにわれわれを必要とし、われわれの到来を要請し、市壁と都市の中へ彼らを救出に行き、われわれに農地をしばらく放置するように求め、彼らが必要とするなら、彼らの堀を改良する援助をおこなうべきである。それらについて、れわれはすべての法をもっており、他方フュッセンの住民も同様である。§22. ネッセルヴァングについて。われわれとネッセルヴァングの住民は、次のような法をもつ。すなわち、彼らは身体および財産とともにわれわれに属し、そこに定住する者を慈悲深きわれらが領主アウクスブルク侯は、わわれプフロンテン住民と同様に、森林でも耕地でも、あらゆる保護と法のもとに置き、そのかわり彼らは毎年上述の慈悲深きわが領主とその代官に聖ヤコブの日(7月25日)のほぼ8後に各4ペニッヒの価値のチーズ12を納めることによって、彼らの農地は良い保有地と認められる。§23. われわれは慈悲深きわれらが領主アウクスブルク侯の命令と裁判のゆえに毎年秋に20フントと雄牛1頭を納めるべきである。われわれは同じく慈悲深きわれらが領主の代官に、法によらざる賦役をおこない、毎年耕地に馬鍬による耕耘のためのの馬9頭を送り、馬1頭について一つの馬鍬、1ペニッヒの価値のパン、1フィアテルのエン麦を耕地の縁に置かれるべきである。われわれがそれらを見つけられなければ、帰宅することができ、年賦役を終えたことになる。そしていかなる者もその後われわれを訴えたり苦しめたりしてはならない。§24. この後にわれわれの村域境界が続くわれわれプフロンテン住民の祖先や両親はわれわれの農地を森林から開墾し、後述の村域境界までわれわれの自由所有農地であり、いかなる者からも授封されたものではない。


 3-15 ヴァイラー Weiler (1532年)



(ヴァイラーはボーデン湖の東側に位置し、今日のヴァイラー-ジメンスベルクに属する。)

  われわれ、ヴァイラー荘園の代官および荘官であるモントフォルトおよびローテンフェルス伯ヨハネス、並びに当荘園の裁判所と全村民は、われわれ自身、われわれの相続人および後継者全員に対して、文書によって次のように公示し通達する。われわれ両者は上述の荘園の古いしきたり、慣わし、法および正義をこれまで互いに用いてきたが、その後われわれ両者と万人に共同の慣習、保有、所有および財産における法的な動揺と障害が起こり、今なおそれが続いており、上述の荘園のそうした古いしきたり、慣わし、法および正義は、毎年四旬節の灰の水曜日の後の木曜日にヴァイラーの全村民の前で公けに口頭で証言され公示された。こうしてわれわれ両者は、将来も常にそのような上述のわれらが古きしきたり、慣わし、法および正義を傷つけたり中断することなく守り、それらが人々の死によって忘れられることのないように取りはからい、他者に対するその正義のいかなる部分も、また裁判の内外で他の目的に必要な場合も、利用され助けとなるように、われわれはこの文書の今日の日付で、法の規約にしたがってそれがきわめて不変的な効力をもつことを相互に一致して同意すべきであり、同意することができた。上述の古いしきたり、法および正義は登録簿のように文書に記録され、次のように各条項ごとに記されている。
 §1. ヴァイラー荘園の荘官が上述の四旬節の灰の水曜日の後の木曜日に三月裁判集会を開くことは古いしきたりであり、彼は村民の助けを借りて裁判をおこなうことができるようにとりはからい、荘官の出納役人は上述の日に支障なく代官と飲食をともにすべきである。§2. 荘官は上述の日に裁判に出席し、裁判をおこなうべきであり、原告になってはならず、授封地と所有地、また彼にとって法的問題となる事柄を裁くべきである。ただし平和を乱す傷害事件は除かれ、これについては荘官ではなく、代官が裁かなければならない。荘官は上記の案件を裁いてはならないが、1年をとおして常に、代官によって裁かれない案件の3分の1の収入は彼のものとなる。§3. 上述の日に、すべての荘園民、および荘園農地を保有する者は、いかなる領主の領民であれ、山地に住む者であっても、すべて集会に出席して、彼らの荘園農地を代表し、その日を期して、彼らまたは彼らの農地に言うべきことがある者に対して、返答すべきである。しかし彼らに訴えをおこす者がいなければ、彼らはその農地にかんしてさらに答えるべき義務を負わない。農地にかんして著しい混乱が生じるか、何か別のことにかかわる問題があるなら、いかなる者も法を妨げられてはならない。§4. 上述の日にヴァイラーの出納役人は、この裁判所に属しているいかなる者も出席しているか点検すべきであり、従順でないとおもわれる者は、3シリングの罰金を科され、最初の3シリングは出納役人のものとなり、一年をとおして個々の罰金は3シリングである。§5. ヴァイラーの出納役は、昨年彼に何か訴えがあったり、ヴァイラーの村域で不法行為が起きたり、あるいは命令が守られなかったりしたら、これらを上述の日に裁判所に告げ、廷吏と二人の飲食店主も同じようにこれらを告げるべきである。裁判官はそれらについて裁判をしなければならない。§6. ヴァイラーの出納役人は、非荘園民を妻とするすべての荘園民を公示し、非荘園民を妻とする者が、妻を彼の所へ連れて来ようとしなければ、毎年上述の日に荘官に1フントを納める義務を負い、そのことで彼を訴えた荘園民にも、1フントを納めねければならない。§7. この裁判管区には3つの定期保有地があり、出納役人の農圃、飲食店および製粉所は、上述の日に貸与され保有される。§8. ロタッハの製粉所は正式な荘園農地であり、毎年2フントの地代を荘官に納める。すなわち。、聖アンデレの日( 11月30日)の次の日曜日に1フントを、四旬節の灰の水曜日の後の木曜日にもう1フントを納める。さらに聖マルティノの日(11月11日)に6本の丸太を作る。上述の製粉所の賃借人または持ち主が地代を毎年上述の期日に納めず、出納役人によって訴えられたら、いかなる地代についても3シリングを罰金として科され、出納役人は、他の農圃の地代と同様に、裁判所の法にしたがって彼から上述の地代を減額することなく、徴収することができる。§9. ロタッハの製粉屋が短期または長期の間水の不足によって必要に応じて製粉することができなければ、彼は古きと慣習としきたりにしたがって、いかなる者にも妨げられることなく、古い溝の水流を彼の水車に導いてもよい。§10. ヴァイラーの飲食店や酒場はヴァイラー荘園の荘官の管轄に属し、彼はそれらの店主の任免を上述の灰の水曜日の後の木曜日におこない、いかなる店主も常に産婦と瀉血師がおいしく味わうことができるようにワインを用意しなければならず、そうしない場合は、出納役人またはいかなる荘園民もみずから彼を訴えることができ、その場合彼は荘官に1フントの罰金を納めるべきであるが、彼が村民の利益に役立つという誓いをたてることができるなら、荘園民は店主を訴えてはならない。§11. 上述の飲食店は常に荘園民によって保有され、荘園民に貸与されるべきであり、その引き受け手が見つからない場合は、荘官は、いかなる不服も言わずに引き受けようとする者に飲食店を貸与することができる。§12. 飲食店主は古くからの慣わしとしきたりにしたがって彼の経費を上まわるしかるべき利益をワインから享受すべきであるが、飲食店主について、彼がそのようにしていないという苦情があったら、出納役人は裁判所の2名とともに、規定どおりおこなわれているか調べるべきであり、彼に問題がある場合は、荘官に届け出て、さらなる沙汰を待つべきである。§13. 古くからのしきたりによれば、飲食店はヴァイラーの荘園裁判所の正規の担保保管所である。§14. 上述の飲食店は毎年貢租としてザンクト・ガレン尺度で1 シェッフェルのエン麦をを納め、さらに農圃の地代として7シリング4ペニッヒを納める。§15. さらに上述の集会で、必要があれば、出納役人が荘園民によって宣誓と多数決により選任されるべきである。彼は不動産をもつべきであり、彼が納税を済ませているか、、代官は調べるように指示する。彼は妻帯すべきである。彼はまた助言をおこなうことができる者でなければならない。§16. 上述の集会でヴァイラー荘園の荘官は荘園民から彼の出納役人のためにろうそく税を徴収し、出納役と荘園民に宣誓をおこなうべきである。§17. いかなる出納役も神と聖人に、指を立て学識豊かな言葉で宣誓をおこない、代官と荘園の荘官、荘園民のいかなる者に対しもその法のためにできるかぎり助けとなり、貧しい者にも富める者にも、富める者にも貧しい者にも、外来民にも地元民にも、地元民にも外来民にも公平で公共の裁判官および公僕として、忠実に無難に任務をはたすことを誓う。§18. いかなる出納役人も3月半ばに荘園への貢租を徴収すべきである。彼は不法行為、死亡および真正の貧困の3項目に該当する以外は、貢租を免除してはならない。 §19. 出納役人は不動産を買って、その子どもに譲ることができる。彼は干草と麦わらを売って、彼の労働者に賃金を支払い、自分のものを購入することができる。§20. 出納役人はその屋敷を荒廃しないように保つべきだが、屋根の下の住宅を管理して、住宅が壊れ落ちないように配慮する以上の義務を負うことはなく、彼は垂木で住宅を支えればよい。彼が住居の四方へ出られるかぎり、いかなる者も彼に住宅の修理を迫ってはならないが、住宅が壊れたら、再建すべきである。§21. 出納役人は種牛1頭をもち、隣人たちは支障なく彼に雄牛を放牧させるべきである。彼は3歳馬を共同放牧地に放牧することができ、いかなる者もこれに反対してはならない。§22. ヴァイラーのいかなる出納役人も毎年荘園からリンダウ尺度で34マルターのエン麦を納入する義務を負い、そのうちリンダウ尺度で18マルターが荘官のものとなり、ヨーゼン・フォン・ローベンベルクにはリンダウ尺度で5マルター6シュトリッヒのエン麦が、エーベルハルテンおよびフリッシュハウゼン・フォン・ヴァイラーの兄弟にはリンダウ尺度で5マルター6シュトリッヒのエン麦、フォン・ナイデッゲネルホーフェンには5マルター6シュトリッヒのエン麦が属する。そして上述の荘官と貴族には打穀場を提供しエン麦を計量すべきである。また荘園民の助けを借りて1マイルの道のりをエン麦の運搬をおこない、彼らに引き渡すべきである。しかし霜であれひょうその他であれ、災害が起きて、出納役人がその年荘官や貴族に上述の地代をどれほど納めるべきか、上述の荘官や貴族、出納役人だけでなく、荘園民にもわからなければ、これら当事者双方の判断にまかせるべきである。§23. ヴァイラーの出納役人はヴァイラー荘園の荘官に12羽のにわとりを納め、2頭の豚の対価2フントを納める義務を負う。§24. 12の農民フーフェはそれぞれ荘官に毎年1フント5シリングの地代を納め、2つの農場からは毎年4.5フントの地代を納め、そのうちザンクト・ガレンのろうそくに3.5フント、毎年施肥の役夫を集める出納役人の報酬に1フントが当てられる。出納役人は上述の地代を聖アンデレの日( 11月30日)の次の日曜日に受け取るべきである。しかし彼にその負担分を期日どおりに渡さない者がいれば、出納役人は彼を裁判所に告発し、彼は3シリングを罰金として科されるが、出納役人は故意に告発することはできない。さらにいかなる農民フーフェも毎年聖マルコの日(4月25日)に30個の卵を納め、出納役人は当日に受け取るべきであり、さらにいかなるフーフェも聖母マリアお潔めの日(2月2日)のめんどり3羽を納め、そのうち2羽を出納役人に、1羽を廷吏に納める。しかし卵とめんどりを上述の期日に納めない者がいれば、出納役人は彼を裁判所に告発し、彼は3シリングをの罰金を科される。§25. 毎年30個の卵を納めるべき農場がヴァイラー村に幾つかあり、そのうち20個は収入役人、10個は廷吏のものとなる。§26. ブレーメンリートの農圃とその保有者は毎年荘官に10メスの塩を、聖アンデレの日( 11月30日)の直前または直後の土曜日にリンデンの市場に行くときに納め、豚の肩肉も納める。上述の毎年の貢租が納められない場合は、荘官は荘園裁判所の法にしたがってその代償を差し押さえて納入を強制することができる。しかしわれわれ荘官と上述の農圃の保有者との合意があれば、毎年彼は3フントを上述の塩のかわりに納めるべきである。§27. ヴィーゲルンの農圃は荘官に毎年肩肉2つを納める。§28. ヴェスター・ロハインの飲食店主は荘官に毎年8つのチーズ、またはその代金として2シリング4ペニッヒ、1フィアリングの乳清またはその代金として7シリングを常に聖アンデレの日の次の日曜日に支払う。§29. ヴァイラーの出納役人はその農圃からザンクト・ガレン尺度で12フィアテルのエン麦をヴァイラーの大祭壇の前に掛かっている大ろうそくに対して納め、さらにヴァンゲン尺度で4フィアテルのエン麦をベンケンの聖人に納めるべきである。§30. ヴァイラーの出納役人は毎年シャイテックの出納役人にリンダウ尺度で1マルターのエン麦納めるべきである。§31. さらにヴァイラーの出納役人は毎年アルテンベルクの城とその城主に1フーダーの干草を次のような形式で納めるべきである。すなわち、城主はかなり厚みのある樹皮の板を入手して、その上に荷車の前輪をのせ、荷車に1頭の雄牛をつなぎ、もう1頭の種牛を車につながずに雄牛に並べ、干草を荷車に積むことができる。そして前輪が止まっていても、2頭の牛が後輪を引くことができるなら、常に干草を積むことができる。しかし荷車を引くことができなくなれば、荷車から干草の3分の1を降ろし、それはゲネルホーフェン城の城主のものとなる。しかし不手際にも、今やヴァイラーの出納役人は上述の城の持ち主たちに権利として年2フーダーの干草を与え、それを建物の中に運びこむということに同意してしまった。ところが、早晩当事者のいずれか一方が気にいらなくなれば、相手に対しして取り消すことができる。それは上述のように古くからのしきたりにしたがって守られるべきである。 §32. 荘園に十分の一税を納める農地が幾つかあり、出納役人が必要とおもえば、十分の一税の麦束を倉庫に引き渡すべきである。§33. 古くからのしきたりとして、上述のヴァイラーの荘園の出納役人は3年間その農圃を保有したら、荘官に財産分譲の義務を負い、彼が財産を分譲する場合、彼の全動産の3分の1が荘官のものとなる。だがその場合荘官は、出納役人に請求されるべき負債の3分の1も支払うべきである。この負債を彼が支払いたくない場合は、彼は財産分譲をやめて、出納役人が死んだとき、死亡税を徴収することができる。しかし荘官が財産分譲を選択したら、出納役人または彼の相続人は優先的に馬と牛のすべてと彼の鉄製器具、犂と荷車を取るべきであり、出納役人の妻は仕立てられた彼女の衣服、彼女の羽毛ふとん、彼女の仕立て物、彼女が櫛で梳いて作ったもの、袋詰めされた脂身の切り分けられた肉, および出納役人の屋敷のすべての家財道具を取得することができる。それ以外のすべては分譲される。出納役人が荘園でよそ者の農地を耕作していたら、彼は優先的にそこに播種することができる。§34. 荘園から去る出納役人は、他の出納役人に、彼が育てるリンダウ尺度で8マルターのエン麦、荘園に適した栽培牧草と、小道を囲うことができるように垣根を残しておくべきである。§35. 新任の出納役が、最初若い家畜の生育に失敗しても、彼にまかせて、荘官が口をさしはさんではならない。§36. ヴァイラーの前記の荘園の荘官は、荘園民と荘園農地に対して次のような法と権利をもつ。すなわち、荘園民が亡くなったら、あるいは四方を土手で囲むことができるほどの農圃を保有する者が亡くなったら、彼の死後荘官に死亡税を納める義務があり、彼が厩舎にもつ最良の家畜を納めなければならない。§37. 荘園民女性が死亡したら、彼女は荘官に死亡税を納めなくてもよいが、出納役人と修道院の役人に、彼女が祝日に教会に着て行く最良の衣服を納める義務を負う。§38. ヴァイラーの荘園に属する息子または娘がその父親と共同で農地を保有しているときに、死亡したら、荘官に納める義務を負う死亡税を減じられることないが、ヴァイラーの出納役人に対して死亡税の法的義務を負うことはない。§39. ヴァイラーの出納役人は死亡税の法のために荘園民と会合をもち契約を結びに出かける義務を負うが、最初の日の費用は彼が負担し、彼が夜に出席しなければならないときは、彼を必要とする者が、彼の損失を負担すべきである。§40. 荘園の農地を保有する者が、いかなる領主の領民であれ、裁判官を必要として裁判官を要求すれば、裁判官は文句なく出席すべきである。§41. マンツェンにある耕地は正規の荘園農地であり、荘園農地と同じく荘園に強制地代を納める。それを保有する者は死亡税として最良の家畜を納めるべきである。§42. 荘官は次のような権利をもつ。すなわち、非荘園民を妻とする荘園民が死亡したら、荘官は彼の動産の3分の1を相続し、彼に請求されるべき彼の残した負債の3分の1も支払うべきである。負債が彼の気にいらないのであれば、彼は遺産分割をやめ、死亡税を徴収すべきである。荘官が死亡税を徴収したら、出納役人は、その者が男で女であれ、祝日に教会に着て行く最良の衣服を得るが、上述の荘官が遺産分割を望むなら、彼は牛と馬、1マルターのエン麦、1マルターの麦粉、切り分けられてない肉、袋詰めされてない脂身、裁断されてない布、銅製の壺、錫製の食器、羽毛ふとんを分割し、その他すべてを出納役人が相続する。§43. 荘官は次のような権利をもつ。すなわち、荘園民またはその妻が肉親の相続人もなく、正当な共有者もなく死亡したら、荘官は出納役人とともに彼の動産のすべてを相続する。その際、請求されるべき負債を負っているなら、彼らは負債を完済し、キリスト教のきまりにしたがって埋葬をおこなうべきである。しかし荘官にとって負債が多すぎるなら、彼は相続をやめ、死亡税を選択することができる。彼が死亡税を選択すれば、出納役人は最良の家畜を取得すべきである。しかし相続を選ぼうとするなら、次の条項で非荘園民にかんして示されているように、動産を取得すべきである。§44.上述の権利のかわりに、荘官は、彼の財産やわれわれの財産が不安にならないように、われわれ荘園民を保護し、万人に対して公正に対処する義務を負う。しかし彼がそうしない場合、われわれはその年度は上述の権利を彼に認める義務を負わない。§45. 荘官はすべての荘園民と荘園農地保有者に対して彼らの農地を保護し、貧しい領民が負債のゆえに戸口からではなく、屋根の上から出なければならないほど、農地から収奪してはならない。

 これに続いて、荘園民と荘園農地に対して代官がもつ権利

 §46. 代官は年2回五月と秋に、牧草栽培地と草地で裁判をおこない、常に3年目にシャイデックで裁判をおこなうべきである。ラスバッハのヴァイラーには村の背後に採草地があり、五月半ばに代官が来て裁判をおこなおうとしたら、出納役人は代官の馬をそこに放牧することができる。§47. 古くからのしきたりおよびヴァイラー荘園の法と慣行として、ヴァイラーの区域内で不法行為をする者は、いかなる形態でおこなわれようとも、代官と荘官が法的に罰金と刑罰を科さなければならず、彼ら以外にいかなる者も科してはならない。§48.代官は上記の二つの裁判所で裁判をおこない、平和を乱す傷害を罰しなければならず、荘官は本件には権限をもってないという理由により、1年をとおして荘官のものとなる罰金は、代官の3分の1である。§49. 代官は罰金から収入を得る。§50. 上記の二つの裁判所ではヴァイラーとシャイテックの両出納役人と両廷吏は、彼らがいかなる命命をなしたか、またそのほかにいかなる不法行為がおこなわれたかを公示し、代官はそれについて裁判をおこない、罰金と刑罰を科さねばならない。§51. ヴァイラーとシャイテックのどこかの場所で開廷される上記の二つの裁判所で、両裁判所に属する荘園民は、山地に住む者も、その会合に出席し、発言すべきことがある者に対して正しく答え、賛否にかかわりなくヴァイラーからシャイテックへ、シャイテックからヴァイラーへ法をやりとりすべきである。 §52. 上記の2裁判所で両出納役人はいかなる領民も出席しているかを調べ、不従順な態度を示す者は3シリングを罰金として科され、最初の罰金3シリングは出納役人のものとなり、個々の罰金は1年をとおして3シリングである。§53. 領民と農地をもつヴァイラー荘園は代官に毎年34フントを代官税として納め、これは村落共同体に課税され、出納役人が納入して代官に支障なく引き渡すべきである。§54. ヴァイラー荘園に属する荘園民は代官に毎年謝肉祭のにわとりを納める。§55. 上述のヴァイラー荘園の荘園民は、代官の軍役のために日中に出かけ、日中に帰宅する以外の義務を負わない。彼の土地と領民にかかわることであれば、われわれは身体と財産をもって彼に協力する義務と意志をもつが、そのかわり上述の代官は、彼の財産もわれわれの財産も同様に危うくなるかぎり、万人のためにできるかぎりわれわれを守り保護し、正しく対処すべきである。
 §56. われわれヴァイラー荘園の荘園民は、男女にかかわりなく、古くから次のような法と権利をもつ。すなわち、われわれは帝国都市への自由な移住権をもち、荘園民が帝国都市へ移住して市民権を得たいとおもえば、夕方自分の荷馬車に荷を積んで、彼が移住しようとする都市の方向に轅を向けて、代官にそれを報告することができるが、その場合代官は自分の費用で市門の下まで同行する義務を負う。その者が6週と2日の間都市に市民として住めば、彼は出納役人に手紙を書いて、納税を終えたので荘園にはいかなる義務を負わず、彼のすべての財産を都市に移転すべきことを通知すべきである。しかしこの荘園民が遅かれ早かれ都市から転出して、帝国都市の市壁外に住居をもって定住するなら、彼は再び荘園民となり、租税、死亡税、謝肉祭のにわとりについて以前と同様な扱いをうけるべきである。§57. われわれは、なんの支障もなく、われわれの子どもを結婚のために帝国都市へやることができる。§58. われわれ荘園民は古来の法と権利にしたがって、7つの領地の領民、すなわちヴァイラー、エルホッフェン、ローベンベルク、シェーンシュタイン、新ラーフェンスベルク荘園、ヴァイラー荘園とシャイテック荘園の領民は妻と結婚し、妻が寝床をともにしたら、彼女は身体も財産もいかなる異論や支障もなく夫にしたがうべきである。§59. 古くからのしきたりにより、荘官がその死亡税を失わないように貢租と地代を納めなければ、いかなる者も荘園農地を保有してはならない。§60. 荘園農地を売りたい者は、教会または裁判所で販売を公示し、6週と2日の間そのまま待機すべきである。§61. すべての荘園農地が保有されており、ある農地が売られるか保有の交替がなされたら、それはヴァイラーの出納役人によって保有地として授けられ、しかも常に1シリングで受け取られるべきである。貢租と地代をを引き受けない者には、いかなる農地も保有を認めてはならない。1年たっても農地を受け取らない者は、その農地は期限切れにより、荘官が望む者に与えることができる。しかし、荘園民の兄弟姉妹が相互に農地を分割することなく買ったら、彼らは農地の保有後再度売却してもよい。§62. われわれ荘園民は慣わしとして、動産をわれの思いどおりに与え使用しても、いかなる異議申し立てもうけることはない。§63. われわれ荘園民はわれわれの財産すべてを統合して、他人と共有し、利益と損失をともにすことができる。そうすれば、一方は国のこちら、他方はあちらに住んでいても、荘園民は他人とその妻に対して相続権を留保しうる。しかしながら、そうした統合は裁判所でおこなわれるべきであり、その廃止や分割もそこでおこなわれるべきである。§64. われわれ荘園民の法と権利によれば、荘園民でない者が荘園農地を売ろうとするなら、彼はその農地を、荘園民ではない兄弟姉妹や一般民よりも先に、われわれ荘園民が購入したり借地するために提供すべきである。また相続によって農地が他人の手に渡ってしまっても、荘園民がすべての荘園農地を保有すべきである。§65. 邦内に住み、長期間何の問題もなく荘園農地を保有する者は、その占有を続けることができ、いかなる異議申し立てもうけずに、それをもち続けることができる。§66. ヴァイラー村のそばに罰令林と呼ばれる森林があり、このヴァイラー村に荘園農地を保有し、住宅権をもつ者全員と、同じくロタッハに住む農地保有者も、彼らの利用と建築のために木を伐り、利用し、消費することができる。同じようにロタッハの製粉屋も農地をもち、森林で屋根、戸や窓のアーチの木材を伐採できる。しかし彼らは森林を荒らさないように伐採すべきであり、悪巧みや支障なく行動しない場合は、その権利を失う。

保存されるべき公文書は
私メルヒャー・エッギン・フォン・ヴァ―ラーによって1532年に書かれた。


 3-16 ヘッシヒハイム Hessigheim (1424年)


(ヘッシヒハイムは今日のバーデン・ヴュルテンベルク州の都市シュトットガルトの北に位置するネッカー河畔の集落)

  1424年聖ミカエルの日(9月29日)の後の木曜日、フーフェ裁判官はヒルザウのわが領主の命令により、すべてのフーフェ保有農民の承認と好意により、彼らの宣誓のもとでフーフェ裁判集会を開催し、すべてのフーフェ保有農民の前で次のように読み上げさせた。それは永遠に存続し、古きしきたりと慣わしとして、強く守られるべきものである。
 §1.ヒルザウの領主はヘッシヒハイムの教会領主であり、農民には徳の高い聖職者が授けられるべきである。§2. 修道院は自由ぶどう搾り作業所を所有し、ぶどう搾り夫の法をもち、修道院はそれに良好な器具、選別器を備え、いかなる作業にも30分の1の割り当て分を支給し、役人は財布から4ヘラーを与え、修道院は不平を言わず役に立つぶどう搾り夫を雇い、村落共同体とともに必要な他の下僕を補充しなければならない。§3. ぶどう搾り夫のなかで不法行為をする者がおり、二つの不法行為をおかせば、一方は裁判所、他方はヒルザウ修道院の裁判をうける。
 §4. ヒルザウ修道院は自由製粉所を所有し、製粉屋は村民のために誠実に製粉し、彼らの世話をし、良い器具、石臼、囲い枠と部品を装備し、2ジメル7イミを入れる枡を用い、ジメルはエーピング尺度を採用すべきであり、その1イミは1マルターの製粉用穀物が入る容量であり、5ジメルは1イミに相当する。彼は穀物で製粉所を稼働し、穀粉を貧しい領民に手渡すべきである。囲い枠が石臼からあまり離れていなければ、かなり太いロープでも石臼のまわりを回ることができる。§5. 製粉所で不法行為をはたらく者に、二つの不法行為があれば、一つは裁判所、もう一つは修道院で裁かれる。§6. 製粉屋が製粉所から外に出れば、そこは共有地である。§7. 製粉所がなくなったら、修道院は他の製粉所の水車をわが慈悲深き辺境伯の水流に受け入れる権限をもち、修道院はいかなる者にも妨げらることなく地代を徴収しうる。§8. 製粉屋は漁獲用の箱を彼の漁業権の境界内に設置し、さらに四つの編み籠、すなわち細長い籠を一つ、えさ入れ籠を一つ、さらに漁獲用の堰に籠を二つ設置して、そのうちの一方を堰に設置し、他方は、いかなる小舟も往来できるように、岸辺のすぐ近くに設置すべきである。§9. 製粉屋は堰を築きたいとおもうときは、適時それをおこなうべきである。彼が秋の到来を待つ場合は、堰づくりをやめて、漁師が底引き網漁をするまで、彼の魚を売らせてはならならず、製粉所の船は彼の漁業権の境界内にとどまるべきである。彼が漁具を引き揚げたいときは、できるだけ堰の近くに船を寄せるべきである。ネッカー川の水があふれたら、彼は岸辺の近くの彼の漁具まで船を寄せるべきである。製粉屋の堰が氷に触れてこわれ、製粉屋が堰をつくろうとする場合、彼は16シューの幅の境界石に届くまで堰を再びつくる権限をもつ。そして堰の底に穴があいたら、彼はその穴を閉じて、彼が届く限り境界石を元に戻す権限をもつ。§10. 堰の下流16シューは製粉屋の堰づくり、編み籠、小舟その他に損害を与えてはならない。§11. ネッカー川の水かさが増し、漁師がえさ入れ籠を取り除き、水が自由に流れるようになったら、村民は古くからの慣わしどおり、魚を販売などのためにとることができるが、漁師の漁具に損害を与えてはならない。§12. えさ入れ籠は悪い魚堰に置くべきであり、製粉屋はそこに取水口を取り付けてはならない。、そのかわり彼の水車用の池が枯渇しないように、そのなかに堰をつくったり設置してはならない。製粉屋を邪魔するものをそこに設置したら、製粉屋は漁師の所へ行き、そうしたものを除去するように言い、漁師がそうしなければ、製粉屋それは断行して除去することができ、漁師はそれを妨げてはならない。§13. 製粉屋の水車の上流および下流に、石その他によって水車に損害を与えるものをつくってはならない。
 §14. ヒルザウ修道院に地代納入義務を負う河川で成長した柳の島や森林は、村落共同体に属する。§15. その島は漁師のために柳を育て、彼らはそこで伐採特権をもつが、水のなかでのみ柳を利用し、それ以外に利用してはならない。しかしそこに柳の枝がみつからなければ、柳の幹を使い、必要に応じてこれを切れば、どの境界石もそれでつなぐことができ、こうして彼らは伐採特権を行使し、村民はその後に切る権限をもつ。そのかわり村民は、水が澄んでいれば、漁獲用の堰の下に二つのフレーダー魚網とともに第三の自分の網も流し、彼らの食事を良くするために、その魚を誰にも売らない権限をもつ。その場合漁師が岸辺で網を引いているなら、彼は村民に対して優先権をもつ。しかし漁師がそこにいなければ、村民は上述のとおりおこなうことができる。§16. 冬季には漁師の漁獲を妨げてはならない。§17. そのかわり村民は、古くからのしきたりによって、シェール魚網で魚をとる権限をもつが、魚を売ってはならない。§18. 夜間の澄んだ水で魚をとれば、1グルデンの罰金を科される。§19. ネッカー川の水かさが増して、編み籠の設置を提案しようとする者がいても、彼らと編み籠を共有したくない者は、古くからのしきたりどおり先に編み籠を設置する権限をもつ。
 §20. すべての農地はヒルザウ修道院に地代の納入義務を負い、荘官屋敷に住むフーフェ保有者はフーフェ裁判官である。すべてのフーフェ保有者は農地を適切に耕作すべきである。フーフェ保有者はその農圃で耕作したくない場合、修道院は彼に耕作を迫るか、他人に売却することができる。しかし他のフーフェ保有者がその農圃を買おうとしなければ、修道院はフーフェ保有者に妨げられることなく、領外民に買うよう提供する権限をもつ。§21. 小屋住農地、保有地およびフーフェをわがヒルザウの慈悲深い領主の許可なく分割してはならない。ただし相続により、子どもが支払うなら、その限りではないが、かなりの地代が課せられる。とはいえそうした貢租を支払う方向で着手される分割は修道院にとって間違いのないように、また損害のないようにおこなわれるべきである。§22. 小屋住農地、フーフェ、保有地が売られたら、荘官屋敷はまず売却代金、次いでほとんどの貢租、さらにその農地のほとんどを入手する。。§23. 売買は誠実に公正に、一切の利益、策略、欺瞞なくおこなわれるべきであり、買い手は支払い額を言い、その金額を用意すべきであり、売り手は代金を得たら、買い手に損失のないように譲渡すべきである。購入金額が3フント以上なら、彼は価格より5シリング安く得るべきである。§24. フーフェ、小屋住農地、保有地の持主が彼の農地の一部を多少譲渡したいとおもうなら、彼が売りたいとおもう以上の価格をつけなければならず、上述のような譲渡権をもつべきである。§25. 土地を売る場合は、ヒルザウ修道院の財務官に1ペニッヒを払って土地を譲渡し、1ペニッヒを払って土地を受け取るべきであるが、修道院は土地の授与または譲渡の権限をもつ。外来者は5シリングで授受しなければならない。§26. 修道院はすべてのフーフェ裁判所のフーフェ裁判官に4マースのワインを与え、毎年3回のフーフェ裁判所を開廷する権限をもつ。§27. フーフェ裁判所で違法と判定された者は、修道院の役人に5シリング、いかなるフーフェ保有者にも20ヘラーの罰金を納める。§28.村民の十分の一税から秋に村落共同体のぶどう搾り夫にかなりの量の飲み物を与えるのは古くからの慣わしであり、今後それを金銭に変更するには、それにかんする契約の内容を作り直す必要がある。29. 修道院は村民のために種牛を支障なく飼うべきである。§3教会農地管理人は ranen(種馬?)を支障なく飼うべきであり、3頭まで俸給のほかに無料で飼える。§31. 司祭はおす豚を飼うべきであり、そのかわり彼は3頭まで俸給とは別に無料で飼える。



 3-17 ノルトハイム Nordheim (1495年)


(ノルトハイムは今日のバーデン・ヴュルテンベルク州の都市ハイルブロンの南西に隣接する)


  後述の条項はノルトハイム村の法であり、1495年聖ヒラリウスの日(1月13日)の後の月曜日に村長と裁判所によって、ノルトハイムの長老たちの同席のもとで、、想起された。
 §1. ノルトハイムの法では、2人の独身者が結婚し、肉親の相続人なしに一方が死亡したら、他方が相続し、領主への農地返還はおこなわれない。§2. ノルトハイムの法では、夫婦の一方が死亡し、子どもをもっている場合、夫婦のいずれかが再婚したら、不動産も動産も、請求された財産も請求されない財産も、子どもたちと契約がなされないかぎり、財産の半分は子どもたのものとなる。上述のように、子どもたちと分割または契約がなされれば、再婚する夫婦は同上の財産と彼らが持ち寄ったものを、両者の生存している間持ち続ける。§3. ノルトハイムの法では、二人が寝床をともにしており、その関係が破綻してしまうか、彼らの一方がかつて結婚していたことがあり、彼らが結婚する前から寝床をともにしていたなら、子どもが望む場合を除いて、一方は他方に結婚祝いを贈ることはできない。 §4. ノルトハイムの法では、生計のために自分の財産を与えようとする者は、公道に出て、手と首で彼の財産を持ち上げ、子どもたちが同意するかぎり、ノルトハイムの裁判所の承認のもとに判断をおこなうべきである。
 §5. ノルトハイムの法では、農地に地代または貢租を負う者が、保有する農地を売る場合、買い手と売り手が売買の8日後地代領主また土地領主に個人的に通知すれば、領主は8日後に期日までにこれを考慮する権限をもち、彼は8日後に売買を認めることができ、認めるなら、買い手と売り手はいずれも領主に3ヘラーの現金を手数料として納めるべきである。§6. ノルトハイムの法では、毎年地代または貢租を命じられた期日に納めない者がいれば。地代領主または土地領主は初日に罰金として2マースのワインを請求する権利を有し、その日から14日間2マースのワインを罰金として請求する。しかし14日間が過ぎて、6週と2日が過ぎても、納入がなされない場合は、彼はその農地を失う。この罰金請求は毎回村長と二人の裁判官によっておこなわれ、請求が無視され、14日目に再請求をしなければ、あらためて請求を開始しなければならない。§7.ノルトハイムの法では、宣誓したした4人の鑑定士が常におり、債務を負う者は、債務の鑑定をしてもらうか、あるいは彼が望む担保を8日間設定することができ、債務者が債務の鑑定をしてもらい、債権者が望めば、債務者は、彼が現金をもっておらず、隠し財産をもっていないことを、誠実に宣誓しなければならない。そして家の中で動産と農作物の鑑定から最初に取り掛かるべきである。彼が2頭のめ牛をもっているなら、1頭を鑑定し、2台のベッドをもっていれば、1台を鑑定し、2頭のめ豚をもっているなら、1頭を鑑定するが、彼が支払えないほど多くの債務を負っているなら、彼が支払えるまで、彼がもっているものすべてを鑑定して、鑑定は現金に換算されるべきである。しかし債務者は、彼が債務を負っている者に対して担保を設定するなら、8日間の担保を設定し、債務者は8日目の午前中に債権者を待ち、債権者は設定された担保を取りに来るべきである。債権者が8日目の期日に来なければ、彼はあらためて再開しなければならない。そして債務者は彼が望むものを担保として与える権限をもつ。担保を売る者は、彼への親愛の情から担保を買う兄弟以外の者を、担保の買い手としてみつけなければならない。8日の期日までに担保が売れたら、債務者はその後8日間の譲渡期間を有し、担保の買い手はその代金を払うべきである。§8. ノルトハイムの法では、債務者から損害をこうむったと考える者は、村長と2人の裁判官に、1マースのワインと最初に訴えた原告としての料金を納めることによって、彼を訴えることができ、この訴訟は1年間継続し、もっと延長しようとおもえば、1年経過前に更新すべきであるが、訴訟を更新しなければ、彼の怠慢ゆえに、他の者が彼より優先される。
 §9.ノルトハイムにおける耕地境界監視には単純な2つの耕地区画間の境界石一つにつき2ペニッヒ、三つの区画を分ける場合は6ペニッヒ、4区画を分ける場合は8ペニッヒ等々を納める。§10. ノルトハイムの法では、ぶどう畑の区画間の距離はどれほどか知りたい場合、いかなる区画間距離も境界石から1シューとするのが境界監視の通知であり、そうした通知に4マースのワインをを納める義務を負い、いかなる者もぶどう畑に間違った区画間距離を設けてはならない。しかし境界監視がおこなわれれば、通知によって4マースのワインを納めるべきである。§11. ノルトハイムの法では、農民が耕地または共有地で現在の境界石を越えて耕せば、村落に違反の罰金を科される。§12. ノルトハイムの法では、共有地の領民の農地間で境界監視がおこなわれたら、領民は境界石の支払いをおこなうべきであり、その際損失をこうむる他の領民も、同じように支払うべきである。§13. ノルトハイムの法では、耕地の耕作の際にできる盛り土は高い場所にある耕地から低い耕地へ、ぶどう畑の盛り土は高い場所のぶどう畑から低い位置の畑へ譲渡され、高い場補にある耕地の土が乏しいため、削り取られたくない場合は、低い場所の耕地は犂で土を公平に削減することができる。§14. ノルトハイムの法では、建物を建てようとする者は、屋根から滴り落ちるしずくの法によって、建物は1.5シューの余地を残すべきである。§15. ボルトハイムの法では、木を植えようとする者は、木を境界石から1.5シュー離れて植えるべきである。§16. ノルトハイムの法では、自分の農地のために溝をつくろうとする者は、自分の農地につくるべきであり、共有地につくってはならない。これに違反する者は、村落に不法行為の罰金を科される。§17. ノルトハイムの法では、水やりのために他人の土地を通行しようとする者がいれば、通行させるべきであり、彼が損害を与えたら、信頼しうる人々の評価により弁償すべきである。§18. ノルトハイムの法では、上級の宿は常に下級の宿とは分離すべきであり、宿が農地に隣合う場合は、農地をそこなわないように農地を分離すべきである。§19. ノルトハイムの法では、 森林や放牧地で風が吹いて倒れた木の切れ端、木あるいは枝を家に持ち帰った者は、それらが村のものであれ領民のものであれ、申し立てられた場合、村への罰金1グルデンを科される。§20. ノルトハイムの法では、村落内の耕地または採草地、菜園、ぶどう畑に故意に損害を与えた者は、損害がいかなるものであれ、5シリングを罰金として納める。§21. ノルトハイムの法では、簡易罰金は8ペニッヒである。§22. 教会寄進地の圃場はノルトハイムの住民のために1頭のお牛、1頭のお豚を必要に応じて飼う義務を負う。§23. 協定による罰金額は3フント5シリングであり、裁判所に訴えられた者の罰金はその半分である §24.ノルトハイムの法では、毎年裁判所によって任命される6名と村民にって任命される6名が、有害とおもわれることを問いただすべきである。§25. ノルトハイムでは命令によって、今後永久に森林または放牧地における木を伐ってはならず、訴えられた者は1グルデンの罰金を科される。§26.ノルトハイムでは命令によって、今後永久に共有地で鍬やつるはしでイバラを伐りとってはならず、訴えられた者は1グルデンの罰金を科され、まさかりや斧で伐りとってもならない。§27. ノルトハイムでは命令によって、今後永久にいかなる者も自分の家で飼える以上の家畜を飼ってはならず、訴えられた者は1グルデンを科される。§28. ノルトハイムの法では、わが慈悲深い領主のもとで製粉所への道の途中に居住者がいても、その居住を禁じることはできない。§29. 抵当を設定しようとする者は、村長と2人の裁判官に1マースのワインを納めることによって設定すべきである。もし抵当設定者がなすべきことを守らなければ、抵当の債権者は村長の承諾を得て抵当を8日間差し押さえることができ、債務者が8日後もさらに8日間債務の支払いをせず、14日経過しても彼が支払いをしなければ、彼は財産を失う。それが村落の法である。§30.ノルトハイムの法では、相続と所有にかんする法を告知された者は、裁判所に1アイマ―のワインを納める。§31. ノルトハイムの法では、地代領主または土地領主が地代または貢租を1年以上未処理のまま放置すれば、そうした地代または貢租はもはや地代または貢租ではなく、その後は負債となる。§32. ノルトハイムでは命令によっ、今後永久にいかなる者も彼に付与された木を取り去るべきであり、2つの農民フーフェの道に沿って聖ゲオルギオスの日(4月23日)の8日前か8日後にこれを実行し、実行しない場合、彼の木は村落に没収される。§33. ノルトハイムでは、村長が命令をしなければならないとき、彼の命令がわが慈悲深き領主にかかわりないことであれば、彼は1グルデンを納める。。§34. 家または屋敷から出火したら、叫び声がしたか否かにかかわらず、鐘が鳴らされたか否かにかかわらず、目撃した者はそれを宣誓して訴えるてるべきであり、訴えられた者は1グルデンを罰金として村落に納める。§35. いかなる者も麦わらや堆肥を売ってはならず、違反すれば1グルデンの罰金を村落とわが慈悲深い領主に納めるべきである。村落が保有する押印された文書の内容はこのとおりである。


4. ライン川上流域


4-1 ネッカー川、マイン川、ライン川の間


 4-1-1 ジークリンゲン Siglingen (1470年)


(ジークリンゲンはネッカー川の流域に属する)

 裁判を必要とするいかなる者も、神の御意志により、14日間助けをうけるべきであるが、領主に損害を与えるようなことがあってはならない。。しかし、わがままな態度によって14日間裁判を待とうとせず、その途中で裁判を望む者は、裁判所に食事を提供しなければならず、さらに領主の正当性を非難してはならない。
裁判官は四半期ごとにみずから召集した裁判をおこない、告訴すべきことがあれば、すべてそこに訴されるべきである。また領主は地代と貢租の未回収および損害があれば、そこに提訴すべきである。
 ジークリンゲンには3種類の贖罪金がある。最高贖罪金は11フント5シリングであり、そのうち10フントは領主のものとなり、1フントは裁判所、5シリングは裁判官のものとなる。1フントは30ペニッヒ、1シリングは3ペニッヒである。第2の贖罪金は3フント5シリングであり、3フントは領主のものとなり、1フントは30ペニッヒで、5シリングは村長のものとなる。第3の贖罪金は5シリングで、裁判官のものとなる。
 農地を売買しようとする者は、裁判官の前でおこなうべきである。買い手は農地を2マースのワインをもって受け取り、売り手は農地を2マースのワインをもって譲渡すべきである。
 妻または夫が死亡したら、死亡税が徴収される。領主はまず最良の家畜を取得し、人身領主の権利はその後に来る。


 4-1-2  ヴィンターラウフ Winterrauch (1507年)



(ヴィンターラウフは現在オーデンヴァルト地方の自治体ヴァルトブルンに属する)

  1507年復活祭後の第4日曜日の後の金曜日、高貴で厳格な領主であるハンス・フォン・ヒルシュホルン騎士は、後述のような規約をシュトレームフェルブロン、カッツェンバッハ、ディールバッハ、ヴァイスバッハおよびミュールヴェーアに定めた。これら諸村落および集落のいずれからも3名が選ばれ、古くからのしきたりにより、15名の裁判官が上級裁判所に任命されるべきである。上級裁判所では、下級裁判官が関知せず、彼らの裁判権の管轄に属さないことを、それら15裁判官に提示して、判決を待つのである。その規約は次のような適用される。。
 15裁判官が大贖罪金として25フントを科すなら、18フントは貴族領主のハンス・フォン・ヒルシュホルンに、2フントはシュトレームフェルブロンの村長に、5フントは15名の裁判官に割り当てられる。
 15裁判官が小贖罪金として20シリングをを科すなら、15シリングは貴族領主のハンス・フォン・ヒルシュホルンに、5シリングは15裁判官に割り当てられる。
 裁判官はいかなる判決についても2フィアテルのワインを報酬としてうけとる。
 いつでも裁判を担当する3名の裁判官には、一人当たり1アルブスを報酬として与えなければならない。
 前述の下級裁判所によって15裁判官に対して判決が指し示されるたびに、常にその次の日曜日に、十五人衆に対して、その直後の月曜日シュトレームフェルブロンでその判決を指し示し、何が法であるかを呈示するように要請すべきである。
 15名の裁判官のうちふとどきにも外出して欠席する者がいれば、そのたびに、5フントの贖罪金を科され、貴族領主のハンス・フォン・ヒルシュホルンに3フント、15名の裁判官に2フントを納めるべきである。その際法的な理由が述べられた場合は、尋問がなされるべきである。
 15名の裁判官について訴えようとする者は、貴族領主のハンス・フォン・ヒルシュホルンに訴えるべきである。
 いかなる訴えも15フント以下では採択されてはならない。
 すべての村落における下級裁判所、および小贖罪金については、貴族領主の故イエルク・フォン・ヒルシュホルンと貴族領主のハンス・フォン・ヒルシュホルンに呈示された今年度の裁判規約が示しているとおりに変わらず維持され、また村落でもそのように理解されている。
 小贖罪金は9ウンツ・ヘラーであり、それは15シリング・ヘラーに相当し、アウフ・ツヴィンゲンベルクの貴族領主のものとなる。
 いかなる不法行為も、重犯の場合3フント5シリングであり、貴族領主に3フント、いかなる村長にも5シリングが割り当てられる。
 女性の不法行為は裁判管区の管轄外にあり、重犯の場合は男性の不法行為の2倍にあたる6フント10シリングが科され、6フントは貴族領主に、10シリングは当該地域の村長に割り当てられる。
 シュトレームフェルブロンとカシュトレームフェルブロンッツェンバッハの裁判所は2つの村落からの9名から構成され、交互に裁判がおこなわれ、シュトレームフェルブロンで公開の告訴による裁判がおこなわれ、次いでカッツェンバッハで規則にしたがって告訴と裁判がおこなわれる。


 4-1-3 ヒルシュホルン Hirschhorn (1560年)



(ヒルシュホルンは今日ヘッセン州南部のネッカー河畔の町)

貴族領主ハンス・フォム・ヒルシュホルンに利用可能な支配権と権利は次の市場町、村落、小集落における税、地代、利金と貨幣貢租、作物、森林、水、農地その他である。
 ヒルシュホルンの城と都市、ウンテルンハイムブロン、イーゲルスバッハヴァイデナウおよびエルスハイムは、そのすべての権利、代官管区、賦役、森林、付属物とともに、マインツ司教領の男系相続授封地である。ハンス・フォム・ヒルシュホルンはヒルシュホルンの刑事裁判所の官憲の地位を占める。・・・・彼にはすべての刑罰と贖罪金が帰属する。
 普通の小罰金は4フント5シリングであり、5シリングは村長に帰属するが、それ以外は誰のものでもない。大罰金は・・・・32フントである。いつわりの罪は村長の権限に属し、いつわりの契約は5シリング、小さな不正は16シリングである。
 貴族領主ハンス・・・・はヒルシュホルン市と彼の諸村落で禁制ワインを売る権利をもち、彼以外は売ってはならない。いかなる船頭も貴族領主ハンスのためにネッカー川を航行する義務を負い、領主の領民はその作物を無償で運ぶ義務を負う。しかし貴族領主ハンスはこのとき一定の報酬を船頭に与える。
 ヒルシュホルンの漁師は、命じられるたびに貴族領主ハンスの業務のために・・・・航行する義務を負い、ネッカーシュタイナッハへの航行の報酬として4.5シリング、ミュッケンロッホ橋へは1シリング、ネッカーゲミュントへは2シリング、ツヴィンゲンベルクとハイデルベルクへは3シリングの報酬を与えられる等々。
 漁師は命じられるたびに、領主の池で領主のために魚を獲る義務を負う。
漁師は次のような魚を貴族領主ハンズに提供すべきである。すなわち、大きなウナギ1ポンドを7ペニッヒで、カワカマス1ポンドを6ペニッヒで、コイを5ペニッヒで、大きなバーベル1ポンドを4ペニッヒで、マス、blekhenおよび普通魚は1ポンドを1ペニッヒで提供する。漁師がサケをつかまえたら、貴族領主ハンスに見せ、領主がそれを得ようとするなら、漁師に1マルターのチーズを与えるべきである。
 ヒルシュホルンに属するすべての村落と小集落は、必要な場合には不定量賦役をおこなう。これらの村落と小集落は、ウンタージンケンバッハ、ウンターシェーンマッテンヴァーク、ブロムバッハ、ダルスベルク、ローテンベルク、オーバーおよびウンテルンハイムブロン、モスプロン、ミュッケンロッホおよびイーゲルスバッハである。上述の臣民は狩猟と動物包囲の義務を負い、包囲のときは2人に1個のパン、犬の引き役にも同じものが与えられる。
 領民がヒルシュホルン周辺の上述の村や小集落でヒルシュホルンに属するすべての耕地を耕作し、種をまく義務を負う。彼らが耕作するとき、犂1台に2個の賦役パン、馬鍬一つにパン1個、彼らに共同で食べる粥を与える。
 ヒルシュホルン城で手による賦役をおこなう者には、食事にslippenと野菜を支給する。
 昼間に藪または低木を伐採して捕えられた者は、貴族領主のハンスに10マルターのエン麦を、森林監督に1グルデンを償いとして納める義務を負う。
 貴族領主の狩猟場でつかまえられ、見つけられた者は、狩猟の大小にかかわらず、賠償として10マルターのエン麦と科され、森林監督に1グルデンを納める。危険な獣を捕らえたり撃ったりする者には、身体と財産への刑罰が科される。
 領主の河川支配権。領主は大小の河川において単独で漁獲権をもつ。しかしそこに木材を流す臣民は、一定の制限をおこなうことができる。その許可のために、領主に対して都市はmüdtを支払い、100の大木材について10ペニッヒ、100のnachholzについて5ペニッヒを支払う。
 ヒルシュホルン、イーゲルスバッハおよびウンターハイムブロンの大小十分の一税は、ヒルシュホルンの教区のみに帰属する。
 ヒルシュホルン城は、昔から城内平和を文書で保障されている。
 貴族領主ハンスは大河川では搾油所、ファックハンゼン水車、小河川ではオイゼルン水車、ネーアー水車をもつ。
 ウンテルンハイムブロンはヒルシュブロンの裁判管区と市場の中にあり、そこの臣民はヒルシュブロン市に賦役義務を負い、・・・・ヒルシュブロンの教区権をもつ。
 領主はそこにディーツェン農場と館、並びにライポルツ農場と館をもち、それらは貸し出されている。
 ヒルシュホルンとエーベルバッハの間にあるイーゲルスバッハは、その一部が貴族領主ハンスに属し、・・・・本来プファルツ選帝侯の臣民がその下にある。ヒルホルンの裁判管区と市場町にあるヒルシュホルン部分のうち、領主に属するのは6戸の家である。
 ヴァイデナウの荘園農場は、1547年ヒルシュホルンのハンスおよびアンナ・フォン・ヒルシュホルンによって一般市民に売られた。
 エルシュハイムはネッカー川の対岸にあるが、ヒルシュホルン市の裁判強制のもとにある。そこには6人の僧侶が教区長とともにおり、1人の教会使用人をもち、俸禄はヒルシュホルンの領主によって授封として支給される。
 ウンターシェーンマッテンヴァークはあらゆる権利を備えている、。
 貴族領主ハンスは礼拝堂付き司祭職をそこにもっており・・・・ラントシャーデン家は交互に授封する
 貴族領主ハンスは新しくつくられた農場を倉庫および菜園とともにこの村にもっている。
 エッシェルバッハはあらゆる権利を備えた村落である、等々。
 エッシェルバッハ教区は法的保護と相続権を貸与しうる領主権をもつ。
 ラーヴェンベルクは、ヒルシュホルンが一部領主権をもつ村落である。そこではヒルシュホルンの領主が村長と裁判所を設定める3分の1の権利をもっている。。
 オーデンハイム修道院、現在のブルッフザール修道院に続いてヒルシュホルンの領主が支配権と諸権利をマインツの教会から授封されている。すなわち、以前のオーデンハイムと現在のブルッフザール支配権は勇猛な武器によって、あるいはその他の機会に、ヒルシュホルンのものとなり、その支配は今後も続くことだろう。首席司祭、聖堂参事会は、貯蔵庫と戸棚の鍵を彼らに引き渡す義務を負い、彼らは立派に飲食とともに、貴族や騎士身分にふさわしく、飼料、食事および飲料水の樽をまったく拒むことなく、・・・・ヒルシュホルンの領主から何の補償もなしに、あらゆる必要に応じて装備し保持する・・・・。
 第二に、首席司祭等は・・・・毎年殉教者聖ステファノの日(12月26日)に重さを測定された豚の2つの脇腹肉と2つの肩肉をヒルシュホルンの城に正しい永遠の裁定のために送るべきであり、脇腹肉は製粉されていない半マルターの穀物で焼かれるべきである。肩肉はどれも15ポンドの重さがあり、脇腹肉と肩肉はヒルシュホルンにもってくる前に、あらかじめエッシェルバッハの村長と裁判所が受け取り、それらが正当なものか否かについて、宣誓がなされるべきである。かつてのオーデンハイムの修道院長が亡くなり、現在のブルッフザールの首席司祭が将来亡くなれば、ヒルシュホルン領主が、正しい裁定と死亡税のために取得するのは・・・・最良の衣類と最良の馬とともに、司教冠と杖である。領主は常に司教冠と杖を良好に守らせなければならないが、馬と衣類は自分のために取得しても何ら問題はない。こうしてオーデンハイムおよび現在のブルッフザールの領主の使者は、毎年聖ステファノの日に脇腹肉と肩肉をを持参し、古くからのしきたりどおりの権利を守りたいとおもうなら、次のように手際よくなすべきである。すなわち彼は一つのことだけ注意すべきであり、同じく彼の馬もも賢明で、一つのことのみ注意すべきである。その場合、ヒルシュホルンの領主は・・・・古来のしきたりどおり、馬が腹まで埋まるほど夜間にたくさんのエン麦を飼料として与え、下僕には食料を支給し、飲食のための白い什器を与え、そのほかに酒手も与えるべきである。
 

 4-1-4 ベーアフェルデン Berfelden (1457年)


(ベーアフェルデンは今日ヘッセン州南部のオーバーツェント市に属する)


  われらが主、神の名においてアーメン。この文書を見回し、読み、読むのを聞くすべての者に、告げる。われらが主キリスト生誕後1457年、第5の15年紀において、カトリックのわれらが最も神聖な法王カリクストゥス三世の3年目、6月14日の三位一体の祝日の日曜日の後の火曜日にマインツ司教区のベーアフェルデンで、午後2-3時の間に、ガメルスバッハの現職裁判長クラウス・ベッケンフーベおよび後述のベーアフェルデンの参審員たちの前に、わが公的書記および後述の証人たちが出廷した。参審員の人数は28人以下であり、彼らはベーアフェルデン村の前の菩提樹の下で通常の裁判官席の椅子に座り、貴族領主で飲食店主、エルプバッハの領主フィリップスも同席した。ガイルンハウゼンの森林監督、ハイデルベルクの代官である堅実な貴族領主ゲルハルト、および尊敬すべき領邦書記コンラート・ハルトがが立ち、著名で高貴な生まれの君主並びに領主ライン・プファルツ選帝侯フリードリッヒ、わが敬愛すべき領主バイエルン公に代って、リンデンフェルスの尊敬すべき財務官ハンス・ショイベルをとおして、前述の裁判長および裁判集会に対して、裁判所の法にしたがって、裁判集会を開くように求め、裁判長は法にしたがい参審員に次のようなプファルツの法と古いしきたりを公示することを要求してほしいと述べた。すなわち、ライン・プファルツ選帝侯はベーアフェルデンおよび裁判管区において倉庫、穀物および干草をもち、プファルツ選帝侯領の領民の裁判長、廷吏および鐘つき役が必要なら任命されるべきである。エルプバッハの飲食店の容量とすべての重量は変更されてはならず、古くからのしきたりを守るべきである。ベーアフェルデンは村落にふさわくない壁その他によってその防備を固めてはならず、領民とその周辺の住民は、古くからのしきたりを遵守すべきである。
 上述の裁判長クラウス・ベッケンフーべはそうしたことを参審員の一人に要求し、それについて裁定をおこなうように命じた。そこで前述の貴族領主・飲食店主のフィリップスはこれに反対して、彼はベーアフェルデンの最高の代官であり領主であり、その地位を彼の父から受け継いだのであり、そうしたことはかつて裁判所から指示されたことはないと述べた。なぜならベーアフェルデンと裁判管区はプファルツの所有地であり、その授封地であり、彼はわが慈悲深き領主プファルツ選帝侯にお願いして、ただでさえ彼の恩寵をうけ続け、彼の恩寵を全面的に賜りたいとおもっているので、そのような裁定を裁判所がすることは必要ではないという要望を述べた。
 それに対して上述の貴族領主ゲルハルトは反論して、次のように述べた。すなわち、「敬愛する貴族領主殿、わが慈悲深き選帝侯はここベーアフェルデンに倉庫、穀物および干草を得て以後、最近までそれをおろそかにしたことはまったくなく、わが慈悲深き領主にとって、その権利と古来のしきたりについて裁定をおこなうことが必要であるということに、貴殿の下僕たちの一部は反対した」。しかし上述の財務官は裁判長を呼び、そうした裁定をおこなうことを要望し、とくにそうした裁定はいまや4回も裁判所に求められているので、参審員たちに対してわが慈悲深き選帝侯にそうした裁定を公正におこない、判決をくだすべきではないか、法を参照するように要望した。
 そこで裁判長はそのようなことを参審員の1人に伝えた。参審員たちは退出し、協議をおこない、戻って来て、全員一致で次のように裁定をくだした。すなわち、裁判所に来て、裁判所の慣習にしたがって法を求める者には、両当事者がそれを望むかぎり、法を容認し手助けすべきである。そこで上述のハンス・ショイベル、わが貴族領主・代官および領邦書記は、わが慈悲深き選帝侯のために、法を求め、法を順守することを望んだ。若干の議論の後、前述の貴族領主・飲食店主のフィリップスは裁判所にそうしたことを申し出て、裁定をおこなうことに同意した。
 裁判長と参審員は共同で前述の当事者たちに次のように要請した。すなわち、裁判所は出廷していたある領民にかんする問題の処理に取り組んでいる間、当事者たちはしばらく沈黙し、この案件の処理を裁判所におこなわせ、その処理が済めば、当事者たちの裁判がおこなれるであろうと。この要請は当事者たちによって同意された。
 こうして裁判長と参審員はその案件を処理し、ともにベーアフェルデン村の参事会に行き、そこの通常の席に座った。上述の代官と領邦書記は前述の財務官をとおして、彼らが要求していたことを伝えさせた。そこで裁判長と参審員は検討のために退出し、かなり時間が経ってから帰って来て、再びその通常の席に着き、ベーアフェルデンの家畜道路沿いのレオンハルトという参審員に、古来のしきたりと裁定を彼ら全員のために告げるように求めた。こうしてこの参審員レオンハルトは立ち上がり、裁判所の慣習にしたがってあらかじめ申し合わせたうえで、他の参審員と彼のために次のような裁定を申しわたした。すなわち。古くから今日まで受け継がれ、要求されるたびに常に、当裁判所でおこなわれてきた裁定を、とくに貴族領主・飲食店主のフィリップスが土地を取得して現在居住しているので、従来どおり、次のように裁定を申しわたす。
 すなわち、エルプバッハの領主はベーアフェルデンの最高の代官、領主であり、すべてのことを命令し禁止する権限をもち、領民と領域にその法としきたりを守らせるべきである。
 彼らはまた彼に対して茂みの中のウサギ、空中の鳥、水中の魚を彼の領土で捕らえてもよいという裁定をおこなった。
 またフーフェと農圃にかんして、4つのフーフェがあったのに、1つだけになってしまったら、どうすべきか、その他すべてについて裁定がおこなわれた。
 さらにわが慈悲深き選帝侯の要求にもとづいて、彼らは全員共同で裁定をおこない、百歳にもなる長老たちから学び、昔から彼らに受け継がれてきたしきたりとして、代々の選帝侯がもっていたベーレンフェルデンの倉庫、穀物および干草その他の物が当地の領民に損害のないように今なお保持され、選帝侯およびその役人たちがそうした倉庫の利用を妨げられるをことは決してなかった。そして裁判長、廷吏および鐘つき役にかんして、古来のしきたりとして今日まで受け継がれているように、人員が必要であれば、参審員たちは共同で誠実な者3名を、選帝侯領の領民であろうとなかろうと、裁判管区の住民のなかから、彼らが有用で善良とがおもう者を選び、エルプバッハの領主にその名を告げるべきである。エルプバッハの同領主は3人の候補者のなかから1人を指名すべきだが、彼が3人のなかから指名した者が参審員と住民の気に入り、適切であり、選帝侯領の領民であれば、裁判長、廷吏または鐘つき役のいずれであれ、彼がほかにも役立つかぎり、彼らは他の者より彼をすすんで選ぶべきである。望むらくは彼が選帝侯領の領民であれば、彼らはそれに満足すべきであり、そうすればなおのことプファルツによって認可されるべきである。エルプバッハの領主は3人のなかから適切な候補を見つけられなければ、彼には他の3人が推薦され、そのなかにも適切な者がいなければ、前述のように、候補が見つかるまで、他の3人の名が挙げられる。エルプバッハの領主は必要な裁判長1名、廷吏1名または鐘つき役1名を、選帝侯領の領民であるかどうかにかかわりなく、参審員と住民の同意により任命すべきである。裁判所と住民に大きな損害が生じなければ、、エルプバッハの領主は裁判所と住民の同意なしに裁判長を決める権限をもつ。エルプバッハの領主は壁によってベーアフェルデンの防備を固める責任を負い、その費用を自分で負担する。容量、長さおよび重量を変更する場合は、プファルツの地方官は住民をとおしておこない、そうすれば容量、長さおよび重量が認識される。そうしたことが古くからのしきたりでないとすれば、選帝侯は飲食店主たちに命じて、人が考えているよりはるか昔からのしきたりを守らせ、前述のとおり、貴族領主・飲食店主フィリップスが彼らに古来のしきたりと自由を守らせるべきであると、彼ら全員はともに望み、信じている。
また上述の参審員レオンハルトは前述の裁定をおこない、他の参審員たちに、全員がそれに従うか尋ねた。そこで全員が従い、そうした裁定に反対しないと答えた。
 また上述のような審理の論議と裁定にかんして、前述の貴族領主ゲルハルトおよびハイデルベルクの領邦書記コンラート・ハルトは、公的書記である私に対して、わが慈悲深き選帝侯のために、一つであれ複数であれ文書をつくることを要求し、わが慈悲深き領主のために選帝侯と前述の代官および領邦書記にとって必要となるだけの数の文書の作成を求め、前述の貴族領主・飲食店主・エルプバッハの領主フィリップスも同じように文書の作成を要望した。
 そのような裁定と判決は次のような人びとによっておこなわれた。すなわち、前述のガメルスバッハ在住の裁判長クラウス・ベッケンフーベと以下の参審員たちである。すなわちニーダー・センスバッハのペーター・ヴィ-ゼ、ベーアフェルデンのカパッス、フーテンタールのゥレゼリン、ヒルタースクリンゲンのレンハルト・シェッファーとヤーコプ、ファルケンゲゼッセのレンハルト・ゲルノルトとクロイゼル・リプフリート、フィンケンバッハのクラウス・ツィンマーマンとクラウス・ヒンケルベン、ベーアフェルデンのレンハルト・ボスマン、ペーター・シュセラーおよびレーエンハルト・アン・デム・ヴァイアーベルク、ガメルスバッハのエンドレス・コルプ、ニーダーゼンスバッハのハンス・アッカーマン、オーバーゼンスバッハのハンス・コベリンとペーター・コンラート、ヘッツスバッハのハンス・アウフ・デム・ベルゲとハンス・ヴァルター、エッツェルスハンのクロイゼル・モーザーとクラウス・ヴィマール、シェルムバッハのペーター・ズマーとクロイゼル・シュペッヒタート、エルレバッハのコンツ・コンラートとコンツ・フーベナー、フッテンタールのペーター・ムラー、グーダースバッハのエヴァルトおよびハンス・ディーター。彼ら全員はベーアフェルデンの裁判所の参審員である。
 これらの裁判集会と法の裁定は前述の時期におこなわれ、これに同席していたのはベーアフェルデンの早朝のミサをおこなう尊敬すべき司祭ヨハネス・シュピッサーとフライエンシュタインの助司祭ヨハネス・ブリューム、エーバルバッハのニクラス・シュテッツェンバッハ、リンデンフェルスのコインツ・フィルシュミット、フィート・ドレンバッハとニクラウス・リューアであり、彼らはマインツ、ヴュルツブルク、ヴォルムスおよびシュトラースベウルクの各司教区から特別に召喚された。
 私コンラートス・ガイルンフーゼンはマインツ司教区の聖職者である。


 4-1-5 ルスハイム Lussheim (1516年)



(ルスハイムは、今日、カールスルーエ市の近郊の町デッテンハイムに属する。)

  われわれはルスハイムで、マウルブロンのわれわれの領主が最高領主であり、ルスハイム裁判所の設置と廃止の権限をもち、村長および彼に必要なものを村落と領地に置く権限をもつことを法として告知する。われわれの祖先は、われわれがもつ農地を毎年そこから貢租と地代を納めるために保持してきた。またルスハイムにあるものはすべて、水、放牧地、土地など例外なく、マウルブロンのわれわれの領主のものであった。われわれの祖先は、1フーフェの土地を4マルターの穀物と4マルターの未加工の作物の貢納とひきかえに保持してきた。農地で作物が順調に育ち、ほうきやシャベルで片付けられるなら、領主は作物を受け取るべきである。われわれの領主が、正しくない作物だと考えたら、作物を納める者は、脱穀によって証明すべきである。しかし彼がみずから脱穀したのであれば、彼は裁判によって証明すべきである。そうすれば領主はそれを受け取ろうとする。貧しい領民が領主に負債を負い、負債を払おうとしなければ、領主は村長や裁判所にかかわりなく、負債のかわりとなるものを差し押さえ、負債が支払われるまで、どこへでももっていく権利をもつ。
貧しい領民が負債を払わなければ、領主は負債のかわりに財産を没収し、賠償が負債を上回るなら、差額は領民のものとなる。当地に不動産をもたず、父方または母方の相続人もなく死亡する者は、他の住民と同様に、財産について村長と裁判所の保護をうけるべきである。
 売り物をもつ者は、領主にその売却を申し出るべきであり、領主がそれを入手したい場合は、他人よりも5シリング安くその売物を得られる。領主が知らないまま販売がおこなわれたら、領主が5シリング安い代金を払えば、最初の販売は無効とすべきである。本数で代金を計算する木については、われわれはムルブロンのわれわれの領主に100フーダーの木を納め、またシュパイアーの彼の屋敷に薪束を届けるべきであり、そのために1000の薪束のうちわれわれは700束を、村が300束を運搬する。地代と貢租を受け取るわれわれの領主は、それ以上われわれに負担をかけてはならない。それが、われわれの慈悲深きムルブロンの領主はが当地ルスハイムにもつ法である。また同領主はシュパイアーのわれわれの慈悲深き領主を代官としてわれわれに与え、彼はわれわれを彼の領民として保護し負担を負わせ、彼の農奴として戸と釘によって封鎖する。彼はそこから地代、代官エン麦、貯蔵穀物、謝肉祭のにわとり、狩猟鳥獣、代官への罰金を得る。村長と裁判所に提訴されたいかなる不慮のできごとも、彼は代官として罰する。彼は地代を徴集するとき、彼の馬を垣根につなぎ、領民に負担をかけてはならない。彼は地代を受け取ったら、村長や裁判所にかかわりなく、どこへでもそれを運ぶことができる。われわれはシュパイアーの採草地の干草十分の一税をまとめて彼の所に運ばなければならない。その場合、彼の下男がわれわれに知らせたら、彼は手押し車で運ぶ者に1ペニッヒのパンを与え、届けた者には1ヘラーのパンを与える。また下男が必要と思うなら、1年に1回ライン川の岸まで教区採草地の溝を引く。これはわれらが慈悲深きシュパイアーの領主が当地ルスハイムにもつ法である。
 われわれは、村のまわりをめぐる垣根が破れてはならないことを法として告示する。いかなる飲食店主も村長と市長の許可なしにワインを売ってはならず、1本のワインを持参して、最初市長に贈呈して開栓してもらい、ワインをどのように買ったのかを証明し、証明できなければ、裁判によって証明し、しかる後ワインを開栓すべきである。その後彼はワイン貯蔵庫に来て、1アームのワインについて5シリングを払う。さらに彼は正しい枡をもつべきであり、栓付きの適切なカンネの枡、栓付きの半マースの枡、栓付きの8マースの枡をもち、来訪者に正しい枡を用いるべきである。パン屋が飲食店主にパンをもってくるとき、彼の客がパンを必要としているなら、パン屋は1シリングで2つのパンを提供してもよく、残りのパンをもって村へ行き、慣わしどおり「パンはいかが」と叫んでもよい。あまりパンを買おうとする女性がおらず、パンが1つか2つ売れたら、残りのパンを飲食店主にもってきてもよい。
 われわれは、法としてつぎのことを告示する。すなわち、新しい道はライン川まで使える放牧地への道であり、シュパイアーの草地まで利用できる。新しい道に木がなければ、下男は耕地に向かって雑草に片足で立ち、ナイフで得られるものを道で切りとってもよい。道にそれが必要でなければ、それはルスハイム村の領民のものとなる。

 船頭の法
 われわれは、船頭が3.5隻の船と1隻の小舟をもち、誰か来たら、彼が陸から船で渡るのを助けるべきであることをことを、法として告知する。ルスハイムから誰か来て、船で渡ろうとしたら、木材、麦わら、干草を運ぶなら、彼は荷馬車1台につき2ペニッヒ、手押し車1台につき1ペニッヒを与え、建築材を運ぶなら、荷馬車1台につき4ペニッヒ、手押し車1台につき2ペニッヒ、作物の運搬も同額を与える。ライン川が増水したときは、彼はわれわれを浅瀬まで運び、そこから水門まで運ぶときは2倍の料金を前払いする。ラインが増水するか、氷が流れているときは、彼は他の人々を運ぶなら、われわれも運ぶべきである。犂を運ぶ者が半マルターの穀物を与えるなら、半分の犂を運ぶ者または貧しい者は4分の1マルターの穀物を与える。犂を運ぶ者がパン4つを与えるなら、半分の犂を運ぶ者または貧しい者はクリスマスに下男にパン2つを与える。戦争の非常時にはわれわれがわれわれの財産、家畜、作物すべての運搬を求め、われわれが必要とするなら、彼らは前述の報酬とひきかえにわれわれを助けるべきである。
これら上記の諸条項はルスハイム村の法であり、われわれはすべてのわれわれの長老から聞いたものである。


 4-1-6 ザクセンハイム Sachsenheim (1449年)

 

(ザクセンハイムはマンハイム市のすぐ東側に位置する)

 1449年洗礼者聖ヨハネの日(6月24日)の後の火曜日、わが慈悲深き選帝侯のザクセンハイム裁判所でわれわれ慈悲深き領主の裁判所参審員一同は、わが慈悲深き選帝侯ルードヴィッヒの領邦書記コンラート・ハイデンから次のように問われたので、われわれはわが慈悲深き選帝侯と裁判所におこなった宣誓にもとづき、法を指示すべきである。すなわち、共有地がどこまで及ぶのか、共有地はいかなる法をもつのか、またいかなる法がわれわれに受け継がれ、いかなる裁定が指示され、われわれに知られているのか。そこでわれわれに受け継がれ、われわれが知っていることを、宣誓にもとづき、上述の問いに対して次のように答える。すなわち、共有地の範囲はウヴェッシュニッツの礼拝堂の小径を通って山道を登り、そこから最も高いglaistをネッカー川の鉄の柱まで下り、鉄の柱からウッター川へ、ウッター川からシェーンバウバッハ川の真中の石の格子へ至る。われわれは、わが慈悲深き選帝侯が土地とそこに権利をもつ領民のために共有地を保護し守る最高領主・代官であるという法を指示する。
 われわれは、次のような法を指示する。すなわちわが慈悲深き領主には狩猟区が所属し、すべての不法行為、殺害、および彼の慈悲深き地方官とともに防衛すべきその他の犯罪は、いずれも慈悲深き領主の管轄にする。
 われわれは、次のように法を指示する。すなわち、シェーナウの住民は二つのかまど、その一つは修道院長の厨房、もう一つは修道院の厨房のかまど用の森林の木を得ることができるが、それ以外は得ることはできない。そのかわり、彼らは共有地番人にムッチェンと呼ばれるパンを毎週18個与える。われわれはまた、次のように法を指示する。すなわち、ノイエンブルクの少女たちは修道院の厨房のかまど用の森林の木を伐り、それ以外は伐ってはならない。そのかわり、彼女たちは共有地の番人に毎週9個のパンを与える。
 われわれは、次のように法を指示する。すなわち、共有地に権利をもつ者は、彼が建築で必要とするだけの建材を伐ることができる。彼が木を倒したら、1カ月で切り運びさるべきであり、そうしない場合は、毎月木を裏返すべきである。さもなければ、10フントの罰金を毎月納めなければならない。彼がその木を1年以上放置すれば、共有地に所属するいかなる者も木を持ち去ってもよい。木を伐った者は、10フントの罰金を科される。
 われわれは次のように法を指示する。すなわち、いかなる大きさであれ、樽のたがを作るためのオークの木材を共有地で伐ってはならない。そうした違反行為をおこなう者は、10フントの罰金を科される。
 われわれは次のような法を指示する。すなわち、いかなる者も、自分の建築において必要とする以上のオークの木を伐ってはならない。これに違反する者は、10フントの罰金を科される。
 われわれは次のような法を指示する。すなわち、共有地に権利をもついかなる者も、ぶどう畑の支柱用木材を伐ることができ、1カ月で利用すべきであり、できるだけきちんと適切に伐採して、積み上げるべきである。そうしない場合は、10フントの罰金を科される。共有地に属するいかなる者も、そうした木を自分の手に引き取ることができる。
 われわれは次のような法を指示する。すなわち、上述のようにそうした支柱用の木を伐採し積み上げた者は期限内に家に持ち帰るべきであり、そうしない場合、10フントの罰金を科され、共有地に属する他の者はそれを家に持ち帰り、自分の手に入れることができる。
 われわれは次のような法を指示する。すなわち、共有地でオークの枝を伐ってはならず、これに違反する者は、それがオークの実である場合、違反のたびに10フントの罰金を科される。
 われわれは次のような法を指示する。すなわち、共有地に住みそれに所属する車大工は、ブナとオークの木を伐って、手押し車と犂をつくることができ、製作するものを、共有地に住みそれに所属する者に売るべきである。これに違反する者は、10フントの罰金を科される。
 われわれは次のような法を指示する。すなわち、木鉢製作者はハンノキ、ヤマナラシおよびシラカバの木を伐ってもよいが、それら以外は伐ってはならない。それらから製作される木鉢を、共有地に所属する者に売るべきであり、これに違反した場合、いかなる者も10フントの罰金を科される。
 われわれは次のような法を指示する。すなわち、炭焼きはすべての倒木、風で倒れ横たわっている古木を炭に焼くことができ、それ以外の緑樹を伐ってはならない。木炭を共有地に所属する者に売るべきであり、これに違反するたびに、10フントの罰金を科される。
 われわれは次のような法を指示する。すなわち、すべての罰金は共有地番人の報酬にあてるべきであり、その残りの半分はわが慈悲深き選帝侯のものとすべきであり、他の半分は共有地に所属する農村民のものとすべきである。
 われわれは次のような法を指示する。すなわちノイエンハインの住民は、街道の外側にいる場合は、共有地に権利をもたないが、慈悲により権利を得た場合は、彼らは木材が共有地から持ち出されて、ネッカー川を渡ったり下ったりすることがないように見張るべきである。彼らが見張りをしないときは、彼らを排除して、共有地に権利をもたないよそ者と同様に、共有地で差し押さえ、罰金を取ることができる。
 われわれは次のように問われた。すなわち、共有地の森林の木を売る場合、いかなる者の妨害もうけずにネッカー川へ運ぶにはどうすべきか。われわれは、共有地の森林、道路、水路およびすべてに、これまで共有地がもってきたとおりの法を指示する。


 4-1-7 シュトラーセンハイム Strassheim (1484、1533年)


(シュトラーセンハイムは今日のマンハイム市の一地区)

  これはキリスト生誕後1484年のシュトラーセンハイムのフーフェ裁判所のヴァイストゥームであり、1533年に一語一語48年と同じ内容の条項が次のように更新された。
 フーフェ農裁判所は、次のような法を指示する。すなわちハントシュースハイムの貴族領主でヴェスターリッヒ在住のヨーハン・フォン・ヘルムシュタットおよびシュトラーセンハイムの村域内の代官・領主のクリシュトフェル・フォン・ハントシュースハイムは、不法および不当行為が起きた場合に罰する権限をもち、いかなる村長も上述の貴族領主のために古くからのしきたりと慣習によって、次のようにフーフェ保有農民を取り扱う。
 最初に、いかなる宣誓フーフェ保有農民も、召集をうけなくとも、聖ガルスの日(10月16日)の次の月曜日の9時にシュトラーセンハイムのフーフェ裁判所を訪れるべきであり、身体あるいは領主に非常事態が起きた場合は、その日に召集されるべきであり、これにしたがわず欠席すれば、4.5ウンツ・ヘラーの罰金を科され、これは裁判所の貴族領主のものとなる。
 フーフェ農裁判所は、次のような法を指示する。すなわち、いかなる者もフーフェの穀物地代を聖母マリアの誕生日と被昇天の日の 間(8月15-9月8日)に納め、シュトラーセンハイムの村長に販売用穀物を引き渡すべきである。村長がそれを受け取らなければ、彼は地代を納めるフーフェ農地の一区画を返還することができる。彼はそこで穀物を計量してその証明書を得られるなら、その年度の彼の農地義務を免除される。そうしない場合は、貴族領主から指示された場所まで作物を何マイルも運んでいくべきである。上述の目的地に地代を持参しない者があれば、上述の貴族領主が法にしたがって訴えをおこす。
 フーフェ農地が譲渡されたら、いかなる相続人も1アイマ―のワインを納める義務を負い、それはフーフェ農裁判所のものとなる。
 宣誓によってフーフェ保有農となる者は、1アイマ―のワインを納めるべきであり、それはフーフェ農裁判所のものとなる。当地の村域に他村落または他領主のフーフェ裁判所に属する農地を持つ者が、その裁判所の裁判を必要とする場合は、裁判所のフーフェ保有農と同じようにワインを納めるべきであり、そのワインの量は1アイマ―である。
裁判を年度内に必要とする者は、村長に裁判を要求することができ、村長は在宅しているフーフェ保有農に裁判への協力を命じ、フーフェ保有農はこれにしたがうべきである。また身体あるいは領主の緊急事態が生きたら、村長はその日に裁判集会を召集すべきであり、そうしないでこれを怠った場合、彼は4.5ウンツ・ヘラーの罰金を科され、この罰金はフーフェ保有農たちのものとなる。裁判に敗れた者は、その日にフーフェ保有農が飲食に消費した費用を支払うべきである。
 他村の者がシュトラーセンハイムの村域内の彼のフーフェ農地を耕作する場合、彼はそこの放牧地に馬で来ることができる。彼が農地を耕しているとき、雨が降ったら、彼は牧場に馬で行き、天候の回復まで一定時間待つことができる。天候が回復したら、彼は馬に鞭打って再び農地に戻り耕作することができる。しかし天候がその間に回復しなければ、彼は帰宅すべきである。天候が回復し耕作できるまでの間は、彼は牧場へ馬で行くべきである。
 しかし彼が耕作している間に休日になったら、彼が休日前の晩馬に鞭打って帰宅し、再び勤労日になったら、耕作すべきであり、上述のように馬で牧場へ行くべきであり、彼が一つ以上の違反をすれば、シュトラーセンハイムの住民は、そのたびに彼らの放牧地で彼を差し押さえることができる。
 農地に損害をこうむった者は、村長に訴えて、その年に検査して損害がどのくらいか、調べる者を任命してもらうことができる。その場合、彼らがこの案件をどのように調べるかははそのまま保留しておき、翌年の定例裁判集会で損害調査をおこなう他の有用な2人を選び、フーフェ農裁判所はこの2人に損害を調査するように求めるべきでる。今回かかる費用を算出して、農地に損害をかけた者から回収することができる。
 村長がフーフェ農裁判所に裁判を命じる場合、そのとき裁判を求める者が裁判所に納める金額のうち1シリングが村長の報酬となる。
 いかなる者も聖マルティノの日(11月11日)に耕地の耕作を始めるべきであり、彼が耕作の途中だったら、その期日にはすでに冬畑の耕作にとりかかっていることになる。そうしないで、その数日後になっても耕作にとりかからない場合は、懲戒金として6ペニッヒを科され、その金額はシュトラーセンハイムの教会に納められるべきである。夏畑は聖ゲオルギオスの日(4月23日)に耕作にとりかかかるべきであり、これに違反した場合は上述の懲戒金を科される。
シュトラーセンハイムの荘園民は耕地垣根のつり落とし戸とともに垣根も維持修理すべきであり、その耕地に種まきがなされたら、そうした作業をおこない、それを怠った者はそのとき上述の罰金を科される。
シュトラーセンハイムの村域内に耕地をもついかなる者も、その耕地に種まきをおこなうことができる。彼が種まきを終えたら、しきたりとして、彼は聖ガルスの日(10月16日)の前の月曜日に定例裁判集会を要求することができる。フーフェ保有農はその日に協議をおこなうべきである。彼らが耕地境界の検査をおこなおうとする日に、これに出席して余裕の金銭をもつ者がいれば、その大部分は、フーフェ保有農が当日飲食する費用を払うべきである。
 この文書は同じ内容の四つの紙片に分けられ、シュラーセンハイムの村域の3名の代官、すなわちディーター・フォン・ハントシュースースハイム、ヨーハン・フォン・ヘルムシュタットおよびクリシュトフェル・フォン・ハントシュースハイムがそれぞれ1枚を、フーフェ保有農たちが第4の紙片をもつ。
 前述の三王の日(1月6日)の後の土曜日、出席者によって次のような協定がおこなわれた。
 第一に、古くからのしきたりにより、家畜番人のためにいかなる荘園民もそのめ牛頭数に応じて報酬を支払うべきである。
 第二に、荘園民は常に1名の耕地番人を雇って報酬を支払うべきであり、彼は畑を監視し、村長に対する宣誓にもとづいて、毎日曜日に摘発をおこなうべきである。
 第三に、昼間のめ牛や馬の違反に対する罰金は9 ペニッヒで、軽率または危険な違反に対しては5シリング、夜間のめ牛、馬および豚に対する罰金は危険がなければ1フント、危険を伴う場合は5フントの罰金を科す。がちょうに対する罰金は6ペニッヒである。
 第五に、荘園民は耕地垣根のつり落とし戸と垣根を裁判集会の裁定にしたがって維持すべきであり、違反者はその内容に応じて罰せられ、その罰金は教会のものとなる。
 第六に、荘園民は聖マルコの日(4月25日)の午後常に播種する畑の境界区分をおこない、いかなる荘園民もみずからそこに立ち会うべきである。身体に異常があって、それをできない場合は、貴族領主に1フントを納めるべきである。
 第七に、荘園民は聖マルティノの日(11月11日)の4週間後には古い溝を開けるべきであり、そうしない者は貴族領主に1フントを納めるべきである。
 第八に荘園民は羊小屋、納屋および厩舎を修繕して良い状態に保ち、遅滞なく屋根を修すべきである。

 4-1-8 ザントホーフェン Sandhofen (1527年)


(ザントホーフェンは今日マンハイム市に属する)

  1527年聖マルティノの日(11月11日)の後の水曜日、ハイデルベルクの騎士で現職代官である高貴で厳格な領主エンゲルハルテン・フォム・ヒルシュホルンと誉れある領邦書記ガブリエル・ホーミュラーの同意にもとづき、シェーナウの現職修道院長のわがローレンティウム・オルトを通じて修道院の承認を得て、ザントホーフェン村の裁判所と村民が定例裁判集会で宣誓によりおこなう裁定、およびシェーナウの領主がその村落と領民に対してもつ法、村落と領民がシェーナウの領主に対してもつ法が、記された。それはザントホーフェンの村長、参審員および全村民の同意を得て、古い白書の内容にしたがって記された。
最初に、領主または領主が代理として裁判所に派遣した修道士は、裁判所と村民に次のように尋ねた。すなわち、裁判所がこれまでおこなってきた裁定を授受することを望んでいるのかと。
彼らは「はい」と答えた後、領民はわが慈悲深き選帝侯に最高保護権およびあらゆる命令の権限を認め、首とうなじに対する裁判を彼の慈悲深き意志にゆだねる。 
 彼らは次のような法を指示する。すなわち、水と放牧地と鳥の餌場はシェーナウの領主の所有であり、村民が利用しうる共有地は、ザントホーフェン村の村域が及ぶ範囲に限って、彼らの権利に属する。
 聖ゲオルギオスの日(4月23日)に村から領主に25シリングを納める。
領民は聖母マリアの誕生日と被昇天の日の間(8月15-9月8日)に70マルターの穀物と2フントの金銭を納め、それらを彼らの家と村の負担でヴォルムスへ届けるべきであるが、領主がその費用を他の家に負担させようとするなら、領民は輸送費を拒める。
シェーナウの領主が求めるなら、いかなる家内奉公人も領主に1日の賦役をすべきである。
 領民が住むいかなる家も、領主に謝肉祭のにわとりを納めるべきである。
 ザントホーフェンに賃金を稼ぐ領民がおり、領主が他の領民よりも彼らにまかない費用と賃金を与えたいとおもうときは、他の領民より彼らを優先的に助けるべきである。ただし彼らが継続的な仕事をもつ場合は、強制することはできない
 村民は領主がもつ沼沢地と呼ばれる採草地を維持すべきであり、馬をもつ者は全員、1頭をもつ者も、6頭をもつ者と同様に、シャールへ行くべきである。
 領主はその採草地と放牧地の草刈りをする場合、共有地の草刈りも、支障のないようにおこなうべきである。
 シェーナウの領主は裁判所と村落の正当な領主であり、裁判所に対する任免権をもつ。
 村長は毎年聖ゲオルギオスの日(4月23日)に就退任する。
 村民が村長を留任させたいときは、彼は聖人に誓って領主と村民の法のために尽くすよう心掛けるべきであり、そうでなければ、村民は彼の留任を望まないだろう。
 シェーナウの領主は、村長が退任して、他の村長を選ばなくてはならない場合、1年のうち聖ゲオルギオスの日以外に村長を交替させる義務を負わない。
 領主は村で年2回、販売用のワインを提供し、隣人に対するようにワインをふるまうことができる。当地にワインを売る飲食店主が1人または数人いれば、彼らはそのとき領主のワインが飲み尽くされるまで、彼らのワインをしまっておくべきである。
そのワインがしかるべきときになくならなければ、村に住んでいるいかなる者も、共有地に彼がもっている持ち分に応じて、相応の費用を払うべきである。その後ワインが飲みつくされてしまったら、ワインを飲食店で売る権利をもついかなる者も、ワインを売ることができる。
 シェーナウの領主がザントホーフェンの村域内に2台の犂の台座を置き、われわれの所に住む耕作者をもたず、領主みずからが耕作しているなら、耕作に使う家畜に水と放牧地を利用することができ、その場合には、他の一般村民と同じように貢租を納め、賦役をおこなうべきである。
 共同耕地監視人には2人分の共有地を与える。そのかわり彼らは垣根作りや穴堀りその他の勤務に村民2人分の働きをすべきである。
 ホッホハイム採草地と呼ばれる24モルゲンの採草地があり、村民が必要とすれば、その採草地の草をとっても、領主は罰してはならない。
 皮なめし所かられんが製造所まで正規の街道が、村を通っている。道が狭すぎる場合は、村民は遠くへ行く彼らの家畜にとって十分な通り道をつくり、道路の傷害となるものは、すべて道路工事によって除去することができる。
耕地番人は彼らの屋敷に行き、何者にも損害の起きないように、耕地垣根のつり落とし戸のための木をそこで探すことができる。
村には小屋のそばを通ってハルトへ行く道があり、それはわだちの一方幅が2ルーテの広さの道とすべきである。
隣人がシェーナウの叢林で違反行為をすれば、彼から30シリングを徴収することができる。しかし彼が良い担保をもち合わせていなければ、彼の家まで彼を追跡することができる。彼が違反行為をおかして、れんが製造所まで入って行くなら、彼はこらしめをうける。彼が木を伐って音をたて、木を荷車に積んでやって来る場合、彼は領主の保護をうける領民であるので、安易につかまえてはならない。
 ハルトは共有地と指定されており、そこで作物が成長して、藪地が耕地に変ったら、他の砂地と同様にそこからも領主取り分の作物を彼に納めるべきである。いかなる者も施肥することなくその耕地を耕すことができ、領主にその作物の取り分を納めるべきである。作物の分配監視人がどこかほかの農地におり、そこに分配監視人が居合わせなければ、シャールへ行くべきであり、そこで分配監視人を探すべきである。そこにも彼がみつからなければ、いかなる者も自分の取り分を損失のないよう家に持ち帰ることができる。
 自分の取り分を家に持ち帰った者は、領主にその取り分を残しておく分配監視人を探さなかった場合、領主は彼に対して25シリングの担保を差し押さえることができる。
 いかなる隣人も同上の砂地で畝をつくることができ、彼が畝づくりをまかされた8日の間、誰も彼を妨げてはならない。8日間が過ぎても彼が畝をつくる耕地作業が終らなければ、他の者がそこに行って耕作することができる。
多くの畝づくりをしようとして耕地づくりを完了しなかった者をかばおうとする者がいれば、領主は耕作されなかった土地を測量し、その量に応じて、耕作地において彼の取り分を取得することができる。
多くの耕地を耕作して、貧乏のため種まきできない者は、彼の耕作で失った分を、領主に納めなくてもよい。
村民は領主に共有地の5区画の草地を与え、そのうち3区画は、領主が上流から下流へローバンス・ハウスまでの水路を村民に損害のないように維持管理するために、与えられる。
同上の水路の一部は庭園の中をとおり、この水路に接する者は水路のための溝掘りをすべきであり、水路を改良し、水路の損傷を防ぐべきであり、もし水路が損傷したら、年間のある時に査察をおこない、村民はいつでも5シリングの罰金を科すことができる。
 他の2区画の草地は、放牧地にある村道のうち、牧師通りとハイデスヘメルン通りの草地から与えられる。
村長にも5区画の草地が割り当てられ、領主の下男が2-3人来る場合は、彼はそこから干草を与えるべきである。しかし彼らがエン麦を飼料とする場合は、その代価は村民が支払うべきである。
 しかし彼らが3人より多ければ、他に村落から彼らに与える草地の区画がなければ、彼らは自分で見つけた場所の干草を取得することができる。
 村長は、共同体に属するすべての権利と共有地を、ほとんどの農民と同じように、自由に与えられる。
村長は、必要な場合、村民を訴え糺すべきである。しかし、暴力沙汰の場合は、村長は1-2名を彼のところへ連行し、彼らが飲食に消費するものは、村民が支払うべきである。
 2名の耕地監視人の1名を村民が任命し、もう1名をシェーナウの住民が任命すべきである。しかし、シェーナウの住民が任命する監視人が村民に適さなければ、村民は領主に4.5ウンツェを納めて、彼らに適する他の者を任命する
領主が必要とおもう場合、領主にしたがって、村民に命令すべきである。そのかわり、領主は廷吏に荷馬車に満載した干草を与えるべきである。
 シャレンベルクと平野との間の共有地は正規の共有地である。シュヴァーベン人、バイエルン人が搾乳時間と次の搾乳時間との間に家畜の放牧にやって来たら、いかなる者も彼を阻んではならない。
 ロルシュの領主の所有地と溝との間の共有地は真正の領邦の共有地である、シュヴァーベン人またはバイエルン人はそこに放牧地を求めることができるか、必要ならば、搾乳時間と次の搾乳時間との間に放牧することができ、いかなる者も彼を阻んではならない。
 シュペックシュタインからライン川までのケッフェルンタール、ザントホーフェンおよオッパヴェーの間の共有地は真正の領邦の共有地であり、シュヴァーベン人またはバイエルン人は、必要であれば、搾乳時間から次の搾乳時間まで放牧地と水飲み場をライン川に求めることができ、いかなる者もそれを阻んではならない。
放牧地と島の間の水域は真正な水域であり、流れが不安定であるときは、そこに船に乗って出入りすることはできず、それは共有地であるので、村民または監視人がそこに誰かを見つけたら、彼に対して、村の他の罰金と同様な罰金を科すことができる。
聖ゲオルギオスの日(4月23日)の前に村に来る者は村民資格を買うことができる。すなわち、聖ゲオルギオスの日の半日前に品行方正な履歴の証明書を持参すれば3グルデンでただちに権利を得ることができる。彼が村落からした子どもである場合は、その半額を納め、彼がかつて村に住んでいたことがあり、転入を望むなら、4分の1の金額、1フィアテルのワイン、2個のパンおよびチーズを納めるべきであり、そうすれば権利を得る。
村民資格を得たい者は、居住者であれ外来者であれ、聖ゲオルギウスの日にそれを申請すべきであり、そうしない場合は、他日彼にそれを与えなくてもよい。
 居住していた者が立ち去り、他所へ移住しようとして、村の垣根まで彼の家財をもっていき、後悔して戻ることを告げるなら、再度村民資格を買うべきである。
 家を売りたい者は、シェーナウの領主に申し出るべきである。領主がそれを買おうとするなら、彼は他者より先に領主に申し出るべきである。そうしない場合は、シェーナウの領主は文句なく他者を排除することができる。
 シェーナウの領主はザントホーフェン村に養魚池をもち、それは彼の所有なので、いかなる村民もシェーナウの領主の許可なくそこで魚をとってはならない。そこで魚をとる者を、領主は彼の意志で罰することができる。シェーナウの領主は養魚池と村の溝との区別を常に保ち、シェーナウの養魚池と溝を一まとめにして共有地とみなすことがないように配慮すべきである。
 領主がれんが用土の穴を掘ったら、それは村のものとなり、領主はそれをそのまま放置しなければならない。そこで魚を獲ることができる場合は、いかなる者にもその権利が認められる。
 沼沢地は草刈りのための土地であり、農民が放牧地を必要として、3人がそこで開墾するなら、いかなる者もそこで放牧する権利をもち、領主はそれを阻んではならない。
 見知らぬ外来者が来たら、彼は村の領主以外には協力しないことを聖人に誓うべきであり、そうすれば領主は彼に法を保留する。その者が当地に住み、長い間領主にしたがうなら、シェーナウの領主は彼を農奴としてうけいれることができ、彼を信頼してあらためて保護する。
 村民は慈悲深きわが選帝侯の沼沢地を良く管理すべきであり、馬をもつ者は指示された場所へ行き、多くの馬をもつ者はその分だけ多くの馬を連れて行くべきである。
 上述のような輸送がおこなわれるとき、なされなければならない奉仕は、能力に応じた輸送といわれ、いかなる者も彼が村で享有するものの応じて、提供すべきである。
 砂地を借りる者はすべて、9年間に3回耕作しなければ、他の者もそこに入る権利をもつ。
 ロックスハイムの船頭はザントホーフェンの村民であり、ザントホーフェンのいかなる住民も年に2回、謝肉祭とクリスマスにパンを納めることによって乗船しうる。
 しかし馬または馬車で出かける者は、ライン川が穏やかなときは、外来者の半分を払えばよいが、水かさが増したら、外来者と同額を船賃として払わなければならない。
 船頭は毎年4回定例の裁判集会に出席し、毎回14ヘラーの価値あるものを持参すべきである。そのかわり、誰かが彼から逃げて、村の中まで彼が追いかけたら、村民は彼を助けるべきであり、彼に正当な報酬が支払われるように、援助をすべきである。
 船頭が4回の裁判集会に14ヘラーの価値あるものの納入通知を受け取らず、村民資格をもってない場合、村長は村民とともに許してもよいが、村長は半フィアテルの穀物と同じ重さのハンマーを取り、岸に立ち、ハンマーをライン川のできるだけ遠くへ投げ入れるべきであり、船頭はそれを越えて航行するたびに、領主に罰金を徴収される。
 村の秩序が乱され、混乱させられられ、領民は力づくで、あるいは自分の意志で、立ち去り、3人以上残らず、これら3人の家の奉公人は領主に穀物貢租を納め、いかなる家内奉公人も1年に1日賦役をおこなうべきであるという規定にしたがって、賦役をおこなうなら、彼らの多くがそうであったかのごとく、共有地と村落裁判のすべてに権利をもつべきであり、領主は彼らの権利を狭めたり妨げたりしてはならない。
 次のように法を指示する。すなわち、領民が多かれ少なかれ彼らの共有地を彼らのために最もふさわしい方法で取り扱うことができるように、シェーナウの領主は村落のために奉仕すべきであり、シェーナウの領主は領民の権利を狭めたり妨げたりしてはならない。
, これら上述の法は年4回全村民に指示され、古くから伝わるしきたりである。
 しかし、領主がもっと良い文書を提出し、多くの村民がここに書かれているものより良いと認め、それが領主または村民にとって役立つなら、いかなる者もそれを尊重し、傷つけてはならず、もし忘れられるようなことがあれば、領主または村民のどちらかがそれを失ってはならない。


 4-1-9 フィルンハイム Virnheim (1562年)


(フィルンハイムはマンハイム市のすぐ北に位置し、今日のヘッセン州に属する)

  本日は定例裁判の日であり、異議をもつ者はすべて、慈悲深きわが領主の裁判と法を求め、慈悲深きわが領主にかんすることであれ、村民にかんすることであれ、誰にかんすることであれ、何ごとにかんすることであれ、告発すべきことすべてを告発すべきである。彼が本日沈黙しようと、別の機会に語ろうと、彼が怒ろうと酔っぱらおうと、その結果彼に起きることを、彼は知ることになるだろう。
 参審員は次のように法を指示する。すなわち、村落領主は繁殖用家畜の半分をもち、司祭は3分の1をもつべきである。また、家畜の群れをどのように分けるかについても、指示される。
 参審員は次のように法を指示する。すなわち、フローンベルクからヴァインハイムの生垣まで、教会から石の十字架まで、垣根で囲まれた区域を維持管理すべきである。
 参審員は次のように指示する。すなわち、シェーナウの住民が修道士の農場で果樹園を管理すべきであり、もしふしだらな女がそこに通りがかり、妊娠したら、多大な支障が生じることのないように、彼女にその結果を償わせることがのぞましい。
 参審員は次のように指示する。すなわち、シェーナウの村落住民でなければ、去勢された雄羊のほかに飼ってはならない等。
 参審員は次のように指示する。すなわち、2人が外出して、石橋で仲たがいをして、こん棒または刀を取り出し、頭がヴァインハイムの側に倒れたら、シュタルケンベルクの領主の裁判管区に属し、反対側に倒れたらエッペルバッハの領主の裁判管区に属する。


 4-1-10 ロルシュ Lorsch (1423年)



(ロルシュは今日のヘッセン州南部の町で、当時マインツ大司教の狩猟区が設定されていた。),


  神の名においてアーメン。このドイツ語文書を将来見聞するか読むであろうすべての者に次のことを知らせる。すなわち、キリスト生誕後1423年、最も神聖な法王マルティノ五世の時代、最初の15年紀に聖乙女ゲルトルートの日にあたる3月17日12時の頃、マインツ司教領にあるプレモントレ会のロルシュの修道院の前庭で、とくにこの前庭の中の石造家屋とつるべ井戸の間にフーフェ保有農裁判所が開廷され、この案件のために求められ要請をうけた公的書記と後述の証人たちが出席し、後述のフーフェ農裁判所の村長と狩猟林フーフェ保有農が裁判所に出廷した。彼らの氏名は、村長ハマン・コッハ、ヴァルデックのエーミヒ・ベス、ハンス、ヴォルフスケーレのハンス、ランデッケのジクフリート、シュヴァインハイムのハインリッヒ、ブライテンバッハのウーライン、ルッカースハウゼンのシュテファン、クンツ・ガイリング、エーベルハルト・シュヴェンデ、ヘーネ・ラベナルト、クライン・ヘネ、クーノ・アルハイム、ベンスハイムの都市書記コンラート、シュヴァインハイムのヨスト・ヨステ(息子)、アンテス・ファッケ、ハマン・ファッケ、ウンミルデ、シュヴァインハイムのローレンツ、ブライデンバッハのハインツ・ヴンクラー、ノルトハイムのハンス・ヴェッツェル、ペーター・グロス、床屋ペーター、エルバッハのクリスティアン(兄弟)、シェーナウのペーターおよびハンス(兄弟)、アーノルト・マイスチェ、ヴェルナー・コットラー、ハマン・シュタルケ、出納役の息子ハイニケン・コンツェ、ローデンのヨスト・ハルトマン(息子)、ヘルマン・シュピーラー、クラウス・フッセル、クンツェ、オデッファー、ヘニケン・アルハイム、ミヘル・ベッカー、ヨスト・ジーモン、ゼーエムの触れ回り役クラウス、ヴィンハインのハンス・ゲルラッハ、ハマン・シュムレ、シュヴァルツハンス、ヨッケル・ミヘル、ハマン・ウルリヒ、ヘンリク・ヒルテブラントである。彼ら全員はロルシュの狩猟区の狩猟林フーフェ保有農である。ロルシュのこのフーフェ農裁判所には、ディーブルクの尊敬すべき堅実な司祭でヘッペンハイムの出納役コンラート・シュネルと、シュタルケンブルクの出納長・城伯ディーターが、マインツの賞賛すべきコンラート大司教の代理として出席を求められ、上述のハマン・コッホ村長も出席を求められ、大司教はロルシュに属する沼沢地における狩猟区ががどれほど大きいか、またこの狩猟区にある農民フーフェはどれほどの数で、いかなるものかをフーフェ保有農たちに問うた。それに対して、村長とフーフェ保有農たちは次のように答えた。すなわち、すべてが記載されている目録、記録、覚書が存在し、そこに含まれていることは昔から指示され守られており、将来も指示され守られるべきであり、これらの記録、目録および覚書を上述のヘッペンハイムの出納役コンラート・シュネルが、上記のフーフェ裁判所で出席者全員の前で公開し確かめるべく、一語一語読みあげた。それは一語一語以下のとおり書かれており、次のような文言で始まる。
。これは沼沢地における狩猟区であり、ロルシュに属し、ベッシングのヴェステンゲーベルに沿って、ベルクシュトラーセの車輪のわだちの上をネッカー川まで行き、ネッカ-川のノイエンハイムに3つの開墾区画がある。そして再びネッカー川を下りライン川のオーゲルスハイムとシュトゥーデルンハイムまで行く。そこはかつて古ライン川と呼ばれていた。再びライン川を下り、エンゲルシュタットからモダッハという境界標まで行き、モダッハからベルケへ、ベルケからドルンハイムのオッターシュタットへ、そこからブライデンバッハの前の羊牧場を越えてゲーベンボルンへ、ゲーベンボルンからさらに八ラスの前へ、そして再びベッシンゲンのヴェステンゲーベルに戻る。狩猟区内には74フーフェがあり、それぞれマインツの司教、カッツェネルンボーゲンの伯爵とビッケンバッハ川のために5ウンツを納め、フーフェ保有農民たちは聖ゲルトルートの日にマインツの司教にロルシュで狩猟区について判決をおこない、出席することなく、法によって期日通り地代を納めないいかなるフーフェ保有農民からも、マインツの司教は、フーフェ保有農民たちの判決による罰金を徴収すべきである。ここでは次のようなフーフェ保有農民を指名すべきである。
 最初は、グライスハイム、ハルテナウ、ゼーエム、ウアバッハ、ヘッペンハイム、ヴィンハイム、シュリースハイム、フィルンハイム、エーディックハイム、シャレ、キルトガルシュハウゼン、ランペルヨハイム、ビュルシュタット、ビプロス、ボルハイム、ゲルンスハイム、ビーベンスハイム、フレンクフェルト、シュトックシュタット、ヴァクセンビプロス、シュヴァインハイム、フッセン、ケッセナウ、ブライデンバッハである。フーフェ保有農民たちは年に一度聖ゲルトルートの日にマインツの司教の狩猟区について判決をおこなう義務を負い、それ以外は義務を負わない。しかし、マインツの司教がその間に判決を得ようとおもうなら、彼は片目の使者を送り、使者は片目の馬、靭皮製のあぶみ紐、木製のあぶみおよび吊り拍車を得て、馬に乗るか、徒歩によるか、どちらかで、フーフェ保有農民の狩猟区フーフェの家に来るべきである。法にしたがって使者が来たら、フーフェ保有農は、家の中にあるものを彼に与える義務を負う。ただしそれ以外の義務はない。このとおりに彼が使者に与えるなら、使者はロルシュに来なければならない。しかし、そうでない場合は、使者は来なくてもよい。
 当狩猟区ではいかなる者もマインツの司教の承諾なく狩猟をしてはならない。騎士が他彩色の衣服を着て、黒テンの毛皮の帽子をかぶり、イチイ製の弓をもち、絹製の弦をもち、
銀製の櫛をもち、クジャクの羽を荷車に積んで、まだら模様の耳をもつ白い猟犬を絹製の綱につないで、やって来たら、彼のdeigeld(どんぐり税の徴収?)に賛同すべきであり、妨げてはならない。しかしマインツの司教の許可なくそこで狩りをして、鹿を捕える者がいたら、その代金3グラウビュンデン・フントと櫛で毛づくろいした1頭のお牛と直立した角、1頭のめ鹿、1頭のめ牛を前記3フントの金額に添えて支払う義務を負う。シジュウカラの代償としてはめんどり1羽とひよこ12羽および3グラウビュンデン・フントを支払う義務を負う。
 フーフェ保有農民がここに規定されている現行犯として、聖ゲルトルートの日(3月17日)に宣誓にもとづき告発した者は、ここに規定されている罪を負う。すなわち、ろくろ細工師を現行犯で逮捕したら、彼の手を切り落とすべきである。また編み物職人の場合は親指を切り落とすべきである。フーフェ保有農民が現行犯として告発し、それを否認しようとするなら、告発された者の足の親指を互いに結束し、両脚の間に締め棒を通し、樽一杯の水の中に彼を投げ込み、彼が水の上に浮かび上がったら、彼は無罪である。しかし沈んだら、彼は有罪である。しかしフーフェ保有農民が彼を悪評ゆえにで告発するなら、彼はそれに対する無罪を証明すべきである。
 耕地を焼く者または森林に火をつける者を捕えたら、彼を連行して、風呂桶の中に拘束し、1フーダーの木材を用意して火にくべ、火から9シューの高さに彼を素足で座らせ、彼の足許の底板が焼け落ちるるまで座らせるべきである。狩猟区で開墾する者がいれば、上述の領主は、二度とそうしたことが起きないように防止すべきである。また狩猟区のフーフェ保有農民は、古い法としきたりにしたがい、ロルシュで判決をおこなうべき聖ゲルトルートの日(3月17日)に一度だけ食事を提供し、マインツの司教のために祝い、伯爵のために祝い、ビッケンバッハの住民のために祝うべきであり、一度祝えば、それ以上jは祝わなくてもよい。
 当フーフェ保有農民の法によれば、彼ら、または自分のフーフェに住む者は、他の農地を耕作する場合、賦役または貢租を負担してはならず、地代を納めてもならない。またそのフーフェで不法行為をなす者がいれば、フーフェ保有農民に罰金を払うべきである。彼がフーフェで家畜を飼育しているなら、家畜は自由に森へ入るべきであり、フーフェ保有農民はミールバッハで木を伐り、荷車の刻み目のない柵柱に用いるべきである。彼はグレートハウンド犬以外の2頭の犬をもち、それで闘うことは彼の権利である。フーフェ保有農民が狩猟区のフーフェで富裕になったら、そこで作ったものを渡し船に積んで、海へ出て、赤い盾座の星座が見える範囲まで自由に航行することができる。そのような問題でフーフェ保有農民に損害を与える者がいれば、彼を領主に訴え、彼を裁いてもよい。彼を許さない場合は、法に反しない限り、彼に地代を課すべきである。木を腐らせたフーフェは領主に2倍の地代を納め、フーフェ保有農民たちに販売可能な最良のワイン、1アイマ―を納め、深皿に1ファウストの高さに盛った焼肉12、高級パン4をチッペン・パン8 とともに差し出すべきである。
 この文書、目録おおよび覚書が完全に終りまで読まれたとき、上述の城伯コンラート・シュネレおよびディーター・カメラー殿は村長とフーフェ保有農民に、次のように尋ねた。すなわち、読み上げられた記録、目録および覚書に含まれ、コンラート・シュネレ殿が読み上げた文書は、昔からマインツのいかなる大司教にも指示され保持されてきたし、今後も指示され保持されるべきか?フーフェ農民たちは、これに対して次のように答えた。すなわち、読み終えられた記録、目録および覚書に記載されているように、またC.シュネレ殿が読み上げたように、昔からマインツのいかなる大司教にも指示され保持されてきたし、今後も指示され保持されるべきである。
 上述の城伯殿は、村長がフーフェ保有農に次のような質問ををすることを求めた。すなわち、キルシュガルツハウゼンのフーフェ農地は常に昔からロルシュの狩猟区に属し、今なお属しているのか?また、フーフェ保有農民が常に昔からそこに存在しており、1422年聖ゲルトルートの日(3月17日)にキルシュガルツハウゼンのフーフェがおこなったフーフェ保有農民のロルシュの裁判に書かれているように、このときまで毎年聖ゲルトルートの日にフーフェ裁判所にロルシュの彼のフーフェの地代を納めてきたことをフーフェ保有農民は承知しているのか?また、彼はこれまでおこなってきた宣誓により、同裁判所に公的にかつ完全にゆだねるのか?
 上述のコンラートおよびディーター殿は村長に、キルシュガルツハウゼンのフーフェを今後どうすべきか尋ねるように求めた。フーフェ保有農民たちは、法にしたがって裁判集会を開き訴えるべきだと、指示し答えた。
 実際に起きた上述の諸問題すべてを、後述の公的書記である私は、後述の証人とともに同席し、実際の行動と成り行きを彼らとともに見聞した。これにかんして前述のディーター・ケメラーはマインツの賞賛に値する領主コンラート大司教の代理として、公的書記の私に、必要な限り、これらの事柄が起きた年、法王、15年紀、日、時刻および場所にかんする公文書を作成するように要請した。その文書の作成には、ロルシュの修道院の後見人である尊敬すべき堅実なヤーコプ、フランケンシュタインのコンラートおよびフィリップス兄弟、アルトハイムのコンラート・クリーク、ハルトマン・ウルナー、・ヴァインハイムのベルナルト・シュヴェンデンほか証言を要請された多くの諸氏が同席した。


 4-1-11 ベンスハイム Bensheim (1421、1473年)



(ベンスハイムは今日のヘッセン州南部の都市)


 神の名においてアーメン。万人に次のことを告げる。すなわち、1473年ハンス・メッシルシュミット、シュピタル・マティス、ベンスハイム市の両市長・・・および同市の都市書記ニコラウスらの尊敬すべき人々が公的書記の私の所へ来て、・・・彼らとともにいずれも70歳を超える2名がマインツ司教領の村落ツェルから来て、両市長はある文書の写しを上述の人々に読ませた。こ

の文書は一語一語次のように書かれている。神の名においてアーメン。すべての者に次のことを告げる。すなわち、1421年尊敬すべきハーマン・デモ―ト、ヘルマン・ベルチ、ハーマン・キッデンビス、クラース・バビスト、ハーマン・キンデル、ガッセン・ペーター、ツェル村の・・・、ヘンヒェン・マティス、治療師ハンス、これらの尊敬すべき人々は全員シェーンベルクの共同体全体を代表するシェーンベルクの住民であり、これらシェーンベルク住民は、マインツの外のクルーツの首席司祭である尊敬すべき賢明なるヨーハン・フォン・ベンスハイム師によって、また宗教問題における慈悲深きわが領主たるマインツ大司教コンラートの代理として出席していた司祭によって、次のような問いに宣誓して答えるよう求められた。すなわち、カッツェネルンボーゲン伯領の採草地、エアバッハの採草地および彼らがベンスハイムのキャベツ畑のうしろにつくった採草地は、小川のあぜ道までマインツのわが領主のものである他の採草地、耕地およびキャベツ畑と合わせて、以前も今も変わらず共有地とみなすべきなのか? しかるに、カッツェルンボーゲン伯領は、ベンスハイムのマルク(共有地)裁判集会に属するオーベンヴァルデンにおける貢租や抵当について何らかの権限をもつのか? そのような問題について、シェーンベルクの住民は協議に加わり、・・・彼らは協議しようと再び上述の場所へ来て、そのような問題について次のように言った。すなわち、われわれが共同でわが領主に宣誓をおこなったうえで問われた問題にかんして、そのような採草地、耕地およびキャベツ畑全体が共有地であったし、今なお共有地であるべきで、そこには多くの衝突があったということを真実と申し上げるほかない。そのときどきに在任していたシュタルケンベルクの城伯もベンスハイムの住民も、彼らにとって不法がおこなわれたという強い異議申し立てを多数おこなった。これと同じく、シェーンベルクの住民もその先祖も彼らの首長に訴え、異議を申し立てた。その後他の問題について、シェーンベルクの住民は次のように答えた。すなわち、カッツェネルンボーゲンの伯領が上述のオーベンヴァルデンにおいて貢租にかかわる罰金や差し押さえの権限をもっていたということを、彼らは聞いたこともないし、記憶にもない。彼らはまた、上述のベンスハイムの最高マルク構成員が・・・・ということを認めた。


4-2 マイン川、ライン川、ラール川、エムス川の間


 4-2-1 オクルッフェル Acruffel (1306年)


  (オクルッフェルはマイン川右岸にある)

 私ハインリッヒはブルニンギスハイムの騎士ヴィンターの息子であり、私ヴィンターも騎士であり。また私クーネはブルニンギスハイムの騎士エルヴィンの従者であり、われわれ3名はこの文書を見たり、読むのを聞いた者全員に、次のように告げる。すなわち、われわれはアルニスブルクの偉大な荘官コンラート・フォン・ベルディルスハイムとオクルッフェルの村で話し合い、われわれ3名は 裁判、貢租および領主支配にかんして、廷吏とともに着席して、われわれが領主の支配のためにいかなる法をもつべきか、廷外へ出て行って相談し、われわれにその結論を知らせにもどるよう彼らに命じた。
 彼らは外に出て行き再度戻って来て、一次のような結論を全員一致で告げた。すなわち、彼らは領主と村長をもつべきであり、われわれはオクレッフェル村でフーフェと領民に対する正しい貢租として、11アハテルの穀物、11羽のガチョウの貢租を、二つの聖母マリアの日の間にフランクフルトで、またはわれわれが望む場合はマインツで引き渡さなければならない。そして聖マルティノの日(11月11日)2フントのマインツ鋳貨と2ビンゲン・マルターのエン麦と4シリングのマインツ鋳貨を5月に、裁判に出席したいかなる者も謝肉祭の鶏1羽を納めるように望んだ。また彼らは、不法行為があれば、われわれがおこなれた不法行為について裁くべきであると付け加えた。
 これは全員一致の追加なので、彼らは聖体の上に手を置き、われわれはわれわれの前記の村において正しくこれを守り、農民と土地保有者を決して脅かしてはならないことを皆で誓った。しかしそうしたことが起きたら、彼らはできる限り自衛すべきである。
 さらにわれわれは当文書に言及すれば、それは領民がわれわれを満足させるべきことを誓った文書で、法として正しい。
 こうした文言の証人は次の人々である。すなわち、村長ディ―ドリッヒ、ヘルブルト・クルンシュトラー、フリードリッヒ・フィスバー、コンラート・ドゥーバー、ハインリッヒ・ヴォリンベリンの息子、ハインリッヒ・カールマン、ヤーコプ・ラインボディンの息子、ヘルブルト・フィンケ、ボイムント、ゲルラッハ・、ダイケ・ペディーア、コンラート、グラヴィンと称する人々、ヴェルンバーとシュテッツ、トゥロンの土地保有者夫人、ヴィーガント・ノルキンスフーダー、アーノルト・フォン・ハイディルスハイム、メンゴス・フォン・ヘイディルスハイムおよびその他多くの良民。
 確実で永遠の原文書によって、われわれ3名はアルニスブルクの領主にわれわれの印章をこの文書に押印する。この文書は1306年につくられた。

 4-2-2 ニーダールーダーバッハ Niederluderbach (1483年)


  (ニーダールーダーバッハはヘヒストの近傍に位置する)

 参審員の最多の意見はわれわれに教示され、彼らは荘園における次のような法を領主に告げた。
 エッペンシュタインの領主は聖レミギウスの日(10月1日)の翌日下僕と3人で馬2.5頭を連れてやって来て、荘園では廷吏が彼らを迎え、馬を引取り、荘園で育てた飼料を馬の耳の高さまで届くほどたっぷりと与えるべきである。馬が1頭または数頭逃げ出したら、馬が再び見つかるまで、代官荘園は閉鎖されるべきである。荘園内で不法行為をおこなう者を見つけたら、エッペンシュタインの領主のために彼を拘束することができるように、さらし台にそのくさびとはさみを備えるべきである。上述の領主は荘園で木材、腐敗物を不当に満載し、吹き曝しにしてある荷車をみつけるべきである。家の中で火から有害な煙を出してはならない。食卓を白くてきれいな布でおおい、その上に白パンとライ麦パンそれぞれ半分からなる半アハテルのパンを置き、一方はフランケン産のワイン。他方は粗製ワインからなる2種類の半フィアテルのワインを2つの缶に入れ、一方の缶にはふたを付け、他方はふたなしとする。また32 本の料理用焼き串を若いハシバミの夏の若木からつくり、焼肉は1個につき3マインツ・ペニッヒの値打ちがあり、1個あたり欠損ががある場合は、農地保有者はそれについて罰金を負う。また個数がすべてそろわなければ罰金を納める義務を負い、罰金は1フントのマインツ通貨と1ヘルプリングであり、廷吏は領主に買い足して、損失がないようにすべきである。

 4-2-3 ニッダ Nidde


  (ニッダはフランクフウルト・アム・マインの北東40kmの所に位置する)

まず最初に、代官は任期を終えるたびに彼の保有地をマインツのグレーデンのわれらが敬愛する女領主から受け取るべきである。またこの保有地では、ニッダのフーフェ保有者の名で彼にフランクフルト尺度で250アハテルのエン麦を押さえつけずに積み上げて与えるよう告げる。
 さらに彼には60アハテルのエン麦を押さえつけることなく積み上げてわれらが敬愛する女領主の所有荘園から支給するように告げる。
 さらに彼にはニッダ村内の農民保有地から5アハテルのエン麦を手で均して給付し、代官の補佐官が在席する裁判集会で、代官も彼の領民とともにそれを食べるべきであり、その場合食事付きの3回の裁判集会で領民に損害も負担もかけてはならない。
フーフェ保有農はケーニヒシュタインの白い塔を見張るべき番人の見張り賃50シリングをフランクフルト通貨で支払うことを、代官に告げる。
 自分の世帯をもついかなる裁判管区住民も、教区司祭と鐘突き人を除き、謝肉祭の鶏を代官に納めることを代官に告げる。
 裁判管区内で魚をとるいかなる漁師も年3回それぞれ3尾の若いhelbert fischを代官に納めるように、代官に告げる。
 ニッダの裁判管区の代官に前述の自由について、次のように告げる。すなわち代官または彼の代理は、何者かが来て裁判管区内で暴力をふるうことを許容してはならず、彼らがそれを制止し、彼らは領民をあらゆる不当な暴力から守り保護すべきである。そのことにかんしては、彼らはわれらが敬愛する女領主の修道院領民である。また代官は何者かがワインを村内で売ることを許してはならない。村民は代官の承諾を得て、ワインがどれほどの価値をもつのかあらかじめ見積もっておき、その価値が見積もられたワインを保持していたくない者は、昼間のうちにワインを裁判管区外へ搬出すべきであり、そうしない場合は、代官は村民たちとともにワインを飲み干して、樽を地上に放置してもよい。しかし村民たちはそのような場合も聖マルティノの日(11月11日)まで彼らのワインを売ることができ、それによって何も失うものはない。代官は、裁判管区内で飲み過ぎを許してはならず、規制をゆるめてはならず、そうしたことをする者がいれば、代官は彼を罰するべきである。
 代官は自分を含めて3名で2.5頭の馬を連れて、わが領主の荘園の定例裁判集会に出席すべきである。そこでは廷吏がわが領主の荘園のためにおり、代官の馬を受け取り、連れて来て、馬の腹まで届く麦わらを与え、目の高さまで届くエン麦を与え、耳の高さまで届く干草を与えるべきである。しかし五月の裁判集会では廷吏が領主の荘園におり、代官から馬を受け取って森林裁判管区へ連れて行くべきである。
 代官が彼の親しい人々と語り合おうとするときや、終夜そこに滞在しようとするときは、誰もそこへ近づけないように、鍵のかかったひそかな屋敷と鍵のかかった部屋を代官に用意すべきである。そこにはベッドがあり、それに白い敷布をかけるべきである。屋敷のなかにはさらし台があって、そこには犯罪者を罰することができるひげ、はさみおよび水鉢を備えるべきである。また家の中では食卓を白い布でおおい、その上に2種類のパン、2種類の肉、辛口で粗末でない2種類のワインを置くべきである。その上には3つの酒盃が置かれ、そのうち2つはふたがあり、3つ目はふたが付いてない。代官は家の中で煙を出さずに火をおこし、泥棒には12 本の槍をを備え、槍がなければ、廷吏が注文すべきである。代官はその屋敷に2フーダーの木材を有し、1フーダーは地上に置かれ、もう1フーダーはずしりと重い荷物として車一杯に積まれるべきであり、そうすれば野ウサギが耳を立ててそこを走り抜けることができる。いかなる項目の欠陥があっても、そのたびにわれわれは代官に1フントと1ヘルプリングを3回の定例裁判集会で徴収される。
 代官はわが領主の荘園で村民が家畜に欠損を出さないように1頭の子馬、1頭の雄牛、1頭の雄豚、1頭の雄羊を飼うべきことを告げる。
 領主支配の長である代官が死亡したら、代官所を保有すべき次の代官が、ここに規定されているとおりに代官所を受け継ぎ、マインツのグレーデンのわれらが敬愛する女領主の修道院の首席司祭と参事会から付与れ、上記修道院に忠誠を誓い、その裁判管区と領民を保護し守るべきである。
 代官はホルバッハ川から塹壕まで、国事や禁令に触れる不正とみなされる者を処罰しなければならず、たとえば投網が船の航路を妨げてはならず、航路は猟師が船の舵を取って支障なく進めるように水が常に最良の状態で利用され、航路の幅は7シューとすべきである。もしその水の仕切りや水路に欠陥が生じれば、代官所の官吏と2人の漁師が点検して、不正が見つかれば、いつでも15トゥルヌスのフランクフルト通貨の罰金をただちに科せられる。その15トゥルヌスの罰金に対して代官は市長とともに担保の差し押さえをおこなうべきであり、そうした差押えと罰金は橋を渡らずに、村内で代官と村民によっておこなわれるべきである。
 この裁判管区に土地を相続し居住する者は全員、3回の裁判集会に常に参加し、そうしない者は代官に20ペニッヒを徴収される。
 上記のエン麦は毎年聖マルティノの日(11月11日)までに納められるべきである。そのようなエン麦が聖マルティノの日に間に合わない者は、ホーフハイムの出納官に20ペニッヒを徴収される。

 4-2-4 コストハイム Costheim (1471年)


 (コストハイムはヴィースバーデン市の南端に位置する)

 彼らは宣誓して次のように告げる。コストハイムの村に住み、小舟をもつ者は、マイン川の此岸あるいは両岸に住む者がおーい、おーい、おーいと3度呼び、船頭が彼を乗せに来ようとしなければ、自分の小船に乗せてもよく、船頭は罰せられない。
 彼らは宣誓して次のように告げる。コストハイムのある住民が不法行為によって損失をこうむれば、相手の住民はそれに対する担保を差し押さえられるか、担保を保証しなければならないが、それを暴力で強制してはならない。コストハイムのいかなる家もエッペンハイムの領主に毎年謝肉祭の鶏を納めるべきである。
 村民は宣誓して次のように告げる。エッペンハイムの領主がコストハイムで命令し、その命令が正当であれば、そのような命令に反する者に、エッペンハイムの領主は罰金を科すべきである。エッペンハイムの領主は水と放牧地に対する権限をもち、コストハイムで両方を利用してもよいという彼の恩恵をうける者は、古くからのしきたりによりそれを利用する権限をもつ。

 4-2-5 ラインガウ御料林令 Forstordnung im Rheingau (1487年)


  (ラインガウはライン川右岸の森林地帯)

 本日この覚書の日付で、私、オルブリュックの領主、騎士、ラインガウの代官のヨハン・フォン・ブライテンバッハとそこの書記官コンラート・フォン・ハンゲンによって、マインツの選帝侯の指示と命令により、ラインガウにある御料林の法令が締結された。最初に、御料林番人はわれらが慈悲深き領主が恩恵を与えたすべての者にギルスホルンでアカシデの bureginからグルンデルに至るまで、グルンデルから石の裂け目までの領域で、また石の裂け目からギルスホルンを通過する道まで御料林番人が示すとおりに木を伐るように指示すべきであり、それを超えて木を伐る者がいれば、御料林番人は捕らえて、代官と書記官の前で告発に対する申し開きをさせるべきである。森林で木を伐ることを許可された貴族の使用人は、大きな木を伐るときは、その木を家にもち帰り、幹を祝福すべきであり、家にもち帰った木以外は伐ってはならない。われらが慈悲深き領主によって恩恵を与えられた者はすべて、彼らの家の燃料より多くを森林で利用し享受してはならず、それに違反する者を御料林番人は御料林の基準にしたがって差し押さえられ、弁償するまで彼を放免してはならない。いかなる者も地上から膝より高い幹を伐りとってはならず、これに違反する者は御料林の基準にしたがって差し押さえられるか罰金を科せられるべきである。御料林番人は代官と書記官の承諾なく利用を取り上げたり奪ったりしてはならず、これらの文章は同文の二つの紙片に分かたれ、一方は書記官に他方は御料林番人に渡される。
 御料林令は、私、ラインガウの代官ハインリッヒ・ブルムザーと現書記官によって1531年に作成された。
 本日の日付でこの文書は私、ラインガウの代官ハインリッヒ・ブルムザーと書記官ディーター・ゼリッヒによって、マインツの選帝侯の要求と命令で締結され、法令がラインガウの御料林に制定された。最初に、われらが慈悲深き領主が伐採の恩恵を与えた者全員は、貴族であれ市民であれ、伐採を許可された者には、いつでも伐採が認められ、その使用人が若干の木を伐って、木の最良の枝を最初にもち帰り、その木を祝福し、幹を伐ったりもち帰ったら、それより多くの木を伐ったりもち帰ってはならない。彼らはまた、家の必要や燃料より多くの木を伐ったり利用してはならない。また地上から膝までの高さより高い木を伐ってはならない。指示された伐採の範囲を超える者がいれば、御料林番人は差し押さえて、摘発についてラインガウの代官と書記官の前で弁明させるべきであり、彼が弁償するまで、放免してはならない。若干の村民はわれらが慈悲深き領主から御料林において利用の恩恵をこうむり、まずアウルクハウゼン、ハスマンスハウゼンおよびロルヒは彼らの家の燃料のために採取することはできるが、建築材に用いるものを除いて、枯れ木と風で倒れた木以外の採取は禁じられる。ブレムスターの住民はガチョウを除く家畜を御料林に放牧することができ、同じく羊も聖ヴァルプルギスの日(4月30日)から聖ミカエルの日(9月29日)までの間放牧することができる。またアウルクハウゼンの未婚女性は彼女たちの荷車や犂の修理に必要なものすべてを伐採することができ、また燃料用には、建築材に用いるものを除き、アカシデ、枯れ木および風で倒れた木を取得できる。グラートバッハの住民は彼らの豚を放牧することができ、どんぐりが森の中で落ちていても、彼らはそれをわがものとすることはできない。彼らがわれらが慈悲深き領主からその利用を許された以上に多くを取得する者がいれば、彼は御料林番人によって摘発され、代官と書記官の前で弁償すべきである。従来の供材を御料林から売るために運び出し、自分の家の燃料より多くの木を取ろうとする者は、御料林番人とそれについて命令権をもつ他の者によって、足を踏み入れた村や野で摘発されるべきである。また彼らの馬や手押し車も失い、なおさらのこと代官や書記官によって罰金を科せられるべきである。すべての放牧は例外なく禁止されており、違反は重い罰を科せられる。同じくいかなる貴族または市民の使用人も犬を上記の御料林の中へ連れて行ってはならず、違反すれば、摘発され、代官と書記官によって罰金を科せられる。これらにかんして御料林番人はこれらの条項の全体も個別もすべて指示されたとおりに忠実にしたがうことを誓い、神と聖人に宣誓をおこない、宣誓にもとづいて、誰が違反しているかを忠実に見張り、そのような者を摘発し、愛情、贈与、怖れ、ひいき、血縁その他によって、また金銭を用いて、代官または書記官の承諾なく、御料林から樹木を取るのを見逃してはならない。そしてこの覚書を二等分して、代官と書記官がその一つをもち、御料林番人に他方を渡し、保存させるべきである。1521年聖なる殉教者聖キリアンの日(7月8日)の火曜日の日付。
 アウルハウゼンの未婚女性にかんして、この御料林令で彼女たちは犂、荷車および什器のために木を伐るべきであるが、代官の承諾なしに伐ってはならず、森林に害がなければ、代官は御料林番人を通じて彼女たちに許可すべきである。
同じく代官は未婚女性のすべての婚礼に1台の荷馬車の木材を与え、法令で定められている以外には彼女たちは伐採してはならない。それは代官の許可を要する。
 アウルハウゼンに住む住民は、御料林で枯れ木と倒木とアカシデを得る権限をもつ。彼らはそのかわりにブルムザーのいかなる助言についても1マルクの金銭を納め、すべての婚礼に十分な住宅を用意すべきである。
いかなる者も、次のような場合、御料林の中に木を伐りに行ってはならない。すなわち、 代官、その下級役人、書記官が裁判集会に出席し、秋にリューデスハイムとロルヒの広間におり、時間を必要とあする場合、またブルムザー家がそ御料林の中で相続した場合には、
 これらの人々にしたがっていかなる者も、マインツの大司教の許可なく、その中で伐採も狩猟もおこなってはならない。
 これは御料林番人の報酬である。
 アウルハウゼンとハスマンスハウゼンのいかなる住民も御料林番人に3.5ペニッヒの御料林番人への給付金を納め、これはいかなる村でも約1グルデンの金額となる。
 ロルヒは最高給付金額の村であり、いかなる家の住民も2アルブスを納め、全体で約4グルデンになる。
 アウルハウゼンの未婚女性はいかなる御料林番人にも6アルブスを納め、5アルブスの価値がある1組の白いズボン、新年の菓子を納め、いかなる御料林番人も週に1個の軽食を得る。
 グラートバッハのいかなる住民も3ペニッヒを納める。
わが慈悲深き領主は御料林番人に、他の番人たちの衣服と同じような荘園の布を毎年与え、6マルターの穀物を与え、それらは毎年エトヴィルの書記官から支給される。御料林で罰金や処罰が科せられて、その結果として時折木材が売られ、他の人々に手渡されると、わが領主は罰金の一部を得て、御料林番人もその一部を得て、それによって森林が荒廃しなければ、良いこととみなされる。そして代官は御料林番人に罰金を割り当て、わが慈悲深き領主の取り分に当たるものが、書記官によって徴収され、それによって御料林番人のものとなれば、書記官はいかなる御料林番人にも6マルターの穀物をエトヴィルの穀倉から与えなければならない。

 

 

4-3 クヴァイヒ川、ラウター川、ナーエ川、ライン川の間

 4-3-1 クヴァイヒハイム QUEICHHEIM (1459年) 


主の名においてアーメン。ここにある公文書を見たり、読んだり、読むのを聞いたりする者全員は、父なる神と諸侯の君主において最も神聖なるニクラウス5世の戴冠の第15の15年紀と称する1452年
すなわち彼の死の6年後、聖騎士ユルゲンの日の後の月曜日、4月24日の11時あるいは正午よりかなり前に、ランダウ市の郊外のの邦議会にあるクヴァイヒハイムの裁判所でわが公的書記の同席のもとにランダウの誠実で、つつましい人柄の現市長アダム・シャッフが公的に出廷して、クヴァイヒハイムの村長に代って参審員と村民に、全員がしかるべく出席しているか、声高らかに尋ねた。全員が出席していると答えた。上記のアダム・シャッフはさらに、今や裁判のときかと尋ねると、クヴァイヒハイムの住民たちは、はい、裁判のときですと答えた。そこで上記のアダム・シャッフはランダウの参事会と全市民に代って次のように告げた。私は、クヴァイヒハイムの裁判所と全市民がランダウの参事会と全市民に対しておこなった宣誓にもとづいて、ランダウの住民がこの日に、また1年を通して日常的にクヴァイヒハイムでいかなる権利をもつのかと汝らに問う。それに応じて参審員と全村民は、上記のアダム・シャッフに助言を求め、そこで彼は前記の村長に代って裁判所に出廷して、それについて考えるように 求めた。また彼らは前記の村町からもそうするように求められた。そこで彼らは退出して、ともに審議をおこなった。彼らが 審議を終えて、、ウッカー・ハンス、ヴェルンハー・ラートゲーバー、ペーター・クノルおよびハンス・リングの現職裁判所参審員が全員で帰還し、彼らとともにヴィンガルト・ハンス、ヨスト・オユンター、アルプレヒトおよびゼスラース・ヘンゼルとその他のクヴァイヒハイムの村民仲間たちも上記の裁判所に帰還した。そこで前記の村長は裁判に出廷した。そしてクヴァイヒハイムにおける参審員と村民たちの承認を得て村民から選ばれたナッセン・ペーターという名の者が次のように告げた。村長殿、われわれhがランダウ市におこなった宣誓にもとづいて、貴殿はわれわれに問い、われわれが答えることを許されよ。そこで上記の村長は許可すると告げた。そこで前記のナッセン・ペーターは、上記の参審員と村民たち全員の同席のもとで、彼らの同意と承認を得て、次のように告げた。われわれは本日および常日頃一致して、ランダウの最高位の領主や代官がクヴァイヒハイムで、またランダウの住民もクヴァイヒハイムで、義務をおいbと免責されうるが、それ以外のいかなる者もそのようなことがないことを認め告げる、。またわれわれは、クヴァイヒハイムのすべての裁判所がランダウの住民のものであることを法として知らせる。また彼らは、刀剣と絞首索によって男女の窃盗犯あるいは処罰しうる事犯や非常事態が起きれば裁くべきであり、裁きうることを告げ知らせる。われわれはまた、クヴァイヒハイムの共有地におけるすべての水と放牧地がランダウの住民に属することを法として告げ知らせる。またランダウの住民の家畜がクヴァイヒハイムの共有地に行く場合は、クヴァイヒハイムの住民の家畜もほぼ同じく行くべきである。これについて、また規定されたとおりのすても裁判集会、告示、告知、要点および条項について上記の市長アダム・シャッフはランダウ市の参事会と全市民に代って、公的書記の私に下記のとおり署名するように要請し、彼らに必要な数の文書を作成して与えるように私に命じた。
この裁判集会はローマ法王の15年紀の年月日時におこなわれ、厳格な騎士ダニエル・フィン・ツァイシッヒカインスと堅実な貴族領主ウルリッヒ・フォン・ザルムバッハ、その他幾人かの誠実な人々の同席のもとで証人となることを特別に要請された。
 また私ヤーコプ・ハルトベルクはマインツ司教領のアルツァイの公的書記である。

 4-3-2 ダムハイム DAMHEIM
      

  主の名においてアーメン。ここにある公文書によって常に見たり読んだり、あるいは読むのを聞いたりするすべての者は、われらが敬愛する主キリストの生誕後1488年、ラテンのいわゆる第6の15年紀に、父なる神と諸侯において最も神聖な法王イノセント8世の即位の第5年d度、6月3日火曜日午前11時から12時の間に、シュパイアー司教領のランダウ近郊にある村落ダムハイムで、公道に面した教会のそばで、下記の公証人と下記の誠実で信頼しうる証人たちの同席のもとで、隣の都市ランダウの誉れ高く高貴な現市長ニクラウス・アルトルフがみずから出席して、ランダウの誉れある参事会と全住民のために、彼らに代って、公道に接するダムハイムの村長の職務を杖とともに掌握した。彼はその日は裁判がすべて完了したことを認め、ダムハイムの誉れ高い参審員、裁判所員および住民たちの宣誓に続いて、彼らが前記の都市と参事会、ダムハイムの裁判に近親関係と結びつきをもち、ランダウの参事会と市民はともに、上記のダムハイム村の境界と村内でいかなる官憲、統治権および法的権利をこれまでもってきたかと問うた。また今日もなお1年を通していつでも、また永久にもつことができるのかと問うた。これに対して参審員はダムハイムの全住民とともに考えて、短い考慮の後、それについて結論を得て、前記のニクラウス・アルトルフの前に起立した。彼は前述のように杖とともに村長職を掌握して、再び現れれ、誉れ高いエアハルト・ヴァムスガンスを通じて参審員たちは彼らの宣誓により、ランダウの参事会とダムハイムの裁判所に以前と同じような親近関係をもち、法による裁きにおいてほぼ下記のような形式で明確に認証し、指示し、告げた。われわれは今日および常日頃、ランダウの最高位の身分や代官がダムハイムにいることを法として指示する。われわれは、ダムハイムのすべての裁判所がランダウのものであることを指示する。なぜなら、それらは刀剣と絞首索で窃盗犯男女、あるいは非常事態が起きるような刑罰可能なことを裁くべきであり、裁きうるからである。われわれは、すべての罰金、違反および事故の3分の2をランダウの住民に、残りの3分の1をダムハイムの住民に割り当てるが、ランダウの住民が彼らの3分の1を引き受けるべきでないときは、ダムハイムの住民が彼らの3分の1を引き受けて、彼らを助けるべきである。われわれはまた、ランダウの住民のいかなる家にも1シリングと1羽の謝肉祭の鶏を割り当てる。しかし村長と参審員はそれえを免除され、何らかの農地をダムハイムに保有する者は、1ウンツと3.5シリングを納めるべきであるが、それをもたない者は免除される。われわれはクネリンゲンの住民にわれわれの共有地を通って彼らの囲い地への放牧を割り当て、われわれの共有地または畑が播種されていれば、クネリンゲンの住民は一方の側をverzwnen、われわれダムハイムの住民は他方の側をverzwnenすべきである。さらにクネリンゲンの住民が最も遠方の橋をかけるときは、われわれダムハイムの住民は最も近くの橋をかけるべきである。さらに彼らが 溝を村の下方につくるときは、われわれは別の溝をつくるべきである。われわれは正しくないすべての計量器を、必要であるなら、そのたびにランダウに持参して、正すべきである。またこれらをgewestした参審員は、ハインリッヒ・アンテニヒの息子である上記のエアハルト・ヴァムスガンツ、、アンテングスハンス・フォルツマルティンの息子でる。また村民のうちこれらをgeweistしたのは、シュヴァプハンス、ペーター・フライ、ベルンハルト・プフェッファーヘンゼル、老村長の息子ハンス・シュナイダー、インスハイムの息子ハンス・シェッファー・ヤッケルスハウゼンおよびハンス・ユーゲンハイムである。そのような前述の法の告知、指示および認証を、前記ダムハイムの参審員と全村民が上述のような形式でおこない、上記のランダウ市の誉れ高く高貴なニクラウス・アルトルフ市長、コンラート・シェプラー主馬頭およびヨハネス・フェrヴァー市書記は、ランダウ市の参事会と市民の共同の名において、また彼らに代ってそのような法の告知、指示および認証を受けとめて、下記の公証人および書記の私にそのような法の告知、指示および認証にかんして、永遠の記憶のために一つまたは複数の文書を、必要なかぎり真剣に作成して引き渡すことを要請した。ここに証明し・・・等々

 4-3-3 エーデンコーベン EDENKOBEN(14世紀)

 
  これらはシュパイアー司教がエーデンコーベンにもつ法であり、参審が彼らの宣誓にもとづいて全裁判で告げる法でもある。
 彼は、窃盗、強盗、殺人、放火、異端信仰であれ、あるいは死を招くことであれ、首にかかわる犯罪を犯した未熟者たちすべてに対して法をもつ。また誰かが他人を殺して生命を奪うなら、村長は殺害をおこなった者をその家の中に入れることができるなら、そうすべきだが、そのようにできなければ、彼はエーデンコーベンの村民たちに命じて犯人の家とそのもち物を差押えさせて、シュパイアーのわが領主がもつ近隣の役人に連行して知らせるべきである。そこで彼がエーデンコーベンへ来たら、裁判をおこない、役人と村長は並んで出席し、参審員たちが殺人について何をなすべきかを指示し、シュパイアーのわが領主の役人がそのとおりにおこない、さからってはならない。そして役人または彼らが役人に送った使者が再び帰宅したら、村長と村民は審議と宴会から解放されるべきである。そして死者の近親者が生存者を非難しようとするなら、裁判所はュパイアーのわが領主の役人と告発者にしたがい、古くからの慣わしのとおりに、参審員の意見にもとづいて、エーデンコーベンンの裁判所の法によって被告を扱うべきである。また古くからの慣わしのとおり、参審員にはそれについての彼らのの法を適用すべきである。
 しかし盗みをはたらいたとか、そうした悪事をおこなったとか、悪い評判を立てられたり責められたりした者は、死罪を負わされ、シュパイアーのわが領主の役人は彼を捕えて拘留して、裁判にかけることができ、その役人と村長は一緒に出廷して、彼らの誰もが領主の法にしたがって、いかに犯行をおこない、誰に犯行をおこなったたか、裁判で判明することを問うことができ、また裁判所はそれにしたがって、有罪の判決をうけた者をどうすべきか、どのような責任を負わせるか、判断する。盗みをはたらき、殺人をおこない、あるいはその他生命にかかわることをしでかしたのではない限り、いかなる者も裁判所排除してはならない。
 彼らは、シュパイアーの司教が森林の保護者たるべきであり、その森林の中のキルヴィラーの城から燃料を荷車で運んでくる権利をもち、馬に載せることが禁止されているものを森林から馬で運び出すことは禁じられている。


 4-3-4 ラウテルン LAUTERN


  これらは、領内においてローマ帝国に属する城塞民、市民、森林官および地方役人たちによる会議における法であり、その会議は、オッペンハイムとラウテルンの帝国地方行政官の息子であるわれわれヘンリッヒ・フォン・ホッケンベルクおよびへンツェが設定した。
まず最初にラウテルンの市民は次のように告げる。すなわち、 彼らはシュパイアー人とまったく同様に帝
国の必要のために帝国に奉仕する義務を負い、帝国によって彼らに要求されれば、帝国の望みに応じて上級および下級の地方役人を帝国が任命することができ、帝国の罰金30シリングが損害の代償として裁判所で徴収され 、裁判所に出頭しない怠慢者には10シリンが命じられ、またいかなる下級廷吏も10シリングを徴収して自分のものとする。
流血の傷害が役所に訴えられたら、訴えは裁判所に取り上げられ6フントの罰金が科せられるが、訴えが取り上げられれなければ、罪は許されて罰金も科せられることはない。裁判所で追徴される者は、家で担保を差押えられれなければならず、都市の下吏が家に行くべきである。そして帝国の下吏が担保を取り出すべきである。
彼らは領内において帝国に森林と野生動物、河川における魚介を割り当て、それらを享受しうる者は、帝国と恩恵ゆえに享受することができる。彼らはそこで次のように告げる。すなわち、城塞民と森林官は彼らのあらゆ必要に応じて森林をほとんど許可なく享受することができるが、都市と領域における他の住民は、許可なくオークとブナの木を伐ってはならず、風が木を倒して、規則に違反して捕えられた場合、罰金30シリングが科せられる。しかし森林における他のすべての木は、いかなる者もその必要に応じて許可なく享受することができる。ただし領内で耕作しようとする者は、地方役人に必要な木を要求しすべきであり、それより多く要求してはばらず、地方役人は彼にそれを拒んでは」ならず、そのかわり地方役人には1フィアテルのワイン、森林官には16ヘラーが四人衆から与えられるが、それより多くは与えられらない。またオークの実あるいはどんぐりが森林にできたら、いかなる者も住居がある帝国の領内で、家で育てた豚を森林に損害をもたらすことなく3日間まで放牧することができる。その後いかなる豚についても12ヘラーを納め、他所の者は地方役人の許可なく森林に豚を放牧してはならない。
彼らはまた次のように告げた。すなわち、いかなる者も帝国またはその地方役人の許可なく森林で狩猟をする権限をもたない。それに違反すれば、捕らえられるたびに、30シリングの罰金を科せられる。
彼らは次のように告げる。すなわち、いかなる者も河川において許可なく魚をとる権利をもたず、違反して捕えられれば、そのたびに罰金30シリングを科せられるが、彼らは次のように告げる。すなわち、城塞民は肯皇帝の道では週に3日魚をとる権利をもつ。また彼らは、地方役人がその道で収穫期の4週間まで魚をとることを禁止することができると告げる。
彼らは次のように告げる。すなわち、皇帝またはローマ国王がラウテルンに来るたびに、彼は帝国にあるすべての道を行軍することができ、好みに応じて遠慮なく魚をとることができ、彼が再び帰るときは、元の道を進み、以前と同のように利用することができる。
皇帝またはローマ国王がラウテルンに来るたびに、帝国領のいかぁなる家も彼に次のような義務を負う。すなわち、男子は自分がが望む領主に所属して、1フィアテルのエン麦と1羽の鶏を納める。彼は恩恵により牛肉を要求することもできる。彼がそこで出征すれば、彼がいかなる領主に所属しようとも、牛肉を領内で一緒に共有すべきである。
帝国の領内で他人に不法行為や流血の暴行をなす者は、30シリングの罰金を科せられる。げんこつで殴れば、5シリングの罰金を科せられる。

帝国の領内で不法行為や強盗をする者は、どれほどgewaptされるかによって、罰金13フントといくらかを科せられる。帝国の領内で門戸を不法に押し開く者は、同様の罰金を科せられる。



殺したり窒息させる者は、生命と財産が帝国のものになる。
最初の妻の死後第二の妻をめとった夫が第二の妻のもとで死亡すれば、夫が残した財産の3分2が帝国のものとなり、財産の多少にかかわらず、3分の1は妻のものとなる。
彼らは帝国の領域内を通る帝国の街道を区分した。
これはラウテルン周辺の帝国の法の領域と地区である。まず最初に、ヴォルフスビーアバウムと称する木から始まり、この木はクレフテルバッハのそばの丘の上にあり、そこからヴィーゼンタールまで行き、そこからヴァーデナウとシュテレンベルクの背後をラウターエッケンのそばの曲がりくねった放牧地まで進み、そこからファルケンシュタインの背後をシュタンプの上方へ、そこからショョルレンベルクの曲がった白樺へ、そこからベレンシュタインの背後 をブライメラインへ、そこからシュタッフェルンへ、さらにバルテンフォルトへ、さらにシュトリッケルバッハへ、そして上述のヴォルフスビーアバウムに戻る。
彼らはまた次のように告げた。すなわち、帝国の領域に移住して、領主に従う者は、彼自身の宣誓の前や、居住後に、彼の母方のおじや彼の母の姉妹の血筋に由来する土地に定住してはならない。そうすれば、帝国は人民の徴税人といわれるのである。
そこでわれわれは城塞民について次のように問うた。すなわち、彼らはいかに証明されたのか? どこで、どれほど城塞民は証明されたのか? そこで彼らは告げた。すなわち、彼らが文書と証拠を示したことを帝国とその地方役人が特別に告げなかったら、彼らにはどうする手立てもない。
彼らは次のように告げる。すなわち、ヨハン・フォン・シュパンハイム伯爵は非常に多くのmichnelliches土地をもち、それは帝国のもので、しかもラウテルンに属する。帝国は日照りのときにそこに土地をもっていれば、地方役人は帝国のために課税を助ける。また正直なところどこまでて帝国にかかわりがあるのか、あるいは無関係なのか、彼らが事実を知らなければ、帝国は動かずにすみ、地方役人が知っている場合に限り、知らせようと思えうなら、そうすることができる。
帝国の夫または妻が他の領主の者と結婚したい場合は、帝国またはその地方役人は、いかに高くとも罰金を科すことができる。

 4-3-5 フィッシュバッハ FISCHBACH (1536年)


  1536年3月27日の朝7時、ハーゼルの公証人ヤーコプ・ショレと他の若干の尊敬すべき人々が証人として同席して、ブルクアルベンの傍のフィッシュバッハ村の墓地の扉の前の野外に前述の村の参審員と裁判所構成員およびフィッシュバッハのメッツェンハウス・ミュラー、ハルトマン・フォン・カイゼンベルク、ジークフリート・フォン・シュマーレンベルク、フォン・カイゼンベルクの息子ラングハンスホルハンス・フォン・ティーフェンタール、フィッシュバッハのヴェルナーとシュテファンの両名という面々の所属村民が集まった。彼らの前にはホルンバッハ修道院の院長ヨーハン・フォン・キントホイザーが所領村落 フィッシュバッハの正当な土地および裁判領主として、彼の監督官ヨーハン・フォン・ボンネと他の使用人とともに、また選帝侯ルードヴィッヒ・フォン・デア・ファルツの代理としてライニンゲンの刑事裁判官および保護主でありカイザースラウテルンの他の地域の地方官であるラインハルト・ダイネとともにやって来た。
キントホイザー修道院長は彼の村長ヴィルツハンス・ホルンスバッハにに全村民の集会で次のように公的に問わせた。すなわち、裁判集会を始める日時であるか。これに答えて、参審員たちは皆様の都合が合うなら、そうしていただきたいと述べた。そこで修道院長は村長を通じて次のように参審員に対して問わせたた。
1. フィッシュバッハの村落の上級支配権は誰の管轄に属するのか?
2. 村落地区はどこからどこまで至るのか、またどれくらいの範囲に及ぶのか?
3. 上述の地区におけるホルンバッハ修道院長の上級支配権と裁判権はいかなるものか?
4. フィッシュバッハの罰令区で漁獲、狩猟、水の堰止めおよび水車建造の権利をもつのは誰か?
5. 森林はいかに管理されるべきか?
6. 誰が禁制ワインを売るべきか?
7. 計量器の検定、容量、重量その他は管理されるべきか?
参審員たちは問いの後にはいつも席を離れて、墓地に行き、そこで協議して、再び戻って来て、彼らの代弁者の参審員が次のように答えた。
 第1の問いについて。ホルンバッハの修道院長はフィッシュバッハ村の土地および裁判領主であり、それに対するすべての支配権は例外なく彼に帰属するが、ファルツ選帝侯はそこの刑事裁判官おっよび保護主である。
 第2の問いについて。フィッシュバッハ教区の罰令区はブルクアルデンの小径に始まり、シェーネンベルク道を通ってムッターバッハの眞中の正規の境界石の方向にシュタインアルベを登って行き、そこからムッターバッハへ至り、そこから跳び出て、ブルクアルベの水源まで登り、そこからブルクアルベの中を下り、上述の小径まで行き、ここが地区の出発地点であるとともに終点ともなる。
 第3の問いについて。修道院長ただ一人に、すべての上級および下級支配権と裁判権をともなう罰令区、裁判の実施と中止、大小の十分の一税、地上と地下の発見物が帰属する。また罰令区のすべての住民は修道院長の水車で製粉すべきであり、違反すれば10シリングの罰金を科せられ、また正規の裁判集会に出席すべきであり、彼らはいかなる領主を望むにせよ、修道院長がその権利を行使できない場合は、刑事裁判官が彼を助け、保護すべきであり、そのかわり刑事裁判官は罰金の半分を受け取り、裁判領主は他の半分を受け取るべぃである。さらにエン麦を育てるするいかなる世帯も刑事裁判官に1年に半マルターのエン麦と1羽の謝肉祭の鶏を納める義務を負い、同じく罰令区のすべての住民は16シリング、または2晩の彼の宿営に草ないし干草を提供する義務の代金30シリングを納めるべきである。刑事裁判官はこの罰令区において首と脚に対する裁きをおこなう権利もち、もし犯罪者がいれば、そこの荘園管理人は彼を捕らえて刑事裁判官に引き渡すべきである。
 第4の問いについて。フィッシュバッハの罰令区における漁獲、狩猟、水の堰止めおよび水車建造の権利はホルンバッハの修道院長のみにあり、またそれを誰に許可するかも彼の権限に属する。
 これに続いてラウテルンの地方役人は、選帝侯も上述の罰令区において漁獲、狩猟、さらにこれらに加えて水車も古来より権利としてもっており、今なおもっているのではないかと問うた。そこで参審員たちはもう一度墓地へおもむき、協議をおこない、帰って来て次のように地方役人に通知した。すなわち、選帝侯がこの罰令区で狩猟をおこない、古来より水車ももっていることをよく承知しているが、修道院長がそうしたことを許可したか否か、彼らは知らない。というのは、これらすべての権限は彼のみにあるからである。
 第5について。住民が木を伐りたいときは、彼はチーズとパンと2ペニッヒを取得して、森の中で切株の上に置き、彼が必要とするだけの木を伐り、森林管理人が彼を差押えるために来たら、2ペニッヒを与え、一緒にチーズとパンを食べるように要請すべきである。どんぐりがあるなら、罰令区の住民はその種豚をそこへ放牧してもよく、修道院長は約40頭の豚をその中に入れてもよい。完全などんぐりの収穫ならば、家畜番人は聖ゲルトルートの日(3月17日)に豚の背後で完全にはかみ砕かれてはいない1ドゥムリングの大きさのどんぐりを集めることができれば、修道院長に豚1頭あたり4ペニッヒを納めるべきであり、もし住民がすべてのどんぐりを放牧で食べ尽くすことができない場合は、荘園管理人または2人の参審員がブルクアルベンの小径に行き、マイゼンバッハとツェンヴィッヒの住民を呼んで、彼らの豚を放牧して、どんぐりを食べさせる。
 誰かが森の中で木を伐っているのを見つかったら、両領主に5シリングと2ペニッヒを支払うえきであるが、木を伐る間に叫んだり、積み荷の際に鞭打ちをして、見つけられることなくその場を去れば、彼は罰金を免れる。しかし命令または禁止が先行すれば、これに従うべきである。
 誰か野生の蜜蜂を見つけたら、修道院長の荘園管理人または最寄りの参審員の所へ行き、蜜蜂の半分を要求すべきであり、他の半分は両領主に属するべきである。また発見者は彼の半分の蜜蜂について参審員に7ペニッヒえを納めるべきである。蜜蜂を許可なく取る者は、両領主に5シリング2ペニッヒを支払うべきである。
 第6の問いについて。ホルンバッハの修道院長はこの罰令区で毎年3回禁制ワインを小売りする権利をもつ。3回の正規の裁判集会に毎回半フーダーのワインを、つまり第1回は五月半ば後の月曜日、第2回は聖レミギウスの日(10月1日)の後の月曜日、第3回は聖なる三王の日(1月6日)の8日後の月曜日に小売りする。彼は枡を1ペニッヒ高く売ってもよく、この禁制ワインは修道院長の荘園管理人が売るべきである。
 第7の問いについて。すべての容量、計量器の検定、重量は大小を問わずクヴァイヒハムバッハにもっていかれ、修道院長の荘園管理人のもとで保管されるべきである。
 農奴でない者が3つの河川を越えて来て、あるいは絞首台を免れて、長い間この罰令区にとどまっていても、もはやこれ以上とどまりたくなき場合は、領主に支払えば、立ち去ることができる。彼が重い荷物を積んで、進むことができないときに、そこに刑事裁判官が使用人とともに彼に出会えば、使用人は馬から降りてあわれな男の進行を助けるべきであり、使用人の助けが十分でなければ、刑事裁判官みずから馬を降りるか、馬のあぶみに片足を残し他方の足で助けて、次のように言うべきである。すなわち、「進め、おまえがうまくいけば、何年か経ったら戻って来い。」しかし当裁判管区に移転して定住しようとする者は、まず最初に荘園管理人と村長の所へ行き、両者に1シリングを納めるべきであり、両者は彼に3回同行し、4週間土曜日ごとに日中に村に出頭し、次の月曜日に去るべきである。こうしたことれがなされたら、その外来者は当裁判管区の好きな所に行ってもよい。
 住民が戦争または他の災難によって農地を失い貧乏になったら、彼は最初と最後の二つの地代を取得すことによって、彼の農地を取り戻すことができる。
 相続人なしに死亡する者は、彼の遺産を両領主にそれぞれ半分ずつ譲渡すべきである。
抵当を差し押さえられ、その抵当が生きた動物であれば、荘園管理人は日夜それを管理して、えさを食べさせ、抵当が換金されなければ、荘園管理人はそれを刑事裁判官に提供すべきである。しかし、それが動物でなければ、荘園管理人はそれを14日間保管して、差し押さえられた者が4週間以内に来なければ、荘園管理人は村長の所へ行き、彼とともに債権者を満足させるべきである。
 さらに、この裁判管区のいかなる住民も修道院長の荘園管理人に夜明けから日没までの1日小刀やつるはしをもって賦役をおこなうべきであり、これに対して荘園管理人はその日の食事を提供し、夕食のパンを家

 4-3-6 オッターベルク OTTERBERG


  二人が国王の道路でこぶしで殴り合えば、われらが慈悲深き領主に9シリングの罰金二人分を科せられ、裁判所に1フィアテルのワインと1ペニッヒのパンを科せられる。
 二人が国王の道路以外の場所で殴り合い、その中で倒れたら,われらが慈悲深き領主に9シリングを科せられる。 そのような事はノイエンキルヒェンの国王裁判所において年2回、すなわち五月半ばと聖レミギウスの日(10月1日)に告訴される。
 国王の道路が停滞したら、われらが慈悲深き領主は村長の任免をおこなう。
  われわれは、バルボルンの裁判所が停滞している限り、オッターベルクの領主を国王の道路以外の場所での最高裁判領主とみなす。
 われわれはすべての河川における垣根囲い。狩猟および漁獲にかんするすべての領主支配および裁判権、同じく国王の道路以外のバンボルン裁判管区においてなされるすべての不法行為と犯罪を次のように指示する。
 二人が流血の争いをすれば、裁判領主に30シリングの罰金を科せられ、彼らは裁判所とフーフェ農民たちには1フィアテルのワインと1ペニッヒのパンを科せられる。
 二人が打撃を加え合うか、罵り言葉でやり合えば、裁判領主に9シリングの罰金2人分を科せられ、裁判所とフーフェ農民たちに1フィアテルのワインと1ペニッヒのパンを科せられる。
 われわれはオッタ-ベルクの裁判領主に次のように指示する。すなわち、彼はバルボルン裁判管区とポッツバッハのフーフェにおいて、ポッツバッハからバルボルンに向かってフーフェを設置する場合、村長の任免と裁判所の設置や廃止を行わなければならない。
 われわれは彼に1年に3回裁判集会を開催することを指示し、彼の領主支配権を告げる助けをなすべきであり、最初の裁判集会は第18日の後の水曜日、第2の集会は五月半ばの後の水曜日、第3の集会は聖マルティノの日(11月11日)の次の水曜日である。

 オッターベルクのわれらが裁判領主は聖マルティノの日の後の裁判に、古来の慣わしのとおり、飲食に24アルブスを支給すべきである。
 ここに農地をもついかなるフーフェ農民も上記の裁判集会に出席して、裁判領主に彼の領主支配権と裁判権を告げる助けをなすべきである。
 上記の裁判集会に欠席した者は、裁判領主に5シリングの罰金を科せられ、裁判所とフーフェ農民たちに1フィアテルのワインと1ペニッヒのパンを科せられる。
 いかなる村民も裁判領主に1羽の裁判鶏を納める義務を負うが、3つの自由農圃はこれから除かれ、国王裁判所でも免除される。裁判所廷吏も同じく鶏とエン麦地代を免除される。
 われわれはオッターベルクの裁判領主に次のように指示する。すなわち、いかなる村民も3日間の手による賦役の義務を負い、1日は垣根作り、2日目は干草作り、3日目は収穫の刈取りをおこなう。
 裁判領主は彼らに労働者にふさわしい飲食物を与え、彼らが夜に帰宅しようとしたら、いかなる者にも1ペニッヒのパンと一杯のワインを与えるべきである。
  病気のために日雇い労働者を得られない者は、垣根作りに6ペニッヒ、干草収穫にも6ペニッヒ、収穫の刈取りには12ペニッヒを支払う義務を負うべきである。
 村民が3日間の賦役を裁判領主におこなわなければならない後、バルボルンとポッツバッハのフーフェがいかに停滞しているか、オッターベルクの森や野で森林共有地の中まで入り、人の手が加えられていない草地を探して、再び出て来なければならない。
 どんぐりの実をつける季節に裁判領主は所有林を村民から閉鎖して立ち入りを禁止し、違反には罰金30シリングが科され、秋におこわれる聖なる葬祭の日には森林の閉鎖と立ち入り禁止がなされるべきである。
 クリスマス後に隣人たちに迷惑でなければ、彼らの手入れされていない草地を古来の慣わしど0りにおおり探すべきである。
 村民はオッターベルクの所有林を通って森林共有地までランツェンヴォーク川ををいかだで下って行く。
 われわれは村民にさらに林道を越えてカレンベルクを越えてバルボルン所有地のエーレンバッハ川までの放牧を指示する。家畜にどんぐりを与えるためであっても、村民は家畜の放牧路を探さなければはらない。
 どんぐりを拾い集める者が、所有林で家畜番をしようとして、家畜放牧路をあらかじめ指定すれば、裁判領主に30シリングを科せられる。
 いかなる者も聖ゲルトルートの日(3月17日)に、支障のないよう小川を清掃して、共同耕地の垣根を整えることを命じられる。また聖ゲオルギオスの日(4月23日)には村長と参審員によって、違反が見つけられた者は、裁判領主に罰金4.5シリングを科せられ、裁判所とフーフェ農民たちに1フィアテルのワインと1ペニッヒのパンを科せられる。
 われわれは次のように指示する。すなわち、二人が互いに屋敷または庭の間に垣根をもっている場合、一方は他方に対して互いに屋敷の平和を守り、垣根の保全を助け合うべきである。そうしないことが裁判所にわかれば、裁判領主に4.5シリングの罰金を科せられ、裁判所とフーフェ農民たちに1フィアテルのワインと1ペニッヒのパンを科せられる。
 勝手に垣根をこわしたり、垣根を越えて庭に入り、果物に損害を与える者は、裁判領主に10シリングを科せられ、裁判所とフーフェ農民たちに1フィアテルのワインと1シリングのパンを科せられる。
 オッターベルクの裁判領主は、彼らの必要と要望に応じて、彼らが垣根を作れるようにするべきである。
 村民が建築をする必要がある場合、オッターベルクの裁判領主は、建物の新旧にかかわらず、共有林から木材を支給すべきである。
 家を新築する者は、 家畜が彼の農地に着くように、3 shug von gloch を設置すべきである。
 裁判所に訴える者は、最初の訴えに4ペニッヒ、第2の訴えに半フィアテルのワインと1ペニッヒのパン、第3の訴えに1フィアテルのワインとと2ペニッヒのパンを納める。しかしそうした訴えをなす者が、他の問題で訴えられるなら、彼は14日間の猶予期限を与えられるが、14日経っても出廷しなければ、全額を無駄に失い、抵当は原告人のものと認められるべきである。
 この裁判文書は、裁判領主が添削する権限をもつべきである。

4-3-7 ヴァルテンベルク Wartennberg (1560年)


 1560年4月 25日木曜日にラウテルンの現職地方官で高貴かつ堅実な土地貴族カスパー・フォン・グッテスハウゼンおよびエンケンバッハの尊敬すべき領邦書記ヨスト・マンツァーによって修道院において年次裁判集会がbittelgerichtで開催され、ヴァルテンベルクの農民たちによって後記の裁判記録が示され、口頭で語られた。
最初に、われわれヴァルテンベルクの農民はわれらが慈悲深き宮中伯および選帝侯を当地区が及ぶ限りの範囲において、ヴァルテンブルクの城、渓谷および城内に対する土地領主および裁判領主と指示する。
さらにわれわれはわれらが慈悲深き領主を、ヴァルテンブルクの城、渓谷およびすべての住民に対する守護主並びに保護主と指示する。
われわれはわれらが慈悲深き領主に、血と肉、さらし台、首とうなじに対する裁き、すべての犯罪者の処罰を指示する。
われわれはわれらが慈悲深き領主に、すべての不法行為、犯行、悪罵およびすべての違反者を罰するように指示する。
われわれはわれらが慈悲深き領主に、すべての官憲、命令と禁令、村長の任免を指示する。
われわれは、村長の一人が命令と禁止をわれらが慈悲深き領主のために守らず尊重しないなら、われらが慈悲深き領主に大小の金額の罰金を科せられるべきであると指示する。
村民の一人が命令を守らなければ、5シリングの罰金を科せられることを、われわれは指示する。
Sわ    ることを指示する。
われわれはわれらが慈悲深き領主に、渓谷にあるブルック庭園を利用する者は、15アルブスの地代を納めることを指示する。
われわれはわれらが慈悲深き領主に、毎年10シリングを村の家畜番人の家とその施設から納めることを指示する。
われわれはわれらが慈悲深き領主に、いかなる定住民または臣民からも毎年3 アルブスの牧羊税の徴収を指示する。
さらにわれわれはわれらが慈悲深き領主に、飼い主をもたないか、長い間当地に住みながら飼い主を求めない猛禽を指示する。
われわれはわれらが慈悲深き領主に、われわれが求められ命じられるすべての賦役を指示する。
われわれは次のように指示する。すなわち、この村に移住してきて、3日間灌木の垣根の背後で火と炎を守れば、彼はわれらが慈悲深き領主に10シリング、村に10シリングを転入税として納め、他の村民とまったく同様に村落に定住すべきである、
われわれは次のように指示する。すなわち、当村で二人が殴り合えば、それぞれ15シリングをわれらが慈悲深き領主と村に科せられる。
われわれは次のように指示する。すなわち、二人が互いに罵り合い、それそれ相手の名誉を傷つければ、われらが慈悲深き領主にそれぞれ10シリングを科せられるべきである。
われわれは次のように指示する。すなわち、二人が互いに流血の攻撃と傷害を加え合うなら、われらが慈悲深き領主に大小金額の罰金を科せられ、城内における不法行為は慈悲によってて手足を罰せられる。
われわれはわれらが慈悲深き領主に、いかなる家の住民も毎年謝肉祭の鶏を納める義務を負うことを指示する。
われわれはわれらが慈悲深き領主に、次のように指示する。すなわち、3頭の馬をもつ者は1マルターのエン麦、2頭の馬をもつ者は3フィアテル、1頭立ての馬車をもつ者は2分の21マルターのいぶしエン麦を納める義務を負う。
われわれは次のように指示する。すなわち、バウトヴァイラー裁判管区、ハインベルクおよび共有林が城に属しており、われわれが今日まで常に何の反対もうけることもなく利用し享受してきたように、われわれのあらゆる必要に応じて、そこでわれわれの家畜の放牧に利用し、また古来の慣わしとして、風倒木、や野生の雑木を焚き木として、ハインベルクと共有林で採取することができる。
われわれは次のように指示する。すなわち、われわれはわれわれのすべての家畜によって、高貴で堅実なる土地貴族コルベンの権限の土地で、未開の放牧地を探して利用するが、いかなる者も損害をかけることなく、毎年そこから一人当たり12ペニッヒ村民の前でのの放牧料または1日の賦役の義務を上記の土地貴族に負う。
われわれは次のように指示する。すなわち、村民の前で神への冒涜の言葉や罵り、あるいは誓約によって口論し、奪い取り、その他嘘をつくことを不法に要求するいかなる者も、われらが慈悲深き領主に10シリング、村落に5シリングを納めるべきである。
われわれは次のように指示する。すなわち、屋敷が狭小な者は、すべ手の採草地と庭を垣根で支障なく囲うべきであり、違反すれば、われらが慈悲深き領主に罰金10シリング、村に10シリングの義務を負う。
われわれは次のように指示する。すなわち、当城内の二人の隣人が庭、採草地または耕地を互いに並んでもつ場合、それぞれが相手に対して邪魔にならないように垣根で囲うべきであるが、両者が囲いまたは垣根を共有すべきなのに、そうしない場合は、どちらもわれらが慈悲深き領主に10シリング、村落に5シリングを科せられるべきである。
(以下欠損)
  

 4-3-8 フォアデア・ヴァイデンタール VORDER-WEIDENTHAL (1530年)


 §. 1. ヴァイデンタールでは修道院は教会の壁と並んで 荘園があり、これは賦役荘園と呼ばれ、すべての修道士は裁判所やその他の問題について煩わされることなくり、荘園は垣根で囲われるべきであり、その中には家と納屋がある。§. 2. その修道院長は、授封地を除いて村落と共同耕地のあらゆる十分の一税に対する3分の2の権利をもち、聖歌隊のための修道院のseelegerederあるいはゴッセルヴァイラーの司祭はは3分の1の権利、をもつ。§. 3. 修道院長は毎年聖マルティノの日(11月11日)におこなわれる裁判集会でフーフェから16.5アハテルのパン穀物地代と18.5アハテルのエン麦地代をを得る。それらは村民全員が聖マルティノの日の裁判集会の日の次の火曜日に決裁すべきである。§. 4. また村民はそれらを村長に決裁をおこなうが、その場合、村長を任命し、規則を定めるののは修道院長である。§. 5. 修道院長が誠実な者を村長に提案すれば、裁判集会はそれに同意するが、裁判集会が彼を適任でないと判断すれば、裁判集会が同意するまで、彼は別の者を提案すべきであり、裁判集会が同意すれば、その者は修道院長に固く誓い、その後彼と裁判所に法を守ることを誓約すべきである。§. 6. 修道院長は上記の地代と十分の一税から毎年司祭に11ズマーのパン穀物と十分の一税を与え、聖歌隊のためのseelegerederに6ズマーの穀物を与えれば、それ以上の義務を負うことはない。教会に礼拝堂があり、礼拝に行く道のために教区所有地が設けられ、それはゴッセルスヴァイラーに属する主要教区所有地として、そこにはsentもある。§. 7. 前記の地代を毎年共同で計算して支払う場合は、計算の証拠として1フィアテルのワインを親しい関係にあるフーフェ農民たちに与える。 §. 8. シュレッテンバッハの村長は地代を決裁して受け取り、修道院長の袋の中に引き渡すべきである。同村が裁判集会に属していれば、ランゲン森林とウッフェルス森林の森林保有者たちから、森林管理人はドングリの料金をまとめて受け取り、修道院長の袋の中に引き渡すべきである。§. 9. 賦役荘園に住んで賦役農地を耕作する村長は、教会の塗油式と村のschotzeを毎年支払うべきである。§. 10. 村民は荘園で家畜として牡牛、牡豚を飼い、荷車半台,刃の付いた犂1台、足枷または一対の鎖をもち、荘園はそれらに対して小十分の一税の3分の2の権利をもつ。§. 11.われわれは一地片の採草地を買ったが、それは修道院の沼沢地にあり、多くの誠実な人々がその購入と協議に加わった。

 

 4-3-9 オーバーシュレッテンバッハ oberschlettenbach (1530年)

§. 1. シュレッテンバッハでは修道院長は毎年聖マルティノの日(11月11日)に共同耕地にあるすべてのフーフェから10アハテルのエン麦地代を徴収し、同村の村民はそれと7フィアテルのパン穀物をヴァイデンタールの村長に決裁すべきである。 §. 2. クリンゲンミュンスター修道院のいかなる修道院長もランゲン森林とウッフェルス森林の森林管理人の任免権をもち、森林管理人は、倒木や無益な木以外の木を森林から取ったり伐採するすべての者を告発し訴えることを修道院長に誓い約束すべきである。彼がそこで許しを得れば、修道院長は聖マルティノの日に1年間森林管理人に緑の上着を与えるべきである。§. 3. シュレッテンバッハに住み、犂で耕地を耕す者は、聖マルティノの日に、6ズマ-のエン麦に相当し1クラインアハテルのエン麦を納め、つるはしで耕作する者は1フィアテルのエン麦を納める。そのかわり彼らは前記の森林で倒木を得るべきである。 §. 4. 前記の森林がドングリの実をつければ、 同村落の貧しい人々は彼らの豚を放牧することができ、いかなる豚についても2ペニッヒを修道院長に納め、森林管理人は豚の頭数に応じて宣誓して聖アンデレの日( 11月30日)に彼にそれを引き渡すべきである。§. 5. 森林管理人が設定する期日に納めない者、あるいは他の地代を期日に納めない者は、その森林の権利を失い、森林管理人は修道院長にそのことを届け出るべきである。§. 6. シュレッテンバッハに住もうとするか、住んでおり、納屋または家を建てようとする者は、ringのために修道院長に8本の木を要求して伐採すべきであり、誰もそれを拒んではならず、森林の管理人はそれに立ち会うだけでよい。

 4-3-10 ダールシュタイン Darstein (1530年)


 §. 1. ダールシュタインでは修道院長と修道院は前記のシュレヒテンバッハ村でも村と共同耕地において十分の一税の3分の2をもつ。 §. 2. 修道院長は村長の任免権をもっており、村長は村落のために牡牛と牡豚を飼うべきである。彼はそのかわり法の杖による裁判の収入と村落と共同耕地の小十分の一税の3分の2を得る。また彼は修道院長に後述の地代を決裁して村民から受け取るべきでる。 §. 3. まず第一に修道院長は毎年=聖マルティノの日(11月11日)に徴収される10アハテルのエン麦と7フィアテルのパン穀物を共同耕地と農地のすべてのフーフェで得る。彼らフーフェ農民は村長と決裁して、聖マルティノの日の直後の裁判集会に全員集合すべきであり、それに対して修道院長は彼らに1フィアテルのワインを親しくふるまうべきであり、そうすれば村長は地位を保全され、村長はひき続き修道院長を守るべきである。 §. 4. 修道院長に上記の聖マルティノの日に裁判集会で9ウンツェが徴収されるとき、フーフェ農民は村長と決裁し、村長は修道院長と決裁すべきである。§. 5. また修道院長は上記の地代からヴァイデンタールの村長に2.5アハテルのパン穀物と同量のエン麦を与えたら、法の定めにしたがって、彼は共同耕地に穀物その他の作物を作り、採草地を保護し、見張るべきである。 §. 6. また村長が必要になれば、いかなるときも修道院長は村落に住むフーフェ農民の一人を提案することができる。しかし彼が不適格で、フーフェ農民たちは同意してはならず、彼が規定通りそれに従わなければ、フーフェ農民たちは彼を外して、残余の者を提案することができ、その者は修道院長に誓いを立て、彼と裁判所に法を守ることを誓約すべきである。

 4-3-11 ヌスドルフ Nuszdorf (1508年

 §. 1. 二人が殴り合いをすれば、両者のいずれも領主に1フント、裁判所に2シリングを科せられ、いずれの当事者も聖堂参事会に15ペニッヒを科せられる。それらは聖マルティノの日(11月11日)の後の火曜日に納められ、不法行為が裁かれる。 §. 2. 二人が互いに攻撃し合うか、傷つけ合うようなことが起きれば、いかなる者も縛らなければならないいかなる傷についても30シリング、また裁判所に2シリングを納める。 §. 3. 他人を裁判所でさげすむ者は、領主に大小の罰を科せられる。§. 4. 他人を悪者とののしるいかなる者も10シリング、裁判所に2シリング、聖堂参事会に15ペニッヒを納める。§. 5. 裁判所で罰金を納めることを認められた者は、2シリング9ペニッヒを領主に、2シリングを裁判所に、聖堂参事会に15ペニッヒを納める。§. 6. 毎年3回完全裁判集会が開かれ、最初は聖ゲオルギオスの日(4月23日)の後の火曜日、第2回は洗礼者聖ヨハネの日(6月24日)の後の火曜日、第3回は聖マルティノの日(11月11日)の後の火曜日である。§. 7. すべての完全裁判集会で罰金や違反は領主に告げられ、期日に4シリングの罰金が徴収され、それは裁判所と村民たちのものとなる。§. 8. 盟約団体に領主は権益をもつ。§. 9. 村民のうち常に4名の村落親方が、ワインと穀物の枡を監視し、しかるべき時に検査すべきである。§. 10. 村落において農奴である者は、少年、少女、成人男女のいずれを問わず、あらかじめ領主と契約することなく、立ち去ってはならない。§. 11. 典礼に行く年若き少年はすべて村民に誓うべきである。§. 12. 裁判所は村民とともにに五月の鶏を納め、謝肉祭の鶏を納めるのは村民だけであり、裁判所は納めなくてもよい。

 4-3-12 ボルンハイム Bornheim

エアシュタイン修道院のザンクト・イルメンガルテン荘園と称されるボルンハイムの荘園記録。
神の名において告げる。すなわち、これらは、エアシュタイン修道院に属するザンクト・イルメンガルテン荘園と称されるボルンハイムの荘園の法と自由である。§. 1. 当荘園の誓約荘園管理人は、定められている聖マルティノの日(11月11日)の頃に荘園の屋敷に在宅しているフーフェ農民たちに裁判集会を前もって知らせるべきである。出席しない者は、フーフェ農民であれ農地保有者であれ、荘園管理人に1シリング、フーフェ農民たちにも1シリングを償いとして納めるべきである。§. 2. 荘園管理人は荘園地代を請求すべきであり、そこで彼は裁判集会を開催し、いかなるフーフェ農民または農地保有者も裁判集会の日の日中に地代を支払わなければ、荘園管理人にいつでも6ペニッヒ、フーフェ農民たちに6ペニッヒを償いとして納めるべきである。§. 3. 裁判集会の8日目に荘園管理人に地代がまだ未納であれば、彼は荘園管理人に1シリング、フーフェ農民たちに1シリングを償いとして納める。§. 4. その後8日過ぎても地代を荘園管理人に未納である者は、いつの日でも荘園管理人に1シリング、フーフェ農民たちに1シリングを償いとして納める。§. 5. 3回目の8日間が過ぎても地代が荘園管理人に未納であれば、荘園管理人は彼に、地代未納のゆえに、もはや農地を利用することも農地に行くことも禁止し、それに違反すれば30シリングの罰金を科すべきであり、この30シリングはエアシュタインの修道院に徴収される。§. 6. 荘園管理人はフーフェ農民たちに裁判集会を命じたら、彼らに十分なふるまいをなすべきである。すなわち、裁判集会で肉を食べるときは煮たり揚げたりした肉がふるまわれ、肉を食べない場合は魚や卵がふるまわれる。また荘園管理人がフーフェ農地のためにフーフェ農民を必要とするときは、いかなるフーフェ農民も、命じられた場合は、荘園に宣誓して、命令に従うべきである。§. 7. 荘園に属するフーフェ農地をもつ者は、荘園管理人から年期限でそれを受け取り、荘園管理人は、その農地を管理する荘園フーフェ農民を少なくとも2人採用すべきである。荘園管理人は次の裁判集会を開き、そこでフーフェ農民たちみずから神と聖人に誓って、会議と裁判集会に出席し、さらに次のように命じられる。すなわち、荘園において法を告げ、彼が心得ている限りの法を告げ、荘園の法を守り、彼の能力に応じて運用し、彼の地代を忠実に納め、フーフェ農民または小作農がもっていないか、荘園から移転されたり移転されようとする荘園農地と地代を所有し、示し、指示し、区別して、荘園を改善し、誠実にその弱体化のあらゆる危険を防止すべきである。§. 8. 農地を受け取る者は、荘園管理人とフーフェ農民たちに2シリング4ペニッヒを納め、そのうち荘園管理人はフーフェ農民2人分の金額を授受する。また荘園のフーフェ農地を取得した者が、規定された期限内に荘園管理人から受け取って荘園に誓約しようとしない場合は、荘園管理人はその次の裁判集会でその農地をフーフェ農民たちに代って没収して、異論の余地がない荘園の利益にしたがって他者に貸すことができる。また滞納された地代を、裁判の有無にかかわらず、フーフェ農民たちにもわかるように、追求することができる。§. 9. 農地を放棄しようとする者は、裁判集会が開かれたら、農地を良い耕作状態で荘園管理人とフーフェ農民たちに譲渡し、地代その他を手渡しして、フーフェ農民たちに証拠として半フィアテルのワインを納めるべきだが、彼が農地を相続人のためにもっている場合は、それを放棄してはならない。彼が他の農地を耕作し持っている場合、あるいはこの農地を通常の良い状態で耕作していない場合、あるいはこの農地の地代を十分納められるようにしていなかった場合は、彼が地代を十分納められるか、農地が良い状態に戻るまで、荘園管理人は農地を受け取る義務も引き取る義務も負わない。 §. 10. フーフェ農民と荘園管理人が争い、相互に意見の一致に至らない場合、彼らはその証人と法をエアシタインの修道院の荘園廷に求めるべきである。§. 11. フーフェ農地を所有する者が死亡して、相続人を多数もっているなら、いかなる相続人もフーフェ農民たちに2シリングを納め、そのフーフェ農地を買う者は2シリングを納め、それに対しては荘園管理人も権利をもつ。

 

 4-3-13 シュテッテン Stetten (1521年)


これまで郷に存在し守られてきた慣習のシュテッテン村の問い合わせに答えて、そこの誠実な人々の多くは次のように報告した。§. 1. そこに住む者は、3人の領主、すなわちわが慈悲深き宮中伯の選帝侯、ナッサウのヨハン・ルートヴィッヒ伯、また一部はフランシスコ・フォン・ジッキンゲンに約束し、所属する。§. 2. いかなる者も領主に毎年通常のlippetを納め、妻は1羽の鶏を納める。§. 3. ファルツとナッサウの両領主とも代官1名 をもち、代官は毎年貢租を彼らから徴収する。§. 4. 彼らは、代官によって指図されたとおり、古くからの慣わしにしたがって賦役と奉仕をおこなわなけれならない。§. 5. しかし彼らに裁判所や村長がいない場合には、彼らは村のために得られる2名の村役人をもつべきであり、村役人は村の規則を作って守り、それを破るいかなる者も仲間うちで相互に罰し合い、不法行為が起きないように相互に団結する。§. 6. 彼らが農地について争っている場合は、彼ら自身で決定するように心がけるのが古くからの慣わしである。 §. 7. 昔から次のような慣わしも伝えられている。すなわち、多くが変わることなく百年間伝えられ、彼らの自由が教会と敬愛すべ
な聖ソテルニヌスに由来するなら、それに優るものはない。
 R. K. M. は提示された彼らの古い慣わしと自由を彼らに守らせることを、切に神に祈願する。

 4-3-14 ヘルト  Hoerdt (1448, 1565年)


本日、1448年聖霊降臨祭後の月曜日、堅実で高貴な地主貴族ベルンハルト・フォン・リンデンフェルスはゲルマースハイムの代官として、わが慈悲深き領主の宮中伯に代りヘルトの裁判集会を完全裁判集会として招集して、前記の地主貴族ベルンハルトはヘルト村長ハンス・ヘフネルンに質問する時間を求め、わが慈悲深き領主の宮中伯はヘルトの村落と共同地にいかなる支配権と法をもっており、またもつべきかと、訊ねた。村長は、彼らがそのことについて何を知っており、彼らの親から何が伝えられ守られてきたか、宣誓にもどずく証言を彼らに課した。そこで彼らは退出して、前記の村長を彼らとともに連れて行ってその問題について考え、熟考の後に再び戻って来て、後記の裁判員たちは前述のわが慈悲深き領主の宮中伯に彼の法を告げた。 §. 1. 彼らは 彼と領主支配権に帰属するものとして列挙したのは、首と首縄、高額の罰金、さらに男女の盗人、家宅侵入、就業日に手でおこなわれる不法行為であるが、首席司祭が贈与と進呈もために残してある金額の3分の1は村長がわが慈悲深き領主たる宮中伯のために残しておくべきである。 §. 2. 彼らが首席司祭とその教会に帰属するとしたのは、われわれに受け継がれてきた農奴制、祝祭日に起きるすべての不法行全体、また就業日に起きる不法行為であり、その2分の1が彼のものとなり、さらにまた訴えられた不法行為も、いつ、いかなる所で起きようとも、同様である。§. 3. 第3に彼らは村と共同地に次のようなことを認めた。すなわち、わが首席司祭と彼の教会は教区と領民が大過なく十分に暮らせるように、教区の世話をして耕作すべきであり、そうしないい場合は、前記の領民が耕作すべきであり、教区の耕作と世話がなされ、ヘルトの共同地にある修道院のすべの農地が十分の一税を納めるべきであり、領民、教区および教区司祭はそれを用意することができる。 §. 4. 彼らはメルフォルト、フェルトおよびヴェルテールを正式の共有地として修道院と村落に割り当てた。 §. 5. すべての者は、共同地にある農地は聖ミカエルの日(9月29日)から聖ゲオルギオスの日(4月23日)まで正式の放牧地として修道院と村落に割り当てる。§. 6. 彼らは泥炭地を聖ミカエルの日から聖ゲオルギオスの日まで修道院と村に正式の放牧地として割り当てる。それゆえに領民は聖ゲオルギオスの日にいかなる牛についても1ペニッヒを納め、それは牧草ペニッヒと呼ばれる。§. 7. 彼らは次のように指示した。すなわち、修道院の家畜が共有採草地へ入って行く場合、それが野であれ森であれ、領民の家畜もその後についていくべきである。 §. 8. 彼らは次のように指示した。すなわち、修道院が村に種牛を与えるなら、修道院は必要に応じて小十分の一税を取得す。
§. 9.   彼らは次のように指示した。すなわち、領民がいない修道院、修道院のない領民、両者とも一方は他方なしには決して一つの団体をなさない。ただしパン、ワインおよび肉の団体は例外であり、それぞれが個別に裁判所に属する。§. 10.彼らは次のように指示した。すなわち、領民が自分のために木材を必要とする場合、彼は首席司祭に要求すべであり、彼に与えればそれで良いが、与えなければ、彼は大工とともに木を伐ってもかまわない。 §. 11.  彼らは次のように指示した。すなわち、領民が教会の地代のために葦を役立てる必要がある場合、共同地の好きな場所で伐採じてもよいが、その3分の1を修道院に納めるべきである。 §. 12. 彼らは次のように指示した。すなわち、どんぐりが用益林にあれば、従来の慣習のとおりに聖アンデレの日( 11月30日)まで森の中へ放牧し、その後はもはや互いに放牧してはならず、首席司祭も村民も相互に往来してはならない。§. 13. 彼らは次のように指示した。すなわち、ライン川までの小川の流れが、共同地が及ぶ範囲に限り、正式の共有地のために、築堤したり防護しててはならない。

II. 1565年

 上級および下級支配権 §. 1. 第一にヘルト村の彼らはファルツ選帝侯を統治領主および土地領主であり彼らの農奴領主であると認め、彼に忠誠を固く約束し誓った。 §. 2. すべての上級および下級官憲は命令と禁止をpkpない、おこない、それにかかわることは、すべてファルツ選帝侯の権限に属する。§. 3. この現在の村長を任命したのはファルツ選帝侯のゲルマースハイムの代官であり、さもなければ、村長はファルツ選帝侯の代わりに首席司祭の諒解を得て任命されるのが古くからの慣わしである。現在の首席司祭は代官としてこの村長を選んだのであり、たとえ何らかの反対があっても、代官は村長にとどまることを命じたのである。 §. 4. 首席司祭は裁判所参審員をこれまで選んでいたが、高齢その他の理由で外部での裁判を望む者がいれば、彼はゲルマースハイムの代官からその許可を得なければならない。
§. 5. 殺人。彼らは年3回の裁判をおこない、それらを領主裁判と呼び、そこではファルツ選帝侯に裁判権を与え、窃盗、殺人および同様な重大犯罪で、死刑に服するほどの犯罪にかんしてファルツ選帝侯の代官に裁判と刑罰を認め、彼らにはそうした犯罪を裁く慣わしははない。§. 7. 領主裁判の後に彼らは14日間にわたって追加裁判集会を開き、前の裁判に提出されなかった違法行為や同様な問題が取り上げられる。§. 8. 違法行為と罰金。ヘルト村とその村域で村民のなかに違法行為や罰金が知られたら、これまではほぼ14年前に首席司祭によって任命されたゲルマースハイムの代官がそれ以来活動しており、違法行為が裁判所に取り上げられた場合は、違法行為を訴えられた者に裁判所の責任で罰金を科すように、代官がファルツ選帝侯と首席司祭に願い出なければならない。彼らはファルツのあらゆる官憲に従うとともに、ファルツの官憲によって違法行為を一様に罰せられるが、同時に首席司祭によって罰せられることはない。しかしヘルト村に住んでない他の人物がそこで違法行為をすれば、ゲルマースハイムの代官が単独で違法行為を処理して、首席司祭はそれには関与しない。
家畜の飼料 §. 9.フ ァルツ帝侯はヘルトの村で臣民らの諒解によって家畜の飼料を得たたことはまだない。軍役 §. 10. ファルツが軍事遠征その他においてヘルトの臣民にファルツの事情に応じて彼らに課される軍役の義務があることを強く促すが、その費用はファルツがまかなう。賦役 §. 11. 彼らはファルツに手と火、手押し車と馬車によって事情に応じて賦役の義務を負うが、ゲルマースハイム地区の外ではその義務を負わない。その場合は地区の他の臣民が常にかなり多くの費用をまかなうが、4年前からそうした費用のまかないはファルツの負担にかえて若干の料金が定められた。
公課。§. 12. ファルツ選帝侯はヘルト村の臣民に事情に応じた租税と貢租を課し、彼らは臣民として従順にそれを給付し納付して、この場合彼らは臣民としての義務を十分に心得ている。貢租。§. 13. ヘルト村はファルツ選帝侯に毎年一定の貢租として66グルデンを納める。彼らはそれを二つの時期に、つまり半分を復活祭に、半分を聖ミカエルの日(9月29日)にゲルマースハイムの領邦書記に届ける。それにもかかわらず、臣民はそうした貢租が大きな負担をなすという苦情を訴え、貢租の多くが彼らの家畜と慣わしをそこなうとみなし、その結果彼らは自分の農地にはほとんど何得られないという。 相続税 §. 14. ヘルトの男性住民が死亡すれば、その寡婦または相続人は相続税を差し出さなければならず、それはファルツ選帝侯の地方行政区役人によって徴収される。 Kiltfeng 私生児の死亡等 §. 15. 他所からヘルトに来た者が死亡し、財産を残し、相続人がいない場合は、ファルツ選帝侯が他の小村や村落でもっているのと同様な権限がファルツ選帝侯に帰属する。§. 16. 同様に私生児が死亡したら、ファルツ選帝侯のものとなる。 §; 17. 他の村落または小村等から来てヘルトの村民に受け入れられた者は、どれほど転入金を納めようとも、その半分はファルツ選帝侯、半分は村民のものとなるが、いかなる村民も地方行政区役人の承諾なしに受け入れてはならない。転出 §. 18. ヘルト村から他の領主の許へ移住しようとする者は、地方行政区役人に届け出なければならず、そうすれば転出のために彼の財産が保たれる。しかし彼がファルツ領に戻って来るなら、わが慈悲深き領主の転出規則のおかげで、彼は転出税を納めなくてよい。ヘルトの住民が他の領地へ移住する場合、ファルツに人身税を納めなければならず、ゲルマ―スハイムの代官がそれを徴収し清算する。同じく村民の子どもは、娘または息子のいずれも、他の領地へ移動する場合、ゲルマ―スハイム代官に届け出て、みずから申告して人身税の後納を守り清算する。燻製の鶏肉と謝肉祭の鶏 §. 19. ヘルトの村民は彼らの人身や家にかんして鶏をファルツに納めなくてもよい。しかし鶏を飼育するいかなる村民も毎年1羽の鶏を首席司祭に納めるが、鶏を飼育しない者は、その代りに12ペニッヒを納める。
十分の一税。§. 23. ヘルトの村域で大小の十分の一税を首席司祭が得るなら、彼はその見返りに村民に教区司祭と種牛を不足なく維持すべきである。しかし首席司祭が不足を招来させたなら、村民は裁判集会の指示にしたがい十分の一税を自分のものとして、それ教区司祭および種牛に相当するものと解釈すべきである。また首席司祭は教区司祭と鐘撞き役を雇い俸給を支給し、教区司祭に特別の住居を設けなければならない。しかしヘルト村の教会は、教会税の会計ににょり維持され建造される。囲い狩猟区 §. 24.ファルツ選帝侯はヘルト村の村域に彼らの諒解を得た狩猟区をもっていないが、ヘルトの村域にある森林では首席司祭が囲い狩猟区をもち、ヘルトの臣民は首席司祭の狩猟を手伝う義務を負う。




 

 

  

5. エルザス Elsaß

5-1. オーバーエルザス Oberelsaß

 5-1-1 ヴォルシュヴイラー Wolschwiler (1438年) 

(ヴォルシュヴィラーはスイス国境に近い集落である) 

 バーゼルの首席司祭は耕地監視人を任命すべきである。誠実な人々が指定する者を、彼は指名すべきである。そして耕地監視人を任命したら、フーフェ保有農たちに16マースのワインと8つのパンを与えるべきである。
 裁判官は毎週月曜日に裁判所に出廷して、土地境界やあらゆる債務について裁き、すべて村と村の耕地のために裁判をおこない、賠償金は大聖堂首席司祭のために裁判官に帰属する。
 あるフーフェ保有農の死亡により農圃が空いたら、彼の相続人または後継者は期限内に他のフーフェ保有農に占有させることができる。そうしなければ、それは聖堂首席司祭に没収される。手放された農圃が一か月経っても占有されなければ、没収される。

 5-1-2 オーバーハッヒェンタール Oberhachental


(オーバーハッヒェンタールはスイスの都市バーゼルの南西にある集落)

  裁判官は年2回、五月と秋に一般裁判集会を開くべきであり、新旧のワインを飲む。
 村民裁判集会ではフーフェ保有農その他の人々は武装すべきである。
 保有地が空いたら、荘園民にそれを耕作させることができ、彼がそこに定住すれば、農地の保有はそれで十分となる。土地保有農民は彼の保有地に住むべきであり。そうすればそこで完全で十分な耕作がおこなわれる。
 フーフェ保有農または相続税義務を負う農民が死亡したら、相続の際に最良の家畜一頭を、ひづめが割れているか否かにかかわらず、納めるべきである。さもなければ四つ編みの繊維製品から取り、さもなければ四脚の木製品から取る。そうすればその相続人は土地保有権移転税を納めることなくその相続分を受け取る。首席司祭はフーフェ保有農から、裁判官は小土地保有者から法の指示を得る。
 荘園法にしたがって判決を求めて第一の裁判所から第二、第三まで上訴することができる。


 5-1-3 ヒューニンゲン Hüningen


(ヒューニンゲンはライン川左岸、都市バーゼルの下流域に位置する)

  首席司祭は裁判集会の前夜に来る場合、12-13人とともに馬で来て、裁判官の屋敷に入るべきである。裁判官の廷吏は馬を受け取り、いかなるフーフェ保有農の家にも馬を連れて行くべきである。馬を受け取らないフーフェ保有農は、彼の家の門の前に柱を立て、それに馬をつなぐことができる。馬がいなくなったら、フーフェ保有農はそれを賠償しなければならない。
 裁判管区の荘園には裁判官は犯罪者を拘留できるさらし台を設けるべきである。犯罪人または悪人の男女をを捕らえた者は、裁判官に引き渡し、裁判官は彼を拘留すべきである。しかし彼を拘束する者は、捕らえられた者に毎日パンと水を与えるべきである。裁判官が捕らえられた者を引き渡せば、彼は任務をはたし、代官は、原告が訴える者の裁判をおこなうべきであり、外来者には同じ時刻に裁判をおこなうべきである。
 イーシュタインの裁判官が、首席司祭にイーシュタインのワインを送りたいとおもえば、彼は船をヒューニンゲンでフーフェ保有農のために仕立てるべきである。フーフェ保有農たちはイーシュタインの裁判官屋敷まで行き、彼に飲食物を提供し、クルミの殻が足の上まで積みあがるほど多くのクルミを彼に差し出すべきである。
 村長と村民は毎年森林監視人を選ぶべきである。裁判官は森林監視人を認証すべきである。
 ヒューニンゲンの境界内に住む者は、森林と共有地でその必要物を探して入手するが、大声で森林監視人に呼びかけてその必要物を入手すべきである。その際、監視人が来なければ、監視人は彼らを非難してはならない。
 春と秋の年2回、いかなる者もその役馬または役牛の状態に応じて、ヒューニンゲンの荘官の犂耕を正午まで手伝い、それぞれ2頭が夕方荘官の家に行き、犂耕をおこない、多かれ少なかれ背負えるだけの干草を取るべきである。
 ヒューニンゲンの住民が転出したいときは、荷物を積んだ馬車か荷車を打穀場に置いて、荘官に次のように語りかけるべきである。すなわち、「荘官様、私は出て行きたい」と。そうしたら荘官は小指で車輪の連結棒を押して、留めることができれば、彼は転出を止めることができる。しかしそれができなければ、彼を次の裁判所に連れて行くことが必要である。

(1429年の証言録の抜粋)
 ヒューニンゲンの裁判管区の次にはブーベンドルフの裁判管区があり、次にバーゼルの聖堂首席司祭の裁判所に入る土の階段があり、そこには15裁判管区から15人の裁判官が来て、聖堂首席司祭が判決をおこなう。
聖堂首席司祭が寄進をしたら。代官も寄進をすべきである。
 聖堂首席司祭は裁判長を任命すべきであり、裁判長は貴族ではなく、ヒューニンゲンの村域内に住む。彼は非貴族的外見をもたないわけでもなければ、村域内の家に住んでいないわけもない。12人のフーフェ保有農がおり、村民はフーフェ保有農のなかから裁判所に席を占める裁判官補佐を選ぶ。
 損害賠償を見聞することがあったり、訴えられたりしても、ヒューニンゲンの裁判官も代官もその裁判をおこなってはならない。


 5-1-4 ニーダーシュペックバッハ Niederspeckbach


(ニーダーシュペックバッハはアルトキルヒに属する集落)


  シュペックバッハ荘園は、そこに6週と3日の間逃げ込んだ者全員に対して自由である。しかし殺人犯を自由によって保護してはならない。ただし、いかなる者も(首席司祭に地代を払わなかった逃亡者または持ち逃げされた財産は、彼の滞納地代または浪費された財産のかわりに取り押さえられ、後述のように裁判所によって追放されうるが)暴力または不法行為をふるってはならず、そこから追放したり、連れ去ったりしてはならない。しかし、とんでもないことだが、そうしたことをしでかす者がいたら、首席司祭によって彼がもつ財産を押収され、代官によって身体刑をうけ、首席司祭と代官はその意志によって処分をすることができる。また荘園の荘官は、荘園に逃げ込んだ者を6週と3日の間拘留し、持ち逃げしたものの費用と損害の対価を科し、低地シュペックバッハの荘官はハインリッヒ・バウマンが提供するベルンヴァイラーの9ユーハルトの耕地と5シリングの貨幣を得る。
 低地シュペックバッハの住民は監視人を置かねばならず、彼は耕地、放牧地を見張り、そこで人畜に害を与える者を見つけたら処罰すべきである。村の役員は罰金を科すために協議する。裁判管区の裁判官と荘園民は司教のオークの森をよく監視して、いかなる者の違反をも罰して罰金を科さねばならない。それゆえ低地シュペックバッハの監視人は裁判官に三年目にディンケル麦の四分の一、ライ麦の四分の一を納めるべきである。その裁判管区のフーフェ保有農も相互に、森林で違反者の発見と処罰に協力すべきであり、それゆえフーフェ保有農は上述の森林で倒木の枝や傷んだ木を取得して、罰金も損失もなく運んでいくことができる。
 農地または農場を売ろうとする者は、まず荘官に申し出て、荘官がそれを買おうとしなければ、彼は1年後に損失なしに農地を売ることができる。しかし荘官がそれを得ようとするなら、荘官は5シリング安く買い取ることができる。
 ある荘園民、フーフェ保有農または土地保有農の死亡によって農地保有権が空いたら、その相続人または後継者が邦内におり、その処分を彼にまかせることができるなら、その相続人は1年後にそれを他のフーフェ保有農に保有させることができる。しかしそうでない場合は、その保有地は首席司祭に没収され、彼の所有地となり、彼の意志により他者へ保有権が授与される。だが彼が邦内におらず、彼に農地の処分をゆだねられないなら、荘官はそれを自分の耕作地として誠実に耕すべきである。だが彼が1年後に邦に帰ってきて、彼がフーフェ保有農の承認により荘官から耕作を引き継ぐなら、それは再び彼の保有地として返却すべきである。
フーフェ保有農が死亡したら、彼がどれほどの大きさの農地をもつかにかかわりなく、4ペニッヒを超える地代を納めているなら、その相続人は、ひずめのわれた家畜、さもなくば割れていない家畜を相続税として納めるべきである。そうでない場合は、馬車、箱など四脚の最良品が徴収されるべきであり、それがなければ、寝具や座布団など4つ編みの最良品が徴収されるが、妻は先に最良品を取るべきである。
 聖堂首席司祭がその地代を要求し、地代を徴収するときには、荘官はフーフェ保有農、荘園民および土地保有民を家から家へと訪ね、そうした地代を請求すべきである。その地代を納めず、あるいは荘官がもう一度来訪して地代を要求しても、聖堂首席司祭の権力に対して地代を納めないと答えるか、納めなかった場合は、荘官を地代と費用を差し押さえることができ、聖堂首席司祭に彼の利益のために3シリングを償うべきであり、さらに荘官は地代を納めなかった者を罰令区内のたとえば村はずれの放牧地で見つけたら、差し押さえるべきである。さもなければ、彼を家畜の水飲み場に連れて行き、そこに何も見つからなければ、荘園に連行し、有償で7日間食事を与えるべきである。さらに荘官は2-3人のフーフェ保有農、または彼が必要と考えるだけの人数のフーフェ保有農を連行して、滞納地代の費用と損失にあたる差し押さえ物件を売るべきである。
荘官の使者が差押えるのを妨げようとする者、あるいは差し押さえ物件を取り戻そうとする者は、聖堂首席司祭に3フントと1ヘルプリングを償うべきであり、他の証拠によって荘官に誓うべきである。
 判決に不服を申し立てたい者はヒューニンゲンの裁判所に上訴すべきであり、最終的には次の3つの裁判所に上訴すべきである。


 5-1-5 グロースケムス Grosskems (1384年)


(グロースケムスは今日のカムにあたる)

  これはザンクト・アルバンの領主に属するケムスの裁判管区において語られる法であり、誓約した(14人の)フーフェ保有農によって1384年に説明され告げられた。
 1. 3人兄弟のうち1人が死亡し、その遺産は2人の兄弟のものとなり、その1人は彼の所有財産の相続分をザンクト・アルバンの領主に、他の1人は彼の相続分をバーゼルの女子修道院に提供し、バーゼルの女子修道院とバーゼルのザンクト・アルバンの領主のほかは誰もケムスの罰令区に所有地をもたなかった。土地と家財はそれら両者の所有であり、人と土地、教会役職の収入の半分は修道院、半分はザンクト・アルバンに属し、わが女子修道院の荘官とザンクト・アルバンの領主の荘官には勤務のために3ペニッヒが与えられるべきであり、彼らはニッファーとケムスでは8ペニッヒを要求し、自分のパンを食べる者は、上述の2人の荘官にそれぞれ3ペニッヒを差し出すべきである。
 2. ザンクト・アルバンの領主の荘官は、司教の荘官のそばに座るべきであるが、彼は手に杖をもってはならず、ザンクト・アルバンの荘官のために小さな代償が与えられるべきであり、わが女子修道院の荘官が立ち上がったら、彼はいかなる権力も自由に行使できないが、座っている間は、権力を行使しうる。村内では司教とザンクト・アルバンの領主は農場をもち、農場には、そこから誰も担保をもちさってはならないという法と自由があり、抵当は農場に設定されるべきである。他人から担保を取る者は、3シリング1ヘルプリングを科される。農場に住む者は、荘官に地代を納める義務を負う。
 3. 荘官は農民たちに一人の監視人を任命すべきである。
 4. グフの荘官は12頭のめ牛、15頭の羊をグフの農場に飼うことができ、彼の領主はザンクト・アルバンの領主であり、誰も彼にさからってはならない。
 5. ニッファーの住民は聖グラリスの日すなわち20日以後の次の月曜日に、2人の荘官のために耕すべきであり、その後休耕して、家畜をグフヴェークまで放牧することができ、ニッファーからライン川まで囲いのうちに放牧することができ、こうして休閑地に家畜を放牧することができる。2人の荘官は犂によって耕作し収獲したら、わが領主にパン、肩肉および赤ワインを差し出し、犂を家に帰し、下男は星が空に出るまで残る。こうして両教会の荘官たちは1ゼスターの木の実をかまどやいろりのまわりに注ぎ、2回以上木の実を取る者はその代金を納めるべきである。
 6. ザンクト・アルバンの領主とケムスの司教の罰令区はまがい橋まで、ニッファー罰令区の境界石まで、ライン川に沿って、ライン川の中へ、馬上試合の馬に乗って槍をもって入れるライン川の中まで及ぶ。
 7. 自由所有地では繁殖用に雄豚と雄牛を飼うべきであり、教会と修道院の2人の荘官
は、一方が1年間雄豚を飼えば、他方は雄牛を飼うべきである。
 8. 修道院とサンクト・アルバンの両教会から4モンタークの耕地を取得して、これを上級代官に提供した者がいれば。恐るべき死罪を犯した者として、成敗すべきである。両教会の荘官は彼らに対する裁判をおこなうべきであり、有罪判決がおこなわれたら、彼らを有罪とした後に、2名の廷吏に引き渡し、彼らをオットマルスハイムの上級代官に引き渡すか、ニッファーの境界石まで連行して彼の役人に引き渡すよう勧告し、彼に対する有罪判決のとおり、彼を処刑すべきである。彼をニッファーの境界石の上手で取り返すか、助けようとする者がいるなら、バーゼルの司教とザンクト・アルバンの首席司祭、あるいは命令権をもつ者が、それを保障すべきである。境界石の下手で彼を助けようとする者がいれば、上級代官がそれを保障し保護すべきである。しかし誰もそれにかかわりあわなければ、廷吏が彼をオットマルスハイムの首長に引き渡して彼を裁き、首長は廷吏に飲食物と赤ワイン、固くないパンと厚い肉をふるまうべきである。彼らが首長と別れる際、彼らがその帰途に必要とするなら、首長はどの廷吏にも1シリングを小銭で与えるべきであり、廷吏たちは、男女いずれであれどろぼうや犯罪者がほかに死罪に値する犯罪をおかしたら、逃げないようにつかまえて引き渡せば、犯罪者は逮捕される。
 9. われわれはすべての領主の領民であり、男も女も、農奴でないかぎり、望む所へ、6頭立ての馬車で移動することができ、荷物を積んで去ろうとするときは、2人の荘官のうち1人のもとへ行き、私は出ていきたいというべきである。そうすれば、その荘官は四輪車の連結棒に小指をあててそれを持ち上げることができれば、彼は戻ってとどまるべきであるが、持ち上げられなければ、自分の望む所へ行ってもよい。
 10. いかなる領主にも服従していない男が来て、長い間、山腹の叢林で木を伐り、2人の領主のどちらかに奉仕したいと考えるなら、この間彼に課税すべきではない。
 11. わが領主としての司教と首席司祭、あるいは汝らに命令する者は、ケムスの罰令区において窃盗と犯罪行為および流血を裁く権限をもつ。
 12. クラインケムスの上手の荘園の荘官は1頭の犬をもち、領民1人あたり1チンスペニッヒ、馬1頭あたり4チンスペニッヒの報酬で穀物を運ぶように手配すべきである。もしグロースケムスで住民が逃げなければならないような恐るべき災難が生じたら、荘官は外来者の物を船から放り投げ、大ケムスの住民の物を優先的に運ぶべきであり、その後に他の人々の必需品を適切に運ぶべきである。
 13. 人の命を奪うなどの犯罪をおこなった者が、ライン川に来て、「船頭、船を出してくれ」と叫んだら、彼は船を出すべきである。そして誰かが彼を追ってきて、「船を出してくれ」と叫んだら、彼は最初の者を運んで、岸を離れてから、他の者の所へ行くべきである。しかし、追跡者が来て、船が岸から離れたら、彼は最初の者を船の前方に座らせ、追跡者を後方に座らせ、彼は両者の中間に立ち、岸に着いたら、まず最初の者を降ろし、その後追跡者を降ろせば、不法行為をしないですむ。
 14. 罰令区の穀物をライン川で輸送しようとする者は、2人の荘官に穀物1マルターにつき1チンスペニッヒを納めるべきである。
 15. ザンクト・アルバンの首席司祭はケムスに相続税を課された5つの農圃をもち、どの農圃も相続税を納め、ある農圃保有者が死亡したら、1頭を除く最良の家畜を納め、家畜をもっていない場合は、四つ編み以外の最良の羽根ぶとんを納め、羽根ぶとんがなければ、長持を納め、長持がなければ、四角い家の扉または5シリングを相続税のかわりに取られる。彼が家も農圃ももってなければ、5シリングを納めるか、望まなくても財産を手放すか、処分すべきである。
 16. ある男が来て、金をもってないので、パンを売る者に「パンをくれ」と言うと、彼は「金を出せ」と言う。そこで金をもってないと叫ぶと、彼は代金より3分の1だけ高い価値の、血の出ない担保をとり、それをパン屋の売り台に置けば、その後パンを持ち去り食べても、売り手はそれを請求する権利をもつことはできない。あるいはワインを売る者は、血の出ない担保を代金の3分の1だけ多く取っても、決して不法行為をはたらくことにはならない。担保を8日間で買い戻さない場合、飲食店主は担保を売ることができ、担保は8日間で代金のかわりになくなる。
 17. グロースケムスの十分の一税は、われわれとリーンハルト・イゼリンが現在保有するトゥロットホーフェンとの間で平等に、穀物で分担されるべきである。しかしわれわれが4フントの蝋と1フントの土地保有権移転税を負担し、トゥロットホーフェンが5シリング以上の土地保有権移転税を負担しないという不平等な分担がおこなわれ、しかもトゥロットホーフェンの尺度が市民尺度であるなら、われわれの尺度はリッター尺度と呼ばれる修道院 の尺度であることが保証されるべきである。
 18. ケムスの教会と教会役職の収入の半分はバーゼルの司教に、他の半分はザンクト・アルバンの教会に納められ、その一部を与えられていた僧職者が死亡するか退職したら、残りの部分は、従来おこなわれていたとおり扱われる。
 相続税が課される農地の十分の一税もザンクト・アルバンの修道院に属する。


 5-1-6 オーバーミッヒェルスバッハ Obermichelsbach (1457年)


(オーバーミッヒェルスバッハは今日のミッヒェルバッハ・ル・オー)

 1. 第一にザンクト・アルバンのいかなる現首席司祭もオーバーミッヒェルバッハの村内に正当な荘園裁判管区とそれに属するすべてのものを有し、荘園裁判管区のフーフェ農地、メンタークまたはフーフェのために、現首席司祭が、またはフーフェ保有農民相互で、あるいはその他よそ者がなすべきことは、一般フーフェ保有農民の荘園裁判管区以外では決して正当化されてはならない。すべては協議と裁判集会の文書にしたがって、ラントゼーアの騎士、司令官、上級代官および抵当債権主で厳しく堅実な領主チューリング・フォン・ハルヴィルによって作成され、最後に1457年聖ゲオルギオスの日(4月23日)の後の火曜日にザンクト・アルバンの首席司祭で威厳ある領主ペーター・レーヴリン、ツヴィンゲンとギルゲンベルクの男爵で高貴な生まれの貴族ルート・フォン・ランシュタイン、堅実なルドルフ・フォン・ハルヴィレンによって授受され、封印された。
 2. ザンクト・アルバンの首席司祭はそうした荘園裁判管区に対して信頼する代官を任命し、代官は首席司祭と教会、荘園裁判管区および一般フーフェ保有農民の役に立ち、有益であり、首席司祭は授封法によって彼に代官管区を終身授封するが、相続はさせない。
 3. 代官が初めて任命されるたびに、彼の前で裁判官とフーフェ保有農は誓約をおこない、ザンクト・アルバンの首席司祭、教会および荘園裁判管区の名誉を守り、彼らの法を遂行することを公にフーフェ保有農の前で誓うべきである。
 4. さらにメンタークとフーフェ農地をもつすべての、いかなるフーフェ保有農も、代官に誓約すべきであり、まず第一に教会の首席司祭に、その後に教会と裁判集会の代官に従順であり、最も忠実で賢明に行動し、彼らと荘園裁判管区の利益を促進し、損害を避けることを誓うべきであり、定例裁判集会とそのときどきに開かれる裁判集会では、裁判官は領主またはその他の人々の呼びかけによって、必要とあらば出廷して、その最良の知性によって判決と法を告げ、毎年定例裁判集会に彼らの荘園地代を納め保証することを命じられる。
 5. 代官はフーフェ保有農たちのなかで有用で良好と考える者を代官に任命し、新しい裁判官の任命がおこなわれるたびに、この裁判官は首席司祭とその教会、代官と荘園裁判管区とフーフェ保有農に、最善を尽くし、彼らと荘園裁判管区の利益を促進し、損害を避け、荘園裁判管区の名誉を守り、いかなる者にも平等に法を認め適用することを誓うべきである。
 6. 前述の代官は毎年その裁判官をつうじて聖マルティノの日(11月11日)とクリスマスの間に、フーフェ保有農民たちに定例裁判集会を日曜日に開催することを告げるようとりはからうべきであり、彼は8日前にこうしたことをおこない、いかなる者も裁判に参加するように備えるべきである。
 7. その年におこなわれる裁判集会に参加することを聞きのがし、出席しなかったフーフェ保有農は、代官に3フント1ヘラー、裁判官といかなるフーフェ保有農民にも3シリング4ペニッヒを償いとして納めるべきである。
 8. 定例裁判集会が告げられたら、ザンクト・アルバンの首席司祭またはその代理人ほか1名、代官ほか2名は、1羽の鳥と2頭の猟犬を連れて来て、犬が誰も傷つけないようにしつけるべきであり、フーフェ保有農民は彼らを手厚く歓待し、犬にはライ麦パンを与え、鳥にはにわとりを与え、馬には腹の高さまで清潔な麦わらを与え、4ゼスターのエン麦も与えるべきである。
しかし定例裁判集会が開かれなければ、そうした義務は負わない。
 9. 代官が荘園裁判管区のためにフーフェ保有農民によって呼びかけられたら、彼に協力すべきであり、彼が一本の杖を手にしたら、他の杖を手にもって、フーフェ保有農民に協力すべきである。
 10. 荘官は、最初の命令の際に代官に両集会の日に代官税を払わなければならないという荘園法を承知すべきである。フーフェ保有農民に課された荘園地代を定例裁判集会の開催日に納めることなく、8日間の猶予期間を過ぎれば、代官税に加えて罰金として3シリング4ペニッヒ科されるべきである。また、荘園裁判管区の荘官とフーフェ保有農民にそれぞれ科される3シリング4ペニッヒは、すべてバーゼル硬貨で納めるべきである。その後8日だいか経っても代官税を罰金とともに払わなければ、代官に対して前述の額に加えて9シリングの罰金を科されるが、フーフェ保有農民たちには何も納めなくてよい。その後3日経ってもフーフェ保有農民が代官に荘園地代も罰金も払わなければ、両方の罰金に加えて1フント、すなわちバーゼル硬貨で32シリング5ペニッヒ、さらに荘園地代も代官に納めなければならないが、フーフェ保有農民たちには最初の罰金以外は納めなくてもよい。その後代官は荘官に、動産担保を差し出すように求めることができる。また彼は法によって告発をおこなったのと同じように、8日後にはこの担保を売却できると宣誓すべきである。
 11. 荘園裁判管区に属する土地は14 メンタークであり、いかなるフーフェ保有農民もそこから毎年裁判集会の際に代官に3シリングと2羽のにわとりを差し出すべきである。
 12. いかなるときに裁判集会を開こうとも、裁判に出席しなければ罰金が科される。
 13. 裁判集会が終わり、代官が馬に乗って行こうとするなら、飲食店主は手綱をとって、誰が飲食費を払うのかと、彼に尋ねてもよい。代官は、8日のうちに汝に払われると、言うべきである。そして、フーフェ保有農民たちに言って、その間に支払がおこなわれるよう注意させるべきである。そうしたら、店主は代官を馬で行かせるべきである。彼が8日たっても支払われないので、代官に訴えたら、代官は裁判官に命じて、もう一度裁判集会を開き、支払いを怠った者を訴え、この者たちは償いをすべきである。
 14. 裁判集会を求め、必要とする者が、裁判官に法を嘆願すれば、荘官は彼に裁判集会を命じ、法にしたがわせるべきである。こうして法にしたがう者は、裁判集会にかかる費用の支払いをおこなうべきである。
 15. フーフェ保有農民ではない外来者が、荘園裁判管区に法を求め、裁判官に嘆願したら、前述のように、裁判官は彼に8日前に裁判集会を命じるべきである。彼は裁判官に協力して、法をを遂行して告げられたことに従うという保証をし、その裁判集会にかかった費用を支払うべきである。
 16. 定例裁判集会であれ、それ以外の集会であれ、裁判集会への出席を命じられたフーフェ保有農民が出席せず、不従順である場合は、規定どおり償いをすべきである。
 17. フーフェ保有農民以外の者は、荘園の荘園裁判管区でも裁判集会でも発言してはならない。
 18. 定例裁判集会を開くたびに、裁判官はフーフェ保有農民全員に誓約させて、荘園の裁判管区に属する農地の変更、移転、譲渡または売却がおこなわれたか尋ねるべきである。彼らは宣誓して、そうした農地に変化があったと聞いた場合は、言うべきであり、彼は裁判官にただちに言い、裁判官は代官に知らせ、代官は次の裁判集会までに告示し、法として正しいことをおこなわせるべきである。
 19. 荘園裁判管区に属する農地は、変更、売却または移転も、譲渡もしてはならない。そうしたことをおこなったことが判明した者は、規定にしたがって償うべきである。
 20. 農地を変更、売却または移転しようとする者は、荘官に告げ、荘官は代官に告げるべきである。彼が農地をみずから売却しようとする場合は、売り手はそれを5シリング安く譲るべきである。そうでない場合は、彼は荘官にそれを売却する許可を求めるべきであり、そうしたことが他の目的や裁判集会以外でなされるなら、そのようなことをした者は規定により償いをすべきである。
 21. 荘園裁判管区内の農地を買う者は、他荘園の裁判管区にも同様な法があるように、その土地保有移転税を払う義務を負う。
 22. 首席司祭、その管理人、さらに代官も、そのような地代についてフーフェ保有農民を他の裁判所に召喚してはならない。地代を納めない者がいれば、荘官に呼びかけることができ、荘官はいかなる者にもそうした地代を8日のうちに支払うように命令する権力をもち、違反すれば罰せられる。彼がこれを無視すれば、原告は彼の地代に対する担保を差し出すように荘官に求めることができる。彼はそれにふさわしいことをただちにすべきである。それについて裁判集会が命じられ、担保が最初の裁判集会の法によって売られ、その費用を彼が負担しない場合は、このふとどきものはこの費用を罰金とともに納めるべきである。
 23. ザンクト・アルバンの首席司祭または代官がフーフェ保有農民と意見の違いがあるときは、彼らはニーダーランスバッハの荘園裁判管区に訴えることができる。またこの裁判管区は、同じ領主に属するオーバーミッヒエルバッハの裁判管区に訴えることができる。
24. これに違反し、これを無視する者は、代官に3フント1ヘルプリングを、荘官とフーフェ保有農民にそれぞれ3シリング4ペニッヒを納めるべきである。
 25. 荘園裁判所に提出する証書を失くし、悪しき言い訳をする者は、裁判官およびいかなるフーフェ保有農民にも3シリング3ペニッヒの賠償金を納めるべきである。しかし不法行為のために証書を失くし、あたかも財産が荘園裁判管区から失われたか、または不法に奪われたかのふとどきな言い訳をする者は、代官にもっと大きな賠償金3フント1ヘルプリング、いかなるフーフェ保有農民にも3シリング4ペニッヒを納めるべきである。
 26. 代官が鳥と犬を連れてきてもよいか、あるいは自宅に残しておくか、フーフェ保有農民による聴取と承認がおこなわれる。
 27. 代官が病気または不在、さもなくば多忙であるときは、彼は他人を代理に送ることができる。
 28. 4メンタークの農地は死亡税が課される農地である。あるフーフェ保有農民が死亡したら、1頭を除き最良の家畜を納めるべきである。


 5-1-7 ニーダーランスバッハ Niederranspach (1457年)



(ニーダーランスバッハは今日のランシュバッハ=ル=バ)

 
 最初に、ザンクト・アルバンのいかなる首席司祭も現在ニーダーランスバッハの村落にそのすべての付属物も含めて法的な荘園裁判管区をもつ。現首席司祭が荘園裁判管区とフーフェ農地、メンタークまたはフーフェのために、また同じくそれらのためにフーフェ保有農民同士で、または他の外来民同士で処理する権利は、荘園裁判管区における一般フーフェ保有農民以外には、いかなる者にも認められない。すべては領民と協定書とにしたがって、ザンクト・アルバンの尊敬すべき領主の首席司祭ペーター・レヴリンを通じて、ツヴィンゲンとギルゲンベルクの男爵のである高貴な貴族領主ルドルフ・フォン・ラムシュタインの協力により、彼の領民のために、またラントザーの地方行政区の騎士、司令官、郡代官および債権主で、勇敢で厳格なチューリングス・フォン・ハルヴィラーのいとこにあたる堅実な貴族領主ルドルフ・フォン・ハルヴィラーの協力を得て、その地方行政区に属する領民とフーフェ保有農民のために、気高く賢明で学識ある師匠で、助任司祭のペーターゾン・ルフト、師匠ハインリッヒ・フォン・ベインハイムおよび師匠ペーター・フォン・アンドロウは、全員が宗教法の博士および修士であり、誠実なブルクハルト・ベッセナー・フォン・バーゼルをバーゼルの主教座聖堂参事会菅区のライミネン・シュテーゲンの荘官に任命し、クレヴィ・ブラーツをヒューニンゲンの荘官に任命し、古いチュリの収税吏でヒューニンゲンの2名のフーフェ保有農民リーンハルト・ボイマースとクレヴィ・マンゴルツアルテンシュヴィラーの荘園裁判管区のフーフェ保有農民とし、パウル・ヘーフェインガーおよびジーモン・ヴィースリーをベレンツヴィラ―の荘園裁判管区のフーフェ保有農民とした。そして1457年聖ゲオルギオスの日(4月23日)の後の火曜日に、上述の首席司祭、貴族領主ルドルフ・フォン・ラムシュタインおよびルドルフ・フォン・ツェルヴィラ―によって書状が授与され押印された。
第一に、ザンクト・アルバンの首席司祭はそうした荘園裁判管区に彼とその教会にとって信頼しうる代官を任命し、有用な平民フーフェ保有農民も任命し、彼に代官管区を授封し、これには週裁判所と居酒屋とラントザーの上級裁判所も属し、そうした代官管区は彼に相続ではなく終身の授封法によって授封する。
 2. 新代官が初めて任命されるたびに、彼の前で荘官とフーフェ保有農民は宣誓すべきであり、代官はフーフェ保有農民と首席司祭または彼の代理人に宣誓し、ザンクト・アルバンの現首席司祭、教会、荘園裁判管区およびフーフェ保有農民に対して、できるだけ最善を尽くし、彼らの損害を避け、彼らの利益を促進し、荘園裁判管区と週裁判所の名誉を守り尊重し、その法を遂行することを誓うべきである。
 3. 前掲オーバーミッヒエルバッハの§3, 4の荘園規則と同じ
 4. 同上 §5.
 5. まず上記のメンタークには13メンタークの土地が属し、そのうち12メンタークはそれぞれ毎年定例裁判集会に荘園裁判管区の代官に1羽のにわとり、18バーゼル・ペニッヒを納め、第13メンタークはフーフェ保有農民に属するべきである。
 6. 前掲 オーバーミッヒエルバッハの§ 6と同じ
 7. それをおこなわず、命令にしたがわないフーフェ保有農民は、代官に1ヘルプリングと3フントのバーゼル硬貨を納め、荘官といかなるフーフェ保有農民にも3シリング4ペニッヒのバーゼル硬貨を納めるべきである。
 8. オーバーミッヒェルバッハの§8と同じ。猛禽にはにわとり、それを料理する女には2組の白い手袋、馬には腹まで積んだ白い麦わらと飼料を十分与えるべきである。しかし、定例裁判集会がない場合は、そうしたことをおこなう義務はない。
 9. 代官に犬や鷹狩りを提供したくない場合、それをやめることができ、彼の考えにゆだねるべきである。
 10. 代官が定例裁判集会であれ、その他の裁判集会であれ、みずから出席したくないか、出席できない場合は、彼の代理を送ることができ、裁判集会はそれによって遅滞してはまらない。
 11. オーバーミッヒェルバッハの§10と同じ。
 12. すべての共有地は、森林、農地、耕地、草地であれ、その他何であれ、ニーデルンランスバッハの当荘園とそこに住むすべての領民に属し、それ以外の者はいかなる権利ももたない。
 13.オーバーミッヒェルバッハの§9と同じ。
 14. 裁判集会を開くとき、裁判に出席しない者は規定にしたがい、荘官に1ヘルビング3フント、フーフェ保有農民に3シリング4ペニッヒを償いとして納めるべきである。
 15-21. オーバーミッヒェルバッハの§13-19と同じ。
 22. 荘園裁判管区に属する自分の農地を、移転、変更または売却したい者がいれば、彼は、それを買いたい者に提供することができ、買い手は首席司祭またはその管理人に保有を願い出るべきである。そうすれば、首席司祭または管理人はそれを、他者と同様、彼にも貸与することができる。
 23. 定められた項目、箇条に違反する者は、代官に対して、違反のたびに1ヘルビング3フント、荘官とフーフェ保有農民にそれぞれ3シリング4ペニッヒを償うべきである。
 24. 裁判集会の法にかんする報告書または申立書を失い、提出できない者は、フーフェ保有農民の判断にしたがって償うべきである。
 25. オーバーミッヒェルバッハの§22と同じ。
 26. 当裁判所からオーバーミッヒェルバッハに訴え、オーバーミッヒエルバッハとニーダーランスバッハが同一領主に由来するなら、同じようにオーバーミッヒエルバッハの裁判所からニーダーランスバッハの裁判所へ訴えられる。


 5-1-8 コッツハイム Kotzheim (1510年)


(クロッツハイムは今日のケッツィング)

  司教座聖堂参事会首席司祭が2回の定例裁判集会を開くか、あるいは首席司祭が新しく選ばれた場合は、彼が荘園と荘園民とともに荘園農地を得た後に、荘官とフーフェ保有農民は分担金を納め、いかなるフーフェ保有農民にも分担金を課すべきである。
 農民保有地が空いて、誰も耕さないなら、首席司祭はフーフェ保有農民と荘園民に、農地を耕し、満足できる地代農民と土地保有農民を提供するように強制することができる。
 荘園農地をもつ者は、相続人が邦内にいるなら、一カ月の期限内にフーフェ保有と土地保有の両方をおこなうことができる。相続人が邦内にいなければ、他のフーフェ保有農民に土地を保有させるべきである。そうしなければ、その農地は没収される。
 コッツィンゲン村に囲い地がある場合、その3分の2は代官のものであり、3分の1は聖堂首席司祭のものである。
 フーフェ保有農民または相続税納付義務を負う農民が死亡したら、首席司祭に最良の家畜を相続税として納め、首席司祭の好みに応じてひづめが割れた家畜または割れてない家畜がいれば、それを納めるべきである。


 5-1-9 ツィマースハイム Zimmersheim (1482年)



(ツィマースハイムは都市ミュルーズの近郊)

  あるフーフェ保有農民または相続税納入義務を負う農民が死んだら、彼は・・・(不明) 、相続人は土地保有権移転税によってその農地を取得するか、相続分の相続税に土地保有権移転税を充当することができ、そうすれば、彼はワインであれ、穀物であれ、あるいは現金であれ、地代を彼の保有農地から納めたことになる。
 地代をしかるべきときに納めることを怠った者は、その償いをすべきである。すなわち、それは次のような決まった日になされるべきであり、最初の日は聖燭祭(2月1日)後の平日、次の日はその8日後、第3の日は四旬節における第2の主日後の月曜日、つまり四旬節の最初の4日間の月曜日であり、いずれも平日の朝おこなわれる。その地代を納めなかった者は、聖堂首席司祭に各裁判ごとに3シリング、3回の裁判で合計9シリングを償い、その後すなわち最後の裁判集会の8日後、以前に納めた贖罪金と同額の9シリングを神に償い、合計で18シリングが支払われ、その後8日経っても18シリングが支払われなければ、さらに18シリングが科され、全部で36シリングとなり、さらに8日後には贖罪金は倍増する。地代を滞納した農民の農地は科された贖罪金を耐えられないと、聖堂首席司祭の荘官が考えるなら、荘官は2-3人のフーフェ保有農民を呼び、不従順な者の農地を没収し、その滞納者から滞納した地代、費用および損害のかわりに彼の農地を取り上げることができる。

 5-1-10 エッシェンツヴィラー Eschentwiller (1483年)



(エッシェンツヴィラーは都市ミュルーズの近郊)

 エッシェンツヴィラーの判決を不服とする者は、コッツィンゲンに訴えることができ、そこからフーニンゲンに訴えることができ、そこで6週間権利をもち、あるいはその訴えを撤回することもできる。エッシェンツヴィラー荘園裁判所から控訴しようとする者は、コッツィンゲンへ、フーニンゲンへ、ブーベンドルフへ、バーゼルのライメンシュテーゲンへ控訴すべきであり、それが上級裁判所であれば、そこにとどまる。彼は控訴を8週間でなしとげるべきであり、さもなくばフーニンゲンとブーベンドルフの控訴を撤回する場合は、同じ期間に撤回すべきである。そうした控訴をバーゼルのライメンシュテーゲンの聖堂首席司祭庁におこなう者は、いかなる当事者も聖堂首席司祭に保証金として100フントを納めるべきである。聖堂首席司祭が控訴を受け入れたら、控訴した者は彼に2フィアツェルのエン麦を裁判所に納め、バーゼルのわが領主の裁判所にも納めるものとする。これが法である。


 5-1-11 ジゴルツハイム Sigolzheim (1320年)



(ジゴルツハイムはコルマール市の近傍の集落である)

  これはジゴルツハイムの荘園法である。 

 われわれはまず、最初の裁判集会が聖母マリアの日(3月25日)の後の木曜日に始まることを告げる。この裁判集会は、後述のように4回おこなわれる。荘官がなくてもいいとおもえば、裁判集会は3回でよい。法の慣わしによれば、礼拝堂は手桶一杯のワインと12の白パンを提供し、荘官もそれと同じだけ提供すべきである。フーフェ保有農民の法では、いかなるフーフェ保有地も夕方2ゼスターのエン麦を提供すべきである。これを怠り、エン麦を提供しない者は、荘官に2バーゼル・シリングの罰金を納める。伝えられている法によれば、前述の木曜日の集会はにはいかなるフーフェも2フィアテルのワインと8ペニッヒを差し出すべきであり、そのかわり新しいワインと昨年のワイン、煮炊きされた料理が彼らに出される。また伝えられている法によれば、ベッツェンタールで見張りをする2人の監視人はベルクガッセンから出発して、道の両側にあるぶどう畑に足を踏み入れ、大桶を満たすブドウの房を砕き、運搬後あらためて法にしたがって砕くべきである。これは2人のフーフェ保有農に依頼すべきである。ベルクガッセンの道はベッツェンタールまでおよび、そこで搬出入が終わる。
 荘官の法によれば、荘官は聖マウリティウスの日(9月22日)にこの村に来て、聖マルティノの日(11月11日)まで村内にとどまるべきである。そして彼はこの荘園に枡と斧をもってくるべきである。そしてその一つを自分で携帯し、他を当荘園内に残し、あずまやに行き、そこにいる下僕を助けて、領民を呼び寄せ彼らの地代を集めるべきである。聖母マリアの日と聖マルティノの日の2回の裁判集会の際に、裁判集会に出席する領主への返礼に2 シリングの牛肉と1シリングの魚を夕食に提供し、彼が聖マルティノの日に立ち去るとき、彼らの法を彼らに認めるように、彼の奥方に新しい雌うさぎの毛皮を差し上げるべきである。彼はまたアルテンベルクの壁の傍に1ユーヒェルトのぶどう園、アルテンベルクの罰令区境界に1ユーヒェルトのぶどう園、ラトルツベルクに小屋をもち、これは当村に属し、見張番のワインのかわりに半分ずつ種類の異なる穀物2フィアテルが支給される。
 廷吏の法によれば、彼は4回の裁判集会で当村のフーフェ保有農民に出席を命じるべきであり、そのかわり彼はエーベルスハイムの領主農場の傍のラドルツベルクに一片のぶどうの畑をもつことが古くからの慣わしである。
 わが領主の歓待の法によれば、彼が聖母マリアの被昇天の日の裁判集会にぶどう園の視察に来たら、彼には日中に昨年のワインと新ワインを提供すべきである。そして彼が望めば、フーフェ保有農民は彼に夜のベッドを用意して、彼に立派なベッドを提供すべきである。
聖マルティノの日の後の最初の木曜日の他の裁判集会は、前述と同じ法を彼らに認める。すなわち、礼拝堂は手桶一杯のワインと12の白パンを与え、荘官も同じだけ与える。その日いかなるフーフェ農圃も12フィアテルのワインと8ペニッヒを提供し、そのかわりフーフェ保有農民には煮炊きした料理がふるまわれる。
当荘園の法によれば、豚を放牧すべきであり、放牧以外の方法で飼ってはならない。豚は森に放牧し、畑に放牧してはならない。フーフェ保有農民はオス豚ももつべきである、わが修道院長が必要とするなら、フーフェ保有農民は彼にワインをエッケンバッハまでもっていき、わが修道院長と飲食をともにすべきである。
当森林区の森林番人の法によれば、彼は聖マルティノの日の当裁判集会に出席し、荘園に12の新しい椀、12の新しい酒杯、松枝の束を持参し、フーフェ保有農民にそれらを提供すべきである。
森林番人の法によって、森林番人が緑の立ち木から炭を焼いている者を見つけたら、1フントを徴収すべきである、彼が罰金を徴収できなければ、その手を切り株の上で切り落とすべきである。大工が木を伐ろうとしているのを見つけたら、5シリングを徴収すべきである。ムーレンバッハ川のこちらで魚をとるのを見つけたら、5シリングを徴収すべきである。
 聖マルティノの日に前述の当裁判集会が開かれたら、炭焼きと大工は地代としてそれぞれ1ウンツェの金銭、1フィアテルのワインおよび4個の白パンを納め、ムーレンバッハ川に入り、カインノルツシュタインで川から出て、パリスの高い尾根へ登り、そこで一夜を過ごし、翌朝いかなる者にも2着のズボンのための1エレの毛織物が与えられ、ズルツェンハイムとメッツェロールへ行き、わが森林区で木を伐るいかなる家からも1ウンツェの金銭を受け取り、そこからミュンスタータールへ行くと、彼らにその金銭を与えるべきである。そして夜になると、火に麦わらをくべ、彼らが眠るようにバイオリン弾きを呼んでバイオリンを弾かせ、さらに下僕を呼んで彼らの衣服が燃えないように見張らせるべきである。そして翌朝に彼らはそこを去って、わが領主たるザンクト・グレゴールの修道院長はいかなる者にも2足の新しい靴を与えるように命じ、彼らはヴィルレの荘園に行き、そこで朝食を食べ、さらにドリンクハイムの荘園に行き、そこで彼らは接待をうけて樽から赤ワインを飲むべきである。朝になったら、彼らはその地代を分けて、ジゴルツハイムの地代を二つに折半すべきである。誰かが不当にも攻撃をしかけるか、共同森林区で暴力をふるったら、これら7荘園は地代をめぐって7つの戦闘をおこなうべきである。
 これは五月の最初の木曜日に開かれ、法が得られる裁判集会であり、代官は夕方馬に乗る下僕1人、1頭の乗馬用の馬、1頭の馬および2頭の猟犬、1羽のオオタカを連れてきて、彼は歓待をうけ、翌朝裁判に出席し、法による裁判をおこなう。そして彼は罰金を彼の財布に入れ、立ち去るべきである。彼の下僕には8分の1フーダーの飼料を与えるべきである。
 荘園が空席となっている代官を必要とする場合は、わが修道院長は彼を連れてくるべきであり、彼の移動に5シリングを与えるべきである。
 フーフェ保有地の財産が移転されるときは、長期間荘官の手に置かれるべきである。しかし財産をもつ者がその期限について荘官と意見の一致をみない場合、荘官はその財産を荘園のものとすべきである。そして荘園は、彼が被った損失と権利を彼に補償すべきである。

 5-1-12 ヴェーレンツハウゼン Werentzhausen (1420年)


  これはウェレンツハイムとエンシンゲンの荘園裁判集会である。
 まず最初に、そのときどきのザンクト・モ―ラントの首席司祭は毎年5頭の馬とともにそこに宿泊の権限をもつ。首席司祭は彼が食事をしようとする宿にその前夜一人の料理人をを送るべきであり、首席司祭の一行はよいもてなしをうけるべきである。また彼の馬には干草、麦わらおよび飼料を充分に与え、夜には軽食、朝にはささやかな朝食パンを提供すべきである。また首席司祭は1-2人の実直な者を支障なく得られ得られるなら、彼の荷物を背負わせることができる。また首席司祭は猛禽、猟犬を連れて行くべきである。途中で何かを捕えたら、フーフェ農民たちと分かち合うべきである。
 農地の持主が亡くなれば、住宅も課税も消失する。
 地代が他の第三者の手に渡ったら、荘園領主は農地を没収することができ、その農地に課されていた滞納地代とともに彼のものとなる。
 法によって首席司祭は死亡税を徴収し、1頭を除いて最良の家畜を取得すべきであり、荘園法にしたがって相続人には農地を再度貸与すべきである。
 いかなる者も荘園に農地を自らもつべきである。またいかなる者も一定期限にフーフェ保有権を更新すべきである。そうしない者は首席司祭にその農地を没収される。フーフェ農地をもつ者が死亡して、保有者がいなくなれば、死亡税を納めるべきである。もし相続人がそれに逆らおうとするなら、首席司祭は彼の農地の死亡税を取りに行き、シュペッヒバッハに上訴することができである。女性が農地をもっていれば、彼女は土地保有者またはフーフェ農民に彼女の農地を保有させることができる。
 定例裁判集会を開催したら、いかなるフーフェ農民も命じられることなく他の農民に答えることが法の定めである。
 フーフェ農民が要求すれば、首席司祭はビュスヴィルレのわが荘園から4人のフーフェ農民を取得することができ、彼らは首席司祭に従順にしたがうべきである。同じくエンジンゲンでは、シュペヒンゲンの4人のフーフェ農民をエンジンゲンに取得できる・・・・。
 一人のフーフェ農民を定住させれば、荘園管理人には1フィアテルのワインが徴収され、フーフェ棒民たちにも同量のワインが徴収される。
 荘園における法として、いかなる者も彼の農地を売ってはならない。彼はまず荘園管理人に申し出て、他者より5シリング安く提供すべきである。それでは結着せず、農地をそれ以上の価格で売るなら、その農地は違反の代償ととして首席司祭に没収される。
荘園管理人が命令すれば、その命令の実行に反すれば10フントの罰金を科せられる。ただし、荘園に属さない農地へ行く者、またはフーフェ農民に対する他の命令についてはその限りではない。命令を守らない者および荘園管理人の命令に反する者は、首席司祭に容赦なく10ペニッヒを徴収される。
フーフェ農民は裁判集会の食事の後に法を告げるべきであり、修道院から持ち去られたり遺贈された農地が所有地として売却されたり、あるいは修道院から失われるかもしれないと知っているなら、宣誓してそれを糾弾し、提訴し、証言すべきであり、それがいかに仕組まれたかをフーフェ農民たちは証言すべきである。
 荘園における罰金はフーフェ農民には3シリング4ペニッヒ、荘園管理人にも同額が科せられる。少額の罰金からは首席司祭は何も得ない。しかし首席司祭の権限に属する宣誓と名誉にかかわることをフーフェ農民が無視すれば、首席司祭は10フントの罰金を科すことができる。
 荘園農場でワインを小売りする者は、首席司祭に樽底のワインを納めるべきである。
 法によれば、首席司祭は荘園でいかなるフーフェ農民および地代負担農民も訴えることができる。そして裁判所で十分に弁明できない者は、荘園管理人に3シリング4ペニッヒの罰金を納め、各フーフェ農民にも同額の罰金を納めるべきである。
 法によれば、荘園領主または彼の荘園管理人は地代のかわりに差し押さえをすることができ、差し押さえ物件を8日間保持することができる。さらに彼は差し押さえ物件を地代と同じように扱うことができる。
 法によれば、いかなるフーフェ農民も定例裁判集会の後に8日間経過しても地代を納めなければ、首席司祭に毎日3シリング4ペニッヒを科せられ、彼が地代を支払うまでこの罰金は地代に上乗せされる。
 法によれば、荘園において首席司祭または荘園管理人に対してであれ、フーフェ農民同士であれ、争う者は、争いをシュペヒバッハの荘園裁判所に控訴し、それ以外の裁判所に控訴してはならない。
法によれば、控訴をしようとする者は、荘園管理人に懇願して、法にしたがってシュペヒバッハに行くことを保証すべきである。またそれを必要とするいかなるフーフェ農民も、荘園管理人にフーフェ農民一人当たり3シリング4ペニッヒの手数料を納めるべきである。
 参審員のフーフェ農民以外いかなる者も法を告げてはならない。
 荘園管理人はフーフェ農民を採用してはならない。ただし、少なくとも2人のフーフェ農民がすでにいる場合は、その限りではない。その際、荘園管理人は3シリング4ペニッヒを徴収し、フ-フェ農民たちは1フィアテルのワインを徴収する。
 法によれば、首席司祭は荘園への到来を8日前にフーフェ保有農たちに知らせgべきであり、彼が宿舎で食事をとろうとするときも、8日前に知らせるべきである。
 荘園管理人はフーフェ農民に命じて年に一度招集して、彼が荘園裁判集会をもつ必要があるなら、フーフェ農民はこれに宣誓して従順にしたがうべきである。そうしないで荘園管理人の命令を守らないときは、フー農民は首席司祭に10ペニッヒを徴収される。
 首席司祭は荘園農場に荘園管理人をもつべきであり、フーフェ農民が農地のために必要であれば、彼は法にしたがって実行すべく手配する。
 いかなる者も、地代を納めなくなった農地を除き、荘園農地を放棄してはならない。また良い農地を劣悪な農地と交換してはならず、良い農地を改良し、悪い農地を放棄すべきである。
 法によれば、首席司祭が荘園裁判集会を開いたら、首席司祭が彼の告発やなすべきことを裁く以外、何もおこなおうとしてはならない。またいかなる者もこれにそむいてはならない。ただし、首席司祭または彼の荘園管理人があらかじめ許可を与えた場合や、生命または領主の非常事態の場合は、その限りではない。

 5-1-13 リースバッハ Riesbach (14世紀末)


  永久に存在すべきものは文書に書きとどめられることが必要であるので、できるかぎりこの現存する規則の史料によって、とくにプフィルト方面の境界石までの地域を含むリースバッハ荘園において古くから伝えられれているとおりに、正しい慣習、自由および法律が知られるべきである。それらすべてはことごとく以下のように記され、知識豊かなフーフェ農民たちも公的な裁判集会において宣誓してそれらを認めた。
 まず最初に、荘園は24の農民保有地をもつべきであり、いかなる農民保有地も8シリング4ペニッヒ、1フィアテルのエン麦、10個の卵および2羽の鶏を納め、それは11フント10シリングの貨幣に相当する。そのうち7フントはプフィルトのザンクト・カテリネン祭壇に属し、残りは城塞に属し、8シリングのみが荘園管理人に残されるべきである。彼はプフィルトの代官、監督および書記とともにそれを消費すべきであり、そうすれば裁判集会が開かれる。また、いかなる農民保有地もフーフェ農民をもち、彼は荘園の農民保有を担わなければならない。
 フーフェ農民が死亡して、前述の農地の持主がいなくなってしまえば、プフィルトの城塞へ行って、死亡税が納められるべきであり、それは彼がもつ「四つ足の家畜のなかで一頭を除く最良の家畜である。しかし彼の相続人が死亡税を3.5フントで買い戻すことができるなら、荘園領主は彼らに買い戻しに応じるべきである。相続人が1年と1日農民保有地をフーフェ農民のいない状態に放置するなら、フーフェ農民はそれを裁判集会に告発し、その土地は軽率さゆえに荘園領主に没収される。荘園管理人は、誰かがフーフェ農地の地代を減らしたり隠匿しようとしていると考えたら、フーフェ農民たちはそれを告発し、地代がそのまま残され、彼らにゆだねられるべきことを、宣誓して告げるべきである。
 リースバッハであれ、その他の場所であれ、いかなる罰令区にある農地も、リースバッハの農地区画管理人以外いかなる者も区分してはならない。また誰か彼らの邪魔をする者がいれば、荘園領主はプフィルトの罰令区警吏とともに彼らを助けるべきである。そうした農民保有地をもついかなる農家も、もし1年と1日耕作することなくそれを放置すれば、プフィルトの監督に裁判集会で3シリングの罰金を納めるべきである。またそうした農民保有地は毎年境界石の場所で2フーダーのワインを受け取り、そのうち1フーダーをクリンフェンとの境界石で、他の1フーダーを草地との境界石で受け取り、フーフェ農民たちは2フーダーのワインを必要とする年はすべてのワインの積み荷を城塞ですべて降ろし、下方に位置するヴァトヴィルで降ろしてはならない。
 24人のフーフェ農民のなかで最良の農民は1フーダーのワインを小売りすべきであり、彼がその権利を得て、ワインを提供する際に、ワインの栓を抜くときワインの値段がリースバッハでいくらするか、領主は彼に説明すべきである。そうすれば彼が取引するワインはうまく流通する。また荘園領主はワインをふるまう女性たちに3エレの食卓布、1キュフラインの食塩、手押し車2台分の長さ2シューの木材を与えるべきである。
 荘園領主がワインの運送を命じようとする場合、ボンガルトの農地を耕作している者たちは、新しい馬車の長柄をgernchem 森林の木で作ることができる。その荷馬車でブルーニングホーフェンまでワインを運んで行き、ワインの運送に何か支障が起これば、彼らは荷馬車を強く押して、手助けすべきである。またボンガルトにある3つの農家は毎年3ゼスターのerwussをプフィルトの城塞に納めるべきである。
 プフィルトの城塞に地代を納める森林の農地とザイルの農地は、領主みずから耕作することができる。その場合、彼は正しい耕圃を往来し、畜舎には耕作用の納屋を備え、森林管理人は毎週2回領主の犂の場所へ行き、誠実な領民は耕地を犂で耕すのではなく、犂の金具を整備するように指示すべきである。領主がもはや耕作するつもりがないなら、以前農地をもっていた領民に以前と同じ地代で農地を保有させるべきである。
 荘園に2人より多くの者が住まなくなったら、そこには1人の荘園管理人ともう1人の森林管理人がいるべきであり、彼らのいずれも非荘園民を受け入れてはならず、受入れたら、荘園領主と監督に罰金を徴収される。荘園民はいかなる場所へ移住しようとも、あるいは移住してしまった場合でも、例外なく、いかなる法も自由も彼らを保護することはできないが、彼らが再び荘園に戻って奉仕すれば、その限りではない。荘園農地は荘園内で荘園領主または荘園管理人以外には、売っても譲渡してもならない。
 荘園領主は聖マルティノの日(11月11日)に荘園に6頭の牛を、6週と2日の間フ-フェ農民に飼わせ、彼らはえさをやり、毎週3回荘園管理人と森林管理人が検査すべきであり、厩舎に入って行って、彼らの牛の世話が悪い場合は、改善すべきである。雌牛がその厩舎で子牛を産んだら、子牛を移して、荘園領主は子牛を当地の法にしたがって貸与すべきである。
 荘園は次のような法をもつ。すなわち、荘園内の担保を城塞の礼拝堂に受け入れた者が、そこから持ち出すなら、3.5フントの罰金を科せられる。荘園に住む者は、いかなる領主に奉仕していようとも、あらゆることにかんして例外なくそこから権利を取得すべきであり、将来それをいかなる者にもひき渡してはならない。また荘園に住む者は、いかなる領主に属していようとも、プフィルトの城塞に対するあらゆる奉仕に、他の荘園民と同じく従順にしたがうべきである。ただし租税と行軍を除く。
 荘園は次のような法をもつ。すなわち、その森林が罰令区の内外にあり、森林の木を盗む者がいれば、罰令区の監視人は彼を追跡して、罰令区の水車において糾弾することができる。その際、斧をもつ大工、屋根または炉の上の屋根ふきにその木を渡す者を見つけた者が宣誓してその犯行を摘発して、妨害をいけたら、荘園領主はプフィルトの罰令区警吏とともに助けるべきである。
 荘園は次のような法ももつ。すなわち、フーフェ農民は、24マンヴェルクの面積の草地に24フィアテルのワインを得る。その草地はリースバッハ、グレンチンゲンおよびオプレンドルフの3つの罰令区にあり、フーフェ農民たちはそれらがある場所をよく知っており、罰令区監視人は夏至の夕べに要求すると、ワインを夏至の日に与えられるべきである。そうしなければ、フーフェ農民と荘園民はそこへ行き、草地が刈り取られたら、干草を
リースバッハに運びこむことができる。しかし草地が刈り取られなければ、家畜の群を連れてそこへ行くべきである、いかなる者もそれを妨げてはならない。彼らを妨げる者がいれば、荘園領主は罰令区警吏とともに彼らを助けるべきである。
 製粉所は次のような法をもつ。すなわち、荘園に住む者は、そこで製粉すべきであり、他所で製粉する者は製粉所で製粉屋が要求するものを与えるべきである。フーフェ農民と荘園民はまた次のような法をもつ。すなわち、精粉に最初に来た者から順番に製粉屋は製粉すべきであり、製粉屋からそうしてもらえない者は、手押し車を取って、自分が望む所で製粉することができ、いかなる者もそのことについて罰してはならない。そして製粉屋は、あわれな者が手押し車を買うなら、その製粉所に手押し車を届けるべきである。プフィルトの代官は、彼が望むなら、譲渡された値段で製粉所を買いとることができる。あるいはわが領主の役人がそうしてもよい。
 フーフェ農民、荘園民および荘園に住む者は次のような法をもつ。すなわち、彼らはリースバッハからグレンチンゲンにいたる草地と放牧地を支障なく利用し、イレ川で家畜に水ウィ飲ますべきである。グレンチンゲンに住むフーフェ農民と荘園民はヴィルレにいたり草地と放牧地を利用し、ケーレ川で支障なく家畜に水を飲ませるべきである。ヴィルレび住むフーフェ農民と荘園民はゼンケルシュタインにいたる草地と放牧地を支障なく利用すべきであり、彼らを妨げる者がいれば、荘園領主とプフィルドを助けるべきである。
 草地ワインを与える24マンヴェルクの草地と、プフィルトの城塞に地代を納める荘園付属の草地は、十分の一税を免除されるべきである。またそれらの草地から地代として納めるべき貨幣を、フーフェ農民は聖マルティノの日(11月11日)にキルヒホーフの荘園管理人に遅滞なく納めるべきであり、そうしない者は荘園管理人に毎日3シリングの罰金を徴収される。フーフェ農民はすべての荘園地代をプフィルトの城塞に、聖マルティノの日に納めるべきであり、そうすればこれらの地代も完済される。
フーフェ農民と荘園民は次のような法をもつ。すなわち、彼らのうち誰かが自分の草地に潅水しようとおもうなら、すべての場所に他人の農地を通って潅水することができる。その際、潅水によって損害が生じれば、彼は誠実な人々の助言にしたがって、彼らが認める損害を償うべきである。フーフェ農民または荘園民の誰かが他人の耕地から泥灰岩を施してもらいたいとおもったら、いかなる者もそれをことわれない。すなわち、他人の農地から1ユーハルトの面積の泥灰岩を得た場合は、彼に2ゼスターのライ麦を与えるべきであり、荘園に住む者は同じ法をもつ。
 荘園領主は毎年聖マルティノの日(11月11日)にリースバッハの荘園でフーフェ農民たちとともに裁判集会を開き、彼がいかなる日に裁判集会を開こうとも、彼は荘園管理人に指示して、すべてのフーフェ農民に命じさせたなら、荘園管理人はそのとおりおこなうべきであり、裁判集会が開かれるべき日に、荘園領主または彼の代理人は裁判集会を開こうとしたら、荘園管理人がフーフェ農民全員を裁判集会に召集すべきであり、正しい時刻に出席しないフーフェ農民は3シリングの罰金を科せらるが、領主または生命の緊急事態が起きたことが告げられた場合は、その限りではない。
荘園は次のような法をもつ。すなわち、いかなるフーフェ農民または荘園民であれ、裁判集会で正規の時刻に互いに会って、何らかの問題について互いに訴え論議するために裁判集会を開き、フーフェ農民と荘園民およびとくに荘園の裁判官の杖の前で法についての裁判に耳を傾け、命じられなくとも相互に答えあうべきであり、賛成も反対もしてはならない。その裁判は他の3裁判所と同様に全力でおこなれ、判決その他のことにかんして荘園外へもち出してはならない。
荘園は次のような法をもつ。すなわち、24人のフーフェ農民は、いかなる者も彼らの諒解なく彼らの放牧地にも森林にも入ってはならないこと告げる。
 

 5-1-14  グレンティンゲンとヘンフリンゲン  Grentyingen und Henflingen        (1420年)          

  (冒頭部は次のように小紙片が欠けている)
・・・・・・・・・・相続税を納める。相続人がそれを妨げようとしたら、首席司祭は相続税を納めるべき彼の農場へ行き、シュペッヒバッハへ上訴するべきである。
  しかし女性が農地をもっているなら、彼女は彼女の農地をフーフェ農民に占有させることができる。
定例裁判集会が開かれたら、いかなるフーフェ農民も事前の命令ばがなくてもともにに応じるべきである。
あるフーフェ農民が土地を保有したら、荘園管理人は1フィアテルのワイン、フーフェ農民たちも同量のワインを徴収する。
いかなる者も自分の農地を売ってはならず、荘園管理人に先に申し出て、誰かがその農地に付けた値段より、荘園管理人には5シリング安く提供すべきである。そうしないで、その農地をそれより高く売っら、その農地は首席司祭によって罰金とともに没収される。
 荘園管理人が命令すれば、この命令に反する者は10フントの罰金を科せられる。荘園に属する彼の農地に入らないように命じら れた場合、あるいはフーフェ農民に他の命令がなされた場合、その命令を守らず、荘園管理人がおこなった命令に反する者は、容赦なく首席司祭によって10フントを科せられる。
フーフェ農民は食事の後に法を告げ、宣誓して告発をおこない、何かが教会からもち去られたか、あるいは細分化された農地が所有地として売られたか、あるいは教会に何か損害をもたらすものがあるかについて、彼らが知っていることを証言すべきである。そうなったのは規則がないためか、それとも帳簿が失われたためなのか、フーフェ農民は証言すべきである。
荘園における罰金としてフーフェ農民には3シリング4ペニッヒが、荘園管理人にも同額が徴収される。小額罰金から首席司祭は何も得ない。しかしフーフェ農民が宣誓と名誉にかかわることを見のがすなら、それは首席司祭の権限に属し、彼はフーフェ農民の財産に罰金を科すことができる。
荘園農場でワインを小売りする者は、首席司祭に品質の劣るワインを納めるべきである。
首席司祭はいかなるフーフェ農民の地代納入者も荘園で訴えることができ、首席司祭を裁判で十分納得させない者は、荘園管理人に3シリング4ペニッヒ、いかなるフーフェ農民にも同額の罰金を納める。
 荘園領主または彼の荘園管理人は彼の地代を差し押さえることができ、担保を8日間保管した後、彼の地代と同様に扱うことができる。
 いかなるフーフェ農民も定例裁判集会に出席した後8日経過しても彼の地代を納入しないければ、いかなるフーフェ農民も首席司祭に3シリング4ペニッヒを罰金として科せられ、彼が支払うまでそれは地代に加算される。
 荘園において紛争生じて、首席司祭に対してであれ、フーフェ農民その他に対してであれ、 紛争と不和が生じたら、シュペッヒバッハに上訴することができ、両者の「いずれも欠かせない場合は、ザンクト・モーラント教会に属する首席司祭は2名のフーフェ農民をシュペッヒバッハの上級審に行くように命じ、他の裁判所に行かせてはならない。
 控訴をしようとする者は、荘園管理人にシュペッヒバッハに控訴することとを約束し保証すべきである。必要であれば、荘園管理人に手数料としていかなるフーフェ農民も3シリング4ペニッヒを提供すべきである。
参審員のフーフェ農民以外は、法を告げてはならない。
荘園管理人はフーフェ農民を受け入れてはならない。彼はその前にあらかじめ少なくとも2人のフーフェ農民をもっているべきであり、また荘園管理人には3シリング4ペニッヒ、フーフェ農民には1フィアテルが得られる。
首席司祭は荘園のフーフェ農民に8日前に荘園訪問を予告すべきであり、宿泊所で食事しようとする場合も8日前に予告すべきである。
 荘園管理人があるフーフェ農民に命令するか、あるいは定例裁判集会に招集して、荘園で彼の必要を満たす場合、フーフェ邦民は宣誓して従順に奉仕すべきである。フーフェ農民が荘園管理人の命令をおこなわなかったり守らなければ、首席司祭に容赦なく10フントを科せられる。
首席司祭は荘園農地に荘園管理人をもつべきであり、フーフェ農民が農地のために必要とあれば、法にしたがっておこなうべきである。
いかなる者も過去の地代とともに農地を放棄してはならず、良い農地を悪い農地とともに放棄してはならず、良い農地をみずから維持し、悪い農地を放棄すべきである。
首席司祭が荘園裁判集会を開催するときは、いかなる者も何もおこなってはならず、首席司祭が彼の訴えとなすべき課題について裁きをおこなう。いかなる者もそれにそむいてはならず、首席司祭と彼の荘園管理人が許可を与えれば、生命を危機から救うのに役立つ場合に限っって認められる。

 5-1-15 アッテンスヴィラ― Attenswiller (14世紀)


  これらはアッテンスヴィラ―の裁判集会と農地の条項である。
まず最初に農地保有民は教会とすべての教会人に完全に忠誠と真実を誓った。
農地の保勇者がいなくなれば、いかななる方法であれ、その農地保有権が法によって授与される者は期限内に受け取り、口頭で誓いを述べるともに宣誓をおこない、この文書と農地の法を守り、2羽の良い鶏を手数料として納めるべきである。そうしなければ、農地はリュッツェルの教会に没収される。農地保有民のなかで聖マルティノの日(11月11日)に他の地代も含めて納めるべき地代を滞納する者がいれば、地方官は現存の農地を没収できる。
これらの農地保有民はリュッツェルの領主の許可なく農地の草も、種子も、干草も、麦わらも売ることはできず、売ればその農地を失う。意図的な負債、貢租、刑務所への収監などによって彼らが困窮して、地方官にそれを届け出たら、彼は農地保有民に教会の損害にならないようにそれを認めるべきである。
農地保有民がその宣誓に反して、地方官の・・・なく、農地を売り、譲渡し、交換し、あるいは荒廃させ、それが発覚すれば、地方官は農地を没収することができる。
神が現れて、農地保有民が負債のゆえに・・・領域外に1年と1カ月を超える期間出ている場合は、農地は没収されるが、教会に地代が納められているなら、その限りではない。
領主がその地代を得られないか損失をこうむり、その農地で収益が得られなければ、領主は不動産であれ動産であれ農地に手を着けて、裁判のあるなしにかかわらず、最良の方法で財産を没収できる。
前記の農地保有民は農地について被ったすべての損失を地方官または彼の村長に宣誓して明らかにすべきであり、彼はそれらについて裁くことができる。地方官はこれら農地保有民のなかの誰かを村長に任命したら、彼はすべてについて従順にしたがうべきである。しかし地方官と村長が彼らの不法行為について・・・裁くことができなければ、彼らはランザーの代官を呼ぶことができ、そうしたら彼は彼らを助けるべきである。
農地保有民は領主を困らせたり妨げたりしてはならず、農地または農地の作物への脅威や占領によって領主が困らせられたり妨げられたりすることがないように宣誓して努めるべきである。そうすれば農地は、言葉であれ行動であれ、助言であれ実行であれ、好意であれ意志であれ、脅しであれ嘘であれ、その他秘密裡であれ公然であれ、いかなる方法をもっておこなわれようとも、彼らのものとなる。もし神に背いて、男女いずれであれ、神と自分の宣誓を忘れて、そのうえ自分の名誉に反するおこないをすることが発覚すれば、文句なくエーゲンの教会に5フント、ランザーの代官にも5フントの罰金を科せられる。
同上の農地保有民は、この文書に書かれていることであれ、名誉と考えられてことてあれ、すべてを守り、農地に属するすべての法に反することなく、農地とともに採草地も保護すべきである。彼らは宣誓して、地方官 とその使者によって警告されたときは農地を失う。
監督官あるいはその使者が要求するときは、いかなる者も宣誓してその農地を譲渡すべきである。
監督官は、聖母マリアの日が来たら、彼の地代を差し押さえることができる。
荘園裁判所で警告を受けた者は、出頭して宣誓し、出頭しなければ、監督官に5シリング、ランザーの代官に5シリングの罰金を容赦なく科せられる。
全員が聖マルティノの日(11月11日)のミサに地代を納めることを宣誓し、この地代を邦の慣習にしたがって納めるべきである。
1メンタークの土地面積当たり12ゼスターのディンケル麦が納められ、それは1メンタークについて常に1.5フィアテルの量に相当し、領主には、邦の慣習にしたがって。Herも雹もその地代に損害をもたらしてはならない。

さらに後に次の条項が加えられた、
 
これらはアッテンスヴィラーのフーフェ農民の名前である。
ヘルマン・モーザー 以下省略

 5-1-16 ベレンツヴィラ― Berentzwiller (1420年)

 

  これらはザンクト・モーラント教会の首席司祭に属する荘園裁判集会の法である。
 まず最初に首席司祭は定例裁判集会に5頭の馬をともなってそこに宿泊し、夕食の料理人をを前もって送り、彼が食事をしたいときは、彼と彼の同伴者に夜食を提供し、ささやかな朝食のパンも出すべきである。また首席司祭は途中で1-2人の人夫を得られるなら、彼らに荷物を背負わせることができる。首席司祭は猛禽、猟犬、鳥追い犬を連れて行くべきである。 彼が途中で何かを捕えたら、フーフェ農民たちと分かち合うべきである。
 農地の持主がいなくなれば、住宅と課税もなくなる。
地代が他者、第三者の手に渡ったら、荘園領主は農地を没収することができ、かつて農地に課されていた地代とともに彼のものとなる。
 首席司祭は相続税を徴収する場合、1頭を除き最良の家畜を取得すべきであり、荘園法にしたがって相続人たちに農地を再び戻すべきである。
いかなる者も荘園では農地をみずから運営すべきである。しかし女性が農地をもつ場合は、彼女はその農地をフーフェ農民に占有させることができる。定例裁判集会を開く場合、いかなる者もあらかじめ命じられなくても他者に返答すべきである。
フーフェ農民に土地を保有させるときは、荘園管理人は1フィアテルのワイン、フーフェ農民も同量のワインを徴収する。
いかなる者も荘園で農地を売ってはならない。彼はまず荘園管理人に申し出て、誰かに売るときより5シリング安く提供すべきである。そうしなければ、荘園管理人の命令によって農地に10フントが科せられて、売ることができなくなる。それにもかかわらず、荘園管理人が命令したことを守らず、命令に反するならば、その農地は罰金を科せられて首席司祭に没収される。しかしその農地が荘園領主に提供され、領主がそれを欲しない場合は、望みどおりに自分の農地を売ってもよい。
いかなる者もその農地をフーフェ保有権の期限前に更新すべきであり、そうしない場合は、その農地は首席司祭に没収される。フーフェ農地をもっていた者が死亡して、その農地が保有されなければ、死亡税を納めるべきである。しかし相続人がそれにさからおうとするなら、首席司祭はシュペヒバッハに上訴することができる。
 フーフェ農民は食事の後に法を告げるべきであり、教会に地代や農地の損害をもたらすと思うわれるものについて宣誓して糾弾すべきである。
 荘園における罰金としていかなるフーフェ農民も3シリング4ペニッヒ、荘園管理人も同額を徴収できる。しかしフーフェ農民の名誉にかかわることを彼が見逃せば、それは首席司祭の権限に属する。
荘園でワインを小売りする者は、首席司祭に低品質のワインを納めるべきである。
首席司祭はいかなるフーフェ農民も荘園で地代について訴えることができる。裁判で十分な弁明をなしえない者は、荘園管理人に3シリング4ペニッヒ、各フーフェ農民にも同額の罰金を納める。
 荘園領主または彼の荘園管理人は彼の地代に対して差し押さえをおこなうことができ、担保を8日間もち、その後は担保を彼の地代として扱うことができる。滞納したいかなるフーフェ農民もさらに8日間地代を納めなければ、定例裁判集会を開いた後、いつでも荘園領主によって3シリング4ペニッヒが徴収される。
 荘園で争いが起これば、首席司祭に対してであれ、フーフェ農民に対しであれ、フーフェ農民相互であれ、紛争と不和はシュペッヒバッハの上級裁判所以外に控訴してはならない。
 控訴しようとする者は、法にしたがうことを荘園管理人に保証すべきである。
首席司祭はが裁判をおこなおうときは、あらかじめ8日前にフーフェ農民に予告し、宿舎で食事をとろうとするなら、8日前に知らせるのが、荘園の法である。
 荘園管理人は裁判集会を開こうとするとき、荘園を閉鎖して、荘園領主とその一行の荘園内での安全に配慮すべきである。
荘園の土地の外で法を告げてはならない。
 荘園を維持する荘園管理人以外、いかなる者も4ユ―ヒャルトの農地を享有してはならない。
 フーフェ農民が農地のために荘園法にしたがっておこなう必要があれば、首席司祭は荘園に荘園管理人を置くべきである。
荘園管理人は少なくとも2人のフーフェ農民をもっていなければ、フーフェ農民を定住させてはならない。その際、荘園管理人には3シリング4ペニッヒ、フーフェ農民には1フィアテルのワインが納められる。フーフェ農民が来て、そのフーフェにワインの持ち合わせがなければ、フーフェ農民を定住させた者は、そのフーフェに持ち合わせていたものに対する権限をもつべきである。
荘園管理人がフーフェ農民を呼んだら、彼は荘園で必要とされているので、荘園領主におこなったように宣誓して従順に奉仕すべきである。それを守らない者がいれば、荘園管理人はそのことを荘園領主に知らせ、領主はフーフェ農民の納得のうえでそれについて罰することができる。
フーフェ農民が裁判集会を開く必要があれば、荘園管理人は、法のとおりにフーフェ農民たちに命じ招集することができる。また必要であれば、損害のないように、誰に罰金を要求するかを決める権限を荘園管理人に約束すべきである。
 地代負担農民またはフーフェ農民はシュペッヒバッハの裁判所に控訴しようとするなら、首席司祭と荘園管理人に3シリング4ペニッヒを手数料として各フーフェ農民から納めさせるべきである。またいかなるフーフェ農民も命じられたとおり従順にしたがうべきである。
 フーフェ農民は荘園農地を他所の荘園裁判所と審議してはならない。フーフェ農民は荘園内での宣誓により、荘園農地について他所の法による判決を告げてはならない。彼がそのようなことをを聞いたら、荘園に宣誓したとおり、それを糾弾し、荘園領主に届け出るべきである。
 

 5-1-17 フンツバッハ Hundspach (1588年)


  聖なる三位一体、父なる神、息子なる神、聖霊なる神の名において、次のように告げられる。すなわち、1588年6月1日と2日、水曜日と木曜日にザンクト・レオデガリエン女子修道院長でファルケンシュタイン生まれの尊敬すべき女領主ショラスティカのマスミュンスター教会およびフンツバッハのトゥームシュティフト自由荘園において、アルトキルヒ地方行政区のフンツバッハ渓谷の荘園管理人である私アルボガスト・ロイグーベルと以下のような氏名の証人たち、すなわち、クリスティアン・リューチ、アンソドレス・ヴィルマン、リーンハルト・ローマン、モーラント・ボイリン、ンズゥガウヴェンのモーラント・リューチ、フンツバッハのクリスティアン・・パウル、コンラート・ブrントおよびヴァイラーのペーター・ヴェッツェル、下級廷吏のジーモン・へージンガ―、ディーボルト・ヘフリンおよびフランケンのゾイエレン・ケーニヒが出廷した。、彼ら証人は善意の女子修道院長のフーフェ農民として彼らの荘園農地を保有している。私と証人たちの前に現れたのはエルンハフトと高貴なる地位のアンポリナリウス・シュミトリン殿であり、後者はマスミュンスターの現職の上級監督官で、前記の女領主ショラスティカとザンクト・レオデガリエンの全参事会の全権弁護人で権限所有者として参加した。そこで慈悲深き女領主、参事会および修道院はフンツバッハ村で自由荘園裁判集会を開いた。同荘園は特別な荘園法や幾つかの条項によって特権を付与され、また前記のザンクト・レオデガリエン修道院に属する所有農地を保有子弟のは前記のフーフェ農民たちや証人たち、あるいは折にふれて保有していた者であり、彼らはフンツバッハの罰令区と隣接する罰令区において長く更新されず放置されていたフーフェ保有権を更新しなければならなかった。こうして長期のとどこおりや人々の死亡によってしばしば変更や分割がおこなわれ、隣人との置換がおこなわれ、これによってザンクト・レオデガリエン修道院の所有権に少なからぬ損害と不利益が生み出されるだけでなく、地代貢納民にもその農地の削減と損傷を増やすが、これらすべてをできるだけ防ぐことは、前記の女領主、ザンクト・レオデガリエンの名において上級監督官の切なる要望であった。私は前記の人々と証人たちを農地について最良の知識をもつ者として、通常の宣誓義務を負わせて受入れ、まず第一に自由荘園裁判所の法と権利を人間の法と権利のように考えて、今日にいたるまで守り、修道院とその付属農地の所有をほぼ完全に安定した状態に保ち、こうすることによって現在の隣接農地との関係をもまた更新し解決させようとした。そうしたことは適切な要請とみなされたので、そうした更新は高貴な生まれの貴族でオーストリアの厳格かつ教養あるフリードリッヒ皇太子殿下、オーバーエルザスの上級代官, 統治者、参事会によって、提示された解決策にしたがって委任が認められたので、私は前記のフーフェ農民と証人たち全員および各個人に手を挙げて教えられたとおりの誓いの言葉を述べさせて、神と聖人へ宣誓をおこなわせた。
彼らは宣誓してそのような農地を再三再四申請して更新したが、そこで締結された 契約の序言によって、文書に記載された農地についてより良いまたはより古い土地台帳、文書、規則その他の証拠をもつ者がいれば、そのような者にとってその正しさが常に批判の余地がなく、また彼ら証人になされた宣誓およ名誉にとっても欠点のないものとすべきであり、それは以下のとおりである。
まず、マスミュンスターの修道院とその女子修道院長はフッツバッハの荘園において法にしたがう。
 第一に、ザンクト・ブラージエンの日の次の日に、マスミュンスターの女子修道院長はフンツバッハにあるすべての家屋、厩舎および付属施設を含む荘園において裁判集会を開くべきである。これにより賦役農場の間で清算がなされ、マスミュンスターの修道院から自由な所有となる。ザンクト・ブラージエンの日が前日に当たるなら、その翌日におこなわれるべきである。当荘園は自由であり、格子垣で囲われ、荘園を閉鎖するための門がそれに付いており、荘園内にさらし台があり、犯罪人が杭に捕縛されたら、荘園管理人とフーフェ農民が最初の夜彼を見張り、その後オーストリアの皇太子殿下および代官と地方官の権力に引き渡すべきである。
 荘園に居住するいかなる荘園管理人もアルトキルヒ領主庁の上級地方官の承認と同意を得て経営をおこなう権限をもつが、領主庁には貢租を律する権限がある。この荘園はフンツバッハの小橋からガルストルフの小橋まで、いかなる者も魚を獲ってはならず、水を放流してもならないという法をもつ。
  女子修道院長は荘園裁判集会を開かせる場合は教会吏員に朝7時から午前9時まで3回強い合図の鐘を鳴らさせるべきである。その後荘園管理人は女子修道院長の役人またはあるいは修道院と女子修道院長の代理人とを含めて、すべてのフーフェ農民たちとともに自由荘園裁判所に入るべきであり、農地またはフーフェが不当に保有されていたいたり、受領されていない場合には、女領主の荘園管理人が裁判所に入廷する前に、フーフェ農民たちは出廷すべきである。そうしなければ、女子修道院長は荘園管理人によって農地とフーフェを彼女と修道院の手に没収し、他人に貸与することができる。またフーフェ農民で荘園にいない者は、荘園に行き、地代を納めるべきであり、地代を納めなかった者は、荘園管理人が裁判所に出廷して、彼に要求するか、わが慈悲深き女領主の他の代理人が訴える前に、女領主たる女子修道院長に30シリング、各フーフェ農民に3シリングの罰金を納めるべきである。
 いかなるフーフェ農民も、裁判集会の日に出席を強く命じられたのに、裁判集会に出席しない場合、女領主に同じく30シリング、各ーフェ農民に3シリグの罰金を納める。
フーフェを売ろうとするいかなる者も、わが女領主のかわりに荘園管理人に売却を申し出て、その後彼が知らせたフーフェ農民に提供し、このフーフェを荘園管理人とフーフェ農民が買おうとしなければ、彼はわが女領主の権利を損うことなく任意に売ることができる。
この荘園でフーフェ農民になろうとする者は、女子修道院長とマスミュンスターの彼女の修道院に忠誠と真実を誓い、彼女の損害を避け、彼女の利益を促進し、荘園の法を守り、できるだけ従順につとめ、誓った後は、荘園管理人に1シリングのフーフェ農民税、フーフェ農民たちには、枡で半フィアテルのワインを納めるべきである。
いかなるフーフェ農民も、必要であれば、彼のフーフェを4年ごとにわが慈悲深き女領主または彼女の地方官に対して提示すべきであり、畔から畔へ、畝から畝へ、わが慈深き女領主と荘園におこなったことを、宣誓して提示すべきである。
フーフェ農民が死亡したため。荘園農地の持主が交替したら、残された相続人は1頭を除く最良の家畜を相続税として納める義務を負う。清算の際に死亡したフーフェ農民の兄弟が相続人の相続税の支払いに協力することが認められることが決まれば、残余分はきわめて公平かつ公正に分配される。
女子修道院長が裁判集会を開いたら、彼女はいかなるフーフェ農民にも1マースのワインをふるまうべきである。
そうしたらフーフェ農民は年貢の鶏を、羽根付きの鶏ではなく、1羽あたり1シリングの貨幣で納める義務を負う。
女子修道院長はフンツバッハのザンクト・マルティン教会の裏側半分の費用を自費でまかなえば、教会の他の半分の費用はフンツナッハが領邦の教会としてまかなう。
女子修道院長は、教会領主権または教区権を有するなら、その費用をまかなうべきである。
女子修道院長は教会のために、必要とあらば、定例裁判集会を開くことができ、彼らが望むなら、不法行為について全面的に定例裁判集会と同じ法と効力をもちうるような裁判集会が開かれるべきである。
荘園法の最後に、信任状を見て、聴取して、書き記すべきときは、いかなる信任状についてもフーフェ農民に1シリング、書記に4ペニッヒ、荘園管理人に1シリングを提供すべきである。


 5-1-18 ダマーキルヒ Dammerkirch (1578年) 


 私ローマン・ファウチは、オーストリアのフェルディナント皇太子殿下のトラウバッハの高貴で堅実なヨーハン・ウルリッヒ・シュッツェンの、オーバーエルザスのわが慈悲深き統治政府の現職参事会員として、またわが恵み深き領主の代官所のトラウバッハの業務執行者として、この公文書によって世間一般に公けに次のように告げ知らせる。すなわち、本日マスミュンスターのザンクト・レオデガール修道院の上級監督官の誉れ高く高貴なアポレナリス・シュミトリンが私の前に出廷し、上述の修道院の女子修道院長でファルケンシュタイン生まれの高貴なる女領主スコラスティカ様は、ここダマーキルヒの慈悲深き女領主として、その罰令区と周辺の隣接罰令区に若干の自由荘園、裁判権を有する荘園、教会付属地やフーフェその他の地代貢納義務を負う農地をもち、いかなる農地も長年にわたり契約を更新ることなく、そううした農地の保有者の死亡によって、また売買、相続、交換その他によって持主が交代し、上記の農地が将来失われる恐れがあり、そうすると上記のわれらが慈悲深き女領主とその修道院は地代と貢租が減少したり途絶えることになるかもしれない。そうしたことを防ぐために、上記のわれらが慈悲深き女領主とその修道院はそうした歳入、地代、貢租が途絶えないように努め、他の何よりもそれらの農地の自由、法および権利を守ることによって、それらの農地の保有者がそこから毎年一層良い地代を納められるように処遇し、守り、保護すべきである。それゆえ上記のわれらが慈悲深き女領主様に対して、後記のフーフェ農民と農地保有者が私の前で会合をもつように招集して、後記のすべての農地をそのすべての自由、法および権利を含めて何度も更新させることを、私は心より請い願うものである。私はいかなる懇願や要望も至当で正当で誠実とみなし、オーストリアのフェルディナント皇太子殿下とエンジスハイムの政府からそのようなことが解決の訓令によって任務として課せられ、そのほかにも万人に真実を、たとえいかなる資格、権限や権力をもつ者にも、促進する義務を負った。そこで私は次のようなフーフェ農民と農地保有者agerを私の前に召喚した。彼らの氏名は、ダマーキルヒの代官管区代理人で領主荘園管理人で、この問題の裁判官でフーフェ農民のローマン・ファウチ、司祭のハンス・ヴィーザー、教区裁判官のハンス・ムス、2フーフェをもつリーンハルト・ゲッチkマン、ディーボルト・ヴェッチェル、2フーフェをもつペッター・ハーゲン、2フーフェをもつハンス・ファウチ、2フーフェをもつマティス・ゲッチマン、アレクサンダー・リッヒャー、ハンス・ミュラー、ディーボルト・ファウチ、ハンス・ツェンナー、ハンス・フェラー、テニング・リューディンガー、ハンス・シューマッヒャー、代官でトラウバッハのハンス・ルッチェン、カスパー・ゾルトナーおよびハンス・ガルトナーである。私は彼らを召喚して、会合を開き、それらすべてを彼らに約束し、彼らの名誉と宣誓によって、いかなる者にも告げ知らせ、決して黙って隠しだてしてはならないと彼らに警告した。その後彼らは指を立てて神と聖人に次のことすべてを誓った。

まずダマーキルヒの自由荘園の法と権利にしたがって

フーフェ農民はダマーキルヒの荘園において、マスミュンスターのいかなる女修道院長も賦役荘園と呼ばれる荘園をもち、その荘園には上記の慈悲深きわが女領主は荘園管理人をもつべきであることをフーフェ農民は認める。この荘園管理人は当荘園に属する賦役農地を毎年の地代とひきかえに耕作し、立派に維持すべきである。また彼はオークの木と枝で囲いを作り、をかけてふさぐべきであり、その中では誰もが自由である。損害を与えたり、殺したり、その他の犯罪をおかした者がこの荘園に逃げ込んで来たら、彼は傷つけられることなく自由とされるべきであり、荘園管理人は彼を夜まで1日拘留しその後かんぬきの前まで彼を連れ出すべきである
上記のわが慈悲深き女領主は毎年聖マルティノの日(11月11日)の前の地代納入日に上級監督または別の者に、ダマーキルヒに対してその日に裁判集会を開催するよう命令を出させ、8日前に教会で知らせるべきである。教会用務員は、裁判集会が開かれる地代納入日の朝7時に起きて8時までに3回鐘を鳴らし、最後の鐘が鳴らされたら、いかなるフーフェ農民も農地保有者も、フーフェ農地をもつかぎり、わが慈悲深き女領主の荘園に参集して、その地代を持参して納めるべきである。そうすることなく、それを怠り、不従順にも地代を納めない者は、罰としてフーフェ農民に6マースのワインを科せられるべきであり、地代が納められれば、ただちに最も有能な2人のフーフェ農民ととともに裁判所に出席し、その際荘園管理人はわが慈悲深き女領主の名において、いかなる者も彼の開会の辞なしに発言してはならないと命令し、これに反する者または従わない者は、6マースのワインを罰として科せられる。そして裁判が再度おこなわれる場合は、わが慈悲深き女領主は鐘を鳴らす教会用務員も含めていかなるフーフェ農民にも1マースより多くのワインを与えてはならない。
当荘園に属するフーフェ農民は2フーフェより多くの土地を保有してはならず、フーフェ農民が死亡したら、上記のわが慈悲深き女領主たる女子修道院長には死亡税が納められるべきである。しかし彼が2フーフェの土地を保有していれば、わが慈悲深き女領主には2倍の死亡税が納められる。また相続人はあらかじめ最良の家畜を取り出すことができ、しかる後にわが慈悲深き女領主または彼女の役人は残りの家畜のなかから最良の家畜を取得すべきである。わが慈悲深き女領主が死亡税を売ろうと思えば、わが慈悲深き女領主は他人より5シリング安い評価額で提供すべきである。
フーフェ農地をもち、当荘園に属するいかなるフーフェ農民も、そのフーフェ農地を彼の子どもに婚資として与えることができる。また以前からそのようなフーフェ農地を保有していた者がひき続きそれを保有したいと思うなだ、その農地は十分に保有されているので、将来誰かに受け取られる必要はない。
今後主要フーフェ農地を売ろうとする者はまずもって荘園管理人にその主要フーフェ農地を売ることを申し出るべきであり、管理人がそれを買おうとしなければ、彼の望みどおり売ってもよい。ただしそれが売られた後一カ月で受け取られなければならず、この期限内に受け取られなければ、わが慈悲深き女領主に再び没収されるべきである。しかし土地を保有する者はそれを荘園管理人に届け出て登録してもらうべきであり、一カ月の期限内に届け出がなされなければ、保有地は同じようにわが慈悲深き女領主に没収されるべきである。また、主要フーフェ農地を受け取ろうとする者は、荘園管理人と7人のフーフェ農民の前でそれを受け取るべきであり、彼は荘園管理人に6マースのワインを、フーフェ農民たちには6ースのワインを、またいかなる者にもそれぞれ1シリングを納めるべきである。しかしzutraggutを受け取るる場合は、フーフェ農民に6マースのワインを納め、現金を納めてはならない。
いかなる者も当荘園に属する農地を荘園管理人とフーフェ農民の前以外では設置したり廃止してはなたない。
いかなる場所であれ、当荘園に属する農地に対して、わが慈悲深き女領主の荘園内フーフェ農民以外のいかなる者によっても裁判や判決をおこなってはならず、情報を与えてもならない。
わが慈悲深き女領主は、いかなる世帯からも庭で飼う鶏1羽を徴収することが認められる。また鶏がかまどから突き棒へ、突き棒から薪の乾燥台へ、薪の乾燥台から止まり木へと飛び降りることができれば、4ペニッヒの価値があるものとみなされ、マスミュンスターの教会建築費用にその4分の1を充てることが、認められる。
慈悲深き女領主の荘園管理人は牡牛と牡豚を飼って、村民たちが家畜を殖やせるようにすべきである。その場合どのような協定がなされようとも、荘園管理人には利益の3分の1、村民には3分の2が与えられ、村民はその3分の2の利益から道路の補修費をまかなうべきである。村民が道路を補修する場合、荘園管理人の3分の1の利益も補修に充てるべきであると認められた。
わが慈悲深き女領主の女子修道院長はダマーキルヒに対して、教会のために誠実かつ敬虔な態度で、臣民をキリスト教の法により        世話することができる教区付き司祭を任命すべきである。この教区付き司祭は教会の傍の屋敷に家をもち、その中に火と水を備えるべきである。また子どもが洗礼に来たら、それについての助言をあらかじめ彼に与えたうえで、洗礼をおこなう。また教区付き司祭は教会付属地をもち、それを貸すか自分で耕作すべきである。また教区付き司祭は一人の助手をもち、この助手はグーメルスドルフの聖マルグレーテン教会で週3回ミサをおこない、それによって24フィアテルの報酬物を得て、自分自身でまたは他人によって毎日ダマーキルヒの主祭壇のミサの世話をする。
わが慈悲深き女領主の女子修道院長はダマーキルヒ、グーメルスドルフ、レチヴァイラー、エルバッハ、ヴォルファースドルフおよびマンスバッハで、教会への道が通るすべての場所で十分の一税を得る。ただしリューブリスは除かれる。わが慈悲深き女領主に属するこれらの地域ではザンクト・レオデガリエン修道院はマスミュンスター教会の建築費の4分の1を得て、その場合教会主は昔から建築のための現物を得ており、それは4分の1穀物税といわれるもので、昔ダマ-キルヒの合唱団の費用をそれでまかなわなければならず、今ではその代りに毎年教会に十分の一税から16フィアテルのライ麦、15フィアテルのディンケル麦を納めるようになり、そうすればマスミュンスターの教会を建築し維持するという契約以外は何も求めないことになっている。
前記のダマーキルヒ荘園の保護領主はトラウバッハの代官であり、領邦君主として統治するオーストリアの皇太子殿下の代りを勤めるべきであり、また荘園管理人は荘園において、わが慈悲深き女領主が地代、十分の一税、相続税その他すべての要求にかんして彼を必要とするたびに、裁判所におもむき、2回の追加裁判集会を開くべきである。この追加裁判集会では、わが慈悲深き女領主が荘園と彼女の農地にかんして望むなら、フーフェ農民は農地の不明朗な事情や欠陥を明らかにすべきである。
教会への通りにあるいかなる家からもマスミュンスターの聖霊降臨祭後の祈りに毎年1名が出かけて行って、クロイツペニッヒと呼ばれる1ペニッヒを献上すべきである。わが女領主はそれを受け取り、ここからバーゼルに帰属すべき分を納めるべきである。
フーフェ農民がやむをえず彼のフーフェを売ろうとする場合は、わが慈悲深き女領主の荘園のフーフェの代わりに他の自由な所有地を売るべきである。とはいえ、彼が売ろうとする土地が荘園の土地よりも良いことを、フーフェ農民たちが事前に宣誓して認めるならば。そうすべきだが、そうでない場合は、荘園の農地を勝手に処分することはできない。


 5-1-19  エムリンゲン他 EMLINGEN U. A. (1420年)


  (史料39ページ) これらはエムリンゲン、アスバッハおよびニーデルンドルフの3つの荘園法であり、3村落における荘園法としては20年ごとに更新される。
 それらの最初のものはエムリンゲンの法であり、この荘園はその時々のザンクト・モーラント教会の首席司祭に属する。
 次いで、首席司祭は宿舎をもち、毎年5頭の馬をそこにもつ。また首席司祭は夕食の料理人をもつべきであり、彼が食事をしたいなら、事前に彼を宿舎に送るべきである。そして首席司祭とその一行に夜の軽食とささやかな朝食のパンを用意するように彼に要請すべきである。また首席司祭は1-2人の実直な者を旅の 途中で都合よく得られるなら、彼の荷物を背負わせることができる。また首席司祭は猛禽、猟犬を連れて行くべきである。途中で何かを捕えたら、フーフェ農民たちと分かち合うべきである。
 農地の持主が亡くなれば、住宅も課税もなくなる。
 地代に変化が生じて、農地の地代が徴収されなくなったら、首席司祭または彼の荘園管理人はその農地をすべて没収することができる。
 また首席司祭は相続税を得る場合、1頭を除く家畜のうち最良の家畜を取得すべきであり、その後相続人に農地を再び荘園法にしたがって貸与すべきである。
 いかなる者も彼の農地を荘園で自営すべきである。しかし女性が 農地をもつ場合、彼女は法と慣習にしたがって、フーフェ農民に彼女の農地を保有させるることができる。
 フーフェ農民が土地を保有したら、荘園管理人に1フィアテルのワイン、フーフェ農民たちにも同量のワインが供される。
 定例裁判集会が開催されたら、いかなるフーフェ農民も召喚」されなくても他人に答えるべきである。
 荘園ではいかななる者も彼の農地を売ってはならず、売る場合はまず荘園管理人に申し出て、彼が売ろうとする他の相手より5シリング安く首席司祭に提供すべきである。
 またいかなるフーフェ農民も、荘園農地が取引され、売られ、その他荘園領主から譲渡されたことを知っているならば、告発し、提示し、証言すべきである。もしそのようなことが起きたら、その農地を売った者は、その農地を首席司祭に償いとして没収される。しかし農地が首席司祭または彼の荘園管理人の承諾なしに取引され、持ち主を代え、売却されたことが知られて確かめられたら、古来の慣わしと法のとおり、首席司祭は彼の農地を償わせることができる。

S,32 中段

 荘園管理人が荘園に法をもつなら、いかはるフーフェ農民も彼の農地のフーフェ保有権を期限前に明け渡すべきである。そうしない場合は、その農地は首席司祭に償いとして没収される。フーフェ農地をもつ者が死亡して、その農地が荘園法にしたがって保有されていない場合は、死亡税と賠償金を納めるべきである。しかし相続人たちがこれに反抗しようとしたら、首席司祭はその農地に行き、いかなる者もそこに来ることを罰金10フントで禁じることができる。首席司祭または彼の荘園管理人によってあちこちの農地に行くことを禁じられたフーフェ農民がこの命令に違反したら、首席司祭に10フントを容赦なく科せられる。
 フーフェ農民たちは食事の後に法を告げるべきであり、ザンクト・モ-ラント教会の地代と農地に損害をもらすと思うことを宣誓して糾弾すべきである。
 荘園における賠償金はいかなるフーフェ農民にも 3シリング4ペニッヒが科せられ、荘園管理人にも同額が科せられる。しかしフーフェ農民が彼の名誉にかかわることをみずから無視するなら、その処罰権は首席司祭に属し、彼の財産に罰を科すことができる・。
 優良ワインを荘園で小売した者は、首席司祭に劣等ワインを納めるべきである。
 首席司祭はいかなるフーフェ農民も荘園の地代について訴えることができ、それに対して裁判で十分な弁明ができない者は、荘園管理人に3シリング4ペニッヒの償い、いかなるフーフェ農にも同額を償いをする。
 荘園領主または彼の荘園管理人は彼の地代を差し押さえることができ、差し押さえ物件を8日間保管した後、差し押さえ物件を彼の地代と同様に扱うことができる。またいかなるフーフェ農民も、定例裁判集会後8日間経過しても地代を納めなければ、荘園領主が地代について満足するまで、彼は荘園領主に毎日3シリング4ペニッヒを徴収される。
 荘園において首席司祭あるいはフーフェ農民その他に対して、争いや不和が起これば、争いや対立はオーバーシュペッヒバッハの法廷に少なくとも2-3人のフーフェ農民によって上訴することができるが、他所へ上訴してはならない。
 上訴しようとする者は、裁判の結果にしたがい、シュペッヒバッハの裁判をうけいれることを荘園管理人に保証すべきである。またいかなるフーフェ農民にも手数料として3シリング4ペニッヒを納めるべきである。
 裁判所を開廷しようとする首席司祭は、その8日前にフーフェ農民たちに知らせるべきである。それが荘園の法である。
 荘園管理人は、荘園領主とその一行が荘園において法にしたがって順調にものごとを進められるように配慮すべきである。
 荘園農地以外の場所で法を告げてはならない。
 いかなる者もフーフの木を売ってはならない。また荘園の共有地は、フーフェ農民以外利用してはならない。
首席司祭は荘園管理人をもつべきであり、フーフェ農民が農地のために必要とすれば、彼は荘園の法のとおりにおこなうべし。
 荘園管理人は少なくとも2-3人のフーフェ農民をすでにもっているなら、フーフェ農民を定住させてはならない。そうでない場合は、フーフェ農民の定住後荘園管理人には3シリング4ペニッヒが与えられ、フーフェ農民たちには1フィアテルのワインが与えられる。フーフェワインを得るために来たのに、その場に居合わせなかった者は、ワインを得たいと思うなら、そこに居合わせた者たちと同様に、ワインを得る権利をもつ。
 荘園管理人があるフーフェ農民を呼び、彼が荘園に農地をもつ必要があるなら、彼は荘園領主に宣誓をして従順を誓うべきである。それお守らなかったり、守ろうとしない者がいれば、荘園管理人は彼を荘園領主のもとに連行し、フーフェ農民たちの承認によって彼を罰することができる。
 フーフェ農民たちが裁判をおこなう必要がある場合は、荘園管理人は法にしたがってフーフェ農民たちを召集すべきである。裁判を必要とする者は、誰に賠償金を要求すべきか、荘園管理人の諒解を得るべきである。いかなるフーフェ農民の召喚金も3シリング4ペニッヒであり、それはフーフェ農民たちの誰もが裁判において負担する金額である。その場合荘園管理人にはいかなる損失もないことが認められた。
地代農民あるいはフーフェ農民のいずれであれ、シュペッヒバッハの荘園裁判所に上訴しようとするなら、地代農民または荘園領主とフーフェ農民が望む人数を要請して、いかなる荘園、いかなるフーフェ農も、ザンクト・モーラント教会に属する12荘園のいかなる荘園からも1-2人のフーフェ農民をシュペッヒバッハに送って、彼らによってシュペッヒバッハの荘園法と慣習にしたがって法を告げるべきである。
 首席司祭は、教会で建築が必要なときは修道院に属する森林で木材をフーフェ農民に要請すべきである。彼らがこれに応じれば、首席司祭は彼の馬車を森へ送り、建築材を伐らせ、その他必要なものを伐採させることができる。
 (6ページ) 1458年聖母マリア聖燭祭(2月2日)の直前の日曜日、ザンクト・モーラント教会の首席司祭である私マルティン・グランターは、エムリンゲンの荘園で、ザンクト・モーラント教会の守護代官であるわが慈悲深き騎士ハインリッヒ・フォン・ラムシュタイン様およびすべてのフーフェ農民と同席して、私は首席司祭として、荘園の地代について要求をおこない、古い帳簿にしたがって、また一般常識にならって私の地代を承認するか否かと迫った。議論と反論がおこなわれ、議論が尽くされ、しゃべる必要がなくなると、一般のフーフェ農民には、ディンケル麦をゼスター升に詰め込み、エン麦を計量させて、ライ麦を普通の升で計るべきだということがわかった。そして1ゼスターの升は地代として半ゼスターを納め、半ゼスターは4分の1ゼスター、4分の1ゼスターは8分の1ゼスタ―を地代として納めるべきであり、こうしてあらゆる不正は除かれ、地代納入への取り組みが事前になされるべきである。
 こうして、いかなる者もその財産を文書で申告すべきであると述べられ、荘園に属する者はそれにしたがって荘園の法を守った。
が告げる法である。

5-1-20 アスバッハ ASPACH (1420年)  


 これはザンクト・モーラントの教会がアスバッハ荘園にもつ法である。
まず最初に、ザンクト・モーラントの首席司祭は毎年そこに5頭の馬とともに宿をとり、首席司祭は夕食をとるためにあらかじめ彼の料理人を宿に送るべきである。彼の一行と馬には干草、麦わらおよび飼料を充分に与え、夜の軽食と朝にはささやかな朝食パンを提供すべきである。首席司祭は1-2人の正直者を得られるなら、荷物を背負わせることができる。
また首席司祭は猛禽と猟犬を連れて行くべきである。途中で何かを捕えたら、フーフェ農民たちと分かち合うべきである。
農地保有者が死亡すれば、住宅と課税もなくなる。
地代が他人または第三者のものになれ、荘園領主は農地を没収することができ、農地に課されていた地代の滞納分とともに領主のものとなる。
首席司祭は相続税を徴収する場合、1頭を除く家畜から最良の家畜を入手すべきであり、荘園法にしたがって相続人に農地を貸与すべきである。
いかなる者も彼の農地を荘園のためにみずから営むべきである
いかなる者も彼の農地のフーフェ権の期限内に更新すべきである。そうしなければ、その農地は首席司祭のものとなる。
フーフェ農地を保有する者が死亡すれば、彼は相続税を納めるべきである。相続人がさからうなら、首席司祭は彼の農地におもむき、彼の相続税についてシュペッヒバッハに上訴することができる。
女性が農地をもつ場合、フーフェ農民に彼女の農地を保有させることができる。
定例裁判集会を開く場合、いかなるフーフェ農民も召喚されなくとも他人に答えるべきである。
フーフェ農民を定住させるとき、荘園管理人には1フィアテルのワイン、フーフェ農民たちにも同量のワインが供される。
荘園ではいかなる者も農地を売ってはならず、その場合はあらかじめ荘園管理人に申し出て、他人より5シリング安く荘園管理人に提供すべきである。そうした結果にならず、農地がそれに反して売られたら、その農地は償いのために首席司祭のものとなる。
荘園管理人が命令して、この命令にしたがわなければ10フントの罰金を科せられる。たとえば荘園に属する農地に行かないとか、荘園管理人の他の命令を守らないとか、そうした違反には容赦なく首席司祭によって10フントの罰金が徴収される。
フーフェ農民は食事の後に法を告げ、教会から農地が所有地として奪い取られたり、取引されたり、売られたり、あるいは教会に損害をもたらしたり、もたらすかもしれないことを彼らが知っているなら、宣誓してそれを告発し、提示し、証言すべきであり、農地が帳簿や規則から失われるなら、当然ながらフーフェ農民たちは宣誓して証言すべきである。
荘園における贖罪金はフーフェ農民から3シリング4ペニッヒ、荘園管理人からも同額が徴収される。小贖罪金から首席司祭には何も割り当てられない。しかしフーフェ農民が宣誓と名誉にかかわることを無視すれば、それは首席司祭の権限に属し、彼はフーフェ農民の身体と財産に罰を科すことができる。
ワインを荘園で小売した者は、首席司祭に劣等ワインを納めるべきである。
首席司祭はいかなるフーフェ農と地代農民を訴えることができる。
ザンクト・モーラント修道院に属するすべての荘園は、ワインと穀物の升をシュペッヒバッハの荘園裁判所またはザンクト・モーラント修道院に持参して、訴えることができる。また裁判所で十分な弁明をしない者は、荘園管理人に3シリング4ペニッヒ、いかなるフーフェ農民にも同額の贖罪金を納めるべきである。
 荘園領主または彼の荘園管理人は彼の地代の代償を差し押さえることができ、差し押さえ物件を8日間保管した後、差し押さえ物件を彼の地代と同様に処分することができる。またいかなるフーフェ農民も、定例裁判集会後8日間経過しても地代を納めなければ、支払うまで、彼は荘園領主に毎日3シリング4ペニッヒを徴収される。
 荘園において首席司祭あるいは荘園管理人のもとであれ、フーフェ農民相互の間で  であれ、争いや不和が起これば、争いや対立はオーバーシュペッヒバッハの法廷に上訴することができるが、他所へ上訴してはならない。
上訴しようとする者は、裁判の結果にしたがい、シュペッヒバッハの裁判をうけいれることを荘園管理人に保証すべきである。また上訴しようとする場合、ザンクト・モーラント修道院に属する他の荘園から2-3人農民を任命して、荘園法にしたがって彼らによって法を告げるべきである。そうした必要があるフーフェ農民は荘園管理人といかなるフーフェ農民にも手数料として3シリング4ペニッヒを納めるべきである。
参審員のフーフェ農民以外いかなる者も法を告げてはならない。
荘園管理人は、少なくとも2人のフーフェ農民をもっていれば、フーフェ農民を定住させてはならない。定住の際に荘園管理人には3シリング4ペニッヒ、フーフェ農民には1フィアテルのワインが提供される。
首席司祭は荘園裁判を8日前にフーフェ農民に知らせるべきである。また彼は宿舎で食事をとるつもりであれば、8日前に知らせるべきである。
あるフーフェ農民が荘園に土地を保有する必要がある場合は、荘園管理人が彼にそれを命じるか、定例裁判集会にに召喚し、彼は荘園管理人に従順にしたがい、服従の宣誓をすべきである。荘園管理人が命令したのに、フーフェ農民がそうしなければ、そのフーフェ農民は首席司祭に容赦なく10フントを科せられる。
フーフェ農民が農地のために法にしたがって行動する必要があるなら、首席司祭は荘園農場に荘園管理人を置くべきである。
いかなる者も地代を納められない場合以外は、農地を放棄してはならない。また良い農地を劣った農地と取り換えてはならず、良い農地を維持しないで劣った農地をなくす努力を怠ってはならない。
首席司祭は宿舎で食事をとろうとするときは、いかなるフーフェ農民も1羽の鶏と1ゼスターのエン麦と1シリングを彼にさしだすべきである。
首席司祭が荘園裁判集会を開く場合、首席司祭が彼の訴えと処理すべき課題について裁判を終えなければ、いかなる者も何かをおこなおうとしてはならない。また首席司祭または荘園管理人が許可を与えなければ、いかなる者もそれにそむいてはならない。ただし、彼の生命と領主に緊急事態が迫っている場合は、除かれる。

 5-1-21 ヘッケン HECKEN (1661年)


  1661年1月25日のヘッケンにおけるアンドラウの荘園裁判所の規則は、当時再び更新された。
 まず第一に、この荘園裁判所または荘園農地で取引されるすべてののものは荘園管理人の承諾なしに売られたり取引されたりしてはならないことを、すべてのフーフェ農民は心得るべきである。アンドラウの荘園管理人はおこなわれた購買の金額より5シリング安くそれを購入する。いかなる者も売買され物を7昼夜より長い期間保管したり留め置いてはならない。買い手は正しい慣わしのとおりに受け取るべきである。
 購買の際には荘園管理人に4マースのワインを、また裁判所ないしフーフェ農民たちにも同量のワインを支払い、購買を取り消す場合は、8マースのワインを上述のように支払うべきことを、フーフェ農民は心得るべきである。
 第2に、ブーフェ農民は次のことも心得るべきである。すなわち、この裁判所と荘園で取り扱われるか、争われるかもしれないすべての案件は、この裁判所で明らかにされるべきであり、すべての売買または取引は正規の効力をもち、荘園管理人によって書写され、後ほどヴィッテンハイムによって(古い記録どおりに)文書化される。裁判所のの判決が気に入らなければ、控訴しなければならず、荘園裁判所からアンドラウの上級審に控訴し、その後一般フーフェ農民身分にとって控訴が認められるのは、ここまである。。
 第3に、フーフェ農民が死亡して、彼の相続人がいるんなら、いかなる相続人も彼の農地を相続料によって受け取るべきである。
第4に、荘園裁判は毎年聖マルティノの日(11月11日)の8日前か後に開かれ、荘園管理人は8日前にそれをフーフェ農民に知らせ、そうしたらいかなるフーフェ農民も彼に差し出す地代をまとめて、その日にきちんと納めるべきである。
第5に、すべての命令と禁止は荘園管理人と彼の部下によっておこなわれ、荘園裁判所の管轄下に属するすべてのことについて、荘園管理人に不法行為がなされれば、いかなる不法行為についても5シリングが荘園管理人に徴収され、彼のものとなる。
第6に、荘園管理人がフーフェ農民を3度呼んだのに、答えなければ、4バッツェンの罰金を科せられる。
第7に、あれこれの地代義務や費用をきちんと納めないフーフェ農民に対して、荘園管理人は常にいかなる時でも裁判をおこなう権限をもつ。
第8に、最後にいかなるフーフェ農民も彼のすべての荘園農地を、毎年聖マルティノの日に、あるいは荘園裁判集会を開くときに、農地の貸与と彼の宣誓とともにきちんと申告することによって、荘園の貴族領主は彼の地代を毎年とどこおりなく得ることができる。
以上のことは1668年5月16日に書写された。

 5-1-22 ギルトヴィラー GILDWILLER (1625年)


  ギルトヴィラ―の荘園の自由とフーフェ農民の法
 最初に、フーフェ農民はギルトヴィラ―でマスミュンスターの教会に属する荘園において宣誓に続いて法を告げる。
 わが女領主たる女子修道院長の罰令区はファルクヴァイラーの小橋に始まり、ズルツバッハに沿ってヴァルケンまたはシュテイネンブルッゲンまで昇って行き、その後エンゲル湖に下る。
 わが慈悲深き女領主が彼女の裁判集会を開きたいとき、それは聖カタリナの日(11月25日)の次の月曜日におこなわれるべきである。裁判集会を開こうとするときは、教会用務員が朝7-8時に2回強く合図の鐘を鳴らし、その後9時にすべての鐘を一斉に鳴らすべきである。そうした鐘の音の後に、代官の承諾を得て女領主たる女子修道院長によって任命された荘園管理人は、女領主たる女子修道院長の役人たちおよびすべてのフーフェ農民たちとともに適切な場所に、つまりリュプリンの園と呼ばれる庭園に行くべきである。そこにはかつて自由農圃があり、山の上には教会の一方の側に村の共有地があり、他方の側にはリュプリン園が100シューほど接しており、そこで裁判集会を開くことになっている。しかしこのとき非常に寒かったり天候が悪くて、覆いのある集会場が得られるなら、裁判集会は荘園管理人の住まいでおこなわれるべきである。そこでまず最初にフーフェ農民たちは、フーフェ農民の農地も領主の許諾なしに移転や保有変更がなされていないか、宣誓して答えるように、荘園管理人によって求められた。裁判所に登録されたフーフェ農民は9人より多かったり少なかったりしてはならない。
 裁判集会を開こうとするときは、荘園管理人はフーフェ農民にも他郷の者にも住民として8日前に知らせ命令すべきである。しかしそうしたことがおこなわれず、知らせも命令も受けなかったフーフェ農民が1人または数人おり、彼らが知らずに欠席すれば、彼らの農地その他に小さな損害や不利益をもたらすことになる。しかし上述のように命じられたのに、不従順にも欠席する者は、フーフェ農民たちに4マースのワインを償いとして納めるべきである。
 上記の裁判集会の日に、裁判集会に出席して地代を支払わない者は、同じくフーフェ農民に4マースのワインを償いとして納めるべきである。
 これらがすべておこなわれたら、女領主たる女子修道院長の荘園管理人は裁判に出廷して、今やその日、その時であるかとフーフェ農民たちに宣誓による返答を求め、それが認められると、荘園管理人は慈悲深き女領主の名において、いかなる者も裁判において彼の序言あるいは裁判官の許可なく発言することを禁じるべきである。そうしたことを無視する者は、フーフェ農民の承認にしたがって罰せられるべきである。
 裁判集会が開かれると、女領主たる女子修道院長の代理人またはそうした命令をうけた者によって荘園の法が読み上げられるべきである。フーフェ農民以外のいかなる者も法を告げてはならない。
裁判が再開されると、女子修道院長は彼女の役人をつうじて、裁判集会に出席しているいかなるフーフェ農民にも1マースのワインを納めさせるべきである。
 フーフェ農民の農地にかんしてどのような誤解や間違いが起きようとも、荘園管理人と9人のフーフェ農民の前以外では、何も決定され、権限を付与され、検討されてはならない。またこれについてフーフェ農民が法を告げるべきである。
 荘園農地を得て保有するいかなる者も、自分自身がフーフェ保有農民たるべきであり、僧職、貴族、寡婦、孤児は除外され、彼らはかつてフーフェ農民だった代理人や代弁者をもつべきである。
 今後民事問題にかんしてギルトヴィラ―の住民が他地域または外国の住民に法を告げる場合は、すべて女子修道院長の荘園管理人と裁判所によっておこなわれる。ただし、それは女子修道院長の罰令区が及ぶ上述の地域内に限り、それ以外の場所ではおこなわれず、妥当性をもたない。不法行為やふしだらな行為も、他地域あるいはギルヴィラーいずれの住民であっても、1ヘラーと3シリング以下の罰金と贖罪金が科せられ、これらはギルトヴィラ―の女子修道院長の荘園管理人と裁判所以外ではどこも処罰されることはないが、1ヘラーと30シリングを超える犯行にかんしては、ブルンハウプテンのタン所領の荘園管理人と裁判所で裁かれ罰せられるべきである。
  ある住民が他地域の住民に対して身分証明をおこなう必要があると申請した場合には、ギルトヴィラーの女子修道院長の荘園管理人と裁判所でおこなわれるが、外来者が他地域の住民に対して起こした身分証明請求はブルンハウプテンの荘園管理人によっておこなわれるべきである。
マスミュンスター教会の役人はギルトヴィラーの僧職とともに教会会計を尋問し受理する日を設定すべきであり、その日に彼らはブルンハウプテンの代官が同席を望むなら、都合の良い時刻を彼に知らせ、彼は法的な理由によって出席することができ、その場合彼は代理人を送ることができ、代官または彼の代理がそこに出席するか否かにかかわらず、したがって一切妨げられることなく、上述の会計か進行され、新しい教会管理人と教会用務員は通常の義務と宣誓を上述の職務のためにはたすべきである。
 ギルトヴィラーのいかなる荘園民も、荘園管理人に毎年3種類の賦役をおこなうべきである。すなわち、干草作りに1日、収穫に別の日を当て、第3の日をエン麦の栽培に当てるべきである。荘園管理人は賦役民のそうした労働にふさわしく飲食を提供すべきである。しかし彼の賦役を遂行しない者は、荘園管理人に償いとして5シリングを納めるべきである。
女領主たる女子修道院長は代官の承諾を得て森林管理人を任命することができる権限をもつ。
 荘園管理人は無報酬で牡牛と牡豚をもつべきであり、そうすれば村の困難が緩和される。しかしそうした不足が生じたら、フーフェ農民は荘園裁判集会で荘園管理人に不満を訴えることができ、そうした不都合が起きるたびに、荘園管理人はフーフェ農民の承認を得てそれを改善すべきである。しかしそのかわりに彼はギルトヴィラーとバルシュヴィラ―全体の教会への道で小十分の一税の半分を得る。他の半分は各教会主が取得して受け取る。牡牛と牡豚は誰にも損害のないように維持されるべきである。しかしそれらにわざと危害を加える者は、フーフェ農民にそれをvertretungの状況「に応じて弁償すべきである。
 フーフェ農民が死亡したら、彼が保有する耕地面積や草地面積がフーフェまたは荘園農地だったのあれば、それに応じて彼の相続人は相続税を納めるべきである。
 荘園管理人は森林からいわゆる敷きわらを採取すべきである。
 フーフェ農民が荘園農地を売ろうとするなら、それに大きな持分を有する者に提供すべきであるが、彼が 買おうとしない場合は、買いたいと思う者に売ってもよい。しかしそれを買う者には、荘園管理人はフ-フェ農民たちの承認によって付与すべきである。荘園管理人は彼らから4マースのワインを得て、フーフェ農民たちも4マースのワインを得る。
 フーフェ農民たちが最初に設定された荘園裁判集会の日になしえなかったことがあれば、第2または第3の日になしとげるべきである。
 (史料: archiv praefectur desOber-Rheins. Fonds: Abbaye de Massev

 5-1-23 チリスハイム ZILLISHEM (1594年)


 最初にマスミュンスターの教会とその女子修道院長がチリスハイムの荘園にもつ法は以下のとおりである。
聖マルティノの日(11月11日)の次の月曜日にマスミュンスターの女子修道院長はチリスハイムの彼女の荘園で裁判集会を開くべきである。チリスハイムの荘園は家屋、農場、納屋、厩舎、ぶどう搾り器および庭園を含めて村落の中央の広場の傍で道路に面しており、マスミュンスターの教会の免税所有地であり、一方でハンス・モッシェン、他方でミヒェル・キューネの土地に隣接し、上方には共有地または村落の溝、下方にはハンス・オトリンの祝福された相続人およびシュテファン・ケラーの祝福された相続人の土地が隣接する。裁判集会はその月曜日が休日であれば、その後の他の月曜日におこなわれるべきである。当荘園は自由であり、村域ごとに垣根で囲まれ、見廻りがなされ、門が閉鎖され、危害を加えた者が逃げ込んで来たら、いかなる者も彼を追跡して荘園に入ってはならず、彼は自由にそこにとどまるべきである。
女子修道院長がフーフェ裁判所または裁判集会を開きたいとき、教会用務員は朝7-8時に3回強く合図の鐘を鳴らし、その後荘園管理人は女子修道院長の役人または教会と女子修道院長に仕えるすべき者も含めて、すべてのフーフェ農民たちとともに自由荘園に行くべきである。保有されたり受け取られていない農地やフーフェがあれば、荘園管理人が裁判所に出廷する前にあらかじめフーフェ農民に保有させるべきである。しかしそれがおこなわれない場合は、女子修道院長は彼女の荘園管理人をつうじて農地を没収して他人に保有権を移転させることができる。
ベルンヴァイラーのすべてのフーフェ保有農民は穀物の地代を金銭あるいは鶏で引き渡すべきである。
荘園法において法を告げることができるフーフェ農民は12人より多かったり少なかったりしてはならない。
裁判集会またはフーフェ裁判所を開廷するときは、それ以前に死亡したフーフェ農民がいれば、新しく補充されるべきであり、いかなる新フーフェ農民も荘園管理人にフーフェ料として1シリングを、フーフェ農民たちに半フィアテルのワインを納めるべきである。
裁判集会またはフーフェ裁判所を開廷しようとするときは、女領主の荘園管理人は他地域および当地のフーフェ農民たちに14日前に予告し、命令すべきである。しかしそれがおこなわれず、フーフェ農民に予告も命令もされなければ、彼と彼の農地にとっては欠席の償いまたは容認が損害や不利益となってはならない。
裁判集会またはフーフェ裁判所を開くとき、フーフェ農民の一部が出席しなければ、荘園管理人はフーフェ農民全員に女子修道院長に対する宣誓をおこなわせて、また同様にフーフェ農民も荘園管理人に宣誓をおこなわせて、誰か欠席者がいるか尋ね、不従順にも欠席している者がいれば、法によって命じられたとおり、そのようなフーフェ農民は30シリングを償いとして納めるべきである。
荘園への何らかの償いがフーフェ農民のものとなる場合は、女子修道院長、荘園管理人はフーフェ農民たちに担保を与えるべきである。それにもとづいて荘園管理人は、女子修道院長と彼女の部下がOberkeitによっていかなる法で守られ、保護され、取り扱われるべきかをフーフェ農民たちによって知らされる。
ある日裁判集会またはフーフェ裁判所を開こうとするときは、フーフェ農民は一般にあらかじめ女領主に、彼女の荘園管理人が出廷する前に、彼らの農地の地代を裁判に出席する前に納めるべきである。地代を納めず、担保その他によって善意を示さない者は、一人であれ多数であれ、地代を滞納する者として、裁判所に訴えられ、フーフェ農民たちに30シリングの償いを納めるように告げられる。
こうして万事がおこなわれ、女領主たる女子修道院長がが出廷すれば、荘園管理人は宣誓に続いて、今や慈悲深き女領主たる女子修道院長の裁判をおこなうことができる日であり、その時かと問うべきである。それが認められると、荘園管理人は彼の慈悲深き女領主たる女子修道院長の名において、彼の序言あるいは裁判官の許可なしにいかなる者も裁判に発言することを禁じるべきである。それに反する者は、フーフェ農民たちに30シリングを償いとして納めるべきである。
その後裁判への出席がなされ、禁令が述べられると、フーフェ農民たちは序言を聴くと、それによって荘園の法を語らせてもよい。
フーフェ農民以外いかなる者もこの荘園において法を告げる、あるいは判決を与えてはならない。
裁判集会を開く日に、女領主たる女子修道院長は裁判集会中のフーフェ農民たちに、彼女の教会に属するチリスハイムの製粉所から6シリングと6羽の鶏を与えるべきである。ただし6シリングは、チリスハイムの教会から女領主たる女子修道院長に納められる寄付金から支払うべきである。
漁師はチリスハイムの罰令区でイン川を昇り下りすることができるという法をもつ。彼らがマスミュンスターの教会の荘園農地をもち、女領主たる女子修道院長がそれに地代を課すなら、地代が何であれ、片足を船の中に入れて、他方の足を外へできる限り遠くに踏み出し、できる限り多くの魚を獲る権利をもつ。その代わり、またそれゆえに、彼ら漁師は裁判集会のある日に、立派な多くの魚をフーフェ農民たちに提供し、裁判集会が開かれている間に引き渡すべきである。しかし彼らがそうしない場合は、彼らから魚を得ることになっていたいかなる者も、彼がこうむった損害についてフーフェ農民たちの前に訴えることができ、そこで漁師たちは告発者の損害についてフーフェ農民たちの判断と荘園法にしたがって償いと補償をおこなうべきである。
女領主たる女子修道院長はうこうした法をもち、フーフェ農民たちも次のような選択をもつべきである。すなわち、フーフェ裁判が開かれるとき、いかなるフーフェ農民も彼が担うフーフェごとに1シリングを支払うか、あるいはフーフェを放棄することもでき、どちらを選ぶかは各フーフェ農民次第である。そのどちらもおこなわれず、フーフェ農民が死亡し、その前に荘園農地のフーフェ保有権の移転がなされず、放棄されもしなかったら、その死亡したフーフェ農民が担っていたフーフェは、相続人たちが先に最良の家畜を取った後で、女子修道院長が他の最良の家畜を取るべきである。しかし家畜がいない場合は、羽根布団、ベッド幅の枕、普通の枕、その他4つの枠板をもつ物のうち常に最良品の次に良い物を取り出して相続税として彼女の手に入れるべきである。しかしそれらがなければ、女子修道院長に5シリングが相続税として支払われ、農地は彼らの手に移され、次の相続人たちに再び貸与される。しかし相続人たちが再び農地を貸与地として受け取ることなく、農地保有権を移転することを望むなら、女子修道院長は農地を作物の種子や花とともに、地代と相続税のために取得することになり、相続人たちはもはや負担を負うことはない。しかしフーフェ農民の死亡前に、彼が病気中に荘園管理人に使者を送り、自分と他の1-2人を彼の家から共有地へ3歩連れ出してもらい、彼が病気を逃れて、つまり諸税や相続税を免れて無事に帰宅するなら、彼が死んでも死ななくても、いずれの場合も彼の相続人たちは相続税も何の義務も負わなくすむ。
フーフェ農民は次のような権限をもつ。すなわち、あるフーフェ農民が長い間病気をわずらい、所有農地では彼の生活の資を得られないが、なお荘園農地をもっており、それに手を着けて、移転または売却することができ、そのためにフーフェ農民も彼の相続人も困窮させられてはならず、もしそうしたことがあれば、それは悪だくみか利得によっておこなわれるのであり、フーフェ農民が彼の所有農地を移転したり売却したりすれば、当地の女子修道院長が彼女の諸権利を奪われてはならないことは明らかである。そのほかに、いかなるフーフェ農民も荘園農地を売ろうとするなら、女子修道院長の代理の荘園管理人にまずもって売るべきであり、彼はその価値より安くしても、管理人が買おうとしない場合は、地代農地をもつ者のフーフェに組み入れる農地として買ってもらうべきである。しかし彼がそうしなければ、フーフェ農民たちに30シリングを償いとして納めるべきである。 
上述のように聖マルティノの日(11月11日)の次の月曜日あるいはその後2回、裁判を荘園管理人が開くとき、償いとして荘園のものとなる金額は、それが荘園内でおこなわれたことであれば、荘園管理人とフーフェ農民たちに所属する。ただし脚の傷害、炉の事故、流血および何よりも重罪は除外され、これらすべてはあチリスハイムの村落当局の権限に属する。
荘園農地について何らかの不和、誤解、混乱が起きたら、荘園の荘園管理人と12人のフーフェ農民の前以外の場所で決して決定され、正当とされ、議論されてはならず、フーフェ農民たちはそれについて法を告げるべきである。またたとえ女子修道院自身荘園において荘園農地について法的権限をもつとはいえ、荘園管理人は法を求められれば、12人のフーフェ農民に荘園内で裁判をおこなうように命じるべきである。そして裁判終了後、いかなるフーフェ農民にも一きれの肉料理、半マースのワインおよび1ペニッヒで買えるパンをふるまうべきである。しかし裁判において不足したり失われたりする部分があれば、荘園管理人に肉、ワインおよびパンを返却してその分を支払うべきである。
荘園管理人が裁判に出廷して、裁判集会を命じたら、裁判の当事者双方は互いに法によって話し合ったことを荘園管理人の杖に誓うべきであり、当事者のどちらか一方によって他の裁判所に控訴されることがなければ、当裁判所で裁判を決着するべきである。
何らかの問題が当荘園にもちこまれて、判断が分かれるか、当事者の意見が対立して、裁控訴がおこなわれる場合、訴訟はマスミュンスター教会のギューヴェンハイム荘園以外にもちこまれてはならない。
ある問題がチリスハイムの当荘園からギューヴェンハイムへ移されたら、チリスハイムの荘園管理人はギューヴェンハイムの荘園管理人に移管を知らせ、ある日相互に協議して、その後控訴審がおこなわれるべきである。こうしてギューヴェンハイムの荘園管理人は彼のフーフェ農民たちに、またチリスハイムの荘園管理人は当事者たちに裁判の日時を知らせ命じるべきである。
荘園管理人が裁判集会から立ち去ったら、フーフェ農民は彼のフーフェを放棄することができ、次の裁判集会まで放置してもよい。しかし彼はその裁判集会の前にフ-フェを受け取るべきであり、荘園管理人とフーフェ農民たちに規定どおりにふるまうべきである。フーフェを自分で保有したくないフーフェ農民は、14才以上の者にそれを保有させることができる。
年内に負債を負って、女子子修道院長あるいは他の誰かが荘園農地につい裁判をおこなうか、裁判にかけようとする場合には 荘園管理人は荘園でフーフェ農民たちに命じて、荘園農地をもつ者がそれを放棄すれば、再度フーフェ 農民に保有させ、荘園法にしたがって誓約すべきである。しかしそうしないなら、女子修道院長はその農地を没収することができる。裁判所に出廷しないフーフェ農民は30シリングを償いとして納めるべきであり、もし裁判がおこなわれ、その廃止を望むなら、いかなる者も規定どおりフーフェを廃止することができる。
女子修道院長がチリスハイムにある荘園農地からフーフェ農民に貸与し、フーフェ農民が保有する多くのフーフェから、1フーフェあたり2人の刈取り人を提供し、冬麦に男子1人、エン麦には女子1人を提供すべきである。しかしいかなるフーフェ農民も男子の賦役の代わりにに2シリング、女子の賦役の代りに9ラッペン、半日の賦役にはその分の金額を支払、賦役をおこなうこともでき、それは選択しだいである。しかし彼の賦役を遂行しないか、その代りに定められた金額を払わない者はヌーフェ農民たちに30シリングを償いとして納めるべきである。
前述の荘園奉公人は牡牛と牡豚(教会禄とかかわりがない)飼うべきであり、それらは村落の家畜群を十分な数に増やすべきである。しかし不足が生じたら、荘園それについて彼らは法の前に立たされ告訴されるべきであり、そうしたことが起きるたびに、フーフェ農民の知識にしたがって是正されるべきである。これに対して荘園奉公人が牡牛と牡豚を飼うことの正当性について再評価が正しくおこなわれた。すなわち、蝋、および小十分の一税として子馬から4ペニッヒ、子牛から2ペニッヒ、若い子羊とgutzenから1ペニッヒを得る。10 verlinのうち1つ、これっらすべてのうち半分はチリスハイムの俗人祭司の手数料となる。牡牛と牡豚は無傷のままに保たれるべきであり、それらを傷付けるける者がいれば、フーフェ農民に違反の形状に応じて償いをすべきである。
女子修道院長はチリスハイムの罰令区に叢林をもつべきであり、実際にもっている。それはアルトベルクのそばにあり、一方はヴォルフ・アンドレセンの共同叢林に面しており、他方は共有林に面し、上方にはアルトベルク、下方にはホーエエックに隣接し、そこから木を伐ることができ、エッターに隣接してつくられる自由農地または荘園農地を荘園管理人がもつ。
女子修道院長はチリスハイムの村落の方向に教会の半日陰をつくるべきであり、今では女子修道院長がその権限をもつが、かつてははチリスハイの教会主が教会の塔をつくるべき権限をもち、聖歌隊の上位にあったが、今や彼にの代わりに女子主導院長が教会の教会の塔をつくるべきである。
両当局、すなわち女子修道院長およびチリスハイム村の正規の当局は、教会会計の聴聞のために毎年ある日に協議して、いつでも独自の人物を同席させるか任命して、彼らの代理人を彼らの名において任命し派遣することができる
ショタスティカ・フォン・ファルケンシュタイン、マスミュンスター女子修道院長

   5-1-24 ズルツバッハ SULZBACH (1507年)

  キリスト生誕後1507年四旬節の第4日曜日の後の月曜日荘園にかんする荘園規則に、わがタンにあるオーストリア政庁の慈悲深き現職出納官ヨハンゼン・ヴァルトパーによって、ランツベルクの領主でタン所在の代官であるルンフェンの慈悲深ききジギスムント伯の同意を得て、相次ぐ二つの古い規則とともに、以下のように更新された。
まず最初に、ズルツバッハ荘園内で購入した農地をもつ者はすべて、毎年聖マルティノの日(11月11日)にわれらがタンの慈悲深きオーストリア政庁に対して、ズルツバッハ太市の傍のエンゲルブルク城へ、政庁に費用の負担をかけることなく、タンの政庁の土地台帳によって、44フィアテルのエン麦を引き渡す義務を負う。しかしこれまで長年40フィアテル以上は引き渡されたことはなかった。フーフェ農地の数を正しく申告さえすれば、政庁のエン麦の総計が満たされることは、誰もが知っている。
 そうしたフーフェ農民が死亡して、その死者の相続人がわれらが慈悲深き政庁に相続税の義務を負い、それは1頭を除いた最良の家畜である。家畜がいない場合は、四つの隅または四つの角をもつ動産のうち一つを除いて最良の物を動産ごとに納める。そしてそうした物品を受け取ろうとする者がいれば、地方または役人は一方の手でそれを取って、他方の手で彼に授与すべきである。
フーフェ農地をもつ者は、それが購入された土地であれ、相続によって入手された土地であれ、荘園管理人と誓約フーフェ農民から規定どおりにその農地を受け取らず、農地のしかるべき権利の支払いがなされなかったり、また結婚した夫婦のどちらであれ、上述のように死亡した者の農地の受け取り前に荘園管理人とフーフェ農民によって相続税が通常より少なく見積もられうなことがあってはならず、徴収された相続税は政庁の手に引渡されるべきである。
そのような農地を貸与される者は、地方官に4マースのワインと4つのパンを納める義務を負う。そのような農地は4人以上のフーフェ農民に貸し付けられ、農地を受け取る者は地方官に同じく4マースのワインと4つのパンを納める義務を負う。
われらが慈悲深きオーストリアの政庁に農地が没収され、再度貸し出される場合には、地方官とフーフェ農民は4シリングの金額を得て 貸与のたびに1フィアテルのワインも得る。
裁判集会は、必要なら年3回おこなわれ、復活祭の月曜日、聖ガルスの日(10月16日)および聖ヒラリウスの日(1月13日)に開かれる。荘園管理人は宣誓してフーフェ農民たちとともに出席する義務を負う。
裁判集会に出席しないフーフェ農民は、そのことを通知されて、荘園領主が科す罰金を 
償いとして納める。身体または領主の非常事態が彼を困らせないかぎり、これは一般フーフェ農民に3シリング科される不法行為であると信じておこなわれるべきである。
フーフェ農民が地方官とともに裁判集会に出席したら、地方官は、農地をもつ者が農地の移転、交換または売却を知っているかどうかとと、フーフェ農民全員に尋ねるべきであり、いかなるフーフェ農民も宣誓して届け出て告発すべきである。そうしない者が見つかれば裁判領主に償いをする。
いくらか農地をもつ者がいれば、地方官は、法にしたがって、裁判集会について相次いで知らせるべきである。またその者が農地を実際に占有していなければ、すべての農業資材を除いて農地を没収すべきである。
ズルツバッハ荘園管区に移住する者は、以下のすべての義務を負う。
市民はいつでも誰でも、ズルツバッハ荘園管区に移住すれば、そこに住む間いかなる身分であろうとも、荘園管区の他の住民と同様に衷心から誓うべきである。
また他地区から帰って来る者は、条件付きの移住の自由をもち、租税、帰還税を納め、都市から帰って来る者は、荷馬車に手斧、桶、印章および計量枡を積んで運び、それらをもっていなければ、地方官はナネンバッハ、エッケンバッハ、クラッツェンおよびハーゲンバッハシュトゥンフの4 gerainenの間で彼を捕え、彼に馬を引き返させ、再度行かせることができ、それ以上の義務を負わない。      
荘園管区から転出する者は、あらかじめ文書で彼の市民権を辞退し、彼がどの地区で市民となったか届け出るべきである。
以下に述べるのは、地方官に属する権限である。
4頭の馬をもついかなる市民も、地方官に賦役の義務を負い、2頭の馬をもつ者は半賦役の義務を負い、馬をもたない者は1日の刈り取り作業または干草作り、またはある場所から他の場所へ100束を運ぶことができる運送人の義務を負うが、ただし日の出から日の入りまでのお時間より長く働かなくてもよい。
さらにいかなるフーフェ農民も復活祭の月曜日に荘園裁判集会をもち、そこで荘園管理人に1フィアテルのエン麦と1ペニッヒを納める義務を負う。荘園管理人はそのかわりフーフェ農民にとくに裁判の争いにおいて無駄でも指示をおこなう義務を負う.
フーフェ農民は地方官に対して上述のように賦役をおこなう場合、地方官は彼らに飲食をふるまい、たっぷりの赤ワインと白ワインに添えて皿に肉を盛り、小型の白パンを犂のねり木に載せてふるまう義務を負う。こうして下男と犬とともに賦役をおこなう者は、十分に食べるものを得て、日中に往来すべきである。
地方官の仕事の際に賦役農に損害が生じたなら、地方官はその補償をおこなう義務を負うが、さらなる義務は負わない。
以下に述べるのは、いかなる市民も、彼が居住するニーダーズルツバッハとオーバーズルツバッハの地区の教会主に対して義務を負う法である。
ある垣根から第2、第3の垣根へと飛び移ることができる庭の鶏を6ペニッヒで取得しようとおもわない者は、それを撚糸で杭に縛りつけるべきであり、そうすれば問題はなくなり、彼は教区司祭に何の責任も負わなくて済む。
また子馬については俗人司祭に対して4ペニッヒ、子牛については1ペニッヒ、子豚10 頭については1頭を除く最良の子豚を取得すべきであり、それらが若い豚であれば有利である。あまり多くの子豚を望まず、5頭の子豚でよければ、半分に減らして1ペニッヒを与えるべきである。
これに対していかなる教会主もオーバーズルツハウゼンとニーダーズルツハウゼンで牡牛と牡豚を不足がないように充分に飼う義務を負い、いかなる司祭も家畜番人のもとに家畜1を歩いて行かせるべきである。
上記の両地区のいかなる教会主も五月に4週間子馬1頭を飼うべきであり、次のような権限をもつ。すなわち、その子馬が出かけて行った場所で害をなさないように追い払ってもよく、もしsummerlatenによってそのような被害があれば、立ち去らせるべきである。
上述の諸条項はすべてのフーフェ農民が毎年前記の復活祭の月曜日に忠実に尊重することを誓うことによって、われらが慈悲深き領主、荘園のすべての関係者ならびに所属者に違反を生じないようにつとめるべきである。





5-2 ウンターエルザス Unterelsaß


 5-2-1 エーベルスハイムミュンスター Ebersheimmünster (1320年)


(エーベルスハイムミュンスターは現在アルザスのバ=ラン県セレスタに属する)


  これはフーフェ保有農民の誓いである。
 私Nはわが領主のエーベルスハイムミュンスターの修道院長とその修道院に対して忠誠と愛着をもって、その災いを転じ、警告を発し、役立て利益を得るように努め、古くからの慣わしのとおり、また神と聖人が私を助けてくださるように、その荘園を助けて運営することを誓う。
 この修道院の法による判決をおこなう者、あるいはそれを聞く者はすべて、この町と修道院がイル川とブルンネ川が流れるメンク堤からツヴェルク堤までの区間に罰令区をもつことを了解している。そこで不法行為をした者は、修道院長に1フントを、代官に10シリングの罰金を納める。
 農民たちはルードウィッヒという名の二人の王、エテヒェという名の公爵から、二つの階段石と一つの牢を得るべきである。すなわち、皇帝も国王も方伯もここに裁判所をもってはならず、修道院長が農民たちを召集する。二人の国王とエテヒェ公がこの町と修道院に法を与える。牢は錠と釘とともに守られ、法の執行にいたるまで、見張られるべきである。ここには26人の土地保有農がおり、法にしたがって、牢を1日と2晩見張るべきであり、いかなる農民にもパンとワインが支給される。彼らは修道院長を案内し、彼が望むなら、タインハイムとシュトラスブルクの間、船に載せられない彼の荷物を一昼夜かけて運ぶべきである。これらの船乗りは修道院長を送り、いかなる船乗りにも5つのパンと1フィアテルのワインが支給され、彼らは一昼夜領主の世話をすべきである。わが領主がそれより長くとどまるつもりなら、彼らに食事を支給すべきである。これらの土地保有農は法にしたがい、わが領主の客人の馬を受け入れ、麦わらと干草を支給すべきであり、年3回彼らの寝床を屋敷に用意すべきである。廷吏と修道院長の使者は出納係に命じて、彼らが貸出したものを返却させるべきである。また廷吏は、馬を泊めるようみ指示すべきである。それが終わったら、あるいは運搬賦役がなされたら、パンとワインをふるまい、馬に干草を食べさせるべきである。そしてその支度ができる日に運搬賦役を命じるべきである。船乗りがそれをしない場合は、廷吏と出納係は彼のかわりの者を用意して、彼に報酬を払い、わが領主に負担してもらうべきである。
 土地保有農のなかには運搬の日雇い仕事をおこなう者がおり、ベルテン・フォン・ローデの妻は10日間の日雇い仕事と3日間の運搬賦役をおこない、ヴァルターは10日間の日雇い仕事と3日間の運搬、ジフリート・ヴィルデは4日間の日雇い仕事と1日半の運搬、シュヴァーベンの息子ヴェルンハースは8日間の日雇い仕事と1日半の運搬、ジフリート・ヴォルフは4日間の日雇い仕事と1日半の運搬、ブルヒャルト。ドゥーバは8日間の日雇い仕事、アルノルト・ドゥゼリンは15日間の日雇い仕事と3日間の運搬をおこなう。
 また修道院長は6つの罰令水域をもち、そのうち3つは法によって担保とされた場合30シリングの価値があり、その一つは小川、一つは泉、一つは水浴場である。他の3つは5シリングの価値があり、それはランゲンヴァーク、シュマルノーヴェおよびブライテンラッヒェである。
 また修道院長は4つの魚網をもち、その一つはシュタッフェルグルーベンからカーゲンハイムへ、賦役用魚網はランゲンヴァークからトゥヴェルクディッヒまでの区域に至る。そこに違反者がいれば、修道院長に訴える。その償いをすることができなければ、代官に訴える。魚が網にかかったら、干からびないように、調理場に引き渡すべきである。修道院長はそれに1シリングを与えるべきであり、料理人は作りたてであることを示すべきである。料理ができたら、修道院長は使者を送り、4つの白パンと1フィアテルのワインと二つのチーズを与えるべきである。また修道院から漁獲を認められた漁師は、その日に捕らえた魚を荘園に提供すべきである。
 さらにわが領主の修道院長の魚網は、修道院長の代官の魚網に至る。それらはシュテーフェネスヴァークで合流し、わが領主の修道院長の領民はらそれらのどちらかに行くべきである。魚網はラーツェンハウゼンのエーエンヴィルレから橋の前をフラウ・アーデルハイデの水車まで至る。ラーツェンハウゼンの正規の共同放牧地はトゥヴェルクディッヒまで至る。
 修道院長が荘園に来たら、いかなる修道院領民も彼に1ペニッヒを納め、いかなる裁判官も1シリングを納めるべきである。そして裁判官はいかなる者も彼の村で金銭を得るべきである。そして金銭を納めようとしない者がいれば、裁判官は彼の財布に手を入れて、わが領主にその金銭を納めるべきであり、裁判によって再度金銭を得るべきである。そして金銭を納めない者は、裁判所で裁判官に毎回2シリングを償うべきである。そして彼が出かけようとする場合、ヴィッセヴィルレには徴税人を1人連れていき、ランクヴィラーの同僚の所には役人1人、ディーメン氏の水車、アーデルハイデ夫人の水車には人員1人、ヴォルフガング親方とエックハルト親方の水車には人員1人、ルーヴィッヒの水車には人員1人、門のなかにあるヴァルターの水車には人員1人を連れていくべきである。
 修道院領の領民が死亡したら、最良の家畜を徴収するか、家畜をもってない場合は、最良の衣服を徴収するべきである。また修道院領の領民である裁判官が死亡したら、彼は教会に2種類の死亡税を納め、最良の家畜と最良のめ牛を納めるべきである。しかし彼が修道院の領民ではなくても、領民であると言われている場合は、最良の家畜と最良のめ牛を納める義務を負う。しかし彼が自由民であれば、最良の家畜を納め、修道院長への死亡税を免除されるべきである。修道院長が村々に罰令区と牢と石段をもつなら、賢明な村長と廷吏を任命し、彼らは裁判をつかさどるべきである。罰金の3分の2は修道院長のものに、3分の1は代官のものになり、荘園内で償いとして納められるものは、修道院長のものである。修道院は、修道院に属する者を裁判官にすべきである。修道院の領民はその領民の意志に反することをしたら、修道院の裁きをうけるか、そこを去る。罰令区に家と農地をもつ者が不法行為をしたら、14夜の間彼を召喚し、彼が罰金を払えなければ、彼を逮捕して、牢に入れるべきである。そして廷吏は彼の最良の衣服を取り、それを誰にも渡さず、自分で保持すべきである。また彼はそれを得られなくても、その責任は彼にあり、誰もその責任を負わない。修道院の領民が領民以外の妻をめとり、子どもができたら、その子は修道院に属する相続地に権利をもたず、修道院に属する彼の近親相続人に相続地を譲るべきである。修道院長は公的裁判で彼を代官に告訴すべきであり、彼がもっているすべてのものを容赦なく両者の権限で差し押さえる。
 わが領主は年3回賦役を課し、いかなる家にも乾いた土地に溝を掘る作業をおこなわせ、2人について1トリンケンのワインを与え、夜にはいかなる者にも粗食のパンを与える。わが領主が日曜日の前に木を伐って2本の杖を作るときは、領民は彼に食事の協力をする。だが日曜日の後にそうするときは、彼が食事を用意して、いかなる者にもパンを与えなければならない。穀物刈り取り賦役の日には、倉庫の1 フィアテルの麦から10個のパンをつくり、いかなる者にもパンを食事に与えるべきである。おやつには半分のパンを支給する。夕食には、倉庫の1フィアテルの麦からつくった12個のパンをいかなる者にも一つずつ支給すべきである。さらに村長はいかなる刈り取り賦役にも2人の人員、廷吏は1人の人員をあてるべきである。そして村長は刈り取り人の穀物の収穫を見張り、刈り取り人夫は収獲する穀物を刈り取って束ねることができなければ、わが領主に償うべきである。廷吏には30束のライ麦と30束の大麦、村長には1フィアテルのワインとパン四つ、チーズ一つを与えるべきである。役人は、馬で見回るよう、彼に番人を1人与えるべきである。わが領主が刈り取り賦役を必要としなければ、廷吏に3フィアテルの穀物を倉庫から与えるべきである。
 ここでワインを売る者は、わが領主にその荷からワイン税として1アーメンのワインを、村長には1フィアテルのワインを納めるべきである。
 わが領主は年に3回裁判集会を開き、どの裁判集会も14日間開かれ、1回はクリスマスに、1回は復活祭に、第3回は主の昇天祭に開く。わが領主、またはその代理が裁判集会を開くとき、いかなる者もワインを売ってはならず、この罰令を破ってワインを売る者は、多少にかかわらず、30シリングの罰金を納める。また外からワインを持ち込んで、宴会で飲む者がいれば、いかなる者も30シリングの罰金を納める。
 わが領主は5つの森林をもち、いかなる者も彼の許可なく木も木の実も取ってはならない。しかし彼の許可なく木の実を集める者がいれば、廷吏とわが領主の使用人は家宅捜索をおこない、見つけたら、それを荘園に引き渡し、わが領主の収入役に賠償すべきである。
 森林の一つは境界林であり、それは30シリングで立ち入りを許され、またファッケロットは30シリング、ブレンネホルツは30シリング、フォソットは10シリング、シュタンデン・ブルッフは10シリングで立ち入りを許される。いかなる者もこの罰令林で許可なく木の実を拾い集めてはならず、オークの木を伐ったり売ったりしてもならない。修道院長は修道院に属する2人の森林番人を置き、彼らは森林を管理し守る権利を有する。そして彼の森林を監視すべきであり、彼らが領内で木を伐ったり、売ったり、おろそかにするようなことがあったら、その償いをおこなうように命じる。また彼らが森林を守ろうとしなければ、わが領主は彼らに服従を命じるべきである。そして彼らに2種類の穀物それぞれ半分ずつ、合わせて6フィアテルの穀物と1足の靴を与え、クリスマスにはもっと増やして2足の靴を与えるべきである。またわが領主たる修道院長は耕地番人を1人選び、市民たちは耕地番人を1人選び、村長は彼らを職務につけ、半シリングを与え、耕地番人は復活祭前の日曜日に出かけて行って、どれかの杖に小枝を刺し、それによって彼が耕地のためにおこなったことを知らせるべきである。耕地で雄牛に草を食べさせたり、家畜を放牧する者がいたら、耕地番人はそれをつかまえて、つかまえた家畜を3つの屋敷に入れ、いかなる者も修道院長の許可なくそこから家畜を出してはならず、違反者は有罪とされる。3つの屋敷とはジーゲープレヒテスホーフ、シーギルステンホーフおよびシュヴァイクホーフである。緊急事態に際しては、修道院長は5頭の馬に鞍をつけさせ、さらに彼の部下は13頭の馬を獲得し、ラントウィゲスツェレンに行き、14夜そこで過ごし、その後アーデルハイデ夫人の水車で1昼夜、ディーメン親方の水車で2昼夜、エッケルハルトの水車で2昼夜、さらにヴォルフガングの水車で1昼夜、さらにルートヴィッヒの水車で2昼夜、さらに島で1昼夜過ごし、そこで1ザウムの草を食べさせ、わが領主の厩舎に帰る。ここには14の草地があり、修道院長の5頭の馬はそのいずれかで1日過ごし、夜には1ザウムの草を食べて、帰るべきである。
 そして修道院長と代官はこの裁判集会(聖マウリティウスの日、9月22日)に出席し、村長は修道院長のそばに座って発言すべきである。またヒルツハイムの村長は代官のそばに座って発言すべきである。そして代官には半アーメンの新ワイン、半アーメンの古ワイン、60のパンまたは1マルターの穀物を正しく差し出すべきである。そして夜には1マルターの飼料と代官が必要とする明かりを提供すべきである。修道院長の裁判官が来たら、いかなる者も30フントの価値ある成熟した豚1頭を持参し、さらに貢租も納めるべきであり、修道院長が望むなら5シリングを納めるべきである。修道院長が最良の豚を選択し、代官が次に良い豚、漁師が次に良い豚を選択すべきである。そして聖ミカエルの日(9月29日)にルートヴィッヒに他の2頭の豚を引き渡し、彼に5フィアテルのビスケットを与えるべきである。彼はそれを聖トーマスの日(12月21日)まで育て、9 ウンツェの貨幣価値になったら、荘園に引き渡すべきである。そうしたら彼に尾骨を返すべきである。翌日修道院長と代官は裁判に出席し、いかなる裁判官も代官に1フィアテルのワイン、2羽の雄鶏、白パンを提供すべきである。彼らが代官との食事を望まないのであれば、彼らはパンを提供しなくてよい。いかなる裁判官も、荘園民以外の誰かが彼の裁判管区に侵入した場合は、それを知らせるべきである。そして修道院長と代官は裁判に出席して、修道院を混乱させる問題がないうちは、いかなる者も裁いてはならない。
 空地を他人に売ろうとするなら、村長は彼にそれを保有させ、修道院長にかわって彼に承諾を与えるべきであり、その場合彼は村長に6ペニッヒを納めるべきである。また、修道院に属する農圃も農地も売ってはならず、まず最初に修道院長に申し込み、修道院長がそれを買おうとしなければ、修道院長の仲介で荘園民の1人に譲渡すべきである。そしてこの農地を受け取る者は、土地保有交替税をその農地から生じる地代として修道院長に納めるべきであり、彼が修道院の領民でない場合は、その半分を納める。保有者の交替がなされたら、農地を修道院長から受け取り、土地保有交替税を納めるべきである。いかなる者も修道院長の許可なく共有地で耕したり栽培してはならない。
 この修道院領民は彼の所有地や相続地を失うようなことがあってはならず、この公的裁判集会外ではそれについていかなる言い訳もしてはならない。また、この修道院領民は聖マウリティウスの日(9月22日)の前の14夜とその後の14夜の間、いかなる言い訳も、いかなる裁判も許されない。わが領主たる修道院長の荘園使用人が怒られたときは、わが領主の邸宅外ではいかなる言い訳もしてはならず、和解できない場合は、代官が裁くべきである。
 また修道院長の領域内で命令から逃れることはできない。また領域内に住む彼の領民が税から逃れることもできない。またいかなる者もわが領主の使用人を領主以外の者に訴えてはならず、訴えた場合は、彼に償いをすべきであり、それができなければ、領主の裁判をうけてもよいことを承諾すべきである。また修道院領民は、修道院に属する裁判官に8.5ペニッヒ以外に納めなくてもよい。修道院長の手に納める者は、2シリングを納める。裁判官が農地価格の交渉によって農地を取引する場合は、公的裁判集会でそのことを告示すべきであり、代官はそれを修道院長の権限にゆだねるべきである。わが領主たる修道院長がその農地価格交渉をおこない、農地が運搬賦役を負っていたり、地代を負っている場合は、代官はそれを修道院の権限にゆだねて、その農地を保全・保護し、修道院長はその農地の保有を保障すべきである。しかし、その後農地が元に戻り、農地を再度得たいとおもう者は、その望みに応じて修道院長から再び取得すべきである。彼がその農地を自分の権限に取り戻したら、彼はただちに裁判官と彼の罰金について申し合わせるべきである。しかしその農地が修道院長の権限に残されているなら、彼はそれを取り戻そうとすることはできないので、裁判官はいかなる要求もしない。そして代官は1、2、3または多くの農地を修道院長の権限に移し、その権限の移管を1日で済ませれば、修道院長は彼に5シリングを与えるべきである。そして修道院に属する裁判所で判決がおこなわれなければ、再びエーベルスハイムミュンスターの居城の修道院長、代官および修道院に属する裁判官の判断にゆだね、彼らは宣誓にもとづいて、事情を理解し判断を問われる限り、判決をおこなう。そして修道院長はこれらの村々に村長と裁判官を任命すべきである。彼はグルッセンハイム、アルトルフェスハイム、ニフランツハイム、ヴィッテンスハイム、ビューレンハイム、ヒルツハイム、ムータースホルツ、ヴィスヴィルレ、エーベルスハイムミュンスターに罰令区をもつからである。村長たちは罰令区内に住む領民を指導すべきである。
 罰金は村長のものとなり、不法行為の贖罪金の3分の2は村長、3分の1は代官のものとなる。ここではわが領主たる修道院長がヴェルトウ またはイナー・シュトッケーエを罰令区とする以外、いかなる地区も罰令区としてはならない。また修道院長とその修道院を除いて、いかなる者も家や屋敷に裁判所をもってはならない。

 5-2-2 グルッセンハイム Grussenheim  (1320年)


(グルッセンハイムは今日フランスのオー=ラン県に属する)


  これはグルッセンハイムの荘園法である。最初にエーベルスハイムミュンスターの修道院長に罰令区、未墾地および自由荘園とその付属物について語られる。当荘園は王と皇帝によって設置され、自由とされ、外部で何かをなした者が荘園内に来たら、自由を得るべきであり、いかなる者も彼を荘園内で悪しざまに追跡してはならない。しかし不当にも彼を荘園内に追跡してきた者でも、皇帝に40フントの金をその経理に納めれば、わが領主たる修道院長からその侮辱と損害について恩赦をうけられる。
 荘園に住む者は公的裁判集会以外では、いかなる者にも強制してはならず、わが領主たる修道院長がその貢租、その債務とその地代の代償に農民保有地を差し押さえる以外は、いかなる者も債務のゆえに農民保有地を差し押さえてはならない。同荘園には17の農民フーフェが属し、それらはわが領主たる修道院長に地代を納め、いかなる農民フーフェも6 バーゼル・シリングを納め、いかなる農民フーフェも6 ゼスターの食糧を納め、その運搬には1ゼスターにつき6ペニッヒを支払う。
 当荘園は毎年3回裁判集会を開き、それぞれ2月半ば、5月半ばおよび刈り取り後に開く。そしていかなる裁判集会も同じようにおこなわれる。また3回の裁判集会にはフーフェ保有者、領民および農民が出席すべきであり、必要ならフーフェ保有者と修道院領民はあらためて知らせをうける。裁判集会に来ない者は、法が適用される前に、修道院長またはその使者に2シュトラースブルク・シリングを償いとして納めることを命じられる。農地の保有が変わり、それを受け取る者は、農地から支払う地代として土地保有交替税を納めるべきである。しかしそれを受け取る者が修道院領民であるなら、彼は半額を納めればよい。売ろうとする農地が売れなければ、荘園の荘官が修道院長のために買うつもりがあるなら、彼に提供すべきであり、しかも彼には他人よりも安く譲るべきである。しかし修道院長がそれを望まなければ、彼はそれを自分の思いどおりに、修道院長の権利と地代が保障されるような者に売るべきである。彼の地代または他の荘園の権利をなおざりにする者がいれば、その農地の権利が守られるように交渉すべきである。そして彼がその農地に1年と1日住み続け、その間に3回の裁判集会が開かれたら、荘官はその農地修道院長の権限に移し、代官はその権限を保護すべきである。そして農地が修道院長の手に留保されるなら、荘官は罰金を要求してはならない。しかし、修道院長の許しを得てその農地を取り戻したいとおもう者は、彼の罰金について荘官と相談すべきである。禁じられた農地を通行する者は、30シリングを罰金として納め、彼がそこを通るたびに、罰金を納める。
 地代を期日に納めない者がいれば、修道院長は裁判集会を開き、彼の地代を要求し、彼は8日間で地代を賠償金とともに納めるべきである。法に違反して荘園から出て行く者は、30シリングの罰金を納める。1年をとおして荘園に納められる罰金の3分の2は修道院長、3分の1は代官のものとなる。5月半ばには耕地番人は、修道院長とフーフェ保有農が住む荘園に葦をもってくるべきである。収穫後、教会役僧は1羽のガチョウを提供し、耕地番人たちはそれを料理し、いかなる耕地番人も2シリングのパンと2シリングの肉を返すべきである。いかなる修道院領民も裁判所に8.5ペニッヒ以上の罰金を納めなくてもよいが、修道院長の手に2シリングの罰金を納める。修道院領民が死亡したら、死亡税として彼がもつか残した最良の家畜を納め、彼が家畜をもってない場合は。彼がもつか残した最良の衣服その他を納める。もし彼が修道院から役職を得ている場合は、2倍の死亡税、すなわち身体死亡税と役職死亡税を納める。
修道院の領民が非荘園民の妻をめとったら、彼が生きているかぎり賠償金として毎年30シリングを納め、彼が死亡したら、修道院長は見つけた動産を取得すべきであり、妻と子どもがザンクト・マウリティウス修道院に帰属しないかぎり、彼の子どもは修道院に由来する財産を相続してはならない。その場合は、相続財産は修道院に属する近親者のものとなる。いかなる者も修道院長の許可なく共有地を耕したり手を加えたりしてはならない。放牧地、水と道路、修道院長の自由用益地はエーベルスハイムミュンスターのものであり、それ以外の誰のものでもない。法によれば、当荘園は8頭の牛をもつべきであり、それらは一時的放牧地へ放牧されるべきである。それゆえいかなる者もわが領主たるエーベルスハイムの修道院長の法的自由からそれらを押収してはならない。
 当荘園に住む者は雄牛と雄豚をもつべきであり、教会司祭は雄羊をもつべきである。彼らはそのかわり小十分の一税を共有する。


 5-2-3 シェルヴィラー  Scherwiller



 これは国王カルロスが王妃リカルディンとシェルヴィラ―のアントラウ修道院に与えた城塞罰令区の法であり、修道院は4つの自由所有地と一つの自由荘園をもち、そこに逃げ込んだ者は、平和を得るべきである。法を破る者、あるいは荘園において自由を破るのを許した者は、法王の罰令と皇帝の訴追をうける。またアントラウ修道院を何らかの形で害する者も、法王の罰令をうける。そして女子修道院長はカルクフェルトに耕地番人をもち、ガイスビュールの家畜番人の3分の1をもつ。アントラウ女子修道院長がシェルヴィラーの彼女の荘園に来たら、彼女はラール荘園を通って教会への道を進むべきであり、その道幅は彼女の両側に一人ずつ騎士が付き添う広さである。また女子修道院長は教会の背後に番人を置き、荘官は教会を守り、それにもとづいて彼の権利を得るべきである。女子修道院長はプリエンスバッハという名の森林をもち、そのなかで木を伐る者を森林官が見つけた場合、彼が修道院の領民であれば、6ペニッヒの罰金を科す。修道院の領民でなければ、彼を逮捕すべきであり、彼を所有地で逮捕する。彼が所有地を馬に乗って離れるなら、所有地で力づくで捕らえてもよく、彼を取り押さえるべきである。修道院の領民とフーフェ保有農民が得る賠償金は、彼らが荘官と相談すべきであり、荘官は寛大な態度をとるべきだが、法によってなすべき合意が荘官となされない場合は、荘官はそのことをアントラウの管理人に告げるべきである。

 修道院の領民とフーフェ保有農民の法

 捕らえられた者は、アントラウの管理人に訴えられるべきであり、彼をベッドの前で見つけて、彼が靴を脱いでいた場合は、彼が再び靴をはくまで待つことなく、素足のままで連行して、彼を見張り保護すべきであり、彼は法にもとづいて拘留される。
 いかなる者もフーフェ保有農民になることはできない。フーフェを相続する者は、荘官からそれを受け取り、彼に1足の子山羊革の靴と28ペニッヒを納め、フーフェ保有農民たちには2つのパン、1つのチーズと半フィアテルのワイン、アントラウのお牛番人には4つの修繕用靴革、召使女には2つの靴底を与えるべきである。
 私、修道院書記局のマティアス・ヘルマンは、子山羊革の靴またはコルドバ製の靴一足および4つの修繕用の皮革と2つの靴底が荘官によって求められたことはないとは聞いておらず、そうしたことは書記局によっても考えられなかったので、私は荘園法の維持のためにフーフェ保有農民たちに判決をおこなわせ、彼らは全員一致で次のような判決を告げた。すなわち、将来フーフェ保有農民となる者は前述のようにその宣誓と同時に荘官に1足の靴を差し出すべきであり、上述のように3シリング4ペニッヒを教会管理人に、牛の世話をする召使女に前記の靴底と靴革の代金1シリングを与えるべきである。

 荘官の法

 彼は最初の地代を徴収し始める名誉を担うべきであり、聖マルティノの日(11月11日)の前夜までは地代によって食事をすべきであり、彼の生計には毎日肉、パンおよびワインを目立たないように加えるべきであり、金曜日には鉢に魚を盛る。そして聖マルティノの日の前夜には半フーダーの地代ワインを納め、ガンゲンバッハの修道院長は荘官に子山羊革の靴と14ペニッヒ、帽子と28ペニッヒを与え、それゆえ荘官は修道院長のために十分の一税を忠実に徴集すべきである。

 フーフェ保有農民の宣誓

 フーフェ保有農民になりたいとおもういかなる者も、わが慈悲深い領主・女子修道院長に対して、アントラウ修道院に忠実にしたがい、その利益に役立ち、できるだけその損害を避け、その地代を守るように協力することを宣誓すべきである。十分納得して納めるわけではない地代であっても、その農地の地代をできるかぎり勤勉かつまじめに集めるべきである。森林を必要に応じて利用すべきであるが、必要以上に利用してはならず、木材を売ってはならない。いかなるフーフェ保有農民も、誰か他人が木を伐るのを見たり聞いたりしたら、彼が森林仲間かそうでないかを見きわめ、森林仲間またはフーフェ保有農民でなければ、彼から馬車と馬、または道具を取り上げ、荘官に引渡し、あるいは荘官に出頭することを誓わせ、必要であれば、裁判集会の命令をおこない、管理人または荘官を通じていかなることについても忠実かつ無難で、従順に済ませるように要求すべきである。
 ヨハンゼンの製粉所における製粉屋の宣誓は、次のとおりおこなわれる。すなわち、ヨハンゼンの製粉所では製粉屋が屋内で火をおこし、購入した粉でパンを焼く。そのために四旬節ごとに2フーダーの木または手押し車4台分の木が与えられる。そのような木を荘官の承諾なしに伐ったり運んだりしてはならず、常に四旬節の前または後の8日間にそうしたことをおこない。それ以外に橋または製粉所に必要な木を伐ったり運んだりしないことを誓うべきである。彼はそうしたことを荘官に申告し、荘官の承諾を得て伐ったり運んだりすべきであり、すべて無難に済ませ、それ以上森林を利用しないことを誓うべきである。


 5-2-4 ズントハウス Sundhaus



(ズントハウスはホーエンブルク女子修道院領に属するライン河畔の村)


  ズントハウス村にある荘園は、ホーエンブルク領に属し、領主荘園と呼ばれる自由な荘園であり、それは法のもとにあり、この法は全村落に対する罰令権の半分が属し、この荘園には全村落の裁判、窃盗および不法行為の3分の1の権限が帰属する。この荘園には7つのフーフェがあり、それらは相続地であり、荘園に属するフーフェはいずれも4フィエアテルと2ゼスターの混合穀物を貢租として納め、その3分の1は麦、3分の2は豆でもよく、さらに4シリングと1ペニッヒを納める。4シリングは修道院、1ペニッヒは荘官のものとなる。荘園に属する相続地を受け取ったいかなるフーフェ保有農民も、荘官に土地保有交替税として、農地が地代としてもたらす金額を納めるべきであり、またフーフェ保有農民たちにもフーフェ権として1フィアテルのワインを納めるべきである。この裁判所は法のもとにあり、常に聖マルティノの日(11月11日)の前の月曜日・・・・・聖シシリアの日(11月22日)の前夜、裁判集会が開かれ、その後8日間追加の裁判集会が開かれ、これら二つの裁判集会は自発的に開かれる集会であり、集会を命じてはならない。最初の裁判集会が聖シシリアの日の前夜に当たるときは、荘官、収税吏およびフーフェ保有農民が出席し、荘官と収税吏が新たに2名のフーフェ保有農民を得るなら、彼らとともに裁判集会に出席すべきである。荘官は裁判集会の最初に、予告なしに発言することを禁じ、そうした発言をした者は6シリングの罰金を納め、彼が追加の裁判集会の終わりまでに荘官の合意を得なければ、彼は2シリングを納める。わが女領主が法によって第4年度に退位するなら、罰金は彼女のものと認められる。また荘官は、フーフェ保有農民が荘園に対しておこなった誓約によって、修道院から持ち出された財産はないか、あるいは荘園はそれによって権利を侵害されたか、あるいは財産が売られたり、変更されたり、受け取られたことはないか、フーフェ保有農民に問うべきである。いかなるフーフェ保有農民も、彼の相続地を荘園から受け取り、荘官が裁判集会に出席する前に、支払うべき地代を納めなかったら、彼は地代を罰金とともに納めるべきであり、罰金は6ペニッヒである。そして彼が地代と罰金を追加裁判集会で納めてなければ、彼は追加裁判集会で2シリングを納めるが、1年以上納めてなければ、30シリングを罰金として科される。しかし地代を納めるべき者が、罰金を納める義務を負い、収税吏と地代について、荘官と罰金について第四裁判集会前に合意しなければ、荘官は2人のフーフェ保有農民にそれをゆだねることができ、彼らは裁判集会のたびに農地について協議をおこなう。このように荘官は修道院の自由から、彼の手でその農地の権利を没収しうる権限を得て、農地が没収されたら、その農地は1年以上耕すことなく放置すべきである。しかし誰かがそこに入るなら、入るたびに、30シリングを罰金として科され、この罰金の3分の1は代官、3分の1は廷吏のものとなる。わが女領主がその役人をローマの王その他に送る必要が生じたら、彼女はその役人とともに荘官の協力も必要とし、彼はその馬で一昼夜自費で同行すべきであり、彼の費用が尽きたら、修道院の費用で同行する義務を負う。彼はまたわが女領主に毎年成熟した豚1頭を納める義務を負い。役人が耕地監視人を選ぶように望んだら、荘官は監視人を任命すべきである。この耕地監視人は荘官に1シリングを納めるべきであり、そうすれば彼は監視人を任命してそこで食糧を収穫させる。この耕地監視人は罰令区の当該地区で見張りをして、昼間穀物畑のなかに家畜を見つけたら、最寄りの荘園に引渡し、家畜の持ち主は、2人の荘官に1フィアテルのワインを納め、荘官はワインを相互に等分し、耕地監視人に担保の家畜を保証できない者は、罰金を納める義務を負う。いかなる相続地フーフェも耕地監視人に大麦4束とライ麦4束、所有耕地は1束、貸与耕地は1束、購入耕地は1束を差し出し、教会番人にも同量を差し出すべきである。収税吏はわが女領主に職務上の義務を負い、聖ガルスの日(10月16日)の前夜荘園に行き、そこでわが女領主の穀物と相続地の地代の代金を受け取り、彼女が要求するものを彼の食費とともに引き渡すべきである。そのかわり収税吏は9フーフェのうち1フーフェまたは1フーフェから産出される穀物と地代を得るべきである。彼はまたリントマッテにある草地をもち、ツークトレーゲン草地にも草地をもつべきであり、シャンペナイス草地、リノヴェーア道路の上にかかる草地ももつ。森林番人は知恵と力の及ぶかぎりわが女領主の森林を見張る職務上の義務を負い、何者かが木を伐るのを見つけたら、彼を捕らえるべきであるが、暴力を振るうのではなく、わが女領主に告発すべきである。しかし彼が損害をもたらしたことを証明できなければ、森林番人が損害を償うべきである。聖マルティノの日(11月11日)から聖シシリアの日(11月22日)の前夜までの月曜日に裁判集会が開催されたら、この森林番人はわが女領主の森から1フーダーの木をフーフェ保有農民たちの炉に運び、火をおこすべきである。そしてフーフェ保有農民たちが集まって着席したら、森林番人は燃料と枝を積んで荘園外の彼の家まで運搬すべきである。彼はここズントハウスの罰令区にある8つの耕地をもつべきである。彼はまた森のすべての枯れ木と、売れる枝も得るべきであり、幹のない枝は1シューの長さにつき1ペニッヒである。しかし1シューより短ければ、支払わなくてもよい。1シューより長い枝には2ペニッヒを払い、木を伐る者は、それを買ったか否かにかかわらず、その代金を払うべきである。


 5-2-5 ボーフスハイム Boffisheim (1301年)



(ボーフスハイムはライン河畔の村)

 これは、シュトラースブルクのザンクト・シュテファン修道院がボーフスハイムの村落と罰令区にもつ法である。
この修道院は当該村落にボーフスハイムの教会と並んで法による自由な荘園をもち、そこでは法が告げられ、そこでは命令も裁きもおこなわれることはない。犯罪をおかしてそこに来た者は、荘園内では裁判のあるなしにかかわらず平和を得て、いかなる者も彼を追跡してはならない。これを破ったり、不埒な行為をする者はザンクト・シュテファンの修道院に身体と財産を償い、代官はこれを強制し自由を守る助けをなすべきである。
 2.法として修道院に次のように告げる。すなわち、当女子修道院長が公的裁判集会に来るときは、地区教会の長は彼女に食事を提供し、荘官も食事を提供すべきである。ここでは3回の裁判集会が、2月中旬、5月中旬および8月中旬におこなわれ、そのうち2回は女子修道院長とフーフェ保有農民の意志によって、常に木曜日に牢獄で1年に4時間おこなわれる。
 3. 法として次のように告げる。すなわち、18人のフーフェ保有農民が当荘園に属し、いかなるフーフェも6フィアテルのライ麦とエン麦を納め、穀物1ゼスターにつき1ペニッヒを納め、その4分の1を各フーフェに割り当てるべきである。
 4. 法として女子修道院長に次のように告げる。すなわち、フーフェ保有農民は当荘園のものとなる貨幣地代を納め(上述のように穀物1ゼスターあたり1ペニッヒを納めるべきである)、聖マルティノの日(11月11日)に穀物貢租と呼ばれるライ麦とエン麦を、聖ガルスの日( 10月16日)の次の金曜日に納めるべきである。
 5. 法として次のように告げる。すなわち、フーフェ保有農民は穀物貢租を前述の金曜日にボーフスハイムの教会に提出し、荘官はそこに立ち会い、1ゼスター、半ゼスターおよび3分の1ゼスター、4分の1ゼスターの穀物貢租を計量して受け取り、それを計って、彼の袋の中に注ぎ込んだら、フーフェ保有農民をそれを納付する。
 6. 各フーフェ保有農民はクリスマスにあたって聖ステファノの日(12月26日)に雄鶏4羽、4つのパン、4ゼスターのエン麦、4フィアテルのワインおよび2シリングの貨幣を納める。
 7. 法として次のように女子修道院長に告げる。すなわち、地代と穀物を滞納した者は、規定にしたがい、翌日2シリングの償いを納め、さらに裁判集会の際に2シリングを納める。
 8. 法として次のように告げる。すなわち、荘官は貨幣地代、穀物および罰金の担保を農地において差し押さえるべきである。荘官がフーフェ保有農民に強制することができず、裁判集会から裁判集会へ長期間滞納した場合、農地を代官たちの手に移し、女子修道院長の領主農地に変えるべきであり、代官たちはそこで女子修道院長を保護すべきである。代官たちはこの点について次のような法をもつ。すなわち、女子修道院長が裁判集会に来たら、彼女は必要とする費用とともに、代官たちに4フィアテルの穀物と1シリングを食事と1オームのワインの代金として支払った。代官たちがすべての裁判集会に出席し、荘園法を守るために協力する代償として、女子修道院長は代官たちに3フィアテルのライ麦と12シリングの地代を毎年与える。代官たちがそうしない場合は、女子修道院長は上記の権利を与える義務を負わない。
 9. 法として次のように告げる。すなわち、女子修道院長が裁判集会に来たら、フーフェ保有農民たちは4頭の馬を用意し、干草、麦わらおよび乾いた厩舎を提供すべきである。
 10. 法として次のように法を告げる。すなわち、ザンクト・シュテファン女子修道院長は廷吏に馬とベッドの用意をさせるべきである。他の裁判集会で彼女は次のように決定した。すなわち、女子修道院長は炉のある部屋で裁判集会を開催し、それに出席して、利益が失われることのないように見張るべきである。しかし損失が生じたら、廷吏がそれを償うべきであり、この下僕に対して次のように命じるべきである。すなわち、彼は半フーフェからその金を徴収すべきであり、村外に住む者であれ村内に住む者であれ、すべてのフーフェ保有農民に対して、いかなる裁判集会でもそのように命じるべきである。
 11. 法として次のように告げる。すなわち、荘官はボーフスハイムの女子修道院長の荘園に住み、繁殖用の雄馬、雄豚、雄羊をもち、フーフェ保有農民からその料金を得るべきである。
 12. 法として次のように法を告げる。すなわち、荘園には牢屋を設けるべきであり、強制権と罰令区の半分がこの荘園に属する。
 13. 法として次のように告げる。すなわち、上述の荘園には農場が属し、これは大農場と呼ばれ、ボーフスハイムの村落と罰令区内にある。
 14. 法として次のように告げる。すなわち、裁判所はサンクト・シュテファンの女子修道院長のものであり、窃盗および不法行為の罰金の半分は女子修道院長、3分の1は彼女が任命する村長に帰属し、通常の罰金はすべて女子修道院長のものとなる。
 15. 法として次のように告げる。すなわち、女であれ男であれ、犯罪行為をする領民は荘園で裁きをうけ、フーフェ保有農民と廷吏が、裁判がおこなわれるまで彼らを見張るべきである。
 16. 法として次のように告げる。すなわち、役職、村長職、荘官職または廷吏職を授かった者または受領した者が死亡したら、それらの役職は空位となる。
 17. 荘園に属するフーフェ保有農民の財産が売りに出されるとき、荘官に申請し、荘官は、女子修道院長が買うつもりがあるか、14夜の3倍の期間返事を待つべきであり、その場合フーフェは他人に対してよりも5シリング安く提供されるべきである。
 18. しかし彼が財産をその間に売り、それを荘官に知らせなかった場合、女子修道院長が望むなら、彼女または彼女の荘官は、当事者が好むと好まないにかかわらず、修道院または荘官より5シリング安く買うべきである。
 19. 前述の荘園に属する農地について、修道院によって何らかの保有者の変更がおこなわれたら、それは荘官から渡されるべきであり、2人のフーフェ保有農民が立ち会い、受領者が邦内にいれば、少なくとも30日後に受領がおこなわれ、邦外にいる場合には、1年以上の猶予をもつべきである。
 20. 彼がその年度内に邦に来たら、荘官は彼に次の裁判集会で農地を受領するように命じるべきである。そうしない場合、彼は次の裁判集会で2シリングを償いとして納めるべきであり、それでも受領しなければ、他の裁判集会で同額を納めるべきであり、その後裁判集会のたびに2シリングを納めるべきである。しかし彼が1年以上放置するなら、荘官は代官とともに修道院の領主荘園に移管し、代官はその農地における女子修道院長の利益を守るすべきである。
 21. しかしその農地の購入または売り手からの譲渡により持ち主が変更されたら、最初の裁判集会で彼は荘官から受領すべきである。しかし、規定どおりおこなわれない場合は、彼は裁判集会ごとに償いをして、農地は規定にしたがって移転される。
 22. いかなる理由によるものであれ、ある農地が空いて、それを受け取った者は土地保有交替税の半分、地代の半分を納め、フーフェ保有農民たちには4フィアテルのワイン、4つの白パンを提供し、荘官にも同じものを提供し、その農地を売った者にも同じだけ提供し、彼と食事をともにすべきである。
23. 農地を受け取り、法によってなすべきことをおこない、長期間異論なくフーフェ保有農民として、裁判集会に参加した者が、農地について何か困難をかかえたら、フーフェ農民たちは彼を助け、そうしない者は、彼がこうむった損害をその財産で援助すべきである。
 24. ボーフスハイムの荘園に属する農地の保有期限全般について、次のように告げる。すなわち、古くから農圃だった草地が、地代を納めなくなれば、保有期限が切れる。また草地が耕地にされても、地代を納めなければ、保有期限が切れる。しかし、耕地が草地にされて、地代を納めなければ、それは保有期限が切れ、ザンクト・シュテファンの女子修道院長のものとなる。しかし土地保有者が死亡して家畜を残せば、彼はそのうち最良の家畜を納める。しかし、彼が修道院の領民であれば、彼は2つの死亡税として彼の家畜のうち最良の家畜と彼の財産のうち最良のものを納める。しかし彼が家畜を残さなければ、最良の衣服または彼の家の中にある家財のうち最良のものを納める。彼が修道院の領民であれば、ボーフスハイムの彼の家財道具から2つの死亡税を納める。しかし、彼がボーフスハイム村に住んでいなければ、彼が死亡した場合、規定にしたがい、農地の家畜のうち最良の家畜を取り、死亡者の相続人は農地に住む者にその補償をすべきである。
 25. 農圃をもたず、ボーフスハイムに住んでもいない者が死亡して、農地の保有期限が切れたら、貢納義務を負う者の死亡税が納められ、家畜であれその他であれ、死亡税を納めるべきである。前述の規定どおり、貢納義務を負った者が死亡すれば、その後に死亡税が納められるべきである。
 26. 法として次のように告げる。すなわち死亡税を規定どおりに納めない者は法的に有罪とみなされ、脱税した死亡税は法にしたがって徴収されるべきである。そうした脱税ともいうべき不正をなす者は、法的に有罪とみなされるべきである。


 5-2-6 ノートハルデン Nothalden



 これはノートハルデンの法であり、この荘園では聖マルティノの日(11月11日)の次の月曜日に裁判集会が開かれ、この日に休みがとれなければ、休みがとれる次の月曜日とする。このビレンスヴィラーではわが女領主はあずま屋より上の村内に荘園をもち、その荘園には荘官みずからが住むべきである。しかし、彼は女子修道院長の許しを得て他の場所に住んでもよい。彼が当荘園に住む場合、彼は荘官とフーフェ保有農民が立派に住めるようにとりはからうべきであり、煙が立たないような世帯はあってはならず、当荘園に住む者はその中で安寧に暮らすべきである。当荘園にはこの罰令区で捕らえられたすべての泥棒を拘留する牢屋を設けるべきである。また当荘園には罰令区営業が置かれるべきである。ある者を怖れて当荘園に逃げ込んだ者は、非難され裁判所によって追求される前に、荘園内に平和を得るべきである。不法行為をおかした者は人に迷惑をかけたので、不法行為の代償として30シリングを納め、罰金は罰令領主のものとなる。荘官はここに住む者に裁判集会をあらかじめ7日前に命じ、土地保有農民にそのことを告げるべきであり、土地保有農民が不在であれば、彼らの農地へ行って命じるべきである。裁判集会が開かれる日、荘官は敷居の上に立ち、フーフェ保有農民に、荘官はすでに着席したので、彼らも出席するように、呼びかけるべきである。彼は出席してないフーフェ保有農民たちに3回呼びかけ、その都度3つの耕地境界へ行く。出席しない者は、2シリングの罰金を納め、地代を支払ってない者がいれば、荘官が裁判所に出廷する前に、彼に罰金を納めに行くべきである。同じ日、わが女領主たる女子修道院長は12頭の馬とともに当地に来て、彼女が望めば、荘官は馬を3つのフーフェ保有農民の屋敷に入れ、屋敷の農民はこれらの馬に麦わらと乾いた厩舎を用意し、荘官はわが女領主の馬に飼料を食べさせ、干草を支給すべきである。わが女領主の客人が当地に来たら、荘官は彼らの馬をフーフェ保有農民の屋敷に入れ、他の馬と同様に世話するべきである。これらの屋敷は寝床、麦わらを人と馬に用意すべきである。わが女領主は宿の客人に食事を送ったら、そこにとどまり、人々はすべてのパンとチーズを残さず食べ尽くす。当日、荘官は徴収された罰金から、フーフェ保有農民たちに1オームのワインと12ペニッヒのパンと2ゼスターの木の実、4ペニッヒの値段のチーズを与えるべきである。しかし、罰金が徴収されていなければ、荘官はわが女領主の食費から出すべきである。わが女領主はツヴェファッケレン方面に草地をもち、その草地で干草をつくる場合、両教会の間に住み、ホーエンブルクに属する住民は、2年間相互に草地に下男を1人送り、干草作りを手伝わせ、3年目には下女を送るべきである。草地を夏至の前の7夜以内に、あるいはその後7夜で刈り取らなければ、領民が望むなら、彼らは8夜目も刈り取ることを保証する。・・・・・・・・いかなる者にもニーダーミュンスターの女領主のパンから長い白パンを与えるべきであり、収穫を彼の足の上に置き、彼の膝の上で彼の朝食用のパンを切り取り、女領主が飲むワインを与えるべきである。わが女領主はその草地を自費で刈り取るべきである。彼女は農繁期にはもっと多くの人員を要し、荘官は彼の費用で彼らに飲食物を与えるべきであり、わが女領主は彼らに報酬を払うべきである。彼らに報酬として2フィアテルのライ麦を与え、農民フーフェには適度な干草を与えるべきである。あるいはいかなる農民フーフェに対しても熊手を土に刺すべきである。荘官にはシュランゲンバッハの二つの草地から樽ワインを与える。また教会で歌う僧侶には、農民フーフェの干草20メッツェンを与えるべきであり、それによって、わが女領主に対する地代の不足分をすべて荘官に対して償う。僧侶は荘官に6ペニッヒのパン、1フィアテルのワイン、4ペニッヒの値打ちのあるチーズを納めるべきである。フーフェ保有農民たちはその地代を聖マルティノの日(11月11日)のミサの前に納め、彼らが穀物枡を納めたら、荘官はそれに対して賄いをもって応えるべきである。彼らが聖マルティノの日までに同意すれば、彼らはそのワインを賄いとともに引渡し、各世帯ごとに5.5フィアテルのワインを納めるべきである。
 ここにはわが女領主の荘官がおり、彼は出納役人あるいは森林の番人をもつべきであり、森林番人たちは彼ととともに八人衆として、ターゲスベルクとベルシュタインに属する森林を監視すべきである。その森林の8分の1の樹木はニーダーミュンスターに属する。当地の荘官は聖マルティノの日の次の日曜日にいかなる森林番人とその下男にも、また彼らの親方と2人の下男にも、彼らの食事として3頭の仔馬の肉のうち2頭を煮たり揚げたりして、さらにニーダーミュンスター修道院が使うのと同じようなワインとパンを提供し、また牛のすね肉を切らずに提供すべきである。森林番人が野生の孔雀を見つけたら、その日に荘官をそれと捕らえるか繋ぎ止めるべきである。荘官とわが女領主の八人衆はその森で彼女の利用のために木を伐る権利をもち、そのかわりわが女領主は荘官に半フーダーのワインを与え、すべての裁判集会で荘官は僧侶のために支払いをおこなうべきである。


 5-2-7 アイヒホッフェン Euchhoffen



 これらはアルトドルフの修道院長と修道院の法と自由であり、以下のとおりである。
修道院長と上述のアルトドルフ修道院はこの荘園に荘官を任命する権限をもち、荘官は修道院長と当荘園にその利益を促進し、損害と不利益をできるだけ注意深く回避することを誓うべきであり、当修道院長と荘園にその地代、ワインおよび貨幣が納められるように宣誓し、当修道院長が苦情をもつことのないように、忠実に納めることを修道院長と荘園に誓う。彼はまた、当荘園の地代のために、農地の耕作がおろそかにされないように配慮すべきであり、そうすることによって農地が地代を生み、農地の耕作がおろそかにされた場合は、農地を法によって引き取り、修道院長はそうして引き取った農地を再度保有させることができる。
当荘園は法王、皇帝および国王によって高度な自由を与えられ、そこには強制・罰令圏が属し、男女が犯罪をおかして、当荘園に逃げ込めば、少しの支障もなく自由を得るべきであり、門を超えたら、彼を追跡する権限は、いかなる者ももちえない。
 上述の荘園で他人と対立し、不適切な言葉で侮辱し、罵り、殴り合いによって傷つけあう者は、荘官によって罰せられるべきであり、事態のなりゆきとその結果にしたがって彼らを罰することができるが、当荘園の自由は破られてはならない。この荘園には牢屋または刑務所を設置すべきであり、悪者まはた犯罪者が見つかったら、裁判所はそこに閉じ込めて、夜通し見張り、荘園に被害のないように、荘園は閉鎖または遮断されるべきである。家畜が害をもたらしたらそこに閉じ込めて、荘官はほんのわずかなえさを与えるべきである。悪人によって荘園に損害が生じたら、荘官は彼を荘園で捕らえても、荘園の自由を破ることにはならない。
古くからの慣わしとなっているように、馬は草地に放牧されるべきだが、荘園に属する農地への侵入は、荘官によって罰せられるべきである。ある農地がどこか別の所へ地代を納めるなら、罰令代官と荘官はそれをやめさせ、いかなる者も罰金を納めるべきである。アルトドルフの修道院または修道院長は次のような法をもつ。すなわち、この荘園に属するすべてのフーフェ保有農民は、そのフーフェ保有農民となるとき、何よりも修道院長と荘官に対して、忠実に仕え、奉仕し、荘園法を守り、その利益を得ることに努め、損害を注意深く避けるということを、堅く誓うべきである。
フーフェ保有農民が2人で農地を共有してはならない。相続人が多くて、一つの主農地を分割しなければならないとき、全員が一人の保有者にフーフェ保有権を与えるべきである。また荘園のフーフェ保有農民は、荘園の農地が売却されるかまたは保有者が交替したら、宣誓のうえで、すべて届け出るべきである。
 地代を負う農地を放棄したい者は、他人にそれを預けたうえで、荘官にそれを譲渡すべきである、それが良く耕作されており、罰令法にしたがって、地代を滞納していなければ、修道院長の荘官はフーフェ保有農民の承諾なしにそれを取り上げてはならない。しかし、農地が荒廃し耕作がおろそかにされたのであれば、フーフェ保有農民は耕作の怠慢を認め、土地保有民またはその後継者が彼にとって代る責任を負うべきである。
 聖マルティノの日(11月11日)に当荘園の荘官は3-4人のフーフェ保有農民を荘園に連れていき、彼らにあかりをともして、星が空に出るまで、修道院ワインとパン、チーズを与えるべきである。しかし彼らがもっと良いワインを望むなら、彼らはそれを買うべきである。フーフェ保有農民たちが去ろうとするなら、荘官はいかなる農民の手にも杖を与えるべきである。彼がそうしないで、彼らのうち足を折る者がいれば、彼を荘園に連れ戻して治療すべきである。
 地代のワインを納める者は全員、毎年聖マルティノの日に、または通常の秋の裁判集会に、それを引渡し、聖マルティノの日の後に混じりけのないワインを納めるべきである。
裁判集会の廷吏は村落において誓約した廷吏であり、荘園の廷吏でもある。彼を必要とするときは、1年をとおして奉仕し、従順を宣誓すべきであり、それゆえ彼に1オーメンのワインを与えるべきである。
 聖マルティノの日の後の月曜日に最初の裁判集会を開くべきであり、裁判集会の裁判官に誓約廷吏をつうじてあらかじめ日曜日の夜、荘園から農地を得ているすべてのフーフェ保有農民と土地保有農民に命じるべきであり、地代であれ、債務と法であれ、裁判集会に属するすべてのことを要求すべきである。それゆえフーフェ保有農民は危険やいっさいのいつわりもなく、宣誓して判決をおこなうべできである。不従順なフーフェ保有農民は、裁判官に2シリングを納め、いかなるフーフェ保有農民にも2シリングの償いをすべきであり、地代を差し出さなかった者も2シリングを納め、裁判官はその廷吏ととともに地代を納めなかったり提出しなかった者に対して農地を禁止することができる。命令に違反するたびに、裁判官はさらに高額の罰金を命じることができる。フーフェ保有農民は、彼が望むなら、第3または最後の裁判集会まで罰金を納めなくてもよい。
 裁判集会が開かれたら、フーフェ保有農民たちに1オーメンのワインと2つのパンと2つのチーズ、1ゼスターの木の実がふるまわれ、誓約廷吏はフーフェ保有農民たちに対して、いかなる者も14日間裁判集会に出席することを誓い、これに従わない場合は偽証にあたり、裁判官といかなるフーフェ保有農民にも2シリングを納めるように、命じるべきである。当日、フーフェ保有農民にはここから1フィアテルのワインと4つのパンをふるまわれ、誓約廷吏によって宣誓を命じられた前回と同様に、最後の裁判集会にいま一度14日間出席するように命じられる。また当日になっても地代を滞納したままの農地を、裁判官は鐘の音とともに差押えるべきであり、滞納者がその後も納めないか、裁判官の意志に反して納付を逃れようとすれば、滞納者は罰金を科され、そのたびにフーフェ保有農民たちには2杯のワインと2つのパンがふるまわれる。そして地代を納めないかぎり、荘園はその態度を変えることはない。荘園はフーフェ保有農民を必要とし、彼らに命じるなら、彼らは荘園に迷惑にならないように従順にふるまうことを誓うべきである。しかし地代義務を負う者が命令どおりにするつもりなら、彼は彼らに食物、パンをふるまい、フーフェ保有農民にその権利を認めるべきである。
 アルトドルフ修道院の院長は、彼が望めばいつでも、荘園の荘官を任命し罷免することができ、これに対する異論はいっさい許されない。荘園は秋の裁判集会に1日で12人の朗読者によって朗読することができ、ハイツメニン荘園の真うしろに杭を打ち、それを乗り越える者は木の束を置くべきであり、そうしない者がいれば、刑吏または代官は彼を誓約共同体に訴え、いかなる違反も30シリングを科される。


 5-2-8 シュトッツハイム Stotzheim(1412年) 



 
 敬愛するフーフェ保有農民と良き友よ、われらが君主であり領主でもあるシュトラースブルク司教のために裁判集会をいま一度開催するにあたり、 ニーダーミュンスターの女子修道院長はシュトッツハイムの諸荘園でこれを開催することを、知らせる。これらの法によれば、荘園は3つあり、3荘園ともすべて、ゲルトヴィラ―の荘園と同様な法のなかにある。これらはわれわれの所領であり、その一つはシュヴァーブガッセンのそばの村落の上手にあり、ヤーコプ・ゼルプ荘園といい、もう一つは菩提樹の方面の軍道のそばにあるブトラー荘園といい、第3はイッテンヴィラーの領主とともに村内の下手にありデッツェルマン荘園という。そのほか、これらの荘園は事情に詳しい裁判官をもち、彼はわれわれに従順であり、荘園に属するすべての農地を修道院の了解のもとに決定すべきである。これらの荘園は3つの裁判集会をもち、また幾人もの廷吏をもち、最初の裁判集会は聖マルティノの日(11月11日)に、第2は2月半ば、第3は5月半ばに開かれる。地代を聖マルティノの日の前夜に済ませなかった者は、その後2シリングを償いとして納める。これらの荘園は垣根で守られ閉鎖されるべきであり、そうすることによってわが女領主はその豚や他の家畜をリッシュに連れていき、家畜を狼から守ることができる。それゆえ、これらの荘園は必要であれば、リッシュで木を伐る権利をもつ。リッシュでは馬車に積める長さの木をみつけた際、伐採は禁止される。荘園民はリッシュに馬車で行き、木の伐採を禁止されていれば、馬車はそのなかに入ることはできない。耕地に行って損害をもたらし、馬車を差押えられたら、ゼルメルスハイムの森林監視人は彼らの損失にならないように差し押さえられた馬車を取り返すべきである。下僕がその馬を連れ出し、急いで走り、畑や草地に馬が入って害を与えたために差押えられたら、ゼルメルスハイムの森林監視人は馬を取り戻すべきである。そのかわり、森林監視人には聖マルティノの日(11月11日)の前夜当荘園で4セスターの穀物が与えられる。これらは、前述および後述のとおり、この荘園の法である。この荘園に属する農地について、すべてのフーフェ保有農民は誓いを立て、裁判集会に地代の用意をすべきである。聖マルティノの日の後、鐘の音または合図で知らされると、すべてのフーフェ保有農民は12時から3時まで出席すべきであり、出席しなかったり地代を納めない者は、2シリングの罰金をフーフェ保有農民たちに納める。彼が2シリングを8日たっても納めなければ、荘官は彼に農地立ち入りを禁じるべきである。農地に立ち入る者は不法行為をおかした者として、30シリングを科される。しかしその後3日間で荘官と同意すれば、不法行為は免除され、1シリングは荘官のものとなる。もし荘園に人員不足が生じ、たとえば誰かが死亡して、相続人に告げられたが、彼らが従順ではない場合は、いかなるフーフェも相続税と土地保有交替税として修道院に2シリングを納める。しかし領主の業務や人員の必要があれば、フーフェ保有農民は荘官の許可を得てそのままとどまってもよいが、それ以外は認められない。フーフェ保有農民の法によれば、今後しかるべき機会に1回だけ裁判集会が開催されたら、先に開かれた2回の裁判集会について4シリングが徴収される。上述のことがらは、フーフェ保有農民たちがともに宣誓して認めた。彼らが荘園に対してこれを認めたのは、1412年のことである。


 5-2-9 オーバーシュトッツハイム Obernstotzheim




 
 これはオーバーシュトッツハイムのザンクト・ペーター荘園の荘園法であり、良き貴族と自由民によって設立され、そのなかにはディンクホーフと称する荘園があり、それは自由所有地である。この荘園は事情に精通した荘官をもち、彼は雄牛1頭、雄豚1頭、雄羊1頭を飼い、どれも共同家畜番人によって放牧される。この荘園は法をもち、ここに来て法を求める者には法が示されるべきであり、彼はそこからさらに移住することはできない。
 当荘園は次のような法をもつ。すなわち、領主の追跡をうけることなく罰令区に移住し、長期間ここに住む者は、夫婦ともに、死亡したら死亡税を納める義務を負い、家畜をもっているなら、最良の家畜を、家畜をもってなければ、最良の衣服を納める義務を負う。
当荘園は次のような法をもつ。すなわち、いかなる者も1日賦役をおこない、耕夫はその犂で、刈り取り夫はその大鎌で、切り取り夫はそのはさみで働き、それをもってない場合は、くわで耕すか掘りおこすべきである。彼らには食事を与え、ロイエンタールの領主にも食事を出し、夜にはいかなる者にもパンを支給すべきである。
 当荘園は次のような法をもつ。すなわち、われらが慈悲深き領主のシュトラースブルク司教がイッテンウィラー修道院に来られるときは、いかなる住民も良いにわとり1羽を差し出し、さらに2頭の馬の世話をし、干草を十分に与え、荘園の飼料を支給すべきである。
 当荘園は次のような法をもつ。すなわち、いかなる住民も教会の祭日である聖ミカエルの日(9月29日)には良いにわとり1羽を納めるべきである。
 当荘園は次のような法をもつ。すなわち、すべて聖なる祭日には男は2ペニッヒ、女は1ペニッヒを納めるべきである。
 当荘園は次のような法をもつ。すなわち、土地で育てる作物、ワイン、穀物などは、地代と十分の一税をイッテンヴィラー修道院に納めるべきである。
 当荘園は次のような法をもつ。すなわち、地代が他人のものとなっている場合は、修道院の管理人は荘園のフーフェ保有農民とともにその農地を修道院の手に没収すべきである。
 当荘園は次のような法をもつ。すなわち、ザンクト・クリスティーネン林と呼ばれる叢林は、アイヒオーフェンの罰令区にあり、少しぶどうが栽培され、地代と十分の一税を納めおり、自由所有地である。
当荘園は次のような法をもつ。すなわち、3つの広い耕区があり、1つはフンツブューヘル、第2は2つの河川の間、第3はジーベンアッカーにあり、その事情に詳しく保護をおこなうべきは耕地境界監視人である。
当荘園は次のような法をもつ。すなわち、樽の栓を抜いてワインを売る者は、1フーダーのワインのうち1オーメンのワインを納め、これは4マースに相当する。
 当荘園は次のような法をもつ。すなわち、地代を納めない者には、3つの裁判集会で決着をつけるべきである。最初の集会は聖マルティノの日(11月11日)、第2の集会は2月半ば、第3の集会は5月半ばにおこなわれる。
 当荘園は次のような法をもつ。すなわち、フーフェ保有農民となる者は、フーフェ法にしたがえば、農地を放棄してはならない。一部の農地がフーフェで他がそうでない場合は、罰令法にしたがって良い耕作状態にあれば、彼はこれを手放してもよい。
 当荘園は次のような法をもつ。すなわち、フーフェの農地を買う者は、その分の地代を納め、土地保有交替税の半分を納め、それを登記すべきである。それを相続する者は、土地保有交替税を納めなくてもよい。
当荘園は次のような法をもつ。すなわち、3つの裁判集会で聖人たちはいかなるフーフェ保有農民も次のことを宣誓すべき用意ができている。
 第一に、裁判集会の法が読まれ、裁判官はすべてのフーフェ保有農民に次のように宣誓することを命じる。すなわち、フーフェの農地が変更されたり移転されたりしたら、農地はそれを持つべき者に授与され彼のものとなることを届け出るべきである。
 第二に、農地に変更があり、相続人数が変わる場合、古い慣習と法によれば、相続人はいかなる者もフーフェ保有農民となり、裁判集会のときに宣誓をおこない、いかなる者も彼の持ち分を与えられ、それが不可分農地の場合は全体をそのまま残すべきである。3人の相続人がおり、そのうち一人に相続されるときは、フーフェ農地に土地保有交替料の支払いはなく、それ以外の変更がある場合は、ある者から他の者に土地保有交替料が払われる。
 第三に、いかなる者もその農地を放棄することはできないが、ほかに罰令区内に多くの農地をもち、その一部はフーフェだが、他はフーフェの農地でなければ、手放す農地は通常は良い耕作状態にあるべきだということが、かつてフーフェ保有農民たちに法として認められたことがある。
 

 5-2-10 バッセンハイム Bassenheim




 このバッセンハイム荘園はゲルトヴァイラー荘園と同じようにすべて法にしたがい、自由荘園であり、シュヴァーベン公以外の代官をもたない。ここに逃げ込んだ者を不当に追跡して来た者は、不法行為をおかしたことになる。この荘園には強制罰令権が属し、そのなかには、泥棒を収容するための牢屋を設け、、裁判所が彼に身体刑を命じたら、罰令領主は最初の夜から翌日の昼まで彼を拘留すべきである。しかし彼を弁護する者がいなければ、彼は当荘園の荘官とその廷吏に引き渡され、彼が有罪となった法にしたがって、廷吏は彼を拘留し、4人のフーフェ保有農民に対して、その夜逮捕者の見張りの援助をするように命じるべきである。彼が長く見張る場合は、彼は他の4人に命じ、彼を裁くまで続けるべきである。そして荘官と下吏は出かけて、門の入り口で彼を罰令領主またはその使いの者に引渡し、彼を裁判所に連行し、裁くべきである。その日、彼が裁かれなければ、彼が裁かれるまで、罰令領主は彼を拘留すべきである。そして法によって償いが告げられたら、その3分の2はわが女領主、3分の1は罰令領主のものとなる。また当罰令区で不法行為がおこなわれたら、罰令領主に償いがなされ、、その3分の2はわが女領主、3分の1は罰令領主のものとなる。罰令領主がこれを要求しようとしなければ、わが女領主の荘官が行って、罰令領主にかわって要求し、彼が取得するつもりがないことを訴えれば、彼女の訴えは正当とされるべきである。4種類の家畜、すなわち馬、牛、豚および羊が当荘園の外へ行き、当罰令区で害をおよぼしたら、無傷で追い出すべきである。当荘園には21.5の農民経営単位(フーフェ)があり、いかなるフーフェも聖マルティノの日(11月11日)に3 ペニッヒのほかに 6シリングを支払い、1.5 フーフェは1フーフェと同じ額を支払い、荘官は聖マルティノの日の朝2人のフーフェ保有農民とともに出席して日没まで地代納入を見張る。フーフェ保有農民がその日に地代を支払わず、荘官が地代を不可欠とするなら、彼はそこへ出かけて行かなければならず、そこで2人のフーフェ保有農民が金銭を援助することにして、地代が納められたと証言すべきである。それゆえ、1メンタークの土地がビルケンハイムにあって、6ペニッヒを支払えば、荘官と2人のフーフェ保有農民はそれで酒を飲み、これらの地代から荘官に10シリングが与えられ、他の金額は荘官ができるかぎり入手すべきである。また荘官は当地で年4回の裁判集会をもち、彼と廷吏と4人の使者は荘園内で食事をする。聖マルティノの日の後の最初の裁判集会では、フーフェ保有農民たちは耕地監視人を選び、彼が荘官の気にいらなければ、第3集会までに選ぶべきであり、3人のなかから荘官が望む1人を選び、耕地監視人は6フントを納め、これはわが女領主のものとなる。第2集会は2月半ば、第3集会は5月半ば、第4集会は干草と穀物の収穫後に開かれる。わが女領主は彼女の作物の視察に出かけ、フーフェ保有農民と罰令区領民に対して裁判集会への参加命令がなされ、当日荘官はフーフェ保有農民と罰令区領民について裁判をおこなうべきである。これら4つの裁判集会に出席しない者は、その農地を第5の裁判集会で収獲開始の際にに差押えるべきであり、荘官は教会に来て、鐘を鳴らし、そのために2人以上のフーフェ保有農民を連れてくることができたら、穀物収穫を禁止し、ライ麦を14夜の間、大麦を3週間禁止すべきである。犂が届く範囲を超えて刈り取る者がいれば、荘官は犂の追立を取り、罰金を徴収する。罰金は2シリングで、わが女領主のものとなる。再犯は不法行為として、その罰金は女領主のものとなる。生育期の穀物畑に侵入するいかなる家畜も、四つ足の家畜の場合、わが女領主に5シリングを負担金として納め、その4分の3は女領主、他は村民のものとなる。わが女領主がその収穫の前刈りのための人員を入手する場合、わが女領主がその前刈りおこなう期間は、いかなる者もその作業のための人員を入手してはならない。わが女領主が前刈りをおこない、村落の領民が罰令区内のその穀物を刈ろうとするとき、わが女領主の荘官とその妻がこの荘園に来て、刈り取りが開始されたら、必要であればパンを焼き、荘官はわが女領主の穀物を保管するために出かけるべきであり、彼は朝、昼および夜に行くたびに、穀物を束ねるための縄を刈り取り人たちのために切って、記帳すべきであり、彼には60束のライ麦と荷馬車の干草の積み荷3つを大麦とともに与えるべきである。そのかわり荘官はわが女領主の耕地を見守るべきである。そして熊手が取り残したものは、荘官の権利であり、他の半分は教会使用人の権利であり、ここにあるフーフェが納める十分の一税の半分も荘官のものである。わが女領主が作物の検査に出かけるとき、荘官は1フントの蝋と1フントのこしょう、1シリングの肉を差し出すべきである。荘官の法によれば、わが女領主が森の木から落ちた枝を与える場合、その枝は荘官のものであり、どの枝についても1ペニッヒを納め、枯れ木やその上に成長するブラックベリーも彼のものとなる。修道院の荘官も森林を見守ることを宣誓すべきである。しかし何者かが木を伐り、帰宅する前に、荘官が彼を捕らえたら、彼は担保を差し出し、わが女領主の損害について彼女と申し合わせることを誓うべきである。わが女領主が外出するときは、彼女のいかなるフーフェ保有農民も屋敷にベッドを用意し、彼女の2頭の馬の世話をし、干草と麦わらを与えるべきであり、使用人には布とコップを用意すべきであり、彼女の使用人が屋敷で食べている間、彼の馬の世話をすべきである。使用人が帰るとき、彼は屋敷の亭主が用意したものを布とコップの中に入れてもち帰る。そのかわり、フーフェ保有農民が彼の屋敷を建築しよ////うとするとき、彼は5つの木を支給されるべきである。それは家の扉、敷居、棟および2本の円柱である。


 5-2-11 ハーゼラッハ HASELACH (1336年)


  神の生誕後数えて1336年第3地代徴集日に、ハーゼラッハの荘園における裁判集会に、後記の参審員と村民のなかから幾人かの尊敬すべき人々が出席してハーゼラッハの荘園代官に宣誓して法を告げた。
まず最初にオクセンシュタインの領主は8月の第3地代徴集日と2月の第3地代徴集日にハーゼラッハの自由荘園で彼らの裁判集会を開くという法をもつ。3つの地代徴集日のいずれも、14日間の経過後に8日間を経過して、さらにその後3日間を経過した第4夜に裁判がおこなわれるべきである。ただし、4日間またはそのうちの1日が先述の期間に含まれる場合はその限りではない。この場合、裁判集会と裁判を取違えているのである。
裁判所はオクセンシュタインの自由所有者以外いかなる者も有してはならず、そそれは最古の授封である。それが裁判集会であるべき場合は、オクセンシュタインの領主の代官がハーゼラッハの裁判所の書記の所へ8日前に行き、彼の領主の裁判集会は法的に正当であるかどうか問うべきである。書記が裁判集会は正当であると告げたら、代官は十人衆に、彼らが参審員に8日間にわたる裁判集会を開くように命じさせ、十人衆は1ペニッヒを使って、参審員にとどこおりなくその日に荘園の法を告げるように求め命じるべきである。参審員が少しでも裁判を怠れば、裁判を有するオクセンシュタインの領主は参審員の家を4本柱にいたるまで取り壊し、屋根の棟まで建ち上げるることを禁じ、犂とベッドを除いて家の中にあるすべてのものを奪う権限をもち、参審員を家の入口から引張り出して馬上のbuchelingenに入れて、裁判所に運ぶべきである。
オクセンシュタインの領主は代官管区から代官を選ぶべきであり、彼は以前シュトラースブルクの司教の地方官ではなく、代官はオーバーハスラッハに家をもって住むべきである。裁判集会が開かれるべきとき、裁判所を有するべきオクセンシュタインの領主はその前の月曜日の夜に上記の代官屋敷に12頭半の馬とともに来るべきであり、代官は彼に厩舎と麦わらを提供すべきである。オクセンシュタインの官職にある主馬頭と前記の代官はリンゲンシュタインの倉庫管理人の所へ行き、1マルターのパン、2マルターの飼料、1クロスターアーメンのワイン、1フントの胡椒、1フントの蝋、13個の鉢、13個の杯を要求すべきである。4人の森林管理人も地代徴集日に来るべききであり、自由民は誰もが彼の剣に2羽の鶏を掛けて、8つのクロスターパン、1クロスターアイマ―のワインおよびその耳が完全でどれもが6ペニッヒの価値をもつackesenを持参すべきである。領主は代官屋敷でささやかな軽食を食べるべきであり、その後ハーゼラッハへ彼の裁判をおこなうべきである。そこに住んでいる参審員がいたら、領主は彼をしかるべき場所に着席させるべきである。遠方から来る参審員がいれば。領主は3マイルの距離を彼に同行すべきである。領主も裁判所に出廷し、彼の向いの席に7人の参審員を座らせ、彼らはしかるべき場所に座るべきである。裁判集会が開かれるなら、領主に成熟した去勢羊1頭を納めるか、あるいは2頭の代用去勢羊を納めるべきである。領主が裁判をおこなう場合、参審員は起立して次のような荘園法を告げるべきである。すなわち、代官所は毎年2回の太市の間に正当な要請によりシュトラースブルクの司教には12フントより多くの金額を、オクセンシュタインの領主には12フントより多くの金額を納めてはならない。代官管区の各戸は3羽の鶏、そのうち2羽を司教に、1羽をオクセンシュタインの領主に納め、両者か一緒に飲食をして、司教がそれを取ったら、オクセンシュタインの領主もそれを取るべきだが、それ以外に取ってはならない。
領主は代官管区の3分の1の衣服をもつべきである。またハイリゲンベルクの使い古した衣服は、彼一人のものである。彼は 代官管区における樹木の3分の1をもつ。また代官区内の動物の3分の1をブルーシェ川まで狩猟するべきであり、そこを越えて狩猟をしてはならない。ブルーシェ川を渡って逃げて行くなら、それ以上追ってはならない。代官管区内の鍛冶屋は森林管理人に16個のやっとこを納め、さらに釘も納めるべきである。そこで森林管理人はそのやっとこと釘を領主に引き渡すべきであり、その代わり鍛冶屋は代官管区の共有林でtobholzを伐るべきである。森林管理人を一人任命するたびに、森林管理人は領主に5シリングを納めるべきである。
ぃかなる不法行為から罰金が徴収されようとも、その3分の2は司教のものとなり、3分の1はオクセンシュタインの領主のものとなる。
ハーゼラッハの村長はいかなる不法行為からも3ペニッヒまで徴収する権限をもち、その3分の2は司教、3分の1はオクセンシュタインの領主のものとなる。
いかな金額が徴収されようとも、それが裁判所の法によるものであれば、これは裁判所のみのものである。これゆえオクセンシュタインの領主はハイリゲンベルクの家に住むむべきである。
代官管区のある者が捕えられたら、ただちに裸足で馬に乗るべきであり、もし馬に鞍が付けられれていなければ、彼の片足が裸足であっても、ためらうことなく他方の足に靴をはき、その人を急いで救うべきである。そして彼が砦に連れて行かれたら、彼は砦の前で一晩中武装してそこにとどまり、司教あるいは彼の役人のもとに、また代官管区に助けを求めて使者を送るべきである。そして助けが来たら、彼は捕らわれた者が解放されるまで、そこに留まるべきである。しかし彼に助けが来なければ、彼は退去すべきである。
法を告げる参審員は相続税や奉仕と称するすべてを済ませておくべきであるが、二つの太市の間に裁判をおこなう者はその限りではない。また、すべての旅を済ませておくべきである。ただし夜に帰宅して寝床に就くことができる者は除かれる。裁判所で語るいかなる参審員にも、領主は食卓に彼の鉢を贈るべきである。これらの参審員は、ヨハネス・ヘレ、ヨハネス・ハイデン、村長の息子ヨハネス、トゥンゲスハイの村長ヨハネス、ルッツマン・フォン・ズレ、アルプレヒト・シュト-レ、ニーダーハーゼラッハのヨハネス・クライネ、クラウス・ハイムブルク、オーバーハーゼラッハのヨハネス・ツェッケ、クラウス・オルトリープ、クラウス・ショッフェル、ウアマッテのエベリン・トゥルナーおよびルツェルンフーゼンのヨハネス・シュタインハルテンの息子である。参審員団は父祖のため新たに相続する。参審員と廷吏は上述の事柄についてオクセンシュタインの領主の代官に忠実な態度を取るべきであり、ハーゼラッハの村長は他にいかなる命令の権限も権利も今後ももたないのである。われわれ上記の参審員は宣誓して規定の場所これまで法を、告げてきたのであり、われわれの理解ではそれ以外の場所は宿泊所についてもその他のことについても知らない。

 5-2-12 ハイリゲンベルク heiligennberg (1485年)


  これはハイリゲンベルクにおける法であり、尊敬すべき長老が宣誓して定めて告げたものであり、そのすべての条項は以下のように書かれている。すなわち、荘園は自由とされ、そこでは人が暮らし、あるいは荘園管理人が指導する。これはわが領主がハイリゲンゲオルクの渓谷にもつ荘園の・・・であり、いかなるフーフェ農民もそこの荘園では、彼が宣誓で述べるごとく、自由に出入りすることができる。ハイリゲンベルクのいかなるフーフェ農民も・・・・・最初の判決がなされるときに、彼がその場に居合わせなければ、彼は7.5ペニッヒの罰金を納めなければならず、彼がそうししない場合には、偽誓者とみなされる。いか
なるフーフェ農民も初年度に固く約束し、第二年度に誓約すべきであり、そうしない場合は、彼は判決をおこなってはならず、わが領主の承認によってて罰せられる。いかなるフーフェ農民も、彼のフーフェェ権あるいは他人のフーフェ権のいずれであれ、宣誓して告発すべきであり、不正な告発をした場合は告発を撤回すべきである。荘園管理人はフーフェ農民たちに最初の軽食を与えるべきである。荘園管理人は、最初の軽食と同等と評価されるワインとパンをフーフェ農民たちに与えるべきであり、3つの罰令区から3名を選んで指名して、彼らがそれをどのように評価しようとも、荘園管理人はそれに反対しないことを宣誓すべきである。荘園管理人のフーフェ権に関連して、保有権の移転がなされたすべての農地について、いかなるフーフェ権にも1ペニッヒの手数料が荘園管理人に納められる限り、荘園管理人は廷吏に対してフーフェ権の代金を支払うべきである。いかなるフーフェ農民も荘園または当地区内で他のフーフェ農民を良からぬ説得をして利用するなら、7.5ペニッヒをいかなるフーフェ農民にも罰金として徴収され、荘園管理人に30シリングを徴収され、いかなる者もこれを他人に負担させてはならない。これは荘園管理人がもち、宣誓して守るべきprochenである。これは32アッカ―のフ-フェであり、20ペニッヒに相当相当す。半フーフェは16アッカ―であり、10ペニッヒに値する。1フーフェの4分の1は8アッカ―であり、5ペニッヒに相当する。それは多かれ少なれら3オルトを与える。いかなるフーフェ農民も彼の地代を納め引き渡すことを誓う。しかし彼が最初の日に地代を納めず、別の日にも引き渡さなければ、神の恩恵により好天の別の日に、彼は荘園管理人と相談して、彼に納期を要望すべきである。そうしない場合は、廷吏は彼に7.5ペニッヒで農地利用を禁じ、その年度内に納めなければ、彼は2シリングを科せられる。しかし彼が・・・・しない場合は、小さな命令はすべて撤回され、彼は30シリングまたは同額の財産を翌年に失う。その場合荘園管理人はいかなる命令もしてはならず、強制力をもってなければ、廷吏が武力を行使すべきである。ハイリゲンベルク罰令区内にあるものについて、フーフェ農民は自由であるべきである。馬または牛をフーフェに見つけた者はハイリゲンベルクのフーフェ農場に放牧すべきであり、彼はその場合いかなるフーフェ農民にも7.5ペニッヒを徴収され、荘園管理人に30シリングを徴収される。フーフェで樹木を栽培する者は、フーフェ農民であるか否かにかかわらず、それを他所へ売ったら、いかなるフーフェ農民にも7.5ペニッヒ、荘園管理人に30シリングを徴収される。しかし自分の利用のためにたとえば垣根に用いることができるなら、それについていかなるフーフェ農民も宣誓して告発すべきである。いずれのフーフェ農民も不誠実で、彼のurtinをauswartenに与えないで去って行くなら、彼はいかなるフーフェ農民にも7.5ペニッヒ、荘園管理人委30シリングを徴収される。
これはオクセンシュタインの代官がハイリゲンベルクの荘園にもつ法である。まず第一に、代官管区の域内でオクセンシュタインの代官は、1アッカ―ごとに、いかなるフーフェ農民も宣誓して彼に与えるべきurtel(?)を得る。代官が地代を課す農地を入手した者がフーフェ農民でない場合には、フーフェ権を譲渡すべきである。しかし彼がフーフェ農民であれば、彼はフーフェ権を譲渡しない。フーフェ農民は荘園管理人に従順に、いかなる廷吏にも農地を禁止すべきである。代官管区の域内で、まず下の道を出て、オーマイスマッテンに向かって登って行く代官管区の領域は、代官が地代を課すべきである。また道を下って行く地区は、ザンクト・フローレンツェン泉まで代官に地代が課せられる。これをフーフェ農民たちは誓い、そのような上記の諸条項を守ることを約束すると宣誓した。そこにはブレヒトルト・ヘンゼル、マルクス・ラベス、ジッフェルン・イッケル、・・・・ラヴェルハインツェン、・リーンハルトその他多数が出席していた。これは1485年洗礼者聖ヨハネの日(6月24日)の前の木曜日におこ

 5-2-13 グレスヴァイラー GRESSWEILER


  これは女子修道院長とエルシュタインの修道院がもつグレスヴァイラーの法である。
まず第一に、罰令区と人、身体と財産、森林と牧場、耕地と草地、水と川、小と大、探求物と非探求物は、グレスヴァイラーにおいて何一つ残さず、すべてエルシュタインの修道院の所有である。
グレスヴァイラーの村落において前記のわが女子修道院長と修道院は自由で合法法的な荘園、強制罰令区、未墾地をもっていることは、前述のとおりである。荘園内に逃れてきた者は平和を得るべきであり、彼がおこなったことを不法に追跡する者がいれば、彼が荘園に踏み入るたびに、30シリングを荘園管理人に償いとして納め、国王の自由を侵すば罰金として50マルクの金額を納め、その半分は国王の会計院に、半分は女子修道院長に納められる。荘園管理人が荘園内に住む場合、彼は自由に住むべきであり、フーフェ農民は牡豚と牡牛を保有し、罰令区役人を利用することができる。荘園内にはさらし台が設けられ、犯罪者が罰令区で捕えられたら、荘園管理人は彼を監視し、フーフェ農民と罰令区役人は必要に応じてこれを助けるべきである。わが女領主の荘園管理人以外のいかなる者も不法行為や窃盗についてもその他のの事犯についても裁判をおこなってはならない。彼が裁判をおこなえない場合は、他の自由代官を呼んで、彼の裁判を助けてもらうべきである。彼が宣誓して呼びかけても、自由代官が呼びかけられた裁判をひき続きおこなわなかったら、不法行為から徴収される金額の3分の1は彼に与えられるが、それ以外は与えられない。グレスヴァイラーの罰令区で泥棒が捕ええられたら、通りへ連れ出し、上級地方裁判官を3度呼ぶべきであり、そこで地方裁判官が来たら、泥棒を引き渡すべきであり、彼は同荘園に属するフーフェ農民および罰令区役人とともに判決をおこなうべきである。しかし地方裁判官が来ない場合は、泥棒を再度連行して、フーフェ農民と罰令区役人は彼に判決をおこなおべきである。また他の犯罪者がグレスヴァイラーの罰令区で捕らえられたら わが女領主の荘園管理人以外いかなる者も彼を裁いてはならない。賠償金の徴収にかんしては、悪しき罪の償いであれ、軽微な違反であれ、すべて荘園管理人の収入となる。ただし彼が自由代官を必要とする場合は、自由代官がその際の賠償金の3分の1を取得すべきであり、規定以上を取得してはならない。
罰令区住民は2名の罰令区役人を選び、荘園管理人は彼らにその役職を授け、のかわり罰令区役人は荘園管理人に毎年2フィアテルのライ麦と2フィアテルの大麦またはエン麦を納めるべきである。荘園管理人は、2名の罰令区役人が3分の1までを担保として取ってもよいと、彼らののいずれにも約束したうえで、彼らはその担保を自由荘園のわが女領主の荘園管理人に引き渡すべきである。
いかなる者も荘園管理人の承諾なく罰令区内の目的地に乗り入れてはならず、グレスヴァイラーの罰令区内への乗り入れを許してもならず、これに違反する者がいれば、違法とみなされる。
グレスヴァイラー罰令区に住み役畜をもつ者は、わが女領主に毎年3日間奉仕すべきであり、役畜をもたない者はわが女領主に毎年2日間荘園管理人が命じることをおこなうべきである。
わが女領主は、彼女が望むなら、4年ごとに騎士や従者とともに13.5頭の馬を騎乗すべきであり、荘園管理人は彼女を受け入れ、彼女はフーフェ屋敷に馬を預け、馬に干草と飼料を十分与えるべきである。フーフェ屋敷も準備を整えて、間違って損害が起きれば、屋敷のフーフェ農民は損害を補償すべきである。しかし損害が事前に生じれば わが女領主自身が負うべきである。フーフェ農民は馬に質素な飼い葉桶と乾いた厩舎を与えるべきである。
荘園管理人はわが女領主の従者、教会主と彼の教会使用人に、野生および人が育てた動植物、鳥と魚の獲れたてで新鮮なものを十分に提供すべきである。教会主は半フントの香辛料を持参し、その半分は生姜、半分はnegelinであれば、なおさら良いだろう。またわが女領主にそれが見えるように半フントの灯火も持参すべきである。
朝早く教会主はわが女領主と使用人を教会に導き、彼女がミサを聴いたら、彼は彼女を彼女の従者とその妻および下役人と一緒に荘園管理人の家に案内し、荘園管理人は夜食をふるまわなければならず、2種類の食事を提供すべきである。教会主が必要とするなら、荘園管理人はどんぶり、皿、杯をさし出すべきであり、そのかわり彼は4年ごとに奉仕すべべきときに飼料を得る。わが女領主は教会建物の北側部分、罰令区役人はその南側部分、教会主は聖歌隊の費用を負担すべきである。毎年裁判集会が開かれると監督が自分のほかに1人、2人、3人で出かけると、荘園管理人は彼らをを迎え、夜食を十分に提供し、馬には干草と飼料を十分に与え、朝には監督にささやかな軽食を提供すべきである。
裁判集会において徴収されるその日の償いの金額は、昔からの慣わしと」して監督と荘園管理人のものとなる。
空いている農地を受領しようとする者は、彼が領内にいる次の30日間に受領すべきであり、彼が地代として納める金額を荘園管理人に納めるべきであある。彼がそうしない場合は、荘園管理人はわが女領主と修道院のおぼしめしで農地を没収すべきである。領外にいる者は、農地が没収されるまで長期間の猶予期間をもち、裁判集会が開かれる日中に地代を納めなければ、彼が期限前に荘園管理人に2シリングの償い金額を納めるべきであり、彼が従順でなく、期限を守らなけいなかったことをフーフェ農民が判決によって認めれば、荘園管理人はその農地の審理を長期にわたっておこなった後に自由にわが女領主の所有として没収すべきである。

 5-2-14 ガイスポルツハイム GEISPOLZNEIM

 これらはザンクト・モーラント教会の首席司祭に属する荘園裁判集会の法である。
まず最初に首席司祭は定例裁判集会に5頭の馬をともなってそこに宿泊し、夕食の料理人をを前もって送り、彼が食事をしたいときは、彼と彼の同伴者に夜食を提供し、ささやかな朝食のパンも出すべきである。また首席司祭は途中で1-2人の人夫を得られるなら、彼らに荷物を背負わせることができる。首席司祭は猛禽、猟犬、鳥追い犬を連れて行くべきである。 彼が途中で何かを捕えたら、フーフェ農民たちと分かち合うべきである。
農地の持主がいなくなれば、住宅と課税もなくなる。
地代が他者、第三者の手に渡ったら、荘園領主は農地を没収することができ、かつて農地に課されていた地代とともに彼のものとなる。
首席司祭は相続税を徴収する場合、1頭を除き最良の家畜を取得すべきであり、荘園法にしたがって相続人たちに農地を再び戻すべきである。
いかなる者も荘園では農地をみずから運営すべきである。しかし女性が農地をもつ場合は、彼女はその農地をフーフェ農民に占有させることができる。定例裁判集会を開く場合、いかなる者もあらかじめ命じられなくても他者に返答すべきである。
フーフェ農民に土地を保有させるときは、荘園管理人は1フィアテルのワイン、フーフェ農民も同量のワインを徴収する。
いかなる者も荘園で農地を売ってはならない。彼はまず荘園管理人に申し出て、誰かに売るときより5シリング安く提供すべきである。そうしなければ、荘園管理人の命令によって農地に10フントが科せられて、売ることができなくなる。それにもかかわらず、荘園管理人が命令したことを守らず、命令に反するならば、その農地は罰金を科せられて首席司祭に没収される。しかしその農地が荘園領主に提供され、領主がそれを欲しない場合は、望みどおりに自分の農地を売ってもよい。
いかなる者もその農地をフーフェ保有権の期限前に更新すべきであり、そうしない場合は、その農地は首席司祭に没収される。フーフェ農地をもっていた者が死亡して、その農地が保有されなければ、死亡税を納めるべきである。しかし相続人がそれにさからおうとするなら、首席司祭はシュペヒバッハに上訴することができる。
フーフェ農民は食事の後に法を告げるべきであり、教会に地代や農地の損害をもたらすと思うわれるものについて宣誓して糾弾すべきである。
荘園における罰金としていかなるフーフェ農民も3シリング4ペニッヒ、荘園管理人も同額を徴収できる。しかしフーフェ農民の名誉にかかわることを彼が見逃せば、それは首席司祭の権限に属する。
荘園でワインを小売りする者は、首席司祭に低品質のワインを納めるべきである。
首席司祭はいかなるフーフェ農民も荘園で地代について訴えることができる。裁判で十分な弁明をなしえない者は、荘園管理人に3シリング4ペニッヒ、各フーフェ農民にも同額の罰金を納める。
荘園領主または彼の荘園管理人は彼の地代に対して差し押さえをおこなうことができ、担保を8日間もち、その後は担保を彼の地代として扱うことができる。滞納したいかなるフーフェ農民もさらに8日間地代を納めなければ、定例裁判集会を開いた後、いつでも荘園領主によって3シリング4ペニッヒが徴収される。
荘園で争いが起これば、首席司祭に対してであれ、フーフェ農民に対しであれ、フーフェ農民相互であれ、紛争と不和はシュペッヒバッハの上級裁判所以外に控訴してはならない。
控訴しようとする者は、法にしたがうことを荘園管理人に保証すべきである。
首席司祭はが裁判をおこなおうときは、あらかじめ8日前にフーフェ農民に予告し、宿舎で食事をとろうとするなら、8日前に知らせるのが、荘園の法である。
荘園管理人は裁判集会を開こうとするとき、荘園を閉鎖して、荘園領主とその一行の荘園内での安全に配慮すべきである。
荘園の土地の外で法を告げてはならない。
荘園を維持する荘園管理人以外、いかなる者も4ユ―ヒャルトの農地を享有してはならない。
フーフェ農民が農地のために荘園法にしたがっておこなう必要があれば、首席司祭は荘園に荘園管理人を置くべきである。
荘園管理人は少なくとも2人のフーフェ農民をもっていなければ、フーフェ農民を定住させてはならない。その際、荘園管理人には3シリング4ペニッヒ、フーフェ農民には1フィアテルのワインが納められる。フーフェ農民が来て、そのフーフェにワインの持ち合わせがなければ、フーフェ農民を定住させた者は、そのフーフェに持ち合わせていたものに対する権限をもつべきである。
荘園管理人がフーフェ農民を呼んだら、彼は荘園で必要とされているので、荘園領主におこなったように宣誓して従順に奉仕すべきである。それを守らない者がいれば、荘園管理人はそのことを荘園領主に知らせ、領主はフーフェ農民の納得のうえでそれについて罰することができる。
フーフェ農民が裁判集会を開く必要があれば、荘園管理人は、法のとおりにフーフェ農民たちに命じ招集することができる。また必要であれば、損害のないように、誰に罰金を要求するかを決める権限を荘園管理人に約束すべきである。
 地代負担農民またはフーフェ農民はシュペッヒバッハの裁判所に控訴しようとするなら、首席司祭と荘園管理人に3シリング4ペニッヒを手数料として各フーフェ農民から納めさせるべきである。またいかなるフーフェ農民も命じられたとおり従順にしたがうべきである。
フーフェ農民は荘園農地を他所の荘園裁判所と審議してはならない。フーフェ農民は荘園内での宣誓により、荘園農地について他所の法による判決を告げてはならない。彼がそのようなことをを聞いたら、荘園に宣誓したとおり、それを糾弾し、荘園領主に届け出るべきである。

  これらはザンクト・ゾフィーエンとエショーヴェのの修道院がフェーゲルスハイムの荘園にもつ法である。まず最初に彼らはさらし台と罰令区にかんする法をもつ。いかなる家も収穫期には雄牛の農作業に男子1人を提供すべきであり、秋にはすべての家が罰令区で修道院の教会寄進農地に祝福の用意のある犂を提供すべきであり、この農地は「拡張地」といわれ、彼らは農地を祝福し、その日のいかなる犂にもパン1個を支給し、そのパンは1フィアテルの麦から30個つくられる。拡張された農地は村のそばに三つあり、ギュートルスハイムに四っ、ヴィーテフェルトに一つ、オーメブルンに一つあり、すべて拡張地と呼ばれる。
前記の拡張地の刈り取りがどの日におこなわれようとも、いかなる者も違うやり方で刈り取ってはならない。同荘園には14人のフーフェ農民が属しており、いかなる農民も毎年5シリング、クリスマスには4つのパンと1アイマーたっぷりのワインと4羽の鶏、聖ヨハネの日である夏至にも多くのワインとパンと肉代金1シリングを納める。いかなるフーフェもクリスマスの前の聖トーマスの日(12月21日)に1フィアテルのbederkornを、他の拡張地はいずれも1フィアテルのエン麦を納めるべきである。そして荘園管理人、穀倉管理人、罰令区役人は荷馬車で家から家へこれらのエン麦を集めるべきであり、納めない者は収穫の前に代官と村長に償い金を納めるべきである。代官の権利として、いかなるフーフェも年3回7ペニッヒ、そのうち毎年夏至に1フントのシュトラースブルク通貨を彼に納め、その代りに代官は荘園の地代を集めるのを助け強制する義務を負う。罰令区役人も、彼が・・・・で見つけたものを3月半ば以降女子修道院長の荘園に引き渡すべきであり、彼は草地でも同じことを聖ゲオルギオスの日(4月23日)よりおこなうべきである。違反に罰金を科す場合は、その3分の2はエショーヴェの女子修道院長のものとなり、3分の1は代官のものとなる。代官も荘園を保有する場合は、彼に権利を与える義務を負い、それ以外の方途は認められない。フェルガースハイムの荘園管理人は12日目に18の・・・・焼菓子を与えるべきであり、彼はそれを9ゼスターの小麦から作るべきであり、・・・・それは9ゼスターとなるまで・・・・べきである。また1フントの価値がある豚をわれらが聖母マリアのお告げの日(3月25日)に納める。フェーガースハイムの村長も聖ステファノの日(12月26日)に1フントの価値がある豚と復活祭に子羊2頭を納める。罰令区役人も復活祭に子羊2頭を納めるべきである。荘園の法は・・・・シュトラースハイム浅瀬という名の橋梁から下方に向かう濠に及ぶべきである。グリットという場所からエショーヴェの罰令区まで網で結ばれた三区域ではいかなる者も漁をしてはならない。ルテッヒェという名の森林とその中にある草地も荘園に属し、荘園管理人はそこに一人の罰令区役人を配置すべきであり、またその森林から1フーダーの木を穀倉管理人とどの罰令区役人にも与えるべきである。これら三者は荘園管理人に半フーフェと完全フーフェについて指示を与えるべきである。穀倉管理人は2頭の母豚をもち、それから産まれる子豚の1頭を、彼は外部の人たちとともに食し、荘園管理人および罰令区役人はクリスマスにそれを一緒に食べ、その他の子豚は女子修道院長と等分すべきである。荘園では年3回裁判集会を開くべきであり、第1回は2月、第2回は5月、第3回は穀物と干草の収穫後に開くべきである。これら3回の裁判集会は女子修道院長に代って、また代官に代って命じられ、代官は規定通りの正しいときにみずからそれらを開くべきである。また代官は女子修道院長の了解なしにこれらの裁判集会を継続したり開いたりしてはならない。代官は・・・・荘園に5.5頭の馬とともに来るべきであり、代官自身と彼の5人の従者に夜食を、馬に干草と飼料を・・・・与えるべきである。女子修道院長による夜間の管理にかんして、代官の従者も厩舎の入口の前に横になるべきであり、そうすれば馬が入口の外へいなくなっても、女子修道院長がその責任を負わなくてもよい。しかし柵や壁を通っていなくなれば、女子修道院長がそれを弁済すべきである。女子修道院長はまた3つの裁判集会のいずれにも代官に対して6つの新しい杯、12の新しい鉢をそろえ、代官はそれらから飲食すべぉである。半フントの胡椒、半フントの蝋も用意すべきである。代官は夏至の3週間前と後に荘園で刈り取り作業をおこなうべきであり、その際一人の奉公人を使用し、彼には食事を与えるべきであり、代官が望むなら、荘園で最良の農業奉公人を使用して、その奉公人は夏至の前3週間罰令区の共同草地で馬が食べられるだけの草を刈り、夏至の後3週間大麦畑の境界から2.5シューの幅だけ畑の内側の大麦を馬の飼料のために刈り取るべきである。しかし境界で馬の飼料が不足する場合は、彼はその後女子修道院長の拡張農地へ行き、さらなる必用を聖マルグレーテンの日(11月16日)まで得るべきである。女子修道院長の罰令区役人も刈り取りの頃6週間毎日罰令区のまわりを馬に乗って見廻り、6週間経ったら、代官の奉公人に1シリングを女子修道院長に代って与えるべきであり、それはシュトラースブルク通貨2シリングに相当する。


 5-2-15 フェーガーエスハイム FEGERSHEIM

これらはザンクト・ゾフィーエンとエショーヴェのの修道院がフェーゲルスハイムの荘園にもつ法である。まず最初に彼らはさらし台と罰令区にかんする法をもつ。いかなる家も収穫期には雄牛の農作業に男子1人を提供すべきであり、秋にはすべての家が罰令区で修道院の教会寄進農地に祝福の用意のある犂を提供すべきであり、この農地は「拡張地」といわれ、彼らは農地を祝福し、その日のいかなる犂にもパン1個を支給し、そのパンは1フィアテルの麦から30個つくられる。拡張された農地は村のそばに三つあり、ギュートルスハイムに四っ、ヴィーテフェルトに一つ、オーメブルンに一つあり、すべて拡張地と呼ばれる。
前記の拡張地の刈り取りがどの日におこなわれようとも、いかなる者も違うやり方で刈り取ってはならない。同荘園には14人のフーフェ農民が属しており、いかなる農民も毎年5シリング、クリスマスには4つのパンと1アイマーたっぷりのワインと4羽の鶏、聖ヨハネの日である夏至にも多くのワインとパンと肉代金1シリングを納める。いかなるフーフェもクリスマスの前の聖トーマスの日(12月21日)に1フィアテルのbederkornを、他の拡張地はいずれも1フィアテルのエン麦を納めるべきである。そして荘園管理人、穀倉管理人、罰令区役人は荷馬車で家から家へこれらのエン麦を集めるべきであり、納めない者は収穫の前に代官と村長に償い金を納めるべきである。代官の権利として、いかなるフーフェも年3回7ペニッヒ、そのうち毎年夏至に1フントのシュトラースブルク通貨を彼に納め、その代りに代官は荘園の地代を集めるのを助け強制する義務を負う。罰令区役人も、彼が・・・・で見つけたものを3月半ば以降女子修道院長の荘園に引き渡すべきであり、彼は草地でも同じことを聖ゲオルギオスの日(4月23日)よりおこなうべきである。違反に罰金を科す場合は、その3分の2はエショーヴェの女子修道院長のものとなり、3分の1は代官のものとなる。代官も荘園を保有する場合は、彼に権利を与える義務を負い、それ以外の方途は認められない。フェルガースハイムの荘園管理人は12日目に18の・・・・焼菓子を与えるべきであり、彼はそれを9ゼスターの小麦から作るべきであり、・・・・それは9ゼスターとなるまで・・・・べきである。また1フントの価値がある豚をわれらが聖母マリアのお告げの日(3月25日)に納める。フェーガースハイムの村長も聖ステファノの日(12月26日)に1フントの価値がある豚と復活祭に子羊2頭を納める。罰令区役人も復活祭に子羊2頭を納めるべきである。荘園の法は・・・・シュトラースハイム浅瀬という名の橋梁から下方に向かう濠に及ぶべきである。グリットという場所からエショーヴェの罰令区まで網で結ばれた三区域ではいかなる者も漁をしてはならない。ルテッヒェという名の森林とその中にある草地も荘園に属し、荘園管理人はそこに一人の罰令区役人を配置すべきであり、またその森林から1フーダーの木を穀倉管理人とどの罰令区役人にも与えるべきである。これら三者は荘園管理人に半フーフェと完全フーフェについて指示を与えるべきである。穀倉管理人は2頭の母豚をもち、それから産まれる子豚の1頭を、彼は外部の人たちとともに食し、荘園管理人および罰令区役人はクリスマスにそれを一緒に食べ、その他の子豚は女子修道院長と等分すべきである。荘園では年3回裁判集会を開くべきであり、第1回は2月、第2回は5月、第3回は穀物と干草の収穫後に開くべきである。これら3回の裁判集会は女子修道院長に代って、また代官に代って命じられ、代官は規定通りの正しいときにみずからそれらを開くべきである。また代官は女子修道院長の了解なしにこれらの裁判集会を継続したり開いたりしてはならない。代官は・・・・荘園に5.5頭の馬とともに来るべきであり、代官自身と彼の5人の従者に夜食を、馬に干草と飼料を・・・・与えるべきである。女子修道院長による夜間の管理にかんして、代官の従者も厩舎の入口の前に横になるべきであり、そうすれば馬が入口の外へいなくなっても、女子修道院長がその責任を負わなくてもよい。しかし柵や壁を通っていなくなれば、女子修道院長がそれを弁済すべきである。女子修道院長はまた3つの裁判集会のいずれにも代官に対して6つの新しい杯、12の新しい鉢をそろえ、代官はそれらから飲食すべぉである。半フントの胡椒、半フントの蝋も用意すべきである。代官は夏至の3週間前と後に荘園で刈り取り作業をおこなうべきであり、その際一人の奉公人を使用し、彼には食事を与えるべきであり、代官が望むなら、荘園で最良の農業奉公人を使用して、その奉公人は夏至の前3週間罰令区の共同草地で馬が食べられるだけの草を刈り、夏至の後3週間大麦畑の境界から2.5シューの幅だけ畑の内側の大麦を馬の飼料のために刈り取るべきである。しかし境界で馬の飼料が不足する場合は、彼はその後女子修道院長の拡張農地へ行き、さらなる必用を聖マルグレーテンの日(11月16日)まで得るべきである。女子修道院長の罰令区役人も刈り取りの頃6週間毎日罰令区のまわりを馬に乗って見廻り、6週間経ったら、代官の奉公人に1シリングを女子修道院長に代って与えるべきであり、それはシュトラースブルク通貨2シリングに相当する。

 5-2-16 オストハウゼン OSTHAUSEN

  これらは、シュトラースブルクの家のザンクト・ヨハネス教団の緑のwerdeの領主がマッツェンハイムのそばにあるオストハウゼンの荘園にもつ法である。
領主が荘園を保有しようとする場合、彼はその日オストハウゼンに対する支援がヴェストハウゼンから来るまで荘園で待つべきである。
 荘園管理人は荘園のすべてのフーフェ農民に、次の地代徴収日である聖ミカエルの日(9月29日)に出席し、出席しない者は荘園管理人に2シリングを科せられると、命じるべきである。ただし領主または身体の非常事態が出席の妨げとなる場合は、その限りではない。しかる後彼は、彼に現金があれば、彼のフーフェ農地がその日に地代を徴収され、それに続いて荘園への納入がおこなわれることに注意すべきである。彼がそうしなければ、彼は2シリングを科せられる。
 次のことも荘園法である。すなわち、荘園の期日に現金を納めない者は、他の期日に荘園領主に課された地代と同額を納めるべきである。そして彼が8日間滞納するなら、領主と荘園管理人は農地の利用を違反および地代滞納のゆえに禁じ没収することができ、彼の農地利用を禁じられ、彼が何度もそれをくり返したら、そのたびに荘園領主に30シリングの罰金を科せられる。次のことも法である。すなわち、フーフェ農地をもつ者は、彼がフーフェ農地に必要とするだけの木をミヒェルの森で伐ってもよい。もし木を多く伐り過ぎたと思う者は、ミヒェルの森に地代を納め、彼が望むなら、荘園管理人に干渉しないように宣誓を催促してもよい。なぜなら木は先に伐られていたからである。そこで荘園管理人は荘園に誓約した者を1-2人彼と一緒に連れて行き、彼らがフーフェ農地のために多くの木を伐り過ぎたことを確認すれば。伐り過ぎた者は30シリングを荘園領主によって科せられる。
 次のこともまた荘園法である。すなわち、領主が荘園を有する場合、彼はフーフェ農民たちに3名の使用人を罰令区番人に指定して、その3名から罰令区を監視する者を2名選べば、彼らはフーフェ農地のなる小麦畑またはライ麦畑からも1束の麦を取り、フーフェ農地であるいかなる大麦畑からも縄が作れるほどの分量、つまり手から胸の半ばまでの長さの大麦を取るべきである。また彼らはフーフェでない耕地では、いかなる耕地からも一人で持上げられるだけの量を取ってもよいが、3度目には持上げられなければ、そこに残しておくべきである。しかし残さず取り上げようとする者は、耕地の打穀された穀物の4分の1を罰令区番人に与えるべきである。
 次のことも法である。すなわち、いかなる者も農地を売ったり、保有の変更をおこなってはならない。彼は前もって荘園管理人に農地の提供を申し出るべきであり、これに違反する者がおり、荘園に誓約したいかなるフーフェ農民も違反を見つければ、荘園管理人に宣誓してそれを告発し、農地に罰金を科すことを要求すべきである。そして荘園に彼の農地を引渡し、荘園に5フントを徴収されたら、フーフェ農民はそれに対して農地利用を禁じて没収することができる。
 次のことも荘園法である。すなわち、荘園管理人の承認を得て、ある農地が移転または売却され、農地が荘園管理人の許に留まっているならば、新保有者はそれを荘園管理人から受け取り、そこから荘園に納める地代の半分を荘園管理人に彼の権利として納めるべきである。また彼が以前誓約フーフェ農民でなければ、荘園に誓約してフーフェ農民となるべきである。荘園管理人に彼の権利を納めず、農地も受け取ろうとしない者には、荘園管理人は農地利用を禁じることができ、その命令後彼が不当に利用している日数、つまり彼の権利として納めるべき金額の半分を義務として負うたびに、農地利用を禁じることができる。
 次のことも荘園法である。すなわち、いかなるフーフェ農民あるいは荘園領主もフーフェ農地をめぐる他人との問題を処理しなくてはならない場合、1年のいかなる時であれ、荘園管理人が裁判首集会を彼に命じるように要求することができ、裁判で負ければ、フーフェ農民に5シリングを徴収される。次のことも荘園法である。すなわち、荘園領主が荘園を有し、地代が徴収され、彼が支払いを受け4うならば、彼はフーフェ農民に5シリングを与えるべきである。

 5-2-17 ブルッシュヴィッカースハイム BRUSCHWICKERSHEIM

 ヴィッカースハイムの荘園はシュトラースブルクの聖堂参事会員の荘園であり、学識ある荘園であり、正当な自由荘園であり、強制罰令区をもち、3名の公吏、すなわち荘園管理人、村長および裁判所廷吏をもつべきであり、これら3名の公吏はあらゆる公租公課を免除される。
 当荘園は次のような法のもとにある。すなわち、それは年3回裁判集会ををもち、いかなる裁判集会でも2つの追加の臨時集会がおこなわれるべきである。最初の裁判集会は聖母マリアの日の後の最初の地代徴収日であり、その後8日間を経て追加の臨時集会がおこなわれ、その日から8日間を経て他の追加の臨時集会がおこなわれる。また第2の裁判集会は聖マルティノの日(11月11日)後の最初の地代徴収日であり、その後2度の追加の臨時集会が最初の裁判集会と同じようにおこなわれる。さらに第3の裁判集会は復活祭後の最初の地代徴収日であり、その後2度の追加の臨時集会が2つの先行する裁判集会と同様におこなわれる。
 荘園は次のような法のもとにある。すなわち、荘園には14.5フーフェ が属し、それらは相続地である。いかなるフーフェも相続地として、その荘園において4フィアテルの主食麦、4フィアテルのエン麦、2フィアテルの大麦、10シリングの地代、5羽の鶏、30個の卵、ベルスかロスハイム賦役またはその代納金4フントを納めるべきである。最初の裁判集会を開くべきは荘園管理人と廷吏とmantzelers schaffnerであり、もし彼が 来たら、村に住むすべてのフーフェ農民が出席すべきである。荘園管理人が裁判集会に出席したら、彼は最初の食事のためにいかなるフーフェ農民にも、荘園に納めるべき主食麦を要求し、其の後2 つの追加の臨時集会にも合わせて要求すべきであり、主食麦を裁判集会と2つの 追加の臨時集会の際に納めなかった者は償い金を納めるべきであり、償い金は6シリングであり、毎回2シリングを荘園管理人および世話役がいる場合は彼にも納めるべきである。
荘園は次のような法のもとにある。すなわち、いかなるフーフェ農民も荘園に属する相続地を受け取り、彼自身が完全フーフェを受け取ったら、荘園管理人に16フントを貢納すべきである。しかし彼がそれを死後に受け取れば、荘園管理人に30シリングを貢納すべきであり、フーフェ農民たちにフーフェ権料として1シリングを納めるべきである。
荘園は次のような法のもとにある。すなわち、いかなる者も荘園管理人の働きと承認なしに所有地も相続地も売ったり移転してはならず、そうするることもできず、相続地が所有地のもとにあり、それから切り離せない場合、農地を所有地として売ったり移転したりしたくない者は、荘園にとってその権利と地代が守られることを望ましい農地を荘園管理人とフーフェ農民に指示するべきである。
聖マルティノの日の後の最初の地代徴収日に当たる裁判集会には、荘園管理人は出席すべきであり、われらが聖母マリアの日の後の裁判集会について規定されてているすべての権利をもって出席し、当裁判集会において、またその後におこなわれる 2 回の追加の臨時集会の際に、彼の地代と彼のエン麦と鶏、そして給付されていない 賦役を要求し、さらに主食麦その他の権利のうち滞納されたものを要求すべきである。また聖母マリアの日の後の裁判集会の最後の追加の臨時集会の期日に貢租を納めなかった者は、その償い金とともに貢租を納めるべきであり、その償い金額は毎回2シリングで、総額6シリングである。
 復活祭の終了後の最初の地代徴収日に当たる裁判集会を荘園管理人は上記のようなすべての権利をもって開催すべきであり、前記2回の裁判集会と それらに付属する 4つの追加の臨時集会 について卵を要求すべきである。そして2回の裁判集会とそれらの追加の臨時集会について、卵その他の権利を主食麦 kornであれ、地代であれ、エン麦、鶏、賦役、卵、その他の権利であれ、滞納している者は、最近の裁判集会の最近の追加の臨時集会までに各回2シリングの償い金を総額6シリング納めるべきである。
 荘園は次のような法のもとにある。すなわち、前記の3回の裁判集会およびそれらに付属する追加の臨時集会の際に相続を済ませなかった者には、荘園管理人は、農地利用を禁止する荘園法の権限をもち、所有地であれ、相続地であれ、荘園に地代、慣行および法を完全に遂行するまで、そこに行ってはならない。しかし荘園管理人の命令で農地に行く者は、そこへ行くたびに、30シリングの償い金を納め、その3分の2は聖堂参事会員、3分の1は代官のものとなる。
 荘園は次のような法のもとにある。すなわち、いかなるフーフェ農民もその相続地を買うか、相続すれば、邦内にいる場合は30日以内に受け取り、邦外にいる場合はその期限は1年と1日である。しかし彼がそうしようとはしないで、不法に農地へ行くなら、荘園管理人は彼に農地利用を禁止して、次の裁判集会にフーフェ農民たちの会議を設定し、彼らはこの問題にかんする判決を言い渡すべきである。
 荘園は次のような法と自由のもとにある。すなわち、そこに属するすべての荘園は、ベルゼ荘園であれ、ドロリッツハイム荘園であれ、クヴァリッツハイム荘園であれ、これら荘園自体のなかに法を求めるべきであり、不和がこの荘園あるいは前記の他の荘園に起きたら、それを他のどこにももちこんでしてはならず、もしこの荘園に不和がもちこまれれたら、廷吏はベルゼから2人の長老フーフェ農民を、ドロリッツハイムから2人の長老を、ホルツハイムから2人の長老を呼び寄せ、この荘園のさまざまな人々を選んで、彼らは有害な者を裁き、全員のなかで最大多数を占める者たちに従うべきである。
 荘園は次のような法と自由のもとにある。すなわち、すべての農地は、所有地であれ相続地であれ、耕圃にあり荘園に属しているなら、十分の一税とすべての公課を免除される。
 荘園は次のような法と自由のもとにある。すなわち、そこにはフーフェ屋敷と称する9の屋敷が属し、自由代官が荘園のために招かれ、荘園の法を守るか、荘園に農地を移転するなら、法にしたがって裁判集会がおこなわれる。彼は8頭の馬と1頭の騾馬とともにやって来て、馬は屋敷に収容されて、麦わらと厩舎を与えられるが、そのほかには何も与えられず、これらの屋敷は他の農地と同様に十分の一税とすべての公課を免除される。
 荘園は次のような法のもとにある。すなわち、誠実な人々は村から2名の罰令区警備役人を選び、荘園管理人は荘園のためにこれらの罰令区警備役人を任命し、これら2名の役人は荘園管理人に3シリングのシュトラースブルク通貨を納め、ぶどう園であれ畑地であれ、貧しい者のためにも富める者のためにも、最善の技と知恵を尽くして守り見張るることを、罰令区について誓約すべきである。
 荘園は次のような法のもとにある。すなわち、荘園管理人は、聖母マリアの日の後の裁判集会にmantzellをもつ領主に代って、フーフェ農民たちに2シリングのシュトラースブルク通貨を与え、聖マルティノの夜の後の裁判集会に2シリングのシュトラースブルク通貨を与え、復活祭終了後2シリングを与えるべきである。
 荘園は次のような法と自由のもとにある。すなわち、この荘園に属するすべてのフーフェ農民は平和をもたらすべきであり、彼らにかんする領主の裁判所は裁判集会と追加の臨時集会がおこなわれる14夜の間借金の問題を扱ってはならない。
 荘園は次のような法と自由のもとにある。すなわち、運搬賦役をおこなうすべてのフーフェ農民は 、彼らがここや他所に住んでいるなら、馬車で走行中はシュトラースブルク内外で万人に対して平和を保つべきである。1フーダーのワインをを積載する者には、1フィアテルのワインを樽の中に与えるべきであり、馬で運ぶ者には聖堂参事会員の使者は運送車とともに走行し、いかなる者も不当な損害を加えないように守るべきである。



 5-2-18 ヴォルクスハイム WOLKSHEIM

   これらはヴォルクスハイムにおける荘園の法であり、この荘園は正当な交換と所有によって、すべての正当な自由および十分の一税とともに、尊いレーバーラッハ教会に買われた。アルトドルフ修道院長と修道院はこの荘園に荘園管理人をもつべきであり、彼は修道院長と荘園にできる限り彼らの利便と利益をはかり、できる限り彼らの損失を避け、彼らのためにその地代と農地を忠実に集め、土地保有農民に注意を払い、そうしたことをれが十分におこなって、農地の耕作に失敗せず荒廃させないうにすることを誓うべきである。また彼は宣誓の際に常に、ぶどう園、耕地、草地、森林あるいはその他の農地がいずれも例外なく、荘園管理人の承諾を得ることなくそこなわれず、変えられず、束縛されず、あるいは廃止されず、維持されることを期待すすべきである。それゆえ、彼は次のような彼の法をもつべきである。
 2. アルトドルフの修道院長と修道院は上記のヴォルクスハイム荘園に次のような法をもつ。すなわち、そこで地代を納める者は、フーフェ農民であることを誓うべきである。あるいは地代を納めるかわりに、荘園のためにすべてをおこなう者も他のフーフェ農民であり、上記の荘園に属するフーフェ農民は、フーフェ農民の一員となったとき、荘園に従順であり、裁判集会に出席し、荘園法を告げ、その利益と名誉を獲得することを宣誓すべきであり、それを荘園管理人と使者が家または屋敷で彼に伝えても、不従順な者は、わが慈悲深き領主の代官に2シリングの賠償金の支払いを科せられる。彼がそうしたことぉするたびに、荘園管理人は差し押さえをすることができ、彼がひき続き不従順である場合は、はるかに高い金額を命じることができる。しかしフーフェ農民となり、荘園に誓約する者は、荘園管理人とフーフェ農民たちに半フィアテルのワインを納め、それは2マースに相当し、それが彼らの法である。
 3.荘園は次のような法をもつ。すなわち、毎年聖マルティノの日(11月11日)の翌日またはその後日の頃に、裁判集会を開催すべきであり、そのときの荘園管理人は荘園に属するすべてのことを、すなわち地代、負債および裁判について要求し、当日に裁判集会が近づいたら、荘園管理人はフーフェ農民に軽食を提供して彼らを着席させ、風が彼らを妨げず、雨が降り注がなければ、彼らに煮物や揚げ物を必要に応じて提供し、製粉所が製粉して得るパンを、荘園管理人が地代で受け取る穀物をそのまま用いて、提供すべきである。アルトドルフの修道院長と彼の荘園管理人もフーフェ農民たちに古い契約によって魚の代金8シリングを与えるべきである。
 4. 半オーメンまたは16マースのワインを地代として納める者はそのために、良い収穫の、良く耕されたぶどう畑を設置すべきでありフーフェ農民は宣誓してそれを判断すべきである。
5. 地代を納める者は全員、毎年通常の秋の頃の聖マルティノの日(11月11日)に荘園管理人の屋敷に地代を引渡すべきであり、そうしない者は、賠償金として荘園管理人に2シリング、ダッハシュタインの代官にも2シリングの支払いを科せられ、聖マルティノの日の後にフーフェ農民の判断で濁りの少ないワインを納めるべきであり、荘園管理人と彼の使者は地代を納めないか届けなかった者全員に彼らの農地の利用を禁止することができる。すなわち彼らが違反するたびに、荘園管理人ははるかに高い賠償金を命じることができ、荘園にとってすべてがなし遂げられるまで、荘園管理人は違反の大小にかかわりなく、上記のように差し押さえることができ、違反者は30シリングをダッハシュタインの代官に納め、残り地を荘園管理人に納める。
6. フーフェ農民たちが判断するワインを荘園管理人は地代として彼らから彼らの宣誓により徴収するべきであり、そうすれば荘園は満足する。
7. 荘園において地代のワイン1オーメン全体を納める者には、望みに応じて再度1マースを戻し売りするべきである。
8.農地が相続、移転、分割または売却され、それを取得し、引取りまたは受け取る者が相続人である場合は、相続する者全員が1人の地代負担者とフーフェ権料を納めるべきであり、それは半オーメンのワインと4ペニッヒであり、そのうち荘園管理人には4マースのワインと4ペニッヒが属し、それを上回る分はフーフェ農民たちのものとなり、これは荘園管理人の前で・・・・書き留められるべきである。
9. フーフェ農地が相続され、る場合、相続人たちが望む限り、自分たちの間で分割しこれららのなかで地代の負担者が荘園のフーフェ農民であれば、彼が荘園の地代を納める義務を負う。これら相続人の一人が死別しても、彼または相続人たちはフーフェ権料を納める義務を負わなくてもよい。しかし地代負担者が死亡すれば、相続人の他の一人が相続権料を納める義務を負う。これらの相続人たちのだれかが彼の持分を売ることは控えるべきだが、もし売れば、彼と相続人たちはフーフェ権料を納めることを、荘園管理人と同意すべきである。
10. 荘園のフーフェ農民は、当荘園に属する農地の売却と移転を、宣誓して告発すべきである。
11.荘園に地代のかわりに農地を譲渡しようとする者は、それが罰令区の法にしたがって罰令区の中にあり、滞納地代の義務が残っていなければ、農地を相次いで荘園管理人に引き渡すべきである。ただしフーフェ農民たちの承認を得なけ、荘園管理人はそれを受け入れてはならない。
12. アルトドルフの修道院長は荘園管理人を任免するにあたって、いかなる異論にかかわらず、レーベラッハの前首席司祭がもっいた権利と同様に、自分の思いどおりにおこなうことができる
13, アルトドルフの修道院長の荘園管理人はわれらが慈悲深き君主および領主のシュトラースブルク司教に毎年22オーメンのワインを荘園のすべての貢租と保護権のかわりに納めるべきであり,彼が荘園で毎年受け取る地代と同様にワインを納めるべきである。
14. しかしシュトラースブルクのわが慈悲深き領主が荘園に負担をかけたくない場合は、修道院長または荘園管理人、あるいは荘園を所有するする者は、宗教的および世俗的諸権利によってその地代を強制する権限をもつことができるが、荘園に対して地代を2回は留保してもよい。
15. 荘園管理人は秋にアルトドルフの修道院長に奉仕すべきであり、彼が必要によって荘園を見張る番犬を自分の費用で飼うなら、荘園管理人には規定の権利が与えられる・。
16. 以前にアルトドルフ修道院に属していたすべての地代は、他の地代と同様の これらはニーダーハウスベルゲンの荘園法である。
まず最初に、当荘園には12名のフーフェ農民が属し、いかなるフーフェもハウスベルゲンの罰令区内に30の耕地をもち、5シリングの地代を納め、聖マルティノ日(11月11日)にシュトラースブルクのザンクト・トーマス
の領主に1フィアテルのライ麦とエン麦を納め、そこから荘園の代官に30シリングの地代を聖マルティノの夜に納め、残りの30シリングをザンクト・トーマス教会に納める。地代として納められるライ麦とエン麦は、前記の荘の園管理人が受け取り、そこからザンクト・トーマンの教会に20カッペンを納める。前記の荘園で1ウンツの地代を納める者は、1ゼスターのライ麦と1ゼスターのエン麦も地代として納め、1フンツより多くを納めない者は、1耕地 について2ペニッヒ、5分の1ゼスターのライ麦とエン麦に相当するライ麦とエン麦の代価を納める。それは前記の12フーフェ農民全体で12フント、ライ麦とエン麦をそれぞれ半分ずつ合計で12フィアテルとなる。前記の荘園では年2回の裁判集会ががあり、第一の裁判集会はクリスマス後の十二夜の次の月曜日の後におこなわれ、他の裁判集会は五月一日の次の月曜日の後でおこなわれ、月曜日が休日か否かを定めたのは、フーフェ農民たちである。
上述の地代農民またはフーフ農民や千田負担仲間たちのなかで第一または第二の裁判集会に角笛の2回の吹奏の間に出席しない者は、2シリングの賠償金を科せられ、それは教会のものとなる。また2つの裁判集会に出席しない者には、前記の各裁判集会後14日間にわたる追加の裁判集会にに出席するように命じるべきであり、それに出席しなければ、追加裁判集会の8日後に裁判集会があり、それに出席しない者は、2シリングを科せられ、前記の裁判集会に出席しないいかなるフーフェ農民や地代負担仲間もあるいは聖マルティノの夜に地代を納めなかった者には、荘園管理人は彼の農地利用を禁止して、そこへ行くことも耕すことも禁じ、そこへ行けば、代官が担保を取り、担保を荘園に運び、荘園に7日間留め置いて、彼が地代を払わず,彼がその7日間に必要とした罰金を払わなければ、代官が支払って担保を得るべきである。
前記の地代5シリングについて一つの耕地を1年間に4回、および1年の最後の日に耕すべきであり、そうすれば犂で働く者にパンが与えられ、荘園管理人はわれわれの耕地を耕す耕作者に年に一度指定の場所で食事を与える。すなわち、荘園管理人によって、犂1台について成人2人分と少年1人分の分量、または少年1人分の代わりに犬一匹分の分量よりは少なめ食事が食卓に用意され、2種類の肉料理が食卓に出され、肉はその両端がschusselbordより4本の指の幅だけ広くはみ出しており、新しい杯と新しい鉢、十分なワインも出されるべきである。
 荘園で地代を納める農地が移転されれれば、それを受け取る者は、荘園管理人に地代の半分と1フィアテルのワインを納め、フーフェ農民たちに1オーメンのワインを納めるがフーフェ農民たちは恩恵を与えるべきである。
、1408年聖マルティノの日にニーダーハウスベルゲンの荘園の後記のフーフェ農民たたちは一致して、前記荘園に対して宣誓して法を告げ、毎年聖マルティノの日にザンクト・トーマンの領主の監督またはその使者がニーダーハウススベルゲンで同荘園に属する地代を受け取り、地代を納めるべきいかなるフーフェ農民または地代負担仲間が聖マルティノの日の正午までに納めめなっかったら、代官または彼の従者は担保を差押え、担保を荘園管理人の屋敷に運び、そこに7日間保管して、その7日間に担保が買い戻されず、担保に要した費用が支払われなければ、代官は担保を取得し、地代を領主に納めるべきである。前述の法を告げたフーフェ農民は、若きフリッチェン・ハンス、フリッチェン・シュティーア、ペーター・フォン・ムノツ、ギルゲマン殿、アンシェルム・トゥンツェ荘園管理人、ハンス・クリーゲスハイム別称ケッセルリングまたはクリーガー、ブルケリンス・ハンス・ルルム、ヴィルツ・フーゲリンの息子、ヴァルター・シュティーアである。
と効力で弁済され請求され


 5-2-19 ハウスベルゲン HAUSBERGEN (1408年)


  これらはニーダーハウスベルゲンの荘園法である。
まず最初に、当荘園には12名のフーフェ農民が属し、いかなるフーフェもハウスベルゲンの罰令区内に30アッカ―の耕地をもち、5シリングの地代を納め、聖マルティノ日(11月11日)にシュトラースブルクのザンクト・トーマス教会の領主に1フィアテルのライ麦とエン麦を納め、そこから荘園の代官に30シリングの地代を聖マルティノの夜に納め、残りの30シリングをザンクト・トーマス教会に納める。地代として納められるライ麦とエン麦は、前記の荘の園管理人が受け取り、そこからザンクト・トーマエウの教会に20カッペンを納める。前記の荘園で1ウンツの地代を納める者は、1ゼスターのライ麦と1ゼスターのエン麦も地代として納め、1フンツより多くを納めない者は、1アッカー耕地 について2ペニッヒ、5分の1ゼスターのライ麦とエン麦に相当するライ麦とエン麦の代価を納める。それは前記の12フーフェ農民全体で12フント、ライ麦とエン麦をそれぞれ半分ずつ合計で12フィアテルとなる。前記の荘園では年2回の裁判集会ががあり、第一の裁判集会はクリスマス後の十二夜の次の月曜日の後におこなわれ、他の裁判集会は五月一日の次の月曜日の後でおこなわれ、月曜日が休日か否かを定めたのは、フーフェ農民たちである。
上述の地代農民またはフーフ農民や地代負担仲間たちのなかで第一または第二の裁判集会に角笛の2回の吹奏の間に出席しない者は、2シリングの賠償金を科せられ、それは教会のものとなる。また2つの裁判集会に出席しない者には、前記の各裁判集会後14日間にわたる追加の裁判集会にに出席するように命じるべきであり、それに出席しなければ、追加裁判集会の8日後に裁判集会があり、それに出席しない者は、2シリングを科せられ、前記の裁判集会に出席しないいかなるフーフェ農民や地代負担仲間もあるいは聖マルティノの夜に地代を納めなかった者には、荘園管理人は彼の農地利用を禁止して、そこへ行くことも耕すことも禁じ、そこへ行けば、代官が担保を取り、担保を荘園に運び、荘園に7日間留め置いて、彼が地代を払わず,彼がその7日間に必要とした罰金を払わなければ、代官が支払って担保を得るべきである。
前記の地代5シリングについて一つの耕地を1年間に4回、および1年の最後の日に耕すべきであり、そうすれば犂で働く者にパンが与えられ、荘園管理人はわれわれの耕地を耕す耕作者に年に一度指定の場所で食事を与える。すなわち、荘園管理人によって、犂1台について成人2人分と少年1人分の分量、または少年1人分の代わりに犬一匹分の分量よりは少なめ食事が食卓に用意され、2種類の肉料理が食卓に出され、肉はその両端がschusselbordより4本の指の幅だけ広くはみ出しており、新しい杯と新しい鉢、十分なワインも出されるべきである。
 荘園で地代を納める農地が移転されれれば、それを受け取る者は、荘園管理人に地代の半分と1フィアテルのワインを納め、フーフェ農民たちに1オーメンのワインを納めるがフーフェ農民たちは恩恵を与えるべきである。
、1408年聖マルティノの日にニーダーハウスベルゲンの荘園の後記のフーフェ農民たたちは一致して、前記荘園に対して宣誓して法を告げ、毎年聖マルティノの日にザンクト・トーマンの領主の監督またはその使者がニーダーハウススベルゲンで同荘園に属する地代を受け取り、地代を納めるべきいかなるフーフェ農民または地代負担仲間が聖マルティノの日の正午までに納めめなっかったら、代官または彼の従者は担保を差押え、担保を荘園管理人の屋敷に運び、そこに7日間保管して、その7日間に担保が買い戻されず、担保に要した費用が支払われなければ、代官は担保を取得し、地代を領主に納めるべきである。前述の法を告げたフーフェ農民は、若きフリッチェン・ハンス、フリッチェン・シュティーア、ペーター・フォン・ムノツ、ギルゲマン殿、アンシェルム・トゥンツェ荘園管理人、ハンス・クリーゲスハイム別称ケッセルリングまたはクリーガー、ブルケリンス・ハンス・ルルム、ヴィルツ・フーゲリンの息子、ヴァルター・シュティーアである。



.
 5-2-20 ヴラ-ツホーフェン WRAZHOVEN

 

これらはシュトラーシブルクのザンクト・トーマス教会の領主がヴラーツホーフェンの荘園にもつ法である。
 まず最初に、当荘園には年3回の裁判集会があり、最初の裁判集会はクリスマス後の十二夜の直後の月曜日でるが、十二夜が月曜日に当たるときは、裁判集会はこの月曜日におこなわれ、第二の裁判集会は、必要な場合は、五月半ばにおこなわれる。第三の裁判集会は干草と穀物の収穫後におこなわれる。これら3つの裁判集会には当荘園に属するすべてのフーフェ農民が出席して、法を告げ、それを守るべきであり、上記の3つの裁判集会に来ないいかなるフーフェ農民も、各裁判集会ごとに賠償金を科せられ、出席しない者は、出席しているフーフェ農民にワイン代金4ペニッヒを納めるべきである。また上記の3つの裁判集会後にそれぞれ15日間にわたる会議をおこない、これを追加裁判集会と称するなら、それに出席しない者はフーフェ農民に対する4ペニッヒの賠償金の支払い金を科せられる。その後8日間にわたる会合をおこない、これに出席しなかった者は、その後会合をおこなうが、これに来ない者は4ペニッヒを科せられる。その後4日間ににわたる会合をおこない、その後は泊まりがけの会合のみがおこなわれ、なお不従順なフーフェ農民がいれば、荘園管理人に訴えることができ、荘園管理人はもう一つの裁判集会をおこなうべきであり、それは荘園管理人裁判集会といわれ、その裁判集会で荘園管理人は1年間に30シリングを調達して、集会に出席しなかったり、地代を納めなかったフーフェ農民や集会仲間にザンクト・トーマス教会の領主に対して法を遂行させるべきである。
穀物地代はシュトラースブルクの領主の倉庫に領主の費用負担や損害のないように聖母マリアの日の前に納め、引き渡すべきであり、貨幣地代を復活祭直後の地代徴収日に納めるべきであり、前記の期日に納めない者は、罰金として2シリングを領主に償い、さらに荘園管理人は、要求されれば、領主のために、滞納納地代と不従順に対して地代を納めなかった農地の利用を禁止して、農地に行くことも耕すことも禁じ、この禁止された農地に行けば、ザンクト・トーマス教会の領主に毎回30シリングを科せられる。しかし禁止された農地に誰も行かず、1年中荒廃させておくなら、荘園管理人はその農地を領主の手に自由に没収し、領主は万人からそれを保護すべきである。荘園管理人は滞納地代の代償に彼らの家へ行って担保を取り、荘園管理人にさからう者がいれば、代官が彼を助けるべきである。
 地代または罰金の義務を負うフーフェ農民あるいは地代農民がヴラーツホーフェンに住んでいなければ、荘園管理人は彼を差押えることができず、その前に代官は農地の利用を禁止すべきである。当荘園に属する農地が移転されたら、それを入手する者は、、移転後の裁判集会にそれを荘園管理人から受け取り、こうして農地を受け取ってフーフェ農民または裁判集会仲間となる者は、荘園管理人または領主の監督官の前で領主に忠実であることを誓い、できる限り、また納得する限り、荘園の法を告げ守るべきである。
死者の手から農地を移転して受け取った者は、荘園管理人に収め相当の手数料を納め、その農地から得領主に相当の地代を納めるが、生きている者の手から農地を移転したら、半額を新たに納める。
死者からであれ、生者からであれ、農地を受け取る者は、18アッカ―の耕地からなる1フーフェについて、フーフェ農民に対して1ゼスターの穀物、6フィアテルのワイン、4つのパン、4つのチーズを納める。そのパンとチーズの大きさは、普通の人がパンとチーズの上の中央で親指を延ばして描けるほどの円の大きさとする。
しかし彼が完全フーフェより小さな農地を受け取れば、穀物、ワイン、チーズおよびワインも、フーフェの耕地面積が少ない分だけ納め、多ければ、受け取りの多少にかかわらず4ペニッヒを納める。
上記の荘園に属するいかなるフーフェもザンクト・トーマス教会の領主に11フィアテルの複合穀物すなわち2分の1が小麦、3分の1がライ麦からなる穀物および6シリングの地代を納め、ザンクト・トーマス教会の用務員に十分の一税の代わりに4フィアテルの複合穀物を納めるべきであり、聖母マリアの日の前にシュトラースブルクこ領主の倉庫に、領主に費用と損害をかけることなく、引き渡すべきである。また貨幣地代は復活祭直後の地代徴収日に納められる。
いかなるフーフェ農民または土地保有農民も規定の地代を納めなければ、ザンクト・トーマス教会の領主は農地の所有権を要求して、農地を以前の領主の権限に没収し、滞納地代が支払われるまで自由に取り扱うことができる。
ヴラーツホーフェンの当荘園に住む者は、当荘園に地代を納めるべきであり、復活祭直後の地代徴収日に5ウンツの地代が徴収され、地代5ウンツは前記の荘園の管理人に彼の職務として先ずもって徴収される。



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6.モーゼル川流域 


 トリーア周辺のモーゼル川流域について、さしあたり指摘できるのは、第一に、付録3の地域分布に見られるように史料はライン川流域に集中し、ラインの支流であるモーゼル川も史料が豊富で、上掲表1の(10)ザール、(11)ホッホヴァルト、(12) イーダルヴァルト、(13)フンスリュック・ナーエ、(14) オーバーモーゼル、(15)ウンターモーゼルがモーゼル川流域に含まれ、収録された史料のページ数はスイス全体に匹敵するほど多いことである。

第二に、モーゼル川流域村落はドイツの歴史家ランプレヒトの大著『中世ドイツの経済生活』でとりあげられた地域であり、とくにこの地域の独特な土地共有制度は「ゲヘーファーシャフト」(はうすべるげんöferschaft)の名で知られ、一説には古ゲルマンの土地共有制度の名残りともいわれる。ランプレヒトもその著書のなかで、ヴァイステューマーに注目するとともに、独自のゲヘーファーシャフト論を展開している。ゲヘーファーシャフトという古風な土地共有制度は慣習法のヴァイステューマーでどのようにとりあげられいるのか、大変興味深い。

 モーゼル川流域の大部分はかつてはトリーアを首府とする「トリーア大司教領」(Erzbistum Trier)に属していたが、今日ではラインラント・プファルツとザールラントの両州にまたがり、一部はルクセンブルクやフランス領となっている。流域の大部分は山岳および丘陵地帯で、平野はきわめて乏しい。そのため、森林が多く、林業が重要な地位を占める。またモーゼル、ザール、ルーヴァ―川が渓谷を形づくり、渓谷におけるぶどう栽培によるモーゼル・ワインは有名であり、河川漁業も少なからぬ役割をはたした。

 6-1.ザール Saar

 ザール地方の地図

 6-1-1 ザールブリュッケン Saarbrücken (1557年)



(ザールブリュッケンは現在のサールラント州の州都で、1322年より自治都市となる。)

      市場令
 最初にザールブリュッケン市長イエルク・フォン・ノイスはナッサウおよびザールブリュッケン伯ヨハニスにかわって市庁舎に赴任し、古いきまりとしきたりどおり初めて裁判集会を開いた。この裁判集会は昨日五月祭(5月2日)に開かれることになっていたが、日曜日のため今日まで延期された後、裁判集会を何時に始めるべきか、参審員は答えるよう求められた。参審員は、何時に定例集会を始めるかは市長の意向しだいだと答えた。
 さらに参審員は、わが領主がその権利を正しく行使し、誰も不正をしないため にはどうすべきかと、問われた。参審員は、第一に塩商人の枡と目盛りを検査すべきであるということを法として示した。塩商人はその容器と目盛りを保管していた。参審員は、塩商人が法の定めどおり来たか、法を提示するよう求められた。参審員は次のように指示した。すなわち、塩商人は来るべきなのに来なければ、彼らは3グロッシェンを床の上に置くべきである。参審員はさらに、「塩商人は現れるべきなのに現れなかったため、わが領主に何を納めるべきか」と尋ねられた。参審員は、次のように指示した。すなわち、彼らはわが領主の慈悲により彼に罰金として1ヘラーと60シリングを納めるべきであり、わが領主はここから参審員に1ゼスターのワインを与えるべきである。さらに参審員には、60シリングと1ヘラーを塩商人全体で納めるべきか、それとも各人が納めるべきなのか、法を示すように求められた。参審員は、いかなる塩商人もそれだけの金額の贖罪金を納める義務を負うと指示し、これを法として認めた。参審員はさらに、これから何を始めるべきかと問われた。それに対して、市長は提出された塩商人の枡と目盛りに十分満足しているのであれば、参審員はさらに何が法であるかを示したいと答えた。塩商人は14人いた。参審員は、容器に目盛りがつけられないことを許してもよいのか、法を示すように求められた。それに対して参審員は、そうした容器は法にしたがっていないと答えた。いかなる塩商人も1 ヘラーと60シリングを罰金として納めることが認められたが、1 ヘラーをどうしようとするのか、参審員は法を提示するように求められた。参審員は次のように指示した。すなわち、60シリングを得たので、1ヘラーで財布を買い、60シリングをその中に入れて、わが領主にさしだすべきである。
 容器と枡が市長によって差し押さえられなかったら、何が市長のものとなるのかという問いに、参審員は、いかなる塩商人も半マースのワインを納めるべきと答えた。
 参審員は次のような問いに法を示すように求められた。すなわち、塩商人が荷車であれ、手押し車であれ、2台の車で市場まで来て、特別な計量器をもっている場合、彼はわが領主にいかなる義務を負うか。参審員は次のように指示した。すなわち、彼が荷車をもっている場合は、わが領主に容器をさしだし、手押し車をもっている場合は、容器と塩をさしだす義務を負う。しかる後に、塩商人はその枡の許可を求められ、移動を認められる。
 (次は飲食店、小売り商人および肉屋のための諸規定である)
 参審員は次のように問われた。すなわち、禁制圏の間でチーズ、バター、卵、鶏、オンドリその他すべての市場商品を適正に両都市の内外で買い、市場にもちこむ場合、わが領主はいくら収入を得るのか。参審員は、誰もが60シリングと1ヘラーの市場税を納めると指示した。
 参審員は、誰が城の前の橋を二つの湿原の間につくらなければならないのか、法を示すように求められた。参審員は、フレックリング荘園がそれをおこなうべきであると答えた。参審員は、フレックリング荘園はそのためいかなる自由をもつのかと尋ねられた。参審員は次のように答えた。すなわち、フレックリング荘園はここで買いその家で消費するものすべてについて、関税を支払い義務を負わない。
 参審員は次のように法の提示を求められた。すなわち、ある市民が彼の家の前で塩を売る場合、彼はわが領主に1年に1ポンドの蝋をおさめるべきなのか否か。参審員はそれについ考えたうえで、それにかんする法を示すのを次回まで延期することにした。
 参審員は、彼らが朝食をどこでとるか示すべきだと要求した。市長は、 彼がどこで賄い費用を得て払うべきか、尋ねた。参審員は、次のことを法として示した。市長が贖罪金から得るべきであり、それで足りればよいが、足りなければ、彼はわが領主の金庫のなかに手を入れ、そこから費用を支払うべきである。

 6-1-2 フェルクリンゲン Völklingen (1422年)


(フェルクリンゲンはザールブリュッケン伯の上級裁判権に従属する農民集落であった)

 これはフェルクリンゲン荘園の法と裁判集会の指示である。
(フェルクリンゲンの裁判所では市長も出廷し、ザンクト・アルヌアル(St. Arnual)の荘官がその手に白い杖をもち、「市長、あなたは裁判所に出廷したか。」と話しかけると、「はい」と答える。そこで、荘官は「私があなたに杖を与えることを許してもらいたい」と言う。)

 最初に荘園は次のことを法として指示する。すなわち、ザールブリュッケンの市長が裁判集会の日程を決めるか、あるいは荘園の誰かが裁判の日程を決めてわがザールブリュッケン伯のために裁判をおこなうように命じるべきである。
 さらに荘園は次のことを法として指示する。すなわち、裁判所の2人の地方官は、わが領主たる伯爵の法のために裁判集会に来るべき者全員がそこに出席しているか、調べるべきである。
 さらに市長は地方官、参審員および村民に、わが領主たる伯爵に干草が納められているか問いただして、法の定めどおりにおこなうように督促すべきである。
 さらに市長は、荘官、参審員および裁判所に対して、人、裁判所、森、道、水、放牧地、漁獲、鷹狩、河川、輸送、水車、採草地、農圃、耕地、庭園、屋敷、製パン所、強制パン焼きがま、重量、ポンド、容量、計量器、長さについて、またその他何ごとについても、わが領主の損失と損害があれば、あるいは他にとがめるべきことがあれば、ことごとく申し出ることを心得ているか、問いただすべきである。
  荘園は次のように指示する。すなわち、フュルステンハウゼン(Fürstenhausen)の者はフュルステンハウゼンとフェルクリンゲンの間のザール川の航路の船をつくるべきであり、わがザールブリュッケン伯はそのためにシッフジッタースの森(Schiffsitters)にある木を彼らに与え、そのかわりわが伯爵は船から収入を得る。
 荘園は次のように指示する。すなわち、フェルクリンゲンにはM. カルナルバイタース(Karnarbeitters)とその両親の名にちなむ自由地(freiheit)があり、その住民は自由である。わが伯爵あるいは伯爵夫人が馬車でそこを往来し、わが伯爵の地方官が住民に対して、伯爵夫妻の馬車に乗り走らせることを命じるなら、彼らは馬車を走らせるべきである。馬車が停まっても、彼らを食事でもてなすことができるなら、ひき続き住民に馬車を走らせるために、彼らに食事を支給すべきである。
  ほかにフェルクリンゲンのコレ(Kolle)にも自由地があり、参審員は、自由民がわが領主に彼の書状を配達すべきであると指示する。彼らを食事でもてなすことができるなら、書状をひき続き配達させるために、彼らに食事を支給すべきである。またわが領主に敵対者がいる場合は、2人の見張り番をヴァルスブルク(Warsburg)に送り、交代で見張りをさせ、わが領主は彼らに食事を支給すべきである。
 荘園は次のように指示する。わが領主は5つの自由漁業権をもち、それゆえ漁師は漁業の自由をもち、どの漁師も毎週ザールブリュッケンのわが領主の台所に販売用の魚10尾をもっていくべきである。これらの魚が1シリングの価値がなければ、わが領主の満足するところとはならない。わが領主は漁師たちに漁船を支給すべきであり、それが彼らの必要をみたすなら、古い船は荘官のものとなる。ただし、漁師が船を自分たちのてもとに留めておこうとするならば、荘官に船の代金として5シリングを与えるべきである。
 フェルクリンゲンには自由屋敷があり、その所有者は荘園で捕らえられた者を終夜監視し、わが領主の城に護送する義務を負う。そして彼に助けが必要な場合は、わが領主の臣民は護送を助けるべきであり、彼らが手助けの報酬を得たいと望むなら、彼は各人に1シリング・ペニヒを与える義務を負う。またわが伯爵夫人がフェルクリンゲンに宿泊する際には、カエルがわが伯爵夫人の眠りをさまさないように、カエルを黙らせるべきである。
 荘園は次のように指示する。すなわち、荘園からシッフスジッターの森へ行き、森でミツバチを見つけた者は、荘園の荘官のところへ行き、ミツバチを採取する許可を求めるべきである。またそのミツバチの半分は荘官と森林管理人のものとなり、他の半分は採取者のものとなる。ミツバチといっしょに伐採された木は、市長のものとなる。また焼かれた樹木と伐採された木材も市長のものであり、贖罪金はわが領主のものである。風で倒れた木は荘官と森林管理人のもので、その3分の2は荘官、3分の1は森林管理人の取り分である。またわが領主が森で木を伐り、その一部が残されたら、荘園は、荘官と森林管理人にその取得を認める。荘官と森林管理人は、彼らが森でもつ権利のために、市長自身に人員と馬の3分の一を負担させるべきである。市長が裁判集会を開き、3日目まで集会にとどまる必要がある場合、3日目までの食費のうち規定分を市長に支給すべきである。また森にある木の実は 聖燭祭の日(2月2日)までわが領主のものであり、その後荘園の村民もそれを利用できる。
 荘園の森ではミツバチは荘官と森林管理人、その採取者の間で等分され、木材は共同体、贖罪金はわが領主のものである。荘園の森で伐採された木、風で倒れた木は、アブがたかるまで残しておくべきであり、村の同意が得られれば、荘園の領民がその建築のために取得してもよい。

 6-1-3 ヴァルントヴァルト Warndwald

(ヴァルントヴァルトは前述のフェルクリンゲンに属する森林だったようにおもわれる)


  荘園は次のように法を示す。すなわち、ルセレンの住民はわが領主の森林に権利をもたず、彼らが領主の森林に行き、そこで木を伐り、木を伐るときに音をたて、木を積んで、待機しているところへ、わが領主の森林管理人が来て、彼らを見つけ、彼らが路上で逃れられなければ、森林管理人は彼らを捕らえ、わが領主に引き渡すべきである。
 参審員は次のように指示する。すなわち、ゲンスバッハの荘園の領民はわが領主に毎年荷車1台分の木蝋と荷車1台分の麦わらをヴァルスブルクへ運ぶ義務を負い、わが領主の森林管理人のところに来て週3日来て働くなら、4日目も断るべきではない。彼らがワインを飲みたいとおもうなら、森林管理人は下男に命じて彼らの金銭で彼らのためにワインを買ってこさせるべきである。彼が彼らとともに飲みたいとおもうなら、彼の金銭を彼らの金銭に加えるべきである。わが領主の上級裁判所はそれに対する尺度と基準である。
 荘園は次のように指示する。すなわち、裁判所管区で建築をのぞむ者は、ザールブリュッケンの市長の許可と森林管理人の承諾によって、わが領主の御料林で建 築木材を伐る権限をもち、市長と森林管理人にその権利を与えるべきである。屋根ふき用木材を伐りたいとおもう者は、市長の許可と森林管理人の承諾によって伐採すべきであり、彼らにもその権利を与えるべきであり、割られた屋根ふき用木材を家にもち帰るべきである。屋根ふき用木材を荷車から屋根ではなく、地上に投げおろす者がおり、そうしたことがしばしばおこなわれるなら、わが領主に対する贖罪金60シリングを科される。屋根ふき用木材を3分の1家に運んだ者も、わが領主に40シリングを納める。
 荘園は次のように指示する。すなわち、メルテンにある荘園のヴィルレベットナッハ修道院長は3年に1度わが領主にヴァルスブルクへ向かう荷役夫を差し出す義務を負い、毎年ザールブリュッケンの市長に最も価値ある上着を差し出す義務を負う。そのかわり彼はわが領主の御料林に放牧することができる。森林に木の実がない場合は、上着はわが領主またはその市長を満足させるようなものであればよい。 
 わが領主はディーゼンに製粉所をもち、クライネンワルスブルクの住民は製粉所で粉をひく義務を負う。彼らが他所の製粉所へ行くのを、わが領主の森林管理人が見つけたら、ひもをほどいて粉を地上に落とし、袋と担ぎ手をわが領主のもとに送るべきである。  
 荘園は次のように指示する。すなわち、アイマ―ボルンの荘園農民はその家畜イマ―ボルン小路の方向へ聖十字の森まで放牧し、小路の片側を家畜を連れて進むべきであり、小路の両側を進むべきではない。両側を進んでいるのを、わが領主の森林管理人が見つけたら、彼らは家畜をわが領主の手にひきわたし、その慈悲にゆだねるべきである。




 
6-1-4 ヴァトガッセン Wadegassen

ヴァトガッセンはザール河畔に位置し、ザールブリュッケン伯領に属する修道院の荘園であった。)

 荘園は次のことを法として指示する。すなわち、ヴァトガッセンの修道院長は週に3日わが領主の森林管理人が来るとき食事を支給する義務を負う。4日目もそれをことわってはならず、各森林管理人に一組の手袋、半ゼスターの粥を支給し、森林管理人が森林伐採をするときには、食事にチーズとパンを支給し、2シリングを払う。わが領主である修道院長はヴァルント(Warndt)の御料林で正しく飼育された96頭の豚を屠畜する権利をもち、一時課の鐘が鳴るころ、彼の建築材を伐採する権限ももつ。
 修道院長はザールブリュッケンの市長に上衣の裏地用の白布を与える義務を負う。
 船がヴェーアデン(Wehrden)の浅瀬で難破して、船を造らなければならなくなると、ヴァトガッセンのわが領主の手工業者は職人を雇ってシュプールク(Spurgk)に行き、そこで
舟板に良い木を探して伐り倒し、もし木が倒れて砕けたり、うまくいかないときは、良い舟板がつくれるように他の木を伐るべきである。こうして舟板ができたら、ヴァトガッセンのわが領主は舟板を集落まで運び、そこで船を造るべきである。船が完成すれば良いが、船をこわしたら、修道院長は食費と労賃を自己負担してもう一つの舟板を送る義務を負う。
 船ができたら、ヴァトガッセンの修道院長はその鍛冶職人を派遣して、船に四つの金具を打ち付け、うまく付けられたら、古い船の金具の鉄を撤去すべきである。そして古い船が共同体のものであれば、修道院長は船の金具を付けたままにしておくべきである。
 船が航行するにあたって、船頭はヴェーアデンの隣人たちを雇って乗船すべきであり、ヴァトガッセンのわが領主はその修道院で彼らに食事を支給し、各人の好みに応じてそれぞれ二つの焼き菓子を与えるべきである。そして船を曳く綱が必要であれば、ヴァトガッセンのわが領主は綱を貸し与え、綱がないときは、彼は鐘を鳴らすための引き綱を取って彼らに貸与すべきである。鐘楼の鐘が鳴るのは、この綱が戻ってくるときである。
 修道院長はヴェーアデンの船頭に聖マルティノの祝日(11月11日)の夜1ゼスターのワイン、1ゼスターのパン、2足の靴下、2組の手袋と一塊のチーズを支給する義務を負う。そのためワインを修道院に荷車で運ばなければならない。荷車がワインを修道院に運びきれない場合は、病院車でワインを修道院へ運ぶべきである。また荷車がヴァトガッセンから行くときは、修道院長は2人の船頭にそれぞれ2つの焼き菓子を与える義務を負う。



 6-1-5 リスドルフ Liesdorf (1458年)

(リスドルフは前掲ヴァトガッセン荘園に属するザール河畔の村で、今日ではザールルイ市の一部)


 裁判官のルーペルトは参審員に、自由裁判集会を開く時期はヴァトガッセンのわが領主の考えによるのかと問い、参審員は、「はい、その時期はわが領主の考えしだいである」と答えた。
 その後、参審員は次のことを法として指示した。すなわち、罰令および裁判管区に所有と相続財産をもつ者および管区内に住む者も全員招集すべきであり、自由裁判集会に出席しない者は、わが領主に贖罪金5シリング、参審員に12グロッシェンを納めるべきである。また管区内に財産をもつ者は、自由裁判集会に本人が出席すべきである。
 その後、参審員は次のことを法として指示した。すなわち、自由裁判集会の罰令の宣告をおこなうべきである。罰令の宣告は次のようにおこなわれた。すなわち、私は聖母マリア、ヴァトガッセン修道院の修道院長と修道士会、裁判所の荘官と全員のために自由裁判集会の罰令と平和を宣告し、誰も他人に席を譲ってはならず、退場してはならず、許可なく発言してはならず、喧噪と暴力を禁じる。一にも、二にも、三にも、罰令と平和は不変である。
 参審員は次のことを法として指示した、裁判所の誰かが罰令区の境界を定めるべきである。罰令区はまずブッデボルンから嘆きの石へ、嘆きの石からマイツェン・モルターまで、マイツェン・モルターから旧マルトヴェークまで行き、、旧マルトヴェークを出て沼地に向かい、シュヴァルツバッハの中へ入り、さらにザール川へ、ザール川の上流のフーゲルバッハまで、フーゲルバッハからフラウロイテルンのロセラーの森の向こう側へ、森に沿ってクリケルベルクまで、クリケルベルクからディッケルスフルトまで、ディッケルスフルトからロンメルスバッハの中へ、この川から再びザール川へ、そしてザール川をさかのぼってブッデボルンに戻る。
 さらに参審員は次のように指示する。すなわち、リスドルフの3名の自由民はつま先から頭の頂きまで武装し、甲冑で身を固め、左に刀、右に剣をもち、自由裁判集会のなかに立ち、不法あるいは暴行がおこなわれた場合は、武装した手でこれを防ぐ義務をはたすべきである。これを遂行せず、義務を怠った場合は、修道院長に贖罪金を納めなければならない。
 参審員は次のように指示する。すなわち、3名の自由民は罰令区内で捕らえられた囚人を見張り、指示された場所へ連行すべきである。また彼らは、修道院長が送らなければならない書状を、邦内では自費で届けるべきであり、邦外では修道院長が彼らに必要な費用を支給すべきである。そして彼らそれぞれの25頭の豚が放牧税を納めなくても木の実を食べられるように、洗礼者ヨハネの日(6月7日)以前に豚を注文あるいは購入すべきである。自由農民はボムヘンゼルの3分の2、古い飲食店ヘアツォーク・ヘンスゲン・ゲルストロイはその3分の1をもつ。
 参審員はあらためて次のことを法として指示する。すなわち、ヴァトガッセンの修道院長と修道院は最高領主として裁判管区の全罰令の制定と廃止の権利をもち、両者は隷民、漁獲、鷹狩、水、放牧地、森、賦役、命令と禁令、賭けごと、あらゆる暴力、不法行為、ありとあらゆる贖罪金と賠償金、地上と地下の拾得物、裁判所およびその他すべての地方官の任免の権限をもつことができる。
 参審員は次のことを法として指示する。すなわち、悪事をはたらく者が罰令区で捕らえられたら、古来の慣習どおり、ヴァトガッセンの修道院長の官憲にひきわたすべきである。修道院長は修道院の地方官をとおして再び元の罰令区に戻し、彼がなした功罪にかんする判断にもとづいて、裁判にかけるか、あるいは恩赦を与えることができる。
 参審員は次のように指示する。すなわち、ヴァトガッセンの修道院長と修道院はすべての計器、飲料と食糧の枡、ワインと穀物の枡、容量、長さ、ポンド、その他あらゆる重量と数量は上級裁判所の管轄に属し、例外なく、ヴァトガッセン修道院で検査すべきである。
 参審員は次のように指示する。罰令区においてヤギが生育するすべての高木林や藪林はヴァトガッセン修道院のものであり、そこで不法行為をなしたり伐採する者は、修道院長に贖罪金納付義務を負う。
 しかし参審員は次のように指示する。リスドルフには4名の自由農民がおり、グッケラーという名の自由農は、修道院が必要とする場合、荷車のために良い下男を提供する義務を負う。第2の自由農ランペルツは、グッケラーと同じように、荷車の手助けのための下男をさしだす義務を負う。ヤーコプ・プリューネンという第3の自由農は毎年聖ステファノの日(12月26日)に1頭の豚を修道院長に納める義務を負う。第4の農民フッサ―は、修道院長がハム(Hamm)に馬で行くとき、彼に同行して馬のくつわを取り、そして十分な装備を整えて、途中で修道院長が馬から降りるときは馬のあぶみをおさえるべきであり、毎年ステファノの日には1グルデンを修道院長に納める義務を負う。
 前述の7名の自由民は年間をとおして裁判官に協力して不服従と暴力をおさえて罰し、必要な場合は逮捕者を連行し監視する義務を負う。
 参審員は次のように指示する。すなわち、ヴァトガッセンの修道院長と修道院はリスドルフではいかなる人も自由な渡し舟で有料で輸送し、昼間の正しい時刻に集落の門の開閉にあわせて運航する。これに違反して輸送船の中に入った者は、その中にいるかぎり捕らえられることはないが、輸送船で不法行為をなした者は修道院長に捕らえられ、修道院長はその判断により上下級いずれの罰も科すことができる。
 参審員は次のように指示する。すなわち、ヴァトガッセン修道院長と修道院は二つの自由製粉所をもち、その一つはリスドルフ、他の一つはボマースバッハにあり、全罰令区内のすべての住民は法によりそこで製粉を強制されるべきであり、製粉屋は輸送船と同じ自由をもつ。
 参審員は昔からおこなわれてきたとおり、次のことを法として指示する。すなわち、罰令区内に家屋敷または他の相続財産をもつか、あるいはたまたま売買によって追加の相続財産を得た者は、リスドルフの荘官と裁判所にその取得、相続および相続放棄を届ける義務を負い、全罰令区でそうした相続財産の売却分はヴァトガッセン修道院長と修道院に3分の1税を納める義務を負う。
 参審員は次のように指示する。すなわち、全罰令区で家、屋敷、納屋その他の相続財産をもつ者は、良い建築状態での管理、維持および保持の義務を負い、これに違反すれば、修道院長の慈悲により贖罪金が徴収されるが、その場合修道院は彼の貢租、死亡税、世帯税、賦役等の免除はおこなわない。
 参審員はヴァトガッセン修道院長と修道院に次のように指示する。すなわち、罰令区内で煙が昇るどの家も毎年3羽の雄鶏を納める義務を負う。ただし、エンスドルフとシュヴァルバッハの家はこれから除外する。なぜなら、そこではフラウエンラウタン修道院と若干の他の自由地域が罰令区と同じ権利をもっているからである。
 参審員はヴァトガッセン修道院に次のように指示する。すなわち、その貢租は第一に5月に20フント・ペニヒ、秋にも20フント・ペニヒ、そして聖レミギウスの日(10月1日)に40マルタ―の2種類の作物である。参審員は荘官と徴税吏にどこで徴収すべきか指示する義務を負い、参審員は毎年1クヴァルトの穀物を得るべきであり、荘官は貢租の徴収をすませたら、2名の徴税吏にそれぞれ2シリングの貢租を譲渡すべきであり、シュヴァルツバッハの貢租は収入には算入されず、病院長のものとなる。グリスボルンの貢租も収入には算入されない。
 参審員は修道院長にも次のように指示する。すなわち、荘官と徴税吏は豚、作物、硬貨、金銭、カワメンタイ、鶏、コショウ、その他のほとんどの貢租を徴収することを十分心得ている。
 参審員は次のことを法として指示する。すなわち、修道院長あるいはその地方官のために存在しており、また存在すべき笛吹きはいかなる結婚式でも1マースのワインを参審員にふるまう義務を負い、聖ステファノの日(12月26日)にはかならずヴァトガッセン修道院へ2尾のカワメンタイを納める義務を負う。
 参審員は次のように指示する。すなわち、罰令区内の森林に埋蔵物があれば、修道院長はそれを開発する権限をもつ。
 参審員は次のことを法として指示する。すなわち、罰令区内で許可なく木を伐る者は、修道院長に5シリング、参審員に12ペニヒを納めなければならない。だがそれが有害な木であれば、修道院長の恩赦により罰を免れる。参審員は次のことを法として指示する。すなわち、罰令区内における開墾地については、領邦の法令が定められるべきである。参審員は次のことを法として指示する。すなわち、修道院長またはその地方官の許可なく新しい土地をきり開いてはならない。
 参審員は次のように指示する。すなわち、裁判管区内の家がこわれたら、修道院長あるいはその地方官は、他の相続財産または抵当を贖罪金と建築費にあてることによってその家を取得できそうな者に所有を促し強制すべきである。
 参審員は次のことを法として指示する。すなわち、5シリングを超える価値のある魚をとった者は、修道院長に代金と引き換えにそれをさしだすべきである。
 参審員は次のように指示する。すなわち、罰令区で助けを呼ぶ声あるいは騒ぎが起きたら、そのたびに修道院長に5シリング、参審員に12ペニヒを納め、手足に怪我を負ったり流血したら、そのたびに修道院長に60シリングと3ヘラー、参審員に6シリングを納め、助けを呼ぶ声や人だかりが夜陰に起きた場合鑿による傷害は、修道院長の恩赦があれば罰を免れる。
 参審員は次のことを法として指示する。すなわち、罰令区内の水は修道院長のために存在してきたので、ハムで建築しなければならないとき、漁師は荷車1台の木材をそこへ運ぶ義務を負い、修道院長が秋にハムで樽を必要とするなら、彼らはXriermdまで運ぶべきであり、そこから先は修道院長が輸送することができる。
 参審員は次のように指示する。すなわち、リスドルフとエンスドルフのすべての十分の一税はいずれもヴァトガッセン修道院長と修道院のものであり、それゆえリスドルフの住民はそこの二つの荘園に種牛を求め、エンスドルフの住民は新しい荘園に求めるべきである。また修道院長はシュヴァールバッハの十分の一税の一部ももっている。
 参審員は次のように指示する。すなわち、修道院長はかつて罰令区において毎年2回禁制ワインを酒場で売る権限をもっていた。だが、その売れ行きが悪いと返品されるので、正当な領主としての修道院長には不都合なことであり、そこで最良の用途のための税金をつくり、修道院長は次のような権限をもっている。すなわち、罰令区でワインを小売りする者は税金を納める義務を負い、参審員にはワインの栓をあけさせ、彼らにも1マースのワインに相当する権利を与えるべきである。

 6-1-6 ケラータール Köllerthal

(ケラータールはザールブリュッケン近郊の集落で、森林に恵まれる)


これはケラータールの裁判集会のヴァイストゥームである。

 市長が着席すると、廷吏が来て市長に杖を与える許しを求める。
 そこで市長は参審員に、わが領主ザールブリュッケン伯のためにその裁判集会を開催するときであるかと、問う。そこへ参審員が来て、「そのときであり、裁判集会のときであるとおもう」と答える。
 そこで市長は参審員に次のように問う。すなわち、裁判集会を開き、それに出席し、私に法を示すときなので、領主の支配を守り、誰も不法をおこなわないようにするには、何をなすべきか。
 それに答えて、参審員は次のように指示する。すなわち、裁判所は領主の統治を守るべきか、問うべきである。そしてそれが命じられれば良しとするが、そうでなければ命じるべきである。
 次に何を始めるべきかと問われて、参審員は次のように指示する。すなわち、法により裁判集会に来るべき者全員が出席しているか、荘官、森林管理人および廷吏に問うべきである。全員がそこにいれば良いが、そうでなければ誰もが5シリングの贖罪金を科される。
 次に何をなすべきかと問われて、参審員はわが領主のために裁判集会を開催すべきであると指示する。
 裁判集会を開催すべきなのかと問われて、市長が参審員の1人にそうすべきだと命令したと答える。そこへ当の参審員が来て言う。「市長殿、あなたは裁判集会を開くことを私に命じられたか」と問うと、市長は、「そのとおり」と答える。
 そこで彼は言う。「私はわが領主ザールブリュッケン伯のために、市長のために、荘官のために罰令と平和を実行する。法によって裁判集会に属する全員は、ここに出席しているか、参集しており、誰も許可なく市長の椅子を占めてはならず、誰も許可なく他人に話しかけてはならず、誰も許可なく他人をオルガンのような大音声で威圧してはならず、私は一にも、二にも、三にも平和を語り、市長が命じたことは守られる。
 裁判集会に出席できない者は、5シリングの贖罪金、1 ゼスターのワインを参審員の慈悲に対して納める義務を負う。
 参審員は次のように指示した。すなわち、桶の水が滴り、煙が昇るいかなる家の所有者も3グロッシェン、3羽の鶏、1/2羽のガチョウを納める義務を負い、寡夫も同じ義務、寡婦はその半分の義務を負い、参審員は免除される。
 参審員は次のように指示した。すなわち、狩猟権エンバクを納める者は共有林で彼の豚を屠畜することができ、森林の木の実が3倍に増えたら、豚の放牧税を納めるべきではない。
 参審員は次のように指示する。すなわち、荘官、森林管理人、廷吏および村民にわが領主支配の弱体化について何か知っているか問うべきであり、人、家、道、森、水、放牧地、採草地、耕地、野原、漁獲と鷹狩、罰令と人について、すべて例外なく、領主とその夫人に職務上おこなう宣誓にあたって、述べるべきである。
 参審員は次のように指示した。すなわち、御料林で実をつける樹木を伐る者は、伐った量と頻度に応じて、それぞれ60シリング1ヘラーを科される。
 参審員は次のように指示する。すなわち、荘官は御料林を保護する義務を負い、誰もそのなかで許可なく木を伐らないように御料林を守るべきであり、領民がそこを通りかかって、木の枝が折れたら、彼はその裂け目をふさぎ、御料林の木を伐採したり切ったりすべきではない。
 わが領主がケラータールに対して禁制ワインを設定する場合、禁制ワインを売る者は十分の一税から半マルタ―のライ麦を納める義務を負い、その義務により人々に食用ライ麦パンを提供するべきであり、そうすれば人々はワインを飲みに来る。また彼はこれらの人々の食事をつくるための木を御料林で与えられるべきである。


 6-1-7 ザンクト・アルヌアル St. Arneval

 

(ザンクト・アルヌアルは今日では州都ザールブリュッケンの一部であるが、当時よりザンクトブリュッケンと深いかかわりをもっていた。)


 これはザールブリュッケン伯がザンクト・アルヌアル村とその村民および村に属するすべてに対してもつ法と支配である。
 第一に、伯爵はそこに上級裁判所をもつ。
 村民は毎年3週間ザールブリュッケンで城塞工事を自費でおこなう義務を負う。家がいくつかあれば、死ぬ人も幾人かいるにちがいない。また略奪と火災によって家の数がいくつか減れば、伯爵は賦役を幾分か失ってしまう。それゆえ、伯爵に不法をおこなって損害をもたらすことがないように、こころがけるべきである。
 彼らは伯爵の呼びかけと角笛に応じて、必要とあらば、ザールブリュッケンの人々と同じように、ザールブリュッケンに来る義務を負う。
 ザールブリュッケンで、あるいはザールブリュッケンに属する裁判所管区で捕えられた者は、ザールブリュッケンで有罪判決をうけるべきであるが、ザンクト・アルヌアルに属する参審員と裁判所はザールブリュッケンに来て、ザールブリュッケンの参審員に対して彼の有罪を宣告しなければならない。またザンクト・アルヌアルの村民は有罪宣告をうけた者をハーベシットの絞首台の下まで連れていかなければならず、これにそむく者は最高の贖罪金を科される。
 キルケルの住民はザンクト・アルヌアルで誰も逮捕することができず、逮捕すべきでもなく、ザールブリュッケンの伯爵の城にも連行できない。
 彼らはザールブリュッケンで大自由地と小自由地を自費でつくる義務を負う。それゆえ、村民を追放し傷害を負わせる者は、伯爵に不法をおこない、彼の法と彼の功績を奪うことになる。
 ザンクト・アルヌアルの村民はザールブリュッケンへの移住権をもち、誰も彼らを妨げることはできない。
 ザンクト・アルヌアル荘園における人と罰令を聖堂参事会にゆだね、参事会は荘園におけるすべての裁判所を設定する。荘園で人身を襲ったり、家に放火する者は、聖堂参事会に不法をおこなう者である。参事会が正当な罰令領主であり、聖堂参事会に不法がおこなわれるなら、それはザールブリュッケン伯に対する不法である。聖堂参事会は伯爵の保護下と手中にあり、古来よりザールブリュッケン伯以外に領主も保護者ももってはいないのである。
 これらの点で伯爵の考えでは、当荘園においてキルケルの領民に対して略奪や放火をすることは誰もできないし、伯爵に不法と暴力がおこなわれることはない。


  1417年

 ザンクト・アルヌアルの裁判集会には司教座教会の裁判官、14人の参審員が肩までおおう頭巾をかぶって出席すべきである。
 参審員は司教座教会に次のような法を知らせる。すなわち、罰令と人、森と道、水と牧場、道路と橋、地上と地下の拾得物、鷹狩と漁獲は司教座教会の管轄に属する。
 参審員は次のような法を知らせる。すなわち、司教座教会の領民は彼らのすべての障害を彼らの教会の裁判官に訴え、他者に訴えてはならない。もし教会の裁判官が彼らを懲らしめることができないなら、裁判官は代官にこれを伝えて、代官が彼らを懲らしめるべきであり、彼の権利を取り上げて、司教座教会に留保すべきである。
 司教座教会のすべての裁判官は代官のあらゆる命令、査定、要請あるいは要求から自由たるべきである。
 裁判官または参審員が捕らえられた場合、司教座聖堂参事会は彼らとその財産を保護すべきである。しかし彼らを援助することができない場合は、この件はさらに教会代官にゆだねられ、彼が援助すべきである。
 参審員は次のように知らせる。すなわち、パン焼き所に住み、司教座聖堂参事会のためにパン焼き所をもつ者は、村落になされるすべての命令から自由であり、領主自身と同じように自由である。彼に対してパン焼き所で傲慢な態度をとる者は、教会への贖罪金を科される。参審員は次のような法を知らせる。すなわち、相続地を売ろうとする者は、まず正当な相続人に優先的に譲渡し、次いでフーフェ保有農民に譲渡すべきである。フーフェ保有農民がそれを買いたくない場合は、まず教会に譲渡すべきである。その後彼は荘官と参審員の仲介により売ることができるが、いつでも司教座聖堂参事会はそれを保留する権利をもつ。
 もしザンクト・アルヌアルで財産を奪われた者がいれば、教会代官は、彼をザールブリュッケンとサンクト・ヨーハンの市民と同様に助けて取り戻す義務を負う。それゆえ、彼らは教会代官に対して2艘の船を新しくつくる義務を負う。また年に1週間ザールブリュッケンの溝を掃除する義務も負う。もし誰かが逃亡したら、一昼夜自費で彼を追跡する義務を負う。ザールブリュッケンの市民が帰ってきた場合は、彼をさらに追及すべきではない。
 ザンクト・アルヌアルの司教座聖堂管区の領民がメッツ司教区に住みたいとおもい、財産を積んだ荷車の前輪がアンバッハ川を越え、司教座教会の代官のもとに到着すれば、彼は領民を阻むべきではない。領民が救助を求めれば、彼は彼らを援助すべきである。彼がアンバッハ川のこちらで彼らを見つければ、彼らを阻止すべきである。またザンクト・シュテファンスの領民も同じ権利をもつ。
 彼らは犂耕用農具のための木を必要に応じて伐採する権限をもつが、それ以上の権限はない。
 ルフリンゲンの教会地方官は犂耕用農具のための木を伐採する許可を廷吏に求めるべきであり、森からそれを持ちさり、木の枝と木屑を森に残すべきである。 
 ギューディンゲンとデューディンゲンの住民は廷吏に犂耕用農具のための木を伐採する許可を求め、それを肩にかついで運ぶべきである。木の枝と木屑は森に残すべきであり、それを実行しない者は贖罪金を科される。
 参審員は次のように指示した。すなわち、風が木を倒し、これを見つけた者がただ1人であれば、彼は誰に問うこともなく、その木を家にもち帰ることができる。その木を見つけたのが2人であれば、彼らはそれを知らせ、木を荘園で利用するために残し、荘園からもち去るべきではない。
 ザンクト・アルヌアルの領主が木を一本または数本伐採しようとする場合、その枝葉は森林管理人のものであり、他の誰のものでもない。森林管理人は枝葉を一ヶ月以内にもち出すべきであり。この期間を過ぎれば、これを見つけた者がもっていくことができる。
 木を伐り落すか焼き払う者は、いかなる罰をうけるのかと問われて、参審員は次のように指示した。すなわち、焼き払った者も、切り落とした者も、同じように7シリングの贖罪金を科され、教会裁判官に2シリング、教会代官に5シリングを納めるべきである。彼が担保をさし出す場合は、司教座教会の慈悲をうける べきであり、その木は司教座教会のものとなる。
 参審員は次のように指示をした。すなわち、共同体はパン焼き職人の身柄をパン焼き所で暴力によって拘束する権限をもたないが、その扉の前で彼を見つければ、身柄を拘束することができる。

 6-1-8 ヘルビッツハイム Herbizheim (1458年)

(ヘルビッツハイムは、今日では自治体ゲルスハイム Gemeinde Gersheimの1地区である)


 第一に、あるよそ者がヘルビッツハイムに来て、マリエンマンという男に債務の支払いを荘官をつうじて要求したら、彼らの一方は他方の権利にしたがうべきかと問われ、参審員は次のように言明する。すなわち、債務者が担保をもつかぎり、彼の身柄を拘束すべきではなく、荘官が彼に対する法を発見し適用すべきである。
 ヘルビッツハイムの荘官はあらゆる事柄を裁き判断をくださなければならないが、5種類の事犯、すなわち窃盗、強姦、放火、殺人および刺傷について法を示さなくてもよく、これら5つの事柄については、教会代官が裁き判断する権限をもつ。
 参審員は次のように指示する。すなわち、荘園ではいかなる者も彼の最期の死の床で彼の親族の意志に優先して、彼の魂の救済のために彼の動産30グルデン、相続財産30グルデンを超えて贈与をすることはできない。
 荘園の領民が結婚式またはbrulafftをおこなうことになり、笛吹師あるいは雌豚の肉切り人を必要とするなら、身分にとらわれることなく、自分の意志にしたがって雌豚の肉切り人、料理人または笛吹師を雇うことができる。
 荘官は毎年5シリングの価値がある豚1頭を代官に提供し、森林管理人は代官に2.5シリングの価値の豚1頭を提供すべきである。また荘官も森林管理人もそれぞれ代官に毎年60竿の麻を提供する義務を負う。提供する麻は、黒い外套の上で打っても屑が落ちてこないような純粋なものであるべきである。多くの屑が落ちるようなら、それぞれ代官に60シリングの贖罪金を納めるものとする。荘官が代官のところから帰ったら、彼はどの手にも1マースのワインをもって、女子修道院長のところへ行き、彼女に、「代官はあなたをお迎えして、あなたに来ていただいたことに対して、目に涙を浮かべて感謝した」と伝えるべきである。
 参審員は次のように指示する。すなわち、ヘルビッツハイムの荘官の任にあった者が、その地位にとどまりがたい場合は、彼が在職中に審理、遂行および処理された事柄すべてについてあらためて考えるべきである。
 ヘルビッツハイムの荘官が裁判の席に着き、代官および教会代官の従者が彼のかたわらに同席し、参審員が退席して協議する場合、代官の従者は参審員に呼ばれてその協議の場へ行ってもよいのかと問われて、参審員は次のようにいう。すなわち、それは荘官が判断すべきことであり、誰が参審員のところへ行こうとも、悪事をはたらくわけではない。
 不法行為者が荘園で見つかった場合、誰も勝手に彼に襲いかかるべきではない。彼を捕らえて、教会代官の従者に知らせ、従者が彼を連行すべきである。
 悪事をはたらく者とは何かと問われて、参審員は次のようにいう。すなわち、それは窃盗、殺人、放火、強姦および刺傷の5種類の事犯の一つをなす者のことである。
 当地の財産が競売にかけられるといううわさが広まり、債務履行を求める呼びかけの声が発せられ、荘園の教会代官が領民に対して、そうした財産の救済のために彼のもとへ来るように命じるなら、彼らはそれにしたがうべきであり、その任務をはたさず、家にとどまっている者は、教会代官に対する5シリングの贖罪金を科せられる。彼が妊産婦をもつ場合は、その妊産婦のもとへ夜に帰ることができるより遠くに行くべきではない。教会代官はザンクト・シュテファンの領民、ザンクト・マリエンから奪われた財産を同時に守ることができなければ、ザンクト・シュテファンの財産を放置しても、ザンクト・マリエンの財産を守ることができるよう努める責任を負う。教会代官はザンクト・シュテファンの所有を保護するために出動し、荘園の領民にアルバンへ来てその土地を見張るように命じたら、彼らはそれに従って、一昼夜自費で見張るべきである。その後さらに彼らを必要とする場合は、さらにとどまるように彼らにいうべきである。
 メッツの司教が出征し、ザンクト・シュテファンの所有を守るために3日間野営したとき、アルバンの教会代官は荘園で2台の馬車を求めることができ、馬車1台について5頭の馬と2人の従者および1個の樽をアルバンの司教の家に送るべきであり、それとともに3頭の若いいのししも送るべきである。そのうち2頭は法により、1頭は慈悲による。いのししはどれも18シリングほどの良いものであるべきである。馬車がアルバンに来たら、市民の馬車が先導し、その後に彼らの馬車が進み、市民の馬車が引き返したら、彼らも引き返し、何度も引き返すたびに、教会代官は2台の馬車で送ったものすべてを再び送るべきであり、これがおこなわれない場合は、もはや互いに馬車を送る義務を負うべきではない。


 6-1-9 ナールバッハータール Nalbacher Thal (1532年)

(ナールバッハ―タールは複数の集落からなる渓谷で、今日では4地区からなる自治体でナッハバールと称する)


 参審員はザンクト・ジメオンの領主を正当な土地領主および半代官と指示し、領主に人と罰令、水と道、漁獲と鷹狩にかんする権限を認め、また、生者には十分の一税と地代、死者には死亡税を課すことを法として指示した。ナールバッハの渓谷と罰令区において一家の家長が死亡すれば、土地および授封領主の荘官は7名の参審員とともに死者の家におもむき、死者の未亡人または相続人すべての動産をさしだすように求めるべきである。そしてそのうち一部は死者の寡婦または相続人の取り分として除外された後、一部は授封領主の荘官にも死亡税として除外される。寡婦または最近親の相続人がそうした死亡税を買い取ることを望むなら、授封領主の荘官は彼らにそれを許可し、参審員と裁判所の審議によって買取りを認めるべきである。こうして寡婦または相続人が買い取れば、彼らは参審員に1ゼスターのワインを納める義務を負い、領主は2分の1ゼスターのワインを受けとる。貧しくて3本脚の椅子を置けるほどの土地ももってない者であれば、その寡婦または相続人は、その3分の1を取得し、残りは土地領主が取得することによって、土地領主はその支配と権利を保つであろう。
 ナールバッハの禁制製粉所は自由をもち。禁制圏の住民の誰もが製粉義務を負い、自分の穀物を製粉するために製粉所に運んでいる途中で、彼の債権者が彼と出会っても、彼を逃げさせるのではなく、製粉するために自由に通行させなければならない。
 製粉屋は検定をうけた樽と四分樽、また32鉢で1樽に相当する鉢をもつべきであり、領民の穀物を量るべきである。1樽の穀物は前述の32鉢より大きくてはならない。穀物が集められたら、製粉屋も集められた分量をひきうけるべきである。製粉屋の準備が整いしだい、彼は誰の穀物でも製粉すべきである。しかし製粉屋の準備が整ってなければ、領民は3日間待つべきであり、その間製粉屋は待っている者に毎日彼の子どもが飢えないように菓子を焼けるだけの量の粉を与えるべきである。だが3日経っても製粉屋が準備できなければ、領民はもっと長く待つか、待たないで他の場所で製粉してもよい。また製粉所の向かいに垣根で囲まれてはならない場所があり、製粉に来た者はその馬をそこに放牧できる。
 いかなる女もその中で糸巻ざおまたは糸巻棒で紡ぐべきではない。
 すべての禁制製粉所は封鎖されることはない。
 不埒で不遜な行為をした者が製粉所に入るなら、彼がその中で助けをうけられるかぎり、また死罪を犯さぬかぎり、自由である。
 製粉所に開放された自由な御料林では、誰も木を伐ってはならず、禁制製粉屋だけが製粉所に必要な建築材を伐ることができる。洪水で禁制製粉所がこわれた場合には、当御料林の禁制製粉所地区内に住む者は誰でも、製粉屋の要請により、木を伐って洪水で堤防がこわれた地域に木の束と杭を運んでいくべきである。禁制製粉屋はそこに行き、どこに木の束を置くべきか、指示すべきである。そこに木の束が置かれ、そのなかに杭が打ちこまれるべきである。それは領民が領主に禁制製粉所のためにおこなう賦役ではあるが、年に1回にすぎない。
 木の実が落ちるのは聖レミギウスの日(10月1日)の頃であり、その日以前は誰も許可なく森林に豚を放牧すべきではない。許可なく森林に豚の放牧をおこなった者は、贖罪金の義務を負う。さらに聖レミギウスの日の後に、聖アンドレの日(11月30日)が来て、その日に木の実が食べ尽され、その日に7名の参審員は荘官にすすんで従い、荘官はナールバッハの豚の放牧を停止すべきである。家畜番人は豚を指定されたシデの木の場所まで連れていき、そこで放牧すべきである。彼は家帰り、1フィーアリングの穀物をもって、ナールバッハの禁制製粉所に運び、そこで製粉してもらい、穀物が製粉されたら、その粉を家にもち帰り、自分で菓子を焼いて袋に入れ、前述の豚のところへ行くべきである。そして豚が森のなかへ入れば、豚は放牧税を課せられる。だが、森の中へ入らなければ、放牧税は課せられない。放牧税を課せられる場合、完全な豚は3トリーアグロッシェン、屠畜用の豚はその半分を課せられる。酵母とビールを提供すれば、いずれの税も免除される。1軒の家に豚が2頭いる場合は、その放牧税は授封領主の荘官のものとなり、1軒の家に1頭しかいない場合は放牧税は廷吏のものとなる。
 渓谷または荘園で建築をしたいとおもい、建築材を必要とする者は、荘官に許可を求めるべきである。彼が正当な理由もなく、怒りや憎しみからそれを拒否した場合は、自分の目的のために木を伐ることはできるが、それ以外は伐れない。風やその他の原因によって倒れた森林の木は、荘官が参審員の助言と保護により売るべきである。そこから得た金額は、領主と共同体が同意すれば、領主と共同体の利用と必要のために留保され、共同でおこない調達すべきものがあれば、その費用にあてるべきである。
 長い茎に手をさし出すことによって、2名の廷吏は授封領主と共同体に宣誓をおこなうべきである。両名は長い茎を守ることによって、広くナールバッハ渓谷の全罰令区と支配領域を守るべきである。作物に被害が生じ、廷吏たちが証人または担保を明示できない場合は、廷吏たちは被害者に損害賠償をする義務を負うべきである。
 土地および授封領主が狩りをしたい場合、代官に迷惑や支障がなければ、午前中におこなうことができる。また代官は午前中にその網を調達して、土地領主はそこで狩りをし、代官には狩りを許そうとしない場合には、代官は授封領主の要望に応じてその網を受けとり、土地領主の邪魔をしないよう、午前中は彼らの思い通りに狩りをさせるべきである。しかし午後には授封領主も代官もともに狩りをして、分かちあうこともできる。その場合、ナールバッハタールのいかなる住民も野ウサギかキツネを狩る権限をもつ。
 参審員は、授封領主の荘官が領主のために聖レミギウスの日(10月1日)から復活祭までにかぎり漁業をおこなうことを法として指示する。そして漁業権を安くすることができるなら、それを賃貸してもよい。ただし、渓谷に住むいかなる領民も籠や網を用いて漁師の仕事を制限したり妨げることがないという条件で、許可される。水の中を歩くことができる場合にかぎり、魚をとってもよく、復活祭後聖レミギウスの日まで渓谷のいかなる住民もブレムツ川で魚をとってもよい。賃貸料の3分の2は土地領主に、3分の1は代官のものとなる。
 参審員は次のように指示する。すなわち、最上級の代官所管区は最下級の代官所管区とともに、また中級の代官所管区は最上級の裁判所管区とともに、普通の地代によって住民を保護する。これらの管区は相互に住民を適切に保護してきたので、住民はその動産と財産をもって三管区のうち好ましいとおもわれる管区に移住することができる。とはいえ、住民がどこへ行こうとも、農家の由来と住宅は残しておくべきである。そして最初に貢納者となり定住した場所で、彼は生涯貢納と地代を負担する者にとどまるべきである。さらにナールバッハ荘園および渓谷の外で保護をうけ結婚した者も、そうすることができ、領主への貢納と地代により、授封領主および代官に妨げられることなく、彼の相続財産を受け継ぎ、nachthenenするべきである。
 ナールバッハ渓谷に定住している者が負債、貧困、ねたみ、憎しみその他の原因でもはやそこにとどまり住みつづける意志がないか不可能であり、他の場所へ移住したいとおもう場合、負債を負っている領主と隣人に支払いをすませたら、動産をもって自分の行きたい所へ移住してもよい。そして彼が移動の途中で、悪路で立ち往生し、援助なしには進めなくなり、代官所の誰かに出会ったら、代官はその下男を馬車から降ろして彼の移動を助けさせるべきである。下男一人で彼を助けられなければ、代官は馬車の外へ出て、彼の移動に支障がないように加勢すべきである。こうして領民が動けるようになれば、代官は、彼が随意に移動して、いつかもっと多くの動産をもって帰って来るように、彼を祝福すべきである。
 庭または屋敷内にオークの木がある場合、それを鎌で伐り落してはならず、伐り落した者は、贖罪金を科せられる。
 参審員は次のように指示する。すなわち、代官が争いその他で敵対しようとするなら、彼はあらかじめ14日前に授封領主に警告すべきである。その場合ザンクト・ジメオンの土地領主は、この代官あるいは代官たちに対して平和を守るように教示すべきである。だが代官たちがそうすることができないか、そうするつもりがなければ、彼らは当渓谷の領民に対して14日前に警告を発し、領民が彼らの家から麦わらを運んで、天井や壁のクモの巣をはらい、頭をのせられる程度の麦わらを家に残すようにいうべきである。そうしたことがおこなわれたうえで、それでも自分の家を焼失する者がいれば、土地領主は彼の家を再建すべきである。耕作者も心配なく自由に犂で畑を耕すべきである。彼は、敵が来るのをみたときには、上着か外套をまとって犂のうしろに立ち、頭には帽子か頭巾をかぶり、彼の下男は先頭の馬を手で導いて犂の傍にとどまるべきである。土地領主は彼らの自由と解放のために全力を尽くすきである。しかし、彼らが逃亡した場合は、領主は彼らのためになすべき責任を何も負わない。


 6-1-10 ブリースカステル  Blieskastel (1540年)

(これはブリースカステルの上級裁判所のヴァイストゥームである。)


 裁判長が参審員に「裁判集会を始めるときか」と問うと、参審員は「領主が望むなら」と答える。裁判長が参審員に「裁判集会を開くときか」と問うと、参審員は「それは領主の意志しだいである」と答える。裁判長が「誰がそれを開くのが正しいか」と問うと、参審員は「市長が上級裁判領主、市長と下級裁判官、裁判所のために開くべきである」と答える。裁判長が「あなた方は誰を正しく最高領主と認めるか」と問うと、参審員はトリーアのわが領主、敬愛する選帝侯とエルツの尊敬すべき領主フリードリヒ(ナッサウのわが荘園領主)と答える。裁判長が「領主たちは命令と禁令をことごとく彼らのおもいどおりにおこなうべきか、またそこで誰が狩猟区を囲って狩りをするのが正しいか」と問い、参審員は「前述の領主たちはそうすべきであり、狩猟区を囲って狩りをする」と答える。しかし、領民が犬をつれて野外に出かけ、野ウサギをつかまえたら、領民はその野ウサギをこどもたちとともに食べてもよい。
 ある領民が領主支配地で耕作をおこない、そこが異郷あるいは故郷であれ、教会領あるいは世俗領であれ、損害を被った場合、被害者の損害を償いうる担保が提供されるべきか、裁判長が問うと、参審員は村落の村長に担保がさしだされるべきであると答える。領民が犂と馬で耕し、石を危険のないように掘り出した場合、彼は静止して、警官を呼ぶべきである。警官が来なければ、裁判所廷吏を呼ぶべきである。廷吏が来なければ、荘園使用人を呼ぶべきである。荘園使用人がいなければ、彼は彼の帽子をその穴の中に置いて、村へ行き、警官に告げて、その償いがなされるべきである。そうすれば、彼は領主にとがめられることなく、裁判所の法が適用される。警官と裁判所は話し合いの日を設定して、それを守らなければならないが、話し合いの内容と当事者が折り合わなければ、警官は復讐の日を設定し、領主のために市長と下級裁判官を呼ぶべきである。ある男または女が領主に従属することなく世帯をもち、1年と1日そこに定住すれば、上級領主に従属する。そうした男または女が死亡して、相続権をもつ子どもがいなければ、残された財産は法によって誰のものとなるべきかという問いに、参審員は答えて、死後初日、7日目、30日目の追悼ミサに神の法を実行するように指示する。すなわちこの期限までに死亡者の親族であることを証明できる親族が現れれば、彼にその財産を相続させるべきである。
 この領地の地下または地上で拾得物が見つかった場合、またそれが5シリングを上回る場合、それは上級裁判領主に属する。飼い主不明の家畜が領主の支配領地に来たとき、それが領主のものとなるのはどれくらいの期間が経ってからであるかという問いに、参審員は、6週と3日経てば、そうした飼い主不明の家畜は領主のものとなるべきであると答える。
 あらかじめ荘園法と慣習にしたがって調べもしないで、自由裁判集会で誰かある者を告訴すれば、それは領主にどれほど納めるべき罪になるかという問いに答えて、参審員は重い贖罪金を指示する。
 必要により枝を搬入することを領主が求めた場合、誰がこれをなすべきか、また誰がそれに協力するのが正しいのかという問いに答えて、参審員は最年少と最年長の参審員および共同体の全員が枝を運ぶのが正しいと指示する。森林のどんぐりの利用を領主が享受するのは、正当であるかという問いに、参審員は、上級裁判領主が日中に出かけて製粉所の水車の下で家畜に水を飲ませ、日中に帰宅しなければならないと答える。

 6-1-11 ブリックヴァイラー Blickweiler (1535年)

(ブリックヴァイラーは、今日前述のブリーフカステルに属する1地区である)


 当罰令区で狩りをし、狩猟区を囲い、漁をすることができのは誰かと問われ、参審員は次のように指示する。すなわち、領民は漁網をもってブリース川へ行き、魚をとることができるが、底引き網を設置してはならない。だが、溺れるほど深く川の中へ入る者は、その財産をわが領主に没収される。狩猟区を囲い、狩りをすることは、トリーアのわが領主とその地方官以外には許されない。


 6-1-12 オルマースハイム Ormersheim (1525年)

(オルマースハイムは今日、自治体マンデルバッハタールの1地区である)


 当罰令区ではわが選帝侯が狩猟、狩猟区の設定および漁獲の命令と禁令をおこなう権限をもち、それ以外は誰ももっていない。ただし、領民は獲物を売らず、禁止されないかぎりは、いつでも野ウサギをつかまえ、網で漁をすることができる。

 6-1-13 エルフヴァイラー Erfweiler  (1421年)

(エルフヴァイラーは今日ザールラントではなく、ラインプファルツ州に属する山村である)


 1421年聖ヤコブの日(7月25日)の後の月曜日エルフヴァイラーに21人の参審員が出席して後述のように法を指示したことが、知られるべきである。最初に21人の参審員が出席し、最後に領主が裁判所に出席したとき、彼らは法を示した。彼らははまた、次のように指示した。すなわち、裁判領主は計量器すべてを例外なく検定する権限をもち、司法官と裁判補佐官は領主のために検定をおこなう。彼らは、また次のように指示した。すなわち、領主がその財産を奪われ、裁判所管区内に住む者に命令が出されたら、彼らは一昼夜追跡して、最善を尽くして財産を守るべきである。また彼らは次のように指示した。すなわち、領主は裁判所管区内に住む人々から、財産が奪われたことを聞いたら、奪われた彼らの財産をさておいても、他の財産を守るための支援に最善を尽くし、一昼夜自費で追跡すべきである。彼らは次のように指示した。すなわち、21人の参審員が住む裁判所管区で不法行為者が捕らえられたら、いかなる結果になろうとも、捕らえられた者をカステル家に引き渡すべきであり、カステルの参審員に彼についての判断、証明、求刑をおこなうべきであり、しかる後21人の参審員による裁判をうけ、カステル家は彼をアスヴァイラーの裁判補佐官の門に、あるいはアスヴァイラーの自由屋敷に連行すべきであり、裁判補佐官は彼をブナの茂みの所へ連れていき、そこで司法官に引取ってもらい、司法官は彼を裁判所に連行すべきであり、そこで裁判がおこなわれる。そして裁判補佐官ははしごを準備して、オーマースハイムの領民は処刑台、左に曲ったオークの木、荒縄を準備し、最後に判決をくだすべきである。彼が裁判所にひき渡されたら、参審員は次のように指示するべきである。すなわち、彼を悪事をはたらく者と判断し証明したか、カステルの参審員に問いただすべきである。 
 参審員は次のように指示した。すなわち、彼らは鷹狩と漁獲、水と牧場にかんする権限を裁判所の領主から得ているが、領民はそれらを享受すべきである。
 彼らはまた次のように指示した。すなわち、裁判所管区に来たか、そこに所在する者が、そこで法を求め、財産の入札を希望するなら、彼は裁判所管区に属する地方官とともにそれをおこなうべきである。裁判所での協議により和解にいたり、その後和解が破棄された場合、和解の破棄は領主に対しても仲裁人に対しても、仲裁人が認めたとおりに、なされるべきである。参審員はまた次のように指示した。すなわち、誰も自分の使用人に2シリングを超える入札を裁判所でおこなってはならず、それより高い値をつけて、入札が無効となったら、それは裁判所の領主のものとなる。
 参審員はまた、次のように指示した。ある女または男が裁判所管区に移住して、領主に追及されることなく、1年と1日住めば、裁判領主にしたがう。また彼らは次のように指示した。この女または男が相続人なく死亡すれば、農地を管理人に1年と1日預けて、誰かが財産の相続人の1人だという証明書を持参したら、彼にそれを相続させるべきである。しかし、誰もその期間に現れなければ、その農地は裁判領主のものとなる。したがって、裁判領主はその権利を執行し、死者の弔いをおこなうべきである。
 参審員はまた次のように指示した。すなわち、犂か馬鍬で境石または境界の目印を危害を加えることなく掘り出したら、静止して、目印を元に戻すべきであり、そうすれば損害なく済むかもしれない。彼がそれを踏むか、危険にさらしたら、彼は警官と利害の相反する当事者を呼び、目印を元に戻すべきであり、そうすれば彼は何の違反もしなかったことになり、裁判所に彼の権利を認めてもらえる。彼がこれにしたがわず、石を放置し、裁判集会に出廷したら、最高の贖罪金を科せられる。  
 彼らは次のように指示した。すなわち、裁判領主が裁判集会を望み、村長が彼の子馬をもっていなければ、裁判領主は彼に1頭の子馬を提供すべきであり、これが実行されないかぎり、領主が村長に子馬を与えるまで、領主は村長がとがめても、彼を罰するべきではない。
 彼らは次のように指示した。すなわち、裁判領主が裁判集会または他の裁判をおこないたいとおもうなら、司法官と裁判補佐官はそれぞれ1人の従者を得て、これらの従者は手に武器をもって立ち、誰かが裁判所に暴力をふるうか、裁判所に対する暴力を準備しようとする場合、従者は裁判所を守るべきである。 

 6-1-14 ハウゼン Hausen

(ハウゼンについては詳細不明)


 参審員は授封領主に対してハウゼンへの到来の自由、年2回の裁判集会を法として指示する。その場合、領主は司法官の後に到来すべきであり、司法官は2-3頭の馬、2-3人の従者、1羽の鳥、3頭の大型猟犬、2頭の猟犬を連れて待機し、領主は狩猟の権限をもち、神が幸運を賜われば、領主は獲物を捕らえ、それを香辛料でおいしく食べれば食べるほど、領民の財布はその分軽くなる。
 翌日彼は裁判を開くべきであり、それに出席しない参審員は、4アルブスの科料を納める義務を負う。そこで領主は彼のすべての正義、支配、違反と贖罪金、水と牧場、森と農地、道と橋について問うべきである。彼が回答を得れば、それで良いが、回答がなければ、彼は再度の裁判集会を開く権限をもつ。それでも回答がなければ、彼はまたもや再度の裁判集会を開く権限をもつ。だが回答があった場合は、裁判集会と再度の裁判集会で領民の財布の出費の期間をさらに長引かせるべきではない。だが出費の期間がさらに長引くようであれば、自分の財布から出すべきである。
 参審員は次のように法を指示する。すなわち、領主、司法官およびその廷吏が命令する前に群れをなし、鐘を鳴らす者は4グルデンの贖罪金を科される。
 ハウゼンに住む者が鐘と司法官の命令に従わなければ、領主に罰せられる。
 領主のフーフェに6頭だての牡牛で往復できるだけの土地をもつフーフェ農は、フーフェ権に責任を負う。

 6-1-15 ノイミュンスター Neumünster (1492年)

(ノイミュンスターは、今日オットヴァイラー市 Ottweiler の1地区である)


 最初に次のような指示がなされた。すなわち、授封地の領民は煙が立ち昇り、桶の水が滴り落ち、一人の男が住むいずれの屋敷についても、聖霊降臨祭に去勢羊の2分の1頭、テレンツィオの日(9月24日)に検定済みの桶一杯の穀物地代と2グロッシェン、クリスマスには1羽の鶏税、羊の焼肉用の6グロッシェンを納める義務を負い、1人の男が住むいかなる屋敷も1ヘラーの裁判所税を納める義務を負い、前述の日に納めない者は、領主に5シリングの贖罪金を後払いすべきである。
 前述の夫が死亡して苦境にある寡婦は、クリスマスに1羽の鶏税を納める義務を負う。
参審員は次のように指示した。すなわち、ジンダ―タールの領民は他の領民と同じように、土地の債務履行を求める領主の告示、上級裁判所および裁判集会に出席する義務を負う。
 領主が禁制ワインを設定したら、領民は誰もが1マースのワインを購入しその代金を支払うべきであり、購入しなければ、酒屋の主人がワインを彼の家にもっていき、領民はその代金を支払うべきである。
 参審員は次のように指示した。すなわち、オットヴァイラー伯領の河川に属する製粉所は、すべて領主が建設したものであり、それによって領主の恩恵がほどこされるべきである。
 次のようなことが法として示された。すなわち、授封領主はその領民にその法を施行し、彼らを抑圧すべきでない。しかし彼らが領民を抑圧すれば、統治領主は法によってそれを防ぎ、領民がその権利を守れるように、彼らを支援することができる。
 嗣子のない領民が死亡したとき、参審員は次のように指示した。すなわち、第10親等までの最も近親の相続人が農地を取得すべきであり、また相続人は農地を統治領主または授封領主の保護のもとにとどめ置くべきであるが、農地を他の領主の保護下に移そうとするなら、統治領主はそれを妨げ、許すべきではない。だが第10親等までの相続人がいなければ、農地は統治領主のものとなるべきである。
 参審員は次のように指示した。すなわち、領地保有者が負債を負っている場合、農地を取得する者は負債を支払うべきである。
 授封地で不正をおこなった者が捕らえられ、ノイミュンスターの牢獄に送られたとき、参審員は次のように指示した。すなわち、彼の農地は領主に帰属するが、彼が農地に相続人を残す場合は、農地はひきつづき相続人のものである。
 参審員は次のように指示した。村道の幅を測る尺度は16シューの長さとすべきであり、村長がその真中をもち、宣誓した参審員が両端をもち、妨げられることなく道路を進むべきである。この尺度に触る者は5シリングの贖罪金を科され、接触を止めるべきである。
 参審員は次のように指示した。すなわち、木の実が成長したら、領民に木の実をたたき落として養豚税を支払わうように命じるべきである。彼らが木の実をたたき落とさない場合は、豚に屑を食べさせるべきだが、その場合でも養豚税を納めるべきである。
 参審員は次のように指示した。すなわち、オットヴァイラー伯領におけるすべての発見物は、授封地であれその他の場所であれ、地下であれ地上であれ、金、銀、銅、鉛、鉄、石炭その他何であれ、発見物と称するものすべては、ザールブリュッケンの領主のものであり、法によって領主に帰属する。
 3、4、5人の子どもをもつ男が1人の子に動産を相続させ、他の子どもはすべて相続から排除されたら、どうするかと問われて、参審員は、そうしたことは領主の許可なしにはできないと答えた。

 6-1-16 ランスバッハ Ranspach (1532年)

(ランスバッハは今日のランスバッハ-バウムバッハ市 Stadt Ransbach-Baumbachに属する)


 参審員は次のように指示する。すなわち、毎年わが領主に18マルターのエン麦、3ゼスターのエン麦につき1羽の鶏を納め、さらに数ゼスターのエン麦と数個の卵のかわりに、卵1個について領主農場の柵のための杭1本を納める。
 賦役において領民が(犂の)車輪をこわしたら、荘園使用人はシュペルツ麦のパンをもってきて、彼の車輪に突き刺すべきであり、そうすれば領民は帰宅できる。。
 参審員は、わが領主フォン・ホルンバッハの築城工事のために年に3日間ホルンバッハへ行くように指示する。領民が賦役をおこなうとき、その妻は家で子どもたちの世話をした後、上記の場所へ行き、夫と同じように賦役をする義務を負う。とはいえ、妻は夕方適当な時刻に再び帰宅して、子どもたちと家畜の世話ができることを許されるべきである。
 参審員は次のように指示する。すなわち、わが領主、フォン・ホルンバッハ修道院長はその所有地で生育し、腐敗したり失敗しなかったブドウを禁制ワインとして毎年当地に設定する。聖プリミニウス農場にかかわりをもつ者は、誰でもこれを飲むことができる。そのようなワインを飲もうとしない者は、贖罪金を科される。そのワインはクリスマスの8日前、その8日後に、1マースにつき1ヘラーで飲むことができるか、さもなくば飲食店主が提供する。両期日の間は当地の飲食店主はワインを開栓したり飲ませたりしてはならない。また参審員は、当地で長い間結婚して家に定住する者に対して、禁制ワインを前述のような形で自宅で開栓すべきである。だが彼がそうしたくない場合は、参審員はそのワインを飲食店主にひきわたすべきである。店主はそれを飲ませて、その代金を荘官に渡し、そのうち3アルブスはワインを提供する者、2アルブスは参審員のものとなる。
 ホルンバッハの領主にさからう者が裁判所管区で捕らえられたら、そのような者をいさめるか、あるいは領主の費用負担で放免して、裁判所管区を万全な状態に戻す義務を負う。
 参審員は次のように指示する。領民は領主に毎年貢租を領主の最寄りの館へ届け、領主はそれに対して賄いを提供すべきである。領民が1日で帰宅することができず、途中で夜を過ごさなければならない場合、領主は領民に夜間のまかないを用意する義務を負い、すすんでそうすべきである。
すべての領主が、単独でなく全体で、敵をもっているときは、わが領主に敵がいなくても、当地のすべての領民を、自分の使用人と同じように、できるかぎり暴力その他から守り保護する義務を負う。
 参審員は次のように指示する。すなわち、自由な河川では、領民は魚をとる権限をもつが、毎年裁判集会が開かれる月曜日に、当村のどの漁師も裁判官に1シリングの値打ちのある魚料理を持参して差し出す義務を負う。その料理が18グロッシェンの価値がない場合は、裁判官はそれを受け取らない。しかし漁師がそれぞれ裁判官に料理を差し出さなければ、荘官と廷吏はそうした漁師を川でとらえ、それぞれ12シリングを差し押さえ、彼らの船を陸にひき上げる権限をもつ。そしてその船を許可なく再び川に入れる者は、罰金として1シリング14グロッシェンを科される。そのかわり、漁師はこの川で柳の木を切る権限をもち、柳を切るとき片足を船に、他方の片足を岸に着けるべきである。裁判官は、彼に魚を持参するいかなる者にも、スープを与える義務を負う。
 当地で悪事をはたらく者がつかまえられたら、荘官は最寄りの領主の所に連行させるべきである。彼は2ゼスターの穀物を食べてしまうまでは、そこに留まるべきである等々。

 6-1-17 ビショッフスハイム Bischofsheim (1402年)

(ザールのビショッフスハイムの場所や歴史については不詳)


 参審員はわが領主・代官に裁判所管区における地下と地上の法を示し、これにしたがって、家から煙が昇り、桶の水が滴るいかなる家からも、3ペニヒと3羽の鶏を門を通って彼に届けるように指示する。また家のなかで彼に暴力をふるうようなことがあってはならない。またいかなる犂も役畜でひいて耕地へ行き、クリスマスには1フーダーの御料林の木をザールブリュッケンに運ぶべきである。
 参審員は次のように指示する。すなわち、わが領主は領民が暮らしていけるように、規則の制定と廃止をおこない、慈悲をほどこすべきである。
 聖レミギウス教会の司教座聖堂参事会員が湿地の草刈りをおこなうときは、いかなる家も草を積み上げるか、そのかわりに1シュヴァルツ・トゥルネスを支払うべきである。そうしない場合、司教座教会参事会員はその家を閉鎖して、彼に支払われるときまで、家の鍵を自分のかばんの中にしまっておくことができる。


 
6-1-18 ターベン Taben


(ターベンは今日のターベン・ロット Taben-Rodtであり、近代までゲヘーファーシャフトという土地共有団体が存続した村といわれる)


 参審員は次のことを法として指示する。すなわち、ザンクト・マクシミン修道院長の地方官は裁判集会に罰令と平和を実行し、その手に杖をもち、帽子に触って立ち、罰令と平和を実行すべきである。
 参審員は修道院長を正当な土地授封領主と指示して、人と罰令、水と牧場、漁獲と鷹狩、地から天までの拾得物と生計、すべての高木林および野ウサギが育つ場所について彼に指示する。
 もし自由地域の外で不法行為をおこなった犯人が自由地域内に来ることができた場合は、彼を金銭とひきかえに6週と3日間とどめおき、6週と3日経って自由地域から3フス離れた所から帰って来られれば、以前と同じ期間だけ自由でいられる。この期間内に、彼が誰かに損害を与えることがなければ、荘園使用人または司教座教会司祭は、彼を助けることができる。
 参審員は判決と法によって次のことを指示する。すなわちターベン修道院長および荘園は当自由地域に水を引くべきであり、誰も水の流れを変えてはならない。これに違反して、当自由地域で水の流れを相互にあるいは一部分を多少とも変えた者は、男女子どもの違いを問わず、そのたびに贖罪金5シリングを納める義務を負う。
 参審員は修道院長にはザール川における二つの堰での堰き止め漁を、またメットラハのわが領主には最上流の堰における堰き止め漁ではなく簗による第三夜の漁を指示する。
 参審員は次のように指示する。すなわち、ザンクト・マクシミン修道院長はあらゆる高木林と野ウサギが育つ森林を、一人の吏員あるいは森林管理人によって守り、風によってまたは自然に倒れた木を得るべきであり、木の実が森林のなかにある場合は、2人の修道院長は豚の放牧税を分かち合うべきである。
 ヴェ―ニヒバッハの向こう岸の森林で木を伐った者は、贖罪金を支払うべきである。彼が逃げることができ、帰宅しようとする場合、捕まる前に荷車の前半部分がヴェ―ニヒバッハを越えれば、逃げられるが、ここで彼が叫んで助けを呼び、待っていても、誰も彼を助けるべきではなく、彼は自分だけでターベンの自由を得るべきである。
 ブナの木を伐るか収穫する場合は、いかなるターベンの村民もその木の実を司教座教会司祭の館に持参し、首席司祭の村民に対する許可を求めるべきである。またその野ウサギは半ゼスターのワインとひきかえられるべきであり、その場合司祭は彼に良いスープをふるまうべきである。そして村民は司教座教会司祭に良いブナの木一本をさしだし、またブナを伐る者は誰もが、木の実を収穫あるいは播種するか否かにかかわりなく、ブナの6分の1束もあわせて納めるべきである。また1人または2人でブナを収穫する場合、もう1人の者もかならず6分の1束を納める義務を負う。参審員はあらゆる贖罪金の3分の2を修道院長に、3分の1を代官に割り当てることを指示する。したがって代官は3分の1をうけとり、修道院長に3分の2をひきわたすべきである。代官はさらにターベンの荘園、修道院長および領民をあらゆる暴力からできるだけ守るべきである。
 参審員は修道院長に遺失物拾得と生計について次ぎのように指示する。すなわち、何かが拾得されたら、金銭、衣服、家畜その他何であれ、修道院長が土地領主であるので、彼のみに帰属する。参審員はまた、ターベンの罰令区のすべての人々が利子、貨幣、地代の用途において自由であることを指示する。彼らは利子、地代および貨幣を手段にしてその相続財産を売り、利用し、抵当化し、他人に譲渡し、どこでも自分の好むところへ移住し帰ってくることができる。
 ターベンの参審員に不一致があるか、判決が困難である場合は、ザンクト・マクシミンの上級裁判所の14人の参審員に相談し学ぶべきであり、その費用は訴訟当事者が負担し、そのためにターベンの参審員への協力がなされるべきである。
 四旬節とその前8日間、その後8日間、誰もワインを小売りしたり栓を開けてはならない。ただターベンの司教座教会の司祭と代官だけがこれを許される。
 代官がターベンに宿泊する場合、当地の司教座教会司祭は彼を村で迎え、その下男または荘園使用人に屋内の灯をともさせ、手厚く歓待し、馬にわらを満腹するまで与え、生の飼料をたくさん与え、最善をつくして寝床を準備すべきである。また代官のために食卓を布でおおい、塩樽、手桶、缶および燭台をその上に置くべきである。そうすれば、代官はよく食べ楽しむ気になり、彼は財布を探って、気に入ったものがあれば、買い物をすべきである。
 ターベンの罰令区内で貨幣、衣服、家具、家畜など何かが拾得されれば、3分の2は土地授封領主、3分の1は代官のものとなる。
 私戦あるいはその他の原因で、家畜その他の強奪がおこなわれた場合、代官は最善を尽くして自分の馬と費用で強奪されたものを3日間探し、取り戻して保護すべきである。彼が3日間以上そのために出かけなければならない場合、修道院長とその財産を失った被害者は彼の費用を援助すべきである。


 6-1-19 イルシュ Irsch (1464年)


(イルシュはザール川東岸の村で、土地共有団体が近代まで存在していた)


 聖なる三位一体の名においてアーメン。すべての人々に告げる。― 1464年、ラテン語で第12の15年紀、7月27日午後1時選帝侯ヨハンの同席のもと、ザールブルクの方角にある菩提樹の下の二つの泉のそばにイルシュの7人の参審員と御料林フーフェ農が参加した。そして当参審員と御料林フーフェ農が裁判集会に集まり、トリーアのわが領主がイルシュの裁判官ヴィリヘンをとおして参審員と御料林フーフェ農に、次のように問いただした。すなわち、彼らは古くからの習わしどおり上級裁判所のために指示すべきであるという厳命にしたがって、わが領主と司教領に指示しているかと、問いただした。彼らはイルシュのクライス・シュナイダーをとおして満場一致で、「はい」と答えた。さらに彼らは通常の集会の場で指示をおこなうかと問われ、上記のクライスをとおして「はい」と答えた。われわれはさらにザンクト・ペーターの領主と前記トリーアの領主のもとで人と罰令、漁獲と鷹狩、藪のなかの獣、川の魚、空の鳥、助けを求める叫び、襲撃、流血の傷害について指示し、所有と相続を除き、上級裁判所管区で起こりうることすべてについて指示する。さらにわれわれはトリーアの領主あるいはその地方官がイルシュの上級裁判所の管区内のあらゆる村落で担保とすることができるものについて、所有地と相続地を除き、すべて指示する。また地方官は、裁判を欲する者がいる場合には、上級裁判所で当事者の裁判をおこなうべきである。われわれはトリーアのわが領主に次のことを法として指示する。すなわち、誰もイルシュの上級裁判所の管区でわが領主の同意と許可なしに藪のなかの獣、水のなかの魚を捕らえてはならない。その後、当参審員と御料林フーフェ農は当上級裁判所の修道院長と高位聖職者の管轄区内に不法行為者がいれば、わが領主またはその地方官はこれを捕らえて法に服させる権限をもつかと、問われた。これに応じて参審員と御料林フーフェ農はしばらく審議し、ペーター・フォン・イルシュをとおして次のように答えた。すなわち、わが領主は上述のように上級裁判所をもち、その修道院長と高位聖職者もまた裁判所をもち、彼らの裁判所で不法行為者あるいは誹謗者を裁くことができないような事態が生じて、わが領主またはその地方官がこれを知った場合、わが領主とその地方官はこの者を管轄区内でとらえ、裁判にかけることができる。だが、修道院長あるいは高位聖職者が彼らの裁判所内でその者を裁くことにすでに同意している場合、彼らはわが領主またはその地方官の同意と許可なしに彼をわが領主の上級裁判所に連行するべきではない。



 6-1-20 イルシュ、ゼリッヒ、ボイリッヒ Irsch, Serrig, Beurich (16世紀)

(イルシュ,ゼリッヒ、ボイリッヒの3か村は隣り合っており、どの村にも土地共有団体があったといわれる。)


 裁判長殿、あなたは私に質問をされたか? 裁判長殿、私の認識では、本日ここにわが領主の自由な三月裁判集会をボイリッヒの御料林フーフェで開催すべきであり、あるいはわが領主の地方官の慈悲によって、ヴァイストゥームの上述の日は三月の第一月曜日にあたり、わが領主の地方官はその日を短くも長くもすることができるが、われわれは事情を考慮して、本日ここに通知されている日を短くすることはない。裁判長殿、自由な三月裁判集会は御料林フーフェ農によってわが領主に知らされているので、あなたは、わが領主の上級裁判官であるイルシュの裁判官として、この自由な三月裁判集会に罰令と自由を実現すべきである。裁判長殿、わが領主の三月裁判集会は開催されたので、あなたは御料林フーフェ農1名と禁制漁師1名に命じて、禁制漁師を含む御料林フーフェ農全員が出席しているか点呼させるべきである。裁判長殿、御料林フーフェ保有農民はここにいるので、あなたは参審員たちに着席を命じ、その後御料林フーフェ農に着席を命じ、誰も許可なく他人の席を占めてはならず、許可なく他人に声をかけてはならず、許可なく退出してはならず、許可なく入場してはならないと命じるべきである。またあなたは、あらゆる騒動も禁じるべきである。
 §1.裁判長殿、御料林フーフェ農は最初に次のように法を指示する。すなわち、本日わが領主の自由な三月裁判集会に、わが領主の命令により使者が来るなら、彼らはボイリッヒの御料林フーフェに来て、あるいはわが領主の地方官の慈悲により彼と同席すべきである。彼らはそこでできのよい食事の提供をうけ、食事を用意した飲食店主は荷車1台分の木材を、生木であれ枯れ木であれ好みに応じて、わが領主の御料林で伐って、無料で彼の家まで運ぶべきであり、それによって彼は速く火をおこすことができ、さらに上手に料理できるようになる。これまで、御料林フーフェ農はこのように指示してきたし、今後もそのように指示する。
 §2. 第2に、わが領主のために出席すべき者は誰か。御料林フーフェ農は、次のように指示する。すなわち、敬愛するわが領主の地方官は下男1人と犬1匹を伴って同じ非のうちどころのない食事に来るべきであり、ザールブルクの財務官も下男1人と犬1匹を伴って来るべきであり、その後にイルシュの裁判官が7名の参審員と1名の弁護士を伴って来るべきである。これらの人々は無料の良いまかないにあずかれる。2人の廷吏が無料でまかないにあずかれる理由は、わが領主の地方官が1人の廷吏を必要とし、あるいは間違いが起こらないようにするためである。あるいは裁判所で訴訟当事者が話し合いをできるように、裁判官と裁判所が1人の廷吏を必要としているためである。その場合、1人の廷吏が彼の権限に属することをすべておこなう必要があり、それゆえに彼は無料のまかないをうけるのである。第2の廷吏が無料で良いまかないをうけるのは、御料林フーフェ農が1人の廷吏を必要としているためである。すなわち、たとえば製粉屋がいいかげんで、そのワインの代金を飲食店主に支払わなければ、廷吏は御料林フーフェ農に同行し、御料林フーフェ農によって命じられたとおりに、しかるべき任務を遂行する必要があるためである。
 §3. 第3に、ボイリッヒの御料林フーフェ農の債務。御料林フーフェ農は次のように指示する。すなわち、ボイリッヒの御料林フーフェ農は2マルタ―のエンバク、つまり脱穀エンバクの債務を負う。ボイリッヒの御料林フーフェ農はかつて飲食店にこのエンバクを持参して、店主は三月裁判集会の食事をつくった。彼らがエンバクをもってきたとき、店主は4分の1を脱穀場にもちこみ、エンバクを計量したが、脱穀用木材をもってなかったので、森へ行き、薪を入手し、その良し悪しにかかわりなく、それでエンバクを脱穀し、店主がそれに満足する以前に、御料林フーフェ農はこれによって債務を完済した。しかし、彼らが店主の家にやって来て、そうしたことがおこなわれ、三月裁判集会の食事のにおいがしたとき、わが領主の地方官たちが3-4頭の馬に乗ってやって来て、厩舎に馬を入れ、馬にエンバクを食べ放題与えた。残ったエンバクも店主が払わなければならず、彼にとっては損失になる。しかし、御料林フーフェはザールブルクから遠くないので、わが領主の地方官たちがその馬を家に残してくれば、それは地方官の損失となるので、ボイリッヒの御料林フーフェ農はそのエンバクをザールブルクのわが領主の倉庫へ提供すべきである。すなわち、聖トーマスの日(12月21日)に前述のように2マルターのエンバクが計量されるべきである。これまで、御料林フーフェ農はこのように指示してきたし、今後もそのように指示する。
 §4. 第4に、6名の製粉屋のワインについて。御料林フーフェ農は水力で動く小川の6つの水車について次のように指示する。すなわち、各製粉屋は御料林フーフェ農に三月裁判集会の食事の日に2ゼスターのワインを納める義務を負う。いかなる製粉屋も昨年度飲食店に2ゼスターのワインを持参し、そのなかには良いワインもあるが、悪いワインもあるので、わが領主の地方官によって良いワインとみなされるまで、ワインを家にとっておき、今日三月集会の食事の日にワインの代金を飲食店主に支払うべきである。飲食店主はその日、地方官に勧められるような上等なワインを彼らに供するべきであり、その後製粉屋は各自が今日までにいつでも店主または荘官にそのワインにふさわしい代金を支払うべきである。もし製粉屋がきめられた日に支払うのを怠れば、御料林フーフェ農は廷吏に与える無料の食事とひきかえに、支払いを怠った製粉屋の水車に廷吏を行かせて、水車の石臼を取り上げ、石臼の留め金を取り出し、ボイリッヒにもっていき、裁判所は法により売却し、店主に彼の代金を与えるべきである。御料林フーフェ農と廷吏の2人は、石臼が彼らには重すぎると考えるなら、彼らは製粉屋に損をさせなければならず、彼らは製粉屋が住んでいる家に行き、多くの家具を罰金として裁判所に運び、そこから店主に代金を与えるべきである。したがって「水の代金」と呼ばれる金銭を与えることによって、水を彼らの出入り自由な貯水池に無料で入れてやるのである。もし彼らの出入り自由な貯水池から水を奪う者がいれば、その者は領主に贖罪金、参審員にワインを納めるべき罪を犯したことになる。さらに御料林フーフェ農は次のように指示する。すなわち、御料林フーフェ農が穀物袋をもって前述の水車に来て、製粉しようとおもい、御料林フーフェ農とは異なる別人が同じ水車に6週と3日間滞在し、水車がこわれていて、そこへ御料林フーフェ農が穀物袋をもって来て製粉しようとおもい、自分の荷車の中で長く待機していたあわれな人に対して、製粉屋は製粉所を開けるのではなく、まず御料林フーフェ農に開けるべきである。だが、製粉屋があわれな人に開けるのが正当だと考えて、御料林フーフェ農を後回しにするなら、御料林フーフェ農は小川の水源へ行って、水車の水を断つことによって、水不足によって製粉屋の製粉が妨げられて、水車を廻らなくすべきである。こうして、製粉屋はわが領主の地方官またはイルシュの上級裁判官である荘官の許可なしに水を再び小川に流す権限も自由ももつべきではない。これまで、御料林フーフェ農はこのように指示してきたし、今後もそう指示する。
 §5. ボイリッヒの領民がイルシュの荘官に納める義務を負うパンについて。御料林フーフェ農は次のように指示する。すなわち、イルシュの荘官は毎年ボイリッヒに住むいかなる住民からも荘官用のパンを得る。その義務を負う住民は、パンをクリスマスの季節、使徒聖ヨハネの日(12月27日)に村役人の家に運ぶべきである。その場合すべてのパンが一緒にされているので、御料林フーフェ農はそのなかから最良の4つを取り出し、ほかはすべて荘官のものとなる。御料林フーフェ農は四つの最良のパンを取るが、それらは非のうちどころのない三月集会の食事の費用にあてられるべきである。それは、かつては次のようにおこなわれた。すなわち、ボイリッヒの村役人は最良のパンを指示して、4人の男たちに「隣人よ、あなたたちは三月裁判集会の食事の日まで4つのパンを家に保管すべきである。」と語った。その後、三月裁判集会の食事のにおいがすると、これら4人の男たちが4つのパンをもって来て、わが領主が食卓で食べると、4人の男たちは御料林フーフェで育てられ食べられるようになった4つのパンをわが領主のために切った。しかし御料林フーフェ農は、わが領主がライ麦パンより白パンを好んで食べることに気づいたので、彼らは食費のための4つのパンを取り、それを換金して、白パンを10個買ってそこに置いた。こうした事情のため、わが領主も当然がまんしなければならない災厄にあったと許容し、あまり重大な問題ではないとみなすべきである。
 §6.わが領主の御料林と呼ばれる森林について。御料林フーフェ農は次のように指示する。すなわち、最も近くにあるのはイルシュの森と呼ばれる森林であるが、それはわが領主の御料林である。神の命によりそのうち最もよく採れるのは木の実であるとすれば、イルシュ、ゼリッヒおよびボイリッヒの三か村はそこに家畜を放牧し、誰もが養豚税2ヘラーを納めるべきである。豚が森の中へ入る場合、養豚税を払わなければ聖ミカエルの日(9月29日)に森から出るべきである。イルシュ荘園に住む7名のわが領主の参審員も養豚税を免除された7頭の豚をもつが、7頭より多くの豚をもつ場合は、他の隣人たちと同じように養豚税を納めるべきである。さらに、木の実が食べ尽され、豚の販売や屠畜が始まる場合、ザールブルクから財務官がボイリッヒの村役人のところへ来て、「村役人よ、私が来てわが領主の養豚税を請求する日を隣人たちに知らせたか」と言う。そうすると、村役人は財務官に従い、隣人たちに、「隣人の皆さん、財務官がここに現れ、わが領主が養豚税を請求する日に備えてください」という。そこで隣人たちは集まり、誰もが次々に自分の豚を数え、すべて数え終わると、財務官はわが領主のために最良の豚を1頭選び、次いで御料林フーフェ農が最良の豚4頭を取るべきであり、しかる後財務官はすべての任務を終える。ボイリッヒの御料林フーフェ農が最良の豚4頭を取るのは、非のうちどころのない三月裁判集会の食事のための費用を得るべきだからである。これまで、御料林フーフェ農はこのように指示してきたし、今後も指示する。
 §7. ノイハウザーヴァルトについて。さらに御料林フーフェ農は次のように指示する。すなわち、遠くないところにノイハウザーヴァルトという森がある。全能の神がわれわれに幸運を与えたまえば、木の実に恵まれ、上述の三か村、すなわちイルシュ、ゼリッヒ、ボイリッヒは、養豚税を納めることなく放牧すべきである。というのは、領民には貢租と地代が課せられているためである。彼らは袋、馬、荷馬車を利用しなければならず、そのほかにいくつかの沼沢地ととともにぬかるみや藪もある。ノイハウザーヴァルトは上述の三か村の所有である。これまで、御料林フーフェ農はこのように指示してきたし、今後も指示する。
 §8. 毎年わが領主に貢納義務を負うアウクフェンとショーデンについて。御料林フーフェ農はさらに次のような指示をおこなう。すなわち、まずアウクフェンとショーデンの両村に住み、保有地と炉をもつ家があり、わが領主に1フィアテルのエンバクと1羽の鶏、1ヘラーの金額を納める義務を負い、また4ヘラーの価値があるパンまたは4ヘラーの金額も納める義務を負い、聖ルカの日(10月18日)の後の日曜日にこれらを納めなければならず、御料林フーフェ農はそれを徴収したうえで、ザールブルクの城に届けるべきである。村役人は上述のようにあらかじめ2人からパンあるいはパンの代価4ヘラーを徴収する権利をもっており、わが領主には1フィアテルのエンバクと1羽の鶏と1ヘラーを納めるべきである。村から移住した者、あるいは非定住者がボイリッヒにいれば、村役人はボイリッヒからイルシュの荘官のもとへ行き、彼に知らせ、イルシュの荘官は使者を送って、わが領主に彼の任務をはたし、これによってイルシュの荘官は信任される。とはいえ、彼は義務を負うのと同じように、一つの権利ももつべきである。というのは、領民が「保護エンバク」と称するエンバクを貢租として納めるからである。すなわち、ザンクト・マルティニのわが領主、エーレンの女子修道院長、わが代官の三者の意見が一致して、領民を抑圧しようとするなら、領民はイルシュの荘官のところへ行き、保証をしてもらうべきであり、そこで荘官は地方官のもとへ行き、領民は保護エンバクを納めているのだから、そうしたことは不当なことではないかと、領民のために問いただすべきである。このように御料林フーフェ農はこれまで指示をおこなってきたし、今後も指示を続ける。
 §9. わが領主の狩猟官がボイリッヒに来れば、その必要の一部をそこで満たすことができる。御料林フーフェ農は次のように指示をおこなう。すなわち、わが領主の狩猟官は年に2度、夏に1度、冬に1度、猟犬と狩猟具をたずさえてボイリッヒに来ると、雨露をしのぐ家と炉の鍋を与えられ、その後鍋に必要なだけの木材も入手すべきである。ボイリッヒの御料林フーフェ農はそうした木材を運び、わが領主の御料林で罰金も贖罪金も払うことなく伐採すべきである。狩猟官が猟犬と笛とともに網による捕獲に出かけようとする場合、それを使う前に、ボイリッヒの御料林フーフェ農は彼らが要求する境界、すなわちノイハウザー通りを越えないこちら側の領域に連れていくべきである。だが道路沿線の真中で網を仕掛けなければならないようなところに野獣がおり、野獣が捕らえられて、イルシュ方面への道路での移送に適しているなら、ボイリッヒの領民はそうすべきである。そこにはわが領主が農場あるいは鶏舎を設けている。しかし、グライメラート方面への道路の移送に適しているなら、グライメラートの領民がそれを適当な場所まで運ぶべきである。これまで、御料林フーフェ農はこのように指示してきたし、今後も指示する。
 §10. 「イルシュ草地」と呼ばれる採草地における権利はわが領主に帰属する。さらに、御料林フーフェ農は次のような指示をおこなう。すなわち、わが領主はイルシュにあるイルシュ草地という採草地を有し、それはわが領主に属する所有地である。この草地を刈り取る場合、イルシュの荘官はボイリッヒの村役人に対して持参する道具を知らせるべきであり、この点で村役人は荘官の命令にしたがうべきである。さらに、領民が大鎌をなくしたり、あるいは大鎌を石に打ち込み、その柄や刃をなくすと、彼は自分の大鎌を用意できなくなり、彼は他の仲間と支障なくやっていくことができなくなる。草地がうまく刈り取られた後に、ザールブルクの財務官はボイリッヒのわが領主の村役人とロイケンの荘官に、翌日わが領主の干草をいかに運ぶべきかを知らせ、その場合どの家からも1名を賦役に出し、賦役の免除は認められない。ロイケン荘園の領民のどの家からも1名が干草を運搬し、最良の荷車で迅速に仕事をおこなうべきであり、ボイリッヒの村役人とロイケンの荘官はみずから現場に出かけて、領民をたゆみなく働かせるべきである。財務官は彼自身が食べているのと同じくらい良い朝食スープを彼らにふるまうべきである。干草をすべて運び終えて、城へ手伝いに行った領民には、財務官は彼らが好む飲食物をふるまうべきである。そうした飲食のふるまいは約束されているわけではないが、財務官によってそれがなされなければ、領民は仕事を中断してわが領主の賦役をいやがる。これまで、御料林フーフェ農はこのように指示してきたし、今後も指示する。
 §11. ザールブルク方面のシュヴァイと呼ばれる屋敷は独自の権利をもっている。御料林フーフェ農は次のように指示する。すなわち、ザールブルク方面に屋敷があり、それはシュヴァイと呼ばれる。屋敷はそのまわりを囲われた自由と権利をもち、その囲いがこわれれば、ボイリッヒの隣人たちはそのなかでわが領主に損害がないようにすべきであり、そのために囲い板が必要であれば、わが領主の御料林で贖罪金なしに伐採することができる。屋敷のなかでは、財務官が庭園と囲いを有し、ボイリッヒの隣人たちに迷惑をかけることなく、損害防止のためにその囲いをつくることができる。これまで、御料林フーフェ農はこのように指示してきたし、今後も指示する。。
 §12. シュヴァイの財務官には、そこで飼われている家畜が所属する。御料林フーフェ農は次のように指示する。すなわち、ザールブルクの財務官はこの屋敷に2頭のめ牛を飼い、金曜日と土曜日に牛乳をしぼり、それでスープをつくるべきである。これら2頭のめ牛を、シュヴァイゲンの下女はボイリッヒの隣人たちの苦情がないように牧人のところへ連れて往復すべきである。またそこでは2頭の豚も飼われ、放牧され、食用とされる。2頭の豚は、下女がボイリッヒで隣人たちに迷惑をかけないようにあちこち連れていくべきである。しかし、2頭より多いめ牛や豚がいれば、他の隣人たちと同じように賃金と干草を支払って飼うべきである。これまで、御料林フーフェ農はこのように指示してきたし、今後も指示する
 §13. シュヴァイにおける堆肥について。さらに御料林フーフェ農は次のような指示をおこなう。すなわち、財務官は屋敷に堆肥をもっており、彼に属する庭園もある。そこで財務官は月曜日に堆肥を庭園に運びこませることを習慣としているが、ボイリッヒの村役人に次のように伝えたいとおもっている。すなわち、「村役人、明日堆肥を運ぶつもりだということをあなたに知らせる。」村役人は財務官にしたがうべきであり、夕方彼の隣人たちに次のように知らせるべきである。「私は財務官の命令を伝える。あなた方は明日シュヴァイの堆肥を運ぶべきであることを知らせる。」 そこでどの家からも1名がそのために出てくるべきであり、義務の免除は認められず、財務官が満足するまで、肥料を運ぶべきである。しかし、将来他の報酬をうけとるのでなければ、人々は肥料を運び終えたら、ザールブルクの城へ行き、財務官は彼らに十二分に飲食をふるまうべきである。
 §14. シュヴァイの屋敷の自由。屋敷は多くの自由と権利をもち、男であれ女であれ、その身体を危険にさらし、捕らえられたか捕らえられなかったにかかわりなく、シュヴァイと呼ばれる屋敷に入って来られたら、6週と3日の間襲撃されることなく自由であるべきである。すなわち、教会または参審員の家と同様に自由である。神が彼らにご加護を賜われば、神に感謝すべきである。これまで、御料林フーフェ農はこのように指示してきたし、今後も指示する。
 §15. トリーアの自由と同じように、イルシュ、ゼリッヒ、ボイリッヒも年4日間の市場の日をもつ。だが御料林フーフェ農は次のように指示する。すなわち、上述の3か村はトリーアと同じ自由をもち、そこに住む者は4日間の年市およびあらゆる市場の日に自由に無税で売買すべきであり、トリーアの警官は彼らに自由のしるしを無料で与えるべきである。したがって、イルシュの村役人はトリーアの警官にバッハヘラー、すなわち夏の聖ぺトロの日に5ラダー・アルブスを与えるべきである。このように御料林フーフェ農はこれまで指示をおこなってきたし、さらに指示を続ける。
 §16. イルシュの裁判官の参審員に対する督促。わが領主は自由な三月裁判集会に出席されたので、その裁判官は参審員に宣誓をうながし、その後御料林フーフェ農に恭順をうながすべきであり、彼らは退席して罰を義務づけられた事柄について協議する。水または放牧地、野外での叫び声または流血の傷害、わが領主の野獣の狩猟または選帝侯の慈悲による河川の漁獲、高木林の有害な伐採、選帝侯の慈悲による境界の混乱、たとえば耕地の越境、航行の越境、権利の侵害、草刈りまたは播種の越境など、いかなる問題であれ、わが領主の上級裁判所に告訴することができ、われわれは裁判によって恩赦あるい裁きをおこなう。これまで、御料林フーフェ農はこのように指示してきたし、今後も指示する。
 §17. イルシュの裁判官の廷吏に対する催促。「裁判長殿、あなたは廷吏に 次のような呼びかけをおこなわせるべきである。誰か判決をうける者は、みずから申し出よ、あるいは宣誓をする者は申し出よ、あるいは聖なることとかかわりをもつ者は申し出よ、最後に、裁判をうけるべき者は、裁判官が杖を置く前に申し出よ。」もし当事者が誰も裁判所にあらわれなかったら、イルシュの荘官は前口上の弁士を洗礼名で呼んで、「望みをいってみよ」と語りかけるべきである。そうすると弁士は、次のように言うべきである。「裁判長殿、誰もここにあらわれないので、あなたはこの罰令を断念して、私たちの金庫の補助があるかぎり、ワインを飲みにいくことを許していただきたい。そこで、裁判官は杖を置くべきである。
 §18. 三月裁判集会の食事のヴァイストゥームの結語。最後に、当三月裁判集会の食事のヴァイストゥームに表明されたことは、公示が必要であり、わが領主あるいは御料林フーフェ農はこれを失ってはならない。これまで、御料林フーフェ農はこのように指示してきたし、今後も指示する。

 6-2. ホッホヴァルト Hochwald

 現代のホッホヴァルトの地図

 6-2-1 フィルツェン Filzen (1598年)


 私はこの自由な裁判集会に聖使徒ペテロのために罰令と平和を命じ、敬愛すべき領主の裁判集会が開かれている間は、誰も許可なく出入りしてはならず、それに違反した者は参審員にワインを贈らなければならない。われわれは全身全霊をこめて神に誓う。すなわち、誰も勝手に発言してはならず、許可なく権利を与えても奪ってもならず、許可なく法を発見したり定めたりしてはならない。一にも二にも三にも四にも、法に違反する傲慢なふるまいを禁止し、これらすべてに違反する者は、領主に贖罪金を、参審員にワインを納める義務を負う。
 参審員は裁判管区において土地領主に対して、鷹狩、漁獲、遺失物の拾得、生計、空中の鳥、藪の中の獣、水中の魚、山と谷、すべての身分、水と牧場、土地、贖罪金、自由村域の設定について判断する。その自由村域内で不法行為が発覚した者は、二人の荘官が裁判所廷吏によって捕らえるべきである。彼らが弱すぎる場合は、隣人たちに助けを求め、不法行為者を領主のブドウ絞り所に入れて、領主に知らせるまで留置すべきである。不法行為者が保証人その他によって放免されないかぎり、彼をゾマーアウエに連行して、そこで6週と3日の間拘留すべきである。そして彼が保証人を得られない場合は、再び彼をフィルツェンの自由村域に連行して、彼の行状に照らして指示をなすべきである。
 しかし彼が生命を脅かした場合は、フィルツェンの裁判所廷吏は片足を村域内に、他の片足をその外側に置いて立ち、罪人をザールブルクの地方官ではなく、イルシュ(Irsch)の荘官あるいは裁判所廷吏にひきわたし、そこで彼の行状に照らして裁くべきである。
 ブドウ園の視察に際して怠慢が発覚し、とがめられた者は、領主に贖罪金10アルブス、参審員に12ゼスターのワインを納めることを指示する。いかなる農民も毎年3回吟味をおこない、施肥して価値を増せば、贖罪金を免れる。
 さらに参審員は次のように判断する。すなわち、家長の死後、その寡婦も遺児も、あらかじめ荘官の許可を得ることなく、家長の財産を受け継いだリ、わがものとしてはならない。
 参審員はまた、フィルツェンのいかなる住民も両領主のために当裁判管区内で魚を可能なだけとる資格をもつことを指示し、認める。その点で領主に損害が生じた場合は、いずれかの荘官が彼の領主に、住民がいかなる違反をして、いかに逮捕されたか、報告すべきである。その場合、両領主が逮捕された者の足を踏んでくじくべきであり、それによって彼は再び自由の身となって自分の漁網を取り戻せる。その場合、彼が手と口でそのような処罰を招いたのなら、彼は自分が何をしたのか、気づくはずである

 6-2-2 トーライ Toley(1527年)

(トーライは今日ではザールラント州に属するが、グリムの地域区分ではライン・プファルツのホッホヴァルト地域に分類されている。)


 1527年聖レミギウスの日(10月1日)水曜日、トーライの裁判集会が敬愛すべき君主かつ領主トリーア大司教ライヘルトのために、ザンクト・ヴェンデル(St. Wendel)の財務官である私ジフリト・グロッケンによって、次のような問いをもって開催され、領主バルンハルト・フォン・フラーシェムに任命されたモンツェマーおよびマティス・ヒルブリンク同席のもとに参審員の指示がおこなわれた。、

 第1に、ここトーライで裁判集会を開く必要がある場合、あるいは開くことが適当とみなされるとき、誰がそれを知らせ、日時を指定しなければならないかと問われ、参審員はトリーアのわが領主以外にはありえないと法を指示した。
 第2に、いかなる日に裁判集会を始めるべきかと問われて、参審員はわが領主あるいはその従者が都合のよいときに始めることができると指示した。
 第3に、裁判管区について問われて、裁判管区の境界を指示するために、廷吏によって書状がわが領主に届けられ、境界、境界石についてのこの書状のおかげで、その他の標識も、ゾッツヴァイラーの荘官デツェン・パイアー、わが領主ロートリンゲン公とトーライ修道院長の参審員であるバルトロメウスおよびバルト・クレスギンの出席のもとに、トーライの村で指示され、異論なく認められた。
 第4に、このように指示された裁判管区において命令と禁令は、上下級ともすべて、上級裁判領主に認められ指示されるかと問われて、参審員は次のように法の指示をおこなった。すなわち、トリーアのわが領主以外には、首とうなじ、漁と猟、地上と地下についての上級および下級裁判所の長はおらず、シュタイン家の領主も部分的に共同領主の資格をもつ。
 第5に、参審員はわが領主を命令と禁令、上下級裁判所の長であると指示し、オーバーシュタイン家の領主を部分的な共同領主と指示したが、彼らは同じものを享受し、利用し、命令し、禁止するのかと問われて、参審員は次のことを法として指示する。すなわち、シュタイン家の領主はトリーアのわが領主の同意なしには上級裁判所の命令をなしえない。シュタイン家の領主が命令を必要とする場合、彼は上級裁判所の荘官に要求して、彼の補佐によって、上級裁判所ではその金額が5シリングを超えない範囲の命令をおこなうべきである。
 第6に、シュタイン家の領主はトーライの上級裁判所管区で上級裁判所の了解なく領民の身体を拘束できるかと問われ、参審員は、上級裁判所あるいは荘官の了解なしにはできないと指示する。
 第7に、誰がトーライの不法行為者を捕らえ、どこへ連行すべきかという問いに、参審員は次のことを法として指示する。すなわち、上級裁判所の荘官がこれをおこない、彼はシュタイン家の荘官に協力を求め、必要とあらば、不法行為者をザンクト・ヴェンデルに連行すべきである。
 第8に、どれくらいの期間彼をザンクト・ヴェンデルに拘留し、誰がその食費を支払うべきかという問いに、参審員は次のことを法として指示する。すなわち、彼は6週と3日の間拘留され、トリーアのわが領主が彼の恩赦を望み、シュタイン家の領主に異論がなければ恩赦が認められるが、裁きをうけた場合は、シュタイン家の領主は残された財産から幾らかの手数料を取り、食費の半分を支払うべきである。
 死亡の責任を問われて上級裁判所に捕らえられた者を裁くか赦免するのは誰かという問いに、参審員は次のことを法として指示する。すなわち、トリーアのわが領主以外には誰もいない。
 裁判はどこでおこなわれ、どこで必要とされ、裁判所はどこにあるべきなのかと問われ、参審員は次のことを法として指示する。わが領主とその同僚であるシュタイン家の領主がシュライスのオークの木のそばに裁判所を設置し、そこで不法行為者は有罪宣告と裁きをうけ、それ以外の場所で裁かれるべきではなく、かつて異教徒あるいはロマによって燃やされたオークの木があった場所に、トリーアのわが領主は上級裁判所を設置し、それ以外の場所に設置すべきではない。
 裁かれた者が財産を残したら、それは誰に帰属すべきかという問いに、参審員は次のように法の指示をおこなう。すなわち、開墾地は両領主のものとなり、彼が相続地をもっていれば、それは最も身近な相続人のものとなる。
 上級裁判所の地下と地上で何かが拾得された場合、拾得物は誰に帰属するか、あるいは誰に提供されるべきか、あるいは法によって誰のものと認められるのかと問われて、参審員は次のように法の指示をおこなう。金銭が上級裁判所管区の地下または地上で拾得されたら、上級裁判所の荘官に届け、いずれかの領主にその手数料が納められる。
 悪事または非行が上級裁判所管区で行われた場合、それにどう対処すべきか、またシュタイン家の領主はそのうち何を担当すべきかと問われ、参審員は次のように法の指示をおこなう。すなわち、それはすべて領主の意向にかかっており、わが領主は任意に上下二つに分け、わが領主が一方を、シュタイン家の領主が他方を分担すべきである。
 あらゆる容量と計器、長さの尺度その他にいかなる認証を与えるべきかと問われて、参審員は次のことを法として指示する。上級裁判所の荘官の認証をうけるべきであるが、彼の意向でシャウエンブルク(Schauenburg)の地方官でもよく、シャウエンブルクの住民はその居住地で受け取りと申請をすべきである。
 裁判所を設置する権限は誰にあるべきかと問われて、参審員は次のことを法として指示する。すなわち、それは両領主が共同でおこなうべきであり、領民をその場所に連れていき設置すべきである。
 この上級裁判所管区で誰かが死亡したか、死亡しそうなとき、老若男女にかかわらず、この者が所有しているものをどうすべきかと問われて、参審員は次のことを法として指示する。すなわち、死者が既婚者の場合は、両領主は死者の財産から手数料をうけとり、残りの部分を生存している配偶者に渡すべきであり、死者が未婚であれば、その財産は両領主のものとなる。
 この指示にはゾッツヴァイラーの荘官とわが領主ロートリンゲン公の参審員およびトーライの他の上述の参審員が出席し、裁判管区の境界設定にも指示にも異論はとなえられなかった。またわが領主ロートリンゲン公は当地区と上級裁判所管区に9所有地をもつが、古来その場所は8より多いと指示されたことはなく、彼は保証可能とおもわれる所有地の指示を参審員に要請し、彼の要請はうけいれられた。これらすべてのことは、上述の日におこなわれた。



 6-2-3 ザンクト・ヴェルフリート St. Welfried

(ザンクト・ヴェルフリートはトーライ修道院領で、このヴァイストゥームは1563年の写しである。)

 
 参審員によれば、いかに裁判集会を始めるべきかを指示するようあらゆる方面に要望がなされた後、参審員は次のような指示をおこなった。すなわち、トーライの修道院長は荘官と裁判所を設け、罰令領主と代官の助言により荘園使用人以外の9名を指名して、彼らのなかから荘官、参審員および廷吏を採用すべきである。
 裁判集会が開かれたら、何をなすべきかと問われ、参審員は退場して審議した後、再び現れ、荘官に一本の茎を渡し、彼はこれによって宣誓にかわる誓いのしるしを伝えるべきであると判定した。荘官は杖と茎の受領によって彼の責任をはたし、共同領主たちのために彼に認められた地方役所にそれらを保管したいと領主たちに要望した。
 誰が参審員から宣誓をうけるのかと問われて、参審員は次のように答える。すなわち、トーライの修道院長は他の領主たちの同席のもとで宣誓をうけ、ウェルフリートの教会の高い祭壇の前ですべての領主たちの同席のもとで宣誓がおこなわれるべきである。
 さらに荘官は、通常通りトーライの修道院長、罰令領主としてのトリーアのわが領主および代官のために宣誓をうけるように勧告され、茎の受け渡しと参審員および両廷吏の指の動きによって宣誓がおこなわれ、荘官がこの宣誓をうけた。
 その後教会から教会前の広場に出て、そこで裁判集会を開くことが習わしとなっている。
 その後、二人の領主がこの裁判集会に出席し、第三の領主が欠席した場合、裁判集会を続けるべきか否か、参審員は法を示すよう求められ、参審員は審議して次のように判断した。すなわち、二人の領主が出席し、第三の領主が欠席した場合、第三の領主の出席によって裁判集会が開催されるべきである。
 罰令領主と代官がこの裁判集会に出席し、土地領主が欠席することがわかった場合、裁判集会は開かれるべきかと問われ、参審員は退席の許可を求め、審議し、戻ってきて、次のことを法として指示した。すなわち、土地領主は杖を受けとり、またそれを渡して、彼らに宣誓の義務を課したという理由によって、裁判集会の続行は不可能である。
 参審員は次のことを法として指示する。すなわち、トーライの修道院長はヴェルフリートの荘園と裁判管区に7名の自由農をもち、そのうち誰かが亡くなって、領主に死亡税を納める義務を負う場合、その妻は死亡税の家畜を先取する権限をもつ。
 次にハンス・ディーターは罰令領主にかわって、また罰令領主のために、参審員に対して、なぜトーライのわが領主が茎と杖を用いるのかと問い、その理由を知りたいと述べた。参審員は次のように判断した。すなわち、それは古来の伝承であり、将来も伝えるべきである。さらにハンス・ディーターは、トーライのわが領主が最初の質問をおこなわなければならない理由を尋ねた。参審員は次のように判断した。すなわち、修道院長は土地領主として認められているので、彼は杖と茎を用いなければならず。最初の質問もしなければならない。
 ヴェルフリートの荘園では人は誰に属するのかと問われて、参審員は次のように判断する。すなわち、荘園に移住の自由があるように、人はその負債を払うことができれば、移住の自由をもち、神が彼を導こうとするところへ自由に移住していくことができる。
 魚がとれる水は誰のものであり、誰がそこで魚をとれるのかと問われて、参審員は次のように答える。水は罰令領主だけのものであり、サケは代官のものであり、領民は4ペニヒの魚をとり、それ以上とるべきではない。
 荘園で遺失物がみつかった場合、それはどのように分けられるのかと問われて、参審員は次のようにいう。すなわち、領主が貢租を分けるように、罰令領主には3分の2、代官には3分の1が割り当てられる。
 荘園で度量衡が失われたら、どこで探すべきかと問われて、参審員は次のように判断する。すなわち、なくなってしまった場合は、ザールブリュッケンの古城に取りに行って、代官がもってくるべきである。
 参審員は次のように判断する。すなわち、不法行為者が荘園に連行され、再び釈放されたら、荘官はその食費を一人で支払うべきである。荘官がそれを贖罪金でまかなえない場合は、領主から代金をうけとるべきである。もし不法行為者が放免されたら、誰がその食費を払わなければならないかという問いに、参審員は次のように判断する。すなわち、荘園で収監され、死罪に相当するとみなされていた者の場合は、彼の財産のなかから食費を支払うべきである。しかし彼の財産が不足する場合は、彼を訴えた者が残りの食費を支払うべきである。
 拘置所からヴェルフリートの荘園または裁判所に再び送還された者をどこへ連行し、誰が監視するかという問いに、参審員は次のことを法として指示する。すなわち、彼に首かせをつけ、首かせから足かせへ移し、廷吏はさらなる指示があるまで監視し、廷吏があまり強くなければ、荘官は人員を増加すべきである。
 絞首台、足かせあるいはさらし台などがなければ、荘官は領主の贖罪金からこれらを作り、不足するときは領主の貢租または収入からさらし台をつくらせるべきである。不法行為者が裁判によって死刑判決をうければ、荘官は彼を代官にわたし、代官は処刑をおこなわせ、彼一人で執行できない場合は、罰令領主に援助を求めるべきである。
 捕らえられ処刑された荘園住民に妻子がいる場合、その財産の半分は領主のものとなり、他の半分は妻子に残される。だが不法行為者が荘園に住んでいない場合は、彼の財産はすべて領主のものとなる。
  

 6-2-4  カタリーネオステルン  Catareine Ostern 1463

(カタリーネオステルンは別名ケッテルンオステルンで、今日では自治体フライゼン Freisenに属するオーバーキルヘン地区 Ortsteil Oberkirchenに相当する)


 1463年聖カタリナ祭(11月25日)後の金曜日、カタリーネオステルンで裁判集会が次に明示されるような内容と形態で開催された。
 参審員は、領主がその裁判集会を開く日であるか、法を示すように求められた。
 参審員は、領主が裁判集会を開きたいとおもう日であることを法として示した。
 参審員は次のように指示した。すなわち、廷吏は外へ出て、杖をもち、壁に旗を掲げ、裁判集会に正式に属する全員に1度、2度、3度呼びかけるべきである。
 参審員は裁判管区の境界設定をおこなうことを指示し、従来どおり次のようにおこなわれた。すなわち、「エスターボルンからオーレンヘックまで、私は問題を見つけて解決する。私がおこなった巡察において、私は土地領主たるトーライのわが領主に、罰令と人、漁獲と鷹狩、漁業、狩猟、森と道と橋を何一つ例外なく指示し、わが領主ロートリンゲン公から授封されたものの3分の2をトーライの領主の教会のために、3分の1をオーバーシュタインの領主に割り当てる。私がおこなった巡察において、自由と法をもつ数人の領主がおり、彼らは領民の損失を防ぐべきである。私がおこなった巡察においてわが領主ロートリンゲン公を首とうなじに対する上級裁判官として指示する。ケッテルンオステルンの不法行為者が裁判管区で捕えられたら、彼を拘留してシュヴァーベンブルクの地方官にゆだねるべきであり、ケレンボルンの近傍の橋の途中まで行き、ケッテルンオステルンの住民は不法行為者をそこまで連行すべきである。彼らがそこに来たとき、地方官がいれば問題ないが、彼がいなければ、ケッテルンオステルンの人々は不法行為者の縄を解き、彼を行かせ、再び帰宅しても何の不利益もこうむるべきではない。私がおこなった巡察において、殺人事件が起きるか、死人が発見された場合、神様はわれわれをご加護くださるので、シャウエンブルクの地方官の了解なしには犯人を捕らえてはならない。しかし、境界石や飼い主のない家畜に不正をなす者がいれば、正しくなるように境界までもってくるべきである。裁判長殿、これ以上私に言うべきことがなければ、多少なりとも私に述べたことは当面さておいて、先に進むことをお許し願いたい。」
 参審員は次のように指示する。すなわち、ケッテルンオステルン裁判所で裁判集会が開催されると、トーライのわが領主は杖にかんする権限を有し、トーライのわが領主が自分のために命じるなら、杖についてわが領主に5 ゼスター、参審員には1ゼスターのワインを納める義務が負わされる。
 参審員は次のように指示する。訴訟をおこす者はトーライ上級裁判所に訴えるべきであるが、まず現金3グルデンを支払ったうえで、14日間以内に訴えるべきである。
 当地に農地があり、その農地を誰も受けとりに現れない場合、この農地をどのように保管すべきか、その地代と農地は領主に譲渡されるべきかと問われて、参審員は次のように答える。すなわち、相続人がそのような農地を受けとりに来るまで、司法官がそのような農地をひきうけるべきである。ある人がケッテルンオステルンの裁判所管区外の他人に罰金の支払いを科されたら、彼は罰金をどこへ納めるべきかと問われて、参審員は次のように答える。すなわち、上述のようにある者が罰金を科されたら、罰金はケッテルンオステルンの裁判所に保管されて、司法官に渡され、もしそうしないで、担保が裁判所の外へ持ち出されるなら、上級贖罪金を納める義務を負わされる。さらに参審員は次のように指示する。すなわち、ある者が他人を言葉または銛で侵害したときは、領主に5ゼスター、参審員に1 ゼスターのワインを納める義務を負うが、軽傷の場合は領主に上級贖罪金を納めなければならない。参審員は次のように指示する。すなわち、贖罪金を科される罪を犯した場合、司法官は6週と3日の間彼の贖罪金を保管すべきである。参審員は次のように指示する。すなわち、ケッテルン・オステルンの裁判所管区の土地領主と裁判領主は10グルデンを超える金額を命じてはならない。参審員は、次の問いにかんして法を示すように求められる。すなわち、ある者が贖罪金を科される罪を犯し、それが多少、大小にかかわりなく首とうなじにかかわる罪である場合、誰がそれを定めて折半すべきであるか。参審員は次のように答える。すなわち、トーライのわが領主のみが土地領主および裁判領主として彼の教会のためにいつでも贖罪金を定めて折半しなければならず、3分の2は彼のものとなり、3分の1はオーバーシュタインのわが領主のものとなる。

 6-2-5 ハスボルン Hasborn (1545年)

(ハスボルンは今日自治体トーライに属する一地区である)


 神の名において彼らはすべての人に知らせる ― 1545年8月4日火曜日午前9時にわが公証人役場において ― エッペルボルンの貴族領主でザンクト・ヴェンデル、ブレスカステル、グリムブルクの地方官を務めるハインリヒ・フォン・ハーゲンが、ハスボルンに住む上級裁判所裁判官でドゥルヒデンブッシュと呼ばれるハンゼンとともに実際に出席し、彼らの前には、古くからのしきたりと荘園の慣習により尊敬すべきミヘル・フォン・メレンフェルト、ヴィルヘルム・フォン・メレンフェルト、トライネン・クライス・フォン・ハスボルン、テール・フォン・メデロッセン、クリットナハの旧裁判官ハンス、クーネン・ヨーハン・フォン・ハスボルンおよびティール・フォン・ロッデが、全員ハスボルンの宣誓した参審員として出席する。そして、上述の貴族ハインリヒは現職地方官として、上述の上級裁判所裁判官ハンゼンを介して、上述の7名の参審員が、古来そうであるように正当かつ公正な態度であるかと彼らに最初にたずねた。それに対して上述のミヘル・フォン・メレンフェルトは彼とその同僚参審員のために熟慮したうえで次のように答えた。はい、彼らは古来の荘園のしきたりと慣習にしたがって正当かつ公正な態度であると。その後、ヴィルヘルム・フォン・メレンフェルトは彼の同僚参審員を連れてくるように上述の裁判官によって求められ、彼らが敬愛するトリーア大司教に自由裁判集会およびその開催の時期について知らせていないか、前述の地方官に報告するように求められた。上述のヴィルヘルムは彼のところへ彼の宣誓仲間を呼んで検討し、再度入場して次のように語った。すなわち、参審員はトリーア大司教の古来のしきたりと途絶えることのない慣習にしたがって毎年この荘園で自由裁判集会に指示と判断をおこなっており、わが領主またはグリムブルクの地方官が設定した時期とは異なる特別の日を決めてはいない。また、参審員は今や裁判集会にきわめて良い時期であると考える。その後、裁判官のトライネン・クラーゼン・フォン・ハスボルンは彼の宣誓仲間を連れてきて、裁判集会を古いしきたりどおりに開始して、領主には法が、領民には公正が再現されることを、上述の地方官に知らせなければならない。それに続いて、前述のクライスは参審員たちを彼のところへ来させ、参審員は検討の後、再び入場して、次のように指示した。すなわち、上級裁判所裁判官はわが領主のために一人の参審員を介してこの裁判集会を命じて保護し、そのとおりにおこなわれた場合は、裁判官はひき続き問うことができ、参審員はこれに答えて法を示すべきである。そのような判断に続いて、裁判官のテール・フォン・メデロッセンは裁判の杖を授け、裁判集会を古い慣わしにしたがって開くことを命じた。彼は杖を手にとり、聖ペトロ、わが領主のために裁判集会を開いた。その後裁判官ハンゼンは旧裁判官および彼の同僚参審員に対して、裁判集会をさらにどのように進めるべきかを地方官に示すように求めた。彼らは検討したうえで、裁判集会に属する者全員を呼び入れるべきであると認めた。さらにたびたび名を挙げられる裁判官クーネン・ヨーハンは、古い慣わしにしたがってこれよりいかにふるまうべきかを、指定された地方官に報告しなければならなかった。彼はその同僚参審員と協議して、次のように答えた。すなわち、裁判官は7名の参審員に、裁判管区の境界がどのように設定されているか説明させるべきである。裁判官はティール・フォン・ロッデにそうするように命じ、ロッデは同僚参審員とともに検討した後、再び元の席に着いて、参審員が設定する裁判管区の状況について述べた。
 言及された管区において参審員はトリーアのわが領主以外誰も上下級裁判領主と認めず、選帝侯の慈悲のみに人、罰令、地から天まで、空中の鳥、岸辺の魚、発見拾得物、生計、命令、禁令、上下級裁判所、漁業、狩猟、あらゆる支配と統治にかかわりうることを法として示し、いかなる例外も認めない。ところが、何度も述べた当管区内には三つの荘園、すなわちフロンホーフ、オップホーフおよびドゥートヴァイラーがあり、参審員はその慣習と正義を弱めることはない。ドゥートヴァイラー荘園は今日ムンツェマーと呼ばれる貴族領主ベルンハルト・フォン・フラースハイムに属し、彼は当荘園に若干の農奴および荘園ヴァイストゥームを有し、とくに統治権にかんして、彼は5シリングを超える贖罪金を科しえない。男または女が身体刑に相当する犯罪をおかしたら、領主は3日間その荘園にとどめることができ、彼みずから犯人を裁く場合は、3日間まで家の棟につるすべきであるが、彼がみずから裁かない場合は、上級裁判所裁判官にそれを知らせ、4日目に犯人をドゥートヴァイラーの枯れた菩提樹に連行し、上級裁判所裁判官を3回呼び、その都度犯人に対する綱を求めるべきである。裁判官が現れなければ、領主は綱を投げかけるべきであり、犯人がその綱をのがれれば、神に感謝しなければならず、7名の参審員は大司教のために犯人に対して審理と判決をおこなわなければならない。上述の荘園領主はこの上級裁判所でそれ以上なすべきことはない。さらに裁判官トライネン・クラーゼンは、領主のために法を取り扱い、また領民に古い慣わしを守らせるには、裁判集会をどのように進めるべきか、判断を求めた。検討の結果、次のような判断がなされた。すなわち、参審員には宣誓を、荘園の領民には恭順を求めるべきであり、わが領主に反する振る舞いや、ある程度この参審員ヴァイストゥームとこの荘園の古来のしきたりと慣習に反する振る舞いを取り上げるよう指示する者がいるなら、裁判官はそれを実行すべきであり、これに応えて参審員も村民も協議をおこなったうえで、再び彼らの裁判席に戻り、盗人たちのなかでも全員一致で領主ベルンハルトの隷属民シュテファン・ドゥートヴァイラーの名を挙げた。1543年聖テヴェステの日(3月12日)当地区と上級裁判所管区内の若い森林でトウヒを伐って、その木をもちさった。そして、この参審員ヴァイストームは木の伐採にかんして貴族領主ベルンハルトを支持する法と古い慣習をわが大司教に伝え、まず上級裁判所と廷吏に、次いでハスボルンの隣人たちの手に木の破片を渡して、トウヒが最近伐られたばかりで、その一部は上述のシュテファンによって利用されており、すべてのことが新たにおこなわれたばかりであることを、はっきりと明示した。シュテファンに言い分によれば、彼は伐った丸太がなくなったので、それを要求したが、貴族領主ベルンハルトはシュテファンに、使用人としてすべてを自分自身で解決しなければばならないと告げたという。そうした告発に続いて、裁判官は公的な要請にもとづき、上述の地方官に、シュテファンはそうした盗みを十分に認めているなら、彼は誰にどれほど罰せられ、それによってどのような罪に相当するのか尋ねた。参審員は彼のところに呼び寄せられ、検討したうえで、彼らの席に戻って来て次のように述べた。すなわち、わが領主または選帝侯のグリムベルク地方官は彼に随意の贖罪金を科すことができ、上級裁判所の裁判官にはいかなる告発についても1ゼスターのワイン、参審員にも1ゼスターのワインが納められる。上級裁判所に出廷した被告が、どこであるいは誰のもとであれ弁護をのぞむなら、14日間裁判集会で審理がおこなわれ、その期間内は被告は上述の地方官の手に十分な保証金を渡すべきである。だが彼がそうした保証金を認められる場合は、裁判官は審理の3日前に、被告が弁護を望むのか否か、彼に尋ねる権限をもつべきである。そこで彼が審理を望めば、審理すべきであるが、望まなければ、審理はおこなわれべきではなく、被告は地方官の手もとに置かれ、地方官は彼に保証金を貸して、彼の忘却に注意を払うべきである。続いて裁判官テール・フォン・メデロッセンは、この裁判集会でさらに何をなすべきかを尋ね、彼の同僚は検討のうえで次のように答えた。すなわち、誰か裁判で審理すべきことがあるか、また被告が弁護を望むのか、申し出るように、裁判所廷吏に声高に叫ばせるべきである。そこで廷吏が裁判官の要求どおり3回叫んだが、誰も申し出る者はいなかった。最後に裁判官ハンゼンはこの裁判集会は誰に何をもたらし、またどれほどに値するのか、そしてさらに何をなすべきなのか、彼の同僚とともに地方官に対して告げなければならなかった。ハンゼンがその同僚と検討した結果、彼らは古い慣習にしたがって裁判官、廷吏および裁判所に、わが領主に従順にヴァイストゥームをおこなうよう指示し、朝のスープ、昼の食事、夕の飲酒とともに、自由裁判集会とヴァイストゥームを古いしきたりと習慣にしたがって開き終了した。


 6-2-6 ミッヘルバッハ Michelnbach (1517年)

(ミッヘルバッハは今日の地域分類ではフンスリュックの山間村落である)


 裁判管区と罰令区の内部でフーフェ保有農民はまずザンクト・ジメオン教会を領主とし、その後トーライの修道院を大地から天にいたる正式の土地領主として、人と罰令、漁獲と鷹狩、命令と禁令、藪と森、裁判所の設置と廃止について、またハーゲンの貴族領主にはその代官権による代官として指示した。
 さらに彼らは土地領主に拾得物と生計、ミッヘルバッハの内部における死者から死亡税の徴集を指定した。また彼らは狩猟と漁業について、土地領主が午前、代官は午後、罰令区内で午前中に狩猟と漁獲をおこない、あるいは両者が望むとおりに一緒に狩りをすることもできる。
 ミッヘルバッハ村にとどまりたくないか、とどまることができないで、他所へ移住したい者は、負債を負っている場合は14日前に土地領主に支払いを済ませるべきであり、その後村内の隣人に支払うべきである。そこで彼はその財産を荷車に積んで運び、その途中で立ち往生し、その土地領主に出会うと、領主は下男を馬から降ろし、あわれな領民を助けるべきである。一人だけでは助られなければ、領主も片方の脚で降りて、他方の足をあぶみに残し、彼を助けるべきである。彼を助けたら、領主は彼に次のように言うべきである。すなわち、連れの者とともに去れ、そしていつか戻って来られれば幸いである、と。
 危害を加えることなく他人の垣根を越えて侵入した者は、領主に4トリーア・シリングの贖罪金、裁判所に1ゼスターのワインを納めるべきである。しかし彼が禁止されたにもかかわらず垣根を越えて侵入し、垣根の杭を打ったのであれば、いかなる杭についても10ヴァイスペニヒと10ゼスターのワインを納めるべきである。さらし台と絞首台がこわされたら、土地領主はその荘官に命じて、フーフェ保有農民と村民を呼び、森の中へ行ってそのための木を伐らせ、土地領主は彼にワインをふるまい、大工には制作の賃料を支払うべきである。こうしてさらし台と絞首台のための木が伐採され、それらが作られたら、村民は菩提樹のそばにさらし台を設置し、両土地領主の農場にあるホックス・エックという場所に絞首台を建てるべきである。そして処刑をおこない、死刑囚のものが何か見つかれば、代官はそれをもってきて処刑人に報酬として与えるべきである。だが何も見つからなければ、代官は自分の財布から報酬を与えるべきである。

 6-2-7 ノイキルヘン Neunkirchen (1486、1587年)

(ノイキルヘンは今日ザールラント州の都市で、州都ザールブリュッケンに近い)

 1486年のヴァイストゥーム

 これは1486年聖キリアンの日(7月8日)の月曜日にゼーテルンのそばのノイエンキルヘンでおこなわれたヴァイストゥームである。
 参審員は裁判領主に毎年干し草刈り直後の月曜日の白夜の日を指示する。
 参審員は制止をうけることなく、自前でその日の任務を遂行するように指示された。
 参審員は次のように指示した。すなわち、当裁判所管区内と上級裁判所管区に所有と相続財産をもつか、そこに居住する者は、その武器をもって裁判集会に出席すべきであるが、裁判集会は予告されるべきである。裁判所廷吏はあくびをする者全員を呼んで、彼らに正しい態度をとらせるべきで、正しい態度をとらない者は、参審員のヴァイストゥームにしたがって処分されるべきである。
参審員または彼の命令をうけた者は、裁判集会を規制すべきである。参審員は上級裁判所管区の地域を定めるべきである。他の領主が森林またはその他の権利を上級裁判所管区内にもち、そこに抵当を設定すれば、参審員は許可なく上級裁判所管区から担保をもちだしてはならないと指示する。長さや重さの尺度と計量器は地方官のところへ取りにいき、3年ごとに検査してもらい、不正があれば、領主に贖罪金を納めるべきである。

 1587年のヴァイストゥーム

 この告知により、わが領主と代官は上級裁判所管区内で魚をとり狩猟をする権限をもつ。代官は第一および第二の水門または沼で魚をとり、土地領主が来たら、彼には平等に半分を残すべきであるが、第三の沼で魚を取った場合は、魚を取りつくして、代官のものとするべきである。
 同じように代官は狩猟をおこない、猟犬を綱でつなぎとめているところへ土地領主が来たら、獲物の半分を彼に残すべきである。だが犬を放したら、狩りを続けて、獲物はすべて代官のものとすべきである。


 6-2-8 ロースハイム Loisheim (1524年)


(ロースハイムは今日ザールラント州のザール・フンスリュック自然公園に属する)


 参審員はメトラッハのわが領主を真正の授封領主と指示し、さらに人と罰令、規制と緩和、裁判所の設立と廃止、重量、計量器、すべての尺度、飲物と食物の秤を利用できるように指示する。また、森の獣、水中の魚、空中の鳥、発見物と生計は、たとえ修道院長や貴族の誰かがもっているとしても、地から天まで、天から地まで、失われることのないように指示する。
 教会の保護のもとあり、煙を出す者は1羽の鶏と3樽のエン麦を納めるべきである。
 捕らえられた者は荘園に引き渡され、そこに一昼夜拘留されるべきである。彼が良き親族をもち、保証人をたてられるなら、彼をその保証人に預けるべきだが、そうできない場合は、ザールブルクのわが領主の城に引き渡すべきである。その場合は彼を6週と3日の間拘留すべきである。彼が良き親族をもち、保証人をたてられるなら、彼を上級裁判所の裁判官の承諾を得てその保証人に預けるべきである。そうでない場合は、彼を再度ロースハイムに連行し、さらし台に投げこみ、参審員に彼の犯行についてヴァイストゥームを審議させるべきである。それがおこなわれたら、彼をさらし台から出して、あらゆる束縛を解き、3回さらし台の周囲を左まわりにまわし、毎回、良き親族の誰か彼を弁護しようとする者はいるかと、呼びかけるべきである。それがなされたら、彼を法によって弁護させるべきであるが、それがなされず、保証人が立てられなければ、上級裁判所の裁判官は彼を処刑台の第3段まで連行すべきである。それがなされたら、メットラハのわが領主がいるかぎり、わが領主の代官は、参審員が指示するとおり、血と肉に対する処刑をおこなうべきである。
 上級裁判所管区内で捕らえられた者は容赦ない裁判官によって尋問され、不法行為が発覚しても、彼の良き親族は貨幣または財物で彼の償いをしてもらうことができる。協定には上級裁判所の裁判官が立ち会うべきである。財物による償いの場合は、その3分の2は代官に、3分の1はメットラハのわが領主に納められる。彼が不法行為を見つけられても、そのようにしない場合は、他の贖罪金と同様に、メットラハのわが領主が贖罪金の3分の2を、代官が3分の1を科すべきである。
 獲ってはならない獣または魚を獲ったことが発覚した者から、上級裁判所の裁 判官はメットラハのわが領主に獲物の3分の2をとり、法務官には3分の1をわ たし、法務官はそれを代官に手渡すべきである。

 6-2-9  ラプヴァイラー Rapweiler (1547年)


(ラプヴァイラーは今日ザールラント州の自治体ヴァイスキルヘン Weiskirchen に属する)


 裁判所管区内でザンクト・ジメオンの司教座聖堂首席司祭に、狩猟、漁獲、人、罰令、上下級裁判、鳥と魚の捕獲、あらゆる身分、参審員の任免、命令と禁令、規制と緩和、発見物と生計、水と牧場、長さ、容量および重さにかんする法の指示がなされる。
 身体刑に相当する犯罪を犯した者については、わが領主たる首席司祭が処刑台の第三段まで連行し、代官が死刑までの処刑をおこなう。彼がいくらかの財産を残したら、動産は領主のものとなり、わが首席司祭に3分の2、代官に3分の1が帰する。彼が 死亡したら、わが首席司祭は3分の2を、代官は3分の1を取得すべきである。
 相続分をうけとり、三本脚の椅子を置けるほどの土地をもつ者は、わが領主の首席司祭に相続税を納める義務を負い、彼は望むところに住み、どのくらいまで相続税を引き上げるかについては、彼が任意に選んだ最良の牛または馬をつれてくるべきであると、参審員は判断する。家畜がいなければ、三本脚の椅子を置けるほどの広さの土地をさしだすべきである。そうすれば正義が失われることはな い。

 6-2-10 コンフェルト Confeld (1547年)

(コンフェルトは今日のザールラント州の自治体ヴァイスキルヘン Weiskirchenの1地区)

 最初に参審員は上下級裁判領主としての司教座聖堂参事会首席司祭、若き女性貴族領主アレッテ・フォン・シャウヴェンブルクまたはその代理人、領主フォン・フレッケンシュタイン、トリーアのザンクト・マティアス修道院のわが領 主に座席を指示する。
 参審員は首席司祭に、漁業と狩猟、発見物、生計、魚と鳥の捕獲、人、罰令、参審員の任免、水と牧場および命令と禁令を指示する。犯人を逮捕すること、 多少にかかわりなく贖罪金を科すことは代官にまかせ、代官にはその3分の1を 支払う。
 首席司祭は処刑台の第三段まで担当し、さらに代官は最後まで処刑を執行しなければならない。
 参審員は次のように指示する。すなわち、首席司祭は狩りや魚とりをしようとする場合、モアショルツの3軒の自由な家屋に宿営をもつべきである。彼はまた、領民がパンを得る7つの自由フーフェをそこにもつ。彼は首席司祭の食卓にパン をさしだし、首席司祭がそれを食べたくなければ、もっと良いパンを注文すべき である。そうしたうえで、もし首席司祭に敵がいるなら、そこに住む領民は ザンクト・ジメオン教会に6週と3日の間とどまり、 首席司祭はどの領民にも上 着を与えるべきである。3つの屋敷で誰かが死亡すれば、その妻か相続人は首席 司祭から屋敷を再びうけとり、首席司祭またはその役人はそこから1グルデンを うけとる。
 参審員は法により代官税としてエン麦、予備も手持ちもなくなってしまった鶏を納めるよう指示する。
 参審員は次のように指示する。すなわち、犯罪をおかした者の農地は分割され、首席司祭にその3分の2、代官に3分の1が割り当てられ、費用も同じように割り当てられるべきである。
 参審員は次のように指示する。この裁判所管区に住み首席司祭の荘官から土地を受けとった者は、土地が三脚の椅子の面積をもつかぎり、領主の首席司祭に相続税の家畜を納める義務を負い、妻はあらかじめ最良の家畜を取り、次に領主が家畜を選ぶべきである。家畜がいない場合は、首席司祭は公正をはかるために三脚椅子ほどの面積の土地を取り上げるべきである。
 参審員はこのようにナールバッハの上司(すなわち上級裁判所)に指示する。
 

 6-2-11 グライメラート Greimerath (1521、1587年)


(グライメラートは州都トリーアの南に位置する山村)

   1)1521年

 第一に裁判官は、参審員に次のように問う。すなわち、彼らはわが領主である首席司祭と聖堂参事会に裁判集会の招集を認め、ザンクト・パウリン教会のわが領主には通常の裁判集会の招集は是非とも必要であろうか。参審員は彼らの長老 をとおして、はい、そうした古い法を承知していると答える。
 裁判官は第二参審員に、どのようにそれを始めるか、彼に知らせてもらえるかと、問う。参審員は次のようにいう。すなわち、裁判官は参審員に着席を命じ、急いで裁判集会に属する者全員を呼び入れるべきである(罰令と平和のきまり文 句)。
 参審員たちは審議のために退出して、再び入場し、長老参審員に次のようにいわせる。すなわち、精霊降臨祭の水曜日にゲライメラートで自由市場と祭りの行列があり、さまざまな人々がやって来て、飲食や売買をおこない、そこで誰かが 荘官のもとへものさしを見つけて取りにいくことが必要となり、他に誰からも ものさしを貸してもらええない場合は、荘官にものさし料金として1ペニヒを納 めるべきである。同じように枡を荘官に求めて取りにいき、市場の終了後、彼の 稼ぎよりもまず、彼がはかり売りした商品の枡を荘官に完全に返却することを優 先すべきである。
 さらに彼らはザンクト・パウリンのわが領主に、毎年精霊降臨祭における行列後の木曜日に招集される裁判集会と法の指示を保証することを認め、村域内では裁判集会について、村域外の代官所管区内ではすべての下級裁判、わが領主の望 みどおりの漁業、土地、生計、発見物、大地、鳥と魚の捕獲、十分の一税と五分 の一税を、昔からおこなわれているようにザンクト・パウリンのわが領主に認め る。
 参審員は次のように指示する。すなわち、ザンクト・パウリンのわが領主はその代官所管区の範囲にかぎり、狩猟をおこない、ノロジカの捕獲網を仕掛ける ことができるが、そのなかにノロジカ以外の動物が入ったら、それらをもち去っ てはならない。
 参審員はザンクト・パウリンに3日間の賦役を指示する。賦役は日の出ととも に始まり日没とともに終わり、3日のうち1日は、ザンクト・パウリンで市場に運べる量である荷車3台の炭を運ぶために、荘官に賦役をおこなうべきだが、他の2 日はそうしてはならない。


  2) グライメラートの御料林フーフェ農のヴァイストゥーム (1587年)

 御料林フーフェとグライメラートの裁判管区内で参審員はトリーア大司教を上 級裁判領主と認め、彼にあらゆる上下級裁判権、人と罰令、漁獲と鷹狩、発見物と生計、機会に応じて思いどおりになしうるあらゆる狩猟と漁業、また、流血 の傷害であれ、助けを求める叫びであれ、その他言葉と行動でおこなう犯罪であ れ、すべての不法、贖罪金および刑罰も法として指示する。また、すべての道路と水路は、村落と裁判所管区内外ともに、どこでも自由である。共同地または村域をもつ村落内の誰かが、路上で襲われ傷つけられ、道路から3歩離れた場所に 倒れた場合、あるいは道路沿いで襲われて路上に倒れた場合、またそれ以外に道路で起きたことすべても、参審員は選帝侯閣下に刑罰の権限を指示する。
 選帝侯の地方官、財政官および指揮官が、その従者と馬を連れて、裁判集会に来たら、御料林フーフェの荘官は、彼らが入る飲食店の亭主に、馬のための飼い葉と相当のエンバクを注文すべきである。彼らがもっと多くのエンバクを望むな ら、彼らはその収入から払うことができる。彼らはまた御料林フーフェで栽培された穀物のパンを食べるべきである。彼らがもっと良いものを食べたいなら、注文してもよい。その費用はフーフェ農が支払うべきである。彼らは毎年干し草刈りと見つけた蜜蜂の捕獲を、そのうち一方が欠ける場合でも、費用支払いの最善の補助手段とすべきである。



 6-2-12 ランパーデン Lampaden

(ランパーデンはトリーアの南、ルーヴァ―川の左岸に位置し、近代までゲヘーファーシャフトが残存していた)


 われわれ参審員はランパーデン荘園の一つの代官所罰令区とそのなかの小罰令区について指示する。すなわち、罰令区と代官所管区の範囲内では、われわれはわが敬愛すべき領主をザンクト・マティアス教会のために正当な上級裁判領主、代官、土地および授封主と認める。そのなかでわれわれは領主に罰令と人、漁獲と鷹狩、拾得物と生計、すべての身分、空中の鳥、水中の魚、地上の砂、野の獣、水と牧場、参審員と裁判所の設置、計器、容量および重量について指示する。われわれは代官所の管区全体ですべての贖罪金を、ののしり言葉によるものであれ、播種や草刈りの越境、耕地の侵入や侵害によるものであれ、軽すぎる重量、少なすぎる分量や長さにともなうものであれ、領民が処罰をうけて払うかもしれない贖罪金であれ、細大もらさず指示する。ただし身体と生命にかんすることはザールブルク地方行政区の管轄に属する。とくにわれわれは村域内でわが領主にすべての統治権、領主権、官憲を認め、身体と生命、首と胴体とうなじについての裁判および裁判強制も認め、それは強盗、魔術、窃盗、殺人、流血の傷害などにもあてはまる。領民が犯すかもしれない過ちもその例外ではなく、参審員の判断とわが領主の厚意によって恩赦または法の適用をうける。
 われわれは次のことを法として指示する。すなわち、オーバーゼーア、ニーダーゼーア、ポイゼルはランパーデン村に属し、そこではランパーデンの村域と同じくわが領主はすべての統治権、官憲、法と正義をもち(ただしポイゼルのコルデス・ペーターの家を除く)、家のまわりの垣根が及ぶかぎり村の領域とする。
 われわれは次のことを法として指示する。すなわち、わが領主はフリートヴァルトという自由所有の禁制林をもち、そのなかですべての統治権と権利をもち、許可なく木を伐って運び出す者は、贖罪金を科される。だがわれわれは、そこにある木の実は領民のものであると指示する。
 われわれは次のことを法として指示する。すなわち、わが領主は毎年どの家からも、男女を問わず、完全あるいは不完全な世帯かを問わず、謝肉祭に1フィアテルのエンバクと鶏1羽をうけとる代官の権利をもつ。領民はこのエンバクと鶏をすすんで差し出し、荘官の意向にしたがって正しい分量のエンバクを荘園の門越しに届けるべきであり、その不足分は領民の鶏で補うべきである。そのみかえりとして、領民が襲われ連れ去られたなら、わが領主は自費でこの領民の救出の追っ手を募り、ここからライン川まで、さらにライン川を越えて、領民が再び帰宅できるようにするべきである。
 われわれは、当地ランパーデンのわが領主に10 アルブス銀の地代、若馬にかわる子牛とミツバチの十分の一税を指示する。そのほかにわが領主は当地で畑の穀物の十分の一税と子羊・子豚および亜麻の十分の一税のすべての権利を有する。
 われわれは次のことを法として指示する。すなわち、わが領主は干草の十分の一税のかわりに、十分の一税採草地と称される採草地を二つ所有する。
 われわれは次のことを法として指示する。すなわち、シュライトヴァルトのこちら側に獲得される土地の5分の1はわが領主のものであり、彼はあちこちに立っている樹木の5分1束を得ることができるが、2モルゲンを超える土地を保持してはならない。
 われわれは次のことを法として指示する。すなわち、ランパーデンのいかなる世襲保有農民もベンロットの耕地に行き、そこで穀物を刈り取り、ヘンプテルン川上流に沿う湿地に行って草刈りを手伝うべきである。また荘官は刈った草を広げて、草が乾き、荘園使用人が求めれば、ランパーデンの村民はある場所から他の場所まで干草を移したうえで、干草を積み上げ、できるだけ乾いた場所に広げるべきである。そして荘園使用人は干草をもち帰り、干し草の作り手にチーズ、パンおよびニンニクのほかに、荘官がベンロットの羊の群れのなかから、先導羊を除いて、最良の去勢羊を与えるべきである。
 われわれは次のことを法として指示する。すなわち、ランパーデンの小川のあらゆる漁業はわが領主のものであり、ランパーデンの近隣住民は通常年2回わが領主のために魚を捕る義務を負う。そのため、かれらは漁師小屋と呼ばれる小屋をもち、小川で魚をとり、荘官は漁師に肉または半ゼスターのワイン、そして半ゼスターのワインと同じくらい良いスープを与えるべきである。
 われわれはまた次のことを法として指示する。ランパーデン代官所管区を流れるルーヴァー川両岸における漁業もわが領主のものであり、トリーアの大聖堂の領主の漁師とわが領主の下僕が川で遭遇した場合は、互いに譲り合うべきであり、じゃまをし合ってはならない。
われわれは次のことを法として指示する。すなわち、定められたときに地代を納めない者は、期限を過ぎれば贖罪金として10クロイツァー、参審員に10ペニヒの価格に換算される12 ゼスターのワインを納めることを指示する。
 もしランパーデンの領民が生活できないか、他所へ移住しようとするなら、まず荘官の所へ行き、領主に対して彼が負うすべての負債を清算した後、隣人の負債についてはその専門家に相談し、彼が領主と隣人を満足させられれば、夜ではなく日中に彼が望む三つの道のうち一つを選んで出発すべきである。そしてわが領主が領民と出会い、彼の荷車が進めないのを見たら、領主はその馬を降りて、右肩を車輪にあてて、できるかぎり手助けし、こうして領民が進めるようになれば、領主は「神のご加護があるように」と言うべきである。そして立ち去った者が再びランパーデンに帰りたいとのぞむなら、彼に門戸を開けるべきである。
 老齢その他の正当な理由で参審員がその椅子を降りたいと望むなら、わが領主あるいは彼の村長がその椅子を引き取るべきである。彼が参審員に助言を与えていなくても、やむをえざる理由により参審員の椅子について彼の助言が必要となる場合は、これにしたがうべきである。


 6-2-13 ぺリンゲン Pellingen


 われわれ参審員はまずもってこのぺリンゲン村のわが領主とザンクト・マティアスの教会に大罰令区およびエーダーという小罰令区を指示し、当村と全罰令区におけるわが領主をわれわれの法の上級裁判領主、代官、土地領主と認める。われわれはそこで人と罰令、漁獲と鷹狩、命令と禁令、拾得物と生計、水と放牧地、空中の鳥、 地上の獣、 水中の魚、 地面の砂、 狩猟と漁獲、参審員と裁判所の任免、計器、容量、長さおよび重量の検定、さらにいかなる形態であれ領民が手と口で招きかねない、ありとあらゆる贖罪金について指示する。ただし、首と胴体にかんする事柄は除かれ、わが領主はエーダーあるいは小地区の外ではこの問題とかかわりをもたず、ザールブルク地方行政区庁の権限に属する。だがエーダーの内部ではわれわれはわが領主に前述の諸権利のみならず、領邦君主の官憲を除くすべての統治権をも指示する。わが領主あるいはその村長は胴体、首、うなじ、身体と命にかんしてエーダー内で判決をおこない、法を執行しなければならない。それは強盗、殺人、窃盗、魔法などにかかわる。すなわち、誰かがこうした犯罪をおかした場合、わが領主の指揮官は彼らを捕らえて、ベンロットに連行し、法あるいは恩寵を適用すべきである。かくして罪人に裁きをうけさせようとするなら、ザールブルクの地方官に領邦君主の名において暴力に対する保護を求めるべきであり、地方官も保護をおこなうべきである。
 われわれは次のことを法として指示する。すなわち、小川の向こう側のフランツェンハイムおよびぺリンゲンのわが領主の代官所管区にある家々とわが領主の水車におけるすべての統治権、支配権、官憲および用益権は、ザンクト・マティアスのわが領主に帰属する。これに違反すれば、ぺリンゲンのエーダー内と同じように、拘留、贖罪金、絞首刑あるいは溺死刑を例外なく科せられ、領民がおかすかもしれない違反も同じように科せられる。これらの家々と水車のエーダーは、隣人同士が互いに平和を守る義務を負い、彼らの垣根が及ぶ範囲である。
 われわれは、次のことを法として指示する。すなわち、わが領主は新しい森林においてもぺリンゲンのエーダー内部と同じ自由をもち、またこの森林はわが領主の自由な所有であり、許可なしには誰もそこで伐採することができず、違反すれば贖罪金を科されるが、森林に木の実がある場合は、それは隣人たちに所属し、風による倒木は領主の荘官のもとのなる。
 われわれ参審員は次のことを法として指示する。わが領主は当地の正当な上級裁判領主であり、土地代官および授封主であるので、煙がたち昇る完全な世帯または家は毎年謝肉祭に1フィアテルのエンバクと1個の蜂蜜を、不完全世帯はその半分をさし出すべきである。そして領民は荘官と廷吏の意向に応じてその門戸越しに貢納物をさし出し、荘官と廷吏はザンクト・マティアスの倉庫にこれらを納めるべきであるが、倉庫管理人は彼らをしかるべき飲食をもって歓待する。またみかえりとして、わが領主は領民たちを保護すべきである。すなわち、領民がライン川まで、あるいはそれを越えて拉致されたら、わが領主は領民が再び家にもどれるように馬と書状の手配につとめる。
 さらにわれわれはわが領主に大小あらゆる十分の一税(子牛と子豚を除く)を指示するが、子羊の十分の一税を4ヘラーの金額で納めることとし、生きた子羊で納めてはならない。
 われわれは次のことを法として指示する。ぺリンゲンの共同体はフランツェンハイムの湿地で毎年草を刈り、ザンクト・マティアスあるいはベンロットに運ぶ義務を負う。これに対してわが領主は村民たちに6 ゼスターの価値ある1アイマ―のワインと1ズマーの粉をふるったパンを与える。そしていかなる夫役民にも二つの焼き菓子、ぺリンゲンの現職荘官には4つの白パン、当地の廷吏には1ゼスターのワインと二つの白い焼き菓子を与える。
 われわれはまた、ぺリンゲンの荘官および彼が許可する者がワインの栓を開ける権限をもつことを認める。そして参審員はワイン購入後習慣にしたがってワインの栓を開けて、おりを沈殿させるべきである。1マースのワインは彼らのものとなるが、いかなる住民も自分の育てたブドウについては好きなだけ秤売りするか、適正に売ることができる。
 この地域の領民が生計を立てられなくなるか、ここから転出したいと望むなら、最初に領主に対する債務について荘官と、次いで参審員および隣人と清算すべきである。彼が清算をすませれば、夜間ではなく昼間に、自分の好きなところへ去ってもよい。途中で領民がわが領主に出会い、その荷車が進めない場合、領主はその馬を降りて、前進できるように彼の右肩で後輪をもちあげるべきである。それでも荷車が去ろうとしなければ、領主は彼に「神が御加護をたまわるように」というべきであり、そうすれば荷車はその道を去って行く。
 われわれは次のように判断する。すなわち、わが領主にしかるべきときにその地代を納めない者は、贖罪金として領主に10クロイツァーを、参審員には10ペニヒに相当する12ゼスターのワインを納めなければならない。
 われわれは次のことを法として指示する。すなわち、毎年ここで屋外の裁判集会を開き、領主はその期間を任意に延長あるいは短縮することができるが、慣例によれば三王の日(1月6日)の後の水曜日に開くことになっている。これに出席しない者は、贖罪金として10クロイツァーを科される。しかし、彼が参審員による法の指示の際にも欠席すれば、10クロイツァーの贖罪金と10ペニヒに相当する12ゼスターのワインを科される。


 6-2-14 クレットナハとオーバーメニッヒ Crittenach und Obermennig


 最初にわれわれ参審員は、敬愛するわが領主とそのザンクト・マティアス修道院に対してクレットナハ村とメニッヒ村の二つの異なる罰令区、すなわち、まず大きな代官所管区と、次いでこの大管区内のエーダーという小管区を指示する。われわれはこの小管区内でわが領主を土地領主、授封領主、代官領主および上級裁判領主として指示と認定をおこなう。われわれは彼に対して人と罰令、漁獲と鷹狩、拾得物と生計、水と放牧地、 空中の鳥、地上の獣、水中の魚、地面の砂、あらゆる狩猟と漁労、裁判と法、参審員の任免、規制と赦免、さらには領民が手や口で招きうるありとあらゆる贖罪金、恩赦あるいは法の適用の権限についても指示する。
 首、胴体およびうなじにかんする裁きは、すべて参審員の判断とわが領主の意向にしたがっておこなわれる。そしてエーダー内のすべてのことについて、その内部の誰にも権限はなく、ただトリーアのわが慈悲深き領主、選帝侯のみに、領邦君主の官憲が留保されている。わが領主の官憲を妨げる者は、彼に不法をなす者である。
 同じくわれわれは、わが領主がエーダー外の大きな代官所管区おける正当な土地領主、代官授封主および上級裁判領主であると指示し認め、彼に対してこの大管区内ですべての裁判と法、領民が手と口で招きかねないありとあらゆる贖罪金についての権限を指示する。ただし、首、胴体およびうなじ、身体および生命にかんすることだけは除外され、これらはトリーアのわが慈悲深き選帝侯のためにエーダーの外のザールブルクの地方官の管轄に属する。
 われわれはまた次のことを法として指示する。わが領主がクレットナハまたはオーバーメニッヒの誰かを捕らえさせたら、わが領主は御料林フーフェ農の荘官に許可を求めるべきであり、そうすればベンロットまたはザンクト・マティアスの教会の拘置所のどちらにでも逮捕者を連行し拘留することができる。しかし、わが領主はクレットナハまたはオーバーメニッヒの代官所のエーダー内で捕らえられた者を裁こうとする場合、村長はいかなる日に裁くつもりか、ザールブルクの地方官に知らせるべきであり、領邦君主の保護のもとに置くことを地方官に要望すべきである。地方官は村長の要望を拒否してはならない。
 われわれは、わが領主に二つの自由な森林について次のことを法として指示する。すなわち、伐採であれ焼畑であれ、わが領主の了解なしに、誰もそこで木を伐ってはならない。われわれはまたクレットナハのわが荘官の裁判管区の保護下にある自由な禁制製粉所について次のことを法として指示する。そこでは臣民は罰令にしたがい粉をひく義務を負い、これに反した場合贖罪金を科せられる。そこで違反が発覚した者には、われわれ参審員の判断により、重罪と重い贖罪金を指示する。
 そしてわれわれはこの製粉所と森林を自由であると指示する。そこに逃げ込むことができた者は、6週と3日の間そこで自由を得るべきである。彼がその期間内に釈明することができるなら、彼は参審員の判断によって自由を享受すべきである。
 われわれはクレットナハのわが領主に毎年聖霊降臨祭の次の木曜日に野外の裁判集会の開催を認めるが、領主の意志により短縮あるいは延長することができ、裁判集会が開催される上記の日に、あらゆる農民(gehover)は命じられなくても参加する義務を負い、違反した場合は贖罪金を科せられる。しかし、集会が短縮または延長された場合、農民は廷吏をとおして参加を命じられる。
 われわれ参審員はいかなる農民にも、領民がたくさん生産する6羽の鶏または雄鶏の貢納を指示する。またいかなる農民にも20ペニヒの貢納を指示する。その場合、6ぺニヒは悪い1トリーア・ヘラー、すなわち現在の硬貨で3 アルブス・ロターテスに値する。
 さらにわれわれはわが領主に次のような代官権を指示する。すなわち、クレットナハの代官所管区のいかなる完全世帯からも1フィアテルのエンバクと1羽の鶏、いかなる分割世帯からもその半分のエンバクと鶏を徴収することを認める。そして荘官の意向により領民はこうした量のエンバクを計って、荘官に門戸越しにさし出すべきである。だが、産褥の床につく女には、荘官は鶏の首を切って、門戸越しに女に投げ返すべきである。これとひきかえに、わが領主は領民を保護し、領民がライン川に、あるいはそれを越えて遠くに拉致されたときは、わが領主はこの者が帰宅できるように書状と馬の手配をすべきである。
 決められた日の日中に地代を支払わない者は、領主に10クロイツァーの贖罪金、参審員に12ゼスターのワインを納めるべきである。
 われわれはわが領主のために聖マルティノの日(11月11日)の後の日曜日と聖ステファノの日(12月26日)の後の日曜日に地代を徴集し、そのたびに荘官はわれわれに1ゼスターのワインおよびそれと同等の良いスープをふるまう義務を負う。われわれがこれを間違えた場合は、自弁すべきである。
 わが領主にクレットナハの代官所管区で、畑における作物とワインの十分の一税、子羊、子豚、蜜蜂および麻の十分の一税の徴集を指示する。しかし、現在の採草地における子馬、子牛および干草の十分の一税は認められない。
 われわれはわが領主がクレットナハに所有する採草湿地における賦役を認める。すなわち、わが領主は毎年草を賦役によって刈り取らせ、使用人は干草を広げ、干草が仕上がったら、荘官は鐘を鳴らし、農民(その誰もが男あるいは女の日給を稼げるほど強くあるべきである)に命じて、干草を積み上げさせるべきである。こうして干草が積み上げられたら、わが領主は積み上げをおこなったどの賦役農にも二つの焼き菓子と一人の干草づくり人夫に四つの焼き菓子を与えるべきである。こうして干草の積み上げが終わったら、干草は湿地から運ぶようわが領主に指示され、クレットナハの臣民は荘官の命令にしたがって干草をザンクト・マティアスあるいは指示された他の場所へ運ぶべきである。もちろんわが領主の役畜が一台の荷馬車で干草を運ぶことができるように、わが領主はその道を改良する。
 最後にわれわれ参審員は次のことを法として指示する。すなわち、クレットナハの代官所管区に住む領民がより良い機会と利益を求めて他所へ移住したいと望むなら、この者はあらかじめ荘官および参審員と清算した後に、彼が望むところへ移住してもよい。そして彼がその財産を荷車に積んで、前進できないときに、わが領主が彼と出会ったなら、領主は馬を降りて、右肩で領民の荷車をできるかぎり後押しすべきである。それでも荷車が進まないときは、わが領主は再び馬に乗って、そこから去ってもよい。そして領民に「神の御加護があるように」と言うべきである。


 6-2-15 プルーヴィヒ Pluwig

 裁判は道路の左側の木の下でおこなわれる。領主は高い壇上に祈祷書を置き、管区内に完全世帯を有するいかなる家も領主に聖ルカの日(10月18日)に1フィアテルの穀物と、6個で1フィアテルに相当するライ麦パン二つをさしだし、不完全世帯はその半分をさしだすべきである。
 領主には教会の前の土地区画が所属し、これは長さ1モルゲン、幅4ルーテの自由地であり、同じく四方の壁に囲まれた製粉所、教会ならびに荘官の家も自由地である。
それら4つの場所、すなわち教会、領主所有区画、荘官の家および製粉所において、暴力、流血の傷害、武器による騒ぎ、その他の問題を起こした者は、領主単独で処罰しなければならず、上級裁判所はこれに関与しない。
 領主は48束の干草十分の一税を有し、これは普通のわらたば用の綱で2回束ねられるべきであり、上述の領主土地区画に日中に届けられるべきである。そのうち参審員は2束を得る権利を有する。
 製粉所の維持にいかなる木材がふさわしいか、車輪、支柱、頂上、前部、土台のいずれであれ、領主の荘官が領主のためにシェーンドルフの荘官に求めて、領主の森林で木材を得られるようにすべきである。同じく、領主の厨房における精肉台と調理台、領主邸で必要なその他のものをシェーンドルフの荘官は領主林で調達すべきである。領主の保護下にある領民は木材を製粉所に運び、領主あるいは製粉所管理人は彼に食事を与えるべきである。領主は精肉台と調理台を森林で作らせ、領民はそれをもち帰り、そのみかえりに領主のところで食事をうけるべきである。
 領主の保護下にあり、世帯をもつ者には、シェーンドルフの荘官は領主林のブナの木を一本与え、この者はそれをもち帰り、7フスの長さに分割して、杭をつくり、領主のもとへ荷車で運搬すべきである。この荷車は非常に大きいので、車輪がはずれたら、3回領主の農場へ行った者は、片手で車輪、もう一方の手で車軸をもってきて、再度取り付けてもよい。領主はこの領民に食事をほどこすべきである。
 そうした木材の提供とひきかえに、領主はシェーンドルフの荘官、参審員および廷吏に聖ステファノの日(12月26日)に、一度で満足するほど多くの牛肉と豚肉を与えて、食べさせるべきである。また1フィアテルの焼き菓子を32個、さらに過ぎ越しの日には領主がその食卓で飲食するような6 クヴァルトのワインと32個の焼き菓子を用意する。
 領主に納めるべき12マルタ―の地代は領主のパン焼き職人によって計られ、領民は自発的に彼に酒手を贈るべきである。しかし領民は、このパン職人が正しく計らないのではないかという疑念をもつなら、領民は誓約した計量人を任命し、領主と領民は彼の報酬を折半すべきである。
 領主はその保護のもとにあるいかなる者からも毎年謝肉祭に1羽の鶏を徴収する権利をもつが、そのうちの誰かが不当に捕らえられた場合は、領主は領民が放免されるか、あるいは適切な扱いをうけるように努力すべきである。
 領主には毎年4アルブスの銀貨の地代が貢納されるが、荘官はこの地代を徴集してニンニクとチーズを買い、隣人たちが牧草を刈るとき、スープ用に与えるべきである。
 ある者が領主の保護のもとで生活できない場合、彼は荘官のところへ行き、彼と清算して支払いをすませば、荘官は彼に4つの道を示すべきであり、彼は生活できないので、どこでも好きなところへ移住することができる。そして彼が進むことができないところへ領主が遭遇したら、領主あるいはその従者は馬を降りて、彼を助けるべきである。すなわち、後輪が進んでも前輪が止まっていれば、領主は進めるようにすべきである。しかし彼が1-2年で戻ってきて自分の所有地と相続地をもつなら、彼は以前と同じように領主の気に入り、貢租と地代の支払いによってうけいれられるべきである。当地区内に三本脚の椅子を置けるほどの相続地をもつ者はすべて、その土地から領主に地代を納める義務を負うべきである。


 6-2-16 シリンゲンとヴァルトヴァイラー Schillingen und Waldweiler (1549年)



 当地区内で大聖堂の領主に対してあらゆる命令、禁令、拾得物、土地、生計、漁獲、鷹狩、ありとあらゆる贖罪金を指示し、また当地区内で身体を損傷した人間を法と慈悲をもって領主が罰することを指示する。事件が起きたら、領主は絞首刑、溺死刑、投獄、火刑をなしうる領主権をもつ。犯罪人を連行しようとする場合、村長はクリムブルクの地方官のところへ馬で行き、犯罪人を街道を通って連行する許可を求めるべきである。また地方官は領主を中傷する者を留置して、領民に正しいおこないをさせるように協力すべきである。
 シリンゲン村内の領主の家屋はあらゆる壁の外側3フスの範囲に自由地域を有し、もしその範囲内で二人が殴り合うなら、右手が失われることを指示する。
 領主が家を建てることを望み、奉仕を必要とするなら、臣民はこれをおこない、賦役または奉仕をおこなうなら、彼らにその家庭と同じ程度の食事を与えるべきである。
 領主が必要とする薪を運ぶ義務を負うシリンゲンの領民が薪を提供するなら、彼にスープをほどこすべきである。
 領主が狩りを望むなら、領民は領主が狩りをするところまで網を運ぶべきであり、領主が食物その他必要なものをトリーアへとりに行かせ、同じく獣の肉をもち帰らせることを望むなら、これにしたがうべきである。
 引き上げられた十分の一税の変更あるいは撤回を望む者は、十分の一税の引き上げが確定するまでの間にその旨を告げるべきであり、10マルタ―の作物から1マルターのエンバクを与えることによって引き上げを回避すべきである。
 クリスマスに60羽の鶏と鶏1羽について5つの卵を当領主に納めることを指示する。また当年結婚した使用人、寡婦あるいは相続人は相続税を貢納する義務を負う。
 領主の保護のもとに世帯をもつ者は、その家長が死亡した場合、寡婦あるいは相続人が、ひずめをもつ家畜のなかから死亡税を納める義務を負う。
 奉公人をもつ者は、毎年領主に御料林の木を荷車一台運ぶ義務を負い、クリスマスに開かれる裁判集会前にさしだすべきである。また堅信礼を受けた13-14歳の少年が必要なだけ載せることができ、車がこわれるほどの量の木を積むべきであり、領主は少年あるいは下男にスープをふるまったうえで帰宅させるべきである。
 ヴァルトヴァイラー村の地区内で参審員は大聖堂参事会の領主に土地、生計、鷹狩、漁獲、強制執行, 人と罰令、水と牧場、岸辺の魚、地上の獣、雲中と雲上の鳥を指示する。誰かが地区内で身体刑をうける犯罪をおかした場合、参審員は当然彼の身体に罰を科さねばならない。
 臣民が作物を納める場合、領主は彼らに食事をふるまうべきであり、領主がそうしないときは、領民は食事で食べられるだけのエンバクを袋のなかに残しておいてもよい。
 領民が窮乏のために村から移住することをのぞみ、彼の相続人が不服をいわなければ、彼は自由に移住することができる。領主が彼に移住の途中で出会い、領民の車が立ち往生し、進めなくなったら、後輪が前輪の方へ進むように領主は彼を助けるべきである。そして彼がその後遅かれ早かれ再度戻ることをのぞむなら、彼の相続人が領主への貢納を条件に自由に不満なく立ち去ったことを見届けるべきである。
 領主がある臣民の貢租滞納のゆえに差し押さえなければならない場合、馬以外を差し押さえるべきではない。馬をもってないときは、領主は畑の作物を差し押さえるべきであるが、作物が足りない場合は、荘官は相続地に手をつけ、そこから領主に支払いをすべきである。
 死亡、火事、暴力沙汰その他の不運により耕作ができない場合、荘官は参審員とともに貢租を人々の数に応じて彼らの農地に割り当て、領主はこの割り当て分を貢租の支払いまでもつべきである。
 干草を運ぼうとする場合、荘官と参審員は、干草が茂みにひっかかって残ることなく正しく積み込まれるように監督すべきである。最も高いところに残されているものは廷吏のものとなる。
 高木林に木の実がある場合、次のように豚の放牧税を課税することができる。すなわち、後に選別される豚は1ペニヒを納めるべきである。この場合、6ペニヒは1トリーア・ヘラーに相当する。また去勢豚一頭は4トリーア・ヘラー、屠畜豚2頭は豚一頭に相当する。


 6-2-17 ラインスフェルト Rheinsfeld (1546年)


 最初に地方官は参審員と裁判官に、トリーアの11人の都市裁判所参審員が2年に一度聖ルカの日(10月18日)後の第二月曜日にラインスフェルトの裁判集会で二つの指示をおこなうことを認めているかと問い、これに答えて参審員たちは一致して、「はい、本日、次回の裁判集会に向けて最終指示をおこなうべきである」と述べた。
 誰かある者、またはある参審員がわざと欠席した場合、この者は罰をうけ、参審員はその二倍の罰をうける。
 この自由な上級裁判所の領域と管区内において、われわれはまず使徒聖ペテロをトリーア大司教領の保護者とし、次いで大司教をこの上級裁判所管区内で権力者としての領主、慈悲深い領主であることを示し、胴体、首およびうなじに対する裁判権、絞首・溺死・火あぶり・生き埋めの処刑、さらに不法行為者が犯罪をひきおこしてきたような罰令と人、規制と赦免、水と牧場、すべての自由道路とすべての幹線道路について領主に指示する。この自由な上級裁判所管区内ではいかなる領主も自由道路における命令と禁令を発してはならず、同じくいかなる領主もこの上級裁判所管区内で命令と禁令を発してならず、10ヴァイスペニヒより高い贖罪金を徴収してはならない。しかしこれとは別に大司教に対してだけ、参審員は上級命令と高い贖罪金の徴収を認める。すなわち、参審員は高い贖罪金として20ヴァイスペニヒに相当する10 カウフマンス・グルデンを指示する。われわれはまた大司教に上級裁判所管区内で、鳥獣の捕獲と鳴き声、すべての災厄、 岸辺の魚、地上の獣、空中の鳥、拾得物、鷹狩、漁獲、飼主のいない牛にかんする権限を指示する。選帝侯のもとであらゆる計器、容量、長さと重量が検定されるべきであり、ラインスフェルトのいかなる共同体参審員も都市裁判所参審員の検定をうけ、その正しさを確認すべきであり、村落参審員のもとにある隣人たちはその参審員から秤等をもらい、正しく使うべきである。
 さらに参審員は次のことを法として指示する。この自由な上級裁判所管区内に住む領民は裁判集会とその指示の3日間裁判集会に行き、屋内での集会の開催に協力しなければならない。彼がグリムブルクの城内に住んでいる間は、上級裁判所管区内に自由に居住し保護されるべきである。彼はその子どもをこの上級裁判所管区から彼の名誉と生計が助けになるところへ結婚させる自由と権限ももつべきである。彼は副保証人なしに自由に定住すべきである。また選帝侯がこの自由な上級裁判所管区で不法行為者をとらえ、裁判をおこなう場合、そこに定住して副保証人による保証をうけている領民が望むなら、領主は彼の願いに応えて、不法行為者を再び門に連れていき、法、慈悲あるいは権力によって彼の保証を取り消し、釈放すべきである。そのうえで、領主は不法行為者をその行状に応じて処分すべきである。この上級裁判所内に定住する領民は、領主の承認がなくても、その相続地と財産を売り、使用し、担保とする権限をもつべきである。彼はまた、ある領主から他の領主へ、また他の領主から第三の領主へ、その財産をもって移動する自由と権限をもち、どのような領主にも妨げられることなくその財産を自分で取得するべきである。領民が移住を望むなら、彼が負債を負う領主、飲食店主、客などに、あらかじめ支払いをすませたうえで、晴れた日に荷物を積んで、昼間に移動すべきである。領民が荷物を積んで進むことができないところへ、その後からやってきた領主と出会い、大司教も他の領主も同じように、下僕に馬から降りて荷車の後輪を動くように助けることを求めるべきである。なぜなら、前輪が止まってしまっているからである。そうすれば領主は参審員の指示を遂行し、彼の名誉を証明したことになり、領民がうまく進むことができることは、領主にとって好ましいこととすべきである。領民が日夜努力して、再び元の領主のもとに戻ることを希望すれば、領主は彼をうけいれて、彼がその農地を売却していなければ、古い貢租と賦役で自由に利用させるべきであり、そうすれば領民は暮らしていけるので、領主は彼にそのような恩恵を与えるべきであろう。


 6-2-18 タールファング Thalfank (1505年)

(タールファングはトロネッケンを居城としていた貴族ヴィルト・ウント・ライングラーフェン[Wild- und Rheingrafen]を土地領主とする集落であった)

 神の名においてアーメン。1505年2月10日月曜日およそ午前8時ころ、トリーア司教領タールファング村で、荘官のクラーゼン家の最上階の部屋に、公証人の出席のもと、わが領主ザルム伯ヤーコプ・ヴィルト・ウント・ライングラーフェンの尊敬すべき地方官と、マインツ、トリーアおよびメッツ司教領からの使者が来て、当日タールファングに出席していたタールファング村の14人の参審員に、次のように助言した。すなわち、わが領主は彼らに命令して、参審員が古くからのしきたりにしたがって自由に裁判集会を開催して指示をおこない、少しの改革をおこなうようにと述べた。そこで14人の参審員は、命令にしたがい、古くからのしきたりによって今まで守られているとおり指示をおこなうことを満場一致で申し合わせた。そこでまず、前述のトロネッケン(Dhronecken)の現地方官ペーター・ライングラーフ・バスタルトが古い習慣にしたがって、今、裁判集会を開くべき時刻であるか、参審員に尋ねた。これに対して参審員が、「はい、その時刻です」と答えたところ、当地方官は どの参審員にも着席を命じ、名前を呼び、次のように述べた。すなわち、私はここでわが領主のために罰令と平和を語り、誰も許しなく着席・起立してはならず、入退室してはならないことを命じ、ここで言葉あるいは行動で悪しきふるまいをする者は参審員の承認によって罰せられることとする。参審員諸君は起立して、私にこの国のわが領主の裁判管区について指示せよ。これにこたえて参審員はその裁判管区を確認し、指示した。 ― その後参審員は、同上の裁判管区内で上級裁判領主ライングラーフに、首とうなじに対する裁き、さらにあらゆる鳥獣の狩猟、森の獣、岸辺の魚、水と牧場、領民による茎の長い麦の食事、そして領民が建築の必要のために昔どおりに利用する森林の伐採にかんする命令と禁令を指示し、認めた。また無償で森林において木の実を利用することについても指示がなされた。― さらに、当管区内で木を伐り、売り、あるいは邦外へ運んではならない。車大工と炭焼きは、この管区内で森林権がなくても、利用する必要がある場合にかぎって、森林をその手工業に利用することができる。ろくろ細工師は森林の利用について毎年約1ダースの鉢と皿で証明すべきである。わが領主のために裁判所廷吏または裁判所参審員または地方官または城外の従者によっておこなわれる命令を軽視する者は、毎回10ヴァイスペニヒの贖罪金を科される。わが領主のためにおこなう荘官の命令が軽視された場合の贖罪金は20ヴァイスペニヒである。わが領主みずからがおこなった命令を軽視する者は、いかなる命令であれ、常にわが領主の不興をこうむる。他人になんらかの射撃、投擲あるいは刺し傷をなすものは常にわが領主の不興をこうむり、上下級いずれかの刑罰をうける。手当と手術をしなければならないような傷を負わせた者は、わが領主に10グルデンを納め、1グルデンにつき20 ヴァイスペニヒを支払わなければならない。他人を足あるいは棒で殴打した者は訴えられ、贖罪金10ヴァイスペニヒを科される。贖罪金がひそかに取り決められ償いがなされた後、これがわが領主に知られた場合、わが領主はこの者に使者を送り、取り決めの理由を調べるべきである。またこの理由について参審員に伝える必要がある。荘官がトロネッケンのわが領主に担保として人質をさし出すとき、領主の恩恵に対して、荘官は人質にともなう貢租の支払いをおこなう。人質が死んだら、領主の恩恵が許すかぎり、荘官は他の人質を領主の従者によってトロネッケンへ連れていくべきである。領民が貢租その他の義務を負う保証人をもっている場合、この領民を投獄してはならない。だが、不遜な態度をとった者はわが領主の不興と罰をうける。人質が裁判所廷吏の保護のもとに置かれたら、毎回贖罪金10ヴァイスペニヒが科される。その後、裁判所廷吏を監督する立場にあるわが領主の従者は、1ヴァイスペニヒの報酬を求め、人質を護送することができる。かくして人質はわが領主の従者の保護下に置かれ、最高の裁判官であるわが領主の不興と罰をうける。わが領主は毎年2回タールファングで重要な指示を得る。その最初で最大のものは四旬節の第一月曜日におこなわれる。そこで参審員は命令がなくても出席し、領主裁判管区と領域に指示をおこなう義務を負う。農民はそこに出席しなければならないが、それ以外の者は出席を強制されない。だが参審員はわが領主の命令を守り、これに手加減を加えてはならない。そのほかに重要な指示は湿地で草を刈る時期であり、参審員は命令されなくともこれに対する責任を負う。そのほかに一年のいかなる時期であれ、わが領主あるいはその荘官が参審員を必要とすると知らせた場合、彼らは命令されなくともこれにしたがう義務を負う。― わが領主は毎年3回の年市をタールファングで開く―、これは皇帝によって自由とされているので、市場とそのまわり1マイル圏内で暴力をふるう者は、わが領主にとらえられ、手を失うことになる。そうした三回の年市にわが領主はワイン酒場をもっており、高流通税を1 グルデンについて3ヘラー徴収する。それに対して参審員は「市場税」(stedegeld)と呼ばれる小流通税を得る。さらに一年のいかなるときであれ、わが領主の裁判管区内で誰かが暴力沙汰を起こして、いずれかの参審員の家に逃げ込めば、彼はそこでかくまわれるかぎり、安全であるという自由を有する。夫婦がキリスト教の秩序にふさわしい世帯をなして住んでいる家は、毎年クリスマスと謝肉祭の間に一度だけわが領主に2羽の鶏をさしだす義務を負い、これは謝肉祭鶏と呼ばれ、そうした家の寡夫あるいは寡婦は1羽より多くの鶏をさしださなくてもよい。このような謝肉祭鶏を14人の参審員は免除される。― 贖罪金が参審員の指定した所に納められた場合、その半分はわが領主に、他の半分は参審員のものとなる。



 6-3. イーダルヴァルト Idarwald

 6-3-1 ゼンスヴァイラー Sensweiler (1520-50年)

(ゼンスヴァイラーはイーダル渓谷上流の山村で、貴族ヴィルト・ライングラーフェンの領地)


 使徒聖ヨハネの日(12月27日)、クリスマスの2日後、裁判長は最初に参審員に「皆さんは年次裁判集会でわが領主ライングラーフェンに助力するか」と問い、参審員いわく、「はい、彼の権限に属することについて裁判をおこなおうとするかぎり、そうします」。裁判長が「何が彼の権限に属するのか」と問うと、参審員は「飲食、そしてあらゆる犯罪と非行の3分の1が属する」と答え、参審員は申し合わせによって、知っていることを法として示す。しかし、それに書状や印章が加わっても、参審員はその名誉が辱められることがないことを望んでいる。裁判長は、いずれかの農場が自由であるかと問い、参審員はこれに答えて、クロッペンホーフ農場だけを挙げ、それ以外には何も示さない。不法行為者がそこに逃げ込んだら、彼は自由を享受すべきである。荘園農民が彼を処刑しようとおもうなら、彼は門の上に処刑台をつくり、腹を門の内側に、背中を門の外側に向けて処刑すべきである。荘園農民に綱が重すぎる場合には、彼は門のための適正な綱糸を領主裁判所の領主の手に届けるべきである。
 さらに裁判長は参審員に、「誰をこの管区の最上級領主とするのか」と問い、参審員は首とうなじを裁くためにヴィルトライングラーフェンを指名すると答える。
 管区内の農場はすべて受領した農場であり、いかなる農場にも家長がおり、家長が死ねば、死亡税を納めるべきである。この農場の一部をもつか、または共有する者も死亡税を納めるべきであり、領主の使用人のところへ早く行って、できるだけ寛大なはからいにより農場を借りるべきである。そうしない者がいれば、領主の使用人は厩舎に行き、そこから1頭を除き最良の家畜を取るべきである。いかなる農場からも聖ヴィトスの日(6月15日)の後卵4.5、木の葉4.5を納め、木の葉は、1クラフターの幅に積み上げる。もし誰かがその卵を領主役人に納めたくなければ、それを取って敷居の上に置き、犂の刃で切るべきである。それが外側に落ちれば違反となり、内側に落ちても違反となる。
 さらに参審員はこの農場に9トリーア・ファスのエンバクと6トリーア・ファスのライ麦を指示し、ライ麦のうち5トリーア・ファスが領主に、残りは「メットコルン」(medtkorn)という名で領主役人に納められる。これを納めたくない者は他の作物を選ぶべきである。フーフェ保有農民が運び、製粉所が粉にひき、そこから犂の車輪ほどの大きさの菓子を焼いて、それを犂の車輪のかわりに畑の真只中に置くべきである。畑の端に着く前にこわせば、違反となり、こわさなくても違反となる。そこでどの農場も鶏1羽を納める。
 さらにわが領主はジンスヴァイラーのバルトロマイのあたりに宿営地をもち、1戸の家につき1フープファスのエンバク、1羽の鶏を納めるべきであり、産褥の妻がいれば、領主の使用人は鶏の頭をちぎって、鶏を産褥の妻の家へ投げ返すべきである。参審員は、さらに次のことを法として指示する。すなわち、領主またはその従者が来て、宿営しようとおもうときは、領主またはその将官が羊の群れのなかに入って、そのなかから最良でも最悪でもないような去勢羊を取り、1フント・ヘラ-以下の金額で食べるべきである。
 さらに参審員は次のことを法として指示する。すなわち、クリスマス前夜に領主役人は8.5シリングの耳飾り付き帽子を受け取るべきであり、彼は1ポンドの麻、1ポンドの蝋を買い、クリスマスに農婦のところへ会いに行くべきである。そこで彼女は黒い外套を受け取るべきであり、それから目をそむけるなら、領主役人はいつでも怒るべきであり、農婦は領主役人に彼女が食べているのと同じくらい良い食事と飲物をさしだすべきである。

 6-3-2 ラウネン Rhaunen



 ラウネンの7人の参審員による裁判所の代官に対する指示は次のとおりである。われわれ7人の参審員は代官に費用をわりあてる。なぜなら参審員は費用を負担しないからである。参審員が領主またはその従者から許可を得れば、われわれは代官に2倍の金額をわりあてる。
 領主から授かった農地または自由地代農地をもち、多少の違いはあれ6 デナールほどの地代を納める者には、われわれはこの裁判集会を守り開催することを指 示する。しかしふとどきにも集会に来ず欠席するなら、われわれは本日彼が来るまで、彼に6ゼスターのワインに相当する7.5シリングの贖罪金を指示し、彼が来たら、参審員に3ヘラーと4シリングを納めるべきであり、その後従順な態度をとるべきである。しかし従順でなければ、従順になるように彼の農地に対する強制処分を執行すべきである。
 世帯をもち、かまどの火から煙を昇らせる者は1ズマーのエンバクと3ユングヘラーを納める義務を負うが、種まきや収穫ができないほど貧しい者が免除を請 うなら、彼らには免除を認めるべきである。相互に境界標柱と境界標石で分けられ、 相互に共有されている二つの農地の交換または売買が必要になった場合、相互に交換または売買することができる。それ以外の場合、農地が分割されることは許されないだろう。
 立ち入り禁止されている農地に契約なしに入る者は、毎回11シリングと3ヘラーの贖罪金を科される。
 私闘または敵対が起きたときは、村を閉鎖し、代官所の通りを開放し、代官は必 要に応じて彼の部下とともに馬で出入りできる。
 参審員が必要とするなら、代官に最初の誓いを、その後高位の領主に誓いを指示する。それが古くからの慣わしなので、今後もそのように指示する。
 第二のヴァイストゥーム。われわれは12の領主から授かった農地を指示する。どの農地も水車の草地との境界のしるしをヴァルプルギスの日(4月30日)の前につくり、領主に損害を与えてはならない。だが彼がふとどきにも境界のしるしをつくらない場合は、法務官’は参審員をそこに連れていくことができ、そこで彼は1ゼスターのワインを納め、境界のしるしをつくるべきである。
 われわれは、領主から授かった12の農地が厳格な領主に12人の穀物刈り入れ人夫を提供するよう指示し、各人夫は日雇い賃金を稼ぐことができるものとする。
 ラウネンの教会の聖別式には、2人の農民はともに馬車でワインを取りに行き、領主はどの運送夫の馬車にも縦横1ゲミュントの寸法のパンと、1ゼスターのワインを与えるべきである。
 領主作物の刈り入れをおこなう季節が来たら、村の鐘を鳴らすべきである。村民が集合したら刈り入れ作業をおこなうべきだが、祝日におこなってはならない。代官が刈り入れをおこなう日の後に、村民が刈り入れを行うべきである。しかし貧しい者がパンに困っており、作物がまだ畑にある場合は、領主の刈り入れ待つことができないので、許可を求めるべきであり、そうすればわれわれは彼らに8ザイルの作物の刈り取りの許可を与えるべきである。彼らがそれを食べてしまい、領主作 物の刈り入れがなされていない場合は、彼らは代官に許可を求め、村民も彼らに8 ザイルの作物を刈り取る許可を与えるべきである。しかし許可なしに刈り取ったら、罰として2ゼスターのワインを、そのうち1ゼスターを代官に、1ゼスターを 他の村民に差し出さなければならない。われわれはそのように指示されてきたので、われわれは今後もそのように指示する。
 

 6-3-3 ホッテンバッハ Hottenbach



  参審員の指示によれば、風が木を倒したら、それをみつけた者はそれを取得できる。しかし、領主の従僕が来たら、彼は幹を領主の利用のために取ることができ、領民には枝を残すべきである。ただし領民がそこで何らかの作業にとりかかって いたら、領主の使用人はそれをやめさせるべきである。
参審員の指示によれば、裁判管区で不法行為をおこなう者をみつけたら、裁判領主の従僕と役人が捕らえて拘留すべきである。しかし彼らがとりおさえられなければ、裁判管区に住む者が協力してとりおさえるべきである。その場合参審員は協力する義務を負ってなくても、他の者が拘留できなければ、支援に行くべ きである。
 また参審員は二つの屋敷、上屋敷と下屋敷を次のような権限と自由を有する自由屋敷とみなす。すなわち、誰かがそのなかに自由、慈悲および保護を求めて逃れれば、彼が糊口をしのぐかぎり、そのなかで自由を得られる。その屋敷で彼をとり おさえる者は、手と足を失う。参審員の家に自由を求めて逃れる者は、そのなかに とどまり自由を得るかぎり、自由とすべきである。
 また参審員は、上屋敷が毎年1フーダ―の禁制ワインの販売権をもち、今後ともその続行を認める。裁判領主の従僕は、昨年度の禁制ワインがいかなる領民に残っており、禁制ワインがどの領民のところにあるか、上屋敷のために尋ねるべきである。そこでその領民を呼んで領主役人は一本の茎を与え、それとともにワインを渡すべきである。そして彼が茎を手にしたら、ワインを販売すべきである。しかしそうしなければ、彼は6シリング・ヘラーで当年の禁制ワイン販売権を 譲渡すべきである。つまり彼はそれを第二の領民に同じように譲ることができる。 それがおこなわれなければ、彼は6シリングで譲渡することができる。そして彼は第三の者にこれを譲るべきである。そして第三の者はこれを保持すべきである。こうして残った者に、領主は裁判集会後14日以内にワインを費用と損失の自己負担により渡すべきである。さらにこの領民はワインを保管し、開栓し、適当な 金額で売るべきであり、この金額は領主のものとなる。こうしてワインがなくなれば、領民は領主と清算し、彼に金銭を渡すべきである。裁判管区内に住む者は、ワインが残っている期間より長い間、借金をしてはならない。彼は裁判管区外で借金してはならない。彼が裁判管区で身分不相応の借金した場合は、領主の従僕は裁判 所に同行し、裁判管区内に住む者から、領主に支払われるだけの財産を担保として差し押さえるべきである。領主はワインを売る領民に1マルターの穀物について半マルターの穀物をパンで与え、poet und wurffelについて4.5シリングを与え、未熟なワインについては3ゼスター分だけ値引きすべきである。ワインが味 気なく飲むのに適さない場合は、ワイン小売り評者は裁判管区内の住民の家に3ゼスターのワインを送り、その費用は自分で支払うべきである。扉を閉めてワインを受け取ろうとしない者には、鶏が出入りする抜け穴にワインを流し込むべきであり、受取を拒んだ者がワインの代金を払うべきである。
第一あるいは第二のワイン販売領民のどちらかが、6シリングの賠償金を払うことにってワインの販売をひきうけようとせず、第三の領民もそれをひきうけたくない場合、ワインの販売にふさわしい者のところへワインを運び、その荷を降ろすべきである。ワインの小売りを拒否し、ワインを引き渡した者は、ワインの 代金を払うべきである。参審員は下屋敷にも1フーダ―の禁制ワインの販売を指示し、ワイン小売り業者が上屋敷のワインがなくなりそうだとおもうときは、領主役人に知らせて、村にワインがなくなってしまわないように彼のワインを送るべきである。
 参審員は次のように指示する。すなわち、もし裁判領主がその親族とともにホッテンバッハに宿泊するときは、女を驚かせないように、彼の剣と拍車を扉の前で取り外すべきである。領民は1樽のエンバクと1羽の鶏を彼に差し出すべきであり、 領主はそれを彼の地代から差し引くべきである。領民はまた領主の裁判管区に住んでいるしるしとして、1ザイルの完全な干草、 4樽の langhを差し出すべきである。
参審員は投石を殺人とみなす。
 境界の石をふとどきにも犂で掘り出す者は、その穴を彼の腰の高さまで埋めるべきであり、4頭の強い馬をつないだ犂で掘り返すべきである。
 参審員は次のように指示する。すなわち、領民は年に一度、オークの木の葉で雄牛の角を飾るとき、賦役をおこなうべきである。そして朝出かけるときに、雄牛にえさを与えるべきである。彼らは太陽に合わせて往来し、妨げになる石を取り除くための下男を連れていくべきである。


 6-3-4 クライニヒ Cleinich


(クライニヒはシュポンハイム伯領の村落で、村は誓約団体、村民は誓約団体員とみなされている。)


  裁判集会が三王の日(1月6日)の後の月曜日に開かれ、裁判長は参審員に次のよ うに問いかける。
 私の次のような問に指示をしてもらいたい。すなわち、領主が正義を守り、彼の 誓約裁判集会の村民に不法をなさないようにするには、裁判集会をいかに始めるべきか。
 答: 裁判長殿、あなたは私に呼びかけて、誓約村民にしたがうように命 じられたので、誓約村民が私に指示をおこなえば、私も今後できるかぎり最良の指示をおこないたい。
 裁判長殿、あなたは私に法を問われたので、誓約村民が私に指示したとおり、私 は法を次のように指示する。すなわち、あなたは本日の裁判集会に対して、裁判集会に属する領主のために罰令と平和を実行し、誰も許しなく他人の席に占めることを禁止し、誰も許しなく他人に語りかけることを禁止し、暴力と不遜な行為を禁止し、本日この集会に出席することを全員に要求し、すべての計量器をここにもってくるように命じ、村にはズマー枡、製粉屋にはゼスター枡、飲食店にはワイン枡、正しい半ゼスター枡、ヘラー貨、ペニッヒ貨を命じ、これらが正しいとわかれば、正しいと認め、不正だとわかれば、正すべきである。また裁判所の尊厳のために、 あなたは誓約村民に宣誓と誓いにもとづく審議と処罰を促し、悪評のゆえに法に よって処罰できることすべてを申し述べるように促すべきである。誓約村民が訴 えれば、裁判集会に属する領主または彼の強力な使者がこれに出席し、誓約村民が 正当であると認めうるかぎり、それについて裁くべきである。こうしてあなたはわ れわれに審理を促す。
 問: 私の次のような問に対して法を指示してもらいたい。すなわち、誓約村民が 森に伐採権をもち、また伐採を必要としているとき、わが裁判領主またはその使者が来て、彼を捕らえようとしたら、彼は捕えられずにすむのか。
 答:あなたは誓約村民に指示するよう、私に命じられたので、誓約村民は私に 法を指示し、私はできるだけ最善の指示をおこなう。
 誓約村民の私に対する指示にしたがって、私は法として次のように指示する。す なわち、森に伐採権をもつ誓約村民が森に入ったら、彼は2本の幹を荷馬車用の材木として伐り、必要により棒と丸太、さらに2本の曲げやすい棒を入手して、そこへ裁判領主または彼の使者が来て、誓約村民がそれに従えば、領主またはその使者はこの領民を差し押さえることなく、帰宅させるべきである。とくにメッ ツの住民にはカンバとシラカバの木を割り当て、エメラートの住民にはアブがたかっている倒木を割り当て、そこへ領主とその従僕が来ても、彼らは差し押さえることなく帰宅させるべきである。
 私は、次のような私の問に指示をしてもらいたい。すなわち、誓約村民が誓約ヴ ァイストゥームにしたがって彼に認められているとおり、さらに木を伐れば、どうすべきか、彼は差し押さえられることなく帰れるか。
 答: 誓約村民が私に指示したことを法として次のように指示する。すなわち、 誓約村民が木を伐って叫び、木を横にして積み上げ、荷馬車を道に止めて、車輪が前方にあったらその後方に木を運び、領主またはその従僕が来たら、彼らは誓約村民の木を差し押さえることなく放免すべきである。彼が差し押さえをうけたら、彼らは斧で差し押さえ、領主役人に届けるべきであり、そうすれば誓約村民は押収物がどこにあるか知りうる。
 問: 次のような私の問いについて、われわれに指示をしてもらいたい。すなわ ち、誓約村民がイーダルヴァルトで荷を積んで、イーダルヴァルトの外へ出かけ、そこへ領主またはその従僕が来たら、どのような態度をとるべきか、領主はその権利を守り、誓約村民に不正をなしてはならないか。
 答: 誓約村民は私に次のように法を指示するよう、述べた。すなわち、イーダ ルヴァルトに伐採権をもつ誓約村民が、荷物を積んで誓約裁判管区外の場所へ行き、そこへ領主またはその従僕が来たら、荷馬車から役畜を外し、差し押さえた荷物を領主の役人に届け、誓約村民は後からその差し押さえ物をみつけることができるようにすべきである。
 次のような私の問いについて、指示をしてもらいたい。すなわち、高木林が木実をつければ、領主は君に何を割当てたのか、誓約村民はいかなる報酬を得るのか。
 誓約村民は法として次のように指示した。すなわち、授封地からは1ヘラー、山からは1 ヘルプリングが与えられ、領主には豚の放牧税が納められる。
誓約村民はいかなる水利権と放牧権をもつのか。
 古来次のように指示されてきた。すなわち、誓約村民はすべて二番刈りの干草以外に水利権と放牧権をもつが、誰もあまり他人の土地に近寄ってはならず、誓約裁判管区内で得られる木の実は共同で食べるべきであり、菜園にオークの木があり、その木の実を食べると支障がある場合は、木の実を菜園外へ放り投げるべきである。
 次のような私の問いについて、指示をしてもらいたい。すなわち、暴力行為をした者がわが領主の上級裁判管区内で捕えられたら、彼を誰に渡して、この罪人を収監すべきか。
 誓約村民は法として次のように指示したことを伝える。罪人はクライニヒの牢獄に送るべきであり、裁判領主または彼の従僕が彼を連行して、この罪人を収監すべきである。
次のような私の問いについて、指示をしてもらいたい。すなわち、不法行為者は上級裁判所に送られることを承知している場合、彼の送還のために村は何をなすべきなのか、村には何が謝礼として与えられ、誓約村民にはいかに妥当な報酬がなされるのか。
 誓約村民は法として次のように指示したことを伝える。すなわち、ヴィットロートの住民は上級裁判所の裁判席を運んで設置し、オーバークライニヒの住民はそれを支援し、ヴィーダーハットの住民は、必要なら裁判席を運ばなければならない。誓約村民の指示によれば、領主は彼らに2アイマーのワインと6シリングの価値ある白パンを提供して、満足させるべきである。
 裁判集会の前に開催すべき代官所会議では、各参審員に2ヘラーの金額と3ヘラーの証文を与えるべきである。裁判集会の前に審議を終える場合は、1マースの ワインを与えるか、参審員の承諾によって終えるべきである。裁判所で特別に代官 所会議をおこなう場合は、参審員に食事または費用を支給する義務を負う。
 ある他所者が裁判官の所へやって来て、訴訟のために、参審員の参集を求めたら、彼は参審員に食事または費用を提供する義務を負い、参審員は彼のために問題の決着まで毎日出席しなければならない。裁判の放棄または断念をする 者は、その証書について1ゼスターのワインを納めなければならない。訴えをおこす者は、2マースのワインを納める義務を負い、裁判官に1マース、参審員に残りの1マースを差し出し、裁判官は領主に納める贖罪金15ヘラーも徴収すべきである。参審員は裁判管区内に訴訟を告げるべきであり、何マイルも離れた裁判管区外に伝えるには2アルブスを要する。訴訟を決定するときは、1マースの ワインをもって決定すべきである。訴訟金を納める納入者は1マースのワインを1ヶ月残しておき、それが1年経っても残っている場合は、参審員はそれより長く 保管しなくてもよく、裁判領主に渡さなければならない。

裁判集会出席者
 裁判集会は通常三王の日(1月6日)の次の木曜日に開催される。
 私は、わが領主のために今や裁判集会を始めるときであるか、君に問う。
 今や良き集会を始めるべきときだと、私にはおもわれる。
 私は、君に次のことを指示してもらいたい。すなわち、領主がその権利を守り、領民に不法がなされないためには、いかに裁判集会を始めるべきか。
参審員が私に指示したことを、私は法として次のように指示する。すなわち、あなたはこの裁判集会に罰令と平和を実行し、この裁判集会に所属する者全員に正しく出席することを要求すべきである。とくに3つの自由屋敷はその気があれば出席し、そうでなければ家にとどまってもよい。あなたは参審員に宣誓を促し、裁判集会出席者に対して、悪名高く法によって罰しうることすべてを罰し、矯正すべ きである。参審員が正当であると判断されれば、裁判所に属する領主または彼の権力を体現する使者はここに出席し、裁くべきであり、その際参審員は領主が法によって裁くことができるように指示し、われわれに勧告する。
次のような私の問いについて、指示をしてもらいたい。すなわち、3つの自由屋敷は、自由屋敷と名乗る自由をもっているのか。
 私は次のように法の指示をうけた。すなわち、暴力行為者が屋敷に来るようなことがあれば、彼は6週と3日の間自由を得るべきである。自由の期限が過ぎされば、屋敷から3歩離れて、再び屋敷に戻れば、彼はそのたびに自由を得るべきである。
 次のような私の問いについて、指示をしてもらいたい。飲食店主が参審員の許可なくワインを金銭とひきかえに売ったら、彼はいかなる償いをすべきか。
 私は次のように法を指示するように、参審員にいわれた。すなわち、飲食店主が参審員の許可なくワインを金銭とひきかえに売ったら、彼が売っただけのワインの贖罪金を領主に納め、参審員によって飲食店主がワインを売ることが許可されれば、彼は参審員に一樽につき1マースのワインを差し出す義務を負う。

(最後に裁判管区の規定)
次の諸村はクライニヒの誓約ヴァイストゥームに属する
 クライニヒ、ゲッツェロート、フロンホーフェン、ハールブルッフ、ウルシュパッハ、エッカーフッセン、ホンシート、ヴェッケラート、エメンラート、オ―バークライニヒ、ピルメラート


 6-3-5 ハールブルッフ Harbruch


(ハールブルッフは前掲のクライニヒと同じくシュポンハイム伯領に属する村)


 最初に領主役人はシュポンハイム領の領域領主とシュミットブルクの土地貴族のために、領域領主と土地貴族にその法を指示するべき集会のときかと尋ね、参審員は集会のときであると認める。役人は、参審員たちがいかにわが領主と土地貴族に彼らの法を指示するのか、彼らの考えを示してくれるように求める。それに応じて参審員は次のように語る。すなわち、彼らが参審員と荘園民にしたがって、法を私に指示するなら、私は何が法であるかを示したい。そこで参審員と荘園民は次のように指示する。すなわち、昔からそうであるように、わが領主と土地貴族がわれわれを守ってくれるなら、参審員と荘園民も昔どおりに法を指示するつもりである。裁判官殿はわれわれに法を問われたので、参審員と荘園民は私に法を指示し、私もまた法を指示し、あなたはこの裁判集会に罰令と平和を領主と貴族のために実行すべきであり、あなたは・・・を禁止をすべきである等々。
 参審員と荘園民はまた次のように法を指示する。すなわち、いかなる荘園民もこの裁判集会でその鶏を手にもち、役人に差し出すべきである。
 (罰令の規定)
 シュポンハイムの領域領主には首と脚、男女の泥棒、すべての違反、道路と橋、草刈りがおこなわれる共同地、水利と放牧地に対する支配権の半分、シュミットブルクの土地貴族には他の半分の支配権を指示する。また参審員は法として次のように指示する。すなわち、わが領域領主と土地貴族がこの裁判管区で不法行為者を捕まえたら、その従者または従僕は、この不法行為者が荘園に所属している場合、そこに住んでいるのか、それとも住みたいとおもっているのかということにかかわりなく、彼をあまり苦しめたくないとおもうのであれば、逮捕者との談判のうえで、最寄りのトラールバッハの牢に送るべきである。そしてわが領主と土地貴族が逮捕された者を留置して、参審員と荘園民に、裁判所をどこに置くべきか、あるいはつくるべきかと問うと、参審員と荘園民は次のように判断する。すなわち、そのような裁判所はヴァイスツェルのheidenhaus、あるいはヘルスフェル裁判所とするが、それには両地の裁判領主の同意が必要である。



 6-4. フンスリュック - ナーエ Hunsrück-Nahe


 フンスリュックとその周辺



 6-4-1 キルン Kirn

(キルンは四つの家系に分かれたライン伯シュタイン家 - Rheingrafensteiner Linie - のナーエ川河畔の領地)

 キルンの参審員は裁判集会でとくにシュタイン四家系の領主に次のことを法として指示する。すなわち、領主は参審員が古来のとおり指示することをうけいれ、聖霊降臨祭後の第二月曜日に法について問うべきであり、一つの問いについて2ゼスターのワインをふるまう。
 第一に、参審員は四家系の領主に、日中と夜中の村の通りの裁判領主と共同体の負担について、次のことを法として指示する。すなわち、通りの門が閉じられたら、領主は3回門番を呼び、彼が聞こえなければ、錠をこわすことができ、古い1 トルネス硬貨をその上に置き、裁判領主と共同体の負担により馬で通ることができる。
 四家系の領主の下僕は、当地キルンのシュタイン・カレンフェルス城(Steinkallenfels)とはかかわりをもたない。
 われわれはシュタイン四家系の領主に金曜日9時課から土曜日9時課までの当地キルンの関税を指示する。真珠と絹を天高く積んだ荷馬車1台が来れば、貨幣価値で4ヘラーを課税する。荷馬車1台の木材は多額、 小間物は6 ヘラー、背負い籠は3ヘラー、馬は2ヘラー、ひずめをもつ家畜は2ヘラーを課税する。
外部から当地キルンに到着する者は全員、クリスマスに関税を2ヘラー納めなければならないが、参審員はその必要はなく、この関税から村長に7シリングが与えられる。
 キルンでワインを売るものは土曜日の夜に税関吏にごくわずかの量を与えればよく、参審員はこれとは異なり、そうしたワインを与えなくてもよい。
 キルンのシュタイン家の領主は公正な穀物枡を注文すべきである。
 残りの土地として空いているのは、耕地の隅の犂残し地から杭まで、杭から畔道まで、畔道から境界まで、さらに耕地の隅の犂残し地までである。
 シュタイン家の領主が両日の九時課の間に塔を建設するときは、土曜日の九時課までに裁判領主と共同体の負担で完了すべきである。
 ある男または女がキルンから両日の九時課の間に無関税で運送し、関税支払いにしたがわなければ、税関吏はこれを捕らえて、逮捕者を村長のところへ連行し、裁判領主が犯罪として処罰する。
 わが領主ラインヴィルト伯が犯罪者を捕らえたら、四家系の領主またはその下僕に知らせ、日中の正しい時刻に当地キルンのシュタイン家に通告して、裁判領主は犯罪者をさらし台に連れていき、パン屋は1頭のロバに積んだ木材をシュタイン家の領主のところへ運び、一昼夜犯罪者を共同体の負担で留置すべきである。翌朝彼らは再び犯罪者を安全に裁判領主にひき渡すべきであり、そうしなければ、シュタイン家の領主は当地キルンで彼の権利を失ってしまうだろう。裁判領主は犯罪者を処刑すべきであり、参審員が任務遂行から帰ってきたら、彼らに食事をふるまうべきである。
 シュタイン四家系のために関税を徴収する税関吏は、小屋(keden)から畔道に向かう通行を止めるべきである。
 逮捕者を村のなかで引き回す場合、この逮捕者が法を嘆願したら、村民は逮捕者を法にもとづいてとがめるべきである。これは古来より伝わる慣わしである。



 6-4-2 コッペンシュタイン Coppenstein (1548年)

(コッペンシュタインはシュポンハイム伯によって築かれた城塞で、17世紀の30年戦争後に荒廃したといわれる。)


 第一に参審員は、宣誓と義務につづいて、コッペンシュタイン城の城壁にかんして、誰が橋と門の維持の責任を負うのか、問われた。参審員は誓約の後、橋と門について、次のように指示した。すなわち、コッペンシュタインの市民は橋と門の建設と維持をおこなうべきであり、そのためにわが領主は市民に木材を与えるべきであり、市民は門番を雇い報酬を払うべきである。
 参審員は次のことを法として指示する。すなわち、市民は門から監視所まで、そしてまた門までめぐらされた城壁を維持すべきであり、市民はこの城壁の建設と維持をなすべきである。
 第二に、参審員は城壁内の贖罪金と犯行について次のことを法として指示する。すなわち、犯罪をおかした者はわが領主に償いをすべきであり、わが領主も恩赦をほどこすべきである。
 第三に、参審員は次のことを法として指示する。すなわち、わが領主に地代を納める義務を負い、地代を期日どおり納めない者は、領主の下僕によって摘発され、領主の下僕は財産を差し押さえ、コッペンシュタイン裁判所の法にあるとおり、その後6週と3日の間差し押さえをおこなう。そして領主の下僕が財産を没収するとき、彼は裁判所の法にしたがい、領主の他の所有財産と同じように保管すべきであるが、領民が来て、一方で損失を、他方で主要物件を償うなら、領主はこの領民に恩赦を与えるべきである。
 第四に、参審員はブルクハウと呼ばれる森林をわが領主の所有と指示するが、コッペンシュタインの小集落(zwergen)に住む住民はそこから必要な木と燃料を入手し、コッペンシュタインの小集落内で伐採したいとおもう者は領主に木材を求めるべきであり、わが領主は伐採を望む者に伐採を認めるべきである。
 第五に、参審員はハイスターシットの森をわが領主に対してコッペンシュタイン荘園の所有と指示する。



 6-4-3 ベッヒャーバッハ Becherbach (1497年)


(ベッヒャーバッハは前述キルンの南に位置する小村で、同名の他村と区別するためベッヒャーバッハ・バイ・キルンという)

 ヴァイストゥームのもとに指示された裁判集会の招集の日、村長はまず参審員に、次いで村民全体および各人に、彼らが知っているすべての違反、犯行と非行を、見聞きやうわさににかかわらず、とがめて届け出るように、誓約と宣誓を求め命令すべきである。誰もがこの義務を負い。違反すれば領主の最高の不興により罰せられる。
 裁判所は4週間おきに、あるいは期間をあけて毎年開かれ、村長は参審員に宣誓をおこなわせ、参審員は知っているすべての違反を提訴し、それらをとがめるべきである。招集された裁判集会あるいは裁判で罰せられるいかなる違反も、平民村長は躊躇なく口頭または文書で届け出るべきである。
 ベッヒャーバッハの参審員は、その裁判管区でわが領主ナウムブルク侯が領主に帰属する命令と禁令すべての統治権をもつことを法として示す。
 また参審員は、ファルケンシュタイン(Falkenstein)とオーバーシュタイン(Oberstein)の 領主ヴィリヒ・フォン・ダウンがリンバッハ(Limbach)で半分、ベッヒャーバッハでは4分の1を所有し、またハーゲンバッハ(Hagenbach)はわが侯爵のみに属することを指示する。

   6-4-4  ケレンバッハ Kellenbach(1560年)

(ケレンバッハはキルンと同じくライン伯シュタイン家系の領地)


 上級裁判所とケレンバッハ村のヴァイストゥームがわが主の生誕後1560年に与えられ、あらためて語られた。
 まず最初に、この上級裁判所とケレンバッハ村の当管区におけるわれわれ参審員とフーフェ保有農民は次のことを法として示し認める。すなわち、シュタインカレンフェルスの領主はその共同相続人も含めて上級領主として、首とうなじ、命令、禁令、漁獲と狩猟、非行、贖罪金およびこの地域の官憲について、いずれも正義のために裁かなければならない。
 第2に、この管区に炉をもち居住する領民は、水と牧場を利用し、その必要に応じて野うさぎを捕らえ、魚を捕らえ、彼の家で必要のために利用できるが、必要以上に捕らえてはならず、彼が魚または野うさぎを売っていることがわかったら、彼は裁判領主の慈悲により彼に8.5ヘラーを納めなければならない。
 第3に、われわれはまた次のように指示し、認める。すなわち、当村または当管区に不法行為者がおり、捕らえられたら、fuess und mahl カレンフェルスの刑務所に送り、拘留すべきである。そこで彼の罪状によりあるいは随意に、罰するか恩赦を与えるべきである。
 第4に、われわれは当地ケレンバッハで捕えられ、保証人をもたない者は一昼夜拘留され、それでも保証人を立てられなかったら、fues ud mal カレンフェルスに送られる。
 第5に、われわれは他人への投擲によって倒す者を、上級領主の恩赦をともなう刑罰にゆだねるよう指示する。
 第6に、われわれは他人の手足を打ったり、深くて長い傷を負わせた者には、領主への高い贖罪金を指示し、その額は8.5ヘラーの罰金とするが、領主の恩赦もありうる。
 第7に、われわれは危険を与えることなく他人から奪ったり、傷つけることなく打ったりする者には、領主への高い贖罪金の半分を指示するが、恩赦もありうる。
 第8に、われわれは他人を言葉で罵り侮辱する者には、事情に応じて領主への贖罪金の納付を指示する。
 第9に、重罪または上級裁判はヴァイタースボルンのヴァーズム(Weittersborner wasumb)でおこなわれ、以前にはそこに裁判所があったが、建設する必要があり、そのため裁判領主が費用を負担し、教区に木材を運ばせ、さらに指揮者につくらせるべきである。
 第10に、こうして裁判所をつくり、そのまま多くを残しても、裁判領主はその費用を取得できるが、できなければ、みずから出すべきである。
 第11に、われわれは次のことを法として指示する。すなわち、領主の定期小作地あるいは主要農地の地代義務を負ういかなる者も、決められた期日が到来すれば、フーフェ保有農民がひきつづき領主に地代を払えるように農地をわたされるが、これがおこなわれない場合は、彼は最初の日に1ヘラーを失い、翌日同額を失い、これが7.5シリングになるまで続いた後、彼には1年と1日の休止期間が認められるべきであり、債務者が猶予期間に一方で損失を出しながらも他方でそれを支払えば、彼は再び農地を取り戻すか保有を認められるべきである。しかし地代農民が期日を超えて滞納すれば、参審員とフーフェ保有農民は、1年と1日経過後も領主がなお14日間の3倍の猶予期間を与えるように、指示する。
 第12に、しかし農地がなく、領主に地代が納められない場合、この裁判所における慣行、慣例、慣習と法にしたがって、それらの維持がはかられるべきである。
 第13に、あらゆる売買は一般の領邦の慣行と法にしたがって誠実に偽りなくおこなわれ、その委託または譲渡は少なくとも1名の村長と2名の参審員その他に対して裁判所の公判日に裁判所管区全体に公開しておこなわれ、裁判記録に記されるべきであり、古くからの慣わしどおり、裁判所とその全員に4アルブスと2ヘラー以上与えるべきではない。
 第14に、普通法と領邦の慣行に反する、敬虔をよそおった、さもなくば危険な見知らぬ者へのいかなる売却もおこなうべきではない。
 第15に、この裁判所管区で自由あるいは免租農地をもつことは誰にも許されるべきではない。なぜなら、彼はそこから地代を納めないからである。農地をもつ者が、それを売却し、あるいはその子どもに与え、そこに地代を指定せず、わずかな農地しか残されない場合は、領主はフーフ農民もろとも封土に属する農地すべてを奪い取るべきであり、その農地を保有してない他のフーフェ保有農民は、それをできるかぎり公正に証明すべきである。
 第16に、2人の当事者がケレンバッハ裁判所で争い、参審員が判断を示して、一方の当事者に異議を申し立てるなら、この当事者はただちに上訴する権限をもつべきである。ところが何年の前からインゲルハイムに上訴しているのに、裁判領主によって取り上げられなければ、この当事者のために上訴するか、あるいはどこへ上訴すればよいのか、彼に知らせるべきである。
 第17に、領主に相続税の家畜を納める期限が来て、相続人がそれに耐えられなければ、彼はひずめをもつ家畜1頭をフーフェ保有農民の厩舎に入れて、領主の慈悲によって飼うべきである。
 第18に、金銭または担保を裁判官に委託する者がおり、1年と1日を超えて委託し、年の半ばに問題が片付かない場合、金銭または担保は裁判領主のものとなるべきだが、彼が年の半ばに裁判官から再び取り戻す場合は、彼は裁判官に1ゼスターのワインをさしだすべきである。
第19に、村長が提訴する場合、彼は2名の参審員とともにおこなうべきであり、彼がケレンバッハにとどまる場合は、その費用は1ゼスターのワインと1ヘラーの金額であり、境界の外へ行く場合、彼に軽食を支給しなければならないが、裁判所全体の軽食が必要な場合は、その費用は裁判所全体で1ゼスターのワインと2ヘラーの金額となり、当事者が参審員に軽食を支給する義務を負う。
 第20に、境界石を設置する必要があり、対立する二人が、自分たちで和解できるなら、そうすべきだが、自分たちで和解できなければ、彼らは一人または二人を加えることができる。それでも両者が合意できなければ、裁判所が和解させなければならない。その場合、参審員には軽食を支給すべき義務を負うが、一人あたり4 バッツェン以上を食べることは許されない。

 6-4-5  ジメルン・ウンター・ダウン Simmern Unter Daun

(ジメルン・ウンター・ダウンは1971年にジマータール Simmertalと改称した)


 第一に、参審員は次のことを法として示す。すなわち、わが領主ザンクト・マクシミンは最高位の代官であり、わが領主の最高の任務は罰令と人、首とうなじであり、参審員もわが領主とこれらをわかちあう。
 参審員は次のように指示する。不法な人間が捕らえられたら、代官は彼を見張り拘留すべきである。そしてわが領主の廷吏と従者は、わが領主のために当地に住み、上述の盗人の絞首刑を執行しなければならない。参審員はまた、次のように指示する。すなわち、あらゆる農地は山も谷もわが領主とそのザンクト・マクシミン教会の所有であり、場所による違いはほとんどない。
 参審員は次のように指示する。すなわち、わが領主の農奴が居住し、使用人を雇っていたが、彼が死亡すれば、わが領主は妻から死亡税を徴収することができ、多かれ少なかれ動産の半分を取得し、負債もその半分を支払うべきである。
 参審員は次のように指示する。すなわち、わが領主に地代義務を負う者が死亡した場合、全員がひずめをもつ家畜のなかから死亡税をわが領主に納める義務を負う。
 参審員は次のように指示する。すなわち、わが領主のいかなる地代農民も聖マルティノの日(11月11日)またはその翌日わが領主に地代を納めるべきであり、これを怠れば、彼の農地について訴訟を起こすことができ、彼は18コレンツを失うことになる。
 参審員は次のように指示する。すなわち、わが領主はヘンヴィルレ、プルーヴィルレ、ソンシャイト、ホーシュテデン、ハイツェンベルク、 ムンツィンゲン、ヴィッタースブーレン、ヴェルヘンベルク、レッヒェルンハウゼン、ジメルンに住む領民をもち、わが領主の使丁が彼らに季節を知らせる。わが領主の穀物収穫期になると、上述の領民が来てわが領主の穀物を刈り取るべきである。来ない者は18コレンツを納めなければならない。わが領主は上述の刈り手に2マルタ―のパン用穀物を支給しなければならないが、そのほかに食事を支給しなくてもよい。
 参審員は次のように指示する。すなわち、ナーエ川にある禁制製粉所は、製粉所が建設されて製粉している場合は、わが領主は毎年2マルタ―の穀物をこの製粉所で徴収すべきであり、これが実行されなければ、わが領主の使丁は、いかなる反対があろうとも、石臼を除いて製粉所を停止することができる。
 参審員は次のように指示する。すなわち、自由保有地をもつ者は、わが領主に相続税として家畜2頭を納め、ゴリンクス・ガッセに住む者もひずめをもつ家畜を同数納めるべきである。相続税を納めたら、参審員にはそこから1フィアテルのフランス・ワイン、また相続税の家畜1頭から1ゼスターのワインが与えられる。
 参院員は次のように指示する。すなわち、豚が通路で閉じ込められ、1頭が死に、豚が身動きできなくなったら、これを相続税に用いてはならない。しかし、豚が身動がとれるのがわかったら、相続税に用いてもよい。
 参審員は次のように指示する。すなわち、毎年復活祭の月曜日いかなる参審員にも賦役荘園で二つの卵と1ゼスターのワインが与えられるべきである。鶏をさしださない者がいたら、参審員は彼に損害をもたらし、わが領主の法を守るであろう。
 参審員は次のように指示する。すなわち、参審員は彼らの法をもち、彼らが指示しなかった判決は、ミュンスターアッペル(Münsterappel)の上級裁判所で審理することを求める。

 後の時期のヴァイストウームからの抜粋

 ジメルンの参審員はザンクト・マクシミンの修道院長をジメルンの罰令区における最高位の代官、土地授封領主とみなし、罰令と人およびうなじに対する最高位の上級裁判所の権限を認める。またライングラーフェンを修道院長の代官および保護領主と指示し、彼はそうした代官職をザンクト・マクシミンの修道院から授封され、それゆえあらゆる権力を行使すべきである。上述の村に住み、そこに5-6シリングをもつ前述の参審員が死亡したら、彼は修道院長に死亡税または相続税を納めるべきである。
参審員に欠員が生じたら、参審員たちは土地領主としての修道院長の代理人としての代官に新参審員を推薦すべきである。代官は推薦された参審員を受け入れるべきであり、この参審員は他の参審員とともに修道院長の館に行き、修道院長の役人は教会の聖遺物をもってきて、新参審員の手に水をかけ、最長老の参審員が彼に宣誓を指示し、修道院長と代官に真剣に誓いをなすべきである。
 修道院長は小十分の一税として甜菜、キャベツ、 凝乳、 麻、子羊、梨、リンゴ、クルミ、オンドリおよび子牛に1ペニヒを課し、かつては修道院にガチョウ1羽と1マルターのチーズが納められた。
 修道院長には復活祭に8羽のニワトリと各人20個の卵を納めることを認める。
 

 6-4-6 アウエン Auen (1488年)


(アウエンはシュポンハイム伯領に属する山村)

  第一に地方役人と参審員は、シュポンハイムの現職の修道院長がアウエンの最高裁判領主であり、裁判所の協議により当地の領主役人と参審員を任免する権限をもつことを指示し認める。必要とあらば、あるいは古い慣習にしたがって領主が彼らに命じる場合、彼らは領主に誓約をおこなうべきである。
 第二に、彼らは次のように指示し認める。シュポンハイムの修道院長は、ただ一人、あるいは彼がアウエンで命令と禁令を告知する権限をもつ場合、法において裁判領主および支配者にふさわしく、従来もそのように考えられてきた。
 第三に、彼らは次のように指示した。すなわち、シュポンハイムの修道院長は彼らの最高領主として、定例裁判集会が開催される場合であれ、それ以外に修道院長とその臣下が自分で調達または取得しうる場合であれ、村を訪れるたびに村で食事をし、とくにアウエンの村域内に土地をもつ者は全員共同で食事の用意をしてその費用を支払うべきである。
 第四に、彼らは次のように指示し認めた。すなわち、シュポンハイムの修道院長は毎年
聖ブリクティウスの名で定例裁判集会を開き、この集会で彼らは修道院長と修道院に、アウエンでおこなわれる支配、自由および法を指示し明示する義務を負う。またアウエンの全村民とアウエンの村域に土地をもつ者全員は、伝来の慣わしにしたがって出席して、地代を納める義務と責任を負う。
 第五に、彼らはつぎのように指示した。そうした定例裁判集会で村民が許可なく欠席し、正しい時刻に来なければ、彼がいる場所に使者を送って、いかなる理由で来なかったのか取り調べをおこない、身体の異常以外に正当な理由がなければ、彼は修道院長に最高のとがめををうけ、どの参審員にも1ゼスターのワインを15ヘラーの罰金で償い、地方役人にも同額の罰金を納めるべきである。
 第六に、彼らはつぎのように指示した。すなわち、シュポンハイムの修道院長は毎年前述の集会で36シリングをアウエン村の正規の地代として徴収する。修道院長のミュンツィンゲンの荘園使用人は地代を徴収し、そのうち修道院長は半分を取り、荘園使用人は残りの半分を取って裁判所の費用にあてるべきである。さらに彼らは次のように指示した。すなわち、違反行為がおこなわれたら、修道院長は従来どおり罰金の3分の2を徴収し、代官は3分の1を徴収すべきである。
 さらに修道院長は、違反とはいかなるものかと問うと、彼らの口頭による答では、違反は古くからの慣わしでは9ヘラーを超えない罰金を科されるという。
 さらに修道院長は、必要な場合どこで彼らの上級裁判をおこなうかと尋ね、彼らは慣わしにより、また近年おこなわれてきたように、上級裁判所をシュポンハイムの修道院でおこなうと答え指示した。
 さらに修道院長は、彼らのアイヒマースとジメルンの軽量枡をどこにとりに行き保管するのかと尋ね、彼らはシュポンハイムの修道院に取りにいき求めると答え指示した。
彼らは次のように指示する。すなわちシュポンヘイムの修道院長と修道士たちはアウエン村に12の農地をもち、それらはシュポンハイムに死亡税を納め、毎年代官に12羽のニワトリも納め、それ以上の負担を負っていない。アウエンの死亡税が増減する場合は、領主役人はシュポンハイムの修道院長に報告すべきであり、修道院長またはその臣下が命じれば、アウエンの役人は出かけていってその死亡税を徴収して、最良の家畜をシュポンハイムの修道院長に送るべきである。死亡税を一定の金額に換算する場合は、修道院長の自由意志による。
 最後に彼らは、代官がシュポンハイムの修道院長からの授与として毎年アウエンで12マルターのえん麦と12羽のニワトリを徴収することを指示する。


 6-4-7 クロイツナッハ Stadt Creutznach


(クロイツナッハはライン河畔のマインツ市の南西に位置する小都市で、今日の名称はバート・クロイツナッハ)

 これらはすべて、われわれクロイツナッハの参審員が敬愛する領主に対して毎年われわれの宣誓の12日後の月曜日に裁判集会において、すべて領主のために判断をおこなう法である。
 最初にわれわれは禁制製粉所について判断をおこなう。すなわち、クロイツナッハで煙を出すすべての家が例外なく製粉所で製粉すべきである。それ以外の場所で製粉する者は、製粉屋が捕らえて、彼の穀粉を取り上げて、市長に対してその荷物を5マインツ・シリングでひきわたすべきであり、製粉屋は必要に応じてこうしたことをおこなうことができる。
 他方われわれは次のような判断をおこなう。すなわち、製粉屋は20マルターについて1マルターを取得すべきであり、製粉屋の下男はどの家でも自分で穀物をうけとり、穀粉を同じ枡で計って返すべきである。そして穀物と比べて穀粉が足りなければ、問題が片付くまでロバをその粉の前に待機させておくことができる。
 われわれはまた次のように判断する。すなわち、誰もが自由市場で穀物と同じように穀粉を売ることができる。穀粉が市場で自由に取引されているため、製粉屋はその穀粉によって脅かされていると誓うことができる。しかし彼がその責任を咎める場合には、穀粉を取り上げて、市長に5マインツ・シリングで荷物を引き渡すことができる。
 われわれはまた次のように判断する。すなわち、穀粉を運んでいる者が飲食をしたいとおもうときは、彼は食べ終わるまで路上に穀粉を放置しておくべきであり、彼がそれを家の中に入れれば、製粉屋はこの穀粉を取り上げて、市長に5マインツ・シリングで引き渡すべきである。
 われわれはまた次のように判断する。すなわち、誰でも週をとおして毎日市場の外へ出かけてパンを売ることができる。そうでない場合、製粉屋はパンを取り上げ、市長に5マインツ・シリングでその荷物を引き渡すべきである。
 われわれはまた次のように判断する。すなわち、いかなるパン屋も彼の家でパンを売ってはならず、そのようなことをするパン屋から製粉屋はパンを取り上げ、わが仲買人が彼の家でパンを売ることができる。仲買人はわがパン屋のために売り、自分で焼いてはならない。
 われわれはわが領主の荘園に対して次のように判断する。すなわち、犂耕に行く者は、自分自身がするのと同じように、年3回、休閑のとき1回、休閑あけに1回、種まきに1回領主の納屋に行き、荘園管理人はどの犂にも車輪の中心から外縁までの長さの白パンを与え、どの下男にも一杯のワインをふるまい、白パンは1オランダ・グルデン(?)の価値があり、荘園管理人が下男に正当な飲食を与えなければ、下男は帰宅しても何も損失もこうむらない。
 われわれの判断によれば、荘園管理人が犂を必要とする場合、彼は市長のもとへ行き、彼に補助役人の援助を求め、補助役人は誰もが、明日納屋へ行くと言うべきである。翌日彼が来なければ、約束がはたされるまで、荘園管理人は彼の収入を値引きすることができるが、その分を酒代に浪費してはならない。
われわれはわが領主に対して次のように判断する。すなわち、荘園管理人が農作物の先刈りをしたいとおもうとき、彼は市長のもとへ行き、「市長様、わが領主は明日先刈りをするつもりであると領民に告げていただきたい」と言うべきである。そこで市長は夕方鐘を鳴らすか、角笛を吹き、「皆さん、わが領主は明日先刈りをするので、刈り入れ賦役の人夫は明日納屋に来てほしいとのことである」と言う。彼が要求しなければ、刈り入れ賦役の人夫となるべき義務はない。刈り入れ人夫は賃金を稼ぐことができ、荘園管理人は彼にパンとニンニクを与えるべきだが、チーズは与えなくてもよい。刈り入れ人夫が来なければ、荘園管理人は市長の補佐役人に刈り入れ人夫の1日分の賃金を差し押さえさせるべきである。所有地また世襲地をもつ者は、刈り入れ人夫を提供しなくてもよいが、所有地も世襲地ももたない者は、刈り入れ人夫の義務を負う。フーフェ地代として1.5マルターのえん麦を納める者は、半分の刈り入れ人夫の義務を負い、3マルターを納める者は1人分の義務を負う。このように、貢納額の増加に比例して義務も増える。荘園管理人が作物を運び込むときは、いかなる者も自分自身で作物を運ぶときの2回分の運搬義務を負い、荘園管理人は市長に対してそれを知らせるように要求し、2頭の馬について1シリングを提供すべきである。荷物の積み下ろしをしても運搬しない者は、彼が運ぶべき作物に生じたすべての損害を荘園管理人に償うべきである。
われわれはわが領主に対して次のような判断を示す。すなわち、ゲブロートの芝地に2回行って木材を得ることを認め、誰でも年2回、クリスマスと精霊降臨祭の時期に、そこで木を見つけて自分自身で運ぶべきである。
 われわれは、いかなる地方官も裁判なしに誰かを逮捕してはならないと判断する。
 われわれの判断によれば、クロイツナッハには市長以外に地方官はいないので、宮廷官は、裁判所の法の定めるとおり、市長が宮廷官を助けるように彼に示すべきである。
 われわれは次のように判断する。すなわち、市長は2人の参審員と地上建設の視察に出かけ、14日間で終えるよう命令すべきところ、その期限内に終わらなければ、市長に20ヘルビングを納めるべきである。しかし市長は14日間で地上建設を終えるよう命じるべきところ、期限内に終わらなければ、もう一度20ヘルビングを納めなければならない。市長は2人の参審員とともに地上建設の完了を命じても、そうしない場合は、宮廷官に60シリングを納める義務を負う。
 ヴェンツェルフェルトの地代と開墾地代を納める者は、穀物地代、貨幣地代であれ娼館税であれ、二つの聖母マリアの日の間に納めるべきであるが、娼館税または貨幣地代の場合は毎年聖マルティノの日(11月11日)に納めるべきである。これを納めない者からは、徴税吏は裁判所の法の定めどおり、6週間後に徴収すべきである。
 世帯税の義務を負う者は、聖マルティノの日に納めるべきであり、徴税吏は家から家へと税を集め、納めない者がいれば、市長は2人の参審員とともに彼の家の出入り口の通路をこわし、裁判が終わるまで、彼が家に入るたびに、60シリングを科される。
 わが領主に対するわれわれの判断によれば、誰もが自宅で売ることができるワインと穀物を除き、すべての商人は会館の建物で売るべきである。
われわれはわが領主にトリーアのプフェニヒと同じ鋳貨と手形取引銀行を指示する。
 わが領主に対するわれわれの判断によれば、12.5頭の馬をつないでオルバイスからライン川まで、日中に出発し、日中に戻るべきである。
 われわれの判断によれば、わが領主は聖マルティノの日(11月11日)から18日までの間に、オーバーシュタインからライン川のメルゲまで、森林を18フスの幅の区画に分けるべきである。
 われわれはゾーンという名の公爵領森林における野生動物の捕獲にかんする判断を、わが領主に次のように示す。すなわち、鹿を捕獲する者は、雄牛1頭と60シリングを科される。牡鹿を捕獲する者は雌牛1頭と60シリングを科される。野生の雄イノシシを捕獲する者は、飼育豚と60シリングを科される。雌豚を捕獲する者は、飼育された雌豚と60シリングを科される。ノロジカを捕獲する者は飼育された山羊と60シリングを科される。シジュウカラを捕獲する者は、生命と財産を失い、領主の不興を招く。
 われわれは、ゾーンの森におけるすべての丘陵はわれわれの利用と意志のもとにあると判断する。
 われわれは次のように判断する。すなわち、裁判集会に出席義務を負う者が出席しなければ、市長に20ヘルべリングを納めるべきである。


 6-4-8 ランゲンロンスハイム Langenlonsheim


 小集落ランゲンロンスハイムの法令とヴァイストゥームは、毎年18日の後の次の月曜日に全村民に交付される。
 われわれは本日、次のように指示する。すなわち、ライン宮中伯フリードリッヒとバーデン辺境伯エドアルド・フォルトゥナトはわれわれの慈悲深き最高領主として、いかなる者であれ彼の法のために首と身体に対する裁きをここでおこなうことを指示する。
 われわれはわが領主に次のように指示する。すなわち、他人を殺した者の身体と財産はわが領主によって処罰され、わが領主は慈悲をもって処分をおこなうであろう。また他人を傷つけた者は逮捕され、わが領主に9ヘラーを納めなければならず、他人を殴打した者は村長に1トルニスを納めなければならない。
 本日、われわれは次のように指示する。すなわち、来るように命じられたのに、来ない場合は、村長に30ヘラーを納めなければならない。2度命じても来なければ、同じように村長に同額を納めるべきである。3度命じても来なければ、わが領主に18シリングを納めるべきである。
 われわれは、村長が設定した日を守らない者は、わが領主に18シリングを納めるように指示する。
 われわれは、次のように指示する。すなわち、ある者が村長が設定した日に彼のもとで裁判をうけ、その日に裁判の結果にしたがわなければ、村長に18シリングを納めなければならない。
 われわれは、次のように指示する。すなわち、村長がこの裁判所を適切に開廷するなら、いかなる者も静粛を保ち、これに反する者はわが領主に2.5グルデン、裁判所に12アルブスを納めるべきである。
 われわれは次のように指示する。境界石を不当に掘り起こす者は、その身体と財産を罰せられる。道路、畑および村落で越境して耕作する者は6アルブスを村に納め、さらにわが領主の処罰をうける。
 われわれは領主に対する30マルターの穀物地代の貢納を指示し、穀物地代を納めない者は1フィアテルの世帯穀物税を納めるべきであり、それはわが領主に対する穀物地代のかわりとして、とくに煙を出す家が納めるべきである。
 村は当地に製粉所をもっており、製粉所は現状どおり維持されるべきであり、村はわが領主に10マルターの穀物を納め、われわれはわが製粉所で粉をひく義務を負い、不当にも製粉所を利用しなければ、われわれは領主にその積荷、製粉屋には穀物または穀粉の没収を認める。製粉屋が渡す穀粉が少なすぎるとおもわれる場合は、製粉屋は穀粉の量を計るべきである。財産をもたない貧民は、その積荷を保持する権利が認められる。
 われわれは本日、村民がわが領主により良い奉仕をできるように、水利と放牧地、道路と橋の管理を彼らに割り当てる。
 われわれは次のように指示する。すなわち、いかなる者も参審員と司祭より多くの謝肉祭用ニワトリを無料で得ることはできない。裁判所吏員が廻ってニワトリを集め、ある女が家に子どもをもっていれば、裁判所吏員がニワトリを求め、ニワトリの首をひねり、彼女にそのニワトリを返すべきであり、そうしたら彼女はそれを食べられる。地方行政官が当地に来たら、参審員はニワトリをもってきて、地方官とともに食べるべきである。
 われわれは本日、次のように指示する。すなわち、当地に住む者がこの定例裁判集会に出席していなければ、20ヘルビングの罰金を科され、参審員も同額を科される。
 われわれは本日、次のように指示する。すなわち、わが領主は村民にすべての種畜を飼わせるべきであり、村民はそれを十分に間に合わせ、そうしない場合は、村民は耕地と村落にある領主の財産を使って十分間に合わせられるようにとりはからうべきである。われわれは領主にそこから小十分の一税の納付を指示する。可能なら十分の一税も納めるべきであるが、子羊と豚の8または9分の1ではなく、10分の1を納めるべきである。
 昼間にぶどうを盗る者は1グルデン、夜間の場合は3グルデンの罰金、一生の間泥棒課徴金を科される。聖マルティノの日(11月11日)以前に岩の塊を砕かない者は、6シリングの罰金を科される。帯をひき裂いたり綱を切断することによって生命が失われたら、6シリングの罰金を科される。妻、子ども、下男あるいは使用人を犠牲にして何かを買う者は、良心がないとみなされ、1グルデンの罰金を科される。公道、ぶどう園その他で犠牲者を出せば、12シリングの罰金を科される。井戸の囲いまたは公共の石を武器で傷つける者は、罰金3シリングを科される。朝アヴェ・マリアを歌って豚を殺した後、夕方にもアヴェ・マリアを歌う者は、罰金1グルデンを科される。村民でない者は、下男であれ隣人の息子であれ、村民が村役場に集まっているときにワインを飲みに出かけてはならない。それにしたがわない者は、村役場で使われている瓶一杯のワインを罰としてふるまうべきである


 6-4-9 ゲンチンゲン Genzingen



(ゲンチンゲンはモーゼル河口の都市ビンゲン・アム・ラインに近い村)

 裁判所はライン宮中伯とバーデン辺境伯を首とうなじを裁く領主として指示する。
 裁判所は法として次のように指示する。すなわち、わが領主は禁制製粉所と禁制パン焼き所をもち、当地に住むいかなる者もそこでパンを焼き、粉をひくことを強制される。これを守らず他所の製粉所に行く者がいれば、製粉屋は粉を取り上げ、わが領主は積み荷を没収することができる。同じように他の製パン所に行く者がいれば、パン屋はパンを取り上げることができ、積み荷は領主のものとなる。そうしたことが起きるたびに、同じことがなされうる。
 裁判所は法として次のように指示する。 すなわち、領主に追跡されることなく外から来て、まる1年当地に住む者は、わが領主の農奴となるべきであり、当領域の慣習と法にしたがって、上述のような農奴への課税以外何も要求されることはない。
 裁判所は法として次のように指示する。すなわち、境界石、道標、標石を掘り返す者は、わが領主に処罰される。
 裁判所は法として次のように指示する。当地でワインを小売しようとするいかなる者も、正しい酒盃で注がれ標示された正しい計量をすべきであり、そうすることなく不正がみつけられた者は9ヘラーを失う。
 裁判所は法として次のように指示する。すなわち、当地で販売をおこなう者は、裁判所の法と習慣にしたがって、決められた日と時刻に代金を徴収すべきであり、そうしない場合、わが領主によって処罰されるべきであり、そうすれば、わが領主の税がもちさられることなく農圃において徴収される。
 いかなる飲食店主も1トゥルネス以上貸してはならず、それ以上貸す者はわが領の処罰をうける。
 裁判所は法として次のように指示する。すなわち、シュポンハイム荘園は、雄牛、雄豚、雄羊などの種畜を十分に村に注文すべきであり、それがおこなわれない場合は、裁判所廷吏が同荘園に行き、1頭の馬を取り、乗って来るべきである。しかしその馬が逃げ出したら彼は他の馬を取るべきである。そうしたことは、村が納得するまで、すべて荘園の費用と損失の負担によっておこなわれる。
 裁判所は法として次のように指示する。すなわち、雄鶏十分の一税、ネギ十分の一税、キャベツ十分の一税、雛十分の一税は納めなくてもよく、畑で馬とともに苦労して得る作物も、何であれ、十分の一税を納めなくてもよい。われわれは、飼育または販売用の子牛1頭につき1アルブスを納める。
 7頭の子羊、7頭の子豚、7羽のガチョウから1頭または1羽を納めるべきであるが、その後10頭または10羽にふえる年まで納めなくてもよい。
 裁判所は法として次のように指示する。すなわち、僧侶、騎士または下僕であれ、いかなる者も教会、水門、道と橋、製粉所とパン焼き所および溝の共同作業と修理を免れない。
 他人のぶどう園でぶどうの房を夜間に切り取る者は3グロッシェンを失い、毎年泥棒贖罪金を1ヘラー科される。雌馬または去勢された雄馬を放牧地に送る者は、5グルデンを失う。荘園で鐘を鳴らしても、すぐに来ない者は、6シリングを失う。村はビンゲンに監視所をもち、都市に敵があらわれ、求められれば、われわれは監視所を2人で守り警護すべきである。そのかわり、われわれは都市に出入りするとき、関税を納めなくてもよい。そして領内に敵があらわれ、ビンゲンに向かって来たら、われわれは雌牛を都市の濠に入れ、連れ戻しに行くまで入れておくことができる。


 6-4-10 シュプレントリンゲン Sprendlingen



  最初に、シュプレントリンゲンの村域内に農地をもつ者は、謝肉祭の18日後の月曜日と8日後の最初の月曜日、聖ヨハネの日 (12月27日)の前の土曜日、聖レミギウスの日(10月1日)の後の月曜日、身体、財産ともに同所に存在すべきである。他の領主に追跡されることなくシュプレントリンゲンにまる1年住んでいる者は、わが領主に従属する。あらゆる傷害は、犯罪であれ、刑罰を招く行為であれ、領主に9ヘラーを納めるべきである。拳による不当な殴打は過ちとして1トゥルニスの罰金で許される。われわれは製粉所を禁制製粉所と指示し、製粉屋は領民に1マルターの穀物から12ズマ―の穀粉をつくるか、領民の希望により製粉屋が領民の家へ穀物を取りに行き、彼に返す場合は、8ズマ―の穀粉をわたすべきである。領民が穀物をもっておらず、他所で買わねばならないなどの場合には、彼は製粉屋に注文すれば、製粉屋は穀粉を受け取りに1マイルの道のりを自費で行くべきである。われわれは2つのパン焼き所を指示し、パン屋は領民の家へパン生地をとりに行き、良いパンをつくり、パンを正しい時刻にすべて引き渡し、パン焼き所でみずから稼ぐのではなく、すべて規定どおり個数に応じて領民が報酬を支払うべきである。われわれは、当村のいかなるパン屋も週に2回火入れをすべきである。
 われわれは次のように指示する。すなわち、シュプレントリンゲンの村域内に農地をもつ者が他人に農地を売ろうとする場合、その農地に穀物地代あるいはワインその他の地代が課されているなら、法にしたがって、彼はその農地を裁判所で譲渡すべきである。
 われわれは次のように指示する。すなわち、シュプレントリンゲンの村落壁の内側6ヴェルクシュー幅の範囲内は何も建てずに空けておくべきであり、外側も同様に空けておくべきである。同じく、われわれは次のように指示する。すなわち、境界石の周辺2シューの範囲内で、いかなる武器であれ使用してはならず、違反した場合は罰金を科される。
 境界石を越えて働いたり耕作する者は、当局に重大な違反として罰せられる。




         


 6-5. オーバーモーゼル Obermosel



 6-5-1 ディーデンホーフェン(ティオンヴィル)Diedenhofen
(16世紀) 

(ディーデンホーフェンは今日フランス領の都市ティオンヴィルThionvilleである。)

 これはディーデンホフェンのザンクト・マクシミン修道院長に法として示される。

 参審員が1名必要であれば、領邦君主が彼を任命し、参審員を参審員席に着かせるなら、彼はまず良き領主たるザンクト・マクシミン修道院に、領主の損害を防止する忠誠と恭順を誓い、次に保護主としての領邦君主に誓う。
 秋の前の聖十字架賞賛日(9月14日)にディーデンホーフェンの年市が開かれ、その前日夕刻六時課以後畑に三角旗を掲げ、参審員も出席して、裁判官いわく、「私は封主としての良き領主ザンクト・マクシミンおよび保護主としてのわが領邦君主のために法廷の罰令と平和を行使する」。
 同じ聖十字架賞賛日の前日正午より聖十字架賞賛日の正午までの一日はザンクト・マクシミン修道院の関税の日であり、領邦君主はこれにかかわりをもたない。


 6-5-2 ケーニヒスマッヒェルン Königsmachern (1456年)


(ケーニヒスマッヒェルンは今日フランス領に属する)

 村は参審員の出席のもとにザンクト・マティアス修道院長に10頭の羊のうち1頭を十分の一税 として納めることを知らせ、10頭以下の羊をもつ者はそれを10頭まで数えるべきである。しかしザンクト・マティアスの修道院長の荘園住民がそこから十分の一税を払うつもりであれば、 そのように計算すべきである。1頭の子牛あたり1シリングで、12ペニッヒは1シリングに相 当する。しかし10頭の子牛をもつ者は羊と同じように納めるべきである。屋外で産まれた子馬 1頭あたり4シリング、子馬が屋内に収容されたら、子馬1頭あたり2シリング、屋内で産ま れた子馬が屋外に出たら、1頭あたり2シリング、滞納者は贖罪金を科される。


 6-5-3 パール Perl (1456年)


(パールはドイツ、フランス、ルクセンブルク3国の国境に接するザールラント州の村)

 第一に参審員は領主ザンクト・ペーター司教座聖堂ならびにわがトリーア司教座聖堂参事会員に、罰令と人、水と牧場、滞水と流水、草地と耕地、生垣と藪(休閑地)、漁獲と鷹狩、 天から地まで、を指示し、あらゆる上級裁判権と支配権は、領主の罰令が及ぶかぎり、司教座聖堂の領主以外誰も意のままにすることはできない。
 さらに陪審員は次のように指示した。犯罪者がパールで捕えられたら、彼を勾留して、牢獄につなぎ、村長はトリーア司教座聖堂参事会に馬でおもむき、事案を提出すべきである。参事会は村長に粗末な食事とワインを提供し、彼に対して、馬で帰り、裁判長となるようにいう。そこで村長は馬で帰り、裁判をおこない、再び参事会に馬で行き、事案を報告すべきである。参事会は円満に対処し、彼に最良の食事とワインを供するべきである。
 参審員が裁判集会を開催したときは、代官の贖罪金から4 ゼスターのワインを参審員に与え、その後最良の贖罪金を支給しなければならない。


 6-5-4 ベッヒ Bech (1532年)


(ベッヒは今日ルクセンブルク領に属する)

 参審員はまず最初に、神と聖ウィリブロルドがわれわれに御加護をたまわるよう指示する。わが修道院長は荘園をもち、そこには椅子とベンチがあり、わが修道院長あるいは彼の代理が座り、その後に代官が武器を手にして座る。代官が座らなければ、われわれは彼をとがめ、わが修道院長も同じようにとがめる。その後に修道院長の裁判官が座り、さらにその後に長老の参審員が端まで座り、わが修道院長または代理に彼の法を指示する。荘園は、参審員のヴァイストゥームと法を遵守しようとしない者がいれば、彼が荘園の法を遵守するまで、拘留すべきであるが、荘園がそうしない場合は、彼らは荘園をとがめるべきである。またベッヒ荘園から他所へ出て、62年間のうちに帰って来て、自分が正当な相続人であり、相続地に住んでいることを証明できるならば、認めるべきである。また32年間荘園内にとどまっている者も、同様である。犯罪人を捕えたなら、エヒターナッハに送り、片足を門の内側に他の片足を門の外に置き、彼がエヒターナッハから逃亡しても、これとかかわりをもつべきではない。彼がベッヒから逃亡した場合は、エヒターナッハから情報を得られるなら、再度助けてもらうべきである。

 


 6-5-5  レーミヒ(ルミシュ)Remich (1477年)


(レーミヒはルクセンブルク領に属するモーゼル河畔の集落だが、ヴァイストゥームはドイツ語で書かれているため、地名もドイツ語の発音に準じる)


 われわれはわが領邦君主ルクセンブルク公にしてレーミヒ荘園の最高領主に次のことを法として指示する。すなわち、彼はレーミヒ荘園におけるすべての命令と禁令、上級裁判所を有し、このレーミヒ上級裁判所の上に立つ者は不法行為者を刀、車輪、火で処刑し、絞首台では鎖と綱で、モーゼル川では水で処刑する。また不法行為をおこない、レーミヒの上級裁判所管区と荘園、これに属する支配領で捕縛された者も同様に処刑される。また、荘園内で捕らえられ、その外へ連行された者は、領邦君主の司教座聖堂首席司祭、地方官によって処刑される。あるいはまた、ルクセンブルク領邦の内外に定住する他の者が捕縛され連行された場合、荘園および支配領において文句なく領邦君主の裁判官に引き渡され、彼の罪状により、あるいはレーミヒ荘園内の領邦君主の裁判所の判断により、しかるべき処刑ないし処分がおこなわれるべきである。
 われわれはまた、次のことを法として指示する。すなわち、領邦君主のレーミヒ荘園のいかなる市民も毎年聖ヨハネの日(6月4日)に世帯税を納める義務を負い、ルクセンブルクとこの領邦の他の自由地域の領主が金銭を徴集するように、レーミヒ荘園にその徴集に送られる領邦君主の地方官と従者に支払うべきである。また聖レミギウスの日(10月1日)にいかなる市民もレーミヒ荘園に派遣された領邦君主の地方官に市民の家の扉の前で太っためんどり3羽を提供すべきである。またクリスマスには、ルクセンブルク公国で慣わしとなっているように、レーミヒ荘園のいかなる市民も領邦君主に世帯税を支払い、その地方官に渡すべきである。いかなる市民も領邦君主に対して、彼がレーミヒ荘園で得る耕作物とぶどう園の収穫物を毎年納め、畑の穀物の九分の一、ぶどう園のぶどうの九分の一を納めれば、それ以上納める必要はない。もしわが領邦君主がその子を結婚させたり、あるいは外国の土地を買って、ルクセンブルクの領邦に損害をもたらすようなことがあれば、あるいは全能の神のご加護をうける領邦君主が捕らえられるようなことがあれば、レーミヒ荘園に住むいかなる市民も、ルクセンブルクに住む他の市民と同様に、わが領邦君主のためにできるかぎりのことをなすべきである。
 われわれはまた、レーミヒのわが領邦君主の領地、ベッヒにある領邦君主の製粉所、レーミヒ荘園の7人の参審員が住む家屋を、自由と指示し、この規定に準じる他の場所も自由と指示する。
 われわれはまた次のことを法として指示する。すなわち、レーミヒ荘園のあらゆる市民と住民は自由な市民であり、わが領邦君主の地方官その他からも、さらにその他あらゆる支配、要求および課税からも自由である。彼らが相続財産を得て地代の義務を負う場合、あるいは他の負債を負う場合、請求権をもつ者にそれを支払うべきである。彼らはその負債を支払うことによって、他所へ移動し、他国と他領主のもとへ移転してもよく、その子どもを結婚させて、子どもが望むところへやってもよい。あるいはこれに加えて、誰かに尋ねたり許可を求めたりしなくても、誰かに妨害されることなく、彼らの家具と財産を持ちさってもよく、レーミヒ荘園にある彼らの相続財産を売り、移転し、担保とし、消費し、使用し、譲渡し、賭博で失い、女につぎこみ、使いはたし、休耕地として放置し、あるいはまた近くにいる隣人に損害をかけなければ、自分の望みどおり、よく考えてふさわしい状態にすることをめざして耕作することもできる。また市民やその子が邦外へ移動し、その相続財産を後憂なきようにしておき、100年ほど経っても彼またはその相続人がその相続財産を誰の反対にもわずらわされることなく再びわがものとして入手することもできる。レーミヒ荘園の市民および荘園内で取引をする者は、その商品を考えどおりに売りにだして取引きすることができ、誰かがいい加減に提供したのでなければ、意欲や意志しだいであり、商品が適正かつ公正に計量ないし受領されるかぎり、それを適切に計量して受領すべきである。また領主に世帯税、戸別の鶏税および耕地とブドウ園の九分の一税を納め、適度な負担を定められているレーミヒ荘園のいかなる市民も、あらゆる関税を免除されるべきである。パルツェム(Palzem)の税関とトリーア市ではわが領主たるトリーアの選帝侯に関税を納める義務があり、ルクセンブルクでも関税が課せられ、その必要のために少しの商品を買って家庭で無駄に消費してしまうのである(すべてそうである!)。これに対してトリーアのわが領主もパルツェムの彼の市民も商品を所有しており、ルクセンブルクの市民はレーミヒの通行には関税を免除されていて払わなくてもよいのである。
 レーミヒ荘園のいかなる市民も、大きな鳥獣を別にして、あらゆる鳥獣を捕らえる権限をもち、彼がモーゼル川で船に乗るかぎり、誰かが異議や反対をとなえなければ、魚をとる権限ももっている。そのほかにそうした権限をもつのは、わが邦君主のルクセンブルクとレーミヒの地方官、または領邦君主の自由と許可をレーミヒの裁判所に告知し証明した者に限られ、それ以外には誰ももっていない。レーミヒ荘園に住む市民または市民の子どもは、身体刑をうけるべき悪事をおこなえば、レーミヒの裁判官はその身体を当裁判所またはモーゼル川の流れで罪状に応じて処刑をおこなうべきであるが、彼の相続地や家財は処分されることはない。彼が悪事に加担しなかったことが立証され、いずれかの市民が参審員の判決に際して裁判官に保証をしうるなら、逮捕者を有罪として監獄やさらし台には留置すべきでない。
 われわれはまた、次のことを法として指示する。すなわち、わが領邦君主ルクセンブルク公は、嫡出子で法的資格を認められた裁判官を任命すべきであり、彼は裁判所の席に着く前に、まず領邦君主に、その後裁判所、全荘園およびそれに属する市民に宣誓をおこない、レーミヒの参審員が適切に指示し、彼の同僚の協議により、レーミヒの裁判所と全荘園に対して語る。したがって裁判官は、わが領邦君主あるいは誰かの判断を求めたり尋ねたりすることなく、いかなる不法行為者の不法行為もレーミヒの上級裁判所または処刑台に告発する権限をもつ。また何の罪もなく告訴もされていない人が来て、レーミヒのわが領邦君主の街道と上級裁判所管区内で、市民としてうけいれてくれるようにレーミヒの裁判官に要望し、参審員の判断による保護を求めたら、裁判官は彼を他の市民と同じように保護するか、参審員の判断にゆだねるべきであり、その人が法を破るかもしれない場合にかぎり、これを保留すべきである。ただし、彼に流血や窃盗の疑いがある場合はこの限りではない。また裁判官に誓約した裁判所廷吏がレーミヒ荘園の内外で裁判所のために取ろうとしたか、取り押さえた担保を、不当に奪うか保護する者がいれば、上級裁判所の担保にかんするかぎり、裁判官はこの者の家の棟を真っ二つに壊し、レーミヒ荘園の市民はそれに協力すべきである。また廷吏は彼に託される担保を女から取るべきではない。レーミヒの裁判官はレーミヒの参審員以外の誰にも判決を求めるべきではなく、いかなる者にも参審員判決を知らせるべきであり、レーミヒの参審員は領邦君主の市民に対して公平に裁判をおこない、いかなる者も領邦君主の法を守り、法にしたがうべきである。また裁判官はレーミヒの市民に担保を命じたり、命令と禁令を発する場合には、いかなる市民からも保護を奪うことがないように配慮すべきである。ある市民がその財産を他人に担保として渡したり、2人の参審員に委託しておらず、あるいは60シリングを超える損失をしていないとおもう場合は、この市民は裁判官にそのことをを保証しなければならない。またレーミヒの裁判官がレーミヒの市民に贖罪金を要求すべきでも徴収すべきでもない場合は、その市民が告訴されることはなく、参審員の判決による贖罪金を担保で保証した者も、告訴されることはない。また、レーミヒ荘園では誰も裁判官に訴える義務がないのに、訴えを起こす者がいるとすれば、それは彼の意思か気まぐれによるものである。これらの点で裁判官が有罪と認めた事柄について、訴訟をおこしたいとおもう者は、レーミヒ荘園のツェンダ―に訴えるべきである。ツェンダーはレーミヒ荘園の共同体の市民たちに集合を命じ、彼らに訴えを示したうえで、彼らが領邦君主に訴えても、領邦君主は原告の希望をしりぞけ、彼らに荘園法と慣習を守らせ、積極的ではないかもしれず、その前にまずツェンダ―は裁判官のところにおもむくべきである。裁判官が訴訟を望まないのであれば、ツェンダ―と領邦君主のレーミヒ荘園の共同体の市民たちは提訴を起こして、法と参審員判決のために、彼らの市民仲間である原告に協力することをやめることなく続けるべきである。
 われわれは、次のことを法として指示する。すなわち、7名の参審員はレーミヒ荘園に居住すべきであり、古くからの習慣どおり、まず領主に、次に荘園と市民に堂々と宣誓をおこなうべきである。参審員は婚外出生児あるいは名誉なき者であってはならない。
 レーミヒ荘園に居住し、参審員に選ばれた者は、参審員になるべきであり、さもなくば荘園外へ移住すべきである。
 参審員の椅子が保有できない者は、その椅子を放棄して、誰かの妨害や反対がなければ、レーミヒ荘園の外へ移住することができる
 われわれは、レーミヒ荘園の7名の参審員が世帯税、戸別の鶏税を免除され、警備隊任務を除くすべての見張りと監視も免除されると指示する。
 レーミヒ荘園の農奴は参審員に選ばれるべきでなく、レーミヒ荘園の他の参審員とともに裁判所に同席するべきでもない。
 レーミヒの参審員は、レーミヒ裁判所において60シリングの贖罪金を超える身体刑で訴えられるいかなる不法行為者についても、判決をくだす義務を免除されない。
 レーミヒ荘園の7名の参審員は、彼らが封印したのではなく、レーミヒ荘園が作成して捺印しなければならない証拠と文書を、1年と1日より長く保持する義務を負わない。
 レーミヒの参審員に対して不埒な言動で危害をくわえた者は、その参審員に2倍の賠償、わが領主に2倍の贖罪金を納める義務を負い、参審員も同じように不当と見られる犯行をした場合、2倍の賠償金と2倍の贖罪金を科される。
 誰もレーミヒの自由地、ベッヒの製粉所、さらに7名の参審員の家でも、人を捕らえ、襲い、苦しめ、人質とすべきでない。男女を問わず、人の身体に危害を加え、自由地、製粉所あるいは7名の参審員の家に自由を求めて入ってくる者がいたら、彼をそこで6週と3日の間、妨害や危害を加えることなく、自由とすべきである。
 ある人が一つの自由地で犯罪をおこせば、彼はその結果としてそこでは自由を得ることができないが、他の自由地に入ることができれば、ここで定められている自由が与えられるべきである。
 ある参審員が家を公に開放すれば、彼の家は自由ではなくなるべきだが、寝室だけは自由である。
 身体刑を科される犯罪をおこなった者が、自由を求めてある参審員の家に来たら、参審員は6週と3日の間最善をつくして彼を助けるべきである。彼がこれを内密にすることができ、不法行為者の冒険の後に、領邦君主、原告あるいはその他の人に対して犯罪が加えられることなく、不法行為者の自由が終わる日に、自由地の境界と家の外へ3歩出て、公平な妥当性をもつ証明書で証明できれば、彼は再び6週と3日の間そのなかで自由をもつべきである。
 参審員はこの不法行為者に彼の家での飲食費を与える責任を負わない。彼は不法行為者の飲食費の心配をしなくてもよい。
 ある自由地で犯罪をおこなう者は、犯罪後に2倍の贖罪金を科される。
 レーミヒの2名の参審員がうけとらねばならないと命じられたことが確認される文書、あるいは2名の参審員が封印したものは、誓約にゆだねるべきではなく、全力で守られるべきであり、これに異議をとなえてはならない。
 レーミヒ荘園における相続財産の相続にあたって、買取または保持、売却または貸与をのぞむ者は、2名の参審員の前で示される証書によってこれらをおこなうべきであり、証書を用いて参審員は、それにかんする書状の作成をのぞむ当事者のために封印すべきである。そして各参審員は書状にしっかりと押印して、2アルテ・グロッシェン、すなわち4 バイエル・グロッシェンが与えられ、2名の参審員には8 バイエル・グロッシェン、また優先相続権の場合も8 バイエル・グロッシェンが与えられる.
 2名の参審員は、相続と関係ない証書からは1 バイエル・グロッシェンより多く得るべきではない。また強制執行で抵当権を主張する場合にも1グロッシェン、強制執行による売却は、書類に押印がされてないのでやはり1グロッシェンであり、完全な抵当物件については強制執行での売却は何も徴収されない。
 レーミヒ荘園の2名の当事者が相続財産をめぐって争い、境界石を設置しようとして、境界の争いが3.5フスを上回る場合、境界石はレーミヒ裁判所以外の者によって設置されてはならない。
 われわれは次のことを法として指示する。レーミヒの裁判官に不確かな香煙の害について、その治療薬が売られてないため、苦しみが深くて長いと訴えられたら、裁判官はそれを2名の参審員に調べさせるべきである。香煙とその被害がたいしたことがないとわかったら、原告は、彼が調べさせたかぎりの香煙による傷害で訴えられた被告に60シリングの金額を賠償し、治療費の給付と裁判を中止すべきである。彼はまた領邦君主に60シリングの上級贖罪金を納め、2名の参審員にはその調査費として各傷害ごとに8バイエル・グロッシェンを納めるべきである。
 香煙とその被害が大きくない傷害については前述のとおりであるが、われわれはいかなる傷害の原告に対しても、7.5シリングの賠償金を指示し、領邦君主にも同額の贖罪金、2名の参審員にはどの傷害の調査についても8グロッシェンの科料を指示するが、その治療費は差し引かれる。傷害が参審員に訴えられ証言がなされる前に、何らかの薬や包帯が軽減されていたら、参審員は傷害を調べるべきではなく、それについて判決をくだす義務も負わない。
 相続財産、家具その他の物件の法的取引に関して、レーミヒ荘園の誰かが裁判官の裁判所廷吏に対して押収に関する宣誓をおこなっていたのに、裁判でこの荘園の慣わしにしたがって取引の付け値を撤回したら、違反行為として領邦君主に上級贖罪金60シリングを納めるべきである。あるいは何らかの付け値が不当であるか、規定にしたがって廷吏によって彼に知らされていたものに反している場合も、同様である。
 担保物件を譲渡するか、裁判所による押収を取りやめる者は、裁判所に提訴するかしないかにかかわりなく、それによって不法が発覚すれば、この違反に対する贖罪金を支払うべきである。
 レーミヒ荘園の2人の市民の間で争いがあったか、争いがおこりそうな場合、裁判所に裁定を求めるか否かにかかわりなく、宣誓に呼び出される前に、彼らが望むなら、和解する権限をもっている。違反があれば、わが領邦君主は贖罪金を科す権利をもつ。裁判官 あるいは裁判所の勧告または裁定がおこなわれたら、裁判官と裁判所の仲介で和解が話し合われるべきである。それにもとづいて、誰に贖罪金を要求すべきかが判明する。また示談により裁判所は1ゼスターのワインか、多少ともそのワインに相当する金額4グロッシェンを得る。争いが勧告か裁判で解決されなければ、彼らは裁判所での示談またはそれによる支払いをしてはならない。
 われわれは次のことを法として指示する。レーミヒ荘園で裁判所によって押収し、証書によって成果をおさめた者は、疑いもなく、その結果あるいはいいわたされた判決に何よりも完全な満足と達成感を感じるべきであり、裁判官は当事者から信頼されるように、それを遂行すべきである。こうしてある者が成果をおさめて、彼またはその保証人が、裁判の成果として獲得できる財産、人頭税、裁判所の権利と贖罪金をあまり多くもってなければ、成果が完全に確保されるときまで、裁判官はこれらをあらかじめ差し押さえておくことができる。レーミヒで荘園の強制執行で法と慣習にしたがって取引され、売られ、参審員によって競売にかけられるものは、しっかりと保管されるべきである。また、強制執行で売られる競売品は、正当に押収され取引されるかぎり、日没とともに取りさられる。そして前述の強制執行で売られ、取りさられ、または買われるこの競売品を、承知のうえで買う者は、自分とその相続人のために、相続地であれ家財道具であれ、当事者の了解に先立って、そのことが彼らに知らされているかぎり、他の所有財産と同じように保持するか売ることができる。
 二人が外部からレーミヒ荘園へやって来て、その一方が他方を裁判所に訴えた場合、それが告訴あるいは差し押さえのいずれであれ、両当事者は裁判官にその訴訟を確約し、ひそかに他の裁判所への訴訟の移転や要求をしないよう、両者それぞれが相手に対して法を守るべきである。判決があまりに遅れるようなことがなければ、彼らはルクセンブルクでレーミヒ上級裁判所の裁判官と参審員に対して、この訴訟にかんして裁判官をよく信頼するように要望することができる。
 レーミヒに取引商品をもちこむ者を、有罪として拘束することも罰することもできない。
 レーミヒの税関で通行税と関税を課された者を、有罪として拘束することも罰することもできない。
 モーゼル川の流れに錨をおろし、船を陸に繋留せず、他の船につないでいる者を、有罪として拘束することはできない。
 不法にあるいはひそかに、領邦君主またはレーミヒの税関吏から関税と通行税をのがれる者は、税関吏が不注意で許可したとしても、領主に所有財産、船およびそのなかにある物を没収される犯罪をおかしており、上級贖罪金も追徴される。
 われわれは次のことを法として指示する。すなわち、レーミヒ荘園においていかなる人も負債のゆえに捕らえるべきではなく、捕らえることもできず、規定にあるように、彼は裁判所で訴追されることはない。人体に直に接する財産を押収してはならない。彼の財産が欲しい場合、彼がその財産に直接触れてなければ、財産を押収することができる。すなわち、ある者が馬に乗って来るか、あるいは片足を地に、他方の片足をあぶみに置くか、あるいは地上に立って馬のたてがみを手にもっている場合、馬を押収すべきではない。しかし彼が馬の皮ひもを手にもつか、馬を皮ひもで彼につないでいるなら、馬を押収することができる。
 レーミヒのすべての出入り自由な飲食店と荘園全体ですべての男は自分の金でワインを買い、朝から午後9時までサービスをうけるべきである。店主がワインの栓を開け、彼はある人に対して他の人より値段を高くしたりしてはならないが、ワインの栓を開けてしまった後でも、そのワインを提供する権限をもつ。
 われわれは次のことを法として指示する。すなわち、肉屋の親方はレーミヒの屠畜場で月、火、土曜日に売られる肉を、その同業組合仲間とともに注文すべきである。彼らはきちんとして良質な肉以外には売ってはならない。
 漁師がモーゼル川を航行し、販売用の魚をもっており、レーミヒの裁判官, 参審員、廷吏あるいは市民が陸に立って、漁師に「魚を買いたいので、岸に来てくれ」と呼びかけたら、漁師は岸へ行き、魚を売るべきである。漁師がこれを実行しなければ、彼はわが領主に贖罪金を納め、原告に損害を返すべきである。贖罪金は7.5シリングである。
 あるパン屋がレーミヒ荘園にパンを売り、そのパンが小さすぎるか、不当であれば、裁判官は裁判所と協議してパンを切り、貧しい領民に必要なだけ与える権限をもつ。
 われわれは荘園の法と慣習について次のことを法として指示する。すなわち、外来のキリスト教徒がレーミヒ荘園に来て、男であれ女であれ荘園の領民と結婚して夫婦となれば、その相続地も家財もすべて相続され、相続財産を夫あるいは妻のところへ持参することができる。もし夫婦のどちらかが死に、残った者が再婚すれば、すべては最も近親の相続人のものとなる。ただし、夫婦のどちらかに子どもあるいは継子がいれば、荘園法と慣習したがって財産を分割し、子どもにその持分を相続させるべきである。


 6-5-6 ベッシュ Besch (1541年)


(ベッシュは現在ザールラント州の自治体パールに属する一地区である)


 参審員は誓約をおこなって、次のように法を示す。すなわち、ベッシュに住み犂で耕す者は、その犂と役畜を自分の畑で用いるのと同じように、大修道院長に年3回の賦役をおこなう義務を負う。その場合いかなる犂耕者も割り当てられた領主の耕地で彼の犂と馬鍬を用いて、できるかぎり大修道院長の役に立つよう、自分の畑とまったく同じようにおこなうべきである。
 同じく、犂耕民が働いているとき、参審員は彼の畑へ行き、参審員の誰かが斧とつるはしをもち、もし近くに薮あるいは休閑地があれば、薮を伐採して領主の利用と収入のために放牧地をつくるべきである。
 犂耕民が夕方耕作を終えたときには、通常彼ら勤労民に食事を与えるべきだが、ワインは与えない。そして彼らが十分に食べ、帰宅するとき、一台の犂について地代から1ベッシャー・ゼスター分を削減するか、彼の袋に入れて持たせるべきである。また領主は、領民の犂耕の際にパンと水を提供すべきであるが、犂耕民がもっと良い飲食を望むなら、彼らはそれを注文することができるが、領主はこれに応じる必要はない。
 参審員は次のことを法として示し、認める。すなわち、ベッシュの当荘園は神聖な教会と同じように自由とされ、守られるべきであり、不法行為者その他が荘園内に自由を求めたなら、彼は一昼夜そこに平和と自由を得るべきであり、一昼夜が過ぎて、彼が荘園の外に出て再び荘園に入れば、最初の一日と一夜と同じように今一度自由と平和を得ることができる。彼は何度もこれをくりかえすことができる。こうして彼が荘園の自由のうちにあるかぎり、領主あるいは荘園を所有し利用する者は、領民をかくまい、彼を危険から救う。もし誰かが当期間内にこの人間に暴行し、荘園から連れ出そうとするなら、領主あるいはその領民は荘官を呼んで、暴行をやめさせ、領民に対する荘園の自由を守るべきであり、荘官が弱すぎる場合は、参審員たちを呼び、参審員たちが弱すぎるときは、代官を呼び、全住民および農民、大修道院長と修道院のために当荘園の法と自由を守るべきである。
 また次のことを法として示す。すなわち、もしザンクト・マクシミンの領主あるいはその荘園使用人が三月にベッシュの彼らの草地に灌漑するために、土曜日の昼に小川から水を引き、日曜日の朝太陽が昇るときまで、彼らの土地に水をひくことができる。そして日曜日の朝太陽が昇れば、領主とその荘園使用人は村民の土地に水を引かせ、領主の反対がなければ、月曜日の朝太陽が昇るまで灌漑させるべきである。


 6-5-7 フレジンゲン Fresingen (1541年)


(フレジンゲンは今日ルクセンブルク領に属する)

 さらに参審員は罰令と人、土地と相続財産、飲食物の枡、枯野と沃野、地上と地下、空中の鳥、薮と森、道、梢と切り株、水と牧場をすべて例外なく、法にしたがって修道院長のみに指示し、誰もこれを共有しえない。
 参審員は次のように指示する。すなわち、夫が死亡し、妻が生き残れば、残された寡婦は夫の死後30日以内に荘園管理人の所へ来て、彼女が荘園で享有し利用しようとする相続財産を受け取るべきである。
 さらに当参審員は、誓約と義務により、法にしたがって、フレジンゲンに住む者は男も女も、所有財産も相続財産ももたなくとも、荘園は修道院長の代官所管区であり、地代を修道院長と修道院に納めることを認める。
 さらに当参審員は、次のように判告する。すなわち、ある荘園民が彼の相続財産に過大な地代を負担していると考えるなら、領主と荘園民は参審員および荘園民相続人の証書によって相続地を端から端まで測り、いい加減なやり方をせず、荘民が火を使わなければならないかまどに対比して、彼がそこで火を使えるほど多くの自由相続財産をもってないのに、そこから地代を納める必要があるのかを調べるべきである。そうすれば、参審員とともに、彼が息子のために相続地をもち、その地代を領主に納め、何によって領民が相続地と財産をもち、開墾地と相続地の割合はどうなっているのかを知ることができるであろう。しかる後、領民は地代を納めるべきである。


 6-5-8 ノスペルト  Noispelt (1542年)


(ノスペルトはルクセンブルク領の村)

  さらに参審員は土地領主としての修道院長に対して、彼が取得した代官管轄区と土地におけるミツバチの発見についての権限を認める。すなわちミツバチを発見した者は、荘官の許可を得て、ミツバチを採集して、その半分を彼と教会の利用に供すべきである。
 参審員は次のように指示する。すなわち、領主に隠れてひそかにかまどの火を使う者は、領主に2斤のライ麦パンを差し出さなければならない。その場合5斤のライ麦パンは1ゼスターに相当するものとする。
 当参審員は次のことも指示する。すなわち、相続地の災難が突発して処理されなければ、相続地から地代と権利がまず領主に渡され、その後に代官に渡される。つまり、いくらか差し引かれて残った分は、代官に譲渡され、領主のものとはならない。


 6-5-9 ケル Kell (1549年)


(ケルはルクセンブルク領に属する)

  当参審員は、次のように認める。すなわち修道院長の領地でミツバチあるいは鳥が発見されたら、3分の2は土地領主に、3分の1は代官に属する。
 さらに当参審員は次のように指示する。修道院長あるいはその 財務官、従者、地方官が馬あるいは徒歩で来て、裁判集会を開催する等の場合、司祭は彼らを丁重に迎え、食卓に白い食卓布を掛けて、ライ麦パンと一杯の水をそこに置き、馬には良い麦わらを与え、寝床を提供し、夜には最良の宿と布団を用意し、代官には鳥とニワトリをみやげとして持参すべきである。これに対して代官は司祭に3グルデンを与え、司祭の家にこれを残し、土地領主もいくらかの地代と権利を与えるべきである。このように君主のごとき待遇をうける司祭は村外の森で一本のブナを伐り、さらに領主の森で生活に必要とする1 カールの薪をとってもよい。

 6-5-10 メルシュ Mersch(1542年)


  (メルシュはルクセンブルク領に属する)

 参審員は次のことを認める。すなわち、復活祭後の最初の日曜日の次の月曜日にいくらかの世帯税を納める者は、卵も納めるべきである。もし、彼が世帯税と卵を拒み、納めようとしなければ、代官の役人は戸を開けて家に入り、修道院長の役人は世帯税と卵の担保を提供すべきである。
 当参審員は次のように指示する。すなわち、修道院長は7年ごとに彼の裁判所と参審員とともに費用の自己負担で、土地世襲支配権の及ぶ限りの領地を巡回し、上下級統治権を指示する義務を負う。


 6-5-11 リニッヒ Linnig (1537年)


 (リニッヒはルクセンブルク領に属する)

 当参審員はあらゆる森における養豚税と木の実税にかんして修道院長に次のことを認める。すなわち、木の実が十分ある場合、豚のえさに4ペニヒを払うべきである。木の実が十分ではないか足りないと村民が言う場合は、修道院長の荘官あるいは彼にかわる3人の参審員は豚をうけ取り、聖アンドレの日(11月30日)に森へ行くべきである。そこで多すぎず少なすぎず適当な数の豚を木の下に集めてえさを食べさせるべきである。また若駒に桶1杯の木の実を食べさせる場合、オークのどんぐりであれ、ブナのどんぐりであれ、完全な養豚税を納めるべきである。もしこの木の下で若駒に十分木の実を食べさせられない場合は、荘官と参審員は第二の木の下に移り、さらに第二から第三の木へと移り、若駒に十分なえさを見つけることができれば、村民は十分なえさを食べさせられるが、若駒に半分もえさを食べさせられなければ、それは野駆けとみなされ、村民は木の実税を支払わなくてよい。
 

 6-5-12 フンスドルフ Hunsdorf (1537年)


 (フンスドルフはルクセンブルク領に属する)

  当参審員も修道院長を正当な土地領主と認め、人と罰令、魚と鳥の捕獲、発見物と生計、梢から地上へ、天から地へ、地上のオーク、砂上の魚に対する権限を指示する。
 また参審員は、次のように述べる。すなわち、薮のなかに樹木が育ち、穴を穿つことができるほど太くなれば、修道院長に提供し、彼の教会の収入として利用すべきである。
 

 6-5-13 リッタースドルフ Rittersdorf (1544年)


(リッタースドルフはルクセンブルク領に属する)

 当参審員と裁判所は、次のことを認める。すなわち、裁判集会において土地領主としての敬愛すべき修道院長、あるいはその財務官、地方官および指揮官が修道院長の名において出席し、当荘園で枯れ木の上に座り、領主の地代について法による審理をおこなう。
 代官は馬に乗る従僕一人と徒歩の従僕一人を従え、馬に乗る従僕は鷹をその手にのせ、徒歩の従僕はよく走る2頭の狩猟犬を連れて、全員が野外で狩猟をおこない、鳥獣の肉を得て、修道院長の台所に持参し、修道院長は代官と裁判所に食事をふるまうべきである。
 また、つぎのことも指示される。すなわち、当修道院長のリッタースドルフの荘園使用人は羊の飼育のために遠方の地を訪ねる特別の移動をおこない、村民の慣わしに対する反対がなければ、通常は村民のもとで羊を再び良く飼育し、十分に放牧し、他のすべての役畜も村民の利益と農地のために飼うことが古くからの慣わしである。

 6-5-14 ネニッヒ Nennig


(ネニッヒは今日ザールラント州に属する自治体パールの1地区)

 最初にネニッヒのわれわれ参審員と裁判所はわがザンクト・マティアス修道院長を当村落および地区の土地領主と認め指示する。また修道院長には、魚と鳥の捕獲、人と罰令、発見物と生計、水と牧場、地 から天へ、参審員の任免の権限を指示し、その他の誰にも権限を認めない。その場合あらゆる大小の裁きがおこなわれるが、胴体と首にかかわる事案、流血の傷害および名誉にかかわる誹謗の3件は除外され、上級裁判所に属する。
 さらにわれわれはわが領主に長さ、計器、尺度、重さを指示し、これらを破る者がいれば、ネニッヒのザンクト・マティアスの教会の役人に訴えるべきであり、それ以外のところに訴えてはならない。
 われわれはまたザンクト・マティアス荘園を完全に自由と指示し、殺人をおこなうか、身体を殺傷して荘園に来る者は、6週と3日の間自由である。そして6週と3日経って、この罪人が当荘園の門に向かって一個の石を投げ、そこまで行って、石を3フス越えた所から再度荘園に戻って来られたら、彼は今一度前述の期間自由を得るべきである。そして荘園民はわが領主の権限により、昼夜を問わず常に彼を助けることができる。もし当荘園内で襲撃がおこなわれたり、流血の傷害がなされたら、わが領主または村長はそのような行為を罰し、われわれ参審員はそのような者に手あるいは足による償いを指示するが、わが領主は任意にこの者を裁くか、慈悲をほどこすことができる。
 さらにわれわれは水車を当荘園と同様に自由と指示し、もし水車がこわれたら、森林開拓民の叢林に二つの水路を引き、その一つで水を入れ、もう一つで水車に水をひき、製粉屋は森林開拓民を積極的に助け、外部の者が通行できる道をつくる義務を負う。 
 ネニッヒ村に住んで泉の水を飲み、水車を動かす者は、毎年領主の湿地で干し草を刈取って積む作業を助けるべきである。
 また貧しい者がわが領主の保護のもとにあって、生活することができず、他所へ転出を望んでいるなら、わが領主はこれに応じて、ただちに彼が自分のおもうところに行けるよう、助けるべきである。彼が先に進めなくなった所に、わが領主が遭遇したら、わが領主はあぶみを踏んで馬の鞍から降り、他の足はあぶみに残したまま、その男が暮らせる目的地へ行けるように助けるべきである。
荘園民は、わが領主の支配権と領域が及ぶかぎり、わが領主ために、四つの捕獲網をもって狩猟をすることができる。
 ネニッヒの支配地内でパン屋がパンを売り、そのパンが小さすぎることが見つかった場合は、裁判官と参審員はその目方をはかる権限をもち、小さすぎると判断されれば、わが領主の名においてそのパンを没収して貧しい人々に与える権限をもつ。
 最後に、われわれは疑わしく従順でないと判断された人物をわが領主の手にゆだねて、裁きをおこなうか慈悲をほどこし、さもなくば悪事に対して10 ラーダー・アルブスの罰金を指示する。
 ザンクト・マティアスのわが領主とベルクの貴族領主は家畜を飼い、森林や農場で木の実を収穫するが、わが領主は任意に単独で養豚税を得ることができる。

 6-5-15 テッティンゲン-ブッツドルフ Tettingen und Boesdorf


 (テッティンゲン-ブッツドルフは今日ザールラント州の自治体パールに属する)

 最初にわれわれはテッティンゲン・ブッツドルフにおけるザンクト・マティアスのわが領主を正当な土地および裁判領主と指示し認めるとともに、基本問題における命令と禁令、参審員の任命と罷免、さらにはあらゆる尺度、計器および重量の検定、魚と鳥の捕獲、発見物、生計およびあらゆる権利は土地領主の権限に属するが、窃盗、誹謗と流血の傷害等は上級裁判所の権限に属することを指示する。 
 われわれはまた、きめられた日の夜明け前に地代を届けてない者に対して、わが領主の役畜に作物を載せて運搬するように指示する。われわれは、荷馬車で地代を運んで来られるにもかかわらず、荷馬車による地代の運搬に遅れた者に対して、次のように指示する。地代を馬車で運ぶ運送夫が足りなかったのであれば、彼は地代をザンクト・マティアスの倉庫に届け、贖罪金として10 ヴァイスペニヒ以上を支払い、参審員に食事を提供すべきである。 
 さらに聖ブリクティウスの日(11月13日)に小魚7尾とテッティンゲンの森の木を一荷われらが領主にさしだすことを判告する。







 6-6. ウンターモーゼル Untermosel


 6-6-1 カーゼル Casel (1548年)

 (カーゼルはトリーア市近郊の村)

 参審員はプファルツェルの聖マリア教会の首席司祭および参事会に対して毎年聖燭祭(2月2日)後の裁判の日に自由な裁判と裁判集会を認める。また裁判集会の日の最初の14日後と第二回目の14日後にプファルツェルの教会の回廊で自由な法の指示がおこなわれる。
アイテルスバッハの荘園は自由であることを、法にしたがって指示する。すなわち、身体刑をうけるべき犯罪をおかした者が、荘園に来たら、6週と3日の間身体の安全が保障されるべきである。一定期間の後、彼が自由地または当荘園の外に3歩足を踏み出して再び戻れば、そのたびに彼はいぜんとして自由であり、自由を保障されるべきである。しかし尋問されなくてもわかりきった公然たる殺人犯と窃盗犯を別とすれば、犯人は食費を自弁すべきである。
 許可なくファルツの自由森林で大小を問わず木の幹を伐る者は、どの幹についても5トリーア・グルデンを贖罪金として領主に納め、彼の権利は参審員のものとなる。
 われわれは領主に次のような自由を指示する。すなわち参審員を任命するにあたって、当管区内で適当な者が補充できない場合は、領主はいつでも自分の自由な意志と裁量にしたがってカーゼルの村民に介入し、一人または複数の参審員を村民から選ぶことができる。その場合、村民は弁解や拒否をすることなく領主にしたがう義務を負い、裁判所管区内で彼がが彼らのなかで選ばれていなくとも、参審員の椅子をひきうけなければならない。そのかわり、カーゼルの村民は当村域内の水利と牧場を利用することができる。
 採草地は農村の習慣により聖ゲルトルートの日(3月17日)から干草の刈り入れと積み上げの日まで自由な利用に開放されるべきである。
 アイテルスバッハには4つの処刑台が置かれるべきであり、カルトホイザーの住民は秋にカルトホイザーの藪における領主の荘園のそばの空き地を領主が利用できるように残しておくべきである。
 彼らは遅滞贖罪金として領主に5シリング、参審員に1 ゼスターのワインを納めるよう指示する。また違反贖罪金として領邦君主と同じく領主に対して10アルブス、参審員に対して2ゼスターのワインを負う。
 相続財産をそこなう差し押さえがおこなわれるたびに、そうした差し押さえ物件はアイテルスバッハの荘園にひき渡されるべきであり、そこに3日間置かれ、なくならないように保管されるべきである。3日間の保管の後、その差し押さえ物件はプファルツェルの教会の管財人に渡され、彼はそれを売却しなければならない。
 最後に使者は、領主がいまや自由裁判集会を開いたと宣言すべきであり、その際裁判所に用件がある者は、管理人が杖を挙げる前に申し出ることができる。
 参審員は最後に次のように認める。すなわち、領主は裁判集会またはヴァイストゥームで7人の参審員、使者、教会使用人および渡し船の船頭に食事を提供する義務を負う。船頭は参審員と廷吏をルーヴァー川沿いの採草地に運ぶべきである。アイテルスバッハの領主の使者は4人の参審員に夕食として焼肉、1ゼスターのワインと2アルブスの価値のパンを提供すべきであり、これはグロンメル食という。裁判集会では領主は参審員に昼食として2アルブスの価値のパン、1ゼスターのワインおよび適切なスープを提供すべきである。


 6-6-2 マルティンスドルフ Martinsdorf (1542年)


(前述のカーゼルに近い、モーゼル川右岸の村)

 罰令区内において参審員は宣誓によって敬愛する修道院長を上級裁判所の正しい本来の代官および裁判長として指示し認める。また、漁獲と鷹狩、発見物と生計、水利と牧場、すべての身分、緑野と不毛地、梢と切り株、空中の鳥、野の獣、水中の魚、狩猟と漁業、茂みの蜜蜂採集にかんする権限を領主だけに認め、他のいかなる者にも認めない。
  参審員はまた、作物、ワイン、牧草、子豚、大麦、蜜蜂、燻製肉などあらゆる物から十分の一税を納めることを認めるが、昔から子羊1頭について卵2個、子牛1頭について卵4個を納める。

 

 6-6-3 リオルとフェル Riol und Felle (1537年)


(リオルとフェルはモーゼル川右岸の隣り合う集落)

 参審員は、敬愛する修道院長がリオル村の裁判所の設置と廃止、参審員の任免をおこない、廷吏と裁判官も任意に任命する権限を、法として認める。
 参審員は敬愛する修道院長を本来の上下級裁判所の唯一無二の代官および授封領主と指示し、人、罰令、発見物、生計、漁獲と鷹狩、水利と牧場、あらゆる身分、飲食物の枡、空中の鳥、野と森の獣、生垣と藪、領主以外のいかなる者にも帰属しない上下級裁判所のすべての贖罪金、あらゆる命令と禁令、すべての漁業と狩猟にかんする権限も彼に認める。
 リオル村の罰令圏内では、必要かつ適切な場合はいつでも、自由な皇帝の上級裁判所が首と身体を裁くことを法として指示し認める。また不法行為者は取り押さえられ、上級裁判所の裁判官はフェルの廷吏とともに罪人を牢獄に連行すべきである。そしてフェルの上級裁判所の裁判官はリオルの上級裁判所の裁判官から罪人を引き取り、フェルの牢獄に連行し、使者をザンクト・マクシミンの地方官と市長に送り、罪人について知らせるべきである。その後地方官は罪人を調べさせ彼の不法行為すべてを裁かせるべきであり、参審員による法の指示と認識もその権限をもつ。
 領民が罰令区における水の中、火の中、土の上、または木の下で被害にあい、あるいは車の下で死亡しているのがみつけられたら、上級裁判所の裁判官は被害者を守り保護すべきであり、ザンクト・マクシミンの彼の廷吏を上級地方官に送り、男女の被害者を運んで埋葬する許可を求めるべきである。それとともに、人、罰令、漁獲、鷹狩、収得物と生計、水と牧場、藪と生垣、上下すべての身分、飲食物の枡、空中の鳥、水中の魚、野と森の獣、ありとあらゆるもの、藪の蜜蜂採集、すべての郷裁判所の贖罪金、大小すべてのもの、上述の村域内の狩猟と漁業、すべての命令と禁令、首と胴体の裁判、すべての権限を領主のみに認め、それ以外の誰もこれに関与することを認めない。
 1桶のワインは、両手の指にぶら下げられる容量とすべきである。
不作の年が長びき、ワインと穀物の不作によって貧しい領民がワインと穀物の地代を納められず、敬愛すべき修道院長が土地領主および上級裁判領主として彼に猶予を認めたくない場合、領民は土地領主に対して1アームのワインを5シリングを納めて満足してもらい、それ以上納めなくてもよい。
 領民が古い滞納地代を弁済する義務を負っていれば、領主はかつて納めていた地代の額を彼の廷吏に差し押さえさせるべきである。しかしこの領民が担保をもっていなければ、かつて地代を支払っていた土地を差し止めるべきである。
 罰令区に住み、かまどのある家を維持する者は土地領主に毎年3羽の鶏税、3ヴァイスペニッヒおよび1ゼスターの干しぶどうワインを納め、参審員は報酬としてそれらを免除される。それゆえ、敬愛すべき修道院長は領民に門柱をつくれるだけの木材を支給する義務を負う。
 したがって参審員は敬愛すべき修道院長に、臣民から自由な農作物地代の徴収を指示し、聖ブリクティウスの日(11月13日)までに支払いがなされるべきである。地代をこの日までに納めない者は、支払い終わるまで毎日その地代の2倍を納める義務を負う。そして臣民が地代を納めたら、1年間この地代を課された農地からさらなる貢納をしなくてもよい。
フェレ村の罰令区内で領主に何も納める義務を負わない者が、ひきつづきそこでの暮らしがなりたたなくなれば、自由にその財産をもって村外へ出ていくことができる。領主が出て行く途中の彼に出会い、その領民が立ち往生し、家財を積んだ馬車がそれ以上進むことができなくなり、領主はその馬を降り、馬車の前輪が止まっていたら、後輪が動くまで、助けるべきである。
 また当参審員は次のように認める。すなわち、領主は当地に住む参審員に、クリスマスの頃アブがたかる1フーダ―の木、またはクリスマスの杭を与える義務を負う。したがって、誰も自由林で木を取ったり伐ってはならない。その場合にはすべて廷吏による許可を要する。領民は1本の木について1ヴァイスペニッヒを廷吏に納めるべきである。
 さらに参審員は次のように認める。すなわち、敬愛すべき修道院長は半分、3分の1、4分の1、5分の1の大きさのぶどう園をもち、フェルの人々のなかから、そこに送られた使者によって必要な人数のぶどう摘み監督が任命され、上述のぶどう園はぶどう摘み監督を用いて、領主にとって不当なことが起きないように、彼らに宣誓させて義務を遂行させる。それゆえ、領主はぶどう摘み監督に報酬として毎日1ヴァイスペニッヒを与え、朝食と夕食、夜には焼き菓子を支給する。2才の山羊と雄羊等をもつ者は、毎年聖ミカエルの日(9月29日)に領主に18ヘラーを納める義務を負う。参審員は敬愛すべき修道院長の臣民が領主から通達による領地を受け取ることを指示し認める。そしてこの授与地の担い手はその農地を領主から義務としてうけとり、約定し、領民の土地とすべきである。またこの領民は領主が通達を送った罰令区内でこの通達を忠実に実行すべきである。しかし彼がその通達を実行しようとせず、従順でない場合は、領主のために命令した使者は、領主の館に行き、そこから焼き菓子をとってきて、領民に対して、領主の命令に従わなかったしるしとして、彼の家の鶏の抜け穴の中にそれを突っ込むべきである。そこで領民が領主のもとへ通達を受け取りに来たら、彼にスープをつくり、容器を倒して押しやるべきである。彼が返事をするために再び来たら、もう一度彼にスープをくって同じようにすべきである。
 フェルの土地領主に2人の従僕を指示し認める。彼らは敬愛すべき領主とその指揮官に昼夜従順に仕え、フェルで作物地代、鶏税および ワインの地代を徴収し、作物を城内に運ぶよう領民に命令すべきである。また彼らは聖ミカエルの日(9月29日)に山羊の皮をはぎ、財務官にそれを記録用に提供し、リオル、ビュートリッヒおよびショーンベルクでこれをおこなう義務を負う。上述の従僕はヘレルの作物を領主の袋に入れて、地代の鶏を徴収し、納入と支払いををしない臣民と領民に対して、必要に応じて差し押さえをおこなうべきである。フェルの従僕は領民と臣民にあらゆる賦役を命じ、賦役の木材輸送、干草作りがどのようにおこなわれるか、賦役に立ち会い、領民と臣民に飲食物を支給し、敬愛すべき修道院長の森林を守り、小川も忠実に見張るべきである。
 フェルとロンクヴィッヒでは秋にぶどうの土地に灌水し、フェルの領民に荷車でロンクヴィッヒに来るように命じ、領主はいかなる者にも焼き菓子を、使者に食事を支給する義務を負う。
 その他領主の通達はすべて伝えられ、使者が送られた場合、マイルあたり1ヴァイスペニッヒを支給し、それ以上は支給しない。
 上述の使者は教会の道と広場に現れ、領主がワインを売り開栓したいとおもう場合、使者は領民に命じてワインを運び提供させるべきである。また領主は運送夫に食事を支給し、使者はワインを供給し、売り、領主に代金を届けるべきである。
 代官もワインを売るつもりなら、領主と代官は相互に協議して、同じ取引ワインを供給すべきである。その場合、一方は他方より粗末なワインを提供することはできない。しかし一方が他方より安く少量を供給することは可能であり、その場合代官はワインを売るために領主から計量枡を受け取るべきであり、それ以外は不可能である。しかし代官はそれとともに広場、市場および教会の道をふさがずに空けておくべきであり、そうすれば彼は贖罪金が徴収される日にその半分を得られるが、他の日には得られない。領主と郷裁判領主も他の半分を得る。
 廷吏はリオルで毎年完全な犂1台ごとにパンを徴収し、犂をもたない者からは2ヘラーまたはクリスマス・パンを徴収する。そえゆえ彼らは領主にその5分の1を確保すべきである。フェルの廷吏も領主、荘官、裁判官および村民に忠実であるべきであり、それゆえいかなる家の住民からも毎年パンを得るべきである。

 6-6-4 ハール Herel


 敬愛すべき修道院長を真正の土地および郷裁判領主として指示し認め、人、罰令、発見物と生計、魚と鳥の捕獲、水、大地および牧場、空中の鳥、水中と岸辺の魚、森と野の獣、茂み、森、樹木および野の蜜蜂採集、あらゆる漁業と狩猟の権限は領主のみにあり、他のいかなる者とも共有しない。
 敬愛すべき修道院長には彼の自由な作物地代を認め、貢納義務を負う者は全員聖ブリクティウスの日(11月13日)に届けるべきであり、それ以後は常に贖罪金とともに2倍を納めなければならない。
 罰令区内に住む臣民で、自由農地または所有地をもつ者は、召使や怠け者を使って奉仕しないよう指示する。
 代官は10ヴァイスペニッヒの荘園贖罪金の3分の1を徴収し、敬愛すべき修道院長には3分の2を躊躇することなく納めるべきである。しかし代官が贖罪金を徴収しない場合は、敬愛すべき修道院長の地方官、村長または指揮官が徴収すべきであり、代官には何も与えてはならない。
 罰令区において作物地代を課されたすべての農地はいかなる十分の一税も免除されるべきであり、これは古くからの慣わしである。

 6-6-5 ロート Rode


(ロートはトリーアより下流のモーゼル川左岸の集落)

 最初に、ケルとリーザ―の間、ケルの森とモーゼル川との間の狩猟区内ではいかなる者も領主の許可なく狩猟をしたり囲ってはならず、わなや木材を置いてはならず、縄をはったり柵を作ってもならない。何者かが領主の許可なくそうしたことをおこない、フーフェ保有農民がそれを警告されたら、フーフェ保有農民は領主の従僕とともに出かけて、囲いを破るか、狩猟区に反するものをこわすべきである。それに対してフーフェ保有農民に暴力をふるう者がいれば、領主またはその従僕はフーフェ保有農民を守るべきである。また、次のように指示する。すなわち、鎌と根掘り鍬で開墾する者がそこで若干の収穫を得られたら、領主はそれを切り取って自分のために利用することができる。エッシュの領主が狩猟をしようとするなら、年3回賢明な猟師1人、従僕2人および犬25頭を連れて夜営をおこない、狩猟区フーフェに住む者は従僕をもてなし食事を提供し、従僕が困っていたら、彼らと犬を助けなければ、贖罪金を科される。そしてエッシュの領主がいかなる時であれ鹿狩をしようとしたら、3人の狩猟区フーフェ保有農民のうち1人は林道に立ち、他の2人もその傍におり、追っている鹿または獣が、林道に立っている者から予期せず逃げてしまったら、他の2人が誓約して彼にとって予期しないことだったと証言すれば、彼は手斧の最良の柄を失う。彼が手斧をもっていない場合は、領主の許しを請うべきである。また狩猟区フーフェではいつでも領主のために犬小屋を用意しておくべきである。彼らはまた次のように指示する。すなわち、エッシュの領主が遅く来るときはいつでも、その狩猟区フーフェに荘官を待機させるべきであり、荘官は領主のために食卓を設け、その上に白い食卓布をかけ、泉水を入れた白い壺を置くべきである。領主が村で買い物をしないなら、荘官は買い物に出かける下男を提供すべきであり、馬を狩猟区フーフェの領主が望む所に置くことができる。彼らはまた次のように指示する。すなわち、エッシュの領主に聖燭祭(2月2日)の日にあわせて半マルターのエンバクを2つの袋に入れて納めることになっており、貢納義務を負う者が荘官の家に来たら、司祭が祈りを始める前に、荘官は穀物と貢納義務者をエッシュに運送すべきである。彼が貢納期限に十分間に合ように到着しなければ、贖罪金を科される。また従僕は領主館に食事に行って領主の食卓に座る場合、食卓布を取りさる前に食卓の上に6ペニッヒを置くべきである。これを怠れば、彼は贖罪金を科される。彼らはエッシュの領地にかんして次のように指示する。ケルとリーザ―の間、ケルの森とモーゼル川との間のすべての通行保護税はエッシュの領主に属し、課税基準値100について1ペニッヒの通行保護税を課税する場合、100より2割多くても少なくても1ペニッヒを課税し、それ以下も1ペニッヒ課税する。しかし100を超える場合、超過分80までは1ペニッヒとする。ほかに貴重品に通行保護税が課される場合、規定された割合にしたがって徴収され、籠からは6ペニッヒ、荷車からは4ペニッヒ徴収される。通行保護税を納める商人は、荷車または馬車の通行保護税をエッシュで納め、領主が通行保護税を課してない他の場所では納めずに通過してもよい。そして商人がエッシュの領主の身体と財産の犯罪をおかした場合は、領主またはその使者は商人を捕らえることができる。また彼らは次のように指示する。すなわち、前述のエッシュの領主はロートで常に通行保護税を課してきたが、今日でも課すことができ、あるいは領主が望む他の場所でも課すことができる。われわれがここで指示するいかなる法も、わが祖先から受け継いだ法であり、いかなる家にも共通して指示し、通行保護税ろ狩猟区についても両方の家々に共通して妥当する。また、エッシュの領主は毎年1回その法を審問し、1年のうちいつでも望むときに裁判集会をもつことができる。また、彼らは次のように指示する。すなわち、エッシュの領主は狩猟区フーフェに属する半フーフェの土地をもち、そこに住む者は、エッシュの領主以外の何者にも責任を負わない。フーフェから調達すべきものがあれば、領主の荘官およびフーフェ保有農民に要求すべきである。狩猟区フーフェは自由であり、誰もそこで差し押さえをすることはできない。狩猟区フーフェに住むフーフェ保有農民がトリーアに商人とともに来れば、彼らはエッシュの領地から得たものを無関税で売買することができ、財務官房が彼らを調べる。彼らはまた次のように指示する。すなわち、彼らは狩猟区フーフェに属する家畜を連れてヴィンターバッハの放牧地へ行くことができ、彼らの必要に応じて犂と馬車の木材を伐採することができ、ヴィンターバッハの木こりに許可を求め、彼を無視してはならない。狩猟区フーフェに住む者は、リンカーバッハの放牧地に家畜を連れて行くことができ、家畜をそこに放牧することができる。家畜を見張る牧夫はパン切りナイフ以外武器をたずさえてはならず、彼は森林で伐採したり獣を殺傷したりしてはならず、彼が刃物その他の武器をもっている場合は、彼からそれを奪うことができる。われわれ狩猟区フーフェ保有農民は、エッシュの領主から身体と財産を得ていることを認め、彼の保護のもとに世帯をもって定住していることを認める。

 6-6-6 シュヴァイヒ Schweich ( 1563年以前)


(シュヴァイヒはトリーアより少し下流のモーゼル左岸の集落)

 自由な皇帝裁判所

 シュヴァイヒの郷裁判所の参審員は、郷裁判所に属する事柄を真正の自由な皇帝裁判所の下級審において判断する。
 参審員は次のように判断する。すなわち、新婚かどうかにかかわりなく男女2人が結婚して、相続をおこない、彼らの前相続人が死亡したら、彼ら夫婦は農地をともに利用すべきである。そして夫婦の1人が早く死んだら、残った者は、夫であれ妻であれ、彼らが共有していた農地を利用すべきであり、この最後の者も死んで、相続人がいない場合は、共同地も非共同地も、それが由来する一族のものとなる。
 参審員は次のように判断する。すなわち、夫婦が生前に相続人を得られないまま、夫婦の一方が亡くなった後、夫または妻のどちらであれ、他方が再婚して死亡したら、最初の夫婦の農地は再びその親族の次の相続人に戻されるべきである。なぜなら、農地はその親族に由来するからである。
 参審員は次のように判断する。すなわち、相続地と農地をめぐる争いが生じたら、農地がある裁判所に直接申請すべきである。そうすれば、権利をもつ当地の参審員が、参審員のヴァイストゥームにしたがって出席すべきである。
 参審員は次のように判断する。すなわち、100年間以上も相続人が不明な土地を得ようと試みて、その不明を証明できる場合、その不明な土地の相続地への転換には参審員と裁判所による指示がなされるべきであり、それ以外は認められない。
 参審員は次のように判断する。すなわち、いかなる訴訟当事者もその争いをまずシュヴァイヒの裁判所に提訴すべきであり、そこで争いが決着され、一方の当事者あるいは他方がそれに満足しないなら、両当事者のどちらかがローメシャイトの控訴裁判所に直接控訴し、控訴審で決着したときは、彼自身に留保されている権利にもとづいて彼の事案を進展させるべきであり、参審員はそれを認め、静観する。
参審員は次のように判断する。すなわち、贈与または遺言がなされる場合、それは相続地がある地域の下級裁判官あるいは参審員の前でおこなわれ、それ以外は無効とみなされる。
 参審員は次のように判断する。すなわち、隠居が破綻と貧困におちいり、隠居の農地では困窮せざるをえず、自分の所有をそれ以上もっていないなら、彼は農地の所在地の参審員の了解と同意によって隠居の農地を他人や第三者に売却譲渡すべきであり、そうすれば隠居の生活はなりたつ。そうしたことが参審員の承諾なくおこなわれれば、隠居は隠居農地全体を失うことになる。
 参審員は次のように判断する。すなわち、隠居が亡くなり、彼の埋葬を知らせる鐘が鳴り始め、果実や花を載せていた隠居の馬車の前部が彼の土地から出ても、その後部がまだ土地のなかにあるなら、鐘が鳴り始める時刻に、隠居の土地の所在地域の参審員が認めるまで、馬車は停止させておくべきであり、参審員はそれを静観する。


 シュヴァイヒのプリュム修道院長の参審員のヴァイストゥーム
 1517年聖ウルバニの日(5月25日)の後の火曜日


 最初に参審員はプリュムのわが領主と教会をシュヴァイヒの良き領主と認め、したがって命令と禁令、すべての通常の裁判集会、人、罰令、発見物と生計と援助、魚と鳥の捕獲を領主に認める。さらに参審員はわが領主にシュヴァイヒの自由な荘園を認める。荘園は自由であり、胴と首の身体刑をうけるべき行為を犯した者が荘園に来れば、彼は自由とされ、6週と3日の間シュヴァイヒの荘園で自由とされるべきである。さらに参審員は彼の3つの自由地を認める。それは常に自由地であり、殺人がおこなわれ、闘いが起きたら、私戦と闘いは自由地でおこなわれるべきであり、そこではプリュムのわが領主は当事者に対して保護と平和をもたらすべきである。それゆえこの自由地では移動が自由である。
 参審員はプリュムのわが領主にシュヴァイヒにおける禁制製粉所の自由を認める。製粉所は小麦とライ麦の分別をおこない、製粉料金は32マルターあたり1マルターであり、製粉屋はマルターからフィアテルまでの容器をもち、また下男を1人もつべきであり、この下男は6フィアテルの穀物を製粉所に運び込み、6フィアテルの穀粉を製粉所から馬に載せるべきである。そのほかに彼は犬と猫、雌雄のにわとりを飼うべきである。そうすれば製粉所は禁制製粉所とみなされ、これを無視して製粉する者はわが領主の優遇措置と製粉屋の製粉料金を失う。
  参審員は次のように判断する。すなわち、シュヴァイヒで建築を必要とする者は、わが村長のところへ行って、彼に要求すれば、村長は必要に応じて木材を取得する許可を与えるべきである。また森林管理人は木を守るべきであり、領民は家を建て、伐採を終えたら、村長に1ゼスターのワインを貢納し、森林管理人には6ペニッヒを納めるべきである。シュヴァイヒのいかなる村民も高木林で4本の木を取る権限をもつが、村長に許可を求めて、1本を犂のために、他の1本を屋根板のために、1本を馬車のために、4本目の木を垣根のために取得すべきであり、さらにいかなる荘園民も森林ですべての倒木を取得する権限をもつ。多数のオークやブナの木が差し押さえられたら、木を4つに割って、1 フスの杭に削るべきである。木を割れば、償いをしたことになるが、木を割らなければ、贖罪金を科され、3分の2をプリュームのわが領主に、3分の1をショネッケンの廷吏に納めるべきである。
 さらに参審員は次のように判断する。すなわち、プリュームのわが領主は好きなときにシュヴァイヒの村に1フーダ―のワインを割り当てる権限をもつ。ただし、聖レミギウスの日(10月1日)と聖マルティノの日(11月11日)の間と、聖パウロの日(1月15日)と復活祭の間の2度の期間割り当てをしてはならないが、これらの期間は延長されない。わが領主は信頼する荘園民にワインを割り当て、荘園民がワインを受け取らなければ、ワインを受け取るように扉の傍で荷物を開ける権限をもち、参審員はわずかな金額でワインを開栓する権利をもち、ワインが飲みつくされなければ、この荘園民は6週と3日の間ワインを保管すべきである。また荘園民が彼の割り当て分を飲んでしまわなければ、廷吏が試飲し、彼の割り当て分を負担すべきである。彼がそれを受け取ろうとしなければ、彼の家の鶏の抜け穴にそれを挿入するか、桶のなかに入れて、ワインを飲まない者に支払わせるべきである。わが領主が禁制ワインを割り当てる期間中は、誰もワイン樽の栓を開けてはならず、禁制ワインが開栓されるまで、参審員は飲食店主がもっている樽を見廻り検査すべきである。その間にワインを開栓した者は、贖罪金を科される。
 そのような禁制ワインを開栓する者はわが領主に6フィアテルの冬麦と1フィアテルの塩と2フーダ―の木材を納める義務を負い、その代金をわが領主に差し出すべきである。
 プリュムの修道院長は彼の荘園のための灌木の茂みでの干し草刈りに対して4オームのワインの支給を指示した。わがプリュムの領主は、シュヴァイヒの他の住民と同様に、そこで草刈りの権限をもつ。
 参審員は次のように認める。すなわち、これらの荘園の一部には生垣に利用される灌木の茂みがあるので、秋には下男が寝るための布団とベッドを支給すべきである。
 参審員は次のように判断する。すなわち、三月になれば、シュヴァイヒの誰もが1日わが領主の耕地へ行き、えん麦の仕事をすべきであり、荘園管理人は犂をもち、耕し、働く者にパンを支給しなければならず、1フィアテルの穀物から6つのパンを焼く。
 収穫期になったら、いかなる荘園民も1日刈り入れをおこなう義務を負い、日給を得ることのできる刈り入れ夫も、どの荘園民も、規定どおりパンを支給されなければならない。
 灌木林を伐採したい者はわが領主の役人の許可を求め、そのかわり1マルターの伐採量について1ゼスターのワインを税として納めるべきである。
 われわれはプリュムのわが領主に賦役の義務を負い、彼はそのかわりわれわれにあらゆる尺度と重量、馬、牛および豚の種畜を提供する義務を負い、ニーダー・プリュムの領主夫人は雄羊とガチョウを提供する義務を負う。
 参審員は次のように指示する。すなわち、4つの屋敷で家長が亡くなったら、死亡税として領主が選ぶ2種類の家畜をわが領主の荘園に連れていくべきである。その場合、相続人はあらかじめ最良の家畜を連れて来て、領主がそれを変更させたら、領民は変更された家畜をショネックの広場に連れていくべきである。その場合、相続人はまず最良の家畜を連れていき、その後ショネックの廷吏がこれを連れていくべきである。
 参審員は次のように判断する、すなわち、荘園で誰かが亡くなったら、プリュムのわが領主に死亡税として領主が選定する家畜を納めるべきであるが、相続人は規定されているとおりあらかじめ最良の家畜を納めるべきである。さらに参審員は、次のように認める。すなわち、農民保有地で家長が亡くなったら、わが領主に最良の家畜を納めなければならず、家畜をもってない場合17ラーダー・アルブスを納れば、相続人は彼の保有地を受け取る。
 参審員は次のように判断する。すなわち、教会の自由な祭日が来て、肉屋が家畜を連れてきたら、彼はわが領主の荘園に行き、参審員は精肉台があるか検査すべきである。さらに小川の向こう岸ではシュヴァイヒのわが領主の村長の許可なしに午前中ワインを売ってはならない。

 6-6-7 ケン  Kenne (1409年)

これはケンの領主の法であり、参審員は法を指示し、これまで常に法を指示してきた。

 最初に参審員は次のように指示する。すなわち、ザンクト・マクシミンの修道院長は彼の教会のために真正の荘園領主と土地領主であり、彼と彼の教会以外誰もケンの村落と罰令区の領主ではなく、同領主はそこで毎年3回法を指示する裁判集会をもち、毎年各裁判集会は復活祭の週の後の火曜日に求められる最初の法の指示をおこない、聖レミギウスの日(10月1日)の後の火曜日に求められる第二の法の指示をおこない、クリスマスの後の13日間後の火曜日にしかるべき第三の法の指示をおこなう。そしていかなる裁判集会でも参審員は次のように指示する。、すなわち、罰令区において所有と相続地をもち、水と放牧地を利用する者全員が法の指示をともなう裁判集会に出席すべきである。さらに参審員は次のように指示する。すなわち、前述の領主たる修道院長の地方官はいかなる裁判集会にも罰令と平和を実行すべきであり、それによって法の指示においても罰令と平和が裁判集会と同様に語られる。そこで前述の領主の荘園管理人はいかなる参審員にもその席に着席するように命じ、節度ある良民にも着席するように命じて、次のように語る。すなわちザンクト・マクシミン、わが領主たる修道院長、彼の修道士団、フェル伯領 代官、参審員、hierschen、村長または荘園管理人、サンクト・マクシミンのわが領主のために、また公正な罰令と平和をもつべき万人のため、私はこの裁判集会に罰令と平和を実行する。いかなる者も他人の席を占めてはならず、いかなる者も他人の言葉をさえぎってはならず、いかなる者も許可なく出入りしてはならず、いかなる者も騒いではならず、これに違反すれば、参審員が正当であると指示するかぎりは、贖罪金を科される。さらに参審員は領主とその教会を罰令と人、水と牧場、魚と鳥の捕獲に対する真正な領主であると指示し、他に領主はいないと指示する、







 

 6-6-8 メルニッヒ Mernich


  最初に参審員はメルニッヒの裁判管区が及ぶ限りの範囲においてプリュムのわが領主を土地領主として認める。
 第2に参審員はプリュムのわが領主に命令と禁令を認め、同じくすべての日常的な裁判をただ一人でなしうる限り、単独でおこない、もし一人で裁判をなしえないなら、シェーネックの裁判所を司る彼の代官に呼びかけるべきであり、彼は助けるべきであり、その裁判権を受け取って行使すべきである。そのかわり荘園管理人は代官または裁判官に罰金の3分の1を提供する義務を、プリュムのわが領主に対して負う。
 また参審員はメルニッヒの良民にすべての罰令を自由に指示する。また参審員はメルニッヒの村民に次のように指示する。すなわち、彼らが宣誓して恩恵をほどこせば、彼らは水、放牧地、藪と森林、団体と上級裁判所にふさわしい資格を得た;ことになる。
 参審員はわが領主に発見物と生計の資、天から地中までの所有権、森林の動物および水中の魚を、彼のあらゆる必要に応じて認めるる。また参審員はプリュムのわが領主にモーゼル川の両岸にわが領主の力の及ぶ限りで防水施設と水車を建設することを認めるが、流れを変えてはならない。
 参審員は次のように指示する。すなわち、ある船頭が船に乗って来て、それに遅れた者が当地に来て、その責任が船頭にある場合、彼はプリュムの荘園管理人の所へ行き、荘園管理人は裁判所の廷吏を彼の報酬とひきかえに送るべきである。そこで廷吏が船まで来て、手を帆柱の上に置くことができれば、船はそれによって聖別され、接収される。もし船頭が彼の無罪を証明したいと思うなら、わが領主の荘園管理人は即決裁判所を開いて、聖人を帆柱の上に来させるべきである。船頭が有罪を誓ってもよいと認めれば、船の接収は断念されるべきである。
 参審員は次のように指示する。すなわち、シュヴァイヒのわが領主は3つの自由な耕圃をもつべきであり、そのうち2つが畑地として使用されているなら、1つは休閑地とすべきである。わが領主は自費で大鎌の柄を作るべきである。

 これはプリュムのわが領主の参審員がメルニッヒ裁判管区が及ぶ範囲の村とその付属施設に認める法である。またメルニッヒの良民はその村域の限界内部で領主から十分の一税と権利の蓄えの売却と賃貸をおこない、その後に相続することができる。この権利を村民が行使することができない場合は、わが領主に呼びかければ、わが領主は彼らを保護し、最高位にある者が彼の費用で権利を行使して



7. アイフェルとライン左岸 

 7-1 アイフェル Eifel

 

 7-1-1 エンゲルガウ Engelgaw (1582年)


  (エンゲルガウはベルギー国境の近くにある集落)

 エンゲルガウ裁判所のわれわれ裁判官と参審員はブランケンハイムのわが領主に自由な代官裁判集会を認め、そこには7名の参審員と忠誠を誓ったすべての領民が出席を許されるべきであり、彼らは領域の内外に住み、そこに相続地と農地をもち、しかるべく出席して、立派な裁判をおこなうために協力すべきである。
 第2に、われわれはブランケンハイムの領主が、この村だけでなく、この裁判管区の及ぶ限り、水や道路のために保護して、いかなる者も侵入しないように守り、自由農地を他の農地と同じように維持する権力をもつ領主であると認める。彼はそえwによって彼の鶏や金銭を得る。
 第3に、飲物と食物の容量を計る升を守るべきであり、さらに長さと重量を計る尺度を守るべきである。小さすぎるときは増やし、大きすぎるときは減らすべきである。取引する者については、正しく取引がおこなわれているか否か、彼の金に相当する物をもっているか否かを調べるべきである。ここで、このエンゲルガウから製粉所に至る道、他の郷を通ってヘルツミュレンの製粉所に至る道について、次のように告げられる。すなわちそれは非常に遠いので、1人で6ジマーの穀物を馬で運ぶことができるが、馬はうなりながら、両側に揺れ動きつつ進むことができる。製粉所に着くと、製粉屋は1人の使用人をもち、使用人が袋を受け取るか、使用人をもっていなければ、製粉屋自身が受け取り、製粉所に運びこむ。扉には格子が付いており、誰も穀物に損害がおきないように見張ることができる。彼は2-3頭の馬を収容することができる厩舎を建設するべきであり、誰かが来たら、その中に馬を入れることができる。粉をひく者は、3日目にそれを運べるように注文すべきである。そのとき製粉屋が粉をひいてなければ、彼がひき終わるまで、パンを貸与すべきである。製粉屋に罰金を納める理由がある者の所へ、製粉屋が来て彼から馬と穀粉を得たら、製粉屋は領主に馬を提供し、穀粉を保持し、袋を彼に返して、彼がその中に穀粉を再度入れられるようにすべきである。
 





 7-1-2 ロール Roir (1585年)


  (ロールはボン市南西に位置するブランケンハイムに属する小集落である)

 マンダーシュハイトの由緒ある伯爵によってロールの城館の参審員であるわれわれに対して、慈悲深い責任を負わされ、とくにロールの尊敬すべき貴族領主N・ブリュルに毎年城でおこなわれる裁判集会の法廷で彼の権利をどの程度認めるのか、明らかにするように求められた後、われわれすべての参審員は、このような領主の要求に応じて、われわれの宣誓義務をともなうこの文書の法的宣告の内容を明らかにせずにはいられない。
 まず第1に、上記の貴族領主に彼の領域内の自由裁判を認める。
 2.そのなかで犯罪をおかす者は、貴族領主が裁き、事案に応じて罰金を科す。
 3. 彼の領域内で生命を失う犯罪を犯す者は、コッケルフェルトという名の広場で裁判をうけるべきであり、リンゴの木の場所で処刑され、貴族領主は3日目には悪臭が出ないように除去させるべきである。
 4. 村落共同体の城館の領域と門の外では、われわれは貴族領主を他の村民と同等とみなし、村落共同体において他の村民以上の法を認めない。
 5. 貴族領主のすべての土地にわれわれは十分の一税の免税を認める。

 7-1-3 フリリンゲン Frilingen (1509年)


 (フリリンゲンは上述の集落ロールの南に位置する)

 最初に裁判官は、わが慈悲深き貴族領主の裁判と古くから伝わる自由をもつことができるときであるかと、土地保有民に尋ねた。それに対して土地保有民は、わが慈悲深き貴族領主と裁判官の慈悲によるかぎり、そのときであると答えた。
 第2に、裁判官は土地保有民に荘園とその土地保有権の授与に属する権利について尋ねた。彼らはそれについて話し合い、ブランケンハイムの参審員たちは協議を要望した。裁判官はそれを認め、彼ら全員が協議から戻って来て次のように告げた。すなわち、彼らはフリリンゲンの慈悲深き貴族領主に自由な荘園を認め、わが慈悲深き貴族領主を除いて、いかなる者も命令も禁令も発してはならず、荘園から授与された4つの保有地もこれと同じく自由であり、生命を失う犯罪をおかした者が荘園または4つの保有地に侵入すれば、6週と3日の経過後に罰せられ、もしこの期間内に農地から3歩離れて戻ることができ、それを証明できれば、彼は上記の期限に罰せられることはない。彼を訴えたりわずらわせる者がおらず、保護しようとする者がいれば、荘園の自由地またはその授与された保有地の域内の罰金を彼に科すことができる。彼らはまた、上記荘園において4モルゲンの土地をいかなる者にも押しつけたり強制してはならないと告げた、わが慈悲深き貴族領主の土地保有民は、自分たちの牧羊がフリリンゲンの村民に役に立つように、できる限り広範囲に助けるべきである。とはいえ、手助けをおこなう羊飼いが村民たちの羊飼いより先に行ったり、彼より遅れたりするようなことを、村民たちは歓迎しない。彼らは、土地保有民が保有地をもつ前提として、ブランケンハイムの菩提樹の下で告げられる法によって、ブランケンハイムの参審員として上記の荘園で活動すべきであると、告げた。

 7-1-4 ヴィルデンブルク Wildenburg (17世紀)


  (ヴィルデンブルクはベルギー国境近くの集落)

 とくに領主地での採草地、菜園、狩猟、漁獲および綱張りなどは禁止され、違反すれば10ゴールトグルデンの罰金が科せられる。
 最初に、裁判官は、われらが命令権をもつ慈悲深き領主の裁判集会を今や開催するときかと参審員に問い、参審員はそうだと答えた。裁判官はそれを受け入れて、慈悲深き領主のために彼の慈悲と不興に応じて領民を拘束し、あらゆる規律と団結を命じ、争いを禁じ、昔から伝えられているとおり、領主の罰金と罰則によって法を告げるべきである。代官または領主は裁判集会に拘束されるのかと問われて、参審員はそのとおりだと答えた。
 裁判官はヴィルデンブルクの荘園の自由と正義について参審員に尋ね、参審員はこれに応えて、自由はヴィルデンブルクでは、息をすることに始まり、絞首刑で終わると告げた。
 裁判官は、上記の自由管区内で刃物その他で流血の傷害事件をおこす者がいたら、われらが慈悲深き領主はどのような態度をとるべきか、問うた。参審員は、上記の自由管区内で傷害事件を起こした者は、慈悲深き領主によって右手と左足を失う罰をうけるが、それは領主の思し召しによる。
 裁判官は、裁判管区内の自由地の外で流血の傷害事件をおこした者について問い、参審員は、そうしたことをした者を領主が彼の犯罪の性格に応じて罰するべきであると答えた。
 浮浪者がヴィルデンブルクまたはライファーシャイトの裁判管区に来て、肉親の相続人なしに死亡し、馬具を遺したら、わが慈悲深き領主はそれをどのように扱うべきかと、裁判官は問うた。そのようなことが起きたら、ライファシャイトの領主とヴィルデンブルクの領主は、1つの豚足を分けるようにそれを分けるべきであると、参審員は答えた。
 水の流れ、畝および境界石を誤って失ったら、どうすべきかと、裁判官が問うた。そうした過ちが両領主間で起きたら、両領主の役人と2人の参審員はできるだけ修復すべきである。
 抜刀その他暴力行為で武力による騒動を強いられ、それを聞いたのに告発し出ない者がいれば、われらが慈悲深き領主は、それをどう扱うべきかと、裁判官が問い、それに対して参審員は、われらが慈悲深き領主は犯人と同様に罰するべきであると答えた。
 飲み物と食べ物の計量枡が失われたら、どのように取り戻すべきかと、裁判官が問い、飲み物の枡はハイルセスハイムの小川で、食べ物の枡はデューレンの製陶所で得れば、いかなる者も正しく計量できると答えられた。
辻説法師を抑圧したり、あるいは苦悩や死によって、傷ついたキリスト教徒を苦しめる悪事をはたらく者がいれば、われらが慈悲深き領主はどのような態度をとるきかと、裁判官が問い、われらが慈悲深き領主はそのような者を罪に応じて罰するべきであるという答えがなされた。
  計量し、売買するための手段であるすべての尺度、すなわちマルター、ショッツェル、秤、ゼスター、フィアテル、カンネ、エレについて裁判官が問い、いかなる者もその計量器をもって、ワインとビールの飲食店主はカンネを、パン屋はその秤を、製粉屋はマルターを、小売り商と織布工はエレをもって、定められた日にあらわれ、多すぎれば減らし、少なすぎれば増やし、いかなる者も正しく計量して、秤やエレ尺に不正があれば、5マルクの罰金が科せられる。
 領主と代官の裁判集会を勝手に欠席し、参加しない者がいれば、われらが慈悲深き領主はどのような態度をとるべきかと、裁判官が参審員に問うた。領主の非常事態、病気および不在を除き、たいした理由もなく勝手に欠席すれば、罰せられ、農民には7.5シリング、自由民には5マルクの罰金が科せられるという答えがなされた。
  ある者が死亡したらしいことが分かった場合、どうすべきかという裁判官の問いに、次のような答えがなされた。すなわち、その場合には、彼はヴィルデンブルクとライファーシャイトの裁判官と参審員によって検分され、遺体がもちあげられ、場合によっては埋葬され、古くからおこなわれているように、両荘園で同じように管理されるべきである。
 ヴィルデンブルクの村内で犯罪人が死刑に値する罪をおかした場合、われらが慈悲深き領主はどう対処すべきかと、裁判官が問うと、次のような答えがなされた。すなわち、ヴィルデンブルクのわれらが慈悲深き領主は、彼の罪状に応じて死刑の裁判をおこなわせるべきである。また裁判官は参審員に起立と退席を求め、全村民に参審員の後について行くように命じ、道路と通路、耕地の畝と境界石についてわれらが慈悲深き領主に対する訴えがあるかどうか、また村域境界柱についてその一部があまりに近くに設置されていないか、小川や水の流れが遠くまで行きすぎて、昔ながらの正しい流れになっていないか、村民たちから彼らの宣誓による意見聴取をおこなうべきである。けんかと抜刀による暴力と武力騒動が起こり、しかるべきときに告発されなければ、いかなる者も宣誓してそれを届け出るべきであり、それを知りながら黙っている者は、犯行者と同じく、規定にしたがって罰せられべきである。その後村民は集合して、いかなる村も、誰もが知っていることを熟慮して話し合い、参審員に届け出るべきであり、参審員は役人または命令権をもつ領主に提示し、その後役人は事態を判断したうえで対処すべきである。こうした経過の後に、村長は村民に呼びかけ、誰か意見を述べたり、参審員の報告を望む者がいれば、その者は出席して、正義のために報告すべきである。
 こうしたことがすべておこなわれたら、村長は参審員を任意の飲食店に案内して、裁判所の人々を飲食でもてなすべきだが、領主の裁判集会と法の宣告がおこなわれる前には、その金額は2ヨアヒムスターラーを超えてはならない。さらに飲食がおこなわれるときは、参審員はその日の飲食にかかった費用を徴収すべきである。垣根の設置を忘れたり、垣根を他人の相続地まで余分に設置したら、参審員はいかなる垣根についても5マルクを罰金として領主に納めることを告げる。

 7-1-5 メーリンゲンの森 Möringer Wald (1518年) 


  (メーリンゲンの森は上記のロールの近くにある)


 最初に12人衆はユンケラートの領主を森林への出入りを管理する領主と認め、それ以外の領主には認めない。3領主の森林で不法行為がおこなわれ、犯人が何人かそこで捕らえられたら、12人衆はユンケラートの領主にその腹と首に対する裁判権を認め、それ以外の領主には認めない。12人衆はユンケラートの領主に3領主の森林で灌木を管理する4人の森林番人と1人の森林監督を任命し雇う権限をもつことを認め、それ以外の領主は認めない。12人衆は、太いオークとブナの木にくさびで穴をあける者がいるなら、森林番人が差し押さえるべきであると告げる。12人衆は次のように告げる。すなわち、3領主の森林の木が伐られて、荘園の外に運ばれるようなことがあれば、4人の森林番人は、荷車がライン川に到着しておらず、木が山積みにされているかぎり、差押え、追跡することができる。12人衆は次のように告げる。すなわち、3領主の森林の4人の森林番人に差押えが認められているのに、拒否または抵抗されたら、あるいは暴力不敵な行為が起きたら、メーリンゲンの森林監督はそうした勝手な行為をロッヒェレートの村長とヘーニンゲンの村長に伝え、これらの村長たちはそれを彼らの領主に伝え、ユンケライトの領主は白馬に乗って、菩提樹製の馬具を付け、2本のhaenbuchenで馬に拍車を加え、頭には編んだ帽子、その上にばらの花冠をかぶり、木の皮をむいた棒をもって騎乗し、暴力と思い上がりの行為が森林監督や諸侯に対しておこなわれた場所をたたき、ボートゲンバッハの領主とシェーンベルクの領主が武器を手にやって来て、ユンケライトの領主が暴力を制止するのを助けるべきである。
 12人衆は次のように告げる。すなわち、森林にかんする裁判集会をおこなうときは、メーリンゲンの森林監督が4人の森林番人と2人の参審員とともに出席し、ロッヒェンレートの村長が2人の参審員とともに出席し、ヘーニンゲンの村長が1人の参審員とともに出席し、これらの12人衆はいかなる領主にもその権利を、村民にはその権利を告げる権限をもつ。3領主の森林で木を伐採し炭を焼こうとする者は12人衆の前に出て法にしたがって灌木林を受け取るべきであり、12人衆はその契約の証としての飲み物を、森林監督は契約の証としての食物を得るべきであり、森林監督は食物を契約の証として得るかわりに、灌木林保証金を得る場合には、各領主にその分け前を納めるべきである。 ― 12人衆はさらに次のように告げる。すなわち、森林にどんぐりの実が成長したら、村民はすべてのどんぐりを得るべきである。森林に村民が必要とする以上の余分などんぐりがあるなら、森林監督は4人の森林番人とともに森林へ行き、どんぐりを検分して、最も高い値段で売り、炭焼きの灌木林保証金と同じく、その代金を3等分して、3人の領主にそれぞれの分け前を提供すべきである。 また12人衆は3人の領主の荘園民に森林における枯れ木についてなすべきことを告げる。家屋建築であれ、荷車、犂、あれ、荘園民が建造する必要があれば、法によって森林監督のもとへ出頭すべきであり、監督は彼に許可を与え、許可を与えない場合は、彼の命令なしにおこなってはならず、許可があれば森へ行き、彼の登記物件と建造物のために伐採し、荷馬車に積んで、「森林番人よ来たれ、おまえの権利を取りに来い!」と3回叫び、森林番人が来れば、それで十分だが、来なければ、運送人はいかなる伐り株の上にも3ペニッヒを置き、自由に帰宅すべきだが、そうしない場合は、3人の領主に罰金を科される。 ― 12人衆は次のように告げる。すなわち、いかなる炭焼きも灌木林を受け取ったら、森林監督は彼から1ツェントナーの原料鉄を、森林番人は1ツェントナーの原料鉄を得るべきであり、炭焼きは1年間そこで木を伐採すべきである。炭焼きが潅木林の彼の所にまぐさ桶を運ぶ徒弟をもち、この徒弟が木の枝を切り裂くことができるほど強ければ、炭焼きの2人は灌木林の代金の支払いを免除されるべきである。― 12人衆は次のように告げる。すなわち、森林で5月に荷物を運搬する者がきしみ音をたてる荷車、あるいは鈴をつけた馬や鉄製の首輪をつけた犬をもっており、3人の領主の野生動物を脅かすはら、森林番人は、3人の領主に罰金を納ように命じる。 ― 12人衆は3人の領主の領民に水辺と放牧地の長茎の草の収穫を認め、彼らはいたるところでそれらを採ることができるが、他所の者はそうすることができない。

 7-1-6 ヒュニンゲン Hünningen (1567年)


  (ヒュニンゲンは今日ベルギー領ビュリンゲンに属する)

 1567年まず最初に参審員は、シェーンベルクの領主が水車の中と前で権力を行使する領主であり、彼のほかに領主はいないことを告げる。
 不法行為をはたらく者が水車に侵入し、捕らえられたら、シェーンベルクの領主は四つの濠のなかの製粉所の前で裁判所を開廷し、この者に対して彼の法を行使し、木と腹を裁くことができる権限をもち、彼のほかに領主はいない。
 参審員は次のように告げる。すなわち、水車の池の中でシェーンベルクの領主以外いかなる者も魚を獲ってはならず、同領主が来るとアーヘンに祈願に行くことができるが、ビュリンゲンに楽しむために来るときは、池に行って水を抜き魚をそこから取り出し、再び水を入れるべきであり、粉ひき職人も製粉屋もそれを妨げてはならない。
  参審員は次のように告げる。すなわち、ユンケラートの領主は水車の賃貸権をもち、領主は賃貸料を受けとるかわりに、製粉の準備が整うまで、粉ひき職人も製粉屋も損害をこうむらないように、石、木およびあらゆる資材で水車を建設すべきである。ただし、建設の最後の部分はヒュニンゲン荘園の土地保有農民が担当し、彼らは水を水車の車輪に導くべきである。彼らは、次に水車に来る者の必要に応じて水を注ぎ、粉をひくべきである。
 参審員は次のように告げる。すなわち、水車は3年ごとにヒュニンゲンの裁判所で受け渡しがおこなわれ、その際監督官あるいはマンダーシャイトかユンケラートの裁判官が出席して傾聴し、水車が領主のために最高の賃貸料で貸し出されるように協力し、契約の証としての飲み物はヒュニンゲン荘園の裁判所のものとなる。
 毎年聖ニコラウスの日(12月6日)に水車法の提示がなされることを、参審員は告げる。その日に製粉屋はヒュニンゲン荘園の裁判所に食事または宴会をおこなう義務を負い、そこにはヒュニンゲン荘園の裁判官が彼の妻、彼の使用人および彼の犬を連れてやって来て、いかなる参審員も彼の妻とともに彼らに応対し、いかなる領主にもその権利を告げ、粉ひき職人に彼の権利を告げる。
 食事では製粉屋は野生および飼育動物の肉を焼いたり煮たりして、干した牛肉、水車で粉をひいたパンおよびゼンメルを提供すべきである。領主が参審員を着席させたら、製粉屋は彼らを起たせて、彼らは神を賛美し、主なる神に感謝し、製粉屋にも感謝し、製粉屋が適切に参審員の指示どおりにしたか、考慮すべきである。彼がそうしなかった場合は、裁判官は裁判を撤回して他の飲食店に移ることができ、そこでもう一度宴会をおこない、製粉屋に支払いに来るように言いつける。しかし宴会が製粉屋には過大な負担であるため、支払いたくないと製粉屋が考えれば、裁判官は水車に行き、彼が喜んで支払うまで、何度でも彼から鉄製の道具をもち出すことができる。
 参審員は次のように告げる。すなわち、製粉屋は欠陥のない容器とシマー枡、桶とふるいを用意し、罫引きも用意し、製粉屋が容器またはジマー枡をこわしたり失ったら、新しいものを用意し、ヒュニンゲン荘園の裁判所に提出すべきであり、参審員はそれを彼らの法によって検定すべきである。
 参審員は次のように告げる。すなわち、製粉屋は毎年約1ジマーの穀粉を水車でひいて裁判官に納め、裁判官はそれを受け取り、粉ひき職人に報酬として提供すべきである。
 参審員は次のように告げる。すなわち、水車が非常に貧しくて、賃借料を領主に納められない場合は、裁判所に食物を納めるべきであり、領主と粉ひき職人もその権利を認められる。
 参審員は次のように告げる。すなわち、水車の営業をやめる場合は、製粉屋はふるいのぬかをすべて落とした後、1フィアテルの穀物を残すべきである。製粉所をきれいにして、粉ひき職人に損害をかけないようにすべきである。
製粉屋が有益でも役立つこともなくなれば、いつでも彼の賃借年度は終了すると、参審員は告げる。
  

 7-1-7 ブランケンハイム Blankenheim (1582年)


  (ブランケンハイムはボン市の南西に位置する)

周辺の農地事情について述べれば、岩からかなり離れてマールバッハまでに農地があり、それを得る者は、ブランケンハイムの領主からそれを保有地として獲得して十分の一税を納めさえすれば、山も谷も越えられる。 
 マールバッハからウルフトまで進むと農地があり、そこに住む者には、ブランケンハイムの教会、村落および裁判所への所属が認められ、ブランケンハイムの領主には耕地と厩舎における十分の一税が認められる。
 ムニッヒベントからグレーヴェルザイフェンまで登って行くと農地があり、それはブランケンハイムに貸与、差押えおよび罰金の権限がある。そこには閂があって、ブランケンハイムの領主はそれを閉じ、マールマーゲンの荘園で鍵の管理をおこなうべきである。
 ブランケンハイムの上級裁判所とその参審員は、マンダーシートの伯爵の命令により、荒廃した屋敷と耕地にかんして、価値ある農地として耕作されていたが、荒廃してしまったため、かつて管理されていたように、将来も維持するにはどうすべきか、懇請と質問をうけ、参審員はそれに応じて良い意見と判断を次のように示した。すなわち、かつて村は何度か火災によって荒廃し、一部の屋敷は再建され、一部は荒廃したまま残され、屋敷を再建することなく放置して荒廃させた者は、とくに当局の慈悲によって負担の免除が認められれば、再建できる。 しかしそのほかに父祖の死亡その他の突然の出来事、貧困によって荒廃と壊滅にいたった場合は、屋敷になお建造物の骨組みの一部が多少なりとも残っていれば、屋敷の持主がその能力に応じて適当なときにそれを修理すべきであり、そうすればその必要と生計を妨げられることなく保持することができる。こうした好意的な判断は、1582年11月1日に上記裁判所でなされた。

 7-1-8 ヴィースバウム Wiesbaum (1575年)


  (ヴィースバウムはボンとトリーアのほぼ中間に位置する)


 最初に参審員は次のように告げた。すなわち、当荘園の自由は保持されており、身体刑と死刑に値する罪をおかした犯罪者が当荘園に来たら、彼は6週と3日の間自由を利用する権限をもつ。この期間が過ぎた後、犯罪者が荘園から3フス離れ、再び荘園に戻れば、彼は再び上述の自由を享受すべきであり、これは、何度でも必要に応じておこなわれる。しかし荘園で犯罪をおかした者、さもなくば身体刑に値するとみなされた者を、当荘園の領主は昔からの当荘園の法にしたがって裁き、捕らえ、拘束する権限をもち、彼が有罪判決をおこない彼の荘園で処刑したら、上級裁判領主の刑罰による悪臭を避けるため、3日間より長く吊るしてはならない。
 参審員はさらにすべての犯罪と刑罰について、荘園で抜刀し、誹謗中傷し、その他同様なことをする者がいれば、荘園の領主が裁いて罰することを認める。しかし荘園で武力騒動をを起こす者がおり、路上でそれが聞きつけられたら、参審員は荘園の上級領主と領主が同様に罰することを認める。
 当荘園のすべての土地保有民の農地は相続税を納める期限が来たら、め牛または牛がいない場合は、山羊、羊またはめす豚を納めるべきであり、それらも厩舎にいなければ、3脚の椅子を納める義務をはたすべきであり、これらすべてについてまず参審員の評価がおこなわれ、相続税の義務を負う者から受け取る権利をもつ者への支払いがなされる。
 参審員は次のように告げた。すなわち、昔から常に認められ守られているように、クロイダーの荘園では共同耕地の利用は最初の堆肥運搬車によって開始されるべきであり、休耕の月に実施され、それ以外のときは実施されない。スペルト麦の種まきが終った農地は、共同耕地とするべきであり、いかなる者も荘園の裁判集会の告示に反してそれを開放する権限をもたない。
参審員は領主に4日の穀物刈り取り日を認め、刈り取りをなしえない者は1アルブスの金額で償うべきであり、いかなる刈り取り夫も夕方帰り際に一握りの穀物をもち帰る権限をもつ。
鶏にかんして、参審員は領主に聖マルティノの日(11月11日)のミサを指示し、鶏をもっていない者は、その際1アルブスで償うべきであり、裁判官はそのと塞それを要求して受け取るべきである。また、いかなる者も鶏を荘園に連れて来て飛ばせば、鶏1羽について1シリングを得る権限をもつ。
 参審員はマンダーシャイトの領主をこの荘園において命令、禁令、逮捕、拘束、首とはらわたに対する処刑の権限をもつ土地領主とみなす。

 7-1-9 シュテッフェルン Steffeln (1519年)


  (シュテッフェルンはベルギー国境の近傍にある)


 ブレーメの領主シュヴァイゲは5つの農民保有地を所有し、それらによってシュテッフェルンの参審員1名が荘園に割り当てられることになっており、このシュテッフェルンの参審員が裁判集会に出席するときはいつでも、常に慣わし、しきたりおよび法にしたがって、前記の5つの農民保有地は上記の参審員に1名の廷吏を認め、この廷吏は裁判所の費用で雇われ、参審員には何の負担もなく雇われるべきである。上記の5つの農民保有地はシュテッフェルンの製粉禁制圏に属し、前記の土地保有農民がシュテッフェルンの製粉所に来たら、製粉屋は彼らの粉をひくべきであり、もし製粉所が稼働しているなら、彼は土地保有民たちの粉を順番にひくべきである。土地保有民が来たら、彼の馬を製粉所の草地に放牧するように告げ、冬には製粉屋が馬に干草を与えるべきである。製粉所が故障したら、土地保有民は製粉屋から彼の桶をもちさらないで9日間がまんすべきである。しかし悩まないためには、粉製屋に彼の桶を与え、粉ひきを楽しく待つべきである。 そして9日が経っても、製粉所が故障しているようなら、土地保有農民は最善を尽くして粉をひくことができる。
 シュテッフェルンとブレーメの参審員は、シュテッフェルンのいかなる相続地も自由ではないことを告げる。上記の農民保有地はシュテッフェルンの荘園で毎年秋と耐乏期と休耕期に3度の賦役をおこなうべきである。賦役の際に犂で耕す農夫の車輪が破損したら、荘園管理人は、彼が家に帰れるように、車輪を提供すべきである。しかし彼が車輪を得られなければ、彼は家からパンを取って来て、家に帰れるように車輪にパンを挿入すべきである。
 シュテッフェルンの領主シュヴァイゲは荘園で育つ18ジマーの穀物を得る。さらに彼は9フントの亜麻も得るが、それはすでに梳かれているべきであり、褐色の殻が広げられ、亜麻が精製される過程で、その一部は売り物となり、悪い部分はとり除かれる。穀物のうち1ジマーは、前記領主シュヴァイゲが彼の権利として告げてほしいという彼の要請にしたがい、参審員はそれを保持しておくべきである。

 7-1-10 アウエル Awel 


 (アウエルは上記のシュテッフェルンの一地区である)

 
 アウエル荘園のヴァイストゥームの中で上級裁判官および統治領主としてのゲルハルトシュタインの領主には、天から地中までの発見物と生計に対する権限を認める。その中には、領主の権限とみなされるというバムデン荘園とは異なることも記されている。何人かの犯罪者がいる場合、彼ら自身で裁こうとおもうなら、彼らはその権限をもつことができる。しかし領主が忍び笑いをするなら、彼らは3日目に領主の道路が元どおりきれいな状態を保つように片付けるべきである。彼らがそうしようと思わない場合は、ゲルハルトシュタインの領主に犯罪者を安全に保護すべく引き渡し、そのうえで所業に応じて。はらわたと首に対する裁きの権限をもつべきである。
 これはわれわれが父祖から見聞きしたアウエル荘園にかんするヴァイストゥームである。
 上述のことと並んで、参審員はベスベルクのフィリップスホーフに次のような自由を告げる。すなわち、屋外で昼間のうちに煙突に昇り、当地で使う犂の刃を煙突からできるだけ遠くへ投げるとき、荘園の自由が及ぶのはその範囲内に限られるべきであり、それより遠くに及ぶことはない。

 7-1-11 ヴァルスドルフ Walsdorf (1514年)

  (ヴァルスドルフはコブレンツ市とベルギー国境の間に位置する)

 荘園管理人はカッセルブルク荘園の自由と統治権を次のように告げる。第1に、カッセルブルク荘園に負債を負う者が裁判管区内に住んでいれば、彼らを許可なしに差押えてもよい。第2に、ダウン荘園への立ち入りが禁止されているのに、カッセンブルク荘園に属している者のうち出かけて行くものがいる場合、カッセルブルクの住民が彼らに呼びかけても、非常に遠いため、呼び声が聞こえなければ、彼らに合図を送るべきである。そこで彼らが合図に気付けば、彼らは再び戻って来て、カッセンブルクの彼らの領主に従順に従うべきである。彼らがそうしたなら、彼らは禁止されていた所へも行くことができる。第3に、カッセンブルクに属する幾人かの住民は上級裁判所の参審員であり、彼らが上級裁判所に出廷しているとき、カッセルブルクの住民が来て、非常事態が起きたら、彼らは許可なしに起ち上がり、カッセンブルクの住民にしたがうべきである。このようなことがおこなわれたら、彼らは許可なしに再度元どおり腰をおろしてもよく、領主もそれを支持すべきである。第4に、カッセルブルク荘園に3ヘラーの地代をきちんと納める者は、ロッケスカイルで3頭の家畜を売る場合にかぎり、地代を免除される。第5にカッセルブルクで領主に農地を返還する者は、世帯を自由に移転すべきである。

 7-1-12 シューラ― Schöler (1586年)


  (シューラ―はコブレンツ市とベルギー国境との間に位置する)


 参審員の椅子は今も正しく、古くからの慣わしとしきたりどおり十分に占められているかどうか、参審員に判断が促された。それに応えて参審員は次のように認めた。すなわち、裁判官1名、廷吏1名、参審員7名、これらの人員は居合わせており、参審員の椅子は正しく占められている。
 参審員は検討をおこない、熟慮の後に彼らの後見人をつうじて管区内のハルテルシュタインの領主を正しい裁判領主、土地領主および授封領主と認め、彼に命令と禁令、水と牧場、鳥と魚の捕獲、狩猟、漁労の権限を認め、人、禁制区、発見物、生計、天から地中までの所有主、 襲撃者を逮捕、拘束し、所業に応じた刑罰と処刑をおこなわせる権限、裁判所および臣民の法に則って取り扱い、可能なかぎり暴力から保護する権力、裁判官、参審員および廷吏の任免権を認め、ハルテルシュタインの領主にはすべての荘園民が当荘園領域内で受領する農地をもつ権限を認め、荘園民が死亡したら、相続税を彼に納め、農地を彼または彼の命令権保有者から再びその農地を受領する権限を認める。
 無分別な穀物刈り取り、耕地の境界を越える落穂拾い、耕地間の柵の移動、武力による騒動、抜刀、争い、窃盗、忠誠心なき領民、領主から受領されない農地、これらすべての問題を参審員に届け出るべきであり、ハルテルシュタインの領主にそれらを罰する権限があるか、裁判官は参審員に判断を促した。ハルテルシュタインの領主のために判断を求められた参審員とそこに同席する者たちは、宣誓してそれを取り上げるべきであると答えた。
 1620年8月1日シューラ―の裁判官と参審員は地方官から知らせをうけた。
 彼らは出来事、推測および記憶によって、宣誓して、次のように述べた。すなわち、シューラ―では異母兄弟が残されたら、最初に結婚した妻の子が相続財産を単独で受け取るが、最後の妻の子は母の動産を受け取ることを、当地の慣わしとみなす
同じく、誠実で確かな遺言状が必要な用具一式をもって作成された場合は、上述の当地の慣わしは放棄されうると言われた。
 

 7-1-13 ヴァイラー Weiler (1483年)

  (ヴァイラーはコブレンツとベルギー国境との中間に位置する町ダウンの近くにある)

 神の名においてアーメン。この公的文書を見たり読むのを聞いたりするすべての者に、1483年9月14日木曜日午後1時または13時、カステルブルクの地方官で堅実なる貴族領主フリードリッヒ・ツァントみずから、公的書記の私とここに署名した誠実な証人の前にあらわれ、ヴァ―ラーの両地区の住民もほとんど全員がそこに集合し、ほかにその氏名を挙げればヨーハン・ヘルフリッヒ、ヨーハン・ブレンダー、ペーターおよびヨーハン・ゾイローゲ、ヴィルヘルム・ケルナース・ファン・ヴァイラーおよびイーデンヘンら、さらに60-70歳前後の多くの人々も集まり、地方官は彼らに後述の諸項目について問うた。その場合彼らは彼らの領主に宣誓し、キリスト教の徳性と忠誠を彼らの信仰仲間に誓えば、地方官は彼らの返答を求めることができた。彼が問うた諸問題に対して彼らは真実を述べたが、カステルブルクの他の地方官たちがそれ以前に記憶していたことの多くは彼に知らされていたので、彼はヴァイラーにある廷吏の農圃がダウンまたはカステルブルクのどちらに属すべきなのかというこをまず最初に問うた。彼らはそれをうけて退出し、再び戻ってきて、80歳のヴィルヘルム・ケルナース・ファン・ヴァイラーが彼ら全員を代表して発言し、た彼の父親の時代に、彼は少年だったが、彼がその姓名を覚えている老人たちにとっては前記の廷吏の農圃は常にカステルベルクに属しており、他所には属さなかった。また、それを貸す者は、死刑執行人が犯罪者を処刑するとき、彼に貸すのが常であった。それが本当であることは、上記のヨーハン・ブレンダーが同じ年頃の前記ヴィルヘルムとともに語り、彼らの記憶では、同上の廷吏の農圃がゲラールツシュタインまたはカステルブルクのどちらに属するのかという争いがゲラールツシュタインでブランケンハイム伯に対して訴えられ、それはカステルブルクに属し、ゲラールツシュタインには属さないと決定された。次いで、上記の貴族領主フリードリッヒは住民に次のように問うた。すなわち、カステルベルク地方行政区に農地を保有するか、またはそこに所属する相続農地をもつ人々が、その人身にかんしては他地域に属している場合、相続農地について賦役を負ってなくても、カステルベルク城には常に賦役をおこなうべきなのか? 彼らは上記のヴィルヘルムをつうじて次のように答えた。すなわち、記憶によれば、カステルベルク城に自分の農地が属している者は、そこで賦役をおこなうのが通例である。さらに第3に上記の貴族領主は、カステンブルク城に属する者はダウンの領域では消費税を免除されるのかと問うた。これに対して、彼らは次のように答えた。すなわち、ケルブルクとロッケンケイルの市場では消費税を常に免除され、最近までそこで何らかの消費税を要求されたというようなことは見たことがない。さらに第4に上記貴族領主は次のように問うた。すなわち、ダウンの上級裁判管区に住む人々がカステルブルク城に属する場合、常に貢租を免除されるわけではなく、カステルブルクで個別に免除の承認が与えられるのか? これに対して彼らは次のように答えた。すなわち、ヴァイラーの両地区の住民はダウンで貢租を納めるとはかぎらず、義務または契約がなければ、個別の確認によって納税がおこなわれてきた。第5に、上記の地方官は、カステルスブルク城に属する住民はダウンに石炭にかんする権利をもつとはかぎらないのかと問うた。それに対してヨーハン・ブレンダーが全員を代表して次のように答えた。すなわち、領民が権利を与えられたのを見たことはないが、彼らの親が若かった頃には地中深くろうそくをもって石炭を掘っていた。しかし誰もそれを利用することなく、多くを教会に納めた。第6に、上記の貴族領主は、犯罪人を裁くとき、上級裁判管区内に住む者全員がダウンの荘園裁判集会に出席する義務を負うかと問うた。これに対して彼らは次のように答えた。すなわち、カステルブルクに属する者は出席の義務を負わないが、農地をもつ者あるいは裁判所の参審員はそれに出席する義務を負う。最後に上記の貴族領主は、そこで罰金を納めるべきかと問うた。これに対して彼らは次のように答えた。すなわち、カステルブルクに属する領民がダウンの裁判管区内で法に違反した場合、5シリングを超える罰金を納めなくともよい。ただし生命にかかわる犯罪をおかした場合は、除外される。そしてヴァイラーの住民のうち2人の長老が各人の消費税として一定額をダウン裁判所に治めたことを認めた。
 こうしたすべての事項について前記の堅実なる貴族領主フリードリッヒは、公的書記の私に1つまたは複数の書類をつくるように求めた。ここには尊敬すべきミサ司式司バルビトンゾリス・ファン・ゲラルツシュタイン師、カステルブルクの助司祭ヨハネス・ファン・プリューム師が周知の証人として要請され呼び寄せられた。カステルブルクのこの裁判集会は上記の年月日に飲食店の部屋でおこなわれた。

 7-1-14 ランゲンフェルト  Langenfeld (1517年)

  (ランゲンフェルトはコブレンツの西側近郊に位置する)

 これは、われわれがランゲンフェルトについてマンダーシャイトの高貴な貴族領主ヨーハン伯およびブランケンハイムの伯爵に告げるヴァイストゥームである。
 荘園禁制圏内でわれわれはブランケンハイムの門を開閉するマンダーシャイトの伯爵に正当かつ真正な土地領主として命令と禁令、人と禁制、発見拾得物、天から地までの生計、鳥の捕獲、魚の捕獲(われらが荘園禁制圏が及ぶ限りの範囲で)の権限を認める。
 われわれはわれらが慈悲深き貴族領主にすべての世襲農地、貢租徴収権、死亡税の権限を認める。
 ある者が立ち退いたら、1年と1日が経過するまでその状態が継続される。彼が帰還しなければ、農地を3分割して、ブランケンハイムの領主がその3分の2、シェーネッケンの代官が3分の1を得る。しかし獲得した土地が支障もなく放置されている場合は、代官は白馬に乗って、2人の従卒を連れて、1人を彼の前に、もう1人を彼の後に従わせ、前述の農地に馬で乗り入れ、それを売り払うべきである。農地が残されれば、ブランケンハイムの領主が来て、農地を貸与すべきである。
 われわれはブランケンハイムの高貴な貴族領主に次のように告げる。すなわち、彼の慈悲により水車を建設しようとするときは、われらが慈悲深き貴族領主は彼が望む所へ水をひき、とくに参審員の菜園に水を通すべきであり(荘園の権利として)、水車を建設する際に、とくに参審員の菜園の中に水をひくべきである。われらが慈悲深き貴族領主は水路をつくり、製粉屋はその他をつくるべきである。
 生命にかかわる犯罪をおかした者は上記の荘園禁制圏内で捕らえられ、ブランケンハイムに引き渡され、14日と1日そこに留置され、14日以内に道も小道もできなければ、シェーネッケンの代官は再び彼を荘園に戻し、代官は彼をシェーネッケンに連行し、14日と1日そこに留置すべきである。その期間が過ぎたら、シェーネッケンの代官は彼を再び荘園に引き渡し、参審員は犯罪者の罪に応じて裁くように告げるべきである。
 われらが慈悲深き貴族領主がブランケンハイムで子どもを保護しようとするなら、われわれは彼に食物または5グルデンを与え、ランゲンフェルトのわれらが慈悲深き貴族領主は彼の他のあらゆる領民と同じくブランケンハイムの安全な場所であらゆるわざわいから守るべきである、
 
他の文書より
農地を保有していた者が死亡したら、死亡税はブランケンハイムの伯爵のみに納められ、ひずめをもつ最良の牛を親族が選ぶべきである。
 これはブランケンハイムの伯爵の林野において、ランゲンフェルトの隅々に及ぶ裁判管区の最初の法である。
 
第3の文書より
 まずわれわれはわれらが慈悲深き領主に彼のものを、さらに人と禁制、用益と流水、発見拾得物と天から地までの生計を認める。
 誰かが農地から去ったなら、われらが領主は農地を閉鎖して、1年以内に相続人が現れなければ、われらが領主がその農地を分割すべきである。

  第4の文書より
 同じく伯爵は広場に教会と僧房を建てる権限をもち、臣下の菜園以外は彼のものとなる。
 

 7-1-15 リーシンゲン Luxingen (1563, 1594年)


 (リーシンゲンはゲロルシュタインの近傍に位置する)

 最初に1445年7月5日代官菅区リーセンゲンの統治区に次のようなヴァイストゥームが読み上げられ、公表された。
 第1に、参審員はカイルの領主としての(マンダーシャイトの)高貴で慈悲深き伯爵をリーシンゲンの代官管区の上級裁判領主および土地領主と認める。
 第2に、参審員はこの代官管区における高貴なる伯爵に対して、人、禁制、漁獲、鳥の捕獲、発見拾得物、生計の資、命令と禁令、狩猟と漁業、無差別の罰金と刑罰、規則の制定と廃止、裁判官・上下級裁判所参審員・下吏・廷吏の任免、起こりうる首とはらわたに対する処刑と仲裁、そして最後に権力の行使、法と正義を土地領主および上級裁判領主の権限に帰属することを告げる。
 第3に、参審員はカイルの高貴で慈悲深き領主に、この代官管区の統治区域外の農民保有地でも、命令と禁令の権限を認め、領主の命令が無視され守られなかった場合には、違反と問題の性質にしたがって罰する権限を認め、初犯に対しては10ペニッヒの罰金、再犯に対しては領主の意向と問題の性質にしたがって罰金を科す権限を認める。
 つまり借地料と地代が規定の日の昼間に納められず、滞納されたら、代官管区の農地とその外にある農民保有地は、裁判官によって差し押さえられ、14日間失われることなく保留されるべきである。この14日間に借地料と地代を納めなければ、12ヴァイスペニッヒの罰金を参審員に徴収され、さらに滞納すれば、参審員は彼がカイルの領主の慈悲を得られるか、領主に確認する。
 年次裁判集会に参加する義務を負う者が、出席を怠れば、参審員に1フレーゲルの ワインを納め、裁判官には15ヘラーを納めるべきである。また代官管区の内外にかかわらず、何かを交換し、売却し、贈与すれば、カイルの慈悲深き領主に、または彼の裁判官に届け出るべきであり、届け出ない場合は初犯であれば参審員に10ヴァイスペニッヒの罰金を納め、不従順な態度をとり続ける場合は、できるかぎり慈悲深き領主との示談で決めるべきである。
 第4に、参審員は高貴で慈悲深き伯爵にこの代官管区にあるすべての農地の権限を認め、この統治区に三本脚の椅子を置けるほどの農地をもつ者は、それを領主から受け取ったのでなければ、それを利用してはならない。しかし子どもたちの両親が亡くなったら、彼らは裁判官から最初の任務をおこなう許可を得て、その後領主と相続税、農地受領その他にかんする話し合いにより決めるべきである。いかなる者も土地領主および上級裁判領主の許可なく、この代官管区から立ち去ってはならず、違反すれば罰金を科せられる。当地区で暴力沙汰を起こしたり、不法行為をなした者は、保有地を失い、高貴なる土地領主および上級裁判領主は彼をリーシンゲン村の全住民の手によって捕えて牢に入れ、牢がないか、領主がリーシンゲンに牢をもとうとしなければ、トリーアの領邦による許可と通行証によって犯罪者を、代官区に農地をもつ全住民およびその他全員によってカイルに連行し、(そこにカイルの上級裁判所参審員がリーシンゲンから出席して、訴えと応答を聞き、判決をおこなわなければならない。)判決の後カイルからリーシンゲンの上級裁判所に連れ戻され、彼の農地には上級裁判領主および土地領主によって訴追と審理の費用を支払うために罰金が科される。しかし農地がなければ、上級裁判領主および土地領主は犯罪者を彼の負担で処刑させるべきである。
 第5に最後に、参審員は次のように告げる。すなわち、リーシンゲンのワイン枡または沪過器が失われたら、それはカイルに求められなければならないが、穀物枡はそれぞれの地区がもち、管理する。




 7-2 プリュム Prüm

 7-2-1 フレリンゲン Fleringen (1556年) 

  (フレリンゲンはプリュム市の東側にある)

 参審員はエーレンの尊敬すべき女領主を正当な土地領主、正当な授封主と認め、彼女に命令と禁令、水と牧場、鳥と魚の捕獲、人、禁制圏、発見物、生計の資、天から地中までの所有主の権限を認める。ある男または女が法によって罰金を科せられることが認められた場合、エーレンの尊敬すべき女領主がその罰金を免除するのは彼女の自由であることを、参審員は認める。そして代官はそのことについて何も問う権限をもたない。もし彼が思いがけず引き下がって、罰金の贈与を懇願しなければ、代官は事情によっては罰金の3分の1を得る権限をもつ。彼らはまた2つの荘園について、荘園民が彼らの荘園にとどまっているなら、代官が命令する権限をもたないことを告げる。しかし荘園民が通路や道路で不当行為をなす場合には、われらが女領主の思し召しにゆだねるべきである。

 7-2-2 ビレスボルン Berisborn (1556年) 


  (ビレスボルンはプリュム市の東に位置する)


 ビレスボルンの参審員はプリュムのわが慈悲深き領主に大きな支配領域、発見物、天から地までの生計の資、命令と禁令および逮捕の権限を認める。また捕らわれた者が身体刑に相当する罪を犯したとき、プリュムのわが領主が彼を放免しようとしたら、代官もそれを認めるべきである。参審員は、ベレスボルン荘園における寡黙な代官のために誰がシェーネッケンの門を開閉するのか、告げる。
 参審員はプリュムのわが領主を土地領主および封土領主と認め、そこから徴収されるすべての罰金の3分の1を代官のものと認める。また罰金に相当する罪を犯した者は、プリュムの領主が免除したら、彼は罰金を免れるべきである。
 領主が裁判官または参審員を任命しようとするなら、プリュムのわが領主と代官は、その男がその地位を占めるにふさわしく、先祖に忠実であるか、参審員に問うべきである。そしてプリュムのわが慈悲深き領主は裁判官または参審員の右手を取り、代官は左手を取り、彼の剣を手で引き抜いて、任命し、プリュムの領主は宣誓を求めるべきである。廷吏を任命するには、杖が立てられ、プリュムのわが領主は廷吏に宣誓を求め、杖の上部をつかみ、代官はそ杖の下部をつかむべきである。
参審員はプリュムの領主に復活祭の卵を認め、4分の1モルゲンの農地ごとに2.5個の卵を課し、農民は2.5個の卵の納入義務を負い、3個の完全な卵を納めたくない場合、第3の卵を敷居の上に置き、刀で真っ二つに割り、その大部分が敷居に落ちたら、彼は領主に罰金を納めるが、大部分が扉の前に落ちたら、農民は罰金を免れる。
 ビレスボルン荘園はプリュムのわが領主に毎年8台の荷馬車の運送賦役の義務を負い、4台は聖Walpartの日に、4台は聖マルティノの日(11月11日)に義務を負い、農民はコンテルブルッケンとハッセルフォルトの間を運送し、水と石を除いて1フーダーの荷物を積んで、モーゼル川の河畔で日の出から次の日の出まで 待機する義務を負い、積み込みがおこなわれなければ、彼はモーゼル河畔へ行き、3回彼の熊手で大きな音をたて、帰宅すれば、運送賦役に支払いがなされる。
 参審員はさらに次のように告げる。すなわち、運送夫は夕方モーゼル川に到着したら、スープとワインを十分に与えられ、途中で1マイルごとに1クヴァルトのワインをふるまわれる。運送夫はあまりワインを飲んではならず、領主にもワインをさしだすべきである。彼は帰ったら十分に食物と飲物を得て、2種のパン、2種の肉、2種のワインを得るが、門にいる領主の所へ行くには、あまり飲み過ぎてはならない。彼が門に行かない場合は、領主に対する罰金を科せられる。領主が運送賦役を必要としなければ、古くからの慣わしによって、荘園民は6グルデンの運送賦役税を支払うべきである。
参審員はプリュムの領主に18マルターのエン麦を聖ステファノの日(12月26日)に納入し、50フントの亜麻を聖アンデレの日( 11月30日)に納入することを認め、エン麦は参審員がほめるほど良質で、亜麻はきれいに梳かれているべきである。荘園民がそれらを納入するとき、領主は山盛りを指示し、山盛りの際にうなり声を出す農民は、罰金を科せられる。
 参審員はプリュムの領主に自由農地の相続税として丸い蹄の家畜、荘園農地の相続税として割れた蹄の家畜を認める。領主は農地が価値あるものとなるように、慈悲をもって相続税を徴収すべきである。農民が相続税の義務を負うときは、1頭の馬またはめ牛を選別して除外した後に、領主に選ばせるべきである。いかなる相続税義務についても参審員には6アルブスを与え、領主が相続税を取得したら、彼は参審員に6アルブスを与える義務を負う。しかし農民が相続税を貨幣で支払ったら、農民は参審員に6アルブスを納めなければならない。そして彼の農地を保有地として再び荘官から受領すべきである。
シェーネッケンの代官に対して、ビレスボルン荘園は毎年麦、エン麦、2回のモーゼル運送の義務を負う。
参審員は、いかなる農民もシェーネッケンの荘園のために穀物刈り取りおこない、毎年30台の荷馬車で木材を運び、2台の犂でエン麦の播種をおこなう義務を負うことを告げる。かまどの火をおこす者は燻製のにわとりを納め、若いおんどりを飼う者は、5月のおんどりを納めるが、飼わない者にはその義務はない。シェーネッケン荘園に領主がいるときは、干草を架ける木をそこへ運び込む義務を負う。
 プリュムのわが慈悲深き領主が教会または製粉所を建てようとするとき、彼にはそのための道や通路が提供されるべきである。ただし、彼の菜園や寝室を通過する溝を掘ることを誰にも許してはならない。また、わが領主が誰かの相続地に建築しようとするなら、領主はその替わりの土地を提供すべきである。
参審員は製粉所を禁令製粉所とみなし、そこには誠実な製粉屋が3つの桶、3つのふるいを備えるべきである。また荘園民がその穀物を製粉し、幼児が石臼のまわりで石に触れたり、ひもでつないだ犬がその石のまわりをうろついて、石に触っても、いかなる者もそれについて不満を訴える権限をもたない。製粉屋は製粉所のセスター枡とシュッセル枡をもち、16シュッセルが1プリュム・セスターに相当する。また2ゼスターの麦からすり切り一杯の1シュッセルの粉、1ゼスターの未精製穀物から山盛りの1シュッセルの粉が得られる。
 参審員は、製粉所が製粉をなしうるかぎり、いかなる農民も他の製粉所へ製粉に行ってはならないことを告げる。他の製粉所に行って、その分、製粉賃金の支払い義務を負わなくなれば、領主への罰金を科せられる。また農民は毎年製粉屋が依頼すれば、池の清掃を手伝う義務を負う。
 参審員は、農民が裁判官に従順であるべきだと告げる。彼らが領主のために干草をつくるときは、ともに草刈りをすべきである。太陽が高いうちに干草を刈り終わったら、領主の反対がなければ、その日は彼らの好きなように魚釣りをする権限をもつべきである。農民は干草刈りをするとき、大鎌の柄に縛りつけることができるだけの量の干草を家にもち帰ることができるが、大鎌の柄をこわしたら、領主への罰金を科せられる。
 参審員は、いかなる農民も裁判官に賦役をおこなう義務を負うことを告げる。穀物の刈り取りをするときは、いかなる賦役農も大胆に茎を9本束ねてつかみ、他の賦役農が鎌で刈れば、賦役をはたしたことになる。
 ビレスボルン荘園には2人の森林番人、1人の廷吏、1人の漁師がおり、それぞれ4分の1モルゲンの農地を報酬としてもち、両領主によって採用され、プリュムのわが領主が宣誓をおこなわせ、毎年採用の更新がなされるべきである。森林番人が森林で差し押さえをおこなったら、裁判官のもとへ運び、ムルレバッハの裁判官のもとへもっていく。森林番人は両領主から自由に、差押え対象の形跡を追えるならモーゼル川まで追跡をおこなう権限をもつべきである、森林番人は彼らの宣誓どおりの任務をはたさなければ、領主によって罰せられ、解任されるべきである。
 漁師は彼の4分の1モルゲンの土地のために漁をすべきであり、2回の金曜日にムルレンバッハに魚を運び、第3の金曜日にはシェーネッケンに運び、漁師が魚を得られないときは、家畜の内臓3つを提供すべきである。魚を持参すれば、スープ、1フィアテルのワインとパンを得るべきであるが、その権利を与えられなければ、彼は何も持参する義務を負わない。
領主が雌鹿の捕獲を望み、農民に命じたら、農民はそれに従うべきであるが、ヴィンクセナーハルトのロイヒテバウムとロイヒャーハルトより遠くへ追いかけてはならず、日没とともに帰宅すべきである。
 参審員は、高木林において熱心な首長および土地領主としてのプリュムの領主と代官に樹木の3分の1を認める。代官が樹木の3分の1を放置することを望まないのなら、天に結びつけられた絹の糸に樹木を吊るして、他の樹木を脅してはならない。
多くのどんぐりが叢林にあり、森林番人が手袋の親指大のどんぐりを拾い集めることができれば、農民は雄豚1頭あたり1ペニッヒ、雌豚1頭あたり1ヘラーの養豚税をを納める義務を負う。
参審員は農民に対して、森林を燃料、犂および荷車のために利用することを、彼に必要なかぎり認める。
農民はキールで犂の撥土板や魚とり網を用いて魚をとる権限をもち、鯉を捕えたら、その口の中に唾をはき、口づけをすべきである。鯉に口づけができれば、それは彼のものとなり、できなければ再び領主のものとなる。こん棒や柳の枝で魚を獲る者は、領主への罰金を科せられる。
参審員は、領主が復活祭と精霊降臨祭の間にこの荘園に禁制ワインを設定し、2年間はプリュムの領主、第3年度には代官が設定することを認める。ワインの樽が6週と3日の間開栓されないまま置かれ、農民が半ゼスターも飲んでいなければ、領主は農民に対して1ゼスターのワインを彼が決めた期日にふるまい、ワインが谷に向かって流れれば、農民はその代金を支払うべきであり、山に向かって流れれば、農民は支払ってはならず、領主は、ワインが統治権を脅かさないようにもち去るべきである。
外来者が負債を正当に要求したら、荘園裁判官はその報酬として1マイルの禁制圏の通行に廷吏を随行させて、罰令権と平和を行使する。
 参審員は次のように告げる。すなわち、身体刑に相当する罪を犯して逮捕された者は、ベリスボルン荘園の石塊の上に来ることができれば、6週と3日の間罰令権と平和を得るべきである。彼が6週と3日の間4 マイルの禁制圏において 1マイルの道を来ることができれば、同じく罰令権と平和を得るべきである。
農民は使徒聖ヨハネの夕べ(12月27日)の午前中に雌牛を連れて湿原に行ったら、昼には帰宅して搾乳し、チーズをつくり、裁判官のもとへ行くべきである。
 参審員は、次のように告げる。すなわち、裁判官は農民に重量、容量の尺度と種畜を提供する義務を負うが、雄豚は除かれ、牧師が第3年度に雄豚を提供する義務を負う。
 参審員は次のように告げる。すなわち、裁判官は子馬を飼い、参審員に貸し、参審員は彼の思い通りに子馬を干草、麦およびエン麦の畑の中に行かせる権限をもつべきである。

 7-2-3 ブライアルフ Alf (1600年)


  (ブライアルフはプリュム市の西方に位置する

 ブライアルフの参審員は荘園の禁令と禁猟区を指定し、禁猟区内ではプリュムの修道院長以外のいかなる者も狩猟をしてはならず、シェーンベルクの代官は禁猟区を守るべきであることを法として告げる。代官は2頭のよく走る犬をもち、うさぎが犬にさからえば、犬は夕食にありつくことになろう。
 参審員は次のように告げる。すなわち、禁猟区の外で農民は、割れた蹄をもつ動物を除き、すべての野生動物を捕らえることができる。さらに、参審員は次のように告げた。すなわち、プリュムの修道院長は法として人、禁令、水、放牧地、用益と利益、発見物と生計の資を、天から地まで権限として認める。さらに鐘の音と日の出から日の入りまでの時報の権限も、彼に認める。誰かが亡くなれば、修道院長は寡婦と孤児を助けるための助言に最善を尽くすべきである。
 さらに参審員は、次のことを法として告げる。すなわち、プリュムの修道院長は教会と礼拝堂を設置することができ、彼の計らいで製粉所も設置することができ、水を採草地、畑および林に供給し、いかなる者もそれについて不当なおこないをしてはならない。
 参審員は、次のことを法として告げる。すなわち、プリュムの修道院長は荘園裁判官と廷吏の任免権をもち、正しく任命されたら、修道院長または上級裁判官は彼の右手を取り、シェーンベルクの代官は左手をとり、ともに彼を裁判所へ任用すべきである。
 プリュムの修道院長はすべての罰金を科し免除する権限をもち、それによって得られるもののうち3分の2を受けとり、3分の1を代官に与える権限をもつことが告げられた。
 上級裁判所はブライアルフ荘園内部にはなく、アルファーベルクのみにかぎられることを、参審員は法として告げた。
 参審員はプリュムの修道院長と彼の指揮官のみに荘園内の逮捕を認め、不法行為のために捕えられた者を、プリュムの修道院長は荘園禁令圏内にある最寄りの城に連行させ、門扉が開けられ、犯罪者は6週と3日の間留置されるべきである。すなわち4週と2日の期間は修道院長、2週と1日の期間は代官のために留置される。さらに犯罪者は咎められ、修道院長の指揮官が彼をブライアルフの扉からさらし台に連行し、彼がさらし台で夜をすごさなければならないときは、保安官が一夜の安全を守るべきである。犯罪者がさらし台を免れた場合、どのような警護のもとに置かれるにせよ、犯罪者は有罪の判決をうける。
 さらに犯罪者が裁判所に護送され、プリュムの修道院長は村長をもち、彼は角笛を首にかけ、それを3回鳴らすべきである。すべての農民は彼に続いて3種の武器を鳴らすべきである。そこで村長は逮捕された者をさらし台から連れて来て、コラース庭園の後の石の上に座らせるべきであるり、その場所で彼に飲食物が与えられる。そこでブライアルフの廷吏が逮捕された者を受け取り、ブライアルフに連行すべきである。その場所にゼルリッヒの廷吏が彼を待っており、彼を受け取って、ブライアルフ城へと連行し、そこには保安官がベンチをもち、各ベンチの長さは8フスであり、シェーンベルクの代官は保安官の要請に寛大に応じて計測すれば、その代金を彼らは罰金から徴収することができる。
 犯罪者を裁くのは21名の参審員であり、7名はブライアルフ、7名はヴィンターシュペルト、7名はセルリッヒの参審員である。プリュムの修道院長と彼の上級裁判官は犯罪者の判決を参審員に促さなくてもよく、それをおこなうのはシェーンベルクの代官である。
 死罪を犯した者を修道院が赦免しようとするなら、裁判席と代官との間に風が吹き抜ける前に、そうすべきである。

 7-2-4 グンデルスハイムとヴェンスハイム Gundelsheim und Wensheim         (1537年)


  (グンデルスハイムとヴェンスハイムはプリュムの北にある)

 最初に、荘園禁制圏の範囲内にわれわれの相続農地が並んでおり、領主シェーネックがまとめる地域圏内で、われわれは彼をあらゆる問題における上級裁判領主、統括者とみなす。またわれわれは彼が天から地にいたる人、禁制、発見拾得物、生計の資を所有することを認める。
 われわれは次のように告げる。すなわち、4人の領主の荘園は自由であり、身体刑をうけるべき罪を犯したろくでなしが4人の領主の荘園に入って来たら、彼は6週と3日の間自由である。彼が3フス以上荘園を離れて再び帰って来られたら、さらに6週と3日の間自由を得るべきである。4領主の荘園に彼が来てから3回自由を得れば、その後彼は上級裁判領主のもとに行き、上級裁判領主が彼を裁こうとおもえば、荘園における彼のふるまいに応じて裁くことができ、彼が荘園領主の助けを望むなら、上級裁判領主に話して、上級裁判領主は荘園領主に彼の法のために援助すべきである。荘園領主がみずから裁くことを望まなければ、彼は罪人を上級裁判領主に引き渡し、片足を上級裁判管区に踏み出すべきである。そこで上級裁判領主は罪人を連行して彼のふるまいに応じて裁くべきである。そして4人の領主のうちの1人が彼の荘園の裁判管区内で裁くなら、彼は3日目までには罪人を処分すべきであり、罪人が路地や道路で誰かを傷つけたり刺し殺したりすることがないように、処分すべきである。いま一度荘園民は法を問われ、次のように認めた。すなわち、罪人が車刑または絞首刑に処せられたら、その下に埋めるべきであり、火刑に処せられたら、悪臭がしないように地中に遺体を埋めるべきである。そして彼が逃げ込んだ荘園では、領主が荘園民に損害や不利益のないように守るべきである。






 7-3 アイフェルとライン川の間


 7-3-1 アンデルナッハ Andernach  (1498年)


  (アンデルナッハはコブレンツ近傍の都市)

 第1に、鐘を打ち鳴らす権限を誰に認めるか? 鐘を打ち鳴らす権限をケルンのわれらが君主と都市アンデルナッハの権利と認める。
 また、犯罪者を捕り押える権限を誰に認めるか? 捕り押える権限をケルンのわれらが君主に認める・・・・・あるいは君主の権力をもつ従僕はアンデルナッハの市民の現行犯を見つけたら、ただちに市民を捕え、市民以外は捕らえてはならない。
 3. アンデルナッハの命令と禁令の権限を誰に認めるか? ケルンのわが君主に法と統治、アンデルナッハの都市にその警察にかかわる裁判と自由を認める。
 4. あらゆる暴力沙汰を裁き保護する権限を誰に認めるか? ケルンのわが君主に認め、それ以外の者には認めない。
 5. 警護と見張りをおこなう権限を誰に認めるか? ケルンのわれらが慈悲深き君主と彼の権力を行使する役人にその権限を認め、アンデルナッハの市長には都市参事会の代理として、裁判官にいたるまでの市民にかかわる債務を外来者から守る権限を認める。
 6. 短刀を抜いた者は、切りつけたか否かにかかわらず、わが君主にいかなる罰金を負うか? 短刀を不法に抜いた者は、傷害の有無にかかわらず、60ケルン・シリングの罰金を負う。
 7. ならず者に武器を投げたり攻撃する者は、いかなる罰金を負うか? 不法なならず者に武器を用いた場合は、傷害の有無にかかわらず、君主に60ケルン・シリングの罰金を負う。
 8. 流血事件をおこす者は、それがいかなるものをもっておこなわれた場合、いかなる罰金を科せられるか? 他人に対して流血事件をおこす者は、それがいかなるものや銃砲でおこなわれようとも、われわれは有罪とみなし、咎められるべき身体の傷が長いか深い場合は、君主に60シリングの罰金を負い、それ以下の傷は君主に10シリングの罰金を負う。
 9. わが君主の護衛と保護をうけている者が、言葉または行動によって毀損されたら、いかなる罰金を科せられるか? それをおこなった者を、君主または彼の権力をもつ役人、あるいはそうした毀損をうけた者が、裁判所に召喚したら、審問の後に参審員が法を告げるであろう。
 10. われらが君主に対して、彼の自由と統治に干渉しないという恭順を誓った市民が、わが君主の自由と統治に干渉したら、いかなる罰金を君主に負うか? そうのような市民を、君主または彼の権力を行使する役人は裁判所に召喚し、審問と応答の後に参審員が法を告げるであろう。
 11. 最良の心がけによって裁判所を守ることをわが君主に誓った参審員が、誓いを破ったら、いかなる罰金を負うか? 参審員が鐘の音が聞こえる範囲内にいる限り、彼は裁判所に来るべきであり、彼が法的な必要からのがれて、そのうえ来ようとしなければ、君主は彼を召喚することができる。審問と応答の後参審員は法を告げるべきである。
 12. 君主の統治権に反する暴力と不法行為をおこなった者は、君主に罰金を負う違反をおかしたことにならないか? 君主が裁判所に召喚できる違反であれば、審問と応答の後に参審員が法を告げるであろう。
 13. 秘密を暴露すれば、君主に罰金を負うか? 不法行為にかんする秘密を暴露すれば、君主が裁判所に召喚することができ、審問と応答の後に参審員が法を告げるであろう。
 14. 参審員がわが君主の裁判集会に出席しなければ、いかなら罰金を負うか? 鐘の音が聞こえる範囲内のいる参審員は裁判集会に出席すべきであり、彼が法的必要からのがれて、そのうえ出席しなければ、君主は彼を裁判所に召喚し、審問と応答の後に参審員が法を告げる。
 15. 市民が鐘の音が聞こえる範囲内におり、裁判集会に出席しなければ、いかなる罰金を負うか? いかなる市民も裁判集会に出席すべきであり、出席しなかった理由が何であれ、われわれは君主に20ペニッヒの少額罰金を負うことを告げる。
 16. 他人を不法事犯以外の理由で裁判集会に召喚すべきか? いかなる者も負債を理由に召喚してはならないが、ただし不法事犯、名誉棄損、建築違反、規則違反、垣根囲いの違反 その他あらゆる不法事犯は裁判集会に属する。
 17. 裁判が順調に進んでいるのに、裁判所から退出しようとする者は、いかなる罰金を負うか? それが君主と裁判当事者の許可を得ておこなわれるなら、裁判所に召喚することができ、審問と応答の後に参審員が法を告げるだろう。
 18. 裁判が護衛をつけておこなわれるとき、警護をひきうける者がいれば、裁判所の許可を得ても、君主に罰金を負うか? 君主と裁判当事者の許可なくおこなわれれば、裁判所に彼を召喚でき、審問と応答の後に参審員が法を告げるであろう。
 19. 裁判が護衛のもとに、法にしたがって順調におこなわれているとき、護衛が裁判を守れなくなって、事態の決着まで裁判を続けられなくなったら、誰にしたがうべきか?そうした護衛を裁判で確保できなくなった場合は、裁判所の意志表示まで裁判を遅らせるべきである。
 20. 護衛がつけられている裁判で、裁判を遅らせたくない者は、わが君主にいかなる罰金を負うか? 君主または彼の役人は参審員の文書によって1、2、3回遅らせることができ、罪を問われている者がこれらすべてに反対して裁判所に不服従であるなら、君主は彼を裁判所に召喚して、審問と応答の後に参審員は法を告げるべきであろう。
 21. 差し押さえられた者は、君主のためであれ都市のためであれ差し押さえ物件が保管されている場合、いかなる罰金を負うか? 差し押さえには法にしたがって参審員の証拠文書を1、2、3通求めるべきであり、君主のために裁判官と2人の参審員、都市のために市長と裁判官および2人の参審員が、証拠文書を求められ、不服従の態度が示されたら、裁判所に彼を召喚して、審問と応答の後に参審員が法を告げるであろう。
 22. ケルンのわが君主の領域における狩猟区とwildprechtを誰に認めるか?ケルンのわが君主と、彼の慈悲みより許された者に認める。
 23. 野生動物を捕獲のために、わが君主の慈悲を得た者、または彼の慈悲をうけた者の許しを得た者、あるいは以前から捕獲に出かけていた者を、捕り押えることはできないか、あるいは彼らはわが君主に罰金を負うか? そのようなことはわれわれには起きたことはないので、われわれはそれに対して何も告げられない。、 
 24. ケルンのわが君主の領域においてアンデルナッハの水と放牧地を誰の権限と認めるか? われわれは、それをケルンの最も慈悲深きわれらが君主の統治権と、市民の権利と認め、市民はそれを用いてわれらが君主に奉仕する義務を負っている。
 25. わが君主の許可、要求および命令なく、わが君主の狩猟をおこなおうとしたら、いかなる罰金を負うか? そうしたことが起きたことがないので、われわれは、何も告げられない。
 26. 漁業を誰に認めるか、また捕らえられた魚をどのように扱うか? われわれはそうした漁業をケルンのわれらが君主に認め、彼の慈悲がアンデルナッハの裁判管区に及び、それらの魚がわれらが君主の権利にもとづいて捕らえられるかぎり、アンデルナッハの都市参事会の規定にもとづいてアンデルナッハ内で売るべきであり、地域の隅々までもっていってもよいが、それ以外にもち出してはならない。
 27. ライン川の航行を誰に認めるか? ケルンのわれらが君主にそれを認め、船は水位標識に沿って航行し、草地に接岸して止まるべきであり、船はアンデルナッハの前に停泊すべきである。われわれはさらにヴェーデの伯爵に6頭の馬と1台の製粉機を運ぶ一隻の船を認め、そのために1人の人員を雇うことを認める。そうすれば、彼と彼の従者が川を渡れるが、それ以外の者は渡れない。
 28. 自分の判断で家畜を武器で吊るし切りしすることによって傷つけても、それを自分の損害とは思わない者は、わが君主にいかなる罰金を負うか? 君主またはその役人は彼を召喚することができ、審問と応答の後に参審員が法を告げるであろう。
 29. 自分になされた不法行為について訴えに来た者に対して、訴えられた者がこれを否定したのに、ひき続き調査がおこなわれなければ、わが君主にいかなる罰金を負うか?訴えた者が訴えの追加調査をおこなわなければ、君主またはその役人は彼を裁判所に召喚することができ、審問と応答の後に参審員が法を告げるであろう。


わが君主の製粉所の法

われわれはわれらが君主がネッテンの製粉所に可能なかぎり多くの家畜を放牧する権限を認める。
射撃場の製粉所には4頭の家畜、鍬で耕す土地の製粉所には2頭の家畜、他の製粉所には慈悲により1頭の家畜、修道院の製粉所には2頭の家畜、他の製粉所には慈悲により1頭の家畜、沼沢地製粉所には1頭の家畜を認める。
さらにメーゼンヘンの製粉屋は月曜日に穀物を搬入し、次の月曜日までに搬出することができ、彼の製粉所に穀物を出そうとする者は、それを彼に搬出してもらうことができる。そして他の市場開催日に、人々にとって必要となるたびに、製粉屋は再っ搬入することができる。
 また水曜日と土曜日にパン屋はアンデルナッハ周辺の村にその白パンとライ麦パンを持ち込んで、午前中に旧市場で売ることができ、その期間内に売れ残ったら、次の市場の日まで保持してもよく、売れ残ったことを秘密にしても明らかにしてもよい。
 差押えられた者がいたら、誰が廷吏に差押え金を納めるべきか? 差押えをうけた者が、廷吏に差押え金を納めるべきである。
 
 1. 最初に裁判官は参員員に、誰がアンデルナッハの度量衡を維持管理すべきかと問うた。われわれはそれに答えて、次のように告げる。すなわち、ケルンのわれらが慈悲深き君主は参審員とともに容量の尺度を検定する権限をもち、参審員が判断し決めることを、裁判官がわれらが慈悲深き君主のために裁定すべきである。
 2. われわれはわれらが慈悲深き君主に塩、油および蜂蜜の容量の尺度の権限を前述のように認める。
 3. われわれはケルンのわれらが慈悲深き君主にすべての薬草の重量の尺度の権限を、大小にかかわりなく、認める。君主は参審員をつうじてそれを調べ、参審員が判断することを参審員の確信にしたがって裁判官が裁定すべきである。
 4. 裁判官は帝国道路の上部建造物について誰の権限に属するのか、問うた。われわれ参審員は次のように法を告げる。すなわち、われらが君主の慈悲または彼の役人の考えでは、帝国道路の上部建造物がつくられたら、裁判官が都市参事会にそれを提示し、参事会は市民にそのようなものをとりこわすように指示すべきであり、市民は公正に法によってそれをとりこわすべきである。もしそうしなければ、君主と参事会は参審員に賛同を要求し、参審員が一定期間内に実行することを法として告げたのに、それがおこなわれない場合は、君主はしかるべき額の罰金を徴収すべきである。さらに都市市場の商店の前のはみだし物や窓の前の鉄は、参事会の慈悲にゆだねるべきである。
 5. ものさしの尺度や布の尺度は、君主の代理の裁判官の同席のもとで都市参事会が調べ、参審員がそれについて判断し、君主がそれを裁定すべきである。
 6. 差押えをおこなう権限は、誰にあるか? われわれはまず、しきたりにしたがって次のように法を告げる。すなわち、われらが君主の慈悲により上級裁判所は、参審員の確信にしたがう判決を参審員から正当に得られたら、君主は廷吏に差押えをおこなわせるべきである。
 7. 裁判官がその内容を諒解し、裁判が記録された周知の文書があれば、君主は参審員の確信にしたがって廷吏に差押えをおこなわせることができる。
 8. われらが君主への罰金が参審員によって正当と証明されている場合には、われらが君主の慈悲により廷吏に差押えさせることができる。
 9. 同職組合のために差押えを必要とするなら、組合親方は不法とおもわれる他の組合員を都市参事会に提訴すべきであり、それが市民に認められたら、差押えに時間的猶予を与え、差押えが完了しない場合は、廷吏が君主に代って差し押さえるべきであり、廷吏が認めないことについては、彼は君主に代って裁判官の同席のもとで断固として法を執行すべきである。
 10. 都市外での射撃について科せられた罰金を、市長は廷吏に差し押さえさせるべきであり、われらが慈悲深き君主は野外の犯行の罰金の訴えについて6ペニッヒを取得する。
 11. われわれはわれらが慈悲深き君主が容量尺度、塩と蜂蜜の計量尺度にかんする違反を差し押さえる権限を認める。
 12. われわれはわれらが慈悲深き君主が薬草の重量尺度について裁き差し押さえる権限を認める。
 13. われわれは、参審員によって上部建造物が法にしたがって違反していると判断される限り、われらが慈悲深き君主にそのすべてを裁く権限を認める。
 14. われわれは、物差しの尺度と布の尺度が法にしたがって違反している限り、われらが慈悲深き君主にそれらについて裁く権限を認める。
 15. われわれは、われらが慈悲深き君主がすべての差し押さえを誓約廷吏におこなわせ、裁判所と参審員が差押えの判決をおこなうか、彼らに差押えが通知されることを認める。
 16. われわれはいま一度都市アンデルナッハに穀物の計量器、エン麦計量器、melle計量器、vllauch計量器およびすべての農作物計量器の検査権を認め、それらが正確かどうかを都市参事会は参審員をつうじて検査し、参審員が判断するものを参事会は裁定すべきである。
 17. 重量尺度にかんして、われわれは都市と参事会にパンの重量、肉の重量の検査権を認め、都市には参審員をつうじて車両の重量の検査権を認め、参審員が判断し、参事会が裁定するべきである。
 18. 都市参事会が定めたありとあらゆるアンデルナッハ市の規則、すなわち、消費税、パン市場、食肉市場、魚市場、穀物市場、都市の道路、建造物の上下のはみ出し、見張り番、門、放牧の見張り、溝堀り、道路清掃と管理にかんする規則は、今後も都市参事会によってケルンのわれらが慈悲深き君主の現職および将来の役人の同席のもとで定められる。
 この上述の判決はケルンのわれらが慈悲深き君主の裁判官の問いに答えて、われわれの祖先がわれわれに伝えたしきたりにもとづいてわれわれが告げたものであり、その改善のために告げる。
 外来者が小刀を抜いて罰金に相当する犯罪をおこなうか、その他の不法行為をおこなったら、君主にいかなる罰金を負うか? われわえは次のように法を告げる。すなわち、そのようなことをする者は、古くからの慣わしとして守られているとおり、われらが君主の慈悲しだいである。
 アンデルナッハ内で外来者によって何らかの騒動が起き、裁判官がそれを抑制できず、市民に加勢するように呼びかけたのに、市民ががそうしなければ、彼らはわれらが君主のいかなる罰をうけるか? われわれはそれに答えて、次のように法を告げる。すなわち、上述のような騒動が起き、裁判官がわれらが君主に代って抑えられず、市民に援護を呼びかけたら、彼らはそうすべきであり、裁判官が正当に求めたことをなえない場合は、審問と応答の後に参審員が法を告げるであろう。
 同じように何らかの騒動が市民のあいだで起き、市長が来て騒動をおさめられず、市民に助けを呼びかけたら、市民はそうすべきであり、市長が参事会に求めたことがなされなければ、参事会は彼らを罰すべきである。

 7-3-2 ブライジッヒ Breisich (15世紀末)


  (ブライジッヒはボンとコブレンツの中間に位置するライン左岸の集落)

 これは、ブライジッヒの領域のわれわれ誓約荘園民、共有地農民および領民がエッセンのわれらが敬愛する慈悲深き女領主と修道院参事会に告げ知らせる法である。
 最初に、われわれはブライジッヒ裁判所の所有、そこにある処刑台、禁令、鐘を打ち鳴らす音およびブライジッヒの裁判官職と統治権をエッセンのわれらが女領主と修道院の権限として認め、さらに水と牧場およびすべての統治権も権限として認める。
 われわれは次のように告げ知らせる。すなわち、われらが女領主はブライジッヒの地主であり、共有地農民に森林、藪、領主農地を6シリングの世襲地代で貸与し、彼女はその地主である。
 われはわれらが女領主に次のように告げ知らせる。すなわち、14フーダーの領主林の木を徴収すべきであり、公平をはかるべく裁判所の標石の前で法にしたがって、彼らの台所のために、1フーダーの木について半ゼスターのえんどう豆、1羽の鶏を与えるべきである。
 われわれはわれらが女領主に次のように告げ知らせる。すなわち、上級および下級裁判所で3ペニッヒが徴収される場合、2ペニッヒはわれらが女領主のものになり、1ペニッヒは2人の参事会員のものとなる。また裁判所がいかがわしい評価額にしたがうなら、大声で非難されるべきである。
 われわれはわれらが女領主に教会税と穀物およびワイン十分の一税を従来どおり認める。またコブレンツのザンクト・フローリン教会の領主はわれらが女領主とともに同じような知らせをうけている場合は、われわれがさらに通知することはない。
 われわれは、われらが女領主がブライジッヒに森林番人と森林収穫物をもち、彼女の所有から彼女にそれを納め、さらにそこにあるすべての落下物も彼女に納める。
われらが女領主は14人の荘園民をもち、彼女の荘園管理人は、公正に法を問うべき者たちによって法を問われたら、彼女の荘園で告発すべきことすべてを宣誓により、法にもとづいて、早期に告発すべきである。
われらが女領主はブライジッヒのわずかな関税を聖レミギウスの日(10月1日)と聖マルティノの日(11月11日)との間に、法にしたがって徴収すべきである。
 共有地農民はわれらが女領主の法により、彼らの鐘撞き、裁判官、6名の警吏、船頭を聖マルティノの日に任命し、6名の警吏以外に、われらが女領主の役人は彼の気にいる2名を選ぶべきであり、彼らは役人に対する忠誠を誓い、われらが女領主の所有を守ることを誓うべきである。裁判によって共有地農民から罰金を科された者は、わが女領主に7.5シリングの(すなわち劣った軽い)通貨を納める義務を負う。
 他の森林は、共有地農民として、森林をうまく運営してきた前述の2名にゆだねられる。
 われわれは、共有地農民によって選ばれた裁判官以外にはいかなる者も罰金のための裁判をおこなってはならないことを告げる。
 同上の裁判官は毎週月曜日の朝裁判集会に出廷して、1アーメンのワイン、1マルターの穀物、6ペニッヒより多くも少なくもない一握りの金額について、上級裁判所の異議も妨害もうけずに裁判をおこなうべきである。
われわれは、われらが女領主が秋に裁判集会を開き、彼女の誓約荘園管理人が法にしたがって裁判集会を命じるべきであると告げる。
 われわれは次のように告げる。すなわち、彼らは彼らの荘園民とともに3回の裁判集会を相次いで開くべきであり、3回の集会は3週間おこなわれる。それに出席しない者は、われらが女領主に7,5シリングの罰金を負い、出席を制限された者はわれらが女領主に7,5シリングの罰金を借地料と地代から徴収される。
 われわれは次のように告げる。すなわち、われらが女領主は3回の裁判集会をもち、彼女に従属する領民は裁判がおこなわれるとき出席すべきであり、われらが女領主の裁判官はその従属領民とともに裁判集会を開き、それに出席しない者は、われらが女領主に7,5ペニッヒ(すなわち7.5シリングの軽い通貨)の罰金を科せられる。
 われわれは次のように告げる。すなわち、われらが女領主は、秋の間辛子の粒を挽く使用人を貸し付け、彼はいかなる荘園民にも半フィアテルの辛子を半フィアテルのワインとひきかえに与える義務を負う。
 われらが女領主の荘園民はエルツェンベルクのぶどうの最初の若木から1アーメンのワインを正しく得たら、われらが領主の荘園管理人はそれを受け取り、われらが女領主の使用人が後から得られるワインと分けるまで保管すべきであり、そこで荘園民は蒸留の際にたくさんのワインを飲むべきである。
われわれは、われらが女領主が4つの土地をブライジッヒ裁判管区内にもち、それをそこなう者は、彼女に不法と暴力をなす者であると告げる。
 われわれは次のように告げる。すなわち、ユーリッヒ公とベルク伯はブライジッヒで6.5マルクのアンデルナッハ通貨の貢租を得るべきであり、これは聖レミギウスの日(10月1日)に徴収され、共有地農民は誓約裁判官をつうじて納める。
 エッセンのわれらが女領主と修道院参事会はユーリッヒ公にクリスマスと夏の聖ヨハネの日(6月24日)の2回代官奉納をおこない、1回の貢納ごとに納めるのは、まず12ズマーの小麦、4マルターのえんどう豆、4アイマ―のワイン、1ズマーの大麦、3頭の子豚である。これら3頭の子豚は全体で7.5ケルン・シリングの割り増し通貨の価値を超えてはならず、3頭の子豚には約12ペニッヒのケルン通貨が支払われうる。そのほかに13ペニッヒの値打ちのある5羽の鶏に、1フントの胡椒、2フントの蝋、6ペニッヒのケルンの割り増し通貨、2本の新しい木をを相次いで追加し、このような代官奉納を年に2回上記の期限に納めるべきである。われらが女領主の荘園民は2回の代官奉納の何にどれほどの費用がかかるかを把握すべきであり、代官裁判集会の14日後の夜までにその金額が徴収されるべきである。その金額が納められない場合は、その金額が納められるまで、代官は裁判集会を続けるべきである。
 われらが女領主はユーリッヒ公に毎年クリスマスの後の誓約月曜日にブライザッハの彼女の十分の一税荘園から1マルターの穀物と1マルターのえんどう豆を、またルツィンクの彼女の荘園から1マルターの穀物と1マルターのえんどう豆を徴収し、彼女の裁判官にはブライザッハの彼女の十分の一税荘園とルツィンクの彼女の荘園から9アハテルの穀物、9アハテルのえんどう豆を徴収し、ユーリッヒ公はこれら2回の代官奉納および穀物とえんどう豆とひきかえに、われらが女領主と修道院参事会にブライジッヒにおけるすべての権力を譲渡し、彼女の修道院参事会または役人が望むなら、上記の公爵も城伯もブライジッヒの住民とブライジッヒの裁判管区に住む者に不当な迷惑をかけてはならない。
 われわれは次のように告げる。すなわち、犯罪者がブライジッヒの裁判管区で捕らえられたら、彼らを捕えた者は、われらが裁判官に引き渡し、裁判官は彼を3日目まで拘留し、毎日鐘を鳴らして、鐘の音で犯罪人を裁判所の標石の背後に連行して、これについて告げさせるべきである。そして3日目に裁判官は再び鐘を鳴らして標石に犯人を連行し、領域における4人の裁判官に法を告げさせるべきである。有罪が宣告されたら、何も言うことなく、エッセンのわれらが女領主の裁判官は犯人をさらし台から出して、法によって犯人を代官に引き渡し、代官はさらにわれらが女領主、領域および原告に代って、法にしたがって犯人に法を適用する。
 われわれは次のように告げ知らせる。すなわち、いかなる者もブライジッヒの裁判管区において他人を攻撃してはならず、あらゆる場合まず他人を訴えて、法にかかわる訴えを公正におこすべきである。
 われわれは、到来する人々、ロンバルディアへの随行およびその他あらゆる問題をエッセンのわれらが女領主の権限に属すると認め、万人の法のために告げ知らせる。。
 われわれは、これら上述のすべての条項が、決して見聞したこともないことではなく、常に伝えられてきた法であることを、宣誓して知らせる。

 7-3-3 ケセリング Kesslingen  (1395年)


  (ケセリングはボン市の南方にある)

 まず代官ヨーハンは参審員に、いまや裁判の日かと問うた。彼らはそのとおりだと告げ、いまや裁判集会のときであり、領主が望めば、彼らは統治と法のために裁判集会を開催することができると告げた。そこで代官は、誰に上級裁判所、鐘の打ち鳴らしおよび従軍をケセリングで、またヴァイデンバッハ、シュタッフェルおよびグランシュハイトの村々で認めるか、彼らの判断を求めたところ、彼らは、ケルンのわが領主と彼の教会組織に従ってアールの旗印のもとで出征し帰還することを認め、それ以外の領主には認めないと告げた。
 さらに彼らは鐘の音もケルンのわが領主の権限に属し、アールの旗印のもとにある彼の教会組織に属し、代官は裁判所にかかわることのためにケルンの鐘を鳴らしてもよいと認める。
 彼らは、身体と財産がケルンの村々では誰の権限に属すると認めるのかと問われ、次のように告げた。すなわち、犯罪者が失う身体と財産をいかに処分するかを決めるのは代官であり、彼はそれらをアウゲンバッハに引き渡し、アールの地方官がケルンのわれらが領主の代りにやって来て、犯罪者を引取り、ヴォルフグルーフェという名の城塞に連行し、そこで処刑し、犯罪者が残した家財を彼らはケルンのわれらが慈悲深き領主のものとみなし、その他の領主には認めず、彼の相続人、子どもおよび土地領主にもその取得を認め、身体は鳥に与えるものとする。
彼らは、いかなる君主に略奪や暴力からの保護を期待できるかと問われた。参審員は次のように告げた。すなわち、彼らは鐘の音と従軍をケルンのわが領主の権限と認めたので、わが領主は法によって彼らを彼の教会組織の他の領民や住民と同じように略奪、放火およびあらゆる暴力から守る責任を負うべきである。
 5マルクの罰金が裁判所に徴収されたら、それは誰のものとなるかと、彼らは問われた。彼らは、ケルンの領主は3分の2、代官は3分の1を得ると告げた。
 ヨーハンととともに、ケルンのわが領主の裁判官は次のように述べた。すなわち、ケルンのわが領主はケセリングと他の村々で毎年彼の所有地と相続地から66マルターの穀物を得ることを、参審員も認めている。
 参審員は次のように認めて告げた。すなわち、ケルンのわが領主は彼の地方官自身に彼の臣民の地代と借地料を差し押さえさせることができる。その場合臣民が望むなら、法と裁判集会による以外にはいかなる者も差し押さえをなしえない。
 彼らは、ケルンのわが領主が上記の村々で毎年6マルクを徴収し、そのうち4マルクはアールの地方官に、2マルクは代官に手渡されると告げた。
 さらに彼らは次のように告げた。すなわち、プリュムのわが領主の荘園はアルヴァイラーのそばのヴァルペルツ荘園からケルンのわが領主に毎年2フーダーのワインをアールの城へ運搬すべきである。またプリュムのわが領主の荘園はケセリングで手押し車4台分の木材と手押し車4台分の麦わらを納め、毎年クリスマスにアールの城へ運搬し、クロイツベルクの参事会に手押し車2台分の麦わらを運搬すべきである。
 参審員は次のように告げる。すなわち、ケセリングの教区と裁判管区で煙を出すいかなる家もケルンのわが領主に毎年1羽の鶏を納めるべきであり、鶏の3分の2はケルンのわが領主に、3分の1は代官のものとなる。
 彼らは次のように告げる。すなわち、ケルンのわが領主はケセリングの裁判官を任命する権限をもち、裁判官は裁判所で代官のそばに座り、裁判集会の際にわが領主の法と裁判を監督すべきである。
 参審員はケルンのわが領主と彼の裁判所に採草地を認め、これはケセリングの伯爵の採草地といい、わが領主が刈り取りや栽培をおこない、ケセリングの領民がそれから干草をつくり、アールの城に運び、放牧地ももつべきである。
 プリュムの修道院長の裁判官は上記の地方官ディートリッヒをつうじて次のように問うた。すなわち、プリュムの彼の領主にはまだ法が認められており、ケルンのわが君主のために問うたのと同じように、彼のために問うべきなのか? それに対しては、何も命じられていないという返答がなされた。
 

 7-4 アイフェル、アール川、ライン川およびルール川の間



 7-4-1 アールヴァイラー Arweiler (1395年)

 
 (アールヴァイラーは今日アール川河畔のバートノイエナール-アールヴァイラー市の一部をなす)

 われらが主の1395年3月29日、大斎節の第5日曜日の後の月曜日、午後1時の裁判の時刻に裁判所の鐘が3度鳴り、アールヴァイラー裁判所の裁判官席に騎士で地方官のディートリッヒ・フォン・ギムニッヒ殿と、ゴダルト・アイムヒスの子息で、神の恩恵をうけた尊敬すべきケルン大司教・ヴェストファーレン公フリードリヒの代官とが出席され、さらに参審員としてペーター・フォン・ホーンゲンの子息ヨーハン、ヨーハンおよびゲルニック・フォン・ホーンゲン兄弟、ヘルマン・フォン・ローデンハウス、ニコラス・グルツギスの子息、若い参審員の子息ティルマンが出席し、他の多くのアールヴァイラー市民および他の善良で賞賛すべき人々も後述のように出席した。
 前記の地方官ディートリッヒ殿は、参審員がケルンのわが慈悲深き領主にアールヴァイラーの都市と市場町における彼の支配権と法を後述のように明確に告げるように促した。
 まず最初にディートリッヒ殿は、今や裁判集会を開くときであるのか、告げるように参審員に求めた。参審員はうなずいて、領主のご意向にそって正当に裁判集会を開くことができ、領主のために慣わしどおりに裁判集会が開かれるときであると告げた。
 彼はさらに、アールヴァイラーと市場町において参審員は誰に忠誠を誓うか、参審員に問うた。参審員は、われらが慈悲深きケルンの領主と彼の先人に忠誠を誓ったように、彼と彼の大司教領に忠誠を誓うと告げた。アールヴァイラーの諸村落、都市および市場町と代官管区は、慈悲深き領主としての現在のケルン大司教と彼の大司教領以外の  いかなる領主にも恭順の意を表することを認めない。
 参審員はさらに、鐘の音とアールヴァイラーの市場町の従軍の権限を誰に対して認めるのか、前記の地方官によって問われた。彼らは鐘の音と従軍をケルンのわれらが慈悲深き領主と彼の大司教領に認めると告げた。そして他のいかなる領主も大司教の領土に住み、大司教の領主庁の他の問題を侵害することを認めないと告げた。彼らは要求されるたびに、大司教領の他の都市と同様に従軍すべきである。すなわち、ケルンの現在のわれらが領主のために武装して服役し従軍する大司教領の他の諸都市と同様にすすんで出かけ帰ってくるべきである。
 参審員は、誰に命令と禁令の権限を認めるか、前記地方官によって問われた。彼らはケルンのわが領主と彼の大司教領に法、命令と禁令の権限を認め、われらが慈悲深き領主または彼の地方官は、アールヴァイラーの市場町、都市および村落で不当な命令をやめるべきである。
 身体と財産を束縛したり、おろそかにしたり、破損してしまった者がいれば、参審員はそれを誰に告げるべきかと、前記地方官によって問われ、参審員は次のように告げた。すなわち、身体と財産をおろそかにしたり、束縛したら、ケルンの現在のわが領主は彼の地方官に裁かせる権限をもち、彼以外の領主にその権限はない。
 ユダヤ人またはランゴバルド人がアールヴァイラーの都市または市場町に入って来たら、外来者の承認、保護または平和の権限をもつのは誰かと問われて、参審員は次のように告げた。すなわち、ユダヤ人とランゴバルド人は常にケルンの慈悲深き現領主によって定住を認められ、彼以外の領主によっては認められない。彼らはこれまで貨幣その他をケルンの現領主または彼の指揮官に納め、他のいかなる領主にも納めたことはない。
 上記の地方官はケルンのわが領主に代って、裁判所において対立するプリュムの尊敬すべき修道院長の現裁判官ヘルマン・フォン・ローデンハウスに次のように問うた。すなわち、地方官がかつてケルンのわが領主に代って法を問うたのとまったく同様に、地方官が参審員に法を問い、宣誓による法の宣告を求めようとしたとき、前記裁判官は同裁判所で彼の領主プリュムの修道院長に代ってアールヴァイラーの都市と市場町における法を問おうとしたか、あるいは法を告げようとしたか?裁判官は、彼の領主プリュムからそれについての命令をうけていないと答えた。
 前記の地方官は参審員に次のことを知らせるように促した。すなわち、ケルンのわが慈悲深き領主にとって一人または数人の参審員が亡くなったら、参審員の椅子をどのように補充するか?参審員は次のように告げた。すなわち、ケルンのわれらが慈悲深き領主の地方官または代官は、必要なときはいつでも、プリュムのわれらが領主の裁判官の所へ来て、ケルンのわれらが領主に参審員の欠員が生じたと言うべきであり、裁判官はプリュムのわれらが領主の荘園民に命じて、アールヴァイラーの彼の荘園に属する土地保有農のなかから、現職の参審員が、欠員が生じた場合必要となる一人または数人の他の参審員を選ぶべきである。それに役立つ者が土地保有農のなかに見つからなければ、前記荘園の分割地農か地代農民か地代徴集農民のなかから選び、ケルンのわれらが慈悲深き領主に対して彼の参審員の椅子が補充されるように、最善を尽くすべきである。こうして参審員が選ばれたら、プリュムのわれらが領主の裁判官は選ばれた参審員を上級裁判所に提示し、現職代官はケルンのわれらが領主に代って彼らを受けいれ、いかなる者も裁判所で彼らを罰することがないように、彼らに禁令と平和を行使しすべきであり、選ばれた参審員はケルンのわれらが慈悲深き領主に忠誠を誓うべきであり、もし彼が領主に忠誠を誓ってなければ、参審員が通例するとおり、ただちに宣誓をすべきである。
 地方官は、誰がケルンのわれらが慈悲深き領主に裁判所の廷吏を提供すべきか、参審員に問うた。参審員は、プリュムのわれらが領主が1人の廷吏を、ブランケンハイムの領主も1人の廷吏と自分の使者を彼の法のために提供すべきであると告げた。すなわち、不法行為をなす者が捕らえられ、彼の身体を拘束し、参審員が有罪の判決をおこなったら、プリュムのわれらが領主の廷吏は、裁判官の廷吏に犯罪者を引き渡し、彼が処刑を執行したら、3分の2の報酬を支払われ、ブランケンハイムの廷吏は3分の1を支払われる。こうしてケルンの現在の領主は裁判官の報酬を得てはならない。不法行為をした者がケルンのわれらが慈悲深き領主によって投獄されたら、ケルンのわれらが慈悲深き領主と彼の裁判所に損害が生じないように、両廷吏は平等に報酬を受け取りるべきである。
 地方官は参審員に、アールヴァイラーの市場町のなかにいかなる自由農圃があるか、問うた。参審員は、アールヴァイラーのなかにある遺贈農圃が自由であり、それ以外にはないと告げた。
 これら前述の法を前記参審員は全員一致で告げ、彼らの宣誓により完全なものとなったが、ケルンのわれらが慈悲深き領主とプリュムのわれらが領主並びに両領主庁と後継者がそうした文書に押印するかどうかは、彼ら両者にゆだねられた。

 7-4-2 ライメルスドルフ Lymersdorf (1559年)


  (ライメルスドルフはボン市の南に位置する)

 参審員は、ザンクト・カシウス聖堂参事会のわが領主が、毎年2回都合の良いときにその荘園に全村民のために2頭の牡牛、1頭の種牛、1頭の子馬、1羽の雄がちょうを飼い、荘園に堅固で鍵のかかるさらし台をもつ義務を負うと、告げる。
 2. 荘園参審員は聖堂参事会に当荘園を完全に自由であると告げ、名誉にかかわって、荘園参審員の一人が名誉を傷つけられ、殺人をおこない、荘園を頼って来たら、彼は6週と3日間無料かつ強力な保護を得るべきである。犯行者がその期間の経過後または期間内に荘園から3フス離れることができ、再度荘園に戻れば、以前と同じ期間だけ保護され、自由を得るべきである。その間に領主は馬に乗って、当事者の和解に努める義務を負い、その費用を負担すべきであるが、犯行者は彼の保護期間の食費を自分でまかなわなければならない。しかし6週と3日の間に領主によって和解が達成されなければ、領主は犯行者に無料の保護を提供し、ヴィヒトリッヒのそばのライトバッハ川まで連れて行き、そこで彼に3つの街道を示し、3ペニッヒのパンを食事として与え、立ち去らせる義務を負う。
 死亡した者の相続税について領主にはいかなる権限があり、いかなる相続税を納めるべきかと問われて、参審員は次のように告げる。すなわち、世帯をもつ者が相続税を課税された農地をもち、死亡したら、彼の死後相続人は相続税を納めるべきであり、彼が世帯と馬をもっていれば、相続税として最良の馬を納めるべきであるが、馬をもっていなければ、相続税ととして最良の雌牛を納めるべきであり、要するに彼がもっていた最良の生きた家畜を納めるべきである。生きた家畜がいなければ、最良の衣服で相続税を償うか、5マルクの銀で償うべきであり、それはすべて慈悲による。
 相続税の義務を負う者が死亡したらどうすべきかと問われて、参審員は次のように告げる。すなわち、相続税の義務を負う者が死亡したら、当事者は亡くなった者の相続税を償うことに努め、新しい相続税の負担者を荘園裁判官に届け出るべきであり、しかも相続税の義務を負う者が死亡した最初の夜以後に届け出をおこなうべきである。納税者が遠くに住んでいる場合は、すべてを次の7日間で清算することが認められる。そして相続税が当事者によって荘園に持参され、相続税をその価値にしたがって評価できるように、参審員の目前に提出されるべきである。






 7-4-3 フリッツドルフ Fritzdorf (1515年)


 (フリッツドルフはボン市の南方に位置する)

 私、ボルンハイムの女性エリザベート・フォン・ギメリッヒは1515年聖霊降臨祭の後の木曜日、わが息子ヨーハン・グアンデンを同伴して、プレンベルクのわが娘の同意を得て、フリッツドルフに滞在し、そこでフリッツドルフの人たちに忠誠を誓い、誰かが私にとって代わるまで誠実と忠誠を尽くすことを聖人に誓った。そこで彼らは召集された裁判集会を開き、フリッツドルフの領主に何を認めるかを問うた。そこで彼らは協議に行き、再度戻って来て、村を囲う垣根の内部でフリッツドルフの領主に命令と禁令の権限を認め、彼以外にはいかなる者にも認めないことを全員一致で告げた。その内部で身体と財産を侵害する者がいれば、フリッツドルフの裁判官は彼を捕え、フリッツドルフの参審員は不法行為をおこなう者をさらし台に入れ、3日目まで監視に協力し、そこで裁判官と参審員は全員で犯行者を村から小川と橋を渡ってフルヒェラートの地方官に引き渡すべきである。
 フリッツドルフは常に自由村落であり、バステルトの時代にケルンのわが慈悲深き領主が恐るべき金額を要求して、村落は当時1エームのビールについてわが領主に1 ヴァイスペニッヒを納めなければならないほど脅かされた。
 ケルンのわが領主の製粉屋はフリツドルフ村を通過する権限をもち、村内で彼の手押し車で穀物を製粉に出す者は、それから1マルターの粉を得るべきであり、自分の穀物を製粉所にみずから運びこむ者は、半マルターを製粉屋に与えるのが、古くからのしきたりである。
 フリッツドルフは邦内の3回の鐘を打ち鳴らす音で出動の義務を負い、第一の出動として、ケルンのわが領主がみずから戦場におもむくとき、それから6週と3日の間自費で従軍し、ザンクト・セシリエン荘園は軍用馬車を運行する義務を負う。第2の出動として、邦内に火災が起きて鐘が鳴り始めたら、出動して消火を助けるべきである。第3の出動として、わが慈悲深き領主が裁判をおこなうとき、裁判所に出動すべきである。
 参審員は、村民がフリッツドルフの領主に奉仕することをできるかぎり拒もうとしないように、告げる。
 参審員は、領邦君主が領邦税を要請したら、村民がこれに応じるように告げる。
フリッツドルフの参審員または村民は次のことを告げる。すなわち、フリッツドルフの領主はすべての賭け事と犯罪から7.5シリングを徴収し、裁判官はそれを管理する権限をもつ。また、ザンクト・セシリエン荘園は。村民の同意なしに牧羊をおこなってはな らない。

 7-4-4 フィリッヒ Villich (1485年)


  (フィリッヒはボン市の近郊集落)

 1485年7月11日、伝統ある聖ベネディクトの日、わが女領主の定例裁判集会に、裁判官ハネス・テーヴァルト、参審員タイルヴァイス、貴族領主ペーター・フォン・ベルケンラート、カーバインのハイン、ヨーヘン・シュミトゲン、Chrisg.・ブルンス、参審員でケルンのわが慈悲深き領邦君主の現職代官ヴィルヘルム・フォン・エールスバッハ、およびブン・ブライニヒの代官であるペーター・ベルティンクがケルンのわが慈悲深き領邦君主の代官として出席した。そこでタイルヴァイセンに対して、今日は裁判集会の日かと問い、タイルヴァイセンはそのとおりと答え、参審員もこれに続いてそのとおりと認めた。そこで前記の裁判官は、さらに何をなすべきかと問うた。そこで全員が、定例裁判集会に罰令と平和を行使すべきであると告げた。そこで裁判官はわが女領主のために定例裁判集会に対して罰令と平和を行使し、いかなる者も定例裁判集会を脅かしてはならず、裁判官が要請され選ばれた開廷の辞を述べなければ、発言や議論をしてはならないと命じ、さらに参審員に対して、許可なく座ったり立ったり話してはならないと命じた。さらに私は当裁判所の法に反するすべてのことを禁止することによって、定例裁判集会がそこなわれないようにすべきだと命じた。ところで、参審員諸君は、この定例裁判集会に罰令と平和が法にしたがって行使されたのか、告げてもらいたいと求められ、参審員はそのとおりだと告げた。。
 さらに裁判官は参審員に。わが女領主の統治権、わが慈悲深き領邦君主の代官の権限について、宣誓して告げるように求め、上級裁判所の参審員の判断によって、次のように述べられた。すなわち、本日および毎年3回、裁判管区の成人男性は代官の前に出頭して、管区内で他人に対して違法な暴力をふるう者のすべての違法行為を告訴すべきであり、重い刃傷、公然たる傷害、殺人、強姦、強盗, 家宅侵入、武力騒動、投石、道路封鎖、窃盗、略奪を告訴すべきであり、さらに平和を破るかもしれないすべての暴力事件を、上級裁判所は審理すべきである。もし何人かがその事件の背後に見つかれば、参審員は彼らに罰金を宣告し、フィリッヒのわが女領主の慈悲にゆだねることとする。
 参審員はフィリッヒのわが女領主を土地領主とみなし、鐘の音、地から天までの命令と禁令の権限をもつと認め、ケルンのわれらが慈悲深き領邦君主が寡黙な代官に対する権限をもつと認め、わが女領主が定例裁判集会を開くとき、代官は裁判官席の前に立ち、彼の剣に寄りかかるべきである。
 参審員が判決を告げ、代官が1人の参審員を指名すべきとき、代官は参審員にわが女領主に対する忠誠を誓わせるべきであり、彼の手を取って裁判席に座らせ、われらが慈悲深き女領主の裁判官が行使した罰令と平和において、必要と求めがあれば、代官は参審員を保護すべきである。
 われらが尊敬すべき女領主がケルンのわれらが慈悲深き大司教によって評価され、彼女の修道会が認められるなら、フィリッヒ修道院の臣民は、古くからの慣わしとしきたりにしたがって次のような宣誓をなすべきである。
 われわれ住民と臣民およびフィリッヒ修道院のいかなる成人も現在のわれらが尊敬すべき女領主に、忠誠を尽くし、悪意をもつことなく彼女に最悪を警告し、彼女に最善をなすことを誓って証書に署名する。この誓いを堅く守るために、神と聖人がわれわれをお助けくださいますように。

 7-4-5 ムッフェンドルフ Muffendorf (1551年)


  (ムッフェンドルフはボン市近郊のライン河畔の集落である)

 
 参審員は尊敬すべきジークブルク修道院長と教会に年3回の定例裁判集会の日を告げる。すなわち、第1回は白衣の主日(復活祭の翌週の日曜日)の次の月曜日、第2回は聖ヨハネの日(6月24日)の後の月曜日、第3回は主の公現の日(1月6日)の後の月曜日である。
 参審員は前記修道院長と教会に次のような範囲の権利を認めることを告げる。まず、ヴェルダー橋からライン川までの範囲では、馬に乗って弾丸を発射することができ、水が流れていない場所に限る。次は、そこからニーダーバッヒェムの山々を超え、ブリッタースドルフの教会内陣等を通り過ぎて橋を渡り、ライン川に戻ってくるまでの範囲である。ただし馬に乗って弾丸を発射することができ、水が流れていない場所に限る。上述の範囲内で荘園民は修道院長と教会に、自由な牧羊、自由な漁業、大型鳥獣を除く自由な狩猟を認める。狩猟の際に争いが起こり、誰かが死んだままの状態で、死者の身体の頭が向いている方角にある場所の領主によって、犯人が裁きをうけるべきである。修道院長と教会および荘園の荘園民に対して、4つの自由な道が告げられ、そのどれもが非常に広くて、馬に乗った騎手が幅16フスの道を、垣根や樹木にさえぎられることなく進むことができる。第1の道は、修道院長の家からライン川に向かってルムスドルフまでの道であり、修道院長は彼の馬を急がせることができる。第2の道は修道院長の館からニーダーバッヒェムの修道院長の館までの道である。第3の道はルクセンブルクの炭鉱への道であり、修道院長と荘園民が石炭を採掘する必要がある場合に行く道である。第4の道は、修道院長の館からメルゲンドルストに向かって新教会を通過してコッテンフォルストへの道へ進むべきであり、ケルン大司教領とノイエナール伯領との間に紛争が発生した場合、荘園民は彼らの家畜をコッテンフォルストへ妨げられることなく放牧することができる。シュヴァインハイムの住民は荘園民に家畜の通る道をあけるべきであり、彼らはコッテンフォルスルトにめ牛を放牧することができる。
参審員は、修道院長の荘園のすべての荘園民が彼らの屋敷の建築に必要な木を伐ることを認める。また何人かの荘園民が建築のための木を伐る必要があり、豚が森に入ったら、それをひき離した後に、誰にも損害のないように木を伐るべきである。参審員はまた、ジークブルク修道院長が上記の範囲内で稼働中の製粉所を荘園民のために維持すべきであり、製粉屋は3マルターの穀物を製粉して1ゼスターを得るべきであり、禁制圏内のあちこちで彼自身の袋に穀物を回収して、荘園民の家に粉をひき渡すべきである。もし製粉屋が荘園民にそうしたことをしなければ、荘園民は製粉屋の穀物袋を荘園廷吏とともに差し押さえ、その袋の容量が少なすぎて、足りなければ、製粉屋の馬を上記の廷吏とともに差し押さえて、修道院長の館へ連れていき、垣根につないだ後、馬をさらし柱に拘留し、1アイマ―の水を与えるべきである。しかし製粉屋が馬を放置して、注意を払おうとせず、馬が死亡したら、荘園民は耕地監視人を呼び寄せて、馬の皮をはぎ取って、さおにぶら下げるべきであり、荘園民に同様なことが起きるたびに、同じことをすべきである。ところで製粉屋がこうした事にしかるべき対応をすれば、参審員は彼の所で製粉する義務を負うが、荘園民が他の製粉屋で製粉したことを、この製粉屋が聞きつけたら、彼は公道でそうした粉を袋ごと取り上げて、この粉袋を地代として払う権限をもつ。
 

 7-4-6 ゴーデスベルク Godesberg (1577年)


  (ゴーデスベルクはボン市の近郊地区である)

 1577年聖ペトロの日と聖パウロの日(6月29日)の次の日曜日、7月3日、エッセンのわれらが女子修道院長のゴーデスベルク荘園で定例裁判集会が開かれた。参審員のヴァイストゥームが古いヴァイストゥームから書かれ更新された。エッセンの高貴で慈悲深き女領主に対してゴーデスベルク荘園の参審員は、彼女がゴーデスベルク地方行政区に自由荘園をもつことを認める。彼女はそこに3回の催促も命令もされない集会を、すなわちクリスマスの13日後の第2日曜日に第1回、復活祭後の第2日曜日に第2回、聖ペトロの日と聖パウロの日の後の日曜日に第3回の集会を開く。そのときは彼女に地代と借地料を徴収する権限を認める。すなわち、参審員は彼女の地代と借地料を彼女または彼女の家臣に対して聖マルティノの日(11月11日)のミサに納めない者がいれば、裁判官は彼の農地を差し押さえて、その後3つの集会で6週間に審理をおこない、参審員は彼女の地代を要求することを一致して認める。
 参審員はエッセンの尊敬すべき女領主に荘園からの歩道、すなわちアイサ―マースからライン川に至る小路の権限を認める。この道のりは非常に遠いので、彼女の従者は2アーマーのワインを、片手に1アーマーずつもつべきであり、船にワインを満載するまでの道のりは非常に遠い。
 ぶどう栽培の完全農民保有地は世襲地代の1アームのワインのほかに2羽の鶏、1ズマーのエン麦、16ヘラーの貨幣を納めるべきであることを、参審員は認める。
 さらに参審員は次のように認める。すなわち、垣根で囲まれた完全農民保有地をもつ者は、毎年世襲借地料として7ゼスターのエン麦のほかに7羽の鶏と20シリングの貨幣を納める。参審員は32モルゲンの世襲保有農地を1完全農民保有地と認める。
 参審員は次のように認める。すなわち、完全農民保有地の誓約荘園民が死亡したら、エッセンのわれらが尊敬すべき女領主に1フーダーのワイン死亡税が納められるが、それは彼女の慈悲しだいである。
 垣根で囲まれた完全保有農地を受け取った者が死亡したら、尊敬すべき女領主に5マルクで買える銀の犂が納められるべきである。
 参審員は次のように認める。すなわち、ぶどうが完全に成長したら、ボンの下方のラインドルフ橋からヴェルト橋までの4分の1ぶどう農地はどこでも1フーダーのぶどうを産し、尊敬すべき女領主に完全借地料を納めるべきである。ぶどうの3分の1または4分の1が成長すれば、3分の1または4分の1の借地料を納めるべきである。
 参審員は次のように認める。すなわち、エッセンのわれらが尊敬すべき女領主は、ケルンの司教に公然たる敵がいるときは、9名で城塞の見張りをおこなう義務を負う。司教は見張り役のために飲食、燃料、ろうそくを十分に注文し、火薬や弾丸も供給すべきである。領邦君主のために村民が出征しなければならないときは、ボンのザンクト・カシ教会の領主も軍用馬車と馬を注文すべきである。
 次に書かれているのは、9名の見張り役の名前である。
 参審民は9名の自由民を見張り役と認める。その名は、修道院長ヘス・ハイスターバッハの子息、ゲッテルト・ブッヒェルの子息、ザンクト・ヨーハン・コルドンの領主、マリエンフォルストの領主、バルトロメス・フォン・デア・ライエンの相続人の子息、ヨーハン・メッケンヘムの子息、ウィルヘルム・ヴォム・シュタインの子息、トリヒトおよびS. ジルヴェスター・カペルであり、これら9名の自由民はルンスドルフの教会の非常時の結束を固め、敵がいれば、次の3つの扉のかんぬきをかけるべきであり、第1のかんぬきはベストゲン・コステンの家にあり、第2は農地の溝に向かい合うマリエンフォルストの屋敷、第3は ブロッヒャーガッセンのティール・シェッファーの家にある。 
 参審員は一致して次のように認める。すなわち、ある荘園民が他の荘園民の領分を侵しても、そうした損害は損害とはいえない。
 参審員は次のことを法および当荘園の慣習として認める。すなわち、荘園民は彼の荘園農地を売ろうとする場合は、荘園民より前に、まずそれを自分の土地とみなす領主に対して提供を申し出るべきである。当領主がその農地を買おうとしない場合は、他の荘園民が介入して、提供された農地を買いとることができる。そうすれば農地は荘園民と荘園のもとに残される。しかし荘園民ではない外来者が農地を購入したら、領主には農地を取り戻すのに150年や100年はかかることになる。
さらに参審員は次のように認める。すなわち、ゴーデスベルク村民とマリエンフォルストの修道士会の家畜放牧をアウセンヴェークを通ってホムリヒツ・ホレに沿ってコッテンフォルストまで一緒におこなうべきである。
 最後に参審員は当荘園を自由と認め、不幸にも殺人をおかし、当荘園に来ることができた者は、6週と3日の間自由を得るべきである。彼がその期間の経過後に自由な通りに3フス出て、捕らわれることなく再度荘園に戻れれば、再度3週と3日の期間の自由を更新すべきである。

 7-4-7 エンデニッヒ Endenich (1557年)


  (エンデニッヒはボン市西側の近郊)
 
 参審員は、当荘園に属する正規の4つの羊毛取引農場は、いかなる権利をもつのかと問われた。それに対して参審員は、次のように認めた。すなわち、4つの羊毛取引農場のうち1つはカルトハウゼンの農場であり、いかなる農場の持主も雄羊1頭を含む30頭の羊をそこで飼うことができる権利をもっている。これらの農場は厩舎を建てて管理すべきであり、わが尊敬すべき首席司祭がいつでもそこに2頭の馬を飼い、2つの出入り口を設けて馬を世話する使用人1人を雇うことができるようにすべきである。
 いかなる荘園民が死亡した後も、彼に最も近い相続人が農地の最も多くの危険をひきうけ、その農地を受け取るべきであると、告げられた。
 参審員は次のように認めた。すなわち、わが尊敬すべき領主たる首席司祭にはいかなる新荘園民からも、土地受領権に対して納められるべき2倍の地代が手数料として渡される。さらに裁判官には4アルブスで1フィアテルのワインを買って納め、参審員には証書料1ラーダーアルブスを支払い、そのほかにハム、パンおよびチーズを納め、廷吏には1ペニッヒを1ラーダーシリング貨で納めるべきである。
 農地を売り、その持ち主を変え、または分割し、移転し、または農地に負債を負う者は、その領主に罰金を負い、参審員は誓いを破った者を名誉なき者と認め、彼の名誉を失った農地はわが尊敬すべき領主たる首席司祭に没収されるべきである。
 農地が禁止または差押えされたら、14日おきに1回、2回、3回、裁判所で2人の参審員に訴えて、4回目の訴えの際に7人の参審員に事情を知らせて、法にしたがって農地についての審理を決着すべきである。
 ある農地が差し押さえられ、救済を求めて訴えをおこす者は、審理のために廷吏をつうじて7人の参審員に知らせ、14日おきに彼の窮状を訴えれば、全参審員によって最終判決が述べられるべきである。そして参審員の判決に不満ををもつ者は、ボンの市中にあるミュールハイムの裁判所にしかるべく上告することができる。
 相続人とみなされる者が訴えをする場合は、訴えを聴取される前に、まず相続税と諸費用を納める保証人を設定しなければならない。農地をめぐって争う当事者双方が、正規の相続人であるか否かにかかわりなく、農地を受け取るには2倍の地代を払い、両者とも法にしたがって保証人を設定する義務を負う。

 7-4-8 ブッシュオーフェン Buschoven (1547年)


  (ブッシュオーフェンはボン市近郊の集落)

 1547年4月25日参審員全員と全村民はディーキルヒェンのわれらが尊敬すべき女領主を土地領主と認め、荒蕪地内の所有を彼女の財産と認める。
 さらにわれわれはわれらが最も慈悲深き領主にブッシュオーフェンの世襲代官の権限を認め、今日ブッシュオーフェンの統治領内における水の流れ、鐘の打ち鳴らし、首とはらわたに対する裁き、すべての暴力沙汰の刑罰およびいかなる者であれ参審員に判決をおこなわせることを世襲代官に帰属する権限とみなす。
 死刑に相当する罪を犯した者は、世襲代官が捕らえさせるべきであるが、彼の従者が弱すぎる場合は、われらが尊敬すべき女領主の荘園のさらし台に彼を引き渡すように村民に呼びかけるべきであり、彼を3日3晩見張るべきであるが、それより長くは見張らなくてもよい。われらが最も慈悲深き領主はさらし台をよく守り、われらが慈悲深き領主たる世襲代官は期間内に彼に従う刑吏、さらに絞首台と刑車、犯罪者を処刑するために必要とするものを手配すべきである。
 もし彼が非常に裕福であり、金銭で自分を弁護できるなら、われらが尊敬すべき女領主はその3分の2を取得し、世襲代官は3分の1を取得すべきである。しかし彼が処刑されたら、われらが尊敬すべき女領主は3分の2、世襲代官は3分の1を返すべきである。
 われわれはブッシュオーフェンの統治領域内に4つの自由荘園、すなわちわれらが尊敬すべき女領主の荘園、われらが慈悲深き世襲代官の荘園、マイルの貴族領マルグレーテン・クロイメルスの荘園、ハイデンホーフと呼ばれる礼拝堂の荘園を認める。荘園は冬と同じ数の家畜を夏にも飼うことができる。領主の命令がなければ、他の村民も30頭の羊と1頭の雄羊および1頭のthonnesを飼うことができるが、それ以上飼ってはならず、14日以内に超過分を廃棄するように彼に言うべきである。廃棄しなければ、世襲代官は参審員が法として告げる罰を科すべきである。
われわれは村落を自由村落とみなし、パンを焼き、醸造し、酒樽の栓を抜き、エレ尺で測り、商売をおこなう権限を認める。村に来て商売をしたいとおもう者は、家を取得することができ、領主の通りの家並みの好きな場所で商売をすることができ、世襲代官の命令権をもつ者に計量器と秤を求めるべきである。彼らが非常に尊大で、計量器を与えたくなければ、彼は籠の中を探って、誰もが与えそうな物を与えるべきである。彼が処罰に値することがわかれば、世襲代官は、参審員が告げる法にしたがって、彼を罰するべきである。商売をする者は、定例裁判集会ごとに計量器または秤を裁判所に持参すべきであり、飲食店主がワインであれビールであれ他の樽をあけるたびに、彼は参審員が買って飲んだ後に誓約による認証をするように求めるべきである。その際、半クヴァルトと1 ヴェックを彼らの手数料とすべきである。参審員が認証したより高い値段で飲食店主が酒類を売ったら、世襲代官は参審員が法として告げる罰を彼に科すべきである。
 われわれは教会のすべての応急建築、壁や格子戸等の補修、村民のために必要なものすべてをモーレンホーフの共有地で伐採すべきであると告げ、ブッシュオーフェンの村民はモーレンホーフの裁判官と廷吏にそれを求めるべきであり、彼らがそうしようとしなければ、ブッシュオーフェンの村民は木を伐採に行くべきである。彼らに役立つものが横たわっている場合は、伐採してはならず、そうでない場合は、彼らの建築に役立つものをできるだけ害のないように伐採すべきであり、それを拒む者がいれば、われらが尊敬すべき女領主と世襲代官がそれを阻止すべきである。
 われわれはモーレンホーフ統治領からわれらが尊敬すべき女領主の採草地に沿って川と村を通り抜けて柳の木の下まで通じる道を自由道路と認め、その道幅は1測量ルーテとすべきである。道のあまりに近辺で耕作したり溝を掘る者が訴えられたら、14日間でそれをやめるように命令すべきであり、彼がしたがわなければ、世襲代官は、参審員が法として告げる罰を彼に科すべきである。ブッシュオーフェンのわれらが尊敬すべき女領主は彼女の土地の3種類のマンデマを開放すべきであり、いかなる村民も彼の耕作や必要のためにそれを採ることができる。われらが尊敬すべき女領主の耕地とわれらが慈悲深き領主の耕地との間に石があり、参審員はそれを審問中である。
 われわれはブッシュオーフェンの村民に叢林と農地に放牧する権限を認め、いかなる者も彼らに損害をもたらしてはならない。まぎらわしい場所で育てるものを一緒に放牧したり飼育したりしてもよく、家畜の群に入れてもよい。
われらが慈悲深き世襲代官またはその命令権の保有者である役人または荘官は 前述のヴァイストゥームを文書に記し、1フィアテルのワインを得て、誓約荘園民の権利であるすべての定例裁判集会の記録を作成すべきである。すべての定例裁判集会には誓約荘園民と村民が命令されなくとも出席すべきであり、出席しない者は罰金を科せられる。ディートキルヒェンの荘官はわれらが尊敬すべき女領主に代って、前述のヴァイストゥームについて、古い登録簿によれば水の流れと鐘の打ち鳴らしおよびすべての暴力事犯はわが尊敬すべき女領主と修道院参事会の権限に属すると、抗議した。参審員はこれに対して次のように述べた。すなわち、裁判所は久しく平静を保っているので、われらが尊敬すべき女領主を苦しめるかもしれないような知らせがあるのか、彼らにはわからない。
 参審員は法として次のように告げる。すなわち、農地をもち、地代を正しく納める義務を負いながら支払わない者は、廷吏によって農地を差し押さえられ、さらに2人の参審員によって6週の3日の間差し押さえられ、それでも支払わなければ、わが尊敬すべき女領主の他の農地とともに彼女の犂によって耕され、教会でパンのように競売されるべきである。1年と1日以内に相続人が現れ、明確に費用と貢租を払えば、彼は農地を守るべきである。しかし相続人が現れなければ、農地は失われる。
 ディーキルヒェンの修道院参事会の弁護人は、次のように述べた。すなわち、このヴァイストゥームにおいて世襲代に認められていることにかんして、参事会の古い本にも世襲代官に認められているとわかり、女領主と参事会の名で実行すべきである。
 最後に、ブッシュオーフェン村の古いヴァイストゥームからの抜粋。上記の参審員はモレンホ-フェンとブッシュオーフェン両地の司祭である私ニコラウム・フィンツィングによって書記に指名された。1602年12月5日に提出された写し。

 7-4-9 モーレンホーフェン Morenhofen (1463年)


  (モーレンホーフェンはボン市近郊の森林地域)

 われわれはケルンの聖なる教会の神の恩寵により選ばれた神聖ローマ帝国の選帝侯であられるヴェストファーレンとエンゲルン等のループレヒト公に、モーレンホーフェンの森で森林裁判集会がわれわれの親しい友の出席のもとで開かれたことをお知らせする。その文書によれば、次のように記されている。
 すなわち、われわれヘンツゲン・ミルクリン、ミヒェルゲン・ファン・ドライゼ、ヨーハン・ショルツ、ハインリヒ・シュローダー、ヨーハン・ゴスヴィンス、クライス・ファッシェンダーはモーレンホーフェンの参審員であり、他の参審員と共同ですべての人々に次のように知らせる。すなわち、選ばれたヴェストファーレンとエンゲルンの公爵にしてわれらが敬愛する君主たるケルンの聖なる教会のループレヒト侯は、本日付で彼の親しい友である騎士ディートリッヒ・ファン・プレッテンベルク、貴族領主で侍従長のディートリッヒ・シェルフゲン、ボンの参審員であるヘンリッヒ・ファン・へーンゲンとペーター・ファン・レンシュタインの両氏とともに、モレンホーフェンの地方官である騎士ヨーハン・ファン・デム・メネヴェークの同席のもと、モレンホーフェンの森における幾つかの犯罪にかんしてなされた訴えを受け取った。この問題についてモレンホーフェンの裁判官の指示によって森林裁判集会が開催され、以下のように、われわれに対して判断が求められた。
 まず最初にモーレンホーフェンのわれらが裁判官はわれわれ参審員に、この森林における裁判集会は誰の権限に属するとみなし、それに参加し、聞く資格をもつのは誰かと尋ねた。われわれはそれに応えて、ケルンのわれらが慈悲深き君主が常に当森林における裁判集会を開催し、森林の権利保有者は常に出席すべきであり、われらが慈悲深きherrenが聞くべきであると告げた。そこで裁判官は法にしたがい使者を森林用益権保有者者に送り、森林権保有者がやって来て、われらが慈悲深き君主の裁判集会に参加すべきだと伝えたところ、森林権保有者の裁判官ヘンリッヒ・コーターとヘンリッヒ・ファン・モーレンホーフェンが来て、森林権保有者に代って答え、森林権保有者はわれらが慈悲深き君主の裁判集会で困ったことはいまだかつてないと述べ、われらが慈悲深き君主の裁判官と参審員にそのことを納得させ、この裁判集会に同席する騎士ヨーハン・ファン・デム・メネヴェークと前記の侍従長ディートリッヒ・シェルフゲンにそれを知らせて森林権保有者の裁判集会をともに開くように協力すると告げたところ、彼らはこれを新しいことと考えた。裁判官はわれわれ参審員に、われわれが新しいことを告げるのか否か、尋ねた。われわれはそれに応えて、次のように告げた。すなわち、かつて告げたことを変更することなく、われわれの先人や祖先から伝えられてきた古くからのしきたりどおりのことを告げ、何も新しいことを告げるわけではない。
さらにわれわれは、次のように尋ねられた。われわれはこの森林でわれらが慈悲深き君主にいかなる権限を認め、この森林の放牧を誰にいかに認めるか? われわれはケルンのわれらが慈悲深き君主を首とはらわたに対する裁きをおこなう土地領主および権力領主と認め、さらに森林における最高森林権保有者と認め、また彼の慈悲によって命令と禁令を発する権限を認める。参審員はこのように法を告げた。われわれはさらに次のように告げた。すなわち。この森林にどんぐりの実がなる区画があれば、廷吏はブッシュオーフェンの2人の参審員とともに、放牧によってこうむるかもしれない損害を森林で監視すべきであり、そのために彼らがなすべきことを五人衆に宣誓して誓うべきである。われらが慈悲深き君主または彼の代理人をつとめる役人は防護柵の支柱について森林権保有者と協議すべきである。彼らが支柱を伐採しなければならないときは、そのための木を御料林で伐るべきである。しかし彼らがその支柱を別に得たい場合は、われらが君主は彼の木を彼の御料林で伐らせ、森林権保持者は共有林で彼らの木から支柱をつくり、豚が放牧されたら、どんぐりを得られるかぎり、6週間放し飼いされるべきである。どんぐりが得られなくなったら、われらが君主または彼の役人と森林権保有者はその後の期間を短縮することができるが、6週間より長くどんぐりを得られるなら、その期間を延長することができ、森林にもはやどんぐりがなくなったとわかれば、調べて豚を追い払い、2-3頭の豚が排除されたら、柵の支柱はこわされるべきであり、食物はモレンホーフェンの住民だけに残されるべきであり、さらに森林で放牧する者がいれば、われわれ参審員はわれらが君主への償いを強制すべきであると告げ、夜間森林にいない者は昼間もそこにいてはならず、冬にそこにいない者は夏もそこにいてはならない。また支柱はわれらが君主のモレンホーフェンに属する4つの境界石内の領域以外のいかなる場所にも作ってはならず、森林権保有者の一部の支柱にしかるべき数を上回る超過が生じたら、ケルンのわれらが君主に罰せられるべきである。われわれはこれをわれわれの先人と祖先から受け継いだ古き法としきたりして告げる。われわれはさらにケルンのわれらが君主に森林の3分の1を認め、われらが君主と森林権保有者が森林を伐りはらうことになったら、土地と幹はわれらが君主だけのものとして残り、オークの木は森林権保有者のもの、草はモーレンホーフェンの住民のものとなる。風で木が倒れたら、モーレンホーフェンの小屋住農は、家にもち帰ることができる。ただし、森林権保有者によって追い払われても最初から最後まで荷を下してはならない。教会、耕区、家財, 橋に、あるいはモーレンホーフェンの補修に建材の必要が生じたら、住民は森林の共有地で木を伐ることができ、いかなる者もそれを変更してはならず、変更がおきたら、われらが君主はそれをやめさせるべきである。またわれらが君主または彼の代理人としての役人は、この森林で森林監督をつとめるべき警吏の任免権をもち、森林権保有者も共有地で警吏を雇うべきであり、それゆえ警吏は森林権保有者にもわれらが君主または彼の役人にも宣誓をおこなうべきであるが、ただし前述のすべての条項においてわれらが君主の森林とは区別され、君主林は彼の慈悲のみにしたがうべきであり、条件付きで騎士ヨーハン・ファン・デム・メネヴェーク殿の指示にしたがって彼の処罰権に服する。
 これらすべての条項と問題をわれわれ参審員は文書に記した。われわれは自分の印章をもっていないので、・・・・。1463年におこなわれ・・・、われわれはそうした主要文書を残して、・・・・・ボンで1463年にループレヒト侯にこの文書を納めた。

 7-4-10 アントヴァイラー Antweiler (1401年)


  主の名においてアーメン。この公的な規則をすべての個人に知らせ・・1401年・・・・・後述の健全かつ誠実なわが証人たが命令によって召集され、彼らの同席のもとで、尊敬すべき女領主、ケルン選帝侯国内にあるボンの市壁外のディートキルヒェンのザンクト・ベネディクト修道会のリザ・ファン・ヴァッヒェンドルン女子修道院長は、一方の側に前記ディートキルヒェンに忠誠を誓うパヴィーネ・ファン・ノイエンキルヒェン、ヴィナンデ・ファン・フルスハイムおよび騎士オッテン・ファン・ヴァッヒェンドルンの諸氏を伴って、またその他方の側にアントヴァイラーの村落と村民の参審員であるヴィーリッヒ・ファン・アントヴァイラー、ヘンツェ・コルネンバッハ、ラルギン・ファン・ベシュート、イングブラント・ブランツを伴って立ち、上記アントヴァイラーの参審員たちが現在の女子修道院長とディーチキルヒェンの修道院に宣誓をした後、前記の尊敬すべき女領主は裁判官のヘルマン・Rをつうじて、参審員たちに次のように尋ねた。すなわち、彼らは現職の女子修道院長とディートキルヒェンの修道院にアントヴァイラーの村落と統治領に対するいかなる法を認めるか、また彼らはアントヴァイラーの代官オッテン・ファンメッテルニヒにいかなる法を認めるか? 彼らは宣誓した後、現在のリザ女子修道院長は尊敬すべき女領主と彼女の修道院の名においてそれにしたがうべきことを知らせようとした。そこで参審員たちは協議を求め、協議が認められると、想定どおり、協議のためにどこか片隅へ行き、その後戻ってきて、各自が一致して女子修道院長とディートキルヒェンの修道院に、脅迫や強制によらず、気前の良い贈与にもよらず、純然たる真実のために彼らの魂と宣誓を守ることを誓ったうえで、尊敬すべき女子修道院長とディートキルヒェンの修道院に対して下記のように言明し告げた。
 まず、4つの沼沢地のなかのアントヴァイラー村の所有、身分の高低、地から天まで、鐘の打ち鳴らし、すべての命令と禁令、水と牧場、すべての暴力事犯を彼女と修道院の権限と認める。また当地の水と牧場を利用する住民全員はディートキルヒェンの女子修道院長に従い、4つの沼沢地内で彼女の統治を守り、彼女の財産を保護する必要が生じるたびに、彼女が助力を命じたら、その命令に従うべきである。もしそうした助力をおこなわない者がいれば、ディートキルヒェンの女子修道院長の手で罰せられるが、それは彼女の慈悲しだいでもある。さらに参審員は宣誓して次のように告げた。すなわち、アントヴァイラーの男または女が4つの沼沢地内で捕らえられ、生命にかかわる罪を犯したら、女子修道院長のさらし台と牢獄に入れられ、そうした犯罪人の命をアントヴァイラーの代官オッテン・ファン・メッテルニヒが金銭その他によって赦免したら、犯罪人が代官に納める金品の3分の2は女子修道院長、3分の1はアントヴァイラーの代官のものとなる。
 さらに参審員は宣誓して次のように述べた。すなわち、彼らがこれら前述のような法の宣告と知らせについて語り告げたのは、生命、悲哀、贈与、友情、血縁、不安、恐怖、気前良さ、憎悪、好意、嫉妬のためでもなければ、真実を妨げたり傷つけたりするためでもなく、純粋に正当な真実のために宣誓をおこない、これらはすべて彼らの先人や祖先から受け継いできた古きしきたりについて理解し、聞いていることの宣告である。

 7-4-11 フラウエンベルク Frauenberg (1559年)


 (フラウエンベルクはボン市の西方オイスキルヘンの近くにある)  
 これはヴァイストゥームであり、古くから伝わる法である。われらがフラウエンベルクの教区全体の隣人たちの共同体はわれわれの祖先から昔も今も教区全体の臣民によって毎年共同の教区裁判集会において罪を弾劾し、固有の法のために常に維持されてきたし、今日なお維持されている。
 まず最初に、われわれは次のことを真実であると述べる。すなわち、水の流れ、鐘の音、フラウエンベルク教区の道と小道は、天から地まで自由であり、いかなる領主の命令と禁令にも拘束されないなどと述べることは、いかなる時代にもわれわれの祖先によってはばかられてきたし、そして今なお毎年教区裁判集会でもわれわれによってはばかられている。
 第2に、次のことは真実であると告げられる。すなわち、イエス・キリストの母であるわれらが敬愛する聖母マリアと騎士・聖ゲオルギオスはこの教区の土地領主であり、彼らのために、また彼らに代って、気高く高貴な生まれのユーリッヒ公は、あらゆる権力を行使し、いかなる暴力も加えず、臣民を守り庇護する教区の保護主とみなされ、聖母マリアと騎士・聖ゲオルギウスに報えるように、われらが慈悲深き君主および領主に代ってブルヘム荘園を庇護のもとに置くことが命じられる。
 第3に何らかの悪事がおこなわれ、悪事をはたらいた者を、君主の慈悲により、その行為に応じて罰することになれば、古くからの慣わしどおり、ブルヘム荘園はわれらが君主に代って罰するべきである。
すべての領主農地は領主みずからの権限で譲渡される。またすべての自由農地は自由に譲渡される。全教区民は、教会の裁判権と命令は昔から常に当教区内に向けて適用されてきたことを確認する。しかし、今までボンの上級世俗裁判所から何らかの命令または強制文書が当教区にもたらされたことなど、いかなる者も知らない。ただ最近2-3年以内にヴィルヘルム・エスラーと彼の息子ペーターによってボンからの命令が口実として用いられ、取り下げられたことはあった。
ブルヘムの尊敬に値する貴族領主フランス・ホムペッシュはわれわれ隣人共同体に対して、何が彼のlに属するのか知るためにヴァイストゥームと法を求めた。それに応えてわれわれ一般教区民は、彼のl.に同意して、これをもって彼のl.がヴァイストゥームの言うところと内容にしたがって、われわれの法によってわわれを扱い、われわれの法を守ろうとすることに同意する。私、貴族領主フランスは、おこなわれたとおり認め、教区民に彼らの法を守ることを誓い、これを真実の確認書とするため、私は私の印章をこの文書の下部に添え、全教区民がそうしたヴァイストゥームを遵守しようとするなら、私は教区民が教会の印章もこの文書の下部に添えることを要請し、われわれ教区民はそれが本物であることを認め、われわれの司祭ヤーコプ・フュルセント師にこの文書の下部に教会の印章を添えるように願い、私ヤーコプは教区民の願いを実行した。これは1559年7月16日におこなわれた。尊敬に値する貴族領主フランス・ホムペッシュによって決裁され、フラウエンブルク、アールヴィヒトリッヒおよびイリッセムの村民たちによって、次のことが同意された。すなわち、ある村民は他の村民を教会の法によって受け入れてはならず、その場合、自由農地に住む村民は、ブルヘムの領主に届け出がなされるべきであり、ヴィヒトリッヒ、エルヴェニッヒあるいはフラウエンブルクのいずれに住む願いが出されようとも、領主はそれに応じることはできず、法を守るべきである。


 7-5 アイフェル、ルール川およびマース川の間


 7-5-1 ガイゼレン Geyselen


  (ガイゼレンは旧ケルン大司教領の小都市ケンペンの近傍の集落)

 これは、ネルゼン川此岸のガイゼレンの地域と村域にケルンの大司教がもつ法であり、それはケンペンの地域で参審員と長老たちが告げ、古くからのしきたりとして伝えられたものである。
 第1に、ケルンの大司教はこの地域と村域における最高位の領主であり、上級裁判所は彼のものであり、ケンペンの地方官はケンペンの参審員とともにガイゼレンのすべての代官裁判集会に馬に乗って行き、最高領主として出席し、代官裁判集会は年3回隷属民によって開かれる。
 2. ケンペンの地方官はガイゼレンの教会の前で当地の隷属民とともに4夜ごとに裁判集会を開き、裁判で提出された金額から、地方官は2ペニッヒ、ヴァハテンドゥンクの領主は1ペニッヒを徴収する。
 3. 身体刑に相当する不法行為をなした者が、ガイゼルン地域のネルゼン川の此岸で捕らえられたら、垣根の灌木林へ連行され、そこで地方官は犯行者を受け取り、さらに処刑をおこなうべきである。
 4. ガイゼルン村でネルゼン川の此岸に住む住民は、ケンペンの鐘の音で出動し、日の出から日の入りまで、古くからの慣わしどおりに、地域を守るために協力すべきである。
 5. ガイゼレン村において選ばれる村長は、ケルン大司教または彼の代理を勤めるケンペンの地方官に忠誠を誓い、同じようにヴァハテンドゥンクの領主にも彼の法を守ることを誓うべきである。
 6.ガイゼレン村の村長に苦情がある者は、彼の苦情について教会の前で法にしたがって裁判をおこなうべきである。
 7. ヴァハテンドゥンクの領主は、ネルゼン川の此岸のガイゼレン村にもつ統治権を、ケルン大司教からの授封として受け取るべきである。

 7-5-2 ドライボルン Dreiborn (1419年)


  (ドライボルンはベルギー国境付近のモンシャウに近い集落)

 最初にドライボルンの集落の上に伯爵の泉という名の泉があり、そこに4人のla領主が一つのテーブルに座ることができ、どの領主もその支配領域をもっている。
 泉からドライボルンの支配領域が出発し、そこに・・・イヒツェンという名の沼地へ・・・・さらにディーファンバッハ川まで進み、そこでヴォールザイフェン方面に向かって道路を外れ、さらに再び道路に戻り 、モルスバッハを通過する道を通って旧モルデン川へ、さらにランツバッハ川を下ってオレフ川へ、オレフ川からオルフト川へ、オルフト川からヴァーレンバッハ川へと進む。これらの河川と漁業の権限はドライボルンの領主にあると認められる。さらにヴァーレンバッハに沿ってベルガースフェルトの緩斜面へ、緩斜面から ベルガースフェルトを越えホイネスザイフェンの緩斜面へ登り、ホイネスザイフェンをザイルバッハ川へ下る。ザイルバッハ川を下りオレフ川へ向かいオレフ川の橋を渡り、オレフ川をシュライテンのオリックス製粉所あたりまで登っていき、シュライテンの菜園を通過して一番前の門へ急ぐと、そこにフランケン門と呼ばれる門があり、その門は2.5フスがドライボルンの統治権に属する。そこで水流の方へ向かい、水流をオリックス製粉所の方へ登っていき、ヴァイアー製粉所の下で採草地を急いで通過してヴァイアー製粉所へ入る。木製歯車は3フスがドライボルンの統治権に属する。シュライデンの領主がヴァイアー製粉所からドライボルンの領主に毎年18ペニッヒの地代を納めるべきであるが、可能なかぎり地代を彼らの協議で決めてもよい。ヴァイアーから水流はアイヒハルト川に沿ってカッツェンサイフェンまで進み、カッツェンザイフェンを井戸まで登って行き、沼沢地の道路沿いの国防要塞の上にさらにもう一つの井戸があり、そこからさらに上述の伯爵の泉に戻る。
 以下で取りあげるのは、領主の統治権と領民の権利にかんする問題である。
 まずドライボルンの領主はドライボルンの前述の周辺地区と領域において権力をもつ領主と認められ、ドライボルンの領主は領域の古いしきたりのとおり、裁判の判決にしたがって首とはらわたにに対する処刑をおこなわせることができ、神の定めによって、不祥事または殺人が、当領域の男系世襲農地または他の農地において起きるなら、それはドライボルンの領主の前に召喚され非難されるべきであり、上級裁判所は鐘の音と鳥のさえずりとともに、水の流れとともに、前述の当周辺地区におけるすべての漁業とともに、領主の権限として認められる。いかなる者もドライボルン統治権の領域内で自由農地をもってはならない。ただし、ドライボルンの領主が有する自由を彼から得ることを知りうる男系世襲農地は、その限りではない。さらにドライボルンの領民は遠方ではなく最寄りの領主に奉仕し、ユーリッヒの領邦内ではドライボルン荘園でワインと穀物を荘園の必要のために収穫し奉仕すべきであり、領主はそれらを売るために道をつくってはならず、さらに領民はモンシャウの森で木を伐採してドライボルン荘園の必要のために運び、領主は叢林を開放すべきである。荷馬車1台の木材を運ぶ者には白パン2個、手押し車1台の木材を運ぶ者には白パン1個を与えるべきである。さらに、ドライボルンには自由ワイン店があり、領民は結婚式のたびに荷馬車2台分の木材をそこに運ぶべがである。荘園の前には門があり、そこに住む者には、結婚式の日に荷馬車1台の木材を運ぶべきである。
 領民は領主に彼の干草を刈り、作り、搬入すべきであり、領主がそれを利用できるように、領民は誠実に干草を作り搬入すべきであり、いかなる村も、どこへ行って、干草を刈って作るべきかを、わきまえており、彼らには古くからの法または慣わしとして荘園で飲食がふるまわれ、それを快く受け取るべきである。
 さらに、上述の土地は任意利用地である。すなわち、広範囲の土地を耕す者が、そこで焼き畑をおこなうなら、参審員はその農地を任意利用地とみなす。もし耕作が再度休止して、隣人の家畜が以前と同様に放牧されたら、耕作は再度放棄される。しかし彼が彼の鴨や山羊を飼い、犂で耕さないなら、その土地は任意利用地のままである。ある農地を分けて、その一部を焼き畑、他の一部を任意利用地として、焼き畑を交互にくりかえせば、任意利用地もまたくりかえされる。さらに参審員が、ドライボルンの農地を自由な開放地とみなせば、いかる者も必要に応じて今日そこに入って、明日出て行くことができる。その場合彼が明確な理由によって領主に負債を負っていたなら、彼はまずそれを完済すべきである。参審員は次のように告げる。すなわち、飲物であれ食物であれ、いかなる者もなしうる苦情さえなければ、ドライボルンの領域で誰でも売買をすることができる。彼は代官裁判集会の日に飲物または食物の彼の枡を裁判所に持参すべきである。そうしない場合は、参審員はそれについて警告を発して、領主に対しておこなった違反行為を尋問すべきである。いかなる家の住民も知っている2つの製粉所が領内にはあり、彼はそこで製粉すべきである。領域外へ出て製粉する者がおり、製粉屋がそれについて知れば、彼は袋と馬を奪い、馬を領主に供与し、製粉屋は袋と粉を得ることができる。領内の製粉屋に製粉してもらう者は、製粉屋にしかるべき製粉料を納め、さらなる違反をしてはならない。製粉屋にはそのような自由が認められているかわりに、彼は領民のために製粉をおこなう義務を負い、領民のために役立ち、苦情を言われるようなことがあってはならず、領域外の者よりも領民のために優先的に製粉すべきである。製粉屋は代官裁判集会の日に彼のフィアテル枡とシュッテル枡を提出すべきであり、6シュッテルは1フィアテルに相当すべきである。製粉屋は製粉料を受け取ったら、手押し車の上に道具を置くべきであり、手押し車の下に置いてはならない。製粉屋がこうしたことをきちんとやりとげず、その一つでも、またはすべて怠ったら、領民が訴えて、参審員は彼が違反したことについて尋問するように催促される。
 いかなる領民も代官裁判集会に出席し、領民にとって有害で、領主によって罰せられることを届け出る義務を負う。領民がこれに反して出席しなければ、裁判官によって7.5シリングを科せられる。
 参審員は代官裁判集会に出席すべきである。彼が出席しなければ、領主によって5マルクを科せられる。彼の消費が非常に大きい場合は、領主は参審員に当日飲食を提供すべきである。参審員は次のように告げる。すなわち、裁判官は最も重要な5マルクの飲食を得るべきであり、その大部分は代官裁判集会に充てられる。参審員が飲食をすれば、領主から5レーダーシリングを得るべきである。5マルクが消費に充てられれば、そのうち参審員は5レーダーシリングを得るべきである。領域内には家庭や森林があり、領主はその主人であり、領民も領主と同様にその主人であるが、両者には違いがあり、領民が建築を必要とすれば、領主または彼が任命した指揮官に許可を求め、領主にその権利を認めるべきである。領主が領民に許可を拒んで与えようとしなければ、領民は参審員のもとに行き、彼の建築の必要を検分してもらうべきである。参審員は、彼に許可を与え、領主またはその代理人にはそれを保持すべきである。
 

 7-5-3 オーレフ Olef (1546年)


  (オーレフは前記ドライボルンの東にある)

 これはオーレフの聖なる教区裁判集会のヴァイストゥームであり、立派な裁判がそこでおこなわれ、古くからの伝統をもっている。まず、われわれ参審員は、ドリムボルンの裁判集会を命じるわれらが貴族領主がオーレフの教会の寄贈者であり、土地と領民に対する領主、水の流れ、ミサの進行、鐘の響き、聖歌隊の歌に対する権限をもつ領主であると言明する。彼はまた司祭を自分の思いどおりに任命する権限ももつ。司祭に任命された者は、聖なる郷と教区全体の法皇、司教、保有者であり、いかなる問題であっても違反があれば、罰する権限をもっている。
 [鞭、はさみおよび戦いが何を意味するかという認識]
罰せられるべき違反者が不従順で、贖罪と刑罰の鞭打ちに服さないなら、司祭はドリムボルン荘園の領主にそのことを通告すべきであり、彼ら2人は協力して、二つの柄の付いたはさみで切るのと同様に、それぞれが互いに協力して、不従順な者に罰金と刑罰に服するように警告を発すべきである。それでも彼が不従順であるなら、卑しい輩を人間から除去するする戦いと同様に、全村民から彼を切除し除去すべきである。
 これは司祭に十分の一税が帰属する法の正当性である。
 まず司祭は畑のすべての作物の十分の一を得るべきである。十分の一税が変動しがちであることはわれわれ参審員には周知のことである。菜園にわずかな亜麻が育っても、司祭がその十分の一税を得る資格をもつことは、われわれに周知のことである。
 子羊が登録簿に記載されていれば、司祭はその十分の一税を得るべきであり、厩舎に2-3頭より少ない子羊しかいなければ、任意に子羊を得るべきである。しかし厩舎に10頭いれば、飼育者は登録簿の頭数にしたがって最初の1頭を徴収すべきである。しかし1頭しかいなければ、大小にかかわらず、聖ミカエルの日(9月29日)のミサの頃にそれを得るべきである。司祭は子豚の十分の一税を、前述の子羊の場合と同様に、母豚から離れたときに、得るべきである。
 司祭は、祝日の薪のために荷馬車2台分の木を伐るべきであり、それについて廷吏は次のように指示するべきである。すなわち、彼が木を伐らせる場合、それによって村民が苦情を言ったり、また領主が罰したりすることがないように配慮すべきである。われわれはフッデルブッシュunter dem wegに対する領主の権限を、他の鳥獣に対する権限と同じように認めるが、司祭は彼の燃料のためにそこに利用権をもつべきである。司祭館に属する土地と採草地は、われわれに周知のことである。貢租、地代およびその他の支出を、司祭は支払うべきである。司祭は2組の猟犬を飼い、2つの網もち、時折1-2頭のうさぎを捕えることができるが、ノロジカが網にかかったら、司祭はそれを捨てることなく、領主のご慈悲にしたがうべきである。司祭は教会から橋までの水流を漁業に利用すべきであり、良き友が来訪して、鯉を得ようとしたら、恩恵により問題なく捕らえることができる。
子どもが神聖な洗礼に来れば、司祭は洗礼から1シリングを得るべきである。女性が教会へ出かけ、導きをうける場合、司祭は1シリングを得るべきであり、それは本教会以外では認められず、礼拝堂で祝福をうけることが司祭によって許可される。復活祭の神聖な秘蹟に行く教区のいかなる子どもも、彼の司祭に懺悔するべきであり、懺悔料として古い1モルゲン鋳貨を納める義務を負うが、それ以上納める場合は包装してはならない。復活祭の神聖な秘蹟をうけたいかなる者も、復活祭、精霊降臨祭、聖母マリアの祝日、クリスマスの4つのいかなる祝日にも自分の供物として2ヘラーを持参する義務を負い、病弱その他のために、供物を自分で持参できない者は、その供物を他人に託して送り届ける義務を負う。病人のもとへ神聖な聖体をもって行く場合は、彼の見舞いと健気さに12アルブスを与え、聖油については3シリング与えるべきである。病人が遺言をつくるか書いた場合は、彼は祭司に謝礼をすべきである。復活祭を祝うにはいかなる家庭も祭司と教会用務員に4個の鶏卵を納める義務を負い、彼らは卵を分け合う。神聖な結婚をしようとする者は、教会用務員の所へ来て、登録してもらい、彼に登録料を謝礼として払い、司祭に日曜日に2-3日続すけて説教壇で結婚を告知してもらうべきである。彼の結婚が告知され、全員一致の賛成が得られなければ、彼は司祭に結婚の命令を申し込むべきであり、そうしたら司祭は彼に同意すべきで、彼は司祭にその命令の日に2シリングのワイン、焼肉、白パンを贈り、結婚の命令の日に手触りの柔らかい 1組の手袋を贈るべきである。しかし日曜日が結婚命令の日であれば、司祭は待機する義務を負い、彼らが教会に来れば、教会用務員は花婿に身分証明書を与え、さらに花嫁にも身分証明書を与えるべきである。そこで花嫁は教会使用人に身分証明書に対する1シリングを提供し、花嫁が月曜日に送り出されるとき、司祭は1シリングを得て、教会用務員も1シリングを得る。
当教区外の者が聖別されれば、彼は上述のような彼の登録と告知を求めたうえで、司祭に結婚証明書を求めるべきであり、司祭はそれによって12 alter turnischを得る権限をもつ。恩恵により司祭には6ラーダーアルブスの貨幣、2シリングのワインを、教会用務員には1アルブスを納めるべきであり、それによって彼ら両者は満足すべきである。幼児を洗礼に連れて来るという違反をおかす者がいても、司祭は洗礼を拒んではならず、その者が許可されれば、司祭に6アルブスを納め、教会用務員はそのうち1シリングを得るべきである。しかし彼がそれを承諾しなければ、司祭はこの者を大きな教会の扉に導き入れ、そこで彼は司祭と教会用務員に合計1アルブスを納めるべきである。
 いかなる家庭も毎年聖マルティノの日(11月11日)のミサに教会用務員に2フィアテルのエン麦を納める義務を負い、教会用務員が一度それを求めたのに、それが納められなかった場合は、オーレフにそれを提供し、奉仕を空しく期待していた者を満足させるべきであり、そうすれば教区において義務の不履行が起こることはない。徴収することが彼にとって重要なら、彼は教会であらかじめ、次のように知らせておくべきである。すなわち、いかなる者もそれを怠ってエン麦を納めなければ、納めるまで、教会用務員は神聖な秘蹟をおこない復活祭を祝う義務を負わない。
 2-3組の夫婦が一つの家に共同で住むなら、各夫婦はそれぞれ2フィアテルのエン麦を納めるべきであるが、結婚が破綻して神が互いを分かつなら、1フィアテルのエン麦を徴収すべきである。
 教会用務員はすべての領主の奉仕から自由であるべきであり、領主が領民から収穫または領主が必要とするその他のものを取得する権限をもつ場合でも、教会用務員は、教会と教区をおろそかにすることがないように、彼の任務を守る自由をもつ。
 いかなる司祭が任命されようとも、彼は補佐を雇い、彼らは巧みに教会と教区を治めるべきであり、いつでも神の言葉を人々に伝え、相互に仲良く暮らし、夜遅く街頭に出ることなく、ワインの飲み屋で過ごさず、清潔な家庭を真面目に守り、正午と真夜中には司祭館にとどまるべきである。司祭はまた司祭館とその付属設備を良い状態に保ち、村民が苦情を言うようなことがあってはならない。
 この司祭が前述の事柄において不手際で、ほかに誠実な司祭がいれば、村民はドリムボルンの領主に申し出て、この司祭の不手際について訴えるべきであり、そうすれば領主はかの司祭を解任し、他の司祭を自分の思い通りに任命することができ、その結果領域の司祭館が改良され、司祭館のある領域も良くなる。
 司祭が死亡し、あるいは領主の意志で他の司祭に交替させられれば、前述のように、改良がはかられるべきである。司祭は必要なときに利用する馬を1頭飼うべきであり、そうすればいかなる者も時間を無駄にすることはない。司祭はまた近隣住民たちのために2頭の雄牛を飼う義務を負い、そのうち1頭がヴァレンダルの住民によって連れて行かれたら、残りの1頭を畜産に利用し、家畜番人はそれによって報酬を得てはならない。司祭は100頭の羊に1頭の雄羊を近隣住民たちの利用のために飼うべきであり、羊番人はそれについていかなる報酬も得てはならない。他の外部の教区民の利用のために彼がさらに飼う雄羊については、彼はしかるべき報酬を得るべきである。司祭は近隣住民たちの利用のために1頭の雄豚も飼うべきである。それを利用しようとするのが外部の非教区民であれば、彼らにその雄豚を利用させてもよいが、家畜番人はそれから報酬もgankhoitも得てはならない。すべての日曜と祝日に司祭は神の言葉をできるかぎり熱心に伝え説教すべきである。
 司祭はゲミュントで日曜日に神の言葉を伝えるべきであるが、ただし復活祭と聖霊降臨祭との間の日曜日には近隣住民たちはオーレフに来る義務を負う。
 司祭と教会用務員は、病気で困っているいかなる従順なキリストに者も聖なる秘蹟をほどこす用意を常にしておくべきであり、キリストの死と苦しみを想起させ受け入れさせるべきである。しかし、彼らがそれを終えて、助任司祭を求められたら、それに従い、助任司祭は病人に最後までつき従い、再びオーレフに病人を戻すべきである。四旬節の半ばの日曜日と四旬節半ば後の日曜日に、上級裁判集会を開催する司祭は、われらが領主に代って、われわれ裁判管区民と教会用務員に飲食を提供する義務を負う。
 チュルピッヒの教会用務員は首席司祭のもとに聖油を取りに行き、教会関係者はそれを支払い、教会用務員の旅費を援助すべきである。教会関係者が教会の経常地代に不足して、必要に応じた支払いができない場合には、教会林を用いて支払いに充てるべきである。また近隣住民たちが望むなら、彼らを他者より優先して、要求に応じるべきである。
 われわれは昔から次のように性急な話し方をしてきた。すなわち、カルはドリムボルンのわれらが領主のもとにあり、ヴァレンタールは共同の関係にあり、フォセレンはそこを流れる水流であり、ウェールスプッツはオーレフのわれらが教会の同じ教区の子であり、司祭と教会用務員は前述の教区民と同様に、これらの住民にその権限をもつ。面倒であることを理由に、彼らが不利な扱いをうけた場合は、いかなる近隣住民もその機会に応じて最寄りの教会で彼らの神の法、礼拝をもつ権限を有するが、それによって彼らに過度に良い権限が認められてはならない。
 いかなる理由によるものであれ、彼らに対して何らかの目的で神の法が拒否されたら、オーレフの神の法が司祭と教会用務員に求められるべきであり、彼らに対してそれが拒絶されてはならない。それゆえ彼らは司祭または彼に代る者に畑のあらゆる作物の十分の一税を納める義務を負い、その場合十分の一税に変動があることは、われわれ参審員に周知のことである。さらに司祭は子羊の十分の一税を得て、前述の日時に徴収すべきであり、教会用務員もいかなる家庭からも2フィアテルのエン麦を前述のように徴収すべきである。ヴァレンタールの領主の荘園における折半小作農は、オーレフの司祭館に1頭の雄豚と2頭の雄羊を求める義務を負い、彼はそれらを教区の利用のために荘園で維持管理すべきであり、家畜のためにそれらを必要とする場合は、ヴァレンタールにそれらを求めるべきであり、それ以外にいかなる者も教区外に求めることはできず、それらが必要でなくなれば、折半小作農はオーレフの司祭館にそれらを返すべきである。
 われわれは、われらの先祖からわれわれが受け継いだこれら上述の条項、法と権利を、妥当とみなす。

 7-5-4 コルネリミュンスター Cornelismunster (1413年)


 (コルネリミュンスターは今日のアーヘン市の1地区である)

 1413年洗礼者聖ヨハネの日(6月24日)の翌日、われらが敬愛する領主であるインデ川の聖コルネリミュンスターの修道院長および現職の代官が合意して、彼らの支持者である領民と参審員がすすんで出席し、ミュンスター領で、われらが敬愛する領主たる修道院長と彼の代理である代官にいかなる法が認められるのか、法を勧告するために審理をおこなった。そこでわれわれ領民と参審員は、古いしきたりと慣習について全員で熟慮し話し合い、われわれは現在法を執行すべき者について告げるように求められているので、敬愛するわれらが領主たる修道院長がミュンスター領における土地領主であり、ザンクト・コルネリの荒蕪地内のあらゆる犯罪の取締人であることを、法として告げる。
 われわれ領民と参審員は、次のように法を告げる。すなわち、部外者であれ、われわれの領域の住民であれ、われわれの領域と荒蕪地の内部で犯罪をおかした者を、前記の土地領主の領域と荒蕪地の外で捕らえてはならない。またそうして捕らえられた者を土地領主の塔の牢獄に入れる前に荒蕪地と領域から連れ出してはならない。土地領主または彼の役人は、代官とは別に、自分の費用で逮捕者を拘置所に入れて見張るべきであり、それゆえ代官も彼の代理人も、土地領主の承諾なしに、逮捕者が捕らえられている拘置所へ行ってはならない。土地領主または彼の役人が逮捕者を拘置所に出し入れすべきであり、代官に対しては犯罪者に対する処分権を保持すべきである。逮捕者が放免されるかどうかについて、代官は決定権をもたない。身体刑に相当する犯罪を除き、代官は土地領主の承諾を得れば、拘置所に行くことができる。さらに土地領主は犯罪者を拘置所から旧監獄の塔に連行し、一夜小屋の中に入れて、その後土地領主は犯罪者を塔から広場のさらし台に連行して拘束すべきであり、そこで土地領主または彼の役人は参審員に、犯罪者を法にっていかにするべきか、問うべきである。判決が出されたら、土地領主は犯人を自分の費用と法的責任で裁判所に連行し、参審員が彼についておこなった裁判にしたがって、法を執行すべきである。そして前記の犯罪者に対する法の執行を確認したら、裁判所で飲食がおこなわれ、それにかかった費用は、土地領主と代官が平等に分担し、いくらかかったかわからない場合は、土地領主が1人でその費用を負担すべきである。そのかわり代官は、鐘が鳴ったら村民たちとともに暴力を排除し、暴力事件の際には、必要なら裁判所を守るべきである
 われわれ領民と参審員は、ミュンスターの領域が衰えるなどという神が禁じるに違いないことが起きるなら、代官は鐘の音とともにミュンスターの領域を守るべきであり、代官が出動すれば、領民は法により荒蕪地まで代官につき従い、領域を守るために協力すべきである。
 土地領主は領内の飲食物、家畜の生死を検査すべきである。
 土地領主は彼の村長と助役を任免すべきである。
 土地領主は領域における彼の参審員を任命し、代官以外の者から選び、彼らが選ばれたら、参審員の右手を取り、代官は彼の左手を取り、一緒に椅子に座らせるべきである。 
 土地領主は彼の領民に対する使丁を任命すべきである。
 土地領主は相続人を選ぶ権利を有する農地に対する命令権をもつ使丁を任命すべきである。
 土地領主は彼の領域に軍隊の前衛と護衛を出動させ、再度退出させるべきである。
土地領主はこの領域と裁判管区に狩猟区をもつべきである。
 土地領主は彼の参審員とともに証人を尋問をすることができる。その際、代官はその場にいてもいなくてもよい。
 土地領主以外いかなる者にも訴えをしてはならない。
 土地領主または彼の役人は参審員と参審員の判決に対する日常的な監督者であるべきである。
土地領主または彼の役人は領域の内外で、差し押さえをおこなうべきであり、必要があれば、彼の代官を除き、差し押さえを免除すべきである。
土地領主は彼の荒蕪地内で参審員によって農地の授受をおこなうべきである。
 土地領主の使丁は命令と禁止をおこなうべきである。ただし、代官の使丁が代官管区にかかわる鐘を規定どおり鳴らせば、土地領主の権限を停止することができる。
 領域内で起きた犯罪が5マルクの罰金を科される場合、土地領主はその3分の1を取得し、代官は3分の2を取得する。罰金がそれを上回るか下回る場合は、彼らは平等に分けるべきである。財産が浪費された場合は罰金を折半すべきである。罰金が拒否された場合は折半すべきである。
 土地領主または彼の役人は領域で起きた犯罪について、代官がその場に居合わるか否かにかかわらず、彼を除いて、仲裁または裁判をおこなうべきである。その事案についていかなる判断がくだされたか、参審員が告げるとき、代官はそこから彼の取得分を得るべきであるが、代官が恩赦をほどこすつもりなら、村長は14日間の3倍の期間内に彼の取得分を代官に提供すべきである。
われわれは、次のように告げる。すなわち、土地領主または彼の役人は、しかるべき必要があれば、代官がそこに居合わせるか否かにかかわりなく、日常的に会合ををおこなうことができる。
 土地領主は彼の荘園で彼の領民 と参審員とともに年3回、すなわちクリスマス後13日の次の日曜日、復活祭の次の日曜日、洗礼者聖ヨハネの日(6月24日)の次の日曜日に誓約裁判集会を開くべきである。代官はそれらの次の月曜日に代官裁判集会を通常どおり開催すべきである。ただし、土地領主または彼の役人が規定の期日に裁判集会をもつことができないときは、代官は土地領主が規定どおりおこなうまで待つべきであり、荘園裁判集会から規定の彼の罰金を得るべきである。
 さらに代官は3回の追加裁判集会を他の裁判集会の後に開催すべきであり、規定の計6回の裁判集会に裁判官1名と荘官1名を任命し、さらに参審員の判決にしたがって1名の廷吏が判決を執行すべきであるが、土地領主には裁判集会の罰金に対する権限が留保される。
 代官の使丁は領域で少額の貢租とmeyhoeveを毎年得るべきである。領域に住み、溝を掘り、粘土を掘り返してとり除くか、石を掘り出そうとする者は、前記の使丁に聖ゲルトルートの日(3月17日)に4ペニッヒを納めるべきである。ただし、わが領主の領民が、それをはたさず、背いた場合は、5マルクを徴収され、この5マルクは規定どおり分配される。
 われわれ領民と参審員は土地領主にすべての森林権を認める。それは銀、鉛、鉄または錫の産地であり、そこからの十分の一税である。
 森林に住む者が殺されるか、暴力がふるわれたら、罰金を徴収して、すべて規定どおり分配すべきである。
 ミュンスター領の荒蕪地のなかで死者が放置されないようにするには、土地領主に許可を願い出て、死者を探索する必要がある。
 われわれは次のように告げる。すなわち土地領主はミュンスター領でいかなる者の妨害もうけることなく、古くからの慣わしにしたがい、単独で彼の最善のために監獄をもち、利用すべきである。
 パン屋は常にわれらが土地領主の製粉所で製粉することを強制され、彼の製粉が終った後に一般領民は製粉することができる。
 最後に、代官は必要があるたびに何度でも、いかなる点の内容であれ、すべての権限を土地領主に譲渡すべきである。

 7-5-5 アイレンドルフ Elendorf (1413年) 


  (アイレンドルフは今日のアーヘン市の一地区である)

 これは、1413年洗礼者聖ヨハネの日(6月24日)の後の裁判集会の日になされたアイレンドルフの裁判集会の法にかんする告示である。
 最初にアイレンドルフの裁判集会のわれわれ参審員は、われらが領主としてのザンクト・コルネリ修道院長と参事会をインデ川における土地領主およびすべての暴力事件の取締人と認める。
 われわれは土地領主に差し押さえを認める。差し押さえが妨げられたら、代官は土地領主と同様に彼の取得分を得るべきである。  
 われわれは土地領主に差押えにおける護衛を認める。
 土地領主は代官以外に監視および護衛の任務を与えることができる。また代官は領域内へ来る者に監視の任務を与えることができる。また土地領主は監視を維持したくなければ、その者に対して監視を拒むべきであり、その場合にも代官から監視の任務を与えられた者は飲食をすることができ、いかなる者からも損害をこうむることはない。
われわれは土地領主にのみ相続税を認め、代官には認めない。
 土地領主または彼の役人はある者を捕えたら、翌日まで拘束すべきである。彼が罰金の保証金を提示できるなら、裁判官は彼を保護し、彼が保証金を提示しなければ、裁判官は彼をミュンスターの土地領主に引き渡すべきである。もし裁判官が彼を奪い取られるかもしれないという恐れをもっているなら、代官またはその役人にミュンスターまで護衛して、暴力を防止してくれるように言うべきである。
 アイレンドルフの土地領主は、犯罪人を一定期間拘留できる城塞をもつべきである。
 5マルクの罰金すべてについて、土地領主は3分の1、代官は3分の2を得るべきである。
 罰金が5マルクを上回るか下回る場合は、彼らは平等に分けるべきである。
代官が鐘を鳴らせば、領民は彼に従うべきである。
 また、われわれは代官に彼の意向による貢租の徴収を認める。 
 われわれは代官に保証金の徴収を認める。
 土の掘り起こしまたは開墾をしようとおもう者は、毎年聖ゲルトルートの日(3月17日)に代官の許へ行き、4ペニッヒを納めるべきである。
シギを捕獲しようとする者は、代官にいかなる網についても4ペニッヒを保証金として納めるべきであり、そのかわり彼は朝夕の鳥の群に対して4頭の猟犬をもつべきであり、代官は、いかなる者も彼を捕えたりしないように、彼に自由を保障すべきである。
ミツバチの巣箱を見つけた者は代官に8ペニッヒを納め、ミツバチを採集すべきである。ミツバチが逃げ出す恐れがあるなら、巣箱の上に14ペニッヒを置いて、ミツバチを採集すべきである。彼を間違って追いかける者がいても、彼の補償金がそこには置いてある。
 われわれの裁判所では、銀、鉛、鉄および鋼も採掘されていたことが今なお人の記憶にあり、われわれは前述の4ペニッヒと14ペニッヒのほかに幾つかの自然貯蔵庫があることを知っている。
 土地領主は修道院参事会と参審員の助言により、代官とはかかわりなく、必要に応じて、その参審員を選ぶべきである。偶数の参審員を任命して、土地領主は右側の者に、代官は左側の者に手をさしのべるべきである。
 われわれは代官に3回の誓約代官裁判集会と3回の追加代官裁判集会を認め、裁判集会で徴収される罰金は、前述の他の罰金と同様に分配されるべきである。
 土地領主の他の裁判集会で徴収される罰金も、前述の規定どおり分配される。
 これら前述の文書の序言と諸項目すべてを、われわれ参審員は、われわれの裁判権が及ぶかぎり、われわれのしきたりにしたがって、最善をつくして、われわれの祖先から受け継がれてきたとおりに、いかなる悪だくみももつことなく、告げる。

 7-5-6 レンダースドルフ Lendersdorf


  (レンダースドルフはアーヘンとボンの中間地点に位置するデューレンの一部である)

I  レンダースドルフのザンクト・アルバートの領主の荘園の法

 §1. ザンクト・アルバートの領主は、領邦君主の建造物であるさらし台、絞首台、刑車および処刑に用いるべき裁判所の付属設備を維持すべきであり、領主は建造親方に報酬を払うべきである。§2. 大きな刑罰がおこなわれる場合は、上級裁判所の裁判官にその管轄権がある。§3. 領主が3日間戦場におもむくときは、ザンクト・アルバートの領主はユーリッヒの領邦の厩舎監督官に軍用馬車と4頭の馬、2人の従者を注文すべきであり、馬を馬車につなぎ、領主は馬車に毎日4ケルン・マルクを支払うべきである。馬が出発するとき、荘園参審員は馬を評価し、馬が帰って来たら、彼らは再度検査して、以前より馬が悪化していたら、領主がその支払いをすべきである。§4. 7人の土地保有農民は厩舎監督官にクリスマスの13日後の次の月曜日に7シリングを荘園で提供すべきであり、荘官はその日に1組の手袋を手にはめて馬に小麦の飼料を与え、3アルブス銀貨をその中に入れ、当日の席に着くべきである。厩舎監督官はそうしたことをこころがける者をもつべきである。そのかわり、厩舎監督官は領主の法と財産を守るために援助し、必要な場合には、馬を相次いで乗り継いで駆けつけるべきである。§5. 荘園の製粉屋はその日16フィアテルの粉に相当する1マルターの小麦をパンに焼き、厩舎監督はその一部分を、荘官は他の部分を、荘園参審員は第3の部分として出来の良くないパンを得るべきである。荘園参審員がそれを必要としなければ、製粉屋は彼に焼いたパンの費用を立て替えるべきである。パンが食べられてしまった場合は、荘園参審員が代金を支払うべきであり、そうすれば製粉屋は新しいパンにとりかかるべきである。荘園参審員がパンを必要とする場合、禁制圏が制定されているため、彼は製粉屋に通常の穀粉を取りに行かせるべきであるが、それ以上は何もしなくともよい。そのかわり荘園参審員は、製粉屋が正しくおこなっているかぎり、彼に求められている製粉を荘園のためにおこなうべきである。製粉屋は1マルターのライ麦について16フィアテルの穀粉を提供すべきである。上記の荘園参審員が製粉屋から穀粉を受け取らないときは、荘官は製粉屋に対して裁判官となり、荷車を追いかけて粉を奪うべきである。荘園の製粉屋は4フィアテルに相当する製粉料を得るべきであるが、それ以上を得てはならない。§6. 荘園参審員 はできるだけ領主の損失を防止すべきであり、これに違反すれば12ペニッヒの罰金を科せられる。彼が荘園の領主相続地を正しく管理しないときは、荘園の耕地に溝を掘り、犂が前進できるように、穴を元の平坦地に戻すべきである。

 II ユーリッヒ、クレーフェおよびベルクの公爵のレンダースドルフの荘園法は、年3回荘園参審員によって次のように言明される。
1553年

 §1 荘園領主は森林に10頭の子豚と1頭の雄豚をもつべきであり、それらはヴィーヘンバッハ川に水を飲みに行き、最後尾の豚が川の中にいれば、先頭の豚を駆り立てるべきである。§2. 荘園領主は2台の荷馬車を森林でもつべきである。片隅の農圃の荷馬車と製粉所の手押し車は後から進み、場合によってふしだらな女を乗せもよい。§3. 荘園領主は垣根の支柱を伐る2人の人員を森林にもつべきである。§4. 領主は森林に2人の炭焼き夫をもつべきである。§5. 当荘園の領主は、クーレン川の小さな柳から最も高地の山腹までの流れの真中で、木を使って魚をとるべきである。§6. 領主は神聖な日々のうち子どもの日に子豚を注文し、それを裁判集会の日までとっておくべきであり、製粉屋はその日に出席すべきであり、彼の妻は後方の手押し車に座り、製粉屋は正しく馬車で来るべきであり、ある馬車の御者を他の御者より特別に引き立てれば、罰せられる。その際、籠と水を置き、籠の中に粗末な衣服を入れ、その中に1フィアテルのエン麦を注ぎ入れ、馬にそれらを飲み食いさせるべきである。荘園領主は煙の出ない雑木を入手して、子豚を焼き、前記の製粉屋の食事に出すべきである。彼がそれを正しく受け取れば、罰せられることはない。製粉屋が飲食を終えたら、再び帰宅すべきである。彼がある馬車の御者を他より特別に引き立てれば、同じように罰せられる。製粉屋はこの裁判集会の日に16フィアテルに相当する1マルターの小麦を入手すべきであり、領主はその一部分、裁判官は他の部分、参審員は出来の悪い部分を得るべきであり、製粉屋はその日にこれを用意すべきである。彼がそうしない場合は、参審員は製粉所に行き、石臼を持ち上げ、鉄製の車軸を取りさってもよく、領主は彼の持分を差し押さえるべきである。参審員が1マルターのライ麦を買う場合、禁制圏が制定されているため、製粉屋がそれを取りに行き、通常のとおりに製粉すべきであるが、参審員が必要とする場合は、製粉屋は彼のためにパンを焼くべきである。それを食べたら、参審員はその代金を支払うべきであり、製粉屋は彼に再度パンを焼くべきである。こうして製粉屋は収穫まで彼を補助すべきであり、参審員も彼が育てた穀物を製粉屋に製粉してもらうべきである。彼がそうしない場合は、製粉屋は穀物を存分に取得して、4フィアテルの製粉料を得るべきであるが、それ以上得てはならない。§7. 荘園の参審員は荘園領主の損失をできるだけ防止すべきであり、違反すれば12ペニッヒの罰金を科せられる。参審員は荘園の耕地に、彼が必要とする溝を掘ったら、犂が前進できるように穴を元どおり平坦地に戻すべきである。§8. 参審員が役人と代官によって、誰を荘園領主より尊重するかと問われて、われらが慈悲深き領邦君主を荘園領主より尊重することを、祖先から聞いて遵守していると、返答した。§9. 7つの相続税負担農地はこの規定を守り、その規定は増やされることも減らされることもない。


 7-5-7 グレッセニヒ Gressenich (1602年)


  (グレッセニヒはアーヘンとデューレンの間に位置する)

 §1. 最初に、土地領主であるザンクト・コルネリミュンスターの高貴な修道院長または彼の代理であるグレッセニヒの裁判官の同席のもとで、参審員をどのように任命すべきか、参審員に尋ねるべきである。それに答えて参審員は次のように認め、言明すべきである。すなわち、グレッセニヒの何人かの参審員が欠員によって足りなくなったら、参審員はそれをわが尊敬すべき領主または彼の代理である裁判官に申し出るか、申し出ない場合は、随意に場合に応じて、わが尊敬すべき領主に必要とされる一人または数名の参審員を、参審員たちの助言により、任命すべきである。§2, 裁判官は、その後何を法によっておこなうべきか、尋ねるべきである。それに答えて参審員は、次のように認めるべきである。すなわち、選ばれた参審員に宣誓を求め、彼が宣誓をおこなったら、わが尊敬すべき領主または彼の代理は参審員の右腕を、代官は左腕を取り、参審員席につかせるべきである。§3. 裁判官は、わが尊敬すべき領主が参審員の任命において代官にいかに対応すべきか、尋ねるべきである。それに答えて参審員は、次のように認めるべきである。すなわち、わが尊敬すべき領主は参審員を任命しようとおもう場合、3日前に代官に知らせるべきであり、彼が来なくても、わが尊敬すべき領主は彼の参審員を任命することができる。§4. 第4に裁判官は、新参審員が任命される日にわが領主と代官のいかなる法が適用されるかと、尋ねるべきである。これに答えて参審員は、次のように認めるべきである。すなわち、新参審員はその日にわが領主の従者に、また同じく代官にも食事をふるまい、宴会の費用を払うべきである。さらに新任の参審員はわが領主または代理に、ある程度の金銭と銀を、最良でも最悪でもない程度に、納めるべきである。§5. 裁判官は、この日参審員にはいかなる法が認められるか、尋ねるべきである。これに答えて、参審員は次のように認めるべきである。すなわち、新参審員はその日彼の同僚にも食事をふるまうべきであり、別の日に宴会を開くか、あるいは年内の別の日に参審員たちとその妻にも食事をふるまうべきである。さらにいかなる参審員にももう一品料理をふるまい、さらに年度内に彼が若干の文書を享受する前に、12グルデンを裁判官と参審員全員に贈呈すべきである。§6. 裁判官は、次のように尋ねるべきである。すなわち、新しく選ばれた参審員はさほど貪欲で貧乏でもないので、こうした前述の費用すべてを負担することができ、誠実で賢明で村民の役に立つと認められたのに、わが領主はこの者を参審員に任命してはならないだろうか? これに答えて参審員は、わが尊敬すべき領主がそうした者をなおさら参審員に任命しうるべきであると、認めるべきである。

 7-5-8 ベルンスベルク Bernsberg (1547年)


  (ベルンスベルクはケルン近郊の都市ベルギッシュ・グラートバッハに属する)

 領民は彼らの土地領主としてのヴィルヘルム・フォン・ハルフに宣誓して義務を負い、・・・領主は領民に次のことを思い出すように促し、それぞれの領民が公けに意見を表明し、法を告げるように熱心に要求した。すなわち、まず初めに彼らの祖先が、また現在の領民がベルンベルクの領民裁判集会で認め告げたことを、今やいかなる法として告げ認めようとしているのか? これに応じてlaten全員が熱心に相談し、議論し、熟考し、次のような熟慮された提言に到達し、全員一致の宣誓と義務により、自由に、率直に、脅迫されることなく、強制されることなく、みずからすすんで真実を認識することに努め、古くから伝えられた慣わし、ヴァイストゥームおよびび法を公けに言明して認めた。上述の領民は彼らの祖先から聞き、見て、守り、用い、今なおすべてを見て、聞いて、実行し、用いている法は、次のとおりである。§1. 最初に領民の保有地相続と農地取得がおこなわれるとき、土地領主は瓶入りの1ゼスターのワインを得て、いかなる領民も手数料としてアーヘン硬貨12ヘラーを払い、証書には領民は2倍の手数料を納める。いかなる共同懲罰についても領民はアーヘン硬貨半グルデン、いかなる厳罰についても領民はアーヘン硬貨1グルデンを得る。裁判官はいかなる懲罰についても1瓶のワインを得る。§2. ベルンスベルクには9人の領民が属しており、彼らは裁判をおこない、9人の領民以外のいかなる裁判当事者もその言葉を他の7人と裁判官に代弁する1人の領民 を得ることができる。§3. 荘園で裁判がおこなわれるとき、訴えをおこす者は裁判官と領民に費用を納めなければならないが、争いがおこって、裁判が長びけば、彼はすべての費用を支払い、負担し、代弁者が立て替えた金額を返却しなければならない。また、いかなる文書も2倍の手数料を納める。§4. 領民のうち誰かが裁判を欠席して裁判が進まず、それによって無駄な費用が生じ、欠席に正当な理由がなければ、その領民はそのとき生じた無駄な費用を負担し支払うべきである。§5. さらに領民はこれまで次のように述べてきた。すなわち、ベルンベルクに属する土地保有農と領民は、彼らの祖先も現在の彼らも、ベルンベルクに属する領民の農地と同じようにハイデのために見張りをしたり見張り料を納めることもなかったし、ハイデの干草のために働いたり干草を作ることもなかったし、領民がハイデのために賦役をしたこともなかった。§6. 裁判を開いてほしいと望む者がいれば、裁判官はそのことをその対立者に一人の領民によって通知させ、裁判官が当事者たちによって裁判を開くことを要求されたら、当事者双方は裁判に十分な証人を用意すべきであり、そうしたら裁判官は当事者に対して裁判の日を設定する。§7. 荘園と領民は領民の農地が及ぶ限りいたるところで、地代、借地料、転出、転入、受領について判決を告げるべきである。§8. 領民の農地の受領者は、最悪のことを警告し最善のことを提案するように、土地領主に対する忠誠の宣誓をおこなう義務を負う。§9.地代農地は少なくとも(?)2倍の地代によって受領される。§10. 領民は彼らの土地領主から彼らの農地について押印された証書を得られるように求め、土地領主に印章の代金として、最小でも最大でもない金額を納めるべきである。§11. 領民農地の保有者が死亡したら、後継者は他の保有者または領民を1年と1日以内に定めるべきである。誰かがそこを不法に占拠しており、1年と1日以内に農地が受け取られなければ、領主は農地を没収して、領主が不従順な者の農地を保持してヴァイストゥームにしたがってlatenを罰するべきであることを領民に認めさせるべきであり、認めさせることは可能である。§12. 土地領主が彼の領民に通知したのに、領民が法的な必要を怠った場合は、領民は領主の慈悲しだいで3アーヘン・マルクの罰金を科せられる。§13. 最後に上述の領民は当初次のことを認めていた。すなわち、彼らの祖先も現在の領民もハイデの製粉所で粉をひくことを強制されてはいなかった。彼らが親から聞いたところでは、かつて採草地にあった製粉所はベルンスベルク荘園に属し、ベルンスベルクの領民は、その製粉所がそこにあったとき、そこで粉をひく義務を負っていた。また製粉所の建物は外見上古い木材でできているように見える。さらに領主は領民の農地に対する命令と禁令の権限をもっていなかったし、現在の領民も彼らの祖先もそれを免れていたし、今も免れている。領民の土地に犯罪人がいれば、裁判領主は土地領主に犯罪人をゆだね、土地領主が任意に犯罪人を捕えて牢獄に入れることができるように要求すべきである。。土地領主が犯罪人を捕えて、拘束したら、土地領主は犯罪人を保有地または領民の土地から公道へ出して裁判領主に引き渡し、裁判領主は犯罪人に遅滞なくその行為に応じた裁判と判決をおこなわせ、裁判のヴァイストゥームにしたがって罰するか釈放すべきである。
 裁判領主はベルンスベルクの保有地とlaten農地に命令と禁令の権限をもち、他の者はそれを規制するいかなる権限ももたない。




8. ヘッセン Hessen

 8-1 ヘッセン Hessen


 8-1-1 エルバーマルク Elbermark (1440年)
 


  (エルバーマルクは今日のカッセル市近傍のナウムブルクに属する地域である)


 まず最初にエルベン、アルテンドルフおよびベルダースフーゼンの人々が最も神聖な日の次の木曜日、ウービルンメルデリッヒ村で森林裁判集会のために、次のように告げた。すなわち領主とマルク成員の承認を得ることなくエルベンの領主林に火をつける者がいたら、われわれがすぐさま駆けつけて彼を捕え、彼を火刑のために縄で縛り、火をつけて灰にすべきである。エルベンの領主林で、領主とマルク成員の承認を得ることなく、捕縛または脅迫をする者は捕らえられ、右足の親指を引きはがされ、走らされる。エルベンの領主林で領主とマルク成員の諒解を得ることなく樹木の生長を止める者を捕らえたら、その木を割いてなかを開き、はらわたとともに木を元どおり覆い塞いで、木の成長を促すべきである。エルベンの領主の指揮権のもとにある森林監督はクルーゼ、レンデッカーという名前で、彼らとその使用人はエルベンの領主の承諾を得て、森林区に設定する。その中に入り、許可なく伐採した者は、1フーダーの木から10シリングを納め、そのうち1シリングをエルベンの領主に納め、残り9シリングのうち3シリングをエルベン教会に、3シリングをオルデンドルフ教会に、3シリングをベルダースフーゼン教会に納めるべきである。
いかなるマルク成員が耕作するのであれ、そうしたいとおもう者は、エルベンの村長のところに行って、懇願して「私は耕作したい」と言うべきである。そして彼は前述の森の中へ入り、木を伐るとともに耕し、いかなる者もエルベンの領主とマルク成員のために、彼の農圃が納税義務をはたせるまで、彼を差し押さえてはならない。ヴァルトベルクの森林はエルベンの領主とマルク成員のものであり、そのなかでエルベンの領主とマルク成員の承諾を得ることなく、伐採する者は、1フーダーの木について1シリングをエルベンの領主に納める。ラウベルクという名称の森林はエルベンの領主林であり、1フーダーの木について1シリングを前述のエルベンの領主に納める。キッデルスハイデという名の森林もエルベンの領主林であり、マルク成員はそこで伐採することができ、誰も差押えてはならない。
シュテーゲモーレという名の森林と若い森林はエルベンの領主林であり、一本の幹について5シリングをマルク成員が納め、いかなるマルク成員も1フーダーの薪を取得し、1シリングより多くを差し押さえてはならず、さらに彼は7本の丸太を立木から伐ることができる。ズンダーという名の森林もエルベンの領主林であり、そこでマルク成員を差し押さえてはならない。ズンダーベルクとエッシェンシュトルットの森林もエルベンの領主林であり、1フーダーにつき1シリングを納める。レーダーブッシュという名の森林もエルベンの領主林であり、そこでもマルク成員は差し押さえられない。アッペおよびラッヒャースベルクという名の森林はエルベンの領主林であり、マルク成員は1フーダーにつき1シリングを領主に納める。ハイリンベルクとドゥルネヒテスシュトゥルットの森林もエルベンの領主林であり、マルク成員は幹1本の幹につい5シリングを領主に納め、1フーダーの薪に加えて、7本の丸太を伐採して1シリングを納める。アルトヴァルトという名の森林はエルベンの領主林であり、マルク成員に1フーダーを1シリングで与える。ヴェッデマックという名の森林は、アルトヴァルトの前でグルッツェヴェークを下ってベネンシュタインまで及ぶエルベンの領主林であり、そのなかで領主はマルク成員を差し押さえてはならない。トーテンフーザーハルトの森林と放牧地はエルベンの領主林であり、1フーダーはマルク成員に1シリングを与える。役畜をもついかなるマルク成員も、エルベンの領主に1フーダーの木材をクリスマス前の聖夜に運ぶべきであり、1マイルの道を運び、それ以上の距離を運ばなくてもよいが、領主の近くまで運べば、領主は彼らに感謝の意を表する。弱くて役畜をもたないマルク成員が運搬できないことを、隣人が認めれば、エルベンの領主は3シリングで運搬を免除すべきである。そうした森林においていかなるマルク成員も週に2フーダーを、そのうち1フーダーを厩肥用に、1フーダーを市場での販売用に取得し、エルベンの領主またはその従者は彼らを差し押さえてはならない。またエルベンの領主とともに騎乗する領主の従者以外いかなる者もマルク成員を差し押さえてはならない。エルベンの領主は6名の森林監督をもち、アルテンドルフおよびベルダースフーゼンいずれの村にも2名の森林監督をもち、どの森林監督もエルベンの村長とともに週に1日森林に行き、彼の差し押さえを助けるべきである。エルベンの領主の従者が森林でマルク成員を差し押さえようとして、彼から斧を奪い取る場合、その斧を自分で携えてはならず、14日が経ったら、その翌日彼から1シリングを得るべきである。マルク成員が森林監督によって罰せられたら、森林監督は各マルク成員が伐った木のフーダー数を合算して、それを森林裁判集会ごとに受け取り、フーダーの罰金が1シリングより多くない金額でも受け取るべきである。マルクに属していない部外者が前記の森林で伐採しているのをマルク成員が捕らえ、彼が木を荷馬車に積み終えていたら、マルク成員は彼から馬を奪い、エルベンの村長の家に連れて行くと、村長はこのマルク成員に1シリングを与えるべきだが、彼が村長を信用しようとしない場合には、自宅で馬を担保にすることができる。あるマルク成員が森林から1フーダーの木を運び、森から出て、森と馬車の間で馬車に乗り込むことができれば、エルベンの領主または彼の従者は彼を差し押さえてはならない。マルク成員が斧をもった部外者を捕えたら、マルク成員は差し押さえ、エルベンの領主に何も渡してはならない。しかし木を積み込んでいたら、馬とともに差し押さえ、前述のとおり馬をエルベンの村長宅に連れて行くべきである。エルベンの領主の従者またはマルク成員が部外者を捕え、彼が差し押さえを拒んだら、彼の地元まで追いかけて、その代償を請求すべきである。エルベンの領主とマルク成員のみが上記の森林に権利をもち、それ以外いかなる者も権利をもたず、ノイエンブルクの地方官はそれらの森林に権利をもってはならない。ただしエルベンの住民がノイエンブルクの地方官である場合、彼はノイエンブルクの地方官としてではなく、エルベンの住民として、そこに住み、森林を利用しようとするのであり、ノイエンブルクの地方官が権利をもっていたということは、昔から聞いたことがない。トーテンフーゼン荒蕪地についてその一部はアルテンドルフの住民が農地を保有し、収穫し、種子をまき、賦役と貢租を免除されていなければ、交互にノイエンブルクで貢納する。とくにアルテンドルフの住民は、次のように述べた。すなわち、エルベンの領主ヴェルンヘアはトーテンフーゼンに3フーフェの土地をもち、ネッツの住民は2フーフェ、ベリッヒェの住民は2フーフェをもち、2フーフェはノイエンブルクの祭壇に属し、ベリッヒの祭壇も半フーフェをもつ。エルベンの住民はとくに次のように述べた。すなわち、トーテンフーゼンはエルベンの領主の裁判管区であり、マルクの境界までその管区に属するが、マルクはエルベンのマルクに属する。トーテンフーゼンの十分の一税はラインハルト・フォン・タルヴィッヒのものである。前述の事柄は、上記の人々によって宣誓のうえで述べられ、実行された。

 8-1-2 グロースブルシュラ Grossbursla  (14世紀)
 


  (グロースブルシュラは今日のチューリンゲン州の小都市トレフルトに属するが、ヘッセン州の小都市ヴェストフリートにも連なる。)

 フォルカースフーゼンの裁判集会はランベッヒ、ヴィッセンボルン、アルテンボルスラ、ヘルダーベッヒおよびヘルダーで後述の法をもつ。まず最初に、上記の諸村はグロースブルシュラの荘園で年3回の裁判を、すなわち第1回は聖ヴァルプルギスの日(4月30日)の後の木曜日、第2回は聖ミカエルの日(9月29日)の後の木曜日、第3回はクリスマス以後の12日間の次の木曜日に開廷すべきであり、村域内で起きた騒擾や傷害を告発し、村民に規律と協定、村民の法について問い、殺害は1フント、窃盗は1フント、その他鋼と鉄によるあらゆる流血事件は5シリング、その他の流血事件は30ヘラー、名誉にかかわる侮辱は21ヘラー、それ以外の侮辱は6ヘラーが科せられる。女性の罵り言葉は、3エレの長話、3つの口がある猫、糸紡ぎ、紡ぎ部屋である。法的後見人をもつ女性は、彼女が負債を負った後、その抵当は夫の抵当である。フォルカースフーゼンの裁判集会は、正規の郷裁判官を領民の助言により5つの村から選ぶ。郷裁判官は一人の従者をもち、彼は廷吏であり、彼には炉を所有する各家から貢納金、5村落からパンが納められ、廷吏は各村落から2つの巻パン、・・・を得るべきである。寡婦と12歳未満の孤児には・・・・・
郷裁判官は廷吏にライ麦を購入すべきである。5シリング未満のすべての罰金は郷裁判官のものとすべきである。フォルカースハウゼンの裁判集会は首と手に対する裁判権をもつ。村長はできるかぎり負債について裁きをおこなうが、裁くことができなければ、郷裁判官が彼に同席すべきである。フォルカースフーゼンの裁判集会は村落に対して他に奉仕や命令をおこなってはならない。窃盗または殺人が告発されたら、郷裁判官と告発者は一昼夜自費で飲食をともにすべきである。郷裁判官に要請する者は、彼の飲食費を負担すべきである。

 8-1-3 ゾントラ Suntra


  (ゾントラは北ヘッセンの小都市である)

 これはわが領主の郷裁判所があるゾントラの裁判集会であり、クラエス・ハイゲンラートとビルシュタインの父親である老ハイゲンラートが郷裁判官であり、長老ベルト・シューラーとエーハルト・ヘルダインは、郷裁判管区に属する範囲を述べた。すなわち、ハイデン渓谷で上方のザントベルクへ向かい、ザントベルクをエンギンライトまで登り、ヴィントフゼンから長いヘルディルホルツの山林を登って行き、ブーベンライトを越えて、アイテングルーベンの周辺、ブーヴェンシュトルッフの周辺、ザントベルクをを越えて、モンヒェホスバッハからハーゼラへ流れ込む河川に至る。— 以下中略 ―

 郷裁判官は、郷裁判所に属する市民は誰か、郷裁判所で問うた。これに答えて参審員は次のように法を告げた。すなわち、ゾントラまたは郷裁判管区がある村域で領主から保有地を得ているか、定住しているすべての者は、保有地の有無にかかわらず、必要に応じて、わが領主の裁判集会に出席すべきである。
 郷裁判官は、わが領主が要求すれば、全員が領主の郷裁判所に出席するのか、問うた。さらに郷裁判官は、要求されたのに郷裁判所を欠席する者がいれば、わが領主はそれについていかなる義務を負うか、問うた。これに答えて、参審員はそのような者は罰金を失うのが古来より当然のこととされるという法を告げた。
 郷裁判官はさらに罰金等について問うた。わが領主に属するハイゲンラートの住民は、ハイゲンラートでわが領主のいかなる法をもつか、問うた。これに答えて、ヘイゲンラーとの参審員、製粉屋の老フリッチェとバールト・ペティルスは、次のように告げた。すなわち長老たちから聞いたところでは、首と手の身体刑にかかわる悪事をはたらく者がおり、ハイゲンラートで彼を捕えて、ゾントラにそれを知らせると、傭兵がやって来て、彼をゾントラへ連行すべきである。それゆえ、われわれは連行する許可を彼に与え、郷裁判所まで彼について行くべきである。動員の命令が出され、傭兵が来て、わが領主のための動員が命じられたら、彼がどこへ行こうと考えていようとも、われわれはできるかぎり彼にしたがうべきである。わが領主が当地をおとずれようとする場合・・・・。さらに郷裁判官は次のように問うた。すなわち、首と手に触れない事件が起きて、首と手に触れる事件と受けとめられて裁判がおこなわれ、それがわが領主に報告されなかったら、わが領主はそれについていかなる義務を負うか? ハイゲンラートの参審員、製粉屋の老フリッチェとバールト・ペティルスは、次のように法を告げた。すなわち、そうしたことをおこなう者は郷裁判所の指示にしたがい罰金を失うと長老が告げるのを、彼らは聞いた。
 郷裁判官は郷裁判所でベルネブルクの住民に、わが領主がいかなる法をもち、何をなすべきか、問うた。ベルネブルクの参審員エーハルト・フンケと・・・は、次のように言った。すなわち、わが領主が動員を求め、傭兵が来て動員を命じたら、どこへ行くのであれ、われわれはできるだけ彼にしたがうべきである。わが領主が当地を訪れようとするときは、われわれは馬車半台について馬2頭と人員1人を提供すべきである。われわれはベルネブルクで首と手に触れる犯罪者とおもわれる者を捕えたら、ゾントラに知らせるまで彼を拘留すべきであり、そうしたら傭兵が来てゾントラへ連行すべきである、われわれはわれらが領主の郷裁判所まで彼について行くべきである。

 8-1-4 ニッダヴィッツハウゼン Niddawitzhausen (1436年)


 (ニッダヴィッツハウゼンはヘッセン州北部の町エッシュウェーゲの近傍にある)

 私、ニッダヴィッツハウゼンの村長ヘネリッヒ・ビッヒシュタイン、前記村落の諸賢人ハンス・アンドレアス、ユングハンス・プフォルスベルク、ハンスおよびヘルマン・ヴォルフスヘルム、ハンス・グートマッヒャー、並びにわれわれザイペル・フス、ハンス・ポーライ、クラウヴェス・バッハシュタイン、ハンス・ヴァイルスベルク、ゾントラのプッセル・ヘネリッヒ、ヘンネ・プファフ、ハンス・メラー、ハンス・シュピッツバエルト、バルデヴィン・メーガー、ユングヘンおよびクラウヴェス・ボルスベルク兄弟、B.ヴォルフの子、クルト・ゲルハルト、ヘルマン・グートマン、ハンス・クライデリッヒおよびハンス・ザイモンは全員が上記の村に住み、この公的文書で、次のことを知らせた。すなわち、ニッダヴィッツハウゼン村の誰一人として例外なく全員に対する最高位の首長の地位にあるのは強壮なわれらが若き貴族領主ラインハルト・ディーテの父祖であることは、われわれの知して知るところであり、われわれの長老たちからそれ以外のことを聞いたためしがない。彼の父祖は境界を設け、それが消失した場合には、今日にいたるまでわれらが若き貴族領主のためにそれをつくり直した。われわれはそれ以外のことを聞いたことがなく、われわれ全員はわれらが正しき領主に宣誓して、そのように語るのであり、それでもなお不十分だと言うのであれば、われわれは聖人に誓ってそれ以外には何も知らないと確信したことを守るために、われらがpfernerschのクルデス・シュタインメッツェンの印章をこの文書に捺印した。そして私、上記のコンラードゥスは上記の人々の願望により私の印章をこの文書に捺印したことを認める。1436年聖マルグレーテンの日(11月16日)の後の月曜日に記す。


 

 8-1-5 ロールバッハ Rorbach (14世紀)


 (ロールバッハは今日のヘッセン州東北部の町ルートヴィッヒザウに属する)

 これはわれらが慈悲深き貴族領主たる方伯が古来よりロールバッハでもつ法である。
 まずわが貴族領主は首と手に対する最高の裁判所をもち、最高の命令権をもつ。
 さらにわれらが慈悲深き貴族領主は3回の定例裁判集会を開き、第1回は聖ヴァルプルギスの日(4月30日)の後の火曜日、第2回は聖ミカエルの日(9月29日)の後の火曜日、第3回はクリスマス以後の聖なる12日間の後の火曜日であり、これらの期間に起きた犯罪を告発すべきである。
 これらの裁判のいずれにも、われらが慈悲深き領主は38シリングの収入を得るべきであり、それはわれらが慈悲深き領主の地方官に納められ、そのうち飲食費に当てられるべき部分は小貢租と呼ばれる。
 われらが慈悲深き貴族領主は正当な貢租として毎年16マルクを得る。これは邦貨10マルクにあたり、1マルクは27ローテンベルク・シリングに換算される。そのうち、12マルクはわが貴族領主のものとなり、4マルクは領主ティーレン・フォン・ベンハウゼンのものとなる。その半分は聖ミカエルの日に徴収され、われらが貴族領主に6マルク、領主ティーレン・フォン・ベンハウゼンに2マルクが城塞禄として納められ、他の半分は聖ヴァルプルギスの日にわれらが貴族領主に6マルク、領主ティーレン・フォン・ベンハウゼンに2マルクが城塞禄として納められ、われらが貴族領主にはいかなる世帯主も謝肉祭の鶏を納める。
 わが慈悲深き貴族領主は聖ミカエルの日に40フィアテルのエン麦を得て、そのうち3シェッフェルを譲渡し、1フィアテルをザッシンハインの荒廃した保有地に、1シェッフェルをベンハウゼンの荒廃した農地に与え、われらが領主の従者と地方官は1マルターのエン麦をそこから得る。われらが領主の猟師は領主のエン麦を受け取り、われらが領主の狩猟のときには、領民は猟師に不平を言ってはならない。
農民保有地にはないロールバッハの森林は、ネンテンラートに至るまで、昔から領民の共同林であり、今や領民は部外者のために木を守るのことはできず、領民はわれらが慈悲深き領主の助けと助言を受け入れ、神から恩寵を賜り、われらが慈悲深き領主が領民に森林を必要と財産のために守るように告げ、ロールバッハの領民は森林を自分の必要のために利用するべきであり、それゆえ領民は共同放牧をおこない、われらが慈悲深き領主が当地に来られたらときには、われわれにそれを認めてくださることを希望する。
 これはベンハウゼンとリルゲンベルクのわれらが領主の代官管区に属する法である。
 まず彼らは代官管区のために損害と負債について裁く権限をもつ。彼らは聖マルグレーテンの日(11月16日)の後に定例裁判集会をもち、身体または領主の非常事態以外の理由で集会に欠席すれば、5シリングの罰金を納めなければならない。
 訴えることがある者は村長に申し出るべきである。5シリング未満の訴えであれば、できるだけ村長が裁くべきである。そうでなければ、ベンハウゼンとリルゲンベルクのわれらが領主の代官に彼の裁判を指示し、代官は最初は5シリングの罰金を命じるべきである。彼が来なくても、5シリングの罰金を科すべきである。第3回目は1フントの罰金が最高額である。最高の罰金額は3フントである。彼らが得る賦役に違反すれば、5シリングの罰金を科す。
耕地に課された年間運搬賦役は、ヘルスフェルトまたはローデンベルクへの1フーダーの木材の運搬であり、賦役は互いに平等に分担される。ハイゲンラートの住民を除いて、いかなる世帯主も謝肉祭の鶏を納め、いかなる世帯主も収穫における1人の刈り取り人を提供する義務を負う。これらはすべて賦役によるものであり、法によるものではない
 水中の魚を守らなければ1フントの罰金が科せられ、領民は自分の必要のために水を利用するべきであり、できるだけ魚を損わないないように水を保つべきである。
 放牧地を領民の利用のために他所者から守らなければ、1フントの罰金が科せられる。
 最も富裕な者には2シリング以下を課税することができるが、それより高い課税はできない。他の者にはその能力に応じてそれ以下を課税することができるが、ハイゲンラートの住民は除外される。
 そのかわりハイゲンラートの住民は聖ミカエルの日の鶏を首席司祭に20羽、ベンハウゼンとリルゲンベルクの領主に20羽納め、聖ヴァルプルギスの日にヘルスフェルト価で1フント、聖マルティノの日(11月11日)に28シリングの半分を首席司祭に、半分をベンハウゼンとリルゲンベルクの領主に納めるべきである。
 ネンテンラートという名の森林を守らなければ、1フントの罰金が科せられる。
 ベンハウゼンとリルゲンベルクの住民は飲食店をもつべきであるとわれらが領主に申し上げ、われわれはそれを恩恵による飲食店とみなして、彼らのために飲食費を税金から支払っているが、住民はわれわれにさらなる要求をしており、われわれが法によって支払うべきだというようなことを、誰もわれわれの父祖から聞いたことはない。
 共有林で開墾のために犂で耕す場合、開墾者は作物がとれる耕地から3ペニッヒを納め、これは森林税といわれ、首席司祭の従者、ベンハウゼンの領主の従者およびリルゲンベルクの領主の従者が徴収し、それをどのように保管するかは、彼らがよく承知しているとおもわれる。

 8-1-6  オーバーアウラ Obernaula (1462,1467年)


 (オーバーアウラはカッセルとフルダの中間に位置する)

 神の名においてアーメン。この公文書の朗読を見聞きするすべての者に知らせる。1467年、第15の15年期、父なる神の最も神聖で、神のごとく賢明なるパウルス教皇の第4年度、9月15日正午の頃、マインツ司教領のオーバーアウラ村で教会墓地のまわりの壁に接するわれらが愛するフラウエン・ベルクで、通常の裁判が開廷され、下記のように私が公的書記として任命され、さらに証人が特別に出廷を要請され、命じられた。今回は貴族領主トーン・フォン・ヴァイターシュフッセン、厳格で堅実な貴族領主エーベルト・フォン・ヴァルデンシュタイン、貴族領主ヴィッデキント・フォン・ヘンフェルシュが、高貴なる君主および領主、ヘッセンの方伯、ツィーゲンハインおよびニッダの伯爵のハインリヒ侯によりそうした裁判に派遣されて出席した。また彼の慈悲による顧問として、貴族領主・荘園管理人のハンス・フォン・ドリンゲンベルクは父なる神の最も尊敬すべきマインツのアドルフ大司教・選帝侯の代理として、また彼自身のためにもそのような権限を認められて、出席した。両者から派遣された人々は、同裁判所参審員をもち、裁判所に出廷する参審員はビーレン・ハンス、エンゲル・シェイデン、キルシェン・リヒャルト、ハッペル・ロッツェ、ヘネン・・・ラウヒャルト、ヴェッフェラー・イム・グルンデ、ブラッハ・ハイネン、ヘネッケスヘンおよびヘネン・トスであり、彼らは順番に座り、上述の領主と参審員の椅子に誓って、彼らの妻子に誠実の義務を尽くし、彼らの魂が逝かねばならない最期のときまで、わが慈悲深き領主がもつ統治権、法および良き慣わしを法によってしかるべく告げ、知らせ、宣告することを望んでいる。そして上記の貴族領主ハンスはとくにマインツのわが慈悲深き領主のために、彼の慈悲によってオーバーアウラの裁判所で彼に認められた権限にもとづいて、職務と宣誓にかんして彼の権限に属さない場合は、それにしたがって行動し、法によって彼の権限として認められている場合は、ひきつづき遂行するべきである。参審員は退出して審議をおこない、再度入場し、覚書を提示し、法として宣告し、その正当性を告げた。裁判所で読まれた覚書の内容は、古くから広範な人々の記憶として彼らに受け継がれてきたものであり、それは逐語的に以下のように述べている。
 神の名においてアーメン。これらは派遣された両貴族領主がオーバーアウラの参審員たちに裁判所で求めた法であり、聖ヴァルプルギスの日(4月30日)の後の月曜日に教会墓地のまわりの壁に接したベルクで彼らは審議し、法として告げた。二つの裁判はオーバーアウラの定例裁判集会であり、一つはベルクにおける月曜日の集会であり、ツィーゲンハインのわが領主が杖をもつべきである。他はシュミッテンという名前の村落における火曜日の集会である。両領主によって古くから設けられた自由地では、首と頭にかかわる罪を犯した者が、そこに入れば、自由を得るべきであり、マインツのわが領主は上記の日に裁判の杖をもつべきである。両裁判所で罰金が徴収されれば、両領主がそれを折半する。首と頭にかかわる犯罪が起こり、武器が不法に引き抜かれたら、罰金と武器はツィーゲンハインのわが領主だけのものとなる。すべての法的な命令はオーバーアウラの裁判所ではマインツのわが領主の権限に属する。オーバーアウラの裁判所では貢租の32フントは、各領主に折半される。マインツのわが領主は森林を両領主の利用のために守るべきである。ツィーゲンハインわが領主は、水を両領主の利用のために守るべきである。マインツのわが領主はオーバーアウラでいかなる種類であれ半日の賦役、収穫期の1日の刈り取り賦役を得る。刈り取り人は自由民であるべきである。これに対してツィーゲンハインのわが領主は年間3つの宿営をもち、一つは乾燥飼料、二つは牧草を備え、12頭または24頭の馬を収容し、ツィーゲンハインの伯爵が望むなら、人馬を村落と裁判所の負担で提供するべきである。ツィーゲンハインのわが領主とマインツのわが領主がオーバーアウラ村に貢租を課すべきであるなら、マインツのわが領主は村の眞中をとおる河川の下流に課税する必要があり、ツィーゲンハインのわが領主は河川の上流に課税すべきである。マインツのわが領主の犬が河川上流のガチョウに噛みついたら、彼が補償すべきである。ツィーゲンハインのわが領主の犬が河川下流のガチョウに噛みついたら、彼が補償すべきである。マインツのわが領主は裁判所でフーフェ保有地の小麦を得る。それが納められれば満足すべきである。これに対してツィーゲンハインのわが領主が裁判所で代官の家畜飼料を得ることは、周知のとおりである。フーフェ保有地税、または周知のフーフェ保有地に課される鶏と十分の一税は、マインツのわが領主に徴収権がある。他方ツィーゲンハインのわが領主は聖ミカエルの日の雄鶏と謝肉祭の鶏を得る。マインツのわが領主はオーバーアウラで関税を単独で得るのに対して、ツィーゲンハインのわが領主は市場権をもつ。マインツのわが領主が来て、随行を求めるか命じたら、彼に従うべきである。ツィーゲンハインのわが領主が囲いの中の人々を捕えたら、彼らは領主に従うべきである。マインツのわが領主はオーバーアウラの刑場に十字架を設置して、誰かをそれに架ける。これに対してツィーゲンハインのわが領主は刑場に処罰台を置き、そこに首かせを付ければ、支配と法を一層よくわからせることができる。二人の領主のうち一方が不当な命令をおこなったら、他方はそれを撤回すべきである。上記の二人の裁判領主の一方が争いや捏造をおこなったら、他方は裁判所と住民をその財産とともに保護し、オーバーアウラの防壁となるべきである。いかなる市民または市民の子どもも、望むなら、ワインまたはビールを売るべきであり、領主はそれを妨げてはならない。長老たちからわれわれに受け継がれているところによれば、オーバーアウラの裁判所では忠誠の自由があり、最高権力者もいないため、領主という名の先人がわれわれにもたらしたのは、参審員であり、彼らはわれわれのために裁判所に行って法を宣告し、われわれもまたそれを法として告げ、決してそれ以上に良いものはないと理解している。オーバーアウラでは自由な農地はなく、唯一の例外は寡婦のみである。アウラの市民または市民の子どもは、鐘の音が聞こえる範囲内では、たも網で魚を獲ってはならず、領主はそれを妨げてはならない。市民または市民の子どもは犬によって野ウサギを捕えることができ、あるいはイノシシを捕えて、その頭をツィーゲンハインの領主に送り届ければ、領主はその捕獲を妨げてはならない。二人の領主のうち一方が裁判所で不法な権力をふるうか、裁判所を苦しめたりしたら、他方はそれを止めさせるべきである。前述の条項を宣告したのはわれわれの先人であり、ファルケンベルク、すなわちベルクという名の壁際の裁判所のわれわれの裁判仲間であった。われわれもそれ法として告げ、それ以上に良いものはないと考えている。この前述の法を、一致団結して宣告した参審員は、エンゲル・ハッセファンク、ヘルマン・ガイゼ、ペーター・ヴァイデマン、ドライエ・ハインツ、エッカルト・ルーディゲン・フォン・アウラ、ブルンガイセン、アイルシェーエン、エンゲル・ヒッバーリング、ハインツ・ラウヒャルト、モラーヘン/
アウフ・デム・グルント、ハッペル・フォン・ヴァルツフーゼンおよびブラッハハンツである。それは1462年聖ヴァルプルギスの日(4月30日)の次の月曜日に作成された。わが慈悲深き領主のために派遣された上記の人々は、貴族領主ハンセンとともに、両領主と自分自身のために、両領主またはとくにそのうちの一人に認められる若干の他の統治権または法が、文書で把握されていないのか、法の宣告を問うた。参審員たちは異口同音に助言として、ハルンスバッハとエッケローデは完全に方伯領に属し、フライディッゲローデは完全にマインツ領に属するということを法として告げた。彼らはまた、ハウゼンとエブラが完全にマインツ領に属し、エブラ村のすべての賦役とすべての物事がハウゼンに属すると告げた。ただし例外として、エブラの住民は訴訟においてアウラのすべての定例裁判集会に属するが、他方でハウゼンの住民が保有するマインツのわが領主の慈悲により、必要があるたびに、エブラの裁判所をハウゼンの橋の前で開くことができる。そのためエブラの住民はヘッセンのわが慈悲深き領主に燻しエン麦、聖ミカエルの日の雄鶏、謝肉祭の鶏を毎年納めるべきであるが、12羽より多くを納める必要はない。さらに参審員は良き慣わしを次のように告げた。すなわち、外来者がアウラの裁判管区に来て住んだら、彼がいかなる領主のもとへ行こうとも、彼は領主に奉仕すべきである。マインツの男子奉公人がヘッセン方伯の女子奉公人と神聖な結婚をして、夫が死亡したら、その子どもはヘッセン方伯の領民にとどまるべきである。同じくヘッセン方伯領の男子奉公人がマインツ領の女子奉公人と神聖な結婚をして、夫が死亡したら、その子どもはマインツ領民にとどまるべきである。前述の区別にしたがって、そうした裁判管区に属する村は、アウラ、ヴァルスハウゼン、エブラ、ヴァイセンボルン、ショルパッハ、ウドルフフローデ、ハルンバッハ、フリディンゲローデ、クリステンローデおよびファルケンハインであり、さらに荒廃地のルンデローデ、ドゥーベンシット、シュタインボッケルの水車、ニッダー・ショルパッハとヘイメスヴェンゲ、スリッフェとホイヒェルハイムである。そうした両領主の法と自由と所有にかんして、それぞれの条項はすべて正当で、完全で、真正であり続けうる。上述のように、わが敬愛するヘッセンの領主の使者は、上記の貴族領主 ハンゼンとともに、そのことについて認めた。・・・下記の公的書記は、法

 8-1-7 ヴァールスハウゼン Wahlshausen (1467年) 


  (ヴァールスハウゼンは前述のオーバーアウラの近傍)

 神の名においてアーメン。この公文書を見るか、読むのを聞く者すべてに知らせる。1467年、15年期と称される皇帝の命令の第15番目の年、父なる神の最も神聖で、神のごとく賢明なるパウルス二世教皇の戴冠の第4年度、10月24日正午の頃マインツ司教領の都市ノイシュタットで、ツィーゲンハインおよびニッダのわが慈悲深く敬愛すべきヘッセン方伯ハインリヒ侯の荘園管理人を務める堅実なる貴族領主ハンス・フォン・ドリンゲベルクの住宅において、公的書記の私と後述の証人の前にとくにマインツ司教領のヴァルスハウゼンの後述の人々がしかるべき強い要請をうけて出席した。彼らとヴァルスハウゼンの彼らの住民仲間のために、上記村落の全員が、老齢と病気で出席できない2人を除いて、ともに出席し、ヴィントルート・ヘンネ、ヘルマン・ホーベス、グロックヘンネ、ハッペルン・フォルデヘンネ、ジーモン・フリッチェ、コニック、ラートヘンネ、ヘンネ・ヘラー、ジメオンス・ヘンツェ、ジーモン・フレッセス・ヘンネ、リヒェスヘンネ、ハインツェ・リルスロートおよび炭焼きのクラスが出席し、老ハッペルとゲラルトは老齢と病気のため自宅にとどまり、他人に出席を委任した。彼らはそのように述べて、彼ら全員が個々に強制されることなく、すすんで、切に心から謹んで、前記の貴族領主ハンスに許しを請うと、いささか彼を怒らせたが、彼は神のためにおだやかに容認しようとした。貴族領主ハンスは法的に正当な願いとみなして、心にとめ、神の名に反して心を曲げ、怒りをしずめておさえるのが最良であると考えた。同上の人々はさらに、彼ら自身と彼らの相続人や後継者のために、古くからのしきたりにしたがって、またかつてファルケンベルクやゴルツェの住民とその先人によっておこなわれたように、マインツのわが慈悲深き領主に従順に奉仕することを、上記領主ハンスに異口同音に力強く約束し、語り、同意した。上述の事柄をあらためて判断したうえで、前記貴族領主ハンスは公的書記としての私に一つないし複数の書類を必要な分だけ作成するように求めた。こうして上述の裁判集会は前述の年度、15年期、教皇の統治年度、月日および場所でおこなわれ、上述の裁判集会の証人として、堅実かつ慎重で誉れ高きアイゼンバー、ノイエンシュタットのヴィントハウゼン・ボルクマン、マインツ司教領のフルートヴィンの裁判官ヒンリクス、その参審員ヘルマン・クラーレンが同席することが、とくに強く要請された。
 マインツ司教領の聖職者、皇帝権力の公的書記である私ヴィーガンドゥス・オーテンザッセンは、この公文書において、前記の証人たちとともに上述の事柄に立ち会い、前述のような要望と懇願、穏当な指示、承諾、要求および同意を見聞したことを認め、この公文書を自分の手で書いて公開し、真実の証明を要請し、この要請がかなえられた後に、このようなドイツ語の公的形式にして、前記の私の姓名による署名をおこなった。

   8-1-8 アウラ Aula (1347年)


 (アウラは正確にはニーダーアウラのことである)

 これはアウラの裁判所の争いをめぐるアウラの参審員の陳述である。まず彼らは、ヘルスフェルトのわが領主が彼の荘園民、漁師、製粉屋、定住民、代官の従属民、自由民に命じる権限をもつと、全員一致で述べた。それ以外に彼は裁判所でいかなる命令権ももたないが、彼が必要とする場合には、服従を命じる権限をもつ。しかしヘッセン方伯が同様に服従を命じたとき、その翌日にヘルスフェルトのわが領主が彼の必要のために命令したら、彼らはヘルスフェルトのわが領主に服従すべきであり、方伯に服従してはならない。彼が裁判所で雌牛を取得してはならない場合は、皇帝のもとに馬で行くべきであり、そうすれば彼は雌牛を彼の領民と農地に取得することができる。狩猟区はヤッセ川からエブラ川まで、エブラ川からガイザ川までであり、養魚池もその間にある。ヘルスフェルトのわが領主に領民から納められる罰金全体の3分の1は裁判所、3分の2はヘルスフェルトの領主のものとなる。わが領主ヘッセン方伯は裁判所と命令権をもち、裁判所に権力を行使する者がそれを守るべきである。貴族または市民の土地がわが領主の裁判所に負債を訴えられた場合、彼が望むなら、彼を彼の土地領主のもとへ行くように指示すべきである。そこで彼が容赦されれば、彼は戻って地方裁判所に行き、そこで裁きをうけるべきである。いかなる者も裁判所で彼の地代より高額を差し押さえてはならない。地代が1年分を超えたら、地代の年数分を差し押さえて、裁判所に訴えるべきである。ヘッセン方伯は裁判所で雌牛を取得してはならないか、権力を行使してはならない。この陳述には、ヨーハン・フォン・アイゼンバッハ殿、アピル・フォン・ルーマーロート殿、フォン・ヴァルデンシュタイン、ヴィーデキント・フィンケ、ジーモン・フォン・ランデッケ、ヘーベラーおよびフォルプレヒト・ケラー、その他多数の良民が出席し、私ヨーハン・フォン・アイゼンバッハが私の印章をこの文書に添えて証書とした。1347年。。


 8-1-9 ヘルスフェルト Hersfeld (1523年)


  (ヘルスフェルトは今日のバートフェルスフェルトに当たる)

 本日、1523年聖ルカの日(10月18日)の後の月曜日、尊敬すべき君主、ヘルスフェルトのわが領主は、修道院の土地保有者たちを、貴族領主フォン・レッケロートのヴィルヘルムおよびラーベン兄弟とヴェルンヘル・フォン・ヴァルデンシュタインとの間の問題で裁判に召集し、ノイエンシュタインを訴えて、その裁判で裁判官は最初に、わが領主の土地保有者裁判集会を開くときか、問うた。保有者たちは、そのときであるということを法としてして認めた。裁判官はさらに、わが慈悲深き領主に対してそのような土地保有者裁判集会をいかに開くべきか、問うた。それに対して次のように法が告げられた。すなわち、教皇の罰令にしたがい、皇帝の命令により、ヘルスフェルトのわが慈悲深き領主の罰令により、土地保有者の考え方により、あらゆる自由と統治により、古くからの慣わしと修道院のしきたりのとおりに裁判集会を開くべきである。
 その・・・にしたがって、裁判官は裁判集会を開き、法を許可し、不法を禁止した。また裁判官は、次のように命じた。すなわち、裁判集会を役立てたいとおもう者は、慎み深く発言すべきであり、許可を得ない者は発言してはならない。また、裁判を混乱させるものの持参はすべて禁止される。
 わが慈悲深き領主は、彼の慈悲に対して誰がこの裁判の費用を用意して払うべきか、という問題をとりあげた。それに対して土地保有者たちによって、この裁判を望み、役立てたいとおもう者が、審理の決着までそれを用意すべきであると認められた。
 さらに土地保有者たちによって、次のことが認められた。すなわち、裁判を望み、それを役立てたいとおもう双方の当事者は、杖を手に取って誓い、審理の決着後に生じる費用を保証すべきである。
 判決にしたがい、フォン・レッケロート兄弟とヴェルンヘル・フォン・ヴァルデンシュタインは杖を手した。
その後レッケロート兄弟は原告として裁判官と土地保有者たちに判決を問おうとして、土地保有者裁判集会の古き良き慣わしとしきたりにしたがい、発言者、警告者および尋問者各1名を裁判席から法にしたがって任命しなければならず、この手続きは公正になされるべきである。
 同じくヴェルンヘル・フォン・ヴァルデンシュタインも判決を問い、要請し、法によるに任命をおこなった。
 その後裁判官と土地保有者たちは慎重に検討をおこない、双方の当事者は彼らにそれを公表して審理するように要請した。双方のいずれも発言者、警告者、訊問者各1名が裁判席から選出され、彼らの座席が空席になったら、審理が長びいて費用がかさむので、両当事者のいずれも、修道院領民である仲間の一人に依頼して、彼らを着席させるように言葉をかけてもらい、ほかにどうしようもなければ、両者とも彼の言葉にしたがって、法について発言を控えた。尊敬すべき君主、わが慈悲深き領主は、「御領主様は修道院領民をよくご存知であり、何も告げす黙っておられる」と言わせ、訴訟当事者がそれを残念におもい、当事者双方のいずれも、彼の言葉を受けいれて、他者を座らせるなら、御領主様は審理を免除するだろうが、とはいえ、そうしたことで裁判のしきたりと慣わしを破棄してはならない。
 こうしていずれの訴訟当事者も着席の言葉をかけてもらった。
 この後レッケロートは口頭で訴えを述べ、ヴァルデンシュタインはその写しと考慮時間を求め、これに対して原告は異議を唱えなかったが、1-2時間または3時間より長い考慮時間を認めようとしなかった。ところが裁判集会は被告に訴えの写しと、14日間の3倍および3日間の考慮期間を権利として認めた。原告は、この協議の写しと彼らの考慮期間の権利を願い出たところ、それは承諾された。さらに原告は。この審理と判決が誰に提示されることになっているのか、問うたところ、上級裁判官としてのに尊敬すべき君主、へルスフェルトのわれらが慈悲深き領主に提示されると知らされた。

 8-1-10 キルドルフ Kirdorf


  (キルドルフはフランクフルト・アム・マイン市の近くのバートホンブルクの一地区である)

 この法はフォン・ツィーゲンハイン伯爵が相続人に伝えたものである。まず、彼とその関係者以外いかなる者も、彼の森林を分割してはならない。
 流血の惨事あるいは救助を求める騒動からキルドルフに逃げて来る者は、わが貴族領主とその関係者以外いかなる者からも罰金を科されることはない。
しかし流血の惨事または救助を求める騒動が起きれば、わが貴族領主に5シリングの罰金を科される。
 しかしキルヒドルフ村の前で逃亡がなされ、村内への逃亡にいつわりがあるか、殺害されて村内で倒れたら、わが領主は罰金を徴収する権限をもつ。
キルドルフ村内で、わが貴族領主とその関係者以外、いかなる者も命令してはならない。
そこではわが貴族領主の市民および領民以外、いかなる者も酒類を売ってはならない。またパン、ビールおよび肉を検査する者は、たとえそれらを持っていても、自分の意志で勝手に売ってはならない。
 いかなる者も、地方官の許可なく、商品を売ってはならない。いかなる者も、わが貴族領主の承諾を得ることなく、裁判をおこなってはならない。
 村民が殺人犯またはどろぼうまたは犯罪者を連行する必要があるか、連行した場合、わが領主の承諾を得ることなく、村のさらし台に入れてはならず、領主はそれに護送人をつけるべきである。また犯罪者を裁判所の外で捕らえる場合、村民全員が集合したら、キルドルフの住民は謙虚に追跡しなければならない。それ以外の場合、彼らは追跡する義務を負わない。必要な場合は、彼らはキルドルフの住民の首と頭について裁く義務を負う。
 キルドルフの住民は、命令されなくても余裕があるときに、丘の上に行き、さらし台を村内に設置する義務を負う。彼らは聖霊降臨祭の後の月曜日にそれを済ませる。
 外来者がキルドルフで売買をして、それが正直な取引なら、アルツフェルトの地方官に関税をみずから納める義務を負う。
 農奴が死亡したら、死亡税として1フントを地方官に納める。
 いかなる者も、わが領主とその関係者に申し出ることなく、所有また相続財産を売ってはならない。
 いかなる者も、最良の収入を得て、損失を警戒し、金銭を求めるには市民権が必要とされるので、わが貴族領主に受け入れを望まなければ、キルドルフに移住してはならない。

 8-1-11 アイゼンハウゼン Eisenhausen (1485年)


 (アイゼンハウゼンはマールブルク市近郊のシェッフェンベルクの一部である)


 1485年聖アントニウスの日(6月13日)の後の火曜日、6月18日、アイゼンハウゼンの農奴裁判所の裁判官と参審員の両者はブランケンシュタインの財務官ハインツ・クンツェの問いと指示に応じて、ヘッセンの書記官ヨーハン・シュタインの同席のもとで、古いしきたりにしたがい、とりわけこの農奴裁判席と裁判所の法と自由をヘッセンの方伯のアイゼンハウゼン荘園で宣告した。
 われらが慈悲深き領主たる方伯のいかなる農奴であれ、身体の異常によって、相続した農地を移転、売却または譲渡しなければならない場合、彼はそれをまず最初に正規の相続人に提供すべきであり、相続人が提供された農地を受け取ろうとしなければ、上記の農奴は、彼と同じく方伯の農奴である彼の同僚に提供すべきである。彼の同僚もそうした農地を望まない場合は、上記の者はその農地を名目上領主に、すなわちわれらが慈悲深き領主である方伯のブランケンシュタインの地方官に提供すべきである。方伯の地方官も上記の農地を買おうとせず、あるいは可能性に応じて貸与しようとしなければ、上記の農奴はアイゼンハウゼンの裁判席の裁判官および参審員から、捺印した書類を受け取り、この書類の印章は上記の相続農地をすべて規定どおりに取り扱ったことを証明するブランケンシュタインの現職地方官のものでなければならず、いかなる者も彼の権利に異論をさしはさまなければ、その相続農地を移転または売却してもよい。
 そのような相続農地を前述のように取り扱わなければ、裁判所に訴えられ、裁判所は裁判所の通常の法にしたがって正規の相続人を定め、守るべきである。
 そのような農地を受け取る農奴は、彼の所有地に貢租および農奴貢租を負担すべきである。
 前述のような農奴相続地を受け取るいかなる他所者も、その農地保有者が裁判所の法の内容にしたがってそれを保証できない場合は、その農地を売却譲渡した者が不誠実な取引をして、裁判所を正しく利用しなかったことを上司に告げるべきである。
 領主のもとで農奴地の土地保有権をもついかなる者も、農奴が望むなら、他所者と同じ地代と権利でその農地を貸与すべきである。ただし、他所者が地方行政区の規定の書類をもち、しかもその書類が当地で方伯の農地といわれるすべての農地について調査されたものである場合は、その限りではない。。
 いかなる農奴保有地も当地の外部の者には受け継がれず、ブランケンシュタイン荘園のわれらが慈悲深き領主に受け継がれて相続され、必要があるたびに、アイゼンハウゼンの農奴によって訴えられるべきである。
 いかなる者も領民から妻をめとり、相続がなされた、相続農地は正規の相続人および共同相続人に受け継がれ、外部の子どもには受け継がれない。
 次のように言う者がいる。すなわち、そのような前述の裁判は7年間のみおこなわれるべきであり、そうした裁判は領民でない者との結婚によって変化があったか、または領主の貢租を課されたか、二つの土地にについておこなわれる裁判と理解され、そうした取引または問題をめぐっては、7年間の裁判をおこなうのがしきたりであり、成り行きにしたがって進むのがこの裁判の慣わしとしきたりである。しかし農地その他の問題について、上述のアイゼンハウゼン裁判所に属する領民に訴訟が必要となれば、そのたびに、そうした問題や農地について彼らの求めと要望に応じてそこで裁判を開くべきであり、常に裁判と法は経過、しきたりおよび慣わしにしたがって彼らの助けとなるべきである。
 次のように言われた。すなわち、他の地方、伯領または地域からやって来る者を農奴として受け入れ、彼らにも従来どおりものが保障される。

 8-1-12 アイゼンハウゼン Eisenhausen (1532年)


  1532年ヘッセン方伯フィリップスはアイゼンハウゼンの農奴裁判所の帳簿を都市会計官ルートヴィッヒ・フォン・ボイネブルク、書記ヨーハン。ファイゲンによって検閲させ、次のように訂正させた。
 いかなる農奴であれ、・・・(以下「外部の子ども」まで、1485年の規定と同文)
 いかなる者であれ、妻をめとり、領民となり、子どもを得たら、その子どもあるいは子どもの子どもはいつでも領民となり、30年以内に申し出ればその親族相続人となることができる。
 農地の相続人と共同相続人になりたいと思う農奴は、アイゼンハウゼンの裁判所の古いしきたりと法律にしたがって、その農地を彼の直系の後継者と共同相続人とともに耕し守るべきである。
 他邦からディソルツェ、エックマンスロートおよびレッディングスベルクを越えてグラーデンバッハ、ダウトフェ、アイゼンハウゼン、ブライデンバッハの裁判管区、リックスフェルト裁判管区、あるいはわれらが慈悲深きヘッセンの領主の他の裁判管区に入って来る男女は、われらが領主の農奴となり、ブランケンシュタインの荘園の貢租と鶏税を負担すべきである。
ディソルツェで土管がこわれたら、われらが慈悲深き方伯とナッサウの領主に罰金を納めるべきであり、ディソルツェを越えてヘッセンのわれらが領主の侯国に入ろうとして、上記のディソルツェの水域にとどまる者は、ナッサウの良民が助けるべきである。しかし上記のヘッセンの領地からナッサウへ移動しようとする者は、方伯の領民が助けるべきである。
 ロディンゲンベルクを越えて前記の裁判管区に入って来る者は、農奴一人分の鶏と貢租をブランケンシュタイン荘園に納めるよう指示される。
 ヴェッター伯領、バッテンベルク領およびツィーゲンハイン領からヘッセンのわれらが領主の侯国に来る者は、農奴一人分の鶏と貢租を納めるべきである。
 ヘッセンのわれらが領主の諸都市から来て、われらが領主の侯国の裁判管区に定住する者は、農奴としてブランケンシュタイン荘園に属する。
 ヘッセンのわれらが領主の侯国に属するブランケンシュタインの荘園から農奴が他所に移り、ヘッセンのわれらが領主の侯国の農奴の土地を得て、利用しようとするなら、彼はそうした農地がブランケンシュタイン荘園に対する鶏および貢租を負担することを承知すべきであり、前記の裁判管区に戻って来る者も、彼が以前もっていたのと同じ権利をもつべきである。
 農奴が死亡したりその農地が売られるかして、他人の手に渡ったら、相続権をもたない農奴にその農地を保有させるかもしれない。正規の相続人はそれを知りながら何も言わず、裁判所と法がそれを見逃してまえば、その後も永遠に黙っているべきである。
 すべての僧侶の子ども、修道士の子ども、すべての娼婦の子ども、両性具有者は、わが慈悲深き領主の裁判管区に定住または居住していれば、ブランケンシュタイン荘園に属し、鶏と貢租の義務を負う。これに対して前記の子どもたちはいずれも、生まれながらにブランケンシュタインに属する方伯の領民と同じく、農奴裁判所を自分権利のために役立てることができる。

 8-1-13 ヴィンネロート Winnerod (1561年)


  (ヴィンネロートはギーセン市の東側に位置する)

 1561年聖フィリポと聖ヤコブ使徒の日(5月3日)の今日、きわめて尊敬すべきアデロフ・フォン・ヴィントハウゼンは自分と兄弟のためにヴィンデンロートの代官裁判を求めて
開かせ、参審員によって次のように法を告げさせ認めさせた。まずヴィンデンロートの彼らのすべての権利、支配と禁令にしたがい、古来のしきたりどおり、村民たちは彼らの貴族領主、ヴィントハウゼンの貴族領主とその同伴者、裁判官および参審員に対して、ゼンメルとヴェックの2種類のパン、ワインとビールの2種類の飲み物、豚肉と牛肉の2種類の肉を提供し、馬には耳の高さまで達するほどのエン麦、腹の高さまで届くほどの麦わらを与え、ヴィンデハウゼンの貴族領主が彼の従者とともに宿泊するなら、白い亜麻布とギシギシと音がするベッドを提供すべきである。罰金最高額は7.5フント1ヘルプリングである。そのような裁判は尊敬すべきエーベルハルト・フォン・シュヴァールバッハ、フィリップス・フォン・トローゼ、ゲープハル・フォン・トローゼの同席のもとで開かれ、このときの裁判官は・・・であった(裁判官と陪審員の名前)。さらに代官管轄下の住民は毎年聖ミカエルの日(9月29日)の翌日の昼間に、教会墓地のそばの通常の裁判の場所で、ヴィンデンロートに彼らの小麦を納め、違反すれば罰金7.5フント1ヘルプリングを納めるべきである。それを拒む者は、特別の承認により罰金を3日間延期される。また裁判管区のすべての貢納義務を負う者は定例裁判集会に出席しなければ、罰金を科せられる。ここに書かれていることはすべて実行され、上記のわれわれ参審員によって承認され、法として告げられたことを、われわれは受け入れ、貴族領主に宣誓をおこなった。さらなる保証のためにわれわれ裁判官と参審員は、尊敬すべき貴族領主エーベルハルト・フォン・シュヴァールバッハ、フィリップス・フォン・トローゼおよびゲルハルト・フォン・トローゼに、それぞれの印章をわれわれが承認したこの文書の下部に押印するようにお願いした。上記の日付。


 8-1-14  ブライテンバッハ Breitenbach (1467年)


  (ブライテンバッハはフルダ市の北側に位置する)

  神の名においてアーメン。この公文書を見たり読むのを聞いたりする者全員に告げる。キリスト生誕後1467年、父と主なる神において最も神聖なパウロ教皇の戴冠の第15の15年期、他の教皇と同じ神のような洞察力をもつパウロ教皇の第4年度、ラテン語で11月と称する冬季の6日、その日の正午頃、マインツ司教領のブライテンバッハ村の菩提樹の方向の納屋の中の通常の裁判の場所で、下記の公的書記である私と特別に要請された後記の証人たちの前で開廷された裁判集会に、ルーメロートの尊敬すべき財務官ヨーハン・ホロンク殿、洞察力ある裁判官ヘンネ・フィッシャーおよびルーメロートの廷吏エッカルト・ハイレが、ヘッセンの高貴で気高い君主および領主のハインリッヒ方伯、ツィーゲンハインおよびニッダの伯爵によって派遣された地方官として出席し、さらに厳格で堅実な荘官の貴族領主ハンス・フォン・ドリンゲンベルクが、父と主なる神において最も尊敬に値する領主たるマインツのアドルフ大司教・選帝侯の代理として、また自分自身のために出席し、彼にその権限が認められた後、上述の両者から送られた使者は同裁判所の参審員を得て、開廷された裁判所には次のような参審員が出席した、すなわち、ブライテンバッハの老ファウベル、クルト・シューレ、ユンゲ・ハインリヒ、ヘンネ・ベッカー、ヘンネ・オルゾット、老ヘンエベルゲ、ユンゲヘンエベルゲ、モーレ・ヘンネ、ハッテンロートのファウベル、ヘンリッヒェ、ヴェッテロンファーおよびホーバーヘネンが任命され、上記の正当な領主と参審員の椅子におこなった宣誓にもとづき、妻子に対して義務づけられた誠意にもとづき、彼らの魂が逝かねばならない臨終に備えて、彼らは上記のわが慈悲深き領主がもつ統治権、法および良き慣わしを法にしたがって正しく告げ、知らせ、宣告することを命じられ、上記の貴族領主ハンスはとくにマインツのわが慈悲深き領主のためにブライテンバッハの裁判所で彼の権限を認められ、それを遵守しなければならず、職務と宣誓にふさわしくない場合は、法において彼の権限として認められたとおりに改めるべきである。そこで参審員たちは退出して、審議し、再度着席して、文書を提示し、法として告げ、公表し、そのような古くからの法、文書の内容を再度人々の記憶によみがえらせるために、次のように一語一語裁判所で読み上げた。
 これらはブライテンバッハ裁判所のいくつかの法である。古くからのしきたりによって、裁判所には2人の領主がおり、それはフルダの教会とマインツの教会に由来するが、それは半分であり、他の半分はヘッセンのわれらが慈悲深き領主のものである。これら2人の慈悲深き君主のうち1人が裁判所の法を削減したり不当に奪ったりしようとしたら、他の
1人は法を守るべきである。われわれは2人の慈悲深き君主のうち1人に広い土地を認め、他の1人にも同様に認めるが、彼が「猟師の小さな農地」と呼ばれる小農地を設定する場合は除外される。われわれはヘッセンのわれらが慈悲深き方伯にもこれを優先的に認めるが、自由地は認めない。われわれは今後も当裁判管区では自由農地および授封地を法として認めない。われらが慈悲深き方伯に対する干渉がおこなわれたら、方伯の軍隊は当裁判所に従軍の命令を発して、当裁判所の従軍部隊は道路と街頭に出て、その背後でマインツのわれらが慈悲深き領主への干渉が起きるか、あるいは当裁判所を保有している者への干渉が起きて、その軍隊が来てそうした従軍と加勢を求めたら、当裁判所の従軍部隊は向きを変えて、断固として加勢すべきである。そうしたことがおこなわれ、軍隊が前進している間は、彼らはわれらが慈悲深き方伯軍に従い、軍隊が方向を転じたら、裁判所の従軍部隊も向きを転じるべきである。
 われわれは次のことを法として告げる。すなわち、わが慈悲深き領主のヘッセン方伯はこの裁判所の杖を手にもつべきである。あるいは方伯のためにこの裁判所の席を占める裁判官が罰金を放棄するなら、彼が郷内に住み、手に杖をもち、しかもそれを要求して獲得するのでなければ(つまり目や耳で合図して催促するのでなければ)、他の裁判官も放棄すべきである。彼らがその席を立つなら、いかなる者も自分の権限を放棄しなければならない。彼が正当な裁判官のつとめをはたそうとせず、あれこれの人に問いかけようともせず、恩恵や贈与や嫌悪のゆえにそれを放棄しようとするのであれば、マインツのわれらが領主のために裁判所で彼のかたわらの席を占める者は、次のように告げるべきである。すなわち、「私に杖を渡しなさい。君は正当な裁判官のつとめをはたそうとしないので、私が貧しい者にも富める者にも問いかけをおこなおう。」そこで彼は手を伸ばして、杖をその裁判官の手から奪い取るべきである。、彼がそうした問いかけをして判決をおこなったとき、裁判官を解任するつもりがない場合は、杖を再び返すべきであり、相続のために保持してはならない。
 われわれは領主のために最高罰金額を5シリングとして、当裁判所に席を占める裁判官に5シリングを納め、廷吏に20ペニッヒを納めるように告げる。みずから不法行為をくわだてたり実行する者は、当裁判所に訴えられ、その武器をこの郷裁判所に預けるべきである。ところで、この裁判管区の住民が出廷して、質問をすることができる。すなわち、彼は、この裁判管区でいかなる自由または権利をもつかと問うことができる。われわれはそこで、彼がもつ権利として、今もなお諸君が耳にすべき自由、しきたりとしてフルダの教会によって与えられた自由がある。それはこの裁判所の正しい起源であり、それゆえ多くの巡礼者その他の領民にとって、彼らが村を通り、街道を通過するのに役立ちうる。自分の市民権を得たいかなる定住者も、彼が住んでいる村で、醸造することができ、パンを焼くことができ、屠畜することができ、酒類を売ることができ、いかなる商品でも、彼が支払えるなら、取引することができ、その代償として領主にもいかなる者にもヘラーやシュルフの金銭を納めてはならない。裁判所に席を占める裁判官は問いを発することができ、ここへ移住した外来者は前述のような自由をいかにして買うべきか、あるいは入手すべきか、と問うことができる。そこで、われわれは次のように法を告げる。すなわち、この郷裁判管区に来る者は、裁判所に席を占める裁判官に5シリング、各参審員に1ペニッヒを納めるべきであり、われらが正当な領主に躊躇なく忠誠を誓い、昼夜を分かたず、必要なときはいつでも、領主の損害防止に努めるべきである。彼は隣人や領民にも同じことを誓い、彼一人では多くのことをできないので、隣人たちとともに道をつくることを誓うべきである。
 当裁判所は2人の検査役をもつべきであり、彼らは飲み物を検査して品質を調べるべきである。これらの検査役は出廷して、飲み物を検査するとき、そこからどれほどを得るのか、問うことができる。そこでわれわれは次のように法を告げる。すなわち、半フーダーのワインから1ハルベのワイン、半フーダーのビールから半シュトープのビールを与えるべきである。さらにチーズとパンを与え、菓子を焼き、一切れの肉を与え、その後敬意を表すべきである。
彼らのうち一人の仲間が通りに出て行ったら、彼を呼び入れて、飲み物検査にかんする彼の鑑定を受け入れて、その飲み物を飲み、売るべきだという鑑定にしたがった。彼らはワインの品質を検査して、1シュトップのビールについて1ペニッヒを取得すべきである。しかし、次のように考える者がいるかもしれず、領主は次のように言うかもしれない。すなわち、「おまえはそこから都市に行けば、良い買い手がおり、しかもそこには、おまえのくにでも等しく通用する良い尺度がある。」そこで彼らは彼の取り分を考慮に入れることなく、飲み物を価値に応じて検査すべきである。彼らがそうした飲み物の品質検査したら、その飲み物を彼らに与えず、それを荷造りして、14日後にこの裁判所から送るべきである。彼らのなかに、大胆にも自分の飲み物を検査なしに売ろうとする者がいた場合、それがわかれば、廷吏が召喚して、罰金を科すべきである。ところでこれについて、彼は樽の栓を開け閉めするたびに罰金を科すべきだとしたら、どれくらい罰金を科すべきか、と問われた。われわれは、これに対して次のように告げた。すなわち、そうではなくて、彼は召喚するたびにその回数分に応じて罰金を科すべきである。また命令を破るたびに、毎回5シリングの罰金を科すべきである。1メッツェのエン麦の価値は1ペニッヒとすべきである。干草には品質に応じて払うべきである。領邦の法の一部に、運送人は畜舎の賃借料を払うことができるなら、照明費と宿泊料を納めなければならないと、定められているかもしれない。そうしなければ、彼らが通行証を得られなくてもわざと無視されるにちがいない。しかし彼らが街道を荒廃させたら、領主には関税が得られなくなるので、街道を荒廃させたら、責任を取り、彼らはそれを納めるべきである。またすべての定例裁判集会には、食料あるいは飲料いずれの計量器であれ、計量器を持参し、正確かどうかを検査すべきであり、食料計量器はフルダ尺度、飲料計量器はアルト・アルスフェルト尺度を用いなければならない。裁判所は銅製の計量器をもち、廷吏がそれをもつべきである。自分の計量器について黙っている者は、外套の下にそれを隠しもつべきであり、そのうえで言葉に表し、計量器がが正しければ、それから飲み物を注ぐべきであり、正しくないことがわかれば、酒類の販売には罰金を科せられる。この裁判管区に貧しい領民を彼の住居に住まわせていたものの、彼は支援をうけてももはや暮らせなくなり、彼の荷物を馬車か手押し車に、または彼が入手できるものに積んで、道路に出て、止まっているところに、われらが領主が通りかかったら、彼に別れを告げ、彼が旅を続けられるように助けるべきであり、彼と彼の子どもはそれを覚えているだろう。、そして彼が出て行き、再び帰ってくれば、彼または彼の相続人は、彼が別れを告げた日の古い権利を取り戻すことができる。その間、領主はこれを彼の貨幣と地代に利用すべきである。
 わが慈悲深き領主の上記の使者は、貴族領主ハンスとともに、両領主と彼自身のために、次のように問い、法の形で宣告することを求めた。すなわち、他の何らかの統治または権利は両領主または一領主のみの権限に属するということは、文書でとらえられないのか? 参審員たちは異口同音に助言として、次のように宣告し、法として告げた。すなわち、ある者について、何が彼のものなのか、あるいは彼がこの裁判管区の何に該当するのかを決める権限は、マインツのわが領主のみに認められている。
そのような両領主の権利、自由および農奴支配権において、上述のように、すべての各条項それぞれが誠実、完全かつ真正であることを守り続けるために、ヘッセンのわが慈悲深く敬愛すべき領主のために送られた上記の使者は、前記の貴族領主ハンスとともに、それについて確認すべく、下記の公的書記の私に、一つの書類を、あるいは必要なら複数の書類を作成するように要請した。これは上記の年、15年期、教皇の戴冠、月日、場所においておこなわれ、多くの敬虔な領民と、とくに証人となることを求められた堅実で尊敬すべきで思慮深い人々、すなわちグレーベナウの騎士修道会幹部クラフト・ドリンク、ヨーハン・フォレン、ハインのクローデヴィッヒ・ベルトルト首席司祭、グレーベナウの彼の兄弟ヨルゲ、グレーベナウの前司祭ヘインリッヒ、グローネンベルクのヘンツェおよびマインツ司教領の前記裁判所の裁判官コンツェ・ルーレが同席した。そして私、マインツ司教領の僧でヴィッツェンハウゼンのヘンリッヒ・ヴィルマースハウゼンはマインツの神聖な椅子の皇帝権力の公共書記として、上述の問題にかんする前記証人たちとともに、上記の年月日、場所に同席し、立場の表明、判断、問い、法の告知、提示、習得および宣告などすべてがおこなわれ、完遂され、定められた。私は熱心な懇願と要求のゆえにこの公文書を」私自身の手でこうしたドイツ語の形式で書き、記載されたすべての項目と条項の真実の証明のために私の通常の目印、姓名を記し、書き留めた。


 8-2 ヴェッテラウ Wetterau


 8-2-1 フライエンシュタイナウ Freiensteinau (1457年)


 (フライエンシュタイナウはフランクフルト・アム・マインの近く、東北の方角にある。)

 神の名においてアーメン。ここに公然と存在するドイツ語の文書を見るか、読むのを聞くすべての人々に告げる。今年キリスト生誕後1457年、・・・わが誓約書記の同席のもと、・・・ヘッセンの厳格なヘルマン・リーデゼル騎士・大元帥、わが敬愛する領主はフライエンシュタインの裁判所に出廷した。この裁判所は裁判官の貴族領主クラウスと、参審員のハインツ・ジーペルン、ハインツ・ロリヒェン、クンツェ・リッター、ヘンエ・クラインカウフ、コンツェ・アプト、ハインツ・フラッヒェン、ヘンエ・グルーエン、クンツェ・ヘンネ、ハインツ・リンク、クンツェ・ベルリヒェン、ヘンネ・ウーダーおよびヘンネ・クレーベスによって充足され、裁判所の規則にしたがって開廷され、裁判席の裁判官に前記の参審員全員に対して次のように問わせた。すなわち、彼らはフライエンシュタイナウの裁判所でいかなる法と統治を領主とその相続人に告げるか? 参審たちは退出して、それにかんする審理をおこない、再び裁判所の裁判席に戻って着席し、全員一致で次のように法を告げた。すなわち、上記の領主ヘルマンとその相続人はその法をもち、法は本来フライエンシュタイナウの裁判所の名において彼らのものであり、裁判所のためのすべての命令と禁令も彼とその相続人のものである。彼らは裁判の進行、罰金およびそこでの犯罪について領主に告げ、ヘーリンが得る罰金の4分の1を除いて、彼に納める。彼らは当裁判管区に含まれる限りの狩猟区を彼に割り当て、農民が野生動物をこの裁判管区で捕えたら、領主ヘルマンまたはその相続人は罰金を科すことができる。彼らはまたヘルヒェンバッハ川を保護された水域と指定し、わが貴族領主フォン・イーゼンブルクと領主ヘルマンは彼らの漁師をそこに就労させることができ、これら2人の漁師が水の中で争い、一方が他方を襲って殺害し、被害者の頭部がフライエンシュタイナウの方向に倒れたら、死亡税は上記の領主ヘルマンとその相続人のものとなるが、反対方向へ倒れたら、死亡税はイーゼンブルクのものとなる。
 さらに前記の領主ヘルマンは、フライエンシュタイナウの裁判管区の境界はどこで、いかなる末端で方向転換をするのか、裁判所に問わせた。上記の参審員たちは全員一致して、次のように告げた。すなわち、裁判管区はナクスブルクで方向転換して、さらに干上がったラウター川まで行き、そこからデンネンフルトまで行き、さらにヘルヒェンバッハ川まで進む。
 これら上述の、前記参審員と裁判官の宣告と正当な通告のすべては、読み上げられる前に書かれ、わが敬愛する前記領主のヘルマン・リーデゼル騎士は、公共書記の私に記録をを要請した。マインツ司教領のグーテンスベルクの公証人コンラート・ヘルキス。 

 7-2-2 ウルムバッハ Ulmbach (1415年) 


  (ウルムバッハはフランクフルト・アム・マインの近く、東側に位置する)

 神の名においてアーメン。キリスト生誕後1415年、マインツ司教領のウルムバッハという名の村で正午頃わが公共書記と後記の証人たちの同席のもと、フルダのそばのノイエンベルクの尊敬すべき聖職領主のオッテ首席司祭が、前記村落ウルムバッハに世俗裁判所を正しい時に、代官とその裁判官および裁判所参審員並びに住民の出廷により、法と慣わしにしたがって、完全かつ十全の裁判集会を開き、当裁判所の前記世俗裁判官の前で語り、しかもノイエンブルクの首席司祭と修道院のために同等に、できるかぎり最善を尽くして明白かつ明快に語った。彼はまた裁判所の参審員に、神のために彼の跡を継ぐすべての首席司祭、修道院、裁判所およびそれに属するすべての人々に対する愛と有為と最高の善意を尽くすように説き、彼らが審理日程を守りてとして誓いを立て、後述のような条項について、何が正しいのか、 述べ、教え、告げ、知らせるように説いた。そのうえでそれらの条項は定められ記載され、もし説明が必要なら、その後前記村落の裁判所と追補の裁判所の両者で知らせることができる。
 そのような力強く、法にも似た要望に応えて、前記裁判所の裁判官と参審員は次のように告げた。すなわち、彼らはそのことにかんして古くから承知し諒解し合っているように、彼らの領主である首席司祭に、前述の事柄についてすすんで告げ、教示し、知らせ、そのことをすすんで保証する。
 これにかんしてわれらが領主たる首席司祭は、彼と彼の修道院が前記村落において裁判にかんしていかなる自由をもつか、教え、告げ、知らせてもらいたいと請うた。これに応えて彼らは次のように知らせた。すなわち、前記のノイエンベルク修道院の首席司祭は前記のウルムバッハ裁判管区にあるすべての農地にかんして、その保有権の与奪の権限をもち、その代償に彼らは謝肉祭の鶏を納める義務を負い、裁判管区で人が死ぬたびび、彼は死亡税を徴収し、首席司祭の従者は死者の家へ行き、家畜の厩舎に向かい、最良の家畜を取り、彼の親族が望むなら、慈悲と恩恵によりそれをに買い戻させるべきである。その場合、次のような法が教示された。すなわち、どこかの国から来て裁判管区で亡くなった者は、法のための古くからの自由によって首席司祭に死亡税として最良の家畜を納めるべきである。それとともに彼の最良の衣服が徴収されるべきである。またその際、次のようにも述べられた。すなわち、神の力により、さもなくば不運により、ザルツァ川のそばで殺された者の死体がその川を流れて、頭とともに流れ着いたら、彼は死亡税を首席司祭に徴収されるが、川の向こう岸に流れ着いたら、首席司祭にいかなる義務も追わない。
さらに彼らは次のように知らせ教えた。すなわち、ウルムバッハの村落における首席司祭のいずれかの裁判官が裁判において地方裁判所を開廷したら、いかなる者も裁判に協力すべきであり、罰金が納められたら、その罰金の半分は首席司祭。半分は代官のものとなる。しかし代官が罰金を科せられた者の願いにより彼の罰金の取り分を免除しようとするなら。首席司祭も彼の取り分を免除すべきである。
 荘園裁判は年4回開かれるべきであり、首席司祭が望めば、彼は2回の裁判を命じるべきである。さらに、首席司祭は年2回荘園で定例裁判集会を開き、1回は聖マルティノの日(11月11日)の前日、もう1回はさまざまな火曜日に開かれる。罰金が徴収されると、半分は代官のものとなり、首席司祭が望めば半分は彼のものとなるが、彼が罰金を免除するつもりなら、代官も彼の取り分を免除すべきである。しかし首席司祭が徴収するなら、代官も徴収することができる。
前記の参審員たちは次のように知らせ告げた。すなわち、ノイエンブルクの首席司祭は前記のウルムバッハ村ですべての付属施設を含む自由荘園を、古くからそれに属する5つの貸与地とともにもっており、その荘園から現物が徴収され、荘園ではさらに刈り取り、エン麦の種まき. 熊手による作業、草刈りの賦役がおこなわれる。殺人をおかした者が荘園に来たら、平和と警護を得るべきである。
 首席司祭は十分の一税について教示をうけ、参審員たちは次のように教え知らせた。すなわち、ウルムバッハ教区に知られていようとなかろうと、大十分の一税はウルムバッハ裁判管区のどこでも3分の2が首席司祭のものであり、小十分の一税は全体が彼のものである。また十分の一税は実質的に十一分の一税である。それは、領民が十分の一税を荘園に引き渡さなければならないことに由来し、その費用のことが考えられているからである。
 首席司祭は、小十分の一税はどのようなものか特別に教えてもらいたいと言った。それに対して彼らは、子馬、子牛、子山羊、子羊、子豚の税が小十分の一税であるという答えを告げた。また彼らは次のように教えた。すなわち、犬が最初の出産をしたら、子豚は免税されるが、その後出産のたびに、十分の一税が課される。また鶏をどれほどもっていても、1羽より多くの十分の一税を払わなくてもよい。2羽より多くの鶏をもっているなら、1羽分の十分の一税を納める。ミツバチをもつ者はミツバチの十分の一を納める。
 われらが領主たる首席司祭は、一年のうちいかなる時期に十分の一税を要求し徴収すべきか、教えてほしいと言った。それに対して参審員は次のように答えた。すなわち、彼は子馬、子山羊および子牛からは聖マルティノの日(11月11日)の前日、十分の一税を地代とともに日中に徴収すべきであり、これに反したら、いかなる者も罰金を納めなければならない。ガチョウ、鶏および子豚からは聖母マリア誕生日(9月8日)に徴収される。子羊の十分の一税はさまざまな火曜日に徴収され、その際地代を滞納した者は罰金を科される。
さらに首席司祭は、傷害と殴打からどれほどの罰金を徴収するべきか、教えてほしいと言った。それに対して、最高の罰金は10フント1ヘルプリングであり、財布一杯の金額であるとと知らされた。助けを求める騒動と抜刀は損害がなくても。そうした不埒な行為には25ヴェッテラウ・シリングの罰金、不法行為には10シリングを科せられ、この場合1シリングは4ペニッヒに相当する。支払いを忘れたは20ペニッヒを科せられる。
 われらが領主の首席司祭はの要請により参審員は、ウルムバッハ裁判管区ではいかなる村が彼と修道院の土地にあるか、村の名を挙げた。それらはオーベルンシュトゥパッハ、ニーデルンシュトゥパッハおよびオルツェルであり、シュタイナ川のこちら側にあり、首席司祭と修道士会の土地にある。また、ウルンベッヒャー製粉所とアルディングゲゼッセ、ヴィンデンおよびハーゲンスミューレは十分の一税、裁判所および教会とともにウルムバッハに属する。ザルンローデ、ベッヒトルデス、ヒルトヴィンスミューレは裁判所と教会道ととともにウルムバッハに属する。コルプザルツァ、キンダーローデおよびホンシャイシスも裁判所と教会道とともにウルムバッハに属する。
この法の告示と裁判所の知らせは将来修道院と領民に役立ち、永遠の記憶にとどめられると期待される等々・・・

 8-2-3 ライヒェンバッハ Reichenbach (1394年)


  (ライヒェンバッハはフランクフウルト・アム・マインのすぐ東側にある)

 われわれ、ライヒェンバッハの裁判所の誓約参審員、長老および村民はライヒェンバッハ裁判集会に出席し、この文書を確認し、これを見たり読むのを聞いたりする者全員に対して、われわれが後述のような認識を告げたことを公に明らかにする。尊敬すべき君主であるフルダのわれらが領主、イーゼンブルクとビューディンゲンの高貴なわれらが領主ヨーハン、われらが慈悲深き領主である貴族領主ハインリッヒ・フォン・ヴィルナウが前記のライヒェンバッハ裁判所にもっている法により、またわれわれの祖先がわれわれにもたらした法にもとづき、われわれは後述のような規定を告げる。フルダのわれらが領主は、首と頭に対する、不法者に対するライヒェンバッハの裁判官であり、そこに廷吏をもつべきであり、都市に罪人のさらし台をもつべきである。なぜなら彼は法に責任を負うべきであり、それが古くからのしきたりだからである。しかしフルダのわれらが領主は不法者を拘留するために、廷吏、さらし台および留置所をもたない場合は、イーゼンブルクとヴィルナウのわれらが領主が、不法な犯罪者を彼らの留置所に収容し、犯罪者に対して正しい扱いをなすべきである。フルダのわれらが領主はライヒェンバッハの裁判管区にあるフルダ領の農地に対する土地領主であり、農地の授与により6ヴェッテラウ・ペニッヒより多くを徴収してはならず、農地の放棄からも同通貨6ペニッヒを徴収すべきである。フルダのわれらが領主にライヒェンバッハの裁判所で5シリングの罰金を通知し、裁判所が反対する前に、イーゼンブルクとヴィルナウのわれらが領主またはその地方官が4回の裁判集会で免除するなら、フルダのわれらが領主と彼の役人も免除すべきである。
フルダのわれらが領主ライヒェンバッハ村の市場の日に関税を、販売する商品の手し車1台分ついて3ヘラー、馬1頭分について3ヘラー、牛1頭分について3ヘラー、歩行者1人分について1ヘラー、馬で運ぶ荷物については1ヘラーの関税を得る。関税を滞納した者が、4マイルの禁制圏を越えてなければ、その内部で彼の正規の関税を納めることができる。フルダのわれらが領主または彼の役人は、求められれば、帝国の法にしたがってライヒェンバッハですべての正しい度量衡を与えるべきである。フルダのわれらが領主は、求められれば、ライヒェンバッハのフルダ領地で毎年聖マルティノの日(11月11日)の14日前に、聖マルティノの日の14日後に裁判所を開廷すべきであり、それ以外は開廷してはならない。フルダ領の農地を保有する者は、フルダ領の農地に関与する他の者に、請求すべきことがある場合は、フルダの地方官は、いつでも彼が望むときに、ライヒェンバッハの荘園でそこから未払い分を弁済することを求めることができる。フルダのわれらが領主に彼の地代、十分の一税および現金を、法にしたがってフルダ領の農地から納めれば、領主はそれについてライヒェンバッハの裁判所でいかなる命令も、いかなる強制権力や法も執行しないが、フルダのわれらが領主に彼の地代、十分の一税および現金が納められなければ、彼または彼の役人はイーゼンブルクおよびヴィルナウのわれらが領主またはその地方官に提訴し、そうすれば後者はそれが納められるように促し補助すべきである。ライヒェンバッハで毎年裁判がおこなわれる場合、フルダのわれらが領主または彼の役人が彼に代って裁判に出席して、領民と裁判に支障がないように、、1マルクの金額と1マルターのエン麦を与えるべきである。イーゼンブルクとヴィルナウのわれらが領主もライヒェンバッハの裁判所の領主であり、その他の領主はいない。これら前述の知らせは、上述の諸条項が示しているように、すべてわれわれが聖人に手をさしのべて誓った宣誓にもとづいて告げたものであり、文書でライヒェンバッハのわれらが現職牧師で尊敬すべき堅実なヨーハン・ズーレおよびビルゼンシュタインの地方官である貴族領主ヨーハン・フォン
・ランゲンシュタイン殿にお願いして、われわれが印章をもってないときは、われわれのためにこの文書に印章を添えるように依頼した。私ヨーハン・ズーレとヨーハン・フォン
・ランゲンシュタインは、ライヒェンバッハの裁判所参審員、長老および村民両者の熱心な要請によりわれわれの印章を添えたことを認める。1394年8日間の大天使ミカエルの間の翌日。

 8-2-4 リッヒェンロート Lichenrod (1388年)


  これは、一方の高貴な貴族領主ヴィルナウのゲルハルト伯、イーゼンブルクとブーディンゲンの領主ヨーハン、フリーデリッヒ前で、他方のリースベルクの領主フリードリッヒの前で、また選ばれた3名、すなわちローデンシュタインの貴族領主ヨーハン、シュタインフルトの騎士ジーボルト・レーヴェンおよびリホルフ・ホンラインの前で、リッヘンロート村と村民のために後述のように宣告された知らせである。
  まず、彼らは毎年ライヒェンバッハの3回の裁判集会に出席すべきであるが、それより多く出席しなくてもよく、3回の裁判に傷害と平手打ち、救助を呼ぶ騒動および窃盗の3件を訴えるべきであるしょ
  いかなる農民フーフェもライヒェンバッハの裁判所に毎年裁判管区の通貨25ヘラーを奉仕金として納めるべきである
  いかなる農民フーフェも毎年2ズマーの十分の一税のエン麦、1羽の十分の一税の鶏を納めるべきである。
  彼らは彼らのワインを運んで、ビルゼンシュタインの城内平和に奉仕すべきである。また裁判管区内の他村の村民が溝を掘ったり壁を築けないときは援助すべきである。
  裁判管区で裁判所のために従軍を命じられたら、それに従うべきである。
  宣告された上述の諸条項を、リッヒェンロート村の一般村民は 彼らの宣誓にもとづいて告げ、自分で作った木の十字架の聖人に誓った。、彼らが告げるのは、彼らの祖先から伝えられた慣わしである。
 われわれは、どのように法を支障なく判別し裁くのかという前述のような問題において、前記の領主に対して上記3名の高位の人々を優先してはならず、そのつもりもない。
  この知らせはわれわれ上記領主の前で、規定通りにおこなわれ、われわれ3名すなわちヴィルナウのゲルハルト伯、イーゼンブルクとブーディンゲンの領主ヨーハン、フリーデリッヒおよびリースベルクの領主フリードリッヒは、全員われわれの印章を証言のためにこの文書の下部に押印した。これらの下に、われわれ上記の選ばれた高位の者3名が押印して、この知らせに同席して見聞したことを認める。1388年聖霊降臨祭の5日後の休日。

 8-2-5 ゾッツバッハ Sotzbach (15世紀)


 (ゾッツバッハはフランクフルト・アム・マインのすぐ東にある)

 われわれゾッツバッハの定住民は、フルダの修道院長または彼のためにフルダ領のわれわれゾルツバッハの定住民は、われわれの祖先からわれわれに受け継がれる法をフルダの修道院長または彼のためにフルダ領の農地を保有する者に告げる。
 まず最初に。われわれはフルダ修道院長はゾッツバッハの定住民裁判所を聖マルティノの日(11月11日)の前または後の14日間に開く権限をもち、それへの出席を怠る者、あるいは時刻を守らない者は、領主またはビルシュタインの彼の地方官の承諾を得なそうしたことをしてはならない。
 定住民の農地に対して請求しようとする者は、ゾッツバッハの定住民裁判所に権利を訴えて求求するべきであり、ある農地に請求をしようとする者は定住民裁判所で牧羊の権利を請求すべきであり、あるいは牧羊に対してフルダ領の下男に5シリングを保証すべきである。請求した者がその年に実行に移さなければ、その年は何もなかったことになり、裁判所は農地を保有する者に告げた判断を維持する。
 われわれは祖先から聞き、祖先から受け継いだ法を次のように告げる。すなわち、領民が保有農地を放棄する場合は、6ヴェッテラウ・ペニッヒでそれを放棄すべきであり、それを受け取る者は、フルダ領の農地がゾルツバッハとオーバー・ライヒェンバッハにあるなら、6ヴェッテラウ・ペニッヒまたは9ヘラーで受け取るべきである。
 村の公共道路が破損したら、彼らは地方官またはビルシュタインの財務官および裁判所に在任するフルダの裁判官をその対応のために迎え入れるべきである。これらの役人はすみやかに可能な協議によって彼らを一致団結させるべきである。
 他人の土地に越境して草を刈り、境界石を掘り出し、囲いをする者は、領民同士の示談がおこなわれる場合を除いて、フルダの修道院長に25シリングを徴収される、
彼らが納得できない判決がなされたら、彼らはライヒェンバッハの地方裁判所参審員に学ぶべきであり、ライヒェンバッハの荘園での14日間の審理でそれを宣告すべきである。
裁判集会が開かれたら、フルダのわが領主または彼にかわって裁判に出席する者は、命令と禁令の権限をもち、これに従わない者は、そうした農地の審理と同様に、25シリング以下の罰金を科せられる。
 法により、フルダのわれらが領主に地代、十分の一税および貨幣がフルダ領の農地から納められ、それに対して彼はライヒェンバッハの裁判所ではいかなる命令、強制の権限ももっておらず、もしフルダのわれらが領主に地代、十分の一税および貨幣が納められなければ、彼または彼の役人はイーゼンブルクとウィルナウのわれらが領主またはその地方官に訴えることができ、そうすれば彼らはそれらが納められるように督促し助けるべきである。
 定住民裁判集会を開いたら、古くからのしきたりどおり、いかなる定住民も1羽の鶏を持参し、定住民は会食し、鶏を持参しない者は彼らのなかで罰せられなければならない。 

 8-2-6 オッフェンタール Offenthal


  (オッフェンタールはフランクフルト・アム・マインの近郊)

 オッフェンタールの住民はローダーマルクにもつ共同用益権に対してローダーマルク住民に毎年ワインを納める。聖ヴァルプルギスの日(4月30日)には3フントより3シリング少ない食事を、8名の森林監督、2名の地方官、1名の廷吏に食事を提供する。聖マルティノの日(11月11日)に3フントより少ない食事を前記の人々に提供する地域があり、ときに応じて約2グルデン、約2フント、約1.5グルデンの食事を提供する。オッフェンタールの住民は毎年聖マルグレーテンの日(11月16日)に放牧地から1マルターのチーズを納めることによって、ローダーマルクの住民が放牧するのと同数の家畜をローダーマルクに放牧できる。後述の規定はローダーマルクにおけるオッフェンタール住民の法である。彼らは上記マルクにおいて9シューの長さの木を伐って家に持ち帰ることができる。庭園を垣根で囲うことについて規則はない。上記のマルクにおいて3シューの長さの幹を伐る場合、オッフェンタールの住民はその分割について、のこぎりではなく斧で割るべきであるという法をもつ。
 古くからのしきたりとして、オッフェンタールの住民が有害な木を取り去った跡に穴ができたら、修復すべきである。
 マルクの成員に禁じられていることは、オッフェンタールの住民にも禁じられていることを承知すべきである。

 8-2-7 イルハウゼン Illhausen (1460年)

(イルハウゼンはフランクフルト・アム・マインの近郊)


  神の名においてアーメン。このドイツ語の公文書を現在または将来見たり読むのを聞いたりするすべての者に告げる。すなわち、われらが主キリストの生誕後数えて1460年、第8の15年期、父と主なる神において最も神聖で、他の教皇と同様に神意を備えた教皇ピオ2世の戴冠の第2年度、クリスマスの18日後、主の公現日(1月6日)後の8日間の祝祭の次の木曜日、すなわちラテン語の1月という月の17日、正午頃、マインツ司教領のイルハウゼン村において、現在ハインツ・ローライが住む家の居間で、帝国のわが公的書記と後述の証人たちの同席のもとで、イルハウゼンの裁判管区の尊敬すべき土地保有者である裁判官の老ヘンネ・シェルヴェーデン、ヘンネ・エアモルト、ヘンヒェ・ヴェバーヘンネ、イエス・イエヘンネ、コンツェン・ランツェン、シュミトヘンネ、ヘネン・ヒューニック、 クルマン・ヘネン、ハインツェン・シヴィンデ、ヘンネン・ベッツェン、コンツェン・ヴェーバー、アルノルト・ハインツェン、ローラインおよびドゥルデン・ヘンネの前で、いつもの年と同じ日に開催された。そこで彼らは裁判のために集まり、由緒正しいしきたりと慣わしにしたがって裁判集会を開き、そこですなわち、現在、堅実な貴族領主ループレヒト・フォン・カルベンはビューディンゲンの高貴な貴族領主ディーター・フォン・イーゼンブルク伯の助言者および従者として要求していることを、確認しなければならなかった。彼は前記の貴族領主ディーターのために次のように要請した。すなわち、上記の裁判官と土地保有者は部屋から退出して審理をおこない、前記の貴族領主ディーターが法と古いしきたりによってもつと認めらる権利を、裁判において法的に告げてもらいたい。そこで同上の土地保有者と裁判所は裁判所を退出して十分に検討して、再び前記の部屋に戻り、着席して、全員一致で、前記のハインツェン・ローラインをつうじて、前記の貴族領主ディーターに彼の権利と彼らの裁判所の法を告げた。それは、記憶しうる100年以上も昔の祖先から伝わり、彼らの記憶ではほかに聞いたことがない以下のようなものである。すなわち、そうした裁判を毎年クリスマスの18日後の次の木曜日におこない、領主が望むなら、その権利を告げるべきである。つまり、ヴィルナウの領主とイーゼンブルクの領主はイルハウゼンの裁判所を有し、ヴィルナウの裁判官が杖をもつ。ヴィルハウゼンの領主とイーゼンブルクの領主がイルハウゼンとそれに付属する水域、放牧地、森林および畑を、村域と保護区が及ぶ範囲に有し、命令権と禁令権をもち、それ以外のいかなる者もそれらをもたない。イルハウゼンで前記の木曜日に裁判がおこなわれ、犯罪者が罰金をヴィルナウの領主に5シリング、イーゼンブルクの領主に5シリングより4ヘラー少なく納めるように告げられ、裁判に出席したヴィルナウの地方官が罰金を免除したら、イーゼンブルクの地方官も彼の罰金徴収を免除する意志を表明をすべきであるが、裁判所で免除されなければ、イーゼンブルクの地方官は告げられたとおり罰金を徴収することができる。イルハウゼンの土地保有者はガウデルンの3回の定例裁判集会に属しており、窃盗、救助を求める騒動および流血傷害の3種の告訴をおこなえるが、それ以上の告訴はできない。窃盗の中傷をされた者は、イルハウゼンの3回の裁判所で審理されるべきであり、そこで弁明ができれば、彼は無実にとどまることができ、彼をガウデルンの裁判所に告訴してはならない。ヴィルナウとイーゼンブルクの2人の領主の裁判所およびガウデルンの裁判所で敵対の騒ぎがある日に起きたら、イルハウゼンの土地保有者はヴィルナウとイーゼンブルクの2人の裁判領主に従うべきであり、ガウデルンのトリムブルク領の領主に従ってはならない。トリムブルク領で敵対の騒ぎが起きて、煙や火が出て、裁判官または廷吏が来て、イルハウゼンの人々に逃げ出すように命令したら、彼らは逃げ出すべきであり、トリムブルクの領主自身が野外にいるなら、彼らは日中に帰宅してもよい。損害をうけた者がいると、裁判官が欺かれたなら、トリムブルクの領主は損害を撤回させるべきである。しかし殺された者がいれば、トリムブルクの領主はヴィルナウとイーゼンブルクの裁判領主に1人あたり1グルデンを支払うべきである。ガウデルンの裁判所に警告が届いたら、裁判官はイルハウゼンの住民に親切に警告すべきであり、そのかわりイルハウゼンの住民は裁判官に、廷吏エン麦と呼ばれるエン麦1フーダーを納めるべきであるが、裁判官が住民に警告しない場合は、彼らは裁判官に何も納める義務を負わない。トリムブルクの領主の猟師がシュルヒターとフンガーシュタインからやって来て、イルハウゼンで宿泊し、住民からの提供なしにはやっていけなくなれば、イルハウゼンに行き、下僕を巡回させてチーズとパンを求めるべきであるが、それより多くを求めてはならず、住民はこれを断ってはならない。イルハウゼンの住民がガンデルンで前述の3種類の告訴の件で訴えをおこし、罰金刑を告げられた者が裁判所で罰金に対して弁明をせず、不遜にもそれを無視するなら、裁判官は彼を捕えるべきである。しかし彼が罰金に対して弁明するなら、裁判官は彼に寛大な態度をとるべきである。イルハウゼンの住民は、必要なら、ガンデルンの裁判所に教会献金、wolflsgeld, 盗まれた金の納入を助ける義務を負うが、それ以上の義務はない。上述のように、告げられたすべての条項を、前記領主はイルハウゼンの裁判所と住民に永遠に畏敬・保護、取り扱い・防衛・維持の対象とさせるべきである。そのように定められた指示にしたがって、上記の貴族領主ループレヒトは前記の貴族領主ディーターに代って、公的に誓約した書記である私に、永遠の記憶のために公文書を最良の形で作成してほしいと要請した。これらのことは上記の年、15年期、教皇の戴冠、月、日、場所および時刻におこなわれ、そこにはブルクハルトの司祭ヨーハン・ヴェンケ、ビューディンゲンの地方官カスパー・リプレヒト、エーベルハルト・フォン・ヴァイニングス、フリッツェ・シュスラーら尊敬すべき堅実な諸氏とその他の多数の尊敬すべき人々が、それぞれ証人として要請されて、同席した。
 私ヨハニス・グッファーはマインツ司教領の皇帝権力の公的誓約書記であり、上述のように語られた事柄や指示を、上記の証人たちとともに同席して見聞した。それゆえ私は、このドイツ語の公文書を作成し、私の勤勉さのゆえに忠実にもう一通の文書を書いて、私の通常のしるしと名前をこのような公的な形で記し、とくに要請されたとおり、すべての上記のことがらを信じて証言すべく、自分の手でここに署名した。


 8-2-8 クロムバッハ Crombach (1496年)


 (クロムバッハはフランクフルト・アム・マインの東側、ウンターフランケンとの境界近辺にある)


 尊敬すべき堅実な貴族領主、ビューディンゲンのループレヒト家のイエルクとヨハンの兄弟、ヨスト・フォン・フェッヒェンバッハ、ゲルンハウゼンの相続人領主、および森林監督官バルトハザールはクロムバッハ地方裁判所の担保権主および最高位の命令並びに禁令権者として、次のような法と統治権をもつ。まず第一に、その命令と禁令は、ガイゼルバッハ川がカルダに流れ込むヒューゼルンゲゼスに妥当する。さらにガイゼルバッハ川はカルダからフローンブッヒェルに至る。フローンブッヒェルからノイエンシュタットの森とゼルゲンシュタットのわが慈悲深き領主の領域まで至る。さらにノイエンシュタットの森とゼルゲンシュタットのわが慈悲深き領主の領域ネッセルバッハに至る。さらにネッセルバッハからビルケンハインの最も奥の平地の区画を過ぎて、そこからゼルゲンシュタットのわが慈悲深き領主の領域とヘッセルの共有地がぶつかるホーエンベルクの森林区画に至る。ホーエンベルクからグラースシュラークとヘッセル共有地とリ-ネックのわが領主の領域とウルン共有地の間をビーバー方面へ向かう小道まで登って行き、小道からフンツグルントに至る。さらにフンツグルントから、ガイゼルバッハに接しているカルダでフーデルンゲゼッスに向かう。そのような円環において若干何らかの中断や過ちがあちらことらでで起こるかもしれないが、カルダの古来の正しい道筋にしたがって行くべきである。
 クロムバッハの上記地方裁判所のそうした円環状の境界内で、上記の裁判領主は最高位の命令並びに禁令権者として、最高の命令を発し、官憲の権限を認められた裁判領主であると告げられた.上記のクロムバッハ地方裁判所の下級裁判所として、ゼルゲンシュタットのわが領主のガイゼルバッハ裁判所があり、その慈悲によりガイゼルバッハで特別に命令を発する権限をもち、もし彼の所有と農地にかかわる彼の慈悲が重ねて損われるようなことがあれば、地方裁判所は再度の命令を発する権限をもつ。リーネックのわが領主とブラウンハイの貴族領主は、彼らの所有地にケーニヒスホーフェンとクロムバッハの下級裁判所をもち、一回はケーニヒスホフェンで、もう1回はクロムバッハで開廷され、彼らの農地が重ねて損われるようなことが起きれば、特別に命令する権限をもつが、再度の命令の権限は地方裁判所に属する。またウルナーという貴族領主はカルダの所有地に下級裁判所をもち、とくにその所有地と農地で命令をおこなう権限をもち、その農地損害をこうむるようなことが重ねて起これば、再度の命令権は地方紙裁判所に属する。これらの上記の下級裁判所のうち、ガイゼルバッハの裁判所を除いた他の下級裁判所は、その上級裁判所の判決を上記のクロムバッハ地方裁判所から得る。また上記の地方裁判所における法として、上記裁判領主たちは、古くからの慣わしによって宣告されているように、地方裁判所管区民の承諾を得ることなく、新しい命令を出したり改変したりしてはならない。また裁判所は地方裁判所管区民とともに、上記の裁判領主たちの承諾なしに、他の命令を出したり改変をしたりしてはならない。地方裁判所管区民と地方裁判所管区に住む者は、裁判領主のもとでの判決から逃れようとしたり、控訴してはならない。上記の裁判所管区内の農地に定住もせず農地も保有もしないか、または動産をもたない者が、請求をした場合、彼は訴えの後と判決の前に、彼に通告された判決の結果に不満をもったとしても、裁判を続行することなく和解し、控訴することなくクロムバッハの上記裁判所の裁判領主に対して判決を受け入れることを、郷裁判官に誓うべきである。裁判領主は彼を助けられなくても、彼に良い助言を与え、裁判所と地方裁判所管区民に大いに役立つべきである。そうしたことを昔の領主はわれわれに伝え、法として告げたのであり、われわれもそれを法として告げる。
 裁判領主、参審員および地方裁判所管区民の命令は古くからのしきたりとして、次のように告げられる。すなわち、いかなる者も、マインツ領、リーネック領、イーゼンベルク領、ハーナウ領に属する他人、あるいは何らかの領主または貴族領主に属する他人を移動させてはならない。他方、その領主または貴族領主が特別の私的戦闘をおこなった場合、地方裁判所管区に住み、自分の勝手と口論によって独自の私戦をおこなう者を別として、彼はそうした戦闘を上記裁判管区の裁判領主と地方裁判所管区民に被害のないようにやめるべきであり、そのような命令を守らなければ10フントという最高額の罰金が科せられ、さらに身体と財産にも罰が科せられる。
上記地方裁判管区で敵対騒動が起きたら、地方住民はその武器をもって起ち上がり従軍すべきであり、そのような従軍の最後の者は、最初の者が彼とともに居合わせるかぎり、引き返してはならず、引き返したら上述の最高額の罰金を科せられる。
 いかなる者も、地方裁判管区に住み土地を保有する他人に、宗教裁判もヴェストファーレンの裁判も要求したり優先してはならず、そのような行為は最高額の罰金をもって禁じられる。地方裁判管区に住んでいなくとも、そこに土地を保有する者は、裁判管区に住む者に対して上述のような裁判を要求してはならず、要求したら上述の罰金を科せられ、クロムバッハの地方裁判所で裁判をおこなうべきである。
 古くからのしきたりにより、上記の地方裁判における法として4つの牧羊業を告げ、貧しい者が富裕な者とともに生き残ることができるためには、過剰な放牧をしてはならない。第1の牧羊業とみなされるは、ガイゼルバッハにおけるゼルゲンシュタットのわが慈悲深き領主の所領と荘園の牧羊業である。第2の牧羊業としては、ローデンバッハにおける堅実な貴族領主オスヴァルト・グロースラッハとその共同相続人の所領と農場における牧羊業を指定する。第3の牧羊業と指定されるのは、ケーニヒホーフェンにおける貴族領主フォン・ブラウンハイムの所領と荘園である。第4の牧羊業として指定されるのは、ホッテンベルクにおけるゲルンハウゼンの堅実な貴族領主フォン・フェッヒェンバッハの荘園である、それらの牧羊業による過剰な放牧がおこなわれたら、クロムバッハ地方裁判所の裁判領主は罰金を科す権限をもつ。
 上記地方裁判所では、次のような法を告げる。すなわち、上記地方裁判管区内の他地区またはガイゼルバッハ以外の下級裁判管区内にある農地を売る場合、その売手は相続人または他所の買手に対して公正な取引をおこなうべきであり、売手はその農地がある目的地へ行き、買手が権利をもつ裁判所へ農地を譲渡すべきである。売手がそうした手続きにしたがわなければ、農地を買った買手は、農地がある裁判所に来て、彼が裁判所へ申し出た買取り価格の結果を待つべきである。こうして裁判所の手続きが終了したら、買手は裁判所に来て、取引相手を待つべきである。しかし売手が来なければ、売手が買手の申し出価格に応じるか否かにかかわらず、買手は辛抱強く待つべきである。
 第2に、農地を30年と1日、法的請求を受けることなく保有する者は、そこにとどまり、その保有権を地方裁判管区の慣わしにしたがって享受すべきである。
 第3に、当地方裁判管区内に住み、相続農地をめぐって他人に主張すべきことがある者、同じく農地がある裁判管区で彼が権利をもつと考える農地が移動、移転、交換、売却されたと聞いた者は、10年間黙って主張しなければ、あるいは法的にその点について何も言わなければ、10年経過後彼はその要求権を失うことになる。ただし、その権利がなくなる年齢に達してない子どもは除かれる。
 第4に他人に品質保証をすべき者は、異なる作り方をしているどうかを、すべての働き手とともに、あるいは彼の子どもたちとともに、公的裁判所に出廷言すべきである。しかし彼が裁判所に出廷できないときは、郷裁判官と少なくとも2名の参審員の前で、手と口で保証すべきである。
 他人に譲りたい動産をもつ者は、四方を防護壁で囲われた裁判所で譲渡すべきであり、それ以外の譲渡は認められない。
 上記のように保証をされた者は、クロムバッハの裁判所に来て、保証に間違いが起きないようにその保証を登録してもらい、裁判所には法を、書記には報酬を提供するべきである。
 上述の法と権利はわれわれの祖先がわれわれに伝え、法として告げた。われわれも上記の地方裁判所の郷裁判官と参審員に法として告げる。
 1496年聖母マリアの奉献(11月21日)の後の火曜日、ビューディンゲンの堅固な貴族領主イエルクおよびヨーハン・ループレヒト兄弟、ゲルンハウゼンの貴族領主ヨスト・フォン・フェッヒェンバッハ、ゲルンハウゼンの森林監督・騎士のバルトハザールがクロムバッハの地方裁判所の抵当権主として、郷裁判官、参審員およびクロムバッハ裁判所の地方管区住民と平民の助言、許可および同意を得て、新しい規則と法を作成し上記の日付以後dietherrenは間違って長らく地方裁判所で告げられてきた彼らの父と母の相続分を相続すべきである。そのような規則は今後とも守られるべきであり、この規則と警告のもとで何が起きようとも、残されるべきであり、それに対する釈明や要求がなされれてはならない。

 8-2-9 アルテンハスラウ・マルク Altenhaslauer Mark (1354年)


  (アルテンハスラウはフランクフルト・アム・マインの東方に位置する)


 ゲルハウゼンのそばのアルテンハスラウの裁判所において、古くから公的なマルク(共有地)裁判集会でわれらが父祖から受け継がれている法の宣告。
 1. 最初にわれわれは、アルテンハスラウの裁判所が神聖ローマ帝国の自由裁判所であり、いかなる領主の抵当でもないことを宣告する。 
 2. トリムベルクの領主は当自由裁判所で神の授封地を授かっており、彼は司祭の土地を授与する権限をもち、司祭が任務を終えるたびに、他の司祭に神の授封地を授与する。
 3.マルク領主はツェント(郷)裁判官を選び、その際後述のような土地授封の権利をもつ。
 4. ローマ皇帝または国王が山越えの旅をしようとしたら、ツェント裁判所管区内で役畜の仕事に耐えうる最良の農耕馬を彼に貸出すべきであり、馬が戻って来たら、馬の提供を指示された者に返すべきである。しかし、馬が戻らなければ、裁判所は彼に支障なく馬を弁償すべきである。
 5. 毎年1月18日の後の次の月曜日、ツェント裁判官は退任に支障がなければ、彼はアルテンハスラウの教会の前で裁判集会を慣わしと法にしたがって召集すべきである。裁判集会が彼の提議で開催されたら、法にしたがい裁判集会に属する権限として、参審員と住民は彼に留任するように要請し、彼は次のマルク裁判集会まで留任することができるなら、そのことが同意される。裁判集会に属する構成員が彼を支持して彼に要請すれば、彼は、あらかじめおこなった宣誓と忠誠の誓いによって、その年度は留任してもかまわない。しかし彼が留任するつもりがなければ、彼は次の裁判集会には、規定通りに、現職の最長老参審員に職務を支障のないように譲り、その参審員は住民に集まるように求め、マルク裁判集会に出席して、古来の法と慣わしにしたがってツェント裁判官を選ぶことを命じる権限をもつ。そこで裁判管区のすべての管区民に対して次のような命令がなされる。すなわち、マルク裁判集会に出席し、いかなる者も彼が利用する農地の土地領主に対して、指定された時刻に裁判集会に出席すべきことを、命じられたとおりに知らせるべきである。彼らがアルテンハスラウの裁判集会に規定どおり出席したら、裁判管区民は退出ないし退席して、村ごとに集まり、可能なかぎり地方、裁判管区およびマルクにとって有益で良いとおもわれる最良の考えによってツェント裁判官を選び、どの村もそこに出席しているマルク領主の前でその意見を公表すべきである。マルク領主も裁判所の必要と法にしたがって、その最良の考えにしたがって、その選考と意見を公表して、もし複数がツェント裁判官に指名され選ばれたら、マルク領主は最も多数の票を得て、裁判所、地方管区および選挙人にとって有益で良いとおもわれる者に要請して、彼を選ぶべきである。これが規定どおりおこなわわれたら、参審員は退出して、2名のマルク監督を選び、そのうち1名を城の監督、もう1名を都市ガイルンハウゼンの監督として選ぶべきである。そしてマルク領主は集会に参加して、マルクに有益で良いとおもわれる2名のマルク監督を、古来のしきたりと法にしたがって、アルテンハスラウの裁判集会で選ぶべきである。マルク裁判集会でそのようにおこなわれたら、選ばれたツェント裁判官は1名の参審員を連れて、権限をもつ領主の前へ行き、彼がアルテンハスラウのツェント裁判判所のツェント裁判官に選ばれたと言い、古来の慣わしと法にしたがって、彼に職務を授け、認証していただきたいと要請すべきであり、雄羊の皮でつくられた白い手袋1組を白いハシバミの杖に付けて領主に渡すべきであり、そうすれば領主は彼に職務を授け、金銀ではなくたんに杖によって認証し、領主は彼に杖を返すべきである。そこでツェント裁判官は、正しい裁判官となることを、領主に誓うべきである。そうしたことがおこなわれたら、ツェント裁判官は元に戻って、慣わしと必要に応じて、また古来からのしきたりどおり、参審員の助言を得て裁判と命令をおこなう。そこで彼は裁判をおこなう場所で、貧しい者にも富める者にも、見知らぬ者にも知り合いにも、力の及ぶかぎり、昔から慣わしと法としておこなわれているように、正しい裁判官であることを誓い、また贈与、愛顧、賃貸、羨望、嫌悪、考えうるいかなるものともひきかえに赦免することなどないように、アルテンハスラウの裁判所で古来よりの法と慣わしのとおり、正しいツェント裁判官および裁判官であることを誓うべきである。また参審員、裁判管区民、マルク領主および裁判管区に所有地と相続地をもつ者全員は、古来の慣わしと法のとおり、彼の裁判に公正に可能なかぎり協力すべきである。ツェント裁判官が規定にしたがって活動するなら、彼は古来の慣わしと法のとおりに裁判所の椅子に座り、どのように裁判所を開廷するか、参審員に問うべきである。そこで参審員は、彼の職務により、裁判管区民ではなく参審員の助けにより、マルク成員の助けにより、公正に可能なかぎり全員の協力により、ツェント裁判官に告げるべきである。ツェント裁判官が裁判所を開廷したら、彼は法のとおりに裁判所を開廷したか、問うべきである。そのとおりだと告げると、ツェント裁判官は、樹木の引き抜き、打倒、損傷がマルクで起きたらどうすべきか、ある参審員に問うた。そこで、彼は次のように告げた。すなわち、村長が出かけて行き、おこなわれた不法行為を告発し、森林番人がマルクでおこなわれた不法行為を告発し、次いで森林監督、さらにツェント裁判官がマルクについて告発すべきである。そうしたことが裁判所でおこなわれ、告発され、裁判にかけられ、罰金を科された者に、参審員が裁判所の古来の慣わしにしたがって法を告げ、最高額の罰金を告げたら、その総額は古来の法において60シリングと半フィアテルのワインであり、60シリングはハスラウ裁判管区共同のものとなり、ツェント裁判官には30ペニッヒ、各参審員には20ペニッヒ、各管区民には6ペニッヒが割り当てられる。しかしマルクにかんして罰金が徴収されたら、ツェント裁判官と参審員およびマルク監督は、城と都市ガイレンハウゼンにおける裁判所に移り、彼らの助言で雇用された森林番人に賃金を払い、いくらか残ったら、城と都市ガイレンハウゼンの裁判所のツェント裁判官とマルク監督の承諾を得て、裁判所の利用と必要に当て、彼らはそれに立ち会うべきである。裁判所とマルクのこうした問題や必要のために、上記の裁判所のすべてのマルク成員は、身分の高い者も低い者も、裁判所とマルクに忠実に協力し、そのすべての法と必要のために、古来の慣わしと法にしたがって、裁判所の法と自由を守るべきである。これに対してすべてのマルク成員は聖職も俗人も、身分の高い者も低い者も、後述のような彼らの農圃の自由ための法をもち、とくにハスラウの司祭館に住み土地を授与された司祭は、彼の家畜を無事に飼う家畜番人を雇うことができる権利をもつことをマルク裁判集会で告げられた。そのかわり、彼に司祭館を授与する領主が裁判所に来たら、彼は領主に奉仕すべきであり、領主が使用人たちとともに狩猟地の牧師の所へ馬でやって来たら、食卓に布をかけ、パンとチーズを用意するべきである。騎士が自分の農地をみずから耕しつつ裁判管区に住んでおり、彼は自分の家畜番人を雇う権利をもつ。そのかわり彼は、裁判所にとって必要があれば、自分の費用で裁判所に馬ででかけるべきであり、彼ができるならいつでも、裁判所の名誉と利益のために勤めをはたし、一昼夜かけて帰宅すべきである。しかし一昼夜かけても帰宅できない場合は、裁判所は彼のために、公正で可能とおもわれる同様なことをおこなうべきである。
 6. マルク成員は裁判管区およびマルクにおいて、ツェント裁判官に許しを乞えば、マルクのあらゆる場所で裁判管区の他の住民とほぼ同様に木を伐ることができ、その3分の2を山の後方で、3分の1を山の前方で伐ることができる自由と権利ををもつ。耕地垣根を必要とする者は、マルクで伐採するのが古くからの法である。自分の負担で苦労して耕作する場所に住んでないマルク成員は、自分の農地に男女いずれであれ家畜番人をその農圃に雇う自由と権利をもち、豚であれ牛であれ、家畜をそこに連れていき、他人の家畜も行く場所に家畜番人によって家畜を放牧する権利をもち、家畜番人に賃金を払う以外にはいかなる責任も負わない。自分の農地を苦労して耕作し、完全フーフェ農地をもついかなる者も、彼の農圃から12頭の豚をどんぐりの木の林に放牧する権利をもち、彼がどんぐりの実がなる木を自分で栽培したなら、ツェント裁判官と参審員が頭数の規則を定める以外は、豚の頭数の多少にかかわりなく、そこに放牧する権利をもつ。また家畜番人に賃金を払う以外にいかなる責任も負わない。半フーフェの農地は規定にしたがって6頭の豚を放牧し、小屋住は規定にしたがって4頭の豚を放牧する。ハスラウの裁判所の慣わしと法により、そこで自分の農地に住み、世帯をもつ者は、裁判所の非常事態にそのときの能力に応じて手助けすべきである。いかなるマルク成員も裁判所に彼の農地から何も納める義務を負わず、領主に租税または貢租を納める義務を負わない。古くからの法により、裁判管区内に農地をもつ者はもっと高い地代やもっと好ましい小作農のために既存の小作農を追放してはならない。彼が自分でその農地を利用し耕作したいなら、聖ペトロの日(6月29日)の6週と3日前のカテートラと呼ばれる日に、小作農にそのことを知らせるべきである。借地人に解約告知がなされたら、事情を理解しており、借地人が農地におこなった改良を知っている隣人たち2人に要請して、彼らが悪だくみなくやり取りしようとしたものを評価してもらって、、古くからの慣わしと法にしたがって、借地農の改良に対して対価を与えるべきであり、規定どおりに彼の農地に役立たせるべきである。借地農が自由意思によって農地を休閑していたら、彼には改良の義務はなく、彼が望むなら、彼から農地を受け取るべきである。ハスラウの裁判管区に世襲保有地をもつ者が死亡したら、次の相続人は地代を領主に納め、同大番管区にある世襲農地にかんして彼に貸与するように願い出れば、金銀の支払いなしに領主は彼に貸与すべきである。また慣わしと法によれば、相続人たちが土地領主の承諾なく農地を放置すれば、彼らにはそうした権限はないので、彼ら全員が裁判所に出廷し、ひき続き農地を耕作することができないことを聖人に誓えば、土地領主は彼らから農地を取り上げ、彼らが農地にわずらわされることがないようにすべきである。
 7.マルクに欠乏が生じ、マルクの欠乏を補う罰金が足りなければ、ツェント裁判官と参審員はマルク監督の承諾を得て木を売ってマルクの欠乏を埋めて、森林番人や使用人に賃金を払うことができる。またそこから森林監督の酒手を渡すことも支障なくできる。森林監督は木を伐る者を見つけたら、差押えて郷裁判官に引き渡し、裁判所にまかせるべきである。こうした規定にしたがうなら、法にかなっている。
 8.マルク成員が裁判管区内外でその農地を売るような困窮が生じたら、次には裁判管区の住民も困窮して、いつでも永遠の追放を招くことになる。
 9,いかなる者も私有林をもってはならず、自分の所有地を森林にしようとする者がいても、唯一共同体の森林しか認められない。
 10.いかなる者も、自分で育てたものを除き、裁判所が認めないワインを飲食店で売ってはならない。
 11. 司祭は司祭農場とともに大小十分の一税を彼の生計に当てられる。
 12. アルテンハスラウとグローセンハウゼンの特別の耕地の十分の一税は学校に割り当てられる。
 13 牧羊がおこなわれる場合は、共同体が全員に対して優先権をもつ。

 8-2-10 ゼルボルト・マルク Selbolder Mark (1366年)

(ゼルボルトはフランクフルト・アム・マインのすぐ東にある)

 神の名においてアーメン。この文書と公文書を見たり読んだり、読むのを聞いたりする現在および将来のすべての人々に知らせる。キリスト生誕後1383年、第6の15年期、父と主なる神において最も神聖で、神のような洞察力を備えたウルバノ6世の戴冠の第6年度、ラテン語の12月の29日、マインツ大司教領の都市アシャッフェンブルクにおいてツー・デア・ラントエッケンと呼ばれる家の前の幅広い納屋のそばで、帝国の公的書記である私と後記の証人たちの前に、堅実な貴族従者・貴族領主でアッシェンブルクの裁判官ハインリッヒ・フォン・ゴンスローデンが来て、公文書を手にもち、公的書記の私に、彼のために公文書に書かれてある語句をそのとおりに書き写し、後述のように一語一句ドイツ語の形式で公文書を作成することを依頼した。神の名においてアーメン、ここにある公文書によって、それを見たり、読むのを聞いたりするすべての人々に告ぐ。神の生誕後1366年、第15の15年期、父と主なる神において最も神聖で神のような洞察力を備えたウルバノ5世の戴冠の第5年度、5月といわれる月の14日、マインツ大司教領セルボルト村において、古くから常に裁判がおこなわれてきた劇場で、帝国の公的書記である私と後記の証人たちの前で、貴族領主ハインリッヒ・フォン・イーゼンブルクとビューディンゲンの領主が裁判所の一方の席に座り、自分と自分の息子のためにヨハネス・フォン・イーゼンブルク、および父と主なる神において尊敬されるマインツ大司教領の領主ゲルラッハとその教会の代理人であるアシャッフェンバッハの財産管理人 エーベルハルト・フォン・フェッヒェンバッハは、ツェント裁判官が参審員に対して問うことを求めたところ、参審員は、マルク(共有地)成員が貧しい者も富める者もいかなる法をもつか、一致した判断を告げた。ツェント裁判官ヴェンツェル・ウンガーマンはこのことを誠実に後記の参審員に問い、参審員は、これまで毎年前記の日にマルク成員に告げてきた法と慣わしを、宣誓して公けに告げた。そこで起立した参審員の氏名は、ヨーハン・フォン・フルティンゲゼッセ、ベヒトルト・キリーライゾン、コン・ベッカー、フリッツ・フィッシャー、ハインツ・アルルート、フフリッツェ・ライデル、ハインツ・ニートハルト、ウルリヒ・フィッシャー、コンツェ・ヴェーバー、コンツ・フィッシャー、ドギル・フェルデスマン、ヘルマン・オスティルリング、ヘルマン・ブルクマンおよびヴェンツェル・シュミートであり、彼らは一致して後述のような法と慣わしを告げた。まず、古くから伝わる法として、われわれは次のように告げる。すなわち、毎年ゼルボルト村で3回の裁判集会が開かれ、クリスマスの頃、子どもの日(12月28日)にツェント裁判官を任命し、マルクに住む長老の騎士にツェント裁判官職を譲渡し、騎士がいない場合は、マルク成員である他の高貴な身分のな者に譲るべきである。騎士とマルク成員は参審員とともに、貧しい者も富める者も退出し、ツェント裁判官について、彼を再度選任するのは危険か、あるいはマルクと地方に役立つ他の者を選んで任命すべきか、相談すべきである。子どもの日にいかなるツェント裁判官が任命され選ばれようとも、彼がマルクにおいて貢租の不正をおこなったら、復活祭後の水曜日または聖霊降臨祭後の水曜日に彼を解任することができ、ツェント裁判官もその職務を同日に譲ることができ、騎士とマルク成員は参審員とともに、貧しい者も富める者も、ツェント裁判官を任免することができる。選ばれ任命されたツェント裁判官は忠誠を約束し聖人に誓い、マルクに忠実に役立ち、マルクを誠実に保護すべきであり、とくに開墾、伐採、漁獲、過剰放牧、およびマルクに有害なことは大小にかかわらず、彼の力が及ぶかぎり、防止すべきであり、ツェント裁判官が防止できなければ、騎士とマルク成員は、貧しい者も富める者も、彼に協力すべきであり、彼らがそれらすべてを防止できなければ、ツェント裁判官とマルクに属する成員はそれを領主に届け出るべきであり、ツェント裁判官がそうしようとしない場合は、マルク成員がそれをおこなうべきである。またツェント裁判官は騎士とマルク成員から、貧しい者も富める者からも、執行権力を得て、ゼルボルトのマルクで不法行為をなす不当な者が生命を失う犯罪をおかせば、ゼルボルトの裁判所に引き渡し、ツェント裁判官が裁き、騎士およびマルク成員に、貧しい者にも富める者にも、判決を告げるように審議を命令する権限をもつ。
 ツェント裁判官はすべての罰金ごとに30ペニッヒを得る。ツェント裁判官は3回の裁判集会に騎士と参審員に食事を提供し、3回の裁判集会で徴収される罰金からそれを支払うべきである。古くから伝わる法として、われわれは次のように告げる。すなわち、ゼルホルト裁判管区に住み、同裁判管区に農地をもち、古くから領主に奉仕し、貢租を納めてきた領民が、裁判管区から移住して、彼が行きたい所へ行き、行きたい領主のもとへ行くなら、彼が農地を保有している期間に応じて農地の貢租を納めるべきであり、彼が出て行くまでに、彼が正しく貢租を納めていないといわれる農地があれば、その所在地のゼルボルトの14人の参審員に納めるべきである。領民がゼルボルト裁判管区から移住しようとする場合、貢租徴収者の所へ行き、要求する金額を計算して正しくマルツェル通貨で払うべきであり、そうしなければ、貢租徴収者は彼の農地にマルツェル通貨で徴収額を課し、彼が支払うまで、その損害を取り立てるべきである。われわれは法として、4つの牧羊業がセルボルトの裁判管区にあることを告げる。第1にゼルボルト修道院の修道院長と修道士会にブルーダーディプバッハでの牧羊業を認め、第2にシュメルツェン家の長老にゼルボルドの牧羊業を認め、第3にミーレの農場で牧羊業をいとなむメラルデスの修道女と修道院に牧羊業を認め、第4の牧羊業をゴンスロートの長老に村内で認める。自分の家で産まれた豚をマルクで飼う者は、何頭でもマルクに放牧してもよい。われわれはplugに8頭の豚を認め、彼が豚をもってない場合、彼はそれを借りることができる。マルクに住む騎士がマルク成員で、自分で生産した豚をもっていれば、どんぐりの林にに放牧できる。彼が豚をもってないときは、彼に12頭の豚を許可すべきである。騎士が彼の農地を耕作する小作人をもっていれば、小作人に8頭の豚を許可すべきである。貴族身分の者にも8頭の豚を許可すべきである。いかなる参審員も4頭の豚を参審員の職務について許可され、その職務にかんして豚をもつことを許されるべきである。誓約ツェント裁判官にも4分の1頭分の豚が許可され、それ以上は許可されない。ツェント裁判官は2人の誓約使用人をもつことを許され、いかなる使用人にも4頭の豚が許される。どんぐりの実がなったら、ラーデンベルクの住民はその家畜を週2回放牧すべきで、放牧してもよい。メラルデスの修道院はマルク成員ではなく、豚をミーレの農場で飼うには許可を得るべきである。これら上述の判決と法は前記の参審員によって公表された。そこで高貴な領主ハインリッヒ・フォン・イーゼンブルクは彼自身と彼の息子のために、またアッシェンブルクの財産管理人で堅実な従者エーベルハルト・フォン・フェッヒェンバッハは父なる神において尊敬すべきマインツ大司教ゲルラッハのために、帝国の公的書記の私、ヘルマンに、上述の判決と法を私の手で、私の通常の印を付けて、公文書として作成することを求めた。これは前述の戴冠の15年期の年月日の晩課の時刻におこなわれた。そしてそこには尊敬すべき聖職者、ゼルボルト修道院のヨーハン修道院長、グリンダのヘルマン司祭、シュルト教区のヨーハン司祭、厳格な騎士ルドルフ・フォン・リュッキンゲン、ヨーハン・フォン・ロールバッハ、ハインリッヒ・フォン・ブルフーゼンおよびゼルボルトの裁判官ハイルマン・ヴィンクネヒトが出席し、マインツ大司教領に住む者全員、これを見聞した他の多くの尊敬すべき人々もこれら前述の全条項の証人となることを求められた。

 8-2-11 ヒュッテンゲゼッス Hüttengesäss (1426年)

 
(ヒュッテンゲゼッスはフランクフルト・アム・マインの東に位置する)


 ヒュッテンゲゼッスのマルティン裁判所の告示。
 1426年聖セバスティンの日(9月20日)の夕べ、マルティン裁判集会がヒュッテンゲゼッスで、ハーナウのわが慈悲深き領主がロンネブルク城の領主の地位にあろとき、開催され、以下のように問われ、告げられた。
 まず最初に、ヒュッテンゲセッス村の村民が2人以上で同村の禁制牧地で殴りあい、流血沙汰になったら、ロンネブルク荘園とゼルボルトに罰金を納め、罰金額はいかなる者にも5シリング科せられる。しかし、2人以上が殴りあって、流血沙汰にならなければ、いかなる者も荘園に5シリングの罰金が科せられるが、ゼルボルトには科せられない。ロンネブルクの役人またはその関係者が罰金を要求して、14日間たっても納めなければ、罰金は倍増されるが、2倍を上回ることはない。
マルティン裁判集会で、次のように告げられた。すなわち、ロンネブルク城の領主または役人はディープバッハ川の水をトーデンフルトからマイデンスフルトまで囲って禁漁を命じることができ、その中に入って漁をする者は、そのたびに5シリングの罰金を科せられ、罰金を要求されてから14日間以内に納めない者は、罰金を倍増されるが、2倍を越えることはない。
 ロンネブルク城の領主または役人はヒュッテンゲゼゼッス村でどのような命令をなしうるか、あるいは何回命令をなしうるか、問われて、次のように告げられた。すなわち、1日に1回命令して罰することができる。村の共同施設がこわれかかったら、垣根であれ溝であれ、どのような共同施設であれ、その修理に参加しない村民には5シリングの罰金を科すことができる。14日間たっても罰金を納めない者は、2倍の罰金を科されるが、それ以上科されることはない。
 ゼルボルトの裁判所がイーゼンブルクの領主とともに裁判集会を受け入れない年には、ロンネブルク城の領主または役人はその年に1度彼らの近くに10頭の馬を収容できる宿泊施設を、村民の負担で設営する。
 ロンネブルクの城のために誰が裁判官を任命する権限をもち、その裁判官はいかなる法またはしきたりをもち、彼に何がなされるべきかと、問われて、村民の意見が一致せず、3ないし4の意見に分かれて混乱した。
 マルティン裁判集会に属する者が出席しなければ、20ペニッヒの罰金を科せられ、罰金を要求されて14日間たっても納めなければ、罰金は2倍になるが、それより多くはならない。
 マルティン裁判集会にはヒュッテンゲゼッスの住民より多くの者が属するのかと問われて、その貢租に含まれる者はマルティン裁判集会に属すると告げられた。また、上述のことはすべて、彼らの父祖から伝わる慣わしである。
 




9. フランケン Franken

 9-1 クロッツェンブルク Krotzenburg (1415年)

 (クロッツェンブルクはマイン川右岸に位置し、今日ヘッセン州に属する)

 神の名においてアーメン。この公文書を見たり、読んだり、読むのを聴いたりするすべての者に告げる。すなわち、キリスト生誕後1415年第8の15年期すなわち8月19日9時課に、あるいはローマ法王の地位が空席のとき、マインツ司教領のクロッツェンブルク村には、マインツの市壁の外にあるザンクト・ペーター教会の尊敬すべき首席司祭と参事会の領主館にクロッツェンブルクの村長が住み、世俗裁判に出席するのが常であり、わが公的書記と後述の証人たちの立ち合いのもとで、前述のザンクト・ペーター教会の尊敬すべき参事会員ヨーハン・ゴレ殿とヴィーガント・シュタールベルク殿がザンクト・ペーター教会を代表し、ヴィーガント・シュタールベルク殿が、以下のごとく語った。
 まず最初に、村長と彼の参審員は全員当裁判所に所属する。ヨーハン・ガレ殿と私は聖堂参事会員でもあるため、今回わが聖堂参事会とザンクト・ペーター教会にかわり、ここに出席し、次のように述べた。すなわち、ここクロッツェンブルクではわれわれは代官をもっておらず、リーネックの伯爵である若き貴族領主トーマスが彼の父の死後われわれから代官職を受け取らなかったために、代官職はわれわれのものとなり、われわれは現職の代官であり、われわれ以外のいかなる者にも代官職は認められない。
 その後、リーネックの伯爵である若き貴族領主トーマスはマインツのわれわれのところに来て、彼に代官職を再度授けてほしいと要請した。われわれは彼にすべての権利、すなわちわれわれの教会の収納庫と人員の権利も授与した。彼はわれわれを賞賛し、それが法的に正しく可能であると確言した。
 ザンクト・ペーター教会のわが領主もわれわれ両名に宛てて信認書を送り、そのなかで、われわれがこのときいかなることを彼らのために考えていようとも、そこに居合わせる全員がわれわれを完全に信頼して支持し、そのために行動すると述べた。われわれもマインツのザンクト・ペーター教会のわが領主とわれわれのために、前述のリーネックの伯爵である若き貴族領主トーマスにわれわれが以前占めていた当地クロッツェンブルクの代官職を授け、彼のために上述の代官所にヨーハン・ボルケンを彼の書記に任命し、上述のわが領主とわれわれのために、われわれは高官として次のように要求し命令することができる。すなわち、リーネックの伯爵である若き貴族領主トーマスは、われわれに代って彼に属すべき法、地代および貢租を、われわれの代官職として、古い慣わしのとおり守るべきである。さらに彼らとわれわれの後継者がわれわれの裁判所をマインツのザンクト・ペーター教会のわが領主とリーネックの代官所に代って保有し開廷するべきであり、それ以外の者には許されない。また今日、わが領主の支配、所有、法、地代、貢租およびその他すべては、彼らに属することを告げる。またわが代官、リーネックの伯爵に属するものは、このクロッツエンブルクのわが代官所のものとなるべきである。
 こうして前述のヨーハン・ゴレ殿とヴィーガント殿が腰をおろし、彼らのかたわらに、リーネックの彼らの代官と並んで、前述のヨーハン・ボルケンを座らせ、クロッツェンブルクの村長と参審員に座るように求めた。われわれの村長の名はニクラス、、参審員の名はハインツェ・ヴィーラント、コンツェン・ドルナイ、クレシン・アンテルン、ヘンネ・ヴィーラント、ゴッデンヘンヒン、ヘンネ・ヴィーゼルおよびコンツェ・グーゲンハイムである。そしてヴィーガント殿は裁判所を開くことを求めた。
 村長は参審員に、どのように裁判をおこなうか、問うた。参審員は異口同音に次のように答えた。すなわち、最高位の領主であるマインツのザンクト・ぺーター教会の領主のために、リーネックの代官のために裁判をおこなうべきである。こうして村長は裁判をおこなった。
 そこでリーネックの書記ヨーハン・ボルケは参審員に次のように問うことを求めた。すなわち、彼らが見聞きしたように、ザンクト・ペーター教会の領主はリーネックの若き貴族領主に代官職を授け、代官に任命したが、若き貴族領主に法を指示することは可能か? ザンクト・ペーター教会の彼らの領主が裁判所をもち、村長が領主のために指示するなら、可能であると参審員は答えた。しかし、1年に3回裁判集会を開くべきであると告げられたということにかんしては、彼らはただちに返答することはできず、それについて思い出そうとした。
 ヴィーガント・シュタールベルク殿は、クロッツェンブルクの所有、支配および裁判はともに誰に属するのかと、問うた。参審員たちは出て行って協議し、そこに出席していた全員一致による返答を若きヘンネ・ヴィーラントがおこない、彼らが参審員の椅子におこなった宣誓を法的に正当と認め、後述のように、彼らの祖先がもたらした彼らの最高責任者にかんする法について語り、彼ら自身が法であると考えた。彼らがその最高責任者に法によってもっと良い裁きを教示できるなら、彼らは最高責任者に従順にしたがい、心から感謝するつもりだと述べた。
 最初に、グロッツェンブルクの所有、支配および裁判はその付属物とともにマインツのザンクト・ペーター教会の領主に所属し、彼らが所有し、領民の相続財産である。
 またヴィ-ガント・シュタールベルク殿は、科料、罰金および賠償金は誰に帰属すべきか、問うた。参審員は、領主が3分の2、代官が3分の1を得るべきだと答えた。
 前述のヴィーガント殿は、次のように問うた。すなわち、ザンクト・ペーター教会の領主はクロッツェンブルクに何フーフェの土地と地代をもち、いかなるときに地代を納め、どこへどのように引き渡すのか? 参審員は次のように答えた。すなわち、ザンクト・ペーター教会の領主はクロッツェンブルクの村域に属する20フーフェの土地をもち、そのうち16 folschrig フーフェはそれぞれ毎年マインツ枡2マルターの小麦を納め、ヴェルクフーフェと呼ばれる他の4フーフェは小麦を納めなくてもよい。またデッティンゲンにある1フーフェは2マルターの小麦を納める。またライターレヒェン農場と呼ばれる農場は1マルターの小麦、ロッデルンという農場は1マルターの小麦を納める。マインツのザンクト・ペーター教会の領主がクロッツェンブルク村で入手するのは、36マルターのフーフェ小麦である。この36マルターのうち、クロッツェンブルクの村長は30マルターの小麦を取得し、上述の領主によって代官に授けられた際に定められているように、クロッツェンブルクの3つの代官裁判所の参審員には、各裁判所ごとに1マルターの小麦を与える。また前述のアウハイムの領主は5フーフェの土地をもち、オーベルンローデンバッハに7フーフェの土地をもつ。カルデの上方に7フーフェの土地があり、それはヴェレスハイム、ホルステンおよびカルデの諸村落と村域に属する。農地をもつ者は、これら3つの代官裁判所に属さなければならない。前述のフーフェは合計で40フーフェであり、これら40フーフェの土地のいずれからも1.5マルターの穀物、全体で60マルターの穀物が納められる。それらは前述の代官がが領主から授かった際に定められているように、代官のものとなる。また40フーフェのいかなるフーフェからもマインツのザンクト・ペーター教会の領主に1羽のニワトリと10個の卵を納め、それらを復活祭の水曜日に、クロッツェンブルクの村長が徴収し、彼は小十分の一税も徴収する。また村長は毎年聖霊降臨祭の前の祈願週間に1800個の卵をマインツの領主に引き渡すべきである。さらに40フーフェのいかなるフーフェも年3回15 ペニッヒを納める。第1回目は聖母マリア聖燭祭(2月2日)の後の月曜日15ペニッヒを納める。第2回目は復活祭の週間後の水曜日に15ペニッヒを納める。第3回目は聖レミギウスの日(10月1日)に15ペニッヒを納めるが、ここに定められているように、毎年聖レミギウスの日(10月1日)にはすべての小麦をも納める。これをおろそかにして、日没までに完了しなかった者は、15ペニッヒ以下を失ってしまう。さらに参審員は次のように告げた。すなわち、・・・・そうした罰金はシェッヒャーペニッヒという・・・。ザンクト・ペーター教会の領主の農奴で、領主の所有地を相続地としてもついかなる者も、毎年聖マルグレーテンの日(11月16日)に2ペニッヒを納めるべきであり、前述のような罰金を科される場合、それはマートペニッヒという。また3頭の四つ足の家畜をもついかなる者も、・・・すべきであり、それは飼料代と称する。聖ゲルトルートの日(3月17日)以前に耕地を耕さない者は、・・・夏穀物勤労という。収穫前の聖ペトロの日(6月29日)に3モルゲンの耕地を・・・、休閑地勤労という。聖母マリアの被昇天の日(8月15日)の前に・・・どのフーフェも耕すべきであり・・・、それは犂耕作勤労という・・・。夜明け前にいかなる犂も領主の農場になければ、15ペニッヒまでの罰金を科される。2つの底をもち、少なくとも3つの輪をもついかなる樽も、1フィアテルを納める。しかし、自家製のワインをもち、妻子および使用人とともにそれを飲んで、誰にも売らなければ、何も納める義務を負うことはない。また領主は豚の放牧法という法をもち、領主の農地を世襲地としてもつ者は、どのフーフェについても6頭の豚を放牧することができ、いかなる者もフーフェ数に応じて放牧できる。領主の村長はその農場から18頭を放牧し、その世帯から1頭を放牧すべきである。また製粉屋は製粉所から6頭を放牧し、世帯から1頭を放牧すべきである。また世帯をもつ者は1頭の豚を放牧できる。
 共同耕地について、領主の村長は12ルーテを柵で囲い、城門から囲い始めるべきである。共同耕地で相続地もち家畜をもつ者は4ルーテを柵で囲い、相続地をもつが家畜をもたない者は、2ルーテを囲い、相続地をもたないが家畜をもつ者も2ルーテを囲うべきである。
 相続地をもたない者は、村長に3日間の賦役をおこない、1日は小麦を刈り、1日は干草をつくり、1日はエン麦を熊手でかき集めるべきであり、村長は前夜従僕にそれを通知させるべきでる。
 前述のヴィーガント・シュタールベルク殿は、ザンクト・ペーター教会の領主自身に、またはその代官の権利として、農地、地代、利子のほか何か帰属するものがあるか、問うた。参審員は、それより多くは知らないと答えた。ザンクト・ペーター教会の彼らの領主に属するものがさらに多くあることがわかれば、彼らは知らせるつもりである。、
 ヴィーガント・シュタールベルク殿は、ザンクト・ペーター教会の領主に、誰をその代官として認めるか、またその代官にいかなる収入を授与するか、問うた。参審員は、彼らの上官に次のように答えた。すなわち、彼らの上官がより良い裁きを法によって指示するなら、彼らは彼にしたがい、彼に感謝の意を表するつもりである。
 まず最初に、ザンクト・ペーター教会の彼らの領主は法的な所有に介入し、リーネックの長老伯爵に代官職と収入および貢租を、後述のように授与し、この長老伯爵以外のいかなる者をも代官として認めなかった。さらに領主が代官に付与しようと認めようとおもうものを授け、前述の代官、リーネックの長老伯爵はクロッツェンブルク尺度で毎年60マルターの穀物を得られ、それはクロッツエンブルクで聖母マリアの被昇天の日(8月15日)と聖母マリア誕生日(9月8日)との間に時刻通りに引き渡されると述べた。その場合護衛されるべき者は、ザンクト・ペーター教会の領主の従僕が護衛する。
 代官には同村落での食事のための6フント・ヘラーが与えられ、その半分は新年に、残りの半分は五月半ばに与えられる。
 新年に代官の馬に食べさせるエン麦10マルターが与えられるべきである。
 前述の40フーフェのいかなるフーフェも、2シリングの穀物を納めるべきである。代官がクロッツェンブルク村にいる場合、この穀物から彼の従僕のためのパンを焼くべきである。彼は村落の領民にそれ以上の負担や迷惑をかけてはならない。
 ザンクト・ペーター教会の領主から身体または財産を得るいかなる領主の農奴も、毎年謝肉祭に1羽のニワトリを代官に納めるべきである。
 前述の地代を納めるべきときに支払わない者に対して、代官は家から家へ使者を巡回させて催促することができる。それでも納めない者がいれば、差し押さえることができ、差し押さえ処分を遂行すべきである。地代の納入義務を負う者が家におらず、代官の使者が家の中に未成年者または理解力のない子どもや奉公人を見つけた場合は、地代義務を負う者は何も失わないで済む。しかし使者が成年に達して理解力をもつ者を見つけたら、この者に用件を伝えるべきであり、そうすれば彼は任務をはたしたことになる。
 参審員は次のように法を告げた。すなわち、皇帝または国王が山を越えて旅をして、代官が彼とともに旅をすれば、代官は14日間の旅のためにクロッツェンブルクの領民に1頭の馬を要求することができ、それはseymerという。それがおこなわれるとき、いかなるフーフェ保有農民も彼がもっている農耕用の最良の馬2頭を連れて、ザンクト・ペーター教会の領主の屋敷に行き、代官の従僕はそのなかから最良の馬1頭を選ぶべきである。彼が選んだら、フーフェ保有農民たちはそれを評価し、その馬を所有していた者に、14日後に支払うことを保証するべきである。クロッツェンブルクで馬をもち、その鞍に乗っていた者は、その馬を提供する義務を負わない。そして代官が帰宅したとき、馬がまだ元気であれば、彼は無償で馬を家に送り帰すべきである。
 参審員はっ次のように語った。すなわち、前述のような授与のかわりに、代官は首席司祭と大聖堂参事会の身体と財産、クロッツェンブルクの村落と村民を、教会のすべての敵と侵害者に対して、非常事態が起きるたびに、また要求され催促されるたびに、盾と矛で保護し守る義務を負う。またクロッツェンブルクの村落と村民が強制されたり侵害されたりしたら、代官は村を守る態勢をとり、落し戸の門戸に立ち、刺されたり打たれたりして膝を屈するまで彼らのために戦うべきである。
 参審員はまた、次のように語った。すなわち、前記の代官は一日と一夜馬に乗って自費で領主に奉仕する義務を負い、疲れて帰宅することができなければ、領主の村で宿泊することができ、村民が提供できるたくさんのまかないを得ることができ、ザンクト・ペーター教会の領主はそれに感謝すべきである。代官はさらに宿舎までも得るべきではなく、参審員はいかなる者も規定以上の宿や食事を提供しなくてもよいと認めた。
 参審員は法として次のように告げた。代官はクロッツェンブルクのザンクト・ペーター教会の首席司祭および参事会の領主館における年3回の命令にしたがい、第1回は新年に、第2回は五月半ばに、第3回は秋に代官の裁判所の席を占めるべきである。また領主の廷吏は常に裁判の日の14日前に通知すべきであり、身体と財産をザンクト・ペーター教会の領主から得ているいかなる者にも通知すべきである。彼らは出席して、彼らの代官税支払いによって出席を証明すべきである。通知されたのに出席しない者は、15ペニッヒの罰金を科され、その3分の2は領主に、3分の1は代官に帰属する。廷吏にそのことで告発された者は、罰金を納め、廷吏の指示にしたがうべきである。帝国裁判所の場合は、たとえ代官税を納税しても、保護されえない。ただし、身体の異常のために出席できないか、領主の許可を得て出席しない場合は、その限りではない。
 ヴィーガント殿は、地代のうち代官に属するものを彼が得たかどうかを、知っているかと問うた。参審員は、今のところ何も知らないと答えた。
 ヴィーガント殿は、参審員の椅子によって何かを得たかと、参審員に問うた。彼らは次のように答えた。すなわち、年3回おこなわれる代官裁判で代官が席に着く場合、ザンクト・ペーター教会の領主のクロッツェンブルク村長は毎回1マルターのパン用小麦を参審員に提供する義務を負い、小麦が正確かどうか計量するように求められたら、廷吏は小麦を調べるべきである。またそれを製粉する際、製粉屋は彼の報酬より多くの量の小麦を取ってはならず、パン屋は彼が焼くパンの小麦を受け取るべきである。
 3回の代官裁判のいずれにも領主の村長は荷馬車2台分の木を運ぶ義務を負い、1台は緑の葉のついた木、もう1台は風で倒れた木を運ぶべきである。
 3回の代官裁判のいずれにも2つのdislachenを提供する義務を負い、1つは白、もう1つは黒でなければならない。そのdislachenと杯を村長はいずれの裁判のときにも軽食後の時間に取り返し、人々は彼に返却すべきである。
 代官はイノシシの子を提供すべきであり、それは5シリング以上の価値がなければならず、イノシシ用の水浴び場につないでおくべきである。
 さらに彼は4アイマ―のワインを提供すべきである。それは6フィアテルに相当する。ワインは2軒の居酒屋で出され、最良のワインを飲むべきである。
 参審員は次のように語った。すなわち、グロッツェンブルクのいかなる漁師も軽食用の魚を彼の漁具から奉仕する義務を負い、14日間にとらえた彼の魚を持参すべきであり、その魚は最良のものであるべきで、最悪のものであってはならない。参審員は「おまえは十分奉仕したから、もういいよ」と言うまで、そのなかから多数の魚を参審員に取らせるべきである。そして猟師は彼らとともに魚、パン、ワインおよび軽食用のその他の品物を食べ、彼らの食事に加わるべきである。漁師は魚網の数によって一人から数人の下男をもっているなら、彼らを食事に連れて来ることができる。


 9-2 クラインヴェルスハイム Kleinwelsheim (1533年)

 (クラインヴェルスハイムは南ヘッセンのマイン川沿いの都市ゼーリゲンシュタットの一部である)


 キリスト生誕後1533年、四旬節第一主日の日曜日の後の土曜日午前10時過ぎに、バーベンハウセンのder ervest エーベルハルトがヴェルスハイムの裁判所の最高位の裁判領主として出席し、彼の役人をつうじて裁判所のすべてのフーフェ保有農と裁判所吏員に裁判集会を開くように要求し、彼らも従順に出席した・・・。その裁判はある荘園民の屋敷でおこなわれ、村長は白い布でおおわれた食卓を用意し、その上にパンとチーズを置くべきであり、それがなされたら、村長は最初に裁判官とフーフェ保有農に、バーベンハンセンのわが若殿の裁判所を開廷するときかと問うた。そこで、村長が裁判を告げると・・・、フーフェ保有農たちは、裁判所を開廷する時間であると指示した。
 さらに村長は、何のためにそのような裁判所を開廷するのか、問うた。フーフェ保有農はそれに応えて次のように告げた。すなわち、彼は最高位の裁判領主としての若き領主エーベルハルトのために、村長のために、裁判所吏員のために、裁判所を開廷し、フーフェ保有農が椅子を片付けることを禁じ、そうする場合は許しを得るように命じ、あらゆる勝手な発言を禁じ、それについて平和と罰令を命じるべきである。
 さらに村長は、裁判を必要とする者がいるか、一度、二度、問うた。
 バーベンハウセンの若き領主エーベルハルトが出廷して、彼の裁判権を次のように告げさせた。
1 若き領主は問うた。この裁判管区に属する農地を認められた者には、いかなるpfarechtが適用されるか? フーフェ保有農は次のように告げた。、3脚の椅子を置くことができるほどの大きさの農地ををもつ者は、裁判領主に1羽の鶏を納める義務を負う。
 2. さらに、農地の受領はどこからおこなわれるべきか、と問うた。フーフェ保有農は次のように告げた。すなわち、農地を受領すべき者は、ゼルゲンシュタットの裁判所でそれをおこなうべきであり、3脚の椅子を置ける農地をそこで受領すべきである。
 3. さらに、ある者が農地を譲渡ないし売却する際、相続人がその農地を取得しようとするなら・・・いかなるときにそれを取得することができるか、問うた。フーフェ保有農は次のように告げた。すなわち、村長が農地取引を制止したら、相続人は1年の期限内は近くで待機すべきである。理由があって相続人が・・・不在なら、農地を取得してはならない。
 4. 裁判所に来ないフーフェ保有農は、いかなる罰金を科されるか? 村長に5シリングの罰金を納めなければならない。
 5. 裁判所の権利について問われて、裁判の手数料としてフーフェ保有農に5 フィアテルのワイン、村長に9ディナールを納める義務を負う、と告げられた。
 6. 2人がけんかをして、ほかにも不法行為をしたら、罰金を誰に納めるべきか。領主に罰金を納める義務を負う。
 7. 勝手に期限内に農地を受け取らない者は、いかに従わせられるべきか? 農地を受け取るように告げられたのに、途中で放棄した者を、村長は彼の領主に代って裁判所に告発することができる。また裁判領主が出席して、宿泊したら、荘園民は彼に新しい干草とその上で寝るために2枚の白布または敷布を提供すべきである。
 8. 放棄された農地に相続人はいつ入ればよいか? 放棄された翌年の期限内に入れば、彼にその農地が付与されるべきであり、彼は農地の損失や改良などすべての費用を承知のうえで納めるべきである。
 9.  フーフェ保有農は相続税を納める義務を負うが、村長に何を提供すべきか? 相続税に責任をもつ者は、村長に2 トルノスを納める義務を負う。

 9-3 リーネック Rieneck (1380年)

 
 (リーネックはフランクフルト・アム・マイン東方に位置するリーネック伯領とその都市)

 1380年.これはリーネックの領主がすべての裁判所と村落にもつ法である。
 後述の法は精霊降臨祭の火曜日に次に記された参審員によって書かれた。彼らの名はヴィーガント・ゼンガ―、フリッツ・ジンガー、ぶどう園主ハインツ・グリム、ヴォルフ・キーゼンボルン、ハンス・ラウベンマイスター、フリッツ・シデリッヒ、コンツ・ベヒトルフ、コンツ・ヴェンツェル、シュタルク・フォン・ゾマーカルテン、ヴァイラーの荘園民ハンス、ラウファッハのベヒトルフ・シュミットおよびウェイガント・ハナフである。
 最初に彼らは次のことを法として告げた。すなわち、いかなる自由廷吏も、現職の自由廷吏であれば、すべての自由民に対して6週後にローアの自由裁判を訪ねるように知らせるべきであり、精霊降臨祭後の月曜日の午後そこに来て、精霊降臨祭後の火曜日のローアの自由裁判を待つべきである。
 自由民が月曜日に来られなくても、来る意志をもち、火曜日に来れば、違反したことにはならない。またすべての自由民が来るべきであり、出席を命じられた者は人頭税を払わなければならない。ただし、身体または領主の非常事態に妨げられて来られない場合は、そのかぎりではない。
 自由民が勝手に自宅にとどまり出席しようとしない場合、わが領主は3年間勝手に出て来ない自由民のもとへ、彼の役人または従者の1人を、2人の従僕と3頭の馬、2台のいしゆみおよび1羽のオオタカとともに送り、参審員が認めるなら、彼と話し合いで決着をつけることができる。昔からのしきたりにしたがって、schliffbalckenからはずれたものを、領主は自由に取ることができる。
 自由民が裁判所に来て、裁判が開かれたら、自由廷吏はリーネックの領主に彼の任務を託すべきであり、彼が自由民の気にいり、リーネックの領主にも役立ちうるなら、リーネックの領主は彼にその任務を再び授けることができる。。
 ときによって草地を貸与しなければならない草地保有者は、自由裁判所に来て、毎年その裁判所に草地を委託すべきである。
彼らは草地を委託した者に対して現状を維持する場合は、それを再度貸与することができるが、自分が望む他の者に貸与してもよい。
 彼らが裁判所を訪れて、命じられたとおりに出廷すれば、自由草地を貸与すべき草地保有者は、ローアの商館で彼らを待ち、馬を彼らから受け取り、柵と鞍を管理し、馬を自由草地に放牧し、馬をそこで管理し、オオカミその他の被害にあわないようにすべきである。ただし、領主の権力で斥けられた場合は、そのようなことっをしてはならない。。
 ローアの自由民全員が命令により裁判を待たねばならないとき、彼らのなかで人だかりが生じて、相互に過密になったり、互いに列をなすようになれば、自由裁判所は開放されるべきであり、もし非常事態が起きたら、そのなかに逃げ込むことができ、そのなかに入った者は、平和と護衛を得るべきである。またリーネックのいかなる領主もその年度に彼らのために誠実に裁判集会をおこない、裁判を遂行できるなら、万人のためにそうすべきである。しかしそうできない場合は、彼が望むなら、裁判集会を都市から1マイル離して、無事に開催すべきである。 
 同じ法をもつ貴族が避難所に来たら、リーネックの領主は1カ月毎日彼について裁判集会をおこなうべきである。裁判がおこなわれなければ、領主は、彼が望むなら、ローアから1マイル離れて裁判を支障なくおこなうべきである。
1人または数人の自由民あるいは貴族がリーネックの領主の法の保護のもとに逃げ込んだら、避難所と同じ平和と警護を無事に得られる。

 リーネックの領主が戦闘をやめ、その後自由民に彼のためにすすんで戦う者を求めるなら、領主は14日間の3倍の期間彼らの費用を負担し、利益と名誉を得られるように彼らに教示してもらうべきである。
 自由民の一人が死亡したら、自由廷吏は死亡税の家畜を徴収し、それを一つの戸口から連れ出し、他の戸口から再度連れ戻し、末子に返すべきである。そうすることによって、子どもを扶養するべきである。そして将来子どもが亡くなったら、それはリーネックの領主に帰属する。こどもに兄弟姉妹がいれば、いかなる者も子どもの負債に対して死亡税の家畜を差し押さえてはならない。自由廷吏が彼にそれを返したら、18ヘラーを自分のものとして徴収すべきである。
 自由民が、自由民ではなくリーネックのわが領主に属してない女性と結婚したら、彼らの間に産まれた末子は父親の身分にしたがい、父親が死んだら、自由廷吏は死亡税の家畜を取り、一方の戸口から連れ出し、他方の戸口から再び連れ戻し、末子に返すべきであり、そうすれば子どもは扶養される。子どもが死んでも、兄弟姉妹に変わりがなければ、彼らの誰もいなくなるまで、最年少の者が相次いで末子としてわが領主に属すべきである。また自由民女性が自由民ではない者を夫とすれば、彼らの子どものうち末子は父親の身分にしたがい、他の子どもはすべて母親の身分にしたがえば、さほど支障はなかろう。
 リーネックの領主はいかなる自由民からも1ジマーのエン麦を受け取り、いかなる自由廷吏も収穫期の聖マリアの祝日から聖アンデレの日( 11月30日)まで種子を受け取り、この自由民が自由民の妻をもつなら、両者は1ジマーのエン麦を納める。
 自由民女性がいかなる都市、いかなる領主のもとであれ他の地域に属する男性と結婚して、彼女が死亡したら、法によって彼女から毛布以外の貢租を徴収してはならない。しかし彼女がそれ以上多くを求めるなら、リーネックの領主はそれを認め、実行すべきである。
 自由民の奉公人男女が1年と1日奉公に行き、奉公先の変更を望まないのであれば、奉公年季があけても、2本の枝が相互に巻きつくように、彼らはわが領主にも彼の自由民にも同じように奉公すべきである。
 自由民女性が非常に貧しくて、ライ麦その他の発酵労働で生計を立てなければならず、自由廷吏が来て、1ジマーのエン麦を差し押さえようとしたとき、彼女がエン麦をもっていなければ、自由廷吏はエン麦が入手できるまで1年と1日差し押さえ物件を保持すべきである。しかし彼女が赤貧のためにエン麦を納められない場合は、彼は差し押さえ物件を返却し、1ジマーのエン麦の代金3ヘラーを徴収すべきであり、そうすることによって彼女の安泰を保つべきである。
 いかなるときであれ、リーネックの領主が結婚しようとする場合、彼は税金とベッドを領民に要求することができ、寛大にそれらを徴収すべきであり、自由民がベッドをもってなければ、それを犂に変更してもよい。そうしなければ、いかなる者もそれを失ってもやむをえない。
 リーネックの領主が騎士となるか、国王または皇帝とともに3日間旅をすれば、彼は毎回規定どおりの権利を得る。
 いかなるときでも、自由民がその末子をリーネックの領主に奉仕するために差し出すなら、子どもの父親は規定された3つの税を免除される。
 彼らはリーネックの領主にアシャッフェンブルク鋳貨で40フントを毎年聖ヤコブの日(7月25日)の頃に納め、その見返りにリーネックの領主は彼らを他の領民と同じように重んじ、保護し、支援し、誠実に約束すべきである。
 自由民がいかなる都市へ移転しようとも、前リーネックの領主に規定通りに奉仕している場合は、リーネックのわが領主は、廷吏が従来どおり要求する正規の税金より高額の納税を彼に迫ったり課してはならない。
 自由民がリーネック伯領の都市または村落に移住し、生計をたてるのが不安であるため、いかなるときであれ、再度そこから去ろうとするなら、彼の再度の移住を妨げてはならず、彼が彼の所有物をもって移住しようとしても、リーネックの領主は彼に協力し、彼の移住を妨げてはならない。
 自由民は99年間リーネックの領主から逃れて四つの帝国都市フランクフルト、フリートベルク、ヴェツラーおよびガイレンハウゼンに移住することはできない。
 自由民が住む地区からどこかへ移住したら、地区に任命された廷吏は彼を追いかけ、彼から権利を取り上げるか差し押さえ、彼が権利を譲渡することも差し押さえも拒んだら、frei廷吏は領主の役人に、彼の所へ馬で行き差し押さえ、彼から権利も取り上げるように言うべきである。 
 自由民がリーネックの領主に属さない女性と結婚したら、その末子は父親の身分に属する。
 自由民男女が死亡し、子どもを残さなければ、廷吏は死亡税の家畜を徴収すべきである。しかしその家畜が5シリング以下であれば、それは廷吏のものとなる。しかしそれが1フントを超えていれば、それはリーネックの領主のものとなる。
1390年聖霊降臨祭の火曜日前述の法が、参審員たちによって告げられた。彼らの氏名は、以下のとおりである。ヴォルフ・キーゼンボルン、コンツ・ベヒトルフ、コンツ・ヴェンツェル、ペーター・ラウベマイスター、ハンス・シュトレ、ハンス・ジンガー、ベヒテルト・シュミット、ヴァイラーのハンス・ホフェマン、ハイレマン・ウルリッヒ、ハインツ・グリメ、フリッツ・フォン・シュタインバッハ、ヘンネ・ハナフ・フォン・ラウフファッハ、およびヨハイン。
 
 リーネック
 以下に述べるのは、リーネックの領主の支配権、法および慣習の伝承である。
 まず、リーネックの郷裁判官の任命について。
 リーネックの領主は、必要があれば、彼の思うがままに郷裁判官を任命する権限をもち、郷裁判官が任命されたら、彼はマインツの大聖堂、ハーナウの領主庁またはその役人にその法の順守を誓い、必要があるたびに、裁判でその法を問うことを誓約すべきである。郷裁判官は郷裁判官の杖を手放して裁判所を去れば、彼はその後上述の領主に束縛されることも義務を負うこともない。
 リーネックの区長の任命について。リーネックの上部地区の区長について、古くからの慣わしにより、マインツ、ハーナウおよびリーネックの共同の領主またはその役人はリーネックの上部地区の住民に命じて、区長を選ぶように要求し、2-3人が選ばれたら、そのなかで領主またはその従者の気に入り、役に立つ者を、たとえ彼が最大の得票ではなくとも、上部地区の住民の異議がなければ、領主は区長にすることができる。こうして区長が認証されたら、彼は統治者で領主としてのマインツの大聖堂に、次いでハーナウ、さらにリーネック伯領にもそれぞれ、その法としきたりにしたがい堅く誓うべきである。
 都市リーネックの市民が領主のためにともに出征するとき、郷裁判官が彼らの前を進み、区長が彼の後に続き、郷裁判官が、昼であれ夜であれ市民とともに来るように指示を出したら、区長はしたがうべきである。
 郷裁判官が領主のために都市裁判所の席を起たなければならないとき、あるいは身体の病気のため裁判に出席できないとき、平民区長が裁判所に属するすべての領主に誓いをたてれば、杖を取って、すべての領主のために裁判所を開廷すべきである。    
 区長は裁判所でリーネックの郷裁判官のそばに警告や注意を喚起する者として座るべきである。郷裁判官が領主の法の幾つかを忘れたら、区長は彼に思い出させるべきである。
 区長は、上部地区すなわちマインツ、ハーナウおよびリーネックに生まれた者に対して領主にかわって命令し、禁じ、催促しなければならず、これら3領主のもとに初めて来る者も、これに従うべきである。
 リーネックの下部地区がリーネックの領主単独の支配下にあり、他の2人の領主が支配に関与しないか、共同で関与する場合は、市長はそこで禁止し許可する権限をもたない。
 リーネックの郷裁判官は上部地区で命令したり禁止する権限をもち、この権限はリーネックの領主がもつ4分の1世襲領主権である。
 リーネックの領主は上部地区のすべての領民に、男女にかかわらず4分の1世襲領主権をもつ。 
リーネックの城も都市も2つに分けられ、一方の半分は下部地区と称し、すべての統治権、命令、歳入、地代および貢租は例外なくリーネックの領主単独のものであり、他の領主たちはそこに命令を発する権限をもたない。
 他の半分は上部地区と称し、すべての統治権、地代、歳入、貢租は例外なく、半分がハーナウ、四分の一がマインツ、四分の一がリーネックの領主のものである。ただし小川の草地のなかにある農地はハーナウに領主とマインツの領主が分かち合う。 
リーネックで4ペニッヒが徴収された場合、罰金であれ、亜麻(flassen)や関税などからの収入であれ、そのうち2ペニッヒはリーネック収入である。したがって、1ペニッヒがハーナウ、1ペニッヒがマインツのものとなり、残りはリーネックのものとなる。
 リーネックに水域が4つあるとすれば、2つはリーネック単独のものであり、他の2つは共同領主のものであり、上述のペニッヒの場合と同じように、各領主が1つずつをもつ。
 現在リーネックには2つの製粉所があり、それらのうち1つは古くから領主に製粉所の豚と貢租を納め、上述のような割り当てがおこなわれ、リーネックの領主には1頭の豚が、他の領主には4分の1頭分の豚が割り当てられ、同じくリーネックの領主には穀物貢租として3マルターと6マースの穀物、マインツの領主には1頭の豚の4分の1と6マースの穀物が割り当てられる。
 昔、浴場のある村が都市に編入された。その村からジンドルフまで都市の境界が当時から今まで存在しており、通りの上方に位置する家々と中庭は上部地区の領域である。その下部の地域内にある家々は下部地区の領域である。それにはラーベンダールが属する。
 シェームパッハにはリーネックの領主が単独ですべての統治権をもつが、シェームパッハにある4つの共同農地は除かれ、そこにはマインツとヴュルツブルクの教会が地代、貢租の徴収権をもち、教会の地代となる。さらにシェームパッハに禁止をおこなう権限ももつ。
 リーネックの領主は単独でリーネック城の礼拝堂の領主であり、他の領主はそれとかかわりをもたない。またリーネックの領主は下部地区も領有する。
 リーネックの城内の区分は中央の塔でおこなわれ、その突き当りに居室があり、城壁にぶつかり、森に向かって進み、塔の背後は共同の領主は有する領域で、塔の前方と居室と礼拝堂はリーネックの領主単独の領域である。
 かつてリーネック市の市長は酒樽を飲食店主とともに計算し、そこには郷裁判官と区長も立ち会った。市長は酒樽の会計をしたとき、大量に飲み食いしたと中傷され、今後すべての領主のために常に共同の郷裁判官が酒樽の会計に立ち会うべきであるということになった。そして彼らの諒解や許可なしには、市長は飲食店主と酒樽の会計をしてはならない。上級裁判官は領主のために任務をおろそかにしてはならず、区長に立ち合いを命じなければならない。しかし、区長はいかなるfaszについても飲食店主とともに計算に立ち会うべきとか、立ち会わねばならないというようなことは昔からのしきたりではなく、市長は彼らの名誉のために1フィアテルほどのワインを彼や他の人たちとともに飲むことを彼らに求めるることができる。彼らはそれを都市から権限として得ているが、聖ペトロの日(6月29日)に礼拝堂でおこない、古くからのしきたりにによって、市長がおこなう会計に立ち会うべきである。
 かつてリーネックとハーナウの両領主間で不和と争いがあり、そこで都市リーネックでは、下部地区の男性または下僕は上部地区の女性と結婚してはならないという禁令が出され、上部地区でも同様な禁令が出された。この命令が寡婦または未婚女性によって無視され、領主の承諾なく結婚する者がいれば、罰せられた。そこで市民によって、都市が小さいので、両地区で多数の人々を結婚させるべきだと申し立てられた。これは認められたが、生まれた子はどちらに属するかという問題の決着は、保留された。
 やがて審議がおこなわれ、ある市民が他の市民から農地を買ったら、それがどちらの地区に属するとしても、市民はそこの領主に申請すべきである。
 貴族または教会の農地、あるいは採草地を買うアウリッシュという市民が、下部地区または上部地区のいずれに住んでも、生存中に農奴身分の妻の地区に属するか、彼が誓約をした地区で、農地の償いをすべきである。彼が死亡したら、妻は再婚するか、彼女の子どもに農地を与えるまで属していた地区で、農地の償いをすべきである。
 リーネックの領主はシェンパッハに独自の水域を所有し、他の領主はそれに関与せず、共有もしない。領主はその中に、領主や古くからのしきたりに由来する区切りをしてもよい。

 9-4 ローア Lohr (1425-1457年)


  (ローアはリーネック伯領の都市で、フランクフルトとヴュルツブルクの中間に位置する))

 われらが敬愛する主キリスト生誕後数えて1425年聖ミカエルの日(9月29日)の次の月曜日、後述の条項がわれらが慈悲深きリーネックの領主の郷裁判所で法として認められ、ローアで語られた。
 まず最初に全体で14日間の裁判が、郷裁判官によって月曜日に開廷されるべきである。ただし、祝祭日と、その他われらが慈悲深き領主の非常時は、除かれる。
 郷裁判管区に住む管区住民は、廷吏によって月曜日の前日の日曜日に裁判集会が招集されたら、出席すべきであり、欠席した者は、郷裁判官に3ペニッヒを罰金として納める義務を負う。管区住民に命じられた出席日数を怠ったとみなされた者は、郷裁判官に350荷の木材運搬をおこない、郷裁判官をそれを伐採させる。
 郷裁判所に訴えて判断を求めた告訴人は、10グルデンを納める義務を負う。裁判官は彼の法の実現のために助け、訴訟費用が支払われたら、郷裁判官は10グルデンにつき1グルデンを支障なく得るべきである。
 判決によって訴訟の相手と折り合ったことを誓うにはいたらなかった者に対して、郷裁判官は彼の願いに応じて、しばらく猶予を与え、告訴人の承諾を得て彼が指示する日を設定すべきである。
 上述の月曜日に参審員の過半数は法として次のことを告げた。すなわち、郷裁判管区住民は真実を真実として、うわさをうわさとして郷裁判官に訴え、名誉または公正にかかわることを訴える場合、上級裁判所以外に訴えてはならない。
 いかなる参審員も、真実を真実として、うわさわをうわさとして、 次の4つの項目を上級裁判所にもたらし告訴すべきである。すなわち、窃盗、殺人、流血の傷害および名誉と公正にかかわること。
 1437年聖ラウレンティスの日(8月10日)の後の月曜日、参審員は法として次のことを告げた。すなわち、当地ローアの上級裁判管区の地方官または上級裁判官は、上級裁判管区に属する者全員に対して、従来の慣行にしたがい、いかなるときであれ、リーネックの領主のために、その旅につき従い、防衛のための濠や施設をつくることを命じなければならない。そのように勧告されれば、彼らは従順に協力するべきである。
 上級裁判管区の若者が結婚し、家に子どもが生まれたら、上級裁判管区に住む市長と参審員は、、古くからの慣わしにしたがって、彼らが誓って上級裁判所の義務をはたすように、裁判集会を開催することを上級裁判官に提案すべきである。
 上級裁判所に誓約した廷吏は、上級裁判集会を大市の前の日曜日に戸外の泉のそばで開くことをリーネックのわれらが慈悲深き領主の許しにより、また誓約共同体のために、公に呼びかけ知らせるべきであり、村落の自宅にいる参審員にもそれを自分自身で知らせるべきである。あるいは隣人に命じてそれを知らせてもよい。
 上級裁判所の廷吏は裁判の日の月曜日10時頃、市役所の鐘を約3回相次いで鳴らし、その後上級裁判集会を3回相次いで呼びかけ、最初にホーフシュテターの家のそばの泉で、2度目はハンス・ケスラーの家の前で、3度目は市役所の前で、誰もがその後裁判をすることがわかるように呼びかけるべきである。裁判がおこなわれる場合、廷吏は人々を裁判所に来るようにに求め、屋内に招き入れ、目の前のすべての人々に知らせるべきである。廷吏が農村民を召喚しようとする場合は、彼はそれを自分自身で個人的におこない、領主または身体の非常事態で困ったときは、信頼できる使者を見つけて、使者に裁判所のために、在宅の人々に召喚を知らせる任務をおこなわせてもよい。農村地区の住民を呼ぼうとするなら、裁判官は廷吏に対して、農村地区に行く前に、在宅の住民を召喚しなければならないかどうか、尋ねるべきである。住民を召喚した廷吏または使者は、在宅の住民に召喚が通知されたことを裁判所に報告すべきである。裁判がおこなわれる週に廷吏のところへ来て、上級裁判所にある者を召喚したいと望む者がいれば、廷吏は、裁判官の許可を得て、それを実行すべきである。ローアの刑務所にいる者を罰したいという願いがあれば、都市の廷吏と上級裁判所廷吏は、いかなる問題であれ、懲罰者が彼を裁くまで、なすべきことを相互に助け合うべきである。
 上級裁判所廷吏はいかなる市場および教会開基祭でも、都市廷吏が都市の税金を徴集するのを助けるべきである。またなすべきことや、訴訟について上級裁判所の記録に記入すべきことがあれば、上級裁判所廷吏は命令により、裁判所のために訴訟当事者に出廷を命じるべきである。ただし彼はその見返りとして何も与えられない。証明書その他を裁判に必要とする者は、それを提出すべきであり、上級裁判管区に住むいかなる管区住民も、村落では上級裁判所廷吏に毎年人頭税のパンのために1ジグリンの穀物を納め、人頭税のパンをもってない貧民は上級裁判所廷吏に人頭税として7ヘラー納めれば、それ以上納めなくてもよい。
 上級裁判管区内の住民がその罪を誰かによってローアの上級裁判所に告発されたら、その住民が住む上級裁判管区の区長または参審員は、その者を他の裁判管区へ排斥する権限をもち、その者がそうするように願い出たら、区長は原告に出席すべき日を指定し、彼の裁判をすすめるよう支援すべきである。そうしたことがおこなわれなければ、原告は再度上級裁判所に訴えをおこし、古いしきたりどおり、裁判所の規則にしたがって処理すべきである。
 いかなる者も当地ローアの上級裁判管区の住民を禁令によって禁止してはならず、上級裁判所の規則としきたりにしたがわせるべきである。
 上級裁判管区の住民は彼らの家畜を市民の森の域内でとくにオークの木に連れて行く権限をもち、夜に再び帰宅して、ローアの市民と同様に家畜を利用することができる。市民も同様にくりかえし往来する権限をもち、とくに市民は、古くからのしきたりによって、彼らの豚を夜間でも森の中でオークの木に放牧する権限をもつ。
 1446年聖エリザベートの日(11月17日)の後の月曜日、参審員はつぎのように法を告げた。すなわち、いかなる者も、共同通路の両側の許可を得なければ、共同耕地に採草地をもったり作ったりしてはならない。都市、バルテンシュタインおよび関係者の好意により、そこに採草地がつくられたことが知らされていなければ、共同耕地に属するいかなる者も、他の森林と同様に、そこを通行したり利用しても何ら支障ない。
 殺人、窃盗などの犯行者が上級裁判管区で捕らえられたら、ローアに連行され、上級裁判所の自由にしたがって、彼の行為に対応した裁きがなされるべきである。
 有害な者が上級裁判管区で捕らえられ、ローアで生命を奪われたら、古くからのしきたりにより、その費用の半分を都市が、半分を上級裁判所が負担する。
 同じく、クマやオオカミなど有害な動物が上級裁判管区で捕まえられたら、古くからのしきたりによって、都市が半分、上級裁判所が半分を支出する。
 上級裁判所を建築しなければならないか、修理すべきとき、古くからのしきたりによって、都市が半分、上級裁判所が他の半分を支出する。
 1457年聖ミカエルの日(9月29日)の前の月曜日、参審員は少数の者に次のように法を告げた。すなわち、都市ローアとバルテンシュタインとの間に一つの共同地として存在する村域にかんして、ローアまたはバルテンシュタインで自分で建築しようとする場合、両当事者は建築材の伐採のための相互に異なる法をもち、また焚き木についても同様である。いずれの当事者もそこでもち運べる小木を伐採し利用することができるが、森林の木が完全に伐採されてしまわないように、若木を残しておくべきである。どんぐりももち運んでよいが、そうしたもち運べる木をローアの市民またはバルテンシュタインの隣人以外の誰にも売ってはならない。またそうした木を買う者は、みずから利用する以外には、どこにもそれお売ってはならない。
 私ミヒャエル・ヘルベルトは権威ある帝国書記として、原本から私自身の手で書いたこの目録を公表するとともに、私自身が手書きしたことを証明する。

 9-5 ヴィーゼンフェルト Wisenfeld (1354年)


 (ヴィーゼンフェルトは今日カールシュタット市の大きな部分を占める地区)

 後述の法は1351年にヴィーゼンフェルトで告げられた。 
 最初にローテンフェルスの荘園に対して。すべての命令と禁令、すべての権力を、裁判所のために告げる。
 ローテンフェルス荘園に対して、次のような裁判管区の不法行為の裁判権を指示する。裁判管区の境界はホイゼンの小径を行き、シュタインバッハに向かって進み、小川の中からグンテルバッハの泉まで道を行き、そこからマイネを・・・・まで、・・・・境界溝に沿って森を通り抜けてハルパッハ方面へ、・・・山を越えてハラーの泉へ、泉からクーゲリングスまで、さらにローアバッハの坂道まで、ローアバッハの道をを通り抜けて、再びホイゼンに向かう小径に至る。その管区内で行われた不法行為をヴィーゼンフェルスに告発すべきであり、ローテンフェルスの地方官はそれらをまとめて処理すべきである。
 2人、3人またはそれより多人数が刃物を使わないで不法に殴り合い、誰も死ぬことなく流血もなく済めば、裁判所での裁判はおこなわれず、いかなる者もschultessenに訴えてはならず、地方官はそれに関与しない。しかし裁判所にもちこまれ、schultesseに訴えられたら、参審員は法を告げ、罰金を科すべきである。
 前記の不法行為で騒動が起き、誰かが打倒され、ヴィーゼンフェルトの側に倒れたら、カールシュタットの管轄に属するが、ローテンフェルスの側に倒れたら、ローテンフェルスの管轄に属する
 不法行為で打倒され、多少とも負傷したら、負傷させた一人または複数の者をローテンフェルスへ連行し、負傷者が回復するか否かを見届けるまで、地方官が拘留すべきである。しかし負傷者が死亡したら、告発者は地方官を訪れ、犯人の裁判を要求すれば、地方官は告発者の被害にかんしてカールシュタットの裁判所に犯任を引き渡す協力をすべきである、しかし負傷者が回復すれば、両当事者はそれぞれの権利のためにローテンフェルスとカールシュタットの地方官とともに贖罪金にかんして協議すべきである。
 ローテンフェルスとカールブルクの地方官が互いに争い、一方が他方を追い、逃亡者がヴィーゼンフェルトに来ても、墓地に入ることを許してはならず、他方の者もまた許してはならず、双方の地方官たちを落ち着かせ、争いについては法による判断を示すべきである。
 ローテンフェルスの地方官が他の住民と対立し、しかも地方官が彼の敵対者の許へ押しかけ、地方官の関係者がヴィーゼンフェルトの住民に催促すれば、彼らは野外に移動するべきである。あるいは地方官とその関係者が墓地に来るように促された場合は、ヴィーゼンフェルトの住民はできるだけ多くの人数がその中に入ることを許すべきではあるが、彼らは損害をかけずに再び立ち去るべきである。この法はカーレンブルクの荘園にも告げられる。
 ローテンフェルスの地方行政区に雇われた場合、ヴィーゼンフェルトの住民がローテンフェルスの地方官またはその関係者によって勧められれば、われわれはそれにしたがって、日中に帰宅してもよい。
 ヴュルツブルクのわれららが領主が旅に出ようとして、ローテンフェルスとカールブルクの地方官も来るように命じたら、われわれは彼に同伴するべきである。
 カールブルクの地方官は命令や禁止をしてはならない。裁判管区における領民が地方官に腹を立てたら、何もさしだしてはならない。地方官が彼を裁判と法によって訴えたら、裁判の席に呼び出すことはできるが、彼から何も取ることはできない。
 ローテンフェルスとカールブルクの地方官は奉仕をしなくてもよい。なぜなら、彼らはその荘園に属しているからである。
ローテンフェルスの地方官が宿営地を得ようとおもったら、5つの閑暇な農場に行くべきだが、そこにすべてを設営することはできす、村長が隣人を訪ねて、1-3頭の馬を置かせてくれるように頼み、話し合うべきである。そして村長が費用と飼料を提供し、領民に損害をかけてはならない。
 3人の陪審員は月曜日に出席し・・・そして地方官はそれらの日々裁判権を頼りとすべきえある・・・。
 ローテンフェルス荘園に次のような狩猟区を指示する。すなわち、狩猟区はマイン川の中ほどのヘフナー泉へ行き、モンヘツェレ方面への小路をアルバッハまで進み、再びマイン川の中ほどのヘフナー泉へ戻る。
 ローテンフェルスの地方官以外のいかなる者も、ヴュルツブルクのわれらが領主の授封地である狩猟区で狩りをしてはならない・・・。


 9-6 ザイフリーツブルク Seufersburg


(ザイフェルスブルクは今日のゲミュンデン・アム・マイン市の一地区)

 後述されていることを、ザイフリーツブルクの領民はシェーナウのわが慈悲深き領主に法として告げる。 
 最初にシェーナウのわが女領主とザイフリーツブルクの彼女の修道士会の領主および代官は命令と禁令の権限をもち、領民がそれを守るかぎり、彼ら以外いかなる者もそうした権限をもたない。 
シェーナウのわが女領主はザイフリーツブルクに7つの農場をもち、それらは次のような順序で運営されるべきである。すなわち聖ペトロの日(6月29日)にそれらに命令し、聖ヴァルプルギスの日(4月30日)に吟味し、教会堂開基祭の翌日までにそうしなければ、罰せられるかもしれない。
 上記の7つの農場は治外法権をもち、農場の領域内で領民が互いに打ち合い、刺し合っても、リーネックの上級裁判所に訴えられる前に自分たちで互いに合意すれば、彼らは有罪とはならない。
 古くからのしきたりとして、リーネックの代官ら3名がシェーナウの教会堂開基祭に来て、必要であれば、その翌日の正午までその内外を保護し監察すべきである。わが領主夫人一同は3名の下男に飲食を提供し、馬には飼料を与えるべきである。しかし彼らがふとどきでふざけた行為をしたら、彼らから代金を取るべきである。
 第二に、けんか、窃盗その他の非常事態によって騒動が起きたら、そこに3人が来て、取り押えるべきである。しかし騒動が非常に大きくて3人では少なすぎるか弱すぎるなら、代官は犯人を取り押えるために村民に助けを求めるべきである。犯人がゲミュンデンの方向へ向かったら、ダッツェルスグラーベンまで彼を追跡すべきである。彼がザイフリーツブルク方面へ向かったら、ニワトコの木まで彼を追跡すべきである。しかし彼がサールへ達したら、上級裁判管区の域内で彼を追跡すべきである。しかし犯人から損害をうけた者は、自分の費用で、領主と村民に損害を及ぼさないように、任意に彼を追跡してもよい。
 第三に、シェーナウに来て、ワインを売ろうとする者が、上級裁判管区住民でなければ、彼はその夜から教会堂開基祭の正午までに売るべきである。しかし彼が上級裁判管区の住民であれば、彼がそこにいるかぎり、売りたいだけ売ることができ、ワインを売る者はディーバッハ枡で提供すべきである。共同上級裁判官は教会堂開基祭にグラーフェンドルフ枡を検定させるべきである。また教会堂開基祭の大市で人混みが最大となったら、領主のschultessenを採用して、ワインを売り出す飲食店主が正しい枡で提供するように保証すべきである。彼らが正しい枡で提供していなければ、リーネックのわが領主の地方官が最初に罰金を科し、次いで共同の上級裁判所をもつすべての領主のために共同上級裁判官が罰金を受け取り罰するべきである。
 販売をする小売商や肉屋はハンメルブルクの重量計で提供すべきであり、そうしない場合は上述のように罰せられるべきである。
 リーネックのわれらが慈悲深き領主が1フーダーのワインをボルフスモントに対して賜った、われわれは手数料を支払った後に1アイマ―のアインを入手する。しかし1アイマ―のワインを得られない場合は、半フントを手数料として納めるべきであり、6フントを飲食代金として納めれば、合計で6.5フントとなり、その半分を五月に、半分を秋に、いかなる自由民も定住後は男女を問わず、納めるべきである
 他所からザイフリーツブルクに来る男女が、領主の追跡をうけず、1年と1日滞在すれば、われらが慈悲深き領主は、彼らが望む期間、彼らを受け入れ守ることができ、いかなる者も。それを妨げてはならない。
 

 9-7 ションタースフェルトとミヒェラウ Schontersfeld und Michelau   (1469年)


(ションターフェルトとミヒェラウはゲミュンデン・アム・マインの北に位置する)

1469年白衣の主日の後の水曜日、ションターフェルトとミヒェラウの人々は、ヴュルツブルクのわが慈悲深き領主の代理でゲミュンデンの地方官クリストフェル・フクス、マインツのわが慈悲深き領主の代理レオンハルト・フックシュタット、リーネックのわが慈悲深き領主の代理ハインツ・ブロンナーの同席のもとで、裁判集会を開いた。
 最初に、ヴュルツブルクのわが慈悲深き領主にすべての命令と禁令、土地、村落および耕地に対するすべての権利の半分、同じくマインツのわが領主に権利の4分の1、リーネックのわが領主に権利の4分の1を認めることを法として告げる。
 ヴュルツブルクのわが領主は裁判に4分の1の権利をもつが、必要があれば、半分の権利を行使して、14日間の裁判すべてをおこなうことができる。同じく他の領主たちも上述のようにすることができる。
領主たちの一人が旅に出ようとするとき、裁判菅区民は裁判管区の馬を垣根につなぐべきであり、やがてその領主が出発しようとしたら、その馬は彼の権利として認められ、他の領主たちは黙って、裁判管区民にいかなる提案もおこなってはならない。しかし最初に命令した領主が帰ってきたら、他の領主たちもその権利を損われることはない。そうした提案をした村長と領主の従者は、連れていかれた馬が戻ってこない場合、裁判菅区民にとって正当とおもわれるだけのしかるべき金額を払うべきである。そうした馬の保有権をそこなわれていない領民も、馬が4週間以内に帰ってくれば、馬を再び引き取るべきであり、4週間報酬として1日あたり4ペニッヒ以上を受け取ってはならない。また馬とともに出かける従者は裁判管区内で選ばれ、彼には1日あたり7ペニッヒを管区住民が支給し、従者に選ばれた者は、それを拒んだり反対してはならない。裁判管区民はその従者を送り出し、2着の革ずぼん、2つの拍車と1つの・・・を買い、従者はそれらもってで出かけるが、4週間のうちに傷つき、4週間以上戻らなければ、あわれな領民はそれを再び引き取る義務を負わない。
 賦役を命じられたときは、馬の有無にかかわらず、村に領主権の一部をもついかなる領主にも賦役をすべきであるが、常に日中に帰宅してもよい。
 いかなるフーフェ保有農も2頭の馬または2頭の役畜をもつべきであり、他に馬による耕作地を保有し、1頭の馬と馬具をもつ土地保有農は、領主にそれによる賦役をおこなうべきである。そのような馬と役畜を聖ペトロの日(6月29日)に提供するように命じるべきであり、聖ヴァルプルギスの日(4月30日)にそれらを送らない者からは、命令を無視するたびに、罰金を取るべきである。
 ナイツェンボルンの7つの農場は、そのすべての権利とともに裁判所に属する。
ヴァイカースリグルーベンには3領主の裁判所に属する6つの農場があり、それらの農場の一つが売られるか譲渡されれば、ションターフェルトの村長は3領主全員のために貸与し、9ペニッヒより多くの土地譲渡税を取得してはならず、そのうち6ペニッヒは村長、3ペニッヒは廷吏のものとなる。裁判所に属さない農場も適度な譲渡税を納めるが、それ以上多くを徴収されることはない。
 フッツフェルトの3農場はそのすべての権利とともに裁判所に所属し、また4農場は・・・に帰属する。1つの農場はフィリプス・トゥルフゼッセンに帰属し、1農場はシェーナウの女領主に帰属する。6農場に対して領主たちは命令と禁令、賦役と奉仕の権限をもち、フッツフェルトの水車の農地はションターフェルトの村長に毎年四旬節の最初の週に12ペニッヒの魚を納める。
 領主の農地が荒廃し、耕作を命じなければならない場合、領民は農地の耕作と整備を始め、3 scheibenを掛けたうえで、彼らにはさらに罰金が科されるべきであ
 賦役をしないか、しようとしない者がいれば、村長は彼を差し押さえて、収穫物を刈り取ったり掘り起こすための賃金にあてるべきである。
 この裁判管区におけるフーフェが死亡税を納めず、そのかわりに毎年30ペニッヒを納めるなら、それは代納金と呼ばれる。しかしこの裁判管区の土地保有農が死亡したとき、領主たちが死亡税を必要とするなら、村長は3人のすべての領主のために死亡税を徴収することができ、貨幣に換算して、いかなる領主にも裁判管区における彼の分け前を納めるべきであるが、その場合女領主が優先権をもつべきである。
 村長は領主の下男を2人雇うべきであるが、彼らが隣人たちの負担にならないように、彼は半フーフェの無料の土地と、領主の草地に放牧地を得るべきである。ミヒェラウでは村長はナイツェンボルンの耕地で夏穀物を得て、耕地に収穫があれば、夏穀物を取得することができる。
 裁判管区住民は必要に応じてローテンベルクで建築材を伐採し、どんぐりを採集する権限をもつが、そうしたいとおもうときには、森林管理人に1フィアテルのワインで意志表示をするべきである。
 領主は猟師をもつべきであり、親方には1マースのワイン、徒弟には1クヴァルトのワインを一度に与えるべきである。
 裁判管区の住民が死亡して息子を残し、息子が12歳になれば、農地を保有し、必要が生じれば、領主に対してそのを代表する。
 騒ぎが起きて、領主の一人が出動を命じたら、行民は急いで出動し、飲食物の持ち合わせがなければ、代官が彼らの飲食を支給し甲冑や馬を用意するべきだが、彼らが帰宅したら、裁判管区民が再度彼らに与えるべきである。
 廷吏が急いで人々に警告しなければならないか、領主のもとへ駆けつけなければ合、彼はミヒェラウのフーフェで馬を取得すべきであるが、馬が見つからない場合はは、村内で次の馬を見つけ、馬に乗って行くべきであり、そうすれば領主のための彼の仕事は完了し、 いかなる者の異論もなく、領主または裁判管区民にとって何の遅滞も生じることはない。。
 廷吏はミヒェルラウに常駐すべきであり、そこに廷吏農場と呼ばれる小農場をすべての領主のためにもつべきである。
 ゲミュンデンの地方官のために年1回木材を運ぶべきである。
 そうした裁判に出席して判決をおこなったのは次の人々である。すなわち村長のハンス・シュライバー、年長のヘンネ・フィッシャー、年少のヘンネ・フィッシャー、ペッター・エッカルト、コンツ・ライン、ハンス・ヴァイガントであり、彼らは全員ションターフェルトの村民である。さらにフッツフェルトのハンス・ミュラー、ミヒェラウのハインツ・ゲルトナー、クラウス・シュタイン、ハンス・レントラーおよびフリッツ・シェフェアー、マイツlンボルンのハインツ・ローサーが出席した。
   

 9-8 ヴァルトマンスロート Wartmansrode (1428年)

   
(ヴァルトマンスロートは都市ゲミュンデンの北に位置する)

 後述の法と自由は、われらが慈悲深きリーネックの領主に対して、ヴァルトマンスロートの村長と参審員によって、全裁判所によって、代官所と地方行政区について領主にいかなる権限が認められるのか、法と判断が1428年聖母マリアお清めの日(2月2日)の前の水曜日に告げられた。
 最初に、古くからのしきたりによって、ザーレックの地方官はすべての命令を発する権限をもつことを告げる。ヴァルトマンスロートの土地は、フルダ修道院に属するものを除いて、ことごとくリーネックの領主のものである。また、古くからのしきたりによって、二つの農場はハメルブルクの権利に属する。壁の内側の教会と墓地はフルダ修道院領であり、その外側周辺の堀と垣根は、共同農地から除かれ、フルダ修道院とリーネックの領主に属する。また教会と墓地は、それに付属するすべての施設とともに、ヴァルトマンスロートの村民に共同のものである。リーネック領の農地に定住する者には、ザーレックの地方官は、いかなる形であれ1日何らかの賦役をおこない、クリスマスに荷馬車2台分の木材をザーレックに運び、いかなる者も1日刈り取り作業をおこなうことを命じるべきだが、それより多くを命令してはならず、古来のしきたりによって、決してそれ以上の負担を負わせたり、賦役をするように迫ってはならない。リーネックのわれらが領主はヴァルトマンスロートで彼の農場を彼の思いどおりに取り扱い、そこに猟師を置いたり、思いどおりに彼の部下を置くことができる。ザーレックの地方官は、古くからのしきたりによって、そのことにいかなる異論も決して唱えてはならない。また修道院の農場の何らかの賦役を2日行い、1日刈り取りをおこない、荷馬車2台分の木材をザールデックへ運ばなければならないことが、古くからのしきたりである。ヴァルトマンスロートに住むいかなる者も、ザーレックの地方官または彼の関係者に貢租を納める義務を負わないことは、古くからのしきたりである。古くからのしきたりにより、また統治法により、ヴァルトマンスロートに住むいかなる者も、あるいはそこに来て買い物をする者も、ワイン、肉、小麦あるいはいかなる商品であれ、入手することができ、売買することができる。また、聖ヤコブの日(7月25日)の教会堂開基祭の昼夜とその翌日までに、代官税を納めに行くべきである。村長はザーレックの地方官のためにすべての一般的命令をおこなうにあたって、10シリングを郷裁判所に納めるべきであり、重罪裁判所に10フントを納めて、身体と財産にかかわる命令をおこなうべきである。ヴァルトマンスロートで家畜をもつ者全員がそれぞれ、郷裁判官に対してその職務のためのチーズを納めるべきである。リーネックのわれらが領主が所有するヴァルトマンスロートの農地は彼に地代を納付し、その農地の一つをもつのはハンス・クレムペルで、他方をもつのはベツァルトおよびハンス・シメルであり、クレンペルは毎年1マルターのエン麦と30ペニッヒを聖マルティノの日(11月11日)に納め、謝肉祭のにわとりを納め、他の農地も同じ地代を納める。ザーレックの地方官はフルダの修道院のために、ヴェンクブロンの浅瀬とシュンレルンまでの水域と放牧地の命令と禁令を発する権限をもつ。また、ザーレックの地方官はヴァルトマンスロートに猟師と猟犬を送るとき、フルダ領の農地に行き、彼らが必要とするパンと食物を持参するように要求すべきであり、さらに隣人たちは最善を尽くし、リーネック領の農地に迷惑をかけないようにするのが、古くからのしきたりである。上述の修道院領の6農地は、前述のごとく、ザーレックの地方官に毎年1マルターのエン麦を納め、各農地ごとに1羽の謝肉祭のにわとりを納めのが、古くからのしきたりである。上述の告示と法はヴァルトマンスロートの村長クラウス・ディトマールに対して、上記の水曜日に、現職の参審員ハンス・メルケ、コンツ・gリュッケ、ハンス・クレンペル、ヘンネ。シュナイダー、ハンス・ヴァイトリン、ヘンエ・アイヒャルト、ハルマン・シュッパー、ハンス・シメル、コンツ・ハルトムート、クラウス・ドレ、ヘルマン・シュリーベンおよびナンス・ディトマールが判決によって指示し告げた。


 8-9 ホーフシュテッテン Hofstetten (1384年)


  (ホーフシュテッテンは都市ゲミュンデンの近くに位置する)

 ホーフシュテッテンの参審員は1384年この法を告げた。
 まず最初に参審員はリーネックの領主には統治権力を、村落には村域を、マインツの首席司祭には土地所有権を指示する。
 ヴィルデンシュタンの代官が森の中で外来者を捕えたら、差押えて差押え物件を運び、村の中に運び込んだら、罰金を村民たちとの飲食に使ってもよい。
 村長は半分の保有地を無償でもつべきであり、そのかわり、代官がやって来て、領主への奉仕の旅に馬で出かけないときは、村長が彼の世話をすべきである。しかし代官が馬に乗って領主への奉仕の旅に出るときは、村落が代官の世話をおこなうべきである。
 代官一行3人が聖マルティノの日(11月11日)に来たら、騎士にふさわしい接待をおこない、村落は貧富を問わず出費すべきである。
 村落における罰金を5シリングと告げ、領主の地方官が罰金を座席に残せばば、大聖堂首席司祭はそこから何も取ってはならない。しかし領主の代官が席から起つ際に罰金を残さなければ、その後罰金の3分の1は領主、3分の2は首席司祭のものとなる。
 首席司祭が宿営を命じても、彼の馬に白い麦わらを与えてはならない。リーネックの領主が来たら、首席司祭は立ち去り、領主の入来を認めるべきである。
 いかなる者も彼の農地を享受し売ることができ、領主に地代のかわりに農地を譲渡してはならない。
 農地が多くの者に分割されて、彼らが死亡し、農地が再び売却されたら、相続人の一人はすべてを再びまとめて、以前とほぼ同じ大きさと権でに貸与されるべきである。  
 ある者が農地を売ったら、大聖堂首席司祭はその土地の授封主であるべきなので、農地を手放す場合は4.5ヘラーを納め、その農地を再度保有する場合も、4.5ヘラーを納める。しかし首席司祭が熟慮して、それを受け取ろうとしない場合は、わが領主の代官と村長は、その農地を買った者にその購入金額で農地を授ける権限ををもつ。
 大聖堂首席司祭はホーフシュテッテンの裁判所に検査官を置くべきだが、村民が認めなければ、彼に飼料や飲食を提供してはならない。
 裁判所において身体と財産を没収された者が、大聖堂首席司祭に5シリングを超える負債を負ってなければ、彼の財産は、規定の取り分に応じて、領主のものとなる。
 大聖堂首席司祭の従者はみずから裁判所で差し押さえをしてはならず、村落の村長が彼に差し押さえ物件を与えるべきだとしても、その後も譲渡を継続してはならない。
 森の中で違反行為をおこなった者が、おとなしく差し押さえ物件を渡そうとしなければ、ヴィルデンシュタインの代官は差し押さえを助けるべきである。  
 これはヴィルデンシュタインの地方官コンツェン・ウーゼンに対して書き写され、宣誓にもとづいてこれを告げたのは、以下の参審員である。すなわち、ヒンツェ・ハルブラート、コンツェ・ヴァーゼマン、ヘニヒェン・ローペル、ヴォルトヴィン・シェールス、コンツ・・・・、ヘンネ・ヴィスマン、ヘルトヴィヒ・シェルルス、コンツェヒン・ヴェーニヒ、クラウス・ヴェーニヒ、ジフライト・ヴェルツ。


 9-1o アイヒェ Die Eiche


 (アイヒェはフランクフルト・アム・マインの南方に位置する郷である)

 これはアイヒェの郷の法である。
 われわれアイヒェ郷の参審員は、この文書で次のように公示する。すなわち、われわれは郷における完全な裁判所の成員であり、法によって判決をおこない、過去も現在も法と判決を告げ、この裁判所と郷で聖人におこなったわれわれの宣誓に誠実に、われわれより以前に参審員だったわれらの親たちから受け継いだ後述のすべての法を、この郷に属するいかなる領主にもその権利に応じて告げる。まず最初に、この裁判管区と郷の境界は鉄の柱に向かい、この柱からファウレバッハに向かうの小川の中に入り、ファウレバッハに至る小川からマイン川に入り、マイン川からラウテンバッハへ、ラウテンバッハから農道へ、農道からヴォルターバッハに向かって司教の泉まで、さらに、小川をゼーケムーレンからマイン川のザンクト・マルティン教会まで、そしてマイン川を下りザルツバッハ川にかかる橋まで、ザルツバッハからシュペルヴェルスバッハまで、そしてシュペルベルスバッハから鉄の柱へ戻る。郷裁判所では傷害、暴徒、wont および殺害の騒ぎを提訴すべきである。また窃盗、強姦および夜間の火災も提訴すべきである。法にしたがって、14日間の3倍の期間をかけて訴訟の決着がついたら、いかなる者も非難してはならない。その後規彼が訴えをおこした場合、規定にしたがって非難が正当であれば、いかなる者も彼を責めたり困らせたりしてはならない。上記の郷裁判所で規定どおりに訴えがなされていない事柄について他人を非難する者がいれば、当裁判管区に属する代官の所へ行って訴えるか、あるいはそこにいる廷吏のところへ行けば、彼らが問題の処理をはかるべきであり、彼らは次のように郷裁判所に勧告した。すなわち、代官がどの方向へ進もうとも、郷裁判所は代官にしたがい、彼が留まれば、郷裁判所も留まるべきである。また郷裁判管区に住む貴族が、郷裁判所に協力したいとおもうなら、彼は郷裁判所にしたがうべきである。しかし彼が郷裁判所に協力を望まなければ、郷裁判所も彼に協力すべきではない。上記の郷に属する村が何かをおこなおうとするときは、村長を隣の村に送り、その村で村長に伝えるべきであるが、村長が不在であれば、領主が隣の領主にそれを伝え、使者を送った領主はそのままの状態に留まるべきであるが、使者を送られた領主は、次の領主に使者を送るべきである。上記の郷においてはいかなる領主、貴族またはその他の者も牧羊業を営んではならないが、リーネックの領主はエシャウで、ビッケンバッハのわれらが領主はムールマルトで、その権利にもとづき、領民に損害にないように、牧羊業を所有することができ、夜には羊囲いの中に戻るべきである。前記の郷においてはいかなる村も収穫前に共同放牧地をつくってはならず、それに違反して収穫前に共同放牧地がつくられたら、その放牧地に隣接する農地の耕作者は放牧地に入ってもよい。しかし収穫後共同放牧地がつくられたら、定められているとおり、いかなる者も入ってはならない。前記の郷において共同放牧地をつくろうとする村は、いかなる村であれ、それぞれがその村に入ってもよい隣接の村と村長に通知すべきであり、定められているとおりに、規則を守るべきである。また前記の郷におけるいかなる村も他村に通知し、了解を得るべきである。前記の郷におけるいかなる羊飼いも犬を飼い、子ども、家畜など、いかなる者にも害を与えないように、犬を綱につなぐべきであるが、彼の犬によって誰かに被害が生じたら、それを止めて指示どおりに処理すべきである。この郷において古い規制林以外、隣接の森林所有者と合意することなしに、常に自由な所有とみなされてきたハンブッフに、勝手に規制林をつくってっはならない。郷においてエルレンバッハが荒廃したら、できるだけ人々に害のないよう家畜を連れてファウレンバッハへ急行して、復旧ができるなら、郷のすべての村を元の状態に戻すべきである。前記の郷で首と頭の処刑にかかわる領邦の法を公に告げようとする場合は、ヴァルシュタートの住民は上記の郷裁判所に一人の参審員をもつべきである。ヴァルシュタートで首と頭にかかわる問題が起きた場合は、上述の郷裁判所に訴え、提訴すべきである。ヴァルシュタートの住民が上記の郷裁判所に催促されたら、彼らはそれに協力すべきであり、郷裁判所も彼らに同様な協力をすべきである。ただし、彼らが明らかに敵対関係にあるときは、そのかぎりではない。われわれは上記の郷裁判所において裁判を必要とする場合、裁判に納得がいかなければ、オストハイムの領邦裁判所に控訴すべきである。郷において武器による事件が起き、流血の事態になれば、上記の郷裁判所に訴えるべきである。しかし、手またはこぶしによる暴力事件が起き、手に何ももってない場合は、村落裁判所の管轄に属し、郷裁判所の管轄には属さない。上記の郷において、男女にかかわりなく、首と頭にかかわる重罪の場合か、偽証といわれた者が証言したいという場合は、郷裁判所の管轄に属する。しかし彼があまり強く主張しなければ、村落裁判所の管轄でもよい。上記の郷裁判所で一方が他方を有罪と主張し、他方が罪を認めなければ、他方を有罪と主張した者は、誠実な人々だと知られている敬虔な者2名とともに、他方の罪を証明しなければならない。郷裁判所で他人に対して要請をおこない、彼がいくら必要とするか証言を求めるか、または彼が提訴して、彼が相手に勝てば、負けた相手方は支払いをすべきだが、5シリング以上を払ってはならず、参審員が指示した後に、彼はこれを消費すべきである。ヴィルデンハウゼンの村内で起きることは、郷裁判所の管轄には属さず、裁判は境界でおこなうべきである。クリンゲンブルクの市壁内で起きることは、郷裁判所の管轄には属さず、裁判は都市でおこなうべきである。ビッケンバッハの地方官は同上の郷裁判所で貧しい者も富める者もきびしく問いただすべきである。しかし地方官があまりに愚かで、尋問できなければ、リーネックの領主の地方官は、彼が正当な尋問者だと思わなければ、彼の手から杖を取って尋問してもよい。郷裁判所にどちらかの地方官がいない場合は、裁判が中断しないように、他方の地方官が尋問してもよい。同上の郷のいかなる村も古い共同放牧地を保持するべきであり、いかなる者もそれを妨げることはできない。郷で殺人が起きたら、告訴人が郷の裁判所の指示にしたがい、裁判所に訴えたら、裁判所では告訴人のために裁きをおこない、告訴人は出廷して、郷において殺人をおこなった者の名前を挙げ、「今日、私はここに立って、汝から汝の国法を奪い、汝ら全員に正義をなし、その不法行為を正すまで、汝に教会、修道士独居房およびすべての神の家を禁じる」と、告げるべきである。彼が家と小径と樹木をもっているなら、郷は共同でこれらを奪い取り、そこから1フーダーのワインを人々に与え、殺害をした者はワインを提供し、費用を支払うべきである。しかし彼が与えるべきワインと費用をもっていない場合は、告訴人がワインと費用を払うべきである。しかし殺害者も告訴人も与えるべきものをもっていなければ、郷がワインとかかった費用を共同でひきうけるべきである。他の共有地で木を伐って捕まった者、あるいは14日間にそれを知られた者は、荷馬車1台であれば、1フントの罰金、1台の手押し車であれば、半フント、ろば1頭分であれば、5シリングを科される。ある者に危害をくわえようとする者がいれば、領邦が仲介すべきである。
 ある者が中傷されたら、代官に知らせ、代官は、彼が中傷をやめるまで、彼を拘束すべきである。彼が中傷を断念しないなら、彼に法を適用すべきである。
 罰金の最高額は15ウンツェ1ヘルビングとし、その場合フルダの通貨で3ヘラーは2ペニッヒに相当する。罰金は初回と同じ額がその都度合算して科される。郷裁判官税が未納の場合、1フントの罰金が科される。不法行為には10シリングの罰金が科され、健忘症には40ヘラーが科される。郷で不和が生じたら、裁判所に提訴すべきであり、そこでも不和が生じたら、さらに管轄の都市に提訴すべきである。郷に属する者が郷の外で対立しあったら、躊躇することなく帰宅し、彼らが住む管区の裁判所に提訴すべきである。彼らはさらに、管轄の都市に提訴すべきである。村に住む者は、参審員1名につき2名が村から郷の裁判所に行くべきである。いかなる者も、郷に住む聖俗いずれの住民も、他人を郷から追い出すことを禁止され、これに違反すれば10フントの罰金を科される。弁護には2トゥルノスの報酬が支払われる。


 9-11 メムリンゲン Mümlingen (1422年)

(メムリンゲンはフランクフルトとヴェルトハイムの中間にある)

 メムリンゲンの裁判所のわれわれ村長と参審員はともに、この文書で次のことを確認して公けに知らせる。すなわち、高貴な領主、ヴェルトハイムのミッヒェル伯の地方官の一部がこの文書の日付に当地メムリングハウゼンの上記のわれらが慈悲深き領主の裁判所に出廷して、われらが慈悲深き領主の統治と法について問い、われわれは古いしきたりにしたがって、以下に述べられているような統治と法を、われらが慈悲深き領主に告げた。まずわれわれは前述のヴェルトハイムのわれらが慈悲深き領主に、メムリンゲンの裁判所は彼の所有であると告げた。われらが慈悲深き領主の裁判所で、彼の耕作地について問われ、農地のライ麦を自分のものとみなす者がいたら、参審員は、あたかも2人が殴り合って負傷させるのと同じように、宣誓にもとづく告発をしなければならない。上記の裁判所に訴えられるのは10フントより1シリング少ない金額であり、それを超える金額を訴えてはならない。他人を使者に立てて、10フント以下の金額を訴えようとする者は、前記のメムリンゲンの裁判所で訴えをおこさなければならず、裁判所にゆだねることに満足しない貴族や聖職者を別として、それより高い金額を迫ることはできない。上記のメムリンゲンの裁判所の最高罰金額は約32.5シリングであり、過少または過大な計算をすれば、果実酒の古酒を求められる。参審員は前期の罰金のうち7.5シリングを得る。メムリンゲン村がもつ森林は、上述のわれらが領主ヴェルトハイムのミッヒェル伯の土地から得た森林であり、森林またはその一部が耕地またはぶどう園とされたら、上記の領主に地代を納めるべきであり、上記の領主の所有となる。それが再び森林に戻ったら、以前と同じように、再びメムリンゲン村の森林となる。ヴェルトハイムのわが慈悲深き領主にマインのヴィルツモーレ川までを彼の狩猟区であると告げた。それはこの小川を村落Oまでさかのぼり、Rまで行くと、曲がり角があり、曲がり角から船の航路を進む。われわれはわれらが慈悲深き領主に、自由農地を除いて、当地メムリンゲンのすべての農地において、領主の慈悲によって生計、賦役を命じるあらゆる権限を認めた。われらが慈悲深き領主は、指示された通り、メムリンゲンでワインを選び、パンと重量を検査することを、慈悲によって命じるあらゆる権限をもつ。また上述の規定のとおり、罰金が科される。メムリンゲンとヴェルトハイムに属する森林にどんぐりがあり、メムリンゲンの住民が森の中に入ると、ヴェルトハイムのわれらが領主とメムリンゲンの騎士修道会の管区長が豚の飼料の所有権をもっており、われらが領主に属する領民は豚の飼料を納めるべきである。豚の飼料の3分の1はヴェルトハイムのわれらが領主のものであり、1歳を超えるいかなる豚も1ペニッヒ、2歳の豚は2ペニッヒ、3歳の豚は3ペニッヒを納める。上記の領主に属さない女性は、彼女の豚の飼料の3分の1を納めるべきである。母豚は何も納めなくてもよい。上記の領主に属さない男性は3分の2を納め、女性は3分の1を納めるべきである。ヴェルトハイムのわれらが領主は当地メムリンゲンで耕作されるすべての農地から、自由農地およびマインツのわれらが領主の農地を除き、謝肉祭のにわとりを得る。統治のための裁判集会を招集したのに、出席しない者には、われらが領主は上述の規定どおりの罰金を科すことができる。上述のすべての条項の文書と保障のために、われわれメムリンゲンの村長と参審員はともに、メムリンゲンの誉れ高く堅実な牧師ペーター・クリビン、H.のハルトマン・ヒューザー、Oのディーターの親、イエルゲンおよびジフリート・Bの兄弟、Vのコンウツェン・プファイラーおよびLのハンゼンにお願いして、上述のすべての事柄を確認すべく、いかなる者も自分の印章をこの文書に添えてもらった。われわれは上記の村長と参審員両者の熱意によりこの文書にわれわれの印章を添えた。この文書は1422年聖マルチェリノおよび聖ペトロ殉教者の日(6月2日)の後の水曜日に記された。


 9-12 ハルトハイム Hartheim (1424年)


 
  (ハルトハイムは今日のバーデン・ヴュルテンベルク州のオ-デンヴァルト地方に位置する)

 われらが慈悲深く敬愛すべき領主、ヴェルトハイムの高貴なミヒェル伯は、聖なる日の後の水曜日の本日、ハルトハイムの最高の裁判所の一般参審員を召集し、彼らが最高の裁判所で過去および現在に何を彼に告げたのかと問うた。そこで、参審員の多数は前述の裁判所の法として、これまで裁判所で起きたことを承知しており、このまま現状を維持すべきであると彼に告げた。また参審員の多数は、以下に書かれている統治と法を確認し、次のように告げた。すなわち最初に、上記のわれらが慈悲深き領主はハルトハイムの耕地と村落における最高領主および代官であり、村落における水と放牧地に対して、すべての農地で命令と禁令を発する権限をもち、その命令はゲルシュテッテンの聖遺物匣まで、ブライデナウの聖遺物匣まで、シュタインフルトの塔まで、ベッツヴィーゼンの泉まで及ぶ。上記のわれらが領主はハルトハイムに宿泊所をもち、彼の農場はすべて耕作され、われらが領主と彼の後継者は、ハルトハイムにあるすべての農場の垣根の一つのつり落とし戸から他のつり落とし戸まで、いかなるものでも設置することができる。われらが領主はハルトハイムのすべての農場にいかなる保護も与える権限をもつ。またわれらが領主は小川で魚を獲ることを許可する権限をもち、彼以外にいかなる者もその権限をもたない。われらが領主は不法な重量、不法な容量、不法な食肉、不法な長さの尺度に罰金を科す権限をもち、彼以外にその権限をもつ者はいない。われらが領主または彼の代理は、助けを求める叫び声がしたら追跡するよう村民に促し、これに違反した者は罰金を科される。われらが領主はハルトハイムのすべての市場を守護する権限をもち、彼以外にその権限をもつ者はいない。ハルトハイムの貴族は彼らの農場で彼らの住民、彼らの領民とともに裁判をおこなうことができるが、路上で裁判をおこなってはならない。。われらが領主とその代理は、望むなら、ハルトハイムにあるすべての農場で外来民に保護を与える権限をもつ。われらが領主は外来民を禁止し、拘留する権限をもち、彼以外にその権限をもつ者はいない。参審員を任命するか増やす場合、われらが領主の領民のなかから採用し任命すべきであるが、われらが領主の領民のなかにいなければ、他の者のなかから任命してもよい。村長を任命すべき場合も、村長はわれらが領主の領民の一人であるべきであり、村民または村民の多数が良いといううなら、他の者でもよい。われらが領主は鐘撞き、耕地監視人、家畜番人を任命する権限をもち、またその他度量衡検定、重量、物差しの尺度、不法な肉にかんして、われらが領主またはその代理は罰金を科す権限をもち、他のいかなる者もその権限をもたない。われらが領主に従属する領民または隷属民はハルトハイムの他人の農地で家畜を放牧すれば、いかなる家畜であれ、われらが領主は罰する権限をもつ。参審員は、ヴェルトハイムの領主またはハルトハイムの貴族が相互に文書に押印したのかを検分したところ、はっきりとはわからないので、この確認のためにに、以下に名前を挙げられた人物が確認のために出席した。すなわち、エーベルハルト・フント、オッツベルクの老ディーター・ガンス、フレンバッハのクンツ・パイル、イェルゲ・バッヒェ、エルレバッハのフリッツ、リーナッハのハンス、イェルゲ・トゥルフゼス、イェルゲ・フント、ハンス・クリンクハルト息子、オッツベルクのディーター・ガンス息子。ハルトハイムの裁判所のわれわれ参審員は、すべての上述の事柄、規定、条項の多くを確認・告示して、上記の領主と貴族に、上述のすべての事柄についてわれわれに同意し、それぞれの印章をこの文書に添えるように要請した。私イェルゲ・フント、ハンス・クリンクハルト息子は、上記の印章にかんして、われわれ参審員が出席して、この事柄のための印章を私がもってはいないと聞いたことを確認」した。1424年聖なる日の後の水曜日。

 9-13 ビュルフリヒハイム Bürfrigheim (1406年)


  (ビュルフリヒハイムはオーデンヴァルト地方の集落)

 この文書を見聞きするか読む者に、この文書の日付にビュルフリヒハイムで高貴な方々、すなわちヴェルトハイムの若きヨハン伯、ゲルツェン・フォン・デア・ミュルン殿、ディーテリッヒ・フント、ディーテリッヒ・フォン・キュントシッヒ殿、アモールバッハの修道士会の3名の修道士殿、コンラート殿、騎士ハンゼン・フォン・ハルトハイム殿、老ハンゼン・クリンクハルルト、エーベルハルト・フント、エーベルハルト・フォン・リーペルク、エーベルハルト・グントヴァイン、その他多くの誉れ高い人々の同席を得た完全な裁判で、ヴェルトハイムの伯爵、その相続人および領主庁、またはビュルフリヒハイムの彼の代理は、そこに裁判所を置いて、彼らが望むときにいつでも裁判をおこなう権利を古くからもつことが、全員の判断によって告げられた。またアモールバッハの修道院長と高位聖職は上記のヴェルトハイムの伯爵の地方官または村長に加えて1名の村長または使用人を任命することができるが、裁判をおこなったり要求する権利をもたない。また、もし上記の裁判所で誰かが罰金を命じられた場合、ヴェルトハイムの伯爵の地方官または村長は罰金を検査させようとするなら、そこから1マースのワインを与え、杖を手にもって、前記のアモールバッハ修道院の村長も罰金を検査させるべきである。ヴェルトハイムの伯爵、その相続人またはその代理が、前記のアモールバッハ修道院のビュルフリヒハイム荘園に来たら、彼らは荘園で飲食をする権利をもつ。また前記のアモールバッハの領主がその荘園におり、ヴェルトハイムの伯爵またはその代理が望むなら、前者は出て行くべきであり、後者を入れるべきである。ヴェルトハイムの伯爵と領主庁は、アモールバッハの領主に年4回の定例裁判にあたって、いかなる裁判にも1マースのワインを前記の荘園から提供させる権利をもつ。ヴェルトハイムの伯爵と領主庁は、4つの水域を越え、4つの森を越えて旅をするか、あるいは国王の旅に随行するときは、前記の荘園から2頭の馬を送らせ、1人の従者、1台の完全装備の荷馬車を得る権利をもち、代官に従属する他の4農場からも2頭の馬を送るべきである。次に氏名を記されたわれわれのいかなる者も自分の印章を記録の証明のためにこの文書に添えた。そこに出席していたのは、騎士である私コンラート・フォン・ハルトハイム、騎士ハンス・フォン・ハルトハイム、老ハンス・クリンクハルトおよびエーベルハルト・グーデルヴァインである。1446年聖ヴァルプルギスの日(4月30日)の後日。


 9-14 ビュッテルブルン Büttelbrunn (1443年)


  (ビュッテルブルンはヴュルツブルク市の近郊)

 われわれは、レンブリンゲンの現職地方官のエーベルハルト・フォン・ドゥーデルスハイム、ペーター・フォン・ドーテンハイム、森林監督ベルヒトルトおよびハンス・ツォーベルの名が書かれた後述の公的文書を全員に知らせ、われわれはこの文書の日付にビュッテルブロンで開かれた裁判に出廷し、われらが慈悲深く敬愛すべき領主で、ヴェルトハイムの伯爵である高貴なヨハンス伯およびヴィルヘルム伯が彼らの法と統治権をもつことを、ザンクト・ブルクハルツの同席のもとで公示した。そこで彼らと彼らの相続人は、開廷された裁判所によって、以下に書かれているとおり、法として告げられ公示れた。
 まず最初に、前記のわれらが慈悲深き領主、ヴェルトハイムのヨハンス伯とヴィルヘルム伯、ならびに彼らの相続人は、ビュッテルブロンの耕地と村落において、水と放牧地に対する最高領主・代官であり、すべての職務を任免し、命令と禁令を発する権限をもち、ビュッテルブロンのすべての農地で、耕地垣根の通路の一つの吊り落とし戸から他の吊り落し戸までの設置権限をもつ。前記のヴェルトハイムの領主が裁判をおこなう場合は、領主、その相続人、または地方官が領主に代って、裁判をおこない、まず前記の領主に、次に緊急に必要とする者に、あらゆる問題を問うべきである。しかしザンクト・ブルクハルトの修道院長または彼の修道院に緊急に問うべきことがあるなら、彼は前記の領主の地方官または村長に問わせるべきである。前記のヴェルトハイムの領主、その相続人または地方官がビュッテルブロンにあるザンクト・ブルクハルトの修道院長の荘園に来たら、修道院長またはその代理は彼らを迎え、前記のヴェルトハイムの領主、その相.続人または代理に譲歩すべきである。
 代官、あるいは前記の領主または相続人の代理が裁判を希望し、3名の参審員による月曜裁判を希望すれば、彼は3人の従者と3頭の馬を修道院長のビュッテルブロン荘園に用意すべきであり、彼は従者を宿泊させるべきであり、馬に飼料を与え、従者は村長の所へ食事に行き、前記の領主はそれとひきかえに同荘園を彼の他の農場と同じように無難に守護すべきである。
 ビュッテルブロンの3名の参審員による月曜裁判を開くべきときには、ヴェルトハイムの領主またはその当局が夕方ビュッテルブロンの村長に、他日の裁判と同様に開くべきだと通知すべきであり、通知をうけた村長は修道院長のビュッテルブロン荘園の荘園民にそれを伝えると、荘園民は彼の領主である修道院長に伝えることができ、そうすれば修道院長はそこに来るか使者を送ることができる。しかし彼が不在か、使者を送ることができない場合、上記の領主、その相続人またはその地方官は彼に代わって裁判を開き、いかなる参審員にも法を問うことができる。
 ビュッテルブロンの裁判所に徴集され科された罰金の3分の1は、ヴェルトハイムの領主、その相続人またはその地方官のものとなり、3分の2はザンクト・ブルクハルト修道院長のものとなる。地方官または村長が領主のために罰金の領主へ配分を調査させるなら、修道院長も彼への配分を調査させるべきである。
 われわれ、前述のエーベルハルト・フォン・ドゥーデルスハイム、ペーター・フォン・ドーテンハイム、森林監督ベルヒトルトおよびハンス・ツォーベルは、前記のヴェルトハイムのわれらが慈悲深き領主とその相続人が上述のような統治権を法として告げられ公示されたことを見聞し、われわれは全員が、またわれわれ各自が、われらが領主に対しておこなった宣誓にもとづいて、それを受け入れ、われわれの誰もが自分の印章を記録の証明のためにこの文書に添えた。この文書はわれらが主キリスト生誕後1443年四旬節の第4日曜日の後の木曜日に作成された。   


 9-15 ハイデンフェルト Haidenfeldt (1420年)


  (ハイデンフェルトは今日のヘッセン州のオーデンヴァルト地域に属する)

 われわれハルトハイムのラインハルト、エーベルハルト・グンデルヴィン、ペーターおよびコンツ・イエメラー兄弟は、ハイデンフェルトでこの文書の日付に当地で開かれた完全な裁判集会で参審員が後述の法を公示し、全村がこれを認めることを法として告げるのを聞
いた。まず最初に彼ら参審員は、ヴェルトハイムを有するわれらが慈悲深き領主またはその相続人に対して、ハイデンフェルトの村と耕地における領主および代官として告げ知らせ、彼またはその官憲が命じることを、領民は実行すべきであり、彼らが禁じることを、謹んで思いとどまるべきである。
 ハイデンフェルトに住む者が転出すべき場合、彼みずから望んで、裁判所に転出を誓ったのであれば、ヴェルトハイムのわが領主または官憲から帰還してもよいという寛大な許しを得られるまで、彼が移住して帰還しないことを、全員が支持すべきである。ハイデンフェルトに5農場と3保有地があり、それらの農場や保有地はヴェルトハイムのわが領主の地方官と従者に飲食物と飼料を提供し、しかも2保有地は1農場と同じ量を提供する。しかしヴェルトハイムのわが領主みずから当地に来て、食事をするなら、農場とささやかな保有地をもつわが領主の領民は食事を提供する。これらの農場と保有地をもつ者は、それらを耕作すべきであるが、耕作しない者は、月曜裁判集会に訴えられるたびに、わが領主または官憲がそれについて罰金を科すことができる。わが領主またはその関係者一同がハイデンフェルトに来て、宿営を設けようとしたら、上記の農場と保有地にその最初を設営し、できあがったら、わが領主またはその一同は耕地垣根の入り口から他の入り口まで次々に設営することができる、他の領主や貴族が来て、彼らの領民の所に設営をしていたら、彼らは後ろに引き下がるべきであり、ヴェルトハイムのわが領主またはその官憲に先に入らせるべきである。ヴェルトハイムのわが領主の官憲が望み、ヴェルトハイムのわが領主またはその一行がこれらの農場に設営したら、上述の5農場と4保有地に住む者は、代官またはわが領主の従者に飼料と干草を提供すべきであり、彼らの農場に宿営を設けることができ、代官またはわが領主の従者は村長の屋敷へ食事に行くべきであり、馬の見張りををする者が馬の所へ戻ったら、農場に住む者は、寝るためのベッドとふとんを余分にもっていれば、貸し与えるべきである。
 ハイデンフェルトに来て1年と1日住む者は、男であれ女であれ、追跡する領主がいなければ、ヴェルトハイムのわが領主は彼を受け入れることができ、それが撤回されないかぎり、所権利を認められる。
 ヴェルトハイムのわが領主はハイデンフェルトで毎年3フントのヴュルツブルク通貨を専売ワイン税として徴収し、ハイデンフェルトに住むいかなる者もこれを納めるべきである。またそこで水と放牧地を利用する者も、その料金を納める。ヴェルトハイムのわが領主以外いかなる者もハイデンフェルトにワイン専売権を設定してはならない。
 ハイデンフェルトには小屋住農地と呼ばれるものがあり、そこには地代が課され、ヴュルツブルク通貨で徴収され、聖マルティノの日(11月11日)に地代が請求され、地代を集める者は格子戸の前で請求し、戸のかんぬきを見ることができる日中の間ずっと、地代を待つべきであるが、その日に地代が得られなければ、他日2倍の地代を徴収すべきであり、村長も差押えの助けをおこなうべきである。彼らは農地で食事を得てはならない。その農地に相続税が課される場合は、地代と同額を徴収すべきである。
 ヴェルトハイムのわが領主または官憲は毎年3回の月曜裁判集会を開催することができ、必要があれば、各裁判集会の後に2回の追加裁判集会を開くことができ、その際裁判所の指揮によって飲食をするべきである。
 ホルツキルヘンの首席司祭はハイデンフェルトで次のような法をもつ。すなわち、ある者が傷つけられたら、レムリンゲンの郷裁判所に訴えなければならず、その際首席司祭の村長には1フィアテルのワインが納められるが、ヴェルトハイムのわが領主の地方官または村長はこの裁判に出廷する。罰金を科せられた者が支払いを怠れば、ヴュルツブルク通貨19シリングを科せられるべきである。
 ホルツキルヘンの首席司祭はハイデンフェルトで裁判所に口外をしない村長をもつべきである。
 ハイデンフェルトに住み、そこで水と放牧地を利用する者は、発言権をもち、ヴェルトハイムのわが領主のハイデンフェルトの村長のところに来て、彼に訴え、彼の遅滞なき裁判に協力すべきであり、いかなる者も他人を裁判から排斥してはならず、そうした違反をする者は、ヴェルトハイムのわが領主によって罰せられる。
 ヴェルトハイムのわが領主、彼の代官、彼の従者または彼の代理がハイデンフェルトの村長のところに来る場合、村長は彼らに対してなすべきものをもっておらず、ワイン、パンまたは必要なものを村長に提供しようとする者がいない場合、村長は彼が入手しようとするものの2倍を担保として、自分で入手すべきであり、村長が担保を与えた農民または飲食店主は、村長が担保を解消するつもりでなければ、3日の期日で担保を処分することができる。
 われわれ、すなわち上記のハルトハイムのラインハルト、エーベルハルト・グンデルヴィン、ペーターおよびコンツ・イエメラー兄弟は、前述のすべてを聞き、われらが領主に対して土地保有のためにおこなった宣誓に続いてそれを受け取り、、証明のためにわれわれ各自の印章をこの文書に添えた。この文書が作成されたのは、1420年聖ルチアの日(12月13日)の前のもく曜日である。
          
 

 9-16 ヘレンブライトゥンゲン Herrnbreitingen (1460-1507年)


  (ヘレンウライトゥンゲンは、今日チューリンゲン州のブライトゥンゲンの一地区である)


 1460年聖ペータース裁判集会がヘレンブライトゥンゲンの裁判管区の住民の出席のもとに、わが領主ブライトゥンゲン郷裁判官、参審員、傭兵によって開催された。郷裁判官の名はハンス・イェーガー、参審員の名はハンス・ハーゲル、ハンス・マテス、ティレ・ザルツマン、ディッツェル・ルッポルト、ペーター・ルーダー、エンダース・ヴェンゲス、カスパー・フェンデ、ハンス・シャレ、コルト・ディットマー、クンツ・モラー、ハインツ・シュロッター、ハンス・ローダー、ハンス・カプランおよびハンス・ヴァイハイト、傭兵の名はヨルゲ・シュミットである。
 まず最初に参審員は、次のような判断を法として告げる。すなわち、ブライトゥンゲンの修道院長と領主が修道院の古きしきたりと自由にもとづき、郷裁判官、傭兵および参審員とともに、年4回の裁判集会に出席して告発による裁判をおこない、すべての問題を独自に取り扱い、正当化し罰する全権をもつ。
 次に、裁判官はそのために誰を採用すべきか、問われ、参審員は、彼の気にいる、有能で役立つ者を採用することができるという判断を法として告げた。
 次に、郷裁判官はどこで4回の裁判集会を開くべきか、問われた。参審員は、裁判官が望む場所で自由に開くことができるとという判断を告げた。
 修道院長は何を命令し禁じる権限をもつのか、問われた。参審員は次のように法を告げた。すなわち、彼は命令と禁令を発し、実行させ、要求とその撤回、制定とその廃止、援助とその拒絶をおこない、あるいは彼が命じた者に援護を与える全権をもち、修道院の古きしきたりにもとづくその他あらあゆる威厳と自由をもつ。
 犯罪者を捕えたら、誰に引き渡すべきか、問われた。参審員は、すべての領主のために郷裁判官に引き渡すべきであるという判断をした。
 刑事裁判所の場所はどこにすべきかと問われて、参審員は、正規の郷において石造りの壕という名をもつ場所で、という判断を示した。
 郷裁判官は犯罪者を拘留できる牢獄をもつべきであるという判断が示された。
干草等の堆積場はどこにすべきかという問いに、通りに面した場所に堆積されており、そこには小屋があって、車道と歩道が分けられているという判断が示された。
 木材を裁判所に運ぶべきは誰かと問われて、領主だという判断が示された。
 絞首台または裁判所への壕を掘るのは誰かと問われて、自由廷吏がおこなうべきだという判断が示された。
 絞首台あるいは裁判所をもつのは誰かと問われた。地方官がそれを要求するとき、裁判官のためにもつという判断が示された。
 犯罪者を裁判所に連行するのは誰かと問われ、自由廷吏であるという判断がなされた。
 干草等の堆積場はどのくらいの幅とすべきかと問われて、そこで荷馬車が方向転換できる幅とすべきであり、車輪と車輪の幅を一尋とすべきであるという判断が示された。   


1499年
 聖ゲルトルートの日(3月17日)の後の火曜日、ヘレンブライトゥンゲンの居酒屋でブライトゥンゲンのわが領主、ヘネンベルクのわが慈悲深き領主およびヘッセンとヘネンベルクのわが慈悲深き領主のために裁判集会が開かれた。
 まず最初に、席が占められているか調べるべきである。通常の判断は、わが慈悲深き領主全員の聖ペータース裁判集会でいかにおこなわれ、受け入れられ、実施されるべきか、と問われた。古くからおこなわれてきたように、また最近ではシュマールカルデンで同様におこなわれているように、領民にそれを読んで公開すべきであると判断された。
 彼らは他人に告げられた判断を守らせようとするのか、それとももっと良い判断を望むのか、と問われた。彼らは、後述のとおり、誠実な人々がおこなった判断より良い判断は得られないことことを承知していると判断された。
 火災、殺人の騒ぎ、窃盗が起きたら、誰が対処すべきか、と問われた。それを見聞きするか、呼びかけられた者が、身体と財産をかけて対処すべきであると判断された。
 まず第一に、聖ペータース裁判集会はブライトゥンゲンのわが領主の権限に属し、彼は毎年修道院の古きしきたりと自由にしたがってみずから3名を任命しなければならず、しかもあらゆる領主の役人とかかわりなく自分自身の選好と意志によって彼らを採用し、彼らは告発とあらゆる問題について裁判をおこなわなければならない。
 ブライトゥンゲンの領主はいかなろペータース裁判においても、修道院の古きしきたりと自由および慣わしにしたがってすべての役人の任免権をもつことが、告げられた。
 ブライトゥンゲンの領主はあらゆる命令と禁令を発し、いかなる者にも命じる全権をもつことが告げられた。
 ブライトゥンゲンの領主はいかなる者にも援護をおこなう権限をもつが、シュマールカルデンのわれらが慈悲深き領主の収入役と地方官に対する援護をこころがけるべきであり、告訴人には告訴を守るように援護すべきである、と告げられた。
 ブライトゥンゲンの領主は負債と損害について支援および支援拒絶をおこなう全権をもつ。
 犯罪者を捕えたら、どこへ引き渡すべきか問われ、すべての領主のために郷裁判官に引き渡すべきであると告げられた。
 刑事裁判所をどこに設置すべきか問われ、正式の郷の石造りの濠という場所に設置すべきであると告げられた。
 郷裁判官は犯罪者を収容する牢獄をもつべきであると告げられた。
 干草等の堆積場はどこにすべきか問われ、通りに面した小屋があり、車道と歩道が分かれている場所と告げられた。
 木材を裁判所に運ぶべきは誰かと問われ、領主がなすべきだと告げられた。
 絞首台または裁判所に壕を掘るのは誰かと問われ、自由廷吏と告げられた。
 絞首台または裁判所をもつのは誰かと問われ、地方官、郷裁判官、および彼らが要求する者と告げられた。
 犯罪者を裁判所に連行するのは誰かと問われ、自由廷吏と告げられた。
  犯罪者を裁判所に連行するのは誰かと問われ、自由廷吏であるという判断がなされた。
 干草等の堆積場はどのくらいの奥行とすべきかと問われて、そこで荷馬車が方向転換できる奥行とすべきであり、車輪と車輪の間隔を一尋とすべきであると告げられた。
製粉所の石うすの回転を検査するのは誰で、それに立ち会うのは誰かと問われた。郷裁判官と4名の参審員に、自由廷吏も立ち会って、石うすのまわりの索の3つの結び目を回転させるべきであると、告げられた。
 製粉屋はその堀の幅を3シューとすべきである。
 雄牛を雌牛の群れをの中に入る場合、雌雄ともどれほどの年齢とすべきか、あるいは雌雄を分けなくてもよいのかと問われ、雄牛は年齢にかかわりなく、雌牛の群れの中に入れてもよいと判断された。
 家畜が他人の農圃に脱走しようとしたら、農圃を閉鎖すべきか、あるいは他人に損害をかけないように追い出すべきであると判断された。

 1506年
 後述の規定はすべて裁判所のものである。最初に、聖ペータース裁判所を訪れる権利をもつのは誰かについて、判断が告げられた。それは、郷のわれらが領主のもとに生まれ、採草地と放牧地、森林と耕地を利用し、自分の世帯をもち、権利を授受しようとする者全員である。
 領民が共同で利用するものをいかに明らかにすべきかと問われ、嘆かわしい状態となるか破壊されたら、明らかにし提訴すべきであると告げられた。
 誰がそれに対処し、依頼し実行するべきか問われ、領主と村落の村長が土地と領民の法に起きる問題に対処すべきであると告げられた。
 製粉、度量衡、境界石にかかわる土地と領民の法をどのように守るべきか問われ、古きしきたりどおりに守り扱うべきであり、境界石はそれについて見識をもつ者が扱うべきであると告げられた。
 製粉用石うす、製粉所および製粉容器はいかに適合すべきか問われ、次のように告げられた。すなわち、製粉容器は良好な状態に保たれ、こわれるようなことがあってはならない。3つの結び目をもつ最良の索が石うすに巻かれ、製粉容器がこれに連携し、回転は支障なく3回おこなわれる。そこで不正を発見された者は、領主が罰する権限をもつ。製粉所の検査を実施し、それを誰に命じるかを決める権限をもつのは領主である。製粉屋には1マルターの穀物の製粉の報酬として1メッツェの穀粉を与え、それは1マルターの28分の1に相当する。
 公共の小径や道路その他の公共設備が破損したら、訴え出るべきである。その訴えは3回の裁判で決着をつけるべきであり、それより以前に片付けてはならない。
 村長が領主や村民のために命じたことにかんして、村の平和と団結を守るべきであり、守らない者は、危険とみなされる。
野菜畑や甜菜畑などの夏畑は、St. Valperの前7日間適切に管理すべきである。
 肥料の搬入路が、休閑地の中の農道である場合は、いかなる者も厩肥を運搬できるように空けておくべきである。
 夏穀物の大麦とエン麦は支障がなければ消費するか保管し、シュペット・エン麦は聖ヨハネの日(6月24日)の前の土曜日に消費し、オーヴェスト・エン麦とボヘミア・エン麦は消費して適切に保管すべきである。
厩肥運搬車からはすべてを片付けてきれいにすべきだが、キャベツ運搬車の場合は、きちんと片付けられるなら、片付けるべきである。
通りに面して住んでいる者は、適切な囲いをするべきだが、それ以外に村の中に普通に住んでいる者は、昔からのしきたりにしたがって適切な囲いをすべきである。
聖ペータース裁判集会では通常の判決を一人で問うことができ、必要な場合には、そうしたことがおこなわれる。
裁判所に罰せられた者は、公正に承諾すべきである。
耕地が相互に隣接しあう2人の一方が自分の土地を囲おうとするなら、相手に損害をかけてはならない。また一方が自分の土地を囲おうとして、他方が囲おうとせず、不備によって損害が生じたら、一方は他方に損害をかけてまで、囲ってはならない。
 自分の農圃を雌牛、馬、鳥、がちょうなどから囲う者がいれば、それは常軌を逸している。同じことは一般にも妥当する。
 一尋とは、中位の体格の人が腕を伸ばして届く範囲の距離と高さであり、4シューの長さの区切りである。
 いかなる者であれ、定住している者には裁判で公正が求められる。
相並んで採草地をもつ二人のうち一方が他方より高い場所に位置する場合、低い場所に位置する者は高位置の者との間に畝間をつくる権限をもち、彼が採草地を増やしたいとおもうときは、高位置の者の同意を得なければならない。しかし、水を不可欠とする他の採草地が開墾される場合は、適切な対応をすべきである。
 隣人の間が混迷し、耐え難くなったら、領主の助けを求めるべきである。
 郷の村長たちが領民を召喚しなければならないか、あるいは傭兵が出動すべきであるにもかかわらず、領民が村長たちの命令を無視したら、傭兵が出動しなければならないか?
村長が人々を召喚すべきだが、従順でない者がいれば、領主の助けを求めなければならない。
 答えられない問いには、罰金の半分を科せられる。
 飼いならされてない子馬、馬および家禽は、どのように飼うべきか? 授乳期の子馬をもつ者は、適切に飼うべきであるが、一歳馬には飼葉を与えるべきである。がちょうなどの家禽は、他人の迷惑にならないように飼うべきである。しかしにわとりを飼おうとする者は、高くて棘のある垣根を設けるべきである。
 奉公人を雇っている者は、奉公人が年季途中または年季あけに、故意か否かにかかわらず、奉公をやめようとしたら、どのように対処すべきか? 奉公人を雇う者が、年季奉公として雇っているのに、奉公人が証明しうる正当な理由もなく、雇主から去るなら、彼に賃金を払ってはならない。しかし雇主が奉公人と奉公の延長について交渉し、彼に損害がなければ、賃金の全額を払うべきである。しかし奉公人男女が雇主を呼んで、雇用の破棄を通告し、雇主がそれを止めようとしなければ、両者は話し合いで互いに別れるべきである。同じく、雇主は男女奉公人に話しかけ、奉公人が解雇を止めなければ、この場合も互いに別れるべきである。
自分が雇っている奉公人を他人に譲り、それが発覚したら、いかなる不法とみなすべきか? 男女いずれの奉公人であれ年季の途中の奉公人を得るのは、不法である。
急流が集まったら、他人に損害をかけないためには、どうすればよいか? 雷雨のために急流が生じたら、誰かが阻止するべきであり、いかなる者も急流を不当にも他人の土地へ向けてはならない。しかし誰にもそれができなくても、領主が急流を抑制することができる。
 相続人や領民との間の承諾により鋤き余し地、境界石がつくられたのに、誰かによって勝手にこわされたら、いかなる不法とみなすべきか? 境界石を不当にも引き抜く者は、不法とみなされる。いかなる不法とみなされるべきか? 境界石を故意に引き抜く者がいれば、境界石を上端まで地中に埋めて、その耕地に慣れていない4頭の馬を新しい犂につなぐべきである。それらの馬はもはや犂を牽引してはならず、もはや耕作してはならず、彼は犂を手にしても犂を抱えもってならない。また彼の耕地との境界石に向かって耕し、境界石の場所を彼から奪って自分のものとして耕すべきである。
 しかし誰かが境界石を引き抜くか、取りさって、不法行為をしたと他人に知らせれば、それはいかなる不法か? そうしたことを知らせる者が、それを証明できなければ、彼は相手を苦しませたのと同様に、相手を喜ばせるべきであり、そうすれば領主の慈悲にあずかる。 
 街道または公共道路を故意に取り込んで自分の相続地とする者は、いかなる不法とみなされるか? そうしたことをする者は、不法をなす者であり、領主に罰せられる。彼の不法はいかなるものか? 領主は不法を思いどおりの重罪に処することができる。
 ある隣人が耕作しようとしても、彼の農地が小さすぎるので、彼の隣人の農地を必要とすれば、それについて彼といかに協議すべきか? 彼の隣人の相続地を耕作したいとおもう者は、彼と協議しなければならないということ以外、いかなる判断もない。
 2村落が一つの通りから他の通りへの農道を共有し、農道がなくなったら、再度農道を通すのが公平か? 村が隣り合っており、道路がこわれたら、再度つくるべきである。しかしそれまで道がなくて、道が必要なら、つくるべきであり、意見の一致をみなければ、領主の助けを必要としなければならない。
 ある者が、いかなる作物であれ、他人の農地の作物に対して、彼の家畜、使用人または彼自身、あるいは馬による損害を与えたら、彼の不法はいかなるものとみなされるか? 他人に損害をかけたら、夜陰にまぎれた窃盗とみなすべきである。彼が人々の証言によって証明できず、誰もそこに居合わせなかった場合は、物については、担保を彼から取るべきであり、それができたら、彼から吝嗇を摘み取ることができるかもしれない。 
 二人の農地の間に木があって、その木が栽培したものであれ野生であれ、果実が他人の耕地に落ちたら、それは彼のものとなるべきである。しかしそれらが庭にあって、他人の土地に落ちる果実は、他人が勝手に得ることはできず、半分を元に返すべきである。
 男または女が木を伐り、持ち去り、運んでいったら、窃盗とみなすか、あるいは木の幹から切り取ったのと同じとみなすべきであり、その際に彼は声を出して叫び、、待機したうえで、木を持ち去ったら。それを得られるのか? 伐った木を取るのは窃盗であり、伐ってない木を取るのも、やはり窃盗である。しかし自分の相続地で育った屋敷の木は、他人の屋敷の中まで追跡じてもよい。
 他人より高い場所に土地をもつ者が、彼より低い場所に住む他人の家や庭に害を与えないように、、潅水すべきか? 他人の家や庭より高い場所に採草地をもつ者は、迷惑をかけないように潅水すべきである。
 両村が相互に利用する公共道路がこわれたら、村落が道路を修理すべきか、それとも共同で道路をもつ両村の住民が修理すべきか? 2つの村の間を結ぶ公共道路がこわれたら、それぞれの村がその村域において保全すべきであるが、洪水が起きて、村の道を破壊した場合は、法を回避すべきである。
 古来のしきたりとしての法の変化に関連して、村民たちから選出され、われらが慈悲深き領主に誓約をおこなった者が、領主と村民の承諾なしに法を変える権限をもつか? 彼はそのようなことをする権限をもたない。
 森林の林業者がその道具をなくし、隣人または他の近隣住民のところでそれを見つけたら、彼はどのような態度をとるべきか? 彼がそれを最寄りの隣人のところで見つけたら、隣人が拒んでも、自分の手に取り戻すべきである。
 ある村民が他人に相続地を売ったら、いかなるときに売り手は買い手に土地保有権を渡すべきか? 村民が他人または外来者に彼の相続農地を売ったら、彼は土地保有権を1カ月で渡すべきであるが、それが自由農地である場合は、1年と1日かけておこなわれ、領主の承認を要する。
 訴訟を始めた者が、当事者間で話し合いが成立したら、領主とも公正に和解をするべきか? 訴訟を始めて話し合いで和解したしたら、領主とも和解すべきであり、その場合すべての和解は領主の損害なしにおこなわれる。
 敢えて訴訟をおこなおうとする者に、隣人が同席して、訴訟に反対したら、どうすべきか? 村民が牧草地、森林および畑を他人と同様に利用しているなら、公正に訴訟をおこなうべきであり、そうしないなら、彼の企ては無為に終わる。
 炭焼き夫が炭を手工業者に運び、手工業親方は炭焼き夫に、炭はどれほどあるのか尋ねると、炭焼き夫は、親方が疑いをもち、計量を望んでいるとおもわれると言った。親方は黙って、炭をその容器から出すことを要求したところ、彼は立ち去って、親方または彼の徒弟だけが残され、炭焼き夫は立ち合わなかったが、彼の行動は正当といえるか? 炭を買って疑いをもつ者は、炭焼き夫の立ち合いのもとで炭を計量すべきである。
 上述の判断はすべて聖ペータース裁判所で参審員たちによって1506年シュマールカルデンの財務官カスパー・クルツェルの同席のもとで力強く告げられた。







 


10. バイエルン Bayern

バイエルンの地図(19世紀初め)

 10-1 シェーンフェルト Schönfeld


 (シェーンフェルトは今日自治体シェルンフェルト Gemeinde Schernfeldの1地区である) 

 これはアイヒシュテットのわが領主とシェーンフェルト村の法であり、古い慣習により領民に伝わる法である。
 最初に、裁判集会は常に14日間招集開催され、自分のかまどをもつシェーンフェルトの全住民と当局が屋敷の門戸を閉じて、裁判に出席し、訴える者がいれば、裁きをおこなうべきである。
 法によれば、裁判集会は2つの自由保有地で開き、初年度は一方の地で2年目は他方の地で開き、両方とも建物をつくるべきである。
 法によれば、代官は3頭の馬でシェーンフェルトの裁判にやって来て、ドルンシュタインの参事会の6人の市民とともに裁判をおこなうべきである。彼がその6人を得られない場合は、その人数を4人にして、シェーンフェルトの他の市民とともに裁判をおこなうべきであり、そうして裁判がおこなわれれば十分である。
 地方官には3人分の食事を提供し、鉢に1フィアテルのワインを、下男には1フィアテルのビールをを与えれば十分である。地方官は食事を取るか、それとも60ペニッヒの金銭を取るか、選ぶことができる。いかなる自由農民保有地も村に損失を与えないよう30ペニッヒを提供すべきである。しかし、地方官を歓迎しない者がいたり、地方官ら3人が馬に乗り、6人ないし8人からなる地方官の一行が到来すれば、彼らを村のなかに入れて、食事を出せば、十分である。
 法によれば、いかなる自由農民保有地も3つの現物貢租と謝肉祭のにわとり1羽を納めるべきであり、現物貢租全体は金銭で4ペニッヒとなる。
 シェーンフェルトには24の農民保有地があり、どの農民保有地も同じように奉仕し、同じような面積をもつ。農民保有地はそれぞれ2分の1台の馬車と2頭の馬をもつ。
 法によれば、これらの農民保有地には家を建てるべきであり、裁判集会でそのことをきびしく通告し、期限内に家を建てなければ、罰金で償うべきである。それがさらに長期間遅れれば、当局は、それがおこなわれるまで、罰することができる。
 ある者が死亡して、相続地を複数残した場合、自由農民保有地の一方を2つに分割し、他方を4つに分割すべきであり、そうすれば当局は地代を両方あわせて早く確認できる。
 また法によれば、ある人が死亡すれば、当局に死亡税を納める義務を負う。また農民保有地に家を建てようとする場合、彼は家の上下を測り、それ以外の基準にもとづいて家を建ててはならない。また公道から6シューだけ内側に建てるべきである。また家を建てようとする場合、屋根の棟木の支柱に重り石を付け、家の中に入ってそれに口づけし、敷居の下に釘を残しておくべきである。そうすれば、彼は領主と財産を守ったことになる。
 法によれば、24の農民保有地は52メッツェのえん麦を納めるべきである。そのうち4メッツェは廷吏のものとなり、廷吏は残りを領主の倉庫に損失を与えないように返すべきであり、農民保有地は35ペニッヒと謝肉祭のにわとりを納めるべきである。
 近親の相続人がもっていた農民保有地を、他人が取得すれば、本日の裁判集会でこの他人はそれを要求でき、彼は裁判集会に来て72ペニッヒを相続権のために集会参加者に差し出し、その良い担保を差し出すべきである。この担保が悪い場合は、彼は担保をとりかえるべきである。72ペニッヒのうち60ペニッヒは裁判官に、12ペニッヒは廷吏に納められ、その後彼は神と聖人に、彼が農地の次の相続人であることを宣誓し、非のうちどころのない6人が、彼の宣誓は潔く、卑しからぬものであると証言すべきである。6人の証人を得られなければ、3人でものごとを進めてもよい。そのうちの1人が農民保有地をもち、親族をもっているなら、あるいは保証人であるなら、彼は森から3歩出て、3度「師よ、わが領主の地代を取りに来たまえ」と叫ぶ。彼はこれを聖ヴァルプルギスの日(4月30日)におこなうべきである。彼が来なければ、彼は再び森に退いて、切り株の上に地代を置くべきであり。そうすれば彼は領主と農地を守ったことになる。
 しかしそれが彼には十分であっても、領主には地代が十分でなければ、その農民保有地を四人衆の意見にしたがって差し押さえるべきである。彼が領主と領域の恩寵を得れば、四人衆の意見にしたがって再び彼に保有を認めるべきである。
 村はどこでも垣根で守られるべきであり、そうしないで誰かに損害が生じたら、その垣根の場所の当事者は、その損害を負担すべきである。四旬節の最初の4日間は村の後背地が守られるべきであり、そうしないで誰かに損害が生じたら、前述と同じようにすべきであり、保有地をもつ者はその土地に垣根をつくるべきである。
 村の後方の3つの耕地の垣根を冬麦畑については聖ミカエルの日(9月29日)までに、えん麦畑については聖ヴァルプルギスの日(4月30日)までにつくるべきであり、そうしないで誰かに損害が生じたら、垣根がある土地の保有者は、損害を償うべきである。
 冬麦畑の耕地の端では聖ミカエルの日まで犂を反転し、えん麦畑では聖ヴァルプルギスの日まで犂を反転し、犂が方向転換する耕地の端は12シュー以上多く空けておくべきである。
 シェーンフェルトの住民は馬に袋を載せても支障ないほど広い坂道をハーゲンアッカーに向かって行き、ハーゲンアッカーの製粉所で製粉すべきであり、そうしない場合は、彼らは製粉屋に通行税を納める義務を負い、地方官には罰金を納めなければならず、彼らが製粉所に来たら、司祭と地方官を除いていかなる者に対しても、ただちに製粉屋は袋を空けて製粉すべきである。彼は小屋の中に他人のものがあっても、それを製粉すべきである。
 製粉屋はシェーンフェルト渓谷の曲がり角までの橋、坂道、道をつくるべきであり、シェーンフェルトの住民は曲がり角までの道をつくるべきであり、製粉屋がそうしない場合は、製粉屋に対して製粉の義務を負わなくてもよい。
 コンツ・マイアーは橋と道路のために、彼の保有地から毎年12ペニッヒを製粉屋に納めるべきである。
 製粉屋は橋と道路をつくるために、ハーゲンアッカーの荘官屋敷から1メッツェの穀物を取得すべきである。
 法によれば、シェーンフェルトの家畜は囲われた林区を通って司教の御料林を抜け、王室林に入るべきである。家畜が避ける林区は、シェーンフェルトの住民も避けるべきである。
 法によれば、家畜はエーベルシュヴァングの集落まで行くべきであり、そこで家畜が避ける林区は、住民も避けるべきである。
 法によれば、シェーンフェルトの住民は家畜をエスリングの水飲み場へ連れて行って水を飲ませるべきであり、誰も彼らを妨げてはならない。
 よそ者に対して禁止された木材にかんして、よそ者が荷馬車1台分の木材を運びさるたびに、彼は45ペニッヒを納める義務を負い、手押し車1台分について15ペニッヒ、背負荷物の場合は6ペニッヒを科される。
 建築材にかんしてよそ者を捕えたら、伐採のたびに60ペニッヒと10フントを科されるか、次の木が再び成長するまで、彼は切り株に座っているべきである。
 さらに法によれば、その隣人が許可なく木を伐れば、1本伐るたびに60ペニッヒと10フントを科される。
 ワインをシェーンフェルトで売りたい者は、地方官の許可を得るべきだが、地方官に3ペニッヒ以上与えてはならない。
 よそ者がシェーンフェルトに来て、教会の祭日等にワインを売りたいとおもうときは、地方官に1フィアテルのワインを提供すべきである。ワインを売ったり積荷をおろす者が醸造業者でない場合は、どのような飲み物であれ、シェーンフェルトの飲食店主は彼の樽を土にたたきつけても、彼は不法をはたらいたことにはならない。
 世襲の鍛冶場に欠乏が生じたら、いかなる農民保有地も鍛冶屋のために報酬として1メッツェの穀物を提供し、いかなる農民もパンを提供すべきである。26の農民保有地があり、いかなる鍛冶屋も農民に犂の刃をつくり、彼らのために誠実に鍛冶をおこない、彼らのためにその仕事を熱心におこなうべきである。彼は新しい棒鉄を2ペニッヒで打ち、古い棒鉄を2ペニッヒで打ち、新しい鉄を1ペニッヒで、古い鉄を1ペニッヒで打ち、農民は鉄を自分で得て、犂の鉄には4ペニッヒ、のこぎりには3ペニッヒ支払うべきである。
領民は耕地番人をもつべきであり、26の農民保有地のいずれも2種類の穀物4束を納めるべきである。
 地方官は鍛冶屋、家畜番人、耕地番人いずれにも同じ3ペニッヒの報酬を授けるべきである。
 国の平和が乱れたら、領民は家畜とともに最寄りのドルンシュタイン城に逃げ込み、ライ麦、えん麦、小麦のいずれについても例外なく、貢納義務を負わなくてもよい。
 フッツェンシュティーゲルのホッホホルツへの道を行き、そこで休閑地に入って施肥をすべきであり、いかなる者もそれを妨げではならない。
 また法によれば、よそ者はシェーンフェルトの放牧地に放牧してはならない。


 10-2 ライテンブッフ Raitenbuch

(ライテンブッフはニュルンベルク市の南方に位置する集落)


 聖マルティノの日(11月11日)、クリスマスおよび謝肉祭の3夜、ライテンブッフのいかなる者も飲食店主からワインを拒まれた場合、酒蔵に行ってワインとビールを自分で取り出し、飲食店主に代金を払い、樽の上に置くか、3ペニッヒより価値のある担保を与える権限をもち、飲食店主はこれを阻むことはできない。
 ライテンブッフの飲食店主はいつでも担保を取る権限をもつが、流血の担保、煮沸されてない撚糸、ふるい分けされてない穀物は除かれる。
 ライテンブッフの風呂屋は常に14日間に3回風呂を欠かさず営業すべきである。いかなる農民も風呂屋に聖燭祭(2月2日)に1メッツェの穀物を与え、独自のかまどをもつ小屋住みは1メッツェのえん麦を与えるべきである。
 ライテンブッフのいかなる者も祭壇に行き、謝肉祭、聖霊降臨祭およびクリスマスの3回、風呂屋に祝祭金を納める義務を負う。またライテンブッフのいかなる者も、2-3回瀉血して風呂屋に1ペニッヒを払い、4-5回瀉血する場合は2ペニッヒを払うべきである。
 裁判所規則によれば、身体障害を負わせた者はわれわれに60フントを納め、不法行為をなす者は裁判官に10フントを納め、身体障害をこうむった者に10フントを納め、犯人は彼の苦痛、治療費および損失に対して、4参審員に集会出席者の1人を加えた5人の判断にしたがって、償うべきである。他人に流血の傷を負わせた者は、一つの傷について60フントと10フントを科され、次に述べるように傷つけられた者に償いをすべきである。他人に対して刃物、石、棒などを持ち出したものの実際には打ちかからなかった者、あるいは他人に抵抗するために不法な行為をおこなった者は、われわれと裁判官にそれぞれ60フントと10フントの罰金を科される。不法行為の科料一般は3ペニッヒである。罰金一般は30ペニッヒである。1フントは30ペニッヒに相当する。
 

 10-3 エンケリング Enkering


(エンケリングはニュルンベルク市の南方の町キンディング Marktgemeinde Kinding の1地区である)


 他人の妻、娘などの名誉をそこなう者は裁判所に100個の卵を納めるべきであり、さらに石で罰せられることがあり、粗野な言葉または中傷によって侮辱された者に対してそれなりの償いをすべきである。


 10-4 ウンターメッシング Untermessing (1496年)


(ウンターメッシングはニュルンベルク市の南方に位置する集落)


 外来者が食用の蟹か魚を捕らえたら、彼は飲食店にそれを持ちこんで、そこで食べれば、違反行為とはみなされない。彼が他の場所に運んだら、彼からそれを奪い、罰するべきである。
 魚を捕えた者は、まずそれを屋敷に運び、次に飲食店に、その後浴場に、最後に司祭館に運ぶべきである。結局誰もそれを買おうとしなければ、ぼだい樹の下か、教会に運び、そこで売り、その代金を受け取るべきであり、魚も蟹も村から持ち出してはならない。誰かが魚を捕獲すれば、そこへ行って、見て、魚を引き取るべきであり、彼がそれを領主に差し出そうとするのであれば、違反行為とはみなされない。


 10-5 ケシング Kösching (1527年)


(ケシングはニュルンベルクとミュンヘンの中間に位置する市場町)

  私、ビュッヒャースリートのゼバスティアン・ケーニヒスフェルトは、高貴なる君主および領主のライン宮中伯ウィルヘルムとルードヴィッヒの御兄弟、オーバーバイエルンおよびニーダーバイエルン公に対して、わが領主のケシングの地方官および裁判官として、裁判所のために、ここに次のように認める。すなわち、私は聖なる三王の日(1月6日)に、ケシングに古くから伝えられているとおり荘園の裁判に出席した。ミュンヘンのアム・アンガー地区のザンクト・クララ会教会の敬愛すべき女子修道院長ドロテア・フンデルトフントおよび同修道院全体の管理人であるハンス・フィッシャーは、全権弁護人として出席し、正式に許可されたケシングの代弁人としての市民および参事会員のレオンハルト・ヘメンとともに、裁判集会の正当性を認め、上述のミュンヘンのアンガー地区の女子修道院長は彼女に対する債務を完済させる権限をもち、また古くからの慣習による彼女の農地と領民についても、この裁判集会で開示する権限をもつことも認めた。そして上述の弁護人は債務伝票を提出して、それを読みあげることを望んだ。それは彼の望みどおり読みあげられ、誰もがその債務を認め、上述のわが女領主の弁護人は、地方官および裁判官としての私に対して、古くからの慣習どおり、いかなる領民もこれから朝の1時課までの間に地代を支払うべきであると述べた。さらに同弁護人は私に法を示すように求め、私は地方官および裁判官として、裁判集会の法が古い慣習によればいかなるものか、参審員に問うた。彼らは全員一致で次のように法を告げた。すなわち、この裁判集会では常にわが女領主の弁護士に対して返答がなされ、判決と法が示されてきた。さらに、それは今後もひき続き遵守されるべきであると参審員は告げた。さらに、前述の女領主の弁護人は、正式に認められたケシングの代弁人とともに、わが女領主の首席フーフェ保有農民レオンハルト・ヒュルがいかなる自由をもつかと問い、地方官が荘園で刈り取り人を必要としているなら、当フーフェ保有農民には刈り取り人が残されるべきであり、彼から刈り取り人を奪ったり連れ出してはならず、この問題は常に上述の裁判集会で提起され、法として示されるべきであり、地方官および裁判官たる私は法に拠るべきだと述べた。そこで、私は裁判集会の法がいかなるものか、参審員に問うと、彼らは全員一致で、フーフェ保有農民が自由をもつと聞いているので、今後もひき続きそれを遵守すべきだということを、法として告げた。さらに上述のわが女領主と修道士会の弁護士は、正式に認められた彼の代理人とともに、私がひき続き彼らに質問することを求め、次のように言った。すなわち、上述のフーフェ保有農民レオンハルト・ヒュルは御料林で聖ヨハネの日(12月27日)、土曜日の夕方および謝肉祭に限り、用具、木材および彼が必要とするものを地方官、裁判官あるいは林務官に妨げられることなく、得る権限をもつ。当フーフェ保有農民は、ケシングの住民の負担により、家畜全体を監督すべきである。当フーフェ保有農民は衰弱した雄牛を村の農地に追い込む権限をもち、雄牛が垣根の入り口を通過したら、誰もその耕地または牧草地から隣のあぜを越えて放牧してはならない。このことは常に当裁判集会で答えられ、判決と法として認められている。さらに弁護人は私に法を求めたので、地方官および裁判官たる私は、そうしたことが常に判決と法として認められてきたと聞いたことがあるかと、参審員に尋ねた。それに応じて彼らは全員一致による判断および法として、今後もそれを遵守すべきだと述べた。さらにレオンハルト・カステルはケシングにいるフーフェ保有農民たちの全権弁護士として、彼の正式に認められた代理人とともに、次のように言った。すなわち、裁判集会の法と同様に、彼らの古くからの慣習と自由は当荘園では常に法として答えられ提示されてきた。当地の地方官がわが領主のために馬車を必要とすれば、修道院の農場は地方官に対してケシングと市場町の領民の費用負担により、馬車とすべての付属品を橋の上に置くべきである。その際、地方官は下男と馬に飼料、食事、釘と鉄を支給すべきである。だが、そのことについて、カステルは地方官たる私に法による判断を求めた。そこで地方官および裁判官たる私は、参審員に裁判集会の法を尋ねた。彼らは全員一致で次のように法を告げた。すなわち、常にこの裁判集会で答えられたものが法として認められており、それは今後も遵守されるべきである。さらに上述のレオンハルト・カステルは法の審理におけるフーフェ保有農民の弁護士として、次のように述べた。すなわち、地方官がわが領主に代わって他の馬車を必要としたら、フーフェ保有農民たちは、ケシングの負担により、修道院の農場が維持できるように馬車を提供すべきである。だが、そうはいっても、地方官および裁判官たる私は法に依るべきである。そこで私は地方官および裁判官として、裁判集会の法を参審員に問うと、彼らは全員一致で次のように告げた。すなわち、この裁判集会では常に答えられたものが法として認められ、それは今後とも遵守されるべきである。さらに上述のレオンハルト・カステルは、領主の城で多くの賦役を必要とするなら、距離の遠近にかかわらず、ケシングの農民は2度、フーフェ保有農民は1度出かける負担を負うべきである。しかし、それが法であるとしても、私は地方官および裁判官として参審員の法に拠るべきである。そこで私は、裁判集会の法を参審員に問うた。彼らは全員一致で次のように法を告げた。すなわち、常に裁判集会で答えられたものは今後とも遵守されるべきである。いま一度、レオンハルト・カステルは弁護士として次のように述べた。すなわち、私は裁判集会の法のとおり、法の審理において彼の言うことに耳を傾けるべきであり、いかなるフーフェ保有農民も地代の穀物を成長に応じて脱穀し、調製し、その麦わらを引き取るべきであり、領主はそれらを納めさせるべきである。しかし、法は常に裁判集会で答えられ、告げられるので、私は地方官および裁判官として参審員の法を問うべきである。そこで私は地方官および裁判官として、参審員に法を問うた。彼らは全員一致で次のように述べた。すなわち彼らは、この裁判集会では常に答えられたことが法として認められたと聞いており、今後ともそれが遵守されるべきであるということを法および判決として告げた。さらに前述のフーフェ保有農民の弁護人は、戦争がこの地域で起きた場合、私が法の審理おいて彼らに次のような注意を促すべきであると述べた。すなわち、いかなる農民も領主の地代穀物を一緒に脱穀し、それを納屋の穴蔵に保存し、首席フーフェ保有農民の屋敷の門前で彼に対して、領主の地代穀物を袋に詰めて受け取るようにと3度叫び、それでもフーフェ保有農民が受け取らなければ、それはただちに失われるか焼失し、領主の手からは失われてしまい、農民は地代を免れ、解放される、と。しかるに、上述の弁護人は、地方官および裁判官たる私が法に拠り、常にこの裁判集会で答えられたことを法と判決として告げるように求めた。そこで私は参審員の判決を問うた。彼らは全員一致で次のように告げた。すなわち、彼らが常に耳を傾け、法と判決として認めたことは、今後とも遵守されるべきである。さらにレオンハルト・カステルは法の審理におけるフーフェ保有農民の弁護人として、次のように申し出た。すなわち、領主と農民が地代をめぐって意見が合わないか、互いに争う場合、ミュンヘンのアム・アンガーのわが領主の弁護士または管理人、農地を保有する農民およびケシングの下役人の三者は、荘園の標示版の前に置かれているケスナー通りの境界石から城塞の前の荘園の門まで一緒に徒歩で行くべきであり、そうすれば誰かが争われた地代を入手する。しかしそれがこの裁判集会で答えられ法として示されたとしても、私は地方官および裁判官として参審員に法を問うべきである。そこで私は彼らに法を問うた。彼らは全員一致で判決と法を告げ、この裁判集会で答えがなされ、法が示され、今後もそれが守られるべきであるということが判決として告げられた。さらに上述のレオンハルト・カステルは裁判の審理におけるフーフェ保有農民の弁護人として、次のように法を提示した。すなわち、フーフェ保有農民が死亡の際に自然の理として負うべき債務を支払う場合、寄進のために1フィアテルの小麦をパンに焼き、フーフェ保有農民の妻が死亡したときは寄進のために6メッツェンの小麦をパンに焼くべきである。支払い猶予が与えられている場合は、フーフェ保有農民は穀物地代からその分を差し引くべきだが、猶予が与えられていなければ、彼の所有財産のうちその分を負担して領主に納めるべきである。しかし、それが法であるとしても、私は地方官および裁判官として、この裁判集会で答えられたことを法として認められたか、参審員に問うべきである。そこで私は地方官および裁判官として参審員に問うと、彼らは全員一致でつぎのことを法として告げた。すなわち、常に裁判集会で答えられたことは法として告げられ、今後ともそれは遵守されるべきである。ミュンヘンのアム・アンガーのわが領主と修道士会全体の管理人および全権弁護士の申し出にしたがって、正式に認められた代理人としてのリオンハルト・ヘメンをとおして、彼らはこれまでおこなわれたあらゆる判決に沿った裁判と判決の書状を求めた。それゆえ私は地方官および裁判官として、前述の代弁者レオンハルト・ヘメン、レオンハルト・カステル、ペーター・トランスナー、クンツ・プフルークマッヒャー、シュテファン・ホーエンペルガー、ハンス・トランスナー、ハンス・ヴァハター、トーマン・カステル、老レオンハルト・オット、クンツ・カステル、ハウンペルガー、キュンツ・レーグラー、ハンス・プルクハルトに問うた。彼らは全員ケシングの現フーフェ保有農民および市民であり、当裁判集会に出席し、宣誓のうえで、わが女領主とその弁護人の要請に応じて彼らにそうした書状を渡さなければならないという判決をいいわたした。私は地方官および裁判官として、わが女領主の要求にもとづき裁判所のために私が生来所有する印章をこの書状に添付して渡した。しかし私、私の相続人と印章および参審員はその費用を負担し、先述の敬愛するわが女領主または彼女の保護をうける領民と臣民、当地の城の領主、君主の保護をうける所有者は費用を免除され、君主の官憲と司法に負担をかけるようなことがあってはならない。三王の日(1月6日)に開催される裁判集会のために、わが女領主は、そこで示される土地台帳にしたがって、集会を始める前に、いかなる地方官にも10個の黄色い木製の椀と蜜蜂入りのケーキを、同じくいかなる裁判官にも2個の黄色い木製椀と蜜蜂入りのケーキを提供し、また上述の裁判集会で地方官、裁判所書記および役所の下男に朝食を支払い、従来おこなわれてきたこの習慣は今後も守られるべきである。法は判決によって、われらが魂の救い主イエス・キリストの生誕後1527年、聖なる三王の日に布告された。


 10-6 エッティング Ötting (1577年)


 (エッティングはインゴルシュタット市に近い集落である)

 次に示すのは、エッティング村の法と古くからの慣習である。
 最初に、製粉屋は年2回、聖ゲオルギオスの日(4月23日)の前と聖ミカエルの日(9月29日)の後に小川を清掃し草刈りをすべきである。亜麻または麻が小川にあれば、小川に半分を残すべきである。そして刈り取ろうとする者は、小川の中に立ち、可能な分量を大鎌で刈り取るべきである。いかなる者も麻または亜麻をつめこんだ荷物を自分で運ぶべきであり、小川のそばの芝生を刈り取ってはならない。
 隣人たちが困らないように、中央道の製粉屋は、昔からの慣わしどおり、共有地を通らずに水車に行き、その道が良くなければ、彼自身でその道をつくるべきであり、隣人たちは彼を手伝う責任を負わない。
 葦の道の製粉屋は片目のおんどりを飼うべきである。さらに彼は葦の道を通ってはならず、畑の方へ行ってはならない。また彼は家畜が外へ出ないように、耕地の出入り口に扉を取り付けるべきである。さらに彼は採草地の出入り口に扉をつけて、彼も他の人々も出入りしてはならない。ただし、そりの滑走路については除外する。損害が生じれば、隣人たちによってその扉は閉鎖されるべきである。
 葦の道の製粉屋は犂で耕す日にエッティングの家畜の群れのなかに彼の家畜を入れて共有地に放牧する権限をもつが、今年はそれ以外の日には認められない。ただし、彼はあらゆる賦役を手伝わなければならない。
隣人が牧人に採草地への放牧を認めなければ、彼は小川を超えて放牧しなければならない。
 簡易通路の製粉屋は彼が製粉所で得る9メッツェンの穀物を牧人頭に与えるべきであり、牧童に彼の家畜を村の垣根まで放牧させ、そのほかに牧人に報酬を与えなくてもよい。そして彼が家畜をもってなくとも、牧人に報酬を与えるべきである。
 牧人は村の垣根に立ち、簡易通路の製粉屋に、彼の家畜を放牧すると叫ぶべきである。
 簡易通路の製粉屋は、隣人たちが水車への道をとおるのじゃましたり禁止する権限をもたず、水車への道の前の簡易通路に扉を付けて、隣人たちが損害から守られるようにしなければならない。
 常に2人の飲食店主が酒を売り、あらゆる商品をもち、またインゴルシュタットの小売商人は彼の店で商品を売る。
 食品であれ、飲み物であれ、あるいはその他の商品であれ、販売用の商品を持参する者は、正午から次の正午までに売るべきでありる。また、飲食店主がそれらの商品を自分の店舗にもっている場合は、商品を買った客からその代価を受け取ることができるが、商品が店にない場合は、客からその商品の注文をとるべきである。
 十二夜(12月25日-1月6日)に飲食店主は隣人たちにワインであれビールであれ、客が用意した金額で酒を売るべきであり、それより高く売ってはならない。
 肉屋が教会の祭日の夜に屠畜したら、飲食店主は1回につき12ペニッヒと肉料理を与えるべきである。
飲食店主は、ナッセンフェルスと同じように古い枡で売るべきであり、そうすれば余計な金銭を払わなくてもすみ、古くからの慣習にしたがって、ワインとビールを売るなら、1マースのワインにつき2ペニッヒ、1マースのビールにつき1ヘラー以上を得てはならない。
 教会の祭りで住民には最良の踊りの場所が割り当てられる。また飲食店主も踊りの場所の管理人も住民のために下吏に踊りの料金を払わなくてもよいが、外来者は踊りの料金を下吏に払わなければならない。
 いかなる飲食店主も毎年聖ミカエルの日(9月29日)にカストナー公に1シリングを納め、ミハエル・シュリッヒャー・ファイト・アムベルガーにも1シリングを納めなければならない。


 10-7 ブッフ Buch


(ブッフはランツフート市近郊のキームゼー女子修道院領の集落)

 
わが領主裁判管区のブッフにおいてわれわれがもつのは、古来の慣習によるわが教会の法である。
 1. まず最初に、われわれはわれわれの領民に保有地を提供しようとして、わが廷吏と役人によって命じられた領民がいない場合、土地保有交替税を納める領民は農地を授けられる。彼が喜んでそうするなら、彼は代弁人を得て、この代弁人は何も言わずに、われわれが彼に約束することを、われわれと教会に対してはたすべきである。だが彼が1レーゲンスブルク・フントの土地取得料を納めた自由民で、われわれが働き手を確保しえない農地を常に利用することができるのであれば、われわれとわが教会は困らなくてもすむ。われわれがあまりにも困った場合は、代官は領主および君主たるわが首席司祭とともにわれわれを助けるべきである。
 2. さらに土地保有交替税を納めて保有地を得たわれわれの領民が、貢納物を納めず手もとに留めており、少しは貢納したものの、十分とはいえない場合、彼はわれわれに満足できる正しいことを保有地においてなすべきである。
 われわれまたはわが役人が土地を授けられた農民に対して保有地の返還を求め、彼が農地を手放さなければ、彼は罰金を科される。彼が保有地からすすんで出てくならば、彼は農地からいかなる恩恵を得られることはない。
 3. 息子または娘のどちらであれ子どもをもち、子どもがわが教会領にいるなら、父親が彼らの保証人となり、彼らに対する権力をもつことに、われわれは満足すべきである。しかし、彼にとって子どもがあまりに負担であるなら、彼は子どもをわれわれの教会領の保有地に住まわせることによってわれわれを満足させ、子どもがわれわれの意志にそうことなく他の教会領へ結婚して出ていったり、他の保護主のもとへ行ったりしないようにすべきである。彼らが教会領から出ていかず、離れないようにするために。われわれはそうした罪を犯す者に償いをさせ、罰しなければならない。
 4. 第4に、汝ら領民に次のように法として告げる。すなわち、われわれとわが教会は、母がわが領民であれば、その子もわが領民であるので、そのような領民をいかなる者とも分かち合うことはない。
 5. われわれの領民が、いかなる小屋であれ、住宅であれ、教区の樹木で家を建てた者がそこから去る場合、彼は彼の後に続く3-4人の教会領の荘園民または領民に助言と知識を与え、彼の仕事を知らせ、家と小屋の建築を遅らせることのないようにすべきである。また法により農地に属するものについては、彼は何も要求してはならない。しかし、他所の樹木で家を建築する者がそこから去る場合、彼のあとに来る者は、彼に代ってそこに住所を見つけるか、われわれの了解を得て彼が望む所へ移住することができ、われわれはそれを妨げたり、制限したりすべきではない。
 6. われわれはわれわれの任意保有地を次のように理解すべきである。すなわち、われわれは大きな農地を領民に与えても、彼は十分なことをなしえないので、われわれは小さな農地を与え、もっと大きな農地で働くことができる領民がいれば、大きな農地で彼を働かせなければならない。
 7. われわれとわが教会は次のような法をもつ。すなわち、わが領民の一人が死ねば、われわれはその門戸を閉じて、彼の最良の家畜が死亡税となり、彼の生存中にわが教会への貢納に何らかの不足があったのであれば、彼はそれを死亡税によって補うべきである。その年、寡婦は次の土地保有の更改までそこにとどまり、寡婦とその子どもが農地を耕作に利用すれば、われわれは他人より彼らの土地承継と利用を寛大にうけいれるべきである。しかし彼らが農地を利用していなければ、彼らはわれわれによる土地保有の移転を制限したり妨げてはならず、わが教会の必要にしたがって土地保有を移転することができる。
 8. 上述の保有地と土地保有交替税について、領主裁判管区の他人を領邦の地方裁判所に訴えてはならない。
 9. われわれとわが司教座教会首席司祭は前述のわがブッフ領主裁判管区において、殺人、窃盗および強姦を除き、あらゆる問題を裁かなければならない。だが逃亡者または盗人が領主裁判管区で捕らえられ、窃盗の罪で告訴されたら、彼を捕縛したまま領主裁判管区からひきわたし、彼を裁こうとする者以外は誰も彼に同行すべきではない。しかし、とんでもない殺人が起きたら、犯人は捕らえられ、わが領主裁判管区から捕縛したまま教会の首席司祭に引き渡され、こうして領主裁判管区の法が守られ、われわれはその証しとして、古くよりエルディングに対してしてきたように、領邦の地方官に1樽のワインを提供しなければならない。
 10. わが教会のいかなる領民も わが首席司祭の意志と慈悲なしに、借家人をうけいれてはならない。許可を得てそうしたことをおこなっても、それによって村と領主裁判管区に何らかの損害が生じた場合は、彼が財産に損害を与えたなら、その損害額を隣人に返済すべきである。財産に損害を与えたのでなければ、われわれはそれを身体で償わなければならない。
 11. 最後に次のような法が汝ら領民に告げられる。すなわち、狩猟区がわれわれとわが教会によって設定されている場合、わが教会領からミュンヘンの市壁まで、またわが教会領からランツフートまで、われわれはわれわれの自由な狩猟区を設定する。われわれがわが領主とともに狩猟をおこない、猟犬たちがいっしょにえさを食べにきたら、われわれの猟犬がえさを食べた後に、領主の猟犬に食べさせるようにすべきである。それはわが祖先の昔からの習わしであり、われわれが昔最古の領主と君主にそれを語ったときに、われわれはこれを受け入れたのである。だが、シュテファン公だけはわれわれの一人が亡くなったとき、わが敬愛する女領主からあれこれの狩猟区を受け取った。


 10-8 領主裁判管区 T Hofmark T. (1554年)


(地名は不詳)


 領主裁判管区で書きとめられた裁判記録。
 いかにして領主裁判管区Tが長年にわたりバイエルン家代々の君主から、城と裁判管区の代々の領主に対して解放されたのか、以下に述べるとおりである。さまざまな名称が記載されており、古くから存在する村落目録から領主裁判管区Tには次のような人びとがいた。高貴で堅実なハンス・ヴォルフェン・フォン・某、ツァームブルク家出身の高貴で貞潔な婦人カタリーナ、かつての高貴で堅実なハンゼン、君主の審議官の寡婦などが現土地領主として出席し、昔と同じように一語一語があらためてくりかえし語られ、羊皮紙の記録に記された。これがおこなわれたのは、1554年聖トーマスの日(12月21日)の日曜日である。
 1.  毎年Tの領主は法を有し、村法を守る。そうした村法のために隣人たちは弁護士を募集すべきであり、弁護士は後述のすべての条項を村法として提示する。それに対して隣人たちは彼に報酬を与えるべきであり、誰もが彼に2シュヴァルツ・ペニッヒを提供する義務を負う。また当年申し合わせと村法を得る農民は、領主とその従者および馬、弁護士と廷吏に最初の飼料と食事を提供する義務を負い、一般村民は第二の食事を提供する義務を負う。
 2.  最初に、領邦の地方官は領主裁判管区Tにおいて協議すべきこともなすべきこともない。しかし裁判のために領主裁判管区でなすべきことがある場合、あらかじめ裁判管区の領主に申し出れば、領主は彼に公正な援助をしてくれるだろう。
 3 . 領主裁判管区の住民が都市または市場で債務を負い、債権者が彼に対して廷吏を送っても、彼が負債を払わなければ、債権者はそれを裁判領主に訴え、債務者が債務に同意すれば、裁判領主は、裁判管区の法にしたがい、彼に対して14日間に支払うように命じるべきである。だが彼がこの期間に支払わず、原告が再度督促すれば、裁判領主はその役人を裁判管区の廷吏とともに送り、差し押さえをおこなわせ、収穫をする農民に渡せば、それで処理がおわる。差し押さえ物件が飼料であれば、3日目まで差し押さえられた家畜を入れる厩舎に飼料として置くべきだが、豚が差し押さられた場合は、14日間留め置いた後処分されるべきである。彼が差し押さえ物件を売却する場合は、彼は裁判領主にいかなる義務も負わないが、売却しない場合は、差し押さえ物件は4人、すなわち2人の農民と1人のフーフェ保有農および1人のワイン醸造農によって誓約にもとづく評価がなされ、差し押さえられた家畜を入れる厩舎をもつ農民には、差し押さえられた家畜から12ペニッヒを与えるべきである。
 4 . よそ者が領主裁判管区の誰かを債務のゆえに訴え、両者ともに領主の前に出頭したとき、よそ者が当地住民を不当に訴えて損害を与えた場合、彼の損害と費用を確実に得られるように、よそ者は領主に対して十分な保証をおこなうべきである。
 5.  よそ者が領主裁判管区の誰かに債務を負い、領主裁判管区において債務者あるいはその農地が差し押さられたら、債務者は彼とその農地の差し押さえを廷吏によって禁止してもらう権限をもつ。
 6.  有害な者が領主裁判管区に立ち入って捕らえられたら、われわれはそれをRの裁判所に伝え、3日目までに収監すべきである。3日目にはわれわれは捕らえられた犯人を領主裁判管区の裁判領主の了解を得てそこから領邦の地方裁判所へひきわたし、村の門柱に縄で縛りつけ、廷吏は3回次のように叫ぶ、「誰か、ここに囚われている犯罪人に言うことはあるか!」そこで裁判所が彼を収監し、裁判がおこなわれる。 彼が若干の財産または金銭をもちあわせているなら、多少にかかわらず、領主裁判管区に残されるべきである。しかしそれを領主裁判管区から貸し出して、犯人を打ち負かすのに役立てたいと望むなら、われわれはそうしなければならないが、その願いが満たされた後、そうした財産は領主裁判管区のわれわれに戻される。
 7.  よそ者が領主裁判管区においてわが住民と裁判をおこなう場合、よそ者は法にしたがい、領主裁判管区において裁判官が苦労なく裁判をおこなうため、2人の弁護士を連れてきて、裁判のすべての必要条件を満たすべきである。そして住民または被告の側は、彼が望む弁護士を採用することができ、その選択は彼がおこなうべきである。
 8.  よそ者が領主裁判管区のわが住民と裁判をおこなおうとする場合、基本法では、彼は14日前の日中にそれを告げるべきであるとされる。その場合村法では、3日目の日中に住民に告知されるべきであるとされる。同じように、領主裁判管区のわが住民の1人または2人が相互に交渉する場合、通常領主裁判管区の法では、3日前の日中に廷吏を通じて告げさせることとされる。
 9.  領主裁判管区で2人の隣人同士が不和となるか、彼らの使用人が口論しあった場合、廷吏に対して訴えられないかぎり、われわれは穏やかに争いをおさめることができるので、彼らを罰する義務を領主に対して負うことはない。
 10.  領邦の地方裁判所で取り決められる罰金額が5-6フントである場合、それは領主裁判管区では2フントに換算される。地方裁判・行政管区での2フントは、領主裁判管区では72ペニッヒに当たる。地方裁判・行政管区の72ペニッヒは、領主裁判管区では24ペニッヒに当たる。わが住民がやって来て、領主裁判管区の裁判官が裁判官席に座り、手に杖をもち、住民が24ペニッヒを持参したら、裁判官はそれを受領し、上述の罰金はすべて寛大に受け取られるべきである。
 11.  もしよそ者がその家畜で、あるいは彼自身がわれわれの土地と道に損害をもたらしたら、われわれはその土地に踏み込んで、彼を領主裁判管区で捕らえ、監視人に引き渡し、監視人はそれを拘留し、捕らえて引き渡しをした者の了解なしに、釈放または放免してはならない。
 12.  当領主裁判管区に移住してくる者は、領主に転入税として12ペニッヒを納めるべきである。領主裁判管区から転出する者は、1年のうちに転出する予定を領主に申告すべきであり、それについて誰が彼に話すのか、彼は知らせをうける。
 13.  領主裁判管区で他人に借地させようとする場合、その前に領主と隣人にそのことを知らせたうえで、借地を始めるべきである。彼らの同意を得られるかぎり、借地はおこなわるべきであるが、領主と隣人の同意を得られない場合は、借地をさせた者は罰金を科されるべきである。
 14.  Tの住民は他の領主裁判管区とその領主ももっているような鍛冶屋、浴場、製粉所および飲食店の法的必要と権利をもつことができ、領主はそれを支援する義務を負う。毎年Tの農民のなかでいかなる半フーフェ保有農民およびワイン醸造農民も領主裁判管区の1年間の職務をひきうけるべきである。
 15.  Tには3つの道があり、それらは相互につなげたり、土に埋めたり、手を加えたり、耕作したりなどしないように保全されるべきである。一つの道は浴場のために、他の道は廷吏のために、第三の道はぶどう絞り所のためにある。
 16.  よそ者が領主裁判管区で不法な破壊行為をおこなうか、その他の不埒な行為をおこなったら、領主裁判管区の廷吏はそれを抑えて、裁判管区の領地からそうした不法行為を排除すべきである。廷吏に助けが必要であれば、彼はその領主裁判管区でわれわれに支援を求めるべきであり、支援しない者は領主に納める罰金として1フントを科される。
 17.  播種地には年中立ち入りが禁止され、馬も若駒も耕地に入れてはならず、穀物が耕地からすべて取り込まれるまで、刈り取りや収穫のときにも放牧してはならず、違反すれば領主によって罰せられる。
 18.  播種地は正しいときに、つまりライ麦畑は聖ガルスの日( 10月16日)に、エン麦畑は聖ゲオルギオスの日(4月23日)に囲われなければ、領主によって罰せられる。その年の申し合わせをした農民は、農民1人、フーフェ保有農民1人、ワイン醸造農民1人および役人による耕地囲いの検査をうける義務を負い、囲いが良くないか、十分な囲いがおこなわれてないと認められれば、領主裁判管区の廷吏によって公示され、24ペニッヒの罰金を科される。
 19.  よそ者が1人、2人、3人、4人あるいは領主裁判管区の半分を、垣根、土地、採草地、放牧地または放牧権にかんして領主に訴え、協議が遂行されないために、領邦君主政府またはわが領主や君主に提訴され、それでも調停がなされず、皇帝の最高裁判所に提訴がなされたら、領主裁判管区の領主は管区の住民に公正な支援をおこなうべきであるが、その費用は住民の負担によって支払われるべきである。
 20.  領主裁判管区の領主は村法とあらゆる問題について、誰もがその準備ができるように14日前に公示すべきである。
 21. われわれは播種地に禁令区を設けて、作物を損害から守り、いかなるときでも穀物を収穫すべき権限をもつ。またわれわれはそうしたことを相互に取り消す権限ももつ。
 22.  領主裁判管区Tで火をおろそかに扱う者は、監視人に告発されるべきであり、廷吏と隣人1名または彼ら2名の検査をうけ、火をおろそかに扱うことを禁じられるべきである。そうした禁止にそむく者は、領主の廷吏によって告発され、罰せられるべきである。
 23.  領主裁判管区Tのいかなる者も、裁判官が手に杖をもったら、裁判に出席する義務を負い、彼の神の権力を妨げる場合は12ペニッヒの罰金を科される。
 24.  当地で承認されてない法の条項が、他の領主裁判管区で適用され法的妥当性をもつなら、当地で承認されている条項と同じように、効力をもつべきである。
 25.  自分のぶどうを栽培する者は、その時々の必要に応じて自分で酒蔵に貯蔵し、彼のもとにやって来る隣人にそれを自分の家で提供することができる。また彼は販売用のパンを隣人に提供してともに食べる権限をもつが、村落内の隣人にパンを提供または販売してはならない。しかし申し合わせをした農民が販売用のパンをもっていなければ、他の隣人たちがそれを提供する権限をもつべきである。
 26.  隣人関係がなくなるか変化したら、全村民または隣人がこれに関与しなければならず、ふとどきにもこれに参加しない者がいれば、領主によって12ペニッヒの罰金を科される。役にたたない使用人または賦役をおこなうには弱小すぎる少年を賦役に送った場合、監視人は彼を送還することができ、彼は上述の罰金を領主によって科される。


 10-9 ラングエリンゲン Langenerringen (1378年)


(ラングエリンゲンはシュヴァーベンの村落で、アウクスブルクに近い)

 私コンラート・デア・イルズングは、アウクスブルクのザンクト・ヨーハンの市民であり、私と私のすべての相続人、さらにわれわれがエリンゲンでもっているわれわれの法の権力に永遠に服するすべての者のための文書を手掛かりとして、次のように公示する。すなわち、あらゆる衝突、不和および分裂の騒動について、エリンゲンの私の裁判所と私の法のゆえに、またそこの村民と村落の良き習慣のゆえに、村民と村落、その領主が昔から伝えてきたとおり、われわれは全員の、また個々の当事者間の衝突、不和および分裂を以下の5名に適切かつ友好的に処理させた。その5名とは、わが父シュタインの後継者コンラート・デア・イルズング、現市長ペーター・デア・エーガー、平民のルートゲルン・デン・ラウポート、アウクスブルクの市民ヨハンゼン・デン・ゴッセンプロートおよびハインリケン・デン・プフェッテンであり、われわれは、これら全員および個々人が法によってわれわれ相互を裁くことを誠実に約束した。とくに、われわれとわれわれの相続人および子孫は永遠に変わることなくそのことを忠実に守るべきであり、何事であれ背いたり異議をとなえたりするようなことがあってはならない。それゆえ彼らはわれわれ双方の提言にしたがい、書状の文言にしたがい、また彼らが熱心な審問で見聞した確かな古い情報にしたがい、適切な法によって個別に審理し、後述のような法の条項を公表した。すなわち、まず最初に、エリンゲンのすべての村民、すべての小屋住、都市や他村出身のすべての家持ち住民は裁判に加わることができる。裁判官は事前の準備なく、いかなる者にも出廷を命じることはできない。しかし出廷する者には、裁判官は着席を求め、判決をくだすことができる。彼がこれに逆らおうとすれば、彼に60ペニッヒの罰金を命じることができる。また村民は、古くからの慣習どおり、まじめに裁判所に出廷すべきである。出廷を命じられた者には、出廷ごとに1アウクスブルク・ペニッヒまたは2ハラーを与え、彼が担保を差し出す場合は、彼にその分を与えるべきである。殺人を犯す者の財産は、裁判官に没収される。正当防衛をなした場合は、法にしたがい、慈悲により罪を問われない。エリンゲン村で加害者を捕らえたら、裁判官は彼を収監・保護すべきであり、彼を確保したら捕縛したまま村の境界の前で代官に引き渡すべきである。彼が財産をもっていれば、慈悲により裁判官に没収される。裁判官が捕らえようとした者が、彼の手に負えなければ、村民が彼を助けるべきである。不当な損失と負債に責任を負ういかなる村民も、裁判所に担保をさしだす場合、15ペニッヒを納める義務を負うが、法による担保をさしださなければ、裁判官に30ペニッヒを納めなければならない。小屋住みは同上の法で定められた金額の半分を納めるものとする。不法行為をなす者は、裁判官によって72ペニッヒを科される。誰かを傷つけ、その傷が脚の骨まで達して、接骨を要する場合は、裁判官の慈悲により5フントと60ロートヴァイラー・ペニッヒを科される。悪しき傷は名誉ある人々の助言と慈悲にしたがって賠償すべきである。刀剣を抜いて傷害を負わせる者、あるいは平手打ちをする者は、裁判官によって60ペニッヒを科される。村民が夜警を必要としたら、裁判官は牡馬をもつ者を夜警に任命して、1ダウメレの幅の3つの耕地境界で3種類の穀物、つまりライ麦、シュペルト麦およびエン麦が飼料として成熟したとき、この夜警はそれらを馬の飼料として収穫すべきである。それらが牡馬に足りなければ、牡馬が飼料を十分得られるように、彼はもっと多く刈り取ることができ、毎年彼が刈り取る畑の見張りを忠実になすべきである。夜警にとって夜の見張りが困難になったら、必要な場合は村民が彼を助けるべきである。また昔からの慣わしどおり、裁判官の書類の文言にしたがって、毎年見張り番エン麦を裁判官に与えるべきである。また裁判官には、昔からの慣わしどおり、3つの畑と4つの放牧地から鶏を与え、彼が鶏をことわった場合は、そのかわりに2アウクスブルガー・ペニッヒまたは4ハラ―を与えるべきである。もし村落が耕地番人と家畜番人を雇ったら、上の村落では裁判官の農場管理人、下の村落では農場管理人がいるレンナー荘園に奉仕させるべきである。しかしそこから何か利益が生じるなら、それは農場管理人ではなく、裁判官に与えられるべきである。エリンゲンでは誰でもワイン、蜜酒およびビールを売ることができ、裁判官には樽の大小にかかわらず1樽から1マースの飲み物を提供すべきであり、さらにワインを売る者は毎年10シリング・ペニッヒを、蜜酒を売る者は2シリング・ペニッヒを、ビールを売る者は3シリング・ペニッヒを納めるべきである。しかし彼が3種類または2種類の酒をまとめて売る場合は、10シリング・ペニッヒだけを納めるべきである。しかしそれらを別個に売る場合は、上述のとおり納めるべきである。旅の途上で酒を売る外来者は何も納めなくてもよく、樽ごと売る者も、1樽であれ数樽であれ、何も納めなくてもよい。しかしから旅をやめて酒を売る者は、エリンゲンの住民と同じように納める。エリンゲンでパンを焼いて売るいかなるパン屋も、毎年裁判官に5.5シリング・ペニッヒを納めるべきである。しかし、そこにパンをもってきて売る者は、何も納めなくてもよい。いかなる靴屋、いかなる織布工も裁判官に毎年6ペニッヒを納めるべきである。ダックス製粉所はその水車の川床の上方へ約12シュー、あるいは水車の底から下方へ約30シューの所に筌を置いて、そのなかに魚を捕らえたら、それを売ってはならない。裁判官は次のような権限をもつ。すなわち、彼は古くからの慣わしどおり、古くから伝えられている古い製粉の場所に製粉所を建てることができる。この製粉所が建てられたら、エリンゲンのすべてのパン屋、商人、すべての靴屋と織布工、雇用されたすべての家畜番人と耕地番人、鍛冶屋、漁師およびすべての手工業者は、そこで製粉すべきである。そして、しばしば起きるように、彼らが多少なりともこれに違反したら、違反のたびに裁判官によって賠償金として60ペニッヒを科される。製粉屋は、穀物を製粉所に運び込んだ後に穀粉を運ぶ馬1頭と手押し車をもつべきである。それにかんして、彼に対して何も支払う義務はない。裁判官も村民またはその多くの同意なしに、何も定めたり許可してはならない。村民またはその多くが申しあわせをおこない、この規則に違反する者がいれば、裁判官はこれ対して科される罰金を徴収することができる。裁判官は、村落に対して他の領主農場より多くを要求してはならない。それゆえ、上述のすべての法は永遠に守られるべきであり、忘れられてはならず、われわれは共同の利益のためにも、将来の争いに対しても、文書に書かれることを要求し、この文書は上述の私イルズングとわが息子のハンゼンの印章によって封印され、両印章を文書に掛け、さらに上述の5名とわが兄弟ウルリッヒ・デス・イルジングの印章もわれわれの懇願によりそれに掛けて、彼らと彼らの相続人に害をもたらさないように、上述の事柄は永遠に記憶される。これがおこなわれたのは、キリスト生誕後1378年の聖ロレンツォの日(8月10日)の夜のことである。 


 10-10 パイティング Peitingau (1435年頃) 


(パイティングはショーンガウ市近郊の市場町)

  次のことを全員に知らせる。すなわち、パイティング伯領の上級裁判管区は高貴な生まれのバイエルンの君主および領主、わが慈悲深き領主にかかわる法を有し、毎年パイディング上級裁判管区の裁判集会において誓約にもとづいて領主または代官にこの法告げられる。第一に、シュヴァープハルプ橋の最初の橋板が張られている間は、ショーンガウの住民は上級裁判管区内の森林、河川湖沼および放牧地で何も送ったり調達してはならない。
 2. われわれはショーンガウの容積、長さおよび重量の尺度をもつべきであり、パイティング上級裁判管区はバイエルンのわが領主の領地に都市と市場がもつ権利すべてをもち、われわれは換金しうるものを村で売ることができ、関税も税金も納める必要がなく、そのかわり毎年領主に10ミュンヘン・ペニッヒを納める。
 3. パイティング上級裁判管区に住んでいる者は全員、昔からレッヒ川にかかっている小橋をつくるべきである。この小橋は良いものもあれば悪いものもあった。そこでショーンガウの住民はパイティングの住民を呼んで、その上を馬で往来できるように良い橋をつくることを相談した。そこでパイティングの住民は、それに必要な綱も道具ももってないと言った。そこでショーンガウの住民は、われわれにそのためのすべての道具、われわれが必要とする綱やその他の道具を与えたいと言い、そうすれば小橋はそれだけ良くなるだろうと述べた。そこで親方とその徒弟は橋をつくろうとして、月曜日に町へ行き、綱その他の道具を買おうとした。ショーンガウの住民は親方とその徒弟にワインをふるまい、良い朝食を与え、橋はその分良くなるだろうと述べた。ニュルンベルクとアウクスブルクの住民は、フライベルクの長老に、レッヒ川とアマー川にかかる橋をつくることを伝え、彼らは下の通りを往来して道を開くことを望んだ。フライベルクの長老はライテンブッフ、シュタインガーデンおよびパイティングの長老を呼び、レッヒ川にかかる橋をつくるのを手伝うか、われわれおよびショーンガウの住民と語りあった。そこでシュタインガーデンの長老は、自分たち自身の橋をもっているので、手伝うつもりはないと述べた。そこでフライベルクの長老は、橋をもっているなら何も与えるべきではないが、橋をもってないなら自分の負担分を提供するすべきだと述べた。そこでレッヒ川に橋をかけたので、フライベルクの長老は次のように述べた。すなわち、ショーンガウの住民は3分の2、パイティングの住民は3分の1を提供すべきであり、ライテンブッフとシュタインガーデンの長老はパイティングの住民が負担する3分の1に援助をおこなうべきである。
 4. ショーンガウ市に住む者は全員、レッヒ川で水中のわなを使って魚をとってはならず、片足を川に、他方の足を陸に置いて魚をとるべきであり、領主といえどもそれを妨げてはならない。
 5. ブルクから産出するものは、パイティングのレンデ沿いのレヒステンにパイティングの住民が水路と陸路で運搬すべきである。
 6. ブルクから産出するものには関税がかけられ、パイティングを領有する領主が関税を徴収すべきである。
 7. パイティング上級裁判管区に属する者全員に対して、レッヒ川、ヴールバッハ川、アマー川、イーラッハ川、アッハ川の利用を妨げてはならない。彼らはすべての川で魚をとることができ、領主といえどもそれを危惧する必要はない。これらの川でとった魚は売ってはならないが、隣人に贈ることはできる。
 8. パイティング上級裁判管区を領有するいかなる領主も、エクセルバッハ川の向こう岸までうなじにかかわる裁判をおこなわなければならない。彼に害をもたらす者がいれば、領主は彼をメッツェン橋まで追いかけ、そこで捕らえたら、パイティングの裁判所まで連行させるべきである。
 9. パイティング上級裁判管区を領有する者は、トラウハ川までうなじにかかわる裁判をおこなわなければならない。だが彼に害をなす者がいれば、領主はヘスリンゲルン川まで追いかけることができる。領主がそこで彼を捕らえたら、パイティングの裁判所まで連行することができる。パイティング上級裁判管区を領有する者は、ヴューレンバッハ川までうなじにかかわる裁判をおこなわなければならない。もし害をなす者がいれば、領主はロート川まで彼を追いかけることができる。害をなす者が他方の片足を川から出す前に、川の中で一方の片足を領主がつかまえれば、領主または彼を追いかけている者は、彼を捕らえてパイティングの裁判所に連行することができる。パイティングで領主に害をなす者がいれば、レッヒ川にかかりショーンガウに向かう橋の上まで彼を追いかけることができる。シュヴァープハルプ橋の最後の板にのった彼の片足をつかまえたら、彼をパイテングの裁判所に連行することができる。
 10. 領主はパイティング上級裁判管区に住む者を逮捕してはならない。身体にかかわる罪であれ、他の罪であれ、うなじにかかわりない場合は、領主は法によって、また住民が犯した罪に応じて、彼を罰するべきである。
 11. 裁判管区において害をなす者が、訴えられもせず召喚もされずに、領域内にいる場合、領主は彼を捕らえて農民たちにひきわたすことができ、農民たちは彼を8日間領域内に拘留すべきである。しかし、8日たっても誰も来ず、法によるか否かにかかわりなく彼を釈放するなら、領主は法の定めるとおり、彼を連行するか、他の場所へ連れ去ることができる。
 12. 二人が互いに争い、一方が他方に打撃を与えたものの、死亡にはいたらず、負傷者が生きているなら、領主は彼に指示したりかかわってはならない。
 13. 二人が互いに争い、一方が他方と和解しようとしなければ、隣人たちは彼が和解するように命じることができる。だが彼が和解しようとしなければ、隣人たちは地方官が彼に和解を命じるように申し出ることができる。しかし和解を命じられた者がそれを守らなければ、彼が和解を申し出るまで、領主は彼の身体と財産を差し押さえることができる。
 14. 二人が互いに争い、一方が他方をその家の中または屋根の下で襲い、この襲撃が日中の場合は、彼はそれを他方に対し5人の男にみずから証言させ、夜間の場合は3人の男女にみずから証言させるべきである。そのようなことをする者は、領主によって65フントを科される。
 15. バイエルンの支配領域である上級裁判管区に住むいかなる者も、結婚の際に、バイエルンの領主の土地であれば、自分の望むところへ行くことができる。
 16. 上級裁判管区に住む者はすべて、エタル修道院長の保護により結婚することができ、修道院長の領民も同じように結婚することができ、領主はそれを妨げてはならない。
 17. わが住民が教会領の領民と結婚して、教会領民である夫または妻が死ねば、領主はその遺産の分割にくわわることができるが、教会領主はわが住民の遺産の分割にくわわることはできない。
 18. 親族は9親等まで世襲農地を相続する。しかし、子どもをもつ父と母が死んだら、子どもたちが成長する日まで、最も近い親族が子どもたちと財産をひきうけるべきであり、親族は子どもたちにかわってその賦役を毎年おこなうべきであり、子どもたちに結婚資金を与えるまで、財産を子どもたちから奪ってはならない。しかし、誰かが子どもたちから農地を譲りうけてその代金を領主に納めたら、子どもたちとその親族は、彼が彼らに法的債務を負っていることを申し立てることができる。
 19. ある男の息子または娘が領域内にはおらず、四つの森林の外におり(第一の森はシュヴィッツァー、第二はフンメルヴァルト、第三はシュヴァルツヴァルト、第四はペハーマーヴァルトである)、帰郷した場合はその農地に定住させるべきである。
 20. 領主から世襲農地を得た夫または妻は、領主の慈悲と意志によりその農地を売ることができる。
 21. 領主から世襲農地を得た夫または妻のどちらか1人が死亡して、肉親の相続人を残さなかったら、生き残った配偶者が相続することができる。
 22. 外来者が上級裁判管区内の定住民と、いかなる問題であれ、訴訟をおこしたら、外来者は、定住民が彼をうなじにかかわる罪人として捕らえる権利を保証すべきである。
 23. 窮乏のために上級裁判管区から出ていかなければならない者に対して、債権者は1年と1日が過ぎるまで、彼の財産に手をつけてはならない。
 24. 山地の耕地が休閑しているとき、家畜は放牧地をとおり、共同地を超えてハルスラッハ川に行って、そこで水を飲むべきである。
 25. 領主が住居と建物にかんする裁判をおこなおうとするなら、彼のためにマース、エレ、重さ、メッツェなどの計量器を持参し、小さすぎるものの場合は、目盛りを刻み、それ以上のことをしてはならない。
 26. 領主と村落が役人を必要とし、領主が村落の意志により役人を採用し、村落がその役人に租税と貢納を与えれば、彼らは責任をはたし、その年度の領主に対する負担義務を負わなくてもよい。しかし村落が領主の意志で役人を任命し、この役人が租税と貢納を徴収し、領主に何も納めなければ、村落は領主に対して再び納める義務を負う。1年任期で役人を任命することを、いかなる者も妨げてはならない。
 27. 役人は良い財布を買い、そのなかに租税と貢納を領主のために徴集し、領主はそののなかから役人への報酬として粗末な上着を買うべきである。それに対して彼は森で2本の木、木1本ごとに24本の小枝を伐り、さらにブナの木を伐り、それが産出するものを採取すれば、領主は粗末な上着を買わなくてすむ。
 28. 村内で酒類を売る者は、役人に毎週月曜日1マースのワインを納める義務を負い、そのかわり役人はこの飲食店主に出頭を命じて担保を返すべきである。
 29. 村内にワイン、蜜酒またはビールを持ち込む者は、これらを売ってはならない。彼は最初に村の四人衆または六人衆に送り、彼らはワインまたは彼が売りたいとおもうものの値段を評価すべきである。しかし彼が評価されたとおり売りたくなければ、彼はワインまたは売りたいものを村から運び出すべきである。しかし酒類を売りたいとおもう場合、上述のように村の四人衆または六人衆に評価させたくなければ、彼は贖罪金として領主への5シリングを科される。
 30. 酒類を売る者は、食卓の上の枡に酒を注ぐべきである。そうしない場合は、彼は飲食費を負担する義務を負い、帰宅してその代金を筒の中に入れて、窓から飲食費を差し入れてもよい。それが良ければ、彼の利益はそれだけ良くなる。それが悪ければ、彼の損失はさらに大きくなる。損をするのは、彼が食卓の上の枡に酒を注がないためである。
 31. パン、肉または塩を売る者、あるいはパイティング村で商品を売る住民のところへ、他の住民またはその使者がやって来て、パン、肉その他のものを買おうとしても、売り手が彼またはその使者にこれらを提供しようとしなければ、彼は帰宅してそれを3分の1上回る金額の担保を取り出し、売り手の倉庫か家を開けて、そこからパンやワインなど商品を取り出し、担保をそこに置いても、誰にも責められることはない。
 32. フライベルクの地方官がリヒテンベルクを建設しようとしたときまで、いつもパイティングの住民が荷物を運搬していた。そこで彼はショーンガウの住民に、水路でリヒテンベルクに木材を運ぶように要請した。ショーンガウの住民はフライベルクの地方官にそれを許容したものの、彼らが運ぶつもりはないと言ったので、彼はパイティングの住民に運ぶように求めた。彼らは荷物を水路と陸路で運んだ。ショーンガウの船乗りたちの一人はテッシュといい、もう一人はデア・クーゲリンといい、彼らはフライベルクの地方官に、それぞれ12フントの料金で、水路で積み荷を運ぶのを助けるように求めた。そこでフライベルクの地方官はパイティングの住民に次のように要請した。すなわち、彼らはショーンガウの住民に積み荷を運搬させればよいのではないか。そこでパイティングの住民は次のように言った。すなわち、「地方官様、われわれはよろこんでそうしたいとおもうが、パイティングの上級裁判管区の法が侵害される恐れがある」と。そこでフライベルクの地方官はパイティングの住民に次のように言った。すなわち、彼らはショーンガウの住民が取り消すまで積み荷を運ばせるように、と。そしてパイティングの住民がショーンガウの住民に積み荷を運ばせたくない場合は、彼らはフライベルクの地方官にそのように言うべきであり、そうすればフライベルクの地方官はショーンガウの住民には運搬させないであろう。そこでパイティングの住民はショーンガウの住民に1年間運搬させた。その年が終わると、パイティングの住民はフライベルクの地方官の所へ行き、次のように要請した。すなわち、ショーンガウの住民に荷物輸送を拒否すべきであり、彼らは彼らの権利が侵害されることを恐れている。その後パイティングの住民はフライブルクの地方官の所へ来て、彼がショーンガウの住民を拒否したか、尋ねた。フライベルクの地方官はパイティングの住民に、拒否したことを伝えたが、ショーンガウの住民は輸送をやめるつもりはないと述べた。そこで彼らは荷物を今もわれわれの要求、慈悲および意志に反して運んでいる。
 33. 上級裁判所の水車管理のもとにあるパイティングの製材所は、パイティングの住民に必要なものを有料で製材するべきである。また製材所を有する者は、小川の清掃を助けるべきである。
 34. パイティングの木材市場はヴューレンバッハ川まで及び、ヴェッセスブルンの住民であれ、御料林の住民であれ、その向こう岸に住む者は、上級裁判管区に属する者を除き、木材も水も飼料もヴューレンバッハ川のこちら側に運んではならない。パイティングに住む者は全員、木材を必要とする場合は伐採することができる。その場合、樹木の頂きがパイゼンベルクの城の堀に倒れるようにすべきである。同じくパイゼンベルクの住民も法により必要とする木を伐ることができ、その場合パイティングの耕地に流れるレーテンバッハ川へ木の頂きが倒れるようにする。パイティングの住民はハイセンまで木を伐ることができ、その堀はシュナイトベルクまで及ぶ。
 35. ビューヒングの森を保護するのは、つぎのような理由による。すなわち、 飢餓であれ、戦争であれ、パイティングの住民が窮地におちいったら、領主のもとへ行き、彼と話し合って、森を開放して、いかなる者も自分が伐れるだけの木を伐る許可を得るためである。そうすれば、彼らは村に留まることができるようになり、領主はそれを禁止してはならない。シュナルフを保護するのは、次のような理由による。すなわち、パイティングの村が火事になったり戦場になったら、彼らは領主のもとへ行き、森林を開放することを願い出て、その許可を得るためである。ホルツロイテンとロイテンの住民は彼らが必要とするものをシュナルスで伐採することができ、彼らはそのかわり毎年聖ミカエルの日(9月29日)に年貢を納める。ザスは次のような理由で保護される。すなわち、パイティングの村が火事になったり、家屋を建築しようとする者がいる場合、領主にそれを願い出れば、領主は角材および4本の若木を許可し、それらを板に切るべきである。それによって部屋をつくることを領主は禁じてはならない。
 36. 森林で許可なく伐採する者は、領主に半フントを納める義務を負う。領主に半フントを納めるつもりもなく伐採する者は、そのたびに半フントを納める義務を負う。教区に住んでいない者が、上述の3つの森林で伐採すれば、65フントを領主に納めなければならない。
 37. パイティング上級裁判管区には2人の森林監督を置き、両者はいずれも24本の若木に相当する木を伐採する。彼らが領主に木の伐採の許可を願い出れば、領主は許可すべきであり、彼らはそのかわり領主のためにに財布を購入すべきである。
 38. 森林監督はショーンガウの橋を通常の法によって取り扱うべきである。彼らは毎年カンロッホで14本の橋桁を伐採すべきである。もし橋桁の1-2本が折れたら、彼らはそれをパイティングの住民の負担で橋まで運び、ショーンガウの下僕に渡せば、彼らはそれを取り付ける。橋がこわれたら、森林監督は14本の橋桁を橋まで運び、パイティングの住民が待機して、14本の橋桁はパイティング住民に渡され、そこでショーンガウの住民はそれを使用し、余った橋桁を森林監督に返すべきである。
 39. パイティング上級裁判管区に住む者は全員、バイエルンの領主の土地に移住することができ、いかなる者もそれを妨げてはならないが、領主の土地以外に移住することはできない。
 40. バイエルンあるいはシュヴァーベンの領主のいずれの領民であれ、パイティングに移住する場合、この農民は、常にパイティングに住み秋税を納める者がもつすべての権利を得る。パイティング上級裁判管区を保有する領主は、彼を自分の農奴として法によって保護すべきである。しかし彼が住んでいた領地の領主が彼を追いかけてきて捕えようとしたら、この者は隣人たちに呼びかけるべきであり、パイティングでこの叫びを聞いた者は鐘を鳴らし、いかなる者も馳せ参じるべきであり、村落四人衆または六人衆は領主に使いを送り、彼を法にゆだねてほしいと願い出るべきである。領主が彼を法にゆだねるつもりであるなら、彼らは彼を引き取り、パイティング上級裁判管区を保有する領主は法によって彼を農奴として救うべきである。領主が彼を法にゆだねるつもりがないなら、パイティングの住民は法にもとづき力づくで領主から彼を奪うべきである。そしてパイティングの住民がその領主または彼の従者を捕えたり打ったりしても、領主に対して何の罪もない。
 41. パイティングの住民が村のために出かけるなら、彼らは責任をはたしたことになる。しかし、鐘を聞いても駆けつけないことが証明された者は、領主に65フントを納める負う。
 42. パイティングを通行する者が、一方の門から入り他方の門から出ることができるなら、領主はそこで通行を妨げてはならない。
 43. 裁判管区外の者が裁判管区内の者に支払をすべき場合、彼が支払いをすませるまで、あるいは法によってそれを免除されるまで、乗馬であれ馬車による通行であれ、法にもとづき裁判管区内への立ち入りを禁止される。
 44. 裁判管区内で負債を負い、負債を返済しようとして、役人が不在の場合には、男女いずれであれ隣人をともなって負債を返済することができ、その際彼はいかなる隣人にも1ペニッヒを与えるべきである。
 45. 領主のがわら束を買わないなら、麦わらと豚のえさは荘官屋敷に残されるべきである。
 46. 荘官はいかなる木を伐る場合も、1本の木につき24本の小枝とブナの木がつける実を採取する。
 47. ライテンブッフまたはシュタインガーデンの領主、あるいはその他の領主の領民が当領域に農地を保有するなら、当領域の領主はその農地を取得して、彼の農奴にゆだねることができる。
 48. ライテンブッフの領主もシュタインガーデンの領主も当裁判所管区からその農奴を転出させてはならないが、当裁判管区内でその農奴を他の農地へ移動させることはできる。
 49. パイティングに住むシュタインガーデンの領民は、われわれがもつすべての権利をもつ。
 50. シュタインガーデンの領主は、当領域支配権に属する裁判の杖を除いて、パイティングを保有する領主がもつすべての権利をもつ。シュタインガーデンの領主の船はわが領主の船と並んで航行する。シュタインガーデンの領主は、パイティング上級裁判管区に住む彼の農奴を家の中でも道路上でも捕えることはできない。しかし、彼の荘官の屋敷で農奴に贖罪金を科すことはできる。しかし農奴がそこに来ようとしなければ、荘官は彼を連行するまで何度でも命令することができ、8日間勾留すべきである。8日経っても彼が領主に同意しなければ、彼の領主は彼を当裁判管区から連れ出すことができる。
 51. 当領域の領民とシュタインガーデンの領民の2人が一本の木を伐り、それぞれが木の一方の側を伐って、木がいかなる方向へ倒れるかによって、他方の者はそこから立ち去るべきであり、この木に執着してはならない。
 52. シュタインガーデンの領民はイーラッハ川のこちら側では、ヤークベルク、ヒルザウおよびプンツェナウを除き、木材、水および牧草を調達してはならない。また彼らはパイティングを保有する領主にわれわれパイティング住民がおこなうすべての賦役をおこなうべきである。
 53. ある者が他人の耕地の背後に耕地をもつ場合、聖ゲオルギオスの日(4月23日)の後の8日間、他人の耕地の上をとおり、自分の耕地に施肥し、あるいはそこで犂で耕すことができ、それより長引けば、他方の者は彼を妨げることができ、耕地をとおる道を遮断すべきであり、作物を束ね集めることができる。彼はそれを家に運ぼうとするなら、それも可能である。しかし彼にその気がなければ、もう一方の者にその作物を家に運ぶように言うべきである。
 54. ある者が他人の背後に採草地をもっている場合、彼は最良の道をとって干し草を運ぶことができ、誰も彼を妨げることはできない。どちらかの採草地が入り込んできて紛争が生じ、それを家畜がたべても誰も妨げてはならない。
 55. 草が村のまわりに生えて、1年草地となるなら、聖ウルリヒの日(7月4日)の後の8日間に刈り取るべきである。しかしそれより長く放置するなら、パイティングの住民はそれを家畜に食べさせることができ、それを誰も妨げてはならない。
 56. 何らかの草が村のまわりに生え、それが農家には属さず、放牧地に生えるなら、聖ウルリヒの日の後の8日間刈り取ることができる。
 57. パイティングの住民は種まきの前後に城郭に放牧する権利をもつとみなされる。
 58. 城郭に住む者は、パイティングの農地が休閑しているなら、そこに放牧することができる。
 59. ヴレンバッハの背後にある草や木はパイティングの上級裁判管区に属しており、ヴェッセスブルンネンの住民は、パイティングの上級裁判管区に属する農家を除き、背後の森林から草もいかなるものも調達してはならない。ショーンガウの住民は彼らの馬をヴレンバッハのまわりにある草地に放牧する権利をもたないが、彼らの森林に行って放牧することはできる。
 60. パイティングに住む者が木を伐ったら、どのような木を伐ろうとも、いかなる草地にも放置することができ、誰も彼を妨げてはならず、聖ゲオルギオスの日(4月23日)の後の8日間まで放置することができる。しかしそれ以上放置すれば、草地の所有者は木を砕いたり燃やしてもよいが、家に持ち帰ってはならない。
 61. 平民が高原に出かける場合には、ハンマーを取り、それを森の中へもっていき、森に損害のない程度に伐採できるかぎり、ハンマーを振り動かすべきである。しかし彼がそれ以上伐採するなら、定められている贖罪金を納める義務を負う。
 62. 道はミュールの垣根のそばを通り、シュタインガーデンの領主の広い農地を超えていくが、その農地が休閑しているときは、農道に柵を設けてはならない。その後種まきがなされたら、農道の両側に柵を設け、いかなる男女も袋をもって柵を越えられる良い踏み段をつくるべきである。荘官屋敷に住む者も、そこに耕地をもつ者も、それを妨げてはならない。
 63. ショーンガウの住民が馬などによる輸送をしなければならない場合、パイティングの住民はその義務を負わない。またパイティングの住民が馬などによる輸送のしなければならない場合には、ショーンガウの住民はその義務を負わない。
 64. ショーンガウの住民がパイテングの上級裁判管区に採草地をもつなら、牧草を取り去ることができるが、取り去ったものを家に持ち帰ってはならず、採草地で燃やすべきである。
 65. ライテンバッハ、シュタインガーデン、エタル、ヴェッセスブルネンあるいはショーンガウ、あるいは領邦の内外の住民がパイティングの上級裁判管区に屋敷をもつ場合、彼はパイティングの上級裁判管区に住む者と同じく、領主に賦役をおこなう義務を負う。
 66. 圃場をもち、それを垣根で囲おうとする者は、彼の牧草地を囲ってはならず、村落農地内に別の牧草地をつくるまでは、囲ってはならない。
 67. 圃場を耕作しようとする者は、冬より多くの家畜を夏にもってはならない。
 68. パイティングの小川に沿って家を建てようとする者は、パイティングの領主の慈悲と上級裁判所の意志によっておこなうことができる。


 10-11 モーゼン Mosen (15世紀)


(モーゼンは今日のランゲンモーゼンである)


 モーゼンの裁判管区はバイゲンラッヒェン、シュトッカハおよび赤い水たまりまで、ディエルスヘンの浅瀬まで、ズンの城塞まで、クルムバッハまで、ビュートリッヒスベルク、ザイエルスベルク、シュヴァーデリンまで、シュヴァーデリンからマンテルベルクとザンディチェルの浅瀬の傍の菩提樹まで及ぶ。
 他人を裁判集会に訴えたいとおもう者は、提訴のために日中に1マイルの道を進むべきであり、彼がそうしない場合は、彼はその裁判集会を次の裁判集会に、さらにシュローベンハウゼンの法廷に延期することができるとみなされる。その場合、いかなる者も他人を裁判集会に訴えてはならず、役人が教区民にその8日前に召集することが、古くからの慣習となっている。
 いかなる裁判官あるいは代官も、五月集会であれ、秋の集会であれ、聖燭祭であれ、裁判集会を開きたいとおもう場合は、信頼しうる領邦法典をもち宣誓義務を負う裁判所書記と、1人の下僕を伴うべきであり、それ以外は不要である。代官は五月集会には森林監視人の食事に60ペニッヒ、秋の集会には牧地番人に五月集会と同じ食費を支出すべきである。
 二つの裁判集会は順番におこなわれる。
 聖燭祭(2月2日)には第三回の裁判集会が開かれ、ある者が他者に応答しようとするなら、彼は裁判を次のシュローベンハウゼンの裁判に引き継ぐことができる。代官所の役人と村の四人衆も60ペニッヒを支出すべきである。裁判官または代官が裁判集会に出席しなければ、彼に対して何の責任も負わなくてよい。
 裁判官は村民たちの助言と意志にしたがって、領主と村民に役立つ廷吏を任命すべきであり、それゆえ廷吏はいくらかの耕地片をもち、村の四人衆は村落耕圃に土地をもつ。
 原告と被告双方が裁判管区に住んでいる場合は、彼らは相互に即時に裁判をおこなうべきだが、村内に家と農地をもっていなければ、その裁判を次のシュローベンハウゼンに延期することができる。
 他者が訴える問題を法廷で認めた者は、他者に対して正午に支払いをすべきである。しかし、ある者がシュローベンハウゼンの裁判管区に住む他者を訴え、この他者が裁判集会で彼の訴えを認めたら、次の木曜日に来て裁判所に支払いをすべきである。そうしない場合、彼は罰金を科される。それはノインブルクと他の外来者にも妥当する。
 すべての村民は代官により次のように告げられる。すなわち、村の四人衆はすべての裁判集会と会合に出席し、その他一般村民は秋の裁判集会と五月の裁判集会に出席する。
 廷吏は家と農地をもつ者を捕らえたら、法を遵守すべきであり、そのようにしない者は、72ペニッヒの罰金を裁判官に納める義務を負う。
 この記録は法と習慣であり、モーゼンの住民は常にこれまでのすべての領主、とくにわが領主ルードヴィッヒ公から慈悲をうけてきたし、今なおうけている。


 10-12 ヴェルデンフェルス Werdenfels (1431年)



(ヴェルデンフェルスは今日のバイエルン・アルプスのヴェルデンフェルザー・ラント地域に含まれる)

 すべての地方官、裁判官、廷吏および裁判集会に属するすべての者に次のように告げる。すなわち、わが慈悲深き領主フライジングにより授封される72人は、毎年ガルミッシュガウの法廷に出席すべきであり、まず聖ヴィトスの日(6月15日)に、次に聖マルティノの日(11月11日)の3日前に裁判集会を開き、貧しい者も富める者も、裁判に加わる者は誰もが裁判に協力すべきである。またわが裁判官殿とガルミッシュガウのわが村落のは、わが慈悲深き領主フライジングにより授封され、彼らはすべての上級裁判集会に代弁人をもつべきであり、上級裁判管区と領域の法と慣習を言葉で明らかにするか、法典を読んで、ヴェルデンフェルスに属するフライジングのわが聖母教会の村域の境界と所有を告げるように留意すべきである。したがって、彼らはいかなる上級裁判集会でも彼ら自身が裁かなければならない問題について処罰をうけることなく、それが古くからの法と習慣であるかを問う権利をもつ。四人衆は私に「裁判官殿」と呼びかけ、ヴェルデンフェルト上級裁判管区に属する村域の境界を、フライジングの土地台帳に記されているとおりに告げる。
 村域の境界はまず最初にエッシェンロッホの匂い川で始まり、エッシェンロッホ渓谷とヴァルヘン湖の中をとおり、イチイの若木へ、イチイの若木からシュランバッハへ、シュランバッハからズルフェンシュタインへ、ズルフェンシュタインからリュス・イン・アリダースへ、アリダースからヘルフライネへ、ヘルフライネからゲルヴェンデルス川へ、ゲルヴェンデルス川からツィルルバッハへ、ツィルルバッハからクリステンへ、クリステンからハーゲクへ、ハーゲクからゼーフェルト・アン・シュタインへ、ゼーフェルト・フォン・シュタインからロイタッシュ・アン・デア・プライクへ、プライクからエルプライネへ、エルプライネからランゲネクへ、ランゲネクからプレンゼザウへ、プレンゼザウからヴィントシュテュールへ、ヴィントシュテュールからメルツェンプルークへ、メルツェンプルークから再びエッシェンロッホの匂い川へ戻る。これらはフライジングのわが聖母教会の所有を含み、ヴェルデンフェルスの裁判管区に属する村域の境界であり、この圏内ではヴェルデンフェルスの地方官以外は誰も、獣、魚、狩猟、鷹狩に対する権利をもたず、護衛、代官所、裁判所および有害な者に対する禁令による保護を得る権利をもたない。そして裁判管区内に居住する住民は、「裁判官殿、私は正しく申しあげただろうか」と問う。
 旧伯領の上級裁判管区には古い法と慣習があり、そこには二つの山があり、一つはヴァンベルクといい、他はハウスベルクといい、ヴァンベルクはクランツバッハ川の上にそびえ、バルトナッハ川に向かい、ハウスベルクはバルトナッハの上にそびえ、開けた渓流に向かい、二つの山で開墾しようとする者を誰も妨げてはならず、彼が開墾したものは彼の正当な所有であり、彼は正当な十分の一税以外そこから何も与えてはならない。そこで、「私は正しく申しあげたか」と問う。
 クラマーという山があり、アッシュアッハ渓流の上にそびえ、コムナ渓流に接する。そこで、かもしか、うさぎ、にわとり、熊、豚、りすあるいはそこで見つけたものを捕獲しようとする者は、狩猟をしてもよいが、赤鹿と高級野鳥はわが領主の禁制狩猟権に属する。それを損なったことが明白に証明される者は、フライジングの御料地管理庁から奪った全額を弁償すべきである。とはいえ、上級裁判管区に自分の世帯をもつ住民は、誰も狩をしてはならず、あたかも神に供えるように、地方官に鳥獣の肉を贈るべきである。
 旧伯領ヴェルデンフェルスの上級裁判管区では、次の3つの事案についてはいかなる者も逮捕してはならないという古来の法と慣習がある。すなわち、自分の世帯をもつ住民が有害な者、殺人犯、泥棒、異端であるか、またはいかなる事案であれ身体を傷つけた場合、裁判官は彼をとり調べて、彼の犯罪に応じた法の定めのとおり彼を連行すべきである。裁判官は、上級裁判管区内に自分の世帯をもつ住民を贖罪金のゆえに捕らえてはならない。金額の多少にかかわらず、裁判官が贖罪金を得られるなら、彼から取るべきであり、得られないなら、彼が差し出すまで待つか、財布を彼の首にかけるべきであり、そこで2ペニッヒを得て、その一部で食事をし、3分の1を裁判官に与えるべきである。こうしたことを続け、彼が支払うまでそれを中断したり停止してはならない。
 裁判長殿、われわれはあなたに次のように告知する。すなわち、ヴェルデンフェルス上級裁判管区における古い法と慣習によれば、ある者が捕らえられ、投獄され、有害な人間であると宣告されたら、彼を逮捕するのに役立った者は、法にしたがいひそかに10ミュンヘン・フントを与えられるべきである。しかし彼がそうすることなく、法によって取り押さえることができない場合は、彼は領主の思し召しにより10ミュンヘン・フントの支払を科される。しかし彼が法によって取り押さえるなら、フライジングのわが慈悲深き領主の禁令と刑罰の権利をもつ地方裁判官に対して32ペニッヒ以上の仮払いの義務を負わない。またこれにかんして、地方官または地方財務官はわがフライジングの慈悲深き領主に勘定を提出して、管区内に所有地をもつ住民に対しては、上述のように取り押さえられた者が管区内の住民であれば、裁判所に身体と財産を没収される。ただし、相続財産と所有財産が債権者と相続人のものである場合は没収を免れる。
 法と慣習によれば、裁判官その他の役人が死亡したら、地方官または裁判官はわれわれの意志によらず上級裁判管区における役人を任命してはならない。われわれは自分たちで裁判官を選出して地方官の同意を得るべきである。つまり、われわれはわれわれ自身のなかで裁判官を互選し、地方官は1年間の任期を承認し、彼が領主とわれわれに任期の延長を認めれば、われわれは裁判官を長期間勤めさせ、この裁判官によってわれわれの農地の垣根、採草地その他の必要にかんする禁令を定めることができ、地方官はこれに異論をとなえたら、贖罪金を覚悟すべきである。
 土地を授けられている72名は、上述のように、毎年2回ガルミッシュガウの裁判集会に出席し、ミッテンヴァルト、ヴァルガウその他いたるところの家と農圃に対してガルミッシュガウの裁判所で14日前にそれが布告されるべきである。出席を怠った者は領主に72 ペニッヒを納めなければならない。ただしミッテンヴァルトの裁判官は、大きな支障がなければ、2人分を引き受ける権限をもち、廷吏は同じく1人分、ガルミッシュガウの裁判官も同人数分を引き受けることができるが、法的に必要であれば、いかなる者も欠席すれば上記の贖罪金を負う。この贖罪金のうち、12ペニッヒはガルミッシュガウの裁判官、60ペニッヒは地方官のものとなる。その場合、裁判集会で有害な者を裁き、地方官は裁判集会で、自分の世帯をウェルデンフェルス上級裁判管区内にもつ住民全員に対して、身体と財産を要求することができるが、居住していない者は、その要求が彼に損失をもたらさないように指示することができる。
 上級裁判管区内に住む者が2つ以上の授封地をもつなら、彼は地方官に返却すべきであり、1人で2つ以上の授封地を保持することはできない。彼が複数の授封地または農圃をもつなら、法と判決を理解し2つの授封地を弁護することができる正当な使者を立てるべきであり、そうしない場合は、地方官は彼から贖罪金を取ることができる。さらにヴェルデンフェルス上級裁判管区の法によれば、四つの森の外にいる者は、彼がその外にいるかぎり、生涯彼の相続分を手放さないように指示することができる。四つの森とは、第一にシャルニッツ、第二にベーメンの森、第三にシュヴァルツヴァルト、第四にチューリンゲンの森のことである。しかし四つの森のなかにいたことがある者は、10年と1日待つべきであり、この期間に彼が申請と要求をしなければ、その権利を手放すことができ、彼からこの相続分を保有し取得することが可能となる。わが領主はガルミッシュガウに狩猟農民をもち、狩猟農民はフライジングのわが領主から土地を授けられ、狩猟にかんする法的規制をうけている。すなわち、ヴェルデンフェルスの地方官またはフライジングのわが領主が狩猟をおこなおうとするとき、この狩猟農民は管区内で鳥獣を見つけるまで探し、鳥獣を探している間チーズとパンを背嚢に入れてもらうべきである。彼は腕による賦役を賦役税の形で納め、彼がテンの皮の権利をもつなら、躊躇することなくそれを領主に納めるべきである。彼がテンの皮の権利をもっているなら、その権利を彼にゆだねても問題はない。しかし自分の猟区外でその権利をもつ者が、無事にテンをつかまえたら、それを狩猟農民のところにもっていき、他人よりも3ペニッヒ安く提供すべきであり、狩猟農民がこれを買おうとしなければ、いかなる者にも勝手に売ってもよい。しかし、そうしないで、テンの皮を持参して売ろうとしないのであれば、テンは法による禁猟に抵触するので、地方官は彼を罰することができる。
 狩猟農民の法によれば、鷹を飼育すべきときが来れば、狩猟農民は14日間鷹を飼い、荘園は14日間十分なえさを支給し、飼育を14日間以上に延長する場合は、彼に飼育の報酬を与えるべきである。フライジングのわが領主から農地を授かるミッテンヴァルトの住民は、ガルミッシュガウの教会には属さず、彼らの農地の授受をおこなってはならず、彼らの農地が法的に世襲農地である場合、その法を司るのはヴェルデンフェルスの地方官である。ミッテンヴァルトの農民が死亡したら、相続人が有角家畜を彼の厩舎にもっている場合、そこから1頭を除いて相続税を納めるべきである。
 グルーナウの3人の畜産農家は裁判席を備えた裁判集会の設定をすべきであり、彼らは裁判集会に出席しなくても、贖罪金を免除される自由をもち、これら3人の畜産農家は、必要に応じて公けの渓流の向こう岸に橋を架けるべきである。ハインリッヒ・ヴェルフェルとリエンハルト・クリスタンス・ハンスがもつペレンリートの農場は必要に応じて裁判所に絞首台をつくるべきであり、これらの農場は必要に応じて開けた渓流の橋を架けるべきである。
 古い法と慣習により定められているとおり、刑罰は次のように定められる。第一に恐るべき殺人を犯す者は、身体と財産を裁判所によって処罰される。ただし、債権者と相続人に残されるべき相続財産、所有および不動産は除かれる。他人の考えを罵り、正しくうけいれない者がいれば、外来民であれ隷属民であれ、裁判官と参審員は彼を償いのために捕らえることができ、誰もが彼から安全となるまで、彼を留置し、傷つけることなく地方官に渡し、常に地方官の助言にしたがって問題を処理し、彼の処罰を放棄してはならない。
 鋭利な刃物、ナイフ、刀剣、斧、手斧、木、石、壺、燈火を投げる者、あるいは不当に怒ってそれらを投げる者は、65ミュンヘン・フントの多額の贖罪金を裁判所に納め、そのうち60フントは裁判官補佐のものとなる。
 不当に怒って夜または日中に武器を手にして襲撃する者は、65ミュンヘン・フントを裁判所に納め、60フントは裁判官補佐のものとなる。
 手足を骨折させるか麻痺させる者は、裁判所に65ミュンヘン・フントを納め、そのうち60フントは裁判官補佐のものとなり、被害者にその苦痛と損害を償うべきである。
 流血の負傷は10シリング、手斧による打撃も同額の贖罪金が科され、そのうち60ペニッヒは裁判官補佐のものとなり、1ミュンヘン・フントは地方官のものとなる。他人の首を打ったり、こぶしを握りしめて、彼を傷をおわせなかった場合は、12ペニッヒを失う。だが平手で打ち、負傷させた場合は、72ペニッヒを裁判所に納め、贖罪金は裁判官補佐のものとなり、地方官には割り当てられない。怒って不当にナイフを抜く者は、ナイフの長短にかかわらず、裁判官補佐に12ペニッヒを納め、12ペニッヒは彼のものとなる。
 慈悲深きわが領主ベルヒトルト・フォン・ヴェヒンゲン司教は愛と慈悲をわれわれに賜われ、上級裁判管区に住む者が何かを盗まれるか取られるなら、わが領主は裁判管区において地方官と裁判官に対してわれわれの訴えを無償でひきうけさせることができる。敬愛する裁判官殿、私はすべての法を告げ読み上げただろうか。


 10-13 マウケンとクレトハイム Mauken und Kletheim(15世紀)



(マウケンとクレトハイムは両村で一つの地区を形成する)


  最初に、二か村合同地区に属するすべてのわが農民は、官庁の定めにしたがって水曜日にマウケンに参集すべきであり、相続財産について請求したいことがある場合は、それを申請し、その水曜日から14日間を経て、全員がクレトハイムに定めどおり参集して、両村合同地区のすべての法が司教区参事会と合同地区との間で提示されれば、フライジングのわが領主の出納官が法を得ることになる。いかなる村民も定められたとおりマウケンまたはクレトハイムに参集しない場合、出納官に72ペニッヒの罰金を納める義務を負う。
 マウケンでその相続財産を請求するいかなる村民も、合同地区の法にあるとおり、クレトハイムでそれをなすべきである。
 法を求める者が1人ではなく、複数いる場合は、二人以上の荘園民がそれを認定して、彼らに対して財産にかんする判断をなすべきである。
 国内にいる相続人が、期限内に定められた場所で請求しない場合は、彼の次の親族が規定どおりの証明書をもっていれば、相続財産を請求することができる。
 しかし、国外のどこかに1年と1日移住している者は、今後何も請求できない。
 しかし、自分の相続地を貧困や負債のために売らなければならない者は、最寄りの親類に優先的に提供すべきである。彼らが買おうとしないか、買えないときは、荘園民に提供すべきである。しかし荘園民のなかにも買い手がいなければ、彼はフライジングの聖堂参事会に提供すべきであり、参事会も買おうとしなければ、聖堂参事会への代償なしに、一般庶民に売ることができる。
 貧困またはその他の問題や不足によりわが領主に通常の奉仕をなしえない農民は、3年間にかぎり彼の農圃の耕地と採草地を抵当とする権限をもち、その農圃の地代義務をはたすべきである。彼がそうしない場合は、地代が納められなくなり、相続地は3年後には聖堂参事会のものとなり、彼も彼の相続人も親族ももはやそこの権利をもてなくなる。
 自分の農圃から出ていく者は、奉仕の途中でも土地台帳の記述にしたがって農圃に属する種子を残すべきである。農圃を去った者が、3分の1を刈り取ることを望むなら、彼はその畑に杭の3分の1を突き刺すべきである。そうしない場合は、彼は3分の1を得られない。
 合同地区の住民が死んだら、彼の妻は寡婦でいるかぎり、すべての子どもと相続人の妨害や邪魔をうけることなく平穏にその農地を保有すべきである。しかし彼女が結婚すれば、その農地は他の近親相続人に保有され、妻はもはやそれを保有しなくなる。
 法によれば、悪天候その他の災害でエン麦を納められず、そのことをみずから宣誓によって認めた農民からは、エン麦のかわりにその2分の1の量のライ麦を徴収すべきである。
 法によれば、農民が賦役をおこない、わが領主の倉庫に行こうとして、馬車に荷物を積んだとき、火災や水害または盗難による不慮の災難が起きたら、農民は聖堂参事会に対する賦役義務を負わなくてもよい。しかし農民は、領主の倉庫に賦役の義務を負っていたことを示すべきである。
 荘園民と称される者および実際に荘園民である者は、いかなる者であれ、都市または市場町の聖堂首席司祭と参事会の承諾なしに彼の相続地から去る場合は、ただちに相続地を参事会に没収される。
 相続地によって暮らしているのに、聖堂参事会の要求を十分にはたさずに、相続地を保有する者は、聖堂参事会にすべての責任をはたす義務を負う。
 上記の条項を守らず、教会に責任をはたさない農民は、70ペニッヒの罰金を納める義務を負う。
 一つの相続地をめぐって、知られていなかった二つの権利が明るみに出されたら、わが領主であるフライジングの聖堂首席司祭に審判を仰ぐことができ、わが領主は荘園民の審議にしたがって裁判をおこなうべきであり、それ以上の裁判を続けてはならない。
 宣誓して次の問いに答えよ。マウケンとクレトハイムでわが領主の地代はいかにあるべきなのか。
 宣誓して次の問いに答えよ。いかなるときにわが領主に奉仕すべきなのか。
 宣誓して次の問いに答えよ。相続地が空いたとき、いかに自分の相続地とすることができるのか。
 宣誓して次の問いに答えよ。いかにすれば相続地を富裕または貧困のために売ることができるか。
 宣誓して次の問いに答えよ。いかにすればわが領主への奉仕のために相続地に抵当を設定することができるのか。
 宣誓して次の問いに答えよ。いかにすれば自分の相続地がわが領主の自由になることを保証できるのか。
 宣誓して次の問いに答えよ。農地を去らなければならない者は、その農地の債務をいかに処理すべきか。
 宣誓して次の問いに答えよ。寡婦はいかに経営すべきか。
 宣誓して次の問いに答えよ。領民の法はわが領主に対していかなるものか。
 

 10-14 フォークタロイト Vogteireut (1326年)



(フォークタロイトは今日のローゼンハイム市近郊の集落)


 1. 教会はフォークタロイトの領主裁判管区において古い法の裁判所をもち、この裁判所の法によれば、ザンクト・エメラム修道院長、聖堂首席司祭またはその役人以外いかなる者も、強姦、窃盗および殺人のすべての事犯についてその裁判集会で裁いてはならない。その裁判所の外では、教会に隷属する者あるいは裁判所に法を求める者は、ザンクト・エメラム修道院領の領主またはその地方官の許しを得なければ、いかなる場所でも裁判をおこなうことはできない。教会領の領主、彼の首席司祭または地方官が彼に裁判権を認めていないのに、そのようなことをすれば、彼が教会から得たものはすべて、完全に教会に戻される。
 2. これらの判決は首席司祭の押印によりレーゲンスブルクのサンクト・エメラム修道院に送られ、教会領の領主または彼の地方官の押印により14日以内に再度戻されるべきである。
 3. 教会領の領主はフォークタロイトの領主裁判管区の範囲内ではどこでも自由な狩猟権をもつ。
 4. 教会はブッフ湖とルン湖という自由湖をもち、そこでは代官、弁護士、裁判官または廷吏は大きな権利も小さな権利をもたず、何もしてはならない。それらの湖で領主の役人または漁師が誰かを捕らえても、教会領主または彼の役人以外誰も裁いてはならず、捕らえられた者は裁判官や廷吏に対して無罪とみなされ、それゆえ彼らは判決を下すことも、彼を取り調べることもできない。逮捕者の引き渡しで不正をおこなう者は、教会に65ミュンヘン・フントを納めなければならない。しかし湖で逮捕者を役人または漁師に暴力でひき渡す者がいれば、代官は教会領の領主、彼の首席司祭、役人の助言により彼に償いをすべきである。だからといって、彼は湖に権利または用益をもつべきではない。
 5. ラングハウゼンで教会が所有し、教会の所有権に属する湖は、リュッツェル湖という。
 6. 教会はブッフ湖のそばに2つの自由御料林をもち、それらはブッフ林およびズンダー林といい、そこには代官も弁護士も裁判官も廷吏も大小の権利をもたず、何もしてはならない。教会領主の御料林管理人または役人がそれらの御料林で誰かを逮捕した場合は、領主またはその役人以外は何者も裁判をおこなってはならず、逮捕された者は裁判官または廷吏に対して無罪とみなされ、それゆえ彼らは逮捕された者に判決をくだすことも、彼を取り調べることもできない。しかし、御料林で役人または御料林管理人に逮捕した者を力づくで引き渡す者がいれば、代官は領主、その首席司祭または役人の助言にしたがって彼に償いをすべきである。とはいえ、代官は御料林にいかなる権利をもたず、利用もしてはならない。捕らえた者を不当に引き渡す者は、教会に65ミュンヘン・フントの科料を納めなければならない。
 7. 首席司祭の告知が14日前に裁判集会を命じ、教会領の住民がそれに出席しなければ、60ミュンヘン・ペニッヒの罰金を納める義務を負い、相続および所有財産について他人を訴えたい者は、この裁判集会で訴えるべきである。そうしない場合、相続または所有財産をもつ者は、再び裁判集会が開かれるまで静かに待つべきである。
 8. 教会領の住民が相続財産または所有財産を領主裁判管区おいて請求する場合、彼に対して教会、首席司祭または彼の役人は、法をおろそかにすることなく、彼がその法について提訴すれば、この相続財産と彼がもつものは完全に教会のものとなる。
 9. ラウトの領主裁判管区内の人または財産について訴えようとする者は、ラウト以外の場所で訴えてはならない。
 10. 教会領の住民が他人の身体を麻痺させたり打ったりしたら、教会の思し召しにより償いをすべきであり、彼が不正をおこなおうとするなら、彼が教会から得たものは、教会に返される。
 11. ラウトの領主裁判管区の法と古い裁判集会により代官の権利として五月には15ミュンヘン・フント、秋には15ミュンヘン・フントと105頭の子羊と105 ツァルクのライ麦と62 ツァルクのエン麦、教会の穀物枡で62 ツァルクのエン麦が提供されるべきである。それより多くを授受することは神と法に反することなので、多すぎる分は教会から老ルードウィッヒ公に引き渡される。レーゲンスブルクの司教が代官の権利を増そうとした分は、彼から取り上げられる。公がそれを引き取り、教会のために他の代官が採用されるならば、それは教会にとって最良の利益となろう。
 12. 慣習によれば、代官は二つの裁判集会を開き、一つは放牧地の傍で、他は採草地の傍で開き、領主裁判管区の住民がすべての費用を負担し、穀物地代の枡で8 ツァルクのライ麦と4頭の子豚を提供すべきである。その場合、子豚1頭につき15ミュンヘン・ペニッヒの価値があり、それを超えてはならない。さらに50羽のがちょうを、3羽ごとに杭につないで提供すべきである。また24 ミュンヘン・ペニッヒの魚も提供する。荘官には木材を与え、 1フーダーの木材を御料林から与えるかわりに、荘官は1フーダーの麦わらを与え、それ以上は不要である。これらはすべて慣習のみにより、法によるものではない。
 

 10-15 トロストベルク Trostberg



(トロストベルクはキーム湖に近い集落で、地方行政区の区庁所在地)

  条文の朗読中に混乱がおこり、決まった形式の条文の中や後に要求を入れようとしたり、ときにはこっけいで危険な悪ふざけをすれば、裁判集会がまったく軽視され、まるで子どもの遊びのように受けとめられかねない。
 三種類の垣根がある。第一は村の垣根といい、これは次のようなときに管理されるべきである。すなわち、農民が耕作を始めるとき、3日目に出入口を設けなければならず、そこを通過するとき、四輪車の連結棒が揺れると、自然に閉まるようにすべきである。これが正しくおこなわれ、誰かがそれを開けようとして、穀物に損害が生じ、加害者を捕らえた場合は、彼に罰を科すことなく立ち去らせてはならない。第二は耕地垣根であり、村道や水車への道がない家々に用いられる。それは上述のとおりきちんと管理されるべきである。第三は耕地柵といわれ、耕地区分垣根または囲い込み耕地で用い、それを開けたら元どおり閉めることによって、開放の損害が生じないようにする自由をもつ。
 他人のものを差し押さえようとする場合、他人の土地を掘り起こし、草を刈り、切り取り、伐採し、3日と2晩の間差し押さえ物件を保管することができる。
 雄牛は3マイル圏内で放牧すべきであり、エン麦畑に損害を与えてはならない。またライ麦畑にも損害を与えてはならない。それ以外は必要に応じて、放牧すべきである。畑を通って雄牛を放牧する場合は、雄牛を連れ出した元の場所へ戻すべきである。


 10-16 ヴィルデンシェーナウ Wildenschönau (1440年)


(ヴィルデンシェーナウは今日の自治体ゼーオン=ゼーブルックに属する修道院領)

  ここでは、ヴィルデンシェーナウ、ラートフェルデンの納税集会で、またゼーオンのザンクト・ランプレヒト教会の酪農場で長年おこなわれており、毎年なすべき法の告知について述べる。
 まず最初に、ゼーオンのわが領主は全権をもつ財務官を任命すべきである。彼に支払いをする者は、正直に賭け事もせず支払いを済ませ、領主に対する債務を免れ、清算を終え、責任をはたすべきである。
 財務官は納税集会の14日前に、いかなる者も貢納を注意深くおこなうように命令し、その後、わが領主または彼の代理人が来るべき貢租納入の日をわが領主に知らせ、貢租と請求に注意すべきである。
 こうしてゼーオンのわが領主は財務官のところへ来て、宿営、飼料および干草を得て、ワインを馬の背に乗せて運ぶべきである。
 財務官は食事にワインを出すべきである。
 さらに財務官は計量樽と凝乳を管理すべきである。最初の日に地代納入に来る者から貢租を受け取り、二日目に来る者からも貢租が受け取られ、三日目に来る者からも、ゼーオンのわが領主またはその代理が馬で日帰りできるなら、貢租を受け取るべきである。
 貢租農民が貢租を納めなければ、栓を抜いてワインを売る飲食店主から、財務官はワインを取るべきであり、ゼーオンのわが領主にその貢租と地代が完全に納められるまで、彼はワインを差し押さえることができる。
 桶の分量をはかって大桶に注げば、貧しい領民は勤めをはたしたことになる。
 財務官は陸地ではワインを運ぶべきだが、河川に到達して水中に入ったら、ゼーオンのわが領主はその後みずからワインを運ぶべきである。
 財務官は、長い航行経験をもついかだ乗りと輸送船を雇い、ゼーオンのわが領主の役に立てるべきである。
 ワインとチーズを検査する2人のぶどう栽培農民と2人の酪農家を任命すべきである。役目をはたした者は勤続させるべきだが、役に立たなかった者はやめさせるべきである。
 ゼーオンのわが領主は地代徴集に彼の裁判官を連れて行き、訴えがある者について、裁判官は杖をもち全権をもって着席し、弁護を必要とする者がいれば、領主に苦労や損害を与えることのないよう裁くべきである。
 死亡税と新しい地代の義務を負う者は、領主から土地と慈悲を得られるように協定をすべきである。
 ゼーオンのわが慈悲深き領主または彼の財務官の承認なしに、いかなる者も土地を質入れし、売買し、交換し、区分または分割してはならない。
 ゼーオン修道院の農民または領民は教会の財産にいかなる権利ももたず、そのためには修道院長と修道院の書状と印章を要する。
 常に修道院のいかなる農民または領民も、土地の分割、質入れ、交換および売買をめぐり、毎年納税裁判集会において領主に対して親族による彼の権利の保証を、ゼーオン修道院の法と自由にしたがって提示すべきである。
 穀物畑が教会の保護下にあれば、三年目にはゼーオンのわが領主に対して彼の領民は教会の法の内容に応じた領主税の義務を負う。
 ヴィルデンシェーナウの納税集会で決着がつけられない問題は、ラートフェルデンへ委譲すべきである。
 ラートフェルデンで裁くことができない問題は、エッグへ委譲し、ゼーオンの領主の意向と教会の必要に応じて、エッグからハルフィングまたはオーベルンドルフへ、それらの納税集会からゼーオンへと委譲される。


 10-17 ロット Rot (15世紀)



(ロットは今日のロット・アム・イン Rott am Inn) 


 ロット修道院領の領主裁判管区の自由は、古くから法によって次のように伝えられている。
 第一に、修道院領のいかなる領主および修道院長も彼の裁判官、ワイン酒場、パン屋、風呂屋およびその他の手工業者をもつことができ、常に彼らを任免し、増減し、しばしばなくすこともできる。
 このロット領主裁判管区における修道院領の裁判官は、その管区内で、大きさと長さの計器の監視と検査をおこない、不正があれば罰する権限をもつ。
 修道院は領主裁判管区において次のような法をもつ。すなわち、その裁判官はここでおこなわれるいかなる不法行為も裁き、罰しなければならず、強盗、打撃、突き刺し、罵り、わいせつのいずれを問わず、不法行為の形態にしたがってすべてを罰することができる。人間の生命を奪うような三つの重罪を除いて、誰も彼に干渉してはならない。
 修道院領は次のような法をもつ。すなわち、有害な人間が領主裁判管区に来たら、女であれ男であれ、修道院領の裁判官は彼の身体と財産を取り押さえて拘留し、領邦の地方裁判官に知らせ、彼がどのようにしてそうした人間をとらえたかを報告し、地方裁判官が来れば、領主裁判菅区から修道院領の法と自由にしたがって引き渡すことを通告すべきである。そして3日後に彼は有害な人間を地方裁判所またはその廷吏に引き渡し、捕縛して、屋外の拷問台に絹糸または撚糸で縛り付け、彼がもってきた財産は領主裁判菅区の修道院領に留め置き、いかなる者もそれについて責任を負わなくてもよい。こうして、地方裁判官または彼の代理が来て、有害な人間を引き取ることになるが、誰も来なければ、修道院領の裁判官は彼を拷問台に留め、彼が修道院領、領邦および領民に害を及ぼさず、したがってまた誰にも敵対しないことを彼に誓わせるべきであり、また誓わせることができ、その後修道院領も裁判官もそれについて責任を問われることはない。領主裁判菅区に居住しているか仕える有害な人間は、このように取り扱うべきであり、また取り扱うことが可能であり、これは古くからの慣行である。
 外来者あるいは他所者が財産をもって領主裁判菅区に馬車や馬に乗り、あるいは歩いて来て、彼または彼の代理をつとめる者が、定住民に債務を負ったら、定住民は債務のかわりに外来者の財産を領主裁判菅区の廷吏によって保管することができ、外来者がそれを拒んでも、定住民の要求のとおりおこなわれる。しかし被告が原告に対して拒否の態度をとり、彼と争うなら、裁判官は両者の裁判をおこない、3日で裁判を終え、彼らの間で法による決着をつけるべきである。当地の市民が外来者に負債を負い、訴えられた場合も、同じように裁判がおこなわれるべきである。とはいえ、外来者は常に当地の領主裁判菅区における市民に対して法にしたがい担保による保証をおこなうべきである。すなわち担保が引き渡された場合、それが食糧担保であれば、3日と3夜の間領主裁判菅区内に保管されるが、動産担保であれば、14日と14夜の間保管されるべきである。その後担保と領主裁判菅区の法によって、担保を強制競売に付すべきである。
 前述のように、外来者は当地の領主裁判菅区の他の住民に対する金銭の負債のために、彼の財産を廷吏に差し出して保管しておくことができる。被告が原告に対して負債を否定しないのであれば、市民と外来者について定められているように、彼らの間で協議がおこなわれるべきである。しかし被告が負債を否定する場合は、裁判官は3日間両者相互に外来者法を適用すべきであり、それが彼らに適しており、彼らがそれを望むのであれば、彼らも法による裁きを必要としているのであり、彼らの間で法による決着がはかられるべきである。しかし彼ら両者が、あるいはどちらか一方が、法による裁きを必要としていないのであれば、裁判官は彼ら両者にかなり長期の裁判を領主裁判管区でおこなうことを認め、その裁判期間を指定し、確保すべきであり、両者から厚い信頼をうけて、当地の領主裁判管区で裁判をおこなうべきであり、彼らがそれに出席すれば、彼らの間で法による決着がはかられる。
 修道院は領主裁判区において、犂と大鎌が領主裁判菅区の土地に及ぶ範囲に限り、土地、相続財産と所有に属するもの、さらにはそれらの土地でおこなわれるすべての不法行為を、上述のような重罪を除き、裁かなければならない。
 教会が土地をもつすべての裁判管区と領地に住む領民の土地が相互に衝突しあう場合、教会領はこれを裁く法をもつ。土地をめぐって混乱や不和が起これば、あるいは一方が他方を無視すれば、耕作、囲い、刈り取り、家畜放牧であれ、木材伐採であれ、土地にかかわることなら例外なく、彼らは隣人の助言により平穏に和解することができる。相互に平穏な和解がおこなわれない場合は、土地をめぐる紛争を領主と修道院長、またはその裁判官に届け出るべきである。その場合、彼はそうした紛争がある土地へ来て、彼らの間の平穏な和解を試みるべきであるが、相互に平穏な和解をできなければ、教会領の裁判官はその後土地について判決をおこない、彼らの間にいかなる法を見いだし、裁判官にいかなる贖罪金を納めるべきか、裁くべきである。そしてこれにはいかなる者も介入や反対をしてはならず、それが古くからの慣わしである。
 上述の条項や法は古くからの慣わしであり、領邦の地方裁判官もいかなる者もこれに介入や反対をしてはならない。


 10-18 キームゼー Chiemsee  (1393, 1462年)



(キームゼーはバイエルン南部の湖)


 余とわが教会、そしてわが後継者全員はわが教会の荘園で、すべての問題を、生も死も、島から馬で行くことができる湖まで、裁かなければならない。だがわが島での盗みによって教会の裁判所に捕らえられた者は、法によって責任を問われるべきであり、わが教会の裁判官は法を有し、領邦君主から裁判権をあらかじめ取得しておくべきである。泥棒が法によって責任を問われ、取り押さえられたら、わが裁判官はこの発見され捕らえられた泥棒をクシュタットへ送り、トロスベルクのわが代官は彼を助けて暴力から保護すべきである。そこでクリングの裁判官は彼の廷吏とともに馬に乗って湖まで来て、泥棒を送り届けるべきである。しかし、彼または彼の廷吏が来なければ、わが裁判官は見つけた泥棒を無人の船に乗せ、すべての櫂を付けて流させるべきである。彼がそこから逃げても、余とわが教会は責任を負うべきではなく、さまざまな説得があってもうけつけることはない。殺人を犯した者も同様に扱うべきであり、彼が逮捕されたら、常に裁判所およびわが教会では法が守られるべきである。
 キリスト生誕後数えて1393年、残念なことに聖アウグスティヌスの日(8月28日)に聖マルティン教会祭で戦闘が起き、4人が命を失い、1人は現場に残され、他の者たちは後ほど死んだ。そのため余エルスペート・トーレリンは統治者として、大きな災いをこうむり、わが教会は裁判を求められ、そこで余はそのために裁判をおこない、できるだけ公正におこなうべきだと答えた。死亡者の親族がこれに満足しようとはせず、彼らは余に重大な犯罪と不法行為をおこなったので、余は翌日クリングの領邦地方官に使者を送った。現在の地方官および裁判官のハインリッヒ・リンクに使者を送ったのは、余はわが教会に起きた問題と重大な暴力について彼から助言を受けようとしたからにほかならない。彼は余のもとへ来て、裁判をしなければならないのは彼であり、余ではないと語った。余はそれを聞き、「余とわが教会を信頼しないのか!」と彼に答えた。議論に多くの時間がかかり、彼は余のかわりにものごとを進め、わが慈悲深きシュテファン公に、余がわが教会の報告書をもって出席すると伝えた。そこで余はわが慈悲深い君主の前に賢明で堅固な騎士エラーゼム・ライミンガー、ヴァルデッカー、ハンゼン・フライジンガーおよびその他の騎士と従者とともに出席し、余はわが島で自由な裁判所をもち、領邦裁判所ど同様に定められたとおりすべてを裁かなければならないことを、報告書によって示した。そして予はわが書記ヨハネス・テルトナーに記録するように求め、彼は記憶のためにそれを記した。これを咎めるのはとんでもないことであり、それだけ近頃起きたことについてよく調べたうえで答えるべきである。しかし余には罪も落ち度もなかったのに、フリーデル・プランクが森に来て、余と一同全員を敵視し、わが役人ヴァルトマニングからクシュタットのフーフェ保有農民に属するものを奪い、その後彼はわがお告げの聖母マリアの夜の頃14日間にわたりグシュタットの3軒の家に放火し、人々と財産を焼き、とくに1人の少年が火の中で死んだ。余が交わした文書が述べているように、余は暴力をふるいたくなかったので、結局余は彼を裁判にかけなければならなかった。これはキリスト生誕後数えて1394年に起きたことである。
 余とわが教会がゼーブルックの領主裁判管区にもつ法を銘記すべきである。すなわち、余とわが後継者の法によれば、三種類を除くすべての事犯を余が裁かなければならない。しかし、上述のゼーブルック裁判管区で窃盗犯が逮捕または控訴されたら、彼は上級地方裁判所に捕らえられ、わが教会の裁判官は彼を拘束して、ラーベン川を越えて同裁判所に引き渡すべきである。彼を訴えようとする者は、誰も彼に同行してはならない。しかし彼が下級地方裁判所で逮捕され控訴されたら、教会の裁判官は橋を越えて、または領主裁判管区から村落へ、境界がある丸太橋のそばまで、下級地方裁判所に彼を引き渡すべきである。しかし上述の領主裁判管区で殺人が起きたら、とんでもないことであり、上述のように死体を引き渡すべきである。それがいかなる地方裁判所で起きようとも、犯人が逮捕されようとなかろうと、裁判集会は常に上述の領主裁判管区と教会でおこなわれるべきである。しかし領主裁判管区に住む男女が彼を告訴すれば、いかなる裁判所であれ、上述のように地方裁判所の裁判官は教会の裁判官に彼を引き渡すよう要求すべきであり、もし地方裁判所の裁判官が領主裁判管区での逮捕に介入せず、領主裁判管区で裁判官または彼の廷吏によって裁判がおこなわれる場合は、法によって決着し正しく実行すべきである。それが法的に弁明しうるか否かにかかわらず、またいかなる結果、いかなる問題が生じようとも、領主裁判管区の法にしたがっておこなわれるべきである。
 これらは、余、キームゼーの女子修道院長エルスペート・トレーリンがわが教会においてゼーブルックのわが領主裁判管区の裁判集会と納税集会で定めた法令であり、荘園民であるウルリッヒ・ウージンガー、コンラート・ツォルナー、ハンス・シュヴェーベル、ハインリッヒ・ノイライヒの意志と助言によっておこなわれ、わが古き法にしたがって余がこれを遂行した。
 次のように定められる。すなわち、いかなる荘園民もとくに余とわが教会の領民でない者を、余の許可と承諾なく、その家に受け入れたり宿泊させてはならない。これに違反する者は、余とわが教会に65フントを納めなければならず、彼はわが教会と領主裁判管区の法に反して他人を受け入れたことについて、余と損害を被った荘園民に償うべきである。
 余またはわが後継者はゼーブルックの余の領主裁判管区において、余とわが教会の領民でない者には、屋敷、採草地、庭園であれ、いかなる土地も、授与してはならないことを銘記すべきである。余とわが教会は、命令、暴力、いかなるものによっても、これに反することをしないという文書をもっている。
 すべての余の領主裁判管区において余がもつのは、山岳のふもとの地域と山岳地域における余の教会の法と告示である。
 まず山岳のふもとの地域について、教会の書記は役人と長老に問いかける。すなわち、私はキームゼーのわが女領主とその教会のために、役人に次のように問う。今日こそ、役人または使者によって領民たちに告げられた地代徴集をわが女領主がなしうる日なのか、と。
 そこで、わが女領主とその教会の法が次のように告げられる。すなわち、わが女領主がその役人またはその使者を通じて納税日を通知された者が今日来なければ、自由民の場合は罰金を、土地保有農民の場合もその農地に罰金を科される。その際、彼が代弁者をもち、この代弁者が女領主に協力するなら、彼女は代弁者と話し合わねばならない。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、わが女領主は任意土地保有制をもち、農地が大きいため、農民が地代を納められないのであれば、もっと小さな農地なら地代を徴収できる。あるいは小さな農地をもつ者には、もっと大きな農地がふさわしい。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、貢納を今日まで不当にも十分にはたさず、なしえなかった者は、その農地に罰金を科され、少しは貢納したものの不十分である場合は、わが女領主が納得するように、彼は集会において確証すべきである。
 さらに汝ら領民に次のように告げる。すなわち、ある者が保有する農地の譲渡を要求されてしたがわない場合、彼は罰金を科され、わが女領主の不興を招く。
 汝らに次のように告げる。すなわち、わが女領主から授かった保有地から彼女の承諾、意志および約束なく不当に去る者は、農地のすべての恩恵を失い、罰金を科される。
 さらに汝ら領民に次のように告げる。すなわち、わが女領主または彼女の役人の意志、承諾および約束なしに領邦の地方裁判所に他人を訴えた者は、彼の農地からわが女領主のすべての恩恵を失い、罰金を科される。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、息子であれ娘であれ、子どもをもつ者が、子どもの保証をひきうけるなら、領主を満足させるが、子どもが弱すぎて、子どもの後見をひきうけられないなら、わが女領主の承諾なく結婚しないことを子どもに保証させるべきである。これに違反する者は、息子についてはわが女領主と教会に15フントの罰金を納めた後に、その慈悲を乞わねばならない。また娘については、彼が娘に与えた婚資と同額の罰金を納めた後に慈悲を乞わねばならない。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、わが女領主がここからミュンヘンの市壁まで自由に騎乗をおこない、わが女領主の犬と領地の犬がえさをめぐって相互に険悪な関係になったら、女領主の犬がえさを食べるまで、領地の犬を抑え、領地の犬には後から食べさせるべきである。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、いかなる納屋や小屋であれ、教会領の樹木で建築する者が、そこから去る場合、直接彼の後に来る者はその支払いをしなくてもよい。しかし彼が他所の木で建築する場合は、彼の後に来る者はその支払いをすませるべきである。ただし領主の承諾を得れば、彼はどこでも好きなところへ行ってもよい。
 さらに汝ら領民に次のように告げる。すなわち、教会が何か特別な労働をしなければならないとき、教会領のすべての領民は、食費を除いて報酬なしに約8日間まじめに働くべきである。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、わが女領主と彼女から権限を付与された教会領の裁判官は、殺人、窃盗および強姦の3つの犯罪を除き、今日教会領のすべての事犯を裁くことができる。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、領民が死んだら、わが女領主には死亡税が帰属し、その死亡の際の相続税はわが女領主のものとなるか、さもなくば農地の財力に応じてわが女領主と協定すべきであり、その年度のいかなるときであれ、女領主と寡婦は耕作を休止して地代を納め、その年度が終わったら、妻または彼女の子どもたちは耕作を再開すべきであり、そうすれば十分かつ強力に農地の耕作を継続できる。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、わが女領主とその教会は、母親が女領主とその教会の農奴であれば、その子も農奴であるので、そうした農奴をいかなる者と も分かち合うことはない。汝らはこれを銘記すべきである。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、わが女領主は教会の法に反してその農民たちに耕作させることが困難である場合にも、礼拝堂の農地を保有させて地代を徴収することができる。それゆえ礼拝堂の農地が荒廃して耕作できなくなっても、礼拝堂は次のような権利をもつ。すなわち。われわれはわが教会領の農地から農民を連れてきて、礼拝堂の農地が中断なく耕作できるように彼らに強制すべきである。
 それはヴェルトの納税集会、ゼーブルック、リムジング、グラッサウおよびブルクの納税集会における法の告示である。
 ロイヒェンタールにおける法の告示および教会領が納税集会で有する法、等
 まず、キームゼーのわが女領主にかわり、またその教会のために、汝ら領民に次のように告げる。すなわち、納税集会を知らされた農民、または本日納税集会に来るように命令され、家からやって来た者は、教会にその地代を徴収され、その納入額がわが女領主の要求に満たない場合は罰せられるべきである。
 家にとどまって、納税集会に来ないで、裁判集会への出席を怠るなら、裁判集会欠席の理由を説明できる代弁人を送るべきである。そうしない場合は、彼はキームゼーの領主庁の不興をこうむり、上述のように罰金を徴収される。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、キームゼーのわが女領主とその教会はすべての農地に任意保有地制をもつ。つまり、彼女は小さな保有地に住む良い有益な農民にはもっと大きな保有地をすすめなければならず、広い農地に住む病気の農民にはもっと小さな保有地をもたせなければならない。これら二人の農民が保有地に属さない他所の森林の木で建物を建てたら、それは彼らのものとなる。しかし彼らが保有地に属する森林の木で建物を建てたら、彼らは当然ながら建物を保有地に残すべきである。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、わが女領主とその教会、または彼女の代理を勤める役人は、3種類の事犯を除いて、判決しうるあらゆる問題を裁かなければならない。また彼はとくに納税集会、後期納税集会、麻税の徴収、羊税の徴収においてそれを実行すべきである。それらにかんして地方裁判官にそむいて他人に損害をもたらす者は、上述のように、女領主とその教会に地代と罰金を徴収される。
 汝ら領民に次のように告げる。わが女領主とその教会に貢納をせず、今日そのことを細大もらさず報告しない者は、たとえその地代を支払っていても、すでに告げたように、今年度のあるいは多年にわたる金銭、チーズ、麻あるいは羊の貢納のいずれの滞納であれ、罰金を納めるべきである。
汝ら領民に次のように告げる。すなわち、自分の息子または娘を他の領地で結婚させる者は、領邦君主に対して、娘または息子に婚資として与えるだけのものを罰金として納めるべきであり、さらにわが女領主が地代と保有地に対して慈悲をたまわるなら、その償いを彼女にすべきである。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、神が教会の領民にもはや生きてはならないと命じられたら、わが女領主と教会はすべての家畜のなかから最良の1頭を取得する権利をもち、そうすれば寡婦は次の土地保有権の更新までその保有地にとどまることができる。そこで保有地と用益がキームゼーの農地と女領主に帰すならば、彼女はその農地をわが女領主のから土地を得る他人に譲渡すべきである。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、わが女領主とその教会は上級および下級地方管区に51シュテュックの麻をもっており、彼女と教会は、領民がそれをいかに、いつまでに貢納すべきか、特別に重視する。わが女領主は汝ら領民に次のように真剣に勧告する。すなわち、汝ら領民が来たら、役人がその領民を記帳し、いかなる者もその麻を持参し、その代金を納めるのではなく、麻を正しく奉納すべきである。そうしない場合は、役人は家屋敷まで行って、3倍の麻を差し押さえるべきである。同様に彼は羊税も納めるべきであり、領民が来たら、役人は羊の代金を受け取ってはならない。羊を納めない場合は、役人は麻と同様に羊を差し押さえるべきである。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、わが女領主とその教会は上級および下級地方管区でかつてそれぞれの領民から租税を徴収し、それによって教会の油を注文したが、領民は20年以上もその祖税を納めておらず、いつか領主のために租税を納めれば、女領主は満足するだろう。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、ある者が水害のため土地を失ったにもかかわらず、わが女領主の帳簿がそれと異なったことを記載しているので、そのかわりの保有地を得たいとおもうなら、その損失を届けなければならない。そうしなければ、彼は土地台帳の保有地を放棄することになる。
 わが女領主とその教会はエルフェンドルフに箱舟をもち、それで一年中漁をすべきであり、とくに女領主またはその役人が現在の納税日および後期地納税日、羊税と麻税の徴集日に来れば、できるだけ漁によって彼らに奉仕し、さらにキームゼーの彼らの教会への忠誠として箱舟から2尾の鮭と魚を貢納すべきである。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、わが女領主とその教会はそのすべての荘園境界内でうさぎときつねの狩猟権、鹿以外の獣の狩猟権をもつ。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、わが女領主とその教会は邦内に3人の伝令をもち、彼らはその保有農地から女領主や代官に貢納をおこなうのではなく、上述のように担保と金銭など領民に対してなされたすべての命令を首席司祭に伝達する助けをするためにのみ働き、すべての知らせの受け渡しをおこなうべきである。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、わが女領主とその教会は、保有農地に縛られ、拘束されている隷属民を必要とする場合には、代官はそれを助けるべきである。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、キームゼーのわが女領主とその教会は、邦内に二つの飲食店をもち、その一つはエルフェンドルフに、他はケッセンにあり、女領主とその教会は両飲食店で次のような法をもつ。すなわち、彼女とその役人は現今の納税日、後期納税日および麻税徴集日にそれぞれ2回の食事と干草の接待をうけるべきであり、また伝令は、古くからの慣わしどおり、飼料を集める。とくに現今の最初の納税日に7つの料理皿を出して、食卓の一つの皿ごとに3人が座り、飲食店の亭主は台所から肉やパン、耕地からとれる食糧品、家畜簿から得られるものを彼らに提供すべきである。しかし納税日が四旬節にあたる場合は、亭主は油、四旬節に適する他の耕地作物、池あるいはどこか他の場所で得られる魚を、キームゼーの統治者の名誉と必要に応じて提供すべきである。前述のいずれかの飲食店が、一年中店内でワイン、パンその他の飲食物を出し、馬であれ徒歩であれ、邦を通行する者がワイン、パンその他の飲食物、さらに干草と飼料を望めば、彼は有料で提供すべきである。たまたま、国の裁判所に反する行為をした逃亡者が前述のいずれかの飲食店に来たら、亭主は裁判所に言われなくても彼を自費で3日間留め置き、彼を赦免してもよいか、彼に裁判をうけさせるべきである。その間、彼は飲食店では自由である。しかし店主が彼を領邦裁判所によって裁きも赦免もできなければ、キームゼーのわが女領主、その教会および飲食店の亭主は、古来の法により、間違いなく飲食店から3マイル彼を連行し、それが彼に困難であれば、代官が援助すべきである。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、わが女領主とその役人が納税日に馬で来るなら、ロイヒテンタールの役人は年に一度最初の夜営には干草と飼料、賄いを提供すべきである。彼は翌朝にも彼女とその役人に食事を提供すべきだが、そこに住んでいると称する者以外には提供すべきではない。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、すべてのいわゆる土地保有権は、大小を問わず、死亡その他によってわが女領主とその教会のものとなる場合には、わが女領主にそれを返し、手から手へその授受をおこなうべきである。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、キームゼーのわが女領主とその教会から高原放牧地またはその他のいわゆる申請地を得た者は、それを自分自身では必要としなくなり、自分の家畜をあまり多くもっていないため、高原放牧地と申請地で飼う家畜が少なすぎる場合には、わが女領主とその教会の領民の家畜をその高原放牧地で地代とひきかえに放牧させるべきであり、古くからの慣わしのとおり、よそ者が彼に与えると知らされた地代に満足すべきである。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、酪農家はザンクト・ガレンの日(10月16日)にそのチーズを納めるべきであり、首席司祭はそれを監察し、監察とひきかえにチーズを得る。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、汝ら領民は統治官庁と代官に貢納しているように、わが女領主に貨幣地代を貢納すべきである。古くからの慣習として伝わるように、貢納は現今の納税集会においてすべてわが女領主に納められる。しかし、フンツベルク、スヴェルタウ、キルヒドルフ、シュトッシャウ、ムールロイト、フンツビュッヘルの農民はその貢納を本日用意して、わが女領主またはその権力に対して卓上に差し出すべきである。他の農地に課せられた貢納の要求については、首席司祭がわが女領主に支払う用意をして、今日にも馬で行くべきである。またフンツビュッヘルに農民は1ヴェローナ・フントの価値の貢租をさしだすべきである。スヴェルタウの農民は、とくに古くからの慣わしのように、良い10のチーズをさしだすべきである。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、領邦上級裁判管区と同様に、キームゼーのわが女領主とその教会の領主裁判管区は、石や水の流れのように、アイテンロッホからヨッホベルクまで、そこでサルツブルクの裁判管区の方面へ、ペネックからホーレンシュタインへ、ホーレンシュタインからローテンヴァントへ、ザンクト・マルティンスビュッヘルへ、ザンクト・マルティンスビュッヘルから境界へ、境界からシェーネンボイントへ、そこからシュトライエン方面のグラッサータールへ、ティングシュタットからラウエン・エーデルへ、ラウエン・エーデルからエーデン・グラーベンへ、エーデン・グラーベンからパルマスネントへ、オアルマスネントからシャイバースタールへ、シャイバースタールからオルンガルツリーゼンへ、オルンガルツリーゼンからエッケルン・アルベンへ、エッケルン・アルベンからマルンシュタインにいたる。汝ら領民に裁判集会で次のように告げられる。すなわち、わが女領主は古くからの慣習により、代官が統治する彼女の土地で、鹿を除いて狩猟とそれを許す証書をもつ。
 汝ら領民に次のように告げる。すなわち、上述のすべての事項について代官はわが女領主とその教会に対して協力者および後援者たるべきであり、彼が女領主の農地から2倍の穀物地代を取得し、さらに彼女自身が得られるものより多くを取得しても、彼の行為は適切である。
 報告に何か忘れられていることがあっても、それはわが女領主とその教会および領民にとって無害とすべきである。



11. オーストリア

 11-1. オーストリア Österreich


 11-1-1 ラクセンドルフ Rachsendorf 


 (ラクセンドルフはニーダーオーストリア州のドナウ川左岸の集落)

最初にわれわれ名誉ある者たちは主の公現の日(1月6日)の後の月曜日にロイツェンドルフでラクセンブルクの自由裁判所において裁判集会をもち、その日にエン麦パンを納めるか、あるいはそのかわりに代官の犬の皮ひもを納め、自由裁判所の代表はさらに謝肉祭の鶏または4ペニッヒを納める。そうすれば聖ゲオルギオスの日(4月23日)の後の月曜日彼らはシュタインの荘園の名誉ある裁判集会を訪れ、その日にエン麦のパンまたは代官の犬の皮ひもを納め、自由裁判所の代表およびいかなる農奴もその日1ウィーン・ペニッヒの価値のチーズを納め、14日後にいかなる者も羊の焼肉の代金として3ペニッヒを納める義務を負い、さらに聖ミカエルの日(9月29日)の後の月曜日に裁判集会が開かれ、そこでわれわれはエン麦のパンと代官の犬の皮ひもを納め、その14日後にいかなる農奴も代官に豚の焼肉の代金として3ペニッヒを納め、さらにいかなる農奴も常に5メッツェンのエン麦、それに加えて1羽当たり2ウィーン・ペニッヒの価値のある2羽の秋の鶏を納め、さらにいかなる農奴も自由裁判官に1ペニッヒを納めれば、彼はその年彼の名誉ある代官裁判を裁く。
 われわれは次のような法をもつ。すなわち、いかなる自由民も3回の裁判集会に出席すべきであり、しかるべき必要もないのに欠席する者は60ペニッヒの罰金を裁判官に納める義務を負う。
 ここで尊敬すべきオーストリアの君主の慈悲によって与えられ、神の恩寵を賜った、尊敬すべき法が述べられる。
 まず最初に、われわれはオーストリア邦内で水上と陸上で通行税を払えば自由であり、その農地があるか、届く範囲内に限り、君主によって定められた完全な自由領域をもつ。そしてそこに自由領域を求めて来た者は、自由領域を享受すべきである。しかしその跡を追って、自由領域を破侵害する者は、オーストリアの君主に首を差し出す義務を負い、首を差し出したくなければ、地上に盾を置き、それを鋳造金貨で満たせば、君主から釈放される。難を逃れて尊い自由領域に来る者は、自由民の所へ来れば、自由民は3日目まで彼を安全にかくまうことができるが、3日目には自由裁判官に彼を送り、裁判官は12ペニッヒで1年と1日彼に自由を与え、彼が自由裁判官の所へ到達することができなければ、彼は自由領域から3歩出て、再度戻れば、自由民は彼に3日目まで自由を与えることができ、そうすれば彼は自由裁判官の所に到達する。そして彼は自由領域において害のないようにナイフや剣をもたず、鞘に入ったナイフを携帯し、それはパンを切るためにのみ用いられるべきである。そうしない場合は、自由領域で不法行為をはたらけば、自由民たちは裁判官に連行し、裁判官は自由領域からの彼の追放の許可を与えることができる。
 われわれは次のような法をもつ。すなわち、有害な者が裁判管区内に来たら、彼が浮浪者でなければ、自由民たちは彼を害のないように裁判官に知らせ、裁判官に知らせられない場合は、次のような法をもつ。すなわち、3人が同席していれば、そのうち1人を裁判所の裁判官に任命して、2人は彼を裁くことができ、60人の自由民は流血裁判をおこなう罰令権をもち、最寄りの木から9シューの境界内にそれを設け、財産を盗られた者はそれを取り返してもさしつかえない。
 われわれは流血裁判権をもつように、われわれの土地が及ぶかぎり、水上でも陸上でも狩猟区をもつのは60の農地であり、12は代官の保護下にある農地であり、それらの農地は60人の自由民がもつすべて権利をもつが、そのうち3つの権利は制限されており、まず第一に彼らは流血裁判権をもたず、第2に狩猟区をもたず、。第3に裁判所の役員に任命されない。
 われわれは次のような法をもつ。すなわち、裁判官が彼らの気に入らなければ、毎週土曜日の夜に彼をやめさせ、代官は彼らに同意すべきであり、60人のなかから彼の気にいる者を選ぶことができる。代官はそのことについて常に彼らにしたがうべきである。代官はわれわれの裁判集会に馬で来るか、あるいはわれわれの土地に馬で来るなら、彼は馬を枯れ木の垣根につなぐべきであり、そうすれば自由民は困らないですむ。
 彼らは次のような法をもつ。すなわち、村民が他人を殺したら、彼は代官に60ペニッヒを納める義務を負い、彼は扉を閉じて、60ペニッヒをまとめて半開きの扉越しに罰金として差し出すべきである。
 敵が村の近くに迫って来たら、裁判官は自由裁判管区の隣村に護衛を送らなければならない。自由民が裁判管区で襲われたら、彼らは出動して、彼に被害のないように自由裁判管区に連れてきてもよいという法をもつ。
 われわれすべての自由民は、間違いなくわれわれに最も気にいるように、農地を売却し譲渡することができるという権利をもつ。
 われわれ名誉ある自由民は次のような法をもつ。すなわち、彼らのうちの誰かが不祥事や殺人を犯しても、彼らに捕らわれることなく帰って来れば、60ペニッヒ以上を納める義務はない。彼が60ペニッヒを得られる権利をもつべき場合は、残りの金額を代官が得られることを、村民は誠実に認めてもよい。
 われわれは村民の意志によって農地を耕し維持し、われわれの手でみずから貸与する権利をもつ。
 われわれは次のような法をもつ。すなわち、われわれは親密な関係を深めることは名誉あることと言うべきであり、農地を村民に支障なく提供したら、彼が邦内にいようと邦外にいようと、代官の保護を与える間は、耕作に努めるべきである。
 われわれは次のような法をもつ。すなわち、すべての法は自由裁判官の前で見いだされ、裁判席は自由民によって占められるべきであり、これはラクセンドルフでおこなわれるべきである。
 われわれは次のような法をもつ。すなわち、代官は法によって彼に徴収されるべきもの以外は何もわれわれのものに手を出してはならない。
 われわれは次のような法をもつ。すなわち、窃盗あるいは名誉あることとはいえない事犯をなした者には、彼の頭で償わせるべきである。妻子がその農地を処分されることはない。
 われわれは次のような法をもつ。すなわち、住民であれ外来民であれ、農地を売買しようとする自由民は、自由農地以外の農地を売買すべきである。これに違反すれば、彼が住民であれば、60ペニッヒを罰金として科せられ、彼が外来民であれば、、実際に売買しない場合以外は60フントの罰金を科せられる。
 代官支配権を守らない者は、大小にかかわたず、自由裁判官に60ペニッヒを徴収される。
われわれはオーストリアの君主によって制定された自由領域の法をもち、そこで不法行為ををなす者は罰金を科せられる。彼が農民であれば5フントの罰金、堅実なな下僕であれば10フント、騎士であれば15フント、領主であれば32フントの罰金をオーストリアの君主に科せられる。
 自由民は次のような法をもつ。すなわち、彼らが領邦君主に荘園来訪を求めたら、彼は雌馬に乗って、広いあぶみと最良のあぶみ革および馬具を装備すべきである。
 われわれは次のような法をもつ。すなわち、われわれが荘園に来るときは、公爵は彼の厩舎から馬をひき出し、われわれの馬をひき入れ、われわれに干草と飼料を支障なく十分に支給すべきである。
 われわれは次のような法をもつ。すなわち、伯領(ヴァイテンネック)が譲渡されたり売られたり失われたりするような非常事態がわれわれに起き、それによって代官が困難にあったら、われわれは保護をうけて、慈悲深き領邦君主の承諾によってオーストリア邦内のどこでも好きな所へ行く権利をもつ。
 彼らは次のような法をもつ。すなわち、非常事態が起きたら、外来者の避難を許可することができ、裁判官が来るまで、彼を滞在させるか、あるいは拒否することができる。

 11-1-2 イスパー Isper (1493年)


  (イスパーはニーダーオーストリア州のドナウ川左岸の集落)

 イスパーの土地台帳に曰く、これは領民がイスパーの市場村落と裁判管区にもっている法であり、それはヴァイテンネック伯領に属し、年3回の裁判集会が聖ゲオルギオスの日(4月23日)の次の月曜日、聖ミカエルの日(9月29日)の次の月曜日および聖燭祭(2月2日)の次の月曜日に開かれ、3回の裁判集会はパンタイディングと称され、毎年イスパーの正式な会議場で開催される。イスパーの市場村落における貧しい者であれ富める者であれ、この市場村落に属する者すべては、その財産をもって転出したいと思うなら、それを妨げてはならない。ただし、彼らが長期の借金を負っている場合は、裁判官は借金を取り立てるべきである。それを拒否した場合は、裁判官は彼について裁判をおこない、それ以外は彼を行かせるべきであり、君主の定めた市場村落において彼が止めようとしても、領民はそこから去って行ける。
 われわれは次のような法をもつ。すなわち、火災が起きれば、とんでもないことだが、貧しい者も富める者も、ただちに大変だ大変だ大変だ、火事だ!と叫ぶべきであり、そこにいながらこれに違反する者は、身体と財産を失う。。しかし叫ばない者は裁判にかけられるべきである。
 われわれは次のような法をもつ。すなわち、われわれは君主によって定められた自由領域ををもち、名誉のために逃亡する者が来れば、彼は裁判官に声をかけて、裁判官は彼に自由領域を認め、案内人を同伴させるべきであり、その誠実な者はパンを切ることができるナイフを携帯すべきである。これに違反すれば、彼は裁判官に12ペニッヒを納めるべきである。裁判官が彼に自由領域を認めたら、彼は1年をとおして自由領域にとどまり、いかなる者もそれを侵害しようとしてはならない。それに違反したら、自由領域から出て行くべきである。その年度が終ったら、彼は3歩域外へ踏み出して、再度裁判官に呼びかけ、12ペニッヒを納めるべきであり、裁判官は再び1年と1日自由領域を認めるべきである。
 われわれは次のような法をもつ。すなわち、裁判官がわれわれに適当な働きをするのが困難になり、防衛と法に支障をきたしたら、領主は彼を罷免して、領民の助言にしたがって、領地内に住む他の者を任命し、刑吏も任命すべきである。
 われわれは次のような法をもつ。すなわち、われわれの代官管区はヘルミュルという水車に向かって長い路地を登って行き、われわれの家畜はその路地を通って森の中へ入って行き、森から粘土採取場に入り、粘土採取場からギュッテンバッハ川に入り、ギュッテンバッハ川からイスパー川に入る。裁判管区に住み、領主に奉仕する者はすべて、いかなる奉仕であれ、われわれ全員で納税し賦役をおこない、すべての要求は領主に属する。
 わが領主は、代官管区が及ぶ限りの囲内に狩猟区をもち、またギュッテンバッハ川に漁場ももつ。
農民は古くからの法をもち、彼らは精霊降臨祭にチーズを奉仕する義務を負い、そのチーズの価値は1ペニッヒより高くてはならない。
 市民はイスパー市場で漁場にかんする法をもち、彼らは聖霊降臨祭の午後または金曜日の午前食用魚を釣ることができる。われわれはイプス、メルクでの売買に関税を納めなくてもよいという法をもつ。

 11-1-3 パッツマンスドルフ Patzmannsdorf (1460年)


  (パッツマンスドルフはニーダーオーストリアにあるチェコとの国境付近の集落)

 書きとめられたパッツマンスドルフ市場村落の法

 裁判官殿。あなたは高貴で堅実な領主ガーマレット・フランナウの市場村落パッツマンスドルフの法を訊こうとされるのか?
 1. パッツマンスドルフの尊敬すべき参審員たちは、高貴で堅実な領主ガーマレット・フランナウに罪を償うべき個々の罰令区と裁判管区を高貴で堅実な領主ガーマレット・フランナウに告げた。
裁判官は、それは皆さんの助言であり、わが領主の法であるかと問うた。
 2. 彼らは毎年3回の裁判集会を開き、どの裁判集会も追加の臨時裁判集会をもつことをつげる。
 3. いかなる裁判集会も14日前に招集して、いかなる者もわが領主の法から離反することなく従うことができるように待機すべきである。
 4. 3回の裁判集会が開かれ、最初は聖ゲオルギオスの日(4月23日)、第2回は聖ミカエルの日(9月29日)に開かれる。
 5. 第3回は 聖燭祭(2月2日)に開かれる。2回の裁判集会にはわが領主の肉とパンが出されるが、第3回の集会には村落民は彼に食事の12分の1を納めるか、または現金1フントを納めるか、どちらかを選択する。
 6. 裁判官殿、あなたは食事の費用を誰から得るのか、訊くべきである。貧しい者からも富める者からも得るべきであり、裁判官殿がそれを誰に渡すかは、あなたの考えしだいである。
裁判官殿、あなたは、野外また村内のいずれの事犯であれ、いかなる事犯の罰金が高貴で堅実な領主ガーマレット・フランナウによって徴収されるか、訊こうとされるのか?
 7. 裁判集会にある人士が来て脅かしたら、わが領主に32フントお罰金を科せられると告げられた。
 8. それが騎士であれば、わが領主に32フントの罰金を科せられる。
 9. それが騎士風の者であれな、10フントの罰金を科せられる。
 10. それが使者であれば、5フントの罰金を科せられる。
 11. 農民が畑地に入って6シリング2ペニッヒの罰金を科せられたら、そこから出るときも再び同額の罰金を科せられる。
12. 彼らは次のように告げる。市場村落の周辺で火災が起きたら、いかなる者も駆けつけて生命と財産を救助すべきであると告げられた。しかし、ねたみのゆえに駆けつけない者がいれば、あたかも彼が火をつけたのと同じ有害な者として糾弾すべきである。
 13. しかし二人が互いに敵対していても、火災のときは仲良く救助に駆けつけるべきであり、彼らの家でのけんかの最中に損害が生じた際も、彼らが何もせず、敵対ゆえに途中で放置したら、有害な者として糾弾すべきである。
 ここで、次のような問いかけがなされる。
裁判官殿、あなたはすべての家の平和におけるわが領主の法を訊ねようとおもわれるか?
 14. 彼らは次のように告げる。ある人の家に入って来て誠実さについて中傷する者がいれば、わが領主に32ペニッヒの罰金を科せられる。
 15. しかし彼が生命を奪えば、裁判所は彼を捕えて、わが領主のの思し召しにゆだねるべきである。
 16. 彼らは次のように告げる。すべての飲食店、すべての浴場、すべての仕立て屋、すべての靴屋、すべての鍛冶屋、すべての織物屋、すべての公けの家で、人が集まり、遊興であれ、処罰に値することであれ、そうしたことがおこなわれるなら、すべて高貴で堅実な領主ガーマレット・フォン・フランナウによって罰せられる。
 裁判官殿、あなたは上記の家々でいかなる罰金が科せられるか、訊こうとおもわれるか?
 17. 剣を抜く者は72ペニッヒの罰金を科せられる。
 18. 長いナイフを抜く者は6シリング、いしゆみをひく者は6シリング2ペニッヒ、槍をかまえる者は72ペニッヒの罰金を科せられる。
 19. 鉤は6シリング2ペニッヒ、すべての禁止された斧は毎75ペニッヒの罰金を科せられる。
 20. 彼らは次のように告げる。他者の農地の遮断された戸口の内部で起きたことは、その農地の主によって罰金を徴収される。
 21. しかし、それが屋根から雨のしずくが落ちる軒先から路地に出れば、高貴で堅実なガーマレット・フォン・フランナウに罰金を科せられる。
 22. 片隅または垣根の背後に隠れて対立のと仲裁をする者は、有害な者とし糾弾される。
 23. 彼らは次のように告げる。窓際または戸口でもてなしをうける者について、彼は何者かと尋ねられて、返答をしようとしなければ、有害な者として糾弾すべきである。
 24. 泥棒がわが領主の罰令区と裁判管区内の野や畑で追いかけられて、裁判所が彼を捕えるように呼びかけ、裁判官はいかなる者も、外来者を除いて、彼とともに起ちあがるように求めても、裁判所に従わない者は、わが領主に32フントの罰金を科せられる。
 25. 泥棒が捕えられたら、裁判官は外来者に棒と刃物を貸し与え、3日目まで外来者を泥棒から守り、3日後外来者は彼の財産を自分で守るべきである。
 26. 外来者は法を守らなければ、わが領主に32フントを納め、泥棒を彼の財産に寄せ付けてはならない。なぜならそれは彼のものだからである。 
 27. 市場村落で静かだった者が騒いだら、いかなる者もその隣人とともに自分の財産のために起ちあがり、3日目まで泥棒を探す手伝いをすべきであり、そうしない者は6シリングの罰金を科せられる。
 28. 村落および農圃境界のまわりのすべての境界溝は、他人に迷惑がかからないように、何も越境することがないように良く管理すべきであり、いかなる者に対してもその土地に越境するたびに12ペニッヒの罰金を負い、荷車の場合は6シリング2ペニッヒ、馬の場合は72ペニッヒ、杭の場合は12ペニッヒの罰金を負う。
 29. 2つの村域の一方が境界石を不法に引き抜き、越境がおこなわれたら、境界石を取得して、境界石があったのに取り除かれてしまった元の溝に埋め込むべきである。ら
 30. 彼らは次のように告げる。すべてのパン屋は、1フイアテルのワインを計り、聖ミカエルの日(9月29日)にそれを聖なる森にもって行くべきだが、森の木を伐る者は、6シリング2ペニッヒの罰金を科せられる。
 31. 彼らは次のように告げる。すべての肉屋は屠畜する際、誰からも見えるように、路上でおこなうべきであり、扉を閉ざした屋内でおこなえば、12ペニッヒの罰金を科せられる。彼は市場が開かれているときはいつでも肉を得るべきである。彼は貧しい者に安価な肉を提供すべきである。
 32. すべての飲み屋の亭主は、ワインまたはビールを開栓しようとするとき、最初に大声で呼びかけ、開栓したら、高い値段で提供してはならず、正しい枡で提供すべきであり、大声で呼びかけたら、正規の枡で提供すべきである。また刑吏は店の扉の前に立ち、枡に注いで、不正な枡見つけるたびに、亭主をしかりつけて、酒樽の栓を12ペニッヒで切断すべきである。
 33. 彼らは次のように告げる。古くからのしきたりによって3-4人の隣人が一緒に1ドライリングのワインを酒税なしで飲み干すことができる。
 34. 彼らは次のように告げる。収穫をとりこもうとするときは、村民たちは互いに協力すべきであり、村民たちが1日がかりで取り込むことを、司祭と裁判官は要請すべきである。
 35. いかなる十分の一税の徴税人も彼の取り立て分を馬車一杯に積むことができるが、取り立てがまったく足りず、農民が十分の一税を正しく納めてないとおもうならば、農民の耕地に出向いて彼に納めさせるべきである。彼が農民を不当だと判断すれば、農民に十分の一税を戻し、荷車に積んだものを押収すべきである。しかし彼が農民を正当と思えば、彼は農民に規定通りの義務をはたす責任を負う。しかし彼が判断に迷ったら、裁判官の所へ連れて行き、彼に弁済させるべきである。
 36. 彼らは次のように告げる。畑の内外から人が人が人引き上げて、穀物がいい加減に放置されていれば、十分の一税の徴税人はそこへ行って積み上げられている穀物の小山の上の両側から十分の一税を取り出すことができる。
 37. わが領主の支配が及ぶ限りの範囲におけるすべての自由放牧地には、森林で原野でもわれわれの牛が放牧される。
 38. 斜面の木が伐り取られたら、伐採された森林は聖ゲオルギオスの日(4月23日)から聖アエギディウスの日(9月1日)まで開放される。
 39. 家畜が家畜番人から逃げて、森林に被害を与えたら、被害を調べて、番人は森林所有者に被害を弁償すべきである。家畜を自分で飼っている場合でも、番人は優先放牧権をもつが、彼に報酬を払う義務がある。
 40. 彼らは次のように告げる。村民の意見が一致したら、古くからのしきたりどおり、山へ摘み取りに行くべきであり、他の者は翌日までとどまるべきであり、そうしない者は6シリング2ペニッヒの罰金を科せられる。
 41. 彼らは次のように告げる。裁判官は2人以上の人々の間に平和をもたらし、それを守らない者は32フントの罰金を科せられる。
 42. 彼らは次のように告げる。村民から参審員の役職に選出された者がその職に任命された場合、彼はわが領主に10フントを納め、再度選出されるまで、その職を免除される。
 43. 彼らは次のように告げる。参審員に戦いをいどんだり、ワインの席や路上でからかった者が、裁判官や参審員の前に相手を召喚せず、あまりにも冷たくあしらったら、72ペニッヒの罰金を科せられる。
 44. 彼らは次のように告げる。飲み屋の亭主は酒税を得てはならない。
 45. 彼らは次のように告げる。村落のぶどう園の近くで穴を掘り、木を伐り、罠を仕掛け、そこに非耕作地または境界をつくる者は、6シリング2ペニッヒの罰金を納め、検査によって相手の損害を弁償すべきである。
 46. 彼らは次のように告げる。野原をとおる街道では、2台の車を並んで進ませる道幅がなければならず、これを守らず、隣人の後から道を急ごうとする者は6シリング2ペニッヒの罰金を科せられる。
 47. 彼らは次のように告げる。すべての禁止は村落裁判官によってなされるべきである。
 48. 彼らは次のように告げる。刑吏は夜中に飲食店に行くべきであり、その場合彼は店内に危険な者がいるか、損害をもたらす者がいるか調べるべきである。
 49. 告訴すべきことがある者は、市民が座る裁判官席の前で告訴すべきである。
 50. 告訴が領主になされるものでなければ、領主庁の役人が告訴に立ち会うべきである。
 51. 彼らは次のように告げる。裁判官が領主の思し召しによる問題にかんして村民を招集して、出席せずに家にいる者は12ペニッヒの罰金を科せられる。
 52. 彼らは次のように告げる。共同地で草木を切り払おうとする者は裁判官の承諾を得ておこなうべきであり、そうしない者はわが領主に処罰される。
 53. 彼らは次のように告げる。いかなる住民も裁判集会に出席すべきであり、出席しない者は72ペニッヒの罰金を科せられる。
 54. 彼らは次のように告げる。いかなる者も灰やごみを路上に撒き散らかしてはならない。そうしたことをするたびに、12ペニッヒの罰金を徴収される。
 55. 彼らは次のように告げる。水が野や畑にあふれて危険になったら、排水すべきであるが、隣人の土地に水を流す者は、そのたびに6シリング2ペニッヒの罰金を科せられる。
 56. 彼らは次のように告げる。不当な輩が捕えられ、いかなる者も制圧しようとして、指名された者たちが闘いをいどんだら、彼らを信じるべきであり、村に3人男子がいて、そのうち1人が参審員であれば、彼を村民の3人の男子に匹敵すると信じるべきである。
 57. 彼らは次のように告げる。裁判官と市民の承諾なしには、男女いずれの借家人ももってはならない。これに反する者は6シリング2ペニッヒの罰金を科せられる。
 58. 彼らは次のように告げる。古くから市場村落でワイン輸送にかんして、村落の周辺に住む者は、富める者も貧しい者も全村民、慈悲深きわが領主フランナウが指定する目的地まで、古くからのしきたりどおりに運ぶべきである。
 59. 彼らは次のように告げる。わが領主ガーマレット・フォン・フランナウの穀物輸送をおこなうべきである・・・。




 11-2 チロール Tirol


  11-2-1. アンガート Angecht


  (アンガートはインスブルック市の東北東の方角のイン川沿いにある。)

 最初に、わが女領主と彼女の修道院に法を汝らに告げる。
汝らに告げる。わが女領主の修道院が役人とその廷吏によって今日の集会について知らせたにもかかわらず、出席しなかった者は、自由農民であれば、彼の財産から罰金を徴収される。たとえ彼が弁護人をもっていても、女領主が彼にいかなることを告げようとも、弁護人はわが女領主と彼女の権限に対して何も言えない。
 2. 汝らに告げる。(秋の)賦役を完全に済ますことなく、今日まで不法になおざりにした者は、財産から罰金を徴収される。ただし、少しばかり賦役をおこなったもののやり終えてない者は、わが女領主に裁判所で保証をすれば、それで充分である。
 3. 汝らに告げる。わが女領主の修道院から、彼女の役人の承諾を得ずに不法に去り行く者は、容赦なくその財産から罰金を徴収される。
 4. 汝らに告げる。息子または娘のどちらであれ、子どもをもつ者は、彼らの責任を負うならば、わが女領主にとっては十分であるが、子どもが扱いにくくて、彼が子どもに対して強い態度で臨めないならば、彼は子どもを引き渡して、わが女領主と修道院の承諾を得ることなく子どもが結婚しないことを保証すべきである。これに違反する者は、息子については女領主に12フントの罰金を負い、彼がその義務を果たせば、彼女の慈悲を得られる。また娘については、彼女を結婚させるかぎり、女領主の慈悲を得られる。
 5. 汝らに告げる。彼女は今日自由な修道院の領地をもっており、耕すには大きすぎる農地をもつ者にそれより小さな農地を与え、小さすぎる農地をもつ者にはそれより大きな農地を与えることができる。
 6. 汝らに告げる。いかなる者も、アンゲヒトベルクにあるわが女領主の土地台帳と農地に大小の相続権をもちえない。
 7. 汝らに告げる。いかなる小屋や戸棚であれ、修道院の森林の樹木で建築をする者は、すぐ近くに荷馬車を乗りつける者がいれば、修道院領の3-4人の領民の助言にしたがって、彼を引き返させるべきである。しかし彼が他所の樹木から建築をするなら、彼はそこへ荷馬車で乗りつけても、公正とみなされるべきであり、あるいは領主の承諾を得て彼が望む場所へ運ぶことができる。
 8. 汝らに告げる。わが女領主は本日門戸を閉ざすときまで、すべての事犯について裁くことができる。ただし、殺人、窃盗および強姦の3つの事犯は除外される。
 9. 汝らに告げる。わが女領主とその役人および高等法院の承諾なく他人を領邦裁判所に訴える者は、わが女領主に罰金を科せられる。
 10. 汝らに死亡税について告げる。汝ら隷農の一人が死亡すれば、最良の家畜を死亡税としてわが女領主のものとすべきであり、その年が土地の保有期限内であれば、寡婦は、元の保有地にとどまるべきである。しかし期限が過ぎたら、妻は、農地を耕作できるなら、保有を更新すべきである。
 11. 汝らに告げる。汝ら修道院の農奴は、修道院とわれらが女領主の借地人であり、汝らの子どもがいる場合、いかなる者とも土地を分割してはならない。
 12. 汝らに告げる。修道院とわれらが女領主は農地を耕作できるほど多くの農奴をもっていないなら、わが女領主とその役人は領民に農地を利用するようにうながさねばならず、代官は土地台帳から得られる代官管区の土地のために彼らを助けるべきである。
 13.汝らに告げる。いかなる者も、村落、荘園、農民保有地のいずれの共同地であれ、それらの会計管理者の承諾なく農地を囲い込んではならず、違反すれば罰金50フントを科せられる。
 14. 汝らに告げる。アンゲヒトの農民はわが女領主とその役人を裁判集会と秋にワインと食事、飼料と干草で誠実にもてなすべきであり、さらに彼らと修道院に必要なことを山中ではたすべきことがある場合は、一年中わが女領主の使者をもてなし、その費用を支払うべきである。
 15. 汝らに告げる。わが女領主の会計管理人が汝らの賦役を汝らに代ってすべて馬でおこなう際に、また領民に何らかの要求をおこなう際に、彼にとって困難があれば、代官は彼を助けるべきである。
 16. 汝らに告げる。木こりたちはクラウンタールの丘から使者を送り、長老の木こりは修道院領においてわが女領主に付き添って、食卓の接待と鞍の世話をすべきであり、わが女領主が修道院領にいなければ、彼女の役人に付き添って奉仕すべきであり、わが女領主自身と同じようにもてなし奉仕すべきである。
 17. 汝らに告げる。汝らはわが女領主と修道院に、汝らの土地台帳にしたがって、また古くから農地にいる汝らの羊をささげるべきである。
 18. 汝らに告げる。建物の取り壊しによる倒壊であれ、農民同士の戦いであれ、将来修道の害になるかもしれないことを知った場合は、いかなる者も良心にもとづいて知らせ、糾弾すべきであり、また誰かが暴力をふるうか、あるいは誰かが頑迷で暴力沙汰になったり、誰かが自由農民を非難したり、修道院住民を侵害したりしたら、そのような悪事をなした者が誰なのか、領地の当局または役人に知らせなければ、修道院に対する忠誠をそこなうことになるだろう。
汝らに告げる。私が述べた前記の事柄と条項すべてについて、代官はわが女領主とその修道院の助手であり、上記の法の守護者たるべきである。また彼は修道院の土地台帳から受け取る代官菅区を公正に扱うべきである。
 報告のなかで何か忘れられていることがあったとしても、わが女領主、修道院および汝らに害があってはならない。

 11-2-2 ヴィージング Wising


  (ヴィージングは前述のアンガートの近傍)

 私はわが女領主に代って告げる。彼女はヴィージングに彼女と彼女の修道院の領民ととともに自由な修道院領をもち、授与地の保有農であれ自由保有農であれ、修道院領の裁判集会がわが女領主の官吏と使者によって知らされたら、それに出席しない者は罰金として5フントを科せられ、たとえ彼が弁護人をもっていても、弁護人は語るべきことがあっても、女領主には何も言えない。
 汝らに告げる。わが女領主とその役人の承諾なく彼女の領地から出て行く者は、農地と耕作権についてすべての恩恵を失い、罰金を科せられる。
 汝らに告げる。息子であれ娘であれ子どもをもつ者は、父親または最寄りの親族が彼らに責任を負うならば、わが女領主にはそれで十分である。しかし子どもが彼には厄介で、彼の手に負えない場合は、彼は子どもをわが女領主またはその代理の裁判官に引渡し、子どもが結婚によって官憲と修道院から逃れないことを約束し保証すべきである。それに違反するなら、息子については罰金を負い、罰金を納めればわが女領主の慈悲を得られる。娘については、娘を結婚させれば、女領主の慈悲を得ることができる。
 汝らに告げる。女領主はその農奴をいかなる者とも分かち合うことはない。母親が女領主の農奴である者は、すべて女領主とその修道院の農奴である。
 汝らに告げる。農奴を結婚によって他領主のもとへ転出させてはならず、違反すれば身体と財産に対する罰を科せられる。ただし官吏の承諾を得て、領地の領民と結婚する場合は、除かれる。これに違反する者は、罰金を科せられる。
 汝らに告げる。わが女領主とその官吏の承諾なく他人を領邦裁判所に告発する者は、わが女領主に罰金を科せられる。
 汝らに告げる。女領主は今日彼女が門戸を閉じてしまう彼女の裁判所ですべての問題について裁くことができる。ただし殺人、窃盗および強姦の3つの事犯については、除かれる。とくに耕作権にかんして、越境耕作および採草地への家畜放牧については、わが女領主と領主庁は特別に裁く権限をもつ。
 汝らに告げる。わが女領主は彼女のワインを古くからの法によって得るべきである。また彼女はいかだを作り、彼女とその修道院の書状の文言にしたがっていかだに対する権利をもつ。
 汝らに告げる。耕作権をすすんで譲渡、売却しようとする者は、まず誰より最初にわが女領主と彼女の代理の官吏に、次に最も近親の相続人にその提供を申し出て、彼らが望まなければ、わが女領主と修道院にとって支障がない者に与えるべきである。
 汝らに告げる。農民が彼の耕作権を他人に売る場合、それを買う者は、わが女領主または彼女の役人の許可なくその土地に犂を入れてはならない。
 汝らに告げる。わが女領主の官吏またはその権力を委任された役人は賦役や領民に対する要求の代償として差し押さえをすべて取り扱う権限をもち、それが彼にとって困難であれば、代官が彼の代理として助けるべきである。農地についてあらゆる慈悲をうけられない者が抵当を差し出しても、いかなる領主庁にも正当とは認められない。そこでkamererは抵当を裁判所に託し、3日間保管して、それを売却しない場合は、わが女領主のkamererまたは役人はわが女領主に代って、土地から適時に大きな支障なく得られる女領主の賦役と要求の代償としてその抵当を譲渡し売却する完全な権限を有する。しかし、賦役を上回る剰余が出る場合は、その農民に剰余を公正に返却すべきである。
 汝らに告げる。牧人は現金ではなくチーズで地代を納めるべきである。外見上の不幸が彼を襲っても、神がそれを防ぎたまうことを願う。 
 汝らに告げる。修道院の役人と使者が差し出された食事をとるとき、ヴィージングのmeie荘官はワインを適当に出すのではなく、賦役をおこなう秋に収穫されたワインその他の食事を彼らとその従者に提供すべきである。また裁判集会でも、女子修道院長が来られたら、同様にすべきである。毎年ヴィージングの修道院領民は古い法にしたがって修道院にいかだを納めるべきであり、いかだの上には小麦とライ麦の2種類のからなる穀物1ムットでつくられるパン、4羽のにわとり、2羽のガチョウを納めるべきである。修道院の使者がmei荘官の所へ来たら、法のとおりに荘官は彼らを迎え、あらかじめ用意した有益な品物を差し出すべきである。荘官がそうしない場合は、わが女領主と修道院は、飲食店主から食事を得る権限をもつか、あるいは彼女の役人や使者の一人によって、1年をとおして山中に農地をつくり、法の定めるとおり、また文書の文言のとおり、修道院の必要に応じて有効にそれを利用すべきである。
 汝らに告げる。貧乏のために自分の採草地または耕地を手放さなければならない者は、まず最初に彼の隣人に申し込み、次に2-3人の知人に申し込み、応答が得られなければ、3年間の期限を越えてもはや貢租に耐えられなくなれば、彼の相続権と耕作権は修道院に没収され、すべての請求権を失う。
汝らに告げる。わが女領主と修道院から高原放牧地あるいはいわゆるgesuchを得る者が、彼自身それを必要とはせず、高原牧場とgrsuchに属する家畜をあまり多く所有しておらず、彼の家畜が少なすぎる場合は、わが女領主の領民と修道院に地代と引換えにその家畜を高原牧場に放牧させ、その地代が他所の者より少なくても、彼はそれに満足すべきである。
 汝らに告げる。前述の事柄と条項のすべてと修道院の法は、裁判集会において告げられた。代官はわが女領主と修道院の助手であり守護者たるべきである。また彼はとくにヴィージング代官管区がわれらが敬愛する女領主とそのキームゼー修道院から多くのものをわが女領と同様に授かっており、公正にその任務をはたすべきである。
 汝らに告げる。キームゼーの領主庁に食事を提供する者は、古くからのしきたりどおりに、その年の隣人たちに子馬、雄牛および雄豚を用意すべきである。
 報告において忘れられていることがあっても、わが女領主、修道院および汝らに害があってはならない。

 11-2-3 パルチンス Partscyns


  (パルチンスは現在イタリア領に属する。)

 1380年パルチンスの農民40名は現在のチロールの城伯ハインリッヒ・フォン・フリードゥング殿に、以下のことを誓った。
 1. 水車の小川はグルントラウンから流れ出て、昔から水車を動かして臼をつく完全な権限をもつ。しかし、潅水にかんしては、フーフェ農地保有者はすべて、村長と村民一般に妨げられることなく、彼らの耕地に潅水することができる。村長はいかなにも必要に応じて水を分配すべきであり、分配によって村長に何かが贈られることがあっても、彼はそれを名誉として受け取り、決して法によるものではなく、したっがて彼はそれを強要することはできない。
 2. 村落裁判集会に属する者は、その必要に応じて木を伐ることを禁じられていないが、村長と最良の助言にしたがって取得すべきである。これに違反する者がいれば、村長は彼を最良かつ最古の助言の7つにしたがって彼を改心させるべきである。村民は村長の助言により窪地を深くも浅くもつくることができ、それは村民のものである。
 3. いかなる村長も毎年2回村落裁判集会に出席し、聖ゲオルギオスの日(4月23日)の頃に3日間、聖ガルスの日( 10月16日)の頃に2日間出席し、2フントを超える罰金を徴収してはならない。
 4. 彼は不法行為とふしだらな行為を裁いてはならない。その裁判はメランの裁判所 の管轄に属するからである。
 5. 彼はフーフェ保有農民と村民の承諾なく廷吏を任命してはならず、耕地番人も承諾なしに任命してはならない。
 6. いかなる村長も彼の馬と雄牛を村落の法にしたがって、古くからのしきたりどおりに、放牧しうる。






II. 低地ドイツ語圏の『ヴァイステューマー』



『ヴァイステューマー』はモーゼル流域ほかの西南ドイツ、スイス、オーストリアなど高地ドイツ語圏に多いが、北ドイツの低地ドイツ語圏にはきわめて少ない。次の分布地図に見られるように、低地ドイツ語圏のなかでも、オストフリースラントからシュレスヴィヒ・ホルシュタインにいたる北海沿岸地帯は、グリム編『ヴァイステューマー』の圏外にある。北海沿岸地帯の村法については、後段の「付録」のなかで触れることにして、ここでは低地ドイツ語圏に属するヴェストファーレンとニーダーザクセンの『ヴァイステューマー』をとりあげ、高地ドイツ語圏と比べて何か特徴のようなものがあるのか、見ることにしよう。低地ドイツ語は高地ドイツ語より難解ともいわれるので、誤訳の頻度もまた高いかもしれないことを、ことわっておかなければなるまい。
  
 低地ドイツ語圏(ヴェストファーレンとニーダーザクセン)における『ヴァイステューマー』の分布
  (●印が『ヴァイステューマー』に記載された地域)


1. ヴェストファーレン  Westfalen

 1-1 リートベルク伯領 Rietberger Landrecht(1697年)



(リートベルクはヴェストファーレン東部の小邦リートベルク伯爵領のことで、この史料は伯爵領全集落の領域裁判集会 [Landrecht] の記録である。)

1. この裁判集会は何というのか。自由裁判集会、もしくは領域裁判集会という。
2. この裁判集会はいかにおこなわれるべきか。いかなる戸主も手に武器と鋭利な刃物をもって出席してはならない。また、口論、罵りおよび殴り合いはすべて身体刑の罰をうける。
3. いかなるときにこの裁判集会は開かれるのか。この裁判所で、輝く太陽のもとでおこなわれるべきである。
4. 一人あたりいくら納めなければならないか。完全農民は6シリングを納めるべきである。半農民は3シリングを納めるべきである。小屋住農民は1.5シリングを 納めるべきである。隠居と借家人は9ペニッヒを納めるべきである。
5. この裁判集会の資格を得ようとする者は、どのような者であるべきか。非常に男らしく、非常時には弓を引き、ベッドでは妻を満足させ、主君には戦場で戦闘 力ある戦士として出征すべきである。
6. 領主はこの裁判集会から何を享受するのか。この裁判集会の一員が亡くなるか、この裁判集会を欠席する者がいれば、領主は男子動産と女子動産、畑の厩肥、肥料、農地の作物、籠に置かれた鉢とスプーン、すべての四つ足の家畜も相続する。
7.この裁判集会では誰に席を取っておくべきか。代官、財務官、地方官およびそれぞれの使用人1名ずつ、裁判官、領主に任命された従者。
8.この裁判領域で夫または妻が亡くなったら、領主は何を相続すべきか。領主はすべての四足の家畜の半分を相続すべきである。
9.男子動産と女子動産は誰のものとなるか。男子動産は最年長の未婚の息子、女子動産は最年長の未婚の娘のものとなる。
10. 男子動産に属するのは何か。男の身体につける衣服、馬がいるなら最良の馬と鞍、馬勒、複数のベッドがあるならベッド1台と付属品、草刈り鎌、袋、手斧、のこぎり、刀剣が納められる長持、拍車を付けた足を入れることができるたらい、鶏を煮ることができる鍋、雄牛と雄豚。
11. 馬が1頭しかいない場合、それは誰のものか。それは領主が半分相続する。
12. 女子動産に属するのは何か。女性用衣服、装身具、ハサミで裁断したものすべて、蜜蜂、羊、麻、蝋、金銀細工、複数のベッドがあればベッド1台と付属品、鍋、壺。
13. ある人がなくなり、その妻が当然ながら結婚により妊娠して残されたら、どれくらいの間男子動産と女子動産の相続を待つべきなのか。それまでに妻が出産して子どもが産声をあげ、それが息子なら、男子動産は彼のものとなり、それが娘なら、女子動産は彼女のものとなる。
14. 独身の若者が所有を残して亡くなったら、誰が相続すべきか。彼が父親の保護下にあり、稼ぎを家に入れていたら、父親が最も近親の相続人である。しかし 自分の所帯をもっている場合は、領主が彼の相続人となる。息子あるいは娘が男子動産あるいは女子動産を相続しても、領主は男子動産あるいは女子動産を相続する。
15. 両親の死後、自分の所帯をもってはいないが、商売をして若干の家畜も飼っている者を相続すべきは誰か。商売によって得た財産を相続するのは、領主である。
16. 隠居持分として受けとるのは何か。完全農民からは6頭の雌牛、半農民からは3頭のめ牛、事情によって豚、完全農民からは1モルトの種籾、半農民からは6頭のメス豚、小屋住農は場合によって3頭のメス豚。
17. 何かを追加した場合、それは相続人と隠居人のどちらに残されるか。隠居人が生きている間は、彼が追加したものは、彼が使うべきである。
18. 2台の馬車があり、1台は新しくもう1台は古く、1台は鍛造されもう1台はそうでない場合、どちらが相続人に残されるか。鍛造されたのとそうでない馬車がある場合には、引退する者は半分鍛造された馬車をひき取るべきである。
19. 官吏の承認を得て婚約をおこない、妻をめとったのに、母親がそれを認 めようとしない場合、彼は相続財産を利用または享受すべきか。彼は官吏の承認を得て婚約し、結婚したので、さもなくば隠居分として母親のものになるものを、彼は享受すべきである。
20. 領内のしきたりにしたがって初婚後24年経って、夫または妻が再婚するとき、その優先相続人がすでに24才以上の年齢に達していれば、再婚する者は相続財産のうち何を長期間にわたって享受すべきか。再婚者は24年経過するまでは隠居持分を享受すべきであるか、あるいは農地が任意に再婚者に委ねられる。とはいえ、これに対する領主の判断は保留される。
21. 隠居人となった者は未決済の金銭を隠居持分として取るべきか、それとも相続人に残すべきか。隠居人によって取得されて未決済となっている金銭は、相続人に対する負債の支払い後、隠居持分として取ってもよいが、それが相続人のもとにある場合は、そこに残しておかなければならない。
22. 隠居人は相続財産から離れて、法的理由なく他所へ住む場合、彼は隠居に必要なものをすべてもちさることができるか。理由なく転出する者は、隠居持分を もちさることはできない。
23. 婚資あるいは子どもの遺産相続分に該当するのは何か。それは事情による。それはまた、前もって完全農民の場合80ライヒスターラー、半農民の場合40ラ イヒスターラーなどと記載され、認可をうけるべきである。
24. 婚資あるいは子どもの遺産相続分を約束された者が、支払いをうけることなく、自分の子どもを残さずに死亡した場合、残された彼の配偶者には約束された 婚資を与えなくてもよいのか。約束されたものは、支払われなければならない。
25. 優先相続人である男または女が領主の承認なく遺産によって結婚し、結婚証明がなされてない場合、その子どもは両親の死後いかなる資格をもつか。結婚証明がなければ、その子どもは相続できない。
26. 息子あるいは娘が病気その他の理由で結婚しない場合、彼らの扶養のために子どもの遺産相続が約束されなければならないか。そのような子どもは相続財 産によって扶養されるべきだが、転出を希望する場合は子どもの遺産相続分が約束されるべきである。
27. 血縁関係にある兄弟姉妹は相続人から平等に婚資を約束されなくてもよいか。婚資は、一人の相続人のものとなる遺産の実情に応じて約束されなければならない。
28. 子どもをもつ夫婦がある相続地を得て、さらに多くの子どもがその相続地で生まれた場合、相続以前の子どもあるいは相続地で生まれた子どものどちらが相 続すべきなのか。相続地で生まれた子どもが、相続地を相続する。
29. そのような場合、彼が長子または末子であれ、相続以前の子どもまたは相続地で生まれた子どもであれ、相続地させたいとおもう子どもに相続地を譲るこ とは許されないのか。父親が望む者に譲ることができるが、領主の許可が必要である。
30. 一般市場で取引できる自分の土地は、どの範囲まで可能か。彼が片足を溝の中に入れ、左脚の下に通した右手で長い犂の刃を投げられる範囲内で、泥炭と芝 土を市場で取引できる。
31. 相続地の間に垣根を作らなければならないとき、垣根よりどれほど高い垣根の木なら売ってもよいか。垣根の前に立ち、1エレの長さの斧の柄で届く範囲よ り高い垣根の大木なら、切断して売ってもよい。
32. 木がなかった所に木を植えたいとおもう者は、その隣人からどのくらい離れる義務があるか。隣人から20フス離れるべきである。
33. 2人の隣人が互いに並びあう形で囲い農地をもっている場合、一方が彼の隣人の囲いに沿って土塁を築きたいとおもうとき、どのくらいそこから離すべきか。
6フス離すべきである。
34. 数人が互いに並んで土地をもち、そのうちある1モルゲンがこちらの者に属し、他の1モルゲンがあちらの者に属し、自分の土地の前に空き地があって、この空き地を隣人が庭園にしようとしたら、彼は土地の供与を求められるか。 彼はその隣人に土地の供与を求められない。
35. 二つの土地が互いに接し合っている隣の土地の木から落下するオークの実は、誰のものか。悪いしずくを享受する者は、良いしずくも享受する。
36. 堅固な垣根はどれくらいの高さであるべきか。長さ1エレの柄の付いた斧を手に取り、垣根の上に差し出せる高さである。また武装した兵士が3度片足でそれにぶつかっても耐えられるほど強い垣根でなければならない。
37. 垣根がつくられ、家畜がそれを破り、損害を与えたら、どうすべきか。家畜を囲いに追い込み、損害を支払うべきである。
38. 囲いがつくられ、家畜がその囲い農地に入り、殺されるか傷つけられたら、どのように償うべきか。家畜の損害を支払い、領主に罰金を納めるべきである。
39. 2人の隣人が互いに並び合う囲い農地をいくつかもっており、水濠のない囲いでのみ区切られているため、防御設備をつくらなければならず、そこに何本かの木がある場合、隣人の同意なしに木を伐る権限があるか。たしかに木を伐る権限はあるが、同時に囲いも閉じる義務がある。
40. 村の公道沿いの垣根や溝はどれほどの広さを空けるべきか。一人の男が干草用の支柱をもって馬で横断できるだけの広さを空けるべきである。
41. 作物や干草を運搬する道は、どのくらいの幅であるべきか。先頭に3頭の馬、その後に2頭の馬が1人の下男とともに通れる幅とすべきである。
42. 村の畑の溝はどれくらいの幅であるべきか。上辺の幅が4フス、底辺の幅が2フスを保つべきである。
43.  植林をおこなうとき、どれくらいの期間若木のために囲いを使用せずにいられるか。植林をおこなうとき、4年間囲いを閉じ、大きな家畜はそこを避けるが、ガチョウや豚はそこを通ることができる。
44.  自分の農地を勝手に抵当とし、損ない、荒廃させる者は、その相続権 を喪失すべきか。略奪や火災ではなく、勝手気ままによってそうしたことをおこなえば、そこから追放されうるが、恩赦もありうる。
45.  彼の子どもたちはどうなるのか。堕落した者は何ももってはならないが、妻子には土地証書が与えられる。
46.  いずれの農民経営も、完全農民、半農民、四分の一農民、小屋住農民それぞれが、同じ賦役、地代、雄牛、豚、財産、下男、金銭、他のすべての負担を、領主に提供する義務を負うのか。どの役畜農民も同じ賦役、同じ負担を負うべきであり、半農民も小屋住農民も同様である。
47.  この裁判集会に参加したいとのぞむ者は、この裁判集会に属する他の農奴と同じ負担を負う義務を課せられないのか。いかなる者も、その義務を負う。
48.  妻が双子を産んだら、どちらの子が自由なのか。年少の子が自由である。
 1697年、高位後見人としてのパーダーボルンとミュンスターの司教、ブランケンハイムの伯爵および以下の官吏諸氏、すなわち代官マンゲルゼン、ラインキング修士、ドラハトの財務官ヒーラント、地方官ナーゲル、ファールのマイアー、ヴェストホーフ、マイア・オットー、ヴェレリングのマイアーの名において領域裁判集会がボーケルのベックホーフと荘官の所で開催された。地方官は裁判集 会を開催した。そこに裁判官が出席しなかったのは、裁判官には開催の資格がな かったからである。領民にかんすることについて、裁判はおこなわれなか った。これに先行して1659年、領域裁判集会がベーディングの所で開催され、いかな る者にも1個あたり1 フントの重さのライ麦パン、1個あたり2分の1フントの 白パン949個が与えられ、6頭の雌牛が屠畜され、これに相当する非常に多くの ビールも消費された。裁判官用のゼンメル・パンはここには加算されていない。
 1697年8月に領域裁判集会が開催された。裁判官は4分の1ターラーを得たが、それ以前に全取得金額は彼らに帰属するものとされていた。 



 1-2 シュテーディンゲン 堤防法 Stedinger Deichrecht
 (1446年)


( シュテーディンゲンは自治都市として知られるブレーメン近傍のヴェーザー川西岸の地方であり、堤防で守られた低湿地帯である。今日ではニーダーザクセン州に属する)


 われらが主キリスト生誕後1446年聖エリザベートの日(11月17日)、誉れ高き前ブレーメン大司教ニコラウス、教会の参事会、ブレーメン市の市長と市参事会 およびシュテーディンゲン地方の地主がこの地方の利益と存続のために、以下に記されているように提示し、審議した。すなわち、後継者のクラヴェス司教は当地方における堤防監督官、ブレーメンの教会参事会および市参事会を任用すべきであり、堤防監督官は前述の領主と市参事会のために毎年6名の堤防役人を選び、当地方のために最も有益で最善のことをなし、経験に富む堤防役人の助言にしたがって慣わしとされてきた時機に、6名の役員は堤防役人とともに当 地方のために最善をつくすことを宣誓すべきである。しかし当地方に役立つ熟練した堤防役人が多ければ、堤防監督官は熟練した堤防役人を任用する際に、その定数を守ることができる。そうすれば、堤防監督官と堤防役人は復活祭の間も冬季や天候に応じた検分をおこない、当地方の存続のために堤防を監視し、検査することができる。さらに堤防が規定どおりに検査されれば、堤防監督官と堤防役人は可能なときに当地方の利益と存続に応じた監視をおこない、また当地の古い正規の沼沢地を監視すべきであり、それは可能である。第二の監視は、聖ヤーコプの日(7月25日)と聖マルガリタの日(7月20日)の間の当地の正規の沼沢地の監視である。その後堤防監督官と堤防役人は第三の監視を聖母 マリアの祝日の前に当地の正規の沼沢地に対しておこなうべきである。そして堤防役人と堤防監督官は規定の検査を、農場に属する借地農に知らせ、この借地農は彼が所属する農場の土地領主に知らせるべきである。農場に借地農がいない場合は、堤防役人と堤防監督官がこの三つの検査を当地にいる土地領主に知らせべきである。彼が不在の場合、農場使用人がいるなら、彼らがこの検査をブレーメンのわが領主に知らせるべきである。だが彼が聖職者であれば、彼の上司または高位聖職者に知らせるべきである。彼が市民であれば、彼が定住している都市の参事会に知らせるべきである。そして自分の土地の堤防をかさ上げして、沼沢地を放棄したいとおもう者には、堤防監督官と堤防役人はそこにある堤防について契約を結び、堤防の下の土地が存続するように、できるだけ最善の努力をして、借地農の生活と財産のおよぶ範囲で、契約した金額を彼に請求することができる。しかし借地農がいない土地の堤防の場合、その金額を聖俗領主に請求すべきであり、河川の標高より低位にある農地では、土地の種類と権利に応じて農地の存続、整備、没収をおこなうべきである。前述の堤防役人が監視し、整備し、あるいは沼沢地を差し押さえようとするなら、堤防監督官は前述のすべてを、あ るいは少なくともそのうち二つを心得ておくべきである。彼らが望むなら、役立つものすべてまたは一部を沼沢地に使うことができる。その場合、彼らも会計士も常に当地方以外の沼沢地に支出をしてはならない。当地方のためと称して当地方の外に資金を投じたり使ったりするのは、当地の役には立たないからである。
 さらに、土地を造成する何らかの共同土木事業がおこなわれる場合、いかなる堤防役人も新しい土地のための堤防役人の規定の任務をはたさなければならず、共同土木事業のためにそれぞれの家の戸主は土木作業を完全にこなせる人間を一人提供すべきである。
 さらに、農場に沼沢地が生じた場合、つまり堤防監督官と堤防役人に対する報酬のための農場に堤防がつくられ、洪水または特別の災害によって沼沢地 が生じた場合、この沼沢地を農地に造成し、古くからの慣わしにしたがって水位を上まわる堤防を築くべきである。そうしたことがおこなわれ、借地農が、あるいは彼が借地を返還した場合は領主が、その農場に手を加え、沼沢地に堤防を築いて改良をおこなえば、奥行き1ルーテ、深さ1 フスの土池が半ブレーメン・マ ルクとなる。沼沢地の3分の2は堤防監督官と堤防役人がもち、3分の1 は共有地となり、農場の借地農の家と農地は法によって彼の経営にまかせるべきである。さらに、堤防監督官と堤防役人の許可を得た良い堤防が、隣人によってこわれそうだと苦情を訴えられた者には、沼沢地は認められない。また隣人に損害を与えた者は、二度と彼に損害を与えてはならない。
 さらに、シュテーディンゲン地方に買い戻しによって得た農地をもつ者は、その農地が堤防規約の違反により没収される場合を除き、それに投資した金額を失うことはない。土地の相続権をもつ者は、堤防で守られた土地を購入した者から、この金額で買い戻すことができ、その農地は彼のものとなる。
 さらに、シュテーディンゲン地方の堤防監督官、堤防役人および住民は、堤防規約の違反により没収された農地を、法によりその農地が属する堤防の外部の者に貸与、譲渡または売却してはならない。そうした堤防規約に違反した農地をかつて自由に購入した者、あるいは別な方法でその農地が属する堤防の保守をひき うけた者は、農地を享有してもよい。
 堤防監督官と堤防役人が、この文書に明記されているのとは異なった行動をとっても、当地方のために最善を尽くすなら、全権を委任されるべきである。
そしてこの協定は、世襲領主、参事会および地主が別の良い提案をおこなうまで守られるべきである。なお、本書状が記されたのは冒頭の日付である。


 1-3 ヴェッター荘園 Hofsprachen der Wetterfreien (1550, 1569年)


(ヴェッターはオスナブリュック司教領に属し、今日ではニーダーザクセン州のメレ市 Stadt Melleに含まれる)


 1550年聖ミカエルの日(9月29日)の後の水曜日、ヴェッターの荘園において荘園裁判集会がブーアの郷裁判官ルードヴィッヒ・ヘーゲヴィンによって開催さ れ、荘官が書くことができなかった事柄は以下のとおりである。
 第一に、テヴェス・シュメットは、裁判集会を開く者は何を得るのか、判断を求めた。それに対して12名の参審員は法にしたがって次のように示した。すなわち、彼は世界の四方へ行って、ヴェッターの自由な地方行政区を否定してはならない。
 第二に、テヴェス・シュメットは、自由民は毎年高貴なる代官と地方官に何を差し出す義務を負っているのか、判断を問うた。12名の参審員は法として次の ように指示した。すなわち、地方官には毎年2つの賦役、一方は草刈り、他方は 麦刈りをおこない、しかも日中に家を出て帰宅する義務を負う。
 第三に、テヴェス・シュメットは、聖堂参事会または修道院の領民、あるいはマルク共同体員など、他の人々は毎年地方官に何を差し出す義務を負うのか、判断を問うた。12名の参審員は、毎年1シリングを彼らの権利のあかしとして収 める義務を負うことを法として指示した。
 第四に、テヴェス・シュメットは、次のように判断を求めた。すなわち、ある自由民が域外に出て、高貴なる代官または参審員に直接会えない場合、文書で それを補う義務を負うか。参審員は、代官と参審員にそうする義務を負う ことを、法として指示した。
 第五に、テヴェスは次のように法による判断を求めた。すなわち、荘園農民が苦境にある場合、参審員は何をすべき義務を負うか。参審員は次のように法として指示した。すなわち、彼が自分の出費を必要としている場合にかぎり、 高貴なる代官は参審員とともに彼のあとを追いかける義務を負う。
 第六に、テヴェスは、わがオスナブリュックの領主が必要とするとき、どの範囲まで荘園農民のあとを追いかけるべきか、判断を求めた。参審員は法にしたがい次のように指示した。すなわち、その範囲は日の出から帰宅まで、荘園農民が在 宅するか、屋外の農地にいる場合である。
 第七に、テヴェス・シュメットは次のように判断を求めた。すなわち、自由民が死の床にある場合、その財産を彼の希望する者に、自由民であれ不自由民あれ、結婚による出生児であれ婚外出生児であれ、譲渡する権限を持たないのであろう か。参審員は次のように法にしたがって提示した。すなわち、男女とも相続財産を、自由民、不自由民、結婚による出生児、婚外出生児を問わず、自分が望む 者に譲渡する権限をもつ。彼らは地方行政官を呼んで、手を差し出すなら、 財産を前述のように譲渡する権限をもつ。地方行政官を呼べないときは、 二人の評判の良い人間を指名することができる。
 第八に、テヴェスは次のように判断を問うた。すなわち、自由民は彼の子どもを自由民保有地に嫁がせたら、高貴なる代官には何を納めるのが正しいのか。12人の参審員は次のように法にしたがって指示した。すなわち、自由民が子ども を自由民保有地に嫁がせ、わが領主が従者と代官をもっているなら、麻と羊で織 られた上衣を代官に差し出すべきであり、地方官がみずから裁判集会に来れば、 どの自由民も彼に1シリングを差し出すべきである。
 第九に、テヴェスは次のように判断を問うた。すなわち、ヴェッターの法を享受したいとおもう者は、どれほどの費用がかかるのか。参審員は法にしたがい次のように指示した。すなわち、彼は3シリングを払って適当とおもわれる所に入り、3シリングを 払ってそこから出るべきであり、毎年開かれる裁判集会に出席すべきである。そ うすれば、彼は法を享受できる。
 第十に、テヴェスは次のように法による判断を求めた。すなわち、自由な地方行政区で死亡した女は、ヘアゼの修道院の修道女に何を納めるべきか、また助司祭には何を納めるべきか。参審員は法にしたがって、女が亡くなったら、ヘアゼ の愛すべき修道女には最高の衣服を納めるのがよいと指示した。 
 第十一に、テヴェスは、ヴェッターの自由地方行政区の地方官には何が提供されるべきか、判断を求めた。参審員は法にしたがい次のように指示した。すなわち、自由民が必要とするなら、地方官は1頭の馬が死ぬまでそれに乗り、もう1 頭の馬にも死ぬまで乗る義務を負い、自由民たちは彼にそれらの馬の代金を支払う義務を負う。
 さらにテヴェスは、自由荘園の地方官には参審員と荘園農民から何が提供されるべきか、判断を尋ねた。参審員は次のように指示した。すなわち、裁判所管区に入る者は誰もが1シリングを納め、さらに野うさぎ狩りの自由と漁業の自由、ブ ーアの森における木材伐採の自由が提供される。
 1569年聖ミカエルの日(9月29日)の後の水曜日、ヴェッターの荘園において上述の判決が読み上げられ、参審員と荘園農民によってその効力を認められた。
  さらに、荘園農民は次のように法による判断をきいた。すなわち、必要によりその相続人に相続財産を譲渡する土地保有者には、何が占有物として残されるべきか。これに対して、参審員は法にしたがって次のように提示した。すなわち、占有物として馬車と犂、桶と布団が残される。老人が二人の場合は、財産の半分を取るこ とができ、一人の場合は4分の1を残すことができる。
 

 1-4 シュレーデハウゼン森林 Holting zu Schledehausen (1576年)


(シュレーデハウゼンはオスナブリュック司教領に属する集落で、今日はニーダーザクセン州の自治体ビッセンドルフBissendorfの一部である)


 
 1576年3月24日、シュレーデハウゼンの森林裁判集会がヴォルトとノートベルクのマルクにおいて、大聖堂吏員を伴った代官ゲルト・レーデブーア、オスナブリュックの大聖堂参事会員ヘルベルト・デア・ベーア、さらにランゲン とメーレルンのためにシューレンブルクとシュトックムからの代表数人によって、まずヴォルトマルクで開催された。
  ヘルマン・ヌートベッケは村民たちに対して次のように問わせた。すなわち、今日、この森林裁判集会は十分余裕をもって予告され、誰もがその領主に出席することを届け出たか。森林管理人と村民は、そうしたことがなされ、誰もがその領主 に届け出たと認めた。
 ヌートベッケは次のように、法による判断を尋ねた。すなわち、ふとどきにも集会を欠席し、領主に届け出なかった者は、森林裁判集会の法にしたがって領主に支払いをする義務を負うか。これに対して次のような応答があった。すなわち、欠席し、領主に届け出なかった者は、森林裁判集会で罰金を宣告される。
さらに、次のように法による判断が問われた。すなわち、マルク管理人が口を閉ざして、この裁判集会で法を示さないなら、裁判集会の法にしたがってそれに対して慈悲をうけられず、偽りの宣誓のかどで当局に罰せられなければならないか。これに対してマルク管理人は次のように提示した。すなわち、まず森林裁判集会の法にしたがって、しかる後に当局により偽りの宣誓を罰せられるべきである。
さらにヌートベッケは次のように判断を問うた。すなわち、わが君主と領主はこのマルクの最高森林裁判官として、その森林裁判権、領邦君主の統治権のゆえ にヴォルトマルクにおける木の伐採、豚の放牧その他の権利をもつと認められるか。
 これに対して、村民たちは次のように提示した。すなわち、彼らはその領主にヴォルトマルクで建物や新しい製粉所に必要な木材を伐ることを認めるが、事情によって1本か2本のオークの木を認め、豚の飼料が全体として30頭分だとすると、常に飼料の状態によってオス豚1頭分を認める。
 さらに、彼らが誰をこのヴォルトマルクの森林裁判官補佐として認め、彼はマルクの他の人々に対していかなる権利をもつのか、と問われた。
 それに対して、彼らはシュレーデハウゼンの借地農をマルクにおける二重のマルク共同体の裁判所のための世襲の森林裁判官補佐とみなすことが、認められた。
もう一度、次のように法による判断を尋ねた。すなわち、マルク管理人はあるマルク共同体員をとがめて、彼がマルク管理人を他の者より信頼してないのか、 尋問をおこなうべきか。それは正当だという判断が示された。さらに、次のように問われた。すなわち、ヴォルトマルクの農民は彼の囲い込み地の芝土をどれほど守るこどができるか、またマルクにおいてどれほど耕地を耕すことができるか、さらにマルクにおける彼の囲い込み地の樹木伐採をどれほど守れるか。第一に、芝土採取にかんして、次のように認められた。すなわち、いかなる農民も左足を マルクに置き、前足を囲い込み地に置き、右手でハンマーを左の足下に投げることができるなら、彼の囲い込み地の芝土を守ることができる。耕地の耕作と樹木の伐採にかんしては、右足を囲い込み地の溝に入れ、1エレの長さの斧でマルクに届くことができるなら、彼はそれらを守ることができる。
 もう一度、次のように法による判断を尋ねた。すなわち、誰にも取得されていない樹木がマルク管理人によってマルクでみつかったら、それは誰のものとし て取得されるのか、また風によって倒れた木を除く倒木は誰のものとなるのか。
 このことを村民全員がシュレーデハウゼンの下級裁判官に指示する。



 1-5 ウプハウゼン荘園 Hausgenossen zu Uphausen (1571年)


(ウプハウゼンはオスナブリュック司教領の集落で、今日ニーダーザクセン州のビッセンドルフに属する)


  1570年聖ミカエルの日(9月29日)の前の日曜日、ウプハウゼンの荘官屋敷で荘園裁判集会が開かれ、その荘園農民は荘官屋敷で判決のために審理をおこない、 以下に記されているように判決がくだされ、法として指示された。
 男の動産について。男が死亡したら、領主としての司教座教会首席司祭にはその権利として最良の馬を納め、それとともに鞍、馬勒、剣、長靴、拍車、長靴に 拍車を付けたまま入れる大鍋も加わる。鶏を料理できる鍋。男の衣服をおさめるための、剣ほどの長さの長持。袋、小袋、手に入るすべてのもの。最良の衣服。
 女の家財に属するのは、料理のときや神聖な日に着飾る女の最良の衣服と装飾品。あらゆる金銀細工。バター壺。すべての加工された麻。良い衣服用の長持。箱。夫婦の一方が死亡した場合、同様な死亡例にしたがって、領主たる首席司祭にはすべての家畜の半分、また蜜蜂がいれば、その半分が帰属する。
 すべての穀物は、農地であれ穀物置場のものであれ、占有物件として残され、屠畜される家畜もすべて残されるべきである。
 相続財産をもつ夫婦が亡くなり、彼らの子どもを残せば、子どもの一人はその両親の家にとどまるべきである。
 妻が亡くなったら、夫のものとなるのは、まず最良の馬、さらにお牛、オス豚、メス豚、最も若い母豚が産んだ子豚である。 
 村民が開催する裁判集会を特別の理由なく3回続けて欠席した者は、資格を失い、首席司祭の承認がなければ二度と認められることはないが、首席司祭に対する村民の懇願があれば認められうる。
 裁判集会の管轄区に出入りする者は、裁判集会に1シリング、荘官に1シリング、代官に1シリングを納めるべきである。財産相続のために外来者が来る場合、この相続人がそれを納めるべきであり、当地の住民が相続する場合は、最も近い親族がそれを納めるべきである。
 すべての負債は聖アンドレの日(11月30日)以前に支払われるべきであり、支払いがなされなければ、3日間以内に支払うことを一度要求し、それでも支払わなければ、代官は3人の荘園農民に命じて、容赦なく差し押さえるべきである。
 地代納入義務を負う豚は、その飼料があり、豚が太っているなら、毎年1ターラーを飼料代として払うべきである。転入にかんして荘園農民に誤解が生じ、領主所有地に生まれ住んでいる者は、荘園農民、荘官および代官に何も納める必要はないと勘違いした。そこで1578年ウプハウゼンの荘官の屋敷で、荘園農民は一致して、いかなる者も、領主所有地に生まれた否かにかかわりなく、荘園農民に1シリング、代官に1シリング、荘官に1シリング、二人あわせて6シリングを収めるべきであると決定した。


 1.6 ベルム荘園 Hausgenossen zu Belm


(ベルムはオスナブリュック市郊外の集落である)


 最初に、わが君主および領主の荘園農民が死亡したら、夫または妻のものとなる羊の半分を除いて、荘園法にしたがって、男子の動産と4分の1シェッフェル の枡は例外なくわが君主および領主のものとなる。さらに、荘園代官は男子動産のうちビールとバターの壺を入手するが、これは1シリングで占有権を買い戻すことができる。また夫婦二人とも亡くなり、彼らの子どもが残されたら、その子は亡くなった両親の財産の半分を守ることができ、財産の他の半分はわが君主および領主のものとなる。また不幸や貧乏のために役畜による賦役ができな くなった者は、事情が好転すれば、わが君主および領主のために熊手を用いて大麦の種まきをおこない、斧で大きな柳の木を伐るべきである。また、村長職の農民が亡くなったら、彼は1組の役畜馬を残し、できるだけすべての財産も残す義務を負う。さらに、一般農民が亡くなったら、2分の1組の役畜の占有権を残し、で きるだけ財産のすべてを残す義務を負う。また、荘園農民は郷裁判所にも、上級裁判所にも、流血裁判所にも参加する義務を免除される。また、荘園農民は自由市場において関税と流通税を免除される。また、荘園農民は負債の返済を迫られたとき、とりあえず穏当な裁判官に訴えられれば、差し押さえなどの 心配をしなくてもよい。領主が荘園農民に先祖代々受け継がれてきたものより高い義務を課したら、そうした強制にしたがう必要はない。先祖が納め、支出したより多くを納めたとおもう荘園農民の農地は、わが君主および領主に帰属すべきである。荘園農民の誰かが農地を荒廃させたり、変えたり、あるいは悪化した農地をひきうけたりしたら、その農地はわが君主および領主に没収される。村長職の荘園農民が死亡したら、最高の衣服、財布の金、帯、ナイフおよび靴が裁判官のものとなる。村長職の農民の妻が死んだら、最高の衣服、最高の布、帯、ナイフ、財布および金銭が裁判官のものとなる。村長職の農民の家で男が死んだら、裁判官にはズボン、靴、帯、財布、金銭、ナイフと彼の帽子が彼のものとなり、村長職の農民の家で女が死んだら、裁判官にはズボン、靴、帯、ナイフ、財布および最高の布が彼のものとなる。転入者を雇う者は、代官に新しい麻・羊毛混織の胴着または1ターラーを納める。
 ベルムとメッキングハウスの荘官は共同で馬車輸送をおこない、フィンケとグレーゼンカンフは共同で馬車輸送をおこない、キュールマンとシャメルは共同で馬車輸送をおこない、ポーヴェの荘官は馬車輸送の半分をひき うけ、ツーゲバルトとリトマールは共同輸送、メーアポールとクレークマンはかつて共同で役畜を用いた犂による耕作をおこなった。これらの荘園農民は毎年デューフェル草地からイーブルクへ荷馬車1台分の干草を運ぶ義務を負い、わが君 主および領主は定住している荘園農民に毎年賦役を要求しなければならない。またわが領主の地方官がイーブルクから荘官屋敷または村に来るとき、荘園農民は無償でにわとりの燻製を提供すべきである。これらの荘園農民はベルムの荘官に2回犂による耕作をおこない、収穫期に鎌で刈り取る賦役義務を負い、荘園農民が必要とする場合、荘官は援助をおこない、荘園農民が荘官に奉仕するときは1シリン グの酒手をふるまうべきである。


 1-7 ヴェストルーム荘園 Hausgenossen zu Westrum



(ヴェストルームはミュンスター司教領エムスラントの集落で、今日はニーダーザクセン州に属する)


 ヴェストルームの荘園に属する荘園農民の法。第一に、荘園農民は毎年3回の荘園裁判集会を開催することを知るべきである。最初の集会は聖なる三王の日(1 月6日)の後の火曜日におこなわれ、この日は出席義務のある正式な集会日であり、いかなる者も出席しなければ、その権利を失い。その日には尊敬すべき大聖 堂首席司祭が荘園農民に1頭の豚を賜り、荘園農民がこの豚を太らせるよ うにいくらかのエンバクもくださる。第二の集会日は過ぎ越しの日の後の火曜日である、第三の集会日はアルテンドルフの教会ミサ後の次の火曜日であり、この最後の火曜日には荘園農民は1グルデンを彼らの宴会費を支払うべきである。これら3集会日に地方官は代官とともに宴会に参加すべきである。また、荘園農民の誰かが亡くなり、それが夫婦のどちらであれ、首席司祭が相続会議を開こうとしたら、荘園農民はそれを尊重し、自分自身のためにも、すべて首席司祭の指示にしたがうべきである。また荘園農民の男が亡くなれば、最良の馬とその鞍および手綱が首席司祭のものとなり、彼の剣と拍車があるなら、それらも首席司祭のものとなる。さらに、男子家財は荘園農民の法にしたがって、まず剣を収納できる長持、拍車を付けて足を入ることのできるたらい、小物入れと袋、懐中短刀を除くすべての衣服、帯、手袋、手にもつすべての武器を含み、これらは地 方官のものとなり、野営用寝具も首席司祭の権利となってまだ長くはないが、彼のものとなる。
 荘園農民の妻が亡くなったら、夫は馬とその馬具を家財としてとっておいた後、妻の家財はすべての衣服を除いて首席司祭のものとなり、地方官は頭巾、襟、袖、hänschen、靴、帯、ナイフを取得する。
 次に首席司祭のものとなるのは、すべての銀細工とハサミで切ってないすべての布、すべての麻の繊維、そしてビールとバターの壺である。
 夫と妻の両者が亡くなり、子どもが残されて親族が嘆き悲しむことはときどきあるが、その場合、財産の半分は荘園法にしたがって家財として保留され、子どもが前述のように幼い場合は、夫婦の両家親族がその後見人とならなければならず、子どもが成人して、相続地を耕作するようになれば、法にしたがい首席司祭に毎年彼のすべての負債を納めなければならない。荘園で夫または妻が亡くなったら、雄牛とオス豚、出産予定のメス豚、耕地にあるものすべてがまず家財として残されることが、荘園における法である。
 次に、すべての家財は大聖堂首席司祭が任意に取得できる。また荘官は子豚の出産をひかえた2頭のメス豚を取得し、他の相続人たちがうけとるすべてのものの2倍、すべての穀物は、それが脱穀されているか否かにかかわりなく、家財として残される。
 仕事をやめてて隠居しようとおもう者は、家財として先ずかまどの上に鍋をつるす自在鉤、焼き印、大きなやかん、大きな壺を残しておくべきである。次に、彼は荷馬車と犂、6頭の馬を荘園法にしたがって家財として残すべきである。彼は相続人の経過を見守り、隠居人は相続人に十分な財産を残し、自分のものも同じように十分取り、隠居人は相続人の家財として播種用穀物とパン用穀物を残し、ときには荷馬車1台分のエンバクを飼料用に残しておくべきである。なお隠居人が亡くなったら、夫と妻のどちらであれ、財産の半分は首席司祭のものとなるが、 地方官に帰属する彼の権利はそこから除かれる。隠居人がすべて亡くなったら、つまり夫婦二人とも亡くなったら、そこにあるすべてのものが首席司祭のものとなる。上述のような荘園農民がいるなら、地上に固定されたものと釘で固定されたものを除いて、彼の家財として残され、落下していない穀粒もすべてその家財として残される。しかし隠居人の住み家に誰も住まなくなれば、それは相続人ま たは荘園のものとなりうる。したがって、地方官は荘園農民とともに荘園の実情に応じて隠居分を処理しなければならない。ろうそく税を毎年一度に支払いたく ないため、それを年2-3回分に分けて支払いたい者には、首席司祭は寛大に分割を認めることができる。上述の3回の裁判集会の出席義務を守らない荘園農民がいれば、地方官は荘園農民とともに彼に1フィアテルのビールを罰 金として科すべきであり、彼の飲食費もこれに加算すべきである。荘園農民の権利を得たいとおもう者は、荘園に2シリングを納めなければならない。また荘園農民の 子として生まれた首席司祭の下男または下女は、奉公先を地方官または代官から変更してはならない。結婚のために、彼らが奉公先を変えなければならないときは、奉公していた所から自分の持ち物をもっていくべきである。また彼らが奉公を最後まで勤めあげなければ、彼らに相続財産を分与してはならない。また荘園農民の子として生まれた下男または下女は、結婚を望む場合は、首席司祭に奉公してはならない。



 1-8 ヴァーレンドルフ郷 Gaugericht zu Warendorp (1504年)



(ヴァーレンドルフはヴェストファーレン北部の都市だが、この裁判史料は都市ではなく、広域の郷 [Gau] 裁判所の史料である)

 ヴァーレンドルフの郷裁判所の宣誓裁判官である私ゲルト・ハーファーはシュミージンクと呼ばれる敬愛すべきヨーハン・コルフおよびヨースト・コルフに書状で知らせたとおり、君主および領主諸侯の間で争いがあり、一方はミュンスター司教でオスナブリュックの教会管理者コンラート・フォン・リートベルク侯と彼のザッセンブルクの地方官ヨーハン・レートベルク、他方はヴァーレンドルフ郷裁判所の下級裁判官でシュミージンクと呼ばれる敬愛すべきヨーハン・コルフとヨースト・コルフ、これら両者の間で、他人の土地または耕地を不当に耕したのは誰かという問題をめぐる争いがあり、そのため裁判集会が開催された。結局、上述の領主・司教は、ヴァーレンドルフの郷裁判所の裁判集会で参審員と裁判集会出席者によって同上の争いを審問し明らかにすることを望んだ。そこで裁判が開かれ、私が郷裁判所の法にしたがい裁判所の判決と弁論を管理し、良き人々の答を次のように記した。すなわち、同上の郷裁判所の下級裁判官であるシュミージンクと呼ばれる敬愛すべきヨーハン・コルフおよびヨースト・コルフは、ヨーハン・ビュッシェンをつうじて領域の郷裁判集会における彼らの弁論に対して、次のように法による判決を問わせた。すなわち、当裁判所管区において公道または墓地の道、農道以外の耕地または溝を囲い込んだり、一人または何人かの馬などを殺したり、裁判所の許可なく差し押さえ、むやみに助けを求 める叫び声を発し、あるいは他人の野原や芝土を刈り取ってに損害をもたらす者には、いかなる科料をどれほど科すべきだろうか。判決はホーゼウィンケルのヘルマン・リヒターに確認が求められ、彼は参審員と協議して、参審員は再 び前述の人々を呼び入れ、次のように法を示した。すなわち、他人から不当に土地を切り取り、あるいは公道、教会への道、堰堤、農道の外の溝を囲い込み、一人または数人の馬などを殺し、あるいは裁判所の許可なく勝手に差し押さえをおこない、むやみに助けを呼ぶ叫び声を発し、他人の野原や芝土に有害な刈り取りをおこなう者は、郷裁判所においてヘアコッテンの下級裁判官に科料を納めるべきであり、垣根のオークの杭一本につき5シリング、シャベル一杯あたりの土5 ペニッヒ、農道と堰堤からの土地切り取りは1件につき60シリングの科料を下級裁判官に納めるべきであり、他人の土地を不正に切り取り、公道と農道に違反行 為をした者は自由裁判官の裁きに服する。さらに前述の下級裁判官は、前述の判決の指示に参審員と郷民が何らかの責任を負っているのか、またこの指示は宣誓によって真実であることが確かなものとされたのか、ヨーハン・ビュッシェンをつうじて法による判決を問わせたが、答えはなかった。そこで参審員と郷民はランベルテ・ボートメスターをつうじて彼らの誓約された陳述の確証に6 週と3日の猶予期間を得た。さらに 同裁判所の下級裁判官は次のように指示された。 すなわち、同上の参審員と郷民は6週と3日以内に宣誓による真実の確証を示さず、郷裁判官がその期限を延長しなければ、参審員は裁判所に10マルク、郷民 は5マルクを納め、下級裁判官に損害と農地を賠償しなければならない。その後裁判が再びおこなわれ、聖ミカエルの日(9月29日)の前の水曜日の終業後の余暇にこれらの参審員全員が正しく法の指示と確証をおこない、前述のように、宣誓によって確定した。これら参審員は全員一致して裁判所の郷裁判官である私ゲルト・ハーファーのもとに来て、ホステのヨーハン・マイアー、フォルンのヨーハン・マイアー、ドルフォルネンのフレデリック・マイアー、ホーゼ ヴィンケルのジモン・リヒター、ヒンリク・グラーストロプ、ヒンリク・ハーケネシュス、ファルスラインのベルント・シュルテ、ヒンリク・ホラント、エルネンのヘルメン・ヴェストホーフは聖書の上に手をかざして、生涯良心以外には耳を傾けず、不正をおこなわないことを堅く誓った。むやみに助けを求める叫び声をあげる者、他人の野原や芝土を切り取って害をもたらす者、公道や墓地への道や農道以外の土地を囲い込む者、一人または数人の馬を殺す者は、郷裁判所によりヘアコッテンの下級裁判官の裁きをうけるべきである。また不正な耕作をおこない、墓地の道や公道を狭める者は、自由民裁判集会の裁きをうけるべきである。前述の下級裁判官はヨーハン・ビューシュンをつうじて彼らの陳述に対して、私がこのような法の指示と確証に証明書を与え、そこから利益を取る義務を負っていないのか、法による指示を問わせた。これに対して、私は証明書を与え、そこから利益を得る義務を負わないという法が示された。私はこの判決の同意を1回、2 回、3回・・・と9回問い、誰もそれに反対せず、黙って同意されたので、 私はそれを法として確定した。そこで私は上記のすべての判決と指示などにもとづき私の文書をうけとった。こうして上述のようにすべてが郷裁判官である私ゲルト・ハーファーの前でおこなわれたとき、私は文書の前に進み、真実の証明のために裁判所の私の印章を両当事者の要請にしたがいこの書状に掛けた。ここで当裁判所の証人および同僚とともに、また彼らの同席のもとで、両当事者の要請によって、これらのことを目と耳で確かめ、郷裁判官である私がこの法的証明書に押印した。尊敬すべき領主ジーメン・フォン・ヘアデ、ヴィルブラント・シュテール、ミュンスターの大聖堂惨事会員ヒンリク・シェンキンク、ゴデケ・シェンキンク、コルト・シュテール、デトマー・ツヴェレ、ロスマン・フリッセ、ヒンリク・デュスターベッケ、さらに多くの敬虔な人々、たとえば領主ヘルマン・フォン・ヘアデ、ヴィルブラント・シュテルおよびケルト・シュテルは全員一致で前述のように、これを承認し、文書に真実の証明のためにこの書状に郷裁判官の印章を掛けたことを両当事者に知らせた。1504年火曜日、鎖につながれた聖ペトロの日(8月1日)に記す。


 1-9 バッケンフェルト郷 Gogericht zu Bakenfeld


(バッケンフェルトはミュンスター市の南に位置する広域の「郷」であり、この文書では8教区を含む)

 バッケンフェルトの郷裁判所管区の住民には、郷裁判集会で次のように読み上げることを慣わしとする。
バッケンフェルトの郷裁判官は、年2回郷裁判集会を開催し、夏に1回、冬に1回、夏には三位一体の主日(通例5月)後の裁判集会の日に、冬には隠者パウロの 日(1月15日)後の裁判集会の日に開催すべきである。
 1. 最初に、財務官は次のように述べて、法による判断を尋ねた。すなわち、ロクセル、アメルスビューレン、アルバハテン、マウリティウス、アンゲルモッデ、ヒルトルプ、アーフェルヴァーター、ザンクト・ランベルティの全教区で、事情が許せば、官房から郷裁判官の命令が公布され、郷裁判所管区の住民、村役人および村民が本日9時から10時の間に郷裁判集会に参加するよう知らされ、これに違反すれば5マルクの罰金を科され、彼らの告発を申し出るべきであり、欠席する不従順な者は上述の罰金を科されるべきではないか。
この問は法にしたがって認められた。
 2. さらに同上の財務官は次のように尋ねた。すなわち、免税農地をもつ者は本日1シリングを郷裁判集会に納める義務を負うにもかかわらず、ふとどきにも欠 席してそれを払わない場合、いかなる罰をうけるか。それに対して法として次のような判断が認められた。すなわち、免税地をもつ者が当地で開かれる裁判所の郷裁判官に、習慣と法にしたがってその料金を納めなければ、しかるべき理由を郷裁判官に申告して、許しを得ない場合、日が昇り没するたびに料金は2倍とな る。
 3.不適切な脇道、溝および家畜通路を領域境界の防塞越しにつくったり掘ったりする者がおり、それによって敵、盗賊および悪漢が夜間に馬車その他で通りぬけ ることができ、甜菜その他を積んで、牛馬が通れるようにする場合には、いかなる村役人およびその村民もこれを届け出る義務を課される。
 4.同じように防塞を不適切な時期に掘り返し、その土を穴から自分の畑に運び、畑を肥沃にしたり、同じくこの危険な時期に閉鎖を命じられている遮断棒を閉鎖 しない者は、いずれも10マルクの罰金を科される。
 5.公共の道路、墓地の通路、教会の道路、野原の小道に見慣れぬ穴を掘ってはならず、法に反してこうした不当な穴掘りによって公道に溝をつくってはならず、 人や家畜を野原の小道の穴に落として溺れさせてはならない。これに違反した場合、10マルクの罰金を科す。
 6.郷裁判所管区の住民が他人に対して訴えをおこす場合、自分が住んでいる地域の郷裁判所に訴訟を起こすべきであり、いかなる村にも郷裁判所の廷吏が住んではいるものの、負債、中傷、喧嘩、囲い込み、溝掘り、耕作、種まき、刈り取りなどいかなる問題であれ、代官以外の官憲に訴えてはならず、みずから訴え、それを直ちに申し出るべきであり、ミュンスターの内外で一方が他方を占拠や拘束によって困らせてはならない。これに違反した場合、10マルクの罰金を科す。
 7. 同じように郷裁判所管区住民の村落の内外で、自国または外国出身を問わずよそ者に無益でふしだらな生活をさせ、小屋やパン焼き所に滞在、居住または宿 泊させてはならず、14日以内に彼らを追い払うべきであり、これに違反した場合、10マルクの罰金を科す。
 8.同じくごまかしたり借りた財産をひそかに隠しもってはならず、自制して代官に届け出れば、官房をとおして彼の領主に知らせることができる。これに違反した場合、10マルクの罰金を科す。これに反して何かをひそかに隠し、代官にも届け出ない者は、それを盗んでしまう前に、罰せられるべきである。
 9.住民は野うさぎ、鴨、velthonderを撃ったり、わななどで捕らえてはならず、違反した場合には10マルクの罰金を科す。また、この危険な時代に当局に対する暴動、反乱、暴力などが起きたときは、いかなる住民も代官に注意を促し、代官にそうした違反者を捕らえる任務を課し、さらにただちに彼らの武器をとって、代官に従い、常にできるかぎり彼を助けなければならず、これに違反した場合は20マルクの罰金を科される。
 10.火事や、雇い主と仕事のない下男その他良からぬ輩による暴動、気まぐれなどによる緊急事態を知らせる鐘が打ち鳴らされたら、武器をとって応援すべきであり、その場にかけつけない者は、ただちに20マルクの罰金を科されるべきである。
 11.隣人にあまりに近いか有害な新しい垣根をつくってはならず、他人の土地に泥灰岩採掘の穴を掘ってはならない。これに違反すれば、5マルクの罰金を科す。


 1-10 ザントヴェル郷 Gogericht zu Sandwell (1566-1585年)



(ザントヴェルはミュンスター市の西北に位置する郷裁判所管区で、15教区を含む広域裁判所管区だった)

1. 2人の領主の土地に墓地の通路や農道があって、両領主がその土地に柵または囲いをとりつける場合、郷の法によれば墓地の道路や農道の幅をどれほどにすべ きか。この問いに対して、次のような応答があった。2台の馬車が並んで、一方が墓地へ行き、他方がその反対方向に行くことができるように、両領主の土地の間の墓地の通路や農道の幅を設置すべきである。
2. 2人のカンプと土地が隣り合っており、一方の鶏が他方の作物に害をおよぼす場合、その損害はどのように償われるべきか。この問いに対して、次のような応答があった。鶏による損害を被った者は、彼の作物のある土地で鶏を捕まえられれば、その首を切断し、食べられた作物を彼の土地に投げ捨てた後、鶏 の持ち主に鶏を投げ返すべきである。だが鶏を捕まえられなければ、損害を公平な立場にある者に見積もらせ、鶏の持ち主にそれを請求すべきである。
3. 2人が隣り合う土地をもち、一方が生垣で囲い、その生垣にオークの木が立っており、木から枝が他方の土地に伸びて損害をもたらし、オークの木の実が木に成長した場合、郷の法にしたがえば木の持ち主はどこまで木の実の発芽の責任を負うべきか、この問いに対する応答:二人が隣り合う土地をもち、一方が生垣で囲い、その生垣にオークの 木が立っており、木から枝が他方の土地に伸びた場合、木の持ち主は生垣の外側3 フスまで木の実の責任を負い、それ以上は責任を負わなくてもよい。しかし、それ以上に枝が伸びてくるなら、土地の持ち主は態度を保留して、悪しきものが落ちてきたときは、良きものも享受すべきである。
4. 墓地の通路はどれくらいの広さが適当か。この問いに対して、次のような指示がなされた。墓地の通路は3頭の馬が馬車のために1列に並んで進み、その際馬車の車輪の両側それぞれに一人の男がついて、遺体と馬車が落ちないように見張れるだけの余裕をもたせるべきである。
5. 農道はどれくらいの広さがあるのが適当か。この問いに対して、次のような応答があった。農道は、車輪の両側に一人の男が熊手をもって、作物が転落しないようにしながら、進むことができるだけの余裕をもたせるべきである。
6. 墓地への道と農道が一緒であれば、墓地への道と農道はそれぞれ別である場合よりも、道路をもっと広く、違う形としなければならないか。この問いに対して、次のような応答があった。墓地への道と農道が一緒であれば、人が互いにすれ違うことができ、支障なく教会に来られるように、道をもっと広くすべきである。
7. ある農民または村民が農地と住居をもち、教区ではなくマルクに何らかの土地をもっている場合、この土地がマルク内にあってそこに彼が住んでいるなら、芝土を切り取り、上述の土地にそれを施肥する権限をもつか、郷の法に対する応答:農民と村民は、何らかの土地 とともに農地と住居をマルクにもつなら、そのマルクから芝土を切り取ってマルクにある土地に施肥する権限をもつべきであり、これは彼が他の教区の教会に属しているかどうかにかかわりなく、認められる。
8. 共同マルクに農民やマルク共同体員がそのカンプをもっている場合、彼らはマルクの彼らの土地とカンプからどれほどの範囲まで芝土を切り取り、養豚の時期にどんぐりを採集できるか、この問いに対して、次のような応答があった。農民はその農地を共同マルクにもっている場合、その土地から農民の下男が大鎌を研ぐためのハンマーを左の足下に投げられる範囲まで、マルクから芝土を切り取るべきであり、またその土地の溝のなかに立ち、マルクに向かって片腕の肘をついて、他方の手で集められるだけのどんぐりを採集して保持すべきである。
9. 原野のなかにあるカンプが農民の相続農地に属する場合、村民はそのカンプの相続耕地の溝からどのくらい離れた場所で芝土を切り取るべきなのか、この問いに対して、次のような応答があった。上述のようにカンプの相続耕地が原野のなかにあって、誰かがこの原野で芝土を採取したいとおもう場合、農民の下男はこのカンプの溝の端に右足を入れて、右手で左の足下に大鎌を研ぐためのハンマーを投げられるほどカンプから離れた場所まで芝土を切り取るべきである。
10. 農民がこのようにしてさまざまなカンプをつくっても、年月が過ぎ事情に通じた者が亡くなると、彼の土地への正しい道が荒廃して、彼の肥料運搬車その他のKühebeesterenで障害なくそこに到達できなくなるという困った事態が起きれば、 いかなる手段と方法によって他人と同じように道を選んで目的地に到達することができるか。彼がそのエッシュへの道を確保できないなら、できるだけ公共の街道を行き、さらに最も害の少ない次の道へ進むべきであり、こうして彼にマルクから別の道の可能性が指示される。
11. 村のエッシュにおける農道はどのくらいの幅とすべきか、この問いに対して、次のような応答があった。1-2人の隣人が農道を利 用する場合、8フスの幅とすべきであり、3人以上の隣人が農道を使うなら、16フスの幅とすべきである。
12. ある者が他人の播種地をとおる農道を使う場合、彼は農道を使うことができ、しかも通行自由であり、農地保有者がこの教会領の法の慣わしによって、農道のために任意に耕作または播種を放棄し、農道の通行停止後も、土地を休耕して、ひきつづき他人のために放牧路を 維持しなければならないか。この問いに対して、次のような応答があった。他人の播種地をとおる農道を使う者は、通行自由である以外は使用すべきでなく、放牧路として権利をもつ以外は利用してはならない。
13. 2人の隣人が隣り合って住み、一方は彼の隣人の屋敷で分断されたカンプをもち、カンプの持ち主は隣人の屋敷の裏にカンプへの道をもちたいとおもうが、自分の土地からカンプに行くには隣人の屋敷をとおる墓地への通路を通る以外になく、その場合郷の法にしたがえば、彼は自分の土地から隣人の屋敷を迂回する別の道を行く義務があるのか。この問いに対して、次のような応答があった。自分のカンプへ行きたいとおもう者は、その道を利用すべきである。なぜなら、彼は以前そうしていたからであり、隣人の屋敷をとおる以外に新しい道はなく、その屋敷をとおる墓地への通路を以前どおり利用することができるからである。
14. 小川または水流に水車をもつ者にかんして、河川または小川を郷の法によればどれくらいの広さとするのが適切か、また彼の土地を小川に対して上下流とも空けておく義務を負うか、この問いに対して、次のような応答があった。水車が水を上から注いで動かす装置であるなら、誰もがその土地に対して小川または水流を広く空けておき、犂の車輪が岸辺を上下流とも無傷で流れるようにすべきである。だが、水車が下から水を注いで動く装置なら、6つの車輪が岸に接触することなく自由に流れるように空けておくべきである。
15. 以前家が建ってなかった場所に住みたいとおもう者について、次のように郷の法が問われる。すなわち、彼はその隣人から自分の主たる土地をどれくらい離す義務があるか、また他人の主たる土地の芝土採取をどの程度避けるべきか、そして彼はマルクの放牧や権利を享有できるか。この問いに対して、次のような応答があった。新居を設けたいとおもう者は、彼の隣人の主たる土地から200歩離れるべきであり、村民が認める以上の権利や放牧権を行使してはならない。また、芝土の切り取りをおこなうには、農民の下男が大鎌を研ぐためのハンマーを右手にもって左の足下に投げられる距離まで他人の主たる土地から離れるべきである。
16. マルクに住んでおり、森林、樹冠、枝葉、水および放牧地に権利をもつ者が、かつて家がなかった自分の所有地に新しい家を建てようとする場合、次のように問われた。すなわち、一部はマルクに住んでその権利をもつが、一部はマルクと教区には住まず権利ももってない他の人々の土地から、どれくらい離れるべきか。それに対する応答は次のとおりである。すなわち、以前家のなかった場所に新しい家を建てることを計画して、森林役人とマルク共同体員から承認された者は、飼育されたヤマウズラが飛べる距離、人間の300歩の距離を他人の土地から離れ るべきである。
17. 採草地をもつ者について、彼の最寄りの播種地の持ち主が彼に同意する間隔はどのくらいか、この問いに対して、次のような応答があった。成熟したオークの木陰が真夏の聖ヨハネの日の朝または夕方6時に伸びる場所まで採草地から離れて耕作をおこなうべきである。
18. マルクにおいて他人の相続地と採草地に向かって苗木を植え付けようとする者について、相続地と採草地からどのくらい離れて植え付けや芝土切り取りをおこなうべきか、この問いに対して、次のような応答があった。相続地または採草地をもつ者に対して、マルクで苗木の植え付けや芝 土の切り取りをおこなおうとする他の者は、苗木の植え付けはまったく許されないが、芝土採取にかんしては、農民の下男が右手に大鎌用のハンマーをもち、左の足下に相続地から投げられる範囲まで、相続地から離れておこなうべきである。
19. 2人のマルク共同体員が隣合わせの土地をもち、以前に一方の土地で植え付けられた苗木が、他方の土地の上に生い茂り、これにかんして次のように問われる。すなわち、この苗木を所有する者が他人の土地の上の枝を切り取るべきであるか、また隣人からどのくらい離れて新しい植え付けをおこなうべきか、さらに他人の苗木に由来する根が自分の土地で見つかったら、根を地中で根絶できるか。この問いに対して、次のような応答があった。2人のマルクの土地が隣り合っており、一方がかつて植え付けた苗木が他人の土地の上に伸びて、枝がおおいかぶさってきたら、それを切り取って、同じだけ日光があたるように木を元に戻す責任を負う。また、彼がそうすることを拒んだ場合、生育したオークの木陰が真夏の聖ヨハネの日の朝8時と夕方6時に伸びてくるところまで隣人の土地から離れるべきであり、彼の土地に伸びてくる苗木の根は、地中で根絶してもよい。
20.十分の一税納税者が十分の一税を課される作物を刈り取って、荷馬車に載せ、十分の一税領主に申告し、そこから十分の一税を徴収してもらう際に、十分の一税領主またはその代理人が徴収を怠り、納税者が損害をこうむったら、納税者はどうすべきか、それによって十分の一税領主または納税者自身に不法がおこなわれることはないのか、この問いに対して、次のような応答があった。刈り取られた作物が運ばれ荷馬車に載せられたら、納税者は十分の一税領主にそれを知らせ、領主が十分の一税の徴収を長期間怠り、納税者がそれで損害をうけたら、納税者は荷馬車の車輪の上に立ち、「十分の一税領主、十分の一税領主、十分の一税領主!」と3回叫ぶべきである。そこへ十分の一税領主が来なければ、納税者は彼の隣人2人を連れてきて、十分の一税領主のための納税 をいったん中断し、十分の一税が課税されている農地の末端で作物を搬入すべきである。そこで十分の一税領主またはその代理人は十分の一税の徴収を始め、農地の末端で十分の一の大麦ではなく、十分の一の穀物束を徴収すべきである。
21.十分の一税領主が家畜十分の一税を相続地に対して課し、納税者がその農圃で羊を飼育している場合、納税者は十分の一税領主に対して他の家畜と同じように毎年羊も納税する義務を負うか、この問いに対して、次のような応答があった。十分の一税領主には毎年十分の一の羊が納められ、納税者はすべての羊を閉じ込め、閂を開けたとき飛び越えて出て来る羊を十分の一税として領主が徴収し、それが子羊の場合は、その次に飛び越えて来る羊が徴収されるべきである。
22. 十分の一税領主が穀物十分の一税と家畜十分の一税を何らかの相続地に課す場合、十分の一税領主には庭畑から1樽以上の麻が納められるのか、そしてそれ はどれくらいの量か、この問いに対して、次のような応答があった。十分の一税領主には相続地に対する穀物と家畜の十分の一税が納められ、相続地の庭畑からは1樽より多くの麻は得られず、それは一人の男がその腕にかかえられるほどの量とすべきである。
23. ある農民がその娘に相続地をゆだね、彼女はそこに住み、相続地が何らかの困難におちいった場合、娘と彼女の夫はその負債をひきうけ、支払わう義務を負うか、この問いに対して、次のような応答があった。彼の娘の夫または農地保有者は相続地をゆだねられても、娘が現在の農地保有者としての夫とともに、滞っているとおもわれる負債を父の負担と助けがなくても支払う義務があるとすれば、もはや相続地から生活の必要をまかなうことはでき ない。
24. 農奴夫婦が神から2人の子どもを授かった場合、1人の子は領主により解放されるべきではないか、この問いに対する応答:神が2人の子どもを授けた農奴に対して、領主は末子を解放して自由とする 義務を負うべきである。
25. ある相続地を年期保有した者が、その年期の期限内に妻を亡くし、この夫が他の妻と結婚したところ、全能の神はこの夫婦に子どもを授けた。再婚の際に後妻が家畜、穀物と衣服および金銭を持参した場合、再婚夫婦から生まれた子どもたちはこの相続財産から後妻の持参分を与えられるべきではないか、これに対する応答後妻が相続地に持参したものは、ことごとく郷の法にしたがって相続財産から彼女の子どものものとなるべきである。
26. ある農民が娘を相続地に連れてきて、この娘が死亡して子どもを残したら、相続地に残っている農民は、子どもの母が相続地にもっていた財産を彼女の子どもに与える義務を負うのか、この問いに対して、次のような指示がなされた。母の死後相続地に残っている農民は、母親の死後相続地に残された子どもに、母親が相続地に持参したものを与え、さらに相続地の事情と能力によってもう少し多くを与える責任と義務を郷の法にしたがって負う。
 

 1-11 ヴェスターヴァルト Westerwald (1521-1538年)



(ヴェスターヴァルトはヴァーレンドルフ近郊のマルク=共有地である。)


  1521年聖母マリア訪問の日(5月31日)の後の木曜日ブナの木のもとで裁判集会が開催された。
 ヴェスターヴァルトの囲い込み地とマルク(共有地)から法によって毎年わが慈悲深き領主、マルク地主およびマルク共同体員に何を与えるのか、判断が尋ねられた。ベーゼンのドライアーに確認したところ、次のように法を指示した。すなわち、ヴェスターヴァルトのすべての罰金、地代、収入および利子の一部はわが慈悲深き領主代理人としての森林裁判官、他の一部はマルク地主、第三の部分はマルク共同体員のものとなる。
 1530年聖ロレンツォの日(8月10日)の後の木曜日、ヴぇスターヴァルトの地方官で尊敬すべき高貴なディーテリッヒ・ファン・ネルフェルトによってブナの木のもとで裁判集会が開かれた。
 慈悲深きわが君主ならびにヴェスターヴァルトの領主はいかなる権利を有するのか、ベーゼンのドライアーによって判断が問われ、ホロトルプを介して次のように指示された。すなわち、最高の地位と白銀杯とともに、えさ桶で飼育する豚、ザッセンベルクの司教の家屋の建築用の堅材、燃料用の軟材、すべての倒木の一部、ヴェスターヴァルトの地代収入。第二の地位の地位をを有するのはマルク地主、第三の地位を有するのはマルク共同体員である。
 同上のドライアーによって、フレッケンホルストの慈悲深きわが女領主はヴェスターヴァルトにおける最高のマルク地主として、いかなる権利をもつのか、判断を問われた。同上のホルトルプによって次のように指示された。すなわち、彼女の相続人はザイルの農圃の放牧用の30頭の豚と1頭の雄豚の肥育用の飼料、燃料用の乾燥した木材1日あたり荷車1台分を得る。ただし、荷車の積み荷の柵を車輪より高くしてはならない。さらに。ヴェストケルケンのザンクト・ヨハネス教会に8シリングの寄付、そのうち4シリングを真夏に、4シリングを真冬にを納め、マルク管理人に太った雄羊を納める。
 4部屋と納戸のある家が火災にあったら、森林裁判所に要請すべきであり、彼の要請は拒否されてはならず、木材の必要経費をまかなうために古戦場を犂で耕し、豚を飼料桶で飼育し、彼の燃料に必要な軟材を支給されるべきである。彼の豚が死んだら、聖ヤコブの日(7月25日)の前に彼の最良の馬を売り、彼がその代金で買った豚を飼育するために放牧すべきである。
 旧小屋住農はいかなる用益権をもつか、判断を問われて、次のように指示した。すなわち、2頭の豚、慈悲により3頭の豚の肥育、および収納できるかぎりの量の薪の権利をもつ。
 1534年 聖ランベルトゥスの日(9月17日)の後の土曜日、臨時森林裁判集会が尊敬すべき荘官で地方官のフリードリッヒ・フォン・ツヴィストの出席のもとに開かれた。
 30年以内に家を建てた新小屋住農は、申請して購入したものより多くの権利をもたない。
 1537年聖母マリア訪問の日(5月31日)の後の木曜日、ヴェスターヴァルトの臨時森林裁判集会が新しい墓穴の傍で開かれた。
 カルトホーフは次のように指示した。すなわち、境界標識の木を伐る者は、伐りり始めたら罰金5マルク、切り倒したら6マルク、荷馬車への積み込みには5マルク、荷馬車による搬送には5マルクを科され、罰金は重複して科される。
 どんぐりを拾い集め、畜舎の敷きわらを伐採する者は、彼の最良の豚に焼き印を押され、わが領主とマルク管理人のために貢租を納めるべきである。、
 1538年聖母マリア誕生日(9月8日)の後の月曜日、ヴェスターヴァルトのブナの木のもとで森林裁判集会が開かれた。ヴァーレンドルフ住民と放牧地にかんして、マルク地主とマルク共同体員がヴァーレンドルフの住民にいかなる権利も認めなかったので、ヴァーレンドルフから派遣されたハンス・ロレニンク、ヨーハン・ケルディンク、ヨーハン・シュテルンベルク、ヨーハン・クルッセはマルク共同体員が認めない慣習と所有を放棄し、次回の森林裁判集会までに、いかなる者もその領主に要求して、彼の証言と必要なものを取りそろえておくように指示された。
 1560年聖レミギウスの日(10月1日)の後の木曜日、ヴェスターヴァルトの森林裁判集会が開かれた。ヴァーレンドルフの住民はいかなる用益権をもつか、判断が問われ、ヴェストヒュスによって、彼らは用益権を申請して購入するように指示された。


 1-12 レッテ・マルク Letter Mark (1500-1547年)



(レッテ・マルクはデュルメンとコースフェルトの間にある)

 マルク管理人と使用人は、一般のマルク地主の同席のもとにレッテの村落とマルクの共同体のためにマルクの保守について議論したとき、彼らは彼らの仕事に対して2フーダーの燃料と慈悲により3分の1フーダーの燃料を得ることが、判決および法として指示された。
 1527年聖ミカエルの日(9月29日)の後の火曜日、森林裁判集会が開かれた。
 ヤスパー・シュトルックは次のように法による判決を問うた。すなわち、ある者の土地の垣根のなかに木が立っており、木から他人の土地またはマルクの上にに落下があったら、落下物は誰のものになるのか、またいかなる法が適用されるのか?これには次のような法が指示された。すなわち、彼が取得することができると一般農民が指示し認めた場合は、彼は落下物を単独で受け取るべきであり、そうでなければ、農民たちが落下物を全員で利用すべきである。
 1525年聖アントニウスの日(6月13日)の後の木曜日、レッテのマルクのために森林裁判集会が開かれた。
森林管理人が何かを隠して訴えない場合、どうするか? 判決は村長ビシュピンクを介して指示され、彼は法として次のように指示する。何かを隠せば、森林管理人は森林裁判官と農民に対して2倍の罰金10シリングを科される。
 非共同体員がレッテのマルクに来て、境界標識の木を伐ったら、いかなる法が適用されるか?そのような者は森林裁判官と農民に対して5マルクの罰金を科され、慈悲により法を指示する村長ビスピンクに確認したうえで、事情に応じて法が指示される。
森林裁判官とすべての農民には、いかなる者も実のなる木を山で伐ってはならないという義務を課せられているにもかわらず、そのようなことをする者は、森林裁判官と農民に対して2倍の罰金に相当する10シリングを科される。
 1528年聖マルグレーテンの日(11月16日)の後の木曜日、レッテのマルクのための森林裁判集会が開かれた。
森林管理人と一般農民は、次回の森林裁判集会まで伐採をひかえることに同意した。そうしないで、オーク、ブナ、その他の木を伐る者は、マルク共同体員の場合、森林裁判官と農民に対して10シリングを科され、非共同体員の場合は5マルクを科される。農民は彼の屋敷で使う燃料以上に多くの木を伐ってはならず、非共同体員も同様である。
 1528年十字架称賛の日(9月14日)の後の水曜日、レッテのマルクの臨時森林裁判集会が開かれた。
 マルクの共同体員または非共同体員が森林裁判官、森林管理人の同意と承諾なしにマルクで建築したら、いかなる罰金が科され、いかなる法が適用されるかと、森林管理人が判決を問わせた。クルンペルに判決が確認され、彼は次のような法を指示した。すなわち、マルク共同体員は5マルクの罰金を科され、当面マルクから立ち退かされる。非共同体員は容赦なく罰せられ、マルクを立ち退かなければならない。トゥーゲ・ヘルマン・ファン・メアフェルト、エヴァルト・バルチェ、レッテの森林裁判官ヒンリッヒ、ヘルマン・テア・ホルトシュテーゲ、ベルント・ホルトリンクの判決は森林裁判官による裁判で1度、2度、3度と、幾度もも問われ、異論は出されなかった。
 1529年12使徒の日 (7月15日)の後の土曜日、レッテのマルクのための森林裁判集会が開かれた。
 森林裁判官は次のように判決を問わせた。すなわち、森林管理人と農民が森林裁判官の承諾なしにマルクから何かを持ち出したり売ったりして、森林裁判官自身が不利益をこうむことがあるなら、それは森林裁判官によって罰せられるだけではなく、いかなる法が適用されるか? 判決はクルンペルに確認され、彼は、混乱をひきおこすことがないように事情を考慮して・・・。
 1529年聖ミカエルの日(9月29日)の後の水曜日、レッテのマルクのための臨時森林裁判集会が開かれた。
 前述の判決は次におこなわれた森林裁判集会で問われ、ローンの荘園から受け取ってレッテに搬入される貢租について、森林管理人と一般農民が、次の裁判集会でローンの荘園から受け取ることを要望したため、森林裁判官によって文書でレッテに再度搬入するよう要求された。受け取るべき貢租はクルンペルに確認され、農民たちの飲食をまかなうべきだとされた。
 森林裁判官は次のように判決を問わせた。すなわち、フリンクが裁判所の決定によらず、裁判所の承認を得ることなく、当裁判所で何かをわがものとした場合、彼が裁判所の決定にしたがわなければ、いかなる罰金が適用されるのか?判決はクルンペルに確認され、彼は森林裁判官に5シリングの罰金を徴収されると指示された。判決は森林裁判官ヨーハン・ファン・メアフェルデによって咎められ、彼の意向により5シリングの3倍の罰金の方が良いという指示がなされた。
 1535年聖マタイの日(9月21日)の後の水曜日レッテのマルクのための森林裁判集会が開かれ、後述のように問われた。
アレフ・ファン・メルフェルデは次のように問われた。すなわち、森林裁判官、森林管理人およびすべての農民が次いでおこなわれた森林裁判集会で、境界の目印を木に斧で刻む指示がなされなければ、木を伐ってはならないことを認めたとき以来、彼は2本の梁の木材を伐ったのか?
 ヴェリンクはブナの幹の伐採の違反を問われた。ゲルト・トン・ペリックは伐採の違犯を問われた。彼はマルクの非共同体員である。ホルシュテーゲはオークの幹と蝋の木の伐採の違反を問われた。フーノルトは納屋のためにマルクから一部の木を伐った。フォックはオークの幹の伐採の違反を問われた。ヘルファーはオークの幹を伐った違反を問われた。ビスピンクはオークの2本の幹、その1本はベルンショット、もう1本はシュペヒトにおけるオークの伐採の違反を問われた。フルゼのヨーハンはマルクの木でパン焼き所を建て、6-7年間にわたってマルクの木を集めた違反を問われた。
農民たちはこれらが早期に解決するとはもはや考えておらず、なお14日間の猶予をほしいとおもっている。その間に決定するなら、たとえ決着しなくとも、報告をするつもりでいる。
 森林管理人たちの報告と問いによれば、彼らは森林裁判官ヨーハン・マルフェルデの全権を委任されたヨーハン殿に対して、森林裁判官、マルク地主と森林管理人の一部および一般農民の同意、承諾にしたがい、森林の囲いのために、1本の木に印をつけるように要求した。これにしたがい、村長ビスピンクは木を伐って、彼の屋敷に運んだ。これについて森林裁判官は判決を問わせた。その後彼は彼の全権を委任された使者をレッテに送り、いかなる者もその必要を示すように指示したので、森林管理人はレッテの森林裁判官の許可を得て、ヨーハン殿に森林の囲いのための木を標示するように求め、上述の村長 ビスピンクは森林裁判官と森林管理人を嘲り、標示されたその木を伐ってしまった。その罰金はどれほどであり、その木は誰に納められるのか?判決はクルンペルに確認され、彼は次のように法を指示した。すなわち、その罰金は6シリングの3倍であり、」木は森林裁判官に納められる。
 農民たちは村吏としてゴデーケン・ドレーゼスとデン・ローファーを選んだ等。
 

 1-13 ラースフェルト・マルク Raesfelder Mark (1575年以前)

 
(ラースフェルトはオランダ国境近くの町ボッホルトの東側に位置する)

 ラースフェルトの荘園はエルル教区に自由裁判所を置き、これはアッセンカンプ自由裁判所と称し、ユーリッヒの公爵から授封地を受け取り、ユーリッヒの官房の授封地のために努力しなければならないが、いつかはそれから解放されるときがくる。
この自由裁判所に認められた重罪刑事裁判所は、ミュンスターの大地における後備軍のオッセンドルフの裁判所と並んでドルステンの前にある。
 この自由裁判所のもとに、ラースフェルト、エルラー、ラーデ、ホルスターフーゼン、オルデンシェルムベックの諸教区に居住するすべての不自由民世帯は裁判集会に出席義務を負う。
離れ去ったすべての牛、馬、雄牛、羊または豚を、ラースフェルト荘園は前述の諸教区で受け取ることができる。前述の自由裁判所の法に抵触するかもしれなくともも、いかなる者もその意志が制約されることがないように、ある程度話し合いがなされるべきである。
 これら前述のすべての教区に住む者は、通常の裁判の日に自由裁判所にしたがう義務を負い、これに違反すれば帝国監獄への収監の刑罰を科される。裁判領主は、いかなる者も罪を免れないように、自由裁判所の彼の宣誓廷吏に日曜日に話し合いをおこなわせるべきであう。
 裁判の日は通例式四季の斎日とされる。
 帝国法令の自由裁判所の裁判内容は次のとおりである。
 すなわち、キリスト教信仰を欠き、信仰心のない者。教会、教会財産、国王の街道で強奪をおこなう者。嘘つきとして知られる者あるいは虚偽をなす者。産婦の床を奪う者あるいは産婦を傷つける者。窃盗、殺人、強奪、放火。彼らに対立するがゆえに彼らを守ろうとしないすべての者。

 ラースフェルトのマルクの森林裁判について
 ラースフェルトの荘園領主は、常にラースフェルト・マルクの世襲森林裁判官である。彼には当マルクに対する命令と禁令、信頼しうる印章と証書の権限が帰属する。上述の農民裁判所が購入されたことは購入証書に記されており、そこにはラースフェルト荘園が隷属農民の自由な相続の代償としてそれを買ったと記されている。
 ラースフェルト荘園は常に荘園と一般農民のための森林裁判官を任命する・
 森林裁判官のほかに、4名の森林管理人が任命され、彼らはともにマルクを管理する。
 森林裁判官と森林管理人には、その誓約による職務が結び付いており、真剣な職務遂行が命じられる。
 農民裁判はラースフェルトの墓地の菩提樹のそばでおこなわれる。
 ラースフェルトの荘園は農民裁判のために、荘園の奉公人を廷吏に任命して、いかなる者の裁判も補助をおこなわせる。
 マルクが閉鎖されていないなら、裁判は14日間から6週間まで延長され、誓約廷吏によって日曜日に教会の集会を通じて知らされる。
 すべての森林裁判集会の罰金はラー7スフェルト荘園のものとなる。しかし農民たちはこのような世襲裁判権に反対しても、それは長続きしえない。なぜなら、所有は人間の記憶を超越して存続するからである。
 マルクが開放されているときは、1本のオークの幹は慈悲により5マルクで売られる。ブナは1本26ラーダー・アルブスである。1フーダーの木は慈悲により4ラーダー・アルブである。マルクが制限されている場合は、2倍の罰金を特別に科される。
 マルクにおいて狩猟区内ではヒイラギの木を減らす。マルクが囲い込み地になったら、農民にはその必要木材が留保される。彼らの家の建材、荷車、犂および垣根用の木は損害を最小限におさえるべきである。
 飼料棚の建築材にはマルクの木を用いてはならない。
ラースフェルト荘園には常に家屋、製粉所その他のためにマルクの建築材が自由に利用できる。
マルク共同体員には彼の損害を最小限にするように、その建築材と家屋のために5本の木を割り当て、地方官の承認を得れば、7本の木を全建築材として認められるが、認可は二度とおこなわれない。 
 小屋住には彼の建築の完成のために1本の木を慈悲により与える。それによって彼は荘園に義務を負わなければならない。
 小屋住はマルクにおいて権利をもたず、薪を得る権利だけをもち、伐採したまっすぐなブナの木を割って薪にする権利を多くもつ。
 瓦が崩れ落ちるすべての風害は、ラースフェルト荘園の負担となり、農民の負担にはならない。
他人の倒木を最初に見つけた者は、その木の持主が家に持ち帰るのと同じように、その木を得られる。しかしそれが建築材に役立つ場合は、それは荘園のものとなる。
 暴風で倒れたすべての木は、荘園に帰属し、そうしたことは頻繁に起きる。
 ラースフェルトの一組の役畜を所有する者はすべて、毎年クリスマス前の聖トーマスの日(12月21日)に1フーダーの木を、マルクにできるだけ被害のないように、荘園に運ぶ義務を負う。
マルクで木を山積みすることは、マルクの不利益になるなら、許可されてはならない。
同様に、マルクで菜園を焼却することは許されない。教区内にある菜園が焼かれたら、荘園に1ラドルフ司教グルデンが納められるが、野菜の山の大小に応じて考慮される。
 さらに、幾つかの農地についてラースフェルト荘園は最も重要な世襲権をもつ。それが荘園に属することを認めようとしない場合は、森林の周縁におけるそうした行為を禁止しえないかぎり、荘園に罰金を納めなければならず、違反について問われなければならない。
 いかなる者もラースフェルト・マルクの木で家を建て、教区外に売ってはならない。そうしたことは法による荘園の承認を要する。
 神からドングリを授かったら、森林裁判官のほかに、荘園のために4人の放牧監視人を任命し、さらに事情によっては6-8人の広葉樹林番人を任命する。
 荘園は次のような古い世襲権をもつ。すなわち、神からドングリを授かったら、ブナの木が約束し、豚がえさ箱から食べられるだけの頭数の豚を放牧することができる。
 荘園は隣人または親族など教区外に住む親しい人々が豚をマルクに放牧することを、適度の範囲内に限り許す。
木の実の見張り番が付かない豚は、事情を考慮したうえで、荘園に没収されうる。
 農民または小屋住が彼のマルク用益権より多くの家畜放牧をおこなったら、すべての過剰放牧者は荘園に1年間の家畜のえさに相当する弁償をしなければならない。
木を揺すって木の実を拾い集める権利は荘園にあり、いかなる者も木の実の初日を辛抱強く待つべきである。
 いかなる者も、彼の農地からマルクに落ちたものを除き、マルクでドングリを拾い集めてはならない。
 (これに続いて、マルク用益権をもつマルク共同体員の農地の詳しい目録を、私は例としてのみ挙げる。)
 マイアーリンクの農圃は25頭の豚を放牧し、同数を畜舎で飼育する。
 首席司祭の農場は25頭の豚を放牧し、同数を畜舎で飼育することができる。
森林役所は16頭を放牧し畜舎で飼育できる。
 ネッテルホーフは24頭を放牧し、18頭を畜舎で飼う。
 ヴィムケルケンは8頭を放牧し、5頭を畜舎で飼う。ルーターは8頭を放牧し、4頭を畜舎で飼う。
 小屋住は1頭を放牧し、それより多くを放牧する者は、ドングリの品質に応じて、ラースフェルト荘園に支払わなければならない。
 ラースフェルト荘園は世襲裁判権をもち、神が良いドングリを授けられるときは、荘園民とともに利用を始めることができる。しかしマルク共同体員は、上述のように、ラースフェルト荘園にドングリを納める。とはいえ通常荘園民にはドングリの出来具合、ブナの木の実の成熟の内容が知らされる。
部外者が荷車でマルクに入って来たら、罰せられるたびに罰金5マルクが科され 、部外者が多くの薄板をマルクで伐りとったら、5マルクの罰金を科されるが、法に慈悲が欠如しているわけではない。
 森林裁判官はマルクの木の実の見守りによる家畜放牧権を有し、その職務についても家畜放牧権をもつ。家畜管理人と広葉樹林管理人もその職務について家畜放牧権をもつ。
 自由市民は市民権による家畜放牧権をもつ。さらに古くからのしきたりにより荘園で武器をもって奉仕をおこなう場合も、家畜放牧権をもつ。 
 いかなる者もその城塞封土を失ったら手または口でその封土の仕事をしてはならない。
 四役人はラースフェルト教区で教区民のために馬1頭、雄牛1頭および雄豚1頭を飼う義務を負う。彼らがマルクの権利を失ったら、この荘園と教区で24頭の豚を放牧する世襲権も失われる。


 1-14 オスターヴァルト・マルク Osterwalder Mark (1557年)



(オスターヴァルト・マルクはミュンスター市の北東に位置する)

  オスターヴァルトの放牧地、木、伐採あるいは森林のため必要なもののうち、森林裁判官が運用する資格をもつのは何か、法による判断が問われた。これに対して次のような判断が指示された。すなわち、裁判所の最高位、最も広い小川、正当な菜園、さらに彼自身が畜舎で飼育した豚、領邦の地代を納める豚、また彼の領民が飼料を十分につくることができない場合に限って飼育しうる豚。すべての倒壊物の3分の1は彼に帰属し、残りは一般マルク共同体員のものとなる。行方不明の豚の優先的請求権、倒れた木の請求権。
 オスターヴァルトのマルク地主と一般のマルク共同体員にはいかなる権利と報酬があるか、法による判断が問われた。これに対して次のような判断が指示された。すなわち、マルク共同体員には垣根の門のために1年間に1本の木、自分の荷車と犂のための車輪をつくるための1本のブナのを得るが、森林の資産に応じて平等が守られる。それゆえ不運に見舞われた者やまぎれもない敵によって放火された者には、森林管理人と森林使用人が4部屋と1つの小部屋の家を再建できるだけの木材を彼に割り当てるべきである。
 オスターヴァルトで境界を区切る領主は、毎年マルク共同体員が畜舎で飼育する豚をマクに放牧することを認めるべきであるが、地代納入義務を負った豚を森林に放牧することは認められない。彼らがもっと多くの建築材を必要とする場合は、森林裁判官と一般のマルク地主の承諾なしに木を伐ってはならない。


 1-15 オストヴェーフェルン・マルク Ostbevernsche Mark (1339年)


(オストヴェーフェルンはミュンスター市の北東に位置する)


 私、スヴェーダ―は、青年貴族身分の郷裁判官、オストベーフェルンすなわちヴェーフェルンのうちゲルラッハのためのマルクの現職の森林裁判官、ゲルラッハ・ファン・ベーフェルン、誓約裁判官、現職の裁判官、オストベーフェルンの裁判所の裁判官として、またわれわれオストハーフェの村長、ロハーフェの村長、フェルンローの村長、メルスベッケにあるオルデンハーフェの村長、ヨーハン・ファン・デン・ヴィウスフスおよびオストベーフェルンのマルクにおける管理人のヘルマン・ヴィックブラハティングも、マルクのために誓いを立て、文書で宣誓による証言をおこない、われわれは古い法、古い規則およびオストベーフェルンのマルクの最善のために誓約をおこなった。またオストヴェーフェルンのわれわれ一般マルク共同体員は、この文書において、オストベーフェルンのマルクについての古い法と古い規則がこの文書に書かれており、判決と法によって獲得されたことを証言し、認める。
 マルクに住み、土地を保有するいかなるマルク共同体員も、マルク内でこわれ、マルク内に留まる建築に必要なら、その建築材とアー川での曳き船のために必要なオークとブナの木を伐ることができる。
 さらに、われわれの古い法と古い規則によれば、アー川流域のマルク共同体員はオークやブナの木が緑で、オオタカがその下で真夏にえさを食べることができるときには、伐ってはならない。マルク共同体員がアー川の此岸で、このような規定にしたがわずに伐採したら、彼はその幹に2シリングの罰金を科される。さらに彼がアー川の対岸で、オークやブナが緑で、その下でオオタカがえさを食べられる真夏のころに伐ったら、金銭をもって法にしたがって償うべきである。
 小屋住はオークやブナに権利をもたず、それを森林裁判官、マルク管理人およびマルク共同体員に願い出ることはできる。彼らが指定されたオークやブナとは異なる木を伐ったら、1本の木につきそれぞれ5シリングを納めなければならず、何本も伐れば、5シリングの罰金を伐った分だけ多く科される。
 マルク共同体員の古い法と古い規則によれば、マルクに住みマルクに属する者全員は、燃料木材であれ、工作用木材であれ、日常用の木材であれ、マルクの外に決して譲渡したり売ったりしてはならない。そうしたことをする者は、マルク共同体員であれ小屋住であれ、森林裁判官と教区に対して、彼が交渉で決めうる金額を賠償すべきである。
 われわれの古い法と古い規則によれば、マルクで産出し、建築材またはその部品となる木は、マルクから外へ出してはならず、マルクの内部にとどめ、マルクの内部で製材すべきである。
 われわれの古い法と古い規則によれば、マルクで野菜を栽培してはならなない。またマルクでヤギを飼ってはならない。
  われわれの古い法と古い規則によれば、マルクに住み、用益権をもち、あるいはその飼料をオークやブナから得る者は、マルク内で生産したか買った自分の豚を聖ヤコブの日(7月25日)から、多少にかかわらず放牧することができる。
小屋住は家畜を放牧することができない。小屋のために領主の貢租を負担する豚1頭を飼うことはできるが、それ以外に多くを放牧する権利をもたない。オークやブナが禁止されているにもかかわらず、放牧すれば損害をもたらすかもしれず、森林裁判官とマルク管理人が賠償を求めたら、賠償すべきである。
 われわれの古い法と古い規則によれば、マルク共同体員または小屋住は、放牧権をもたない外来の豚か、聖ヤコブの日以後に他所から買った豚を自分の群れに入れたら、古い規則によりそれらは前もって没収される。
 共有されるどんぐりを拾集した者はあらかじめそれを没収され、損害を償うべきであり、森林裁判官とマルク管理人と参事会員は彼に賠償金を設定する。
 われわれの古い法と古い規則によれば、自分の豚をもってないために放牧権を行使できないマルク共同体員は、豚6頭分の放牧権を売ることができる。小屋住が放牧権を行使できない場合は、彼の小屋のための豚1頭分の権利を売ることができるが、それより多くの権利を売ることはできない
 森林裁判官は豚30頭分、雄豚1頭分を売ることができる権利をもつ。
 われわれの古い法と古い規則によれば、マルクのために誓約したマルク管理人は、豚2頭分のどんぐりを売ることができる。
われわれの古い法と古い規則によれば、マルク管理人は不当な伐採または売却または贈与、またはどんぐりの収拾、マルクに損害となることをおこなう者を見つけたら、それを告発して差押さえるべきであり、差押えたものをベフェレンの農圃にもちこんではならない。彼らが損害を与えなかったことを宣誓によって主張しても、異なった法を適用することはできない。
 われわれの古い法と古い規則によれば、マルク管理人がマルク共同体員に対して、一緒に馬に乗って出かけ、差し押さえを助け、マルクを維持するのを助けるように言いつけたら、これを拒むいかなるマルク共同体員にも6ペニッヒの罰金を科すことができる。
 マルク管理人とマルク共同体員が外出したら、いかなる者も一杯飲むことができ、その代金は森林裁判集会の財源があてられるべきである。
 われわれの古い法と古い規則によれば、外来者はマルクで伐採することも豚を肥育地に放牧することもできない。森林裁判官とマルク管理人と一般マルク共同体員はそれを彼らに認めてはならない。
 マルク共同体員とマルクに住みマルクに属する者全員は、軟らかい材質の樹木を燃料のために伐採することはできない。すなわち、ハンノキ、シラカバ、クマシデ、ヤナギおよびすべての軟らかい材質の樹木は、オークとブナを除いて伐ってはならない。
 われわれの古い法と古い規則によれば、マルクに農圃を保有するいかなる者も、他のマルク共同体員と同じように伐採し放牧することができる。
 われわれの古い法と古い規則によれば、マルク共同体員で、マルクに住んでおり、マルク内にとどまっていると言うだけでは、マルクにおいて伐採や放牧ができるわけではない。
 われわれの古い法と古い規則によれば、当地で認められ定められたことに違反する者がいれば、マルクと罰金からの収入のうち3分の1は森林裁判官に帰属し、3分の2は教区に帰属する。
われわれの古い法と古い規則によれば、森林裁判官とマルク共同体員の3分の2がマルクにとって最良であると考えて賛成したことには、他の3分の1も同意すべきである。
 私、郷裁判官スヴェーダ―は、現職の森林裁判官並びにベックボルン荘園と村内の農場のマルク地主として、この文書にあることはすべて真実であり、前述のマルク管理人とマルク共同体員が裁判所で私に証言したことを、記録に残すべく朗読した。そこで私はこの文書に私の印章を添えた。そしてわれわれ、ベルント・フォン・デア・シュテーゲ、オストベーフェルンの現職司祭、一名のマルク共同体員およびオストベーフェルンの教会のマルク地主およびリヒターディンクの荘園の現職の青年貴族でマルク地主としての私、ヨーハン・フォン・デア・ホルストは、この文書の中にあるすべての事柄を記録と証言において確認し、われわれの印章をこの文書に添えた。この文書は1339年聖ルチアの日(12月13日)に作成され書かれた。


 1-16 シュペレ森林 Speller Wolde (1465年)

(シュペレはオスナブリュックの西側のテクレンブルク伯領に属する)

  1465年使徒マタイの日(9月21日)の後の木曜日、シュペレの菩提樹の下で開廷された森林裁判において尊敬すべき青年貴族ロレフ・ファン・ランゲンは発言を求め、それは法のために許容され、テクレンブルクのわが慈悲深き地主貴族クラウヴェ伯爵の郷裁判官である尊敬すべきベーレント・ディ・シッパーはその言葉を正当に受け入れ、2名の陪席裁判官すなわち一方のオットー・マニックと他方の青年貴族ランベルト・ブッデンは裁判官とともに判決を下し、同席していたロレフも裁判官の言葉を守り、最善の協力をしなければならかった。こうして上述のベーレントは法と判決を問い、マルク共同体員にかんするすべての条項と項目を法によって彼らにゆだね、事情に精通したマルク共同体員は裁判をおこなわなけれならない。
 まず最初に、森林裁判はシュペレ森林の裁判であり、そこで判決が問われた場合、いかに判決を指示すべきか。それに対する次のような法が指示された。すなわち、法を指示するのはマルク共同体員であり、彼らは法を彼らの領主のためにもち、義務としておこなう宣誓によって法が守られる。
 マルク共同体員あるいはマルク用益権をもつのはどのような者たちかと問われて。シュペレの森林の硬材の伐採権保有者として指示されたのは、ゼーゲベルト、アフェキンク、フージンク、ボデッケリンク、ヨハニンク、バルトルリンク、フィッシャーディンク、ローバーディンク、ブートマイアー、森林で周知のフェンヒュス・オーファー、ヘルメリンク、リュンネの農圃、シャーペンの村長である。
 さらに前述のベーレントによって、次のように判断が問われた。すなわち判断を問われても法が指示されることがなかったり、マルク共同体員がわからない場合は、判断を指示するのにどれほどの時間をかけるべきなのか、あるいは彼らの裁判官のために指示する判断を返答するのにどれほどの期間がかかるのか? これに対して、14日間ずつ延長していき、6週間が過ぎてもなすべきことがあれば、さらに6週間ずつ延長していき、あわせて18週間か経過するまでの期間という判断が指示された
前述のベーレントによって判断が問われたのに、森林の法によるべき判断が、上述のように、法にしたがって指示されなかった場合は、法による指示をしなかった者は、裁判所に罰金を納めたのかということが問題とされた。 そこで前述のベーレントは、その上司に代って、裁判所とは何であり、誰が裁判官の地位に就き、罰金は裁判所と森林に帰属すべきなのか、問うた。これに対してマルク共同体員によって次のような判断が指示された。すなわち、裁判所は神と領主ウェアデン修道院長への畏敬の念をもち、修道院長からシャーペンの荘園を授けられた者が森林裁判官の地位に就くべきであり、後述のように罰金は違反の際に彼に帰属すべきである。
 さらに前述のベーレントによって、誰がこの裁判所の席を占めるのか、また裁判所の陪席裁判官は誰かと問われた。それに対して、次のように指示された。すなわち、シャーペンの村長または彼に代る別の人が森林裁判官の席を占め、さらに彼のそばに陪席裁判官が席を占め、一方の側にはリュンネの村長が座り、森林裁判官が席を占めるとき、古くからのしきたりによって森林裁判官の代官が他方の側に席を占める。
前述のベーレントによって、森林裁判官の森林用益権は何か、彼の豚の放牧、住宅と燃料の必要にかんする権利について問われた。それに対して、森林裁判官の先任者たちがもっていたすべての権利が彼に認められることが、指示された。先任者たちは建築材と燃料および彼らのすべての豚の放牧における森林の権利をすべて行使した。彼らはこれらの権利をもち、多少なりとも農圃借地権を得る。
 前述のベーレントは、上述の農圃の権利とは何かと問うたところ、次のような指示がなされた。すなわち、農圃に含まれている権利とは、聖レミギウスの日(10月1日)に森林に12頭の豚と1頭の雄豚を放牧し、聖マルティノの日(11月11日)に森林放牧を終わる権利である。もし雄豚が一緒に放牧しないのであれば、豚を分離することができる、さらにシャーペンの農圃とブラム農圃は2部屋家屋の建築材、毎年樹木の辺材と樹皮、シャーペンの農圃はさらに1年に1フーダーの木摺、リュンネとヘルメリンクの農圃は、2人の農民で1人分の権利をもち、2人が樹皮と辺辺材、2部屋家屋の建材を、それぞれ1年おきに交互に分け合う。
 前述のベーレントによって、上述の森林に堅い材質の樹木の伐採権を与えられた者は、前述のような放牧と木の伐採にいかなる権利をもつかと問われた。それに答えて曰く、彼らは夏至の聖ヨハネの日(6月24日)に飼育場に行く権利をもち、森林に放牧することができるが、一般的に権利として多認められているより多くを放牧してはならず、伐採においては前述の農圃がその燃料に必要とする限り認められる。
 前述のベーレントによって、森林に乾燥した樹木の用益権を与えられた者の権利は何かと問われ、マルク共同体員は答えて曰く、そこで乾燥樹木の用益権を与えられた者は、彼らのかまどの燃料とするための木を伐採することができる。彼らが1足の靴または教会寄付金を納めなければならない場合は、彼らはそれをその費用に充てることができ、3日3晩かけて彼らの農圃で得た木材を自分の利益に利用すべきである。こうして終われば、彼らは最善をなしうるが、木材が農圃から運ばれず、それに違反して捕らえられた者は、裁判官または裁判所に罰金を納めるべきである。
 修道院長または彼が任命する者は森林の最高監督者であるということがあらかじめ法によって指示されているので、修道院長によって任命された者が、不適切な伐採がおこなわれないように森林を守り見張るべきか、上述のベーレントによって、問われた。それに対して曰く、森林監督を命じられた者は、森林を保護し管理すべきであり、農民保有地の管理者たるシャーペンの村長とその従者に違反者を取り押えさせるべきである。彼には農地が授けられ、それに対する管理者たるべきである。彼は最高監督者であり、森林裁判官は森林管理人を任命し、管理人は森林裁判官または最高監督者に不法な伐採から森林を忠実に守るこおとを誓い、不法に伐採した者を、5人の従僕とともに報告することを宣誓すべきである。森林管理人はマルク共同体員を連れて、マルク共同体員は彼とともに森林へ差し押えに行くべきである。
 さらに前述のベーレントによって、森林で乾燥木利用の違反者を捕えて差し押えた場合の罰金をどうすべきか、問われた。それに対してマルク共同体員が答えて曰く、差し押さえ品はシュペレの菩提樹の下にもってきて、3分の2はマルク管理人とマルク共同体員に、3分の1は森と最高監督者と林裁判官官に帰属し、違反者は裁判所の審理による指示がなされる。
 前述のベーレントによって、次のように問われた。すなわち、マルク共同体員またはマルク管理人、あるいは彼らの数人が森林へ差押えに行き、誰も捕らえられなかった場合、村長または最高森林裁判官の従僕も同じ権利をもつのか? これに答えて曰く、マルク共同体員とマルク管理人、あるいは村長または森林裁判官の従僕が森林へ差押えに行き、誰も捕まえられなければ、彼らは森林でのその労働の代償として6ペニッヒを飲食に消費することができる。
 前述のベーレントによって、次のように問われた。すなわち、森林において権利をもち、法とは異なる不当な伐採をおこなった者は、いかなる罰金を徴収されるか?それに答えてマルク共同体員曰く、差し押さえ金として6ペニッヒ、さらに裁判所の賠償金も徴収される。
 前述のベーレントによって、堅い材質の木の伐採を見つけられたが、その伐採権をもたない者はいくら罰金を徴収されるか、問われた。それに対してマルク共同体員は答えて曰く、堅い材質の木を見つけたが伐採権をもたない者は、立ち入りに5シリング、退去に5シリング、伐採のために一撃を加えれば5シリング、2回加えれば10シリング、一撃を加えるたびに2倍の罰金という巨額の罰金が徴収される。しかもそれは昼間のことで、夜間に堅い木を伐採する者が見つけられたら、彼を連行し、彼が伐った幹も一緒にシュペレの菩提樹の下にもって行き、幹の上で伐採者の首を一気にはねるべきである。
 前述のベーレントによって次のように問われた。すなわち、森林において伐採する権利をもつ者が、自分の権利を濫用し、法に反して伐採し、差し押さえ人を彼の所へ来させず、
 差押えされないようにした場合、いかなる罰をうけるか? 森林裁判官、マルク地主、マルク管理人およびマルク共同体員は、彼がもつすべての権利を停止し、森林で勝手な行為をした場合は、その日以後森林を利用する権利をすべて停止すべきである。
 前述のベーレントによって、そのような者をいかに扱うべきか、前述の不当な伐採はいかに処罰されるかと問われた。これに答えてマルク共同体員曰く、マルク管理人または誰じゃが、森林で権利を乱用する者に申し付けて、彼に対し6週間が経過する間14日おきに森林裁判集会をおこない、これに出席しなければ、弁明をするように伝達し、6週間が経過したら、マルク共同体員は彼に対する差し押さえをおこない、彼が差し押さえを望まないときは、上記の判決にあるように、前述の森林のすべての権利を停止すべきである。前述のベーレントよって、次のように問われた。すなわち、森林で木を伐った者が裁判管区内に住んでおらず、彼にはしかるべきその地の権利で守られているために、彼を自宅で取り押さえることができなければ、ぞの場合マルク地主やマルク共同体員は裁判で不利となるのではないか? それに対してマルク地主とマルク管理人は答えて曰く、森林を伐採によって荒廃させ、邦の権利を得られない者を、森林裁判官、マルク地主およびマルク共同体員が取り押さえられない場合、森林裁判官は刀剣によって当地に彼を召喚し、裁くべきであり、彼を取り押さえられる場合は、最も有益な方策を考えるべきである。
 マルク共同体員とマルク地主はヴェアデンの修道院長にシュペレ森林の権利を認めることによって、森林裁判官はどの範囲までシュペレ森林を守る権限をもつのか? これに対してマルク地主とマルク共同体員は答えて曰く、森林裁判官が森林を守る権限をもつのは、真夏に太陽が影を落とす範囲である。1465年聖ルチアの日(12月13日)の後の月曜日、シュペレの森林裁判集会で、シュペレ森林で乾燥した木の利用権をもつとおもわれる者は森林の用益権をもつべきだが、豚あるいは輓馬がえさを得られる堅い材質の木の伐採権をもってはならず、すでに伐り倒されたか伐採された木、建築に必要とされる木、これらを除いて、他のすべての木は必要のために伐採することができる。これに違反して捕えられた者は、裁判所と森林裁判官に賠償の罰金を納めなければならない。







 1-17 ディッセン森林 Holzgericht zu Dissen (1582年)


(ディッセンはオスナブリュック市とビーレフェルト市の間の山林トイトブルガー・ヴァルトに接し、今日はニーダーザクセン州の一都市である)


 1582年9月5日、領邦代官ヨプステン・フォン・ケースブロック、イーブルクの財務官ヘンリケン・フォン・レーエによってディッセンの平民の森林裁判所が開 廷され、マルク地主ヨプステン・フォン・グロレ、ヨプステン・フォン・エッセン、ポルスターカンプの財務官リュベルテン・ベネンおよびフェルスモルトの地方官ヨハネス・ツーア・ミュレンが同席した。
 マルク管理人は、森林裁判集会が正しい時に告示され、誰もがその領主とともにその準備をするように予告したと言明した。
 領主に従順にしたがわず欠席する者に対する判決を問われて、森林裁判集会の法によって当局に償いをする義務を負うと認められた。
 マルク管理人とマルク共同体員は森林裁判官とマルク地主に対して領邦君主とその官吏を承認した。
マルクにおいて森林裁判官とマルク地主にはいかなる権利が属するのかと、ヨーハン・ザックによって問われ、平民マルク共同体員は、森林裁判官には座布団付きの最高の椅子、ワインが入った杯、マルクを防衛するためのむち、罰金を入れる袋、通用門を通って日没まで放牧できる豚を認めた。
 森林裁判官補佐たるディッセンの荘官は5月の日にえさを与えられる12頭の豚をもち、さらに12頭の豚をマルクに放牧できることを認められた。そのかわり 彼はマルク共同体員のために1頭の種牛を飼う義務を負う。 
 マルク管理人には風によって倒れた木、12頭の豚のえさ、そして山の中へ入る場合には、各人に1グロッシェンを与えることを認めた。
 宣誓したマルク管理人がしかるべき責任をはたさない場合どうすべきか問われて、偽りの宣誓にはしかるべき処罰がなされるべきであると認められた。
 領主はマルクにおいていかなる権限をもつかと問われて、次のように認められた。すなわち、マルクの完全用益権として12フーダー、半用益権として6フーダ ーが地方代官およびマルク管理人から指示されるが、パルスターカンプ荘園には他のマルク共同体員と同じようにいくらかの木材の運搬その他、パルスターカンプ、エルゼルンおよびトーテンハウゼンには役人が真夏に許可する頭数の 豚の完全飼料が認められ、マルク地主には、豚を飼う場合は完全放牧権として12頭、半放牧権として6頭が認められる。
 ディッセンのマルクに権利をもち、マルクの外部に住む者が、召喚に応じなかった場合、役人は不服従者のマルク利用権を剥奪する権限をもつ。
 マルク外の者が不当に木材伐採のため芝地その他に侵入した場合、役人がマルクをひんぱんに見廻って、5シリングを支払う義務を負う。
 マルクのハンノキなどの木が伐採されたり切り取られたことを、マルク管理人が知りえない場合、最寄りの隣人がそうしたことを尋問して知りえたことを誓約によって告げるべきであるが、黙秘した場合は贖罪金を科される。
 マルクに住む者がその外で訴えたら、森林裁判所にその責任を負わなければならない。 


 1-18 ホルトフーゼン森林 Holtink zu Holthusen (1559年)

(ホルトフーゼンは今日のニーダーザクセン州のオスナブリュック市の東に位置する。これは森林裁判集会の記録である)


 1559年復活祭前の火曜日、森林裁判集会がウェルスホルトフーゼン狩猟区で開催された。
 最初に、このホルトフーゼン狩猟区の森林裁判官を誰とするか、問われた。それに対して、アルベルデ・フォン・デム・ブッシェと彼の息子クラモーアを森林裁判官と認め、それ以外の者はありえないという判断が示された。
 さらに、森林裁判集会の法にしたがって森林裁判官にはいかなる権利を認めるかと問われて、次のように認められた。すなわち、豚の飼育にあたって、彼は30頭の豚と1頭の種豚を飼うことができ、さらに謝肉祭には他の森林利用者と同じように森林裁判官にも1本のブナの木を割り当てる。その見返りに森林裁判官は毎年ハムを提供し、森林裁判集会が開かれるたびにハムを供する義務を負う。
 第3に、すべてのマルク地主と領民がアルベルデ・フォン・デム・ブッシェと彼の息子クラモーアを森林裁判官として認めた後、彼らにも他の森林裁判官と同じようにすべての森林裁判集会の法と権利を認め享受させる義務を負うのではないかと問われた。それに対して、ホルトフーゼンの借地農によって、アルベルデ・フォン・デム・ブッシェと彼の息子に対してもはや以前のようには義務を負わないという判断が示され認められた。
 最後に、森林裁判官として認められたアルベルデ・フォン・デム・ブッシェと彼の息子に、この狩猟区における命令と禁令を森林裁判集会の法にしたがって認 めるべきではないのかと問われて、彼らにはいぜんとして命令、禁令あるいは差し押さえの権限があり、これはすべてのマルク地主の同意と承認によっておこなわれるという判断が示された。
 アルベルデ・フォン・デム・ブッシェと 彼の息子の使者はおこなわれた協議を両者に報告し、偽りなく伝えることを誓うが、控訴を排除することなく留保する。


 1-19 ヘリングハウゼン・マルク Heringhausner Mark  (1543年)

 (ヘリングハウゼンはブリロン市近郊のマルク=共有地とおもわれる)


 使徒マタイの日(9月21日)の翌日森林裁判集会が開かれた。
 ローデヴィッヒ・フォン・ゾーリンゲンはヘリングハウゼンの森林裁判集会で、どの範囲までカッペルの住民をマルクで差し押さえられるか問わせた。森林裁判集会は、ジークまでは差し押さえられるが、そこから先は差し押さえられないということを法として示した。
 土地領主はランペン・ヴェーデキンクを法によってマルクから排斥しないかぎりは、彼をマルクにうけ入れると告知した。森林裁判集会はマルクに何頭の豚 を放牧するか、法として判断を示すべきであるとされ、ゲルト・ベッカーは森林裁判集会のために次のように法を示した。すなわち、マルクの小屋住みは3頭の 豚と1頭の雌豚を飼うことができ、それを超える場合、豚1頭につき4グルデンの放牧料を納める。いつ狩猟を解禁するか、森林裁判集会は森林裁判官とともに判断する。森林裁判官とマルク地主はマルクの囲い込みには罰金100ゴールトグ ルデンを科し、その半分は官憲に納められ、他の半分は森林裁判官,、マルク地主およびマルク共同体員のものとなる。
 フェルトカンプの人々は全員で湿地の芝土を刈り取った。ヨーハン・ツー・メーアは、かつて家畜飼料を刈り取ったのと同じように、彼の芝土を刈り取るべきであり、その収穫を羊で返却するように裁判集会で告げられた。
 森林裁判官とマルク地主は、森林裁判集会で次のように意見の一致をみた。すなわち、マルクに小屋をつくってはならず、ヘリングハウゼン・マルクの森林裁判官とすべてのマルク地主の同意なしに小屋をつくった場合は5マルクの罰金を徴収する。 

 1-20 ノルトルップ・マルク Nortrupper Mark (1577年)


(ノルトルップ・マルクはオスナブリュック司教領に属していた)

 アンクム教区ノルトルップ・マルクの森林裁判所にかんする従来の間違い、争いおよび誤解が、一方のゲンブリュッゲンの高貴で厳格なヤーン・レーデブーアと、他方のすべてのマルク共同体員との間にあって、動揺したレーデブーアはあらゆる法と権利、命令と禁令、その他森林裁判の便宜を勝手に利用し実行しようとして、マルク共同体員は彼にそうしたことを決して認めず、レーデブーアも、その祖先もなおさらそうして法を利用したり所有したことは今だないと主張した。それによってマルクは良好で健全な状態に保たれ、決して荒らされたり意のままにされたりしないですみ、すべてのマルク地主と農場領主は善意から、彼らの領民と農奴が耐え難いまたは特別に困難な法を押しつけられたり負わせられたりしないように、後述の条項について前記のヤーン・レーデブーアと同意し、彼ら両者の相続人や後継者も変わることなく永遠に撤回することなくそれを保持することを承認し、次のような形と考えで受け取った。すなわち、第一にノルトルップの領民は森林裁判所のために彼らの森林裁判官に毎年1ターラーを納め、彼が森林裁判をおこなうときは、、彼と彼の従者のしかるべき必要に応じて飲食物を、また彼の馬には干草とエン麦を提供し、同じく彼がマルクの農場とマルク共同体員によって裁判をおこなうように要求されたときも、同様にすべきである。 2. 森林裁判官はノルトルップ・マルクに対する命令と禁令、差し押さえと押収を後述の考え方にもとづき人々の最善のためにおこない、森林裁判の案件にかんする刑罰と協議をおこなわせるべきである。 3. ノルトルップ・マルクのマルク共同体員全員はとくに村長によって、森林裁判官が不在でも、差し押さえと押収をおこなうわせることができ、地元住民と外部の者の違反の差し押さえもできる。森林裁判官は事情に応じて森林裁判所の慣習により1ターラーの罰金を科すべきであるが、人々の名誉に留意すべきである。 4. マルク共同体員は五月祭の前に他人の農地に放牧すれば罰せられるが、五月祭の礼拝をきちんと終えた後に村のマルク共同体員はマルク管理人および村長とともに村民集会を開き、すべての他人の農地に放牧地として放牧することを、古くから常に実行されているように、許可し承諾することができる。5. すべてのマルク共同体員の承諾と同意なく自分勝手に、マルクで許された家畜数を越えて放牧する場合、家畜を所有する者は、森林裁判官と人々に前述の森林裁判集会で罰金を科され、ただちにそれを支払うべきである。 6. マルク共同体員は聖ペトロの日(6月29日)以後、四旬節にはマルクに鉤の付いてない豚を放牧してはならず、違反すれば森林裁判官に罰金を納め、人々に2分の1樽のビールを納める。7. マルク共同体員は、良いえさがあるときは、豚を共同飼育場に入れてはならず、まず最初にノルトホーフの村長の屋敷でマルク管理人と一般村民の同席のもと、指定された日に鉄の焼き印を押しあて、アンケムの教会のような信頼できるきちんとした場所の箱の中に焼き印用の鉄を収納することによって、外部の豚が放牧されたら森林裁判官に2倍の罰金を納め、村民には1樽のビールを納めなければならない。外部の豚が来ることを許すような村民は罰金を徴収されるべきである。そうした箱のために3つの鍵がつくられ、一つは森林裁判官がもち、二つ目は最寄りの農場主がもち、三つめは森林管理人がもつべきである。8. いかなるマルク共同体員も、オーク、ブナ、ハンノキまたはヒイラギのいずれであれ、マルクの木を伐ったり伐らせても、運搬したり運搬させても、村長、マルク管理人および一般のマルク共同体員の同意による承諾と許可がなければ、2倍の罰金を科される。部外者がこれに違反する行為を見つけられら、たとえ何らかの同意を得ていたとしても、それを指図した者と実行した者は両者ともに森林裁判官および上記の人々に罰金を科されるべきである。 9. ノルトルップ住民はすべて、とくに彼らのマルクから伐採して運びさった木その他のものを森林裁判集会の法の第3条の違反にしたがって扱うことができ、そうした違反が見つかった者は法によって差し押さえられ、物件は裁判所に押収される。10. すべてのマルク共同体員は、マルクで部外者の家畜または違反者を見つけたら、マルクをそれから保護し差し押さえる自由をもち、マルク保護管理人と一般村民がそれを除去するように命じたら、ノルトホーフの村長の所に連行して拘留することができる。しかし違反者がこれに抵抗したら、彼は森林裁判官に森林裁判集会の罰金を、保護管理人には保護費を、一般村民には2分の1樽のビールを納めるべきである。また適正に守られるべきことをおこなわず、ひそかに回避したり、あるいは通行料を取ったりすることが発覚したら、上述と同様な罰金を徴収されるべきである。森林裁判官はここに出席して、部外者の家畜が承認された頭数以上に放牧されているのをみつけたら、彼はマルク共同体員とともに、彼らを保護し違反者からは上述のような罰金を取る権限を有するべきである。11. 村民がマルクの木を分けようとするときは、あらかじめそれを全体で協議したうえで、一般マルク共同体員の同席のもとで分けるべきであり、いかなる者も有利にされてはならない。違反すれば森林裁判集会で森林裁判官と村民に1フィアテルのビールを納めなければならない。12. 村民に木が割り当てられたら、彼らは木を伐り運び去るべきであり、その際村民とマルクに損害を危険をもたらしてはならず、違反すれば森林裁判官と村民に罰金を徴収される。13. 何らかの不和、分裂および騒動が終息にいたる場合、それは森林裁判官、すべての農場領主および一般マルク共同体員の一致した同意によりおこなわれるべきであり、森林裁判官が村民の同意なしに、あるいは村民が森林裁判官や農場領主の同意なしに、一方が他方に対して優先権をもつようなことがあってはならず、これに反する行動をとるような者は、そうした行為が禁止されてもやめない場合、そのたびに、森林裁判官に2倍の森林裁判集会の罰金を納め、村民に1樽のビールを納めるべきである。また不適切な芝土の堆積をおこなってはならず、違反すれば森林裁判集会の罰金を科される。14. マルク共同体員は常に村長とマルク管理人に対して、彼らが知るマルクのすべての欠陥を知らせ、村長とマルク管理人はそれらを書かせ、森林裁判官は年2回それを文書で通知して、欠陥を黙って放置してはならず、これに反すれば規定により森林裁判集会の罰金を科される。15. 村長とマルク管理人はマルクの欠陥を森林裁判集に告発しないか、林裁判官に通知しないなら、いかなるマルク管理人も森林裁判官に2倍のの罰金を負い、村民に1樽のビールを納める義務を負い、村長は2倍の罰金を支払い、村長も現職の森林管理人もしかるべき宣誓によって、常にマルクを勤勉かつ真摯に管理し、前述のとおり告発をおこなうことを誓うべきである。 16. 村長がマルク管理人の助言により村民集会を提案して、隣人に正確な時刻と場所を告げない者がいれば、彼は村民に1フィアテルのビールを提供すべきである。しかし、それを告げられた者が指定された時刻と場所に来なければ、同じ罰金を納めるべきである。 17. 一般マルク共同体員は放牧地の使用料を毎年徴収しなければならず、彼らはあらかじめ彼らの利益とマルクの最良の利用のためにも、古くからのしきたりによって、徴収することができる。18. ノルトルップ・マルクの一般村民は、村長の農圃が同マルクにおける完全な権利を有する土地保有農民より高い地位にあるとは認めないが、彼が次のようなものを保持する場合、それぞれについて1頭の豚 の放牧権を認める。すなわち森林裁判集会の裁判席にゆいて1頭、保護畜舎について1頭、種馬について1頭、繁殖用の牛について1頭、酒盃に対ついて1頭の放牧を認め、彼は計5頭の豚を飼育場に放牧することができるが、それ以外に豚の放牧はできない。19. 森林裁判集会の問題を他の地区の裁判所に訴えた者は、森林裁判官およびマルク共同体員に2倍の罰金を納める義務を負う。20. 完全な権利をもつ土地保有農民は毎年良い農作日を選んで、相互に並んで出席する義務を負い、村長、マルク管理人はそのなかから4名の有能なマルク共同体員を任命し、彼らは立派な非の打ちどころのない5本のオークの木の枝を採集し、完全農民の半分の権利をもつ土地保有農民は3本のオークの木の枝を採集し、すべてをマルクの改良のために使うべきである。 21. カエデの垣根は4年より長くてはならず、4年経ったたら除去されるべきである。また森林裁判官、マルク地主およびマルク共同体員は森林裁判集会のときに、マルク管理人を変える権限をもつべきである。 22. 起きうるすべての違反は、森林裁判官のみならず、村民全員も議論し、裁き、罰金を要求し取り立てるべきである。23.森林裁判官は適切なときに森林裁判集会を開くことを、少なくとも14日前に知らせ告示させたら、一般のマルク共同体員はしかるべき森林裁判集会の場所に忠実に出席すべきであり、彼らの訴えを拒んではならず、これに違反すれば森林裁判集会の罰金を科される。24. いかなる者も森林裁判集会で彼の財産に何らかの重要問題が生じたら、森林裁判官に届け出て、彼に従順に従い、勤勉さを証明すべきであり、これに違反すれば森林裁判集会の罰金を科される。25.森林裁判官が森林裁判集会を開催したら、最初にこれらの条項を読ませ、一般マルク共同体員が承認されたこれらの条項を守る義務を負わないのか、判断を問うべきである。26. 告発された者が、罪を認めない場合、彼は法によっていかに告発に抵抗すべきかと判断を問われ、それに対して曰く、彼がそうした告発を避けられない場合、彼は宣誓によって告発を免れ、それ以上判断を問わせてはならない。 上述のすべての条項を当事者双方が彼らの相続人と後継者のためにすすんで同意し受け入れた。そこで上述の森林裁判官ヤーン・レーデブーアおよび彼の相続人も、これら承認された諸項目に対して、上述のマルクにおける森林裁判にかかわる多くの法を勝手に用いることなく、領主その他の上位高官によって多くのことをマルク地主、農場主またはマルク共同体員に押しつけたりすることもなく、常にこれらの諸条項や諸項目に平穏かつ積極的に十分満足すべき義務と意志をもっている。そうした条項にかんして、マルク地主や農場主も、レーデブーア裁判官や彼の役所の保護や処理に協力する義務と意志をもつことによって、マルクは常に荒廃することなく良い状態に保たれる。上述のすべてについて危険も悪だくみも一切ない。



2.ニーダーザクセン Niedersachsen


 2-1 マルシャハト Aus einem Marschrecht Protocol (1602年)


(原文では「マルシュ法の記録」とあるが、おそらくエルベ川西岸の集落マルシャハトMarschachtの記録と推測される))

 オルダースハウゼンのペーター・ヘルメンスは、バルドヴィックの教会使用人の息子ヘネッケ・マーケが彼の犬を屋敷で撃ち殺したと訴えた。被告人は、彼が原告の屋敷を通ったら、犬が彼に襲いかかってきて、あらかじめ切断していた棒を 手に取っても防ぐことができず、地上に倒されたので、彼は往来自由な街道で犬を撃ち殺した。ペーター・ハルメンスは、それが起きたのは彼の屋敷であり、 被告が彼の子どもたちがいる家に向かって撃ったと述べた。パヴェル・クロットは、犬が屋敷のすぐ傍の垣根におり、屋敷で撃たれたと言った。
 裁判所は次のように述べた。すなわち、被告は犬を原告の屋敷で撃ち殺したので、撃ち殺された犬の尾をつるして犬の口を地につけ、犬を埋め尽くすほど大量の赤小麦を犬の上からふりそそぎ、被告の屋敷を1年間警護し、領主のためにつくすことを法とする。

  2-2 トシュテット森林 Holting zu Tostede (1534年)


(トシュテットはリューネブルク侯国領に属し、国立公園で知られるリューネブルガーハイデの北西端に位置する)

     トシュテット周辺の地図

    

 1534年ユルゲン・ハイムブローケはトシュテットで森林裁判集会を開き、聖マルティノの日(11月11日)、次のようなことが法にしたがって認められた。
 人々はわが領主エルンスト公に大地の権利を認め、森林裁判集会ではなく法にしたがってそれを命じ提示する。
 森林裁判集会は法にしたがってハールブルク市の領主館に次のことを認める。すなわち、ハールブルク市の館が火災にあったら、同館の代官または指揮官は、トットに住むいかなる農民も材木を建築の補助のために持参し、さらに多くの草や麦わらなども持参するように、森林裁判集会に要請すべきである。
 ユルゲン・フォン・ハイムブローケは、リューネブルク-ブラウンシュヴァイクの領主や諸侯によってわれわれに認められた協定どおり、豚の肥育を維持することを望んでいる。
 ヴァイゲの住民にはボッテルゼンに連れていく彼らの豚の割り当て頭数が認められるが、その放牧にあたっては、他の森林利用者が差し押さえの際に豚を連れていく場合と同じように、オークとブナを保護すべきである。
 モレンホーフには完全肥育権として60頭の豚、半肥育権として30頭の豚が認められ、聖レミギウスの日(10月1日)にモスデブルクの農民経営では日中に広い小川を渡りオフィングの沼地まで家畜を放牧し、日中に引き返し、1年に2本のシャベル用の木を伐ることが認められるが、保護されている他の場所では、豚を農民屋敷のなかに入れるべきである。
 耕されていない農民と小屋住みの農圃は、印章と書類を提示できなければ、この森林裁判集会によっていかなる建築用木材も認められない。
 森林裁判集会は、屋敷と菜園のなかを除いて自由を認めない。樹木があり、豚のえさがあり、囲われた草地ももつ者は、草地を開放し、豚のえさを平等に食べさせるべきである。また樹木も焼いて乾かし、彼の土地の持ち分に応じて、土地を改良すべきである。
 森林裁判管区外に住む部外者は、裁判集会に参加することを禁じられる。当地の 2つの共有地では、違反を訴えられたか見つけられた者は、森林領主が罰することができる。森林裁判集会は、いかなる者も森林領主の承諾なしに採草地をつくることを認めず、昔から採草地がない場合、これに違反すれば罰せられる。誰も森林裁判所管区外で森林領主の許可なく木製品を買ってはならず、作ってもならない。
 

 2-3 シュタインヴェーデル森林 Steinwedeler Wald (1530, 1548年)

(シュタインヴェーデルはリューネブルク侯国領に属し、今日のニーダーザクセン州の州都ハノーファーから北東へ13km離れた場所にある)


1548年のシュタインブリュック家の相続地帳簿からの抜粋

 シュタインヴェーデルの森はシュタインブリュック荘園のために利用され、領邦リューネブルクにあり、わが領主がそこでいかなる裁判権をもっているかは、以下に記録された森林裁判集会から看取される。とはいえ、シュタインブリュッック荘園は建築に必要とされるだけの建材および多くの薪をこの森林から得ている。
 シュタインブリュック家の地方官は毎年地方行政区の帳簿が示す森林および採草地地代をこの森林から徴収しなければならない。
 1530年聖ドロテアの日(2月6日)の後の水曜日、グロッセン・ロープケで森林裁判集会が開かれ、森林について次のような問答がおこなわれた。
 1. リューネブルク公はシュタインヴェーデルの森にいかなる権利をもつか。領主に最高位の森林支配権が認められるとすれば、最高位の森林支配権とはいかなるものであるべきかと問われた。それは流血裁判権等であり、ヒルデスハ イムの司教座教会参事会首席司祭には50 フーダーの木材が認められ、そのうち15フ ーダーはブナ材で、またそこから12フーダーは森林裁判官と彼の下男のものとな り、それは12コルトリンクの価値がある。ルーテンベルクの住民はこの森林の最高位の用益権保有者であり、あらゆる森林用益権の一つをもつことを認められる。 彼らは60頭の豚と1頭のオス豚を放牧権の持ち分とみなすことができる。完全狩 猟権として建築に必要な建材が認められ、また煉瓦の家には作業用木材が認めら れる。
 ガーデンシュテーデの住民には、60頭の豚、1頭のオス豚を日中にイメンゼンへ移動する放牧権が認められる。ブレ―マー・ホープにおける半狩猟権にかんし て、犬がそこを走るとき、犬を追い立ててはならず、あまりけしかけてはならな い。半開墾地利用権として、森林裁判官と彼の下男にはハムとナイフが認められる。ルーテ家には一度に90頭の豚と3頭のオス豚が認められ、シュタインヴェー デルの農民は日中に豚を往復させる放牧権が認められ、ここでの開墾地利用権と して、ハムとナイフが森林裁判官とその下男のものとなる。 

 2-4 ザルツハウゼン郷 Gogericht zu Salzhausen (1577年)

 

(ザルツハウゼンはリューネブルク侯国の村落で、リューネブルガーハイデの北東端に位置する)

  敬愛する君主と領主、すなわちリューベックの司教・フェーアデンの教会管理者およびリューネブルクの館の主でもあるエーベルハルトと、若いリューネブルク・ブラウンシュヴァイク公ヴィルヘルムの両者の間で、昨年1576年に締結された協定において、若干の事項がザルツハウゼンの参審員の了解を得るために提出された後、審理が延期されていたが、本日郷裁判所がヴィンゼンの軍隊長クリシュトフ・フーデンベルクによって開かれ、さらにフェーアデンの司教座教会参事会員ウルリヒ・クルーヴェルン司教、官房書記官ハインリヒ・ボルンホルト博士、地方行政官ヨハン・フォン・ツァーレンハウゼンとガブリエル・ラウテンシュレーガー、そしてヴィルヘルム・イエルク・フォン・ハイムブリュック公、官房書記官フリードリヒ・フォン・ヴァイエ博士の命令にしたがって、当郷裁判所にさまざまな質問がなされた。そこでかれらは、かつて古くから常に法として認められていたことを正しくおもいだし、以下のごとく、忠実に答えようととした。
1. 問い:わが領主リューネブルク公のために裁判所がつくられ開かれることができたのは、はるか昔のことだろうか。ベネケン・ボーレマンによる答え:はい、 それははるか昔のことだろう。
2. 問い:この裁判所で求められ、禁じられることは何か。べネケン・ポーレマンによる答え:誰もののしりの言葉、憎しみの言葉、密談の権利を得たり容認したりすることなく、裁判は領主の信頼と同意をもっておこなわれ、いかなる者も判決と弁護をうけいれ、国内で法とされているものを尊重すべきである。
その後、下級郷裁判官ヴァルネケ・ベネケンは郷裁判所を適切に開廷した。そして、さらに
3.問い:ヴィンゼンの軍隊長はわが領主リューネブルク公のために、ザルツハウゼン外の郷住民のものではない農地、家あるいは村落で、郷裁判所を開廷する権限をもっているだろうか。ヴァルネケン・ベネケンによる答え:それは古くからの法であり、郷裁判所は開かれてきた。ザルツハウゼンの墓地のそばの草地には一本の菩提樹が立っており、従来の慣わしどおりその場所であらためて郷裁判所が開廷され、さもなくば屋内で同じように開廷されうる。そのほかに、ヴィンゼンの軍隊長はガールストルフその他の地区の裁判所を郷内で開廷する権限をもつ。
4.問い: 郷裁判所管区にはいくつの村落が属しているか、またそれらはいかなる村落か。ヴァルネケン・ベネケンによる一般の郷住民のための答え:それらはトッペンシュテーデ(Toppenstede)、カールストルフ(Garlstorf)、ゴーデンストルフ (Godenstorf)、エールストルフ(Oelstorf)、 リュッベシュテーデ(Lübbestede)、 イーゲンドルフ(Igendoerf)、プーテンゼン(Putensen)、ザルツハウゼンの4つの農圃、ガールシュテーデ(Garstede)、ヴェスターゲラーゼン(Westergellersen)、 エーデストルフ(Edestorf)、デルデ(Doelde)、ファイデル(Veidel)、オルステン(Olsten)、ハイムボーケ(Heimboke)、 ザーレンドルフ(Sarendorf)、ハウシュテーデ(Hanstede)、アーゼンドルフ(Asendorf)、マルクセン(Marxen)、ブラッケル(Brackel)、クヴァレンドルフ(Quarrendorf)、 デア・ヴェッダー・モイ(der Wedder Moy)、シュマーレムフェルト(Schmalemfelde)の製粉所 、ズュルミューレン(Suermühlen)、 ディ・リュプケ(die Luepke)、ルーエミューレン(Luemühlen)、ボルステル(Borstell)あるいは1農圃としてラウエン (Rauen)、ロレフツェン(Roleffzen)。
 5.問い:郷はどのような方向に向かい、その境界はどこなのか。ヴァルネッケン・ベネケンによる答え:アーゼンドルフの低い橋から北ハイデ、オクセンリーデへ、干拓地へ、そこからシュタインベルクへ登り、長いハイデを通り、そこから領主の羊小屋に向かい、ブレ―マーフォルトへ、そこからボルステルの農場の自在鉤へ、そこからパルボルク橋へ、そこからドゥレンゾールへ、聖なる採草地の端を越えてラーヴェルスベルク耕地へ、レーペンシュテーデのテーフェンリーテへ、聖なる谷の前を砂州の水路へ、そこから古い製粉所の水路へ、そこからオルツェンヴェーデルの境界石へ、そこから昇ってシュタインベルクの溝へ、フンデスブルンへ、ヴェッツェンの自在鉤へ、そこからヴェッツ橋へ、そこからラーフェンの牛飼いの自在鉤へ、そこからイーゲンドルフの森のうしろの境界標のオークの木へ、そこから七つの泥炭塊へ、そこから湿原空き地のブナの木の方に向かい、そこから大ハイングストベルクへ、そこから小ヴェーアホルンへ、そこからハンシュテーデのうしろの境界をとおって、再びアーゼンドルフの低い橋に戻る。
 6.問い:前述の村々とその村域および裁判管区における罰金は、このザルツハウゼン郷のみに属するものとして、裁かれるべきであるか、それとも誰かほかにもその権限をもつ者がいるのか。ヴァルネッケン・ベネケンによる答え:この郷裁判所には郷裁判官以外には、誰も罰金を徴収する者はいない。
7. 問い: 前述の郷裁判所管区内の村々に住むフェーアデンの領民は、裁判に参加する義務を負い、不法行為、違反等をおこなった場合は、他の裁判所管区の領民と同様に、郷裁判所で処罰されるのか。ヴァルネケン・ベネケンによる答え:フェーアデンの領民は昔から郷裁判所以外のどこにも行かず、それに参加し、郷の他の領民と同じく、罰せられ、訴え、訴えられてきた。ハイネという者が荘官に指名され、このザルツハウゼンの司教の荘官屋敷に住み、郷裁判官によって下級郷裁判官に任命され、その場にいあわせたフェーアデンの領民のハンス・クローガーも彼を知っており、クローガーは郷裁判所で前述のハイネという荘官が下級郷裁判官であったことを知っていると述べた。
8. 問い:フェーアデンの領民も昔から他の領民とともに郷裁判所の指示にしたがい、郷の他の領民と同じように領主に奉仕をおこなってきたのか。ヴァルネケン・ベネケンによる答え: 郷裁判所の人々は、司教の領民が郷裁判所の指示にしたがい、塹壕における奉仕に加わったことをおぼえていない。リューネブルクの都市参事会が同席していた前回の審理では、クヴァーレンドルフのヘルマン・ハルメンスという名の者が、司教の領民はホーヤへ郷の奉仕に行ったとおもうと述べたようである。だが、ニーンドルフの老ディトマー・モルマンはこれに反対して、次のように述べた。すなわち、彼は2度ホーヤに行ったことがあるが、そこでフェーアデンの者を見たことはなく、それゆえ彼らは他所にも行ってないと考えられる。しかし、一般の緊急事態や槍と鉾槍をたずさえる出征に、隣人がともに立ち上がるときには、彼らはいつでもつとめをはたした。
9. 問い:聖職または世俗領主は、その荘園や家屋で事件が起きたとき、昔から人命金を徴収したか、また正当な人命金は誰に属するのか。ヴァルネッケン・ベネケンによる答え:誰かが荘園で襲撃されて死んだら、人命金は土地領主のものとなり、その荘園の四本柱のなかに人命権を設定することができる。
10. 問い:人命金とはいかなるものか。ヴァルネケン・ベネケンによる答え:人命金は3フントで、土地領主のものなり、それ以外の罰金は郷裁判官のものとなる。
11. 問い:ある者が撃ち殺された場合にのみ、人命金が郷裁判官のものとなるとすれば、人命金が徴収されることはほとんどないだろう。その場合犯人は卑怯にも人命金を免れるか、さもなくばしかるべき罰をうけるので、彼らは別の法にしたがって裁判をおこなおうとするだろう。とくに処罰の対象となるいかなる行為によって、人命金は領主のものとなるのか。それに対する答え:ある者が彼の荘園で襲われ、それによって死亡した場合にのみ、人命金は領主のものとなるのであり、それ以外にはあらためて答えを示しようもなく、人命金が誰か他の者に帰属することもない。
 これに対して、フェーアデンの参事会員は、そうした郷裁判所の答えに賛同することはできないと報告した。彼らは二つの事例をおぼえていて、その一つは地方官も同席していたザルツハウゼンの例であり、もう一つはレプケの例で、そこでは悪しき流血と頭部の重傷にかんする人命権がフェーアデンの人々によって維持されてきた。彼らはそれゆえ郷裁判所の答えを尊重しつつも、郷裁判所にそうした判断を変えてほしいと願っている。にもかかわらず、郷裁判所は依然として従来の判断に固執した。
12. 上述の君主の協定によって各村から1名ずつ10名からなる人々は、適正な記憶と警告にしたがって、フェーアデンの司教がザルツハウゼン郷にあるわが君 主の荘園にいかなる人命権を有するかという問題について問われた。ハンス・ シュトックマン、ハンス・パーレマン、ハインリヒ・ビレ、ハンス・クルデス、 ヘルマン・シュテーディング、ハンス・ライメルデス、ハインリヒ・ディトマー ス、クルト・クルデス、ハンス・ヴェルナース、ハンス・ヴォルパートの10名に よる答え: わが君主の荘園では人命金はフェーアデンの司教に属するが、罰金の 徴収権は郷裁判官に属する。
13. 問い:いかなる処罰行為からわは君主は人命金を得るのか。答え:誰かが襲われて死亡したら、人命金は領主のものとなり、それ以外は考えられない。
 彼らはいま一度それについて問われたとき、これ以外には考えようもないが、彼らより学識ある人々なら、何が正しいかを認識できるかもしれないと答えた。
14. 問い:ザルツハウゼン村の刑事裁判所は誰の管轄に属し、ザルツハウゼン内の路上で何かが起きたら、それは郷裁判所か、それとも他の管轄に属するのか。ヴァルネケン・ベネケンによる答え:ザルツハウゼン内の路上で起きること、そのほかハイデと放牧地で起きることは、郷裁判所の郷裁判官の裁判と処罰の管轄に属する。
15. ザルツハウゼンの二つの遮断棒の間の区間は誰の管轄に属するのか。答え:郷裁判官の管轄に属する。
16. 問い: 七つの泥炭塊からレッペンシュテット前の深い湿地の橋にいたる街道は誰の管轄に属するのか。答え: 七つの泥炭塊からトーレ、リュバーシュテット、イェンドルフ、ヴェスターゲラーゼンを経て、キルヒゲラーゼン方面へ、レッペンステット前の深い湿地の橋にいたる街道は、フェーアデンの司教の管轄に属する。ただし、それは、ある荘園農民が馬に乗って、14シューの長さのさおをもって道の真中で立ち止まり、さおが道の両側に届くことができる場合に限る。
17. 問い: 七つの泥炭塊からレッペンシュテット前の深い低湿地の橋にいたる街道とともに、御者は他の道を利用することがあり、上述の街道のほかに、そうした新しい道では処罰や罰金は誰に対して科されるのか。ヴァルネケン・ベネケンによる答え: 街道以外のそうした道路で起きることに対する罰金は、ヴィンゼン市参事会のものとなる
18. 問い: 街道で事件が起き、フェーアデンの司教あるいは彼にかわる誰かが路上で起きた問題について街道裁判所を開いた。それは誰によって開かれたのか、同様な事例についておぼえているか。ヴァルネケン・ベネケンによる答え: 参審員は、数年前にリュデケ・コスターが街道である者を撃ち殺し、その場で街道裁判所が開廷されたことをおぼえている。リュデケ・シュメーデスもハンス・シュテーディングスに街道で石を投げ、死亡の責任を問われて郷裁判所に訴えられたが、フェーアデンの地方行政役所にも訴えられた。
19. 問い: ヴェッツェンの橋からポーデルブルクの橋までのルーエ川の裁判権は誰に属するのか。ヴァルネケン・ベネケンによる答え: ヴェッツェンの橋からポーデルブルクの橋までのルーエ川の裁判権は、半分がフェーアデンの司教、半分がリューネブルク公に属する。ザルツハウゼン方面で起きることは前述の司教に、他方のリューネブルク方面で起きることはリューネブルク公に裁判権が属することは、両領主が同意している。ザルツハウゼン、77年5月30日の文書。


 2-5  バルスカンプ森林 Holting des Waldes zu Berschampe (1503年)


(バルスカンプはエルベ川西岸の村で、現在ブレッケデ市に属する)

 バルスカンプの森についての森林裁判は次のとおりである。
 1503年、聖霊降臨祭の木曜日、メディングの 司教座聖堂参事会首席で尊敬すべき領主ウルリケ・フォン・ビュロウ、有能なる名付け親ヨハンスおよびヘルメス・フォン・ヴィットルペ、リューホの代官ガーデルト・トルナイ、ハンスおよびゲーフェルト・フォン・エストロプ兄弟、賞賛すべきハルトヴィヒ・シュテーテロゲン市長、カスパーの参事会員、書記長のディードリヒ・ヴルシェン、賞賛すべきリューネブルク参事会のゲシェーケンの同席のもとに、賞賛すべきブレッケデの靴屋で軍隊長ハルトヴィッヒによって、バルスカンプ村の内部で、あらゆる森林利用者の出席により、バルスカンプの森とその付属施設の法にかんする裁判集会と裁判が開かれ、そこでブレッケデの塔とその権利を有する者には法により何が認められるかが問われ、森林裁判集会によって認められ、以下のように示された。
 最初に、次のように問われた。すなわち、裁判所とその付属施設のあるバルスカンプの森の正義はどれほどの距離と範囲に及ぶのか、そして彼らが古来の習慣と正義にしたがって法として認めるもの、すなわち彼らがかつて認め、知りえたものはどこで方向をかえるのか。
 これに対して、森林裁判集会によって次のようことが法として認められ示された。すなわち、森林と裁判集会に属する正義と裁判の境界は、カテミンの傍のシェッツェルと呼ばれる小川からカテミン耕地の垣根へ向かい、村域全体はそこからトスターグローペの方向へ向かい、耕地と村域全体は遠くの道へと転じ、この道はホルンドルフの垣根の前へ進み、そこからさらにオスターモーアを越えてハルムストルフの土地へ、その村域のおよぶかぎり遠くへ、さらにケストルフの方向へ、natellあるいはvoneで知られる小集落オッデンベルクの全村域を越えて、右側に曲がり、道を進み、ニンドルフからゲディンガーベルク、バルドルフのふもとの道を通って、そこから森を抜けてフィーレ、さらにヴァルムスブルクの村域へ、エルベ川へ、そして再びシェッツェル川に戻る。
 さらに次のように問われた。すなわち、森林に属する村々の誰かが単独で使用する分離囲い込み地または藪を入手することができるか、またそこで差し押さえ以外にも木を伐ることができるか。
 これに対して法にしたがって次のようなことが認められた。すなわち、森林裁判集会は誰にも単独で森林を利用する分離囲い込み地または藪を認めておらず、囲い込み地または藪のすべては村々のものであり、森林裁判集会の共有である。一般の村民も、森林から3フスの距離までは、森林の中と同じように差し押さえによって木を伐ることができ、同じく養豚も全村民がおこなうことができる。しかし、ある村が村の保護または緊急の必要のためにその村落の近傍で囲おうとするなら、それは認められるだろう。また領主がともに監督できる場合には、囲われたものが誰かに必要とされるなら、そのまま残され、森林一般と同じく、森林裁判集会に所有されるべきである。
 このようにハンスおよびエッゲルト・フォン・エストルプはトステゲロープの囲い地にかんしてわが領主リューネブルク公に語った。
 さらに、森林裁判集会はバルスカンプの森林を誰のものと認めるのかと問われた。
 これに対して次のようなことが認められ、示された。森林裁判集会は彼らが住むバルスカンプの森を荘園領主の所有と認めるが、荘園に住む領民が自分のために保有し、権利を有する場合にかぎり、荘園領主は伐採も養豚もおこなう権限をもつことができない。
 さらに、彼らはブレッケデの塔にいかなる裁判権を認めるかと問われた。
 これに対して、森林裁判集会は法にしたがって次のことを認め提示した。すなわち、彼らはブレッケデの塔に森林とすべての村々と付属設備にかんする首と手の上級および下級裁判権を認める。荘園領主の所有地または家のなかで、ある者が撃ち殺されたら、荘園領主は4週間以内に第一審と指定された人命裁判所を開くが、これに続く上級および下級裁判権はブレッケデの塔が有する。
 森林裁判集会はブレッケデの塔に対して、森林における差し押さえ、城のための自由な輸送および城に属するすべての豚をそこに移動する権限を認めた。したがって、そこに豚のえさがあれば、自由に放牧できる。これに対して、城と森林利用者が必要とする以上にえさの改善と余裕があれば、そこに養豚税を課すことはできない。とはいえ、その基準を設けることは可能であり、それが否定されるわけではない。
 森林裁判集会の一員ヨーハン・フォン・ヴィットルプは森林においていかなる権利を認められるかと、問われた。
 森林裁判集会はヨーハン・フォン・ヴィットルプの相続人にバルスカンプの森林の樹木3分の1を認めたが、彼はそれを伐る権限をもちえず、彼の家で調理台を必要とする場合にのみ、それを伐ることができる。一般に家か納屋の修理に必要な森林の木であれば、ブレッケデの塔が委任した者の承認を得て伐ることができる。
森林における完全放牧権の場合、ヨーハン・フォン・ヴィットルプは60頭の豚を放牧できるが、半放牧権にすぎない場合は、30頭以下の豚しか放牧することはできない。
 森林裁判集会は次のように認めた。すなわち、ヨーハン・フォン・ヴィットルプの下男たちは、木を伐った者が誰かという話をヨーハンの屋敷で森林利用者から聞き、森のなかの道で彼に出会ったら、捕らえることができる。このヨーハンの下男たちは彼の左耳を右手に取り、右腕と左耳の間に左腕を挿し入れてもよい。こうしたやり方で彼らが刃物を道から投げることができるかぎり、それが道から遠く離れていなければ差し押さえることができる。その場合、彼らは差し押さえた斧または刃物をバルスカンプにもっていく義務を負う。もし誰も森から通常の方法で差し押さえ品をもってこない場合でも、彼らはバルスカンプにある石に差し押さえ品で切りつけ、斧または刃を石の上に投げつけて、破壊することができる。つまり森のなかで差し押さえる以外に方法はないのである。
 さらに、森林裁判集会の一員ヨーハン・フォン・ヴィットルプには、ヴィンデス・ホルンといわれる森の木の場所の権利があるかと問われた。これに対して森林裁判集会による次のような指示がなされた。すなわち、ヨーハン・フォン・ヴィットルプにはオスターモーアに属する木と木の実の権利はもはや認められない。ヨーハンが要求するヴィンデス・ホルンにおける木は森で育ったのであり、森の中にあるものは彼の権利としては認められない。
 これにヨーハンは反論し、わが領主リューネブルク公により斥けられた。
 さらに開墾地について、森林裁判集会によって次のように認められた。すなわち、森林の法において領主にとって不適切に共有地に開墾した者がいれば、悪疫とみなされ、その責任者とみられる者は、禁令によってそれを再び手放すべきである。
 コーリングの森からつくられた開墾地は、そのまま残すべきである。
 バルスカンプとゲデンイグの住民がブルスネへの道を進んで何かを掘り出そうとしたら、そうしたことが安全をそこなわないかよく調べるべきであり、そのような進行は認められない。


 2-6 ヴィッツェンミューレ Witzenmühle (1570年)

(ヴィッツェンミューレは現在のヴェッツェン(Wetzen)で、リューネブルク市の南にある自治体オルデンドルフ・ルーエ(Oldendorf-Luhe)に属する1地区)


 ヴィッツェンミューレの裁判所はアラー川沿いのヴィンゼンで1570年ボニファティウスの日(6月5日)に開かれ、次のような問いと判断が法として認められた。
 最初の問い:法的な高齢の男性単身者は法において何歳とすべきか。それへの応答:高齢男性単身者は50歳3ヶ月3日とすべきである。
 2. ある高齢男性単身者が死んだら、彼のすべての財産が動産であれ不動産であれ、その相続財産のうち採草地または耕地は、領主のものになるのだろうか。これに対して、次のようなことが法にしたがって認められた。すなわち、高齢の独身男性が死んだら、すべての取得地は領主のものとなり、世襲地は親族のものとなる。しかし領主が認めていない高齢の女性単身者の場合は、親族のものとなる。
 3. ヴィッツェンミューレの裁判所は上級裁判所の前に開かれるが、他の地方行政区でもすべてそのように開廷されることが法として認められているのか。これへの応答: ツェレ地方行政区でもそれが法にしたがって認められている。
 4. ある荘園は地代を、他は鶏税を得る場合、それを制定し廃止するのは誰か。それへの応答: 鶏税を財産としてもつ者は、それを制定し廃止する。また地代はその権限をもつ者に与えられ、彼がその権限を行使するなら、地代は理由なく廃止されるべきではない。
 5. ある農民または小屋住の農地からみずから退去するか、追放される者は、その農民または小屋住の農地をどうすべきか。それへの応答:農民または小屋住の農地をみずから去る者は、3分の1の作物、3分の1の肥料を耕地に残し、彼の動産を持ち去るべきである。彼が退去する場合、平穏無事に移住をおこなわせ、彼が自分の財産から耕作地の代金を支払うつもりか否か、あるいは耕作を中断して休耕地とするのか、耕地の肥料をなお3年間利用するつもりなのか、決めるべきである。
 6. 貧困によって地代を納められないか、不遜にも納めたくないために立ち退かされた者は、何を残すべきか。それへの応答:領主であれその子息であれ、地代を納められない貧しい者を、貧困とともに退去させるべきである。だが不遜にも地代を納めようとしない者は、前述のように、3分の1の作物、3分の1の肥料を耕地に残し、領主は彼に罰金を科し、領主の子息も罰金を科すべきである。
 7. 地代とひきかえに貸与される水のなかで魚をとることはできるが、公共の水ではできるだろうか。それへの応答:賃貸された水では誰も漁獲の義務はないが、使い古された堀や公共の河川では古来魚とりがおこなわれており、その維持が望ましい。
 8. 網の長さと幅はどれくらいであるべきか、またいかにしてもっと多くの魚をとり、堀から流出するものを止めて、何もかも荒廃してしまわないようにするには領主はどうすればよいだろうか。この問いに対して、次のような応答があった。 網の両半部の長さを4フスとすべきである。指を通すことができる網目、投げ竿、 曳き竿は禁止されるべきであり、そのほか小さな釣り竿、底引き網以外のすくい網を、昔から守られている堀のために保持することは自由である。
 9. ある相続地が40-60年間支払い請求もなく抵当地として存続し、再び訴えがおこされれば、それに対する権利は認められるか。この問いに対して、次のような応答があった。その農地の内部関係者は20年、部外者は30年請求をしなければ、権利は認められない。とくに彼が訴えをおこした場合は、罰せられるべきである。
 10. 十分の一税負担民がその作物を束ねたとき、十分の一税領主に知らせる義務を負っているのだろうか。これへの答えとして、次のことが法により認められる。すなわち、彼らが作物を束ねたときには、十分の一税領主に知らせる義務を負う。また悪天候のために領民に作物の損害が生じるかもしれないときは、十分の一税の徴税吏は時機を逸してはならない。また徴税吏は最初に秤で計る作物を選ぶことができ、彼の気に入った作物の10分の1、あるいは20束のうち2束を数えて取ることができる。
 11. 他人から子牛を買ったり、自分の子牛を売って再度買い戻し、それについて十分の一税を納めず、子牛が十分の一税徴税吏にとって行方不明となることはよくあることなので、子牛の居場所を見つけられた者、あるいは子牛を買い取った者に、子牛の十分の一税を課すべきか、また子豚の場合はどうすべきか。。それへの応答: 発見された子牛に対して十分の一税は課税されるべきである。また子豚が生後6週経っていれば、徴税吏に知らせて、子豚に十分の一税が課税されるべきである。
 12. 子ども、下女あるいは下男は、自分の子羊の十分の一税を納める限り、誰でも子羊を登録することができるが、その価値に十分の一税を課税すべきか、それとも互いに協議すべきか。この問いに対して、次のような応答があった。 誰もがその子羊を登録すべきであり、登録をしている下男または下女が去って行った場合は、十分の一税徴税吏の帳簿から削除すべきである。子羊の十分の一税は聖ウルリッヒの日(7月4日)に徴税されるべきであり、徴税吏が見つけた子羊から十分の一税を徴収すべきである。彼らが幾らかでも子羊を売ったら、彼らはその責任をとるべきである。また下男あるいは下女がひそかに子羊を売り払い、登録している子羊の価値に責任を負おうとしないなら、価値を登録している子どもを除いて、下女または下男は、彼らが奉公している主人の所で羊または牛を飼ってはならない。
 13. 新しい養蜂場の設置が領主によって許可された場合、それは古い養蜂場からどれくらいの距離に設置されるべきだろうか、またそのまわりの生垣はどの程度の長さとすべきか。この問いに対して、次のような応答があった。他の養蜂場からの距離は180ルーテとすべきであり、1ルーテは16フスの長さに相当し、養蜂場の前へ行き、左の耳に手を当てて、3度スプーンを前方に投げ、その円周内で生垣をめぐらすことができる。
 14. 蜜蜂の一群を守る生垣はどのくらいの長さとすべきかか。この問いに対して、次のような応答があった。9ハウボームの長さで、1ハウボームは16ルーテの長さに相当する。それだけの広さがあれば、他人の蜜蜂の群れを取ることはありえない。もし蜜蜂の群が他人の養蜂場に紛れ込むことがあっても、それが彼のものであることを証明できれば、彼の蜜蜂の群れを追求させてはならない。
 15. 養蜂場が荒野のなかにあるなら、そのまわりをどれほど有効に利用できるのか。また蜜蜂に利用するのはあまり簡単でなければ、十分の一税領主に対してどのような態度をとるべきなのか。この問いに対して、次のような応答があった。養蜂場が荒野にあり、生垣が古くよりそのまわりにあるなら、そのまま残されるべきである。だがそのまわりに生垣がなければ、何もしてはならず、領主の承諾があれば囲ってもよい。新しい貴族領主が十分の一税を求めれば、彼は領主に対して納めるべきであり、その後毎年、多いか多くないかにかかわりなく納めるべきであるが、それ以前については納めなくてもよい。新しい養蜂場をつくった者は、以前のようにそれを囲ってまわりに生け垣をつくることはできず、溝を掘ることもできないが、そのなかに見張り所をもち、養蜂場のなかで蜜蜂を飼うべきである。
 16. 複数の養蜂場を有する者は、各養蜂場ごとに一つの蜜蜂群として納税するのか、それとも全体をまとめて納税する義務を負うのか。この問いに対して、次のような応答があった。それが一種類の蜜蜂で、まとめて飼われているなら、全体で一つの蜜蜂群が彼に属する。複数が属する場合には、彼は二分して納税すべきである。既存施設から蜜蜂がハイデに移されたのであれば、それを受け継いだ者が、しかるべきものを納めるべきである。養蜂場をもつ者が、新しくつくられたのではない他所の養蜂場所有者から蜜蜂を移したのであれば、養蜂場の地代を納めるべきだろう。またわが領主の従者は、そこからしかるべきものを得るが、それ以外に蜜蜂十分の一税は得られない。
 17. 息子、下女あるいは下男が蜜蜂を飼っている場合、彼らも蜜蜂十分の一税を納める義務を負うか。この問いに対して、次のような応答があった。 彼らが自分の蜜蜂を飼っているなら、当然納税の義務をもつ。
 18. 貴族領主が誰かある者と一緒に蜜蜂を飼っている場合、領主は蜜蜂の納税を免れることができるか否か。また、十分の一税を免税された農民または小屋住の保有地に住む者が、十分の一税の納税義務を負う他の農民の保有地に咲く花を利用して、自分の免税農地で蜜蜂を飼っていたら、彼の農地が属する村域で十分の一税を納める義務を負うか。この問いに対して、次のような応答があった。 貴族領主が十分の一税の義務を負う彼自身の村域内に住んでいれば、領主はその養蜂業者を免税することができる。領主が別の十分の一税義務を負う村域に住んでいれば、彼の養蜂業者は納税しなければならない。農場が免税されていれば、蜜蜂も免税される。蜜蜂群が農場に由来するのであれば、蜜蜂も農場に属する。
 19.  十分の一税領主に対する納税額を減らす者がいる場合、それに対してどのような措置をとるべきか。この問いに対して、次のような応答があった。 十分の一税に不正があれば、十分の一税徴税人はそれを徴収することができる。不正をはたらいた者は領主に不足分を収めなければならない。
 20 ハイデがスコップで破壊されて、数年後には荒廃してしまうようなことは、良いこととみなされるのだろうか。この問いに対して、次のような応答があった。 ハイデをスコップで掘ってはならない。ただし、湿原と同じように、鎌で草刈りをしてもよい。
 21. 男の装備をする者は、どのような装備をして、それには何が属すべきだろうか。この問いに対して、次のような応答があった。次のようなものが装備において要求されるが、それらは現実に存在するものだけに限られ、存在しないものは示されない。すなわち、拍車を付けたまま足を入れることができるたらい。鶏を入れて料理できる鍋、彼が仕事で使っていた衣類。彼が馬車をしまうとき、つまり停車して馬車の前の馬を真ん中の棒からはずした場合、この馬に付属しているいるものは、装備に属する。馬が2頭いれば、長柄につながれた馬が装備に属する。穴があいている桶があれば、馬をそこにつなぎとめることができるが、穴があいてなければ、これも装備に属する。麦刈り鎌が二つ、ハイデ用芝刈り鎌または芝掘りシャベルが二つ、斧が二つあれば、それぞれについて一つは装備品に属するが、二つそろってなければ、残しておいてよい。犂の刃、つるはしも二つあれば一つは装備品に属するが、一つしかなければ、残される。だが彼が馬に乗って来て、足でつるはしを蹴り上げれば、それは装備に属する。彼がもっている長持の上にかけることができる布。妻が出産の床についていれば、一組の寝床。
 妻の家財に属するのは、次のようなものである。すなわち、彼女のすべての衣服。彼女が新婦として持参した長持。夫がまだ生きていれば、ベッドは新婦のベッ ドとされるべきであり、掛布団と掛布団のかかったベッドがそれに含まれるが、 それ以外は除かれる。だが夫が死ねば、すべては妻の家財に属する。子どもを入
浴させるたらい。1クヴァルティアのビールを入れる壺が二つあれば、一つは妻の家財に属する。桶に穴があいていても、栓を詰める穴がない桶は、妻の家財に属する。風が吹いている間にかぎって、畑にある麻。膝下で折れた麻。鍬。紡ぎ棒と紡錘。洗浄されていない紡糸。ハサミが入れられてない亜麻布。麻縄。バター。牛乳バケツ。3つの牛乳小鉢。3つの木製乳脂スプーン。タオル。食卓布。座布団のついた椅子。ガチョウの半分。亜麻の半分。これらのうちで見つからないものは、給付されない。
 若い女性の家財に属するのは、誰かと踊りに行こうとするときに飾るために身に着けるものと、彼女の装飾品を入れる箱。脇にもつ小物入れ。2-3のナイフ。
 22.最後の問い:領主または貴族の土地が農民または小屋住みの女性財産として流出することによって、経営が改善されるべきだとしたら、そこから土地を流出させる夫は土地をうけとるべきか、それともその土地はそのまま残されるべきか。それに対する2回の応答:領主から妻の財産を流出させた夫は土地をうけとるべきである。この判断はとがめられ、領主の見解にしたがわせられた。
 23. ある問い:裁判所で参審員たちがわが君主と領主のために法にしたがって判断をおこなうべく、3-4回退出して、裁判官たちによっても判断をおこなうための協議がなされたが、不遜にも法にしたがう判断を領主に示そうとしない場合、彼らはいかなる違反をしたことになるのか。それに対する第一の応答: 領主には権力があるので、彼が謝罪することはない。厄介が倍増するのは、判断がとがめをうける場合である。第二の応答: わが君主と領主が彼らに恩赦を与えようとしない場合、彼らはその権利を失い、わが君主と領主からそれを買い戻さなければならない。


 2-7 ハイネヴェーデル森林 Holtink im Heinewedel (1530年)

 (ハイネヴェーデルはブラウンシュヴァイク市の北にある御料林であり、この文書は同林の森林裁判集会の抜粋記録である。)


 聖母マリアの被昇天の日(8月15日)に、ブラウンシュヴァイクとリューネブルクの高貴なる君主エルンスト公のためにギフホルンの軍隊長ハインリヒ・フォン・グラムによって森林裁判集会が、ハイネヴェーデルのエーヴェルスホルデンで、ネーヴェンブリュッケ荘園の所有者としてのクルデス・アルプレヒト、ヨハニス・フォン・マーレンホルツおよびクリストファー・フォン・デア・ショーレンブルクの出席のもとに、開催された。
 最初に、ハイネウェーデルに対する最高権力は誰に属するか、問われた。ギフホルンを有するブラウンシュヴァイクおよびリューネブルクの君主に属するということが、村民によって法として認められた。
 第二に、ハイネヴェーデルの村民は、君主とギフホルンの市参事会に二本の木を割り当てた。
 第四に、次のように認められた。すなわち、君主と領主の豚は、えさがあれば、ポッペンディークのあらゆる森に入ることができ、豚が僧侶、従者その他のものであれば、そこに夜間とどまることができる。
 第十に、ブラウンシュヴァイクの参事会は新しい橋をつくったとき、燃料材または建築材を伐らなかったのかと、問われた。それに対して、伐らなかったということが認められた。というのは、ブラウンシュヴァイクの参事会は馬車と馬を取られ、木材伐採のためにギフホルンへもって行かれたからである。
 


 2-8 ブロッケンゼン郷 Goding zu Brokensen (1529年)

(ブロッケンゼンは、今日ハーメルン市の南側の自治体エマータール Emmertalに属する。このヴァイストゥームは当時のホムブルク家所領における広域の郷(goまたはgau)裁判所の記録である。)


 高貴なる君主かつ領主たるブラウンシュヴァイクおよびリューネブルクの若きハインリッヒ公は、本日われらが魂の創造主キリスト生誕後1529年聖ウルダリキの日の後の水曜日、ハイエンとブロッケンゼンの間のホムブルクの所領におけるブロッケンゼン郷裁判集会を、草地において、みずから臨席のもと、そして誉れ高き参事会、貴族および上述のホムブルク所領の住民が出席して、開催したことを知らせる(以下、氏名が続く)。
 わが君主は彼の代理人ハンス・シャーパー・フォム・ゾルテを通じて、郷民の法的判断を尋ねさせたところ、ボーデンヴェルダーの市民カルステン・ゼーゲルドスはその判断を郷民に提示し、いつ、いかなる日に郷裁判集会は開かれるべきか、あるいは開けるか、声高に述べた。それに応えて郷民全体が判断を承認して、法として認め、カルステン・ゼーゲルドスは再び次のような判断を提示した。すなわち、君主みずからまたはその全権代理、あるいはホムブルク家の当主は、 必要あるいは有益であるかぎり、郷裁判集会を開くことができ、あるいは開かせる こができる。
 第二に、君主は次のように郷民の判断を問うた。すなわち、いつ、いかなるときに、郷集会は開かれるべきか、あるいは法によって郷集会は開かれるべきではないか、あるいは君主によってホムブルクの地方行政区に命じられるべきか、それとも上述のホムブルク家の当主にしかるべき指示がなされるべきか。それに対して、全郷民は次のようなことを法にしたがって認めた。すなわち、郷裁判集会が開かれるたびに、君主自身またはホムブルクの地方行政区またはホムブルク家の当主にしかるべき法が指示されるべきである。
 第三に、君主は次のように郷民の判断を問わせた。すなわち、法において重罪裁判所と重罪裁判所に属するものすべて、上下級裁判所いずれも、村の内外の街道や路上、草地や河川、共有地などいたるところで起きるすべての犯罪にかんする権 限は、例外なく慈悲深き君主の相続財産として、慈悲深き君主の官憲は法においてホムブルク家に所属するのか。これに対して、全郷民によって次のようなことが法にしたがって認められ示された。すなわち、すべての官憲は前述のように君主の 相続財産として君主とホムブルク家に所属し、他の何者にも所属しない。
 第四に、慈悲深き君主には君主の相続財産が、そしてホムブルク家には慈悲深き君主の相続財産であるすべての官憲が法にしたがって郷と郷民によって認めら れたので、慈悲深き君主は郷へ行って郷民の法的判断を次のように問わせた。すなわち、他人との紛争が予想されるか、起こりそうな者は、君主の裁判所に法を求めないで、彼が問題をかかえる他人と話し合って、法にしたがって交渉すべきだろうか。それに対して次のようなことが法として認められ、裁判所で提示された。すな わち、他人との問題をかかえるか、それが予想される者は、それを郷裁判所に申し出て、法を求め、交渉をすべきであり、それ以外の方法は認められない。また、次のような法が全郷民によって認められた。すなわち、誰も領地において、人を捕らえ、拘留し、差し押さえ、逮捕してはならず、ただ慈悲深き君主またはホムブルクの地方行政区またはホムブルク家の当主または郷裁判官だけが、慈悲深き君主またはホムブルク家の当主の命令により、それをなしうる。
 第五に、慈悲深き君主は次のように郷民の法的判断を問わせた。すなわち、法においてホムブルク領の住民と臣民は城塞の最良の建設をホムブルク家またはその荘園や農場などのためにおこなう義務を負っているか。あれこれの城塞建設が必要となるたびに、彼らはそれをおこなう義務を負うことが、法にしたがって全郷民によって認められた。。
 第六に、慈悲深き君主とホムブルク家に対してホムブルク領におけるすべての官憲がそのまま認められた後、君主は次のように郷民の法的判断を問わせた。すなわち、慈悲深き君主とその官憲の相続人たるホムブルク家の当主は事前に問われるのが最良であるのか。これに対して次のようなことが法にしたがって認められた。すなわち、慈悲深き君主の判断は、必要か有益であるなら、事前に問われるべきである。
 第七に、慈悲深き君主は、ホンブルク領の住民がこれまでおこなってきた賦役を6日間ひき続きおこなう義務はないのかと、郷民の判断を問わせた。これに対する法的な判断は、次のとおりであった。すなわち、慈悲深き君主が彼らを正しく公平に扱うかぎり、彼らは賦役を6日間おこなう義務を認め、すすんでおこなう意志を示すことを望んでいる。
 第八に、慈悲深き君主は次のように郷民の判断を問わせた。すなわち、郷裁判所で尋問された者が判決を不当と主張し、それゆえ判決をおこなった者を非難し、裁判所で脅迫する場合、彼のそうした行為は罰金を科されないのか、また何が正しいのか。最初に、法にしたがって次のように判断された。すなわち、そのような行為に罰金を科さないなどということはありえず、君主の代理人によって郷民に罰金について尋ねられ、しかる後、領主の思し召しにより郷民に対して指示がなされる。
 第九に、慈悲深き君主は次のように郷民の判断を問わせた。すなわち、昔から法によって郷裁判所に属する者が招集され、故意にまたは慎重に考慮して欠席した場合、彼は罰金の通告されることはありえないのか。それに対して、法にしたがって次のような判断が示された。すなわち、まず問題とされている罰金の金額は3フントである。これに対して、さらに次のような問いがなされた。すなわち、毎年郷集会に招集された者が欠席した場合に20グルデンの罰金が科されことになっているが、知らせをうけているにもかかわらず欠席する者は、法によって罰金を科されないのか。これに対して、法にしたがって、領主の思し召しによるという指示がなされた。さらに慈悲深い君主は、通告されても欠席して罰金を科される者の数はそれほど多くはないのかと、問わせた。これに対して法による判断が示され、慎重に考えて欠席する者が多ければ、それだけ罰金を科される者も多くなる。
 第十に、慈悲深き君主は郷民の判断を次のように問わせた。すなわち、ホムブルク領の貴族は慈悲深き君主の代理人に気をつかうことのないように命令したが、昔からの慣わしのとおり慈悲深き君主の代理人に気がつかわれているか。これに対して、全郷民が尋ねられ、かつてそのようなことがおこなわれていたか、知らないと述べた。
 第十一に、慈悲深き君主は次のように郷民の判断を問わせた。すなわち、ビスペローデとベッセンゲンの住民は昔からホムブルク領の他の住民と同じように郷裁判集会に来る義務を負っていたのか、また今も負っているのか。これに対して全郷民は次のように述べた。すなわち、ビスペローデの貴族領主は常にホムブルクの代官に裁判集会について書状を書いてもらい、裁判集会には出席しなかった。しかし彼の領民と裁判集会で話したいとおもうときは、貴族領主はヴェアダーの貴族としてみずから裁判集会に参加して、裁判集会で答えなければならない。彼らと話し合いたい場合は、彼らと交渉しなければならない。

貴族についての判断
 ホムブルク領の貴族はわが領主に対して好意をもち、慈悲深き君主は貴族に対する厚情から、彼らが昔ながらの習慣と正義を守って、みずから慈悲深き君主のために生命財産をもって奉仕するように要請した。そこで貴族は、次のように郷民の判断を問わせた。すなわち、郷裁判官は土地保有農民たちの了解を得て郷裁判集会にみずから出席すべきではないのか。これに対する郷民の判断によれば、郷裁判官がそこに居合わせるのであれば、郷裁判官は裁判集会の席につくのが、法において当然である。
 わが領主は次のように郷民の判断を問わせた。すなわち、郷裁判官は法においてエッシャーハウゼンの城代を裁判集会の彼の席につかせることができる選択権をもっているか。それに対して全郷民によって次のような判断がなされた。すなわち、わが君主と領主またはホムブルク家の当主の承認により、そうしたことがおこなわれたが、郷裁判官も前述の城代を郷裁判集会の席につかせることができる選択権を法においてもっている。
 貴族は次のように郷裁判官を告訴した。すなわち郷裁判官はホムブルク家の官憲と正義のためにわが君主に対して宣誓をおこなわず、貴族に古くからの慣習と正義を守らせようとしている。この告訴により、郷裁判官は認証されなかった。これに対して、敬虔なルドルフ・クレンケの息子ヴィルケは、貴族に対して答え、ヨスト・フォン・ヴェルダー、ヨーハン・フォン・グローネおよびシャ ルフオルデンドルフのヘルバルト・フォン・フレンケに対して、次のように通告した。すなわち、わが領主は郷裁判官を得ようとおもい、開催された郷裁判集会で彼を認証したいと告げなければならず、実際にそのとおりにおこなわれた。これに対して、わが領主は、郷裁判官を任命すべきではなかったのかと、郷民の判断を問わせた。これに対して、全郷民は次のような判断を示した。すなわち、慈悲深き君主が郷裁判官職を設け、選び、認証し、彼は君主の思し召しにより全権を委任され、いかなる所有と収入を得るのか宣誓をおこない、郷民は彼を郷裁判官と認め、彼なしには何事もなそうとはおもわない。
 わが君主は郷裁判官のために、彼に正当な見返りを与える義務があるのか、郷民の最良の判断を求めた。これに対して次のような判断がなされた。すなわち、農民は取り入れをすませたライ麦の半分、小屋住みはライ麦ではなく、取り入れをすませたエンバクの半分を収める義務を負う。さらに次のような問いがなさ れた。すなわち、農民の土地が耕されていたが、荒廃して、かつて納められていた 地代がとどこおったら、かつてのように郷裁判官にはそうした地代を調達する義務はないのか。これに対する応答はつぎのとおりである。すなわち、旧郷裁判官のヘルマン・コッパーとヒンリック・ベレンデスはかれらのかわりに地代を納めてい たので、今後は現郷裁判官がこれを引き継ぐべきである。
 貴族は次のような二つの判断を問わせた。すなわち、ホムブルクだけではなく他所にも城塞を置くべきではないのか。また上地区は下地区と同じように城塞をつくるべきではないのか。これに対して次のような応答がなされた。すな わち、城塞を築く必要があるなら、あるいは郷裁判官が要求することをホムブルクやヴィッケンゼンが引受けるなら、貴族は城塞建設に協力すべきである。


 

 2-9 ゾルズム荘園 Meiereding zu Sersum (1534、1535年)

 
(ゾルズムはヒルデスハイム司教領の村で、今日ではヒルデスハイム市の1地区となっている。)


 1531年聖ミカエルの日(9月29日)の次の週の月曜日ゾルズムで自由裁判集会が、ヴィッテンブルク修道院のもとで、尊敬すべき領主ヒンリック同修道院長、修道院管財人ニコラウス修道士、シデリウス修道士およびヨーハン・ヴルフ修道士の主宰によって、正しい所有と出生にしたがって、以下のごとく開催された。
 最初にヴィッテンブルク修道院長は開催された裁判集会の権限により誉れ高い親方シュミットを裁判官に任命し、彼は農民のなかからリュデッケン・フレデリクスとカンペン・フレデリクスの2名を陪審員として採用した。
 同裁判官は、本日自由裁判集会を開くことができるかと、法による判断を問うた。これに対して農民たちは次のように認めた。すなわち、彼はヴィッテンブルク修道院の領主から権力と権限を得たことにより、開くことができる。彼は、出席者が正しいふるまいをするように命令すべきである。また、次のような法による判断が示された。すなわち、彼は激昂や罵りの言葉を禁止すべきであり、誰も勝手に談判したりしないように、裁判官は助言者や弁護人と協力すべきである。
 そこで裁判官は、誰かが弁護人を依頼するようにとりはからうことを命じて、それを許可した。
 そこへ、ハンス・デヴェッセン、エルダッセン在住の彼の息子、廷吏ヒンリケ・ヴァスマンが弁護人として、ウンメ・ブルン・シュミットとゼーヴェリン・ピンケルナイルが助言者として出廷し、裁判官によって承認された。
 ヒンリケ・ヴァスマンは自分が不利益をうけないように、法による判断を問わせた。すなわち、彼がこの同意によって損失をこうむったら、誰がこれを支払う べきなのか。それに対して、彼に損失をもたらした者が支払うべきだという判断が示された。
 さらに彼は、彼の損失が自由民として暮らしていけないほど多くても、彼にはその権利があるのかと問い、そのとおりだと認められた。さらに、彼が半月の猶予期限に話し合いが決着しなければ、彼は他の弁護人によって第三者に助けてもらうことができるかという問いに対して、次のような判断が示された。すなわち、彼が事前にそれを相談して、第三者が問題を解決を助けようと彼の味方となってくれれば、それは可能となる。
 そこへ農民たちが加わり、他所の弁護人コルト・ドゥンカーに依頼して、領主の許可を得た。またコルト・ドゥンカーはハンス・シェールナーとヒンリック・クラーレの2名を助言者として申請し、認められた。
さらに彼は土地保有農民のために、男子相続人か、それとも女子相続人のどちらが、次の土地保有農民となるのか、法による判断を求めた。
 男子相続人がいない場合には、娘が相続することができるという判断が示された。これにしたがって、コルト・ドゥンカーは、ヒンリケ・ヴァスマンが提案したことすべてを認めるように命じ、その簡潔さゆえにそれが認められた。
 そこでヒンリケ・ヴァスマンが、ある判決が他の判決をそこなうようなことがあってもよいのかと問うと、肯定された。それでは、一体誰が判決を守るの かと問うと、裁判官と陪審員だと答えられた。それでは、誰が判決を書いたり記録して、多くの人々のために働くべきなのかと問うと、ヴィッテンブルク修道院の領主の書記であるという判断が示された。
 そして、判決がいずれかの当事者によって糾弾されたら、誰に訴えるべきかという問いに対して、ヴィッテンブルクの領主とその相続人に訴えるべきだという判断が示された。また、それがうけいれられない場合、再審を求めることができるのかという問いには、ヴィッテンブルクの領主とその相続人以外にはできないという判断が示された。
 ヒンリック・ヴァスマンは、ゾルズムの村内にある農民保有地について、デヴェッセンの祖父がなくなって以来、彼はまだ未成年であり、他郷にいるので、彼 のものとすることには反対であると訴えた。これに対して、コルト・ドゥンカーはデヴェッセンの持ち分権を弁護して、相続財産は彼には認められておらず、とくに彼の祖母が5つの持ち分権を有していたが、彼女はそれを再び譲渡したと、答えた。
 誰が前述の保有地の正当な相続人であるべきか、多くのことが親族によって語られ、示された。訴訟の当事者双方から、ウィッテンブルクの領主に相続の是非 をめぐる訴えがなされ、親族または法によって決定し、親族に説明すべきとされた。そして親族では結論が得られなかったので、次に開催予定の裁判集会で法によって決着をつけることになった。
 ヴィッテンブルクの領主はクリスマスの頃の使徒聖ヨハネの日(12月27日)近い将来友好的な話し合いをおこなうと定め、両当事者も同意し、その後両弁護 人は裁判官のもとで話し合いをおこなった。
 そこで裁判官は、次のように尋ねた。すなわち、昨年の夏にこの裁判集会が農民たちによって同意された後、中断され、農民の多くが集会に戻って来ず、領主に多大な支出と経費がかったが、欠席した農民に損害を償う責任はないのか。これに対して、農民たちは次のように要望した。すなわち、彼らが慣行により出 席してきた裁判集会は多年開催されなかったが、欠席した農民人たちが領主の損失を償って出席したいという彼らの要望を今一度うけいれてもらいたい。そして、 彼らの要望は領主によってうけいれられた。
この裁判集会の冒頭に軽率な行為と罵りが禁止され、ヒンリケ・デヴェッセンが幾分激昂して発言し、裁判集会から許可なく立ち去った後、領主の代理人は、デヴェッセンが領主によって罰せられるのではないかと、法による判断を問うた。 それに対して、彼は領主と農民に罪を償うべきであるという判断が示された。何をもって償うのかという問いには、領主と農民には償いを赦免するつもりはないという判断が示された。
 さらに領主の代理人は、次のように尋ねた。すなわち、1年前の今日の裁判集会に来ず欠席した農民は、今回の裁判集会で彼の財産を没収されるべきではない のか。それに対する答えは、次のとおりであった。すなわち領内にいた者は、没収される。ただし、病気、緊急事態あるいは移転などによって差し障りがあった場合は、赦免されるべきである。
 農民がこの裁判集会で地代を支払うことに同意したのであれば、ただちに支払う義務があるのではないかと問われた。それに対しては、彼らが古い法を享受できるのであれば、地代を猶予されるという判断が示された。
 農民たちはヤーコプ・トゥンテルマンをも真正の農民と認めるかと問われて、その答えとして、良い権利を有する生まれであるかぎり、彼はその住居にとどまることができるといわれた。
 そして、裁判集会は次のような文言と決定をもって、終わった。すなわち、1年以上出席しない者はその財産を没収され、親族は他郷にいる他の農民にこの裁判集会を知らせるべきである。領主にとって地代の徴収が困難であれば、誰かが彼の地代 を持参すべきであり、領主はこれに応じて古き慣行にしたがってその農民保有地を維持するつもりである。
 

 
1534年の荘園裁判集会

 ティレ・シルマンは再び次のように尋ねさせた。すなわち、土地を貸し出したり、担保に出そうとする場合、親族が他人よりも近くにいなければ、どうすべきか。これに対して、親類が近くにいれば、他人よりも親族が土地を入手するだろうと答えられた。
 ヴィッテンブルクの領主はまた次のように言わせた。すなわち、ここでは満足のいく答えは得られそうもないので、次回の裁判集会に適切な回答を期待し、農地の支配領主である他の相続人とともに、領主は共同相続人であるのかと尋ねさせした。これに対して、領主を支配領主および地代領主であると認めるという答えがなされた。しかしこの判決は領主によって拒絶され、領主は再度、相続人の親族全体が死亡したら、農地は一体誰のものとなりうるのかと尋ねさせた。それに対しては、最後の相続人の縁者であるという答えがなされた。当然ながら、誰もがこの無礼な判決を笑い、恥ずべきものとみなし、領主の代理人によってまたもや拒否された。そこで、別の判断が提示された。すなわち、将来親族全体が死亡したら、農地は支配領主たるヴィッテンブルクの領主に帰属すべきであり、領主は1年と1日農地を保持した後、なお他郷に住んでいる縁者が来て、自分が農地の正当な相続人であると証明できたら、彼に農地を再度譲渡すべきである。しかし、誰も来なければ、領主が次の相続人となる。
 1534年聖ミカエルの日(9月29日)の次の週の月曜日、ヴィッテンブルクの領主すなわちヴィッテンブルク修道院長、そのもとにあるゼルズムの管財人デーデルク師およびヨーハン・ヴルフ師によって、以下のように正当な所有と出生にしたがい、自由裁判集会が開催された。 
 裁判官は慣わしとなっている問いをもって裁判を始め、激昂、罵りの言葉を禁じ、誰も弁護人と助言者なしに談判してはならないと命じた。ブルン・ケルショルとランペン・フレデリックスは補佐役を要求し、誰が何を談判すべきかについて、許可をおこなった。
 ただちにヒンリック・カッセルは、彼に害を加える者がいるかもしれないので、提案したいことがあると申し出た。それに対して、彼が裁判所の法にしたがって行動することを許すという返答があった。そこでヒンリック・カッセルはコルト・ドゥンカーを弁護人として要請した。コルト・ドゥンカーは、彼の武器をたずさえることはできるか、問わせた。それに対して、彼は武器を手放し、何が起ころうと何ももたずにいるべきだという判断が示された。
 その後彼は、通常どおり次のように弁護した。すなわち、彼が言ったことをうけいれられなくても、彼が弁護せざるをえない依頼人を見放すわけにはいかず、判決の変更が認められないのであれば、彼はこの裁判で通常の権利すべてを享受できるとはかぎらないのだろうか。この問いは、すべてそのとおりだと是認された。
 その後、ハンス・デヴェッセンとカルステンを2名の助言者として申請して許可された。
 前述のカッセルは、彼の親族がこの裁判で彼を補佐できるか、尋ねさせた。それに対して、彼は法において前もってそれは認められているという返答がなされた。誰が彼を補佐することができるのかという問いに、助言者1名であるという 答えがなされた。コルト・ドウンカーは、何度くらい助言をくりかえしおこなえるのかと尋ね、必要なかぎり何度でもできるという答えを得た。ヒンリク・カッセルは彼の弁護人に次のように問わせた。すなわち、テレメン家の管理下にあるゼッセム耕地の土地を保有する農民は誰に相続を認めるのか、彼は誰を正当な相続人とみなしているのか。それに対して、次のようなことが法にしたがって認められた。すなわち、ヴィッテンブルクの領主はその土地台帳、印章および証文で、上述のカッセルが第一相続人で、テレメン家は次の相続人とすべきである。
 領主の代理人のヒンリック・ヴァスマンは次のように判断を問わせた、すなわち、領主がそうする場合、上述の当事者は領主のもとへ出頭して申告する名誉ある義務を負うのではないか。それに対して、より良い権利をもつ者が出頭する場合にかぎり、相続の手数料の支払いとその義務がある。しかし、彼らはそれを正しく理解せず、必要とされるものをもってこなかったため、判決を変更しなければならなくなったが、家にいる者がそれを送れば、領主がそれを裁可するであろう。
 
 1533年の荘園裁判集会

 農民たちは次のように問わせた。すなわち、彼らは地代を支払うべきであるが、古くからの慣習により地代に属さないのは何か。これに対して領主は、次のように答えさせた。1トンのビール、ハム、彼らが食べられるだけの量のパンである。
 これらを納めようとはおもわないのであれば、彼らは従来の慣習を守り、さもなければ、農民に対する慈悲により、不足分をもってこさせることもできる。農民が従来どおりにしたいとおもうなら、別のものをもってくることもできる。農民がそれを受けいれたくない場合には、ビール、ハムおよびパンは今後修道院に残すべきであり、そうすれば飲まれてしまうことはないだろう。領主がなすことは善意と親愛の情によるものであり、そのようなことは本来ありえない話である。農民たちの望みにまかせよう。 

 2-10 フォルカースハイム自由民裁判所 Freiengericht zu Volkersheim (1567年)


(フォルカースハイムはヒルデスハイム市の南にあり、今日自治体ボッケネム Bocknemに属する)


 領主は次のように尋ねさせた。すなわち、領主が全自由民に自由民裁判集会を予告させて、彼らが欠席したら、彼らはそれにいかなる責任を取るのか。これに対して、自由民たちは次のような願いを伝えた。すなわち、そうしたことが起きたとき、誉れ高き領主が寛大な措置をとってくださるなら、彼らは今後従順な態度をとるつもりなので、領主は彼らに苦情をいわないでいただきたい。
 領主は、自由民でない者が自由民裁判集会に出席したら、彼はいくら罰金を納めるのかと尋ねさせた。これに対して、自由民は次のように認めた。すなわち、彼は16ペニヒの罰金を納めることもあり、自由民裁判集会に出席できることもある。
 領主は、彼が管理人を必要とするとき、彼は誰に報酬を与えるべきか、尋ねさせた。それに対して自由民は、彼らは領主と親しい関係にあるので、無償で奉仕すべきであると、答えた。
 領主は、自由民裁判集会が予告されたのに欠席したら、罰金はいくらかと尋ねさせた。これに対して、自由民は16ペニヒと答えた。
 領主は、裁判集会に2回または3回欠席したら、罰金はいくらかと尋ねさせた。それに対して、次のように自由民は答えた。すなわち、2回欠席したら、16ペニヒを1度に 支払い、3回欠席したら、彼の自由民農地は没収される。


 2-11 ジックテ自由民裁判所 Freiengericht zu Sickte (1571年)


(ジックテはブラウンシュヴァイク市近傍の集落)


 ユリウス公は1571年自由民裁判所に法を問わせた。すなわち、1. 自由民の家系はいくつあるのか。家系はクーアラント、フレムリング、エンゲルケンおよびヤスパースの4つである。
2. 彼らはどこから、また誰からその権利と証書を得たのか。自由民は法として次のように判断する。すなわち、彼らは権利を高貴なる君主および領主のユリウス公とその祖先から得て、君主から君主へ今日まで守られ、これからもわが君主が4家系を守ってくださることを望んでいる。
3. 自由民の農地で・・(途中不明)・・・罰金を科されたら、最小の罰金はいくらか。自由民の判断によれば、60シリングではなく、3シェルフラインである。
4. 罰金は誰のものとなるのか。自由民によれば、罰金は統治する君主のものとなり、君主がかわっても、いつでも自由民から納められる。
5.  4家系の自由民が訴訟をなおざりにしたら、どうすべきか。これについて全員の意見によれば、裁判所に所属するかぎり、誰もそれから逃れられず、6グルデンを最高額とする罰金を科される。
6.  わが君主は4家系にいかなる権利をもつか。4家系と自由民の判断によれば、自由農地は最高の領主としてのわが君主に年2回地代を納め、わが君主の若きハインリヒ公がガルスの日(10月16日)の後にシェーニンゲン荘園で開く裁判集会で地代を納める。
7.  4家系の自由民はわが君主からいかなる権利を得るのか。自由民によれば、彼らが年2回主要地代を納めれば、彼らは自由民の貨物を63マイルの道のりは無関税で運ぶことができ、何の負担も負わず、不自由民の人身税も遺産相続税も、馬もめ牛も納めなくてよい。
8.  自由民は不自由民の娘と結婚できるか。彼らによれば、それはできない。しかし不自由民の娘と結婚する自由民が農民であれば、彼は代官に1シュテュプヘンのワインを納め、彼が小屋住みであれば、半シュテュプヘンのワインを納めるべきである。しかし自由民が他の自由民の娘と結婚すれば、何も納めなくてもよい。だが前述のように、自由民が不自由民の娘と結婚して、代官に納税しなければ、君主に6グルデンの罰金、代官には同じくしかるべきワインを納めるべきである。
9.  ある自由民が亡くなり、彼が1シュテュプヘンまたは半シュテュプヘンのワインを納めて結婚した妻を寡婦として残したら、彼女は自由民の農地に対する権利をもつか。自由民たちによれば、彼女が再婚せず、子どもがいれば、彼女は子どもの持ち分を享有でき、終身自由民の農地を利用できる。しかし彼女が亡くなれば、それは自由民の男子相続人のものとなり、あらゆる請求権は斥けられる。
10.  ある自由民が娘を残し、彼女がある不自由民の男と結婚したら、彼女は自由民農地を享有しるか。自由民たちによれば、彼女は父親のおかげで終身彼女の持ち分を利用し享有しうる。しかし彼女が亡くなれば、それは4家系の自由民に戻され、いかなる家系のものとなろうと、あらるゆる請求権は斥けられる。
11.  その場合自由民の娘と結婚した者は裁判所にどのような態度をとらねばならないか。4家系の自由民たちによれば、裁判所に訴訟がなされたら、彼は裁判所を出て63歩離れなければならないが、60シリングの罰金を払う必要はない。同じようにすべての不自由民は同じ距離を離れなければならない。
12.  自由民はブラウンシュヴァイク侯国に長くは滞在しえないのか。自由民たちによれば、63マイルの道のりは無関税で出入りでき、いかなる負担も負わない。
13. 自由民は彼の農地を安く売ることができるか。自由民たちの判断によれば、売ることはできないが、切迫した困窮の場合には売ることができる。
14.  その農地の価値と同じ値段なら売ってもよいのか。自由民たちは、不可と判断する。
15.  なぜ彼はあまり高く売れないのか。自由民たちの判断では、いつでも次の自由民相続人によって購入されうるからであり、わが君主が農地の継承を期待しているからである。
16.  わが君主は4家系のこれらの自由民農地に何を期待しているのか。4家系の自由民の判断によれば、前述の4家系の自由民のうち、第1、第2、第3および第4の男子相続人の血統が途絶えれば、途絶えた部分はわが君主に帰属し、あらゆる請求権から自由となる。このような両者の権利は毎年精霊降臨祭後の裁判集会で特別に問いただされるのである。

   自由民裁判の形式

 自由民裁判集会が毎年、聖燭祭(2月2日)、三位一体の主日、ガルスの日(10月16日)の後に開催され、裁判長は4家系の自由民の一人に、わが君主と自由民に自由民裁判を始める日であるかと問うと、その自由民は起立して、「裁判長殿、審理をお願い申しあげる」と答える。
裁判長いわく、私は法にしたがって審理と判断をおこなう。
自由民いわく、裁判長殿、貴殿は神とわが君主の恩寵により権力を賜ったので、わが君主と自由民に裁判が始められる日であります。
 さらに裁判長は先の判決に続いて、彼が言うべきこと、禁ずべきことを問う。自由民いわく、裁判長殿、貴殿は判決を聞きたいとおもわれるのか。裁判長がうなずくと、自由民は次のように言う。すなわち、あなたは中傷、悪罵を禁じ、誰も勝手にしゃべらぬよう禁じるべきであり、そこで弁護人と助言者ととともに法を示す判決をおこなう。あなたは法を語り、不法を禁じるべきである。裁判長いわく、それでは私は中傷、悪罵等を禁じる。諸君、起立して諸君が知っていることを訴えたまえ、また君主に訴えがなされないように損害を防ぎたまえ。
 裁判所の開廷後、裁判長は、裁判所を再び開くのはいつかと問う。自由民は、三位一体の主日(あるいはガルスの日、あるいは聖燭祭)の後の裁判集会の日と答える。
 裁判長はさらに言う。すなわち、自由農地をもち、自由農地を相続する見込みの自由民は、古くからのしきたりどおり、裁判所の開廷を助けるべきである。





 2-12 七つの自由村落 Sieben Freie Hagen


(7つの自由村落とは、シャウムブルク伯領のシュタットハーゲン市 [Stadthagen]近傍のオーバーリューダースフェルト[Oberlüdersfeld]等7ヶ村のことである)

 恵み多きわが村オーバーリューダースフェルトよ!
 村民全員がお互いにつぎのことを想起する。すなわち、われわれの祖先は年4回の村会を、十二夜(12月末から1月初)後の月曜日、四旬節前の月曜日、聖霊降 臨祭後の月曜日、聖ミカエルの日(9月29日)の後の月曜日に、誠実に開催して堅持し、彼らの子孫が法の条項と要点に応え、多くの点でそれにしたがうようにこころがけるように、古き正義をその子孫に思い出させ更新した。今日、人はますます俊敏で利口になっているので、われわれは今こそそうした古い 習慣にしたがい、それを堅守することが必要になっており、そうすればわれわれのものを残し、われわれの死後も同じように、わが子孫はその法と条項を守り、それ応えるべきだと納得することができる。しかし、このすばらしい村の誰かがそうしたことを正しく理解も尊重もせず、古い知恵の鳥をポケットしまいこんで、 このすばらしい村会で逃がしてしまおうとするなら、私は全村の命令により彼にそうしたことを禁じるつもりである。彼がこれに反する行動をとるなら、彼はみずから傷つくことがないように気をつけるべきである。しかしこの場合私に話すことがある者は、誰でも折にふれて申し出てほしい。時間はたっぷりあるし、法は開かれているので、私と家族のように話すことができるのである。
 オーバーリューダースフェルト村の村民たちよ、聞きたまえ。この村には、村税を投じて、古くからの慣習にしたがって判決と法をみずからひきうけることを欲する誠実な男がいる。彼に反対する者が村民のなかにいれば、彼らはときには彼に文句を言うことがあるかもしれないが、いずれは黙るだろう。しかし彼に反対する者はいないので、彼の要求が斥けられることはない。
 1. そこでまず、私は次のように法による判決を問う。すなわち、われらの祖先の慣習にしたがってこれらの若い村民たちにかんする裁判集会を七つの自由村落が開催し守ることは認められるか。それに対する答:そのとおりである。なぜなら、われらが祖先はわれわれにそうしたことを遺産として残したからである。それは午前でも午後でも、村が必要とするときに開かれる。
 問2. 七つの自由村落の最初の杭はどこに打たれたのか。答: わが領主の慈悲と七つの自由村落の正義の上に打たれた。
 問3. 七つの自由村落の最初の杭を打ったのはどのような人か。答: わが領主の臣民の一人で七つの自由村落の村民である。
 問4. わが領主が旅に出て再び帰国できないとき、どれほどの範囲まで出迎えに行く義務があるか。答: 徒歩で5マイル、馬で10マイルまで、わが領主の再度の帰国のために迎えに行くべきである。
 問5. 下僕または下女が隷属から解放されて七つの自由村落に来れば、 彼は解放状なしに転入することを許されるのか。 答: 彼らがすでに村内に来てしまっている場合は、それは許されず、彼らは荘園の前で静かに待 機しなければならず、まず村民が彼らの解放状を読み上げさせ、そのうえで転入が許される。
 問6. 七つの自由村落に農地を求めようとする者がいたら、彼はそれをど のように始めるべきか。答: 彼が以前もっていたより良い権利を提示する場合にかぎり、その農地の2倍の値段を門柱に掲げるべきである。
 問7. 自分の農地で貧しくなった者は、その農地を再び良くするにはど うすればいいのか。 答: 彼が家にかまどをもっており、それを3本足の椅子で支えることができるようであれば、彼はその農地を再び良くすべきである。
 問8. ある者の家で昼夜を問わず暴力がふるわれ、そうした行為をなした者に警告を発した場合、彼をいかに取り扱うべきか。 答: そうしたこと が起きたら、家の亭主は彼を撃ち殺し、敷居の下に穴を掘り、犯人をそのなかに入れて、家の雄鶏の頭をはねて、殺された者の胸の上に置くか、3エルデンシリングを置けば、彼は許されるべきである。
 問9. ある荘園農民が良い犬をもっており、それが殺されたら、犯人は何をもって許されるのか。答:その犬の尾をつかんで、鼻を地上につけ、赤小麦を犬にふり注いで、犬がそれで埋もれれば、彼は許されるべきである。
 問10. この村で雄牛または雄豚が穀物畑に入ったら、どうすべきか、それらを追い立てるべきか、それとも打つべきか。答: 両方のどちらか一方が穀物畑に 入ったら、追い払うべきである。また他方が被害をもたらさなくても、同じように追い払えば、家畜はえさを探して、命じられたとおりするだろう。
 問11. 近くにいる家畜が有害な行動をするのを見たら、どうすべきか、助けるべきだろうか。答:どんなに急いでいても自分の仕事を止めて、みずからすすんでそうすべきである。
 問12. どのくらいの間、ガチョウは畑でえさを探してもよいか。答: 豆が収穫されて再び播種されるまでの期間より、長くなってはならない。しかしその期限の後も畑にいて、作物を食べており、その持ち主に1-2度言っても、注意を払わないようであれば、ガチョウを殺すべきである。さもなくば、彼の隣人との間の最も高いカエデの枝を曲げて、そこにガチョウの首をさし入れ、カエデを垣根越しに投げれば、ガチョウは畑から引き離され、その命を救ったことになる。
 問13. アヒルはどこまで行く権利があるか。答: 護岸柵の下より遠くへ行ってはならない。
 問14. ニワトリはどこまでえさを探しに行く権限があるのか。答: ニワトリには9つの畑の囲いを越えてえさを探す権限がある。しかしニワトリを殺したら、囲い越しにニワトリを持ち主に投げ、その際貴族の食卓に出せるほどたくさんの野菜も与えるべきである。
 問15. ハトはどこまで権利をもつか。答: 生け垣を超えてはならない。ハトが殺され、家に投げ込まれたら、それは家主のものとなり、ハトが投げ出されたら、投げた者の所有となる。
 問16. 隣人との間の古い柵をこわしたいとおもうとき、どこまで柵をひきうけるべきか。答:取りさる柵の3番目か4番目の支柱のところから、隣人に近づきすぎないように新しい柵の設置を開始すべきである。
 問17. 隣人のそばに柳の木を植える場合、どれほど近くに植えるべきか。答: まず柳の木を地上に置いて、端の方へ向かって隣人に近づきすぎない場所に植えるべきである。
 問18. 柳の樹皮を剥いだら、いかなる罰をうけるべきか。答:そのよう なことをした者の腹を切って腹わたを取り出し、それを木の傷のまわりに巻きつけさせるべきである。彼がその苦しみを克服できたら、柳も克服できる。
 問19. かつて生け垣がなかった所に、新しい生け垣をつくろうとしたら、どのようにつくるべきか、隣人にあまり近寄らないようにつくるべきか。答: 犂を境界に入れて、8番目の犂の刃を抜いて、右耳を左手に取って、右腕をその間にとおし、犂の刃を投げられるだけの距離に生け垣をつくるべきである。
 問20. 生け垣があまりに近くまで繁ってきたら、どのように生け垣を迂回すべきか。答:生け垣の所有者がそれを適正に除去しようとしない場合は、自分の近くまで生け垣が迫ってきた者は、手斧を研いで、それで茂みを刈り、古い幹を残して除去すべきである。
 問21. 垣根をどのように扱うべきか。答え: 隣人の農圃の木の枝をひき取って、隣人の家畜または彼自身がその被害をうけないようにすべきである。
 問22. わが領主の生け垣に沿った木を伐ろうとするとき、どれくらいの間隔をあけるべきか。答え: 60フスの間隔をあけるべきで、そうすればわが領主に罰せられることはない。
 問23. 輸送道路の上に木が倒れたら、誰もそれによって通行止めをされないためには、どうすればよいか。答: 誰も通行止めや妨害をされないように、た だちにその木を伐って、荷車で撤去すべきである。
 問24. 二人の隣人の間の垣根の木が一方の人の方に伸びて、耐え難くなったら、どうすべきか、苦情と損害がなくても木を伐るべきだろうか。答: 彼らはすすんで協議をおこない、両者が鋭利な斧を取り、木を伐り、木が倒れかかってきた者が、神の名においてその木を利用すべきである。
 問25. りんごまたは西洋なしの木が隣人の屋敷にあって、それを揺さぶるか摘み取ったら、彼の屋敷からどれくらいの距離で取り戻すべきか。答:カエデの枝で届く距離なら、取り戻すべきである。
 問26. 隣人の畑を犂で耕したら、いかなる罰をうけるか。答: それをくりかえしたら、彼自身の犂と馬を取るべきであり、3回同じことをしたら罰をうける。
 問27. 犂の轅が他人の畑でこわれたら、どうすべきか。損害はこうむらないのか。答: 轅を必要とする所有者に不都合が生じることのないように、新しい轅を伐る場所に古い轅をかけておくべきである。
 問28. 垣根をこわした者は罰せられるのか。答: そのような行為を見つけられた者は、翌朝垣根がいくらの費用がかかるのかを見るために連行され、その後 当局に訴えられ、任意の罰をうけるべきである。
 問29. 4頭立ての馬車で自分の屋敷を出て、その農地も捨てようとする者は、どのように考えるべきか。答: 彼が考えを変えるなら、屋敷に戻る 権限をもつ。しかし彼がweserbaumを馬車の背後に投げられるほどの距離まで出てしまったら、戻るべきではない。
 問30. ある夫がその妻とともに麦畑を見廻り、欲情を覚えたところへ、荷馬車に干草を積んだ者がとおりかかったら、この御者はどうすべきか。答:彼はそれが終わるまで、待つべきである。そんなに長く待てないなら、彼らの邪魔にならないように、白馬が現れるまでそのあたりを走行すべきである。
 問31.  豚の牧人が豚を追い立てて、そのような夫婦に気がついたら、彼はどうすべきか。答: そのまわりを騎手が速足で半時間馬を走らせることができる所まで、豚を追い立てるべきである。豚が1頭逃げ出したら、夫婦の邪魔にならないように気をつけるべきである。
 問32. 夫が妻を大切にできず、妻が不満をもっている場合、妻が大切にしてもらうには、どうすればよいか。夫は妻を背負って、9つの耕地の囲いを超えて彼女を運ぶべきである。そうすれば、彼は彼女を大切にすることができ、彼女は満足するはずである。
 問33. 妻が出産を終え、夫が領主の賦役で石臼を運ばなければならないとき、彼はどうすべきか。そうした場合には彼に知らせて、彼は馬の荷を解いて、帰宅 して妻にやさしくすれば、彼女は彼の幼兒をすこやかに育て授乳することができる。
 問34. 良い穀物が入った袋を製粉所にもちこんで、枡とぬかで計っても、袋は二度と一杯にはならないのか。答: 水をムチで打つようなもので、一杯になる ことはもはやない。
 問35.  七つの自由村落で最良の法は何か。答: 最良の法は、第1に土地から穀物地代を納めないことである。第2に、5月エンバク税、子馬また は子羊の十分の一税、豚または羊の放牧税がないことである。第3に子どもや相続人が領域の内外で特許状なしに神の思し召しによりどこへでも自由に結婚できることである。
 問36. この新村民に判決と法を執行するにあたって、村はいかなる罰を彼に告げるべきか。答: 半トンまたは2ヘンケルマンのビールを科す罰。彼がそれを 拒否したら、半トンのハシバミの木の実。そして木の実1個についてこん棒による殴打1回。
 問37. 新村民が最初のビール罰で得たものは何か。答: 彼が完全だと認められたことである。
 問38. 彼が第二のビール罰で得たものは何か。答: 彼がめ牛と豚の牧人として放牧できることである。
 問39. 新村民が村で完全に享受しうるものは何か。答: 塩、麦芽、木材、放牧地の水、原野の蜂蜜。
 問40. これら販売された商品を大切に使わず、村にふさわしい行動を取らない者が見つかったら、彼を従順にするために村はどうすべきか。答: 門の前に溝を掘り、杭を打って門を閉ざし、手桶を芝土にたたきつけ、かまどを閉じて火を使わせず、家畜と豚の放牧を禁止し、彼を封じこめて、彼が許されるで彼の家には災いを保つ。
 問41. 村に不幸があって、老年の村民が亡くなり、村の法と条項がもはや尊重されなくなるようなことがあると、再び尊重されるようになるまでの間、どのようにそれを保管すべきか。答: シャウムブルク家の第三の格納庫に納め、再び尊重するようになるまで、わが領邦君主にゆだねるべきである。
 問42. 神の慈悲深い御加護により審理を中断された者は、どれくらいの期間猶予されるべきか。答: 彼になお猶予があるなら、いくつかの馬鍬をみつけ、それらを立てて、馬鍬の歯の向きを変え、1ペニッヒのパンを食べるまでその下に身を隠すべきである等々。
 問43. 七つの自由村落で相続農地を選んだのは誰か。答: 相続農地から分岐する緑の枝を選んだ者である。
 問44. 新村民を何によって歓迎すべきか。答: 4頭の雌牛の牛乳が入る歓迎の杯によって。
 問45. 新村民は酒宴のために他の村民に何をもたらすか。答: 緑の冠とグラス一杯のビール。


 2-13 ヒルデスハイムの修道院使用人 Gesinde S. Michelis in Hildesheim


(これはヒルデスハイム市の聖ミハエル修道院の使用人にかんする文書である)


 わが修道院の古い風習と慣行により、われわれが新しい修道院長を迎えるたびに、廷吏と代官、わが法の番人は新しい街道、長い囲い、古い市場およびわが領域の監視の任務を続行し、われわれは地代を集め、修道院長のもとに出頭し、決して道をはずれないという忠誠と宣誓をおこなう。同じように、良き古き慣習により、使用人は辛抱強くその任務を続行する。それゆえ修道院のわが使用 人の書記は勤めをはたし、さらにscluters, 漁師、わが修道院の仕立て師、雌牛の群と豚の群、さらに荘園にいる場合にはワイン醸造師も勤めをはたす。これらすべての使用人は常にパン焼きを手伝い、ビールの樽詰めを手伝い、協力しなければ、罰せられる。また使用人は自分たちのなかから使用人頭と使丁を選び、彼らは裁判所にまじめに従い、彼ら全員がなすべきことをおろそか にして守らなければ罰せられるという宣誓を、財務官と接待役人に手をあげておこなうべきである。そして使用人頭はその同僚とともにその勤めをはたし、勤めがおわったら、彼らは彼を箱または台の上に連れていき、使用人頭がその同僚を先導して歌い、同僚は彼の後について歌う。違反についてしばしば熟慮する厳格な教師として、使用人頭はときには彼らを打つこともある。また次のよう な点できちんと勤めをはたさない者には、常に規律を守らせる。すなわち、歌わない者がいれば、許可なしに律し、さらにパン焼きを手伝わず、パンが焼ける前にそこから去る者、またパンを焼きビールを樽詰めする間にののしり争う者、ビールの樽詰めに参加しない者、他人にお世辞を言う者、ビールの樽詰めがおこなわれる前に出て行く者、ビールを運んでいる者を無駄口で止めたり惑わしたりする者、あるいは出会った者を無駄口で引き止める者等々は、懲らしめをうける。 


 2-14 ホーエンハーメルン森林 Holting zu Hohenhameln  (1579年) 



 (ホーエンハーメルンはヒルデスハイム近傍の集落で、これは森林裁判集会の記録である)



1. 緑の、実をつける木を伐った者はどれほどの罰金を科されるかと問われて、林裁判集会は、希少な支柱を5グルデンから6グルデンにひき上げ、若木は10グルデン、製材用丸太がとれる木は30グルデンとするよう要請した。
2. ハーメルンの森の裁判集会は誰に最高権力を認めるかと問われて、それはパイネ荘園に認められるという判断が示された。
3. 土地は誰の所有と認めるかと問われて、土地は本来パイネ荘園に属するが、所有権は正当な相続人に認めるという判断が示された。
4. 正当な相続人は誰か。パイネ荘園と森林における農地の領主である。
5.森林裁判集会は、ハーメルンの森をどの範囲まで領主が法によって守ることを認めるかと問われて、この時期にはヘッセルベックまで、また普通の時期には、 陽が最も高いときに木が真夏の害をこうむる限度まで認められるという判断が示された。
6. 森林裁判集会は、シュヴィッヘルトの住民にパイネ荘園の彼らの農地における権利を認めるかと問われて、権利を認めないが、シュヴィッヘルトの住民が今回認められなかった権利を、わが君主および領主に懇願することはできるという判断が示された。
7.森林裁判集会は、フェルトハイムの住民にウルツェ荘園におけるいかなる権利を認めるかと問われて、権利を認めないという判断が示された。
8.森林裁判集会はザルダーの住民にエックヴォルト荘園におけるいかなる権利を認めるかと問われて、次のような判断が示された。すなわち、多数の 豚と1頭の種豚 に肉粉を食べさせ、彼らの持ち分地に移動させるべきである。そして、近隣と同じように必要とされる燃料および必要な建築材についてはまず代官に申請がなされるべきである。これについてはブルハルト・フォン・ザルダーが抗議し、公証人に対して、そのような抗議に留意したうえで、それにかんする一つまたは複数の書類を作るように要請した。
9.ローゼンタール荘園におけるフェルトハイムの住民には、ハンメルヴァルデンの森でいかなる権利を認めるかと問われて、ハイムとハーメルンの森に多数 の豚の放牧を認め、それ以外には放牧も伐採も一切認めないという判断が示された。これについてヨスト・フォン・フェルトハイムが抗議した。
10. 森林裁判集会はジーファースハウゼンの住民にいかなる権利を認めるかと問われて、権利を認めないが、薪だけを認めるという判断が示された。
11.ジーファースハウゼンの牧師にはいかなる権利を認めるかと問われて、柴を手斧で採取することができるという判断が示された。。彼が森へ行くときは、帯に典礼書を携帯し、森に出入りするときは荷馬車の前を進むべきである。そこに彼の姿がないときは、差し押さえをおこなうことができる。
12. 同上の教会の使用人にも同じく森林裁判集会によって薪が認められる。
13. 同上の牧師と使用人はそれに対していかなる義務を負うかと問われて、牧師は森林役人にハム1、ソーセージ2、パン1および金銭1グルデンを、使用人はソーセージ2,パン1、金銭1マティーアを提供するという判断が示された。
14. 森林裁判集会はアルプケ、アムボステルおよびレルゼの住民には森林で何を認めるかとの問いに、いかなる権利も認めないという判断が示された。
15. 森林裁判集会は誰を森林裁判官と認めるかと問われて、ホーエンハーメルンの代官という判断が示された。
16. 森林裁判集会は森林裁判官にいかなる権利を認めるか。年4本の木、冬に2本、夏に2本を認める。
17. 森林裁判官には何頭の豚を森林で認めるかと問われて、豚の群ごとに4頭を認めるという判断が示された。
18. 森林裁判集会はパイネの地方官に何頭の豚を森林で認めるかと問われて、豚の群ごとに4頭を認めるという判断が示された。
19. 森林裁判集会は風で倒れた木を誰に認めるかと問われて、次のように森林裁判官に判断が示された。すなわち、夏に木が倒れたら、夏にもちさるべきであるが、冬まで放置するなら、森林利用者は木を取りさって、領主の所に置くべきである。冬に木が倒れて夏まで残っていれば、同じように保管すべきである。
20.森林裁判集会は森林役人の苦労に何を報いるかと問われて、いかなる者にも1年に1本の木を報いるという判断が示された。
21.森林役人には誰がwahrtbaumを指示すべきかという問いには、森林裁判官であると認められた。
22.森林の罰金は誰に納めるのかと問われて、製材用丸太を含む木材についての罰金および若木の罰金についてはパイネ荘園、他の罰金は地方官、森林裁判官および森林裁判集会のものとなるという判断が示された。
 さらに森林裁判集会で次のように述べられた。すなわち、地方官である私はあらゆる疑わしい無益な行為による森林罰金を手放して、私が職務期間に徴収した罰金はホルシュタインの領主にすべて清算された。
  無料の灌木を告訴することはやめたので、このことを問題にしてはならない。
23. 森林裁判集会はいかなる代官にアイクヴォルデンとメールムの豚の群れのなかに4頭の豚を認めるかと問われて、ホーエンハメルンの代官という判断が示された。
 

 2-15 ハイムヴァルト Heimwald (1579年)



(ハイムヴァルトはハノーファーとブラウンシュヴァイクの中間にある森林)


1579年1月7日に開催されたグロッセンゾルシェンの森林裁判集会

 上述の森林裁判集会の日、ハイムにおける森林裁判集会は次のような判決を得た。
 1. 森林裁判集会は誰に最高権力を認めるのかと問われて、パイナ荘園と答えた。 
 2. 森林裁判集会はハイムの最高相続人を誰と認めるのかと問われて、パイナ荘園と答えた。
 3 . ハイムに対する命令権と禁令権をもつのは誰かと問われて、パイナ荘園の官憲と答えた。
 4.所有権と土地は誰に認めるかと問われて、所有権は正当な相続人に、だが土地はパイナ荘園に認めると答えた。
 5. 相続人に優先する地位をもつのは何かと問われて、フォルム、ローゼンタール、ュヴィッヒェルト、ビーアベルゲン、アーデンシュテーデンおよびシュテーデンの諸村であり、そのなか免除された二つの農圃がローゼンタールとシュヴィーフェルトにある。グロッセンゾルシェンのなかに幾つかの農圃があると答えた。
 6. 森林裁判集会はオーベルゲンの住民に対してパイム荘園におけるシュヴィッヒェルトの彼らの農圃のために何を認めるかと問われて、60頭の豚は1頭の種豚とともに、えさとして肉を食べ、彼らの農圃で飼育され、村落の豚の群れの中に入れられ、必要なら、隣人たちの豚と同じように暖房が認められる。しかし彼らが建築材を必要とするときは、パイネ荘園に要求すべきであると答えた。
 それに反する行動をとった場合は、いかに罰するべきかと問われて、捕らえられるべきであり、貴族領主の使用人や召使がこれに反抗したら、当局と森林裁判集会は森林役人を支援すべきであると答えた。
 7. 森林裁判集会はフェルトハイムの住民に対してローゼンタールの農圃に何をを認めるかと問われて、60頭の豚と1頭の種豚、必要であれば隣人と同様な暖房が認められると答えた。同じく彼らは建築材を受け取るべきである。またこれに反する行動をとった場合は、捕らえられるべきである。
 8. 森林裁判集会はオデルム農圃に何を認めるかと問われて、60頭の豚と1頭の種豚は肉をえさとして食べ、彼の農圃で飼育されるべきであると答えた。2台の荷馬車がハイmムヴァルトに来て、1台が森に入ってきたら、他方は出て行くべきであり、1台が自由に動けば、他方は差し止められるべきであり、農圃管理人は森林裁判集会に対してハムと太もも肉、肩肉とあばら肉、12本のソーセージ、パンの代金4ケルトリング、ビール代金1 マティアを納める義務を負う。
 9. 森林裁判集会はハイムにおいてオーデルム村に何を認めるかと問われて、何も認められないと答えた。
 10. オーデルムの住民はそこで木を伐ったことが発覚したら、いかに罰せられるべきかと問われて、彼らは馬を奪われ、帰宅させられ、荷馬車は森林裁判集会に没収されると答えた。
 11. 森林裁判集会は上述の村落の牧師の農圃にどれほどの建築材と燃料を認めるかと問われて、隣人より多くは認められず、ゾルシェンの牧師には半荷重が認められると答えた。
 12. 森林裁判集会はハイムで誰に森林監視を認めるかと問われて、グロッセンゾルシェンの代官に認める。 
 13. 森林裁判集会は森林裁判官に何認めるかと問われて、1年に2本の木、冬に1本、夏に1本を認めると答えた。
 14. 森林裁判集会はハイムヴァルトで森林裁判官に何頭の豚を認めるかと問われて、: 1群あたり4頭の豚を認めると答えた。
 15. 森林裁判集会はパイネの地方官にハイムで何頭の豚を認めるかと問われて「、 1群あたり4頭を認めると答えた。
 16. 森林裁判集会は風によって倒れた木を誰のものと認めるかと問われて、夏に木が倒れたら、森林裁判官は夏に持ち去るべきであると答えた。しかし冬まで放置すれば、森林裁判集会の成員は、領主の許しを得て、持ち帰ることができる。木が冬に倒れて夏まで放置されれば、そのままの形で維持される。。
 17. 森林役人はその努力に対して何を得るべきかと問われて、森林監督は、2本の木を、冬に1本、夏に1本認められ、森林役人は2年間森林で働けば、1本の木を認められると答えた。
 18. 境界標識の木はいかに伐るのが正しいのかと問われて、幹は縦に2つに伐って、片方を荷馬車に積むべきである。しかし先端部は丸太を転がして運搬すべきであると答えた。
 19 . 誰が森林監督に木を指示すべきかと問われて、森林裁判官と答えた。
 貴重な木を伐ったら、いかなる罪を負うのかと問われて、支柱を除去したら6グルデン、若木は10グルデン、製材用丸太が採れる木は30グルデンを科すと認められた。

 

 2-16 フォアフォルツ Vorholz



(フォアフォルツはヒルデスハイム司教領の森林である。

  昔から大フォアホルツと森林裁判集会の土地保有者たちがいかなる権利をもっていたか、またそれまで村民の評決によって何が認められているか、以下ののとおり示される。
 1. 村民の森林裁判集会で森林監督は裁判官として、土地保有者に対して森林裁判集会を開くときかと問う。すると、それに答えて、神とヒルデスハイムの高貴なる聖堂参事会によって命じられてごとく、大フォアホルツの土地保有者に対して森林裁判集会を開くときであるという。これにもとづいてすべての森林役人は彼らの訴えを提示することを求められたが、その前に次のように代弁人が法によ判決を問うた。
 2.すなわち、森林裁判集会は誰を大いなるフォアフォルツの最高土地保有者と認めるか。これに対して、ヒルデスハイムの尊敬すべき聖堂参事会を最高土地保有者と認めるという判断が示された。
 3. 大フォアフォルツの最高狩猟権は誰に属するかと問われてヒルデスハイムの尊敬すべき聖堂参事会に属すると判断された。
 4. 森林裁判集会にかんする問題が生じたら、森林裁判官と森林監督のいずれが仲裁するか、判断は誰の権限に属するか問われて、ヒルデスハイムの尊敬すべき聖堂参事会に属することが示された。
 5. 森林裁判官と森林監督にかんする訴えがなされたら、そうした訴えは誰になされるのかと問われ、その訴えはヒルデスハイムの尊敬すべき聖堂参事会になされると判断された。
 6. フォアフォルツでは山羊、羊および豚はいかなる権利をもつのかと問われて、叢林が価値をもつかぎり、まったく何の権利ももたず、豚の肥育の際にその中に入れられたら、捕らえられる。
 7.大フォアフォルツにおいてシュトイアーヴァルトの館にいかなる権利が認められるかと問われて、次のような判断が示された。すなわち、シュトイアーヴァルトの館はヴェスターベルクに対する権利を割り当てられておらず、シュトイアーヴァルトの館の主がそこを馬で通過するとき、森林の木の枝を折り、それによってブヨが馬を追い払い、馬が森林を駆け抜けたら、大フォアフォルツの木の枝を元に投げ返すべきであり、そうしなければ差し押さえられる。
 8. ヴォルデンベルクの館は大フォアフォルツにいかなる権利を認められるかと問われて、第7条のシュトイアーヴァルトの館と同じという判断が示された。
 9. シュタインブリュックの館には大フォアフォルツにいかなる権利が認められるかと問われて、次のような判断が示された。すなわち、シュタインブリュックの館は子牛の群れの放牧権を購入しておらず、子牛がそこを通過するとき木の枝を折ったら、木の枝を元に投げ返さなければ。差し押さえられる。
 10. ケナーにおけるクラマーの荘官屋敷はいかなる権利を認められるかと問われて、4フーダーの木材、2フーダーの木の葉、2フーダーの木の枝および灌木類すべてが認められるが、それ以外は差し押さえられ、その代償を毎年返済すべきである。
 11. デルネベルク修道院には大フォアフォルツにおける いかなる権利が割り当てられるかと問われて、次のように提示された。すなわち、何も割り当てられないが、カンツェンとアステンベックの荘園にのみ、木材を分け与えるが、それ以外のものは差し押さえられるべきである。森林管理人がカンツェンベルクに行くなら、修道院は彼らにビールとそれにふさわしい物を提供すべきである。
 12. ゾールホーフの貴族領主たちには大フォアホルツでいかなる権利が認められるかと問われて、まったく何も認められず、彼らはボックベルクを元どおりにして、森林管理人を1人雇うべきであり、そうすれば彼らは大フォアフォルツの共同の土地保有者となる。
 13. ヴェントハウゼン村には大フォアホルツで何を認められるかと問われて、半分の伐採権と、そこへ入る道の通行権が認められるが、その道を通って出てはならない、違反すれば差し押さえられる。
 14. 大フォアフォルツで誰が命令権と禁令権をもつかと問われて、森林裁判官と森林監督が森林管理人たち全体に対する権限をもつことが示された。





 2-17 ホムブルク森林開拓村 Hegergericht der Herrschaft Homburg


 (ホムブルクは今日のシュタットオルデンドルフ市の一部である。これは森林につくられた開拓村 ー 森林フーフェともいう ー の裁判集会の記録である)


 森林開拓村法を知る森林開拓村裁判官が選任され、それとともに領主に従属する森林開拓農および他の裁判所から裁判官補佐と陪審員、助言者、裁判所書記も任命されなければならない。
さらに領主によって近隣の2-3人の森林開拓農民が補欠として裁判所に陪席することを委任され、裁判所が開かれる地方行政区からは地方行政官が出席を求めら れる。
裁判官は、次のように問う。
1. 高貴なる領主N.Nのために昔から伝えられてきた森林開拓裁判集会を開くときであるか。助言者は裁判官に次のように答える。森林開拓農裁判集会を開くときである。2. 裁判所では森林開拓裁判集会の規定にしたがい裁判官、裁判官補佐その他の席が必要なだけ適切に占められているか。裁判官は、必要なだけ占めら れていると言う。3. この裁判所で私は何を命じ、何を禁じるべきか。裁判官殿、貴殿は法を命じ、不法を禁じるべきである。さらに激昂、悪罵も禁じられ、何ら かの発言も代理人と助言者をつうじておこなうべきである。
 裁判官:この地域の森林開拓村の貴族領主としてのN.N.のために、ここで私は森林開拓農裁判集会を開催し、法を命じ、不法を禁じ、さらに激昂と悪罵を禁じ、誰も発言してはならず、それをおこなうときは弁護人と助言者を通じておこない、何らかの発言をしなければならない者は、申し出ることができる。
貴族領主は特別条項を提示して問わせる。
 注意事項。特別条項が順番に裁判官に提示され、裁判官はそれらを順番に助言者をつうじて裁判官補佐に判断をまかせる。裁判官補佐はこの場合、訴訟当事者から提出され、判断がくだされた事案を再び裁判官に戻し、次のように問う。裁判官殿、貴殿は判決を望まれますか。そうすると裁判官は首肯して、それが法であるならば望むと答える。法として認められると、それは弁護人をつうじて裁判所書記によって裁判記録として残され、法として認められなければ、裁判官補佐によって別の法 が示されなければならない。まず最初にかなり多くの特別条項が列挙される。次に 森林開拓村の領主が森林開拓農地にかんする苦情を聞いて判断をおこない、裁判 集会によって法として認められたことが、裁判記録に記載される。他所の例にした がって、貴族領主に従属する森林開拓農民が正規に申し出た彼らの苦情が聴取さ れ、それ自体も森林開拓法にしたがって判決がくだされる。

ビスペローデ、ブラーク、ヘーレンその他の森林開拓農裁判集会およびホムブルク領と総合裁判所管区で適用され取り上げられたのは、次のような条項である。

特別条項

1. 森林開拓農民がその貴族領主から裁判集会に招集され、合法的な理由なく勝手に欠席すれば、彼は特別に処罰されうるか。法によれば、彼に対する処罰は可能であり、領主の思し召しによる。
2. 他人の森林開拓農地について訴える場合は、どこに訴えるべきか。法によれば、森林開拓領主とその裁判所である。
3. 2人の当事者同士が森林開拓裁判所に訴えたら、損失と費用がかさむであろう。その損失を償う責任はどこにあるべきか。法によれば、敗訴した側にある。
4.森林開拓村の法と裁判所に満足せず他所の法を求めることはできるか、あるいはそれにかんする法の定めはいかなるものか。法によれば、いかなる森林開拓農も森林開拓法に満足しなければならず、さもなくば森林開拓領主によって罰せられる。
5.森林開拓農がその義務を怠り、故意に農地の地代を納めないとき、彼 はいかなる責任を負うか、農地が領主に帰属しないのか、あるいは法の定めはいかなるものか。法によれば、そうしたことをする者は農地を失い、領主にそれを返還しなければならない。
6.貴族領主に死亡税の義務を負う者は、いつまでに支払うべきか。法によれば、最長1年以内である。
7.森林開拓農ではない他所者が、男であれ女であれ、森林開拓民との結婚によってその農地に来た場合、その者は農地を取得できるのか。法によれば、その者は森林開拓法によってそこに隠居権を得るが、農地は森林開拓農地として親族の順番にしたがって継承される。
8. 死亡の場合、死亡税は何か。法によれば、農民は馬1頭、小屋住みは雌牛1頭、あるいは領主と交渉することもできる。
9. 森林開拓村の農地は領主の承諾なしに分割すべきか。法によれば、分割は領主の許可によっておこなわければならず、分割地ごとに死亡税も納めなければならない。
10, 複数の森林開拓農地をもつ場合、死亡税をどうすべきか。法によれば、農地の評価にもとづき、農地の数に応じて死亡税を支払うべきである。
11. 森林開拓村の農地を領主の許可なしに売ることができるか、それにかんする法はどのように定められているか。法によれば、領主の許可なしに売ることはできない。
12. 森林開拓農の夫または妻が死亡したら、開拓農地は相続人によってどのようにうけとられるのか。法によれば、死亡後6週と3日経って農地の要求がなされ、1年以内にうけとられるべきである。
13. それについて勝手な態度をとる者は、どのような罰をうけるのか。処罰は領主の思し召しによる。
14. 森林開拓農地について提訴する者は、いかなるときにそれをおこない、請求すべきか。領内では1年と1日、領外では10年、それ以外は受理されない。
15. 森林開拓農地が2つ以上に分割されたら、ある者が森林開拓農ではなくても、他の者は森林開拓農地であるべきなのか。すべての場合、誰もが森林開拓農地の貢租を納めるべきである。
16. 森林開拓農民は狩猟権と用益権をもつ森林で領主の許可なく任意に開墾し、伐採し、荒廃させることができるのか。そうしたことが必要である場合は、許可を得ておこなわなければならない。さもなくば、処罰される。
17. 貴族領主の農場に住み、家畜肉の十分の一税を課せられている場合、豚ではなく他の家畜から納められるべきなのか。そうしたことは古くからの慣習により差し出してきたとおり、おこなわれる。
18. 領主から農地を得て十分の一税を納める者は、領主がその取り分を得る前に、自分の分前を取りさってもよいか。十分の一税は前もって引きさらなければならない。さもなければ、罰せられる。
19. 貴族領主の農場で暴力をふるう者は、罰金を科されるか、法の定めはいかなるものか。暴力は一般に禁止されており、森林開拓農地でも罰せられる。

法にしたがって得たものについて、誰でも裁判の後裁判所書記から有料で裁判証明書を交付され、処罰された場合には、貴族領主に罪の償いをするまで、裁判所で差し押さえられ、森林開発農地の領主に納めるべき死亡税その他の滞納も償われるべきである。そして裁判の終了後、法または特殊条項は遵守のためにいかなる森林開拓農民にもきちんと朗読され、森林開拓農民の親族の順序がまだ定まっていない場合は、それを定めさせ、森林開拓農民の領主には裁判費用のためにハムを提供し、登録料も支払うべきである。


 2-18 ゴスラ— Goslar (1421-1490年)


(ゴスラーはハルツ地方の帝国都市。鉱山で知られる)

  森林裁判集会の条令と規約
 1. 負債のために召喚されたのに出廷しない者は、8カイザイーシリングの罰金を科される。3ペニッヒは1シリングに相当する。
 2. 森林裁判集会に1回、2回、3回と召喚されたのに、それでも出廷しなければ、拘束される。
 3. 他人を裁判所に訴えた者は、被告が法によって原告に訴えられた場合には、原告は法によって訴訟を起こしたかどうか、被告に返答しなければならず、彼が不法行為や報復をしないことを誓わなければならない。
 4. 他の裁判所または領主が追求している者が裁判に出頭義務を負う場合、彼には罰金と担保が科される。
 5. その場合、罰金と差し押さえはいくらかと問われて、罰金は5カイザーシリング、担保は8カイザーシリングであるという判断が示された。
 6. 森林裁判集会に出席しない者または自分の罰金を納めない者、また真の必要もなく、あるいは森林官の承諾もなく、守るべき義務としての森林裁判集会に出席しない者、また義務付けられた罰金を払わない者は、その罰金を完済しなければ、森林を利用してはならない。
 7. 1421年聖霊降臨祭における裁判集会の日、ヘニッヒ・ジフェルウデスとコルト・ヴェーデマンは森林裁判集会に次のように判断を問うた。すなわち、森林で生計を立てる森林住民が、守るべき義務としての時間に森林裁判集会に出席しない場合、罰金はいくらか? 森林で生計を立て、年3回森林裁判集会を訪れる義務を負ういかなる者も、これに違反したら、真の必要はないかぎり、いつでも罰金1カイザーシリングを科される.
 8. 1426年聖母マリアお潔めの日(2月2日)の後の月曜日、参事会はのこぎりで木を切ることついて、次のように意見の一致をみた。すなわち、いかなる者もこの日以後8-9本以上の木を伐採してはならない。また、木材の末端の寸法はフィアテル・エレ尺の2.5倍とし、それより小さくてはならない。これと異なる伐採をした者、またそれをのこぎりで切った木挽職、およびそれを受け取った者、さらに参事会にそれを報告しなかった者は、いずれも参事会にどの木材についても容赦なく1ロースを納めるべきである。この日までに7本以下の木を伐採していれば、のこぎりで切ってはならない。上述の規定を、領主、建築材伐採職人および木挽職人は自発的に守らなければならない。
 9. 1431年ディオニーシア祭の後の日曜日、参事会は森林住民に生垣の木について再度この前述の文書を説明させ読ませ、規定と承諾を守らなければ、そこに書かれ定められているように罰せられ、書かれたとおちのことがおこなわれる。
 10. 聖アンデレの日( 11月30日)の後の月曜日、参事会は森林で働く者たちに次のように申し渡した。すなわち、参事会は人が外出する門前の土地に種子をまき、その長さと幅が足りなければ、参事会に帰属すべきであり、長さと幅が足りれば、都市の内部で利用し、その価値どおりに供給することができる。市長ヒンリク・アルフェーデ、ルデケ・ゴスケン、ヒンリク・バルネフーゼンがこれを裁定する。
 11. 森林裁判集会に自発的に出席すべき者が出席しなかったら、罰金を徴収される。
 12. 賃金前払いについて召喚され、負債を訴えられたのに、出廷しない者がいれば、裁判なしに彼の権利を停止することができる。また負債については彼を1回、2回、3回召喚すべきである。それでも彼が出廷しない場合、彼が8カイザー・シリングの罰金を裁判所に納めれば、債務のために自宅に軟禁されてはならない。
 13. 複数の人々から賃金の前払いを受けた者は、最初の前払いを受け取った者との雇用の約束を守るべきである。また他の者はすでに賃金の前払いを受けている者を、雇ってはならない.。彼は最初に約束した者から自由にはなれないか、最初の雇用主の同意を得なければ自由にはなれない。裁判で彼を雇うことが禁止された者は、最初の雇主に返金しなけならず、彼を前もって拘束してはならない。これと同様に次のような規定がある。
 14. 複数の人々によって、受け取った賃金前払いについて裁判所に訴えられ、そのことを裁判所から通知された者は、証明できる合理的な問題でなければ、裁判が終わる前から、その問題のための用意をしておくべきである。
 15. 弁護はどうあるべきかと問われて、ゴスラーとハルツの森に住み、自由で結婚によって出生し、法に抵触しない市民は、弁護可能であり、弁護されるべきであるという判断が示された。
 16 わが市民は森林における労働その他について他人の負債を森林裁判集会に訴える場合、彼は裁判が終わる前から、そのときのための用意をしておくきである。彼が昼間に負債の支払いを求め、昼間に支払われないときは、裁判所に催促することができるが、それ以前に差押えることはできない。
 17. 1440年クリスマスの時期の使徒聖ヨハネの日(12月27日)に老ミッドルプは、次のように判断を問うた。割り当てられた不足を補うという任意の約束を裁判所に対しておこない、裁判で敗れた者は、いかなる法が適用され、彼は裁判所でいかに扱われるのか?裁判所は1回、2回、3回と現在の不足を負担させるべきである。彼が裁判所に出廷しないか、不足を補わなければ、彼は裁判所と法に従わせられる。
 18. 1442年聖洗礼者ヨハネの日(6月24日)の後の月曜日、市役所に製材業の親方と徒弟が、製材用木材を分割して木摺で下壁を覆うために森林監視人と協議し、規定にしたがって、この日以後は7本より多くの木を伐採してはならないと申し合わせた。分割された木材の寸法はいずれも23フスで、木摺の寸法は22フスであり、これは、参事会が聖ニコラウスの日(12月6日)と聖ブリギッドの日(2月1日)に伝達した基準にしたがう。こうした規定とは異なった伐採と製材をおこなういかなる徒弟にも、またそれを認容するいかなる親方にも、参事会はしかるべき判断をするつもりである。このとき以前にすでに伐採されていた木は加工することができ、それによって最良のことを実行することができる。参事会のために上記の年に協議をおこなったのは、ハンス・ファン・ヴェーテ、ベルトルト・ヴィルデフーアおよびヨーハン・ヴィーデンバインである。
 19. 法に従うということが、裁判である。
 20. 鉱山、森林あるいは森林裁判集会から来るすべての罰金は、kpとごとく森林管理人に属する。
 21. 1453年の復活祭の火曜日、次のようなことについて判断が問われた。すなわち、炭焼き夫または運送夫が1フーダーの炭をビール麦芽製造所に輸送したら、炭焼き人と運送人、または炭を受け取る者が炭の輸送を続けるべきか?これに対して次のような法が指示された。すなわち、炭焼き夫は荷車での輸送を続けなければならない。運送夫は途中で引き返し、さらに前進を続けてはならず、途中で炭を引き渡される者は炭に生じる危険を自分で引き受けうけなければならず、危険を生じさせたくなければ、炭焼き夫も運送夫も炭に悪いことがないように聖人に頼らなければならない。
 22. 他人に対して負う債務のために、債務者が他人に奉仕する場合、債権者は債務者を拘束するよう命令することはできず、債務者を法によって追求すべきである。
 23. 罰金を割り当てられた者を、いかに追求すべきかという問いに、次のような判断が指示された。すなわち、違反者に対して8日間以内に罰金を支払うように知らせるべきであり、彼がそうしない場合は、森林は差し押さえることができる。
 24. 森林管理人がハルツにおいて命じることは守られるべきであり、守らない者を森林管理人は有罪として、法によって処分することができる。
 25. 森林管理人に罰金をいいわたされ、貢租を負わされた者がそれを納めなければ、森林管理人はハルツにおいて彼の貢租を差し押さえることができ、彼が差押えるべきものをもっていなければ、彼を法によって追求することができる。
 26. ある者を逮捕すべき場合、逮捕はゴスラーの裁判所の許可によりおこなわれるべきである。
 27. ハルツにおいて貢租を納める義務を負う者の木が倒れても、彼は貢租を納める義務を負い、またその木を1年と1日で運び出すべきである。そうしなければ、それは森林官のものとなるべきである。
 28. ある者が稼いだ賃金をめぐって他人を訴えた。彼は賃金前払いで仕事をひきうけ、時間賃金を稼いだが、雇主は裁判所に来ず、返答しようともしない場合、どうすべきか。これに対して次のような判断が指示された。すなわち、賃金の前払いを約束された者は差し押さえをすることができ、森林管理人は彼を助けるべきであり、被告に差押えるものがなければ、被告自身が取り押さえられる。
29. 証拠も権利もある賃金を奪われそうな者は、それを製錬所かその敷地に保管しておく方が良い。
 30.下男を雇い、下男が雇主に勤務を拒否したら、・・・・・雇主は下男を訴えて、法によって追求することができる。
 31. 法によって義務付けられた森林裁判集会で、ある者に対して宣誓がおこなわれた場合、後日、都市裁判所でも森林管理人同席のもとで、宣誓がおこなわれるべきである。
 32. ある作業所が他の作業所に、その下男を長くは雇わないように求めたところ、被告は、下男がすぐに帰宅したため、要求にしたがい長くは雇用しなかったと、答えた。それに対する判断は次のように指示された。すなわち、原告は法と裁判によって要求したので、それは拘束力があり、被告は要求に反して長く下男を雇用しなければ、法によって責任を免れることができる。
33. 1452年聖霊降臨祭における裁判の日に次のように問われた。すなわち、稼いだ賃金について訴えられた者は、裁判所に出廷しその負債を認めるか?これに対して次のような判断が指示された。すなわち、彼が負債を認めたら、彼は保証または担保を差し出さなければならず、あるいはみずから担保とならなければならない。
 34. 同じ1452年に、最後に次のように問われた。すなわち、他人が稼いだ賃金を債務として負う者が、賃金の多くを彼以外のために支出したのであれば、彼は他人への債務をまぬかれないか?これに対する判決は次のとおりであった。すなわち、ある者が他人を訴えたら、被告は原告より先に出廷しなければならず、被告は原告に対して、彼はあらかじめ宣誓によって復讐しないことを約束すると答えなければならない。。
 35. 森林裁判集会に召喚され、出廷した者は返答すべきかと問われて、そのとおりであるという判断が指示された。.
 36. 1453年クリスマスの木曜日ティレ・ティンマーマンは次のように問うた。すなわち、猟師が2頭の豚を捕え、猟師が狩猟法の違反により1頭の豚の前もも肉を領主に納めたら、他の豚については犯罪者は前もも肉を納めなくてもよいのか?この問題は長い間」森林裁判集会で問われなかったので、参事会はこれについて次の裁判集会まで検討するつもりである。
 37.1453年復活祭の火曜日、ティレ・ティンマーマンは次のように判断を問うた。すなわち、鉱山を始めたいとき、ブラウンシュヴァイク領あるいは帝国に求めるべきか?そこで彼は、鉱山がどこにあるのかと問われた。彼は、鉱山があるのはランメルスベルクだと答えた。それに対して新旧の参事会は、答えていわく、ブラウンシュヴァイク領にはランメルスベルクのいかなる権利も鉱山も認められないと。
 38. 1454年聖霊降臨祭の火曜日、ヘニッヒ・ゲルダ―は次のように問うた。すなわち、ある製錬所の2人の親方のうち一方が他方に対して、領主の承諾なしに仕事を命じることができるか?これに対する判決は次のようになされた。すなわち、一方の製錬親方は他方に対して、領主の承諾なしにその仕事を命じることはできない。彼製錬所に同等な権利と保有をもっている。
 39. シュテフェン・ホルネは、ゴスラーで釘が鍛造されているかと問い、そこで鍛造されてない場合、森林裁判集会でその裁判をおこなうことができるか否かと問うた。それに対して次のような指示がなされた。すなわち、ゴスラーで鍛造される釘について不満をもつ者は、釘を鍛造した鍛冶屋をゴスラーの裁判所に訴えるべきである。
 40. 1456年復活祭の火曜日、ハルツで貪欲のゆえに木を伐り倒す者は罰金を納めなくてすむか、判断が問われた。木を伐り倒すか倒させる者は、1年と1日以内にもち去るべきである。そうしない場合は、森林管理人に故意または貪欲の罰金を納めるべきであり、彼は罰せられる。
 41. ある者が森で伐採している所へ、他の者が来て彼のそばで同じように伐採してもかまわないかと、問われた。それに対する判断は、次のとおりである。すなわち、森林管理人が認める者は、貢租を払って正々堂々と伐採することができる。
 42. ある者が森の中で彼が伐採しようとする区画への道をつくっているところへ、他の者が来て、彼のそばで伐採し、その道をともに利用しようとしたら、どうするか? それに対する判断は次のように指示された。すなわち、彼は道の費用を負担すべきであり、そうするまでは共同の道ではない。
 43. 1-2人が道をfつくるか広げたら、道を利用しようとする者は、事情に応じて費用を共同で負担すべきである。
 44. 鉱山で長い間働く者が貢租を納めなければ、鉱山は罰金をb科されるべきかと問われ、鉱山は罰金を科されるべきだという判断が指示された。
 45. 菜園に多くの苗を生育させるべきか?それに対する判断は次のように指示された。すなわち、少なくとも10種類を生育させるべきであるが、古い苗は最後まで残すべいである。
 46. 鉱山と横坑の権利は1年と1日存続する。
 47. 森林管理人の承諾と許可を得て鉱山で採掘するために来た者は、費用を負担し、通常の貢租を納め、1年と1日の間法的な要求をされることなく採掘し、森林管理人がその後鉱山の保有を彼に認めず、彼は鉱山の保有権を持ち続けられないと告げたら、森林管理人は彼に対して鉱山の保有を拒むことができるか? それに対する判断は、次のとおりである。すなわち、彼は保有する授封地を、誰かがそれを破棄するまで、持ち続けることができる。
 48. どれほどの坑が授封地して授けられるべきかと問われた。それに対して次のような判断が指示された。すなわち、山の前方であれ後方であれ、授封地は坑の3分の1を占めるべきであり、有望な坑は3分の1を占める中心の坑であり、彼が最初に掘削する見込みのある坑である。
 49. ある者が坑とその坑の排水溝をもち、上または下で掘削する上役その他はその排水溝から同じ排水溝に排水することができるか? これに対して次のような助言がなされた。すなわち、彼らだけが費用を負担する彼らの坑から他の坑へと排水溝が向かうのであれば、彼らはそうすることができ、今後も排水溝の費用を共同で負担し、利用すべきである。
 50.1フーダーの木を分けて荷車に積み、最後に残った他人所有の木を積むことを要求するなら、法はいかなる判断をするか問われた。それに対して、彼にしたがうべきであるという判断が指示された。
 51. 他人の製錬所または鉱山に損害をかけたとおもわれるとき、加害者の行為をおしとどめ、法によって彼を追求することができる。その行為を咎め、損害が終夜続くなら、損害をかけた者は責任をとらなければならない。
 52. 木を損傷し、自分の行為で保護されている木を傷つけた場合、領主は貢租を徴収せずに済ませてはてはならない。
 53. 木を分割したり、それを受け取った者は、その責任を取るべきである。ハルツからそれを受け取った代理人は、彼自身のために得たものでなくとも、その責任を取るべきである。
 54. ハルツではかつて1-2の木摺用の割り木より多くをつくることができたかと、問われた。それに対して次のような判断が指示された。すなわち、木摺用の割り木をハルツで伐採し、それを可能なかぎり荷車に積んで運ぶことができる者は、同じように他の木摺もつくることができる。しかし、いかなる者も、3-4の割り木をつくって勤勉な者やその他に迷惑をかけてはならない。
 55. いかなるろくろ細工師も森森林管理人の同意なく森林を利用し小屋を建てるなら、森林管理人は裁判によってそれを禁止し、そのほかに森林の仕事場を利用する場合。法によって森林管理人にしたがい。森林管理人はそれを禁止しなくとも、損害の責任を問うことができ、ろくろ細工師は責任をとり、法にもとづいて損害を除去しなければならない。
 56. 森林を利用し領主に地代を納めず、領主の従者に悪事をなす者には、いかに勧告すべきかと問われて、森林裁判集会に彼を召喚すべきであるという判断が指示された。
 57. 木挽職人を得られなければ、いかなる者もハルツで木を伐ってはならないという古くからのしきたりが守られている。
 58. ハルツで飲食する者は、その身体の必要のために、迷惑や違反のないように飲食をしてもよい。彼が長い間ハルツにとどまるつもりで、飲食に不足が生じないためには、彼が不足なく、また彼に負担とならないように、摂取する飲食物の代金を都市に納めればよい。こうして彼は不法行為をおかすことなく正しいことをなければならず、彼がその義務をはたせば、彼に罰金は科せられないが、義務をはたさなければ、法によって追求されうる。
 59. 二人が争い、一方が他方を製錬所へ追いつめ、そこで襲撃がおこなわれても、製錬所の自由の恩恵にあずかるべきである。
 60. 製錬所の平和が破られたら、裁判所は森林においてそのことについて聴取する。
 61. 二人が同時に木材または木摺を注文して、あるフーフェ保有農農民から購入し、二人ともその代金を払ったら、この農民は誓約に際してどちらを認めるのか、保留すべきである。
 62. 森の中の自由地で襲撃された者は正当防衛を証明すべきであり。彼を襲った者が武器を手にやって来て叫び声をあげたので、防衛したことを証明すべきである。彼はそれを見聞した二人の誠実で罪のない人によって証明すべきである。
 63. 債務を裁判所においていつかはたす約束をして、約束を守らなかった場合、それについての法はいかなるものか、森林裁判集会で問われた。そうした債務を負う者に2回、3回と裁判所において約束について要求し、彼が約束をはたさなければ、彼を法によって追求すべきである。そして彼が召喚に応じなければ、裁判がおこなわれる。
 64. 二人が互いに誓い合い、約束をしたら、彼が最良とおもう相手に対して、不法行為などしないように要求することができる。
 65. 約束した労働について裁判所で責任を問われ、裁判所でそれを告げられたら、彼に労働をはたす約束をしようとしない場合は、彼は保証金を設定しなければならない。
 66. 加工された木材が裁判所によって差し押さえられ、それが彼のものであるという証言をする者が宣誓に来る日まで、差し押さえ品は裁判所に保管され、そして宣誓がなされるときが来れば、差し押さえは終了する。
 67. 差押えの援助をおこなう場合、いかなる裁判所でおこなうべきか? それに対しては、森林の裁判所でおこなうべきだという判断が指示された。
 68. 1456年聖霊降臨祭における火曜日に、有罪の判決がなされた者を、懲罰なしに済ますことができるかと問われた。それに対する次のような判断が指示された。すなわち、裁判で有罪とという判決ががなされた者は、懲罰なしに済ませることはできない。懲罰ははいかなるものかと問われて、罰金が指示された。
 1457年聖パウロの改宗の日(1月25日)の後の金曜日セーゼンの森林労働者スヴィーデンマン、バルト、ヴェヒターおよびロボーデは、敢えて証言を裁判所に提出した者のために、裁判集会がおこなわれたのに、その証言が破綻した場合は、いかなる法が適用されるのかと問うた。それに対して参事会は次のように述べた。すなわち、敢えて証言する者が、それを成就できないときは、それについて罰金を納めなければならず、それが彼の真に必要なものを奪うというのであれば、彼はそれを法によって証明すべきである。
 ハルツまたは製錬所での労働に対する賃金前払いをおこなう場合、賃金前払いをうけた者は彼のために働くべきであり、彼は賃金ゆえに拘束されうる。
 裁判所に召喚され、裁判官の許可なしにそこから去る者は、違反とみなされる。この違反はどのようなものかと問われて、罰金を科されるとの返答がなされた。
 1458年復活祭の火曜日、森林裁判集会において次のような判断が指示された。すなわち、他人のものを山またはどこかへ持ち去る者は、日中であれば強奪、夜間であれば窃盗とみなされる。
 1458年聖霊降臨祭の火曜日、森林裁判所で、自分の保証人または証人をどこに連れてくるべきかと問われた。それに対して次のような判断が指示された。すなわち、森林裁判集会が年に3回開かれ、3回の集会がかならずしも14夜にわたって開かれるとはかぎらない場合は、保証人または証人をゴスラーの承認のもとで裁判所に連れてくるべきである。
 森林管理人から製錬所を貸与された者は、どの範囲まで利用するべきかと判断を問われて、精錬所の溝が出入りする範囲に限り利用すべきであり、鉱滓が流れ込む敷地内に限られるという判断が指示された。
 1459年、伐採のために使用した公道を片付けなかった者は、罰金なしに済まされるかと問われた。それに対して次のような判断が指示された。すなわち、裁判所は彼に道を片付けるように命令すべきである。彼がこれに従わなければ、彼を法によって追求すべきである。
 1459年聖霊降臨祭の火曜日、木におおわれてない林地を開いて損害を生じさせたら、罰せられずにすむかと問われて、次のような判断が指示された。すなわち、それを禁止して、彼を有罪とすべきである。彼が取り押さえられたら、罰金を納めなければならず、事情を斟酌のうえでまたは法によって損害を賠償しなければならない。
 森林管理人がハルツにおいてろくろ細工師に禁止したことを守らなかった場合、彼は罰金なしですませられるかと、判断を問われた。これに対する次のような判断が指示された。すなわち、森林に領主がいなければ、そこで伐採する者は、森林管理人が何かを禁止したら、伐採を許容されている場合でも、禁止されたことを守るべきである。荘園御料地の森林では領主のために伐採すべきである。
 負債のゆえに有罪とされた者が支払い済みであると申告したら、それについての法はいかなるものか、判断が問われた。それに対して、彼は支払い証明を提出すべきであるという判断が指示された。支払い証明はいつ提出すべきかと問われて、14夜の3倍の期間という判断が指示された。
 他人のものを持ち去った者が悪意を否定しようとするなら、それについて罰金は科されない。
 森林裁判集会の問題で裁判所の許可によって指示された罰金は、裁判所および森林の問題にかかわったすべての者に帰属する。
 1490年以前の幼少期における皇帝宮殿の文書
 森林管理人が禁止したにもかかわらず、ハルツを利用する者には、何を強制すべきかと、アルプレヒト・パウレスとクレペホートが問うた。これには次のような判断が指示された。すなわち、森林管理人が禁止することは守られるべきであり、守らない者を法によって追求すべきである。彼らはさらに、不従順な者には何を強制すべきか、問うた。それに対して、1回、2回、3回禁と禁止されて従わなければ、裁判にかけられる。


 2-19 フェルバー沼沢地 Ferberisches Bruch (1502-24年)


(フェルバー沼沢地はハノーファー市の東側に位置する)

  正式の土地保有農民となりたい者は、印章と彼の保有財産にかんする書類をもって森林裁判集会に来るべきであり、ある土地保有農民の前に座り、4 シリングを出せば、彼は正式の土地保有農民となると、ヒンリク・リュルゼンは判断した。。。
 土地保有農民でない者が森林で木を伐採すれば、彼が所持しているものを奪い、罰金が土地保有農民の自由になるときまで、彼を厳重に差し押さえておかなければならないという判断を、アルウンケ・ケラーは下した。いかなる土地保有農民もその必要のために木を伐採すべきであり、そのために部外者を連れて来てはならないという判断を、ティルケ・マイアーは下した。
 1517年聖アントニウスの日(6月13日)の後の土曜日、森林裁判集会がミスブルクの貴族領主とハノーファー、アルテンおよびアンデルテンの土地保有農民のために開催され、エッゲルト・シュティンケ、アルネケ・クラークおよびヘニンク・デペナウが裁判席に座った。
 最初に、ミスブルクの貴族領主は彼が許可した代弁人リュデケ・ボッケを通じて、フェルバー沼沢地、ノルトホストおよびアラーブロッケにおいて彼にいかなる持分権を認めるか、問わせた。ミスブルクの貴族領主にはフェルバー沼沢地の3分の1の持判断を認めるが、ノルトホストとアラーブロッケにおける権限は認めないという判決を、バルテルト・ハイネが下した。
 農場を保有する借地農は、木を伐採するべきか、問われた。それに対して、土地保有農民と借地農の両者は木を伐採することができるという判断をティルケ・グローフェが下した。
 土地保有農民または農場の借地農は部外者を連れてくることができるかと問われて、そうすることはできないという判断が、ハイネケ・ハーネによって下された。
さらにこれに反して沼沢地に入った者は、許可を得ていても、違反になるか? 彼が何かを所持していれば、違反になるという判断を、テイルケ・グローフェが下した。
 自分がもっていたものが、他人にはもちえないことをあらかじめ知っていた場合、彼に対してどのような態度をとるべきか? 彼が許せば、それを探すことができ、罰金の3分の1をミスブルクの貴族領主に、3分の2をervenに割り当てべきであるという判断を、ティルケ・アルベッケンが下した。
いかなる土地保有農民または借地農もどれほど力強く運送できるかと問われて、できるだけ力強くという判断を、ティルケ・グローフェが下した。
農地を保有した者は、それによって木を伐採する権利をもつことができるか? 農地を入手した者は木を伐採することができ、それ以外はできないという判断をティルケ・グローフェが下した。
 ノルトホルストに入って、そこで開墾したり木を伐ったりしたら、いかなる罰金を科されるか? 最高の罰金を科されるという判断をヒンリク・マイアーが下した。
 最高の罰金とはいかなるものかと問われた。ervenの恩赦がなければ、木を伐り倒したら、5シリングを科され、木を引き抜いたり倒したりしたら、10シリングを科されるという判判断、ヒンリク・マイアーが下した。
 罰金の義務を負った者が、支払おうとしなければ、どのようにすべきか? 毎日通知すべきであるという判断をティルケ・アルベッケンが下した。
 バルトホルデケンはわが慈悲深き公爵に代って問わせた。すなわち、フェルバー沼沢地では公爵のいかなる恩恵を受けているか? 彼の恩恵によりアルテンに農圃をもって以来、他の一般土地保有農民と同じだけの恩恵をうけているという判断を、ティルケ・アルフェケンが下した。
 アルテンの住民は、フェルバー沼沢地の上流渓谷には彼らにとって何があるのかと、問わせた。 テlルゲン・グローフェン曰く、かつては彼らは農地をもっていなかったが、今や他の土地保有農民と同じだけのものがある。
 貴族領主と土地保有農民は、告発者は裁判集会に出席し、宣誓して告発すべきではないのかと問うた。ティルケ・グローフェ曰く、そのとおりであり、告発者は代官を召喚すべきである。
 以下の記述は1502 年におこなわれた告発である。
 ティルケ・クラックはのこぎりで木材を3シリングの板に挽いた。ハイネ・ハレマンはシュタッフホルテのノルトホルストで木材をのこぎりで3シリングの板に割った。ミッヒェルは一本の丸太を伐採した。ティルケ・ヴィッセは2本の木を伐って売った。ローデンのハンス・ローデは一本の丸太を伐った。
1510年聖グリソゴヌスの日(11月24日)の夕、アンデルテンで森林裁判集会が開かれ、ヒンリク・トーレ、コルト・フィンケ、ハンス・ウィッセを参審員に加え、さらにアルテンのコルト、ルーテンベルクのジ^フェウトを加えた。彼らは全員十分な資格を備えていた。
 最初にミスブルクの貴族領主にフェルバー沼沢地の3分の1の持ち分が認められ、それを彼のために利用し、他のいかなる者の利用も許してはならない。
 同沼沢地全体はハノーファー、アンデルテンおよびアルテンの土地保有農民のみに属する。ノルトホルストはハノーファーとアンデルテンの土地保有農民の自由森林である。ミスブルクの貴族領主だけが狩猟権をもち、ミスブルクに住む者は3日ごとに家畜を放牧することができ、そのたびに一荷の灌木を取得することができるが、それを超えて取得してはならない。
 アラー沼沢地はハノーファーとアンデルテンの土地保有農民の自由林である。彼らが聖マルティノの日(11月11日)よりそこに入ることは、彼らの意志によると、ハイネケン・ホーネンは判断した。
正式な 土地保有農民となりたい者は、森林裁判集会に印章と書類を持参し、ある土地保有農民の前に座り、4シリングを払えば、正式の土地保有農民となると、ヒンリク・リューダースが判断した。
 土地保有農民でない者が森林で木を伐れば、土地保有農民の自由沼沢地の場合は、彼が所持しているものを没収し、最高度の差し押さえをおこなうことができるとアルネケ・ケーラーが判断した。いかなる土地保有農民も彼の必要のための木をもち帰るべきであり、いかなる者もそれを禁止してはならないと、同上の者によって判断された。
フェルバー沼沢地にかんする後述の森林裁判集会。土地保有農民はフェルバー沼沢地にかんしていかなる権利をミスブルクの貴族領主に認めるかという問いに、3分の1の持ち分という判断が示された。正式の土地保有農民は誰かという問いには、ハノーファー、アルテンおよびアンデルテンの土地保有農民は、自分の農地を保有する者という判断を示した。
フェルバー沼沢地で土地保有農民のために木を伐る者は、どこから出入りすべきかと問われ、自由沼沢地であれば、どこからでも出入り可能であるが、領主に損害をかけてはならないという判断が示された。
部外者が森林で木を伐採して、差し押さえをさせようとしない場合、いかなる罰金を科されるか? それに対して、彼は所持しているものを罰金として徴収され、彼を捕えたら、打ちこらしめ3アルブムを科すことができるという判断が下された。しかし彼を差し押さえるためにどこまで追いかけるべきなのか? 彼を追いかけることができる所までという判断が下された。不当な伐採をした場合、どこで差し押さえるべきか? 差し押さえられる所でという判断が下された。森林にいる土地保有農民は、森林裁判集会に出席すべきであり、農圃を買った者が、正式の土地保有農民であるということを証明しなければ、彼は森林の部外者と同じように扱われるべきである。土地保有農民はミスブルクの貴族領主に、ノルトホルストにある家畜飼育場に何を認めるか? ミスブルクに住む者は、ノルトホルストに豚を放牧するべきであるが、耕作してはならないという判断がされた。
フェルバー沼沢地に開墾地があったら、それを耕すことができるか? 耕すことはできないという判断が下された。しかしそこで開墾する者は、わが慈悲深き領主には3分の1の持ち分が認められているのだから、慈悲深き領主に3分の1税を納めるべきではないのか? わが慈悲深き領主には3分の1税が帰属するという判断が下された。
フェルバー沼沢地はどこに到着しどこから出発するのか? ノルトホルストに接する森林、ミスブルクにトウゴマが生えており、多分それがその場所を指示すだろう。

 1523年
 
 聖ヤコブの日(7月25日)の後の木曜日にアンデルテンの村落で森林裁判集会が開かれ、コルディングのわが慈悲深き荘園領主が派遣した使者と、ハノーファー、アルテンおよびアンデルテンの土地保有農民の同席のもと、後述のように、ミスブルクの領主とハノーファー、アルテンおよびアンデルテンの土地保有農民の権利が問われ、判断が下された。
 まず最初に、ハノーファー、アルテンおよびアンデルテンの土地保有農民はミスブルクの領主にフェルバー沼沢地の何を認めるか? ヘネケ・リューダースは3分の1の持ち分をを認めるという判断を下した。
判断を下す権限は誰に属すのか? アンデルテンのフォルマ―は、ハノーファー、アルテンおよびアンデルテンの土地保有農民であると判断して、法を指示した。
アラー沼沢地の利用は誰にあるのか? コーネルディンクは、聖マルティノの日(11月11日)から認められるという判断を下した。これには異論があり、そこでトニエス・ゼルデンボートが、いま一度、次のような判断を下し直した。すなわち、アンデルテンの住民は今回と次回の森林裁判集会の間、聖マルティノの日からアラー沼沢地の権利をもち、彼らがそうしない場合は、ハノ―ファーの正式の土地保有農民がアラー沼沢地にとどまる。
 フェルバー沼沢地の伐採木はどこから運び出すべきか? トニエス・ゼルデンボートはいかなる者もどこからでも出ることができるという判断を下し、法として指示した。
 沼沢地で見つけられた者が土地保有農民でない場合、彼をどのように裁くべきか? ライネケ・クラークは、彼が所持しているものを罰金として納めることを法として指示した。
 差押えされることを望まず、打ち殺された者には、どのような償いができるか? ハンス・ライネッケは法として次のように指示した。すなわち、彼を木の幹まで連れていき、彼の首をはね、償いとして3シリングを木の幹の上に置くべきであり、彼が死ねば、それは流血の処刑によるものである。
 彼を差し押さえるためにはいかに追跡すべきか? アンデルテンのルレフは、彼を公然と差し押さえるべきであるという法を指示した。
 農民保有地または農圃を買った者は、正式の土地保有農民と同じように木を伐るべきか? ヘネケ・ヴィンデルシュタインは判断を下し、正式の土地保有農民でなければ、差押えるべきであるという法を指示した。
 ノルトホルストに豚の飼育場がある場合、ミスブルクの領主にはいかなる権利があるか? モンケンマイアーは判断を下して、ミスブルクに住む者はノルトホルストに豚を3日ごとに放牧することができるということを法として指示した。
 借地農と小屋住はフェルバー沼沢地でいかに運送すべきか? ヘネケ・リューダース判断を下し、次のように法を指示した。すなわち、借地農は荷馬車で、小屋住はいかなる者も手押し車で自宅に運ぶべきである。
 ノルトホルストに対する権限は誰にあるのか? トニエス・ゼルデンボートは判断を下し、ハノーファーとアンデルテンの土地保有農民にあることを法として指示した。
 借地契約が解消されたら、借地を悪化させてもよいか? アンデルテンのフォルクマーが判断を下し、いかなる者も農地を改良し、悪化させてはならないという法を指示した。
 フェルバー沼沢地とノルトホルストで開墾できるか?アンデルテンのフォルクマーは判断を下し、ハノーファー、アルテンおよびアンデルテンの農場主と土地保有農民以外はいかなる者も開墾できないという法を指示した。
 
 誰かが許可なしに開墾したら、どうなるか? ティルケ・マイアーは判断を下し、罰金なしに開墾できるという法を指示した。その場合の罰は何か? トニエス・ゼルデンボートが判断を下し、彼が開墾した農地を失うという法を指示した。
 彼に農地を禁止するのは誰なのか? モンケマイアーは判断を下し、それは次回の森林裁判集会の議題とすべきだという法を指示した。
 この森林裁判集会は1524年アンデルテンで、わが慈悲深き領主によって派遣された使者の同席のもと、喜び呼ばわれの主日(復活祭後の第3日曜日)の後の水曜日に開かれ、次のように問われ、法が指示された。
 第一にミスブルクとフェルバー沼沢地に対する最高の土地所有者は誰と認識するか? ヘネケ・ホーネは、ミスブルクを保有する者が最高の土地所有者であると認識するという判断を下した。
 第二に、わが犠飛深き領主がミスブルクを保有しているので、慈悲深き領主に以前より多くの権利を認めるか? ハンス・ケラーは、慈悲深き領主を最高の土地所有者と認識するという判断を下した。
 第三に、森林で犯罪が起きたら、最高の権力は誰にあるか? ティルケ・ボルテは次のように判断を下した。すなわち、森林で犯罪が起きて、火事にでもなったら、流血の処刑の対象となる。
 第四に、わが慈悲深き領主はミスブルクで既存の権利より多くを認められるか? ヘネケ・ヘプケンは、土地保有農民と同じ権利しか認められないという判断を下した。
 第五に、土地保有農民はわが慈悲深き領主にノルトホルストにいかなる権利を認めるか? コルト:エンゲルケは判断を下し、ミスブルクに住む者には、3日ごとにそこに豚を放牧することができるという法として指示した。
 第六に、土地保有農民はフェルバー沼沢地にコルビング荘園が何を保有すると認めるか? ヒンリク・リューダースは、いかなる権利も認めないという判断を下した。
 第七に、土地保有農民が沼沢地で木を伐るとき、どこから出入りすべきか? ハンス・コラーは、土地保有農民であるなら、彼が入れる所ならどこから入ってもよく、昔からそうだったという判断を下した。
 第八に、土地保有農民は沼沢地でいかに木を伐るべきか? ヘネケ・ヘプケンは、借地農は荷馬車で、小屋住は手押し車でという判断を下した。
 第九に、土地保有農民は誰にノルトホルストの権利を認めるかと、ハイネケ・ホーネンによって判断が問われ、いかなる判断も下されなかった。そこで裁判は特別な経過をたどり土地保有農民はこれについて公証人である私ヨハネ・リヘルデスおよびアンデルテンのディリク、ヘルマン・ベルテルデンに訴えて、最近行われた森林裁判集会で下され記された1523年のすべての判断に同意した。





 2-20 フェルバー沼沢地 Ferberisches Bruch (1688年)


(フェルバー沼沢地はハノーファー市の東側に位置する)

 聖マルガリータの日の後の月曜日、1688年7月15日、アンデルテンでの森林裁判集会における裁判問題

 1. ミスブルクの貴族領主にはフェルバー沼沢地に対して古くからいかなる管轄権があるか? ハノーファー所属のランドルフェン・フォン・リューエはこれに答えて曰く、ミスブルクの貴族領主とハノ―ファー、アルテンとアンデルテンの森林裁判集会の農民には自由沼沢地の権利があり、ミスブルクの貴族領主には3分の1の権利があることは明白である。
 2. フェルバー沼沢地の統治権と荘園裁判所は誰に属するか? アルデンのクルト・ブレーマーが答えて曰く、フェルバー沼沢地で2人が戦い、その場所で犯人がどこか望む所へ逃亡し、そこに流血があれば、ミスブルクの貴族領主は森林裁判集会を開かなければならない。
 3. フェルバー沼沢地の周辺の境界はどこからどこまでか? アルデンのフランツ・ケーレンとアンデルテンのヤーコプ・クラックは答えて曰く、ベッテ・ュテレからフォアフォルスターまで続く。すなわち、フォアフォルスターの入江からヴォルヴィーデ、ハービヒツホルスト渓谷へと水が流れる。罰令区はそれに沿ってハルスまで行き、さらにルデンホルストへ、その渓谷をエッシェンリューデへ、エッシェングリュンデからアンデルテンの叢林の渓谷へ、さらに水は曲がったりまっすぐ流れていき、ベッテン・シュテレにたどり着く。
 4. ミスブルクの貴族領主にフェルバー沼沢地の木の伐採権を認めるか? アンデルテンのマルテン曰く、貴族領主は他の人々と同様な法にしたがうべきである。しかし彼はそのほかにも毎年木の実の熟した木を3束、葉の茂った木を3束伐採する権利をもつ。
 5. いかなる者にフェルバー沼沢地で狩猟権が認められるか? アルデンのティーレン曰く、森林裁判集会の農民全員に狩猟権がある。
 6. ハノーファー、アンデルテンおよびアルデンの沼沢地農民はモスブルク農場と同様に木を伐るべきなのか? アンデルテンのリューダー・リュアス曰く、4人の借地農フーフェは1フーフェあたり荷車1台分の木を伐ることができる。
 7. ハノーファーの沼沢地農民は3-4人で1フーフェの土地をもつが、1フーフェについて1台より多くの荷車で運ぶことができるのか、それにかんする法はいかなるものか? ハノーファーのダニエル・ブルーメン曰く、1フーフェあたり1台の荷車で運ぶべきである。
 8. アンデルテンとアルデンに住み、家もフーフェももたず、裁判集会の農民でない者は、どのように扱うべきか? アンデルテンのヨアヒム・マイアー曰く、彼が馬をもつなら、差し押さえて、その3分の2は裁判集会の農民に、3分の1はミスブルクの貴族領主のものとなる。
 9. フェルバー沼沢地に権利をもたない者がよそ者として差し押さえられたら、差し押さえ物件はどうなるのか? アルデンのディーテリッヒ・ベルント曰く、差し押さえ物件を得た者は、それを家に持ち帰り、その後森林裁判集会にに持参すべきである。
 10, 差し押さえられたくない者の違反は、どう扱われるのか? アンデルテンのヘニー・ケルナー曰く、彼を力ずくで抑えることができるなら、彼を樹木の幹の所まで連行し、首をはねて、首を幹の上に置くべきであるが、その場合3ハノーファー・ヴィッテの罰金を納めれば、穏便に済ませるべきである。
 

 2-21 アールテン Ahlten (1551年)


(アールテンはハノーファー市の近傍に位置する)

  1551年受難の主日(復活祭の2週間前)の後の金曜日、コルディンゲンの地方長官ディリッヒ・フォン・ディルクトラーゲと地方官バルトツァール・ヒュルジングはアールテン森林にかんする森林裁判集会をアールテンで開催し、法について後述のような問答がおこなわれた。
 森林権保有農民はアールテン森林の最高権力が誰にあると認めるのかと、問われた。。アールテンのハンス・ショーバーデンによって、次のように法が指示された。すなわち、ルーテ荘園を所有する者に、森林およびその木陰が周辺外部に届く範囲内の最高権力がある。
 森林権保有農民は誰に流血事件の裁判権を認めるのかと、問われた。ハンス・・・によって、次のような法が指示された。すなわち、その犯罪は木陰が届く限りの範囲でわが慈悲深きルーテ荘園領主に属する。しかし林間の空き地はパッテンゼンのフォン・レーデンに属する。判断は決定された。
 アールテンの境界はどこまで及ぶのかと、問われた。ハンス・コラー曰く、イバラの茂みをニヴィーシュ沼沢地に沿って、ティーセン浅瀬まで、ティーセン浅瀬からメルングラーフェンまで行き、メルングラーフェンから沼沢地に沿ってヘプラー森林の方向に進み、ドイフェスの小径まで、ウーレンブルゥで曲がって、ミスブルク森林前まで行き、ミスブルク森林の前の沼沢地をハウケンホルストまで、ハウケンホルストに沿ってハルスまで、ハルスからブッシュホーフの裁判管区に沿って、レーエン沿いにノルトシュティークまで行けばそこが出口である。
 森林権保有農民は誰にアールテン森林の狩猟権を認めるかと問われて、オルリッヒ・ドゥーフェンによってそれに対する法が指示された。すなわち、ノロジカの狩猟権はルーテ荘園にあり、その他は一般村民にある。
 さらに誰かに森林における狩猟権を認めるかと問われて、コルト・フォルクマネスによって次のように指示された。すなわち、森林権保有農民はアカシカ狩猟権をもち、わが慈悲深き領主も狩猟権をもつと考えられる。
 さらに、車輪用木材、桶細工用の木材およびホップのつるを巻きつけるさおを無断で伐る者に対して、どのように扱うべきか?告発すべきだと指示された。
 それにはいかなる罰金が科されるかと問われて、エッセルのハンス・グラウヴェ曰く、領主裁判所で裁かれると、オークの木は 1グルデン、ブナの木は1グルデン、リンゴの木は1グルデンが科される。
 ホップのつるを巻きつけるさおのためにオークとブナを伐る者は、罰金を納めなくてもよいかという問いに、コルト・アルフォルゲスが答えて曰く、ブナとオークの木と同じように告発される。
 わが慈悲深き領主は森林のいかなる飼育場であれ何頭の豚を放牧することができるかと問われ、ハイニケ・シュメーデス曰く、180頭の豚と3頭の雄豚を放牧できる。いかなる森林権保有農民も何頭の豚を森林に肥育のために放牧できるかと問われ、グローテン・フェーレッセンのディーリック・ブランデス曰く、各自がもっている豚の頭数を放牧できる。
 森林権保有農民は森林でどれほど木を伐採する権利をもつかと問われ、彼らが必要とし、運搬に必要な木を伐採する権利をもつと指示された。
 それ以上に伐採したら、告発すべきかと問われて、ハイネケ・ハインケン曰く、告発すべきである。
一家の主人には森林で彼の召使より多くの者の使用が認められるか? ハイネケマイアー曰く、彼らはそれほど多くを望まない。。
 借家人をもつ者は、借家人が伐採しているのを見つけられたらどうするかと問われて、ハンス・ブレーマー曰く、森林の部外者とみなすべきである。
 部外者が木を伐採することに対してどうすべきか? ハンス・ボルテン曰く、思う存分罰することができる。
の軛を解いたら、どこに連れて行くことができるか? ルーテまたはコルディンゲンへ連れて行くことができる。
 罰金は誰のものとなるのか? バルテルト・ゲーリンクス曰く、3分の1は領主のものに、3分の2は土地保有農民のものになる。
 森林権保有農民は建築に必要とするものがある場合、どこにそれを求めるべきか? ハンス・ランゲ曰く、森林裁判集会の森林代官に求めるか、あるいは彼が入手できそうな所に求めるべきである。
 木をボルヒトルンへ運ぶことに対していかなる態度をよるべきか? 梢や軟材はいつでも好む所へ運んでもよいが、幹を運ぶのを見つけられたら、告発されうる。
 アールテン森林で森林代官に豚の飼育その他いかなる権利を認めるかと問われて、ティルケ・リューダース曰く、4頭の豚の飼育、1本のオークの木の小枝、1本のブナの木の葉、家には1シェッフェル、納屋には1ヒムテンのエン麦を認める。大聖堂首席司祭の権利について問われて、ペーター・ゲネッケ曰く、50フーダーの木の葉、そのうち12フーダーはブナの若木。
沼沢地の向こう側の土地保有農民は、アールテンの農民と同じように木を伐れば、告発されるかと問われて、木を伐ることができると返答された。。
 沼沢地の向こう側の森林権保有農民は、アールテンの農民と同じように伐採を告発しうるかと問われて、ヘルメン・ボルテ曰く、森林権保有農民が許可しようとしないのであれば、告発されうる。この判断は沼沢地の向こう側の森林権保有農民に不利をもたらしので、法としてはうけいれられず、当局も同意しなかった。他方アールテン農民は沼沢地の向こう側の土地保有農民にあらゆる権利への参加を認め、告発を拒否しようとした。また彼らは君主によっておこなわれた審議にしたがい、支障なく伐採をおこなった。
 森林代官と役人は告発をしてはならないのか? 告発してもよい。
 そこで、森林代官と役人は告発をした。沼沢地は・・・にすぎないので、それが開発されるまで、どれほどの間現状が維持されるべきか? 次の森林裁判集会まで、そのまま維持されるべきである。沼沢地を森林裁判集会の前に開発すべきか? 森林裁判集会の開催を要求すべきである。そうすることを望まない者がいたら、どのように扱うべきか? 部外者とみなすべきである。こうして森林裁判集会は終わった。


 2-22 ハーレンベルク Harenberg (1720年)


 
 ホレの領主は森林裁判を開き、次のように問うた。
 1.彼は森林権保有者、森林裁判官および最高位の森林権保有者として森林裁判を開廷することができるときだといえるのであろうか? それに対して、ハーレンベルクの村民は、十分にそうすることができるときであると答えた。
 2. この森林裁判集会では何が禁止されるべきか? 性急な言葉、勝手気まま、叱責の言葉は禁止される。いかなる者もそのようなことをしようとしてはならず、判決と法にしたがって行動すべきである。
 3. そのような違反をする者は、いかなる罰をうけるか? 彼はホレの領主に罰せられるが、ホレの領主は彼の事情に配慮するであろう。
 4. ハーレンベルクの村民は誰を最高位の森林権保有者と認めるか? ホレの領主である。
 5. ハーレンベルクの森林裁判管区はどの範囲まで及ぶか。われわれの良好な農地からハーレンベルク放牧地を越えてブレッケンベック、ホルマンスハイスターのディースターヴィンケルまで下り、モナプケン草地の方へ、ハイスターベルクの背後を登り、アーレント・ミュラースの前でドーレンフェルト・ヘンダールを斜めにシュナートヴェークに入り、アントプフールまで登り、アントプフールを通ってシュナートヴェークをヴィルトグラーベンまで登って行く。
 6. ハーレンベルクの村民は最高位の森林権保有者としてのホレの領主と並んで誰をハーレンベルクの森林裁判集会で認めるか。ホレの領主と並んでハーレンベルクの住民はその森林権共同保有者であり、そこに彼らの権利をもつ。
 7. ハーレンベルクの森林裁判集会に森林管理人を任命する権限は、誰に属するか? 最高位の森林権保有者としてのホレの領主に属する。
 8. わが慈悲深き領主御夫妻は、ハーレンベルクの森林裁判集会でいかなる権利をもつか? わが慈悲深き領主御夫妻はブルーメナウの彼らの豚を年に一度夜明け後の朝にブルーメナウからハーレンベルクの森を通ってリマー山のふもとまで放牧することができ、 4ペニッヒのパンと半シュテュップヘンのハノーファー産ビールを飲食に提供し、豚は同日の日中にブルーメナウに帰る。。
 9. ホレの住民はいつハーレンベルクの森に放牧すべきで、放牧できるか? ハーレンベルクの住民が彼らの豚を放牧したら、ホレの住民も放牧すべきであり、放牧してもよい。
 10. ホレの住民は何頭の豚をハーレンベルクの森に放牧する権利をもつか? 60頭の豚と1頭の雄豚の完全飼育権をもつ。
 11. ホレの住民はその豚を自分で見張るのか、それとも管理人に見張らせるのか? すべて彼らの気にいるようにすればよい。
 12. 昨年の放牧による養豚はどれほどの割合だったか? 4分の1である。
 13. いかなる者もどれほどの用益権を完全飼育権としてもつか? 完全農民は完全飼育権として20頭、4分の3農民は16頭、2分の1農民は10頭、小屋住は4頭の豚の飼育権をもつ。
 14. 自分の割り当てを超えた頭数の豚を放牧する者が見つかったら、いかなる罰が科され、森林権保有農民にいくら納められるべきか? 余計に放牧された豚は森林権保有農民のものとなるが、差し押さえ物件は、それを差し押さえたハーレンベルクの管理人のものとなる。
 15. 他村から見知らぬ羊がハーレンベルクの森で見つかり差し押さえられたら、誰が告発の権限をもつべき? 告発をするのはホレの住民であり、いかなる豚についても1ヒムテンのエン麦、豚の見張り番または豚を放牧する者についてはしかるべき差し押さえ金を徴収すべきである。
 16. ホレの住民の下男がハーレンベルクの森に入り、実のついてない木を伐るのを見つけられたら、彼はいかなる罰を負うか? 彼が酒を飲んで浪費する1ハノーファー・シリングを罰金として科される。
 17. ホレの森林権保有者の使用人が森に入り、実のついた木を伐るのを見つかったら、彼は何を差し押さえられるか? 5ハノーファー・シリングの罰金を科され、森林権保有農民は犯罪について裁判をうけ、犯人は森で打たれるか、それを望まない場合は、犯罪を償うまで森林から追放される。
 18. どれほどの範囲で森林を開墾し犂で耕作すべきか? 大鎌で自分のまわりの草を刈ることができる範囲である。
 19. これに違反する者が見つけられたら、いかなる罰をうけるか? 森林権保有者たちが配慮して決めるであろう。
 20. 実をつける木あるいは若木を森林権保有農民の諒解なく伐ることができるか? ホレの領主の承認を得なければ、できない。
 21. そうしたことを見つけられたら、いかなる罰をうけるか? ホレの領主に20グルデンの罰金を納めるべきである。
 22. 若木の樹皮を剥ぎ取る者が見つかったら、どれほどきびしく罰せられるべきか? ? 犯行者のはらわたを身体から切り取り、若木に結び付け、若木に巻き付くまで彼を若木のまわりに廻すべきである。
23. 実のなる若木の頂きを切り取る者が見つかったら、どれほどきびしく罰せられるか? 実のなる若木なら、犯行者の首をはねるべきである。
 24. 若枝を伐り取る者はいかにきびしく罰せられるか? 犯行者の首を胴体から切りとるべきである。
 25. 森林管理人はいかなる権利をもつか? 完全飼育権として4頭の豚、半飼育権として2頭の豚の放牧権をもつが、豚の飼育をしない場合は、実をつけない1本の木を割り当てられる。
 26. 森林管理人はその見返りにいかなる義務を負うか? 彼らは昼も夜も森林を良く監視し、木が伐採されないように、どんぐりが揺さぶり落されたり、たたき落とされたりしないように、また豚の飼育場が傷つけられないように気をつけるべきである。誰か違反者を見つけて、彼が逃げようとしたら、すべての村民は、要求にしたがい、彼を捕まえるまで追跡すべきである。
 27. ホレの住民がある者に森林権を付与しようとして、彼が拒否したら、いかなる犯罪に相当するか? 彼は木材伐採権をとりあげられるべきである。
 28. 森林用益権をもつ者が不法行為を発見されたら、彼はどれほどきびしく罰せられるべきか? 彼は土森林権保有者によって2倍の罰金を徴収されるべきである。
 29. ホレの住民が森林保有者として森林裁判集会を開き、あれこれの住民が集会を欠席したら、いかなる罰または罰金を科されるべきか? 彼がしかるべき弁解をできない場合。彼の権利は没収されるべきである。
 30. 風によって倒れた木は誰のものと認められるか? 建築材はホレの住民、燃料はハーレンベルクの村民のものと認められる。


 2-23 グリュンマーヴァルト Grümmerwald (1605年)


 (グリュンマーヴァルトはハノーファー市の西北に位置する)


 1. グリュンマーヴァルトにかんする森林裁判集会をわが慈悲深き領主御夫妻のため開催しうるときではないのか? そのときである。
 2. わが慈悲深き領主御夫妻のための森林裁判集会は、誰に出席の資格があるのか? 森林裁判官シュタッツ・フォン・マンデルシュロにその資格がある。
 3. 法にしたがって召喚された者が、しかるべき理由もなく欠席したら、いかなる罰をうけるべきかきか? 彼に異論をとなえるだけの理由がなければ、次の裁判集会まで彼の権利は停止される。
 4. 森林裁判官に次いで森林裁判集会の席を占める資格をもつのは誰か? ブルーメナウ荘園を所有するわが慈悲深き領主御夫妻が、森林権保有者と並んで席を占める。
 5. グリュンマーヴァルトの森林裁判集会で最高位の森林権保有者と認められるのは、誰か? 領邦君主またはブルーメナウ荘園を管理する者である。
 6. 統治権を認められるのは誰か? わが領主御夫妻とその代理として当地にいる者である。
 7. 領邦君主に次ぐ森林権保有者は誰か? デーンゼン、ルーテおよびギュンマー3ヵ村である。
 8. これら3ヵ村に次ぐのは誰か? ヴンストルフの女修道院長である。
 9. 森林ではいかなる権利をもつのか? 60頭の豚と1頭の雄豚の飼育。
 10. その見返りに何をする義務を負うか? 食事のためのハムとパン、1樽のビールを提供する義務を負う。
 11. 女子修道院長に次いで認められているのは誰か? 森林裁判官ヴィクトーア・マンデルシュロであり、60頭の豚と1頭の雄豚の飼育権をもつ。その見返りに食事のためのハムとパン、1樽のビールを提供する義務を負う。またマルクを守り、境界を熱心に見張り、昼夜とも森林管理人の先に立つべきである、
 12. 森林裁判官はこれ以上に何かを享受すべきか? 豚の飼育がなければ、2本の木のうち1本については茂った葉を、もう1本についてはその枝を与えられるが、彼はそれについて申請すべきである。
 13. 森林裁判官に次ぐ森林権保有者は誰か? ボーゼルホーフの管理者ヨプスト・フォン・ヴァルトハウゼンであり、60頭の豚と1頭の雄豚の飼育権をもち、そのかわりハムとパン、1樽のビールを提供すべきである。
 14. 上述より多くの森林権保有者に豚をマルクに放牧することを認めているか? ハンス・シュトラウス曰く、農民には6頭、半農民には4頭、小屋住には2頭の放牧を認めている。
 15, 森林管理人にはマルクにいかなる権利があるか? いかなる者も4頭の豚を飼育し、飼育をしない場合は、1本の木の伐採権をもつが、飼育をする場合は、木を伐採してはならない。
 16. その場合、彼らはどのように木を調達するのか? 薪を害のないように調達すべきである。
 17. 彼らはその見返りに何をなす義務を負うか? 見返りに、彼らは領主の従者に飲食物を提供し、彼らの馬にエン麦と干草を与え、昼も夜もマルクを管理し、マルクの末端まで守る手助けをして、何かを設置したり、それに近いようなことが起きないように、またそうしたことが起きたら、告発すべきである。
 18. この点にかんして彼の義務と宣誓に反する行為をしたら、その罰はいかなるものであるべきか? 彼は慈悲深き領主夫妻に身体と財産をもって罰せられるべきだが、裁判には温情もありうる。
 19. 代官と荘官には豚の飼育時に何を認めるか? それぞれ完全または半分の飼育権を認め、各村落ごとに4頭、一人当たり12頭の豚の飼育権を認める。、
 20. 有益な木、倒木、風で倒れた木の利用を誰に認めるか? 有益な木はわが慈悲深き領主御夫妻に属する。他は領民に属する。
 21. 境界はどこに設定されているか? 境界はライネ川の流れに沿ってディートリッヒヴィンケルの方向へさかのぼり、この境界によってリックリンゲンとブルーメナウとの裁判管区がラーント川にいたるまで区切られ、ラーント川は白十字へ、そこから水車の道を経てランダー・ホルテンゼンへ、さらにファルテーゲンに沿って進み、、流れのままに門の道へ、さらにこの道に沿ってディージエン・ハウゼンへ、さらに近くにあるヴィーゼルデンシュタインを通り、デルンスドルフ沼沢地を越えてレームグラーベンへ向かい、フォスヘーレまで行き、そこからボッセルハーゲンまで、そしてコーレンフェルトの森に沿ってルーター・モーアに向かって小径にいたる。
 22. 不適切な伐採をこの境界内で見つけられた者は、いかなる罰をうけるべきか? 実のなる木を伐るのを見つけられたら、領主の罰をうける。
 23. 何がこの森林裁判集会に告発されるべきか? マルクに対して起きたことすべて、たとえば伐採、垣根の設置、どんぐりの採集または揺さぶり落とし。。
 24. 認められている頭数より多くの豚を放牧したら、いかなる罰をうけるべきか? 過多に放牧された豚は没収され、領主のものとなる。
 25. 保護すべき木または若木はどのくらいの大きさか? オオタカが木の上でスズメを食べることができるほどの大きさか、あるいは木に3枚の葉がついている場合。
 26. 木の頂きを切り落としたら、いかなる罰をうけるか? 再度木の頂きを切り落としたら、寛大な裁判をおこなう。
 27. 若木を切り取ったら、いかなる罰をうけるか? 腹を切られ、そこから腸がひき出され木に釘付けされ、できるかぎり長く木のまわりに巻き付けられる。
 28. どれほどの範囲まで森林を掘り起こし、開墾し、犂で耕すべきか? 犂をひき、方向転換をしうる範囲まで、または大鎌で自分の周囲に届く範囲まで。
 29. 垣根をマルクの中まで設けた者はどのような罰をうけるか? 領主の罰をうける。
 30. どの範囲まで垣根を設けるべきか、また外に向けてあるいは内に向けて垣根をつくるべきか? 家畜がそこに向かって来られるように、垣根を正しく配置すべきである。
 31. 若木が垣根のなかに立っているとき、若木はどのくらいの大きさであるべきか? またどのような場合にそれはマルクに認められるか? くびきを付けた牡牛が若木を曲げたり移動したりできないほど、若木が大きくて強い場合に認められる。
 32. ブルーメナウの荘園によって木を伐ることを許された者が、そのかわりに何らかの若木を植えることを命じられたのに、実行しなかった場合、いかなる罰をうけるべきか? 彼はそうしたことを罰金なしにはすませられない。
 33. このマルクで泥灰岩を掘ることによって、マルクに損害が生じたら、罰せられないですまされるか? 木の近くで掘って、木が損傷をうけたら、領主によって罰せられるが、その際領主は彼らを寛大に扱う。
 34. ローレンツ・クナウストと羊の監視人は、彼らの農圃に豚の飼育権がどれほど認められるか、問いあわせた。だが、彼らにいかなる権利があるのか、誰にもわからない。
 35. 神によってつくられた豚の飼育は今回どれほど認められるか? 4分の1の持分より多くは認められない。つまり、農民には3頭、半農民には2頭、小屋住には1頭の放牧が認められる。
 36. 領主の豚をどの範囲まで放牧すべきか? ハノーファー方面へのシュタインヴェークへ放牧し、都市へ行き、まず最初に飲食のために1シリングのパンと2シリングのゴスラル産ビールを買い、次いで林を通り抜けて、渓谷から渓谷へと放牧すべきである。
 37. ブルーメナウ裁判管区の範囲はどこまで及ぶのか? ホーエンハイデルンからボッペンハーゲンの方向へ、ライネを越えて、ブラウニングス・クロイツまで、そこからダーフェンシュテレへ、さらにそこからフェルバー沼沢地を後備軍まで、フェルバーとベンターの森の間を通りレンター草地を越え、テーテンベルクの森の間を後備軍からドゥーナウへ、ドゥーナウからわれらのうるわしきフラウエン・シュテュッケ渓谷のリッヒヴィンケルへ、アイヒヴェークを通りそこからヴェルケンヴィッシュへ、メーゼックから自然のままも渓谷の方向へハインリッヒ・ブレネッケン・ブリングシュテュッケまで、ブラッケンシュテュッケの上の渓谷からシュテマー・オールトを通過して草地を越えてクロイツ・グラーベンにいたる。


 2-24 ホッペンブルッフ Hoppenbruch (1605年)



 (ホッペンブルッフはハノーファー市の近傍に位置する)

  1. ホッペンブルッフについて慈悲深きわが領主のために森林裁判集会を開くことができるときは、そう遠くないか? 多分そう遠くはない。
 2. しかるべきときに招集されたのに出席しない者は、いかなる罰をうけるべきか? しかるべき理由もない者は、罰なしにはすまない。
 3. 森林裁判集会に出席すべきは誰か? 慈悲深きわが領主のためにブルーメナウ荘園を保有する者に、その資格がある。
 4. 最高位の森林権保有者は誰であるべきか? 領邦君主である。
 5. 誰にそこにおける統治権を認めるか? 慈悲深きわが領主またはブルーメナウ荘園を管理する者に認める。
 6. 慈悲深き領主に次ぐ森林保有者は誰であり、誰がその資格を認められるか? 慈悲深きわが領主の領民である。
 7. 彼らはその見返りに何をする義務を負うか? 彼らは昼も夜も木の伐採、どんぐりの収拾および森林に属するものすべてを、損害のないようによく見張るべきである。
 8. 彼らはさらに何をする義務を負うか? 慈悲深きわが領主に奉仕し、慈悲深きわが領主が望まれることをおこない、従者に飲食物、馬にエン麦と干草を提供すべきである。
 8. 慈悲深きわが領主の領民に次ぐ森林権保有者は誰か? それはヴェーアデン修道院であり、60頭の豚と1頭の雄豚の完全飼育権を有する。
 9. 修道院はその見返りに何をする義務を負うか? ハム1、パン60、貨幣12グローテン、1樽の白ビールを提供すべきである。
 10. マリエンヴェルダー修道院の次は誰か? ザンクト・ユルゲン教会のためのハノーファーの参事会であり、60頭の豚と1頭の雄豚の完全飼育権を有し、その見返りに1樽のビル、ハムおよび4シリングの白パンを提供すべきである。
 11. ザンクト・ユルゲン教会の次に権利が認められているのは誰か? ゼールツェの農圃は完全飼育権および30頭の豚の半飼育権を認められているが、その見返りの義務を何も負ってない。
 12. ゼールツェの農圃の次に権利を認められているのは誰か? ヴェーレンの教会が12頭の豚の完全飼育権を認められている。
 13. ヴェーレンの教会の次に権利を認められているのは誰か?ホルテンスラントの森林権保有者が次のように認められている。すなわち、ギュマーのクリシュトフ・フィッシャーは12頭の豚の完全飼育権、ハンス・グラウステンは8頭の豚の完全飼育権、ヤスパー・マルスブルクは8頭の完全飼育権、ハルメン・ノールは8頭の豚の完全飼育権、ユルゲン・ヴィルトハーゲンは2頭、さらに牧師は4頭の完全飼育権を認められるが、そのかわり魚を森林裁判集会に持参する。
 14. 上述の森林権保有者はその代償に何をする義務を負うか? ヴェーレンの教会は12グルデンを納め、ホルゼンラントの森林権保有者は各住民あたり4コルトリンクを納める。
 15. ホッペンブルッフにはもっと多くの森林権保有者が属しているのか? それより多く属してはいないが、ブルーメナウの代官と荘官にはそれぞれ4頭の豚を放牧する完全ないし半飼育権が付与されている。
 16. 森林監視人には、どれほどの豚を放牧する資格があるか? それぞれ4問いの豚の完全飼育の資格があるが、木を伐ってはならない。
 17. 森林監視人には木について何らかの資格があるのか? 邪魔な焚き木のみ取ってもよい。
 18. 彼らはその代償に何をする義務を負うか? 彼らはその代償に昼も夜も森林、どんぐり、森林に属するすべてのものをよく監視し、森林に被害がないようにすべきである。
 19. 彼らが忠実にそれにしたがわなければ、彼らはいかなる罰をうけるべきか? 彼らが不忠実な行動をとれば、領主の思し召しによって罰をうける。
 20. 風によって倒れた木は、誰のものとなるか? 有用木材は領主のものとなり、燃料は領民のものとなり、木の梢は代官のものとなる。
 21. 境界について。境界はデーテベルク放牧地からチーゲンヴィンケルへ入り、溝に沿ってパーペン草地まで行き、ミュラース・シュテュックに沿ってヴィルデンシュタインヴィンケルの中をヴェーラホルツの方向に進み、さらに堆肥坑に隣接するデーンゼン・ブレットへ、これはアヘンホルストと呼ばれ、クラウパーヴェークを通ってホルテンス耕地へまで進み、ホルテンス耕地の前で領主の高木林から泉までの道を行く。
 22. 神によってつくられた豚の飼育をどれほど認めるか? 放牧権として認め、前記の規則は目録によってつくられた。
理由なくおこなわれた伐採について、告発について、認められているより多くの豚の放牧について、領主の豚の監視について、若木の保護育成について、どんぐりの採取について、若木の切り取り、犂による耕耘、掘り返し、開墾、泥灰岩の施肥、溝堀り、垣根の設置について、垣根のなかにある苗木について、そうした多くのことについて、前回の森林裁判で十分に認められ、列挙され、すべて古い森林裁判集会のとおりに維持された。


 2-25 デーテベルク Doethenbergen (1605年)


(デーテンベルクハノーファー市西側の都市ゼールツェに属する)


 慈悲深きわが領主のために森林裁判集会を開くことができるときが迫っているのではないか? 慈悲深きわが領主のために開く権限があるので、開催は可能である。
 この裁判集会で判決と裁判をおこなうのは誰であるべきか? 当地に自分の世帯をもつ者全員である。
 正しいときに召集され、しかるべき理由もなく欠席した者は、いかなる罰をうけるべきか? しかるべき異論をとなえられない者は、領主の罰をうける。
 この森林裁判集会で最高位の森林権保有者と認められているのは誰か? 領邦君主であり、次いで当地の臣民であり、それ以外にはいない。
 森林監視人にはいかなる権利があるか? いかなる者も4頭の豚の完全飼育権をもつ。
 森林監視人はその見返りに何をする義務を負うか? 彼らは森林で伐採がおこなわれないように昼も夜も見張り、同じくどんぐりの収拾やたたき落としがなされないようによく見張るべきである。
 誰が森林監視人に宣誓をさせ、彼らは誰に従順に仕えるべきか? ブルーメナウ荘園の持主がそうすべきである。
 彼らがその任務に忠実でないことが発覚したら、いかなる罰をうけるべきか? 領主の罰をうけ、領主は彼らを寛大に扱うであろう。
 代官と荘官にいかなる豚の飼育権を認めるか? それぞれ4頭の豚の完全飼育権を認める。
 ゼールツェの牧師と教会用務員には何を認めるか? それぞれ2頭の豚を認める。
 裁判官には何を認めるか? 彼は何の権利ももたないが、ときには彼に豚1頭が恩恵として許される。
 風で倒れた木は誰に認められるか? 有用木材は領主に、それ以外は領民に認められる。
 神によってつくられた豚の飼育を現在でどれほど認めるか? いかなる者も1頭の豚を森に放牧する権利を半飼育権として認める。目録に記された規則は、これにもとづいて作成された。

 2-26 グリンダーヴァルト Grinderwald (1540年)


 (グリンダーヴァルトはヴェーザー河畔のニーンブルク市の南東に位置する)

 1540年聖十字架称賛の日(9月14日)、月曜日の夕、ヴェルペ裁判管区の森林裁判集会が村内で開かれ、グリンダーヴァルトのすべての法が村民によって認められ、その村長バルトルト・ホーマイアーによって公表された。
 彼らはグリンダーヴァルトにおける最高位の権力をブラウンシュヴァイクの慈悲深きわが領主とその代理を勤めるヴェルペ荘園の管理たは代官に正式に認め、また彼らは森林裁判集会で森林権保有者が法とみなしたことを、古くからもっている彼らの権利と恩恵によって享受する。
 ホーヤの伯爵には、次のことを法として認める。すなわち毎年200頭の豚を森林に放牧し、さらに森林の無益な木を毎日2台の荷車で運ぶことができ、荷車に積んで運ばない場合は、毎週7台の荷車で燃料を運ぶことができるが、まずヴェル代官に届け出るべきである。 
 次のことを法として認める。すなわち、マリエンゼーエの修道院は毎年1本の木を自由に伐ることができ、さらに毎週1フーダーの粗朶を伐ることができ、毎回荷車にはパン屋の徒弟が付き添い、彼が荷車に付き添っていない場合は、荷車を差押えることができる。徒弟は豚に鼻輪を取り付け、森林でシャベルを使用し、彼に割り当てられた頭数の豚を森林の飼育場に放牧し、ここで建築材を利用したい場合は、森林代官と森林監視人にあらかじめ要請すれば、木材から何かを作ることができるすべての職人から、森林で得ることができる。
 ヴ ンスドルフの女子修道院長はハーゲンのベックホーフという彼女の荘官農場について、毎年5頭の豚と1頭の雄豚を飼育し、木材から役立つものを作るすべての職業の者を一人たとえば深皿製造ろくろ細工師、串製造職人、桶製造職人、車大工、炭焼き職人などを森林で得ることができる。
 開の湿原、氾濫する河川、雑草におおわれた耕地や森林、未知の土地の罰金からの報酬は誰のものと認められるか? 
 それらはすべて、それらを管轄する裁判所の最高権力に属するということが法として指示された。
 代弁者は次のように認めた。すなわち代官またはヴェルペの荘園管理人は (グリンダーヴァルトの7つの農圃に馬で行く場合) 彼自身の馬も含めて全部で9頭の馬を連れて行き、村民は間食のたびに下男にビールと食事、馬には干草、エン麦および麦わらを提供しなければならない。さらに土間にエン麦を入れた大桶を置き、その中にトネリコ製の木桶を入れるないで、馬にえさをまとめてほどこし、さらに代官には夜間に、灌木を編んで作ったベッドと毛布を用意すべきであり、そうすれば代官の権利は充足される。代官がそれらの農圃に馬で行く場合、農圃が彼を拒んだら、代官はそれに対してどのような態度をとるべきか? 代官に応えて曰く、彼を拒むなら、代官は彼らがグリンダーヴァルトでもっているすべての権利を彼らから奪うことができる。さらに代官は1年に1回、聖ミカエルの日(9月29日)から聖マルティノの日(11月11日)までの間に、あるいはそのほかにも彼が望むときに、農圃を馬で巡回すべきであるが、彼が訪れようとする者に対して、その3日前に予告すべきである。

 2-27 ミュンダー Münder


 (ミュンダーはハノーファー市とハーメルン市の間にある)

 Huthalriciの日にミュンダーのいかなる農民も、古くからのしきたりによって森林裁判集会を開き、次のような判断が問われた。
 最初に、午後1時に鐘が鳴り、ミュンダーの森林権保有者がハンメルスプリング、バデーケン、エストルフおよびボッバーの森林権保有者とともに、マルク共同体員として、ラウヴェナウ裁判所に集まり、市役所にともに出席し、その年の森林裁判官に、森林裁判集会を開くときかと問うた。それに対して、Nによって、彼は森林裁判集会を開く権限をもち、十分そのときになっていると告げられた。
 森林裁判官は、森林裁判集会で彼が法のために何を命じるべきか、問うた。これに対てNによって、彼は法を命じ、不法を禁じるべきであり、提案する者がいなければ、判決と代弁がおこなわれると告げられた。森林裁判官は次のように語った。すなわち、私は法を命じ、不法を禁じ、何かを提案する者がいなければ、判決と代弁がおこなわれる。また森林裁判官は、提案する者は歩み出るようにと述べた。
 そこでミュンダーの市長は歩み出て、森林権保有者とマルク共同体員のために代弁を求めた。
 そこで代弁者は当日出廷して、判決について議論し、八人衆を同席させた。
 出席した代弁者は、なぜ鐘が鳴ったのか理由を問うた。これに対して、Nによって、古くからのしきたりにしたがって森林裁判集会を開くので、それに属する者はみずから出席するように告げられた。
  代弁者はさらに次のように問うた。古いしきたりにしたがって毎年森林裁判集会を開くのが慣わしになっており、それに属する者は誰もが招集され、鐘が鳴っても欠席し、勝手に出席を怠る者は、いかなる罰をうけるべきか? Nによって、次のように法が告げられた。すなわち、そのような者は、そのたびに、従順にしたがうまで、差押えられるべきである。
 再び代弁者は、新しい森林裁判官を選ぶべきか、それとも旧裁判官が留任すべきか、問うた。Nはこれに応えて、毎年新しい森林裁判官を選ぶのが慣わしであると告げた。
 代弁者は、誰が法によって新しい森林裁判官を選ぶべきか、問うた。Nはこれに応えて、古いしきたりにしたがってミュンダーの森林権保有者がそうすべきであるということを法として告げた。
 再び代弁者は、森林権保有者とみなされる者はどれほどの農地をもつべきか、問うた。Nは応えて曰く、彼は1フィアテルの土地をもつべきであり、1フィアテルの土地は5モルゲンである。
 再び代弁者は次のように問うた。すなわち、ミュンダーの法では森林権保有者は新しい森林裁判官を選ぶ義務を負い、新裁判官を選んでも、彼が拒否して、裁判官になろうとしなければ、彼はいかなる罰をうけるべきか? 法として、彼は1フーダーのアインベック産ビールを納めるべきであり、その後も同じようになすべきである。
 そこへミュンダーの森林権保有者が加わり、何人かの市民を指示し、そのなかで最多の票を得た者は誰かと、市長が問い、最多得票者が森林裁判官に指名された。
 森林裁判官に選ばれた者は、代弁者によって促されて、旧森林裁判官の席に着いた。
 代弁者は、誰が法によって新しい森林裁判官を認証すべきか、問うた。Nはこれに応えてて次のように法を告げた。すなわち、ロックムの修道院長がそうすべきだが、司祭たる修道士がいない場合は、ミュンダーの市長がおこなうべきである。
 彼が出席して、新森林裁判官を認証し、彼に緑のオークの枝を手渡した。
 新任の森林裁判官は、森林マルクを彼一人で守るべきか、それとも助けを得るべきではないかと問うた。Nは法として、彼には助けがなければならいと告げた。
 森林裁判官は、誰が法によって助手を選ぶのか、また何人選ぶべきか、問うた。Nは次のような法を告げた。すなわち、彼は森林権保有者のなかから4人を選び、2人をザルツェから、2人をハメルスプリンクから、2人をバデーケンから選ぶべきである。
 森林裁判官は、彼のために何人かが選ばれても、彼らがことわって、助手になろうとしなければ、彼らはどのような罰をうけるべきか、問うた。Nは法として、いかなる者も1フーダーのビールを納め、その後も同様にすべきである、と告げた。
 新任の森林裁判官は上述のように選ばれ、自分の席に着いた。。
 委任された代弁者は、新任の森林裁判官が選ばれた彼の助手とともにその職務のために宣誓をおこなうべきではないかと、法による判断を問うた。Nはそれに応えて、彼らはそうした職務のために宣誓をおこなわなければならない、と告げた。
 旧森林裁判官が現れ、新裁判官に次のように語りかけた。すなわち、起立して、右手の3本の指を立て、私の後にしたがって次のように言うべし、
 「私は昼も夜もミュンダーのマルクにおもむき、とどまり、馬に乗り、狩猟をし、マルクの境界が及ぶかぎり、また必要であれば、できるかぎり最善を尽くし、最悪を避け、神が私に助けと聖なる福音を賜ることを願う。」
 さらに新森林裁判官は問うた。マルクは彼と彼の助手に非常に重要な任務を課しているが、その境界はどこまで及ぶのか? ハメルスプリンク、バデーケン、エストルフの半分およびボッバーからマルク共同体員が集合して相談し、長老の一人が古くからのしきたりにしたがって次のような判断を告げた。すなわち、
 ルーゼボームからスラッハドーレン、ナッケンに向かい、草むした道の渓谷を通り、ボッバー方面の荒野に沿ってオーゼンボーレンに入り、オーゼンボーレンからからヴェーフェルボレンに入り、エストルフを通って、スリーパーボレンに向かい、そこからピーペンモラーの耕地の犂の方向転換地点へ、さらに生垣へ、生垣からヘレへ、ベーベラーテン道をブルンスハーゲンへ、ブルンスハーゲンに沿ってシュタインホーペを越えてアスウェックへ入り、クーレンヴェンテを越えてヴェラー渓谷に入り、ヴェラーボレン、小川の渓谷までゼルゼン、クルッケバルクを通過して、さらにヴェーザー川に至る。
 覚書。ゼルゼンとクルッケバルクで、小川の左手に住む住民は、われわれとともにわが森林マルクに属すが、それ以外の住民は属さない。フィスベックでも、ポルツェン、ハイアーアゼン、ホーニンゲン、ヴァイプケ、ベンゼン、ウィックボーデゼン、クルッケンバルクの半分、ゼルゼンの半分と同じように、マルク共同体員による森林裁判集会が開かれ、マルクの境界も同様に、ヴェーザー川からクルッケンバルクを通り、ゼルゼンを通り、ヴェレンボレンに至る小川が境界とみなされ、ミュンダーのわれわれとフィスベックのマルク共同体員が一つのマルクをもつ。
 覚書。シャウムブルクの収益力に富む伯爵オットーは大胆にも左岸に住むゼルゼンとクルッケバルクのマルク共同体員をわれわれのマルクに割り当てたが、右岸に住む者をわれわれのマルクに割り当て、、ラーデン、バルツェン、ゼーゲルホストの諸村落およびオルデンドルフ市とともに、シャウムブルクの支配下に置いた。それによってわれわれとわがマルク共同体員をホンシュタインからひき離した。とはいえ、われわれは決して昔の自然な保有をそこなわれたわけではない。われわれは常にそれを担保としてきたし、今なおそうしており、われわれは消滅したくはない。神よわれわれを助けたまえ。
 再び新任森林裁判官は、森林マルクで有害な伐採をする者がいれば、彼をどのくらいの金額で差し押さえることができるかと問うた。Nは法として、被害の度合いによると告げた。
 新任森林裁判官は問うた。彼と彼の助手にはマルクの管理がを厳命されており、マルクに行って駐在しなければならない。彼らは囲いこまれた森林でいかなる利益を享受すべきか? Nは法として、風で倒れ、横たわっているすべての焚き木は、その上にエニシダが生い茂っていれば利用すべきであり、ほかに彼らが差し押さえるものがあれば、それも優先的に得るべきである、と告げた。
 彼はまた、許可された車大工から何を得るべきか、と問うと、いかなる車大工からも車輪を得られる。。
 彼は次のように問うた。すなわち、ハメルヅプリンクの馬具親方とバデーケンの2人の荘官はどれほどの豚を肥育時期に放牧することができるか? これに対してNは法として、いかなる者も60頭の豚を放牧し、さらに1頭の雌豚と1頭の雄豚を完全肥育のために放牧できる、と告げた。
 さらに彼は、両荘園から毎年何かを彼が享受しうるかと問うた。これに対してNは法として、いかなる荘園からも毎年ハムのほかに、彼が必要とするだけのパン、さらにビール代金として4ハノーファー・シリングを要求できる、と告げた。
 さらに森林裁判官は問うた。ハメルスプリンク、バレーケ、エストルフの半分およびびボッバーの諸村落は、われわれとともに豚の肥育期に放牧できるか? それに対してNによって法が提示された。すなわち、彼らはミュンダーで囲い込まれた森林の境界まで放牧できる。
 森林裁判官は、ミュンダーの囲われた自由森林がどこまで及ぶのか、問うと、Nによって、ミュンダーの囲われた自由森林は、生垣までの沼沢地、草地、放牧地であると、法が示された。
 森林裁判官は問うた。彼と彼の助手がマルクを守るうえで、彼に与えられているより多くの助けが必要となるか? Nによって、彼を助け、支援する義務があるという法が告げられた。
 森林裁判官は問うた。彼と彼の助手がマルクを守る職務に障害がある場合、誰が公正に補助すべきか? Nによって、全マルク共同体員がなすべきだという法が告げられた。
 ここで森林裁判官はすべてのマルク共同体員に、マルクで木を伐ることを禁止したりはしないが、彼の意志でおこなわれることもありうる、。
 そこでミュンダーの市長が歩み寄り、彼らの都市にとって必要なことを要請したところ、それは森林裁判官によってうけいれられた。



 2-28 ヒュルゼーデ Hülsede


 (ヒュルゼーデはハノーファー市とハーメルン市の間にある)

 1. 自由な森林裁判集会を開くのはまだ先のことか? 森林裁判官と森林権保有者がその気になれば、マルク共同体員の命令によって開くことができる。
 2. 裁判官は、誰に森林裁判権を認めるかと、法による判断を問うた。森林権保有者によって、荘園の管理人だと告げられた。
 3. さらに裁判官は、座るか立つか、どちらの状態で裁判がおこなわれるべきか、問うた。坐っておこなうことができるという判断が告げられた。
 4. さらに裁判官は、裁判はどのように座っておこなわれるのか、問うた。荘園のi管理人、森林権保有者および森林裁判官によって、右側に裁判官、左側に陪審員が座るべきだと述べられた。
 5. 森林権保有者と森林裁判官は、この森林マルクに属するのは誰かと、法による判断を荘園管理人に問うた。荘園管理人によって、ヒュルゼーデ、マインゼンに住む者および両製粉所であると、告げられた。
 6. ロートトルフ荘園またはメンゲルスハイム荘園の現在の管理人がマルクでどれほどの権利をもつかという法の判断を問われて、2人の荘官は、伐採と放牧の権利をもつことが荘官に認められておらず、今後ももつこともできないと、告げた。
 7. 森林マルクに属していない部外者は、森林裁判管区内のどの範囲ま
で留まるべきか、法による判断が問われ、耕地内の白馬を見ることができる範囲という判断が告げられた。
 8. この森林マルクに属しているのに、この森林裁判に参加しない者は いかなる罰をうけるべきかという裁判にかんして、森林権保有者と森林裁判官の承諾を得るまで、森林マルクから追放されるべきであるという判断が示された。
 9. 一般村民は告発をおこなう義務を負わないのか? 森林監督が最初に告発をおこない、その後に村民がおこなうべきである。
 10. 開廷されたこの裁判所で命じられ禁じられるべきことは何か? 法と弁護がおこなわれるためには、怒り、ねたみ、憎しみ、熱中、叱責は禁じられる。
 11. あれこれの判決が長期あるいは短期にわたり問われ、村民によって判決がおこなわれ、文書に記されたら、それは効力をもち、守られるべきか? 法のために守らなければならない。
 12. あれこれのときに当荘園で犯罪や流血事件が起きれば、誰に法的責任があるか? あれこれのときに当荘園で犯罪や流血事件が起きれば、その責任は古くからのしきたりによって荘園の管理人にある。
 13. 当荘園で傷つけられるような者がおり、それについて訴えれば、法的に誰に訴えるべきか? (応答なし)
 14. そのような被害をうけたのに、正式な森林権保有者に訴えなかったら、いかなる罰金を科されるか? 5マルクを荘園の森林権保有者に納める。
 15. 他所の裁判所に訴える者は、法によっていかなる罰金を科されるか? 6シリングの罰金を科される。
 16. 裁判所の法における判決で有罪とされ、裁判所と森林権保有者に対して侮辱的な態度を取った者は、いかなる罰をうけるか? そのようなことは厳禁されている。
 17. 森林マルクが禁止しているにもかかわらず、そこから木をもち出した者は、いかなる罰をうけるか? そのようなことはは厳禁されている。
 18. 森林マルクに資格をもっていないのに、それを利用した者は、いかなる罰をうけるか? それが発覚するたびに、部外者と同じように差押えられる。
 19. 森林監督と管理人はマルクの損害を防ぐという宣誓ををみずからおこなう義務を負い、そうしない場合、いかなる罰をうけるか? 2倍の罰金を科されるべきである。
 20. 森林監督と管理人は、オークの木を差し押さえれば、いくらの金額になるか、法による判断を問わせた。8シリングと告げられた。
 21. オークの木に対する罰金は誰のものとなるか? 荘園の森林権保有者のものとなる。
 22. どの範囲と長さまでのオークとブナの木を差し押さえることができるか? オオタカがその上でスズメを食べることができ、またノロジカが足の爪で。ひっかくことができる長さまで。
 23. オークの木を勝手に伐ったら、いかなる罰をうけるか? それは暴力行為であり、伐られた木の長さ1フスにつき60シリングの罰金を科される。
 24. オークの若木を伐ったら、いかなる罰をうけるか? 彼のはらわたをそれに巻きつけるべきである。
 25. オークの木の頂きを切り取ったら、いかなる罰をうけるか? 彼の首を切り落として、その場に置くべきである。
 26. 部外者が森林マルクで木を伐ったら、どのように対処すべきか? 彼の荷馬車と馬を奪い、この法廷に差押え品をもってきて、森林権保有者の到着まで待ち、彼は差し押さえ品で損害を償う。
 27. ブナの木に対する差し押さえと罰金はいくらにすべきか? 森林権保有者には罰金5マルク、森林監督には4シリングを科す。
 28. 道しるべの木と森林裁判の木の差し押さえの罰金額はいくらとすべきか? 森林監視人には3シリング、森林権保有者には5マルクを科す。
 29. 部外者が夜と霧にまぎれて木を運んだら、いかに対処すべきか? 盗人とみなし、荷馬車と馬を奪い。前述のように対処する。
 30. 森林裁判官がマルク共同体員の最善のために、ある者を召喚したか、召喚させたにもかかわらず、彼が勝手に欠席したら、いかなる罰をうけるか? 彼は森林権保有者の承諾を得るまで、マルクから追放される。
 31. 森林監督が差押え品を押収したら、罰金は森林権保有者のものとなるか? 森林監督が差押え品を押収したら、罰金は荘園の森林権保有者のものとなる。
 32. 森林監督が何かを命じたり禁じたりしたら、それを守らない者は、いかなる罰をうけるか? 一般森林では10グルデン、囲われた森林では10ターラーの罰金が科される。
 33. 森林監督が何かを命じたり禁じたりしたら、法にしたがってそれを守らない者は、いかなる罰をうけるか? 森林監督の命令と禁令にしたがうべき義務を守らない者は、罰せられる。
 34. オークの枯れ枝や木の枝は誰のものと認められるか? 森林監督のものである。ただし、そのなかに有用な建築材があれば、それを利用したいと望むマルク共同体員に与える義務を負う。
 35. ブナの枯れ枝はどのように扱うべきか? それを最初に見つけた者が、1フーダー得るべきであり、その後彼の隣人たちが相次いで得るべきである。
 36. 借家人がマルクに入るのを許可する権限をもつのは誰か? 荘園である。
 37. マルク管理人によって差押えられることを望まない者は、木の長さ1フスごとに60シリングの罰金を科される。
 38. そうしたことは古くからのしきたりなのか? 古くからのしきたりである。
 39. マルク管理人はマルクで何かを許可する権限を誰から得るのか? 荘園の森林権保有者からである。
 40. マルク管理人とマルク共同体員も、森林権保有者の許可と同意なく何らかの変更をおこなう全権をもつか? それは不可能である。
 41. 森林監督とマルク管理人は、彼らがおこなった告発を何によって取り消すべきか? 1フーダーの白ビールによって。
 42. ヒュルゼーデの森林マルクは、いかなる集落と周縁末端に至って戻ってくるか? Nによれば、最初にホッペンプラッケからニーンダールスグルントのシュトッペルヴェークを登り、シュトッペルヴェークからシュタインブルンクへ、シュタオンブリンクからネッテルダールスグルントへ、ダッハテルフェルトの生垣の古い雌牛厩舎へ、ジーケの前でハウヴェークを経て古い遮断棒へ、古い遮断棒からハウヴェーク渓谷のスフとヴェークを経由して古い生垣へ、古い生垣からdas warme slaheへ、美しいヘーガーカンプを経て狼の巣穴へ、ボームグルントを通ってクリンゲンダールを越え、シェーヘーガーラントの傍の湾曲した囲い込み農地の渓谷を泥灰岩坑をへ、そこからヴィンマルクへ、ヴィンマルクからペーラーホルツ渓谷の方向に進みムレンブルクへ、ムレンブルクから聖霊渓谷へ、精霊渓谷からゼルtライマタハベックホルンの渓谷をマインゼンに至る。
 43. そのような集落や周縁末端には大昔から境界線が引かれていたのか? この森林マルクの最長老たちは、それらが彼らの時代から上記の集落に引かれていたと考えている。

 

 

 2-29 べーバー Beber (1659、1672年) 


(べーバーはハノーファー市とハーメルン市の間にある)


 べーバーの森林マルクで得られ提示された判決と法

 今や自由な森林裁判集会を開催するときが来たか? そのとおりである。
 2. ご前か午後か? 彼らに都合のよいときに開くことが認められた。
 3. 森林監督は、誰が森林裁判所の席を占めるべきか、と問うた。右手の席を森林監督と森林権保有者、左手の席をラーフェナウ荘園の領主の従者が占める。
 4. 古くからの慣わしとしきたりによって罰金を納めるべきか? そのとおりである。。
 5. ある者が担保の設定にしたがい、裁判官の許可なく担保を設定したら、いかなる罰をうけるか? 担保の価値に等しい罰金を徴収され、罰金は裁判官に帰属する。
 6.この森林裁判所に属さない者は、そこからどのくらい遠くに離れるべきか? 60フスである。
 7.この森林裁判所では何を要求し禁止すべきか?  怒り、憎悪は禁止され、いかなる者も判決と弁護にしたがい、異論をとなえてはならない。
 8. 弁護人の権利にかんする判決。私がこの弁護をそこなわれたら、誰がその損害を私に償うべきか? 損害を与えた者は、その償いをおこなうべきである。
 9. 私がこの問題に対処できなければ、どうすべきか、私はそれから放免されて、他人に代ってもらえるか? そのとおりである。
 10. マルク管理人は、何を差し押さえるべきか、と問わせた。オークの木、ブナの木、リンゴの木およびマハレブの木を差し押さえるべきである。
 11. マルク管理人はオークの木をいくらの金額で差し押さえるべきか? 6シリング。
 12. ブナの木をいくらの金額で差し押さえるべきか? 3シリング。
 13. マハレブとリンゴの木をいくらの金額で差し押さえるべきか? 3シリング。
 14. いかなるときに差し押さえをおこない、どれほどの期間実のなる木を差し押さえるべきか? オオタカが木の上でスズメを食べることができるとき、オオタカがひどく衰弱して、ノロジカが足でオオタカを蹴ることができるほどになるまでの期間。
 15. 森林監督はその管理人とともにどれほどの高さと距離の範囲まで差し押さえをおこなうべきか? ヴィーフェルボルンではエッゲストルンを通過してシュリーパーをラール川に沿って進みブッデンジークスで向きを変え、石の道を通りブルンスハーゲンを越え、オルデンドルフィッシュの小径を行き、ヴェラーボルンの渓谷をわが慈悲深き領主の生垣まで進み、石積みへ、ストーペスヴェークから低地の渓谷をschluteichenへ向かう。
 16. オークの木の先端を伐るところを取り押さえられたら、いかなる罰をうけるべきか? 彼を木の幹のところへ連行し、彼の首を斬りおとし、再度生えてくるまで、首をそこに置くべきである。
 17. 実のなる木の芽をを伐り取ったところを捕えられた者は、いかなる罰をうけるか? はらわたを身体から引き出し、再度成長するまで木のまわりに巻きつけるべきである。
 18. 部外者を取り押えるために追跡する場合、いかに取り押えるべきか? 彼に追いつくまで追いかけるべきである。
 19. 部外者の罰金はいくらとすべきか? 10マルクとする。
 20. 内部の者の罰金はいくらとすべきか? 5マルクとする。
 21. 内部の者が差し押さえをうけるべき行為を見つけられ、差し押さえを拒んだら、いくらの金額の差し押さえをうけるべきか? それは暴力行為であり、罰金は5マルクである。
 22. 森林監督と彼の森林管理人たちが差し押さえに行こうとして、マルク共同体員に呼びかけたのに、同行を拒んだら、どのように対処すべきか? 森林監督が部外者に対して差し押さえをした場合は、森林監督は彼の家から2倍の差し押さえをおこなうべきである。
 23. 有用な木を夜と霧にまぎれて伐り、追跡されて、彼の屋敷内で見つけられたら、いかなる罰をうけるべきか? 彼はどろぼうとみなされ、権力の行使がなされ、1フスについて60シリングを払って、自分の首を買い取るべきである。
 24. 森林監督が禁止したら、守るべきか? 守るべきである。
 25. 森林監督が禁止して、禁止を守らない場合罰金が科されるのに、守らなければ、いかなる罰金を徴収されるか? そうしたことは禁止されている。
 26. マルク共同体員が彼の仲間の違反を知りながら黙っていれば、いかなる罰をうけるばきか? 違反した彼の仲間と同じ罰金を科されるべきである。
 27. マルク共同体員が森林監督と彼の森林管理人たちから有用な木を得て、森林マルクの外部に売れば、彼はいかなる罰をうけるべきか? 5マルクの罰金を科されるが、領主が恩恵を賜ることもある。
 28. 車大工が木を伐って、森林マルクの外部に売れば、いかなる罰をうけるか。5マルクの罰金を科される。
 29. マルク共同体員が病気でもなく、領主の非常事態もないのに、勝手に欠席し、この森林裁判所に協力しようとしない場合は、いかなる罰をうけるべきか? 森林監督は彼の家に部下を送って、彼自身が適当とおもう差し押さえをおこなわせるべきである。
 30. 倒木と木の枝は誰のものとなるべきか? 森林監督と彼の管理人、および彼らが認める者に属する。
 31. 有用な木を許可された者は、許可なく木の枝を利用できるか? 彼は森林監督と彼の管理人に申請すれば、拒絶されることはない。
 32. 森林監督と彼の管理人は彼らの努力と労働に対していかなる権利をもつか? 彼らは毎年2本のオークの木を得る権限をもち、そのうち1本は夏の葉の茂った木、もう1本は冬の落葉した木である。
 33. オークの木が倒れたら、森林監督は森林管理人の許可なくそれを利用できるか? 利用できる。
 34. ある森林管理人が森林に入り、有用な木を森林監督と彼の管理人たちの許可なく伐ったら、いかなる罰をうけるべきか? 2倍の罰をうけるべきである。
 35. 誰のために罰金は取り扱われるべきか? 偉大な責任者、森林監督および彼の管理人のためである。
 36. 森林の罰金は誰に帰属するのか? 3分の2は偉大な聖人と森林権保有者に、3分の1は(ラーフェナウ荘園の)領主に帰属する。
 37. (ラーフェナウ荘園の)領主はいかなる対価として3分の1を得るのか? 森林権保有者とマルク共同体員に暴力がふるわれたら、ラーフェナウ荘園の領主は暴力を防止すべきである。
 38. 森林監督と管理人は差し押さえ物件をもとに飲酒し、差し押さえ物件が4週間で買い戻されなければ、それをどうすべきか? 売却すべきである。

  

 2-30 レーアベック Leerbeck (1516年)


 (レーアベックは今日ノルトライン・ヴェストファーレン州のポルタ・ヴェストファリカ市に属する)

 最初に、レーアベックの森林マルクはどのくらい遠くまで及ぶのか、判断ヴェストふぁりか落す者は、そのたびに罰せられるか、と問われ、前述のライネッケによって、罰せられずにはすまない、と告げられた。
 罰金は誰のものになるか、と問われ、何度も名を挙げられたライネッケによって、罰金はベルク荘園の慈悲深きわが領主のものとなる、と告げられた。
 このマルクでは毎年豚のえさ、木その他が存在し、それをもちさろうとする資格は誰にあるのかと、判断が問われた。前述のイネッケンによって、その資格があるのは、ベルク荘園のためにもちさる慈悲深きわが領主である、と告げられた。
 慈悲深きわが領主はベルク荘園のゆえに当マルクの最高位の森林裁判官と認められているが、当マルクでいかなる権利をもつか問われ、ネーセンのヘネッケン・ペックによって、焼きごての印のついた豚を毎年割り当てられ、このマルクで飼育する権利をもっており、それ以上の権利はもっていない、と告げられた。
 この前述の判断に対して、ベルクの代官は反対し、再度慈悲深きわあが領主に報告するつもりである。
 一般村民は、豚の飼育権を割り当てられていない3人の領主や何らかの他所の豚に彼らがわずらわされるようなことはない、と報告した。
 慈悲深きわが領主に次いで、このマルクで何らかの権利をもつ者はいるか、と問われた。ネーゼンのギゼッケン・ケスターによって、次のように告げられた。すなわち、ミンデンの大聖堂首席司祭は慈悲深きわが領主に次いでこのマルクにおける地主であり、焼きごてで印をつけられた豚を割り当てられてこのマルクで飼育する権利、必要な木と燃料の伐採および野菜畑の権利をもっている。
 (1558年のマイセンでの森林裁判集会から)
 慈悲深きわが領主に次いでこのマルクで権利をもつのは誰か? アーレント・ケスターにおいては、ミンデンの大聖堂首席司祭がこのマルクにおいて権利保有地主である、と告げた。
 アーレント・ケスターは次のように告げた。すなわち、大聖堂首席司祭はこの森林裁判集会に陪審として出席し、半刀剣で彼の領民を不当な暴力から守り、この教区で焼きごてで印をつけられた豚を飼育し、このマルクで柴、枝、索で野菜畑を改良する権利をもつ。
トニエス・ヴェルクメスターは、このマルクの森林監視人を任命したのはミンデンの慈悲深きわが領主である、と告げた。大聖堂首席司祭がこのマルクにおいて彼の領民を半刀剣で守る守護者となった後に、完全刀剣をもってマルクに属したのは誰かと問われて、トニエス・ヴェルクマイスターは、ミンデンの慈悲深きわが領主がマルクを完全刀剣で守ったのだ、と告げた。
 このマルクで大聖堂首席司祭が半刀剣で彼の領民を守るようになった後、ミンデンの慈悲深きわが領主が完全刀剣でマルクを守り、大聖堂首席司祭は彼の半刀剣のゆえに焼きごてで印をつけた豚の割り当て飼育権、必要な焚き木および垣根の権利をもつ。ところで、ミンデンの慈悲深きわが領主にとっては、完全刀剣について、何が彼のものとなるのか? ライネッケ・ハルデは、ミンデンの慈悲深きわが領主のものになるのは、そこで納められる罰金である、と告げた。
 それが領主に属するのは統治権のためであるという理由が示された。
このマルクの大聖堂首席司祭は半刀剣をもつ守護者であり、他方ミンデンの慈悲深きわが領主は完全刀剣をもつが、彼らの守護の対価としてマルクからの産出物の最大部分は彼らのいずれに属するのか? ライネッケ・ハルデは、次のように告げた。すなわちマルク共同体員は以前の判決が慈悲深きわが領主のためになされたものにほかならないとことを承知しており、マルクにおいて最大部分が彼らの守護の対価として、ミンデンの慈悲深きわが領主または首席司祭のうちいずれに属するのか、明言することができない。
 裁判は長時間かけて判決に至った。すなわち、ほぼ3時間かけて、ついにヘンケ・メラーは、首席司祭に最大の権利が属する、と告げた。フスベルクの代官はこの判断を非難した。というのは、マルク共同体員たちも、ミンデンの慈悲深きわが領主が完全刀剣をもつ最高位の森林裁判官であり、大聖堂首席司祭は半刀剣をもつ陪席者であるとみなしたことを考慮したためである。。



 

付録

1. グリム『ドイツの古代法遺産』の序言


  (以下は、グリムの大著『ドイツの古代法遺産』Jacob Grimm, Deutsche Rechtsalterthümer. 3. Auagabe, Göttingen 1881.の序言の抜粋である。『ヴァイステューマー』に対するグリムの基本的な考え方が示されている。)

 三つの原因から本書は書かれた。私は長い文法研究をやめてしまうわけではないものの、別の研究に着手して気分転換をはかりたかったのである。また、私はかつてお気に入りだったが、おざなりに続けているにすぎない古ドイツ法の蒐集をたゆまぬ落穂ひろいと再検討の情熱によってよみがえらせたかったのである。最後に私は、われわれの古代法遺産をかつて試みられたことがない方法でとりあげるにはどうすべきか示すことは私の能力を超えてはいないと考えたのである。気分転換にはほぼ失敗し、素材はやりがいのある収穫にまで成長したが、第三点についてはもっと詳しい説明が必要である。
 その課題の解決にはいたることもなく、前世紀のドイツ法古代学派は死滅しまった。Heinecciusはその優れた二冊の著書で学識ある、今なお評価すべき基礎を築いたが、史料的にあまりにも制約されていた。GrupenとDreyerの名声は、退屈な文学的研究以上のものといわれるにしても、以下のようにいわざるをえない。すなわち、私は少なくとも彼らの個々の完成品には(二人ともあえて全分野にとりくもうとしたわけではない)豊かで気をひく成果のかわりに、骨の折れる苦労とひどい悪趣味以外何も見いだせない。それはGrupenのケルト語源学において耐え難いほどに膨張しているが、それにもかかわらず彼はDreyerよりは根本的であり、歴史知識をもち、言語学的にもすぐれている。それだけに私は、もの静かで半ば誤解されている別の人の努力をなおさら高く評価する。HaltausはDu Canges の勤勉さがみられる優れた包括的注釈集によって、ドイツ法の古代遺産に長続きする功績をのこした。この著作は従来利用されてきたようなものではない。なぜなら、アルファベットの語順が彼の財宝を分散させ、隠しているからである。彼の後輩のなかで誰を挙げるべきだろうか?Möserの才気あふれる論考は、ドイツ法がわが最古の歴史においていかなる意義をもっていたにちがいないかを示していたし、ウェストファーレンのマルクの関係に対する彼の深い洞察は、どれほど多くの古代の遺産が今日なお素朴な農村生活のなかに認識できるかを教えてくれた。しかしメーザーの推測は間違って不確かなものとなり、その大胆さに目をくらまされて彼の後継者の誰も彼の偉大な観察の才能から学び取ることはなかった。法の古代遺産の究明のためにおこなわれたのは、ごくわずかにすぎない。だが、私にはこの分野で成功をおさめたBodmanとKindlingerの二人の名を挙げる価値があるようにおもわれる。両者はフランス革命の時期にライン諸地域とヴェストファーレンで中世の多くの史料を入手する幸運に恵まれた。Kindlngerは彼の蒐集の一部をみずから出版し、他の未刊行部分は救われて最近パーダーボルンに保管され、私はそれを拙著にも利用できればよいとおもった。Kindlinger自身の書物はほとんど原資料から引用されているとはいえ、無能であり、とくに農奴制にかんしてそれ自体として未熟な描写をともなう混乱の見本である。蒐集を加工することにもっと熟練していたのはBodmannでありRheingauにかんする彼の主著はきわめて有益であり、不可欠といってよいが、不適切で矛盾した見解の混入は非常に悪くて、メーザーの繊細な感覚とは正反対と感じられ、彼の死後再び分散してしまった すばらしい史料の完全な復刻に免じて彼のアンコールは勘弁してもらいたい。
 今日では、とくにEichhornの手でドイツ法学が新たな飛躍をとげたが、本来は古めかしい研究が、今日のゲルマニストのそれ自体歴史的な潮流にかけられる期待にそうほどの進歩をしたわけではない。それは、彼らにとっては古代が多くの点であまりにも価値に乏しく地味であり、あるいは彼らが後世の実践的な法に影響をもつ重要な学説にあまりにも積極的にとりくんでいるせいかもしれない。だが、私の考えでは、今日の状態への志向の優勢ほど、古代への内面的関与を妨げているものはない。私はこの点を非常に重視し、歴史法学者と古代研究者との間にある違いだけを説明したい。前者は新しいものを古いものの歴史から解釈し、後者は古いものを古いもの自体から解釈し、新しいものからは補助的にのみ解釈するにすぎない。
 つまり前者は、まったく過去のものとなってしまったものを無視し、後者はたんにしいものを無視する。前者は古いものを新しい法の制度に添加せざるをえず、後者は古いものの多様な現象をその広くて自由な基礎にもとづいてとらえる傾向をもつ。古代ではすべてが感覚的に展開し、近代ではすべてが精神的に凝縮する。後者にはすぐれて思考、理由づけと描写、前者には蒐集と素朴な物語が必要とされる。そうした状況のもとで、法史の専門家でもない者が、実践や今日の制度をかえりみ
ることなく、ドイツ法史の感覚的要素の資料をできるだけ多く完全かつ忠実に集めることを企てたとすれば、それは私には不得策というよりも大胆におもわれる。もしそれによって法律家だけでなく、わが祖先の言語、詩および歴史に努力を傾注してきた古代研究者の注目も獲得することに成功すれば、二重の利益であろう。この意味での最初の作業の試みは、塩よりも油を多く含んでいるいうことができるだろう。これよって私が提供するのは、完全な資料編纂の仕事である。
 ドイツの古代法遺産というのは、私がドイツ文法といってきたのと同じ意味である。たとえ、両者とも北欧とアングロサクソンの原資料を含んでおり、含まなければならないとしても。そうした結合が当然かつ必要であるとすれば、名前にこだわってばかりはいられない。われわれがここで必要としているのは一般論であり、ドイツという言葉の広がりに対して向けられた異論は、私には大したことではないようにおもわれる。なぜなら、まったく新しいものを発明しなければ、どんな名称にも同様な異論をとなえるのは可能であり、どこでも一般的な名称を使えば、それはどこかの特殊な名称を傷つけるからである。ところが、ギリシアおよびローマ史も同時にペラスゴイ、エトルリア、ラテンの古代遺産も含んでおり、誰もそれに怒ったりはしない。個々の研究で私はゴート、北欧およびザクセン、その他いかなる部族の特殊性も注意深く強調するように努めた。だが、私は北欧とアングロサクソンの法の原資料を比較的十分には利用しなかったという非難は当たっているかもしれず、すべてをとりあげるにはいたらなかったことをおわびすべきかもしれない。私はアングロサクソンとスウェーデンの法律およびアイスランドのgraugansの新版を期待している。しばしば私は、かなり昔になされたたんなる抜粋を、ときにはラテン語の翻訳で利用しなければならなかった。
 隔たった時代の大胆すぎる結合と平行を正当化することはむずかしいものとなるだろう。それは、タキトゥス、古い法律、中世の古文書、またやっと百年前に記録されたかもしれないヴァイステューマーなどの典拠を一まとめにしてしまうことだからである。仔細に検討すれば、私が歴史的にことを進めることは、しばしば非常に得策であり、確実な諸規定を探求する手段をのがさないことがわかるだろう。千年、そしてやがて二千年にもなる長期間に、大量の糸がいたるところでちぎれてしまって、かつての関連性の跡形を見まがうことなく再び結び合わせることはできなくなるかもしれない。私の考えでは、こうして内的に親近関係にあるものが、相互に無害に並べられたからといって、私はそれで直接歴史的関連を主張できるなどというつもりは毛頭ない。研究の継続が失われた連鎖のつなぎ手を発見するかもしれないし、あるいは推測されていた結合を否定するかもしれない。個々の法慣習の確固たるつなぎ手と支えををなすのが輝かしい事例であることは疑いない。二つの史料の間に500年もの隔たりがあるにもかかわらず、古い法律の解釈にタキトゥスのゲルマニアが役立てることに問題がないとみなした人は今までいない。
また同じような理由から古い法律がそれより500年新しい中世史料のために利用され、後者の中世史料はまたヴァイステユーマーのために利用されるはずであるが、それはこれらが相互に補完しあうからである。こうした方法を本来正当化してくれるのはどこでも、さもなくば書かれなかったであろうとおもわれる書物自体であり、同じような基準を示してくれるのは言語史であり、これは今日の方言の諸形態で古代盛期の言葉を認識させる。とくにドイツ法のヴァイステューマーは、その本質と内容からして、通俗的な民衆語と民謡に完全に比肩しうる。 農村民が口頭でこれらの法を告げることは、われわれの古い制度における最高度に固有の現象をなし、それは他の民族には見られないような現象であり、われわれの土着の法の自由で高貴な性格のすばらしい証拠である。新たに動き、絶えず若返りつつ、それらは古い形態のなかに、まぎれもなく伝来の古い法慣習と、そのなかでももはやとっくに用いられなくなったにもかかわらず、庶民によって信じられ、畏敬の念をもって聞かれる法慣習を含んでいる。それらは長い存続によってゆがめられ、粗野となったかもしれないが、決して偽物でもなければ虚偽でもない。それら相互の一致と、古くて遠く隔たった法律の個別的特徴との一致は、いかなる観察者にも目立つし、それだけで古代盛期にさかのぼる。ヴァイステューマーに充満する詩的な慣用句と習慣はそれらが記録された時代に成立したとは、とても考えられない。われわれが関心をもつ最古のヴァイステューマーは13世紀にさかのぼり、そのほとんどの、内容豊かで最も完全なものはこれに続く2世紀間のも、16-17世紀、18世紀のものも若干重要ではある。疑いなく、それらはすでに中世以前から広まっており、古くなればなるほど純粋でまがいないものであったはずであるが、ただ時代がそれらを保存するのに適していなかっただけである。当時は口述で伝承され、書かれることはほとんどなかったからである。それらと都市法の関係は、力強く新鮮な民謡とツンフトのマイスター歌との関係に似ている。いかなるドイツ諸邦でヴァイステューマーが発見され、どこで突然中断したりなくなったのかも、注目すべきである。その故郷は、古いマルク制度が最も長く続いたところ、とくにラインとマイン諸邦およびヴェストファーレンであり、フランク、リプアールおよびアレマン法が妥当したところである。つまり、主にマインツ、トリーア、ケルン地域であり、次にヴェッテラウとオーバーヘッセンである。グラーフシャフトあるいは支配領域が小さく分離すればするほど、それらは忠実に古さを温存しているため、ナッサウ、カッツェンボーゲン、ディーツ、ヴィート、イーゼンブルク、エプシュタイン、ハーナウ、フルダに多くのヴァイステューマーがある。ニーダーヘッセンとヘルスフェルト、今日のニーダーザクセン、古いエンゲルン、チューリンゲンには少ないが、なお存在する。ゲルデルン、フリースラントおよびブラバントまでのすべてのヴェストファーレン諸邦には豊富に存在しており、ほとんどは農民言語、マルク規約、マルク文書といわれる。オストフランケンではとくにその北部のヘンネベルク、ヴェルトハイムに見られる。シュヴァーベンでは古いアラマン人地域、ラインの両岸、プファルツ全域(おそらくロートリンゲン地域も)、エルザス、スイスまで見られ、本来のシュワーベン地域には少なく、古ヴュルテンベルクからはヴァイステューマーはこれまでまったく探し出せず、リースとエッティンゲンからもわずかである。バイエルンはエーハフテンあるいはテーディンゲンの名で見られるが、あまり多くはない。スラヴ人が住むすべてのドイツ諸地域には、まったく見当たらず、とくにオーバーザクセン、マイセン、ブランデンブルク、メクレンブルク、ポメルン、シュレージエン、ラウジッツ、メーレン、シュタイアー、ケルンテンにはない。チロール、ザルツブルク、オーバーオーストリアにはおそらくバイエルンと同じことがあてはまり、追加研究もこれまで成果がない。私の研究は、さらにこれ以上成果がなくても、ヴァイステューマーの価値と重要性を承認することに貢献したといえる。これにかんする綿密な文学的研究を生み出したJoh. Andr. Hoffmannは77篇を集めたが、これに対して私の目録はすでに387篇となる。もちろんそのなかには重要ではないものや、抜粋でしか知られないもの、厳密には別なものに分類すべきものも幾つかある。私はそれらを登録したのは、たんに私の引用を理解してもらうためだけではなく、今後とも蒐集をおこない、その発見を私や将来の刊行者に知らせてくれることを期待するからでもある。百年前にはこの仕事はもちろんずっと容易で、成果の多いものだっただろう。ここでは、他の民族伝承と同様に、完全な没落の脅威が迫ったときはじめて、それに対する意識が目覚めるのではないかとおもわれる。いずれにしても、私の目録における300の重要なヴァイステューマーになお数百が加えられるとおもう(50以上のタイトルと手がかりを挙げられる)。すべてを合わせれば、四つ折りあるいは八つ折り判の手ごろな一巻の本となり、それは古代法遺産にとっては不毛な都市法10巻よりはるかに高度な内容をもつだろう。
 ひもとかれることのない引用ばかりに嫌気がさして、どの箇所でも生き生きと描写することが、著者自身の著作の企画と研究の継続にどれほど大きな助けとなり、それ以上に読者にとってもどれほど必要かということを、経験をとおして教えられた。そこで私は、法律、法書および古文書からあらゆる証拠を忠実かつ完璧に論文に入れるように努めた。この引用方法において古人はわれわれに先行して良い例を示している。たんなる数による精彩のない列挙は選集や概説のなかに見られる。私は比較的新しい文筆家を省略することによって、多くの稀有で未刊行の原資料の書き写しにあてられてきた領域を取り戻した。だが、古ドイツ、フリースラント、アングロサクソンおよび古北欧の文化遺産からの抜粋すべてに言語注釈や翻訳さえ付けるのは私には屈辱的におもわれるので、それは理解を妨げる特別な困難がある場合にのみおこなわれる。ドイツ法の研究が真に重要な人にとっては、われわれの方言の習得も障害ではなく、むしろ刺激となりうる。補助手段がないという苦情は私には根拠がないとおもわれ、今では優れた大学で学生にドイツ言語学への手引きが与えられている。古典古代の論究には暗黙の裡に言語知識が前提とされ、誰もラテン語あるいはギリシア語の引用をことさらに説明したりはしない。土着の法的語彙の間違いあるいは古ドイツ法文書の非文法的復刻やその他の言語上の過ちに赤面することも、あるだろう。この点で私はわが読者をおおいに信頼しており、そうでなければ言語学的考察を避けたりはしなかったのだが、それが当たり前だと思われるのも困る。とはいえ、古代にさかのぼればのぼるほど、あらゆる名称がますます強くて感覚的な意味を示すようになり、言葉の質量が不安定となるので、言語学的考察は避けられず、語源学は不明確な事情を解明するのに無条件に役立ちうる。いかなる研究可能な個体も知るに値するからである。
 題材の選定に困ることはなかった。それは、ここでは法体系全体の分析ではなく、むしろ古代的法体系の把握が重要であったので、ほとんどどうでもよいことであった。実際に、研究を本書第三篇から始めるべきか、それとも第六篇から始めるべきか、困ることはほとんどなかった。どの篇も他篇とかかわりをもち、他篇なしには完全には理解できない。むしろ、個々の題材の不平等な取り扱いをとがめるべき理由があるだろう。とくに第四編の短さは奇異の念を抱かせるに違いない。ところで、契約にかんする章があたかも古ドイツ法にかんするあらゆる叙述で相対的に最小限の紙面しかさいていないように私にみえるのは、とくにそれにかんする形式がすでに序論で論じられているためである。拙著の最初の作成の際に、すべての章がどれほど手間のかかるものなのか、私には見とおしがたたなかったことも、告白したい。そのため、全体が大きくなりすぎることへの不安から、実際にまさしく第四編の一部が意図的に削除されたのである。


2. グリム編『ヴァイステューマー』邦訳文献



1. 橡川一朗、 アルテンブルッフ等三か村共通法、「中・近世ドイツ農村の家父長制的構造」、都立大学『人文学報』No. 76, 1970年.

2. 山本健、ドイツ農村史料『ヴァイステューマー』の邦訳、1363年の「ローエン荘園法」(ヴェストファーレン地方)『敬愛大学国際研究』第4号、1999年


3.山本健、グリム編『ヴァイステューマー』の邦訳(2)、1457年の「フランケンベルク法域法」(ノルトライン=ヴェストファーレン地方)、『敬愛大学国際研究』第6号、2000年

4. 山本健、グリム編『ヴァイステューマー』の邦訳(3)、1500年頃の「アイケル荘園法」(ヴェストファーレン地方)、『敬愛大学国際研究』第8号、2001年

5. 宮武哲平、帝国森林における森番の報告、― ヤーコプ・グリム編『ヴァイステューマー』第2巻771-778頁の邦訳と改題解題 ― 『西洋史論叢』24号2002年

3. 『ヴァイステューマー』にかんする参考文献


1. 山田欣吾 「低地オーストリアのバンタイディングについて ― 中世末期における村落集会の構成と運営 ―」、『一橋論叢』40、1958年

2. 山田欣吾 「ワイズテューマーと村落裁判:H・バルトルの最近のニ著から」、『一橋論叢』40-2,1958年

3. 伊藤栄 『ドイツ村落共同体の研究』、弘文堂書房 1971年

4. 橡川一朗 『西欧封建社会の比較史的研究』 青木書店 1972年

5. 斎藤泰 「中世末期ライン地方のワイズテューマーについて」 東北大学文学会『文化』 1972年

6. 斎藤泰 「領主支配とワイズテューマー」 『社会経済史学』39-5、1974年

7.服部良久 「ヴァイズテューマー研究の課題」 『史林』第65巻1号 1982年

8. 橡川一朗 『ドイツの都市と農村』 吉川弘文堂 1989年

9.ブリックレ 『ドイツの臣民 ―平民・共同体・国家1300-1800年』 ミネルヴァ書房 1990年

10.鈴木道也 「中世後期アルザス・ロ レーヌ地方に おける『慣習法文書』と『判告集』」、『埼玉大学紀要』(人文・社会科学編) 第47卷1号 1998年

11.服部良久 『アルプスの農民紛争 ―中・近世の地域公共性と国家―』 京都大学出版会 2009年 

4. 『ヴァイステューマー』の地域分布

  
 グリム編『ヴァイステューマー』は全7巻からなり、1-6巻はドイツ、スイス、オーストリアのドイツ語の村落の慣習法を収録し、第7巻は地名、人名、事項索引からなる。次の表1は1-6巻に収録された史料の地域別分布であり、数字は収録ページ数を示している。ここからわかるのは、ライン川流域の史料が最も多いということである。グリムの生きた19世紀ドイツの最大の領邦プロイセンの中心は東ドイツに位置しており、ワイステューマー史料の圏外にあったし、プロイセンの隣の大邦ザクセンも同様である。西ドイツで重要な地位を占めるバイエルンやニーダーザクセンも、比較的少ない。最も史料が集中しているのは、多数の聖俗領に分裂していた西南ドイツのライン川流域である。 


表1 グリム編『ヴァイステューマー』の史料の地域分布(数字は各巻の史料掲載ページ数
   と史料の主たる名称(Grimm, Weistümer, Bd. 7, S. 417f.)

 ドイツ語圏 国・領域 地域   掲載頁数  主たる名称
 高地ドイツ語圏  オーストリア      61  Panteiding
Öffnung
   スイス     784  Öffnung
   エルザス     600  Geding
   南ドイツ
 バイエルン    155 Ehhaft 
     シュヴァーベン    143  Ehehaften
     シュヴァルツヴァルト    200  Öfnung,
Geding
Weistum
     ライン川上流域   657  Weistum
     モーゼル川流域   772  Weistum
   中西ドイツ  フランケン   229  Weistum
     ヘッセン    75  Weistum
     ヴェッテラウ   205  Weistum
 中間地帯    プリューム    79  Weistum
     アイフェル   166  Weistum
     ライン川中流域   317  Weistum
     チューリンゲン    16  
 低地ドイツ語圏  北西ドイツ  ヴェストファーレン    243  Holtimg
Hausgenossen
Weistum
     ニーダーザクセン   169  Holtimg
Meierding
         


『ヴァイステューマー』掲載史料の地域別名称

「ヴァイステューマー」(裁判集会)の名称は上掲地図のように地域によって異なる。
 斜線部(ライン川流域)― Weistum
 ニーダーザクセン ― Holting, Meierding, Hausgenossen
 バイエルン ― Ehhaft, Ehehaften
 オーストリア ― Panteiding, Öffnung
 エルザス ― Geding
 スイス ― Öfnung





5.モーゼル地方の『ヴァイステューマー』の基本用語



グリム編『ヴァイステューマー』には、中世ドイツの法制度と慣習にもとづく用語が頻出し、今日それらはほとんど死語と化しているか、別の意味に変化してしまっている。『ヴァイステュマー』第7巻の事項索引は非常に有益であるが、かならずしもすべてを網羅しているわけではない。また、グリムとその後継者たちによって編纂されたドイツ語辞典もおおいに役立つが、言葉の意味を示していない場合も多い。ここでは、とくにモーゼル川流域の『ヴァイステューマー』を理解するうえで欠かせない基本用語に対応する日本語を記す。

ヴァイストゥーム(weistum)
 裁判集会(ding)において裁判長(richter)の問いかけに対して参審員(scheffen)が答える形式の慣習法。

下級裁判所 (niedergericht)
 主に農民の賦役や地代、森林・放牧地・河川湖沼の共同利用権、農地境界、移住、度量衡など多様な問 題を裁く村落レヴェルの裁判所 

御料林フーフェ(forsthufe)
 領主が所有する森林に開墾された農民の保有地。農民は領主に対して貢納や森林固有の奉仕義務を負う。

御料林フーフェ農(forsthuber)
 御料林フーフェの保有農民という意味のほかに、御料林における裁判集会の参審員を意味する場合もある。

裁判集会 (ding. geding, jahrgeding)

 一年に1-数回定期的に開催される村民の裁判集会で、下級裁判所の機能をはたす

裁判所廷吏(gerichtsbote, zender)
 裁判所の下級役人、しばしば警察官の役割をはたす

裁判長(richter, meier)
 裁判集会(ding)を指揮する裁判官であるが、みずから判決をおこなうことはなく、参審員の指示(weistum)にゆだねる。

参審員(scheffen)
 村民のなかから選ばれ、下級裁判所で慣習法の指示(wesitum)をおこなう陪席判事

市長・村長(schultheis)
 領邦君主によって任命された都市または村落の司法・行政官で、都市では行政機関としての都市参事会(rat)の指導者。ただし、トリーアには市民から選ばれた市長(bürgermeister)も同時に存在した。

狩猟区フーフェ
 領主の御料林に、領主の狩猟に奉仕する農民が保有する土地であり、上述の御料林フーフェと同じような性格をもつ。

荘園(hof)

 土地領主(grundherr)の支配権のもとにある土地と農業経営 

荘官(hofmeier)
 土地領主のもとで荘園の農民を管理する役人

荘園使用人(hofmann)
 荘園とその経営に直接雇用される荘園領主直属の使用人

上級裁判所(hochgericht)
 領邦国家の君主が裁判権を有し、主に殺人、傷害などの重い刑事犯を裁く裁判所

贖罪金(busse)  
 不法行為に対して科された罰金

村民(gemeine)
 村落共同体の構成員として裁判集会の参加義務を負う

代官(vogt)
 領邦君主の代理人として、軍事力にもとづく領域の治安と裁判権の行使を認められた裁判官であり、とくに教会領では領域保護と治安の報酬として地代や贖罪金の一部を認められ、事実上の裁判領主権を享受した。

代官所 (vogtei)
 代官の役所とその管轄区

地方官(amtman)
  領邦君主によって任命された地方行政区(amt)の長

地方行政区(amt)
 領邦国家の地方統治機関であり、数か村から数十か村の村落が含まれる

都市裁判所(oberhof)
 トリーア大司教領ではトリーアとコブレンツの両都市に都市裁判所が設けられ、下級裁判所ではあったが、村落裁判所から区別され、高い地位を認められた。

土地領主(grundherr)
 農民の土地に対する支配権にもとづいて、賦役や地代を課す権利をもつ貴族、教会、修道院

罰令領主(bannherr)
 罰令権、裁判権を有する裁判領主



6. バイエルンの『エーハフテン』の基本用語


 ライン川流域の『ヴァイステューマー』は、バイエルンでは『エーハフテン』(ehaften)または『エフヌンゲン』(öffnungen)と呼ばれるが、いずれも、裁判集会における法の告示を意味する。バイエルンの裁判制度は、ライン川流域との共通点も多いが、異なるところもある。裁判所が上級裁判所と下級裁判所とに分かれる点は、両地域に共通しており、村落裁判所は基本的に下級裁判所に属する。バイエルンの特徴は、村落単位の裁判所が少なく、聖俗の土地領主が下級裁判権を有する「領主裁判管区」(hofmark)ごとに下級裁判所が設置されており、これが下級裁判所の主要な形態をなすということである。それだけ、裁判に対する土地領主の影響力が強いといってよい。「領主裁判管区」は、土地領主が領邦権力から自由に下級裁判権を行使しうる領域という意味で、近代東ドイツ農村地帯で農場領主がもっていた「農場管区」(Gutsbezirk)に似ている。またライン川流域の『ヴァイステューマー』の主役をなす「参審員」は、バイエルンの「領主裁判管区」ではあまり見いだせない。「参審員」にかわって裁判で重要な役割を演じるのは、「四人衆」あるいは「六人衆」と呼ばれる人たちであり、彼らは農民の互選によって任命された事実上の参審員とみなされるが、彼らが領主からどれほど自由に裁判をなしえたかは、必ずしも明確ではない。ライン川流域の『ヴァイステューマー』の「参審員」と比べて、その権利は領主によって制約されていたのではないかとおもわれる。
 バイエルンの「領主裁判管区」における裁判集会は、しばしば農民の「納税集会」と重なっていた。毎年ミカエルの日(9月29日)の頃に開催される領主への貨幣地代納入のための集会は「納税集会」(stift)と呼ばれ、管区の全農民が召集され、そこで裁判もおこなわれた。土地領主による農民に対する土地支配権が、領主裁判権と結合していたことがうかがわれる。また、領主による農民の土地支配権の強さは、「任意土地保有」(freistift)の存在にも見いだされる。「任意土地保有」とは、領主が任意に農民の土地保有権を授受しうる不定期の土地保有であり、農民の強固で安定した保有権が認められた世襲土地保有や永代土地保有とは著しく異なる。農民にとって不利なそうした土地保有権は、ライン川流域の『ヴァイステューマー』地域には認められない。こうした諸点で、バイエルンとライン川流域とは異なる。


エーハフト(ehaft)
 ライン川流域のヴァイストゥームの同義語で、一般には裁判集会における法の告示を意味するが、法や裁判集会を意味することもある。

エフヌング(Öffnung)
 「エーハフト」とほぼ同じ意味で使われることが多い。

裁判集会 (bauding, taiding)
 村落または領主裁判管区の村民が参加する裁判集会。

死亡税 (besthaupt, todesfall)
 農民が死亡したとき、その後継者が彼の保有地を相続する場合に領主に相続税として最良の家畜を納める義務を負う。

村落四人衆 (dorfvierer, viermann)
 4名からなる村落共同体の役員

村落六人衆
 6名からなる村落共同体の役員

代官 (vogt)
 とくに教会・修道院領において、武力をもたない聖職者にかわって領域の防衛と統治を代行する任務を負った役人。

地方官 (pfleger) 
 領邦国家の地方行政区の区長として、多くの場合行政と裁判の両者を掌握する。

地方行政区(landgericht)
 領邦の基本的地方行政および裁判管区

地方裁判官 (landrichter) 
 領邦の地方行政区の裁判所の裁判官で、上級裁判権を行使する権限を認められている。地方行政官との兼任も少なくないが、行政官とは独立した裁判官の場合もある。

上級裁判権 (obergerichtsbarkeit) 
 とくに殺人、窃盗、強姦など重大刑事犯罪を裁く裁判所の権限。これをもつのは領邦の地方行政区の地方裁判所と貴族または教会の「伯領」の裁判所である。

任意保有地 (freistift) 
 世襲保有地や定期保有地と異なり、領主が任意に土地保有者を交替させることができる不定期の農民保有地。

納税集会 (stift) 
 毎年ミカエルの日(9月29日)の頃に開催される領主への貨幣地代納入のための集会。村落裁判集会を兼ねる場合も多い。

伯領 (grafschaft) 
 カロリング時代の裁判領主としての「伯」(グラーフ)の裁判領域が、中世後期にも形式的に残され、領邦において上級裁判権を認められた領域として各地に存在していた。

領主裁判管区 (hofmark) 
 土地領主としての貴族または聖職者が下級裁判権を行使しうる裁判領域。荘園裁判所の一種とみなすことができる。





7. 低地ドイツ語圏の『ヴァイステューマー』の基本用語


低地ドイツ語圏の『ヴァイステューマー』はライン流域を中心とする高地ドイツ語圏と一部共通する部分もあるが、かなり異なった性格をもつ。ライン流域と同じ「ヴァイステューマー」と呼ばれる裁判集会は少なく、とくに、「マルク」といわれる共同用益地における「森林裁判集会」が多くを占めるだけでなく、数十ヶ村を含む広域の裁判集会もかなり多く、これは「郷裁判所」または「領域裁判所」と呼ばれ、ライン流域の裁判集会とは異なった性格を示す。このことは、低地ドイツ語圏の領主制や農村システムがライン川流域とは異なっていたことを示唆する。 

7-1 マルクと森林裁判集会

マルク (mark)
 一般に数ヶ村の住民が共同利用権をもつ入会地で、森林、放牧地、河川湖沼、原野などを含む。

マルク共同体 (markgenossenschaft)
 マルクの用益権をもつ荘園領主、マルク地主および一般農民によって構成される団体。マルク用益権は土地保有にもとづいており、土地保有者でない村民はマ ルク共同体の一員になることができない。

森林裁判集会 (holting)
 ヴァイストゥームの一種で、一般にマルク用益権をもつ数ヶ村の村民からなるマルク共同体によって開催される裁判集会である。

森林裁判官 (holzgraf)
 森林裁判集会の裁判官。裁判を指揮する資格をもつが、判決をくだす権限を認められているわけではなく、判決はマルク共同体員の審理にゆだねられる。

森林裁判官補佐(holzrichter)
 森林裁判官の補佐。

マルク管理人、森林役人 (mallleute, holzgeschworen)
 森林裁判官のもとで、マルクおよび森林の管理を担当する裁判所吏員または役人。

マルク地主 (erbexen)
 とくにヴェストファーレンのマルク共同体における古来の自由土地所有者とみなされており、貴族、農民いずれの身分に属するかにかかわりなく、マルクにおいて特権的地位を享受し、一般農民より多くの用益権を認められて いる。 

7-2  土地利用

エッシュ (esch)

 一圃制の開放耕地。原野より芝土を肥料として搬入することにより、休閑することなく毎年ライ麦を収穫することができる。

カンプ (kamp)
 森林原野のなかに開墾された囲い込み農地で、外畑の一種

高燥地 (geest)
 西北ドイツの北海沿岸地帯でやや内陸に位置し、乾燥した砂地の丘陵地で、エッシュにおけるライ麦耕作が可能である

森林開拓村 (または森林フーフェ) (waldhufe, hegergut)

 領主のもとで計画的に森林に開墾された集落で、規則正しい定住形態をなす

ハイデ (heide)
 耕作不可能な原野ではあるものの、家畜放牧、エッシュの肥料として利用する芝土採取がおこなわれる。森林の乱伐によって広がったといわれる

マルシュ (marsch)
 北海沿岸の低湿地。北海沿岸とエルベ川、ヴェーザー川等の河口周辺の低地は常に水害の危険があり、堤防工事と干拓、排水と運河建設によって水害を防ぎ、農地の確保につとめた。

7-3 各種裁判集会

荘園裁判集会 (hofrecht, hausgenossen, meierding)
 
荘園領主を裁判領主として荘園単位で定期的に開催される裁判集会
 
郷裁判集会 (gaugericht, goding)
 多数の教区、村落を含む広域裁判集会

自由民裁判集会 (freiding, freiengericht)
 多くの農民は人身の自由を制限された不自由民であったが、一部の農民は自由民として自由民裁判集会を構成した。

森林開拓農(または森林フーフェ農)裁判集会 (Hegerding)
 領主のもとで計画的に開墾された森林の農地を保有する自由農民たちの裁判集会

8. 低地ドイツ語圏の『ヴァイステューマー』の種類


低地ドイツ語圏の『ヴァイステューマー』に掲載された法史料は多種類におよび、それぞれ異なった性格をもつようにおもわれる。ヴェストファーレンとニーダーザクセンの間にも、次表のように史料の種類と表題の違いが見られる。
 その特徴を挙げると、
 1)森林とマルクにかんする史料が最も多い
 2)村落ではなく荘園を単位とする史料が比較的多い
 3)広域の裁判管区(伯爵支配領や郷など)の史料も少なくない
 4)「ヴァイストゥーム」という表題の史料はとくにニーダーザクセンでは皆無である
ここから、ヴェストファーレンの一部は高地ドイツ語圏の『ヴァイステューマー』との共通性も感じられるが、ライン川から遠ざかるにつれ、低地ドイツ語圏独特の性格が強くなっていくようにおもわれる。
 

種類 史料の表題 ヴェストファーレン ニーダーザクセン   小 計
森林・マルク Holting 11 28 39 51
Mark 12 12  
荘園 Hofrecht 12 1 13 22
Hausgenossen 6 6
Meierding 3 3
郷・領域 Landrecht 4 3 7 16
Gaugericht. Goding 3 3 6
Vogteiding 3 3
ヴァイストゥーム Weistum 13 13 13
森林開拓地 Hegerding 1 3 4 4
自由民 Freiding 1 3 4 4
その他・不明 その他・不明 26 16 42 42
89 63 152 152
 



 

9. 他地域との比較のために ― とくに北海沿岸の村法   

 「4.『ヴァイステューマー』の地域分布」の項で指摘したように、『ヴァイステューマー』は東ドイツには欠如し、西ドイツでも北海・バルト海沿岸地帯にもほとんどない。だが、これらの地域に似たような村落法の記録がないわけではない。ここでは、そうした例として17-18世紀の北海沿岸のオルデンブルク、オストフリースラントの村落法を、『ヴァイステューマー』と比較するために、掲載する。これらが、その形式、内容とも『ヴァイステューマー』とかなり異なることは、一目瞭然である。
 1)形式の違い
『ヴァイステューマー』は裁判長の問いかけに対して、参審員が答えるという問答形式をとるが、北海沿岸の村法は、箇条書きの制定法の形式をとり、近代の成文法の形式に近い性格をもつ。これは、一つの理由として、両者が作成された時代によるものかもしれない。『ヴァイステューマー』の方が北海沿岸の村法より、はるかに早く作成されたからである。
 2)内容の違い
『ヴァイステューマー』は主として領主支配のもとでの農民の権利と義務を記しているのに対して、北海沿岸の村法は、領主支配から相対的に独立した農民共同体内部の規律を定めている。北海沿岸の村法の方が新しくはあるが、農民本来の慣行に忠実であるといってよい。その意味で、『ヴァイステューマー』は北海沿岸の村法よりも、上からの強制のもとでつくられた「官製的性格」の濃い史料であるといってよい。

 

 9-1 オルデンブルク

オルデンブルクでは村法は一般に「バウアーブリーフ」(Bauerbrief)と呼ばれ、「バウアー」は村、「ブリーフ」は法令の意味である。


  9-1-1 アルゼ Alse(1742年)


(出典:Staatsarchiv Oldenburg Best 24-1 Orte Alse, 1742 Feb. 22
 アルゼ村は堤防で守られた干拓地である)

神聖かつ賞賛すべき三位一体の名において

 アルゼの全農民によって次のような申し合わせがなされた。すなわち、 古い村法は廃止され、すべての点で間違いがあってはならな いので、新しい村法を定め、そのなかに含まれていた条項を踏襲し、維持することになり、これについて慈悲深い当局にしかるべき申請を おこなったうえで、神の名において次のような文言から始めることとする。
     
 1.
 日曜日と祝日はいかなる者も敬虔でなければならず、許されざる労働をおこなってはならない。誰もが子どもと使用人をつれて真面目に教会に通い、 祈祷日には必ずどの家からも少なくとも1名が出席すべきであり、その日と他の祭日を罵りその他の罪悪で穢したり、悪しき見本を示す者は24グローテの罰金を科される。
 2.
 説教中にうろついて誠実な人々から子どもまたは使用人を奪おうとして、金銭を工面して自分の所へ連れてきた者は、謝罪ではすまされない違反として1 ライヒスターラーを納めるべきであり、同じような事情で他人の使用人 を奪う者も同額を納めるべきである。
  3.
 結婚して両親から財産を譲渡された者は、貧富にかかわりなく、男性相続人の場合48グローテを納め、女性相続人が婿とりをしたら、同じく48 グローテを納めるべきである。
 4.
 当村に自分の住宅を買う者は、既に人が住んでいたか、新たに入居するかにかかわりなく、当村生まれの場合24グローテ、他村からの転入者の場合36グローテを納めなければならない。
 5.
 当村全体で村民にことわりなく小屋住みを住まわせたり受け入れたりしてはならない。違反した場合は罰としてビール1樽を科され、ただちに退去させるべきである。
  6.
 他村から当村へ家を求め、他人を連れて村の了解のもとに入居する者は、24グローテを納めるべきだが、当村に生まれ、村内である家から他の家へ引っ越す者は、3グローテを納めるべきである。
 7.
 いかなる者も道路や橋、その他村内の場所に来るように通告されたら、定刻にきめられた場所にあらわれるか、他人をつうじて断るべきであり、これに違反すれば6グローテの罰金を科される。
 8.
 村の誰かが貧富にかかわりなく何かを盗まれ、家宅捜索をおこなうのが望ましいか、被害者がそれを望めば、いかなる戸主もこれに同行すべきであり、違反すれが罰金36グローテを科される。彼が自分の家の捜索を拒めば、ビール1樽を罰として科されるべきだが、わが領主の刑罰の可能性が残される。
 9.
 他人の穀物を切り取り、あるいは豆を折り取り、それらを踏みつぶし、積んだわら束から多くを引き抜き、わら束を持ち去るのを発見された者がいれば、彼によってなされた損害について村に届け出がなされるべきであり、 あるいはそれが他人によって目撃された場合、目撃者はこれを村民に知らせ るべきであり、村内で犯罪をおかした犯人はビール半樽を納め るべきであるとともに、わが領主の刑罰の可能性が残される。
 10.
 ある者が隣人の庭、木または柵や垣根を故意にこわし、損傷しようとするのが発覚した場合、それを目撃されるか、証言されれば、彼は1ライヒス ターラーを科されるべきである。しかし他人がこれを目撃していなくとも、 彼が申告しない場合は、彼はその半分を納めるべきである。
 11.
 夜陰にまぎれて、あるいは盗人のように、他人の雌牛の牛乳を搾る不埒な行為をする者は、1ライヒスターラーを科され、村から追放されるべきである。ただし、領主による刑罰または当局の命令の可能性が残される。
 12.
 他の誠実な人々を中傷誹謗したことが証明されたら、男女にかかわりなく毎回36グローテの罰金を村で科される。ただし、領主による刑罰の可能性が残される。
  13.
 いかなる者も村にことわりなく公道を掘り返して狭めたり、その近辺に堆肥を撒いて通行できなくする権限をもたず、また村道を掘り返してその穴を埋めても、36グローテの罰金が科される。
 14.
 公道と村道にはさまざまなものがあるので、村長の承諾がなければそのままにすべきであるが、そこにあるものが取りさられて、家畜所有者が 故意にそこに放牧するなら、罰金24グローテを科されるべきであり、 村長は金額を計算して、村の最善のために使うべきである。
 15.
 村長が道路をつくることを公示したら、誰もが6日以内に参加すべきであり、これをおろそかにした違反者は18グローテを科される。
 16.
 同じく教会の橋は公示後3日以内に設置され、柵とロープも取り付け、その期間の終了後に村長が検査して、橋の不備には12グローテ、柵の不備には9 グローテ、ロープの不備には4グローテの罰金を科 し、堅牢なものに取り替えるように命じるべきである。村に柵とロープが 必要となるたびに、設置がなされるべきである。
 17.
 他の教会の橋や柵を取り去るのを目撃され、泥棒のように盗んだ者は、村に36グローテの罰金を科されるべきである。ただし、当局に引き渡さ れて懲罰をうける可能性が残される。



  9-1-2 ブールハーフェ管区の警察・村落令
  Polizey und Bauerordnung der Vogtey Burhave (1758年)



(出典:Staatsarchiv Oldenburg Best 24-1 Orte, Burhave 1758.
 ブールハーフェは北海沿岸の低湿地帯の管区で、この法令は管区全体の村々に共通する)


末尾に署名したわれわれブールハーフェ代官所管区住民は、良き秩序と風紀の維持のために次のような条項を、不変の警察および代官所管区・村落令としてうけいれ、断固としてそれを守る義務を負うこと告知する。

 第1条
 いかなる住民もキリスト教徒としての名誉ある道徳的生活態度を心がけ、真のキリスト教徒、従順な臣民、誠実な夫婦、善良で穏和な家父長、平和を愛し社交的な隣人だという評判を、下男ともども得られるように振る舞うべきである。
 第2条
 村で家から家へと輪番でめぐってくる村役人の任務は、農民とともに小屋住みまたは借家人もひきうけ、老いた貧しい人々と寡婦は代官所吏員と同じく、意志に反してその任務を負わされることはなく、任期は1年以下であり、毎年ペト ロの日(6月29日)の前の金曜日に交替し、毎回この警察・村落令がゆっくりと朗読される。
 第3条
 村役人の任務についている年は、彼はあらゆる村落作業または領邦賦役を免除されるが、必要に応じてその義務を負い、村が通常の方法で告知する。
 第4条
 領邦法令第1条と第2条の基準にしたがって適正に合法と認められ、官吏の証明書の交付によって証明がなされる以前に、いかなる者も住民の同意なしには村に受け入れてはならない。これに反して、よそ者と見知らぬ者、あるいは 教区または村落に属さず将来十分な資産をもつ見込みのない人物を受け入れようと する者は、慈悲深い領主への罰金のほかに、村に1ライヒスターラーを納めると ともに、そうした人々が発病したり死亡して、自分の資金では生活できず、埋葬されるような場合は、彼らの扶助と埋葬をおこない、さらに遺族を扶養する義務も負う。
 第5条
 村落に新たに住居を得る者は、村の金庫に次のような料金を支払うべきである。
40ユック超の土地所有農民  1 ライヒスターラー
30 ユックの所有農民  60 グローテ
20 ユックの所有農民  54 グローテ
10 ユックの所有農民  36 グローテ
家と若干の土地の所有者  24 グローテ
家と菜園の所有者   12 グローテ
3年間40ユックの借地農   72 グローテ
30ユックの借地農  48 グローテ
20ユックの借地農  36 グローテ
10ユックの借地農  24 グローテ
家と若干の土地の借地農  18 グローテ
家と菜園の借地農   9-18グローテ (借地人の財産による)
借家人       6 グローテ
 第6条
 他の地区から転入してきた者が、当地で死亡し、自分では生活できない未成年の子どもを残したら、村落は彼の出身地または教区の近親者に送還することができ、近親者がいなければ、いかなる教区もその貧民を扶助しなければならないと いう法令にしたがって、教会役員に送還することができる。
 第7条
 男女を問わず卑しむべき者やふしだらな娼婦は役人と村の承諾なしに受け入れてはならない。問題のない物乞いを1晩以上宿泊させたら、村の金庫に罰金1タ ーラーを納めるべきであり、いかがわしい者は村から追放されるべきである。
 第8条
 村民が君主の勅令にそむいて日曜日と祝日に粗野な仕事をおこなうことは許されるべきではなく、男女ともに届け出の義務を負うことを心得るべきであり、違反者は村の金庫に12グローテを納める。
 第9条
 至高の神が容赦することなく村の誰かに火災をひきおこしたら、最初に非常事態を知った者は、ただちに村役人に通報し、村役人は全村に知らせ、どの家からも1人以上が二つの手桶をもち、火事場にかけつけ、消火に勤め、鳶口も持参し て、その火事を消すためにできるかぎりのことをすべきである。近隣村落の住民 も消火に加わる義務を少なからず負ってはいるが、火災が起きた村落の住民は最 も困難な作業をなすべきである。
 この場合怠慢で反抗的な態度をとるか、忌避さえする者は、その冷酷に対して36グローテの罰金を村の金庫に納めるべきである。村役人は、万全を尽くして、誰もが責任をはたし、違反者は告発されてしかるべき罰をうけるように、細心 の注意をはらうべきである。
 第10条
 何らかの窃盗が起き、それについて情報をもつ者は、男女いずれも、ただ ちに村役人に知らせるべきであり、彼らは怠りなく家宅捜索をおこない、適切に捜索を続けるべきである。その際いかなる戸主もみずから同行するか、代理人を 立て、盗まれたものをさがすことに努めるべきである。協力しない者、さからっ たり、いいかげんな態度をとる者は、村の金庫に18グローテを支払うべきである。 しかし当村以外の他の村では、あらかじめその村の村役人に捜索を求める申告を して、許可を得なければ、家宅捜索をおこなってはならない。とはいえ、盗まれ た者が当村と他村で申告した場合は、盗みの犯人を捕らえて罰するように家宅捜 索にあらゆる支援をおこなう。
 現行犯で捕らえられた者は、村の金庫に2ターラーを払い、ひき続き村内にと どまることは許されない。
 いずれにしても、村役人は家宅捜索の終了後ただちに国王官吏に詳しい報告をおこない、その後の指示を待つ義務を負う。
 第11条
 不作が起きるたびに、子どもや奉公人は両親や領主にとって不利益となるような行為の誘惑にかられ、あるいは詐欺によって、若者や使用人が盗みや悪事にそそのかされる。したがって、そうした許されない誘惑や詐欺の罪をおかし、それ によって多少とも着服し、あるいはそれに加担する者は、刑罰のために躊躇なく 当局に告発され、その犯罪が法的に証明され有罪判決をうければ、村の金庫に罰 金2ライヒスターラーを納めるべきである。
 第12条
 夜間などに他人の雌牛の乳をしぼったり、他人の作物や牧草をわざとひそかに家畜に食べさせたり、他人の羊やガチョウを盗んだりする者は、当局によって有罪とみなされ罰金をいいわたされたら、村の金庫に罰金として2ライヒ スターラーを納めるべきである。
 畑に生育しているか、束ねられている隣人の作物をひそかにとり、同じく菜園から果物や野菜をもちさる者は、盗人と同じ扱いをうけるべきである。
 第13条
 下男または下女は主人の了解なしに夜間外出してはならない。そうしたことが証明されれば、村の金庫に24グローテを罰金として科される。
 第14条
 他人のもとへ奉公に出る者は、たとえ給金を受けとってなくても、規定の時刻に雇主のもとへ奉公に行く義務を負い、奉公できないか、奉公したくない場合は、役立つ人物を自分の代役とするか、あるいはうけとった給金を弁償するとともに 年給額の半分を支払う義務を負う。
 第15条
 道、掛け橋、水道、橋が村によって維持されなければならず、村役人が損害の責任を負いたくなければ、彼は注意深く見守り、天候が許せばただちに正常に復旧し、道路を適切に整え、毎年聖ミカエルの日(9月29日)に橋の欄干 を丈夫なものに取り換え、老人もや障害者、また妊婦や子どもも安全に教会と学 校に行けるように、また牧師が病人の所へ来られるようにすべきである。
 第16条
 道路や橋の修理のために、いかなる要請であれ村役人の告示に応じて、いかなる家族からも(借家人が兵士の場合も含む)子どもを除いてそうした仕事に役立つ者が、必要な道具を持参し、村役人または道路監督の指示にしたがい、仕 事をおこない、また道路を掃除し、石を敷くべきである。役立つ働き手を送らな いか、欠席または遅刻する者は、村の金庫に12グローテの罰金を納め、村役人の 指示にしたがい、かわりの日に彼の勤めをはたさなければならない。他の村民が そうした労働を一緒にやってくれなければ、その労働が多くても少なくても、彼 は甘んじてそれをうけなければならない。また土地所有者も、とくにその借家人 が兵士の場合、彼らに対する要請が必要となる。


  9-1-3 アプゼン Absen (1728年)

 (出典:Staatsarchiv Oldenburg Best 24-1 Orte Absen 1728
  アプゼンはウェーザー川の河口付近の低湿地村落である)



1.
 日曜および祝日は神聖であり、仕事をしてはならない。これに違反する者は罰金24 グローテ
2.
  教会と神を冒涜してはならない。初犯は罰金12 グローテ、再犯は罰金24グローテ、三犯は36グローテ。
3.
 説教中にひそかに真面目な人の奉公人や子どもを自分の許へ来させ、他人の奉公人を奪う者は、1ライヒスターラーの罰金
4.
 他人の畑の穀物や作物を取った者は、所有者に損害を賠償すべきであるetc.。
5.
  公道に勝手に溝を掘って狭めたり、堆肥を置いたりした者は罰金36 グローテ
6.
 公道に勝手に家畜を放し飼いにして、村役人に断りなく、草を食べさせる者は毎回18-36 グローテの罰金。
7.
 村役人が道路をつくることを公示したら、誰も4日以内にその義務 をはたしに行かなければならない。これに違反した者は最大18 グローテ、普通で12グローテ、最低でも6グローテの罰金。
8.
 同じく教会の掛け橋も公示後3日以内につくり、適時に良い柵とロープ を 取り付けなければならない。
9.
 他の教会掛け橋または柵を取って、泥棒のように盗む者は、1 ライヒスターラーの罰金。
10.
 村の誰かが死んだら、その埋葬にどの家からも一人以上が行かなければならない。
11.
 村の貧民が死んだら、棺桶を支給して墓地まで埋葬に行くべきである。
12.
  両親がその息子であれ娘であれ、子どもに世帯を譲り、村外から男を迎えた場合は1 ライヒスターラー、女を迎えた場合は36グローテを支払う。だが、両人 とも村内で生まれた者であれば、上記の半額に減額する
13.
 他村の者が当村に宅地を買い、あるいはそこに自宅を建て、村法を受け入れようとする者は1 樽のビールを村に贈り、小屋住みの場合は36グローテを贈るものとするが、村内に生まれた者はその半額でよい
14.
 借地農が外部から移住してきた場合、12 頭を超えるめ牛をもっていれば1 ライヒスターラー、12頭以下であれば54グローテ、ごくわずかしか持たなけれ ば36グローテ、また人間一人につき18グローテを支払う。
15.
 村内で引越し、住居を変更する者は、12頭を超えるめ牛には54 グローテ、 それ以下には24 グローテ.、ごくわずかであれば12 グローテ、各人につき6 グ ローテを支払う。だが、教会から扶助をうける者は、これを免除される。
16.
 見知らぬ借家人を受け入れたり、3夜を超えて宿泊させたりしてはならない。 その場合、彼の名誉ある出自と品行方正を村役人に示し、当局の認可をうけた場合には、1ライヒスターラーの科料を支払うべきである。同じく誰も公娼に挨拶し たり、泊めたりしてはならず、違反した場合同額の罰金を科す。
17.
 農民が収穫時に小屋住みの労働を最も必要として、他所へ働きに行かない ように一日前に通告してあるのに、これに違反した場合は12 グローテの罰金。


  9-1-4  ベックム Bekkum (1716年)

(出典:R. G. H. Heye, Geschichte der Gemeinde Rodenkirchen, Nordenhamm 1968. 著作権を考慮して、抄訳にとどめる)


1.
敬虔な生活をおくり、日曜、祝日には働いてはならない。
2.
説教中にひそかに真面目な人の奉公人や子どもをねらって、自分の許へ来させ る者は、1 ライヒスターラーの罰金。
3.
他人の畑の穀物や作物を取った犯人は、村に1/2 ライヒスターラーの罰金の後、村より追放され、領主の刑罰もうける可能性あり。
4.
公道に勝手に溝を掘って狭めたり、堆肥を置いたりした者は罰金1/2 ライヒスターラー。
5.
今後、村の公道に家畜を勝手に放牧してはならず、前もって村長に申し込んで、一定の料金を納めなければならない。勝手に放牧したら、ただちに家畜の差し押さえをおこなう。
6.
村長が道路工事の告示をおこなったら、誰も3日以内に参加しな ければならない。これに違反した者は、最大18グローテ、中間で12 グローテ最小で6 グローテの 罰金。
7.
同じく教会の架け橋も告示後3日以内に設置し、柵とロープを取り付け、これ に違反したら12 グローテの罰金、また柵を取り付けないと9 グローテ、ロープを取り付けないと2 グローテの罰金。
8.
他人の架け橋や柵を盗った者は、36 グローテの罰金のほか、当局の刑罰をうけ  る。
9.
村人が死んだら、どの家からも弔いに行くべし。違反したら罰金6 グローテ。
10.
真面目に暮らしていた貧民が死んだら、村で埋葬し、棺桶を支給する。
11.
両親がその息子であれ娘であれ、子どもに世帯を譲り、村外から男を迎えた場合は1 ライヒスターラー、女を迎えた場合は36 グローテを支払う。だが、両人とも村内で生まれた者であれば、上記の半額に減額する。
12.
村外から来て、村に住宅地を買い、そこに家を建てるか買い、村の法を受け入れようとする者は1 樽のビールを村に贈り、小屋住みの場合は36グローテを贈るものとするが、村内に生まれた者はその半額でよい。
13.
借地農が外部から移住してきた場合、12 頭を超えるめ牛をもっていれば1 ライヒスターラー、12頭以下であれば36 グローテ、ごくわずかしか持たなければ18 グローテ、また人間一人につき18 グローテを支払う。
14.
村内で引越し、住居を変更する者は、12頭を超えるめ牛には54 グローテ、それ以下には27 グローテ、ごくわずかであれば12 グローテ、各人につき6 グローテを支払う。だが、救貧金庫から援助をうける者は、これを免除される。
15.
見知らぬ借家人を受け入れたり、3夜を超えて宿泊させたりしてはならない。 その場合、彼の名誉ある出自と品行方正を村長に示し、当局の 認可を得た後に、2 ライヒスターラーの科料を支払うべし。
16.
農民が収穫時に小屋住みの労働を最も必要として、他所へ働きに行かないように一日前に通告してあるのに、これに違反した場合は12 グローテの罰金。
17.
緊急の問題で集会を招集したとき、戸主が不在のため、代理として子どもか下僕を出した場合は科料 6グローテ。村長が病気その他やむをえざる事情以外の理由で欠席したら、その倍額の罰金。
18.
村の告示を自分のもとにとどめて、次へ伝えなかった場合、罰金18 グローテ。
19.
村の宴会への出席者は各家から1人に限り、それを超えた場合6 グローテの罰金。
20.
宴会での喧嘩や悪罵の禁止等。
21.
宴会で喧嘩が起こって、村長によって不当と判断された側は1樽のビールをさしださなければならない。またかねてより他人に対してもっていた憎しみを宴会ではらそうとした者は二倍の罰金。
22.
誰も全村民の同意なしに外来の客人に宴会のビールをふるまってはならない。違反は罰金36 グローテ。
23.
杖を宴会に持ち込んではならず、外に置かなければならない。他人の杖をもちさったら、罰金36 グローテ。
24.
村内の誰かがものを盗まれ、当局に家宅捜索を要求した場合、どの家からも戸   主がこれに応じなければならず、これに違反したら36 グローテの罰金。家宅捜索を拒否した者は1 樽のビールを与えても、家宅捜索をおこなわせなければならない。
25.
夜分に他人のめ牛の乳を盗む者は1ライヒスターラーの罰金のうえ、追放される。また当局の刑罰もうける。
26.
隣人の庭、樹木、垣根を勝手に壊した者は1 ライヒスターラーの罰金。ただし、目撃者が届け出ない場合はその半額の罰金。
27.
耕地の犂耕と播種の時期にガチョウ、アヒル、ニワトリを放し飼いにしたら、罰金18 グローテ。
28.
村財政の計算後14日で負債を清算しなければならない。これに違反した場 合、村長はただちに差し押さえをおこなうことができる。差し押さえを拒否したら、1 樽のビールを科されたうえ、全村で差し押さえを執行される。
29.
窃盗を見つけられたら罰金として1樽のビールを科されたうえ、追放される。また当局による刑罰もありうる。
30.
村財政による防火用鳶口の購入。どの戸長もアイスハーケンの良好な保守管理をしなければ、罰金12 グローテ。火災のときただちに消火に来なければ罰金1 ライヒスターラー。
31.
防火をおろそかにする者は罰金1 ライヒスターラーまたは36 グローテ等。
32.
毎年聖ペトロの日にビールを飲んで、村の問題を話しあう。欠席は罰金1 ライヒスターラー。
33.
村長はこれらの条項を遵守すべし。


 9-2 オストフリースラント

オストフリースラントでは村法は「ヴィルキューア」(Willkür)または「ロレ」(Rolle)と呼ばれることが多く、「ヴィルキューア」は自治都市の法令と同様な自治法、「ロレ」は規約を意味する。以下の出典は、Ostfriesische Bauerrechte, hrsg. von Wilhelm Ebel, Aurich 1964.著作権を考慮して、抄訳にとどめる

  9-2-1 オルデンドルフ  Oldendorf (1600年)

  
次の条項に反した者は、いずれも領主に5グルデン、村にビール1樽を納めなければならない。

1.村の承諾なしに小屋住みを住まわせたり雇ったりしてはならない。
2.高台にある屋敷地の破損を放置してはならない。
3.小屋住みは村の承認なしに芝土と泥炭を採掘してはならない。
4.家畜を村の作物から遠ざけなければならない。
5.村の承認のない家畜取引をおこなってはならない。
6.公共の橋と道路を共同で維持管理すべきである。
7.村が所有する種牛の管理人は適宜種牛を引き渡すべきである。
8.村と農民は小屋住みを苦しめてはならず、保護すべきである。
9.いかなる者も村に対して不遜な態度をとってはならない。
10.畑のある高燥地に馬や牡牛をつなぎ止めてはならない   



  9-2-2 ロッペルズーム Loppersum (1589年


1.
すべての商品はエムデン市の計量単位にしたがってはかられ、違反者は領主に5エムダー・グルデン、村役人に半グルデンの罰金。
2.
 パン屋もそのパンをエムデン市の計量単位にしたがって焼き、違反すれば懲罰として、牧師と貧民監督官により貧民にパンが配られる。
3.
飲食店主は、とくにヒンテ、ラレルトおよびクノッケなどの街道で、ワイン、外国産および国産ビールを小売りしてはならず、違反すれば10ゴールトグルデンの罰金、さらに売ったビールすべての代金が罰金として科される。再犯は3 樽のビールと10ゴールトグルデンの罰金、三犯は職務停止処分か、任意の懲罰をうける。
4.
村役人は街道、通路、掛け橋、ポンプ、橋、排水管、溝板および柵などを監視し、とくに五月祭と聖ヴィトゥスの日(6月15日)に、村民とともに道路を修理すべきである。これらの施設を損傷した者は罰金5シリングを科され、元の状態に戻すべきである。そうしない場合は、2倍の罰金を科され、さらに領主10ゴールトグルデンの罰金も科される。
5.
いかなる者もいかがわしい者を自分の屋敷や家または部屋に入れてはならず、彼らは身分証明書を村役人に提出すべきであり、違反には当局に罰金として10ゴールトグルデン、村には1樽のビールを科す。
6.
橋、排水管、垣根、屋敷の入り口、柵などをこわした者は、当局に10グルデン、村に1樽のビールを納め、傷つけたものを修復すべきである。
7.
鐘の音による合図があるまで、共同草地に家畜を放牧してはならず、違反は罰として1樽のビールを科される。またタレン草地には規定の放牧権を超える頭数の家畜を放牧してはならず、アドフェナント草地の放牧には最初の日に1/8樽のビールを納め るべきであり、そうしないと、翌日には当局に2倍の罰金を科される。
8.
 村役人は年1回、いかなる住民も武装をおこなったか点検すべきであり、十分な装備ができていない者がいれば、10ゴールトグルデンの罰金が科される。
9.
村の共同行動に参加しなければ、当局による厳罰をうける可能性がある。また、自分で耕作者が借地料を延滞すれば、その農地は村役人によって差し押さえられ、当局による厳罰の可能性がある。
10.
村役人はその教区で勤務し、古い習慣にしたがって活動し、80グラーゼン以上の土地をもつする完全農民によって選ばれる。
11.
 村役人は、降雨のときに共有地や草地に家畜の不必要な放牧をおこなったり立ち入ったりすることのないように見張るべきであり、違反者は罰金として1/8樽のビールを支払う。
12.
いかなる者も貧しい村民から若干の馬、羊または豚をうけとって放牧してはならない。村民が老朽化した排水管と道路の維持など村の共同施設負担のために収入を必要とする場合は、1-2頭の羊、1頭の牛か豚をひきうけてもよいが、1人あたり2頭の親羊とその子羊、1頭のめ牛または2頭の子牛より多くをひきうけてはならない。もっと多くひきうけたいなら、そのことを村に申しでれば、適正な賃金を稼ぐことも許される。
13.
いかなる者も村役人の許可なしに、馬を路上で飼ってはならない。路上の使用が村役人によって許可されれば、湿地や草地に損害を与えないという条件で、鶏を路上で飼うことが許されるが、違反には罰金が科される。
14.
 村役人がこれらの条項を遵守しなければ、わが領主と村によって2倍の罰金を科される。必要があれば、当局の助言によって、これらの条項は絶えず増加し改善すべきである。

エムデン市参事会の代官兼市長オッコー・フリーゼの押印
エムデン、1589年3月26日
  

  8-2-3 チルクヴェールム Cirkwehrum (1618年)

 
 1.
 村役人は道路、橋、排水管、ポンプなどを監視し、違反者には1ファーネのビール、再犯には2ファーネのビールを科し、3犯は取り押さえて領主の役人にひきわたし、刑罰を科すことができる。
 2.
 村役人はビールの重量と容量を監視し、容量が過少の場合は1樽のビールを貧民に配らせることができる。また重量ないし容量の過少が発覚したら、貧民のために違反者に1ライヒスターラーの罰金を科し、さらに1ファーネのビール代金を徴収すべきである。再犯の場合は、領主による懲罰権が留保される。
 3.
 共有地の道路に、2人の御者は彼らの馬4頭、困窮者はその家畜を放牧することができる。放牧の希望者は村に申し出た後、許可された者の名が教会の説教壇から発表される。ただし、聖ユルゲンの日以前に放牧してはならず、家畜を路上に放牧する場合、農地に損害を与えてはならない。違反者は放牧を禁止され、領主の役人に引き渡され、場合によっては罰せられる。
 4.
 いかなる者も墓地に家畜を入れてはならず、違反者は領主に5ゴールトグルデンを納め、村の貧民に5ゴールトグルデンを支払うべきである。さらに、居酒屋で村役人に1杯のビールをふるまうべきである。
 5.
 いかなる者も馬や家畜を村内で走行させて高台や垣根に損害を与えてはならず、違反者は1.5頭分の羊代金を救貧金庫に納め、村役人に1杯のビールをふるまうべきである。
 6.
 村役人が鐘を打ち鳴らしたら、いかなる者も墓地に出頭すべきであり、在宅していないか病気の場合は、下男か下女、あるいは子どもたちの1人を代理に送るべきである。これに違反した者は、1ファーネのビールを納めるべきである。
 7.
 村役人は年2回報酬をうけとり、1年に4グルデンをうけとるべきである。

 この規約をわれわれ官吏は村民の要請により正当と認めるが、わが伯爵と領主による法と正義の承認は留保される。
 エムデン、1618年4月21日

 代官 スコット・ベニンガ
 地方官 ヒンリクス・ベルラーゲ