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98.08.02 「狭き門」と「宇治十帖」 ![]()
「源氏物語」と筋がそっくりではないかと思う小説が、フランス文学にあります。文豪アンドレ・ジイドの「狭き門」(1909)がそれです。 叔父の家でアリサと再会した時,ジェロームは突然,自分たちがもう子供でないことをはっきり感じた。高まりゆく2人の慕情。しかしアリサにとって恋は自分の信仰を汚す感情と思われるのだ。彼女はジェロームの愛の行為を焦れつつも,神の国を求めるがゆえに,彼の求愛を拒みつづけて苦悩のうちに死んでゆく……。
この小説を読んだとき、せっかく思い合っているのに、相手の男性の愛を受け入れようとしないアリサの心情には、現代の感覚からは理解しがたい部分があると思いました。しかし、これと同じような話を確かに読んだことがある。それこそ、「源氏物語」の後半部分、いわゆる「宇治十帖」の薫と、大君(おおいぎみ)・中君(なかのきみ)姉妹のエピソードでありました。 「〔上略〕アリサはまたお父さんのことも言ったよ。お父さんのそばを離れるわけにも行かないって……。随分いろんな話をしたよ。あの娘はほんとに弁{わきま}えがいいね。それから、自分のようなものがお前〔注・ジェローム〕にむくかどうかまだ自信が持てない、お前よりあまり年上なのが心配だ、むしろジュリエット〔注・妹〕くらいの年頃の女{ひと}の方がよくはないかと思う、とも言ったよ……」(川口篤訳『狭き門』岩波文庫 p.75) 一方、「宇治十帖」では、大君みずから「自分よりも妹が薫の妻になった方がいい」と老女房に語ります。その部分を現代語に直して引用しましょう。 「中君が適齢期を過ぎていくのももったいない話だわ。せっかく山里住まいをしていても、彼女のことを考えると落ち着いてもいられない。薫様が昔のように私たちを構ってくれるのなら、彼女を私と同じように思ってもらえないかしら。私の気持ちは身を分けた妹に譲って、これからのお付き合いをしようと思うの」(総角巻)
恋人を拒む理由として、アリサには深い信仰があり、大君には滅多なことで宇治を離れてはならないという父の遺言があります。
薫が侵入してきて大君は顔を見られた。大事件なんですが、『第二の性』では、〔略〕「女は愛撫を心から待っているときでも、見られ、さわられるという考えに反抗する」「初心な女の恋人がからだを見せることに同意するまでにどんなに抵抗にかたねばならぬかは想像がつく」〔略〕
対談相手の丸谷氏は「ぼくは、ボーヴォワールという人はあまり好きじゃないので『第二の性』を読んでないんです」と冷淡ですが、「狭き門」との比較で論じたならば、話がさらに広がったのではないでしょうか。 |
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