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03.10.04

ふたつの「彼氏」

 「彼氏」ということばを初めて使ったのは徳川夢声で、昭和5年ごろのことといいます(『明治大正新語俗語辞典』などによる)。もともと流行語で、気にくわないことばとして挙げる人もいたのが、いつの間にか「ふつうのことば」として定着しました。
 今の若い人は、この「彼氏」のアクセントを2通りに発音し分けている――と言われ出したのが1980年代後半のことだったと記憶します。ただ、僕の手元にある本では、1995年の柴田武『日本語はおもしろい』(岩波新書)に出ているのが古い記述です。

結婚した女性にとって、その夫は頭高のレシレシ近ごろ早く帰ってくる?)だが、ちょっと人に言えないパートナーの男性はレシ(ちょっとカレシに会ってくる)で、このことばは、ささやくように発音するのだそうだ。平板で目立たないアクセントで、しかも、ささやき声でいうとは、なんとも妙技である。この二つのカレシもおそらく、将来は平板だけになるだろう(p.184)

 ところが、広島の女子大学に勤務されているF氏から、書物によって「カレシ」の2つのアクセントの意味について異なる説明がなされていると教えていただきました。
 僕が昔、2つの「カレシ」の区別があると初めて聞いたとき、頭高の「レシ」は「彼、あの人、例の人」の意、平板の「カレシ」は「恋人」の意だと理解しました。しかし、話はそう単純ではないようです。
 手元のいろいろな本の記述をまとめると、次のようになります。

頭高……

1.夫 2.本来の恋人 3.he 4.恋人 5.ボーイフレンド

平板……

1.ちょっと人に言えないパートナー〔浮気相手〕 2.遊び相手 3.恋人 4.軽いつきあい相手 5.本命の男性 6.〔頭高の場合よりも〕内側の人間関係を表す

 柴田武『日本語はおもしろい』(岩波新書 1995)、米川明彦『現代若者ことば考』(丸善ライブラリー 1996)、井上史雄『日本語ウォッチング』(岩波新書 1998)、高島俊男『お言葉ですが…「それはさておき」の巻』(文藝春秋 1998)、池上彰『日本語の「大疑問」』(講談社+α新書 2000)、岩松研吉郎『日本語の化学』(ぶんか社 2001)による。

 これらのうち、たとえば「恋人」という意味は、頭高の2、4にもあるし、平板の3にもあります。一見したところ、矛盾しています。
 けれども、よく比較商量してみれば、頭高アクセントの場合は「公に認知された関係、後ろ暗いところのない関係」の男性に用いられるのに対し、平板アクセントの場合は「秘密にしておきたい、ごく一部の人にしか知らせていない関係」の男性に用いられるという点で、それぞれ共通すると考えられます。同じく恋人でも、公認されている場合は「レシ」で、秘密の場合は「カレシ」ということでよさそうです。
 井上史雄・鑓水兼貴『辞典 新しい日本語』(東洋書林 2002)はこの2つの意味の区別を指して「新しい二重語 doublette の誕生である」(p.112)と述べています。

 ただし、この区別が現在(すなわち、2003年ごろ)広く行われているかどうかはあやしくなっています。F氏によれば、広島の女子大生はこれらの「彼氏」を「区別しない」と答えたそうです。広島では区別はないが、他の地域では区別があるのでしょうか。
 僕は、東京のある女子大学の学生にアンケートをとってみました。30人を対象として、有効回答者数は17人でした(回答率が低いですね)。
 その結果、2つのアクセントを発音し分けないという人が11人で、6割を占めました。発音し分けるという人(6人)も、意味によって発音し分けているという人はわずか2人でした。あとの4人は、「親や祖父母と話すときは頭高。友達と話すときは平板型でしょうか」というように、話す相手など場面に応じて使い分けているようです。

 平板アクセントの「カレシ」は「ギャル語」とも捉えられています。「平板は、俗に言うギャルがよく使う言葉だと思う。平板は、なんだか軽い気がする」とか、「高校生のとき、コギャルの友達が彼氏(平板)で使っていました。平板はギャル語で頭高は一般語?だと思います」とかいう証言がありました。平板アクセントに抵抗感をもっていて、「今時というか、流行のアクセントというイメージが強く、 とても照れくさい。だから私は正しいアクセント〔頭高のこと〕を使う」と言う人もいました。
 意味によってアクセントを使い分けている2人のうち1人は、平板アクセントを「友達、または自分の恋人のことを言うとき」に使い、頭高アクセントを「誰か特定の人を指さないとき」に使うと回答しました。これは従来言われてきた区別に合うものです。もう1人は、平板アクセントを「軽い内容の会話のときに使っている気がします。『彼氏できた?』などと聞く場合などには平板のほうが聞きやすいです」、そして頭高アクセントは「比較的深刻な会話をするとき」に使っているとのことです。これもまた、ほぼ従来指摘される区別に沿うものです。

 全体として、「彼氏」のアクセントを意味によって使い分ける人は、調査した中では少数派です。頭高で発音する人も多くいます。べつに真面目ぶって回答したわけではなく、本当にそうなのでしょう。柴田武氏は、上掲書で「将来は平板だけになるだろう」と予測していますが、たとえそうなるとしても、まだまだ曲折がありそうです。頭高の「レシ」にまったく戻ってしまう可能性も否定できません。
 ちなみに、『新明解日本語アクセント辞典』には、「《レシは避けたい》」と書いてあります。いずれにしても、もともとは流行語にすぎないことばなので、好きに発音してよいでしょう。

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