第二十一話 垢ねぶりの事 『百物語評判』二巻より

 一人が「垢ねぶりという物は、古い風呂屋に棲む化物だそうです。荒れた屋敷などに潜んでいるように聞いておりますが、その名前が理解しにくいのです。」と言った。

 先生は「この名前はもっともな意味であろう。およそ一切のものは、それが生じたところのものを食べるのだ。例えば、魚が水から生じて水を口にし、シラミが汚れから生じてその汚れを食べるようなものである。

 垢ねぶりも、塵や垢の気が集まったところから変化して生まれてきたものであるから、垢をなめて命を維持するのは、必然の事なのだ。」とお答えになった。

山岡先生がまた、言いたい放題言ってます。我ながら現代語訳が下手ですね...


第二十二話 丹波の国さいき村に生きな
      がら鬼になりし人の事
『諸国百物語』五巻より

 丹波の国さいき村というところに、親孝行だが暮らしの貧しい者がいた。

 あるとき、薪をとりに山へ行き、たまたまのどが渇いたので、谷に下りて水を飲もうと水中を見ると、大きな牛が横に倒れたようなものがあった。不思議に思ってよく見てみると、なんとそれは長年の間に山から流れ落ちて固まった漆(うるし)だった。

 これはきっと天が与えてくださったのだと思い、この漆を取りに通って、飛騨と京へ持っていき売ったところ、すぐに大金持ちになった。

 この人の隣に性根の良くない者が住んでいた。このことを聞きつけて、どうにかしてあの男がここに来ないようにして、自分だけ漆を取ろうとたくらんで、鬼の姿になりすまして水の底に入り、男が来るのを待ちかまえていた。

 男がいつものように漆を取りに来てみると、水の底に鬼がいるではないか。男は怖ろしくなって逃げ去ってしまった。

 性根の良くない男は、してやったりと喜んで、水の中から出ようとしたのだが身動きができない。男はその姿のままで溺れて死んでしまった。

よく似た話が小学校の教科書に出ていたような記憶があります。タイトルはど忘れしてしまいました。憶えている方がいたら教えて下さい。その話では木で作った竜を水に浮かべて驚かそうとしたように思います。


第二十三話 髪切り 『諸国里人談』妖異部より

 元禄の初め、何者かが夜中に往来の人の髪を切ることがあった。男女ともに結ったままの状態で、元結いのきわから切られて、結った形で土の上に落ちていた。切られた人はまったく覚えがなく、いつ切られたかということが分からなかった。

 この事件は全国で起こったのだが、伊勢の松坂で多かった。江戸でも切られた人がいた。

 私が知っているのは、紺屋町金物屋の下女が、夜買い物に行ったところ、髪を切られてしまったのだが、そのことをまったく知らないで宿に帰ってきたという話だ。

 人々が髪がなくなっていることをその下女に知らせたところ、驚いて気を失ったということだ。その帰り道をたどって探してみたところ、人が言うとおり、結ったままの形で髪が落ちていた。

同じ事件が全国で多発するのはどうしたことでしょう。「髪切り」という妖怪は最近の例で言うと「口裂け女」のような存在なのでしょうか。伊勢の松坂で多かったというのにも何か理由があるのでしょうか。


山野野衾さんより以下のようなご教示がありました。

諸国里人談の髪切りの怪異の事ですが、平安時代の「長秋記」、室町時代の「建内記」に狐の怪として記載されていました。
前者は霊狐に悩まされていた女院が被害者で、後者は室町殿の女房であったとか。
後者は政治風刺でも絡んでいたのでしょうか。
また元禄三年に書かれた「伽藍記」には人妻になっていた狐が正体を見破られて逃れる際に夫の髪を切り、その後も京の辺りで130人以上の髪を切ったとか。
元々各地にあった事件だったものが、「髪切り」と意識されて表面に出たのかも知れません。あの時期ですし。
なお、平成の「新耳袋」にも髪切り狐の話がありました。


第二十四話 石妖 『中陵漫録』十三巻より

 豆州の山中ではたくさんの石を切り出していた。石工が数人で昼の休憩を取っていた。

 そのとき、一人の女がやってきて、石工たちに向かって「一日中働いてお疲れでしょう。私が按摩をして差し上げましょう。」と言い、一人の肩を揉み始めた。

 あまりに気持ちよかったので、その石工はそのまま眠ってしまった。女は続いてまた別の一人を按摩した。この石工もすぐに眠ってしまった。

 このようにして数人が眠ってしまったが、残りの一人はその様子をじっと見ていた。「山中にこんな美しい女が一人で現れるのは変だ。人間の女ではなかろう。おそらく妖怪に違いない。」と考えて、そこから逃げ出した。

 逃げた石工は運良く猟師にあったので、このことを語った。「きっと狐か狸だろう」と猟師は言って、石工と一緒に元の場所に戻ってみたところ、女はそれに気づいて逃げ出した。

 猟師は、鉄砲の弾を二つ込めて打ったところ、石が砕けるような手応えがあった。不思議に思って一緒に行って見てみると、大きな石が砕けて飛び散っているだけであった。

 眠ってしまった人の様子を見ると、皆その背中は、石で按摩したかのように、縦横にひっかき傷だらけだった。その人たちは皆、気を失って大病にかかったかのようだった。それぞれを家に連れて帰り、医者に診せてようやく快方に向かった。

 石が化けて女になり、石工たちに怪をなしたのであろう。この女はこの後もしばしば現れたということだ。

『中陵漫録』は佐藤成裕によって書かれた。成立は文政九年(北川博邦氏の解題による)。水木しげる『妖怪百物語』(小学館入門百科シリーズ)の参考資料になっているようなので、さっそく探して見てみました。


第二十五話 猫の忠義 『閑窓瑣談』一巻より

 遠江国榛原郡御前崎というところに西林院という寺があった。この寺に、猫塚・鼠塚という二つの石碑がある。その由来を聞くと、次のようであった。

 ある年の台風の時、沖の方で、船の敷板に乗った子猫が、波に揺られて流されていた。西林院の住職は陸の上からこれを見てかわいそうに思ったので、舟人を急いで雇って小舟を走らせ、危ういところでこの猫をすくい取って助けた。

 猫はそのまま寺で飼われることになったが、動物であっても命を救われた恩を強く感じていたのだろう。住職に馴れ、その言葉を聞き分けることもでき、片時もそばを離れることはなかった。

 「寂しい山寺にはなかなかの話し相手ができた」と、住職は猫をかわいがった。十年があっという間に過ぎ、猫も立派な大猫になり、そのおかげで寺の中に鼠の鳴き声も聞こえなくなった。

 ある時、寺に勤める男が、縁側で横になっていたところ、寺の猫もそばで庭を眺めていた。

そこへ寺の隣の家の猫がやってきて、寺の猫に向かって「天気もいいのでよかったら一緒に伊勢にでも行かないか」と言った。寺の猫は「私も行きたいのだけど、今度和尚の身の上に危ういことがあるので、他へは行きづらい」と答えた。

 これを聞いた隣家の猫は寺の猫の近くに進み寄って、なにやら互いにささやきあって別れた。寺男は夢うつつだったので、目が覚めてから不思議なこともあるものだと思っていた。

 その夜、本堂の天井でとても怖ろしい物音がして、雷がとどろくようだった。

 このとき寺には、住職と下男だけが住んでいた。そのほかには旅の僧が一人、四、五日泊まっていたが、この騒ぎに起き出してこなかった。

 住職と下男は灯りをともして、あれこれと大騒ぎしたが、夜中のことだし、高い天井の上ということもあって、どうしようもなく夜を明かした。

 夜が明けてから見てみると、本堂の天井の上から血が滴り落ちていた。放っておくわけにもいかないので近くの人を雇って寺男とともに天井の上を見せたところ、あの飼い猫が血で真っ赤になって死に、そのそばには隣の猫も傷を受けて死にかけていた。

 そこから三、四尺(約一メートル)離れたところに、大きさ二尺(約六〇センチメートル)、針を植えたような毛を生やし、怖ろしげな古鼠が、血に染まって倒れていた。鼠はまだ息が通っていたので、棒で叩き殺した。

 下へ下ろして、猫をいろいろ介抱したけれど、二匹とも助からなかった。

 鼠は怪しいことに旅の僧が着ていた衣を身にまとっていた。古鼠が旅の僧に化けてやってきて、住職を食おうとしていたのを、寺の猫が恩を返すために、命を捨てて住職の災いを取り除いたのだろうということだ。

 人々も感動して、二匹の猫の塚を立てて回向した。鼠も怖ろしい変化のものなので捨て置くわけにも行かず、住職は慈悲の心で、猫と同じように鼠塚を立てて法事をした。

 この話は今もなお、ここを行き来する人々の噂に残り、塚は両方とも古くなって寺の中にある。

飼い猫が飼い主の危難を救う話。猫が人の話を話すという物語は多いように思うのですが、犬ではあんまりないような気がします。犬も飼ってると人の言葉が分かりますけどね。飼い方の違いでしょうか。


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