98年 リスボン滞在記


(マリオネットサークル会報 Vol.16に掲載/98年)


 昼は石畳に影が焼き付かんばかりの太陽の光を浴び、夜はワインとファドを求めオレンジ色の光に溶け込んでゆく。その眩惑的な光のコントラストと奇妙な時間の流れの中に、再び身を委ねてきた。今年開催されているリスボン万博に出演するため、二年ぶりに彼の地を訪れることができたのである。万博会場での3回の演奏の他、現地のテレビやラジオの取材、旧知の人々との再会そして途中からはマリオネットツアーの皆も合流して、賑々しく充実した日々であった。7月17日に出発して、私と海井は8月2日に帰国、16日間の滞在であった。宿泊は前回と同じくサンタ・カタリーナのレジデンシャル、湯淺にとっては、87年の初渡ポ以来の、そして私たちにとっても既に馴染みとなった定宿である。本来、安宿というべき処なのだが、今回はハイシーズンの上、万博が開かれているとあって結構な値段になっていた。おまけに希望していたシングルは取れず、海井とツインになってしまった。どうせそんなに混まないだろうとタカをくくっていたことを後悔したが、時既に遅く、他をあたっても結局適当なところは見つからなかった。かくして私は、海井のあたかも猩猩の如き堂々たる体躯を、日夜拝まねばならない羽目になってしまったのである。

 今回の旅はロンドン経由、11時に関空を出発して、早くも当日の夜9時過ぎにリスボンに到着した。とはいえ時差の8時間を加算すると、やはり長い旅と言わねばならない。空港には出迎えが来ており、そのまま万博日本館のイベントスタッフや出演者たちとの顔合わせに参加せねばならなかったので、サンタカタリーナの定宿に着いたのは、既に12時を回ってからである。宿の老主人カルロスは2年前には病気で殆ど顔を見せなかったが、今回は最初から最後まで良くしてくれた。日本からファックスで予約する際うまく意志が通じず、私たちの部屋は最初の2泊がキャンセルになっていたのだが、彼の骨折りで近所のホテルを同じ値段で押さえてくれた。カルロスはタクシーに同乗して私たちをそこまで連れていってくれた。サンタカタリーナより広々として、大きなバスタブも付いていて悪くはなかったが、建物が古く、清潔とは言いかねた。ともあれ、長い一日が終わりようやく横になることができる。シャワーを浴びてベッドに身を投げ出すとまもなく眠りについたが、建物の何処かから絶えず聞こえてくる水の音をときおり夢うつつに聞きながら、第一日目の夜は更けていった。

 今回、再びリスボンを訪れるに際して気になっていることが一つあった。それは街がどう変わっているかということである。これはリスボンの街を愛する人々に共通の関心事に違いないのだが、万博が開催されることによって開発整理が進み、街の雰囲気が損なわれていないかという心配である。あの古めかしい街並みや、石畳の通りから可愛らしい市電にいたるまで、全てが国際観光都市リスボンの風景を特徴付けているのである。それらを排除するような開発は、街の自殺行為に等しい。たとえ観光客のエゴと言われようと、リスボンは変わらないでほしい。そんな思いを抱きつつ街へ出た。サンタカタリーナあたりはさほど変わっておらず多少安心したが、街の中心部に向かうと、プランタンのような大きなファッションビルが建っていたり、きれいな公園が出来ていたりして、2年前と比べるとやはり変わってきているようだ。車の数も増えているようで、通りという通りは、路上駐車の車でびっしり埋め尽くされている。その対策であろうか、随所に地下駐車場が建設されているが、こちらのほうはどうやら不評のようで、利用者は多くないらしい。もともと、交通に関する道徳意識の高くない土地柄であるし、わざわざ金を払って駐車する必要はなかろうということなのだろう。一方、新しい交通機関として地下鉄(メトロ)の発達が目立った。何度か利用したがこれは便利である。ところで、私たちの宿から近いシアドという駅はものすごく深くて、驚きの言葉を禁じえないほどであった。京都に地下鉄が出来たときも深いという印象を持ったが、そんなものではない。地上の入口にメトロの表示があるだけで、入ってゆくと大きなトンネルの中をエスカレーターでどんどん地下へ降りて行く。トンネルは多少曲折しているので行き先は見えない。看板も広告もない灰色の大きなトンネルをひたすら降りて行くのである。私は一体どこへ辿り着くのだろうという不安が生じるのに時間はかからない。他の駅はよく知らないが、地下鉄に乗ろうとするたびにSFチックな幻想の世界に引き込まれてはかなわない。なんとかして欲しい。まあ私はめったに乗らないから別に構わないのだが…。さて話を元に戻すと、地下鉄は交通渋滞と無縁の新たな市民の足として大いに利用されていくに違いないのだが、そうなるとエレクトリコ、あのまことに可愛い市電の存在が脅かされはしないだろうか。不法駐車の車にさえぎられ、無法なドライバーたちに罵られながら、交通渋滞の元凶の汚名を押し付けられ、ただでさえ風当たりがきつそうなのに、今後どうなっていくのか心配である。リスボンの人々は是非とも、あれが数少ない貴重な観光資源の一つであることを忘れないで欲しい。

 万博会場はテージョ川沿いの広大な敷地にしつらえてあり、南北に長細いという印象が強い。端から端まで行くのは大変だ。今の時期、リスボンは殆ど雨が降らず、連日雲一つない晴天である。おまけに会場には日陰が少なく、日中は厳しいともっぱらの評判である。実際、年寄りがちょくちょく倒れているらしい。私たちも打ち合わせのため訪れた際、この炎天下を歩かねばならなかったが、楽器のケースがすぐに熱くなり気が気でなかった。しかし、日が暮れてからは寒い日もあるくらいで、昼夜の温度差は、日本の常識から言えば想像を絶すると言っても決して過言ではない。従って、夕方あたりから出向くと、散歩にももってこいで、テラスでビールでも飲めば快適なこと請け合いである。ただし、ここではお金がかかる。ビールでもピザでも、値段だけ見るととてもポルトガルとは思えないほどである。一日5千エスクード(約4千円)の入場料も結構な額である。大体この手の場所はテーマパークや遊園地と同じで没個性的、どこへ行っても均質で面白みのない空間である。ものの値段が高いという特徴も共通のものである。尤も、日本などは国そのものがディズニーランドの如き趣きを持っているので困ってしまうのだが…。万博の悪口を言うつもりはないのだが、東洋の端っこからわざわざ訪れているのだから、どうせならもっとポルトガルらしいところへ行きたいと思い、結局自分たちが演奏するために行った際、あたりを少しうろついただけで、殆ど見学もせず日本に帰ってきてしまった。しかし、かつての大阪万博を訪れたポルトガル人も、恐らく万博そのものより、キタやミナミで一杯やってみたり、京都まで足を伸ばして寺社巡りをしたりすることに熱中したに違いないのである。万博の見学は、自国の人々にまかせておけば良いというのが実感である。

 約2週間の滞在であったが、いろんなことがありいろんなことを感じた。やはり旅は素晴らしい。コンサートのことも書かねばならないが、ここでは人々との再会について触れ、とりあえず締めくくりたい。2年前に、ポルトガル到着早々折れてしまった私の前歯をなおしてくれた、歯科医でありファド協会の会長であるルイスとジュリエッタ夫妻は、皆を自宅に招待してくれた。30日の私たちのコンサートを聴いてくれた後、別れ際に私は「また明日…」と言ってしまったが、首をゆっくり横に振って私を見るジュリエッタを見て、もう出発まで会う機会がなかったことに気が付き、少し哀しくなった。いつまた会えるかわからない人との別れは常につらいものである。「ルジタニア憧憬」録音の際、レコーディングエンジニアとして楽しい仕事振りを見せてくれたルイは、国営放送RDPあがりの腕利きで、今回もそのコネを生かして、いくつかのラジオ番組に出演する段取りをつけてくれた。ワイン好きで食通の彼は、美味しいレストランや観光客の来ないファドハウスに私たちを案内してくれた。また2年前に私たちの写真を撮ってくれた日本人カメラマンの近藤さんも元気にしていた。仕事も順調な様子で、この2年の間にすっかりポルトガル人社会に根を張ったようである。親しい人が頑張って発展しているのを見るのは本当に嬉しいものである。近藤さんは私たちをアルファマの奥地へと案内してくれた。知らなければ到底たどり着けないような、隠れ家っぽい、何かいい感じのバーである。そしてそこで演奏する機会を作ってくれた。つくづくその土地を知っている人の案内を有難く思った。その他ミュージシャン達をはじめ、様々な人々と再会できたが、反対に残念ながら会えなかった人もいる。サンタカタリーナの宿で前回ずっと顔を合わせていた陽気なお婆さんのリリアナにも会えなかったし、グレミオの店はなくなっていた。階段のバーは経営者が変わっていたし、素敵な中庭のある小学校あとのバーも閉まっていた。街も人も変わっていくのだから仕方のないことだが、ちょっと淋しい気がしないでもない。ところで「ルジタニア憧憬」のなかに「淋しいおさかな」という曲が入っている。この曲の解説で宿の近くにあるレストランのことを書いた。「明日から休みなのでもう会えないし残念だよ」といってくれた給仕さんのいる店である。私が頻繁にこの店に足を運んだのは、料理よりむしろワインのためであった。樽だしのフレッシュで濃厚な赤ワインはこの店ならではのもので独特な魅力を持っているのだが、今回の私の日程はこの店の休業期間と全く重なってしまい、残念ながら今年は飲めないなと諦めていた。ところが、である。私たちの帰国が数日後に迫ったある日、店の準備に来ていた彼に偶然出会ったのである。タック&パティーのタック・アンドレスに似た風貌の彼は私たちを憶えていてくれたようで、笑顔で握手を交わしてくれた。すかさず「私はあなたのワインが大好きである。しかし、この土曜日に日本へ帰るので残念だ」と伝えたところ、有難いことに彼は「何とかしてやりたい」という心の動きを見せてくれた。「飲みたい」という私に「飲ませてやりたい」という人情を示してくれたのである。さて、心が通じ合えば後は何とかなるものである。彼は英語がわからないので私のつたないポルトガル語と彼の勘だけを頼りに「金曜日の朝10時に店の前で」という約束を交わした。因みに、そのときに行けばワインを売ってくれるのかどうかは言語レベルでは確認できていないのだが、私はもはや何の疑いも持ち合わせていない。はたして金曜の朝10時に彼が姿をあらわしたとき、私はまるで少年のように嬉しくなってしまった。「変わっただろ」と彼が言うように店内は改装され2年前よりきれいになっている。近々の開店を控え掃除も行き届いているようだ。彼はすぐに店の奥からワインの樽を転がしてきた。私も手伝って台の上に載せると、彼はその新しい樽に手早く蛇口を取り付け、コップに一杯入れると、一口飲んでうなずいた。そしてもう一杯を私に差し出してくれた。期待通りの味である。例えれば、若々しく美しい素朴な田舎娘というところだろうか。決して特別なワインではない筈だが、日本では見ないタイプである。改めて飲んでみると、前回ポルトガルへ来たとき私が抱いた「ワインが美味しい」という印象は、実は主にこの店のワインの手柄によるものではないかという気がしてきた。結局、5本瓶詰めしてもらい感謝と別れの言葉を告げ店を出た。値段のことだけ考えると10本でも20本でも欲しいところだが運搬上無理であるし、何より本来、食べに行って店で飲むのが礼儀であろう。次の機会には、是非この店のポルトガル料理とともに味わいたいものである。

 さて最後になったが、今回の渡ポに際して募集した「マリオネットと行くリスボン万博見学ツアー」に32名もの方々にご参加頂けたこと、改めて心より感謝申し上げたい。コンサート当日に熱烈な応援団がいてくれたのは心強いことであったし、なにより日本の仲間たちと共にワインを飲み、音楽を聴き、そして同じリスボンの空気を吸うことによって今回のリスボン滞在がより楽しくふくらみのあるものになった。私たち同様、32名の方々にとっても楽しい旅であり、それぞれに楽しい思い出を持ち帰って頂けたなら嬉しい限りである。最後に、次に訪れたときもリスボンが変わらず魅力的な街であることを祈りつつお別れしたい。