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99.06.09 文学研究者と「ら抜き」 ![]()
石原千秋著『秘伝 中学入試国語読解法』(新潮選書)は、気鋭の近代文学研究者が息子との中学入試の体験を書いたということで、さっそく評判になっているようです。 最近話題の「ら抜き言葉」にしても、明治、大正の文献を読んでいるとよく見かけるものだし、僕が息子に読んで聞かせた井上靖の『しろばんば』にもちゃんと出てきた。(p.216)
「ら抜きことば」というのは、「見られる」を「見れる」というようなものです。明治大正の文献で「よく」ら抜きことばを見かけるというのは本当でしょうか。 この「見れる」「来れる」などの言い方は、話し言葉の世界では、昭和初期から一部に使われており、第二次世界大戦後は更に一般化し、最近では、話し言葉だけでなく、書き言葉としてもぼつぼつ使われだしている。(文化庁『言葉に関する問答集』大蔵省印刷局、p.540) また、見坊豪紀氏は、大正時代の次の例を挙げています。
見ろやい、ひと飛び、/俺{おり}は此所だ、/誰{だあれ}も来れまい、/俺{おれ}ひとり。(「お山の大将」)〔北原白秋訳『まざあ、ぐうす』大正十年〕(「放送文化」6月号24「「まざあ、ぐうす」に想う」平野敬一)(「言語生活」300, 1976.09 p.75)
また、松井栄一氏は、『国語辞典にない言葉』(南雲堂 1983.04.25 p.130)の中で、明治時代の例を挙げています。 今に好{い}い旦那でも取る様になったら、花生さんも最{も}う席なんかへでなくッたって、左団扇{ひだりうちわ}と来{こ}れる様な訳なんだね。(永井荷風『をさめ髪』一、1899年)
ただ、これらは稀少例とされているもので、数はそう多くないはずです。石原氏が「明治、大正の文献」に「よく見かける」というのは、筆がすべったのでなければ、あるいは重要な事実の指摘かもしれません。 |
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