第十六話 コロポックル 1966年43号(10月30日号)掲載

 北海道には、コロポックルといわれる小人が住んでいた。

 イギリス人のジョン=セイリスが、国王のジェームズ一世の使いで、徳川家康と会見したのは慶長十八年。
 このセイリスが日本を見て歩いて書き残したものに『蝦夷記録』という本がある。その中に、蝦夷へ渡った日本人から聞いたといって、
「北海道で、北の方に住んでいる人は非常に小さくまるで小人のようだった。」
という話が記録されている。

 セイリスの本が出た約百年後の宝栄七年、松宮観山という人が書いた『蝦夷談話年記』にも、
「じぶんは、北海道の『ちいさご島』というところへ行った。この土地の人たちは、昔ここに小人島の人が来たと語った。」
と書かれている。

 また、旅行家だった菅江真澄という人が旅行記で、
「ちいさごが浦を発見した。」
といっている。
 そこは、別に北の方でなく北海道の南端で、今の松前近くの原口村辺りだった。

 その後も、村上島之丞や志鎌万輔といった人が、小人のことを書き残している。

 村上島之丞は、小人を『トイ・チャイ・コチャ・カムイ』(土の家を持つ神様)とよんでいる。小人の身長は約一メートル二〇センチで、髪の毛が長く、魚を捕るのがうまかったとも書いている。

 小人たちは、フキの葉の下に土の家を建てて、三人ずつ住んでいたらしい。そのため『コロポックル』(アイヌ語で、フキの葉の下に住む人)とよばれたのだ。

 小人たちは初めはフキの葉の下から手を出すだけで顔や姿を見せなかった。そしてアイヌ人から物をもらったりしていた。

 その小人の中に、手に入れ墨をしている小人がいた。これを見たアイヌ人が真似をして入れ墨をしだしたのだという。

 だが、ある日、アイヌ人たちが小人にいたずらをしたらしく、いつの間にか北の方へ逃げていってしまった。ある人は、アイヌ人が小人の姿を見ようと無理に手を引っ張ったからだと言っている。

 アイヌ人は、文字や人形などで形を残すのは不吉なことだといやがる。そのため、小人についてのいろいろなおもしろいことも、ただ親や子へ、子から孫へと語り伝えられただけなので詳しいことはわからない。

 ただ、北海道には、北から渡ってきた民族が多く、アイヌ以外の人種がいたことは、十分考えられる。

 コロポックル研究家である、北海道大学の児玉作衛門先生は
「コロポックルは、北から来た民族で、アイヌ人と一緒に住んでいた。しかし、まもなくまた、いずこともなく北へ帰った。」
と言っている。


第十七話 欠号     1966年44号(11月6日号)掲載

第十八話 欠号     1966年44号(11月6日号)掲載

第十九話 山鬼     1966年45号(11月13日号)掲載

 山の中には、明治の頃まで我々日本人とは全然縁のない人種が住んでいた。それを人々は、山鬼あるいは天狗、また山男ともいった。

 人にあっても、一言も話さず、食べ物も何であったかは、はっきりしない。ただ、米の飯を非常に喜び、餅が大好きだったが塩だけは、好まなかったと言われている。衣服は、木の葉やボロぎれを着ていることもあり、また、全然着てないこともあった。宮崎県の山中で猟師の罠にかかって死んでいた山鬼の女は、髪が長く、色白で、裸であったという。

 また山鬼は、よく山中で寝ていて、いびきをかいていたという話が残っている。

 室町時代になって、猟師が食べ物を与えて、仕事をさせたこともあった。先に食べ物をやると仕事をせずに逃げていくので、仕事をした後で食べ物を与えた。

 大変無知だったということは、白い石を餅と間違えて焼いて食べ死んだという話からも分かる。

 山鬼は無知だったせいか、山中の生活が適さなくなったのか、明治の頃にはしばしば山中で山鬼が死んでいるのを見かけたという。

 今はどうなっているのか誰にも分からない。


第二十話 あしまがり  1966年45号(11月13日号)掲載

 この「あしまがり」は香川県によく出る妖怪だ。夜、道ばたに突然現れる。昔の人は狸の仕業ではないかと思った。正体を見せず、綿のようなものを歩いている人の足にからみつけて苦しめる。最近はあまり見かけないが、昔はよく出て道を間違えさせたという。なにか、人間に幻覚を起こさせる妖怪だったのだろう。

 東京の近くにも、昔は薬罐坂という不気味なところがあった。夜、この坂を一人で通ると、やかんのようなものがコロコロと転がりだし、人が歩くのをじゃました。これもたぶん、あしまがりと同じような種類の妖怪だったのだろう。


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