ネオ・マンドリニズム宣言
後編によせて


(マリオネットサークル会報 Vol.10 に掲載/96年)


 西暦2000年も目前に迫った今、約300年の歴史を持つマンドリンという楽器の性能を充分に生かしつつ、この現代に通用する音楽を奏でるにはどうすれば良いか。それが私にとっての課題であり、私がネオ・マンドリニズムと称するものはマンドリンの奏法や扱い方にも関わるが、マンドリンにふさわしい音楽を模索する姿勢でもある。私がやりたいことは、何も曲芸のような速弾きで人を驚かせることではないし、むやみに複雑なテクニックを披露する為の曲作りでもない。私はマンドリンが自然にそれ自体の良さを主張しつつ、現代の人々の心に届くようなマンドリン音楽のあり方、テクニックの生かし方を自分なりに追求しているのである。いわばマンドリンが、現代語るべき物語を与えようという試みである。

 あえて分析的にとらえるならば、曲作りのうえで私が具体的に留意していることは、主に次の4点である。
   (1)分かりやすいメロディー
   (2)リズムの生きた重音
   (3)メロディックなアルペジオ・パターン
   (4)無国籍あるいは多国籍。
 (1)はポピュラーミュージックとしての必須条件であり、(2)(3)はマンドリンの機能を生かし、演奏効果のあがる曲を作るためにぜひ取り入れたいことである。(4)は要するに特定の明確なジャンルを回避するということである。これはつまり、民族の血や歴史、生活習慣を問われる音楽に百パーセント傾倒することは不可能であるという理由による。現代日本人である自分が異国の音楽の単一パターンに取り込まれるのは奇妙であるし、むしろ、あらゆる要素を取り入れて新しいものを生み出してきた近代日本の伝統を振り返るまでもなく、自分の触れてきた全ての音楽を消化吸収し、新しいパターンを生み出すのが自然ではなかろうか。そして、もしそれらの曲がまるで架空の国の伝統音楽のごとき力強さと統一感を持ち得るならば、それは素晴らしいことに違いない。

 そういう意味で、カリの『アバンダン』という曲を初めて聴いたとき、強い衝撃を受けた。それは後に、カリブ海に浮かぶマルチニック島というところの音楽であることがわかり、少し落ち着いたのだが、最初、偶然見たTVドラマの劇中BGMとして流れてきた時「これは一体何だ」と思うと同時に「これがもし日本人が作った音楽なら完全に脱帽ものである」と思った。マリオネットの『マリオネット』もかなわないすごい世界なのである。私は好奇心というより内的必然性に迫られ、誰の何という曲かを突き止め、即座にCDを入手した。この曲は新しいものではないが、恐らく当初から時代の最先端に位置すべく作曲されたものではないだろう。たとえどの時代に聴いたとしても時代錯誤的に聴こえるのではないかと思われるが、逆に決して古びない骨太さをもって普遍に触れているように感じる。私が作りたいのはそういう音楽である。

 ところで、今年はわが相方・湯淺隆の半年間のポルトガル修業に伴い、リスボンでのいくつかのコンサートの他、3枚目のCDの現地録音も決まり、結局私も2回の渡ポで延べ2カ月近いリスボン生活をする結果となった。それは私にとって初めてのポルトガルであり、新たなるポルトガルとの出逢いでもあった。
 私にとって貴重な体験は、私がリスボンの町から感じ取った世界が、私が敬愛する漫画家・つげ義春の世界とオーバーラップしたことである。アルファマの細い路地を幅いっぱいに走る古びた市電の姿や、オートバイに付けたリヤカーに子供を乗せて走る貧しい身なりの男など、つげ義春の世界そのものなのである。私はつげの漫画を、哀しみの中の滑稽さ、あるいは楽しさの中の哀れさを描いた、いわば真実がそのまま冗談になってしまうようなペーソスに満ちた世界だと解釈している。これは、手法やスタイルは別として、私が表現したいことと重なる部分が大きいのである。そういう意味で、今回ようやくポルトガルと私自身の世界がつながった気がするのである。

 私にとって、マンドリンの音色は興味のつきない魅力に満ちたものである。明るくもあり暗くもある。いわば、楽しさと哀しさが表裏一体となった不思議な音である。一つの圧倒的な要素が突出した音ではなく、様々な対立概念のせめぎ合いの中から生まれてくる、少々奥歯にものが挟まったような音でもある。音色自体は決して過度に感情的にならず、むしろ相当ザッハリッヒ(即物的)なものである。その性質ゆえ、相当、感情過多な表現もうまくまとまってしまう。その淡々とした語り口の後ろに様々な思いが見えかくれする演奏の中に、私はこの楽器の魅力を強く感じる。