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02.05.27

カステラから脳死まで

 言語学では、「サピア=ウォーフ仮説」という有名な考え方があります。
 よく、「サピア・ウォーフ」という名前の人が考えた説だと思っている人があるけれど、そうではありません。アメリカの言語学者エドワード・サピアと、その弟子にあたるベンジャミン・L・ウォーフが唱えた説です。これを知れば、今日から世界観が変わってしまうほどの卓越した説です。

 ウォーフという人は面白い経歴の人で、学者になる前には火災保険会社の仕事をしていたそうです。そのため、いろいろな火災の原因を調査する機会がありました。
 彼は、ガソリンの貯蔵所の火災を調べて、ガソリン缶の置かれている場所より、「空の」ガソリン缶の置かれている場所のほうが、火災が起こりやすいことに気づきました。不思議なことです。「空の」ガソリン缶ならば、火事の原因になるはずはないでしょう。
 ところが、ここにことばの落とし穴があります。「空の」ガソリン缶とは、たしかにガソリンは空っぽに近いかもしれませんが、その代わり、起爆性の気体が充満しているのです。人はそれに気づかず、近くでたばこを吸ったりします。ですから、火災を避けようとすれば、「空のガソリン缶」ではなく、「起爆性の気体が充満した缶」と表現すべきだということになります。

 この話を学生にすると、「なるほど。では『サピア=ウォーフ仮説』というのは、ことばは正しく使いましょう、間違った言い方をすると危険だよという説なんですか?」と早とちりする人が出ます。そういうことではありません。
 「『空の』ガソリン缶」は、間違った言い方ではありません。用済みのガソリン缶を集めておく場所に「『空の』ガソリン缶」と書いておくのは正しいことです。空の缶を回収する人にとっては、「起爆性の気体が充満した缶」と書いてあっては、かえって分かりにくくなってしまいます。

 この話で分かるのは、こういうことです――世の中の物ごとは、それを見る人の立場やとらえ方によって、いろいろな切り取り方ができる。「『空の』ガソリン缶」ということばと、「起爆性の気体が充満した缶」ということばは、切り取り方が違うのです。しかも、ある切り取り方によって作られたことばは、逆に人の物の見方を支配してしまうのです。「世界についてのわれわれの認識・思考は、ことばに支配されている」というのが「サピア=ウォーフ仮説」です。

 少し抽象的な言い方になりました。では、身近な例をいくつか観察して、「ことばの支配力」のおそろしさをはっきりと実感してみることにしましょう。

アメリカのテレビドラマ「アリーmyラブ3(原題“Ally McBeal”)の中で、主人公のアリーが30歳を迎えた日、鏡を見ていると、自分の顔が突然、おばあさんのようにシワシワになるという場面がありました(「さよなら20代」2001.03.02 NHK放送)。アリーの焦燥する気持ちがよくあらわれている場面だと思います。
 彼女と同じように、多くの人は、自分が19歳から20歳になったり、29歳から30歳になったり、はたまた40歳になったりというように、年齢のあらたな大台を迎えたとき、急に年をとったような気がするのではないでしょうか。
 しかし、よく考えてみると、29歳の人が30歳になるのも、28歳の人が29歳になるのも、経過した時間は同じはずです。べつに、アリーのように、30歳になった日に、突然シワが増えるというわけではないでしょう。
 では、31歳を迎えたときは、30歳を迎えたときよりもさらにショックかというと、そんなことはなく、かえってショックは弱くなるのではないでしょうか。
 時間は、本来区切りがないものです。その時間の中に、人は「20代」「30代」ということばによる区分を設けました。物理的にはありえないはずの区分が、人にショックを与えたり悩ませたりしているのです。

ことばは、愛し合っているふたりの結婚をはばむ力もあります。別に、ことばで口げんかをして別れてしまう、ということではありません。
 韓国では、同じ名字の人が結婚することはできないというのが伝統的な考え方です。たとえば、キムさんという男性は、キムさんという女性とは結婚できません。もっとも、先祖の出身地(ルーツ、本貫)が違えばかまわないらしく、それぞれの家に伝わる系図を調べて、出自がまったく別であれば、問題なく結婚できるといいます。
 ルーツが慶州のキムさんは、ルーツが光山のキムさんとは結婚できますが、自分と同じ慶州のキムさんとは、どんなに愛し合っていても結婚が許されないのです。
 日本にたとえるならば、大阪がルーツの木村一郎さんは、京都がルーツの木村花子さんとならば結婚できますが、同じく大阪がルーツの木村春子さんとは結婚できない、ということです。
 姓の種類の多い日本ならともかく、同姓の多い韓国では結婚に関する問題が多発するのではないかと心配になります。
 「名字」もことばの一種です。日本では、もともと庶民には名字がなかったし、明治維新のときに勝手な名字をつくったりもしたようです。ところが、韓国では、昔からの名字を大事に守ってきた。昔の人間が決めた名字(ことば)の区分が、現代にまで影響し、人の一生を大きく左右することもあるわけです。

ことばは、人の生死に関わる場面でも、重要な意味を持ちます。
 1997年6月、臓器移植法が成立しました。この法案に関して、「脳死は人の死か」という判断のむずかしい問題が議論されました。
 重態で、脳が機能を停止した患者Aさんがいたとして、もう助からない状態だが、Aさんの肝臓はまだ活動を続けていたとします。もし、Aさんの肝臓を取り出して、肝臓の病気を持つBさんに移植すれば、Bさんは助かるかもしれません。
 でも、「Aさんはまだ生きているのではないか? 生きている患者から臓器を取り出すことが許されるのか?」という考え方が出されました。これに対し、「いや、脳が機能を停止(脳死)していれば、その人は死んでいるのだ、臓器を摘出することはゆるされる」という意見も上がりました。
 「脳死」が「人の死」とみなされるならば、臓器摘出はできる。しかし、「人の死」とみなされないならば、摘出はできない。脳死を人の死と認めるかどうかは、法律成立後も議論が続いていますが、この問題は、本人の意思や家族の心情をどう尊重するかを含めて、倫理的な問題であるという点では多くの人が一致すると思います。僕はこれに加えて、ことばの問題でもあると考えます。
 「ことばの問題」というと、「たかがことば」という意味だと思われがちですが、そのようなことを言おうとしているのではありません。
 「脳が機能を停止した患者から臓器を取り出す」という行為はまったく同じであるのに、その「脳の機能停止」という状態に「死」という名前(ことば)を与えた場合と、「生」という名前(ことば)を与えた場合とで、患者や家族、そして移植を待つ別の患者などの運命が決定的に変わってしまうということが言いたいのです。

最後に、もう少し気楽な例を挙げます。
 作家の筒井康隆氏は、会社員時代、お金がなくて困っていたのだそうです。そんなとき、会社の隣りのパン屋で、カステラを裁断した切れっぱしを売っているのを見つけました。

おれはカステラの切れっぱしと牛乳一本を買い、社に戻って食べはじめた。〔略〕カステラの味は懐しく、おれは夢中で食べた。いや、おそらく夢中で食べていたのであろうと思う。ふと気がつくと向かい側の机の同僚がにやにや笑いながらそんなおれを眺めていた。〔略〕あっ、と思っておれは食うのをやめた。なんということだ。おれはいったいなんというものを食べていたのか。これはカステラと同じ味、同じ栄養価のあるものでありながら実はカステラではない。食いものでさえない屑なのだ。おれの誇りはどこへ行ったのであろう。(筒井康隆『玄笑地帯』p.99)

 筒井氏が食べていたのは「カステラの切れっぱし」ですから、カステラには違いないはずです。でも、見方を変えれば、「食いものでさえない。屑なのだ」という言い方も当たっているでしょう。そのもの自体は何も変わらないのに、「カステラ」ということばで表現すれば食べ物になり、「屑」と表現すれば食べることができないものとみなされてしまいます。

 食べ物のことから結婚、死生観まで、われわれはなんと強くことばに支配された人生を送っていることでしょうか。(2003.02.23一部改稿)


 B.L.ウォーフ「習慣的な思考および行動と言語との関係」(池上嘉彦訳『言語・思考・現実』講談社学術文庫による)

追記 信太一郎氏よりご教示いただきました。「江戸時代の庶民に苗字はなかったか?」という文章の中で、「実際には江戸時代の庶民も苗字を持っていた可能性のほうがはるかに高い」と書いていらっしゃいます。また、「朝鮮の姓はなぜ種類が少ないか?」という考察もあります。
 また、僕の教える学生のひとり(韓国からの留学生)が次のような証言をしてくれました。
 「韓国では同じ名字の人が結婚することはできないという話ですが、実際そのような例は珍しいのです。同じキムでもその種類が多いし、もし同じルーツのキムだとしてもその寸数(親等?)が近すぎなければ結婚できると私は知っています。そういうわけで、結婚に関するトラブルの多発が社会問題になるような心配はあまりないと私は思います」
 なるほど、大きな社会問題とまでは言えないのでしょう。しかし、トラブルに関する話を耳にすることはあります。(2002.07.04)

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