リスボンの路上・光と影


(マリオネットサークル会報 Vol.10 に掲載/96年)

リスボンの大道芸人たち

 ヨーロッパの他の観光都市と同じく、リスボンにも実に多くの大道芸人の姿が見られる。そして又、物乞いの姿も多い。この2種類の人々の分類は必ずしも容易ではないが、そのことにはっきりと気が付いたのは、帰りに立ち寄ったドイツでの事である。
 フランクフルト経由の飛行機の連絡が悪く、6時間近く待たねばならなかったので、荷物を空港に預け、電車に乗り市内に出た。海井も一緒である。フランクフルトは私自身初めてであるが、ドイツなので一応私の案内で、ごく短い市内観光をして遅い昼食を取った。さてその時、街角に居たストリートミュージシャンを見て「ああ、ここはリスボンとは違うな」と思ったのである。高価な金色のラッパでジャズのスタンダードナンバーを演奏する2人組の若者には、生活のにおいが完璧に欠如しているのである。勿論ドイツでは、彼等は決して特殊な存在ではない。彼等は決して物乞いではないのである。
 それと対称的にリスボンの大道芸人、ストリートミュージシャンは露骨に貧困を感じさせる。盲目のピアニカ吹き、老バイオリニスト、アコーディオンを弾く少年…。彼等は路傍にうずくまり手の平を差し出す老婆や、自らの不具をさらして施しを受ける物乞いと同じ人種である。生活の糧を得るために路上に出ているのである。彼等の全てが芸達者でないことは勿論だが、同情にすがろうとするなら、つまらない芸を披露するのはやめて、いっそ黙って手を差し出す方が良いと思ったりもするのだが…。
 私が一番心惹かれたのは、盲目のピアニカ吹きであった。観光客を中心に多くの買物客が集まるバイシャ地区でよく見かけた彼は、初老の男で、ベレー帽をかぶり黒っぽい服装をしていた。腰掛けた膝の間に貯金箱の様な箱を置き、不思議なフレーズを少し吹くと、何かわからないことを叫ぶ。別にうまくも何ともないのだが妙な魅力を感じ、出逢った時は大抵、その箱に小銭を入れた。湯淺の話によると9年前にもやはり同じようにピアニカを吹いていたそうなので、彼なりに安定した収入があるのかもしれない。次にリスボンを訪れた時も、是非出逢いたいものである。
 一方、誠につまらない芸に遭遇することもあった。動物たちをつれた老人の路上芸は、その代表である。しかしながら、通行人たちに「今から一体どんなことが始まるのだろう」という期待を抱かせることにかけて、彼は一流の腕を持っているのだろう。彼が準備を始めるとすぐに人だかりができ、それがさらに多くの人の注意を惹くのである。ところが何も始まらないのである。イヌやネコ、ウサギにモルモット、小鳥といった動物たちをリヤカーから降ろし、カゴに入れたり、オモチャのベッドの上に置いたりしてそこら辺に配置するのだが、何も始まらないのである。時々何事か叫んでモルモットを乗せたパトカーのオモチャを観客の方へ押しやったりするのだが、そのうち暫く見ていてそれがどうやら見るに値しないことであると気付き始めた人が徐々に去って行くのである。私もそうやって去ったわけだが、恐らくそのまま何も始まらないのだろう。彼に引き連れられてつまらない芸の片棒を担がされている動物たちに同情の念は禁じえないが、憎めないと言えば憎めないやり口である。芸とも言えない芸だが、良く言えば「枠組みの芸」と言えるかもしれない。但し中身はないが…。
 もう一人、傑作な奴がいた。ロシオ広場に天体望遠鏡を置き、観光客相手に百円で月を見せる男である。メガネをかけた、結構インテリっぽい男だった。身なりも悪くない。しかし、これは河原の石を拾って川辺で売るのといくらも変らない。まさしく、つげ義春の世界であるが、面白いのは、彼に月を見せてもらっている客がいることである。その他の芸人、ジャグラーやパントマイマー達は、ヨーロッパ中の何処でも見かけるようなことをしている。彼等は恐らくヨーロッパ各地から、あらゆる観光地に集まってくるのであろう。彼等は貧乏旅行をしているには違いないが、決して貧困は感じさせず、面白おかしい芸で巧みに通行人の笑いを取るのである。 以上、ごく一部の人たちについて触れたにとどまるが、そういった雑多な人を見ていると、道、あるいは路上という空間が如何にドラマチックなものであるか改めて感じ入ってしまうのである。特に未整理で混沌とした魅力のリスボンという街においては…。

リスボンのエレファントマン

 さて、私はそのようないろいろな人たちをリスボンの街で見かけたわけであるが、最もインパクトを受けたのは他でもない、リスボンのエレファントマンであった。私がその男を見たのは何も特殊な事情によるものではない。ごく普通に昼間のロシオ広場を歩いていた時のことである。バス停では人々がバスを待ち、いつものように靴磨きや宝クジ売りが居て、観光客や街の人々が行き交うその路ばたに、彼はたたずんでいた。直截的に言えば、奇形の顔をさらして…。それを目にした瞬間、私は事情がのみこめなかった。そして次に自分の目を疑った。それからようやく戦慄したのである。そこにはサーカスの見世物小屋のいかがわしさ、非日常が濃縮されて、全く日常の空間の中にぽっかり現れていた。彼は服装も身体付きも普通の成人男子と変らない。しかし、彼の顔は何かよくわからないのである。赤黒くぶどうの房のように腫れあがり、何処がどうなっているのか突き止める勇気を喪失してしまうのである。死と災厄のにおいが満ちみちており、残念ながら、同情や愛などという高度な精神的営みに辿りつけないのである。禁忌に触れた思いで私は顔を強ばらせ、重く憂鬱な気分になり、恐怖におの のいた。多くの人が、恐らく同様の感覚をそれぞれ家に持ち帰るのだろう。それは、彼に集中して具現した災厄を、再び全ての人が分担してゆく構図にもみえた。
 しかし、そのようなことを考えながらも、私は心の何処かで彼が偽物ではないかという疑いも捨てきれずにいる。不謹慎な想像かもしれないが、そういったマスクを被っているのではないかということである。そういう非現実味を感じさせるほど、彼の顔が占めている空間だけが異質なのである。しかし彼が本物にせよ偽物にせよ、そういう輩がそこに居るということが大変なことである。そんなところでそんな人に逢うことは、日本ではありえないことである。これが未整理で混沌とした魅力を持つリスボンのもうひとつの顔なのかもしれない。我々の国が過剰に整理され、あらゆることが何らかの管理下にあることを不満に思うことはしばしばあるわけだが、それを否定することによって、恐ろしいこと、不可解なことなど、引き受けねばならないこともいろいろあるのだと実際に考えさせられる体験であった。