第十六話 師輔、百鬼夜行にあう 『大鏡』師輔伝より

 この九条殿は、百鬼夜行にお会いになりました。それが何月のことかということは聞いておりません。

 たいそう夜が更けて、内裏から退出なさり、大宮から南の方に向かっていらっしゃった。あははの辻の辺りで、御車の簾を下げさせなさって、「御車の牛をはずして轅を下ろせ。」と急いでおっしゃった。随身や御前などの従者は変だと思いながらもその通りにした。

 従者たちも、「何事ですか。」と御車のもとに近寄ったところ、九条殿が御笏を両手に持って、うつ伏している様子は、誰かにかしこまっているようでいらっしゃった。

 九条殿は「御車は台に立てかけるな。随身たちは、轅の左右の軛のもとでひかえて、前方を大きな声で先払いをしろ。雑色たちも声を絶やすな。御前たちも近くにいろ。」とおっしゃって、尊勝陀羅尼をひたすらお詠みになった。牛を御車のかげのほうに引き立てさせなさった。

 それから、半時ほど(約一時間)してから、御簾をお上げになって、「もう大丈夫だ。牛を車にかけて出発しろ。」とおっしゃったが、御供の人はまったく理解できませんでした。

九条師輔の一行が百鬼夜行に逢った話。ただし、師輔にしか百鬼夜行の姿は見えなかったようで、従者たちには何が起こったのかまったく理解できなかった。『拾芥抄』には百鬼夜行日として「正月子の日、二月午の日、三月辰の日、四月戌の日、五月未の日、六月辰の日」があげられている。この日の夜外出すると百鬼夜行に出会うのだと言われて怖れられた。七月から十二月までは夜行日がないのはなぜだろうか。


第十七話 会津諏訪の朱の盤 『老媼茶話』三巻より

 奥州会津諏訪神社に、首の盤というおそろしい化物がいた。

 ある夕暮れ、二十五、六歳ぐらいの若侍が一人で諏訪神社の前を通りがかった。普段から化物が出るということを聞いていたので、びくびくしながら歩いていたところ、二十六、七歳の若侍がやってきた。

 良い道連れがいたものだと思い、いっしょに歩きながら「ここには朱の盤という化物が出るそうです。あなたも聞いたことがありますか。」と尋ねると、「その化物はこんなものか。」と後から来た侍の顔つきが急に変わった。その眼は皿のようで額には角が一つ付き、顔は朱のように真っ赤で、頭の髪は針のよう、口は耳まで切れ、歯をかみ合わせる音は雷のようだった。

 侍はこれを見て気を失い、一時間ぐらい倒れていたが、しばらくして気が付いて辺りを見回すとそこは諏訪神社の前であった。

 そこからどうにか歩いて、ある家に入り、水を一口もらえるように願ったところ、女房が出てきた。女房が「どうして水が欲しいのですか。」と聞いたので、侍は朱の盤に逢った話をしたところ、「それはそれは怖ろしい事にお逢いになりました。その朱の盤とはこのようなものでしたか。」と言うのを見ると、女房もまた怖ろしい顔に変化して見せたので、侍はまたも気を失ってしまった。

 しばらくしてどうにか息を吹き返したが、侍はその後百日目に死んでしまったということだ。

化物の話をすればその化物が現れる。化物を見ようと百物語怪談会をする発想と共通した考え方が、この物語に反映されているのではないでしょうか。「昔この辺りで、「油すまし」という化物が出たそうな。」と語ったところ、「今でもいるぞ。」と言って「油すまし」が出てきたという話も有名ですね。


第十八話 幼児を護らんが為に、枕上に
     蒔きたる米に血付く事
『今昔物語集』二十七巻より

 今ではもう昔のことだが、ある人が方違えに下辺というところに行った。幼い子供を連れていたのに、その家には古くから死霊がいたのを知らないで、皆寝てしまった。

 その子供の枕元の近くに火をともし、そばに二、三人ほどで寝ていた。乳母が目を覚まして、子供に乳をふくませながら寝たようにしていると、夜半頃、部屋の戸を細めに開けて、そこから身長五寸(約十五センチ)ぐらいの赤装束の者たちが馬に乗り、十人ぐらい引き続いて枕元を通った。

 この乳母は怖ろしく思って、魔除けのために蒔いていた米をたくさんつかんで投げつけたところ、
この通りがかった者たちは散り散りに逃げ失せてしまった。

 その後、ますます怖ろしく思って過ごしていたが、夜が明けたので、その枕元の様子を見てみると、投げつけた米のそれぞれに血が付いていた。

 一行はしばらくその家に滞在しようと思っていたのだが、このことを怖れて帰ったという。

「幼い子供の近くには、必ず米を蒔いておくようにすべきである」と、この事件について聞いた人は皆、そう言った。また「乳母は機転を利かせて、よく米を蒔いたものだ」と、人は乳母をほめた。

 知らないところには油断して宿泊するものではない。世の中にはこのような怖ろしいところもあるのだ、と語り伝えているそうだ。

魔除けのために米を蒔くことを「打蒔」とか「散米」などと言います。葬式や盆行事の時にこれを行う地域も多いようです。いわゆるお清めですね。


第十九話 伊賀の国名張にて狸老母にば
     けし事
『諸国百物語』三巻より

 伊賀国名張というところから巽の方角に山里があった。この里では毎夜毎夜人が一人ずつ行方しれずになっていた。何者の仕業なのか、まったく分からなかった。ある日には子供が取られ、ある日には親が取られ、里の人が泣き悲しむ姿は目も当てられないほどだった。

 その里に狩人が住んでいた。ある日の夕暮れに山へ行ったところ、山の奥から人がやってきた。何者だろうかと見ると、百歳ぐらいの老女が白髪をなびかせ、眼を光らせながらやってきた。

 その様子が人間離れしていたので、狩人は矢をつがえて思い切って射かけた。確かに手応えはあったのだが、その老女はどこかへ逃げ失せてしまった。

 夜が明けてその場所に行ってみたところ、血のりが落ちていた。血のりは道もない山中をあちこちしながら、狩人が住む里の庄屋の屋敷の裏にある小屋の中へと続いていた。

 狩人は不思議に思って、庄屋に会い「この裏にある小屋の中には誰が住んでいるのですか。」と尋ねたところ、庄屋は「この小屋は私の母が住んでいる隠居小屋です。昨晩から気分が悪いといって食事もせず、近くに人も寄せ付けないでいます。」と語った。

 狩人はこれを聞いて「それならば、それについて不思議なことがございます。」と言って、昨日の出来事を語ったので、庄屋も不思議に思い、小屋に行ってみたところ、母はこれを悟って、すぐに小屋の壁を突き抜いてどこかへ逃げ去ってしまった。

 寝間を見ると円座ほどの大きさの血だまりがあった。縁の下には人の骨が数え切れないほどあり、子供の手足などが食い散らされていた。

 それから山へ行って死骸を探したところ、大きな古狸が胸を矢で射られて死んでいた。あの庄屋の母はこの狸が食い殺して、その後に母に化けていたものだったのだ。

古狸が、狼だったり猫まただったりする類話も数多くあります。


第二十話 丸屋何某化物に逢ふ事 『新説百物語』一巻より

 最近のことだが、三条の西に丸屋何某という人がいた。

 ある時、仲間の寄り合いで東山辺に行き、河原で酒などを飲んで、夜が更けてから一人で四条を西へ向かっていた。河原で下の方を見ると、月夜の薄明かりの中に乞食とも思われないで、なにやらうごめくものがいた。

 酒に酔った気分でそばに近づいてよく見てみると、人の形ではありながら、顔と思われる場所には目口鼻耳もなく、朝瓜の大きいもののような頭で、ものも言わずに這い回っていた。

 その時になって初めて、ぞっと鳥肌が立ち、足早に帰った。夜が明けてから友達などに語ったところ、ある人が言うには、ぬつぺりほうという化物であろう、ということであった。

 その後また丸屋何某が黒谷へ商いに行って遅くなり、初夜の頃二条河原を通ったが、先だってのことを思い出し、びくびくしながら通りがかったところ、河原の中程でまた例のものがうごめいていた。足早に通り過ぎようとすると、するすると這い寄ってきて裾に取り付いた。

 これはたまらんと振り切って、一目散に自分の宿に帰って初めて正気になり、自分の着物の裾を見ると、ことのほか太い毛が十本ほど付いていた。これが何の毛であるかを分かる人はいなかったということだ。

「ぬつぺりほう」は何のために丸屋何某の袖に取り付いてきたのでしょうか。動物か何かだったのでしょうか。とらえどころのない話です。


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