ITCの歴史


 1901年、アメリカの民俗学者であるヴァルデマール・ボグラスは、チョウクチ部族のシャーマンに会うためにシベリアへの旅に出ました。暗い部屋の中で霊的な儀式が行われ、シャーマンはドラムをどんどん速く叩き、自分自身をトランス状態へと持っていきます。驚いたことに、ボグラスは奇妙な声が部屋中に響くのを聞いたのです。声は部屋の四隅から聞こえてくるようで、英語とロシア語で話していました。セッションの後でボグラスはこう書いています:

私は暗闇の中でもうまく録音できるように機器を設定しました。シャーマンが腰掛けたところは一番遠い角で、私から20フィート(約6m)ほど離れていました。明かりを消してしばらくすると霊達が現れ、シャーマンの願いに応えて蓄音機のラッパに向かって話したのです。録音されたものを再生すると、シャーマンの声が背景に聞こえる中で、霊の声が当にラッパに向かって直接話されたように聞こえるのがはっきりとわかります。その間中、シャーマンの休みないドラムの音が、まるで彼がずっと一個所にいるのを証明するかのように鳴り響いていました。

これは、電子機器で霊の声を録音した実験として知られている最初の例です。年表に戻る


 電球、映画用のカメラ、蓄音機を発明したトーマス・アルバ・エジソンは、1920年当時、死者との交信を実現するための機器を作り出すのに忙しく立ち働いていました。助手のミラー・ハッチンソン博士はこう書いています:

エジソンと私は、心霊の分野を研究することによって、人間の一生を考える上でとても重要な事実が明らかになっていくだろうと確信していました。その発見は、我々が電子工学の分野で作ってきたどの発明よりも重要になるはずです。

 残念なことにエジソンはその機械を完成させる前に亡くなりました。しかし、彼は死の床で医者に向かって「向こう側はとても美しい」と言ったのです。エジソンはとても現実的な科学者で、実際にそれが真実だと信じていない限り「向こう側はとても美しい」という類のコメントは決してしない人でした。
 1967年にトーマス・エジソンは、トランス状態にある西ドイツの透視能力者シグラン・ソーターマンを通して、1928年に彼方からの声を録音する機械を改善するためにした努力について語っています。エジソンはテレビをどうやって改造するかを述べ、740メガヘルツにあわせると異常な効果が表れると示唆してしました。(このセッションはスイスのリースタルに住むポール・アフォルターによって録音されています)。年表に戻る


 1936年にカリフォルニアのアティラ・フォン・スザレイがパックベル社のレコードカッター(蓄音機の溝を刻むもの)と蓄音機を用いて、超自然的な声を録音するための実験を始めました。1947年にサーチリューバック社のワイアレコーダ(マイクがケーブルで接続された録音機)を購入し、それまでよりもよい品質を得ますが、ケーブルの技術的問題に突き当たります。1956年に実験に加わったレイモンド・ベイレスと共同で、1959年に「the American Society for Psychical Research」(アメリカ心霊研究協会)の研究紀要に記事を書きましたが、何の反応も得ることができませんでした。年表に戻る


 1950年代初めのイタリアで、二人のカトリック牧師、エルネッティ神父とジェメリ神父は互いに協力して音楽関係の研究をしていました。エルネッティは科学者、物理学者及び哲学者として尊敬され、音楽の愛好者でもあります。ジェメリは教皇庁アカデミーの学長です。1952年の9月15日、ジェメリとエルネッティがグレゴリオ聖歌を録音していたときに、録音機(magnetophone)のワイアが壊れて直らなくなってしまいました。ジェメリ神父はどうしようもなくて天を見上げ、彼の亡くなった父に助けを求めました。すると驚いたことに、父親の声が録音機に録音され、こう応えたのです:

もちろん助けるとも。私はいつでも傍にいるよ。

 彼らは実験を繰り返し、今度はユーモアに富んだ鮮明な声を得ました:

でもズッキーニ(きゅうりに似たかぼちゃ)、明らかなことだよ。私だと分からないのか?

 ジェメリ神父はテープを凝視しました。小さい頃、父親が彼をからかうのにつけたこのあだ名は、他の誰も知るはずはありません。彼はその時、父親と本当に話していたのだと悟りました。父親が明らかにまだ存在していると知って嬉しい半面、恐れの気持ちも拭い切れません。彼は死者と話をする権利でも持っていたのでしょうか?
 結局、二人はローマ法王ピオ12世のもとを訪れ、ジェメリ神父が困惑しながら、彼らに起こった事柄を話しました。驚いたことに法王は彼の肩を叩きこう言いました:

ジェメリ神父、心配することはありません。この声の存在は厳密な科学的事実で、交霊術などとは全く違うものです。録音機とは客観的なものです。これは外部から来る音の波しか録音しません。この実験は、死後の世界の実在性を確固たるものにする、科学的な研究の礎となるかもしれません。

 ジェメリ神父はとりあえず安心しましたが、死の数年前までこの実験を公にしませんでした。この結果が公にされたのは1990年のことです。年表に戻る


 1959年、後に超自然的な声の研究分野での偉大な開拓者となるスウェーデンのフィルムプロデューサー、フリードリッヒ・ユルゲンソンが、鳥の声を録音したテープに人の声が混ざっているのに気づきました。彼はテープを再生し、男の声が「夜の鳥の声」について何か言っているのを聞いて驚愕しました。テープをさらに注意深く聞くと、彼の母親がドイツ語で何か言っています:

フリードリッヒ、あなたは見守られています。フリーデル、私の小さなフリーデル、聞こえますか?

 ユルゲンソンは母親の声を聞いたとき、自分が「重大な発見」をしたことを確信しました。それから4年間の間、ユルゲンソンは何百という超自然的な声を録音し続けます。そして、彼は国際記者会見でそのテープを流し、1964年にスウェーデンで「Roesterna Fraen Rymden 」(宇宙からの声)を出版しました。年表に戻る


 1967年にユルゲンソンの著書がドイツ語に翻訳されたとき、ラトヴィアの心理学者コンスタンティン・ラウディヴはその内容を疑り深く読みました。彼はユルゲンソンのもとを訪れ、彼の方法論を学んだ後に自分自身の実験を始め、すぐに彼独自の実験テクニックを編み出していきます。ラウディヴもユルゲンソンと同じように亡くなった母親の声を聞きましたが、その声は彼の少年時代の呼び方を使って「コスツリット、私はあなたの母親です」と言っていました。最終的に、彼は厳密な条件の実験室の中で、何千何万という声を集めました。
 1968年にラウディヴが、今まで得てきた72,000例の録音に基づいて、「Unhoerbares Wird Hoerbar」(聞こえないものが聞こえる)を出版しました。
 1971年、有限会社ピー・レコードの主要なエンジニア達が、ラウディヴとともに厳密な条件の下で実験をすることを決めました。彼らは、ラジオとテレビ信号を完璧に遮断するように特別にあしらえた音響研究室にラウディヴを招き、彼には一切機器類に触らせないようにしました。
 ラウディヴの用いたテープレコーダ一台は、他の機器に管理・モニターされていて、彼にできることといえばマイクに向かって話すことだけです。18分間の録音の最中、聞こえてくるのはラウディヴの話す声だけで、実験者の誰も他の音を聞いていません。しかしそのテープが再生されたとき、驚いたことに200以上の声が録音されていました。
 イギリスのコリン・スミス社がラウディヴの著書の英訳版「Breakthrough, an Amazing Experiment in Electronic Communication with the Dead」(突破口:死者との電子工学的コミュニケーションの驚異的な実験)を1971年に出版しています。年表に戻る


 1968年、スイスのオーチゲンのレオ・シュミット神父に、超常的な声を録音するための時間が持てるように、教会から若干の援助が与えられました。彼の著書「Wen Die Toten Reden」(死者が話すとき)が、彼の死後まもなく、1976年に発刊されます。

 1972年、イギリスのピーター・バンダーが「Carry on Talking」(話続けなさい)という本を出版しています。この本は1973年にアメリカでは「Voices From the Tapes: Recordings from the Other World」(テープの声:他界からの録音)として出版されました。

 EVP (Experimenting in the electronic voice phenomenon:電子音声現象の研究)は60年代と70年代にヨーロッパでとてもポピュラーなものになり、たくさんの個人・グループが自宅のテープレコーダを用いて声を集めました。年表に戻る


 1970年代に新たな突破口が開かれます。これが起きたのは皮肉なことに、EVPが事実上無視されていたアメリカにおいてでした。1973年、心霊研究家のジョージ・ミーク、ジェネット・ミーク夫妻は、霊を見たり聞いたりできるサイキック能力に恵まれたウィリアム・オニールという男に出会います。ミーク夫妻が霊との更に進んだ交信をするためのプロジェクトの費用と指針を提供し、オニールはそのプロジェクトに必要なサイキック能力と電子工学のノウハウを提供しました。1978年には周波数を制限したラジオを用いて、短いが十分証拠となり得るコンタクトを、5年前に死んだとされるアメリカ人医師との間に持っています。
 オニールはこのプロジェクトに、霊の友人達を何人か招き入れました。その中のひとりであるジョージ・ジェフリー・ミュラーは、生前に大学教授とNASAの科学者を勤めた人で、ある日オニールのリビングに半物質化した姿を現し「ミークとオニールのプロジェクトを手伝うために来た」と語りかけてきました。次元間の例のない協力体制が敷かれ、地球上のオニールが、霊の声を人間の聞こえる声に変換する新しい電磁機器を造るのを、霊のミュラー博士が助けました。とりあえずスピリコムと名付けられたその機器は、音と波形の発生器がついていて、成人男性の声の範囲をカバーする13種類の音を出しました。
 スピリコムは改良を重ね、1980年の秋にはミュラー博士の、あいかわらず耳障りの悪い音でしたが、それでも十分に音量のある、理解しやすい言葉を現すことができるようになりました。ミークとオニールはすぐに、もう亡くなってから14年になるミュラーとの20時間以上に及ぶ会話を録音します。ミークは交信記録を収めたテープと、回路図・写真・技術データ・他の人々が研究するためのガイドラインを含んだ、100ページに及ぶ技術資料を持って各国を廻りました。この経緯についてある程度詳しいことが、ジョージ・ミークの著書「After We Die, What Then?」(我々が死んだ後に何が起きるのか?)に書いてあります。年表に戻る


 ジョージ・ミークとビル・オニールの先進的な努力は、世界中にこの種の研究の種を植え付けました。サラ・イーステップはAAEVP(American Association of Electronic Voice Phenomenon:EVPアメリカ協会)を1982年に発足し、すぐに何百というEVP研究者にニュースレターを送るようになりました。ヨーロッパではすでに何千という人々が、フリードリッヒ・ユルゲンソン、コンスタンティン・ラウディブといったEVP研究者の後に続いていて、アメリカから送られてくるニュースに刺激を受け興奮し始めました。

 1984-85年にイギリスのケネス・ウエブスターが、いくつかのコンピュータを経由して16世紀に生きていた人間と、250回に及ぶコミュニケーションを持ちました。ほとんどのプリントアウトは、その時点ではすでに歴史となってしまった古い英語で綴られ、各個人の詳細は図書館で確認されています。コミュニケーションと共に、しばしばポルターガイスト現象も起きました。ウエブスターは1989年にたくさんの写真資料を含む本「The Vertical Plane」(垂直な次元)を執筆しています。

 1985年、西ドイツのクラウス・シュライバーがマーティン・ウェンツェルの技術的な助けを借り、光電子フィードバック方式を用いてテレビモニタ上に死者のイメージを得ました。多くの場合、音によるコミュニケーションを伴うことによって身元が確認でき、その中には彼の亡くなった二人の妻も含まれました。この研究はルクセンブルグラジオのレイナー・ホビーによるテレビドキュメンタリーと本の主題となっています。

 1985年から88年にかけて、ルクセンブルクのジュール&マギー・ハーシュ=フィッシュバッハ夫妻は、それまでのどのEVP機器より優れた電子システムをふたつ開発し操作しています。1980年代に各国の研究者がテレビ上に「死者」の画像をしばしば得ましたが、このイメージの出現はコントロールできなく、それに比べ、この夫妻のコミュニケーションは著しく信頼ができて再現性のあるものでした。1987年にフィッシュバッハ夫妻は、品質の良い一連のビデオ画像を得、その後コンピュータによる持続したコンタクトを得ています。この夫妻はCETLという、超常的な発見を成し遂げた人・団体に与えられるスイスの賞を1992年に受賞した研究所の指導者となっています。年表に戻る


 フリードリッヒ・ユルゲンソン、コンスタンティン・ラウディヴ、その他の偉大なEVP研究の先駆者達、クラウス・シュライバーや、最近ではビル・オニールが、すでに亡くなり、向こう側からテレビや他の電子機器を通じてこちらと関わっています。1992年の6月12日、フリードリッヒ・ユルゲンソンは、熱心にテレビに見入る地球側の研究者達にこう言っています:

すべての存在は霊と肉体が統合されたもので、これは地球上では分けることはできません。物理的な肉体が崩壊すると、アストラル体での生活が待っています。
我々が言いたいのは、生命は続くということです。人がどのようにその生命を享受していくかについて、そちら側にはあまり正しい考えがありません。あなたがたの科学、医学そして生物学は、生命が永続するという現実を考えに入れていません。科学者にとって「現実」だとみなされている事柄は、本当の意味の現実とはかけ離れています。


 ITC研究は現在、電話、ファックス、テレビ、ラジオ、コンピュータを用いて、とても注目すべき段階へと差し掛かっています。
 1995年の秋にITC研究の世界的ネットワークである「INIT:International Network for Instrumental Transcommunication」が結成されました。アメリカのジャーナリスト「マーク・メイシー」はその牽引役となっています。年表に戻る



1997年にできた「GAIT:Global Association Instrumental Transcommunication」は実験者、技術家、理論家その他の世界各国の人々からなる比較的自由なグループです。GAITが科学的な証明を追い求める集団となった一方で、INITはそれを第一目的とはみなさないという姿勢を打ち出しました。彼らは他界からの道徳的なメッセージを広め、人間性の向上、ひいては社会全体の向上を目指すことを第一義においています。

 1998年の秋、GAITはカリフォルニアに本拠地を置く「IONS:Institute of Noetic Sciences」と共に、他界の現実性を検証するためのプロジェクトを始めました。この声明はIONSの調査責任者マリリン・シュリッツ博士と、GAITのまとめ役であるデイル・パルマー氏によってなされています。なおIONSというのは、宇宙飛行士エド・ミッチェルによって科学と宗教の溝を埋めるために開始された団体で、世界各地から5万人ほどの科学者達が参加しています。

 1997年から99年の間にINITから複数の研究者が脱退しました。主な意見の相違は、他界からきた画像・音声などの著作権はどこにあるべきか、この情報をどのように広めていくべきかというところにありました。中でもマーク・メイシーとジュール&マギー・ハーシュ=フィッシュバッハ夫妻がたもとを分かったのは悲しいことです。年表に戻る


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