日々刻々
ぽるとがる編


これは96年に湯淺隆が約5ヶ月間ポルトガルへ渡る際の様々を
日記風にまとめたものです。



 「ありがとう皆さん」87年に初めてポルトガルへ行った時、見送る人はほとんど居なかった。それから9年が経ち、今回2度目の渡ポでは実に多くの人達が私に手を振ってくれた。本当に嬉しく思う。しばし母国をはなれる者にとって、暖かなまなざしを交わし合う人々が居てくれるというのは何物にも代え難い。この9年間の日々の出会いが無駄でなかったと思うと、刻々齢を重ねる自分へ少しは慰労の言葉をかけてやりたくなる。“ガンバッテキマス”などと言うのもてれくさいが、心のどこかで素直にそうつぶやいている。本当にありがとう皆さん。


 3月13日に出国をする。前日は関西空港のホテルに一泊し、翌日午後の便でこの国を出る。幾つかの約束した仕事と、漠然と感じる周囲の期待の様なものと(自意識過剰か?)まったく無責任に弾けてやろうとする無鉄砲な自分を抱えて、国際線のゲートをくぐる。単なる観光旅行とは違う緊張感がある。不安はある。しかし、それは過去いつも越えてよかったと思えるハードルを前にした時の、どこか懐かしい胸の高なりだ。あとは運を天にまかせて行動あるのみ。嬉しいのは、今回我が相棒の吉田も急遽同行することになったことだ。彼の滞在はとりあえず10日程度。現段階では、また7月中旬(※注)に渡ポをする。いささか無理のある日程ではあるが、私としては大変心強い。とりあえず何処かのCasa de Fadoに飛び入りで演奏してみようと思う。(※注/この後5月末に変更となりました)
 もう一つ嬉しいのは、予期せぬ人がポルトガルで待ち受けていることである。
 2月下旬、突然歌手の新井英一さんより電話があった。周知の通り、新井英一その人は昨年のレコード大賞アルバム大賞の授賞者だ。大晦日の日のテレビをご覧になられた方も多いだろう。また我等が2枚目のCD『エイジアン・ブルー 浮島丸サコン』にもライナーノーツを頂戴した御仁である。さてその電話の用件とは、リスボンで3月17・18日とFadoを聴きながら一杯飲ろうとの事 。しばし絶句である。正直驚いた。しばらくして胸の内で我が大阪弁が「なんやこのオッサン、エライ粋なことしよるやんかァー!」と声を荒らげるが、相手は大先輩である。「お仕事でポルトガルへ?」などと何ともトンマな応答をしている。嬉しい電話だった。何かハプニングがおこりそうな予感がする。今回私にとっては長期の渡ポ。ややもすると不安が勝つ頃に、ポルトガルでひとつひきしまった再会が待ち受けていると思うと、強く勇気付けられる。
 ポルトガルへはルフトハンザで行く。特別に理由はないが、吉田がドイツ時代に知り合った人がルフトハンザの大阪にいるということでそうしたまで−。チケット代は3月13日出発フランクフルト経由で片道8万円、高いか安いかは他を当たっていないので判らぬが、自身判断するに適当ではないかと思う。吉田の10日余りの往復では13万円、これも高くはなかろう。座席もシーズンオフ故ゆったりあるとの事、行きたい人があれば百人くらいはOKですよ、などと言われる。で、そんな話を、次回オフィス・マリオネットの企画『ネオ・マンドリニズム宣言』のチラシ制作でお世話になるデザイナーの永見隆義さんに話したところ、突然出発3日前に行くと言い出した。旅は道連れ世は何とやら、気の合う人故、こんなハプニングもまた楽し、である。ちなみに永見さんはマリオネットのロゴマークを創ってくれた方である。いつかポルトガルの風景を描いた個展をなさると思う。小さめの作品がバツグンである。


 出発前日の12日、関西空港のホテルで翌日のフライトスケジュールをルームサービスにあるテレビで確認する。おかしな事に我々の便が出ていないのである。ルフトハンザにはその朝に電話をしたので問題はないと思うのだが、一体どうしたことか…。いささか不安になるも、明日になれば何とかなるだろうとたかをくくり、その夜は酒を飲んで寝てしまう。さて翌朝、同じくテレビで確認すると、我々の便のところだけ赤い字が点滅している。これはどうも穏やかではない。別室の吉田に電話してルフトハンザに確認してもらうが結果、何やら機材関係のトラブルで2時間あまり遅れるとの事。「これくらいの遅れは飛行中に取り戻せます。よくあることですよ」と…。とは言うものの、フランクフルトのトランジットは2時間の余裕しかない…。しかし、予定変更も既に出来ず、ともかくフライトとなる。
 離陸後はすぐ夜になった。そしてこのまま夜を12時間飛び続ける。始め賑やかだった機内も3時間もすると話し声もまばらになり、各々好きな具合に時間をつぶしだす。吉田はポルトガル旅行のガイドブックを読んでいる。永見氏は喫煙の席まで行って一服。私はにわかにポルトガル語の勉強などをやり始める。何しろ機内は客席が多く、座席には困らない。要領の良い人などは、肱掛けを上げてゴロ寝をしている。いつもなら楽器類を置く場所に苦労するのだが、今回はずいぶんと楽だ。やがて機内の灯りが落とされた。夜間飛行の体勢になった。そんな薄暗い灯りの中で奇妙な考えがひとつ浮かんだ。「今は10年前と10年後のちょうど真ん中にある」あたりまえの事なのだが、恐らくそんな事を思うのは、現在ここにいる私がこの10年間の蓄積の上にあるという強い実感と、これからの10年が今スタートしようとしているという予感からだろう。その意味でも、今回の渡ポは前回と全く違った意味をもっている。飛行機は、大地に引かれた幾つもの国境をたやすく越えて行く。不思議な漂泊感だ。奇妙な考えは、そんな戸惑いにも一因しているのかもしれない。

 フランクフルトに着いた。トランジットには30分しかない。機内では地上係員の誘導に従うようにと指示があった。着陸ゲートを小走りで急ぐ。吉田が係員にドイツ語で何やら聞く。背の高い女性の係員はアクシデントの際に外国人がよくする様に顔の中心にシワを集めている。吉田もいささか表情が固い。どうも急がないと危ないらしい。小走りが本当に走り出す。聞けばリスボン行きのゲートの場所が変更になったらしい。機内アナウンスでは降りてすぐとの事だったのだが…。合点のゆかぬ変更と意味不明の表示を尻目でぐんぐん走る。途中、簡単なパスポートチェックがあったが、何とか間に合った。しかし手続きをしていると、出発は30分遅れることが判明した。それを先に言ってくれなくちゃぁ…! ともかく吉田がいてくれて本当に助かった。リスボンまであと少しである。

 眼下に人の気配がある灯がまばらに見える。乗務員の動きも忙しくなってきた。そろそろ到着だ。程なく機内アナウンスがポルトガル語、ドイツ語、英語で入る。リスボンにはもう近い。緊張が高まる。窓の外の闇の底には徐々に明りが増えてゆく。ばらばらとあったものが列をなし、列の行方は光の小さな塊となる。恐らくそこは村か集落だろう。さらに光の列は伸び、やがて全ての光はオレンジに輝くリスボンの丘に辿り着く。その輝きは無数のナトリウム灯。闇の丘に斑点状に波打ち、夜空を染めあげる。美しい。実に美しい。その美しさは、夕日に染まるリスボンにさえ、ひけを取るまい。まもなく飛行機は光の中に降りてゆく。私観だが、空からリスボンに入るなら、断然夜である。 タラップを降りると、何処か懐かしい匂いがした。9年前と同じ何かが香る。特に馨しいものではない。しかし、それはこの地でしか感じられない何かだ。ここで私は約5ヵ月間生活をする。まずはこの空気で胸を一杯に満たそうと思う。 空港には京都外大教授のロドリゲス先生が出迎えに来て下さった。先生はずっと以前から存じ上げてはいたが、正式には数年前に大阪日本ポルトガル協会を通じてご紹介を受 けた。日本に来られて20数年、正しく美しい日本語を喋られる。異国の地で、実に心強い出迎えである。
 翌日、昼食を先生とご一緒する。場所はロシオ駅すぐの《アレンテージョ》というレストラン。建物の奥まった所で、ちょっと穴場という感じ。《アレンテージョ》とはポルトガルの南の地方の名称。アレンテージョ出身者は、ちなみに“おひとよし”とよく言われる。店内は古い図書館風。広さも充分。客も上品そうだ。注文は先生にお任せ。典型的なポルトガル料理を幾つか頼み、皆で取り分けようということになる。逸品は《カルネ・ド・ポルコ・アレンテージョ》。何と豚肉とアサリのオリーブ油炒めパプリカ風味。意表をつくこの2つの食材が実に良く合う。特に吉田はご満悦だ。飲物はもちろんワイン。赤と白、そしてポルトガル特産のヴィーニョ・ベルデと呼ばれる発砲ワインを頼む。特筆は赤のザックリした味。さらにご満悦の吉田の言を借りれば「偉大なワインではないが、質実剛健。飲むに値する酒」であると―。然り、然り。ポルトガルの大地の命が溶け出した赤き酒は実におおらか。この土地の空気と同じく、この味からも学ぶところ有りと豪語するは、単に左党のたわごとか−。しかし、まずは無事到着を皆で祝い、乾杯(サウーデ)となる。

 酒の話をもうひとつ。ロシオ広場の片隅に“ジンジーニャ”というリキュールを飲ますスタンドがある。いわゆる立ち飲み屋で間口から奥まで6畳ほどの小さな店だ。大125エスクード(約88円)、小75エスクード(約53円)。それぞれ専用のグラスがあり、大には小粒のチェリーが2つ、小には1つ入って出てくる。味は甘く、色は茶がかったワインレッド。滋養強壮に良さそうな酒で、酔う為に飲むといったおもむきではない。店先には杯をあけた後のチェリーの種が散乱し石畳のつぎ目をふさいでいる。夕方になるといわゆるオジさん風の男どもがたむろし家路までの一時をくつろぐ。遠目に見るとさえない色合いのたむろは、どこか日本のガード下の屋台で見たことのある風景。初めはいささかおっかないが、慣れるとたむろをくぐり抜けて一杯にたどりつける。これもリスボンならではの風物だ。
 酒の話をまたひとつ。アルカンタラ展望台のすぐ後ろにポルトワインを専門に飲ます公営の店がある。有名な店なのでご存じの方も多いだろう。自分と同年齢のワインを注文しても、リーズナブルな価格で飲むことが可能だ。店内は銀座あたりの老舗のバーといった感じで高級感がある。冬には暖炉がたかれ、柔らかな明かりと温もりが、ポルトの甘味をさらに芳醇に演出する。私が初めてこの店に言ったのは87年。同じペンションに泊まるブラジル人バイヤーのジョゼに連れて行ってもらった。ジョゼはこの店が大のお気に入りで「イイ女と来ると最高の夜になるゾ」と私にウインクをした。だが今日は幸か不幸か、男一匹・新井英一と一緒だ。その日はちょうど彼の46歳の誕生日、皆で祝杯をあげた。その後、男は帰国までに「アルカンタラの月」という曲を書く。後々、私の5ケ月にわたるポ滞在中、男がその曲を日本で唄っているらしいと風の噂で聞こえてくるのだが、その夜は無論まだ知るよしもない。良き友とポルトワイン、これもまた最高の夜のひとつである。


 3月17日、この日が全てを変えた。この日はなんとポルトガルギター二百年の記念日だ。私達は、我が師アントニオ・シャイーニョ氏の紹介で、その記念イベントに出演する機会を得た。これは、事前に謀られたものではなく、渡ポ後の偶然。出国が3月13日だから実にタイミングが良い。我が強運に手を合わせるばかりだ。この会は後に私も会員となる「ポルトガルギターとファドのアカデミー」と「ファドの友ポルトガル協会」の合同イベント。会場は、エドワルド7世公園を見下ろす、優れて眺望の良いレストラン。皆きちんとした服装でディナ−を楽しみ、食後に記念の演奏会が始まる。様々な編成で都合10数組が、各々3曲ほど演奏するのだが、皆、実に達者に弾き、そして歌う。本場なのだから当然といえばそれまでだが、出演者は全員がプロばかりというわけではない。私達は、日本から来たプロとして紹介され3曲弾く時間を与えられた。考えたあげく「海」「南蛮渡来」「航海王子」を選曲し、曲の内容を京都外大のロドリゲス先生の長女ユキちゃんに詳しく通訳してもらい、それをもとにアカデミアのペネンド氏がレクチャー風に紹介、その後演奏をスタートする。1曲目は「海」この曲 は私が初めて作曲した曲。実にプリミティブな曲でメロディも単純、技巧的な見せ場もない。だから、逆にこの曲はメロディをどう歌わすかが重要なポイントになる。私にとって、本国ポルトガルで初めて弾く曲が、やはり私の処女作であるとは、誠に感慨深い。演奏は恥ずかしながら、すこぶる力が入り、“歌”の頂点では奥歯がめり込むほどアゴをくいしばってしまった。(実はその時のへしゃがった顔写真が翌日の新聞に出たのだが、それ以後その新聞を見た人は、私の顔を見ると片手で顔の中央をつまみ上げる様なしぐさをよくした)演奏後の拍手は実に温かく、1曲目からスタンディング・オベーション、東洋からはるばる来たポルトガルギター弾きは、大いに勇気づけられた。2曲目は「南蛮渡来」これも良い反応。だが、曲想をみる視点にいささかとまどいも感じられる。さもありなん、この曲は半分以上は“和”の世界。不思議な曲に聞こえるだろう。余談だが、この曲が日本の酒のTVCMに使われたと言うと、そのミスマッチな感じに失笑を受けることもあった。私達から言えば、ポルトワインの宣伝に琵琶の音色が響くようなものか? 3曲目「航海王子」この曲への反応は私にとっては忘 れがたいものになった。弾き終えると二百人ほどの客席はほとんどスタンディングだ。最後には、のちに私が理事として迎えられる、「ファドの友ポルトガル協会」の会長ルイス・デ・カストロ氏が舞台に駆け上がり握手を求めてきた。冷静かつ正確に見れば、私達はあくまで、アジアからの旅人でしかない。もてなし半分であろうが、その気持ちは涙が出るほど嬉しい。渡ポ数日にして本当にラッキーをすべり出しだ。


 ところで今回のポ滞在で、重要な助人を実に好意的にかって出てくれたのが、ロドリゲス先生のご長女のユキちゃんだ。今年、ポルトガルの音楽学校を卒業したばかりのピアニスト。色白で大きな瞳が愛らしく、活発なお嬢さんである。私のつたない英語とポル語では伝えきれない細かいところを、丁寧に通訳してくれた。彼女のフォローなくしては、今回の私達の充実したポ滞在はなかったことと思う。どんなに感謝してもしきれない。彼女が日本に来た時には、是非マリオネットのコンサートにもゲストで出演してもらいたいと思う。


 3月下旬。天候は不順で、どちらかと言えば肌寒い。特に予定のない日はペンションの周辺をよくうろついた。宿はバイロ・アルトというファド・ハウスの隣立する地区のすぐ下にあり、ポルトガル下町情緒満点の所である。大手旅行業社のツアーだとなかなか行けない所だが、もし、私がコンダクターなら典型的なポルトガルの風景として、第一に推薦するだろう。手頃なレストラン、カフェも様々な種類があり、旅人の日常生活に不便は感じない。各々の店には、肉・魚・野菜などそれぞれお得意料理があり、その日の気分で行く先を決めればよい。ワインはどの店に行っても大概良好。値段もコースで一人千〜千二百円もあれば充分だろう。コースというのは、パンとバター、チーズ、メインディシュ1皿、スープ、ワイン(ハーフボトル)、コーヒー、デザート。サラダはないがメインディシュに野菜はかなりたくさん付いている。どの皿も日本の1・5倍〜2倍あるので、ボリュームは問題ない。味は好みがあるが、食べられない様な味はない。少し慣れて来ると何を食べるならどの店、と自分なりの選択肢が出てくる。これも同じ所に長く逗留する旅の楽しみだろう。


 別頁に紹介するサンタ・カタリーナ周辺図は、簡単だが私達が泊まっていたレジデンシア・サンタ・カタリナ周辺の地図だ。私も吉田も海井も、この界隈では“顔”である。いつかこんな街で、是非皆さんと一杯やりたいものだ。