『イタリアン・センチメント』録音日記


2005.11.17 加筆訂正公開(マリオネット・サークルVol.22で会員公開済)

8月19日(土) 晴れ

 いよいよ吉田が、マンドリンのソロCDを作ることとなった。企画だけは以前からあったのだが、なかなか実現に至らず、今回、急遽制作となった。準備期間が不足し、不安も多いが、吉田には頑張ってもらおう。
 今回のCDは、収録曲のほとんどが、マンドリンのために作曲された古典曲である。マンドリン音楽に特にご興味のない方にはなじみの無い曲が多いが、聴いて楽しんでいただける曲をというコンセプトで選曲した。どうぞ楽しみにお待ちいただきたい。
 また、今回はレコード会社からのリリースではなく、初めてマリオネットの自主制作CDにチャレンジする。一般店舗での入手は難しいが、通信販売と、ライブでの販売を中心としていきたい。吉田のソロコンサートも企画しているので、こちらにもぜひお運びください。
 発売は11月前半を予定しており、既に録音準備と平行して、ジャケットの打ち合わせなども始めている。ジャケットデザインは、マリオネットの近作「ユーラシアン狂詩曲」「ノスタルジア」同様、マリオネットの高校時代の友人である田中・藤本両氏に依頼した。また、ジャケット写真は、これまたマリオネットの古い友人のカメラマン・藤谷伸次さんに依頼し、先だって撮影を済ませたばかりだ。こちらもお楽しみに。
 というわけで、今日は東京に出発である。録音は明日からで、今日はセッティングとリハーサルの予定。湯淺と新大阪で待ち合わせ、12時過ぎの新幹線に乗りこむ。まだお盆シーズンの混雑が多少残っており、新大阪のホームは人出が多い。少し早く着きすぎたので、ホームのベンチに腰掛け待っていると、一列車早いのぞみの出発の際、見送りの人たちも多く、アナウンスが、列車から離れるように呼びかけていた。ところが、なかなか離れようとしない人が多く、駅員のアナウンスも次第に強い調子に変わってゆく。それでも、まだ離れないおばちゃんがいる。どうも、まさか自分の事を言われているとは、思ってもいないという風情なのだ。更なる「出発できませんので、黄色い線の内側まで離れてください」という強いアナウンスで、ようやく気づいたおばちゃんは、しぶしぶ離れ、ようやくドアが閉まって動き始めた。ここでまた件のおばちゃんは前へツツと出て手を振り出し、またまたアナウンスが入る。大阪のおばちゃんは天下無敵であった。
 さて、吉田はというと、彼は京都在住のため、今回は別行動。現地で集合の予定だ。という訳で、3時に東京駅着、中央線で荻窪へ向かい、3時40分、ホテルにチェックイン。吉田もほぼ同じにチェックインしたので、4時には近くにあるスタジオへ入った。
 今回使用するのは、荻窪にあるJAKEというスタジオ。普段はロックなどを専門に録音しているスタジオだが、ポピュラーっぽい録音を撮りたいということで、こちらを使うことにした。ちなみにオーナーの宮澤氏は、マリオネットが東京でお世話になっている音楽出版ジュンアンドケイに以前おられた方。エンジニアは、いつもマリオネットのレコーディングをお願いしている佐藤氏にお願いした。まずは、セッティングやマイク・楽器のテストなどを行う。
 そうこうしている内に、6時過ぎ、ギタリストの毛塚功一さんが来られた。ここでお気づきの方もおられるだろうが、今回は伴奏のギターを湯淺ではなく、クラシックギター奏者の毛塚さんにお願いした。楽しみである。
 二人は、レコーディングブース内でリハーサルを開始。吉田は毛塚さんとは今回のレコーディングが初めての共演。今日が2回目のリハーサルである。佐藤さんやスタッフは、翌日からのレコーディングがスムースにスタートできるように、この間にマイクをセットして、テストレコーディングしながら、種々のテストなどを行っている。8時半頃には、リハーサルが終了。吉田と毛塚さんが、プレイバックで音の状態を確認。満足できる状態のようである。この後、毛塚さんはすぐに引き上げられた。
 吉田は、使用するマンドリンの1台であるエンベルガーの調整のため、知人のところへ出かけるということなので、残りのスタッフで食事に。11時頃ホテルに一旦戻り、湯淺と共に新宿ゴールデン街の「石の花」へ。マスターの森田さんは元ミュージシャン。音楽好きの集まる我々の好きな店だ。10人も入れば一杯になる狭い店だが、時にはマスターのギターでお客さんが歌っていることもある。結局、深夜3時まで飲んで、タクシーでホテルへ。メールをチェックして就寝。

8月20日(日) 曇り

 録音初日。録音日程にまったく余裕が無いため、朝10時からのスタート。9時45分頃にスタジオ入りすると、毛塚さんは既にブースで練習をされていた。この後、吉田・湯淺と相次いでスタジオ入り。 しばらくの指慣らしとリハーサルの後、10時20分頃、録音開始。1曲目は、カラーチェ作曲「マズルカ6番」。軽やかさと哀愁と美しさが同居した曲。マンドリンは、ルシアン・ジェラ作(1932年)の楽器を使用。この楽器の音色はマリオネットの録音やライブでおなじみ。一般的なマンドリンとは異なり、丸くやわらかな音色が特徴。力強さも兼ね備えている。11時20分終了。
 続けて、同じくカラーチェの「パヴァーナ」。ゆったりとして、繊細で美しい曲。楽器は同じくジェラを使用。12時10分終了。ここまでは大変順調。
 3曲目は、今回唯一のポピュラー曲として選曲した映画音楽の名曲「ひまわり」。表情を変えて2パターン録音。楽器は、ルイジ・エンベルガー作(1912年)。高域の華やかさと繊細さを兼ね備えた楽器。1時半に終了して、昼食休憩。近くの中華屋へ一同で出かける。普通の中華屋だが、量がすごかった。
 スタジオに戻り、多少休憩の後、2時40分、録音再開。まずはマルチェリ作曲「幻想的ワルツ」。華やかな感じのワルツである。この曲は長さも結構あり、かなり起伏のある曲で難航する。楽器はエンベルガーを使用。5時半終了。ここで毛塚さんがギターの弦交換。
 しばらく休憩の後、6時から再開。メツァカーポ作曲「夢うつつ」。ゆったりとしたトレモロの哀しく美しい曲である。楽器はジェラを使用。一発OK、6時25分終了。
 続いて今日の最後の予定曲、マンドリン曲ではないが、クラシックの名曲「G線上のアリア」。楽器の選択と表現の問題で数テイク録音。後日選択することとする。楽器はジェラの1932年と1933年の2種類を使用。1933年製は1932年製に比べると高域が固めで伸びのある音が出る。8時終了。
 今日はあっさりお開きにして、ホテルに荷物を入れた後、近くの焼肉屋で夕食。その後は各自ホテルに戻り、就寝。今日はまじめであった。

8月21日(月) 曇りのち晴れ

 朝から、どんよりとした天気。夕べ遅く、京都の知人から、今日、東京で地震があると予言している人がいるから、から気をつけろという電話をもらう。最近、三宅島や神津島のほうが大変だし、ちょっと気になる。
 9時45分スタジオ入り。吉田はもう入っていて、譜面などを見ている。おっつけ毛塚さん到着。湯淺は、今日午後には帰阪のため、ホテルのチェックアウト後、10時過ぎ、スタジオ入り。
 しばらく、指ならし・リハーサルの後、10時20分、本日の1曲目、カラーチェ作曲「甘い思い出」から。ゆったりと美しい曲。楽器はジェラ(1932年)を使用。11時40分終了。
 続いてムニエル作曲「スペイン風奇想曲」。激しく、次々といろいろな曲想が出てきて楽しい曲だ。楽器はエンベルガーを使用。2時20分終了。
 ここで、休憩。湯淺は所用のために、先に退出、帰阪する。お疲れ様。他の一同はここで遅い昼食。弁当等の買出しに出る。
 3時40分、昼食で一息入れたところで再開。レオナルディ作曲「シシリアの思い出」。軽快な楽しい曲。これも楽器はジェラ(1932年)を使用。
 録音途中4時半頃、劇団目覚時計の稲垣美穂子さんと、作家のヒロコ・ムトーさんが陣中見舞いに訪ねてこられる。お二人とは、年末に公演が予定されているミュージカル『ゴールド物語』でご一緒することになっている。
 しばらくすると、スタジオの電源の一部が飛んで、コンピューター等の電源が落ちてしまうトラブルが発生。復旧と現状復帰に手間取り、5時10分頃、録音再開。苦労の末、6時終了。
 ここで稲垣さん一行が引き上げ、入れ替わるように、ジュンアンドケイの原澤氏が陣中見舞いに。
 6時半、録音再開。ムニエル作曲「ビッザリア」。楽器はジェラ(1932年)を使用。オープニングにマンドリンソロあり、ゆったり聴かせるパートあり、どんどん盛り上がるパートありの曲。さすがに2日間の疲れが出てきたのか、録音は大苦戦。何度か途中の休憩をはさんで、10時20分にようやく終了。皆様、お疲れ様でした。これでギター伴奏の曲は全て録音が完了。数曲残っている無伴奏曲は、出来ればこの機会に録音したかったが、これは9月上旬に改めて録音することにした。
 とりあえず中締めということで、荻窪駅前の居酒屋で軽く打ち上げ。午前1時半過ぎ、ホテルへ戻って、この日記をホームページにアップして就寝。

8月22日(火) 晴れ

 午前11時にチェックアウトして、スタジオへ。録音は今日は無いが、宮澤氏と種々の打ち合わせをする。この間に吉田は、佐藤氏が我々のために借りてきてくれていたマイクのテスト録音を行う。自分達でレコーディングやライブに使えるマイクが無いかと、佐藤さんに相談していたのだ。打ち合わせもマイクテストも一応の成果が出て、午後2時半頃、スタジオを出る。
 荻窪駅前で簡単に食事をして、JRで東京駅へ、午後4時の新幹線に乗りこむ。疲れも有り、爆睡。吉田は京都で下車、お疲れ様。
 新大阪で下車し、JRの在来線で天王寺へ、近鉄に乗り換えて河堀口へと向かう。河堀口駅前で知人が立ち飲みの店をやっていて、用事もあったので訪ねたのだ。店主の水島先生はデザイナーだが、日本酒や焼酎などのラベルのデザインなどもしている関係で、このようなお店をされている。置いているお酒類は良いものばかりで、これらを格安で飲ませてもらえるうれしいお店だ。水島先生や友人たちと楽しい夜を過ごし、終電で帰宅。

8月23日(水) 晴れ

 午後1時半に、新大阪のホテルへ、俳優の常田富士男さんをお迎えに行く。常田さんとは、明日、宝塚のべガホールでジョイントコンサートを行うのだが、今日はリハーサルをすることになっている。常田さんとは、10年来の親しいお付き合いをいただいているが、ジョイントさせていただくのは約2年ぶりである。
 常田さんと落ち合って、吹田のスタジオYOUへ。湯淺・吉田もほぼ同時に到着、久々の常田さんとの再会。吉田は、今回舞台監督をお願いしている我々の友人の小川さんと合流して一緒にやってきた。小川さんはかつて劇団民芸で舞台監督を長くされていて、常田さんとは時期はずれるが、後輩にあたり、現在は東京・初台の新国立劇場でお仕事をされている。照明の池田さんも合流して、リハーサルが始まった。
 通常、常田さんとのジョイントでは、劇作家・別役実さんの童話を取り上げて演じていただくのだが、今回はそれと共に、宝塚在住の詩人・杉山平一さんの詩を取り上げることにした。常田さんが、朝日新聞の「折々のうた」欄で紹介された杉山さんの短い詩に感銘を受けて、膨大な杉山さんの詩集の中から十数編セレクトされた。進行や演出上の問題を話し合いながら多少の変更などもあり、午後6時頃終了、食事へと向かう。ミナミの韓国料理で舌鼓を打ち、常田さんをお送りして帰宅。

8月24日(木) 晴れ

 今日はいよいよ本番、午前10時に劇場入り。舞台の仕込み開始。出演者の入り時間は2時だったのだが、常田さんは11時半頃、早々に到着された。大体の仕込みが終わり、昼食後、細かな照明の合わせを行う。1時半頃、吉田・湯淺相次いで劇場入り。
 べガホールは室内楽専門の小ホールのため、今回はPAなしの生演奏。サウンドチェックは無しで、2時半頃からゲネプロ(通しリハーサル)を行う。
 リハーサル終了後、早い夕食を弁当で。今日は平日だが、少々早めの5時半には開場して、開演は6時。
 第1部は、杉山さんの詩の朗読に音楽が絡むという仕立て。緊張感の高いステージで、出演者の登場時に拍手があったきり、途中の拍手がまったく入らない。約40分第1部終了時の大きな拍手は素晴らしかった。第2部は一転してリラックスしたステージ。マリオネットの演奏コーナーから始まり、再び常田さんが登場して、別役の「なにもないねこ」の語り。笑いと涙を誘う不思議で感動的なお話。アンコールまで大受けで、楽しくステージは終了した。
 撤収後、大阪市内の「フラットフラミンゴ」で打ち上げ。フラミンゴに集う仲間たちも交えての楽しい一夜であった。

8月25日(金) 晴れ

 今日はオフ。私は、マリオネットサークルの会報作りで一日を過ごす。湯淺・吉田の両名は、京都で行われた徳永英明のコンサートへ。バックバンドのギタリストが知人で、誘われたのだ。コンサートについては、私は行かなかったのでここではレポートしません。

8月26日(土) 晴れ

 神戸市東灘区にある酒心館ホールでのコンサート。ホールは、灘の某酒造会社の経営するお酒の博物館の一角にある酒蔵を改造した雰囲気のあるスペースだ。
 主催は、メイク・ア・ウィッシュという国際的なボランティア団体の関西支部で、チャリティーコンサートである。チャリティーの趣旨は、障害のある子供たちの夢をなにか一つかなえる為のお手伝いをしようということで、コンサート前にはメイク・ア・ウィッシュの活動についてビデオでの紹介などもあった。スタッフはボランティアの若者たちが多く、なかなか気持ちのいいコンサートだった。

8月27日(日) 晴れ

 今日は、マリオネットが企画協力している、北新地サンボアの第7回目のライブ。今回は、「大阪で生まれた女」でおなじみのBOROさんに出演をお願いした。BOROさんとは、5年ほど前、デモテープ作りでご一緒したことがある。残念ながらその折には企画が立ち上がらなかったが、今回そのご縁で出演をお願いしたところ、快諾いただいた。
 会場の北新地サンボアは、マリオネットも常連のトラディショナルなショットバー。最初にサンボアが出来たのは80年以上前、暖簾分けで大阪・京都に10店舗ほどある中で、一番新しい店だ。店主の新谷さんは、マリオネットともほぼ同年代で、湯淺とは、15年来の付き合いである。
 BOROさんの情熱的な歌と楽しいお喋りで、いいライブであった。

8月31日(木) 曇り時々雨

 今日は関東方面への移動日。明日から、東京・神奈川での演奏と、吉田の録音の続きが予定されている。PA機材も持って行く必要があり、車での移動。
 午後1時過ぎに集合して、名神、東名を東へ向かう。今日の宿泊地は、神奈川県海老名市。午後8時頃には到着してホテルにチェックイン。湯淺・吉田ともに翌日からの演奏に備えて弦の交換を済ませた後、食事を兼ねて、近所の居酒屋で一杯。

9月1日(金) 晴れ

 午後1時にホテルを出発して東京へと向かう。今日は、現代ギター社内にあるGGサロンでのコンサート。ギターやマンドリンの演奏に向いた小スペースである。現代ギター社は、月刊現代ギター誌・楽譜の出版とギター・CD等の販売などを主に行っている。日本におけるクラシック・ギター界を支えてきた老舗である。近年はギターだけでなくマンドリンにも力を入れていて、マリオネットのオリジナル曲の楽譜集の出版や、現代ギター誌での吉田の連載などを行っているのは周知のとおりだ。
 さて、GGサロンは本来生演奏でも充分なスペースなのだが、マリオネットの希望で今回はPAを大阪から持ちこんだ。しかも、あまり音量を出す必要も無いため、演奏者自身が良い音場で弾くために、スピーカーを客席向けではなくマリオネットの二人に向けてセッティングした。
 さて、開場時間の1時間近く前からお客様が集まり始め、多少開場を早めた。狭いスペースに百名以上のお客様にご来場いただき、盛況なコンサートであった。
 終演後は会場で、ファンの人たちを交えての簡単な打ち上げ。感想を聞いていると、不安のあったPAの使用も、概ね好評だったようで安心した。この後、駅前の居酒屋で、二次会。日付も変わって午前1時頃、お開き。車で海老名のホテルまで戻って就寝。

9月2日(土) 晴れ

 12時40分頃にホテルを出て、大和市の萩生田千津子さんのお宅へ。萩生田さんとは、翌日、座間ハーモニーホール小ホールでご一緒に公演の予定で、今日は最終のリハーサルをすることになっている。
 萩生田さんは、かつて文学座で女優として活躍されていたが、交通事故で一生寝たきりを宣告された。その後、作家・水上勉さんやご家族の励ましや助力を受け、「越前竹人形」の語り手として車椅子でカムバック。以来、車椅子の女優として、全国各地での公演活動を行っておられる。マリオネットとは、大阪のイベント会社・Y女史のご尽力で、共演が実現して以来、今回で4度目の共演となる。2度目以降は、神奈川県座間市の無認可保育園「麦っ子畑保育園」に主催いただいての公演であるが、これも麦っ子と親交のあった萩生田さんのご紹介から始まっている。
 さて、今回の主な演目は、さねとうあきら原作の「おこんじょうるり」。以前、人形劇団プークが上演したものを見たことがあり、なじみのある作品。笑いと涙を交えた作品で、なかなか面白くなりそうである。そのほか、宮沢賢治の作った歌の伴奏などでも絡むことになっている。これまではテープのやり取りなどで、大体のイメージは出来あがっていて、今日は最終的な調整。宮沢賢治の歌は結構難しくて伴奏をどう入れれば良いのかわからず苦労したが、何とか良いポイントが見つかってうまく出来そうである。
 5時半頃には練習も終了、食事に行くにも少し早いので、とりあえずビールで乾杯。7時頃に近くの中華屋に行って、食事して解散。ホテルへと戻る。

9月3日(日) 晴れ

 9時半にホテルをチェックアウトして10時に会場入り。11時頃からサウンドチェック。座間ハーモニーホールの小ホールはいわゆる多目的ホール。概ねこの手の会場は音が悪いのだが、ここも例に漏れず音作りには苦労した。続いて「おこんじょうるり」を一通り通す。
 1時の開場で開演は1時半。お客様は満員。主催者の関係で子供づれの多い会である。全体で2時間半以上の長めの催しであったが、午後4時過ぎ、終演。
 バラシの後、近くのレストランで打ち上げ。7時半頃お開きになり、東京へ、9時過ぎに荻窪のホテルにチェックイン。しばらく休憩の後、湯淺と近くの居酒屋で一杯。

9月4日(月) 曇り

 今日は朝からゆっくりとすごす。午後3時20分、ホテルを出発して赤坂へ。今日は恒例のノーヴェンバー・イレブンスでのライブ。ロシアのプーチン大統領が来日中で交通規制があるかもと早く出たのだが、四谷見付辺りでかなり大勢の警官が出て検問を行っていたものの、何事も無く店に到着、少し早すぎたくらいだった。
 セッティング・リハーサルの後、賄いで夕食。こちらの料理は美味しい。
 ノーヴェンバー・イレブンスのライブは、1時間のステージが入れ替えで2ステージ。まずは7時半からTステージ目の開始。「旅路の果てに」で始めるという普段とはずいぶん違った構成だったが、好評のようで良かった。9時半からの2ステージ目も、結構残っている人もいたため、プログラムを大幅に変えて臨んだ。アンコールでは、たまたま来られていた友人の歌手・香川有美さんを無理やりステージに上げて、ファドの名曲「難船」を歌っていただいた。
 終演後は、いつもの通り、お店で飲み会となる。またまた日付が変わって午前1時、店を出て荻窪のホテルへと戻った。明日からは吉田の録音が再び始まる。

9月5日(火) 雨

 午前10時起床。今日の東京は雨。10時40分頃吉田に声をかけ、4本のマンドリンなどの荷物を抱えて、スタジオへと向かう。おっつけ佐藤氏も到着、マイクセットやテストを開始。湯淺も11時過ぎにはスタジオ入り。
 11時20分、録音開始。今回録音するのは全てマンドリンの無伴奏曲ばかり3曲を予定している。まずはA・サルコリ作曲「月へのセレナータ」から。楽器は、ジェラ(1932年)を使用。1時終了。
 ここで出前を取って昼食休憩ののち、2時、再開。ペッティーネ作曲「黄昏の幻想」。楽器はヴィナッチアを使用。変則チューニングの曲である。3時終了。
 続けて今回の録音最後の曲、レオーネ作曲「アリア第4番・主題と変奏」。今回のCDの目玉である十八世紀のマンドリンを使用しての録音である。このマンドリン、非常に華奢な造りで、重さも普通のマンドリンに比べてずいぶんと軽い。バロック的な高音の美しい音がする。弦のテンションも弱く、音色の魅力は際立っている。ぜひ楽しみにしていてほしい。6時終了。
 ここで湯淺は、知人の出演するライブを聞くために先に退出。我々はトラックダウンを始める。「マズルカ6番」「バヴァーナ」「幻想的ワルツ」「夢うつつ」と落とし終わったところで、本日は終了。9時50分。
 佐藤氏と共に駅前の居酒屋で夕食を兼ねて一杯。12時過ぎにホテルに戻って就寝。

9月6日(水) 曇り

 11時にスタジオ入り、今日もトラックダウンの続きを行う。まずは「スペイン風奇想曲」から。昼食を弁当で取って、続けて「ひまわり」「シシリアの思い出」「甘い思い出」「ピッザリア」「G線上のアリア」「月へのセレナータ」「黄昏の幻想」「アリア第4番・主題と変奏」と、全て落とし終わったのは、8時を回っていた。お疲れさま。
 荻久保駅前のちょっと変わったおしゃれな居酒屋でスタッフ一同と友に打ち上げ。12時過ぎにホテルへと戻って就寝。翌日、帰阪予定。

9月10日(月) 曇り時々雨

 7日に帰阪し、8日にコンサートやジャケットの打ち合わせ、9日にサロンコンサートを行って、この日午前10時頃の新幹線でまたまた東京へと向かう。今日はCDのマスタリングの予定。マスタリングでは、CDの曲順、曲間の時間、音のレベルの調整などの最終チェックを行い、CDをプレス出来る状態までする作業である。吉田とは現地で合流予定で、今回は湯淺は参加しない。
 午後2時半頃スタジオ入り、吉田もおっつけスタジオへ。前述の通り、音のレベルを揃えながら曲間の長さを決定してゆく。アコースティックのインストゥルメンタルはかなりダイナミックレンジが広く、そのままでは、結構、聴感上音の大きさが違って聞こえる。まずはこれらを一定に揃えるのだ。又、曲間の空白についても、前曲の余韻のあと、どういうタイミングで次の曲が始まれば心地よいかを決めるのだが、これが結構難しい。心地よいと感じる個人差があるし、いくつかパターンを試してみても、どれも有りと感じてしまう。戸惑いながらも決定し終え、ようやく全行程が終了した。
 実はこのマスタリングは後日談があり、帰阪後改めて聞き直してみたところどうも曲間が短く感じ、次々と曲が余裕無く出てくるようなイメージだったため、佐藤氏とも相談して長めに設定し直してもらったのであった。通して聴いてみると、やはり違った感じになるものである。
 終了後、佐藤氏と共に食事を兼ねて一杯。12時頃ホテルへ戻って就寝。

9月11日(月) 雨

 今日は朝からいやな雨である。10時にチェックアウトして、要町の現代ギター社へと向かう。編集長の菅原氏と、今回の吉田のCDの販売協力等に関する打ち合わせ。打ち合わせ後、菅原氏と昼食を共にし、その足で今度は明大前・劇団目覚時計の稽古場へ向かう。今日は年末に公演予定のミュージカル『ゴールド物語』のスタッフ・キャストが初めて一堂に会する顔合わせが行われる。湯淺も今日上京予定である。
 2時半頃明大前の駅に着いた頃には、雨がかなり激しくなっており、稽古場に着いた頃にはずぶぬれであった。打ち合わせで初めてここを訪れたときも同じような雨でひどい目にあったのだが、全く雨に祟られている。
 顔合わせは、全員の紹介、本読み、写真撮影などがあって、6時頃に終了。帰阪のため、東京駅へ向かう。ところが新宿でJRに乗り換え、新幹線の時間を確定しようとみどりの窓口に向かったところ、雨で新幹線が止まっていて、発券できないと言う。諦めて宿を取ることも頭をかすめたが、東京駅では発券していると言うことだったので、とりあえずそちらへ向かう。東京駅でも復旧の見込みが判らないと言うことだったが、発券を受けて新幹線に乗り込んだ。ところが新幹線は構内に止まったままいっこうに動かない。弁当やビール・つまみを買い込んで諦めの酒盛りを始める。車内放送では、東海地区の大雨で、復旧がいつになるか判らない旨の放送が断続的にはいるだけで、詳しくは何も判らない。酒も入っていい加減盛り上がってきたところで、友人の新聞記者・I女史から電話。事情を話したところ驚いて、仕事の帰りに差し入れをしてくれるとのこと。しばらくすると、ウイスキーとおつまみを色々と持ってきてくれ、ますます酒盛り状態となってしまった。12時頃には、今日は発車しないというアナウンスが入る。結局車内で夜明かしとなってしまった。2時頃まで飲んで、座席で就寝。

9月12日(火) 雨

 朝5時半頃に車内放送が入り、結局新幹線が出ることはないという。なぜJRはこんなに情報開示と決定が遅いのだろうか。
 荷物をまとめ、チケットの払い戻しを受けて、羽田へと移動。羽田は既に西日本方面へ向かう人で、早朝だというのにごった返している。チケットは既になく、便毎のキャンセル待ち整理券をもらって、あとは待つだけである。疲れでぐったりしながら待つこと数時間、ようやく11時過ぎの伊丹行きのキャンセルチケットが取れ、搭乗口へ。チケットが取れてから搭乗までは時間がないため結構あわただしかったが、何とか機内へ。機内では爆睡して、1時頃、ようやく帰阪。
 帰宅して新聞やテレビで見て、ようやく東海地方の災害の規模が判った。被害にあった方々には、お見舞い申し上げます。ジャイアンツの選手も車内に閉じこめられていたようだが、我々は、まだ東京駅構内だったので助かったというべきなのだろう。とんだトラブルで、お疲れさまであった。