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02.09.05

過ぎゆく月日も定かならで

 部屋のビデオテープを年代順に整理していたら、昭和天皇の大喪の礼(1989.02.24挙行)の模様を収めた古いテープが出てきました。たしか、参列者として招待された中に知り合いがいるとかで、郷里の家族が録画したものです。保管が悪く、白いカビを生じています。再生するのは危険な状態です。
 それが今なぜ僕の部屋にあるかというと、国語学的関心から拝借してきたのです。

 新宿御苑で行われた「葬場殿の儀」では、初めに古いやまとことば(日本固有のことば)による祭詞が読み上げられました。家の新築や結婚式などで神主があげる「かしこみかしこみ……」という祝詞(のりと)と似たことば遣いです。
 今の時代に用いられている祝詞も、やまとことばを基本としているようですが、「ビルディング」など現代ふうのことばが混じるのはやむをえないでしょう。その点、昭和天皇の葬礼にあたってはどうでしょうか。古いやまとことばだけで祭詞が成り立つものでしょうか。

 祭詞を読み上げたのは永積寅彦祭官長(当時87歳)でした。悲しみに沈む弱々しい口調で読み上げたその文章は、おおむねやまとことばだけで一貫していました。
 たとえば、「未曽有の激動の時代」は「かつてあらざるはげしきうつろひのとき」となっています。うまい「翻訳」といえるのではないでしょうか。
 参列者を指すことばもすべてやまとことばです。「百僚有司」(多くの官僚のこと)は「もものつかさびと」。これは昔からよく使われる表現です。「各界の著名人」は「もろもろのさきだち」、「諸外国の国王・首相・大使」は「とつくにぐにのきみ、をさ、つかひびとたち」となっています。「つかひびと」は大使のことで間違いないと思いますが、ちょっと使用人のようなニュアンスも感じます。

 この祭詞には、おそらく明治天皇や大正天皇の大葬で使われたものを踏襲したところもあるのでしょう。このほかにも、語彙や語法の面で、いくつか注意を引く部分がありました。少し挙げておきましょう。
 まず、「聡(さと)しき」という耳慣れないことばが使われていました。

おほまへ(大前)はも、あ(生)れましながらのさとしきみたましひ(御魂)をもて、みくらゐ(御位)をうけつぎたまひてゆ、

 現代語訳すると、
 「陛下は、生まれながらの英明なご性質で、皇位をご継承になってから、」
 ということでしょう。
 「さとし」は、「賢い」ということで、今でも「サトシ君」という名前に残っています。でも、昔は名詞へ続くときは「さとき」と言ったはずで(つまりク活用になる)、この祭詞のように「さとしき」と言う(シク活用になる)のは異例です。辞書でシク活用の「さとし」を引くと「悪がしこい。こざかしい。」とあって、どうも祭詞に用いることばとしては都合が悪いようです。
 「賢(さか)しき」の聞き違いではないかと思いました。祭官長の口調は聞き取りにくいのです。ビデオテープを何度も再生したかぎりでは、やはり「さかしき」ではなく「さとしき」と言っていました。
 ついでに、この部分の最後にある「うけつぎたまひてゆ」の「〜ゆ」は、現代語の「〜から」にあたりますが、大昔はこういう個所には使わなかったろうと思います。山田孝雄『奈良朝文法史』によれば、「ユ、ヨの形は歌以外には用ゐられず」だそうですし、そもそも、ふつうは「名詞+ゆ」の形で使われ、この祭詞にあるような「動詞+て+ゆ」という続き方はしなかったのではないでしょうか。

 また別の箇所では、「〜ではなくて」という意味の「〜ならで」という言い方が使われていました。

おほみや(大宮)のうちよ、ふかきなげきかなしみにつつまれ、あらきのみや(殯宮)にひねもすよもすがら(終日終夜)つか(仕)へまつらせたまひて、すぎゆくつきひ(月日)もさだかならで、つかへまつりたれども、

 訳してみると、
「皇居の中は深い嘆き悲しみに包まれ、〔新天皇をはじめとする皇族方は〕殯宮に昼も夜もお仕えになって、〔私ども宮内庁の者も〕過ぎゆく月日も分からないほどお仕えしたが、」
 といったところでしょうか。
 ここに用いられている「さだかならで」は、「(過ぎゆく月日も)定かではなくて」ということですが、奈良時代の宣命ならば「さだかならずして」とでも言ったところでしょう。
 此島正年『国語助詞の研究』では、こういう場合には万葉集では「〜ずて」、宣命では「〜ずして」というのが普通だったようです。もう少し後の源氏物語などでは「〜で」という語法が出てきます。つまり「さだかならで」は、平安時代以降の文法に基づいているようです。
 なお、「おほみやのうちよ」の「〜よ」は詠嘆をあらわすのでしょうが、やや不審な用法。

 このほか、「一昨年」をあらわすことばとして、辞書には載っていない「をととせ」という形が使われているのにも耳が止まりました。

をととせのあき(秋)、にはかのみやまひ(御病)のおむこと(御事)あり、やがてつね(常)のみかげ(御影)をあふ(仰)がしめたまひしに、こぞ(去年)のながつき(九月)、またのみやまひおもく、

 こういった宮中の儀式で使われる文章には、独自の歴史があるはずです。現代の辞書に載っていなかったり、奈良時代あたりの文法と異なっていることばがあったとしても、それはそれで宮中の伝統には則っているのかもしれません。
 明治・大正以前の祭詞ではどうなっていたのか、知る機会があればと思います。

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