CD『ライブ・イン・サンボア』製作記

海井 之善

2001年

 マリオネット通算6枚目のCD『ライブ・イン・サンボア』が、去る4月20日、発売となりました。マリオネットとしては、初のライブアルバム、ベストアルバムであると共に、初の自主制作盤(吉田の『イタリアン・センチメント』を除いて)でもあり、まさに初めてづくしとなった今回のCD製作、その足跡をいろいろなエピソードと共に振り返ってみたいと思います。


 いつ頃からこのCDの企画を始めていたのか、既に今となっては定かではないが、以前から自分たちでCDの録音をしたいという思いはあった。マリオネットは映画サントラ盤の『エイジアン・ブルー』を除いて、過去4枚、スタジオ録音盤のCDを製作している。このようなCD録音は、予算の関係もあるが、ある一定期間(マリオネットの場合、1〜2週間)スタジオに缶詰になり、決められた期間内に録音してしまわなければならない。これは結構プレッシャーのかかる孤独な作業で、出来ることなら納得の行くまで、ゆっくり時間をかけて録ってみたいと思っていたのである。既に何度も書かせていただいていることだが、デジタル技術の発達で録音機材は驚くほど安くなってきている。勿論、本格的な録音スタジオやプロのエンジニアの手にかかればクオリティーの高いものは出来るのだが、《音を録る》という基本的な部分は自分たちでゆっくり納得のゆく時間をかけて、仕上げの部分だけをプロの手にゆだねれば、音のクオリティー差はごくごく多少で、むしろ演奏にかける時間を増やせることで演奏のクオリティーを圧倒的に上げられるという思いが強かったのだ。既に過去、デモテープや映画・テレビ・演劇関係の曲の録音制作などで多少なりともノウハウの蓄積があったことも、その思いに拍車をかけていた。

 またライブ録音についても、かねてから漠然とではあるがやってみたいと考えていた。マリオネットは原則としてライブ活動が主体の音楽家で、年間のステージ数は百近くにのぼる。仮にこれらの半分でも3分の1でもがきちんと録音されていれば、膨大な数の音源が手に入るということが判っていただけることと思う。下手な鉄砲も数を打てば当たる、ではないが、前記と同様の理由で、納得のゆく演奏を手に入れることが出来るようになるだろう。

 更にもう一つ、ライブ録音には際だった特徴的なことがある。それは、演奏がスタジオで録音されるものとは明らかに異なるということである。演奏者自体の体調、その日の精神状態、アルコールが入っているかどうかなど、本人達の様々な要素が演奏に影響を与えることも勿論であるが、その会場の広さ・特殊性、観客の熱気・反応など様々なファクターが演奏者にフィードバックされ、演奏はどんどんその場の持っている雰囲気の方向へと加速する。このフィードバックによる加速があればあるほど良いライブとなるわけであるが、これはスタジオ録音においてはあり得ないことだ。スタジオ録音とは美しく緻密に装飾された《作品》であるのに比して、ライブでの演奏は、演奏者・観客・会場が一体となって作り出す《場》が生み出す《パフォーマンス》で有り、ライブ録音は《パフォーマンスの記録》なのだ。

 少々脱線してしまったが、このような漠然とした考えから、徐々に具体的方法を想定するようになってきたのが昨年始め頃である。当初は、地方などへライブツアーに出るときにも持ち運び可能な録音機材をどの様に揃えればよいかを考えていたのであるが、移動の連続のツアー中に機材のセットとバラシを繰り返すことは、よくよく考えればいささか非現実的であった。そこで、PAや録音の機材を固定したままライブ録音が出来ないかということを次に考えるわけである。

 ここで湯淺が出したアイデアが面白いものだった。ライブが出来る程度の広さのあるバーなどの空き店舗を3〜4ヶ月の短期間借りて、バーを営業しながら、週1〜2回ずつの割合でライブをすればというのである。試算と店舗探しを始めたのが昨年の夏前頃。このような短期の契約で借りる事が可能で、なおかつイメージに合う店舗というのはなかなか無いため、結果としては没になった企画であったが、機会と条件が合えばいずれまた検討してみたいものだ。
 さて、上記の条件に合う店舗を探すために知り合いのバーなどでこの企画の話をしていたところ、かねてより懇意にしていた北新地サンボアの店主・新谷さんから「もし良ければ、自分の店を使ってもらってもいいですよ」という申し出をいただいたのは、既に夏の終わり頃だっただろうか。早速、湯淺と共に店を訪ね、新谷さんとご相談した。当方の希望としては、機材等をセットしたままにしたいため、約1週間連続でライブを行うことをお願いしなければならない。勿論お店の営業もあるので、時期なども重要な問題となる。相談の結果、翌年2月4日〜12日の9日間、レコーディングライブを行うことになったというわけである。
 となれば次は機材である。既にある程度の機材は持っていたのだが、現状のままではいかにも物足りない。必要以上に高価なものを買う気はないのだが、コストパフォーマンスの点で何が最適なのかわからないものも幾つか有る。特に新たに欲しかったのが良いマイクとマイクアンプで、これらはマリオネットのCDレコーディングでお世話になっているエンジニアの佐藤氏に相談した。特にマイクについては、ちょうど吉田のソロCDのレコーディングもあったので、吉田のレコーディングに使うものとは別のマイクを数種類わざわざ借りてきてくださって、テストすることが出来た。佐藤氏のアドバイスでメインとなるマイクとマイクアンプを選び、その他新しくデジタルMTRとミキサーを購入した。会場の雰囲気音などを集音するマイクやケーブル類は、関西のライブでいつもPAをお願いしている村尾氏にお借りした。在庫切れの入荷待ちなどでなかなか手元に届かないものもあり、全ての機材が揃ったのがようやく今年の1月半ば頃であった。

 機材が揃ったところでテストである。新しく購入した機材が壊れていないか、マイクセッティングをどうすれば最も我々好みの音が録れるのか等、試さなければならないことはいくつもある。特にマイクアンプやミキサーは購入前にテストが出来なかったので不安もあったのだが、幸い機材のクオリティーは充分に満足行くもので安心した。しかし、細かなところは実際のライブで試行錯誤するほか無いであろう。1月18日には大阪・南森町♭フラミンゴでのライブでレコーディングテスト。実際のマリオネットのライブにごく最小限の機材を持ち込んで、どの様な音質で録音できるか、周りの雑音(表を通る車の音など、ライブや会場に全く関係のない音)をどの程度拾ってしまうかなどをチェック。想像以上にメインマイクは周りの音を拾わず、演奏のみをクリアーに録音していた。まずは一安心である。
 さて、ここで触れておかなければならないのは、レコーディングする曲目についてであろう。選曲は基本的にマリオネット任せである。私の希望としては、せっかく9日間もあるのだからCD2枚分以上の録音をしたかったのだが、それは無理だということで却下、録音できるものから順々に、早めに録音完了した曲があれば新しい曲に入れ替えてプログラムを組むというやり方で行くことに。これが、最終的にはいい意味でも悪い意味でも悩みの種を生み出すことになる。
 本番に備えて練習やライブをこなしながらいよいよ前日2月3日、朝からサンボアへ機材の搬入をしてセッティング。約3時間かけてのセッティングのあと、マリオネットも合流して最終の録音テスト。マイクセッティングのテストなどを兼ねて数曲を録音、あとは当日を待つばかりである。

 明けて2月4日、とうとうやってきたライブ当日。日・祝日は昼のライブなので早めに入ってセッティング・リハーサルなどを行う。午後1時を過ぎると、いよいよお客さんが入り始めた。平素、サンボアでのライブはテーブルを除けてしまってぎっしり60人ほど入ってもらうのだが、今回は新谷氏とも相談して、テーブル席も残し30人強のゆったりとしたスペースの取り方をした。それでも、日によっては予約人数がずいぶん予定数を超えてしまった日もあるようである。2時を過ぎて、いよいよレコーディングライブがスタートした。今回のライブでは、レコーディングということもあり、演奏中は空調や冷蔵庫の電源などを止めなければならない。その為、普段のライブとは異なり、4曲ごとに10分程度の休憩を挟むという変則的なスタイル(本場のファドハウススタイルでもある)でやることにした。まずは第1部、ゆったりと無難な演奏スタート。いい感じである。ところがこまめに休憩を挟むせいか、はたまたレコーディングの緊張が客席に乗り移ってしまったのか、2部に入るとだんだん会場の雰囲気も固くなり、演奏もどこかぎこちなくなってきた。3部の1曲目ではギターの弦が切れ、予備のギターを使うことになってしまった。万事休すである。それでも何とかライブは無事に進行し、ようやく1日目が終了。早速その場でヘッドホンによる再生チェック。出来ればスピーカーから音を出して確認したいのだが、ライブ終了後はサンボアも通常営業に戻るため、仕方のないところである。全部で7本のマイクを立て、それぞれを別チャンネルに録音しているので、なかなかチェックする部分も多い。何とか行けているようであるが、最終的にはスタジオでミックスしてみなければ本当のところは何ともわからない部分もあり、安堵と不安が入り交じった気分だ。

 2日目以降少しずつマリオネットの緊張もほぐれてきた。2〜3日目は会場の乗りも大変良く、いい感じになってきている。この流れで4日目は、ライブとしても最高の出来になり、OKテイクもずいぶん多く出た。波に乗ってきたようである。

 とはいえ、やはり普段とは違う緊張が続いているのだろう、マリオネットの両名も私も疲れのたまり方がかなりひどい。私は3日目くらいから体中の筋肉がパンパンに張ってしまい、朝起きるのもつらくなってきた。5日目頃が3人とも疲労のピークであったが、精神的にも肉体的にも峠を越えてこなれてきた6日目頃から、普段のライブのリラックスした感じが出てきたように思う。7〜8日目とまた少しずつ調子が上がり、いよいよ最終日を迎えた。

 最終日は祝日なのだが、夕方5時からという開演時間とした。冬の5時というとそろそろ暗くなり始める時間、いい感じである。予約されているお客さんも、おそらく50人近いのではないだろうか?今回一番の入りとなった。本当は、先に述べたように30〜35名にするつもりだったのだが、一度来場した方が、立ち見でもいいからぜひ最終日にもう一度来たいという希望が多く、普通は満席でお断りするところを、最終日だしいいか、ということで無節操に受け入れてしまった結果である。いよいよ開演、この日は場内の照明をやや暗めにし、PAではリバーブをやや深めにしてみた。この影響であろうか、会場の熱気もあいまって情感たっぷりな演奏となった。ところで、この日までにかなりの曲数で、すでにおそらくOKテイクになるであろうものは、曲数ではCD1枚分以上録れている。しかし、必ず収録したい曲でOKテイクの無いものもあった。最後の一発勝負となってしまったわけだが、幸いにしてかなりいいテイクがこの日収録できた。マリオネットもなかなか土壇場に強い。さて、この日の人数による熱気に加え演奏中に空調と換気扇を止めている影響で、場内は徐々に酸欠気味になってきた。もちろんこまめに休憩を取り換気をするのであるが、人数が多いので追いつかないようだ。しばらくすると気分の悪くなられる方が出て、表へ出て涼まれたりしている。それでも演奏は進み後半へ差し掛かり『ぽるとがる幻想』へ。この日の雰囲気どおり、いつにも増した暗い情感たっぷりな演奏だったのであるが、演奏が終わったと同時にカウンターで立ち見でご覧になっていた年配の女性がばったりと倒れてしまわれた。場内は騒然となる。女性を控え室に運んで介抱する。どうやらただの貧血のようで一安心、演奏も再開し、その後は何事もなくようやく全てのライブレコーディングが終了した。

 機材の撤去は翌朝行うことにして、サンボアのスタッフと共に近くの鍋料理の店で打ち上げ。大いに盛り上がった後、さらに二次会へ。お初天神近くで女優の野沢萌子さんが出されている小さな『気絶』というすごい名前のスナックへ。めったに歌わないカラオケに興じる。マリオネットの両名が何を歌ったか気になる方もおられるでしょうが、ここではあえて触れないでおきましょう。深夜まで楽しんでお開きとなった。

 録音が終わって次に待っているのは、OKテイクを選ぶことである。9日間、一日平均18曲前後、延べ160曲以上のテイクがある。明らかにミスがあるものは除いても、かなり聞き込まなければならない。レコーディングライブのあとすぐに東京でのライブを行い、翌週帰阪してテイクの選別を行う作業に入る。曲ごとに聞き込んで採用候補を2〜5テイクに絞りラフミックスをMDにまとめるのだが、同じ曲を何度も繰り返し聞いているので、だんだん耳がバカになってくる。とりあえず2日間かけて作業は終了。ラフミックスしたMDはマリオネット両名が各自持ち帰ってさらなる絞り込みを行う。聞き込みには時間をかけ、最終OKテイクを決定したのが3月半ば。この時点で曲数が予定数よりも多く残ってしまった。

 さて、ここで問題になるのが曲を絞り込む事である。当初の予定では14〜16曲収録予定だったのだが、実際の曲数はどうするのか。皆様既にご存じなので多くは語らないが、大いに議論した末、基本的には残った21曲全て収録の方向で考えようということになった。全てのトラックダウンを終え、曲順を決定する際にもう一度検討をすることにする。この後トラックダウンまでの間に、ラフミックスを聴きながら曲順案をそれぞれ考える作業。曲が多すぎて難しい…。

 3月後半、大阪・吹田のスタジオYOUで3日間かけてトラックダウン。この時点で初めてプロの手が入った。トラックダウンの際にまず問題となったのは、全体を通しての音のイメージの決定である。スタジオ録音にないライブ感を出すために、マイクを7本もセットして録音した。メインマイクを生かしながら他の音をどう混ぜるかである。程良くライブっぽい良い音に仕上がったと思うがいかがだろうか? 次に考えたのが拍手である。ライブ盤で一曲ごとに拍手が入るのは、聴いていて結構じゃまに感じる人も多いようである。このCDは曲数もやたら多くなるだろうし、収録時間もCDに収録可能なぎりぎりになることが予想されたので、拍手を切ってしまえるものは極力切るように心がけた。結果として3曲に1回程度の拍手となったが、聴きやすく感じていただけただろうか? 各日8時間ずつの予定でトラックダウンを考えていたのだが、曲数は増え、マリオネットもかなりこだわって粘ったため、連日深夜までというハードな仕事になってしまった。

 ようやくトラックダウンが終了し、最終的に曲順を決定する作業に入る。当初はライブ通り『海』を1曲目に持ってくる構成を考えていたのだが、曲目が多く全体の時間が長いこともあり、メリハリのない間の抜けた感じになってしまう。これほどの曲数を採用することが前提であればもっと違う選曲を考えたのであるが、原則としてはこの時期のライブの延長線上での選曲である。MCなどが入るライブとCDの違いで、だんだん煮詰まってきた。湯淺のアイデアで『ゴールド物語』のメドレーから初めて並べてみると、これかなかなかいい感じとなった。『海』のはめ処があるのか不安だったのだが、途中のブレークとして貴重な役割を果たしてくれた。ちなみにラストに持ってきた『プール帰りの午後』は、いかがだっただろうか? これも湯淺のアイデアで、ライブが終わった後の会場の雰囲気の中に流れるBGMというイメージである。勿論こんな録音があったわけではなく、普通のライブ演奏と、終演後に収録していた会場の音や独自に集音したカウンターの作業音を、トラックダウンで編集して作り込んだものである。ノーマルなバージョンも作っていて、曲順を並べてみてどちらを採用するか判断しようということにしていたのだが、最後に並べてみた雰囲気がぴったり来たので、そのまま採用となった。全てにおいて賛否両論分かれるところであるが、我々は大いに気に入っている。皆様の感想もぜひお聞かせ下さい。3月31日、真夜中までかけてマスタリングを終了。ようやく完成した。

 最後に余談。今回のジャケットデザインも、マリオネット高校時代の同級生である田中・藤本両氏に依頼した。特に藤本氏はずいぶん多忙で、CDの発売時期を予定よりもかなり早めたこともありかなり迷惑をかけてしまったのだが、なかなかいいデザインワークをしてくれた。写真は、古くからの友人・藤谷氏に頼んだ。ロケハンも含めて2日ライブに来てもらったのだが、肝心の本番撮影日、彼は重度のぎっくり腰になってしまい、ずいぶんつらそうに撮影していた。以前にもぎっくり腰をやっていることを知っているが、癖になっているようだ。大きな体を、ライブの邪魔にならないように小さくして、痛みをこらえての撮影、ご苦労様でした。そして何より、レコーディングライブにご参加いただいた延べ350名あまりの皆様と、会場を快く提供していただいたのみならず、諸々の無理をお聞きいただいたサンボア・新谷氏に心より感謝申し上げます。