新選組斉藤一

 新選組という剣豪集団の中でも、沖田総司、永倉新八、斉藤一の三人は傑出していたのだが、沖田、永倉に比べ斉藤はスポットが当たることがどうも少ない。TVドラマでも主役でないのはもちろんのこと、脇役というよりはチョイ役がほとんどである。(「るろうに剣心」は斉藤一が主人公になっていると聞いたが読んだことはない)

 斉藤一という人物は、「謎」に包まれた部分が多いというのが一般的な捉え方となっている。元々試衛館道場でもないし、京都での入隊ということから、近藤、土方、沖田らのいわゆるヒーローグループとはなかなか同類には見られないようである。だからかどうかはわからないが、作家によって彼の行動がまちまちである(小説だけでなくドキュメントまでも)。面白いのは、故司馬遼太郎氏の「燃えよ剣」のなかで、土方らとともに蝦夷へ渡った斉藤が土方との対話で“諾斉”と名のるくだりで(実際は斉藤は会津に残ったため蝦夷へは渡っていない。斉藤一とは別の斉藤一諾斉というお坊さん上がりの隊士は実在し蝦夷へも渡っている。)司馬氏によって二人の斉藤がうまく生かされている。ただ、なかには斉藤一は蝦夷へ渡り蝦夷で降伏したなどと当たり前のように書いている作家もいるのは残念である。それともう一つ多い誤りが彼の剣の流派についてである。赤間先生らの研究により“無外流”と断定される前までは、天然理心流、小野派一刀流、北辰一刀流などまちまちであった。

 数年前、某局で永倉新八を取り上げた番組の中で黒金ヒロシ氏がこんなことを言っていた。「多くの隊士が戦闘行為の中で人を殺した。が、永倉という人は人を殺したというよりも『人を斬った』という気がする。そこには一種のスポーツマンのようなすがすがしさが感じられる。」私は別に殺人行為を称讃するつもりはないが、同感させられたのは事実だ。同時に、この言葉は永倉だけでなく沖田、斉藤にもあてはまるとも思った。結局彼等は闘いの中で倒れることも処刑されることもなかった。この点も彼等の共通点で因縁めいているような気がしてならない。