『エイジアン・ブルー 浮島丸サコン』
音楽制作の顛末

≪1995〜96 マリオネットサークル会報Vol.6〜8 に掲載≫


既にご承知の通り、マリオネットの両名、戦後50年に合わせて製作された「エイジアン・ブルー 浮島丸サコン」という映画の音楽を担当いたしました。既に録音作業も無事完了、映画も力作・問題作として完成し話題を呼んでいます。上映の方も地域によっては8月19日からロードショーが始まっております。ぜひご覧下さい。さて今回は、この映画にまつわるマリオネットの苦闘の日々をお話ししたいと思います。



1.打診


 昨年10月24日、CD「ぽるとがる幻想」の録音の為、東京のスタジオに篭っていた時の事。マリオネットはグループ・タックの社長・田代氏から夕食の招待を受けた。録音作業の慰労の為のこの席で、田代氏から伺ったのが“浮島丸事件”を題材とした映画の音楽プロデューサーを氏が担当するということであった。
 終戦後わずかの昭和20年8月24日、主に青森県下北地方で強制労働に従事させられていた朝鮮人を乗せた船が帰国途中の京都・舞鶴湾沖で謎の爆沈を遂げた。船の名は浮島丸。数千人といわれる犠牲者を出したこの海難事故には多くの謎がある。何故この時期に急いで朝鮮人を帰国させる必要があったのか、一説には軍の陰謀ともいわれている。映画はこの事件に題材を取り、現代の視点から戦後50年を、これからの日韓・日朝関係、さらには日本とアジアの関係を問い直そうというものだ。
 この企画は京都市民の手になる。91年に「平安健都1200年映画をつくる会」が結成され、市民カンパなどを募って製作費を集め話題となった。とはいえこの不景気の時代、そうそうお金は集まらない。製作費不足の為、撮影に入る目途が立たず製作には遅れが出ていた。ところで、この映画自体は随分一般マスコミの間で話題となっていた。いわゆる4大紙やニュース番組の特集コーナーなどでしばしば取り上げられていたため私達には田代氏からこの話が出た時には既にこの映画に関する基本的な知識はあったのである。
 さてこのあと、田代氏から「この映画の音楽をやってみる気はありませんか?」といわれた。願ってもない話である。マリオネットにとって映像の音楽をやるというのは最も刺激的な仕事のひとつ、是非やりたいと即答した。しかしこの時点では映画プロデューサーや監督と詰めなければならない多くの問題があり、確定は出来ないとの事。一応マリオネットの意志を確認されただけで、決定するまではしばらくオフレコとなった。このあと、決定まで多くの紆余曲折があり、まさに迷走状態になるのである。


2.迷走


 前記にもある通り、この時点でクランク・インの予定は立っていない。既にこの年の夏に見切り発車的に大文字の送り火のシーンと“白い大文字”のシーンは撮影されていた。余談であるが、“白い大文字”とは戦時中、灯火官制下で大文字の送り火を行なうことが出来なかった時、白いシャツを着た学生たちを並べて大の字を作った事があったのを、現代に再現しようというイベントの事である。このイベントは、映画の気運を盛り上げるために「平安健都1200年映画をつくる会」が企画し行なった。映画でもラストシーンの一部でこのイベントが取り上げられている。
 話を戻そう。製作サイドとしては出来る限り早い時期にクランク・インしたかったのであろうが、製作費の目途が立たない状況ではそれどころではない。予定はどんどん延びて行き、音楽担当が決定するどころの騒ぎではないのである。田代氏からもはかばかしい連絡はこない。どうも監督がマリオネットが音楽をやることに難色を示しているようなのである。ちなみに監督は堀川弘通氏。巨匠・黒沢明監督のもと「生きる」「七人の侍」などでチーフ助監督を努める。監督としての代表作は、「裸の大将」「女殺し油地獄」「黒い画集・あるサラリーマンの証言」「告訴せず」「翼は心につけて」などがあり、約30本の映画を世に送り出しているベテラン監督である。監督がイメージしているのはオーケストラが奏でるような重厚な音楽、アコースティック楽器2本では無理という考えなのだそうだ。マリオネットの音楽は聴いて頂いてはいたが「好いのは判りますが、この映画とはイメージが…」ということらしい。田代氏からはマリオネットを第一候補で推してゆくといわれてはいるのだが…、前途多難、中ぶらりんの状態のまま年は明けた。
 ここである事件?が起る。湯淺が、田代氏及び映画スタッフに聴いてもらうためのデモテープを送っていたのであるが、湯淺個人の思い入れから、このテープの中にマリオネット以外のある歌手の唄を1曲入れていた。歌手の名は新井英一、曲名は「清河への道」、在日韓国人2世である氏が父親の故郷を訪ねた時の足跡と感動を綴った唄である。大阪市内で私達の知人の主催した小さなライブに出演した氏を聴きに行った湯淺が氏の唄に大感動し、ファンになってしまったのがそもそもの始まりであった。何度か氏のライブに赴きその生きざまと唄に魅せられた湯淺は、平たく言えばミーハーになってしまったのである。この曲、まさにこの映画の為につくられたようではないか、という思いが思いもよらぬ形で実を結ぶことになった。ともあれこのテープ、監督はじめスタッフの耳にするところとなる。結果、「清河への道」は最も関係者の注目する曲となる。後に、TBS「筑紫哲也のニュース23」のエンディング・テーマに選ばれ話題となるこの曲ではあるが、この時点ではまだまだ無名であった。ある日、映画のプロデューサーである伊藤正昭氏(潟Vネマワーク)から直接湯淺へ電話が入った。音 楽担当の正式依頼かと思いきやなんと内容は新井氏に関する問い合せ、いきなりマリオネットを飛び超えてしまったのである。新井氏の唄の素晴らしさに感動した映画スタッフは、なんともともと無かったライブハウスのシーンをシナリオに書き加えてしまった。そしてこのシーンで、新井氏に「清河への道」を唄わせたいということなのだ。マリオネットの音楽はやはり今回はだめなのだろうか…。
 4月にはキャスティングが決まり、本格的にクランク・インした。音楽はまだ決定しない。そんな中、伊藤氏から湯淺に、新井氏出演の為の説得を要請される。まったく人の事どころではない。マリオネットは一体どうなっているのだろうか。ともあれ湯淺、新井氏の説得にチャレンジ、見事成功する。これでマリオネットの音楽が流れてしまっては何をやっていることやら。湯淺の映画に対するこの貢献を認めてほしいものである。


3.前進


 4月末、かなり状況は閉塞してきた。田代氏もマリオネット以外の候補を用意しておらず、時間も無い為かなり苦悩している。このころ田代氏から、映画のテーマ曲を想定したデモテープの要請がある。ポルトガルギターやマンドリンなど、従来のマリオネットの路線は諦め、何か新しいプレゼンテーションは出来ないかという要請である。しかもかなり時間的に急いでいるとの事。追い詰められた湯淺は購入したばかりのギターシンセサイザーとタヒチ土産のタヒチアンウクレレなどを使って、多重録音で、殆ど一晩の内に1つの曲を創り上げて田代氏にテープを送ったのである。その結果、この曲を煮詰めて監督に提出するためのデモ曲を作る指示が出た。締め切りはゴールデンウイーク明けである。
 ここでようやく初めてマリオネットがこの映画を具体的にイメージしての作曲作業が始まった。テーマは《アジアの音楽》。朝鮮の民族楽器なども含めて様々な楽器を使いたい。色々なツテを頼って楽器をさがし、その甲斐あって朝鮮の琴であるカヤグムを借りることができた。勿論使ったことなどない。一から修得しなければならない訳である。吉田がカヤグムを、湯淺はギターシンセサイザー・笛・パーカッション等を担当することになる。曲を練り直し、構成し、編曲し、そして録音が完了するまでほぼ3日を要した。粗っぽい出来であったが、勢いのある面白い曲が出来た。この曲が、後に多少の手直しをして映画のテーマ曲となる。ともあれ、田代氏にデモする。結果「これで行きましょう」となり、あとは監督にデモをすることとなった。
 この頃、撮影はまさに佳境に入っていた。5月10日頃にロケ先の新潟へ田代氏共々湯淺が出向く予定であったが、流れてしまう。映画の完成は6月末、音楽を担当するとなると少しでも早く決定し、作曲作業に入りたいところなのだが…。5月16日、ようやく京都で監督と会えることとなった。湯淺が代表して田代氏と共にこの場に臨む。映画のラッシュを見た後、監督やプロデューサーを交えて音楽の話となる。ところが、監督は絵を全部撮り終え、編集を終えてからでないととても音楽の事は考えられないようである。ともかくデモテープを聴いてもらったところ「これは朝鮮の音楽だなあ。日本映画なんだから朝鮮の音楽はどうもねえ」というなんとも的外れの有難くない意見を頂戴する。どうも湯淺が単独で作ってデモした原曲の方が監督の感性にはマッチしたようで、この路線でどうかということとなった。何にせよ、マリオネットに対する当初の不安は解消されたようで、ようやくGOサインが出たのである。話が出てから7ヶ月後の事、映画の完成までは1ヶ月半を既に切っている。


4.苦闘


 映画音楽というものは音楽単独で存在するものではない。たいていはまず映像が有り、その場面に合わせた音楽が求められる。盛り上がり方やきっかけのタイミング、曲の長さなどである。もちろん「卒業」や「アメリカン・グラフィティ」の様な例外も存在するが、今回はこれには勿論当たらない。映画音楽を取り巻く状況は日本と欧米(特にアメリカ)で天と地ほども異なる。簡単にいえばアメリカ映画に於いては音楽は映画の大変重要な要素として大きな比重を占め、製作費や製作日数はいうまでもなくふんだんに与えられる。対して日本映画に於ける音楽の地位といえば、これが驚くほど低いのである。勿論、大林宣彦や宮崎駿など、例外の監督は存在するのであるが…。全てに於いてアメリカ映画の真似をする必要はまるでないが、映画というものが(映画産業がといってもよい)観客の存在を前提として成り立っているのであるからには、観客が映画に何を求めているのかということを無視してはいけないのは自明の事であろう。そして、観客が何を求めているのかは日本映画とアメリカ映画の現状を比べてみれば明らかではないだろうか。
 さて、ここで本題に戻ろう。ここまで書けば判って頂けるかとは思うが、今回の映画に於いても音楽はまさに抑圧されたポジションの中にあった。これは製作費の問題をいっているのでは勿論なく、立場の問題なのだが…。だからといってマリオネットとしてもその抑圧された状況に甘んじている訳にはいかない。なんとしても風穴を開けなければならないのである。
 映画の完成時期は既に決定しており、全てのスケジュールはそこから逆算してはじきだされる。6月28日からはダビング(映像に音を加える作業。台詞、音楽、効果音が全て加えられ、バランスを取ったりしながら、音を完成させる)が始まる。この時までには音楽は完成されていなければならない。ところが前述の様に、映像が完成しないと音楽どころではないという状況なのである。音楽プロデューサーである田代氏もお手上げ状態。我々は田代氏からの指定(どのシーンにどんな音楽がどれだけの時間必要なのか)待ちなのであるが、待てどくらせど指定がこない。一応、アイデアを仕込む作業は始まっているのであるが、指定がこないことには本格的な作曲作業には入れないのである。
 6月15日、急遽東京へ打合せに赴く。この話し合いの中で、初めて音楽が必要な場面が呈示された。録音完了のタイムリミットまで12日しかない。翌日、FAXで田代氏から大体の時間指定が届く。この時点で映像の編集作業は途中段階の為、最終的な時間はまだ出ない。ともあれ、この日から作曲、録音の作業に具体的に入ることとなった。
 通常、録音作業は録音スタジオというところで行なわれる。あたりまえの話であるが、そこには最新式の本格的録音機材がそろっているわけである。勿論オペレーターもいて、これらの機材を使いこなし、様々な要望に応えてくれる。ところが、当然の事ながらこれらのスタジオは使用料が非常に高い。1時間使って数万円という料金なのである。普通、録音に入るのは、作曲され、曲の構成や編曲が終ってからの事となる。録音は通常、リズム系の楽器から録り、メロディー系はあとで録るという手順で行なわれる。要するに、構成や編曲が出来ていない段階で録音には入れない訳である。ところが今回はそんな悠長なことは言っていられない。何せ時間がない訳であるから、編曲は録音しながらという、まさに泥縄式のやりかたになってしまった。ということはスタジオに詰めて録音しながら編曲し、次の曲を作曲して、編曲しながら録音という、要するに本来は録音スタジオで行なうべきでない作業までスタジオでやらなければならない事態となってしまった。何度も言うがこの映画の予算は限られている。高いスタジオを長時間使うということは当初から無理があった。田代氏の了解の元、我々の取っ た手段は、自分たちの練習用のスタジオで、自分たちの持っている機材を用いての録音作業だった。幸いにしてエレクトロニクス技術の発達は目覚ましく、我々の財力で手に入れることが出来る程度の機材でも、なんとか使用に耐える程度のクオリティーは保てるのである。とはいえそこはローコストで済む分、いろいろと問題もあることは確かなのだが…。ともあれ、圧倒的に日数の無い中、マリオネットは不眠不休の作業に取りかかることとなるのである。
 今回、約1時間50分の映画の中で26ヵ所に音楽の指定があった。時間を総合すると50分を超える相当な量となる。全てが使用されるとは限らないのだが、一応全てを録音しなければならない。一部使い回しで良いものがあるとはいえ、効率よく録音してゆかないととても間に合わない状況なのだ。例えば3分の曲を録音するのに、オーケストラの様に多人数がいればセーノで一発録音が可能である。ところがたった2人の演奏者で多重録音を重ねてゆくとなると、事は簡単ではない。全体の時間を合わせるために設定したテンポに合わせて1つ1つの楽器を重ねて録音してゆくという地味な作業になる。1つずつ楽器の音を重ねてゆくにしても、他の楽器との旋律の組合わせかたなど編曲を考えながらであるから、物理的にかなりの時間はどうしてもかかってしまう。とにもかくにも最初の3日ほどは昼頃から作業を始め、夜中の2時3時までという状況が続く。最初に前倒しで予定を組んではいるのだが、やはり少しずつ遅れが出始める。少しでも作曲・編曲の作業につまずくとたちまち作業は停滞し、数時間を要してしまう。遅れが出れば当然作業は終れない。2時3時が5時6時に、果ては終了できずに そのまま徹夜で作業続行となってしまう。それでもなんとかペースを掴み、うまくいけば2〜3日は余裕を持って仕上がりそうになってきた矢先であった。
 田代氏はやはり作業状況が心配なのであろう、2日に1回は電話で確認を入れてくる。テープを一々東京とやり取りしていたのでは時間的に間に合わないため、出来上がったものを順次、電話口で音を聴いてもらって指示を仰ぐということの繰り返しであった。さて、作業6日目頃だっただろうか。この日も田代氏から電話が入り、電話口でのデモをしている時であった。ある曲を再生しようとしたら、デッキが動作しない。記録されているはずの信号を感知しないのである。デッキのトラブルかと思いテープを変えると、通常に再生する。何度繰り返しても同様の症状となってしまう。デッキではなく、テープトラブルの様だ。とりあえず田代氏との連絡が終了した後原因究明をしたところ、どうも誤って記録済のテープを初期化して消してしまった可能性が高いようだ。これは録音オペレーターを担当していた海井の全く初歩的なミスであった。結局消えてしまった曲は2曲。ところがそのうちの1曲はNG分でやり直す必要があり、もう1曲は比較的簡単にやり直しが利くものであった。期日的にも多少余裕のある時期であったことも併せて、まさに不幸中の幸いであった。とはいってもあってはいけな いミスである。改めて気を引き締めてかからなければ…。
 この様に短期間で多くの曲を録音する必要がある場合、マリオネットの場合はやりやすい曲からかかるという傾向がある。この場合には、既に曲が出来ていてアレンジが比較的単純であるもの、ということになる。裏を返せばこれは難しいもの、時間を要するものはどんどん後ろに残っていくということでもある。それでも前述のロスは差し引いても、24時間録音体勢に入ったこともあり、比較的早く仕上がりそうな雰囲気が漂ってきていた。
 こんな中、6月24日には田代氏が来阪。この日は、午後から録音作業を一時停止して、田代氏に本格的に曲を聴いてもらう審判の日。結果は概ね良好、しかし細かいところでいくつか注文が出たのに加え「もうちょっと頑張ってみません?」の一言で2曲変更(作り直し)の要望が出てしまった。残り日程はわずか。まだ全く録音できていない曲もあるというのに果して間に合うのであろうか。


5.ダビング


 田代氏が来阪した際の最終打合せの結果、既に録音が完了していた曲の中から2曲、新たに作曲からやり直すことになった。しかもまずいことに、この時点でまだ録音が完了していない曲はかなり難航が予想されるがゆえに最後まで残っていた曲ばかりであったため、多少の時間的余裕はいっぺんにふっ飛び、逆に崖っぷちに追い詰められることになったのである。録音中の貧しい食生活(とても食事に気を使う余裕が無かった)と極端な睡眠不足の為、集中力が徐々に落ちてきているのが自覚できる。作業効率は確実に低下の一途を辿っている。この頃から、一人が録音作業中はもう一人は作曲作業を行なうという、より効率的作業を行なわざるを得なくなった。最初からそうやっていれば、という意見も有ろうが、このやり方だと誰も休憩が取れなくなってしまうのである。どうしても作業できなくなった場合のみ1時間程度の仮眠を取るということにして、録音は続けられた。
 さて、ここで少しこの映画の中でのポルトガルギターやマンドリンについて触れておこう。前回既に述べた通り、この映画ではマリオネットの看板であるこれらの楽器を半ば封印することを余儀なくされた。とはいえ26ヵ所の音楽の中で、せめて数曲だけでもなんとかポルトガルギターやマンドリンを使いたい。この映画音楽、既にサウンドトラックCDとして発売される予定となっている。マリオネットのレコード会社・オーマガトキの担当ディレクターである阿保郁夫氏からも、出来るだけ多く使ってほしいという要望が出ている。結果、既に映画をご覧頂いた方はご存知であろうが、数こそ多くはないが結構印象的な箇所で使われている。これらを創る際は、本当にこれで良いのかという思いとの葛藤があった。特に伯雲と大林の別れのシーン(お判りにならない方は映画をご覧下さい。この曲、後に「友は遠く」と命名された)の音楽はポルトガルギターの独壇場、さあ泣けとばかりに歌い上げている。このシーンは、映画の中でもかなり重要な、キーとなるシーンである。それだけに、このシーンでポルトガルギターが主張するというのはかなりの冒険であった。しかし、曲が出来ていくに従ってど んどん気持ちはハイになってゆく。湯淺のリードも、テイクを重ねる毎に感情移入が激しくなってゆく。聴いている方も、イケイケという感じだ。曲が完成し、映像に合わせてみた時、気分は最高潮になった。「どうや!これでもポルトガルギターはダメか!」という意地が爆発した曲でもあったと思う。この曲に限らず、全ての曲には抑圧された状況を打破せんとするマリオネットなりの主張が込められているのである。
 話を戻そう。この様な状態の中死力を振り絞った結果、曲の作り替えもなんとか乗切り26日の朝には録音は完了。しかしまだこの後トラックダウン(各楽器の音量・音質の調整をして最終的にステレオ2チャンネルにまとめる作業。今回は映画がモノラルの為、音楽もモノラルにダウンした)の作業が待っているのだ。このトラックダウンは、いわば最後の化粧直しといった作業である。このトラックダウンの善し悪しが、最終的にその曲の表情を決定する。決して手を抜けない、大切な行程なのだ。
 しかしここで、やむなく作業を中断しなければならない事態が待っていた。前々からの約束の為どうしても抜けられなかった《大阪日本ポルトガル協会》のパーティーに出席して演奏する必要があったのである。パーティーといえばお酒。酒好きのマリオネットの事、こういう場では楽しく飲みたいものである。しかし既に体力は限界点。飲めば睡魔が襲ってくるのは自覚できる。泣く泣く現場ではビール1本程度で堪え、とんぼ帰りでスタジオに戻り、トラックダウンの作業に入る。徹夜の連続で27日の昼過ぎ、ようやく全ての作業が終了した。各人自宅に戻って仮眠、の予定であったが、完パケのDATテープからコピーしたカセットテープに音が入っていなかったため、吉田がスタジオに戻ってDATテープをチェック。異常なく安心する。
 同日夕方の新幹線にて上京。翌28日・午前10時、いよいよダビングの為、東京・麻布のアオイスタジオへ赴く。田代氏以外は、監督すら今回の音楽を一切聴いていない。様々な制約の中で十二分にやれたという思いもある。しかし全体の方向付けの問題など不安な点も多い。おそらく監督以下、スタッフが本来思い描いていた音楽とはかなり違ったものになっていると考えられるからである。
 監督は、全ての音をとりあえず映像と合わせてみてから考えるというタイプの人である。事前に田代氏と監督の間である程度の打合せは出来てはいるのだが、音楽をどう使うかという突っ込んだ話は出来ていない。音は音楽だけではなく台詞も有れば効果音もある。それらのバランスをどう取るかで、そのシーンの印象は大きく変わってしまう。我々が想定している音楽の入り方になるとは限らないのである。
 ともあれ、はじめて音楽を聴くスタッフが並ぶ中で、ダビングの作業は始まった。手順として1日目は、出来上がった絵にラフに音楽、台詞、効果音を乗せてみて、全体の印象を確認する作業となった。マリオネットの音楽が《映画音楽》として評価される瞬間である。作業は主に、堀川監督と録音の本田氏、音楽プロデューサー・田代氏の3者によって進められて行く。まずは1ロールずつ(映画は1つの作品の全てが1本のフィルムに繋がっているのではなく、5〜10分位毎の区切りの良いところで別れていて、これらを2台の映写機で順次切り換えながら上映される。今回は16本のロールに分けられていた)通して見る。1ロール終わる毎に監督が音楽も含めた感想を述べ、田代氏が各音量のバランスについて進言し、本田氏が意見を述べる。これらを調整し再び同じロールを映写してみる。この作業が延々繰り返される中で、そのシーンの音楽が本当に合っているのか、音量のバランスをどうすればよいか、そして、そのシーンに音楽が必要かどうかについてまで検討される。ここではやはり監督を中心として進められることは言うまでもない。本田氏にしろ田代氏にしろ、自分の感想なり意見を述べ て様々な可能性を呈示することは出来るが、最終決定に至る部分で監督の決定は絶対なのである。勿論マリオネットの両名もその現場には居る訳であるが、口を挿む余地はそこにはない。まさに俎の上の鯉なのだ。まるで2人がそこには居ないかの様に作業は進んで行く。まさにシビアな仕事の現場という感覚である。
 ところで、前回にも書いた制作の遅れはこの時点までも尾を引いていた。ダビング作業を行ないながら見ている絵の中に、まだ出来上がっていないところが有るのである。その部分は、たぶんこの位の長さになるであろう尺で、何も映っていないフィルムが仮に挿入されている。主に、直前に行なった中国ロケ、特撮シーン、オープニング及びエンディングのタイトルバック等である。この日、中国ロケのシーンのラッシュフィルムが上がってきた。その時点で作業を一時中断し、監督は別室でそのシーンを編集し、全体の中に組込む作業等も行なった。それでもこの時点でかなり重要なシーン(特に特撮)がまだ上がっていない。既にやり直しは出来ない状況であるし、監督も随分と心配そうである。ともあれ、この様な制作状況の中で、全ての作業を最終段階で雪崩の様にまとめあげなければならない訳であるから、監督の仕事たるや大変なのである。せめて日程的にもう少しゆったりしていれば、様々なところでもう少し余裕のある作り方も出来たのであろうが…。そしてこのひずみは、やはり音楽にも波及してきた。
 今回の音楽制作で最大の問題点は、マリオネットと監督や田代氏との充分な打合せが欠けていた点であった。マリオネットの作り上げた音楽は紛れもなく力作であるし、自信作である(是非CDにて確認していただきたい)。だが、これが映画音楽として監督の意向に添ったものであるかどうかは全く別の問題なのだ。具体的に言えば、マリオネットとしては自信のあった作品も、実際に全てあわせてみて監督が評するに「音楽によって、演技が流されてしまう」シーンが幾つか出てきたのである。これらは、マリオネットがこのシーンにはこんな曲というアイデアが出来た時点で、デモテープを監督や田代氏に送り、評価が出てのち本格的な制作にかかるという段階を踏むことさえ出来れば、かなりカバーできたことであった(勿論、事前に念入りな打合せが出来ればなお良いことは言うまでもない)。しかし残念ながら、今回の制作状況はそれすらも許さなかった。これはもう既に誰が悪いという問題ではないであろう。強いて言うなら、現在の日本映画の置かれている状況がそうなのだとしか言いようがない。ましてこの様な独立プロダクションが作るものだと尚更なのである。逆に言えば、それでも、 プロデューサー、監督以下、隅々のスタッフまでがこの映画を完成させなければという熱意に燃えていればこそ、この様な状況の中でも水準以上の問題作として完成したとも言えるのだ。
 話を戻そう。大体の箇所に於いて概ね良好の評価が得られていった訳であるが、一部問題の箇所が出てきた。これは主に演技に重きが置かれる部分、特に台詞が重要な要素を占める箇所であった。特に緊迫感が要求されるシーン(我々はサスペンスシーンと呼んでいた)での音楽が監督のお気に召さない。こういったシーンは音楽的であるよりは効果音的な音が要求されることが殆どである。ところがそこはマリオネット。効果音的な音作りをめざしていてもついついどこか音楽的になってしまう。このあたりが監督曰く「演技が流されてしまう」要因となったのであろうか。シーンによっては緊迫感を盛り上げるに充分な効果を上げている箇所もあるようにも感じたが、印象というのは個々によって違うものであるから致し方もない。その他のシーンでも同様の意見が出る箇所が幾つかあり、採用されない音楽もかなり出そうな気配である。結局この日は概ねの方針だけ決め、細部については翌日以降詰めてゆくこととなって午後9時過ぎ、終了した。ダビングはこの日も含め、計5日間の日程を予定しているが、マリオネットが立合ったのは翌日の2日目まで。いよいよ映画も完成に近付いてゆく。


6.完成


 ダビングが終了した後、音をフィルムに焼きつける作業が行なわれる。映画の音楽は一般的に光学式の呼ばれるシステムである。フィルム上の音声のトラック(この部分を指してサウンドトラックと呼ぶ)は映像の脇に連続的に波の様な形で現像処理によって焼き付けられる。この部分に光が通り、波の形を音の波型に変換して再生されるシステムである。この作業が終了して初めて、映画のフィルムが完成する。
 7月11日、京都において映画関係者やエキストラ出演者を招いての試写会が行なわれた。堀川監督と出演女優の藤本喜久子さん・山辺有紀さんなどの舞台挨拶の後、いよいよ試写である。音楽の制作過程やダビング作業の中で何度となく映像を目にしているし、脚本はそれこそ何度も読み込んでいるため、内容に関しては熟知している。そう言った意味で、初めて映画を目にする人とは、見方、感じ方が変ってしまうのはやむを得ない事であろう。それでも完成品を初めて通して見るというのはやはり緊張する。これまでは部分部分を細切れに見ていた訳であるが、通して見てみることで部分の印象が変る事もある。音楽の効果がうまくあがっているか、気になるところである。ダビングでは、初日から2日間しか現場に居なかったため、最終の仕上りを確認していない。結果として、当初の打合せと変更になっている箇所が何ヶ所かあった。さすがと納得できるところと、不満の残るところとがあるが、この段に至っては致し方のないところである。サントラ版CDの曲目解説にマリオネット自身が書いている事であるが「映画音楽を担当する事は件の無念も引き受けるということに他ならない」のである。 しかし『蒼い海の彼方へ』の使われ方と、最も苦労した曲であり、エンディングのタイトルバックに用意した『希望』が使われなかった事はかなりショックであった。
 いずれにしても、この様にして映画は完成し、サイは投げられた。後は観客の審判を待つのみである。


7.CD制作


 映画の為の制作作業が終わったからといって、マリオネットに休息はない。サントラ版CDを発売する事が決定しているので、そちらの制作作業にかからなければならないのだ。映画の為の音楽は全て出来上がっているのだから、それをそのままCD化すれば良いではないかと思われるであろうが、サントラ版とはいえ、音楽だけで商品たりえるものにする必要があるのである。具体的にどういうことかというと、映画音楽というのは場面場面に応じて指定された秒数に合わせて作っている。秒数の指定としてはかなり短いものも多くあり、そのままでは単体の曲として聴かせるのには無理がある。これらをうまく繋ぎ合わせたり、不足した部分を補ったり、場合によっては録音し直したりして、商品たりえる曲として完成させなければならないのだ。また、前述した通り、今回の映画音楽はモノラルであった。上映時の音質自体もさほど良いものである必要はなかったため、映画用に仕上げた曲もこの点にはある程度妥協をして作っている。CDではこれをステレオにトラックダウンしなおし、音質的にも様々な機械を通す事によってグレードアップしようというわけだ。
 ダビング終了後から、マリオネットのCDのプロデューサー兼ディレクターである阿保郁夫氏と、全体の構成について打合せをすると共に、トラックダウンを行なうレコーディングスタジオJAKの佐藤仁氏とは機材の件で打合せを行なった。まずは構成の問題であるが、映画音楽は指定された箇所に全て違う曲を作曲すると言う訳ではない。全体を幾つかのイメージに分割し、同じイメージの箇所は同じ曲想を、アレンジを変える事で対処する。CD用に構成しなおす作業は、前記の通り、同じ曲想のものを統配合する作業である。また、録音はしたものの、結果として映画内には採用されなかった曲などをどうするのかという問題も残っている。次に機械の問題である。録音に使用したMTR(マルチトラックレコーダー/ひとつひとつの音を別々のトラックに重ねて録音できる録音装置)は、録音メディアとしてHi−8のテープを使うデジタル8チャンネルのもので、プロのスタジオで使っている2インチのオープンリール24トラックMTRとはメディアの互換性が無い。という事はテープだけを持って東京まででかけたのでは意味が無く、スタジオに同じ機種のMTRを用意する必要がある。しかし 調べてもらったところ、MTRそれぞれの個体差が結構大きいため、録音に使用した機械をそのまま使った方が良いという結論になった。また今回の録音では、コンピューターを多用している。最近のコンピューター音楽というのは、簡単に言えば、作曲ソフト(シーケンサーという)で作った音程・音量等の細かなデータを元に、デジタル音源(この中にデジタル信号で色々な楽器の音が記憶されている)を演奏するという手順で行なわれる。ソフトを動かすためには勿論パソコンが必要である。最近プロが使う音楽ソフトは、米国・アップル社製のマッキントッシュ(通称マック)というパソコン用のものがメインである。ところが我々はマックを持っていなかったため、NEC製のPC−98と同機用のソフトを使用した。このパソコンは日本国内では最もシェアが広く、2台に1台は98である。この為、東京で調達するのも容易だとタカをくくっていたのであるが、業界内ではほとんど使われていないため、結局調達できなかった。こちらも結局大阪から持って行く必要が出来てしまった。しかも我々の使っているパソコンは、最近はやりのノートパソコンではなく、デスクトップ型というでっかい奴で、モ ニターまで持って行かなければならない。また、東京に於けるトラックダウン作業ではほとんど演奏の必要はないのであるが、一応どの様なディレクターの要望にも応えられるように全ての使用楽器も持って行く必要がある。結局大阪から持参する荷物は半端ではない量になってしまったのだった。
 発売時期にも問題があった。映画の公開は早い地域で8月後半から。しかし、CDは作業が後ろへとつまってしまったため、9月25日と決定した。本当は公開に間に合わせるのが、映画のPRにとっても、またCDのセールスにとっても良い事は言うまでも無いが、精一杯急いでもこの時期になるのだから致し方も無い。映画制作の遅れが、結果としてここまで尾を引いてしまった。
 7月23日、午後からイベントの仕事をこなした後スタジオへ戻って機材などを車に積み込み、夕方に大阪を出発した。名神・東名を一路東京へ。その日遅くに麻布十番のホテルに到着。満載した精密機械や楽器類を車に積みっぱなしには出来ないため、ホテルの部屋まで運び込む。翌日、昼頃にはスタジオJAKへ機材を搬入、トラックダウン作業を開始した。
 ところで、今回様々な楽器類を用いたということは先に述べた。マリオネットが普段用いている楽器はもちろんのこと、前編で書いたカヤグムやタヒチアンウクレレなどの他、シンセサイザーやパーカッション類(太鼓や鈴などの鳴り物の類)である。この中で、湯淺・吉田の両名が使用して大活躍したのは、ギターシンセサイザーという代物である。簡単に言えば鍵盤の代りにギターを弾き、音程や音の強さ・長さの信号を拾い、様々な音源を鳴らすというものだ。吉田などは、ギターシンセサイザー用のピックアップ(音を拾う装置)を、彼がドイツ留学中に手に入れたエレキマンドリンに取り付け、これを使って演奏していた。つまりどういうことかというと、今回の音楽の中のピアノの音もオーボエの音もハーモニカの音もスチールドラムの音も、そして『カーラジオから』の中のドラムの音まで、彼らがギターやマンドリンを弾いて出した音だということなのだ。便利な世の中になったとつくづく思う。かといって何もシンセサイザーにばかり頼っていたわけではもちろんない。『東方コネクション』の中で出てくる野太い弦の音は朝鮮の琴・カヤグムである。吉田が知人のツテを通して朝鮮歌舞団 の団長さんからお借りしたもので、簡単な使い方をお聞きしただけだった。また『エイジアン・ブルー』各バリエーションの中で出てくる三味線の様な音はタヒチアンウクレレ。これは湯淺がタヒチへ旅行した際に購入したものだ。これらはいずれも、正しい使い方など詳しく判っているわけではない。ただ、弦楽器奏者としてのカンの様なものが、これらを使いこなさせているのだ。これらの楽器は、本来の音や特徴とは明らかな違った個性が、マリオネットの2人によって引き出されているのも面白い現象である。またCDの中におさめられている太鼓などのパーカッション類は、ほとんど湯淺が実際に演奏したものである。スネアードラムの様な音のするのはカホンという楽器。これは、見かけは日曜大工で作ったようなただのベニヤの箱に見える。この箱に丸い穴が一つあいていて、反対側の内側にスネアー用のスプリングが何とガムテープで貼り付けてあるという代物だ。演奏者はこの箱に腰掛け、スプリングの貼ってある面を叩いたり蹴ったりして音を出すのである。湯淺は今回、この録音の為にこれを作ってもらった。また、我々が中国の太鼓と呼んでいるタンバリンの様な形をした楽器があるが、 これは吉田の大学の恩師、向井先生からお借りしてまだお返ししていないものである。その他、今回はユニークな音を出す民族楽器的な鳴り物楽器を多く用いたのだが、これらはマリオネットがライブをよくやっている《アムリッタ》というお店からまとめてお借りしたものだ。特にレインストックという傾けると雨の音がする棒状の楽器は大変重宝した。CDをお聴きになる時、この様な部分も注意して聴いていただくと面白いのではないだろうか。
 今回、JAKでの作業は、若干の録音のやりなおしと前述した曲の再構成、そしてトラックダウンとさしたるトラブルもなく概ね順調に進み、7月27日、無事に終了した。その後、映画が一般公開されCDも発売されたので、3回に渡って書いてきたマリオネットの苦闘の後に実際触れていただいたことと思う。正直言ってマリオネットが普段皆様にお聴かせしている音楽とはまるで異なった世界をいきなりつきつけられ、戸惑われた方も多かったのではないかと心配もしている。ポルトガルギターやマンドリンの音色は、もちろんマリオネットが自己表現するための最大の武器である。だが、その裏に彼ら2人の確かな音楽性と作曲能力があればこそのマリオネットサウンドでなのである。そういう意味で、今回は彼らの武器を半ば封印し、音楽性がむきだしになったと言ってもよい。そういった側面からお聴きいただければまた違った楽しみ方を発見できると共に、平素のマリオネットの音楽の裏にあるものがより明らかになってくるのではないかと思っている。今回の連載がその手立てとなれば、嬉しい限りである。