トルコ兵の葬儀――

「1997年5月23日
 トルコ国営アナトリア通信によると、トルコ軍はイラク東部のイランとの国境に近いクルド労働党(PKK)のキャンプを破壊し、イラク政府統制地域やシリアのイラク国境に近い北緯36度線に沿って、「防衛策」を取り始めている。KDPと同盟を結んだ1万人を超えるトルコ軍は前週、PKKゲリラ追撃のため、イラク北部に侵攻した。PKKは、イラク北部をトルコ南東部襲撃の基地としていた。トルコ陸軍は、今回の侵攻でPKKゲリラ1146人を殺害したことを明らかにし、また、PKK側はこれについて、死者数は誇張されているとしている。 [トルコ・イラク国境 22日 ロイター] 」
(yahooニュースより)

というニュースは日本でも大きく報道された。それに報復したPKK(ペッカッカ)は、トルコ陸軍のヘリコプターを撃墜し、乗員兵士11人が死亡した。6月6日はその兵士の葬儀がトルコで大々的に行われていた。その中にはイズニック出身の若い兵士が一人含まれていたため、葬儀の時間になるとイェシェル・ジャミィにはイズニック中から人々が集まってきた。国旗を運ぶ男たちは拳を掲げて声をはりあげ、兵士本人を見知らぬ人までが涙している。そして大人は皆、テロに対する怒りをあらわにしている。穏やかなイズニックの人々にしては、意外な光景だった。

PKKに対する思いはいろいろあるのかもしれないが、共和国トルコの姿勢をうかがえる儀式だった。参加した大人たちの憤りは本物だったが、胸に兵士の写真をつけた子供たちは、どうやら学校で参加を義務づけられたらしく、途中きょろきょろしては遊びだしていた。イズニックの人全員が参加したのかと思ったら、結構参加しなかった人もいた。