イズニック 心地よいやかまし村

トルコには2種類の極端な人(民族ではない)がいると思う。一つは観光客と見るとものすごい熱意で駆け寄り、ガイドや土産品やホテルをすすめるギラギラ人。英語や日本語が堪能で、超有名な観光地だけに出没する極少数派だが、日本人にとってはものすごくよく出会う人種。いつも怒ったような顔つきが特徴で、商売熱心な働き者。もう一つは言葉が通じようと通じまいと関係なく、とんでもなくフレンドリーでよく笑う超友好人。外人好きでお構いなしのところがある割に、根は結構シャイ。トルコのどこの街にもたくさんいるド親切な人。この2種類の人以外は普通の人である。

イズニックはもしかして、いやイズニック近辺全域は、すべての人がこの友好人ではないかと思う。私はアンカラから夜行列車でイズミットへ行き、そこからバスでオルハンガジへ、またそこからドルムシュ(ミニバス)でイズニックへ向かった。夜行列車はなかなか設備がよくて、朝も起こしてくれると言う思いやりが気に入ったよい列車なのだが、実は揺れすぎてあまり眠れなかった。

オルハンガジで、30分後に出発だというドルムシュに乗った。睡眠不足でぼーっとしていたので、ドルムシュに乗って寝て待つことにしたのだ。するといきなり子守をする事になった。前の席にいた赤ん坊が妙に私になついてしまったのだ。ドルムシュが動き出したら、ようやく母親が引き取ってくれた。さあ寝よう、と思ったら、今度は隣の席に乗ってきた二人連れの女性(20代)が英語で話しかけてきた。オルハンガジに住むシュレと、アダナからはるばるシュレの家にやってきたウズレムは、イズニックに日帰り旅行するという。お互いなれない英語なもんで、無意識のうちに大声になり、周りの人に怒られながらも自己紹介しているうちにイズニックについてしまった。

「じゃあ一緒に歩き回ろう!」ということになった(彼女らが決めた)。ものすごくパワフルな二人は、30度は確実にこす気温の中で頭にがっちりスカーフをつけ、くるぶしまでのレインコートをボタン一つはずさずに着るバリバリのムスリム(イスラム教徒)だったが、声がでかくてお笑い芸人のようでもあった。「荷物があるからまずはホテルを探さなきゃ……。」と、とろとろしている私から地図を取り上げ、「どこのホテルにする?」と、あちこちで道を尋ねては先導するのであった。いつの間にか私の荷物はウズレムが持っていた。

思わぬ通訳付きで、ガイドブックに載っていたホテルに着いた。部屋を見てから金額を交渉したい……などといってる場合ではない。すぐさまチェックインし、急いで部屋に荷物を置くと、ロビーで待っている二人に連れられて私は見知らぬ霊廟に行かされた。このように書くと、二人が異常にお構いなしのように思うだろうが、実はその通りだった。霊廟でウズレムは、いきなりコーランを朗読するというので、私は彼女が余分に持っていたスカーフを頭に巻き付けられ、シュレと一緒に墓の横にしゃがんでそれを聴くのだった。女性のコーランははじめて聴いたので大変感動的だったが、暑かった。GパンとTシャツで頭にスカーフをつけて、石棺の横にしゃがみ込んでいる私って、いったい何者? と、ちょっと思ったけどね。

もう一つ別の霊廟を回った後、この街でいちばん有名なイェシェル・ジャミィに行った。そこで私は、冷房よけのために腰に巻き付けていたトレーナーを着せられ(神聖なモスクで腕を出すのはよくないからと)、そのモスクの由来やイスラムの聖人についてたっぷり説明を受けた。もちろん頭にはさっきのスカーフ。このスカーフは結局私にプレゼントしてくれた。彼女らは恐ろしく強引だったが、暑がっている私にジュースをおごってくれるという親切さんでもあった。

次に彼女らは数キロ先の丘の頂上にある霊廟に行くと言った。ドルムシュはないのでタクシーの交渉をしたが、どうにも手がでない金額らしい。高いだの不親切だのぶつぶつ文句を言いながら彼女らは歩き始めた。ちょっと待て、どこまで歩くんだー? 「霊廟までよ。」……がーん! トルコ人の底力を見た気がした。二人といるのはおもしろいのだが、なんせ睡眠不足なのでそれだけは勘弁してもらい、2時間半後に待ち合わせをして別れた。

イズニックには見たいところはいくつかあった。とりあえず博物館に飛び込み、2時間半をフルに歩き回って観光に精を出そうと思った。イズニックを歩いていると、農作業中のおばちゃんや買い物途中のおじちゃんがあちこちから微笑みかけてくる。中学生くらいの少女たちはきゃーきゃー手を振り、写真を撮ったりすると大喜びでますます騒ぐ。小学生くらいの子供らになると、次々と駆け寄ってきては「My name is ○○」とだけ言って去っていく。何だろうこの街は。ギラギラした人に一人も出会わないところを見ると、とにかくみんな超友好的のようである。おもしろくなって寄り道しながら観光していると、ちっとも観光できないうちに時間は過ぎた。

へとへとになって待ち合わせ場所に行くと、二人は汗一つかかずにそこにいた。
シュレ「何で来なかったのよー。すごくよかったのに。」
私(何で平気なんだよー。このくそ暑いのにレインコート着て数キロ往復したくせに。)
と、再会を喜んだのもつかの間。会ったとたんに二人が帰るドルムシュの時間になり、あわただしくバイバイ。なんとけったいな連中だったのか……。

いったんホテルに戻った私は、どうしても今日中にしなければならないことがあった。洗濯。昨日夕立にあってGパンがひとつ泥だらけだったし、Tシャツもきれていた。ひーこらいって洗濯を終え、もうへろへろだったので、夕暮れ時は湖の畔で食事でもしてのんびりしようと心に決めて出かけた。

すると湖の畔で、今度は外のカフェにいた17歳の女子高生、ギュルシャ(ハ)が走ってきて私を呼び止めた。英語を勉強し始めたから、話してみたいのでお茶しよう……と言ってるらしいのだが、彼女の英語は日本の中学1年1学期レベルだった。私の英語でいいのか? でもまあ、お茶くらいなら……とカフェに入ると、ギュルシャのホジャ(先生)が待っていた。ホジャはサウジアラビアで仕事をしたこともあり、英語が堪能なので、彼女に家庭教師をしているのだった。ホジャと私が話していると、ギュルシャはノートを見ながら時折割り込んできては、「What is your name?」とか「How old are you? 」とか質問してきた。ついにはネタ切れで、いきなり「Do you like milk?」とまで……。    

そうこうしているうちに、ギュルシャの家で夕食をごちそうになることになった。ギュルシャの友人エリフを誘って家に向かうと、ホジャは「じゃね」と去っていった。え? 一緒に夕飯食べないの? ……家族を含め、英語を一番知っているのはギュルシャだった。こうなるとジェスチャー大合戦。ホジャがいなくなった途端、少女二人は普通の女の子になった。トルコ語でぺちゃくちゃ私に話しかけ、私が変なトルコ語をしゃべればゲハゲハ笑い転げる。悔しいので私もギュルシャの変な英語を笑ってやった。それでも二人は一生懸命伝えようと、大きな声でゆっくりしゃべる。どんなにゆっくり言ってもらってもトルコ語はわからないんだけどね。

挽肉入りトマトスープにルーコラみたいな葉っぱとトマトのサラダ、その後はヨーグルトかけスパゲッティに杏のコンポート。トルコ人は早飯。最後まで食べていた私がようやく平らげると、二人の女の子は髪をとかして口紅をつけ始める。これから(私も一緒に)どこかに出かけるらしいのだ?? もう9時だよ。夜に高校生がおしゃれして出かけるといえば、ディスコかクラブかカラオケか? 今日の私にはハードすぎる。と思いながら、私も負けずに口紅をつけてついていくと、湖だった。週末の夜、湖の畔をそぞろ歩くのが、この街の高校生のかっこいい過ごし方なのだ。次々とすれ違う友達に、ギュルシャとエリフはいちいちほっぺをあわせる挨拶をし、私を一人一人に紹介する。そうして一人増え二人増えして、カフェでお茶を飲む頃には総勢10人になっていた。中には進学コースのクラスで英語を話せる子もいたので、せっかくの粋な夜をジェスチャーで過ごす必要はなかった。

イズニックの高校生事情。ギュルシャはヤシャール(ミュージシャン)が大好きで、部屋にポスターを貼っていたが、他のみんなはだんぜんタルカンだという。でも明日、仲間5人で別の人のコンサートに行くという浮気者。10人の中で2組はカップル。ギュルシャはイズミットに彼氏がいる。他はみんな大募集中。話し合いの結果、英語か日本語を話せる彼を私のために探してくれることに決まった。

なんだかんだと夜11時ごろになんとかさよなら。高校生の彼らは、決して私にお茶代を払わせず、おまけにホテルまでしっかり送り届けてくれたのだった。
こうしてイズニックの長くハードな1日が終わった。ベッドに入って、私はめまぐるしい1日を思い出していた。……あっ、イズニックに入ってから、博物館の入場券(80円)以外1円も使わなかった……。

1997.6.6