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京都部落問題研究資料センター所長就任にさいして
 「京都部落問題研究資料センター」と私の関係は長くて深い。私の人生の半分である三〇年近いおつきあいである。もちろん前身の「京都部落史研究所」時代をふくめてのことである。

「京都部落史研究所」創設に参画された井上清先生、奈良本辰也先生、渡部徹先生をはじめ、初代所長の先輩師岡佑行さんとも近しくさせていただいた。死去された先生方のこともあわせて、師岡さんとその周縁の皆さんは思い出すのもなつかしい。委員仲間の故土方鐵さん、森谷尅久さん、藤田敬一さん、仲田直さん。運動の側から協力していただいた故駒井昭雄さんや西島藤彦さんなど、皆さん個性的な人々であった。

また、研究上の立場はちがったが故藤谷俊雄先生、先輩の東上高志さん、とりわけ故馬原鉄男さんの思い出は強い。ついで思い出につながるのは事務局長で大きな役割をはたしてくれた山本尚友さんであり、又、事務局の平野貴子さんである。これら委員や運動、行政の支援の結果、現在の京都部落問題研究資料センターには日本でも有数の部落史関係史料や資料カード・フィルム・テープが蒐集されている。また、図書室の一般開放だけでなく館内研修や府下各地での学習会や講演会にも出かけている。市町村の部落史編纂の参画、アドバイスも行っている。また、最近はインターネットでの情報提供もおこなっている。

このような活動のなかで過去から現在にかけて二十数点の刊行物を発刊し、いずれも好評で残部は少なくなっている。人権啓発活動のさかんななか、今後も情報提供活動や講座の開催などを続けたいと願っている。

ところで、私が当センター所長をお引き受けした理由は、昨今の反・否・非人権的な動向にやむにやまれぬものを感じたからである。世上、戦争・紛糾・対立はつづいており、一九四五年、敗戦の年の焦土のなかでの、飢餓、失業、不就学の友人たちを思いだし心痛むものがある。昆虫、野草、豆かす、切干大根、芋、野菜などの飯などはもう出あいたくない思い出である。「焼トタンのバラック」(粗末な板ばりの家)はあるだけましで路上の片隅の居住者も多かった。衣類はつぎはぎで頭の中はもとよりシラミが同居していた。大衆浴場も満員で湯は混濁しており服や履物まで盗みの対象となった。幼い小学校時代の学校給食はアメリカ軍放出物資でまかなわれ、配布されたコッペパンは最高の美味であったが生徒のなかの「ヤクザ」予備軍に半分とられた。あの半分は集められて世上に出たのであろう。

野坂昭如のいうわれら「焼跡闇市派」であった。根からの妥協派でありながら護憲派であり、「天皇制」をいうなら「市民・民主天皇制」をいいたてることが、最低限のゆずれない「生きよう」であったし、これからも引けない一線である。初代所長の師岡さんや二代目の灘本昌久さんとはやや異なったところであろうか。

たよりない七〇代の男にご支援をたまわりたい。
2005年6月1日  秋定 嘉和