吉田剛士への手紙
余白の僕からズレてる君へ


(94年9月23,24日/The Art of Nostalgia/パンフレットより)

                      

 前略―。

 突然だが君は変なヤツだ。ズレている。知り合って20年近くに なろうとしている僕が言うのだから間違いない。僕よりさらにつき合いの長いオフィス・マリオネット・制作の海井(中学・高校と同級)の意見もほぼ一致しているから、これはもう君の逃げ場はない。ネタもあがっている。小・中学校の頃にはサボテン栽培と異形なる熱帯魚の飼育に熱中し高校時代は持ち運びが便利であるという理由でマンドリンを始める…。大学に入学すると、何故か清掃局員風のグレーの作業服上下を愛着、校内の工事作業員に間違えられた。そんな具合だから当然トレンディーな女子学生と話は合わない。コンパでは独りジンをガブ飲みし、いきなりの酔漢。これではモテない。悶々たる青春の日々に、君は頭を剃りモヒカン刈りにする。しかし、余りにも似合わないので丸坊主にした。結果、下宿の近所の 子供達に「わかいぼんさん」とからかわれることになる―。どう考えても“変なヤツ”である。
 だから、もうあきらめる他はないのである。往生際よく自身を受け入れて“ズレきる”べきなのである。そして、高らかに自らのカタチを主張すべきなのである。そうすれば、そのイビツな矩形によって、日頃より君が憂慮している旧態依然たるマンドリン界に一石を投じることになるのだから本望ではないか―。然り、君に逃げ場所はない。故に、君は君の正義と信念と情熱によって戦わなくてはならないのである。

 冒頭に「余白の僕から〜」としたのは、仮に、現在この国に於いて音楽の地図というものがあるとするのならば、僕の弾くポルトガルギターはその余白に存在するのではないか、という程の意味である。だが逆に、 マンドリンはその地図上にささやかに色をつけ、小さいながらも立国して居る。もし、君の動きによって地勢変化が生じ対峙する境界が我が余白にズレ込んで来る様なことがあるのなら、さて、押し戻すか、引っ張り出すか、知らぬ振りをするか…。いずれにせよ僕は僕の立場で君側に参戦しよう。“余白”と“ズレ”でなかなか立体的な戦略になりそうではないか。
 健闘を祈る。草々。

 1994.夏