第六話 怪火蓑蟲    1966年31号(8月7日号)掲載

 蓑蟲というのは、火の形をした妖怪であり、人魂とは、全然別なものである。それが、どんな形をしてどんな性質を持っていたかは、いまだにはっきり分からない。

<新潟県の田舎の話>
 小雨の降る晩などに、いずこからともなく、火が現れて着ている蓑の端にくっつく。そして、払えば払うほど全身を包む。ただし、熱くないという。多人数で歩いていても、いつも一人だけにくっつく。この場合、他の人には見えない。

 雨のしずくが光って、火の粉のように見えるのだという人もいる。また、いたちの仕業であろうとも言われている。

<愛知県の田舎の話>
 夜、道を通ると、提灯のような火が出て、家まで送ってくれるという所があった。

 また、ある村では、出てきた怪火が、村はずれの古いヒノキの木の下まで来ると消える。そこで、古いヒノキを切ったらその火は出なくなったという話もある。

<秋田県のある地方の話>
 何か良いことがあるとき現れるといわれ、ある地方では、狐の仕業と見て狐火(きつねたいまつ)とも言った。

<九州地方>
 「天火」といい、大きさは提灯ほどで、人魂のように尾をひかない。それが屋根の上に落ちると火事になるという。

 佐賀県では、それが、家の中に入ると、病人が出るというので、鐘を叩いて追い出す。

 宮崎県では「むさ火」といっている。雨の降る夜に二つ出る。明治の中頃までは時々見たという人があった。

<高知県>
 ある地方では「けち火」という。たいていは亡霊が化けたものだと思われていた。竹の皮の草履を、三回叩いて呼べば、近づいてくるという。

<奈良県>
 「しゃんしゃん火」といい、飛ぶときに、しゃんしゃん音をさせるという。普通、城跡の辺りに住んでおり、ホイホイと二、三度呼ぶと、必ず、しゃんしゃんと飛んで来るという。これを見たものは病気になるというから、そう、たびたび試みられなかったろう。


第七話 欠号      1966年32号(8月14日号)掲載

第八話 山じじい    1966年33号(8月21日号)掲載

 昔、山に『山じじい』(山爺)という妖怪がいた。特に、四国の高知県に、そういう記録がたくさん残っている。

 高知藩の山の役人として、春木次郎繁則という人が、土佐郡本川郷の山村に勤めていた。この人が宝暦元年に書いた日記の中に、この山じじいのことが書かれている。

「山鬼という妖怪がいる。年七十ばかりの老人のようで人に似ていた。目一つ足一つで、蓑のようなものを着ていた。普通、本川の『山じじい』という。一説には、妖怪ではなく、けものの類であるという。

 しかし『山じじい』を見た者は、そうたくさんいるわけではない。ある大雪の日に、村はずれの道に足跡があった。杵で押したような丸い足跡だった。これが、山じじいの足だろうといわれた。

 また、村の老婆が、ばったり道で逢ってすれ違ったという。びっくりしてあとを振り返ったが、もう山じじいの行方はわからなかったという。それはぴょんぴょん跳んで歩くからだろう。」

 また『南路志績編稿草廿三』という書物に、

「ある人がいうには、この一眼の者、土佐山中に多い。その名を『山じじい』という。形は人に似ていて、全身にねずみ色の短い毛があり、目ははなはだ大きく、しかも光っている。

 歯はものすごく強く、サルの頭などをまるでダイコンをかじるように食べる。オオカミは、この山じじいをものすごく怖れた。

 猟師などは山小屋で寝るとき、山じじいに毛皮などをとられないように、家の周りに、動物の骨を置いて寝たという。」

と記されている。

 広島県辺りにも、山村では朝起きてみると、雪の上に丸い足跡が二メートルおきにあるのを、昔は見たという。ただ、姿を見た者はあまりなかったらしく、「一つ足」と呼んだ。足跡の大きさは人間の足の四倍ぐらいあったという。

 和歌山県には、今でも熊野山中に『一本だたら』という妖怪が住んでいる。その形を見た人はいないが、幅一尺(三〇センチ)ばかりの大きな足跡が、一足ずつ雪の上に記されているのを、今でも時々見る人があるという。

 深山で、木を切る木こりの話だが、何日歩いても、山ばかりという深山の中にときどき人の家のような妙な空き家があるという。わたしはそれが『山じじい』の家ではないかと思う。


第九話 たたみたたき  1966年37号(9月18日号)掲載
 
 夜中に、畳を叩くような音をたてる妖怪で、静かな夜遠くの方で、かすかに、パタパタという音をたてる。

 この音に近づこうとするとだんだん遠くなるように聞こえ、離れるとだんだん大きく聞こえてくる。どこから聞こえてくるのかさっぱり分からない。それで、高知県では、タヌキのせいだろうといわれた。

 また、関東地方の山中では、遠くの方で、コツコツと、餅の粉を叩くような音をさせるという。人によってよく聞こえる人もあり、全然聞こえない人もいる。どこから音がくるのか、この地方の人も、やっぱり分からなかった。

 そのため、これはきっと、かくれ里という、普通の人間には行くことができない別世界があって、底に住む人が、餅をついているのだと考えた。そして、この音のことを『かくれ里のもちつき』ともいってこの音を聞くと、長者になれるともいった。

 和歌山県ではこれを「パタパタ」といい、音が聞こえるのは、冬の寒い夜だけに限られていた。

 だが、いずれにしても、その正体を見た人はいなかった。

 広島県では、やはり寒い冬の夜、特に北風が強く吹く夜中にこの妖怪が出る。パタパタ、パタパタと、その音は4キロ四方に響く。そこで、その土地のある老人は、村の中心にある竹藪にいるものと考えた。

 老人は昼間から竹藪に入って待っていた。すると竹藪の隅にある、大きさが漬け物石ぐらいの石から、パタパタ、パタパタという音がした。

 はっと思って石を見ると、石のかげに、小さなものが手を打って音をさせていた。あわてて近寄ろうとすると小さなものは石の中に入った。(あるいは横に逃げたのかもしれない)

 老人は、その石を家に持って帰ると、いつの間にか、顔に石と同じ大きさのアザができていた。

 老人はびっくりして石をもとのところに返すと、アザはけろりと治った。それ以来、この石をパタパタ石と呼び、その音は、石の精が出すのだと考えられた。

 これが『たたみたたき』の正体かもしれない。


第十話 かくれ里    1966年38号(9月25日号)掲載
 
 夕方、かくれんぼうをして遊んでいると、かくれ座頭というじいさんが出てきて、『かくれ里』という、誰にも入れない世界に連れていくという。それがどこにあるか、誰にも分からなかった。

 ある日、高尾山を歩いていた二人の男が、山の北側に一つの大きな穴があいているのを発見した。穴の深さはどのくらいあるのか分からなかった。

 と、覗いていた一人の男が、誤ってこの穴の中に落ち込んでしまった。一緒にいた友達がひどく心配して「さてさて、大変なことになってしまった。たぶん命はなかろうが、もし生きていたら、さぞ食べ物に困るだろう。」と、食べ物を穴の中に投げ込んでやった。

 穴に落ち込んだ男は無事であった。男は上から投げ落とされた食べ物を拾って、穴の中を先へ先へと歩いていった。

 はじめは真っ暗だったが十日あまりも、根気よく歩き続けていると、急に辺りが明るくなった。見ると、一人のじいさんが寝ている。

 その男は空腹だったので「何か、口に入れるものはないでしょうか。」と、尋ねてみた。すると木の根のところを指さしながら「それを飲んだらよかろう。」と言った。そこには竹筒があって、白い液が入っていた。それを飲むとたちまちからだや心がさわやかになって気力が満ちてきた。

 気が付くと、周りには、さわやかに鳥が鳴き、いろいろな果物がなっていた。

「お前はここにとどまる気かね。」「いいえ、僕、家に帰りたいです。」というと、「それでは、ここから西へ行くと一つの井戸がある。その井戸の中に飛び込んで見なさい。」と教えてくれた。

 その男は西へ行き、見つけた井戸に飛び込んだ。井戸の底には一本の道が続いていた。男は道ばたにあるものを食べながら歩き続けた。そして半年ぶりに高尾山の中腹に出た。

 山を下り、町の中へ入った頃には、もう夕方だった。町の中では子供がかくれんぼうをしていた。

 と、物陰に、あの穴の別天地で会った老人が隠れている。そして、子供が、そこに隠れに来るのをじっと待っているようだった。男は疲れていたのでそのまま家へ帰った。

 次の日の朝、子供が一人いなくなったと町中が大騒ぎしていた。男は、初めてあの老人が『かくれ座頭』だったということが分かった。

 男は、町の人を連れて高尾山の穴を探してみたが、穴はどこにもなかった。


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