第三十六話 火車 『茅窗漫録』下の巻より

  西国雲州薩州のあたり、又は東国にも間々あることであるが、葬送の時、にわかに大風雨が起こって、往来の人を吹き倒すように烈しくなり、葬棺を吹き上げて吹き飛ばすことがある。そのとき、守護する僧が数珠を投げつけると何事もないが、もしそうしなければ、葬棺が吹き飛ばされ、死体を失ってしまう。
 これを「火車につかまれた」といって、人々は大いに恐れ恥じた。言い伝えでは、その人が生涯に悪事を多くした罪により、地獄の火車が迎えに来ると考えられているからだ。後でその死体を引き裂き、山中の木の枝や、岩の上などに掛けて置かれることもある。(中略)
 「火車につかまれた」という現象は、日本にも中国にも多くあることであって、これは魍魎という獣のしわざである。罔両とも方良とも書く。(以下略)

 ほかにも火車の害を防ぐために方相氏が先触れをすること。罔両と河太郎、水虎が同じ獣であるという説などが書かれています。


第三十七話 心の鬼 『野乃舎随筆』より

 地獄で鬼たちが、罪人を責めていた。この罪人はたいそう強い者であったので、娑婆で犯した罪をすぐに白状しなかった。鬼たちは責めあぐねて、しばらく拷問を休んでいた。
 
 罪人が鬼たちの顔をつくづく見て、「私は娑婆で罪を犯したので、この地獄に堕ちたのは道理にあっているが、お前たちはどんな罪深さで、このようなところに居なさるのか?とても不思議なことだ。」と聞くと、赤鬼と青鬼は涙をはらはらと流して、「我々はあなたの子なのだ。」と答えた。

 罪人はますます不思議がって「私は娑婆で子を持たないで死んだ。それなのにわが子だというのは、どういうことか?」と言うと、「おわかりにならないのは大変残念だ。あなたが初めて罪を犯しなさったとき、鬼の頭が一つできあがり、その後罪を犯しなさったとき、体ができた。また罪を犯したときに、手足ができあがって、一匹二匹の鬼になったのです。その後たびたび罪を犯しなさったとき、三匹四匹と大勢の鬼が生まれました。皆あなたの罪から生まれた子供です。」と答えて、鬼たちは涙を流したという。

 地獄の鬼の誕生秘話が書かれています。人間の罪そのものから地獄の鬼が生まれたという説は説教臭いですが、なかなかおもしろいです。


第三十八話 霊ある石碑 『閑窗瑣談』より

 芝土器町五丁目善長寺という浄土宗の寺内に小さな堂がある。この小さな堂に口の中の痛みや、歯の痛みで悩んでいる人が願を掛けて祈ると、すぐに治ってしまうのだそうだ。

 どんな神様が祀られているのかと尋ねると、良樹院殿珊誉昌栄大禅定尼と記された霊位であって、寛永十一年甲寅年八月八日と彫った石塔である。これは世間に英雄の誉れ高い、備後福山の城主勝成朝臣の御内室於珊の方の霊位である。

 どうしてこの寺に中に石塔があるのかと尋ねた。

 元禄年中のこと、実誉という僧が諸国行脚をしていた。備後福山の城下に至ったのだが、その時、歯を煩って悩んでいた。城下の人が実誉に、「定福寺に領主の元祖日向君の内君於珊の方の石碑があります。これに願を掛ければ、口中の病はすぐに治ってしまいます。」と教えた。すぐに浄福寺へ詣って、その霊位に祈ったところ、たちどころに苦痛を忘れ、その後再発することもなかった。

 実誉はこれ以後於珊の方の霊験を尊んで、雲水行脚の後、晩年善長寺の住職をしたとき、かつて病難を除いていただいた恩に報いるため、寺中に良樹院の石碑を建立し、歯を煩う人を救おうとしたのだそうだ。

 於珊の方は、歯を病んで長い間お苦しみになり、いろいろな医療を尽くしたけれども効果なく、お亡くなりになるとき、近臣近藤氏に遺言されて、「私の死後に歯を病んで悩んでいる者がいたら、きっと私を祈らせなさい。私は生涯苦しんだので、その病から救ってあげよう。」とお誓いになったそうだ。その神霊が二百年後も効験を示しているのは、内君の念力が強いせいであろう。ありがたいことだ。

妖怪とはちょっと違うような気がしますがおもしろい話だったので紹介します。いわゆる人が神にまつられる事例ってやつでしょうか?


第三十九話 貧窮神の事 『耳嚢』巻之二より

 近頃牛天神の境内に社祠が出来た。「何の神を祀っているのですか」と尋ねたところ、なんと貧乏神の社なのだそうだ。その宮へ詣でて「貧乏を免れたい」と祈ると霊験があったとか。

 その起源を尋ねたところ、子細は次のようであった。

 牛天神と同じ小石川に住む御旗本が、代々貧乏で家計も苦しく思い通りにならなかったので、いつも苦労していた。

 その人はある年の暮れに貧乏神の絵を描き神酒・洗米などを捧げて祈った。

「私たちは数年来貧乏しています。何事も思い通りにならないのはしかたないですが、毎日の暮らしは貧しいながらも、別段それ以外の悩みごとはありません。これもひとえに尊神が私たちをお守りになっておられるからにちがいありません。数年私たちをお守りになっている神様なのですから、一社建立して尊神を崇敬いたします。ですから少しは貧窮をまぬがれ福分に預かれるようお守り下さい。」

と、小さな祠を屋敷の内に立てて朝夕祈ったところ、その御利益であろうか、少しは思い通りになるようなことも出来て福もあった。

 牛天神の別当であった人とかねてから親しかったのでその事を話し、「境内の隅へでも祠を移させていただきたいのですが」と相談したところ、別当も面白いことだと思って許諾したので、今は牛天神の境内にある。

 このことを聞き及んで貧乏な人はこの祠に詣でて祈ったのだそうだ。「敬して遠ざく」の類で面白いことなので、ここに記した。

第二回妖怪めぐりで訪れる太田神社のいわれです。貧乏神でも崇敬すれば福をもたらしてくれるという、いかにも日本的な考え方です。


第四〇話 形は昼のまね 『西鶴諸国はなし』巻四より

 浄瑠璃の太夫に、井上播磨という人がいた。様々なふしを語りだし、大勢の人に口まねさせていた。

 ある時の正月芝居で、一ノ谷の逆落としの合戦を浄瑠璃に仕立てて作った。人形も細工人が心を尽くしてこしらえ、役者も各々が魂を入れて演技をし、源平西東に分かれる大いくさの場面を描いたので、大阪中の人が見物し、長い間大流行だった。

 二月末のこと、明けても暮れても春雨が降り続き、小芝居の類まですべての芝居が中止になり、ものさびしい夜半には、千日寺の鐘の音や蛙の鳴き声以外には何も聞こえてこなかった。

 楽屋番の小兵衛・左右衛門が、木枕を並べ、灯火をかすかにして、うつらうつらしていると、突然人の足音が聞こえてきた。

 二人が様子を見ると、使いっぱなしになっていた人形たちが、声を出すことはないものの、そのまま人間のように立ち合い、たたき合い、食いつきあったりして、血煙がたって恐ろい様子だった。

 その後、西の方から越中の二郎兵衛と名付けた人形が出てくると、東からは佐藤次信の人形が出てきて、こちらは半時ばかりも斬り結んだ。両者は疲れて引き上げ、次信は腰かけて休み、二郎兵衛は庭に降りて、休息の水を飲んだが、その様子は舌の音までして、人と少しも異なるところがなかった。

 その後は敦盛の若衆人形にとりついたり、おやま人形にしなだれかかったり、いろいろなことが起こるので、当初の怖さがやんで、面白くなってきた。一晩中二郎兵衛の人形は駆け回っていたが、明け方には動かなくなった。

 楽屋番の二人は驚いて、太夫の元に行きこの話を語ったところ、四蔵という年配の道化役の人形遣いが少しも騒がず、「昔から、同じように人形同士が食い合ったりすることはよくあります。それにしても、水を飲んだというのは不思議なことです。」と語った。

 明くる日、木戸番や札売たちも動員して大勢で様子を見たところ、年を経た狸たちが床下から飛び出して、今宮の松原へ逃げていったという。

人形が夜中に動き出し、人形が化けたのかと思ったら、正体は狸のいたずら(?)だったという話。オチがない方が良かったかも。


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