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99.05.16

「蜜柑」二題

 芥川龍之介の「蜜柑」は大正8(1919)年、「私の出遇った事」の題で発表されたショート・ショートです。その中の一節。

 しかしその電燈の光に照らされた夕刊の紙面を見渡しても、やはり私の憂鬱{ゆううつ}を慰むべく、世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切っていた。講和問題、新婦新郎、涜職{とくしょく}事件、死亡広告――私は隧道へはいった一瞬間、汽車の走っている方向が逆になったような錯覚を感じながら、それらの索漠とした記事から記事へ殆{ほとんど}機械的に眼を通した。が、その間も勿論{もちろん}あの小娘が、あたかも卑俗な現実を人間にしたような面持{おもも}ちで、私の前に坐っている事を絶えず意識せずにはいられなかった。(『蜘蛛の糸・杜子春』新潮文庫 p.31)

 この個所について、2つのことを書きとめておきます。

 一つは、この「べく……余りに」というのが、欧文直訳体だということ。「too……to――」の構文の翻訳です。もっとこなれた言い方にするなら「世間の出来事は、私の憂鬱を慰めるにはあまりに平凡だった」「世間の出来事はあまりに平凡すぎて、私の憂鬱は慰められなかった」とでも言うところ。
 芥川はこの「べく……余りに」の言い方を好むらしい。楳垣実もそれを指摘していることについては、前にも触れました。ただ、楳垣は芥川がどの作品で使っているか書いてくれてない(旧版全集のページだけ)ので、探すのが面倒くさい。調べればいいのですけどね。たまたま「蜜柑」を見ていたら、この言い方があったので、記録しておきます。
 なお、楳垣は「この種の形は明治末期でさへも小説には殆んど見当らぬ程、ぎごちない表現であつたらしい。まして大正期には稀だ。大正期の正常形は“――にはあまりに……”の形である」(『日本外来語の研究』p.371)としています。「蜜柑」は大正期の作品なので、稀な例といえましょう。

 もう一つは、この個所が時枝誠記博士の名著『日本文法口語篇』に引用されているということです。
 時枝博士は、「文とは何か」をいろいろ論じて、

  ・「昨日はどこへ行ったの?」「箱根。」

の「箱根」のようなものも文だと言いました。(つまり「箱根よ。」と言い換えられるから――陳述が存在するから――です。)
 しかし、次のようなものは文ではない、として、芥川の作品を引くのです。

しかしその電燈の光に照らされた夕刊の紙面を見渡しても、やはり私の憂欝を慰むべく、世間はあまりに平凡な出來事ばかりでもちきつてゐた。講和問題新婦新郎涜職事件死亡廣告――私はトンネルへはひつた。(芥川龍之介)(『日本文法口語篇』p.240)

 この「講和問題、新婦、新郎……」以下は、「語の羅列に過ぎない」のであって、文ではないと。
 引用は「蜜柑」の文章らしいのだけど、出典が書いてない(なんで皆、出典を書いてくれないのかしら)。その上、原文を途中で切ってしまっているんですね。「トンネルへはひつた」の後も文が続いているのに。
 時枝博士の挙げたような例なら、文ではないともいえるでしょう。「講和問題、新婦、新郎、涜職事件、死亡広告。」とだけあれば、「語の羅列に過ぎない」といってもいい(僕はそれでも文だと思うけれど)。でも、実際には「講和問題、新婦新郎、……私は……それらの……記事から記事へ……眼を通した。」とあって、全体で一文だ。「講和問題……」以下は、文の一部をなすというべきだ。
 時枝博士は、自分の説明に都合がよいように、原文を改めてしまってるんですね。ちょっとどうかと思う。

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