スレッド No.272

『妖怪事典』(編著・村上健司)の「夜行さん」は「鬼」か? [ タキタ ] 2000.05.23 01:33 No.272
「ヤギョウサン」問題 その1 [ 化野 燐 ] 2000.05.23 23:00 No.273
誤字 [ 化野 燐 ] 2000.05.23 23:27 No.275
「ヤギョウサン」問題 その2 [ 化野 燐 ] 2000.05.23 23:02 No.274
徳島県三好郡池田町の例。 [ タキタ ] 2000.05.25 00:17 No.276
三好郡池田町の例 (つづき) [ タキタ ] 2000.05.25 00:19 No.277
夜行=鬼について [ 屶丸 ] 2000.05.31 06:07 No.280
同感です。 [ 悪路王 ] 2000.06.03 22:43 No.289
Re: 夜行=鬼について2 [ 屶丸 ] 2000.05.31 06:08 No.281
徳島県三好郡池田町の例(その3) [ タキタ ] 2000.06.01 01:32 No.282
徳島県井川町の例(武田明) [ タキタ ] 2000.06.01 02:03 No.283
ああ。墓穴! [ タキタ ] 2000.06.01 02:38 No.284
Re: ああ。墓穴! [ 佐々木 ] 2000.06.01 12:57 No.286
サンタのおじさん [ 屶丸 ] 2000.06.01 23:16 No.287
徳島県三好郡池田町の例(その4)「ヤギュー婆」? [ タキタ ] 2000.06.15 23:40 No.309
徳島県三好郡池田町の例(その5)「ヤゴハン」? [ タキタ ] 2000.06.15 23:59 No.310
徳島県三好郡池田町の例(その5−2)「ヤゴハン」? [ タキタ ] 2000.06.16 00:06 No.311
徳島県三好郡池田町の例(その5−3)「ヤゴハン」? [ タキタ ] 2000.06.16 00:10 No.312
「ヤゴハン」は、徳島方言で「蛇」? [ タキタ ] 2000.06.20 23:32 No.324
Re: 「ヤゴハン」は、徳島方言で「蛇」? [ 佐々木 ] 2000.06.22 09:27 No.327
「夜行さん」から銭を奪うことも可能?(その1) [ タキタ ] 2000.07.24 00:48 No.339
Re: 「夜行さん」から銭を奪うことも可能?(その2) [ タキタ ] 2000.07.24 00:51 No.340
オマケ「尻切れ馬」(徳島県) [ タキタ ] 2000.07.24 01:09 No.341
大滝寺の「首切れ馬」(徳島県) その1 [ タキタ ] 2000.09.12 02:36 No.384
Re: 大滝寺の「首切れ馬」(徳島県) その2 [ タキタ ] 2000.09.12 03:15 No.385
Re: 大滝寺の「首切れ馬」(徳島県) その3 [ タキタ ] 2000.09.12 03:41 No.386
Re: 大滝寺の「首切れ馬」(徳島県) その4 [ タキタ ] 2000.09.12 04:25 No.387
Re: 大滝寺の「首切れ馬」(徳島県) その5=解説 [ タキタ ] 2000.09.12 04:27 No.388
無題 [ 花山 ] 2000.09.13 00:06 No.389
大滝寺は、讃岐山脈にあります。阿讃山脈は誤り。 [ タキタ ] 2000.09.18 23:39 No.397
「ヤゴハン」=「蛇」は屋敷内神でもある? [ タキタ ] 2000.11.27 22:44 No.469


[272] 『妖怪事典』(編著・村上健司)の「夜行さん」は「鬼」か?

投稿者名: タキタ
投稿日時: 2000年5月23日 01時33分

4月に発売された毎日新聞社の『妖怪事典』(編著・村上健司)の「夜行さん」の項に「夜行さん」が紹介されています。
ところで、引用されている資料のうちの「土佐の妖物と伝説」(桂井和雄)は読んでいないのですが、村上氏は「夜行さん」を「鬼」としています。
しかし、徳島県民の私は、「夜行さん」を「鬼」としてあるものは武田明の「節分」と、それを元にした柳田記載でしかみたことがありません。
HPの「妖怪世界」の「夜行さん」にも書き込んだのですが、「夜行さん」を「片目の鬼」というふうに「鬼」として記載してあるものはどうも武田明の「節分」という徳島県三好郡山城町での取材くらいです。徳島県無いの他地域では、姿は伝わっていないというものが多いのです。(白い服を着ているという人もいますが……)
とてもすぐれた『妖怪事典』ですから、その根拠を記載していないという点が残念です。
なお、武田明は、井川町での取材でも「夜行さん」を記載しています。これは節分に出没するものの、その姿は描写されていません。

とにかく、節分に出没する「夜行さん」というものも、どうも山城町と井川町の、ともに武田報告だけにしか見られません。
ひょっとしたら、節分に出没する「夜行さん」というのは山城町と井川町だけなのかと思えます。
さらに「鬼」の「夜行さん」は山城町だけかと思います。
山城町の「夜行さん」は忘却されたのか、山城町教育委員会に調べてもらっていますが、まだ回答がありません。現地では忘却された可能性もあります。

いったい、『妖怪事典』の「夜行さん」=「鬼」説の出典元がどこなのか?
旧来の同類の書物同様に武田明の「節分」なのか?
だれか、教えてください!


[273] 「ヤギョウサン」問題 その1

投稿者名: 化野 燐
投稿日時: 2000年5月23日 23時00分

>いったい、『妖怪事典』の「夜行さん」=「鬼」説の出典元がどこなのか?

 土佐の山村の「妖物と怪異」(桂井和雄)から該当の部分を引用しておき
ます。
 
   ヤギョー(夜行?)
   錫杖を鳴らして夜の山路を通る妖恠の一つである。ジャン
  コ/\鳴つて來る。高岡郡越知町野老山あたりで言はれてゐ
  るものである。

 やはり「鬼」とは書かれていません。

 『妖怪事典』(編著・村上健司)の「ヤギョウサン」の項の第一段落の文
章は『改訂総合日本民俗語彙』や「節分」をベースにしているようです。
 これは、文章の構成が似ていることから推測できます。

 また、 『改訂総合日本民俗語彙』が「ヤギョウサン」を「片目の鬼」とし
ているのは、武田明氏の「節分」の引用によるものです。

 ですから、「節分」以外に 「ヤギョウサン」=鬼の例がある可能性は低い
ように思います。
 徳島県在住のタキタさんが御存知無いのなら、なおさらです。
 > 旧来の同類の書物同様に武田明の「節分」 
 ということで問題はないのではないでしょうか?


[275] 誤字

投稿者名: 化野 燐
投稿日時: 2000年5月23日 23時27分

> 錫杖を鳴らして夜の山路を通る妖恠の一つである。

 は原典ではこうでした。

 錫杖(誤)→易杖(正)

 いや、細かいことですが・・・。


[274] 「ヤギョウサン」問題 その2

投稿者名: 化野 燐
投稿日時: 2000年5月23日 23時02分

 それと・・・。
 『改訂総合日本民俗語彙』及び『妖怪事典』の該当記事は、必ずしもすべ
ての(あるいは複数の)「夜行さん」=「鬼」説を主張しているようには読
めないのですが。事典の概説的な文章ですし・・・。
 事実、『妖怪事典』でも前述の高知の例については「どんな姿をしている
のかは不明」とあります。

 さらに・・・。
 武田明氏の「節分」を引用すると

   節分
   阿波三好郡山城谷村、政友では節分の夜はヤギョウサンが
  來ると云ふ。片目で髭の生えた鬼だと云ひお菜の事を云つて
  ゐると毛の生えた手を出すと云ふ(以下略)

 と、該当の部分はとても短い文章です。

 さて、ひとことで「鬼」といっても、その示す範囲はとても広いです。
 「鬼」という文字を使うことで、武田氏はどれだけのことを表現しようと
したのでしょうか?

 情報提供者が「ヤギョウサン」=「鬼」という表現をしたというのか?
 それとも、いわゆる「鬼」的な外見のモノだというのか?
 あるいは、節分に来るモノを「鬼」と一般的感覚で表現しただけなのか?
 どの可能性も否定できません。

 また、武田氏自身が「ヤギョウサン」=「鬼」と考えていたとしても、彼
はどういう条件を満たしたら「鬼」だと考え、満たさなければ「鬼」では無
いと考えていたのでしょうか?

 あれだけの短い記載ですから、これらの疑問については、何とも判断のし
ようがないと思うのです。

 つまり、 タキタさんや私が思うような意味、あるいは共通感覚的な意味で
「ヤギョウサン」=「鬼」と、武田明氏が表現しているとは限らないわけで
す。
 ですから、 「ヤギョウサン」=「鬼」という部分にあまりこだわる必要は
ないのではないかと思うのですが・・・。 如何?


[276] 徳島県三好郡池田町の例。

投稿者名: タキタ
投稿日時: 2000年5月25日 00時17分

かろうじて「節分」や「鬼」に関連するであろう「夜行さん」も報告します。
ついでに「首なし馬」も紹介します。
「夜行さん」と「首なし馬」の区別は各自判断ください。
以下は、『阿波池田の昔話と伝説』(編集=池田町昔話伝説資料集編集委員会、発行=池田町ふるさとづくり運動推進協議会・池田町教育委員会、昭和52年)です。


●「片目のヤギョウさん」

(1)
白地の八幡寺から、伊予の八幡浜(やはたはま)へ峰伝いの道がつづいとるんじゃってな。
ほんで、節分の晩には鬼が出てくるんじゃって、片目のやぎゅうさんというのは鬼の王さんだろうな。白地の八幡寺から伊予の八幡浜まで行くんじゃって。ほんでそのやぎゅうさんに願いごとをしたらなんでもくれるんじゃって。お金でも。ほんで子どものとき、金をほしいほしい言うとったら、節分の晩に片目のやぎゅうさんに頼んで行けとよう言われたもんですわ。
(話者・西ユキノ、佐野・在)
※ タイトルは「ヤギョウさん」で本文は「やぎゅうさん」。(注・タキタ)

(2)(やげんさん)
節分の晩、片目の馬に乗り、銭をたくさん持って峰から峰を通るので、峰の四つ辻へ行って待つと、その銭をくれる。
その晩には、ごちそうを、「おいしい。」とか、「おいしくない。」と言うと、おかしげな物(妙な物)を放り込まれる。
(話者・向井弥八、白地・在)

(つづく)


[277] 三好郡池田町の例 (つづき)

投稿者名: タキタ
投稿日時: 2000年5月25日 00時19分

(つづき)

●年中行事

二月の行事

○ 馬に乗った片目のヤゴはんが来る。それが止まると病気になるので、物干しざおは立てておかねばならない。
食事も物を言わずにする。食事の後、麦畑へ行き、「オオハラ(大腹)オオハラ」と言って三回まわる。こうすると麦も同じように大きくふくらむという。今でもしている。
(話者・伊丹シマ、箸蔵・在)

○ 「節分どし」という。イロリの隅四方にミソを置き、「ミソ食うていね、いね。」と言う。また、炭のオキをかいて戸口へ出し、イモイギで伏せて、片目のヤギョウさんを追い出す。さらに、魚、はなしば、柿を竹に突きさし、戸口に置く。これを「ヤギョウさんおどし」という。また、鉄砲を鳴らす。
(話者・東川シケ、漆川・在)


●首なし馬
(1)
みそかの日に、あのあそこの穴吹の下に、お高越(こうつ)さんという山がある。そこの山のおくから、みそかの晩に首なし馬が出てきてなあ、「泣きよる子がおったらとって喰う、泣きよる子がおったらとって喰う。」
というて鈴を鳴らして ジャンジャン この街道を走って、ほいてヤジュウ谷のおくの方へむいてはいっていったという。
(話者・笹山治、供養地・在)

(2)
ヤジュウ谷には首のない馬が出る。泣く子は連れて行かれるとおどされた。
(話者・近藤美智子、箸蔵・在)




[280] 夜行=鬼について

投稿者名: 屶丸
投稿日時: 2000年5月31日 06時07分

 タキタさんが報告する『阿波池田の昔話と伝説』を読んでピンときたんですが、結局
「夜行さん=鬼」という疑問は、『阿波池田の昔話と伝説』を読めば解決しているでは
ないですか。
 僕も夜行さんの資料は『妖怪事典』にあるものぐらいしか知らなかったので、節分や
大晦日というキーワードから来訪神の一種ぐらいにしか想像できなかったのですが、こ
れでやっとわかりました。やっぱり「春来る鬼」の一種と見ていいわけですよ。ここで
いう鬼とは、いわゆる筋骨隆々の一般的なものではなく、神霊という意味でのもので
す。
 節分ではないのですが、南関東や静岡県でコト八日の晩に一つ目小僧が各家々を訪問
するという俗信があります。伊豆の初島では、コト八日に赤飯を食べていない家がある
と、一つ目小僧がそれを帳面につけ、あとで疫病を流行らせると言われていました。
 このあたり、節分の夜におかずの話をしていると夜行さんが手を出すとか、【ごちそ
うを、「おいしい。」とか、「おいしくない。」と言うと、おかしげな物(妙な物)を
放り込まる。】といった、夜行さんと食事に関するところに通じるものがあります。
 さらに、(以下、続く)


[289] 同感です。

投稿者名: 悪路王 (ホームページ)
投稿日時: 2000年6月3日 22時43分


>やっぱり「春来る鬼」の一種と見ていいわけですよ。ここで
>いう鬼とは、いわゆる筋骨隆々の一般的なものではなく、神霊という意味でのもので
>す。

鬼の研究を長いことやってますが、同感です。
「鬼」ってメジャーなようでいてすげー曖昧なもので、捕らえ方を間違えるとこういう議論になっちゃう・・・
「鬼」って書いて「もの」って読めばもう「妖怪」だか「幽霊」だか「神」だか全くわかんなくなる。これが面白いんだけどね(^^)


[281] Re: 夜行=鬼について2

投稿者名: 屶丸
投稿日時: 2000年5月31日 06時08分

【馬に乗った片目のヤゴはんが来る。それが止まると病気になるので、物干しざおは立
てておかねばならない。食事も物を言わずにする。食事の後、麦畑へ行き、「オオハラ
(大腹)オオハラ」と言って三回まわる。こうすると麦も同じように大きくふくらむと
いう】
 という箇所でも、【物干しざおは立てておかねばならない】という件は、コト八日で
目篭を竿の先につけて掲げ、それを各家庭が一つ目小僧除けとした習俗に関係してはい
ないでしょうか。ヤゴはんが止まると病気になるというのも、一つ目小僧が疫病をもた
らすという特徴に似ています。
 また、場所は変わりますが、熊本の天草郡倉岳町では、大晦日に名切の橋のたもとに
行くとカナンヌシという者がいて、これと力比べをして勝つと大金持ちになるといわれ
ていました。
 妖怪研究家の多田氏にいわせると、年越しにくる異形のものは、年を越すまでは悪神
だが、年を越せばそれは福の神になるという信仰が各地方にあったそうです。いうまで
もなく、年越しの晩は大晦日であり、節分の晩も該当します。これから考えると、夜行
さんが病気をもたらすとか、お金をくれるという特徴は、このあたりに起因しているの
ではないでしょうか。
 つまり、鬼・夜行・一つ目小僧といった名前はこの際なんでもよくて、年越しの晩に
現れる異形の者でいいわけですよ。つまり鬼といっても差し支えないわけです。違うか
な?
 さらなる検討が必要なのは重々わかってはいます。一つ目という共通項や、夜行さん
と食事、豊穣な゛の関係などなど…。とりあえずは気がついたことを綴ってみた次第で
す。


[282] 徳島県三好郡池田町の例(その3)

投稿者名: タキタ
投稿日時: 2000年6月1日 01時32分

徳島県三好郡池田町の例。

以下は、『阿波池田の昔話と伝説』(編集=池田町昔話伝説資料集編集委員会、発行=池田町ふるさとづくり運動推進協議会・池田町教育委員会、昭和52年)からです。

●やんぎょさん
昔むかし、節分の晩には、片目のやんぎょさんという方が、片目の馬にみみじろ(一文銭)を一荷積んで雪道をやって来るそうな。もし、やんぎょさんに出合うた時には、我が欲しいだけの金額を言えばその通りくれたそうな。
ある時、あわて者が、節分の夜雪が降るのに、やんぎょさんを待ちよったんじゃと。そしたらほんまにやって来たんじゃと。あわて者は、
「こりゃ、ありがたい。やんぎょうさん、おらにお金を下され。」
と言うたら、
「いくらいるのか。」
と言われるので、ようけもらわにゃ損じゃと思うて、一万八千円と言おうと思うたが、あわてすぎて、
「一文八文。」
と言うたんじゃと。
そしたらやんぎょさんは、九文置いて行てしもうたと。
(小西国太郎、出合・在)


[283] 徳島県井川町の例(武田明)

投稿者名: タキタ
投稿日時: 2000年6月1日 02時03分

『日本昔話記録H徳島県井内谷昔話集』(編著者・武田明、昭和48年、三省堂)の「やぎょうさん」です。三好郡井川町の「ヤギョウサン」です。井川町のどこの集落での取材であるのかは不明です。
さらに、この話にタイトルはありません。ですから、この文章のうちのどこまでが「やぎょうさん」のことであるのかは不明です。


節分にはイサミをつけた馬に乗ってヤギョウサンがやって来ると言う。
イサミとは馬につけた鈴のことで、チリンチリンと音を立てながら来るそうな。そこで家々では柊(ひらぎらぎ)の枝で箸をこしらえて、この日は麦飯のオセチを食べることになっている。この箸をネジキバシまたはメツキバシとも言う。ヤギョウサンとは首切れ馬のことで一種の妖怪である。柊の木のことをメツキシバとも言うが、メツキシバにみかん皮をさして戸口にさす家もあると言う。また節分の日はオセチを炊く時にクドの下でメツキシバをくすぶらせることもあるそうである。この日は竿を炊くこともあったが、はじけて大きい音が出ると鬼はその音を聞いて逃げるとも言っている。


[284] ああ。墓穴!

投稿者名: タキタ
投稿日時: 2000年6月1日 02時38分

うーん。「夜行さん」=「節分」「鬼」説を否定しようとして、節分関連の数少ない例を羅列していると墓穴を掘ってしまった。
今後は、「節分」や「鬼」ではないものも羅列しなくてはならない。
こういうことをしていると、「妖怪世界」とここで、徳島県の全ての「夜行さん」伝承を網羅してしまいそうだと思う。
屶丸さんや化野さんのご指摘のようにトラのフンドシで角のあるイメージではない意味での「鬼」でも良いのですが、姿は伝わらないとか、節分に関係のない大の月だ小の月だの月末だツイタチだという出没日時の指定されているものも多いので、「節分」「鬼」説には抵抗を覚えるのです。
数値化するのもやっかいだなあ。

さらに、他の伝承調査家には「夜行さん」と「首切れ馬」の別にこだわらないで記載する人もおり、困っています。したがって、「首切れ馬」として活字になっていても現地に行くと「夜行さん」が正しいと指摘されたり、その逆もあります。
また、地元の古老に話を聞いていても、口頭では「やぎゅうさん」と言いながらも、漢字を聞くと「夜行」と答えてくれて、その解答直後からは、こちらが頼みもしないにもかかわらず「やぎょうさん」と口頭表現が変わるとかです。「どっちの呼び方が正しいのですか?」と聞くと「やぎょうさん」となります。

まるで、警察の調書をとるときの会話です。
同行していただいた先輩の郷土史家からは「君のやりかたは警察や検察の取り調べである!」と叱られました。「『首切れ馬』でも『夜行さん』でも良いではないかッ!」というわけです。
したがって、伝説集の編著者の気分で名称が記載されている可能性が大きいので「首切れ馬」「夜行さん」の別には、先輩の指導にもかかわらず、警察の調書なみの神経を使います。
「それがどうした?」と言われれば、それまでですが……


[286] Re: ああ。墓穴!

投稿者名: 佐々木
投稿日時: 2000年6月1日 12時57分

>節分に関係のない大の月だ小の月だの月末だツイタチだという出没日時の指定されている
>ものも多いので、「節分」「鬼」説には抵抗を覚えるのです。

本来、節分というのは季節の節目という意味なので、やっぱり『春来る鬼』でよいのではないで
しょうか?

もちろん、ここでいう春とは4月のことではなく、大晦日であり正月であり収穫が終わった後であり
種まきの季節であり、要するにその共同体の中での農作業や行事やらが終わる、或いは始まる時期を
示します。

もちろん、夜行さん=節分の鬼だとしても、決して夜行さん=豆をぶつけられる(祓われる)存在では
ないでしょう。
折口信夫などは、鬼と書いて本来は「カミ」と読んでいたという説を唱えていますし、追儺式で追われ
ている多目の鬼(先頭の奴)は、本来先頭に立って目に見えない厄を追う役を担っていた訳ですし(はた
から見ると先頭の鬼が後続の神々に追われているように見えるため、誤解された)。

嗚、まとまりのない文章になってしまって申し訳ないっス…(あ、でも夜行さんが春来る鬼だとすると、
ナマハゲとかアマミハギとかサンタクロースとかホレおばさんの仲間ってことになるのかな?)


[287] サンタのおじさん

投稿者名: 屶丸
投稿日時: 2000年6月1日 23時16分

>ナマハゲとかアマミハギとかサンタクロースとかホレおばさんの仲間ってことになるのかな?)

 根源的にはサンタクロースと同じらしいっス。太陽神の関係とかで……。


[309] 徳島県三好郡池田町の例(その4)「ヤギュー婆」?

投稿者名: タキタ
投稿日時: 2000年6月15日 23時40分

『阿波池田の昔話と伝説』(編集=池田町昔話伝説資料集編集委員会、発行=池田町ふるさとづくり運動推進協議会・池田町教育委員会、昭和52年)からです。

ただの修験者がたまたま「ヤギュー婆」という名であるという話と思います。

○ヤギュー婆
竜王の滝にヤギューという婆が水行をしていた。憑き物を落とす験者であった。憑いている人の着物を持って行くだけでも犬神が落ちた。
(近藤美智子、箸蔵・在)


[310] 徳島県三好郡池田町の例(その5)「ヤゴハン」?

投稿者名: タキタ
投稿日時: 2000年6月15日 23時59分

『阿波池田の昔話と伝説』(編集=池田町昔話伝説資料集編集委員会、発行=池田町ふるさとづくり運動推進協議会・池田町教育委員会、昭和52年)からです。
はたして、人なのか、神なのか? 文章からは、判断が困難です。これも、いわゆる妖怪「夜行さん」とは無関係な話のようです。ただの同姓同名?
とにかく、これで 『阿波池田の昔話と伝説』には「夜行さん」関連の話は無さそうです。
「ヤゴハン」の記載は話者が書き送ってくれたものであると『阿波池田の昔話と伝説』には注記されています。一応、このHPへの転載にあたり漢字などのチェックはタキタが行い、そのまま転載してあります。

○ヤゴハン
中西部落の一番高い山、海抜約八〇〇米の処に、竜王山通称雨乞山があります。そのすぐ下に盆地になっているところが「ヤゴハン」家敷であります。このあたりを「ヤミヤニシ」と言っています。
正月二十三日の晩から二十四日の朝にかけて、「二十三四夜はん」といって、昔は部落の人達が、氏神様に集って、芋がゆをたいて、参詣に来る人達全部にふれまうことが、毎年のしきたりでありました。今でも、当時芋がゆをついでふれまったという大きなおわんが、御神輿(みこしぐら)の角に残っています。


(つづく)


[311] 徳島県三好郡池田町の例(その5−2)「ヤゴハン」?

投稿者名: タキタ
投稿日時: 2000年6月16日 00時06分

○ヤゴハン(つづき)

さて、風采のない仙人のようなヤゴハンも、この二十三四夜はんには、必ずヤミヤニシから氏神様に下りて来て、「また来たかゆをべー。」と竹の筒でこしらえた入れものをふところから出すのでした。ふしくれだった手で竹筒をつかみ、芋かゆを「ああおいしい。」というような体のしぐさに、部落の人達も、「ああヤゴハン来たか、高いお山から来たのだから。」と言って、二、三杯食べさすのでした。また、ヤゴハンは、部落でただ一軒の造り酒屋が氏神様の近くにあり、そこに行き、竹の筒を出し「また来た、一杯酒をべー。」といってよばれて帰るのでした。
ヤゴハンは、氏神様と造り酒屋以外の家には、絶対、立ち寄ったりしていません。

(つづく)


[312] 徳島県三好郡池田町の例(その5−3)「ヤゴハン」?

投稿者名: タキタ
投稿日時: 2000年6月16日 00時10分

○ヤゴハン(つづき)の(つづき)

或る年に、氏神様で芋がゆをよばれて、それから造り酒屋へ行き、例の如く、「また来た、酒を一杯べー。」と竹筒を出しました。酒屋の者は、
「ヤゴハン、今晩は忙しいので酒はないぞ。」
と言った。ヤゴハンは、
「そんなら水でも一杯べー。」
と竹筒を出す。酒屋は、
「ああめんどうくさい、水なら浦の井戸にあるので飲んで帰れ」
と言った。ヤゴハンは、
「そんなら、井戸の水みなもらってもべーか。」
と言った。酒屋の者は、
「勝手にしろ。」
と言った。ヤゴハンは、井戸の水をつるべでくんでは竹筒に入れ、くんでは竹筒に入れていた。酒屋の者は、ヤゴハンは妙なことをしているわいと思っていた。ところが、その翌日から酒屋の井戸の水は枯れた。ヤゴハンにくんで帰られて、きれいな井戸の水は出ないようになってしまった。
高いお山「ヤミヤニシ」の「ヤゴ屋敷」には、造り酒屋からもらって来たというきれいな水が今尚湧き出しています。
私は、ヤゴハンや屋敷跡も、きれいな水も見ています。もうヤゴハン家敷の跡を知っている人は、この部落でもほとんどないと思います。先日、平尾万吉老人(九十才)に聞いたら知っていると言っていました。
また、造り酒屋の広い跡地も井戸も知っている人は少ないと思います。井戸には、大きな青石でふたをしています。今尚現存しているのです。
(宮岡秀勝、三縄・在)


[324] 「ヤゴハン」は、徳島方言で「蛇」?

投稿者名: タキタ
投稿日時: 2000年6月20日 23時32分

「ヤゴハン」とか「くちなわ」という方言があり、それは「蛇」のことだと、近所のタバコ屋のおばさんが教えてくれました。
「いったいどこの町村の方言ですか?」と「ヤゴハン」=「蛇」について聞いたのですが、かつては徳島方言に興味をもっていた彼女は、あまりも多くの町村の方言集を読んでしまっているために「どこの町村だったかなあ」と記憶があいまいです。
徳島県の方言辞典調べを行うしかないです。

乞うご期待。

偶然の同名であると思います。しかし、「蛇」が「首切れ馬」に乗って来るなんて話になったら不気味だなあと思います。


[327] Re: 「ヤゴハン」は、徳島方言で「蛇」?

投稿者名: 佐々木
投稿日時: 2000年6月22日 09時27分

>偶然の同名であると思います。しかし、「蛇」が「首切れ馬」に乗って来るなんて話になったら不気味だなあと思います。

いえいえ、以前「鬼」の話でもちょっとしましたが、妖怪のイメージってかなり漠然としているので、「やぎょうさん」=「ヤゴハン」=「蛇」
でも「やぎょうさん」=「蛇」にはならないというか…う〜ん、うまく説明できませんが、例えば中国地方あたりだと山にでる妖怪はまとめて
「件」と呼んでいたりヤマワロが河童だったり蛇(ツチノコ)だったり、東北の一部では座敷童子と河童のイメージが混沌としていたりして、
かなり大雑把というか、逆に…例えば天狗を「鳶型」「人型」「狐型」なんて分類したり、河童を「亀型」「人型」「川獺型」なんて分類したり、
そういう生物学的な体系の仕方って、近年に生まれた発想(といっても江戸時代の学者はやってたけど、一般というか地方までは浸透していな
かった)でして、え〜っと、まぁ、そういうことですので、偶然の同名だとしても無関係ではないかな〜、と思います(蛇ってことは…やっぱり
憑き物関係に繋がるんだろうなぁ〜)

あ、あと蜚(ヒ)っていう妖怪がいるんですけど、これも牛型と虫型という、めちゃくちゃかけ離れた(しいて言えば草を食べ尽くす)イメージの
妖怪もいますし(あ、違うや。虫型の妖怪じゃなくて蜚ってイナゴのことだ)。

とにかく、妖怪の調査(というか伝承の伝播の仕方)ってビジュアル抜きの連想ゲームみたいなものですので、あまり固定観念というか、そういうのを
気にし過ぎると面白い発見を見逃す危険があります(あ〜、でも某T先生のように気にしなさ過ぎってのもなぁ〜)。


[339] 「夜行さん」から銭を奪うことも可能?(その1)

投稿者名: タキタ
投稿日時: 2000年7月24日 00時48分

「夜行さん」というと怖いというニュアンスがもっぱらですが、徳島県の郷土史家の喜多弘さんが美郷村種野で聞いた話では、「夜行さん」が馬に乗って複数歩いて来るが先頭から3番目か4番目には軍資金を積んだ馬が通るのでそれを狙って襲えばよいという話もあるということです。
人が妖怪を襲うというのもすごい話です。
この話から、疑問が氷解した伝承もあります。徳島県三好郡池田町白地の「やげんさん」の話です。
大晦日の晩、「やげんさん」が片目の馬をつれて山の峰を通っていきますが、馬には銭を積んであるのでジャランジャランと音がします。
その「やげんさん」に頼めば銭をくれるのです。
そこで、ある人が「千両くれ」と言うと、千両くれたのですが、帰ってきて見ると一文銭だったそうです。
ところで、「やげんさん」の出る晩には、どんなに不味い物でも機嫌を悪くせずに食べれば「やげんさん」が良いものをくれると伝わっています。ですから、「やげんさん」の出る夜には、「今晩は食べ物に文句を言ってはいけない」と親が子供に言い聞かせていたものです。

※「やげんさん」は大晦日から正月にかけて徘徊する歳神であると、この話を取材した市原麟一郎氏は解説しています。『語りによる日本の民話・阿波池田の民話』(1987年、国土社)より。


[340] Re: 「夜行さん」から銭を奪うことも可能?(その2)

投稿者名: タキタ
投稿日時: 2000年7月24日 00時51分

ところで、喜多弘さんは、「夜行さん」や「首切れ馬」に乗っているものは白い服を着ているらしいという見解を持っています。

喜多さんが「白い着物」の「夜行さん」とする根拠は、以下のとおりです。戦などで夜に宿舎(寺など)で寝ているところを敵が襲う。馬のいななきを抑えるために馬の首を切る。そのうえで襲撃をし、寝間着(白い着物)で出てきた敵を切る。切られた諸君が首の無い馬に乗って本隊(または敵)の後を追って出没するのだということです。
しかし、この場合、それを「首切れ馬」とみるか「夜行さん」と見るかは疑問です。喜多さんはこの両者の区別にこだわらないからです。
この一部の伝説を他の「夜行さん」(全ての)の姿形にも採用するというのは、考えものです。
東京では柳田国男の誤記から「夜行さん」=「片目の鬼」とされ、徳島県の喜多弘氏は「白い着物」を強調するということで、どっちもどっちです。
喜多先生。学研の「ムー」取材の事前調査でお世話になりながら、申し訳ありません。


[341] オマケ「尻切れ馬」(徳島県)

投稿者名: タキタ
投稿日時: 2000年7月24日 01時09分

○「尻無し馬」
徳島県海部郡海南町の伝説。
寿永4年(1185年)屋島の戦いに敗れ舟で落ちのびた平家の一武士が海南
町の浅川の「茶堂の鼻」というところたどりついた。
夜になり武士は馬を松の木につなぎ寝たが、里人の一人がやって来て褒美欲し
さにこの武士のことを役所にしらせようとして馬の手綱を解こうしました。その
とき驚いた馬がいななき、武士は目を覚まします。武士はとっさに里人に切りか
かりますが、手元が狂い愛馬の尻を切りつけてしまいます。馬は胴と尻が切りは
なされ絶命します。
里人は逃げてしまい。武士は愛馬を埋葬し、切腹して果てます。
その後、茶堂の鼻に尻の切れた馬が前足だけの蹄の音をたてて夜道を走るよう
になりました。夜道で「尻切れ馬」に追われて海に落ちたとかの噂も広まり、人
通りのなかったころもあったそうです。
※ 「海南町総合学術調査報告書(第2編)」(平成4年、海南町発行)所載
の「海南町の伝説」(湯浅安夫、調査)より要訳。


[384] 大滝寺の「首切れ馬」(徳島県) その1

投稿者名: タキタ
投稿日時: 2000年9月12日 02時36分

「読売新聞(徳島版)」昭和36年9月29日号より

●「因習と戦うO」
大見出し「今では新正月実施」
中見出し「実った新生活推進委の説得」
小見出し「血染めのモチ」
(本文)
○…大みそかの夜、あわただしい他地区の動きをよそに夕方から門を閉じ、店をたたんで早寝をする地区がある
そして元日、夜のあけるのを待ちかねてモチをつく。これは美馬郡脇、穴吹両町の旧大谷街道(大滝寺参道)沿いに住む人々が数百年もの昔から堅く守りつづけている風習である。「元日の朝以外についたモチは、ゾウニにすると血がにじむ」という言い伝えから起こったならわしである。大みそかに早寝しようと、元日の朝にモチをつこうと、それが直接生活に悪影響を及ぼすわけではなし、一向にかまわないではないかといってしまえばそれまでだが、こどもに与える影響など問題点は少なくない。当然何回となく改善運動が起こった。しかし厳然とした家族制度のもと、戸主である老人の「いやいや、お前らは大滝寺の“首切れウマ”を知らんからじゃ」という言葉は盤石の重みがあり、どう動かしようもない。大滝寺の首切れウマとはこんな話だ。

(つづく)


[385] Re: 大滝寺の「首切れ馬」(徳島県) その2

投稿者名: タキタ
投稿日時: 2000年9月12日 03時15分

○…この地方は、今も昔も大雨が降ると吉野川がはんらん、農作物に大きな打撃を受ける。その昔、泥水に荒らされ大凶作になったとしの暮れ、三谷村(現穴吹町三谷)に孫作という青年がいた。「年の瀬というのに金がない。何かよいもうけは…」と近所の友だち三人と話し合った。凶作に見舞われただけに村内にはモチつきの音ひとつしない。とても金などありっこはなく「阿讃山脈頂上の大滝寺へ行けば何か金目になる宝ものがあろう」三人は途方もないことを考え、その夜、家からカマ、マサカリなどを持ち出し、折りからの吹雪をついて十二キロの山道を大滝寺へ登り強盗を働いた。まんまと金品を奪った四人が「早く降りて金に替えようや」と下山しかけたときくりの横で突然ウマがないた。飛び上がるほど驚いた四人は腹立ちまぎれに「殺してしまえ」と持っていたカマやマサカリでウマの首をめった切りにした。いよいよ押し詰まった大みそかの夜、登山口の脇村(現脇町)や三谷村では「新しい年こそは」との願いをこめて門松飾りや、わずかなモチ米をかき集めてのモチつきが始まっていた。と、どこからともなくヒヅメの音が聞こえてきた。遠く近く不気味な響きをたてて聞こえるヒヅメに村人は不思議に思い、雨戸をあけてみて「あっ」と悲鳴をあげた。頭がなく、首からしたたる血をふりながら一頭のウマが狂っていたのだ。そしていまついたばかりのモチはいつのまにかベットリと血で赤く色どられていた。もう正月どころの騒ぎではない。この年の正月ほど暗いものはなかった。そして孫作らの悪事がだれの口からとなく知れ、村人は「“首切れウマ”のたたりだ」というようになり、年の暮れのモチつきと大ミソカの商売はしなくなり、正月も旧正月をするようになったという

(つづく)


[386] Re: 大滝寺の「首切れ馬」(徳島県) その3

投稿者名: タキタ
投稿日時: 2000年9月12日 03時41分

○…新生活運動の推進が盛んになり出したさる二十九年、美馬郡東部農改普及所は第一番にこの問題を取り上げた。「首の切れたウマが走るものか」普及員は農家を一戸、一戸回って口をすっぱくして説き、他町村のように年の暮れに正月準備をして楽しい正月を迎えることがよいと指導をした。だが「先祖伝来守ってきた元日のモチつきや旧正制度をわしらの代で簡単に変えられるか。もし変えてウマのたたりがあったとき、だれが補償してくれるか」と反ばくされ、大半の人が耳を貸さなかった。“首切れウマ”が走るわけがない。ウマの血がモチにまざる道理がない。脇町社会教育主事、柴田稔夫さん(三八)はいま、この習慣を追放しようと孤軍奮闘、オートバイをかって山から谷へと農家をかけずり回っている。この芝田さんの家も旧大谷街道にあり、庄屋をしていた父喜一郎さんは口ぐせのように「わいは“首切れウマ”をしかとこの目で見た」と柴田さんに話したという。「親の教えには心から従う。だがこの話だけは従えない」という柴田さんの決意は、この地方の人にとっては悲壮なものがある。

(つづく)


[387] Re: 大滝寺の「首切れ馬」(徳島県) その4

投稿者名: タキタ
投稿日時: 2000年9月12日 04時25分

○…脇町新生活推進委員会もこの問題に昨年四月から取り組んだ。本部になっている脇公民館は「この地方には昔から名馬が多く“美馬”の名までついている。ウマを愛した人たちが大切にせよと子孫に教えた教訓のいい伝えと“悪事”は家畜でもきらうといういましめからの言い伝えが因習になったのだ」と“血染めモチ”に理論づけ、婦人会、青年団とタイアップして巡回座談会を開き、老人たちに「正月は年の始め、もちろん新正月をするのが当然。そうなると準備は年の暮れにするのが道理だ」とひとつ、ひとつをかんで含めるように説いた。「じいちゃん、空には人工衛星が飛ぶ時代よ。ばかげたことにこだわる時代はとっくに過ぎたわよ」…オカッパ頭の孫娘までが老人を説いた。そしてさしもの“血染めモチ”も同年末には退散、旧大谷街道からは新しい年を迎えるモチつきの音が聞こえるようになり、同町内の学校も旧正月休みは廃止、正月行事はことしから新正月一本にすることになった。だが純農家にはまだ“血染めモチ”にこだわっているところがかなりある。「古いカラを打ち破るということはなみなみならぬことだ。でも町うちだけでもわかってもらえてよかった。あとひとふんばりです」と柴田さんの顔にはほのかな希望が浮かんでいる。=写真は“首切れウマ”の走ったという街道を示す道標


[388] Re: 大滝寺の「首切れ馬」(徳島県) その5=解説

投稿者名: タキタ
投稿日時: 2000年9月12日 04時27分

※ 解説(=タキタ)
以上で全文です。
新聞に掲載されている写真は、大滝寺の方向を指すただの道標です。新聞記事のキャプションだけでは、まるで「首切れ馬」の出没地を示す道標であるかの誤解が「花山院」参加者に生じそうなので、一言つけくわえます。
ところで、このように、この記載以外の各地でも妖怪の迷信打破に多くの人々が努力してきている訳です。したがって、現地の人々の神経を逆なでするような取材や文章表現による記載は控えるべきでしょう。礼節ある活字発表が(とくに)文筆家には求められます。

ところで、いったいいつから旧正月であったのかということについては、「数百年前」であれば、当然当時の普通の正月は現在からみれば旧正月の日付であるのですから、この「読売新聞」の記載は矛盾するところもありますが、大意を読み取るしかないでしょう。
「花山院」に打ち込んでいて、孫娘が祖父を諭すところでは思わず私は泣いてしまいました。
迷信の打破が終了した現代だから、我々は、「健全に形骸化した」妖怪伝承を文化として楽しめるのだと、現在は老人層であろう当時の婦人会や青年団の人々に感謝します。


[389] 無題

投稿者名: 花山
投稿日時: 2000年9月13日 00時06分

興味深い報告ありがとうございます。
考えさせられることが多すぎてまとまらないのですが。

生活改善運動の功罪についてはしばしば議論されることですが、
この事例においては、集落が何百年も抱えていた暗い過去を清算する
という意味で大いに意味があったようですね。


[397] 大滝寺は、讃岐山脈にあります。阿讃山脈は誤り。

投稿者名: タキタ
投稿日時: 2000年9月18日 23時39分

えー。大滝寺は大滝山にあるのですが、寺の住所は脇町です。
ところで、徳島県(阿波)と香川県(讃岐)の間にあるこの山脈を「阿讃山脈」と呼んでいるのは徳島県民だけであり、国土地理院の表記では「讃岐山脈」であると、さる徳島県民から指摘されました。たしかに地図には「讃岐山脈」とあります。
すると、県外から派遣される全国紙の徳島支局の記者も御当地の徳島県に敬意を表して「阿讃山脈」とわざわざ記載してくださっているのでしょう。感激です。(感激してよいのかどうかは疑問ですが……)
まあ、そのさる徳島県民は、国土地理院が「讃岐山脈」を「阿讃山脈」と名称変更をするまでは徳島県民としては抵抗運動として「阿讃山脈」と呼び続けるのであろうと苦笑していました。(そういう自覚ってないなあ)
いずれにしても、全国対象のHPで「阿讃山脈」と記載しては意味が通じないので、正しくは「讃岐山脈」であるということを報告いたします。

なお、徳島県には、脇町の大滝寺とまぎらわしい寺として、阿南市の太竜寺(たいりゅうじ)があります。
阿南市の太竜寺は、寺に残る伝説としては、修行時代の空海(後の弘法大師)がこもって修行した寺ということになっています。


[469] 「ヤゴハン」=「蛇」は屋敷内神でもある?

投稿者名: タキタ (ホームページ)
投稿日時: 2000年11月27日 22時44分

>偶然の同名であると思います。しかし、「蛇」が「首切れ馬」に乗って来るなんて話になったら不気味だなあと思います。
>

馬の上に他の動物が乗っているなんてのは、まるで「ブレーメン音楽隊」です。

さて、伝承地はいまだに調べられませんが、「やごはん」を「ヘビ」の方言とした女性(近所のタバコ屋のおばさん)によると、家屋の中にいるヘビの神でもあるという説もあると言います。具体的にヘビが家屋内にいるという訳ではありません。もっと抽象的な存在のようです。ええーい。徳島県のどこの市町村の言い伝えなのだろうか!

県内の50市町村の方言調査は困難だと嘆きますです。


掲示板開発&提供:ネオシティハ(ツリー掲示板レンタルサービス)