第一話 魚石      1966年22号(6月5日号)掲載

 昔、長崎で商売をしていた伊勢屋に、仲のいい中国人が帰国の別れを告げにやってきた。
 挨拶が済んだ中国人は、帰りがけに土蔵の石垣をじっと見ていたが一つの青い石を指さして、「この石を譲っていただけないでしょうか。」と真剣な顔をして、伊勢屋の主人に言った。

 主人はびっくりして、「この石をとりますと、石垣が崩れるのでそれだけはご勘弁ください。」と言って断ると、その中国人は百両出すと言い出した。

 それを聞くと伊勢屋の主人は急に欲がわき、一千両ならばというと、中国人は考えさせてくださいと言って、中国に帰って行った。

 主人は、中国人がああいうからにはきっと値打ちのある石だろうと、その青い石をとって磨かせてみた。だが光りもしないし、割ろうとしたが、堅すぎて、普通の人ではなかなか割ることができない。変に思った伊勢屋の主人は石屋を呼んで半分に割らせてみた。すると石の中から水がでて、それと一緒に赤い金魚のようなものが二匹飛び出してきてすぐに死んでしまった。

 その次の年、あの中国人が、三千両持って伊勢屋にやってきた。

 「あの石をぜひ三千両で譲ってください。」と言ったが、伊勢屋の主人は、実はこれこれしかじかで石を割ってしまったと言った。

 これを聞いた中国人は、涙を流して残念がり、「それは惜しいことをされました。実はあれは「魚石」という、世界に三つとはない貴重な石でした。あれを気長に周りから磨き上げると水の光が中から透き通って二匹の魚がその間を遊び回るという、美しいものです。朝夕それを見ていると、心が落ち着き、長生きをすると言われ、中国の高貴な人たちがほしがっていました。」

「しかしただの金魚を見て、どうして長生きできるのでしょう。」

「いや、中にいる魚は金魚ではなく、我々には知ることのできない生き物です。金魚がどうして石の中に何千年も生きておることができますか。」

伊勢屋の主人はびっくりしてしまった。


第二話 怪物カーラ   1966年23号(6月12日号)掲載

 カンボジアの誰も行かないジャングルの中に石造の古い建物があった。

 欲の深いアメリカ人が何か古代の財宝でも眠っているだろうと思って、中に入ろうとしたが、現地の人に強く引き留められた。「あの中には怪物カーラがすんでいるということです。」

 そう言われてアメリカ人はますます見たくなった。ちょうど部落の人がいなくなった祭りの日にこっそりその建物に入ってみた。そこは、荒れ果てた何千年前の建物というだけで、なにもおらず、持って帰れそうなものも何もなかった。

 それでは余りにも期待はずれなので持っていたつるはしで石を一つずつ叩いてみた。すると一つの石がころりと落ちて穴がぽっかり空いた。これこそ古代の財宝の穴に違いないと中へ入ったが、中は、ただ無限に深い暗黒の穴だった。アメリカ人は気味が悪くなってホテルに切り上げた。

 あくる日になって、手を洗おうとすると、右手の小指がない。驚いてホテルの友人の部屋に行ってその話をした。そのとき突然友人の見ている前で、右目がボコッとなくなった。

 小指のなくなったアメリカ人は、わめきながら、表へ走り出た。友人は慌てて後を追ったが、そこには人影はなく、ただ、今まで見たこともない足跡があるだけだった。友人はびっくりして、その足跡をつけていくと、あのジャングルの中の石造の古い建物の中に続いていた。

 その友人は不思議に思い、丹念に足跡をたどっていくと、あの無限に深い穴のところで消えていた。友人も気味が悪くなって慌てて引き上げた。

 あくる日目を覚ました友人はやはり右の小指がなくなっていた。


第三話 座敷童     1966年24号(6月19日号)掲載

 本所二丁目の、ある横町に梅原宗得という人の家があった。この人の家の土蔵に人間が入ったとき、にわかに大小便をもよおすことがあった。そんなときは妖怪がでる前兆だと言われていたので、急いで土蔵を飛び出さなければならなかった。また時々、夜、金棒を引く音が聞こえたりした。

 ある年、近くから火事が起こった。家の人が慌てて家具などを片づけ始めたが火はどんどん近くなる。そのとき見慣れない子供が一人出てきて荷物をまとめて蔵に入れてくれる。顔を見ようとしたがどうしても見えない。やがて荷物を全部蔵の中へ入れると、自分も中に入って戸を閉じてしまった。

 この古土蔵は別に変わったところもない。ただ隅の棚の上に十五、六センチ四方の箱があって誰も手をつけたことがなかった。だからたぶんその中に座敷童が住みついたのではなかろうかと言われていた。その古土蔵も明治の中頃火事で焼けてしまい座敷童も見えなくなってしまった。

 ところが明治四十三年の夏、岩手県の土淵村の小学校にこの妖怪が現れ、子供と一緒になって遊びんだ。ただし、小学一年生の子供たちだけにしか見えず、年上の子や先生には見えなかった。さらに、岩手県遠野市の小学校にも現れたが、やはり見たのは一年生だけだった。

 昭和五年、やはり遠野市の小学校に突然子供の幽霊が出るという噂が立った。それを見た子供の話では夜の九時頃になると白い着物を着た子供が戸の隙間から入ってくる。そして教室に入り、机やいすの間をくぐっては楽しそうに遊んでいたというのだ。だが、やはり大人には見えなかった。この妖怪も座敷童だろう。


第四話 小豆洗い    1966年25号(6月26日号)掲載

 川とか谷で夜小豆を洗うような音がすることがよくある。これは「小豆洗い」という妖怪が音をさせるのだと日本各地で言われている。

<四国>
 昔ある人が寺の裏で時々夜更けに「シャリシャリ」という小豆を洗う音を聞いた。
 ある夜、そっと足を忍ばせて近づこうとしたが音はすぐに止んでしまった。

<鳥取>
 ある家のそばの溝の中で、夜中に小豆を洗う音がした。
 物好きな人が何とか正体を見ようとして溝に近づいたところ、急に足を踏み外して、溝に落ちてしまった。別にけがはなかったが、落ちたのは「小豆洗い」の仕業だろうと言われた。

<山梨甲府>
 小豆を洗う音がしたのは山の中の川だった。
 その音を聞いた人が山の中を二キロ行っても十キロ行ってもその音は耳を離れなかった。
 これも「小豆洗い」のせいだろうと言われた。

 ある村の老人はその音はムジナが人をからかったのだろうと言った。
 また、ある地方の老人はイタチの年取ったのが化けるのであろうと言った。

 しかし、信州に出た「小豆洗い」は歌を歌っていたという。
  小豆とごうか人 とって食おか ショキショキ

 村の若者が棒を持ってその歌声のほうへ近づいてみると、そこには小豆のとぎ汁があるばかりで「小豆洗い」の姿はなかったという。


第五話 天邪鬼     1966年30号(7月31日号)掲載

 天邪鬼は、弱いくせに、人の口まねをしたり、反対することが好きな妖怪だ。

 最近では、天邪鬼は、町には姿を見せず、もっぱら、空気のきれいな山の中に入って、山彦となっている。「おーい」というと、「おーい」と答える。わざと同じ言葉を返すいたずらが大好きなのだ。だから、ある地方では『山の小僧』ともいう。

 鳥取地方では、山彦のことを『呼子』という。この地方では昔から山彦は、一本足の子供(天邪鬼)がいて、声を出すのだろうと考えられていた。

 佐賀県では『おらびけそう』という。「おらぶ」とは、大声を出すということだが、山の中で会うと「おらびかけると、おらび返す」といって、肩を叩く。

 天邪鬼は、昔いたものか、今もいるものか、だれも確実な記録を残していないので、はっきりしたことはわからない。だから、はっきりした形があるわけではない。

 前ページの絵(注:天邪鬼が右手を顎の下に当てて座っている彫刻の絵)は、大阪府河内長野市の観心寺にある、昔の人の作った古い彫刻である。

 一本足の子供の絵(注:呼子の絵)は、鳥取地方に伝わる民芸である。何百年も前から、こういう一本足の子供の形だけが、伝えられているのだ。


HOME/進む