■私の母に聞いた話です。
私の実家は、とある古い新興住宅地の一角にあります。古くて新興とはこれいかに、と思われる方もいらっしゃると思いますが、要するに一世代前に開発された新興住宅地なんですね。町は新興住宅地としての特性を持ってはいるけれど、既に子供たちは成人して巣立ち、住民の殆どが中高年で構成されている、という状況です。
その日、母は買い物帰りでした。ダイエット健康のために徒歩で住宅地の中を歩いていたそうです。
自宅まであと三ブロックほど、というところで、なにやら人の声が聞こえてきました。
日中静かな住宅街、決して怒鳴り声というわけではなかったのですが、その男の声はあたりにとても響き渡っていました。
見ると、前方でインターフォンに向かって何かを訴えかけている若い兄ちゃんの姿がありました。作業服姿で、何かの勧誘なのでしょうか、インターフォン越しに断られている様子です。
仕事とはいえ、大変だなあ。と、心の中でつぶやく母。あまりジロジロ見ているのも失礼だと思って、そ知らぬ風でその横を通り過ぎようとしました。
若い男は既にインターフォンから撤退し、携帯電話で通話中です。聞くとはなしに、母の耳に
「ダメだった。全然アカン」
そうか、何か知らんが断られたんだなあ。
男は電話の向こうに、グチグチと報告しているようです。
「・・・で、今、近所のオバサンが歩いてンねんけど」
ん?
「ちょっとついてって、・・・してみるわ」
待て待て待てっ!
詳細は聞き取れなかったけれど、どうやら何かのアタックを「オバサン」に試みるそうです。
見渡す限り、そこには母と若い兄ちゃんの二人しかいません。
一目惚れで愛の告白というわけではなさそうなので(笑)、何かの営業、勧誘なんでしょう。
いや、聞き間違いか思い過ごしか、私ちょっと自意識強すぎ? と現実逃避する母。しかし、次の瞬間、心臓が凍りつきそうになったそうです。
背後に足音が聞こえる・・・!
他に人がいなくて、さっきの電話の会話がアレで、そして、ついて来る足音。
いやいやまてまて、たまたま同じ方向に行く事だってあるよね。ドラマじゃあるまいし、尾行なんてことあるわけないよね。やっぱり私ちょっと自意識強すぎ? と無理やり現実逃避する母・・・。
角を二回曲がっても、足音はついて来ます。
これはヤバいかも。インターフォン越しでも勧誘を断るのに四苦八苦する自分が、自宅門前で呼び止められでもして、面と向かって勧誘を受けたら絶対断れない。(断言するなよ〜:涙)
いやしかし、この足音がさっきの兄ちゃんのだとは限らない。途中で足音の主が近所の人と入れ替わっている可能性だってあるよね。そう、振り返って確かめたら・・・たら・・・
振り返って、営業の兄ちゃんと目があったら、その場で勧誘が始まってしまうかも・・・!
頭の中でいろんな考えがグルグルまわっている状態で、ついに自宅の前まで来てしまった母はとりあえず自宅を通過。そのままさらに先へと、平静を装って歩き続けました。
さらに一ブロックほど行ったところで背後の足音が止まり、母ははやる心を抑えつつ次の角を曲がって、生垣の陰からそっと自分の歩いてきた方向を覗いてみました。
そこには、来た道を戻っていく先ほどの兄ちゃんの姿が!
「訪問販売ってな、電話でアポとったり、インターフォンで上手いこと言うて呼び出したりする他にも、尾行してくることがあるんや。気をつけんとアカンよ」
■・・・確かに、家人を玄関から引っ張り出した者勝ちな訪問販売の人にとって、帰宅する人間と門前でバッタリ、というのはとってもラッキーなわけで。
んで、どうみても「これから家に帰ります」といった風体で住宅地を歩いている母を見て、ついつい後をつけてしまう気持ちもとてもわかります。
特に、実家の近辺の移動手段はバスか自家用車が殆どなため、住宅地をスーパーの袋を携えて徒歩で歩いていたら、バスから降りてすぐ近くの自宅に戻る途中、と思うのが普通です。
すぐそこに家があるのだろう、と思ってついてきた兄ちゃんにしてみれば、一体どこに行くねんと裏切られた気持ちだったに違いありません・・・。
しかし、尾行までするか・・・。