1995・8・15 終戦50年
愛について考えました


(マリオネットサークル会報 Vol.5に掲載)


 今朝の朝刊に戦後50年の特集として過去の様々な統計が出ていた。それによると78年以降、新生女児の命名には〈愛〉が圧倒的に人気だそうだ。この〈愛〉という言葉、最近大安売りの感ありでいささか食傷気味ではあるが、かく言う私も、今日午後8時よりWOWOWにて放映の『復活りりィライブ〈愛〉』で、やはり〈愛〉という曲を弾いている。歌詩は実に厳しい。
 《「合いの子」と蔑まれ、子供の社会からも大人の社会からも弾き出されていた(CD『愛』本人のライナーより)》
 そんな少女が海や空や星に語りかけ「なぜ私ひとり心の支えもなく/淋しさに耐えながら生きてゆくのか」と自問する。70年、りりィ18才の作。日本が万博で世界に〈人類の進歩と調和〉をアピールした年でもある。


 今年年1月南太平洋タヒチに行き、タヒチアンウクレレを買ってきた。この楽器、弾き方次第で様々な世界を表現する。今回この楽器で『エイジアン・ブルー』のテーマを弾いたのだが、私が弾くとどう聴いても〈南の島〉の音にはならない。あえて言えば、アジア風無国籍三味線(?)とでも言おうか−。ところで、今、南太平洋ではフランスが核実験を再会しようとしている。その海原に浮かぶ南の小島の楽器タヒチアンウクレレを使い、被爆国日本の音楽家が、アジアの戦後を問う映画(エイジアン・ブルー)の音楽を担当する。しかも、当人は本来、南蛮渡来のポルトガルギターを生業とするという。なんとも難解な組み合わせだ。そういえば、タヒチからの帰国は1月17日早朝。阪神大震災の日だった。今回、あらゆる巡り合わせは何処か根本的にずれている。抜き差しならぬこれらの関係、さてどう昇華させるべきか−。


 りりィの新しいCD〈愛〉に入っている「南十字星」という曲にポルトガルギターで参加している。曲の内容は「私を残して南の船に乗る」「あなたを追いかけ」やはり「私」も「船に乗る」のだが「私の油断」で「何も気付かずあなたを見失う」しかし「私」は「私の心」に「地平線をめざせ」と言い放つ。かつて、差別され耐えていた少女は、今ある境界を超えようとしている。だが、いつしか「とばりが降り」「大地が消える」。闇の中「星を頼りに」「あなた」の「あの胸」に「たどりつく」のだが、それは恐らく現実ではない…。ここに至り少女は、「あなた」との愛の実現の不可能性を想像力で昇華させ、内的次元に於いて実現させている。つまり、少女が踏み出した一歩は少女自身を質的に変化させたのだ。その原動力は単純に「あなた」を愛したことだったのであろう。が、その強い気持ちが「私の心」を深めあらゆる境界を超えることを可能にしていった。
 話を元に戻すが、その意味で、我が子に思いを託し〈愛〉と命名する多数を私は肯定する。しかし、この〈愛〉というしろものは主体にとって〈愛でないもの〉あるいは〈反・愛〉とみなされる対象を、まさしく〈愛〉の名に於いて頭ごなしに否定する力を内包している。その時〈愛〉は逆に〈憎しみ〉へ質的に変化する。重要なのは〈愛〉が〈愛〉として深まること。それは現代社会に於いて究めて困難なことだろう。根本的にずれて取り返しがつかなくなる前に道を見出さなくてはなるまい。