ペトラ 勇敢な子供
あーびっくりした。
まずは「馬に乗らんかロバはどうだ?」のかけ声の多さにびっくり。
そして観光客の多さにびっくり。
そしてなにより、あまりにハードな遺跡にびっくり。
岩山のペトラは、どこへ行くにも岩登りがハンパじゃない。
登り道がつらくなると、子どもたちはみなインディージョーンズのテーマを歌い出す。
世界は狭いねえ……などと余裕だったのは1日目だけ。
ペトラについて2日目は、山の頂上にある犠牲祭壇跡に向かった。
前日にエド・ディルなどをかけずり回った私は、足も腰も、すでに筋肉痛でぶるぶる。
またも登り……。しかし、ここであきらめるのわけにはいかない。滅多に来れないんだから。
1時間かけて登った犠牲祭壇は、石を四角く削ったちょっとしたものだけど、意地でも大したものだと感じることにした。
さて、ここでシャイを飲み終えた私は、ちょっと考えた。
ペトラは観光用の道があるけど、道じゃないところを通ってもだれも文句は言わない。
ぐるぐる回りながら登ったから時間がかかったけど、
この祭壇から直接ローマ劇場に向かってくだったほうが近道では?
犠牲祭壇の横にはちょっとした広場があり、そこから下は岩や草があってよく見えないが、
なだらかな坂になってそうな気がした。
ちょっと試しにくだりだした私を見て、イタリア人の子どもたち
(ハイティーンと思われる)男女計4人のグループが続いた。
岩の透き間を抜け、歩きやすいところを選んで足をのせる。
ふ、子どものころは沢だろうが岩場だろうが歩きまくったもの。
だからこんなのちょろいもんよ。
と、甘く見ていたら、突然巨大な岩と断崖にぶつかった。
数メートルの岩の斜面(傾斜は約45度と思われる)をすべりおりないといけない。
すべりまちがえたらそのまま断崖に突進してしまう。
とまどう私を待ちきれず、イタリア子どもらはさっさとすべりおりた。
さらに最後の少年は余裕の顔で手を伸ばし、私を助けてくれるではないか。
子どもとはいえ、さすがイタリア人。すらすら英語で話しかけるところもにくい。
イタリア人は足が速かった。
負けるもんかと追いかける日本人の女。
しかし難所は次々とあらわれる。
それでも確実に岩山をくだり、祭壇はすでにずーっと上に存在した。
そして登りよりも疲れ果てたころあらわれた最後の難所は、完全な垂直の絶壁だった。
高さは約10メートル。いやもっとか?
墓跡の屋根にあたる部分に出てしまったのだ。
墓があるってことは、かなり下に降りた証拠。
しかし、うっかり落ちたら死ぬか骨折するかは確実と思われた。

「これは危険すぎるから引き返そう。」
無謀な子どもたちを危険から守るのは、唯一ここに存在する大人の責任だ。
アクション(ジェスチャーとも言う)つきで彼らをさとそうとする私を無視して、
子どもらはなにやらイタリア語で相談し始めた。
「ここまで来てなにトロイこと言ってんだよ。」と聞こえたのは気のせいだろうか。
彼らは完全にハリソン・フォードになりきっていた。
なんと、手足をいっぱいに伸ばし、
かすかに残る彫刻や柱をつたって絶壁を降り始めたのだ。
げげっ。
さっきの少年が私を見て「どうする?」という顔をしたが、私の勇気は遠い彼方へ………。
さようなら子どもたちよ。
下から聞こえるインディージョーンズのテーマがうらめしい……。
勇気を失った日本人の大人は、ペトラにいた誰よりも汗をかいて再び祭壇に戻った。
祭壇にたくさんいた年輩の観光客が、
変なところからよれよれになって登ってきた私に注目した。
「そこから下に行けるの?」
「いえ、とても危険で私は行けませんでした」
私の言葉を聞いて、誰も挑戦しようとはしなかった。
ああ、大人……。
私が10代だったら……、筋肉痛じゃなかったら……、
あの子たちと一緒に降りただろうか。
いや、それ以前に私はあのとき気がついた。
どう見ても手足の長さが足りないことを。
1995.1.4