第二十六話 僧天狗となりし事 『新説百物語』三巻より

 江州に智源という僧がいた。また、そこへ毎日毎日話をしにやってくる二十二、三才の若い僧、光党という者がいた。

 ある時、光党が智源に「長い間親しくしていただいたのに、残念なことですが、私も少々望みがあって遠国へ行くことになりました。ただ今までのよしみで、お望みの品があれば何なりとお聞きしましょう。」ときりだした。

 智源は「年もとっておりますし出家の身でもあるので、これといって特別に望みはありません。若いときからいろいろなところを拝んで巡りましたが、まだ拝み残している遠国の仏所が所々あります。一生のうち、もはや年をとってしまったので拝み残してしまうだろうことが残念です。」とおっしゃった。

 それを聞いて光党は「それこそ簡単なことです。お望みの所を全部拝ませて差し上げましょう。私の背中に負われて下さい。歩いているうちは必ず目をふさいで開けないようにして下さい。着いた先々で背中から下ろしたときに目を開けて下さい。」と答えた。

 智源が約束すると、光党はそのまま智源を背中に負って出発した。智源の望みにまかせて神社仏閣のほか名所などを見て回った。伯耆の大山、讃岐の金比羅、秋葉山、大峯、富士山など、有名な高山にも行かないことはなかった。

 最初江州を出たとき、光党の背に負われたかと思うと、たださあさあとなるだけなので、あまりに不思議に思い、そっと目を細めに開けたところ、海の上を一町(約110メートル)ばかりも高く飛んでいた。あまりの恐ろしさに、それ以後は目を開けないで、着いた所々で地面に下ろされてから目を開けた。食事などは行く先々で食べたが誰もとがめることなく自由であった。

 各所を巡って二日目の夕方、気が付くといつのまにか自分の寺の庭にいた。

 それから四五日過ぎて、また光党がやって来て「お望みの所々を拝むことができて本望でしょう。しかし他の者であれば、海の上で目を開けた時、引き裂いて海に捨てるはずですが、あなただからお許ししたのですよ。」と言ったので、智源はますます驚いた。

 光党はいとまごいして出ていったのだが「今後火災などある時は前もってお知らせしましょう。」とも言ったという。

 この智源は今でも生きているそうだ。

水木しげる氏は「烏天狗」の飛ぶスピードについて、「大阪で忘れ物をしても、江戸から一時間くらいで取って帰る(『妖怪百物語』より)」と書いています。ということは東京大阪間を片道30分で飛べるということになりますね。新幹線や飛行機よりもずっと速いようです。


第二十七話 元興寺の鬼 『日本霊異記』上巻より

 それから後に、その子供は、元興寺の童子となった。当時その寺の鐘突堂で夜毎に人が死んだ。その童子はこれを見て、他の僧たちに「私がこの人が死ぬ災いを止めよう。」と言った。僧たちはこれを許した。

 童子は、鐘突堂の四つの角に四つの灯りを置き、準備させた四人に教えて「私が鬼を捉えたら、同時に灯りを覆った蓋を開けて照らして下さい。」と言った。それから童子は鐘突堂の戸のところに隠れていた。

 その夜半頃、鬼が現れた。ところが童子に気づいて逃げてしまった。鬼はまた現れた。そのとき童子は鬼の頭髪をつかんで思い切り引っ張った。鬼は堂の外から引っ張り、童子は鐘突堂の中から引っ張った。

 例の準備していた四人は、恐ろしさにあわてふためいて、灯りの蓋を開くことができなかった。童子は四隅のそれぞれに鬼を引っ張って歩きながら、灯りの蓋を一つ一つ取っていった。翌朝になると、鬼は自分の頭髪を引き剥がされて逃げていった。

 明くる日、その鬼が残した血の跡を尋ねて求めて行くと、その寺に仕えていた悪い使用人を埋めたところにたどり着いた。その悪い使用人の霊鬼であったということだ。頭髪は今でも元興寺では宝としている。

柳田国男の『妖怪古意』に、かつてはオバケのことを「ガゴゼ」と言ったということが書かれています。そのもととなったとされている霊鬼の話。播磨や京都、阿波、水戸などでガゴゼ、あるいはこれに似た呼び名で、オバケを呼んでいたそうです。


第二十八話 封雷碑 『中陵漫録』十三巻より

 備中の浅原に古い碑がある。現地の人が伝えて言うには、この碑は、晴明が雷を封じた碑であるということだ。昔からこの村には落雷がなかったが故に、晴明の封雷碑として、村人がこの碑を不思議なものだと言っているのだ。

現在でもこの碑は存在するのでしょうか?岡山周辺の方で分かる方がいらっしゃったら教えて下さい。「昔話で桑の木に雷が落ちない」といういわれを説明したものもありました。晴明に限らず、弘法大師や行基菩薩など有名な人物に事寄せた名所や遺跡は今でもたくさんありますね。ちなみに二十七話の元興寺の童子は雷がもたらした子供です。(詳しくは『日本霊異記』参照)


第二十九話 馬人語をなす怪異 『伽婢子』十三巻より

 延徳元年三月、京の公方、征夷大将軍従一位内大臣源義煕公が、佐々木判官高頼を攻めようとして、軍隊を引き連れて江州に下った。栗本郡鈎(まがり)の里に陣を据えられたけれども、ここで病が悪化して、陣を据えた同日二十六日にお亡くなりになった。

 その前日の夜、十五間の馬屋に立ち並んだ馬の中で、第二間の馬屋につながれた芦毛の馬が、突然人のように言葉を話して「もうだめだなあ」と言うと、今度は隣の川原毛の馬が同調して「ああ悲しい」と言った。

 その前には馬とりたちが大勢居合わせたし、中間や小者も大勢いた。皆これを聞いて確認しあったが、馬たちが言葉を話したことはまったく疑いなかった。みなぞっとして、怖ろしく思っていたところ、次の日、はたして義煕公はお亡くなりになった。まことに不思議なことである。

動物が人の言葉を話して予言をする話。この話は凶事の予言ですが、良いことを予言する場合もあるようです。


第三十話 油盗火 『諸国里人談』三巻より

 近江国大津の八町に、玉のような火がふらりふらりと飛行した。雨の日には必ず現れた。

 現地の人が言うには、昔、志賀の里に油を売る者がいた。この男は夜毎に大津辻の地蔵の油を盗んでいた。その者は死んでも魂魄が炎となって、今もこの夜をさまよい、消えることがないという。

 また、比叡山の西の麓に、夏の夜火の玉が出現した。これを「油坊」という。その因縁は前の話と同じである。

 七条朱雀の「道元の火」もみなこの類である。この種の話は諸国に多く存在している。

最近忙しくて短い話しかアップできていません。余裕ができたらもう少し長い話も紹介したいです。ところで、「道元が火」ってほかの文献に出ていますか?


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