うなぎの話あれこれ


(マリオネットサークル会報 Vol.16 に掲載/98年)

 夏はやっぱりうなぎである。と聞いて異議を唱える人は別にいないだろうが、この「○はやっぱり○○である」という言い回しには結構いろんなものが当てはまる。夏とくればビール、かき氷、花火に海水浴というあたりはごく自然に出てくる。しかし例えば「夏はやっぱり蕎麦である」とは言い切れない。私はずいぶん蕎麦びいきのつもりだがこれには残念ながら納得するわけにはいかない。この場合、夏はやっぱり素麺なのである。こうして考えるとうなぎは夏の風物の一つとしてゆるぎない地位にあるに違いない。夏の魚と言えば鮎、はも、きす等が思い当たるが、面白いことはうなぎが食べ物として特別に旬のものではないということである。うなぎは一年を通じて脂の乗った魚であり、どの季節でも美味しく食べられる、ということは映画「うなぎ」の原作「闇に光る」で吉村昭が主人公に言わせていることでもある。実際、うなぎ屋に大して季節感はない。「夏ばてに効き目がある」というのが夏にうなぎが愛される最大の理由に違いないのだが真偽の程はいかがであろうか。私自身は本当に困ったときうなぎに頼ろうとは思わない。風流ではないがドリンク剤を飲む。尤も、うなぎは脂の多い食品だし、ビタミンAなんかも含んでいるらしいので多少はスタミナがつくのかもしれない。ヨーロッパなどでは脂っこい魚として嫌がる人もいるが調理法の問題もありそうだ。日本のうなぎ調理法は世界に誇れるものだと私は信じる。

 因みに私の場合うなぎの素晴らしさについて語るには先ず八つ目うなぎのことから語らねばならない。八つ目うなぎをご存知だろうか。まんまるい吸盤状の口に鋭い歯を持ち他の大きな魚にくっついてその体液を吸うというまるで吸血鬼のような魚である。うなぎ同様、細長い魚だが別の分類に入る。実際に目が八つあるわけではなく目の後ろに点々と並んだ鰓孔を目に見立てての命名である。ちょっと怖い名前ではある。ところで東京巣鴨の刺抜き地蔵の近くにこの八つ目うなぎを食べさせる店がある。何年か前にこの店のことを教えてくれた人があり、珍しもの好きの私は即日食べに連れて行ってもらった。わくわくして壁のお品書きを見ると、八つ目うなぎの蒲焼とうな重、普通のうなぎの白焼きや肝焼き、そして普通のうな重などが並んでいる。早速、八つ目の蒲焼と八つ目重を注文すると店のオバサンは我々が初めてと見て取ったか、うな重は普通のにしておきなさいと言う。私はものを食べに行って店員に指図されるのが大嫌いだがオバサンの乾いた言い方に説得力を感じ、素直に従うことにした。果たしてオバサンのアドバイスが適切であったことを知るに時間はかからなかった。八つ目の蒲焼は固く締まってごりごりした肉質、何となく生臭い感じでヘビを連想させる野性味のある味わい。ちょっと気持ち悪い。何でもビタミンAが普通のうなぎの3倍含まれているらしいので、薬食同源などとうそぶきつつ食べるがお世辞にも美味いとは言いかねる。これなら普通のうなぎを3倍食べたほうがいいやなどと思っているところにタイミング良くうな重が来た。ふたを取ると良い香りがして見るからにほこほこと美味しそう。早速、一口食べてみる。美味い。私はこのとき改めてうなぎが如何に優れた、洗練された食べ物であるかを思い知らされたのである。ほどよい脂ののり、柔らか過ぎず固過ぎず芳醇な味わいの肉質。スターの面目躍如というところだろうか。とにかく私がうなぎの素晴らしさを最も痛感したのはこのときであった。因みに八つ目うなぎの名誉のために付け加えるならば、わたしはその後もその店で八つ目を食べている。こういうものは案外、癖になるのである。

 さて八つ目の話はこのくらいにして、もう一つのうなぎの話に移りたい。誰しも、幼い頃に憶えていることで今考え直すとあれは一体なんだったんだろうということがある筈だ。私にとっての謎は糸うなぎとは何ぞやということである。神戸の下町に生まれ育った私は、よく近所の池や川に魚とりに出かけた。獲物は、どじょうにめだか、ざりがににかえるといった可愛いものばかりなのだが時々珍しいものにも出会った。その最たるものが糸うなぎである。私は普段一人でも出かけていたが、少し足を伸ばして芦屋川へ行くときはよく父がついて来てくれた。当時からあまり水量のない川で下流でも浅瀬が多かったように思う。ところどころに段がついて小さな滝のようになっていた。あるとき、そういう所に何人かの人が集まり何かとっている場面に出くわした。自分も負けずにとらなきゃと思い急いで駆け寄ると、目の細かい網で何やら黒くて細いものを掬っている。一人に何かと尋ねてみると糸うなぎだという。長さ数センチの細いものである。小さくて動きが速いのでよく確認できないが、確かにうなぎを小さくしたような形をしている。おびただしい数のそれが、その小さな滝を登っていこうとしているのである。皆、それを網で掬って缶の中に入れ、それが這い出してこないように素早く蓋をしているのである。私の持っているタモでは目が粗くて掬えず悔しい思いをしたことを今、書いているうちに思い出してきた。それでもなんとかして何匹かとって帰ったように思うが、すぐに死んでしまったのかその後の記憶はない。今になってもあれが何であったかよくわからない。大の大人が何人もとりに来ていたことを思うと食べられるのかもしれない。しかし、スペインあたりで食べられるうなぎの稚魚はご存知の通り柳の葉っぱみたいな平たいものであるし、実際はうなぎとあまり関係のないものかもしれない。どなたかご存知の方があれば是非ともこの糸うなぎの正体を教えていただきたい。

 さて、うなぎの話と言いながら普通のうなぎでないものの話のほうが長くなってしまったが、ここらでとりあえず終わりにして普通のうなぎでも食べに行こうと思う。