2012.02.27 朝日新聞社説

原発の再稼働 需給見通しの精査が先だ

 西日本で稼働中の原発がなくなった。東日本で残る2基も定期検査が控える。このまま進むと、5月には日本の電力供給は完全な原発ゼロ状態となる。一方、電力需給は安定している。暖房需要が減れば、さらに余裕が出てくるだろう。震災後1年弱に及ぶ節電が、強いられた受け身の努力から前向きの挑戦へと変わり、全国の企業や家庭へと裾野を広げつつある。まさに、「節電は最大の電源」である。古い火力発電所の稼働で無理をしている面はある。電力不足への懸念が経済活動を制約していることも否定できない。それでも、節電で経済が失速し、国民生活が混乱に陥っているわけではない。むしろ省エネを通じて経済社会のあり方を変革し、新たな成長につなげる戦略が現実味を帯びている。それは、日本に54基もの原発がそもそも必要だったのか、という疑問に結びつく。
 ●見えてきたゼロ社会
 私たちは昨年7月、「原発ゼロ社会」を提言した。そのなかで、原発をゼロにできる時期について「20~30年後がめどになろう」と述べた。しかし、需要ピークの昨年8月を12~16基の稼働で乗り切ったことを踏まえれば、はるかに早く実現できるだろう。原発政策は、こうした需給面での新たな観点に立ち、発想を根本的に変える必要がある。すなわち、「安全だから動かす」から、「本当に必要な数だけしか動かさない」への転換である。目下の焦点は、関西電力・大飯原発3、4号機(福井県)の再稼働だ。原子力安全・保安院は両機のストレステスト(耐性評価)の1次評価を「妥当」とする審査書をまとめている。だが、ストレステストは重要な機器や設備を対象にしたもので、原発全体に目配りしているわけではない。大地震と津波を対象にしているが、火災などは含まれていない。保安院の「妥当」判断も、安全性の保証ではなく、計算に問題がないことを示すだけだ。再稼働の判断で最も重視すべきは、福島の教訓を踏まえた安全基準や防災対策の強化、そして「想定外」のことが起きても次善の策で減災をはかる危機対応の体制整備である。この作業には時間がかかる。今夏の需要期には、間に合わない。もし、この夏の電力が本当に足りないのなら、暫定的な安全基準に基づいて、動かさざるをえなくなるだろう。ただし、それには、他の事業者などからの電力確保や節電の要素をきちんと盛り込んだ、信頼性の高い需給見通しを示すことが大前提である。
 ●なし崩しへの疑念
 福島第一原発の事故以来、電力会社が展開してきた「電力不足」キャンペーンは実態とずれていた。もちろん、電力供給に責任を持つ企業が不測の事態を警戒するのは当然のことだ。しかし、電力業界は自らの利益のため、大飯原発を突破口になし崩し的に原発を動かしたいだけではないか。そんな疑念が国民にある限り、再稼働を訴えても説得力はない。安全対策が十分に整わない今夏は、原発による電力が欠かせなくなっても、必要最低限のものしか動かさない。政府がそう打ち出すことが、国民の理解を得る最低条件だろう。この夏を何基の原発で乗り切ることになるか。ゼロなのか。その結果、経済や社会にどのような影響が出るのか。先々の料金の見通しはどうか。そうした評価を、中長期の脱原発への工程表に生かしたい。大切なのは、「どう動かすか」ではなく、「どこを閉めるか」という視点である。まず新しい安全基準や危機・防災対策の枠組みを、早く完成させなければならない。そして、既存の原発を危険性で仕分けし、早期に閉める炉を決めていく。これまで無視されていた防災・避難対策のコストを反映させることが重要だ。現段階でも決められることはある。古い原発の廃炉である。稼働から30年以上たつ原発は、福島第一を含め19基、うち3基は40年以上だ。細かく検査する以前に、老朽化したものから止める。欧州などで重視される「予防原則」の考え方だ。
 ●「危ない」現実を直視
 政府の事故調査・検証委員会は中間報告で、「災害対策のパラダイム転換」を求めた。そのためには、「原発は危ない」という事実を直視しなければならない。これまで電力会社も政治家も専門家も、この現実から目を背けてきた。それが「安全神話」を生み、原発反対派との間で建設的な議論が成り立たないまま大震災を迎えてしまった。脱原発への国民的な合意を築くうえでも、「原発は危ない」という動かしがたい現実から再出発しなければならない。